私は余り人に関心を持たないのですが、唯一大好きな人間と大嫌いな人間が居ます。
大好きな人間。
言わずもがなグンマ様。
大嫌いな人間。
シンタロー君。
彼を見て居ると胸の奥が刃物でえぐられるような酷い不快な痛みが過ぎります。
その位大ッ嫌いなのです。
「ドクター、絆創膏ー。」
ガラリと保健室のドアを開けて入って来たのは将来ガンマ団の総帥に一番近い男、シンタロー。
黒目黒髪の青の一族の異端児。
ああ、本来ならば美しい金色の瞳、青い目を持つグンマ様がそのポジションに付くはずだったのに。
そう。私はこの異端児と美しいグンマ様をすり替えました。
サービスに悪行をそそのかされた時、私は何の躊躇もしませんでしたよ。
だってそうでしょう?
私が崇拝して止まないルーザー様にちっとも似ていない彼がルーザー様の息子を名乗るなんて…私には我慢できません。
「はいはい。シンタロー君。そこの棚にありますから勝手に持って行って下さい。」
「ああ…。」
シンタローを見ずに机に向かい高松は何やら書いている。
シンタローは昔からカンの良い子だ。
その為薄々ながらも高松に自分は嫌われていると知っていた。
昔、こんな事があった。
グンマと二人で遊んでいて、シンタローは外で遊びたかったのにグンマは家の中で遊びたいといって口論になった。
じゃあ一人で遊びに行くとシンタローが言った時、行かないでとグンマが泣き出したのだ。
下からダダダと言う騒音と共に高松が上がって来て、勢いよくドアを開ける。
泣いているグンマを見て、高松はシンタローに怒りに燃える視線を投げかけたのだった。
そして理由も聞かずシンタローの襟首を掴む。
体重の軽い子供は大人の腕力でゆうに宙に浮く。
苦しくて足をバタバタさせるシンタローに高松はドスの聞いた声で言った。
「グンマ様を泣かすな。この、青の一族の異端児が!」
今にも殴り掛かりそうだった所をグンマが必死に止め、殴られる事はなかったのだが…。
シンタローは心にショックをおって。
その事は自分と高松とグンマだけの秘密のようになり、父にさえ話す事が出来なかった事を覚えている。
自分だけが覚えているだけであり、高松もグンマも覚えている確証なんてどこにもないのだけれど。
「ナンでアンタ、そんなに俺の事嫌いなの。」
絆創膏を取りながら後ろ向きで高松に問い掛ける。
「嫌い?例えそうだったとしても私は肯定できませんねぇ。この仕事を辞める訳にはいきませんので。」
目を細め涼やかに笑う。
振り返り様見た高松は、笑っていたのではあるが、笑っていないようでもあった。
別に嫌われても構わない。
高松は言わば父の部下であるし、自分には何ら関係ない。
自分が生きていくにおいて居ても居なくても何にも支障のない人間。
ただ、唯一関係があるとすれば従兄弟のグンマの育ての親、というグンマを通じての関係。
でも、気になる存在。
士官学校に行くまで、シンタローの知り合いは父マジック、叔父サービスとハーレム、従兄弟グンマ。
そして医者の高松。
幼い頃から知っている人間の少ないシンタローは、良くも悪くも高松を気になっていた。
「アンタのそれさ、肯定してるように聞こえるんだケド。」
「それはシンタロー君の憶測でしかないですからね。そう思うならご自由に。」
足を組んで真っ直ぐ目を合わす。
黒い瞳がかちあった。
「じゃあそう思うヨ。でさ、アンタ何が気に入らない訳?俺アンタになンかしたか?」
真っ直ぐに見つめてやれどもグンマの事以外はポーカーフェイスの高松。
その心情は読み取る事ができない。
「いいえ?何も。言ったでしょう、それはシンタロー君の憶測でしかないと。私は貴方が嫌いとは言っていませんので返答できかねますね。」
「あ、そ。じゃあアンタにとって俺は好きとか嫌いとかそうゆう感情一切ナシの興味のない存在って事ね!」
特に怒った風でもなく、溜息混じりに言った言葉。
だったのに。
高松のポーカーフェイスが歪んだ。
シンタローの眉がピクリと動く。
やっぱ嫌いなんじゃねーかヨ。
心の中で悪態をついた。
「…どう思うもご自由に。」
やっとの事で搾り出した声。
高松を見るが長い髪に隠されて口元しか見えない。
薄くもなく厚くもないその唇が言葉を紡ぎ出す。
シンタローは少しだけ心が痛んだ。
人間人に嫌われれば誰だって心が痛む。
脳天から鳩尾にかけての嫌な痺れ。
しかも理由も解らないときている。
「まぁ、別にいいけどな。」
さして何でもないように言ってはいるが、本心としては苦しいものがある。
まだほんの若造には痛みがあるものだ。
理由を聞きたい気持ちがあったが、高松がこの調子じゃきっと何も答えてはくれないだろう。
そう思い、シンタローはグッと腹に力を入れて保健室から出て行こうとする。
その時、ガシッと腕を持たれた。
シンタローがびっくりして振り返ると、高松が憎しみを込めた瞳でシンタローを見つめていた。
蘇る幼い頃のショック。
フラッシュバックされたように、あの時の思い出が全て脳裏に写った。
精神的にあの頃の幼い自分になってしまったようで、シンタローは酷く自分が無防備のように思える。
この腕を振りほどかねばと思うのだが、恐怖心から力が出ない。
ブンブンと振り回すが、高松の指に吸盤がくっついているかのようで剥がれないのだ。
シンタローは泣きそうになった。
鼻の奥がツンと痛い。
「私が貴方を嫌いなのではなく、貴方が私を嫌いなのではないんですか?」
腕を掴まれたまま高松に言われて。
シンタローは何も言い返さなかった。
自分は…。
恐怖心と戦いながら思う。
自分は高松が嫌いではない。
幼い頃より知っている数少ない人間の一人だし、大人だ。
ただ、怖い、とは思っている。
嫌いと恐怖はまた違う。
「俺は…ドクターの事嫌いじゃねーヨ…」
目線は合わせず思った事を口にして。
「アンタはどうしてそうなんだ。」
「貴方も…
嫌われていても良いと言っておきながら、どうしてそんなに好意を持っているか持っていないか気にするんですか?」
そう突き付けられて考える。
理由なんかない。
ただ知りたかっただけ。
彼が何が好きで何が嫌いか。
自分はどの位地にいるのか。
そして…嫌われているというのは自分の思い込みだと信じたい気持ち。
解ってはいる…いや、よくは解っていないのだろう。
輪郭ははっきり解るのに霞がかかったように朧げに見える部分もあって。
「ただ…知りたいだけ。」それだけ高松に伝える。
高松は一瞬驚いたような顔をしたが、またいつもの顔に戻った。
皮肉にも見えるニヒルな笑みを口元で作って腕を組み、足を組む。
キィ、と業務用の椅子が声を漏らした。
「まるで恋をしているようですね。」
そう言われた瞬間シンタローの中で何かが弾けた。
まさか。俺が?
恐怖の対象でしかない高松。
小さい頃は彼の一挙一動にビクリと体を震わせていたものだ。
しかし、パズルのピースがピタリと当て嵌まった、そんな感覚を覚える。
揺らぐ瞳で高松を見ると、不機嫌そうにシンタローを見つめていた。
「止めて下さいシンタロー君。冗談ですよ。第一…」そこで高松は言葉を一旦切る。
そして、次に発せられた言葉はシンタローの耳を疑う言葉だった。
「金髪碧眼が私の理想なんです。私と同じ色は全く興味がないんですよ。」
忌ま忌ましげに見つめる瞳、鼻の頭に寄る皺。
ヒクリとシンタローの喉が鳴った。
「なんですか。もしかして期待でもしてらしたんですか?」
何も言えないシンタロー。
当たり前じゃないですか。ルーザー様に似ていない姿形。
そして、性格。
私が好きになるはずないでしょう。
ルーザー様に1番近い筈のアナタはルーザー様の美しさから1番遠い。
苛々します。
アナタのその姿を見るだけで体が怒りで震えるのをいつも我慢しているんですよ。
「ッ!」
シンタローが小さな悲鳴を上げたのは、高松がシンタローの腕を無理矢理ひっばったから。
抱き抱えてベッドに押し倒すと、シャアッと真っ白い清潔なカーテンを勢い良く閉める。
ギシリと悲鳴をあげ、沈むベッドとシンタロー。
黒い短髪が白いシーツにまるで波に浮かんでいるように映えた。
「こうなる事を望んでいらしたんでしょう?」
顎に手をかけ瞳を覗き込むが、やはり真っ黒で。
キツイ瞳が睨みを利かせ、その顔が感情を表に出さないルーザーとは真逆で又苛々する。
「どけ!」
「何でですか?」
「何でじゃねーよ!ふざけんナ!」
「好きな男に抱かれるなら本望でしょう。」
そのまま高松の顔が近づいてくる。
ゾワリ、鳥肌が立った。
それからどうなったか正直覚えていない。
目茶苦茶叫んで暴れて動きまくって、どうにか保健室から逃げ出した。
廊下を思い切り走って、授業なんてすっぽかして、寮の自室へ篭った。
簡素なベッドに机とクローゼット。
ベッドには乗る気になれなくて、地べたに体育座りで膝に額を付けた途端涙が溢れてきた。
怖かったという気持ちもある。
しかし、それ以上に本当に嫌われていたんだという核心に触れてしまって、それがショックだった。
鳴咽を殺しながら、でも涙は止まらなくて、口に広がるしょっぱさと恐怖と愕然とした思いが螺旋のようにぐるぐると回ってシンタローの孤独を包み込む。
腕は先程高松が握った部分が熱くなっていて、滲む瞳で見ると、赤くなっていて、しかも震えている。
「――ッきしょォ…!!」
小さな部屋で一言叫び、シンタローは又膝に顔を埋めたのだった。
一方の高松は冷静な顔でシンタローを押し倒したベッドに座っていた。
しかし、心中は穏やかではなく、虚ろな目でドアの方を向いている。
何故あんな事をしてしまったのか。
自問自答してみても答えなんて出てくる筈もない。
だって。
嫌いだから。憎いから。
自分の崇拝して止まないルーザーの息子が彼にちっとも似ていない事が酷く腹立たしい。
青の一族に黒髪は産まれない。
なのになんだ。
何故ルーザー様に限って。何故ルーザー様だったんだ。
何故産まれてきたんだ。
何故………。
沢山の疑問符と込み上げてくる何か。
喉の奥が苦い。
高松の脳裏に過ぎるのは先程のシンタロー。
力いっぱい拒否をして、泣きそうな顔をして、恐怖で上手く動かない体と口を懸命に動かし拒絶した。
ツキリ。
心臓が痛んだので胸を無意識に触ってみるが、トクトクと心音が手の平から伝わってくるだけ。
口元を上げ、自笑気味に笑おうとした。
「痛ッ―…」
口元に指先を置いてみると、少しぬめっとした感触。
ぬめりの正体を見遣ると、それは血。
ああ、あの時。
無我夢中で逃げようとするシンタローの攻撃が一発入っていたようだ。
それを他人事のように見て、又中を仰ぐ。
嫌いな彼がどうなろうが知った事ではない。
むしろ傷付ける事が出来てよかったじゃないか。
しかし、思いとは裏腹に心臓は先程から針に刺されたようにツキツキと痛む。
苦しい。
そして思い出す。あの時のシンタローの顔を。
あの顔を見て自分は何を思ったか。
不覚にも……劣情をきたしていたではないか。
そして勝手に傷ついた。
傷付いているのは紛れも無くシンタローの方のが強いのに。
手の平を見つめる。
先程迄シンタローの腕を強く握り押し倒した手の平を。
しかし、この感情にはまだ名前が付けられない。
そしてシンタローを憎んでいた気持ちがそう簡単に変わる訳でもない。
例えその理由が自分の押し付けだとしても。
次の日シンタローは学校を休んだ。
理由は体調が優れないからだそうだ。
「高松。シンタローの看病頼んだぞ。」
マジックからの通信が入り内心焦ったがシンタローがマジックにあの事を言った形跡がなかったので墓穴を掘らないよう細心の注意を払う。
正直昨日の今日でシンタローに会いたくないのは高松も同じ。
しかし、上司からの命令なら仕方がない。
医療道具一式を持って堂々と毅然とした態度で態度はシンタローの部屋に向かう。
トントン。
ノックはすれど返事はない。
ガンマ団士官学校は人の出入りがかなり厳しい為、出掛けている可能性はないだろう。
そうなると残る可能性はただ一つ。
居留守…ですか。
ふう、と溜息を吐く。
気持ちは解る。
自分だって会いたくないのだからシンタローにしてみれば余計だろう。
「シンタローくん、開けて下さいませんかね。マジック様に貴方の面倒を見ろと言付けを賜ってるんですよ。」
「………。」
「私に会いたくないのは解りますが、私も仕事でしてね。」
「………。」
「ま、いいでしょう。」
高松はおもむろにポケットをごそごそと調べ始めた。
指先に当たる金属の感触。
目当てのものらしく、それを握り閉め、取り出す。
キラリと鈍色に光るそれはシンタローの部屋の鍵。
高松は士官学校の教師でもある。
その為、ある一定の条件が揃えば生徒の部屋の鍵を借りる事だってできるのだ。
今回の条件は十二分だった。
何せガンマ団総帥マジックから直々にシンタローを診るようにと言われたのだから。
もしかしたらシンタローが起きられない程具合が悪いかもしれないので鍵を貸して欲しいといえば、すんなりと鍵が手に入るのだ。
その鍵をガチャガチャと鍵穴につっこむ。
カチャン、と音がして鍵が開いた。
中を覗いて見るがシンタローの姿は見つからない。
ベッドには先程迄寝ていたのであろう痕跡。
ギシリと音を立てて部屋に入る。
トイレ、バスルーム、ベッドの下。
何処にもシンタローは居なかった。
そう。シンタローはクローゼットの中に入っていたのだ。
ガクガクと震える足。
ほんの少しだけ開いている隙間から高松の様子を伺う。
トイレ、バスルーム、ベッドの下に隠れる場所を選ばなかったのは、もし開かれても戦える場所、そして、開かれても見つかり難い場所だったから。
しかし、以上の場所に居ないとなると、もう人が入れそうな場所はクローゼットの中しかない。
シンタローは嫌な汗をかきながら、強く拳を握る。
ガタン。
扉が開かれ、明るい光が差し込んだ。
眩しさに目が眩んだと同時に腕を引き寄せられクローゼットから出された。
ツンと香る保健室独特の薬品の匂い。
握られた場所。
倒されたベッド。
一瞬にしてフラッシュバックする昨日の出来事。
しかし、涙は見せない。見せたくない。
「シンタローくん。仮病はダメですよ。」
見下ろされる。
「離せ。」
これ以上付き纏わないで。
アンタが俺の想いを気付かせて、酷い事、したんダロ。
これ以上俺を気付けたいか。
悪趣味な奴。
「昨日の話しの続きをさせて下さい。」
震えているのに気丈に振る舞うシンタローを見て、高松は心が痛かった。
ルーザーには似ていない彼をここまで執着していた。
「私はアナタの事が嫌いでした。憎い程ね。だってアナタは青の一族なのに全く異質なんですよ。1番青の血が濃いマジック総帥の血を引いているのに、です。」
一瞬ルーザーの名前を出しそうになり、慌ててマジックに変えた。
幸いパニック気味のシンタローには慌てた感は見破られなかったが。
「だから私はアナタの従兄弟のグンマ様を可愛がった。あの、ルーザー様のお子様でもありますしね。」
「嫌いなら嫌いでもういいから、部屋から出てげ!」
「でも、アナタは優しかった。」
「………。」
悲しそうに笑う高松に、シンタローは顔を歪ませた。
「大人が子供に対する態度ではない事は知ってましたよ。私は貴方に冷たく当たってきた。なのに貴方は私を好きだと」
「思ってねぇよ。」
高松の言葉を遮り悪態をつく。
「ふざけた事ぬかすな。離せ!」
「私はこの感情に戸惑っています。この感情がなんなのかおおよそ察しはついていますが、はっきりとした結論は出ていません。でも、これだけは言わせて下さい。」
高松は一旦言葉を区切り、深く息を吸った。
長く黒い髪がサラリと揺れ流れる。
「昨日はすみませんでした。」
それだけ真顔でシンタローに言う。
真剣な高松の顔など久しぶりに見たので、シンタローは固まった。
なんと答えて良いか解らないというのが本音だ。
「アナタも私もハイそうですか、と、いきなり態度を変えるのは難しいと思いますし、何年もの思いの整理は時間がかかると思います。私もアナタに好かれる人間になるように努力しますよ。」
そう言って、シンタローの頬に少しだけ指先を触れた。
直ぐに離れて行く指先をシンタローはじっと見つめたが、高松は少しだけ笑って医療道具を持ち、シンタローの部屋から出ていく。
その後ろ姿をじっと見つめていたが、高松は振り返る事なくシンタローの部屋を出た。
お互い一人になってから、先程相手に触られていた場所に指を這わせる。
昨日とは違う思いと、何かが変わる予感。
無意識のうちに上がる口角。
新しい風は直ぐそこまで来ていて、その風に乗れるか否かは自分次第ということだろう。
故人に思い入れし過ぎて大切なものを見失いそうになった大人と、そんな大人に過ちを気付かせた子供と。
ようやく歯車が噛み合って勢いよく回り出す。
だが、この気持ちの名前はまだ知らない。
大好きな人間。
言わずもがなグンマ様。
大嫌いな人間。
シンタロー君。
彼を見て居ると胸の奥が刃物でえぐられるような酷い不快な痛みが過ぎります。
その位大ッ嫌いなのです。
「ドクター、絆創膏ー。」
ガラリと保健室のドアを開けて入って来たのは将来ガンマ団の総帥に一番近い男、シンタロー。
黒目黒髪の青の一族の異端児。
ああ、本来ならば美しい金色の瞳、青い目を持つグンマ様がそのポジションに付くはずだったのに。
そう。私はこの異端児と美しいグンマ様をすり替えました。
サービスに悪行をそそのかされた時、私は何の躊躇もしませんでしたよ。
だってそうでしょう?
私が崇拝して止まないルーザー様にちっとも似ていない彼がルーザー様の息子を名乗るなんて…私には我慢できません。
「はいはい。シンタロー君。そこの棚にありますから勝手に持って行って下さい。」
「ああ…。」
シンタローを見ずに机に向かい高松は何やら書いている。
シンタローは昔からカンの良い子だ。
その為薄々ながらも高松に自分は嫌われていると知っていた。
昔、こんな事があった。
グンマと二人で遊んでいて、シンタローは外で遊びたかったのにグンマは家の中で遊びたいといって口論になった。
じゃあ一人で遊びに行くとシンタローが言った時、行かないでとグンマが泣き出したのだ。
下からダダダと言う騒音と共に高松が上がって来て、勢いよくドアを開ける。
泣いているグンマを見て、高松はシンタローに怒りに燃える視線を投げかけたのだった。
そして理由も聞かずシンタローの襟首を掴む。
体重の軽い子供は大人の腕力でゆうに宙に浮く。
苦しくて足をバタバタさせるシンタローに高松はドスの聞いた声で言った。
「グンマ様を泣かすな。この、青の一族の異端児が!」
今にも殴り掛かりそうだった所をグンマが必死に止め、殴られる事はなかったのだが…。
シンタローは心にショックをおって。
その事は自分と高松とグンマだけの秘密のようになり、父にさえ話す事が出来なかった事を覚えている。
自分だけが覚えているだけであり、高松もグンマも覚えている確証なんてどこにもないのだけれど。
「ナンでアンタ、そんなに俺の事嫌いなの。」
絆創膏を取りながら後ろ向きで高松に問い掛ける。
「嫌い?例えそうだったとしても私は肯定できませんねぇ。この仕事を辞める訳にはいきませんので。」
目を細め涼やかに笑う。
振り返り様見た高松は、笑っていたのではあるが、笑っていないようでもあった。
別に嫌われても構わない。
高松は言わば父の部下であるし、自分には何ら関係ない。
自分が生きていくにおいて居ても居なくても何にも支障のない人間。
ただ、唯一関係があるとすれば従兄弟のグンマの育ての親、というグンマを通じての関係。
でも、気になる存在。
士官学校に行くまで、シンタローの知り合いは父マジック、叔父サービスとハーレム、従兄弟グンマ。
そして医者の高松。
幼い頃から知っている人間の少ないシンタローは、良くも悪くも高松を気になっていた。
「アンタのそれさ、肯定してるように聞こえるんだケド。」
「それはシンタロー君の憶測でしかないですからね。そう思うならご自由に。」
足を組んで真っ直ぐ目を合わす。
黒い瞳がかちあった。
「じゃあそう思うヨ。でさ、アンタ何が気に入らない訳?俺アンタになンかしたか?」
真っ直ぐに見つめてやれどもグンマの事以外はポーカーフェイスの高松。
その心情は読み取る事ができない。
「いいえ?何も。言ったでしょう、それはシンタロー君の憶測でしかないと。私は貴方が嫌いとは言っていませんので返答できかねますね。」
「あ、そ。じゃあアンタにとって俺は好きとか嫌いとかそうゆう感情一切ナシの興味のない存在って事ね!」
特に怒った風でもなく、溜息混じりに言った言葉。
だったのに。
高松のポーカーフェイスが歪んだ。
シンタローの眉がピクリと動く。
やっぱ嫌いなんじゃねーかヨ。
心の中で悪態をついた。
「…どう思うもご自由に。」
やっとの事で搾り出した声。
高松を見るが長い髪に隠されて口元しか見えない。
薄くもなく厚くもないその唇が言葉を紡ぎ出す。
シンタローは少しだけ心が痛んだ。
人間人に嫌われれば誰だって心が痛む。
脳天から鳩尾にかけての嫌な痺れ。
しかも理由も解らないときている。
「まぁ、別にいいけどな。」
さして何でもないように言ってはいるが、本心としては苦しいものがある。
まだほんの若造には痛みがあるものだ。
理由を聞きたい気持ちがあったが、高松がこの調子じゃきっと何も答えてはくれないだろう。
そう思い、シンタローはグッと腹に力を入れて保健室から出て行こうとする。
その時、ガシッと腕を持たれた。
シンタローがびっくりして振り返ると、高松が憎しみを込めた瞳でシンタローを見つめていた。
蘇る幼い頃のショック。
フラッシュバックされたように、あの時の思い出が全て脳裏に写った。
精神的にあの頃の幼い自分になってしまったようで、シンタローは酷く自分が無防備のように思える。
この腕を振りほどかねばと思うのだが、恐怖心から力が出ない。
ブンブンと振り回すが、高松の指に吸盤がくっついているかのようで剥がれないのだ。
シンタローは泣きそうになった。
鼻の奥がツンと痛い。
「私が貴方を嫌いなのではなく、貴方が私を嫌いなのではないんですか?」
腕を掴まれたまま高松に言われて。
シンタローは何も言い返さなかった。
自分は…。
恐怖心と戦いながら思う。
自分は高松が嫌いではない。
幼い頃より知っている数少ない人間の一人だし、大人だ。
ただ、怖い、とは思っている。
嫌いと恐怖はまた違う。
「俺は…ドクターの事嫌いじゃねーヨ…」
目線は合わせず思った事を口にして。
「アンタはどうしてそうなんだ。」
「貴方も…
嫌われていても良いと言っておきながら、どうしてそんなに好意を持っているか持っていないか気にするんですか?」
そう突き付けられて考える。
理由なんかない。
ただ知りたかっただけ。
彼が何が好きで何が嫌いか。
自分はどの位地にいるのか。
そして…嫌われているというのは自分の思い込みだと信じたい気持ち。
解ってはいる…いや、よくは解っていないのだろう。
輪郭ははっきり解るのに霞がかかったように朧げに見える部分もあって。
「ただ…知りたいだけ。」それだけ高松に伝える。
高松は一瞬驚いたような顔をしたが、またいつもの顔に戻った。
皮肉にも見えるニヒルな笑みを口元で作って腕を組み、足を組む。
キィ、と業務用の椅子が声を漏らした。
「まるで恋をしているようですね。」
そう言われた瞬間シンタローの中で何かが弾けた。
まさか。俺が?
恐怖の対象でしかない高松。
小さい頃は彼の一挙一動にビクリと体を震わせていたものだ。
しかし、パズルのピースがピタリと当て嵌まった、そんな感覚を覚える。
揺らぐ瞳で高松を見ると、不機嫌そうにシンタローを見つめていた。
「止めて下さいシンタロー君。冗談ですよ。第一…」そこで高松は言葉を一旦切る。
そして、次に発せられた言葉はシンタローの耳を疑う言葉だった。
「金髪碧眼が私の理想なんです。私と同じ色は全く興味がないんですよ。」
忌ま忌ましげに見つめる瞳、鼻の頭に寄る皺。
ヒクリとシンタローの喉が鳴った。
「なんですか。もしかして期待でもしてらしたんですか?」
何も言えないシンタロー。
当たり前じゃないですか。ルーザー様に似ていない姿形。
そして、性格。
私が好きになるはずないでしょう。
ルーザー様に1番近い筈のアナタはルーザー様の美しさから1番遠い。
苛々します。
アナタのその姿を見るだけで体が怒りで震えるのをいつも我慢しているんですよ。
「ッ!」
シンタローが小さな悲鳴を上げたのは、高松がシンタローの腕を無理矢理ひっばったから。
抱き抱えてベッドに押し倒すと、シャアッと真っ白い清潔なカーテンを勢い良く閉める。
ギシリと悲鳴をあげ、沈むベッドとシンタロー。
黒い短髪が白いシーツにまるで波に浮かんでいるように映えた。
「こうなる事を望んでいらしたんでしょう?」
顎に手をかけ瞳を覗き込むが、やはり真っ黒で。
キツイ瞳が睨みを利かせ、その顔が感情を表に出さないルーザーとは真逆で又苛々する。
「どけ!」
「何でですか?」
「何でじゃねーよ!ふざけんナ!」
「好きな男に抱かれるなら本望でしょう。」
そのまま高松の顔が近づいてくる。
ゾワリ、鳥肌が立った。
それからどうなったか正直覚えていない。
目茶苦茶叫んで暴れて動きまくって、どうにか保健室から逃げ出した。
廊下を思い切り走って、授業なんてすっぽかして、寮の自室へ篭った。
簡素なベッドに机とクローゼット。
ベッドには乗る気になれなくて、地べたに体育座りで膝に額を付けた途端涙が溢れてきた。
怖かったという気持ちもある。
しかし、それ以上に本当に嫌われていたんだという核心に触れてしまって、それがショックだった。
鳴咽を殺しながら、でも涙は止まらなくて、口に広がるしょっぱさと恐怖と愕然とした思いが螺旋のようにぐるぐると回ってシンタローの孤独を包み込む。
腕は先程高松が握った部分が熱くなっていて、滲む瞳で見ると、赤くなっていて、しかも震えている。
「――ッきしょォ…!!」
小さな部屋で一言叫び、シンタローは又膝に顔を埋めたのだった。
一方の高松は冷静な顔でシンタローを押し倒したベッドに座っていた。
しかし、心中は穏やかではなく、虚ろな目でドアの方を向いている。
何故あんな事をしてしまったのか。
自問自答してみても答えなんて出てくる筈もない。
だって。
嫌いだから。憎いから。
自分の崇拝して止まないルーザーの息子が彼にちっとも似ていない事が酷く腹立たしい。
青の一族に黒髪は産まれない。
なのになんだ。
何故ルーザー様に限って。何故ルーザー様だったんだ。
何故産まれてきたんだ。
何故………。
沢山の疑問符と込み上げてくる何か。
喉の奥が苦い。
高松の脳裏に過ぎるのは先程のシンタロー。
力いっぱい拒否をして、泣きそうな顔をして、恐怖で上手く動かない体と口を懸命に動かし拒絶した。
ツキリ。
心臓が痛んだので胸を無意識に触ってみるが、トクトクと心音が手の平から伝わってくるだけ。
口元を上げ、自笑気味に笑おうとした。
「痛ッ―…」
口元に指先を置いてみると、少しぬめっとした感触。
ぬめりの正体を見遣ると、それは血。
ああ、あの時。
無我夢中で逃げようとするシンタローの攻撃が一発入っていたようだ。
それを他人事のように見て、又中を仰ぐ。
嫌いな彼がどうなろうが知った事ではない。
むしろ傷付ける事が出来てよかったじゃないか。
しかし、思いとは裏腹に心臓は先程から針に刺されたようにツキツキと痛む。
苦しい。
そして思い出す。あの時のシンタローの顔を。
あの顔を見て自分は何を思ったか。
不覚にも……劣情をきたしていたではないか。
そして勝手に傷ついた。
傷付いているのは紛れも無くシンタローの方のが強いのに。
手の平を見つめる。
先程迄シンタローの腕を強く握り押し倒した手の平を。
しかし、この感情にはまだ名前が付けられない。
そしてシンタローを憎んでいた気持ちがそう簡単に変わる訳でもない。
例えその理由が自分の押し付けだとしても。
次の日シンタローは学校を休んだ。
理由は体調が優れないからだそうだ。
「高松。シンタローの看病頼んだぞ。」
マジックからの通信が入り内心焦ったがシンタローがマジックにあの事を言った形跡がなかったので墓穴を掘らないよう細心の注意を払う。
正直昨日の今日でシンタローに会いたくないのは高松も同じ。
しかし、上司からの命令なら仕方がない。
医療道具一式を持って堂々と毅然とした態度で態度はシンタローの部屋に向かう。
トントン。
ノックはすれど返事はない。
ガンマ団士官学校は人の出入りがかなり厳しい為、出掛けている可能性はないだろう。
そうなると残る可能性はただ一つ。
居留守…ですか。
ふう、と溜息を吐く。
気持ちは解る。
自分だって会いたくないのだからシンタローにしてみれば余計だろう。
「シンタローくん、開けて下さいませんかね。マジック様に貴方の面倒を見ろと言付けを賜ってるんですよ。」
「………。」
「私に会いたくないのは解りますが、私も仕事でしてね。」
「………。」
「ま、いいでしょう。」
高松はおもむろにポケットをごそごそと調べ始めた。
指先に当たる金属の感触。
目当てのものらしく、それを握り閉め、取り出す。
キラリと鈍色に光るそれはシンタローの部屋の鍵。
高松は士官学校の教師でもある。
その為、ある一定の条件が揃えば生徒の部屋の鍵を借りる事だってできるのだ。
今回の条件は十二分だった。
何せガンマ団総帥マジックから直々にシンタローを診るようにと言われたのだから。
もしかしたらシンタローが起きられない程具合が悪いかもしれないので鍵を貸して欲しいといえば、すんなりと鍵が手に入るのだ。
その鍵をガチャガチャと鍵穴につっこむ。
カチャン、と音がして鍵が開いた。
中を覗いて見るがシンタローの姿は見つからない。
ベッドには先程迄寝ていたのであろう痕跡。
ギシリと音を立てて部屋に入る。
トイレ、バスルーム、ベッドの下。
何処にもシンタローは居なかった。
そう。シンタローはクローゼットの中に入っていたのだ。
ガクガクと震える足。
ほんの少しだけ開いている隙間から高松の様子を伺う。
トイレ、バスルーム、ベッドの下に隠れる場所を選ばなかったのは、もし開かれても戦える場所、そして、開かれても見つかり難い場所だったから。
しかし、以上の場所に居ないとなると、もう人が入れそうな場所はクローゼットの中しかない。
シンタローは嫌な汗をかきながら、強く拳を握る。
ガタン。
扉が開かれ、明るい光が差し込んだ。
眩しさに目が眩んだと同時に腕を引き寄せられクローゼットから出された。
ツンと香る保健室独特の薬品の匂い。
握られた場所。
倒されたベッド。
一瞬にしてフラッシュバックする昨日の出来事。
しかし、涙は見せない。見せたくない。
「シンタローくん。仮病はダメですよ。」
見下ろされる。
「離せ。」
これ以上付き纏わないで。
アンタが俺の想いを気付かせて、酷い事、したんダロ。
これ以上俺を気付けたいか。
悪趣味な奴。
「昨日の話しの続きをさせて下さい。」
震えているのに気丈に振る舞うシンタローを見て、高松は心が痛かった。
ルーザーには似ていない彼をここまで執着していた。
「私はアナタの事が嫌いでした。憎い程ね。だってアナタは青の一族なのに全く異質なんですよ。1番青の血が濃いマジック総帥の血を引いているのに、です。」
一瞬ルーザーの名前を出しそうになり、慌ててマジックに変えた。
幸いパニック気味のシンタローには慌てた感は見破られなかったが。
「だから私はアナタの従兄弟のグンマ様を可愛がった。あの、ルーザー様のお子様でもありますしね。」
「嫌いなら嫌いでもういいから、部屋から出てげ!」
「でも、アナタは優しかった。」
「………。」
悲しそうに笑う高松に、シンタローは顔を歪ませた。
「大人が子供に対する態度ではない事は知ってましたよ。私は貴方に冷たく当たってきた。なのに貴方は私を好きだと」
「思ってねぇよ。」
高松の言葉を遮り悪態をつく。
「ふざけた事ぬかすな。離せ!」
「私はこの感情に戸惑っています。この感情がなんなのかおおよそ察しはついていますが、はっきりとした結論は出ていません。でも、これだけは言わせて下さい。」
高松は一旦言葉を区切り、深く息を吸った。
長く黒い髪がサラリと揺れ流れる。
「昨日はすみませんでした。」
それだけ真顔でシンタローに言う。
真剣な高松の顔など久しぶりに見たので、シンタローは固まった。
なんと答えて良いか解らないというのが本音だ。
「アナタも私もハイそうですか、と、いきなり態度を変えるのは難しいと思いますし、何年もの思いの整理は時間がかかると思います。私もアナタに好かれる人間になるように努力しますよ。」
そう言って、シンタローの頬に少しだけ指先を触れた。
直ぐに離れて行く指先をシンタローはじっと見つめたが、高松は少しだけ笑って医療道具を持ち、シンタローの部屋から出ていく。
その後ろ姿をじっと見つめていたが、高松は振り返る事なくシンタローの部屋を出た。
お互い一人になってから、先程相手に触られていた場所に指を這わせる。
昨日とは違う思いと、何かが変わる予感。
無意識のうちに上がる口角。
新しい風は直ぐそこまで来ていて、その風に乗れるか否かは自分次第ということだろう。
故人に思い入れし過ぎて大切なものを見失いそうになった大人と、そんな大人に過ちを気付かせた子供と。
ようやく歯車が噛み合って勢いよく回り出す。
だが、この気持ちの名前はまだ知らない。
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卒業まであと三日と迫っていた。
後三日すればこの学校ともお別れ。
大嫌いな授業も、喜びも悲しみも分かち合った仲間達とも。
それに………
……シンタロー先生とも。
結局シンタローとは進展しないまま一年は簡単に過ぎ去って、彼を振り向かせるどころか相手にもされていない。
軽くあしらわれるのは自分がガキだから、だろうか。
落書きしまくり、文字掘りまくりの自分の机に頬杖をつき、溜息を漏らす。
窓の外ではこの間迄枯れ葉一つついていなかった桜の木の枝の先っぽにピンクの蕾がぽつんとついていた。
きっとあの花が咲く頃、自分はもう居ない訳だから、シンタローは又違う生徒をいつものように教えるのだろう。
リキッドは教鞭を取り、ネクタイをキッチリ締めて、黒いズボンでストイックに国語の授業を教えるシンタローを思い出した。
国語教師とは思えない鍛え抜かれた体は、ボディービルダーのそれとは違い引き締まったしなやかな体を持っている。
黒く長い髪を一つに縛り、同じく真っ黒な瞳に見つめられるとリキッドはいつも照れてしまう。
そんなシンタローに後三日で会えなくなるのだ。
そりゃ、永遠の別れではないのだが毎日会えないし、リキッドの進路は泣く子も黙る特選部隊という組織の入隊である。
かなり過酷な部隊らしいので、一週間に一回とか、一ヶ月に一回とかも会えなくなるかもしれないのだ。
それを思うと辛い。
特選部隊の人達は皆独身だという。
きっと色恋沙汰なんて出来ない位過酷な部隊なのだろう。
「はぁ…」
どんどんネガティブになって、リキッドは溜息を漏らした。
出した息は空気に溶け込む。
そして又窓ごしに外を眺めるのだ。
光に反射した窓ガラスに手を延ばす気にはなれない。
こんな事を考えている間にシンタローに会いに行けばいいのだが、会いに行っても又邪険にされるだけ。
でも会いたい。顔が見たい。声が聞きたい。……触りたい。
自分がアクションを起こさない限りシンタローとの仲が深まる事は決してないと言う事は分かっている。
シンタローも振り向かせてみせろと言ったではないか。
でも、行ったとして、忙しい今時期迷惑になったら悪いなとも思う。
リキッドは悪く言えばヘタレなのだが、彼がヘタレてしまう理由は優し過ぎるからだと伺える。
相手に迷惑がかかるのは申し訳ないのだ。
「はぁ…」
本日二度目の溜息。
この調子だと彼の幸せは消えうせてしまうかもしれない。
悩んでいても仕方がない。
リキッドはスック!と立ち上がる。
迷惑だと言われたら土下座して謝ろう。
後三日!後三日しかないんだから!!
そのままリキッドは教室を出た。
卒業間近な為、授業はなく、尚且つ半日。
その為、校舎に残っている人間なんて僅かしかいない。
春麗らかな日差しの廊下を職員室に向かって走る。
は、は、と息をきらせ、少しだけ気温は寒いのだが、リキッドは少し額に汗をかく。
バシッ!
「いてッッ!!」
頭を押さえてぶつかった方を見ると真っ黒い何か。
そこには白い文字が書いてあり、それが出席簿だと分かった。
視線を緩やかに上げると見知った顔が少し怒っている。
「シ…シンタロー先生…」
そこに立っていたのは今まさに会いに行こうとしていたシンタロー自身。
鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしてリキッドはシンタローを見つめる。
「廊下は走るナ。」
それだけ言うとシンタローはスタスタと歩き出した。
慌ててリキッドはシンタローを止める為に素早く手を出し、シンタローの腕を掴む。
グ、と掴まれて、まさかリキッドがこんな大胆な事をするとは思っていなかったシンタローは少し驚いたが、振り向いた時には既に冷静ないつもの顔。
「あんだよ。」
ギロ、と睨まれ一瞬たじろいた。
が、腕は放さない。
「あ、あの、シンタロー先生今暇ですか?」
捨てられた子犬のように詰め寄られたのだが、シンタローはいつもの顔で「見てわかンねーか。忙しいに決まってんダロ。」とだけ言う。
リキッドはうなだれ「そうですか…」と呟く。
やはり邪魔か、と諦めて、手を離そうとした時。
「あんだよ。なンか用か?」
そう言われたので慌てて又手に力を入れた。
「シ…シンタロー先生、あの、」
そこまで言ってハタと思う。
ただシンタローに会いたかっただけで何を話すかなんて考えて来なかった。
えっと、と、頭の中でぐるぐるしていると、シンタローが口元を緩ませる。
その顔に魅入ってしまう。
「特戦部隊入団おめでとう。あそこの上司は俺の叔父だからよく言っておいてやるヨ。」
そう言って頭をくしゃくしゃと撫でられる。
それはそれでうれしいのだが、もう少し大人の扱いをして欲しい、とも思う。
青年の心は複雑なのだ。
「あ、ありがとうございます…あ、あの、シンタロー先生から見て、俺ってどう見えます?」
オドオドするものの、目線だけはシンタローから外さない。
そんなリキッドの態度を見て、珍しいナ、とシンタローは思う。
あの日告白を受けてから、アプローチらしいアプローチはされていない。
前より話し掛けてくるようになった。
ただそれだけ。
だが、シンタローはそれでいいと思っていた。
思春期の過ちと考えを改め、自分から去っていく。
本心を言えば淋しいような気もするが、それが当然。常識なのだ。
そもそも男同士というのは常識はずれもイイトコロ。
白い目で見られる事が遥かに多いだろう。
リキッドにそんな思いをさせたくない。
それは教師としてもあるし、それを省いた一人の男としても思う事である。
辛い思いをするのは俺一人で充分。
そう心の中で唱えてから、カラッとした笑顔でリキッドに笑いかける。
「ま、まだまだガキだけど、イイ面構えにはなったんじゃねーの?」
ハハハ、と笑うと、リキッドは苦しそうに眉を潜めた。
「そうじゃなくて!」
いきなり大声を出されてシンタローはびっくりした。
しかし、シンタロー以上に大声を出した張本人リキッドが1番びっくりしたらしい。
口元を手の平で覆った。
少しだけ無言が続き、リキッドは目を伏せ、すぐにシンタローの目を見た。
青い瞳が黒い瞳とぶつかる。
「大声出してスンマセン…でも、そうじゃないんです…」
リキッドの少年のような声がシンと静まりかえった校舎の廊下に響く。
窓の外はまだ明るく、春の日差しが窓ガラスから優しく二人を照らす。
風が吹き、カタカタと窓ガラスを揺らす音が聞こえた。
「そうじゃねぇって、じゃあどうなワケ?」
いらついたようなシンタローの声がリキッドの聴覚を支配した。
シンタローの顔はいたって真面目で、イヤ、少し怒っている。
眉を潜め、睨みつけるようにリキッドを見据えていた。
「だ、だから、恋愛感情としてっていうか……」
シンタローの気迫に圧倒されたらしくしどろもどろになりながら懸命に言葉を紡ぎ出すリキッド。
言葉を投げかけたがシンタローの反応はない。
なんで、と、リキッドは心の中で歯を食いしばる。
もしかして、俺の想いをシンタロー先生は蔑ろにしているのかもしれない。
そんな思い迄込み上げる。
「俺、シンタロー先生に言いましたよね…?」
疑問符で投げ掛けてもシンタローはうんともすんとも言わない。
馬鹿にしてるんスか?俺の事。
何も言わないシンタローにリキッドは苛立ちを覚える。
「あの!」
「だから?」
リキッドが言いかけた所で、揚々のないシンタローの声が間に割り込む。
言われた意味が解らず、リキッドは虚を突かれたようにシンタローを見た。
「だからって……?」
「だから何って言ってんだ。確かにお前は勢い任せで俺に告白した。それがどうかしたのか。」
余りの冷たい言い方に、リキッドは凍り付いた。
頭に冷水を浴びせられたよう。
シンタロー先生ってこんなに冷たい人だった?
俺が好きになった人ってこんな?
優しさを感じさせない言い方にリキッドは目を見開いた。
ようは馬鹿にされたのだ。
自分の初めての甘酸っぱい思い、熱い気持ち、全て。
ショックでリキッドはうなだれる。
サラリと金髪の髪が前にかかり、外の太陽がその金髪をキラキラと照らす。
「もぉいいっス。」
苦しくてたまらなくて。
そう言うだけで今のリキッドは精一杯だった。
本当は言葉すら話したくはない位なのだが、それだけは絞り出せた。
シンタローの元から去って行こうと背を向けた時。
「ムカつくんだよ。テメーみたいな奴。」
後ろから罵声とも取れる言葉を投げ付けられ、流石のリキッドもプチンと切れた。
すぐさまクルリとシンタローに向き直り、ギッ!とシンタローを睨み付ける。
「なんなんスか!その言い方ッッ!!馬鹿にしてるんスか!?」
悔しくて悔しくて、食ってかかる。
「さっきから聞いてれば、アンタなんなんスか!?嫌いなら最初から期待持たせるような事言うんじゃねーよッッ!!」
泣きそうだった。
でも、涙だけは見せられない。
それはプライド。
怒鳴って、肩で息をし、それでもシンタローから目を離さない。
すると、シンタローもギッ!と、リキッドを睨みつける。
「何被害者ぶってんだテメェ!確かにテメーは俺に告白した。だがな!テメーはその後何をした?何にもしてねぇじゃねぇか!自分から何もしてねぇ癖に答ばっか求めやがって!テメーのそーゆー所がムカつくんだよッッ!!」
手は上げられなかった。
しかし、それよりリキッドの心は痛かった。
さっきまでの痛みとは違う、真実を突き付けられた痛み。
怒鳴られて、泣きそうな顔をして、リキッドはまだシンタローを見つめる。
「俺はその時こう言ったはずだ。“振り向かせてみせろ”と。そんでお前はこう言った。“絶対アナタを俺に振り向かせて見せる”と。実際テメーは一体何をした?」
そう突き詰められ、リキッドは何も言い返せなかった。
あれから自分はこれといって何もしていない。
恥ずかしい。
何も努力していないでシンタロー先生に勝手に怒って怒鳴り散らした。
俯いていると、シンタローが溜息を付いたのが解り、ビクッ!と体が強張る。
「怒鳴って悪かったナ。」
そう聞こえたかと思うと、コツコツと遠ざかる足音。
バッ!と顔を上げると、シンタローはリキッドを置き、すれ違い歩いて行ってしまう。
止めようと思うのに声がカラカラに渇いて声が出ない。
手と足が接着剤をつけたかのように動かない。
足音はそんなリキッドにお構いなしに段々遠ざかっていく。
頑張れ俺!今頑張んないでいつ頑張るんだ!出ろよ声!動けよ足ッッ!!
今シンタローとこのまま別れてしまったらもう一生会えないと思う。
それは本能。
「待って下さいッッ!」
体は動かなかったけれど、声だけは出た。
コツ……。
足音も止まった。
今二人は背中と背中を向き合わせている。
くる、と、リキッドがシンタローへ振り向く。
振り向く事が出来たのは、多分さっき声を出せたおかげで体の緊張の糸が解けたからだと理解する。
「愛しています。シンタロー先生…」
駆け出す足。
スローモーションにかかったかのようにゆっくりと感じる。
シンタローの肩を掴み抱き寄せる。
制服ごしに温かい体温を感じた。
黒い髪からはシャンプーのいい臭い。
思わずクラッときた。
シンタローはいつものように攻撃的ではなく、黙ってされるがままに抱きしめられていた。
グッ、と、力を入れてシンタローを振り向かせるが、シンタローは顔を伏せている。
「俺って矛盾してンのナ。お前に普通の恋愛して欲しいって思ってンのに、こんな事言っちまってヨ。」
自笑気味に笑うシンタローに、リキッドは悲しくなると同時に嬉しくもあった。
シンタローが自分の思いを真剣に考えてくれていたんだと言う事。そして、そのせいで悩み苦しんでいたんだと言う事。
そんな複雑な気持ちの中、リキッドはシンタローの顎を指で上げた。
薔薇色の唇が微かに息を吸っているのがわかる。
ゴクリ。
生唾を飲み、喉が上下に動いた。
理性と欲望の葛藤の結果、欲望が勝ち、シンタローのふっくらとした唇に自分の唇を押し当てようとした。が。
「マセガキッッ!」
グイッ!と、手の平で顎を上に持ち上げられた。
いや、持ち上げた、というより、殴られたと言った方が近いかもしれない。
おかげでキスする事は叶わず、舌を噛みそうになった。
「キッ!キスなんてなぁ!10年早いんだヨッッ!!」
真っ赤になって怒鳴るシンタローに、リキッドはキョトンとした。
自分の年齢は18歳。
三日後には学校すら卒業だ。
キスなんて、大体の人間はもうしたであろう年齢。
そこでリキッドはある考えにたどり着く。
あのシンタローの慌てよう。
そして、顔の赤さ。
……もしかしてシンタロー先生って、何の経験もないんじゃあ……。
その考えに達した瞬間、リキッドの顔が瞬間湯沸かし機のように、ボン!と赤くなった。
マジかよ…。
リキッドは不良だっただけあって、経験はあった。
しかもリキッドはアメリカ人。
キスなんて挨拶だし、まぁ、恋人同士のようなキスはしないが、恋人は居た事がある。
勿論興味津々、背伸びをしたいお年頃。
最後迄した事も無きにしもあらずなのだ。
「……シンタロー先生。」
「……あんだヨ。」
「シンタロー先生って童貞なんで…」
バキッ!リキッドの頬にシンタローの拳がクリティカルヒットした。
「な、な、な、何言ってやがるッッ!変態ッッ!!」
「ヘ、へんた…」
過剰なシンタローの反応に、リキッドは少し怯んだ。
むしろ、暴言にちょっぴり傷ついた。
「……お前、こーいった事したことあンの。」
「は、はあ、まあ…それなりに…」
ヘタレのくせにッッ!!
シンタローは心の中で悪態をついた。
八つも年下のこの男に経験があって自分にはない。
それが少なからずとも年上の男としての自尊心を傷つけられる。
「シンタロー先生はしたことないんですか?」
「いうな。」
ヒュルリラー。と、何処からともなく傷心のシンタローの黒髪が風になびく。
何処か遠くを見ているようなその瞳は虚ろだ。
そして、そんなシンタローを見て可愛いな、なんて思う。
俺って重症かも。
今更ながらに思う。
「シンタロー先生。」
「あん?」
リキッドの声が聞こえたので、そちらへ向き直る。
リキッドの真剣な瞳とかちあった。
「初めてが俺じゃ、やっぱ嫌ですか…?」
少し眉を下げて、悲しそうに言うので、シンタローはグッと、言葉が詰まり何も言えない。
その瞳は何だか捨てられた仔犬のよう。
くぅーん、くぅーん、捨てないで~、捨てないで~、と、泣いている幻聴まで聞こえる。
「嫌っていうか、そのぉ、なんだ…」
困って右の頬を人差し指でかく。
こうゆう態度を取られると、どうしても邪険にできない。
「……だぁぁッッ!!」
そして頭を掻きむしり、奇声を発する。
バッ!!と、リキッドを見つめる。
ドキン!リキッドの心臓が高鳴った。
「オマエが嫌とかじゃねぇんだ!だが、今!したくない!」
「な…何スかそれッッ!」
「付き合ってもいねーのにできるかッッ!!」
「じゃあ付き合って下さいよ!て、ゆーか、前から言ってるじゃないですかッッ!!」
「馬鹿野郎ッッ!テメェ、じゃ、何か?キスしたいから付き合うのか?ああ?」
「好きだったらキスしたいし、それ以上の事だって望みますよッッ!」
はーはーはー
お互い言い合いの為、肩で息をする。
だが、どっちもひかない。
シンタローは俺様だし、リキッドだって目の前の御馳走に真剣なのである。
「いいか、リキッド。例えばの話しだからな!例えばのッッ!」
ズビシ!と、指先をリキッドの鼻の前にかざす。
例えば、と、何度も言い、それが例え話しだとしつこ過ぎる位言った後、シンタローが本題を話し出す。
「俺とお前が今、この瞬間から付き合い出したとしよう。しかし、オマエおかしいと思わねーのか?」
「何がですか?」
「お付き合いした瞬間からキスする事だよ!俺は嫌だ!絶対にッッ!」
「……じゃあ、いつならいいんスか。」
リキッドにはキスが特別ではあるのだが、シンタローが思っているそれ程ではないのだ。
何たってアメリカン。
テキサス州生まれなのだから。
日常茶飯事にキスなんて見てきたし、してきた。
恋人になったその瞬間からする事だって少なくない。
リキッドの質問にシンタローは顔をリキッドから背ける。
じっと見ていると、耳が赤い。
どうしたのだろうか、と思い声をかけようとしたその時。
「結婚したら。」
「は?」
「ッッ!だ、だから!結婚式の時まで俺はしねぇんだヨ!」
最後は半ば自暴自棄になりながら怒鳴り声を上げる。
耳が赤かったのは、顔も赤かったから。
そんなシンタローを見て、リキッドは口元を手の平で隠す。
可愛い!可愛い過ぎるよこの人ッッ!!
しかし、そう言われてしまえば今すぐはできない。
「じゃあ、二年後ならオッケーですね!」
「何故そうなる。」
「だって俺、シンタロー先生と結婚式してるはずですから。」
エヘヘ、と、悪戯っ子みたいに笑う。
シンタローがため息を吐くと、リキッドが今度はシンタローに指を指した。
「お前に普通の恋愛して欲しいって思ってンのに、こんな事言っちまってヨ。」
それは先程シンタローがリキッドに言った台詞。
「これって、俺、自惚れていいって確信してます。」
そう言われてシンタローは舌打ちをした。
それは苛立ちからではなく照れからくるもので。
しかし、上手を取られムカつくと思う気持ちは無きにしもあらず。
「ばぁか!」
それだけ言うと、シンタローははにかんで笑う。
やっと春が来たのだと、リキッドは自分の胸を押さえるのであった。
「俺様に指指しやがったな。お仕置きの尻バットだ。」
「ぎょー!!バットから釘が出てるぅッッ!!たぁすけてぇえぇ~!!」
終わり
後三日すればこの学校ともお別れ。
大嫌いな授業も、喜びも悲しみも分かち合った仲間達とも。
それに………
……シンタロー先生とも。
結局シンタローとは進展しないまま一年は簡単に過ぎ去って、彼を振り向かせるどころか相手にもされていない。
軽くあしらわれるのは自分がガキだから、だろうか。
落書きしまくり、文字掘りまくりの自分の机に頬杖をつき、溜息を漏らす。
窓の外ではこの間迄枯れ葉一つついていなかった桜の木の枝の先っぽにピンクの蕾がぽつんとついていた。
きっとあの花が咲く頃、自分はもう居ない訳だから、シンタローは又違う生徒をいつものように教えるのだろう。
リキッドは教鞭を取り、ネクタイをキッチリ締めて、黒いズボンでストイックに国語の授業を教えるシンタローを思い出した。
国語教師とは思えない鍛え抜かれた体は、ボディービルダーのそれとは違い引き締まったしなやかな体を持っている。
黒く長い髪を一つに縛り、同じく真っ黒な瞳に見つめられるとリキッドはいつも照れてしまう。
そんなシンタローに後三日で会えなくなるのだ。
そりゃ、永遠の別れではないのだが毎日会えないし、リキッドの進路は泣く子も黙る特選部隊という組織の入隊である。
かなり過酷な部隊らしいので、一週間に一回とか、一ヶ月に一回とかも会えなくなるかもしれないのだ。
それを思うと辛い。
特選部隊の人達は皆独身だという。
きっと色恋沙汰なんて出来ない位過酷な部隊なのだろう。
「はぁ…」
どんどんネガティブになって、リキッドは溜息を漏らした。
出した息は空気に溶け込む。
そして又窓ごしに外を眺めるのだ。
光に反射した窓ガラスに手を延ばす気にはなれない。
こんな事を考えている間にシンタローに会いに行けばいいのだが、会いに行っても又邪険にされるだけ。
でも会いたい。顔が見たい。声が聞きたい。……触りたい。
自分がアクションを起こさない限りシンタローとの仲が深まる事は決してないと言う事は分かっている。
シンタローも振り向かせてみせろと言ったではないか。
でも、行ったとして、忙しい今時期迷惑になったら悪いなとも思う。
リキッドは悪く言えばヘタレなのだが、彼がヘタレてしまう理由は優し過ぎるからだと伺える。
相手に迷惑がかかるのは申し訳ないのだ。
「はぁ…」
本日二度目の溜息。
この調子だと彼の幸せは消えうせてしまうかもしれない。
悩んでいても仕方がない。
リキッドはスック!と立ち上がる。
迷惑だと言われたら土下座して謝ろう。
後三日!後三日しかないんだから!!
そのままリキッドは教室を出た。
卒業間近な為、授業はなく、尚且つ半日。
その為、校舎に残っている人間なんて僅かしかいない。
春麗らかな日差しの廊下を職員室に向かって走る。
は、は、と息をきらせ、少しだけ気温は寒いのだが、リキッドは少し額に汗をかく。
バシッ!
「いてッッ!!」
頭を押さえてぶつかった方を見ると真っ黒い何か。
そこには白い文字が書いてあり、それが出席簿だと分かった。
視線を緩やかに上げると見知った顔が少し怒っている。
「シ…シンタロー先生…」
そこに立っていたのは今まさに会いに行こうとしていたシンタロー自身。
鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしてリキッドはシンタローを見つめる。
「廊下は走るナ。」
それだけ言うとシンタローはスタスタと歩き出した。
慌ててリキッドはシンタローを止める為に素早く手を出し、シンタローの腕を掴む。
グ、と掴まれて、まさかリキッドがこんな大胆な事をするとは思っていなかったシンタローは少し驚いたが、振り向いた時には既に冷静ないつもの顔。
「あんだよ。」
ギロ、と睨まれ一瞬たじろいた。
が、腕は放さない。
「あ、あの、シンタロー先生今暇ですか?」
捨てられた子犬のように詰め寄られたのだが、シンタローはいつもの顔で「見てわかンねーか。忙しいに決まってんダロ。」とだけ言う。
リキッドはうなだれ「そうですか…」と呟く。
やはり邪魔か、と諦めて、手を離そうとした時。
「あんだよ。なンか用か?」
そう言われたので慌てて又手に力を入れた。
「シ…シンタロー先生、あの、」
そこまで言ってハタと思う。
ただシンタローに会いたかっただけで何を話すかなんて考えて来なかった。
えっと、と、頭の中でぐるぐるしていると、シンタローが口元を緩ませる。
その顔に魅入ってしまう。
「特戦部隊入団おめでとう。あそこの上司は俺の叔父だからよく言っておいてやるヨ。」
そう言って頭をくしゃくしゃと撫でられる。
それはそれでうれしいのだが、もう少し大人の扱いをして欲しい、とも思う。
青年の心は複雑なのだ。
「あ、ありがとうございます…あ、あの、シンタロー先生から見て、俺ってどう見えます?」
オドオドするものの、目線だけはシンタローから外さない。
そんなリキッドの態度を見て、珍しいナ、とシンタローは思う。
あの日告白を受けてから、アプローチらしいアプローチはされていない。
前より話し掛けてくるようになった。
ただそれだけ。
だが、シンタローはそれでいいと思っていた。
思春期の過ちと考えを改め、自分から去っていく。
本心を言えば淋しいような気もするが、それが当然。常識なのだ。
そもそも男同士というのは常識はずれもイイトコロ。
白い目で見られる事が遥かに多いだろう。
リキッドにそんな思いをさせたくない。
それは教師としてもあるし、それを省いた一人の男としても思う事である。
辛い思いをするのは俺一人で充分。
そう心の中で唱えてから、カラッとした笑顔でリキッドに笑いかける。
「ま、まだまだガキだけど、イイ面構えにはなったんじゃねーの?」
ハハハ、と笑うと、リキッドは苦しそうに眉を潜めた。
「そうじゃなくて!」
いきなり大声を出されてシンタローはびっくりした。
しかし、シンタロー以上に大声を出した張本人リキッドが1番びっくりしたらしい。
口元を手の平で覆った。
少しだけ無言が続き、リキッドは目を伏せ、すぐにシンタローの目を見た。
青い瞳が黒い瞳とぶつかる。
「大声出してスンマセン…でも、そうじゃないんです…」
リキッドの少年のような声がシンと静まりかえった校舎の廊下に響く。
窓の外はまだ明るく、春の日差しが窓ガラスから優しく二人を照らす。
風が吹き、カタカタと窓ガラスを揺らす音が聞こえた。
「そうじゃねぇって、じゃあどうなワケ?」
いらついたようなシンタローの声がリキッドの聴覚を支配した。
シンタローの顔はいたって真面目で、イヤ、少し怒っている。
眉を潜め、睨みつけるようにリキッドを見据えていた。
「だ、だから、恋愛感情としてっていうか……」
シンタローの気迫に圧倒されたらしくしどろもどろになりながら懸命に言葉を紡ぎ出すリキッド。
言葉を投げかけたがシンタローの反応はない。
なんで、と、リキッドは心の中で歯を食いしばる。
もしかして、俺の想いをシンタロー先生は蔑ろにしているのかもしれない。
そんな思い迄込み上げる。
「俺、シンタロー先生に言いましたよね…?」
疑問符で投げ掛けてもシンタローはうんともすんとも言わない。
馬鹿にしてるんスか?俺の事。
何も言わないシンタローにリキッドは苛立ちを覚える。
「あの!」
「だから?」
リキッドが言いかけた所で、揚々のないシンタローの声が間に割り込む。
言われた意味が解らず、リキッドは虚を突かれたようにシンタローを見た。
「だからって……?」
「だから何って言ってんだ。確かにお前は勢い任せで俺に告白した。それがどうかしたのか。」
余りの冷たい言い方に、リキッドは凍り付いた。
頭に冷水を浴びせられたよう。
シンタロー先生ってこんなに冷たい人だった?
俺が好きになった人ってこんな?
優しさを感じさせない言い方にリキッドは目を見開いた。
ようは馬鹿にされたのだ。
自分の初めての甘酸っぱい思い、熱い気持ち、全て。
ショックでリキッドはうなだれる。
サラリと金髪の髪が前にかかり、外の太陽がその金髪をキラキラと照らす。
「もぉいいっス。」
苦しくてたまらなくて。
そう言うだけで今のリキッドは精一杯だった。
本当は言葉すら話したくはない位なのだが、それだけは絞り出せた。
シンタローの元から去って行こうと背を向けた時。
「ムカつくんだよ。テメーみたいな奴。」
後ろから罵声とも取れる言葉を投げ付けられ、流石のリキッドもプチンと切れた。
すぐさまクルリとシンタローに向き直り、ギッ!とシンタローを睨み付ける。
「なんなんスか!その言い方ッッ!!馬鹿にしてるんスか!?」
悔しくて悔しくて、食ってかかる。
「さっきから聞いてれば、アンタなんなんスか!?嫌いなら最初から期待持たせるような事言うんじゃねーよッッ!!」
泣きそうだった。
でも、涙だけは見せられない。
それはプライド。
怒鳴って、肩で息をし、それでもシンタローから目を離さない。
すると、シンタローもギッ!と、リキッドを睨みつける。
「何被害者ぶってんだテメェ!確かにテメーは俺に告白した。だがな!テメーはその後何をした?何にもしてねぇじゃねぇか!自分から何もしてねぇ癖に答ばっか求めやがって!テメーのそーゆー所がムカつくんだよッッ!!」
手は上げられなかった。
しかし、それよりリキッドの心は痛かった。
さっきまでの痛みとは違う、真実を突き付けられた痛み。
怒鳴られて、泣きそうな顔をして、リキッドはまだシンタローを見つめる。
「俺はその時こう言ったはずだ。“振り向かせてみせろ”と。そんでお前はこう言った。“絶対アナタを俺に振り向かせて見せる”と。実際テメーは一体何をした?」
そう突き詰められ、リキッドは何も言い返せなかった。
あれから自分はこれといって何もしていない。
恥ずかしい。
何も努力していないでシンタロー先生に勝手に怒って怒鳴り散らした。
俯いていると、シンタローが溜息を付いたのが解り、ビクッ!と体が強張る。
「怒鳴って悪かったナ。」
そう聞こえたかと思うと、コツコツと遠ざかる足音。
バッ!と顔を上げると、シンタローはリキッドを置き、すれ違い歩いて行ってしまう。
止めようと思うのに声がカラカラに渇いて声が出ない。
手と足が接着剤をつけたかのように動かない。
足音はそんなリキッドにお構いなしに段々遠ざかっていく。
頑張れ俺!今頑張んないでいつ頑張るんだ!出ろよ声!動けよ足ッッ!!
今シンタローとこのまま別れてしまったらもう一生会えないと思う。
それは本能。
「待って下さいッッ!」
体は動かなかったけれど、声だけは出た。
コツ……。
足音も止まった。
今二人は背中と背中を向き合わせている。
くる、と、リキッドがシンタローへ振り向く。
振り向く事が出来たのは、多分さっき声を出せたおかげで体の緊張の糸が解けたからだと理解する。
「愛しています。シンタロー先生…」
駆け出す足。
スローモーションにかかったかのようにゆっくりと感じる。
シンタローの肩を掴み抱き寄せる。
制服ごしに温かい体温を感じた。
黒い髪からはシャンプーのいい臭い。
思わずクラッときた。
シンタローはいつものように攻撃的ではなく、黙ってされるがままに抱きしめられていた。
グッ、と、力を入れてシンタローを振り向かせるが、シンタローは顔を伏せている。
「俺って矛盾してンのナ。お前に普通の恋愛して欲しいって思ってンのに、こんな事言っちまってヨ。」
自笑気味に笑うシンタローに、リキッドは悲しくなると同時に嬉しくもあった。
シンタローが自分の思いを真剣に考えてくれていたんだと言う事。そして、そのせいで悩み苦しんでいたんだと言う事。
そんな複雑な気持ちの中、リキッドはシンタローの顎を指で上げた。
薔薇色の唇が微かに息を吸っているのがわかる。
ゴクリ。
生唾を飲み、喉が上下に動いた。
理性と欲望の葛藤の結果、欲望が勝ち、シンタローのふっくらとした唇に自分の唇を押し当てようとした。が。
「マセガキッッ!」
グイッ!と、手の平で顎を上に持ち上げられた。
いや、持ち上げた、というより、殴られたと言った方が近いかもしれない。
おかげでキスする事は叶わず、舌を噛みそうになった。
「キッ!キスなんてなぁ!10年早いんだヨッッ!!」
真っ赤になって怒鳴るシンタローに、リキッドはキョトンとした。
自分の年齢は18歳。
三日後には学校すら卒業だ。
キスなんて、大体の人間はもうしたであろう年齢。
そこでリキッドはある考えにたどり着く。
あのシンタローの慌てよう。
そして、顔の赤さ。
……もしかしてシンタロー先生って、何の経験もないんじゃあ……。
その考えに達した瞬間、リキッドの顔が瞬間湯沸かし機のように、ボン!と赤くなった。
マジかよ…。
リキッドは不良だっただけあって、経験はあった。
しかもリキッドはアメリカ人。
キスなんて挨拶だし、まぁ、恋人同士のようなキスはしないが、恋人は居た事がある。
勿論興味津々、背伸びをしたいお年頃。
最後迄した事も無きにしもあらずなのだ。
「……シンタロー先生。」
「……あんだヨ。」
「シンタロー先生って童貞なんで…」
バキッ!リキッドの頬にシンタローの拳がクリティカルヒットした。
「な、な、な、何言ってやがるッッ!変態ッッ!!」
「ヘ、へんた…」
過剰なシンタローの反応に、リキッドは少し怯んだ。
むしろ、暴言にちょっぴり傷ついた。
「……お前、こーいった事したことあンの。」
「は、はあ、まあ…それなりに…」
ヘタレのくせにッッ!!
シンタローは心の中で悪態をついた。
八つも年下のこの男に経験があって自分にはない。
それが少なからずとも年上の男としての自尊心を傷つけられる。
「シンタロー先生はしたことないんですか?」
「いうな。」
ヒュルリラー。と、何処からともなく傷心のシンタローの黒髪が風になびく。
何処か遠くを見ているようなその瞳は虚ろだ。
そして、そんなシンタローを見て可愛いな、なんて思う。
俺って重症かも。
今更ながらに思う。
「シンタロー先生。」
「あん?」
リキッドの声が聞こえたので、そちらへ向き直る。
リキッドの真剣な瞳とかちあった。
「初めてが俺じゃ、やっぱ嫌ですか…?」
少し眉を下げて、悲しそうに言うので、シンタローはグッと、言葉が詰まり何も言えない。
その瞳は何だか捨てられた仔犬のよう。
くぅーん、くぅーん、捨てないで~、捨てないで~、と、泣いている幻聴まで聞こえる。
「嫌っていうか、そのぉ、なんだ…」
困って右の頬を人差し指でかく。
こうゆう態度を取られると、どうしても邪険にできない。
「……だぁぁッッ!!」
そして頭を掻きむしり、奇声を発する。
バッ!!と、リキッドを見つめる。
ドキン!リキッドの心臓が高鳴った。
「オマエが嫌とかじゃねぇんだ!だが、今!したくない!」
「な…何スかそれッッ!」
「付き合ってもいねーのにできるかッッ!!」
「じゃあ付き合って下さいよ!て、ゆーか、前から言ってるじゃないですかッッ!!」
「馬鹿野郎ッッ!テメェ、じゃ、何か?キスしたいから付き合うのか?ああ?」
「好きだったらキスしたいし、それ以上の事だって望みますよッッ!」
はーはーはー
お互い言い合いの為、肩で息をする。
だが、どっちもひかない。
シンタローは俺様だし、リキッドだって目の前の御馳走に真剣なのである。
「いいか、リキッド。例えばの話しだからな!例えばのッッ!」
ズビシ!と、指先をリキッドの鼻の前にかざす。
例えば、と、何度も言い、それが例え話しだとしつこ過ぎる位言った後、シンタローが本題を話し出す。
「俺とお前が今、この瞬間から付き合い出したとしよう。しかし、オマエおかしいと思わねーのか?」
「何がですか?」
「お付き合いした瞬間からキスする事だよ!俺は嫌だ!絶対にッッ!」
「……じゃあ、いつならいいんスか。」
リキッドにはキスが特別ではあるのだが、シンタローが思っているそれ程ではないのだ。
何たってアメリカン。
テキサス州生まれなのだから。
日常茶飯事にキスなんて見てきたし、してきた。
恋人になったその瞬間からする事だって少なくない。
リキッドの質問にシンタローは顔をリキッドから背ける。
じっと見ていると、耳が赤い。
どうしたのだろうか、と思い声をかけようとしたその時。
「結婚したら。」
「は?」
「ッッ!だ、だから!結婚式の時まで俺はしねぇんだヨ!」
最後は半ば自暴自棄になりながら怒鳴り声を上げる。
耳が赤かったのは、顔も赤かったから。
そんなシンタローを見て、リキッドは口元を手の平で隠す。
可愛い!可愛い過ぎるよこの人ッッ!!
しかし、そう言われてしまえば今すぐはできない。
「じゃあ、二年後ならオッケーですね!」
「何故そうなる。」
「だって俺、シンタロー先生と結婚式してるはずですから。」
エヘヘ、と、悪戯っ子みたいに笑う。
シンタローがため息を吐くと、リキッドが今度はシンタローに指を指した。
「お前に普通の恋愛して欲しいって思ってンのに、こんな事言っちまってヨ。」
それは先程シンタローがリキッドに言った台詞。
「これって、俺、自惚れていいって確信してます。」
そう言われてシンタローは舌打ちをした。
それは苛立ちからではなく照れからくるもので。
しかし、上手を取られムカつくと思う気持ちは無きにしもあらず。
「ばぁか!」
それだけ言うと、シンタローははにかんで笑う。
やっと春が来たのだと、リキッドは自分の胸を押さえるのであった。
「俺様に指指しやがったな。お仕置きの尻バットだ。」
「ぎょー!!バットから釘が出てるぅッッ!!たぁすけてぇえぇ~!!」
終わり
私立男子学校。
この学校で1番の不良は?と聞かれたら、迷わずこう答える“リキッド”と―――。
リキッドはかなり良い家のお坊ちゃまだが、父親が昔から不良だったのを手本として今まで生きてきた。
父は寛大で優しく、そして厳しい人で、リキッドの悪さなんて、そんな酷い事じゃない。
人命に関わるような事はしないし、まぁ、よくする事といえば、学校を抜け出し、だーいすきなファンシーヤンキーランドでフルに遊ぶ事くらいか。
ただ、喧嘩はめっぽう強い。
昔は超ロング過ぎるリーゼントだったが、今は短く切り髪を下ろしている。
その理由は、彼の愛しい人からの一言。
「ヤンキー嫌い。」
であった。
リキッドの心にはそりゃぁもうショックを受けたのだ。
思春期の彼の思い人は優しく強く情に熱く頭もいいし運動神経も抜群で、人望も厚い。
そして、掃除、洗濯、料理何でもできる。
ただ一つ欠点があるとすれば…
「テメー、何でここに居るんだヨ。」
「え、ここ一応俺のクラスなんスけど…」
俺様なのだ。
確かにこの学校1番の不良はリキッドに違いない。
喧嘩も強い。
だが、惚れた腫れたでなく、リキッドは彼に勝てない。
彼―――シンタローに。
学校の規則をひたすら破り、教師ですら目を合わせないような悪ガキなのに、シンタローに恋心を抱いてから彼に好かれる為、日夜頑張り続けている。
シンタローとて鈍い訳ではないから、彼の恋心なんてとっくの昔に気付いている。
自分に好かれる為にポリシーであったリーゼントを止め、海外サッカー選手の昔の髪型のような髪型になった。
しかしこの前、その頭も余り好きではない事を告げると、今度は少し髪を伸ばし、ムースも付けずに登校してきた。
自分の為にここまで頑張ってくれる、ある意味かいがいしい彼をシンタローは可愛いとは思う。
決して口には出さないが。
「あ?そーだっけか?オメー何時も居ねーから忘れてたぜ。」
そんなのは嘘なのだが、嫌味も含めてリキッドをからかうのは楽しい。
根っからの虐めっこなのである。
「そんな…三年になってからシンタロー先生の授業一度も休んでないのに…」
でも、素直なリキッドはシンタローに言われた言葉を信じ込みショックを受けてしまう。
恋は盲目だからか、シンタローの言葉は絶対なのだ。
善くも悪くも。
「はーいはいはい。じゃあリキッド君。そんなに国語が好きなら、この漢文を訳してみよーか。」
黒板に書かれた漢文。
漢字の列が白く縦に書かれていて、レ点等が黄色い文字で書かれている。
リキッドは冷や汗が出た。
彼は国語の授業は好きだが国語は嫌いなのだ。
しかも漢文なんて、リキッドにとって呪文とか宇宙語の部類にしか見えない。
国語じゃなくて、シンタローさん、アンタが好きなんだよ!と、叫びたかったが、そんな勇気はないので心の中で叫んでみる。
そして、ぽつ、ぽつと訳し始めるが、かなり間違っていたらしくシンタローに何度も指摘された。
「ばーか。上下は逆に読むんだヨ。オメー俺の授業マトモに聞いてねーだろ。」
「そ、そんな事ないっスよ…」
確かにマトモになんて聞いてなかった。
リキッドが聞いていたのは授業内容ではなくシンタローの声。
見ていたのは教科書ではなくシンタロー自身。
興味を持ったのは国語ではなくシンタローの書く文字。
はぁ、と、シンタローが溜息をついた。
しょうがない事なのである。
不良だったリキッドが、こうやって自分の授業だけではあるが、きちんと真面目に出席するだけめっけもんなのだ。
嫌いな授業には一切出ないリキッドをシンタローは知っているので、とにかく自分の席に付き、大人しく授業を聞いているだけでもラッキーと思わなければならない。
「あー、テメーは居残りだ。」
「ええ~…」
又、シンタローさんに幻滅されてしまったと、リキッドは深く悔やんだ。
二人きりになれるのは嬉しいのではあるのだが、シンタローは、はっきり言って厳しい。
それは自分にも相手にも厳しいから。
もしかしたら、だから馬鹿やってる不良が嫌いなのかもしれないと思う。
「つべこべ言うナ!お、もう時間か。日直!」
そうシンタローが言えば、日直の男子は立ち上がり号令をかける。
皆、そのかけ声に従って規律し、礼をしてから着席した。
それを見届けた後、シンタローはドアをガラガラと開けて帰って行ったのである。
リキッドはうなだれたまま、ホームルームを受けたのである。
彼に注意するような教師はシンタローしか居ないので、担任もリキッドを見てみぬ振りをし、順調にホームルームも終わった。
後はシンタローとの国語の補習が待っている。
正直言って怖い以外の何物でもない。
淡い恋心はとりあえず置いといて、リキッドは悪魔の補習を思い出す。
リキッドが初めてシンタローの補習を受けたのは一年の一学期。
度重なる授業放棄で、出席日数も危うい状況だったリキッドに、シンタローがリキッドの目の前で補習を言い渡したのだ。
その時はシンタローに対して何の感情も持っていなかったし、この学校で1番強いと自他共に認めている自分に言う勇気がよくあるな、としか思わなかった。
ムカつく。
それがリキッドがシンタローに持った初めての感情であった。
だが、出ないで逃げた。もしくは誰かとつるまないと何もできないと思われるのが釈だったので、一発ガツンとやって帰ろうと思っていたのだった。
しかし。
「アンタよく補習なんて言えたな。他のセンコーなんかビビッて手紙でよこすくれぇなのによ!」
思いっきりガンを飛ばす。もといメンチをきった。
これでビビッて何も言って来ないだろう。と、思ったのが間違いだった。
「あ゛!?テメー誰に口聞いてんだコラ。」
ギロ、と睨むシンタローの目はまるで蛇。
ぶっ殺すぞ!と言われ、その言葉が嘘ではないという証拠に、空気が異常に熱く感じる。
哀れリキッドは、蛇に睨まれた蛙状態になってしまった。
しかしリキッドも負けてはいられない。
教師ごときにコケにされて黙っていられるわけなんてないのだ。
「テメーこそ誰に口聞いてんだよッッ!!」
パリ、パリと、体に電気が走る。
それを見て、流石のシンタローも驚いたようだった。
だが、もう遅い。
「くたばれ!プラズマ!!」
バチバチと電気がリキッドの手の平から放たれ、シンタローに向かう。
シンタローは腕を組んだまま動かない。
リキッドが放ったプラズマが目の前に来た時、初めて手の平を前に掲げた。
そして。
「眼魔砲!」
プラズマの比ではない砲撃がシンタローの手の平から生み出され、プラズマを蹴散らしリキッドに向かう。
まさか返され、しかも攻撃されるなんて思ってもみなかったリキッドはシンタローの攻撃をマトモに受けてしまったのである。
一時間位気絶してしまったらしく、気がつくと目の前にシンタローが居た。
咄嗟に距離を取る。
「あ~ん?気付いたかぁ?オラ、さっさと補習始めるゾ!」
逃げようと思ったが体が動かない。
チラ、と、下を見ると、椅子に縄でくくられている事に気付く。
「テスト範囲、全部覚える迄帰さねーからな…」
人の悪そうな笑みを浮かべるシンタローから逃れる統べなど、リキッドにあるはずがなかった。
だが、それはまだ自分が悪かったと思う部分があるので仕方がないと言えば仕方がない。
そういえばこんな事もあった。
あれは恋心をもう持っていた時。
「先生って、どーゆーのがタイプなんですか?」
「あ゛?テメーそんな事気にしてる場合じゃねーダロ。ンな事より、範囲の漢字全部覚えろ!」
「え!む、無理っスよ!!」
「やる前から諦めてどーすンだ!オラ!さっさとやる!出来なきゃ尻叩き100回だ!」
期末の漢字なんて、そりゃもうべらぼうに数があるわけで。
リキッドは死ぬ気でやり遂げたのであった。
そんな事をされているのに何故リキッドはシンタローを好きなのか、と思うが、恋は突然にやってくるものなのである。
始めは自分より強い男としての憧れ。
しかし、シンタローが他の人間に笑いかけたりすると、感じた事のない心臓の圧迫感を感じる。
シンタローも自分も男なので、一時期は、思春期に見られる誤解なのかもしれないとも思ったが、どうやら違うらしい。
と、言うのも、その、一人で夜アレをする時、どうしてもシンタローを思い浮かべてしまうのだ。
流石にそれはおかしいと気付くのだが、想像とはどんどんと過激になって行くもので、自分の行いに最悪だと思いつつ、ぶっちゃけオカズにしていた。
そして、事の後の虚無感と罪悪感。
ごめんなさいと、何度も心の中で謝った。
ああ、色んな事を思い出してしまった。
ぼう、としながら悪魔のような愛おしいシンタローをひたすら待つ。
ややあってガラガラと、ドアが開きシンタローが入ってくる。
「何ぼーっとしてんだ。さっさと教科書を開け。」
指でリキッドの教科書を指し、リキッドが慌てて教科書を開くと、シンタローも又、自分の教科書を開いた。
「先ず漢字を読めるようにしねーと、テメーは落第だぞ。」
脅しとも取れるその言い草に、リキッドはそれでもいいかな、と、思う。
そうすれば後一年シンタローと一緒にいられるのだ。
リキッドの頭の中には、来年シンタローが自分の国語の担当教諭にならない可能性がある、とか、そんな事は思いもしないらしい。
彼らしいと言われれば彼らしいのではあるのだが。
「ホレ、読んでみろ。」
「え、と、はるねむり…」
そう言った瞬間手の平で頭を叩かれた。
「何するんスか!!」
「そりゃ、こっちの台詞だッッ!テメーは何を聞いてたんだ阿保ッッ!!」
「ええ~…」
何が悪かったんだろうと教科書を睨みつけるが、自分が間違ったとは思えない。
確かにはるねむりと、書いてある。
ジーッと、見つめるリキッドに、シンタローは盛大な溜息を吐いた。
「しゅんみん!」
「え?」
「“春”に“眠”でしゅんみんって読むんだよ!」
全く、と、シンタローは教科書に目線を落とす。
又嫌われてしまったのかもしれない。
結構ネガティブの気があるリキッドは、もう、かなりの勢いでブルー…イヤ、ブルーを通り越してブラックになる。
「シンタロー先生…」
「あ?くだらねー質問は答えねぇからな。」
「先生、俺の事嫌いでしょう。」
「は?」
いきなり訳の解らない質問をされ、シンタローは、何と答えて良いのか解らなかった。
もしかしてこの馬鹿ヤンキーは、それほどまでに答えられなかった事を気にしているのか。
まあ、勉強としては壊滅的な間違えではあるが、いつもの事なのだからそんなに気にする必要もないと思う。
「嫌いじゃねーよ。」
「でも、好きでもないでしょ。」
そう言われると返答に困る。
奴が言っているのは教師生徒の関係でか。それとも恋愛対象としてか。
とりあえずシンタローは前者と取った。
このリキッドが後者の事を考えている筈がない。
自分を好きだと思っている事は知っている。
しかし、幾度となく行われてきた二人だけの補習。
なのにリキッドは、告白する雰囲気すら出して来ない。
後者のような事を考えて言っているのであれば、もっと前から甲斐性のあるアプローチをするであろう。
つまり、リキッドはツメの甘いヘタレなのだ。
「どっちかっつったら好きな部類かもな。」
「国語できなくても…?」
「オメーがアメリカ人で、日本語を中々覚えられねーのも知ってる。なのに一生懸命覚えようと努力してんのも解ってる。ようはやろうとする過程が大事なんだヨ。」
できねーのは日本に住む以上出来るようにしなきゃなんねーがな。と、シンタローは付け足した。
その言葉を聞いて笑うリキッドの顔は、実際の年齢より若く見え、それは、きっと心から笑っているからだろうと思い、シンタローも笑いかけてやるのだった。
「シンタロー先生。俺、先生の事好きでよかった。」
「は!?」
自分の吐いた台詞にシンタローはしまったと、心の中で舌打ちをした。
先程も思っていた事だが、リキッドはちょっと恋愛には疎いので、多分“好き”の台詞に他意はないのであろう。
しかも、その恋心を上手く隠せていると思っている。
リキッドの頬が段々桜色になって、恋する乙女…いや、男なのだが、雰囲気は、甘酸っぱい青春の空気を醸し出している。
そうゆう空気というのは口に出さなくても周りを包み込む作用があるらしい。
シンタローは、全く恥ずかしくなんてないのに、リキッドの心境が手に取るように解ってしまって、恥ずかしさが伝染してしまった。
「ち、違うんです!シンタロー先生ッッ!そういう意味で言ったんじゃなくて!いや、違くはないんですけどッッ!」
ああ。パニックで自分が何を話しているのか解らないのだろう。
肯定してしまっている。
シンタローは顔には出さないように勤め、心の中でコイツをどうしようかと考える。
多分コイツは、今、自分の状況すら解ってねーんだろーナ。だったら答えは一つっきゃねーだろ。
そう。大人としての最高の手段。
“気付かない振り”
である。
そうと決まれば、この慌てふためくリキッドを大人しくさせなければならない。
傷つかせないよう、出来るだけ、全く気付かなかったというそぶりを見せなければ。
自分自身にすら不意打ちの告白なんて、いくらなんでも可哀相すぎる。
「何だよリ…「ああ!もうッッ!!」」
シンタローに被せるようにリキッドが頭を掻きむしりながら叫び始めた。
そして、シンタローの肩をガッシ!と掴む。
かなりの馬鹿力にシンタローは一瞬怯むが、当のリキッドは思いきり真剣らしく、シンタローが引いている事さえ気付いていない。
そして、頬を染め、言葉を吐いたのである。
「シンタロー先生愛してますッッ!!」
一瞬沈黙が流れた。
リキッドはパニックだし、シンタローは、ああ、コイツついに言っちまった。馬鹿だな、と思っているしで特に二人共次に繋げる言葉がなかった。
だからといってシンタローが心から冷静沈着であるわけでもない。
告白なんてそうそう受けるものでもないので、やはりシンタローも心の中では焦っている。
好意を口に出されて冷静さを欠かない人なんてよっぽどであろう。
「あーーー…」
リキッドが話さないので、とりあえずその場の空気を打ち消す為、シンタローは声を発し、頭をかいた。
「なんつーかさ、気持ちは嬉しいんだけどよ…俺男だし、教師だし。そんでもってオメーも男で生徒だろ?そーゆーのは女の子に言ってやるモンだぜ?」
「そ…そんな事言われても…俺、シンタロー先生が好きなんで…」
「そーゆーのは憧れなだけなの!少し時間が経って頭冷やしゃそう思える。」
「そんな事ないっス!」
悲痛な顔で叫ばれた。
無かった事に、冗談って事にされたくなかった。
YESにしろNOにしろ、はっきりとした答えが聞きたい。
うやむやにされるのが1番辛い。
もしかしたらって望みを持ってしまうし、本気に取ってくれなかったとも思うから。
こんなムードもへったくれもない行き当たりばったりみたいな告白だが、思いは本物なのだ。
3年間の思いを無視しないで欲しい。
「憧れだけで、夜、シンタロー先生の事オカズにしてヌけないですからッッ!」
…………………
………………
……………
…………
………
……
…
静まりかえった。
リキッドは自分がどんな発言をしたか理解していない所がもう、馬鹿としか言いようがない。
シンタローはガラにもなく固まり、呆然とリキッドを見つめている。
そして、やっとリキッドの言った事を理解した脳が、神経を伝って腕に流れついたらしい。
「歯ァ食いしばれ…」
バコッ!
リキッドの頭をげんこつで殴る。
「痛ッッてーー!!何するんスかッッ!?」
「テメーこそ言った事理解してんのか!?」
真っ赤になりながら怒鳴るシンタローに、リキッドはハタと自分の言った言葉を往復する。
そして、理解したらしく、沸騰湯沸かし機の如くボンッ!と顔を赤くした。
「お…!おおお俺って奴はな…何て事をッッ!す、スイマセン、シンタロー先生ッッ!シンタローを汚すような行為をしてしまって!!」
「そーじゃねーだろ…」
確かに自分をオカズにしてしまった事についての謝罪は解る。
例え思春期で、そーゆー事に興味があるにしても、だ。
だが、シンタローが言いたかったのはそうゆう事ではない。
していた事実を本人の目の前で暴露した事。
その事について言っているのだ。
「気持ち悪い…とか、思っちゃいましたよね…?」
恐る恐るというようにリキッドは、上目使いでリキッドを見た。
シンタローは容赦なくコーックリと頷く。
「ああああっ!!」
いきなり奇声を発するリキッドに、シンタローは些かビクついた。
「嫌われた!嫌われてしまった!俺、今から屋上から飛び降りてきます!!」
「わー!待て待て待てッッ!!」
今のコイツならやりかねんと思い、シンタローはリキッドの腕を掴み止めた。
「離して下さいッッ!シンタロー先生に嫌われて俺、生きていく自信がないッス!!」
かなり自暴自棄になっているようで、必死に腕を振るリキッド。
それをシンタローも必死で離すまいとする。
「嫌いじゃねーから!だからそーゆー事をするな!!」
嫌いじゃない。その言葉を聞いてリキッドはピタリと暴れるのを止めた。
「本当に?」
「ああ。だから落ち着け。」
そうじゃないと嫌いになるぞと脅されて、リキッドは押し黙った。
「俺が本気で好きならな、振り向かせてみせろ。ヤンキー君。」
口の端を持ち上げ皮肉っぽく笑いリキッドを見据える。
一瞬キョトンとしたリキッドだったが、すぐ焦る顔に変わる。
ごまかしているのではないかと、まだ先程の事を根に持っているのだ。
それを感じ取ったシンタローは軽く溜息をつく。
「オメー、この俺様が気がねぇ奴にチャンスくれてやると思ってんのか!?」
そう言ってやればリキッドの顔が満面の笑みに変わり、その後、神経な面持ちになった。
「頑張ります!絶対アナタを俺に振り向かせて見せるッス!!」
少年と青年の色が混じった清々しい顔付きで言い放つのであった。
二人の恋は始まったばかり。
終わり
この学校で1番の不良は?と聞かれたら、迷わずこう答える“リキッド”と―――。
リキッドはかなり良い家のお坊ちゃまだが、父親が昔から不良だったのを手本として今まで生きてきた。
父は寛大で優しく、そして厳しい人で、リキッドの悪さなんて、そんな酷い事じゃない。
人命に関わるような事はしないし、まぁ、よくする事といえば、学校を抜け出し、だーいすきなファンシーヤンキーランドでフルに遊ぶ事くらいか。
ただ、喧嘩はめっぽう強い。
昔は超ロング過ぎるリーゼントだったが、今は短く切り髪を下ろしている。
その理由は、彼の愛しい人からの一言。
「ヤンキー嫌い。」
であった。
リキッドの心にはそりゃぁもうショックを受けたのだ。
思春期の彼の思い人は優しく強く情に熱く頭もいいし運動神経も抜群で、人望も厚い。
そして、掃除、洗濯、料理何でもできる。
ただ一つ欠点があるとすれば…
「テメー、何でここに居るんだヨ。」
「え、ここ一応俺のクラスなんスけど…」
俺様なのだ。
確かにこの学校1番の不良はリキッドに違いない。
喧嘩も強い。
だが、惚れた腫れたでなく、リキッドは彼に勝てない。
彼―――シンタローに。
学校の規則をひたすら破り、教師ですら目を合わせないような悪ガキなのに、シンタローに恋心を抱いてから彼に好かれる為、日夜頑張り続けている。
シンタローとて鈍い訳ではないから、彼の恋心なんてとっくの昔に気付いている。
自分に好かれる為にポリシーであったリーゼントを止め、海外サッカー選手の昔の髪型のような髪型になった。
しかしこの前、その頭も余り好きではない事を告げると、今度は少し髪を伸ばし、ムースも付けずに登校してきた。
自分の為にここまで頑張ってくれる、ある意味かいがいしい彼をシンタローは可愛いとは思う。
決して口には出さないが。
「あ?そーだっけか?オメー何時も居ねーから忘れてたぜ。」
そんなのは嘘なのだが、嫌味も含めてリキッドをからかうのは楽しい。
根っからの虐めっこなのである。
「そんな…三年になってからシンタロー先生の授業一度も休んでないのに…」
でも、素直なリキッドはシンタローに言われた言葉を信じ込みショックを受けてしまう。
恋は盲目だからか、シンタローの言葉は絶対なのだ。
善くも悪くも。
「はーいはいはい。じゃあリキッド君。そんなに国語が好きなら、この漢文を訳してみよーか。」
黒板に書かれた漢文。
漢字の列が白く縦に書かれていて、レ点等が黄色い文字で書かれている。
リキッドは冷や汗が出た。
彼は国語の授業は好きだが国語は嫌いなのだ。
しかも漢文なんて、リキッドにとって呪文とか宇宙語の部類にしか見えない。
国語じゃなくて、シンタローさん、アンタが好きなんだよ!と、叫びたかったが、そんな勇気はないので心の中で叫んでみる。
そして、ぽつ、ぽつと訳し始めるが、かなり間違っていたらしくシンタローに何度も指摘された。
「ばーか。上下は逆に読むんだヨ。オメー俺の授業マトモに聞いてねーだろ。」
「そ、そんな事ないっスよ…」
確かにマトモになんて聞いてなかった。
リキッドが聞いていたのは授業内容ではなくシンタローの声。
見ていたのは教科書ではなくシンタロー自身。
興味を持ったのは国語ではなくシンタローの書く文字。
はぁ、と、シンタローが溜息をついた。
しょうがない事なのである。
不良だったリキッドが、こうやって自分の授業だけではあるが、きちんと真面目に出席するだけめっけもんなのだ。
嫌いな授業には一切出ないリキッドをシンタローは知っているので、とにかく自分の席に付き、大人しく授業を聞いているだけでもラッキーと思わなければならない。
「あー、テメーは居残りだ。」
「ええ~…」
又、シンタローさんに幻滅されてしまったと、リキッドは深く悔やんだ。
二人きりになれるのは嬉しいのではあるのだが、シンタローは、はっきり言って厳しい。
それは自分にも相手にも厳しいから。
もしかしたら、だから馬鹿やってる不良が嫌いなのかもしれないと思う。
「つべこべ言うナ!お、もう時間か。日直!」
そうシンタローが言えば、日直の男子は立ち上がり号令をかける。
皆、そのかけ声に従って規律し、礼をしてから着席した。
それを見届けた後、シンタローはドアをガラガラと開けて帰って行ったのである。
リキッドはうなだれたまま、ホームルームを受けたのである。
彼に注意するような教師はシンタローしか居ないので、担任もリキッドを見てみぬ振りをし、順調にホームルームも終わった。
後はシンタローとの国語の補習が待っている。
正直言って怖い以外の何物でもない。
淡い恋心はとりあえず置いといて、リキッドは悪魔の補習を思い出す。
リキッドが初めてシンタローの補習を受けたのは一年の一学期。
度重なる授業放棄で、出席日数も危うい状況だったリキッドに、シンタローがリキッドの目の前で補習を言い渡したのだ。
その時はシンタローに対して何の感情も持っていなかったし、この学校で1番強いと自他共に認めている自分に言う勇気がよくあるな、としか思わなかった。
ムカつく。
それがリキッドがシンタローに持った初めての感情であった。
だが、出ないで逃げた。もしくは誰かとつるまないと何もできないと思われるのが釈だったので、一発ガツンとやって帰ろうと思っていたのだった。
しかし。
「アンタよく補習なんて言えたな。他のセンコーなんかビビッて手紙でよこすくれぇなのによ!」
思いっきりガンを飛ばす。もといメンチをきった。
これでビビッて何も言って来ないだろう。と、思ったのが間違いだった。
「あ゛!?テメー誰に口聞いてんだコラ。」
ギロ、と睨むシンタローの目はまるで蛇。
ぶっ殺すぞ!と言われ、その言葉が嘘ではないという証拠に、空気が異常に熱く感じる。
哀れリキッドは、蛇に睨まれた蛙状態になってしまった。
しかしリキッドも負けてはいられない。
教師ごときにコケにされて黙っていられるわけなんてないのだ。
「テメーこそ誰に口聞いてんだよッッ!!」
パリ、パリと、体に電気が走る。
それを見て、流石のシンタローも驚いたようだった。
だが、もう遅い。
「くたばれ!プラズマ!!」
バチバチと電気がリキッドの手の平から放たれ、シンタローに向かう。
シンタローは腕を組んだまま動かない。
リキッドが放ったプラズマが目の前に来た時、初めて手の平を前に掲げた。
そして。
「眼魔砲!」
プラズマの比ではない砲撃がシンタローの手の平から生み出され、プラズマを蹴散らしリキッドに向かう。
まさか返され、しかも攻撃されるなんて思ってもみなかったリキッドはシンタローの攻撃をマトモに受けてしまったのである。
一時間位気絶してしまったらしく、気がつくと目の前にシンタローが居た。
咄嗟に距離を取る。
「あ~ん?気付いたかぁ?オラ、さっさと補習始めるゾ!」
逃げようと思ったが体が動かない。
チラ、と、下を見ると、椅子に縄でくくられている事に気付く。
「テスト範囲、全部覚える迄帰さねーからな…」
人の悪そうな笑みを浮かべるシンタローから逃れる統べなど、リキッドにあるはずがなかった。
だが、それはまだ自分が悪かったと思う部分があるので仕方がないと言えば仕方がない。
そういえばこんな事もあった。
あれは恋心をもう持っていた時。
「先生って、どーゆーのがタイプなんですか?」
「あ゛?テメーそんな事気にしてる場合じゃねーダロ。ンな事より、範囲の漢字全部覚えろ!」
「え!む、無理っスよ!!」
「やる前から諦めてどーすンだ!オラ!さっさとやる!出来なきゃ尻叩き100回だ!」
期末の漢字なんて、そりゃもうべらぼうに数があるわけで。
リキッドは死ぬ気でやり遂げたのであった。
そんな事をされているのに何故リキッドはシンタローを好きなのか、と思うが、恋は突然にやってくるものなのである。
始めは自分より強い男としての憧れ。
しかし、シンタローが他の人間に笑いかけたりすると、感じた事のない心臓の圧迫感を感じる。
シンタローも自分も男なので、一時期は、思春期に見られる誤解なのかもしれないとも思ったが、どうやら違うらしい。
と、言うのも、その、一人で夜アレをする時、どうしてもシンタローを思い浮かべてしまうのだ。
流石にそれはおかしいと気付くのだが、想像とはどんどんと過激になって行くもので、自分の行いに最悪だと思いつつ、ぶっちゃけオカズにしていた。
そして、事の後の虚無感と罪悪感。
ごめんなさいと、何度も心の中で謝った。
ああ、色んな事を思い出してしまった。
ぼう、としながら悪魔のような愛おしいシンタローをひたすら待つ。
ややあってガラガラと、ドアが開きシンタローが入ってくる。
「何ぼーっとしてんだ。さっさと教科書を開け。」
指でリキッドの教科書を指し、リキッドが慌てて教科書を開くと、シンタローも又、自分の教科書を開いた。
「先ず漢字を読めるようにしねーと、テメーは落第だぞ。」
脅しとも取れるその言い草に、リキッドはそれでもいいかな、と、思う。
そうすれば後一年シンタローと一緒にいられるのだ。
リキッドの頭の中には、来年シンタローが自分の国語の担当教諭にならない可能性がある、とか、そんな事は思いもしないらしい。
彼らしいと言われれば彼らしいのではあるのだが。
「ホレ、読んでみろ。」
「え、と、はるねむり…」
そう言った瞬間手の平で頭を叩かれた。
「何するんスか!!」
「そりゃ、こっちの台詞だッッ!テメーは何を聞いてたんだ阿保ッッ!!」
「ええ~…」
何が悪かったんだろうと教科書を睨みつけるが、自分が間違ったとは思えない。
確かにはるねむりと、書いてある。
ジーッと、見つめるリキッドに、シンタローは盛大な溜息を吐いた。
「しゅんみん!」
「え?」
「“春”に“眠”でしゅんみんって読むんだよ!」
全く、と、シンタローは教科書に目線を落とす。
又嫌われてしまったのかもしれない。
結構ネガティブの気があるリキッドは、もう、かなりの勢いでブルー…イヤ、ブルーを通り越してブラックになる。
「シンタロー先生…」
「あ?くだらねー質問は答えねぇからな。」
「先生、俺の事嫌いでしょう。」
「は?」
いきなり訳の解らない質問をされ、シンタローは、何と答えて良いのか解らなかった。
もしかしてこの馬鹿ヤンキーは、それほどまでに答えられなかった事を気にしているのか。
まあ、勉強としては壊滅的な間違えではあるが、いつもの事なのだからそんなに気にする必要もないと思う。
「嫌いじゃねーよ。」
「でも、好きでもないでしょ。」
そう言われると返答に困る。
奴が言っているのは教師生徒の関係でか。それとも恋愛対象としてか。
とりあえずシンタローは前者と取った。
このリキッドが後者の事を考えている筈がない。
自分を好きだと思っている事は知っている。
しかし、幾度となく行われてきた二人だけの補習。
なのにリキッドは、告白する雰囲気すら出して来ない。
後者のような事を考えて言っているのであれば、もっと前から甲斐性のあるアプローチをするであろう。
つまり、リキッドはツメの甘いヘタレなのだ。
「どっちかっつったら好きな部類かもな。」
「国語できなくても…?」
「オメーがアメリカ人で、日本語を中々覚えられねーのも知ってる。なのに一生懸命覚えようと努力してんのも解ってる。ようはやろうとする過程が大事なんだヨ。」
できねーのは日本に住む以上出来るようにしなきゃなんねーがな。と、シンタローは付け足した。
その言葉を聞いて笑うリキッドの顔は、実際の年齢より若く見え、それは、きっと心から笑っているからだろうと思い、シンタローも笑いかけてやるのだった。
「シンタロー先生。俺、先生の事好きでよかった。」
「は!?」
自分の吐いた台詞にシンタローはしまったと、心の中で舌打ちをした。
先程も思っていた事だが、リキッドはちょっと恋愛には疎いので、多分“好き”の台詞に他意はないのであろう。
しかも、その恋心を上手く隠せていると思っている。
リキッドの頬が段々桜色になって、恋する乙女…いや、男なのだが、雰囲気は、甘酸っぱい青春の空気を醸し出している。
そうゆう空気というのは口に出さなくても周りを包み込む作用があるらしい。
シンタローは、全く恥ずかしくなんてないのに、リキッドの心境が手に取るように解ってしまって、恥ずかしさが伝染してしまった。
「ち、違うんです!シンタロー先生ッッ!そういう意味で言ったんじゃなくて!いや、違くはないんですけどッッ!」
ああ。パニックで自分が何を話しているのか解らないのだろう。
肯定してしまっている。
シンタローは顔には出さないように勤め、心の中でコイツをどうしようかと考える。
多分コイツは、今、自分の状況すら解ってねーんだろーナ。だったら答えは一つっきゃねーだろ。
そう。大人としての最高の手段。
“気付かない振り”
である。
そうと決まれば、この慌てふためくリキッドを大人しくさせなければならない。
傷つかせないよう、出来るだけ、全く気付かなかったというそぶりを見せなければ。
自分自身にすら不意打ちの告白なんて、いくらなんでも可哀相すぎる。
「何だよリ…「ああ!もうッッ!!」」
シンタローに被せるようにリキッドが頭を掻きむしりながら叫び始めた。
そして、シンタローの肩をガッシ!と掴む。
かなりの馬鹿力にシンタローは一瞬怯むが、当のリキッドは思いきり真剣らしく、シンタローが引いている事さえ気付いていない。
そして、頬を染め、言葉を吐いたのである。
「シンタロー先生愛してますッッ!!」
一瞬沈黙が流れた。
リキッドはパニックだし、シンタローは、ああ、コイツついに言っちまった。馬鹿だな、と思っているしで特に二人共次に繋げる言葉がなかった。
だからといってシンタローが心から冷静沈着であるわけでもない。
告白なんてそうそう受けるものでもないので、やはりシンタローも心の中では焦っている。
好意を口に出されて冷静さを欠かない人なんてよっぽどであろう。
「あーーー…」
リキッドが話さないので、とりあえずその場の空気を打ち消す為、シンタローは声を発し、頭をかいた。
「なんつーかさ、気持ちは嬉しいんだけどよ…俺男だし、教師だし。そんでもってオメーも男で生徒だろ?そーゆーのは女の子に言ってやるモンだぜ?」
「そ…そんな事言われても…俺、シンタロー先生が好きなんで…」
「そーゆーのは憧れなだけなの!少し時間が経って頭冷やしゃそう思える。」
「そんな事ないっス!」
悲痛な顔で叫ばれた。
無かった事に、冗談って事にされたくなかった。
YESにしろNOにしろ、はっきりとした答えが聞きたい。
うやむやにされるのが1番辛い。
もしかしたらって望みを持ってしまうし、本気に取ってくれなかったとも思うから。
こんなムードもへったくれもない行き当たりばったりみたいな告白だが、思いは本物なのだ。
3年間の思いを無視しないで欲しい。
「憧れだけで、夜、シンタロー先生の事オカズにしてヌけないですからッッ!」
…………………
………………
……………
…………
………
……
…
静まりかえった。
リキッドは自分がどんな発言をしたか理解していない所がもう、馬鹿としか言いようがない。
シンタローはガラにもなく固まり、呆然とリキッドを見つめている。
そして、やっとリキッドの言った事を理解した脳が、神経を伝って腕に流れついたらしい。
「歯ァ食いしばれ…」
バコッ!
リキッドの頭をげんこつで殴る。
「痛ッッてーー!!何するんスかッッ!?」
「テメーこそ言った事理解してんのか!?」
真っ赤になりながら怒鳴るシンタローに、リキッドはハタと自分の言った言葉を往復する。
そして、理解したらしく、沸騰湯沸かし機の如くボンッ!と顔を赤くした。
「お…!おおお俺って奴はな…何て事をッッ!す、スイマセン、シンタロー先生ッッ!シンタローを汚すような行為をしてしまって!!」
「そーじゃねーだろ…」
確かに自分をオカズにしてしまった事についての謝罪は解る。
例え思春期で、そーゆー事に興味があるにしても、だ。
だが、シンタローが言いたかったのはそうゆう事ではない。
していた事実を本人の目の前で暴露した事。
その事について言っているのだ。
「気持ち悪い…とか、思っちゃいましたよね…?」
恐る恐るというようにリキッドは、上目使いでリキッドを見た。
シンタローは容赦なくコーックリと頷く。
「ああああっ!!」
いきなり奇声を発するリキッドに、シンタローは些かビクついた。
「嫌われた!嫌われてしまった!俺、今から屋上から飛び降りてきます!!」
「わー!待て待て待てッッ!!」
今のコイツならやりかねんと思い、シンタローはリキッドの腕を掴み止めた。
「離して下さいッッ!シンタロー先生に嫌われて俺、生きていく自信がないッス!!」
かなり自暴自棄になっているようで、必死に腕を振るリキッド。
それをシンタローも必死で離すまいとする。
「嫌いじゃねーから!だからそーゆー事をするな!!」
嫌いじゃない。その言葉を聞いてリキッドはピタリと暴れるのを止めた。
「本当に?」
「ああ。だから落ち着け。」
そうじゃないと嫌いになるぞと脅されて、リキッドは押し黙った。
「俺が本気で好きならな、振り向かせてみせろ。ヤンキー君。」
口の端を持ち上げ皮肉っぽく笑いリキッドを見据える。
一瞬キョトンとしたリキッドだったが、すぐ焦る顔に変わる。
ごまかしているのではないかと、まだ先程の事を根に持っているのだ。
それを感じ取ったシンタローは軽く溜息をつく。
「オメー、この俺様が気がねぇ奴にチャンスくれてやると思ってんのか!?」
そう言ってやればリキッドの顔が満面の笑みに変わり、その後、神経な面持ちになった。
「頑張ります!絶対アナタを俺に振り向かせて見せるッス!!」
少年と青年の色が混じった清々しい顔付きで言い放つのであった。
二人の恋は始まったばかり。
終わり
いつもつれないシンちゃん。
パパに対して言う良く言う言葉ベストランキング。
アホ、ウザイ、ムカつく。
おかしい。こんなはずじゃない。
昔はパパ思いのパパっ子で…いや!今もそうなんだけど!!
照れてるだけ。なんだけど!
パパだって不安になったりしちゃうわけ。
だから…だからしょうがない事だったんだよ。
パパは悪くないんだよ、シンちゃん。
ひとしきり自分勝手に話を纏めたマジック。
何がどうなったか、というと、まあ、ぶっちゃけた話、あまのじゃくを直す、素直になる薬を、シンタローの大好物のカレーライスに入れただけ。
食べた瞬間シンタローは机につっぷした。
スプーンを握り締めたまま。
寝てしまうのは薬を作ったお馴染み、Dr高松に聞かされていたのでマジックとしてはさして驚かなかった。
マジックはワクワクしながらシンタローを見つめる。
早く起きてパパとイチャイチャしよう!
ハートマークを飛び散らせて、マジックはシンタローが起きるのを今か今かと待ち侘びているのである。
すると、突然ガバ!と、シンタローが起き上がった。
「あ、あれ?俺…」
「どうしたの?シンちゃん。いきなり寝たからパパすっごくびっくりしちゃったよ。」
ハハハ、と、善人面で笑う。
さあ、シンタローがどう出るか。
マジックは楽しそうにシンタローの反応を待つ。
「ゴメン、父さん。」
困ったように笑うシンタローを見て、薬は成功したと核心したマジックは、シンタローの見てる前でガッツポーズを勢い良くした。
シンタローはそれに少しびっくりした様子で見るが、頭には“?”が飛び交っている。
「ね、ね、シンちゃん、パパの作ったカレーどぉ?」
ワクワクしながらすんごい笑顔で聞くと、シンタローははにかみながらマジックに微笑む。
そんな笑顔20年ぶり位に見た。
たら、と鼻血が出る。
「旨いよ。父さんが作ったカレーが世界で1番美味しい。…それより父さん鼻血大丈夫?」
心配そうに見つめ、近くにあったボックスティッシュから紙を数枚掴み、マジックの鼻を押さえた。
シンちゃんが私を心配して、尚且つティッシュまで!!
感動したらしく、青い瞳からは滝のような涙。
それだけならまだしも。
「うわ!!」
鼻血も滝のように噴いてきて。
ティッシュは何の約にも立たなくなってしまった。
「父さん大丈夫?病気?」
「うん。パパね、凄い重い病にかかってるんだよ。薬でも、湯治でも直らない病気なんだ。」
「えッッ!?」
心配そうに見上げるシンタロー。
そして、とりあえずハンカチで鼻血を止血するマジック。
「ど、どんな病気なんだ!?」
大変だ!と、あわあわしてくれる愛息子にマジックは胸がキュンキュンした!
そして、かなり嬉しく思う。
「シンちゃん大好き病っていうんだ。」
大真面目な顔でそう言うマジック。
シンタローは一瞬時が止まったようにストップしていたが、言葉を理解したらしく、マジックの肩を軽く叩いた。
「もー!ビックリさせんなよ!」
そう言って笑う。
その100万$の笑顔。
寧ろそれより上。
秘石よりも価値があるものを見て、マジックは又鼻血を吹出し悦った。
「さ、シンちゃん。早くご飯食べちゃいなさい。あ、サラダもちゃんと食べるんだよ?」
身が持たないマジックは貧血の為、椅子に腰かける。
マジックに促されるまま、シンタローはカレーとサラダをぱくぱくと平らげていく。
ご飯ときたら、次はお風呂だよね。
このゴールデンコースでいくと、
ご飯→お風呂→私。だな。
お風呂も一緒に入って、次は私がシンちゃんに入って…。
もう、50を過ぎると、下ネタでオヤジギャグを考えてしまうらしい。
それはいくらダンディでも逃れようがないのかもしれない。
「ごっそーさん!」
カラン、とカレー皿にスプーンを置く音がする。
マジックがそれを見ると、カレーもサラダも綺麗に完食していて、マジックも、作ったかいがあったな、なんて思う。
「シンちゃん。ちょっと聞きたい事があるんだけど…。」
「何?父さん。カレーもサラダも美味しかったぜ?」
「そうじゃなくて…あ、あのね?」
頬を赤らめてもじもじする様はまるで恋に臆病な女学生。
ピンクのオーラを放ちまくる。
いつものシンタローなら眼魔砲ものなのだが、素直になったシンタローは黙ってマジックの問いを待っている。
ゴクリ、と、マジックの喉仏が上下し、意を決したようにシンタローを見る。
そして…
「パパの事…好き?あ、愛しちゃったりとか…してたりする??」
恐る恐る聞いて、上目使いでシンタローを見る。
「あったり前じゃん。」
かたやシンタローはあっけらかんと肯定した。
マジックにとっては、日頃シンタローに絶対言って貰えない言葉なだけに天にも昇る気持ちに。
あったり前じゃん
あったり前じゃん
あったり前じゃん
マジックの脳内で繰替えされるシンタローの言葉。
盆と正月がいっぺんに。イヤイヤ、クリスマスと誕生日と、ゴールデンウイークも付けたしてしまえ。
その位マジックにとって革命的出来事。すなわちエボリューション!
マジックは思わずシンタローを抱きしめた。
いつもなら鉄拳ものだが、それもない。
それどころか!
マジックに身を委ねてくるではないか。
シンちゃんパパを愛で殺す気なのかな…
自分で薬を盛っておいてよく言うものである。
「父さんは?」
シンタローに声をかけられ、マジックは夢の世界から舞い戻る。
直ぐに返事をくれないのでシンタローはもう一度繰り返す。
「父さんは、俺の事好き?」
そう聞かれ、マジックは思いきりコクコクと頭を上下に振る。
ヘドバン並に。
「好きだよ!好きに決まってるじゃないか!寧ろ愛しているよ!」
ガシ、とシンタローの肩を掴み赤面しながらシンタローに必死に語りかける。
かなり危機迫っている感じ。
「良かった。」
シンタローがまたもやそうやって白い歯を見せ笑うので、マジックはもんどりうった。
可愛くて可愛くて仕方がない。
ぎゅ!と、抱きしめても殴られないし、蹴られない。
スリスリしても、ダキダキしても大丈夫!
ああ、高松ありがとう。
マジックの心理描写で、高松のドアップが青空一面に写し出され、小鳥達が生暖かい眼差しでチチチ、と鳴いていた。
「じゃあ父さん。俺、お風呂に入ってくるヨ。」
やんわりとマジックから身を離し、シンタローは部屋から出て行こうとする。
このまますんなり行かせてしまっても、風呂場で何時ものように乱入すればいいのだが、今のシンタローならば彼の了承を得てら正当に一緒にお風呂☆が楽しめるかもしれない。
今までは夢の又夢だったが、今のシンタローならば可能だ。
マジックの行動は次第にエスカレートしていく。
今まで出来なかった親子としてのスキンシップ。
スキンシップというにはかなり過剰だとは思うのだが、マジックにとっては普通であるその行為を我慢する事なく今日はできる。
マジックは気持ちがいくらか大きくなってしまっていた。
「ねぇ、シンちゃん!パパも一緒に入ってもいい?」
にこやかに聞くと、シンタローは赤面した。
かーわーいーいー!!
マジックも連られ赤面をしてしまう。
「あ、でも、そのォ、風呂場狭いから…別に父さんと一緒に入りたくないとかじゃなくて、狭いのが嫌っていうか…」
チラチラ、とマジックを見て、見る度に視線がかちあい、シンタローが又そらすという繰り返し。
癖なのか、唇を尖らせている。
意識しまくりなシンタローに、マジックにも勿論それは伝染病のように伝わってしまっていて。
二人で赤面する様は、最近の少女漫画にすら出て来ない程のハートオーラが漂う甘い雰囲気。
親子で醸し出すオーラでない事は確か。
「そ、そっかー!そーだよね!パパったら気付かなくてごめんね!」
アハハ!と笑うと、シンタローは首を横に振って少しホッとしたような顔をした。
「じゃあ、お風呂入ってくるから。」
そう言ってシンタローはその場から去っていく。
ポツンと、残された形になったマジック。
そして思う。
あああ…これは計算ミスだったよ!私の予想が大幅に外れた!!いつもより交わし方が上手くなってるじゃないかシンちゃん!中々やるなあ。
イヤ、純粋に言ってるんだろうな。その分タチが悪いよ。これじゃ、このままじゃ…
悪戯できないじゃないかッ!!
ああ、私のゴールデン計画がァッッ!食事→お風呂→私のこの計画がぁぁぁ!!
ショックを受けるマジックだが、は、と気付く。
今からでも十分修正はきくのではないだろうか。
確かにお風呂は一緒ではないが、シンタローが進んでいるコースはマジックの考えと同じ。
イケる!!
ザッパーン!と、マジックの背景に荒れた岩肌と、それにぶつかる波と、飛び散る水飛沫が映し出された。
そうと決まればシンちゃんが出てくる迄にきちんと考えておかなきゃ。ご利用は計画的にね!
フンフン、と、鼻歌を歌いながら洗いものをする。
かなりご機嫌だ。
そんな中、プシュン!と、ドアが開いたかと思うと、グンマとキンタローが神妙な面持ちで入ってきた。
「おとーさまー…」
「叔父貴…」
「どーしたの!?」
かなりの落ち込みような二人にマジックは焦る。
何があったのだろうか。
「ねー!シンちゃんに何かしたでしょ!!シンちゃん何時もと違うよぉ~!」
「そうです。何時ものアイツではなかった!」
ギックーン!!
シンタローが先程風呂に向かったさいに会ったのだろう。
さしずめ、何時ものように声をかけたら返答が違った。いや、違いすぎたんだろうとマジックは思った。
「心配する事ないよ。グンちゃん、キンタロー。すぐに元に戻るから。」
困ったように笑うマジックに、グンマは頭を振る。
「そーじゃないよ、おとーさま!」
声を荒げるグンマに、マジックは少しびっくりした。
勿論それを顔に出した訳ではないが。
「そーじゃなくて、おとーさまそれでいいの?」
悲しそうな顔。
マジックは訳が解らず不思議そうな顔をした。
それでいいって、何が?
訳が解らないので、何も言葉を発しないと、グンマはマジックを見上げる。
青い瞳同士がかちあった。
「おとーさまの好きなシンちゃんは、素直なシンちゃんなの?それとも、何時ものシンちゃんなの?素直なシンちゃんじゃなきゃ、おとーさまはシンちゃんの事好きじゃないの!?」
泣きそうになりながらマジックを見つめるグンマ。
昔からグンマはシンタローとマジックを見てきた。
自分の立場は従兄弟で、ルーザーの息子ではあったが、確かにシンタローにとって一番近い親戚で、友達でもあったに違いない。
何時も意地悪ばっかりされて、嫌な時もあったけれど、肝心な時は何時も助けてくれる優しいシンタロー。
そんなシンタローの幸せをグンマは何時も願っていた。
出来る事なら自分の手でシンタローを幸せにしてあげたかったが、シンタローが望んでいるのは自分ではないと知ってから、グンマは断腸の思いで恋敵であるマジックとシンタローの応援をしてきたのだ。
それなのに。
涙を飲んで手放したこの淡い恋心。
渡した相手がこれでは自分の思いの立つ瀬がない。
「そんな事ないよ。私はシンちゃんが何であっても愛しているよ。」
「だったら!」
グンマは俯いてしまった。
だったらそんな事しなければいいのに。
そんな事しなくたってシンちゃんはおとーさまの事大好きなんだから。
どーせ薬でも使ったんでしょ。高松にでも頼んで。
「だったら、早くシンちゃんを元に戻して、ね、おとーさま。」
又何時ものように明るく笑う。
「そうだね。」
マジックも又笑う。
シンちゃんが元に戻ったら一部始終ぜーんぶ話しちゃうんだから。
それ位の意地悪、許されるよね?
へへへ、と笑って、グンマはマジックを見た。
マジックはそんなグンマの頭を軽く撫でてやるのだ。
完全に出遅れた形となってしまったキンタローは、己の出の悪さを深く悔やんだとか。
しばらくたって、シンタローが戻って来た。
だが、どうにも様子がおかしい。
わなわなと震える腕、ヒクつく口元。
先程の素直なシンタローの面影はないに等しい。
オーラはドス黒く、そして、マゼンタみたいな色も混ざっている。
もう、ハッキリ言ってバレた。
怯えるマジックと、あーあ、やっぱりね、的な、グンマとキンタロー。
「親父ィィィ…」
地を這うような声に、ビクリと体を震わせるマジック。
自分達に被害はないのだが、余りの気迫にグンマは勿論の事、キンタローも少し怯える。
「や、やぁ、シンちゃん!怒った顔もキュートだよ☆」
無理矢理笑顔を作って手を上げるマジック。
その笑顔はミドル好きの女性が見たら失神してしまう位光り輝いていた。
が。
シンタローは女性ではないし、寧ろショタコンの気があるので効かない。
寧ろ逆効果である。
「…ンな事ほざく前に、俺に言わなきゃならない事、あるんじゃねーの?」
眼光がギラリと鈍く輝く。
「おとーさま、おとーさま!」
小声でツンツン、と、グンマがマジックの腕を肘で突く。
マジックが視線だけグンマに向けると、下にいたグンマと目が合った。
何?と、目で訴える。
今はそれどころじゃないんだよグンちゃん!見て解るだろう?
シンちゃんったら、完全にプッツンしてるんだよ!?
「謝っちゃって下さぁ~い!」
またもや小声で。
そして、マジックにとっては恐ろしい台詞を吐いた。
マジックは右手をぶんぶん振って“無理”を主張するのだが、グンマの攻めるような瞳とかちあい、ばつが悪くなって視線を反らしたが、そこにはキンタローが。
キンタローも又、グンマのソレと同じように醒めた目でマジックを見つめる…と、言うか睨みつけている。
「頼むよ、二人共ー。これ以上シンちゃんに嫌われたくないんだよー。」
「「だったらしなければ良かったでしょう!!」」
助けを二人に求めたが、二人共助けてくれない。
寧ろハモりつきで批難される。
マジックは、えー、と、漏らすが一向にシンタローに謝る気配はない。
ついにこの場の、寧ろシンタローの威圧感に耐え兼ねたグンマが動いた。
「おとーさまが薬を盛ったんだって!」
指をマジックの方に射す。
キンタローもそれを真似た。
「ああッッ!!グンちゃんとキンタローの裏切り者ッッ!」
「変な言い方しないでよ!おとーさまッッ!!」
「そうです。誤解されるような言い方は止めて頂きたい。」
グンマとキンタローに言われ、マジックは大袈裟に涙を拭く。
が。
「ほーォ。薬をねぇ…」
ピシリと空気が冷たくなる。
「アンタの料理、俺はなぁーんの疑いもなく食べてるよ。それは俺が少なからず、アンタが作ったモンに変なモンは入ってないと多少なりともアンタを信頼してるからだ。」
チラ、と、マジックを見ると、小さく縮こまるマジック。
まるで蛇に睨まれた蛙状態だ。
「シンちゃん、じゃ、僕達は自室に戻るからね~。」
「たまにはコッテリ叱ってやれ。」
「言われなくてもそのつもりだ。」
グンマとキンタローはそれだけ言うと、さっさと食堂を後にしようとする。
ああ、どうしよう!二人きりになるのは嬉しいんだけど!今は…今は嫌だ!息苦しいよ!何で行っちゃうの!お前達!!
あわあわとしているマジックを見ないようにして二人は互いに同情の目配せをして食堂から出て行った。
来た時と同じようにドアが開き、閉まった。
完全に密室。シンタローとマジックの二人だけがその空間に居る。
「アンタは俺の信頼を裏切ったんだ!」
ズビシ!と指を刺され、マジックは胸に手を当てる。
そして、うなだれる。
マジックがどう出るのかと、シンタローは見ていた。
うなだれたマジックはフラフラとシンタローへ近づいてゆき、シンタローの肩に手を置いた。
そして、がば!と顔を上げる。
「ごめん!シンちゃんごめんね?だ、だってパパ、どうしてもお前の気持ちが知りたかったんだよ!いつもいつもいーっつもお前はツンツンして、パパの事嫌がるし!パパだって…パパだって淋しかったんだよォ!シンちゃん!!」
ワーン!!と泣いてシンタローの胸にスリスリと顔を埋めれば、予想通り頭に鉄拳を喰らう。
ゴチン!と音がして、潤んだ瞳で見上げると、顔を真っ赤にしたシンタローが居た。
自分の顔が赤いと自分で自覚しているのか、腕で口元を隠している。
そんなシンタローを可愛いと思ってしまう。
顔がにやけるのを必死に我慢していると、シンタローがマジックを見た。
そして、口元を押さえながらマジックに言う。
「…ンな薬使わなくたって、俺はアンタの事大事にしてるっつーの!」
いきなりの爆弾幸せ発言にマジックは目が点になった。
理解するまで少し時間がかかる模様。
「解れよ!バーカ!!」
そして、唇を尖らせる。
理解した時はもう、嬉しくて嬉しくて、シンタローを抱きしめる。
嫌がる顔をするシンタローなんてお構いなし。
そして。
「ごめんね、シンちゃん!パパお前の事だぁーい好きだよ!も!死んでも離さないんだからッッ!!」
「あー。もー。はーいはいはい。」
どうやら一見落着したようで、その様子を聞き耳をたてて扉の向こう側から聞いていたグンマとキンタロー。
「あーあ。もう、ごちそうさまって感じ。」
「そうだな。何だかんだ言ってシンタローは素直だからな。」
もっとシンタローに怒られるであろうマジックを想像していただけに、この甘い雰囲気はよろしくない。
つまんない、と言った感じで二人はその場から本当に自室へと足を運ぶのだった。
「あ。親父。ソレと薬の件は関係ねぇからな。」
「え!?なにソレ!パパぬかよろこびだよ!!」
終わり。
パパに対して言う良く言う言葉ベストランキング。
アホ、ウザイ、ムカつく。
おかしい。こんなはずじゃない。
昔はパパ思いのパパっ子で…いや!今もそうなんだけど!!
照れてるだけ。なんだけど!
パパだって不安になったりしちゃうわけ。
だから…だからしょうがない事だったんだよ。
パパは悪くないんだよ、シンちゃん。
ひとしきり自分勝手に話を纏めたマジック。
何がどうなったか、というと、まあ、ぶっちゃけた話、あまのじゃくを直す、素直になる薬を、シンタローの大好物のカレーライスに入れただけ。
食べた瞬間シンタローは机につっぷした。
スプーンを握り締めたまま。
寝てしまうのは薬を作ったお馴染み、Dr高松に聞かされていたのでマジックとしてはさして驚かなかった。
マジックはワクワクしながらシンタローを見つめる。
早く起きてパパとイチャイチャしよう!
ハートマークを飛び散らせて、マジックはシンタローが起きるのを今か今かと待ち侘びているのである。
すると、突然ガバ!と、シンタローが起き上がった。
「あ、あれ?俺…」
「どうしたの?シンちゃん。いきなり寝たからパパすっごくびっくりしちゃったよ。」
ハハハ、と、善人面で笑う。
さあ、シンタローがどう出るか。
マジックは楽しそうにシンタローの反応を待つ。
「ゴメン、父さん。」
困ったように笑うシンタローを見て、薬は成功したと核心したマジックは、シンタローの見てる前でガッツポーズを勢い良くした。
シンタローはそれに少しびっくりした様子で見るが、頭には“?”が飛び交っている。
「ね、ね、シンちゃん、パパの作ったカレーどぉ?」
ワクワクしながらすんごい笑顔で聞くと、シンタローははにかみながらマジックに微笑む。
そんな笑顔20年ぶり位に見た。
たら、と鼻血が出る。
「旨いよ。父さんが作ったカレーが世界で1番美味しい。…それより父さん鼻血大丈夫?」
心配そうに見つめ、近くにあったボックスティッシュから紙を数枚掴み、マジックの鼻を押さえた。
シンちゃんが私を心配して、尚且つティッシュまで!!
感動したらしく、青い瞳からは滝のような涙。
それだけならまだしも。
「うわ!!」
鼻血も滝のように噴いてきて。
ティッシュは何の約にも立たなくなってしまった。
「父さん大丈夫?病気?」
「うん。パパね、凄い重い病にかかってるんだよ。薬でも、湯治でも直らない病気なんだ。」
「えッッ!?」
心配そうに見上げるシンタロー。
そして、とりあえずハンカチで鼻血を止血するマジック。
「ど、どんな病気なんだ!?」
大変だ!と、あわあわしてくれる愛息子にマジックは胸がキュンキュンした!
そして、かなり嬉しく思う。
「シンちゃん大好き病っていうんだ。」
大真面目な顔でそう言うマジック。
シンタローは一瞬時が止まったようにストップしていたが、言葉を理解したらしく、マジックの肩を軽く叩いた。
「もー!ビックリさせんなよ!」
そう言って笑う。
その100万$の笑顔。
寧ろそれより上。
秘石よりも価値があるものを見て、マジックは又鼻血を吹出し悦った。
「さ、シンちゃん。早くご飯食べちゃいなさい。あ、サラダもちゃんと食べるんだよ?」
身が持たないマジックは貧血の為、椅子に腰かける。
マジックに促されるまま、シンタローはカレーとサラダをぱくぱくと平らげていく。
ご飯ときたら、次はお風呂だよね。
このゴールデンコースでいくと、
ご飯→お風呂→私。だな。
お風呂も一緒に入って、次は私がシンちゃんに入って…。
もう、50を過ぎると、下ネタでオヤジギャグを考えてしまうらしい。
それはいくらダンディでも逃れようがないのかもしれない。
「ごっそーさん!」
カラン、とカレー皿にスプーンを置く音がする。
マジックがそれを見ると、カレーもサラダも綺麗に完食していて、マジックも、作ったかいがあったな、なんて思う。
「シンちゃん。ちょっと聞きたい事があるんだけど…。」
「何?父さん。カレーもサラダも美味しかったぜ?」
「そうじゃなくて…あ、あのね?」
頬を赤らめてもじもじする様はまるで恋に臆病な女学生。
ピンクのオーラを放ちまくる。
いつものシンタローなら眼魔砲ものなのだが、素直になったシンタローは黙ってマジックの問いを待っている。
ゴクリ、と、マジックの喉仏が上下し、意を決したようにシンタローを見る。
そして…
「パパの事…好き?あ、愛しちゃったりとか…してたりする??」
恐る恐る聞いて、上目使いでシンタローを見る。
「あったり前じゃん。」
かたやシンタローはあっけらかんと肯定した。
マジックにとっては、日頃シンタローに絶対言って貰えない言葉なだけに天にも昇る気持ちに。
あったり前じゃん
あったり前じゃん
あったり前じゃん
マジックの脳内で繰替えされるシンタローの言葉。
盆と正月がいっぺんに。イヤイヤ、クリスマスと誕生日と、ゴールデンウイークも付けたしてしまえ。
その位マジックにとって革命的出来事。すなわちエボリューション!
マジックは思わずシンタローを抱きしめた。
いつもなら鉄拳ものだが、それもない。
それどころか!
マジックに身を委ねてくるではないか。
シンちゃんパパを愛で殺す気なのかな…
自分で薬を盛っておいてよく言うものである。
「父さんは?」
シンタローに声をかけられ、マジックは夢の世界から舞い戻る。
直ぐに返事をくれないのでシンタローはもう一度繰り返す。
「父さんは、俺の事好き?」
そう聞かれ、マジックは思いきりコクコクと頭を上下に振る。
ヘドバン並に。
「好きだよ!好きに決まってるじゃないか!寧ろ愛しているよ!」
ガシ、とシンタローの肩を掴み赤面しながらシンタローに必死に語りかける。
かなり危機迫っている感じ。
「良かった。」
シンタローがまたもやそうやって白い歯を見せ笑うので、マジックはもんどりうった。
可愛くて可愛くて仕方がない。
ぎゅ!と、抱きしめても殴られないし、蹴られない。
スリスリしても、ダキダキしても大丈夫!
ああ、高松ありがとう。
マジックの心理描写で、高松のドアップが青空一面に写し出され、小鳥達が生暖かい眼差しでチチチ、と鳴いていた。
「じゃあ父さん。俺、お風呂に入ってくるヨ。」
やんわりとマジックから身を離し、シンタローは部屋から出て行こうとする。
このまますんなり行かせてしまっても、風呂場で何時ものように乱入すればいいのだが、今のシンタローならば彼の了承を得てら正当に一緒にお風呂☆が楽しめるかもしれない。
今までは夢の又夢だったが、今のシンタローならば可能だ。
マジックの行動は次第にエスカレートしていく。
今まで出来なかった親子としてのスキンシップ。
スキンシップというにはかなり過剰だとは思うのだが、マジックにとっては普通であるその行為を我慢する事なく今日はできる。
マジックは気持ちがいくらか大きくなってしまっていた。
「ねぇ、シンちゃん!パパも一緒に入ってもいい?」
にこやかに聞くと、シンタローは赤面した。
かーわーいーいー!!
マジックも連られ赤面をしてしまう。
「あ、でも、そのォ、風呂場狭いから…別に父さんと一緒に入りたくないとかじゃなくて、狭いのが嫌っていうか…」
チラチラ、とマジックを見て、見る度に視線がかちあい、シンタローが又そらすという繰り返し。
癖なのか、唇を尖らせている。
意識しまくりなシンタローに、マジックにも勿論それは伝染病のように伝わってしまっていて。
二人で赤面する様は、最近の少女漫画にすら出て来ない程のハートオーラが漂う甘い雰囲気。
親子で醸し出すオーラでない事は確か。
「そ、そっかー!そーだよね!パパったら気付かなくてごめんね!」
アハハ!と笑うと、シンタローは首を横に振って少しホッとしたような顔をした。
「じゃあ、お風呂入ってくるから。」
そう言ってシンタローはその場から去っていく。
ポツンと、残された形になったマジック。
そして思う。
あああ…これは計算ミスだったよ!私の予想が大幅に外れた!!いつもより交わし方が上手くなってるじゃないかシンちゃん!中々やるなあ。
イヤ、純粋に言ってるんだろうな。その分タチが悪いよ。これじゃ、このままじゃ…
悪戯できないじゃないかッ!!
ああ、私のゴールデン計画がァッッ!食事→お風呂→私のこの計画がぁぁぁ!!
ショックを受けるマジックだが、は、と気付く。
今からでも十分修正はきくのではないだろうか。
確かにお風呂は一緒ではないが、シンタローが進んでいるコースはマジックの考えと同じ。
イケる!!
ザッパーン!と、マジックの背景に荒れた岩肌と、それにぶつかる波と、飛び散る水飛沫が映し出された。
そうと決まればシンちゃんが出てくる迄にきちんと考えておかなきゃ。ご利用は計画的にね!
フンフン、と、鼻歌を歌いながら洗いものをする。
かなりご機嫌だ。
そんな中、プシュン!と、ドアが開いたかと思うと、グンマとキンタローが神妙な面持ちで入ってきた。
「おとーさまー…」
「叔父貴…」
「どーしたの!?」
かなりの落ち込みような二人にマジックは焦る。
何があったのだろうか。
「ねー!シンちゃんに何かしたでしょ!!シンちゃん何時もと違うよぉ~!」
「そうです。何時ものアイツではなかった!」
ギックーン!!
シンタローが先程風呂に向かったさいに会ったのだろう。
さしずめ、何時ものように声をかけたら返答が違った。いや、違いすぎたんだろうとマジックは思った。
「心配する事ないよ。グンちゃん、キンタロー。すぐに元に戻るから。」
困ったように笑うマジックに、グンマは頭を振る。
「そーじゃないよ、おとーさま!」
声を荒げるグンマに、マジックは少しびっくりした。
勿論それを顔に出した訳ではないが。
「そーじゃなくて、おとーさまそれでいいの?」
悲しそうな顔。
マジックは訳が解らず不思議そうな顔をした。
それでいいって、何が?
訳が解らないので、何も言葉を発しないと、グンマはマジックを見上げる。
青い瞳同士がかちあった。
「おとーさまの好きなシンちゃんは、素直なシンちゃんなの?それとも、何時ものシンちゃんなの?素直なシンちゃんじゃなきゃ、おとーさまはシンちゃんの事好きじゃないの!?」
泣きそうになりながらマジックを見つめるグンマ。
昔からグンマはシンタローとマジックを見てきた。
自分の立場は従兄弟で、ルーザーの息子ではあったが、確かにシンタローにとって一番近い親戚で、友達でもあったに違いない。
何時も意地悪ばっかりされて、嫌な時もあったけれど、肝心な時は何時も助けてくれる優しいシンタロー。
そんなシンタローの幸せをグンマは何時も願っていた。
出来る事なら自分の手でシンタローを幸せにしてあげたかったが、シンタローが望んでいるのは自分ではないと知ってから、グンマは断腸の思いで恋敵であるマジックとシンタローの応援をしてきたのだ。
それなのに。
涙を飲んで手放したこの淡い恋心。
渡した相手がこれでは自分の思いの立つ瀬がない。
「そんな事ないよ。私はシンちゃんが何であっても愛しているよ。」
「だったら!」
グンマは俯いてしまった。
だったらそんな事しなければいいのに。
そんな事しなくたってシンちゃんはおとーさまの事大好きなんだから。
どーせ薬でも使ったんでしょ。高松にでも頼んで。
「だったら、早くシンちゃんを元に戻して、ね、おとーさま。」
又何時ものように明るく笑う。
「そうだね。」
マジックも又笑う。
シンちゃんが元に戻ったら一部始終ぜーんぶ話しちゃうんだから。
それ位の意地悪、許されるよね?
へへへ、と笑って、グンマはマジックを見た。
マジックはそんなグンマの頭を軽く撫でてやるのだ。
完全に出遅れた形となってしまったキンタローは、己の出の悪さを深く悔やんだとか。
しばらくたって、シンタローが戻って来た。
だが、どうにも様子がおかしい。
わなわなと震える腕、ヒクつく口元。
先程の素直なシンタローの面影はないに等しい。
オーラはドス黒く、そして、マゼンタみたいな色も混ざっている。
もう、ハッキリ言ってバレた。
怯えるマジックと、あーあ、やっぱりね、的な、グンマとキンタロー。
「親父ィィィ…」
地を這うような声に、ビクリと体を震わせるマジック。
自分達に被害はないのだが、余りの気迫にグンマは勿論の事、キンタローも少し怯える。
「や、やぁ、シンちゃん!怒った顔もキュートだよ☆」
無理矢理笑顔を作って手を上げるマジック。
その笑顔はミドル好きの女性が見たら失神してしまう位光り輝いていた。
が。
シンタローは女性ではないし、寧ろショタコンの気があるので効かない。
寧ろ逆効果である。
「…ンな事ほざく前に、俺に言わなきゃならない事、あるんじゃねーの?」
眼光がギラリと鈍く輝く。
「おとーさま、おとーさま!」
小声でツンツン、と、グンマがマジックの腕を肘で突く。
マジックが視線だけグンマに向けると、下にいたグンマと目が合った。
何?と、目で訴える。
今はそれどころじゃないんだよグンちゃん!見て解るだろう?
シンちゃんったら、完全にプッツンしてるんだよ!?
「謝っちゃって下さぁ~い!」
またもや小声で。
そして、マジックにとっては恐ろしい台詞を吐いた。
マジックは右手をぶんぶん振って“無理”を主張するのだが、グンマの攻めるような瞳とかちあい、ばつが悪くなって視線を反らしたが、そこにはキンタローが。
キンタローも又、グンマのソレと同じように醒めた目でマジックを見つめる…と、言うか睨みつけている。
「頼むよ、二人共ー。これ以上シンちゃんに嫌われたくないんだよー。」
「「だったらしなければ良かったでしょう!!」」
助けを二人に求めたが、二人共助けてくれない。
寧ろハモりつきで批難される。
マジックは、えー、と、漏らすが一向にシンタローに謝る気配はない。
ついにこの場の、寧ろシンタローの威圧感に耐え兼ねたグンマが動いた。
「おとーさまが薬を盛ったんだって!」
指をマジックの方に射す。
キンタローもそれを真似た。
「ああッッ!!グンちゃんとキンタローの裏切り者ッッ!」
「変な言い方しないでよ!おとーさまッッ!!」
「そうです。誤解されるような言い方は止めて頂きたい。」
グンマとキンタローに言われ、マジックは大袈裟に涙を拭く。
が。
「ほーォ。薬をねぇ…」
ピシリと空気が冷たくなる。
「アンタの料理、俺はなぁーんの疑いもなく食べてるよ。それは俺が少なからず、アンタが作ったモンに変なモンは入ってないと多少なりともアンタを信頼してるからだ。」
チラ、と、マジックを見ると、小さく縮こまるマジック。
まるで蛇に睨まれた蛙状態だ。
「シンちゃん、じゃ、僕達は自室に戻るからね~。」
「たまにはコッテリ叱ってやれ。」
「言われなくてもそのつもりだ。」
グンマとキンタローはそれだけ言うと、さっさと食堂を後にしようとする。
ああ、どうしよう!二人きりになるのは嬉しいんだけど!今は…今は嫌だ!息苦しいよ!何で行っちゃうの!お前達!!
あわあわとしているマジックを見ないようにして二人は互いに同情の目配せをして食堂から出て行った。
来た時と同じようにドアが開き、閉まった。
完全に密室。シンタローとマジックの二人だけがその空間に居る。
「アンタは俺の信頼を裏切ったんだ!」
ズビシ!と指を刺され、マジックは胸に手を当てる。
そして、うなだれる。
マジックがどう出るのかと、シンタローは見ていた。
うなだれたマジックはフラフラとシンタローへ近づいてゆき、シンタローの肩に手を置いた。
そして、がば!と顔を上げる。
「ごめん!シンちゃんごめんね?だ、だってパパ、どうしてもお前の気持ちが知りたかったんだよ!いつもいつもいーっつもお前はツンツンして、パパの事嫌がるし!パパだって…パパだって淋しかったんだよォ!シンちゃん!!」
ワーン!!と泣いてシンタローの胸にスリスリと顔を埋めれば、予想通り頭に鉄拳を喰らう。
ゴチン!と音がして、潤んだ瞳で見上げると、顔を真っ赤にしたシンタローが居た。
自分の顔が赤いと自分で自覚しているのか、腕で口元を隠している。
そんなシンタローを可愛いと思ってしまう。
顔がにやけるのを必死に我慢していると、シンタローがマジックを見た。
そして、口元を押さえながらマジックに言う。
「…ンな薬使わなくたって、俺はアンタの事大事にしてるっつーの!」
いきなりの爆弾幸せ発言にマジックは目が点になった。
理解するまで少し時間がかかる模様。
「解れよ!バーカ!!」
そして、唇を尖らせる。
理解した時はもう、嬉しくて嬉しくて、シンタローを抱きしめる。
嫌がる顔をするシンタローなんてお構いなし。
そして。
「ごめんね、シンちゃん!パパお前の事だぁーい好きだよ!も!死んでも離さないんだからッッ!!」
「あー。もー。はーいはいはい。」
どうやら一見落着したようで、その様子を聞き耳をたてて扉の向こう側から聞いていたグンマとキンタロー。
「あーあ。もう、ごちそうさまって感じ。」
「そうだな。何だかんだ言ってシンタローは素直だからな。」
もっとシンタローに怒られるであろうマジックを想像していただけに、この甘い雰囲気はよろしくない。
つまんない、と言った感じで二人はその場から本当に自室へと足を運ぶのだった。
「あ。親父。ソレと薬の件は関係ねぇからな。」
「え!?なにソレ!パパぬかよろこびだよ!!」
終わり。
ここはガンマ団士官学校。
外部とは一切接触を持たせず、隔離され、国を奪う知識、人を殺す技術、そして、服従をさせる為の冷徹な心を養う場所。
それゆえセキュリティも厳しく、鼠一匹たりとも入れないし、勿論入ったら最後、出てくる事もできない。
又、士官学生達の規律も厳しく、朝は5:00に起床。夜は20:00に就寝。
テレビやラジオといった外部からの情報も一切与えられず、学生達は規律の中卒業するまでそこで生きていく。
ガンマ団士官学校を含め、ガンマ団を仕切る立場にあるマジック総帥の一人息子シンタローも皆と同じく、この学び屋でそのような生活を送っていた。
そんな中。
「授業参観だぁ~!?」
プリントを配られ目を丸くするシンタロー。
勿論シンタローだけではなく、他の生徒も驚いている。
普段は静かな教室が、ガヤガヤと珍しく騒がしい。
「静かに!」
ピシャリ!と教官が声を荒げる。
途端に騒がしかった教室内がシーンと静まりかえった。
「この行事は一年に一度恒例で行われる。又、強制ではないので来る来ないはお前達の親の自由だ。」
来たくない親や、任務で来れない親もいるからな。と教官は付け足した。
配ったプリントと同じ物を生徒の親にも送ったらしい。
勿論複雑な顔をしている生徒も多い。
親がガンマ団に所属している人間ばかりではないのだ。
家族の為、己を犠牲にして入った人間もいれば、金の為、親に売られるように入れられた人間もいる。
そう考えればシンタローはまだマシかもしれないと思う。
ん?
待てよ。
と、ゆーことは…。
親父も来るって事か?!
シンタローの脳内では、金ピカのゴージャスな椅子に腰かけ、総帥服を身につけ、何故かお弁当箱を持ち、満面の笑顔で手を振っているマジックが想像できてしまった。
『シ~ンちゃ~ん!パパだよ~!ホラホラ、シンちゃんの為にお弁当。持ってきたよ~!』
ああああッッ!!不吉な想像ヤメーッッ!!
頭を抱えるシンタローだが、もしかしたら遠征とか長引いて来ないかもしれないと、思い直す。
プリントを見ると、どうやら1ヶ月後位先の話しではあるが、マジックは今月の頭から内乱を収める為に基地には居ない。
そういった情報だけはシンタローを含め学生達も知っている。
より軍に詳しくなる為、より軍に忠実になる為、ガンマ団の主だったニュースは伝えられるのだ。
半月ばかり過ぎた頃、やはりまだまだ内乱は終わらないらしい。
勿論シンタローとしてはマジックに無事で居てくれとは思うが、授業参観過ぎるまで帰ってきてほしくないと思う。
「シンタローさん。マジック様も来んだべか?」
黙っていれば男前のミヤギが休み時間に話し掛けて来たのだが、シンタローは曖昧な返事をした。
「ミヤギ君、まだ内乱が終わってないっちゃから、シンタローさんだって解らないっちゃよ。」
「それもそーだべな。」
ベストフレンドのトットリにそう言われ、ミヤギも苦笑いをして頭をかいた。
三人でしばし談笑をした。
とは言っても話題は授業参観の事だったが。
士官学校に入り寮での生活を余儀なくされている学生にとって、外部からの人間は新鮮なもので。
それを互いに解っているからこそ、久しぶりの軍以外の話題だからこそ、会話も弾む。
誰々の親はこの間階級が上がっただとか、あの人も来るのだろうか、とか久しぶりに人間らしい話をしたのかもしれない。
結局今日が授業参観日なのだが、内乱が終わったという報告はなかった。
シンタローは内心ホッとする。
学校じゃ勉強も運動も何でも出来るカッコイイ二枚目なシンタローさんで通っているのに、マジックが来たら全て台なしもいい所である。
第一、マジックが自分を目の前にして言う一人称は“パパ”なのだ。
まるで俺がマジックをそう呼んでいるよーじゃねーか、とシンタローは思う。
とにかくマジックが来なくて良かった。
来なければ、全軍の指揮を取る冷徹な総帥マジックが、実は息子にベタ甘で、すっっごく格好悪いということを知られずに済むのだ。
「授業を始める。」
授業参観の科目は体術だった。
武器を取られた時や、手元に武器が無い時、己の肉体こそを武器にしなければならない。
教官の掛け声がかかり、皆気を引き締めた。
チラ、と見渡すと、結構親達は来ているようで。
だが、全てガンマ団の軍人である。
何故なら、軍服は“G”とロゴの入った隊服で、胸には階級バッチと、所属部隊別のバッチがしてある。
一般人はまず居ないと言って確かだ。
そして、シンタローを見ている。
自分の息子より総帥の息子がどの程度なのか。
マジックと似ていない外見というのは既に周知に知れ渡っていて。
期待の視線より、卑下する視線であると知ってシンタローは舌打ちを一つした。
「シンちゃん!パパだよ~!!あ~間に合った~!!」
!!?
今、聞いてはいけないものを聞いた気がする。
そこに居ないはずの人物。寧ろ、居てはいけない人物。
ギギギ…。
硬直してしまった首を無理矢理、だが、のろのろと声のする方へ向けた。
そこには、金ピカのゴージャス椅子に腰かけ、バスケットを持ち、まんまシンタローの想像していたマジックが。
クラスメートもかなりガチガチだが、父兄さん達も緊張の面持ちで、しかも教官までもビシッ!とマジックに向かって敬礼をしている。
「な、ななななんで…」
口をぱくぱく鯉みたいに動かし、それを言うだけでシンタローは精一杯だった。
まるで幽霊を見たかのように驚愕の表情を浮かべる。
「ふふふ♪シンちゃん、驚いたでしょ?パパ、シンちゃんのお勉強ぶりが見たくって急いで片付けてきたんだよ~νあ、ちゃ~んとシンちゃんの分のお弁当。作って来たからねーν」
“急いで片付けて”
それが殺しの事だとは解る。
側にいた父兄の方々の数名は、ビクリと体を震わせていた。
ただ、教官や、上層部と思われる父兄達は、流石というべきか、表情を崩さず平然な態度をしていた。
「か、帰れ帰れ!オメー来ると邪魔なんだよッッ!」
「んもう!シンちゃんったら嘘ばーっか!パパの事だーい好きな癖に!」
「そーゆー嘘付くなよな!早く家に帰れ!来るナ!」
「ひどッッ!嘘じゃないでしょ!?」
そう言うと、椅子から立ち上がり、シンタローの側まで後ろに手を組み歩いてくる。
ザ、ザ、と、足音がして、シンタローの目の前まで来るとシンタローを見下ろした。
「な、なんだよ…」
少ししか引けないのはこれから授業だから。
隊列を乱していけない。これは軍人の基本中の基本。
マジックはニコッと笑うと両腕を広げ、ガバリとシンタローに抱き着いた。
「ヒッ!!」
シンタローは声にならない声をあげる。
「すごーい!シンちゃん!今の顔、すっごい可愛い!!素晴らしく可愛いヨ!!今からビデオ取るからもう一回その顔パパの為にしてよー!!」
ぐりんぐりんとシンタローの頬をスリスリする。
シンタローは鳥肌が立ったがマジックは止めようとはしない。
そして、頬にキスをしようとした瞬間。
バキッ!!
シンタローの拳がマジックの左頬に当たった。
ああ、俺の今まで培ってきたイメージが台なし!!あのアーパー親父のせいで!全部台なし!!
シンタローは泣きたくなった。
怒りとか悲しみではなく、マジックに対する苛立ちで。
なんで普通にできないのか。
アンタはいい。アンタは。でも、俺が…俺がファザコンだと思われるじゃねーかぁぁあ!
「ど、どうしたのシンちゃん!!何時もパパとお家でチュッチュしてるでしょ!?」
「勝手に思い出捏造すんじゃねーヨ!!」
かなり驚いたように演技するマジックに、シンタローは涙とヨダレを垂らしながら訴える。
「授業時間終わっちまうじゃねーか!親父のせいだぞ!」
「おお、そうだった!」
マジックは、掌をポン、と叩くと素直に又椅子に座る。
シンタローがムッと頬を膨らませてから教官の方へ向き直った途端、片肘をひじ掛けにかけ、頬を載せ、冷徹な笑顔で士官学生達を見遣るのだった。
まったく、と、シンタローは思う。
鼻でふん、と息を出してからシンタローは教官を見遣った。
体術の授業という事で、皆動きやすい恰好、つまりジャージを着ている。
二つの班に別れ勝ち抜き戦となり、負けた班は腹筋500回の罰ゲームが待っているので、皆何としても勝ちたい所。
武器を使用しない限り何をしても良いが、このグラウンド内で行うものとする。
勿論人体の急所と呼べる場所の攻撃も可能だ。
今から行う体術の実地訓練はスポーツなんかじゃない。
確実に敵を殺す為の訓練の一貫なのだから。
シンタローの順番は大体真ん中位。
「先頭、両者前へ!!」
教官が腕を上げると、ニ列に別れたうちの先頭者が前へ出る。
「始め!!」
掛け声と共に肉弾戦が始まったのだった。
同じ訓練をしていても、攻撃パターンは人によって違う。
しかも負ける訳にはいかない理由がもう一つあった。
それはマジックが来ているという事。
味方だろうと容赦なく、弱い人間は捨てゆく彼の精神を知っているゆえ、ヘマをしたらどうなるか解らない。
そんな緊張感の中、それでも勝負は決まる。
いよいよシンタローの番になった。
シンタローはパチン!と気合いを入れる為、両手で己の頬を叩き気を引き締める。
「シーンちゃーん!!頑張れー!!」
シンタローはコケた。
せっかく気合いを入れたのに、マジックの間の抜けた声援のせいで掻き乱されてしまった。
マジックは相変わらず笑顔でブンブン手をシンタローに向けて振る。
パパはここだよ!と、主張せんばかりに。
あンの野郎~…!
怒りと恥ずかしさでマジックをチラと見ると、気付いてくれた!と言わんばかりに手を振る勢いが激しくなる。
どーして普通にできねーの!?
隣に居る、といっても少し間が離れているが、誰かの父兄さんも、やはり少しマジックが気になるらしい。
そして、父兄さん達に話し掛けているので、父兄達は自分の息子そっちのけで話を聞いている。
シンタローの方からは何を言っているのか解らない。
読唇術はまだ習っていないから。
シンタローはどーせくだらねー話しでもしてんダロ、と思い、敵チームの方を向いた。
「シンタローはカワイイだろう?」
ふふふ、と、鼻血を垂らしながら息子のぬいぐるみに頬を擦り寄せる総帥に、流石の父兄達も引いた。
「昔からパパ、パパって私の後を着いてくるパパっ子でねぇー。」
昔からって、今じゃアンタがシンちゃんシンちゃんってシンタローの後をついていってんじゃないか。
と、父兄さん達は心の中でツッコミをした。
そんな事を知ってか知らずか、マジックは話を止めて士官生達の方を向く。
寧ろ、シンタローを見ている。
シンタローは勝ってきた奴には「スゲーじゃん!次も勝てよ!!」と、エールを送り、負けた奴には「ドンマイ!惜しかったぜ!」と、慰めたりしていた。
学生の間ではシンタローはマジックの息子という肩書を抜きにしても人気があった。
彼の体から滲み出る何かが、他の人間を引き付けるのだろう。
本来親ならば、自分の息子が人気者で嬉しいはずなのだが、マジックは何処か苛立ちを感じていた。
私が一番最初にシンタローの素質を見抜いたのに。
それが嫉妬だという事も知っている。が、どうにもならない。
好きなのに思い通りにいかない。
親だから、血縁者だから、男だから、シンタローを傷つけたくないから。
だからこうやってふざけた形でしか愛を表現できない。
私が構うとシンタローは何かしらアクションを取ってくれる。
それだけでも良しとしなければならないのに。
「両者前へ!」
教官の声でマジックは今まで考えていた思考を停止させる。
とりあえず今私のするべき事は、この最新型のハンディカムでシンタローの可愛らしい顔と勇士を納める事なんだ!
気持ちを切り替えて、ハンディカムを構え、ズームインする。
どうやら戦闘訓練の様子ではなくシンタローだけを録りたいようだ。
シンちゃんは可愛いなァ~…。
おっと、いけない。鼻血が。
マジックは胸ポケットから、ピンクのレースのハンカチを取り出すと、鼻をそれで拭いた。
「始め!」
ドウン!!
教官の声と共にシンタローの手刀が相手の喉仏にクリーンヒットし、相手は膝をガクリ、とついた。
「勝者、シンタロー!」
教官がシンタローの名前をコールし、味方チームがワァ!と歓声を上げるその前に
「シンちゃんやったー!カッコイイ~!パパ痺れちゃったよ!!流石シンちゃん!!」
ハンディカムから顔を離して手放しで喜ぶマジックが。
そのせいで味方チーム達は、完全に出遅れた形となってしまった。
そして、ツカツカと又シンタローの元へ歩いてゆき、抱きしめる。
「さっすがシンちゃん!パパ、鼻が高いぞォ!!」
「やめんか!次が始まるんだよ!次がッッ!!」
ググ、と顔を離そうとするが、マジックも負けじとシンタローを抱きしめる。
まさか一勝ごとにこの調子で来るのかよ、このバカ親父は!
教官に助けを求めるが、どうにもならないらしい。
「パパとチュッチュッしよう!シンちゃん!!」
「ぎゃーーっ!や、やめろーっっ!!」
何とか振りほどくと、マジックは淋しいのかショボンとしてうなだれる。
チ、と、シンタローは舌打ちをした。
その顔には弱い。解ってやってる確信犯だとは解るが、ついつい甘やかしてしまう。
ゴホン、と、咳ばらいをしてから、シンタローはうなだれるマジックに話し掛けてやる。
「アンタはあの椅子に座ってろヨ!」
帰れ、と言わないのはシンタローの優しさから。
その言葉を聞いてマジックは満面の笑みで笑うと、ルンタッタ♪と元の位置に戻る。
そんなマジックの後ろ姿を見て、シンタローは溜息をつくのだった。
何度かの勝利を納めたシンタロー。
その度に仲間達からの声援に覆い被さるようにマジックの賛辞の言葉が聞こえる。
だが、先程シンタローに言われた通り椅子に座ってハンディカムで撮っている。
「次、前へ!」
教官の声が聞こえ、シンタローはすぐに向き直る。
次の相手は―…。
「ま、よろしゅう頼んます。」
クラスで1、2を争うアラシヤマだった。
炎の技を出されたら厄介だな、とシンタローは舌打ちをした。
だが、当たらなければ。まだ勝機は有ると踏んでいる。
「始め!」
教官の開始の合図と共に二人共素早く前に出て、ガキン!共に攻撃から始まった。
流石アラシヤマと言った所か。
他の学生とは一味違う。
だが。
「脇が甘いぜ!!」
シンタローの右足がアラシヤマの脇腹に入った。
「ぐっ!!」
苦しそうな声を出したが、蹴られた方向へ飛んだので、直撃は避けている。
ザザ、とアラシヤマの足元から砂埃が舞う。
アラシヤマが体制を整えるより先に、シンタローが攻撃を加えた。
パンチをアラシヤマの顔面に入れようとしたのだが、直線的な攻撃だった為、掠るだけで避けられる。
「甘もぅおすな!」
今度はアラシヤマがシンタローの腹部へアッパーを入れようとした。
「シンちゃん危ないッッ!!」
マジックがいきなり叫んだが、シンタローはアラシヤマの肩を借りて、そのまま空中で一回転し、無事着地した。
猫のようなしなやかな動きである。
しかし、アラシヤマもすぐにシンタローの足元にスライディングをする。
体制を崩したものの、片手で又回って、アラシヤマと少し距離を保つ。
「やるじゃねーか!」
「あんさんもな。」
その時、アラシヤマの腕から炎が燃え上がる。
特異体質だ。
シンタローも構える。
アレがクリーンヒットなんてしたら大火傷もいい所だ。
シンタローに緊張が走る。
マジックも手に汗とハンディカムを握り、シンタローの勇姿を撮り続ける。
シンちゃんガンバ!
マジックにしては珍しく心の中で応援をした。
「受けてみなはれ!平等院鳳凰堂極楽鳥の舞!!」
アラシヤマの全身から溢れる炎。
その炎が鳥の姿となり、シンタロー目掛けて飛んでくる。
掠るだけでも火傷は避けられない。
「チッ!」
シンタローは舌打ちをするとアラシヤマの方へ走りだす。
「アアッ!シンちゃん危ないよ!!」
既にマジックはのめり込んでしまっているようだ。
「潔いどすなシンタロー!!そのまま燃え尽きるとええどす!!」
炎が己の直前迄来た時、シンタローは空高く飛んだ。
アラシヤマも炎をシンタローに当てる為上を見上げる。
しかし、そこには
「クッ!眩し…!!」
そう。シンタローの後ろには太陽。
太陽の影に隠れてシンタローの姿が見えない処か、普段ヒキコモリな分だけ光に弱いアラシヤマは目が眩む。
アラシヤマが目が眩んでいる隙に
ガッ!!
アラシヤマの喉にシンタローの蹴りが入った。
気を失ったらしく、炎は消える。
「勝者シンタロー!」
教官の声にシンタローはフッ、と笑う。
「シンちゃん超カッコイイ!!流石シンちゃんサイコーだよ!」
マジックははしゃぎまくり、ズームインでシンタローの顔を取る。
この後もシンタローが次々と勝利を納めてゆき、シンタローのチームが勝ったのだった。
授業が終わり父兄さん達も帰ろうとした時、いきなりマジックが立ち上がり、本来教官が立つべき場所に立った。
生徒達はどよどよとざわめき、教官や父兄はマジックに向かって敬礼をする。
「今日は素晴らしかったと先に言っておこう。」
そうマジックに言われ生徒と教官はほ、と胸を撫で下ろす。
シンタローだけはこの男が何を言い出すのやらとドキドキしていた。
「特に~、シンちゃんがすーっごくカッコかわいかったので、今日はご褒美って事で、一週間外出許可を出します!親子水入らずで過ごすように!以上!」
「ふざけ…」
シンタローが反論しようとした時
「これは総帥命令だ。家に帰る宛のない者は仕方がない。少しの間羽を延ばしに外に出ても構わん。以上だ。」
そう言い放ち、シンタローをガッチリ捕まえ、暴れるシンタローを持ち上げる。「さー、シンちゃん。今日から一週間、ラブラブで過ごそうねー!」
にーっこり幸せそうに笑い、マジックはその場を後にした。
残された人々は、緊張の糸が抜け、ほ、と溜息をつく。
異常なまでに溺愛されているシンタローに多少なりとも憐れみも覚えて。
マジックの後ろ姿が段々小さくなっていく。
「いやだー!俺は寮に残るんだー!離せーッッ!!」
シンタローの叫び声だけが哀愁漂うグラウンドに兒玉した。
終わり。
外部とは一切接触を持たせず、隔離され、国を奪う知識、人を殺す技術、そして、服従をさせる為の冷徹な心を養う場所。
それゆえセキュリティも厳しく、鼠一匹たりとも入れないし、勿論入ったら最後、出てくる事もできない。
又、士官学生達の規律も厳しく、朝は5:00に起床。夜は20:00に就寝。
テレビやラジオといった外部からの情報も一切与えられず、学生達は規律の中卒業するまでそこで生きていく。
ガンマ団士官学校を含め、ガンマ団を仕切る立場にあるマジック総帥の一人息子シンタローも皆と同じく、この学び屋でそのような生活を送っていた。
そんな中。
「授業参観だぁ~!?」
プリントを配られ目を丸くするシンタロー。
勿論シンタローだけではなく、他の生徒も驚いている。
普段は静かな教室が、ガヤガヤと珍しく騒がしい。
「静かに!」
ピシャリ!と教官が声を荒げる。
途端に騒がしかった教室内がシーンと静まりかえった。
「この行事は一年に一度恒例で行われる。又、強制ではないので来る来ないはお前達の親の自由だ。」
来たくない親や、任務で来れない親もいるからな。と教官は付け足した。
配ったプリントと同じ物を生徒の親にも送ったらしい。
勿論複雑な顔をしている生徒も多い。
親がガンマ団に所属している人間ばかりではないのだ。
家族の為、己を犠牲にして入った人間もいれば、金の為、親に売られるように入れられた人間もいる。
そう考えればシンタローはまだマシかもしれないと思う。
ん?
待てよ。
と、ゆーことは…。
親父も来るって事か?!
シンタローの脳内では、金ピカのゴージャスな椅子に腰かけ、総帥服を身につけ、何故かお弁当箱を持ち、満面の笑顔で手を振っているマジックが想像できてしまった。
『シ~ンちゃ~ん!パパだよ~!ホラホラ、シンちゃんの為にお弁当。持ってきたよ~!』
ああああッッ!!不吉な想像ヤメーッッ!!
頭を抱えるシンタローだが、もしかしたら遠征とか長引いて来ないかもしれないと、思い直す。
プリントを見ると、どうやら1ヶ月後位先の話しではあるが、マジックは今月の頭から内乱を収める為に基地には居ない。
そういった情報だけはシンタローを含め学生達も知っている。
より軍に詳しくなる為、より軍に忠実になる為、ガンマ団の主だったニュースは伝えられるのだ。
半月ばかり過ぎた頃、やはりまだまだ内乱は終わらないらしい。
勿論シンタローとしてはマジックに無事で居てくれとは思うが、授業参観過ぎるまで帰ってきてほしくないと思う。
「シンタローさん。マジック様も来んだべか?」
黙っていれば男前のミヤギが休み時間に話し掛けて来たのだが、シンタローは曖昧な返事をした。
「ミヤギ君、まだ内乱が終わってないっちゃから、シンタローさんだって解らないっちゃよ。」
「それもそーだべな。」
ベストフレンドのトットリにそう言われ、ミヤギも苦笑いをして頭をかいた。
三人でしばし談笑をした。
とは言っても話題は授業参観の事だったが。
士官学校に入り寮での生活を余儀なくされている学生にとって、外部からの人間は新鮮なもので。
それを互いに解っているからこそ、久しぶりの軍以外の話題だからこそ、会話も弾む。
誰々の親はこの間階級が上がっただとか、あの人も来るのだろうか、とか久しぶりに人間らしい話をしたのかもしれない。
結局今日が授業参観日なのだが、内乱が終わったという報告はなかった。
シンタローは内心ホッとする。
学校じゃ勉強も運動も何でも出来るカッコイイ二枚目なシンタローさんで通っているのに、マジックが来たら全て台なしもいい所である。
第一、マジックが自分を目の前にして言う一人称は“パパ”なのだ。
まるで俺がマジックをそう呼んでいるよーじゃねーか、とシンタローは思う。
とにかくマジックが来なくて良かった。
来なければ、全軍の指揮を取る冷徹な総帥マジックが、実は息子にベタ甘で、すっっごく格好悪いということを知られずに済むのだ。
「授業を始める。」
授業参観の科目は体術だった。
武器を取られた時や、手元に武器が無い時、己の肉体こそを武器にしなければならない。
教官の掛け声がかかり、皆気を引き締めた。
チラ、と見渡すと、結構親達は来ているようで。
だが、全てガンマ団の軍人である。
何故なら、軍服は“G”とロゴの入った隊服で、胸には階級バッチと、所属部隊別のバッチがしてある。
一般人はまず居ないと言って確かだ。
そして、シンタローを見ている。
自分の息子より総帥の息子がどの程度なのか。
マジックと似ていない外見というのは既に周知に知れ渡っていて。
期待の視線より、卑下する視線であると知ってシンタローは舌打ちを一つした。
「シンちゃん!パパだよ~!!あ~間に合った~!!」
!!?
今、聞いてはいけないものを聞いた気がする。
そこに居ないはずの人物。寧ろ、居てはいけない人物。
ギギギ…。
硬直してしまった首を無理矢理、だが、のろのろと声のする方へ向けた。
そこには、金ピカのゴージャス椅子に腰かけ、バスケットを持ち、まんまシンタローの想像していたマジックが。
クラスメートもかなりガチガチだが、父兄さん達も緊張の面持ちで、しかも教官までもビシッ!とマジックに向かって敬礼をしている。
「な、ななななんで…」
口をぱくぱく鯉みたいに動かし、それを言うだけでシンタローは精一杯だった。
まるで幽霊を見たかのように驚愕の表情を浮かべる。
「ふふふ♪シンちゃん、驚いたでしょ?パパ、シンちゃんのお勉強ぶりが見たくって急いで片付けてきたんだよ~νあ、ちゃ~んとシンちゃんの分のお弁当。作って来たからねーν」
“急いで片付けて”
それが殺しの事だとは解る。
側にいた父兄の方々の数名は、ビクリと体を震わせていた。
ただ、教官や、上層部と思われる父兄達は、流石というべきか、表情を崩さず平然な態度をしていた。
「か、帰れ帰れ!オメー来ると邪魔なんだよッッ!」
「んもう!シンちゃんったら嘘ばーっか!パパの事だーい好きな癖に!」
「そーゆー嘘付くなよな!早く家に帰れ!来るナ!」
「ひどッッ!嘘じゃないでしょ!?」
そう言うと、椅子から立ち上がり、シンタローの側まで後ろに手を組み歩いてくる。
ザ、ザ、と、足音がして、シンタローの目の前まで来るとシンタローを見下ろした。
「な、なんだよ…」
少ししか引けないのはこれから授業だから。
隊列を乱していけない。これは軍人の基本中の基本。
マジックはニコッと笑うと両腕を広げ、ガバリとシンタローに抱き着いた。
「ヒッ!!」
シンタローは声にならない声をあげる。
「すごーい!シンちゃん!今の顔、すっごい可愛い!!素晴らしく可愛いヨ!!今からビデオ取るからもう一回その顔パパの為にしてよー!!」
ぐりんぐりんとシンタローの頬をスリスリする。
シンタローは鳥肌が立ったがマジックは止めようとはしない。
そして、頬にキスをしようとした瞬間。
バキッ!!
シンタローの拳がマジックの左頬に当たった。
ああ、俺の今まで培ってきたイメージが台なし!!あのアーパー親父のせいで!全部台なし!!
シンタローは泣きたくなった。
怒りとか悲しみではなく、マジックに対する苛立ちで。
なんで普通にできないのか。
アンタはいい。アンタは。でも、俺が…俺がファザコンだと思われるじゃねーかぁぁあ!
「ど、どうしたのシンちゃん!!何時もパパとお家でチュッチュしてるでしょ!?」
「勝手に思い出捏造すんじゃねーヨ!!」
かなり驚いたように演技するマジックに、シンタローは涙とヨダレを垂らしながら訴える。
「授業時間終わっちまうじゃねーか!親父のせいだぞ!」
「おお、そうだった!」
マジックは、掌をポン、と叩くと素直に又椅子に座る。
シンタローがムッと頬を膨らませてから教官の方へ向き直った途端、片肘をひじ掛けにかけ、頬を載せ、冷徹な笑顔で士官学生達を見遣るのだった。
まったく、と、シンタローは思う。
鼻でふん、と息を出してからシンタローは教官を見遣った。
体術の授業という事で、皆動きやすい恰好、つまりジャージを着ている。
二つの班に別れ勝ち抜き戦となり、負けた班は腹筋500回の罰ゲームが待っているので、皆何としても勝ちたい所。
武器を使用しない限り何をしても良いが、このグラウンド内で行うものとする。
勿論人体の急所と呼べる場所の攻撃も可能だ。
今から行う体術の実地訓練はスポーツなんかじゃない。
確実に敵を殺す為の訓練の一貫なのだから。
シンタローの順番は大体真ん中位。
「先頭、両者前へ!!」
教官が腕を上げると、ニ列に別れたうちの先頭者が前へ出る。
「始め!!」
掛け声と共に肉弾戦が始まったのだった。
同じ訓練をしていても、攻撃パターンは人によって違う。
しかも負ける訳にはいかない理由がもう一つあった。
それはマジックが来ているという事。
味方だろうと容赦なく、弱い人間は捨てゆく彼の精神を知っているゆえ、ヘマをしたらどうなるか解らない。
そんな緊張感の中、それでも勝負は決まる。
いよいよシンタローの番になった。
シンタローはパチン!と気合いを入れる為、両手で己の頬を叩き気を引き締める。
「シーンちゃーん!!頑張れー!!」
シンタローはコケた。
せっかく気合いを入れたのに、マジックの間の抜けた声援のせいで掻き乱されてしまった。
マジックは相変わらず笑顔でブンブン手をシンタローに向けて振る。
パパはここだよ!と、主張せんばかりに。
あンの野郎~…!
怒りと恥ずかしさでマジックをチラと見ると、気付いてくれた!と言わんばかりに手を振る勢いが激しくなる。
どーして普通にできねーの!?
隣に居る、といっても少し間が離れているが、誰かの父兄さんも、やはり少しマジックが気になるらしい。
そして、父兄さん達に話し掛けているので、父兄達は自分の息子そっちのけで話を聞いている。
シンタローの方からは何を言っているのか解らない。
読唇術はまだ習っていないから。
シンタローはどーせくだらねー話しでもしてんダロ、と思い、敵チームの方を向いた。
「シンタローはカワイイだろう?」
ふふふ、と、鼻血を垂らしながら息子のぬいぐるみに頬を擦り寄せる総帥に、流石の父兄達も引いた。
「昔からパパ、パパって私の後を着いてくるパパっ子でねぇー。」
昔からって、今じゃアンタがシンちゃんシンちゃんってシンタローの後をついていってんじゃないか。
と、父兄さん達は心の中でツッコミをした。
そんな事を知ってか知らずか、マジックは話を止めて士官生達の方を向く。
寧ろ、シンタローを見ている。
シンタローは勝ってきた奴には「スゲーじゃん!次も勝てよ!!」と、エールを送り、負けた奴には「ドンマイ!惜しかったぜ!」と、慰めたりしていた。
学生の間ではシンタローはマジックの息子という肩書を抜きにしても人気があった。
彼の体から滲み出る何かが、他の人間を引き付けるのだろう。
本来親ならば、自分の息子が人気者で嬉しいはずなのだが、マジックは何処か苛立ちを感じていた。
私が一番最初にシンタローの素質を見抜いたのに。
それが嫉妬だという事も知っている。が、どうにもならない。
好きなのに思い通りにいかない。
親だから、血縁者だから、男だから、シンタローを傷つけたくないから。
だからこうやってふざけた形でしか愛を表現できない。
私が構うとシンタローは何かしらアクションを取ってくれる。
それだけでも良しとしなければならないのに。
「両者前へ!」
教官の声でマジックは今まで考えていた思考を停止させる。
とりあえず今私のするべき事は、この最新型のハンディカムでシンタローの可愛らしい顔と勇士を納める事なんだ!
気持ちを切り替えて、ハンディカムを構え、ズームインする。
どうやら戦闘訓練の様子ではなくシンタローだけを録りたいようだ。
シンちゃんは可愛いなァ~…。
おっと、いけない。鼻血が。
マジックは胸ポケットから、ピンクのレースのハンカチを取り出すと、鼻をそれで拭いた。
「始め!」
ドウン!!
教官の声と共にシンタローの手刀が相手の喉仏にクリーンヒットし、相手は膝をガクリ、とついた。
「勝者、シンタロー!」
教官がシンタローの名前をコールし、味方チームがワァ!と歓声を上げるその前に
「シンちゃんやったー!カッコイイ~!パパ痺れちゃったよ!!流石シンちゃん!!」
ハンディカムから顔を離して手放しで喜ぶマジックが。
そのせいで味方チーム達は、完全に出遅れた形となってしまった。
そして、ツカツカと又シンタローの元へ歩いてゆき、抱きしめる。
「さっすがシンちゃん!パパ、鼻が高いぞォ!!」
「やめんか!次が始まるんだよ!次がッッ!!」
ググ、と顔を離そうとするが、マジックも負けじとシンタローを抱きしめる。
まさか一勝ごとにこの調子で来るのかよ、このバカ親父は!
教官に助けを求めるが、どうにもならないらしい。
「パパとチュッチュッしよう!シンちゃん!!」
「ぎゃーーっ!や、やめろーっっ!!」
何とか振りほどくと、マジックは淋しいのかショボンとしてうなだれる。
チ、と、シンタローは舌打ちをした。
その顔には弱い。解ってやってる確信犯だとは解るが、ついつい甘やかしてしまう。
ゴホン、と、咳ばらいをしてから、シンタローはうなだれるマジックに話し掛けてやる。
「アンタはあの椅子に座ってろヨ!」
帰れ、と言わないのはシンタローの優しさから。
その言葉を聞いてマジックは満面の笑みで笑うと、ルンタッタ♪と元の位置に戻る。
そんなマジックの後ろ姿を見て、シンタローは溜息をつくのだった。
何度かの勝利を納めたシンタロー。
その度に仲間達からの声援に覆い被さるようにマジックの賛辞の言葉が聞こえる。
だが、先程シンタローに言われた通り椅子に座ってハンディカムで撮っている。
「次、前へ!」
教官の声が聞こえ、シンタローはすぐに向き直る。
次の相手は―…。
「ま、よろしゅう頼んます。」
クラスで1、2を争うアラシヤマだった。
炎の技を出されたら厄介だな、とシンタローは舌打ちをした。
だが、当たらなければ。まだ勝機は有ると踏んでいる。
「始め!」
教官の開始の合図と共に二人共素早く前に出て、ガキン!共に攻撃から始まった。
流石アラシヤマと言った所か。
他の学生とは一味違う。
だが。
「脇が甘いぜ!!」
シンタローの右足がアラシヤマの脇腹に入った。
「ぐっ!!」
苦しそうな声を出したが、蹴られた方向へ飛んだので、直撃は避けている。
ザザ、とアラシヤマの足元から砂埃が舞う。
アラシヤマが体制を整えるより先に、シンタローが攻撃を加えた。
パンチをアラシヤマの顔面に入れようとしたのだが、直線的な攻撃だった為、掠るだけで避けられる。
「甘もぅおすな!」
今度はアラシヤマがシンタローの腹部へアッパーを入れようとした。
「シンちゃん危ないッッ!!」
マジックがいきなり叫んだが、シンタローはアラシヤマの肩を借りて、そのまま空中で一回転し、無事着地した。
猫のようなしなやかな動きである。
しかし、アラシヤマもすぐにシンタローの足元にスライディングをする。
体制を崩したものの、片手で又回って、アラシヤマと少し距離を保つ。
「やるじゃねーか!」
「あんさんもな。」
その時、アラシヤマの腕から炎が燃え上がる。
特異体質だ。
シンタローも構える。
アレがクリーンヒットなんてしたら大火傷もいい所だ。
シンタローに緊張が走る。
マジックも手に汗とハンディカムを握り、シンタローの勇姿を撮り続ける。
シンちゃんガンバ!
マジックにしては珍しく心の中で応援をした。
「受けてみなはれ!平等院鳳凰堂極楽鳥の舞!!」
アラシヤマの全身から溢れる炎。
その炎が鳥の姿となり、シンタロー目掛けて飛んでくる。
掠るだけでも火傷は避けられない。
「チッ!」
シンタローは舌打ちをするとアラシヤマの方へ走りだす。
「アアッ!シンちゃん危ないよ!!」
既にマジックはのめり込んでしまっているようだ。
「潔いどすなシンタロー!!そのまま燃え尽きるとええどす!!」
炎が己の直前迄来た時、シンタローは空高く飛んだ。
アラシヤマも炎をシンタローに当てる為上を見上げる。
しかし、そこには
「クッ!眩し…!!」
そう。シンタローの後ろには太陽。
太陽の影に隠れてシンタローの姿が見えない処か、普段ヒキコモリな分だけ光に弱いアラシヤマは目が眩む。
アラシヤマが目が眩んでいる隙に
ガッ!!
アラシヤマの喉にシンタローの蹴りが入った。
気を失ったらしく、炎は消える。
「勝者シンタロー!」
教官の声にシンタローはフッ、と笑う。
「シンちゃん超カッコイイ!!流石シンちゃんサイコーだよ!」
マジックははしゃぎまくり、ズームインでシンタローの顔を取る。
この後もシンタローが次々と勝利を納めてゆき、シンタローのチームが勝ったのだった。
授業が終わり父兄さん達も帰ろうとした時、いきなりマジックが立ち上がり、本来教官が立つべき場所に立った。
生徒達はどよどよとざわめき、教官や父兄はマジックに向かって敬礼をする。
「今日は素晴らしかったと先に言っておこう。」
そうマジックに言われ生徒と教官はほ、と胸を撫で下ろす。
シンタローだけはこの男が何を言い出すのやらとドキドキしていた。
「特に~、シンちゃんがすーっごくカッコかわいかったので、今日はご褒美って事で、一週間外出許可を出します!親子水入らずで過ごすように!以上!」
「ふざけ…」
シンタローが反論しようとした時
「これは総帥命令だ。家に帰る宛のない者は仕方がない。少しの間羽を延ばしに外に出ても構わん。以上だ。」
そう言い放ち、シンタローをガッチリ捕まえ、暴れるシンタローを持ち上げる。「さー、シンちゃん。今日から一週間、ラブラブで過ごそうねー!」
にーっこり幸せそうに笑い、マジックはその場を後にした。
残された人々は、緊張の糸が抜け、ほ、と溜息をつく。
異常なまでに溺愛されているシンタローに多少なりとも憐れみも覚えて。
マジックの後ろ姿が段々小さくなっていく。
「いやだー!俺は寮に残るんだー!離せーッッ!!」
シンタローの叫び声だけが哀愁漂うグラウンドに兒玉した。
終わり。