ジャングルの闇は深い。暗い中、辺り一面から動物のものと思われる奇怪な叫び声のような物音や、風か潜んでいる獣か分からないが木の葉がガサガサと揺らされる音が聞こえる。そのような慣れない環境の中で歩哨に立っている若者は、緊張感と連日続く過酷な訓練からくる疲労のあまり今にも気絶しそうであった。
じっと闇に目を凝らすが、何も見えない。
ふと、緊張感が緩み彼は浅くため息をついたが、その瞬間、首に激痛が走った。一瞬のことで彼には何が起こったか判らなかったが、首の急所をナイフの背で強打されたのである。
襲撃者は崩れ落ちて気を失っている彼の姿を何の感情も交えない冷静な目つきで見下ろすと、襟首を掴んで引き摺りながら闇の中に消えた。
「全員起床!完全装備で5分以内に訓練場に集合しろ」
時刻は午前2時であり、疲れきっている中、睡眠を中断された訓練生達はもはや条件反射のように黙々と装備品を身につけていた。
「あと2分」
暗闇の中、短い呻き声が聞こえ、ドサッと地面に重いものが倒れる音がした。どうやらモタモタしていた者が背後から教官に足蹴りを食らわされて地面に倒れ伏したようである。
訓練生達がやっとの思いで訓練場に集合すると、そこには歩哨についていたはずの仲間が縛られて転がっており、そして、その傍には教官であるアラシヤマが抜き身のナイフを手にして立っていた。アラシヤマは、気絶している歩哨を縛っているロープを切ると、彼の横腹を蹴りあげ覚醒させた。
「遅い。おまえらは今から全員が捕虜だ」
そう言うと、整列している彼らに、パンツ一枚残して着ているものを全て脱ぐように指示した。
暑い地域とはいえ、夜と昼の温度差は激しく夜は寒かった。思わず訓練生達が躊躇してお互いの顔を見合すと、アラシヤマは無表情で手近にあったバケツの水を全員にかけ、再度服を脱ぐよう命令した。そして、
「今から午後4時までジャングルで過ごせ。訓練基地付近には近寄るな」
と、寒さで震えている訓練生達をジャングルに追放し、姿を消した。
「なんで、俺たちがこんな目に遭わなきゃなんねーんだよ!」
ジャングルの中、追放された訓練生達が寒さのあまり一箇所に寄り集まってお互いの体温で暖をとっていると、誰かが泣きながらそう言った。皆、泣きそうになりながら黙っていたが、内心は同じ思いであった。実戦を体験して芽生えかけていた自信のようなものが今回の訓練で風船の空気が抜けるように一気にしぼんでしまった。
腕時計も何も持たせてもらえなかったので太陽の高さでおおよそ時間の見当をつけ、憔悴しきった訓練生達がビクビクしながら訓練場に戻ると、そこにはアラシヤマの姿は見当たらず、総帥であるシンタローが待って居た。
「今からアラシヤマ教官に替わって、俺が指揮を執る」
そう言うとシンタローは訓練生達に焚き火の傍に来るように促し、服と装備を彼らに返した。
「ホラ、食え」
シンタローが服を着終わった一人ひとりに無造作に熱いスープを手渡すと、中には泣き出す訓練生もいた。
シンタローは彼らが食べ終わるまで黙っていたが、彼らがどうやら人心地がついた様子になったのを見ると口を開き、
「・・・まだまだ訓練は続くが、帰りたい奴は俺と一緒にガンマ団に戻ってもかまわねぇ。俺が許可する。そうしたい奴は、腕章を俺に渡せ」
とぶっきらぼうに言った。数人がためらいがちに立ち上がり前に出てシンタローに腕章を渡すと、
「他には誰もいねぇのか?」
と、シンタローは全員を見渡し、確認するように聞いた。
誰も前に出てこなかったのを見届けると、シンタローは立ち上がり、突然、
「―――以上で訓練は終了だッツ!今から全員ガンマ団に帰還する。訓練時の班に分かれてすぐにBポイントに向かって出発しろ」
と言った。訓練生達は俄かには信じ難いようであったが、誰もが喜びの色を隠しきれない様子であった。
彼らの出発を見送ったシンタローはその場に留まっていたが、溜息を吐いて鍋を持ち上げると、
「―――片付けるゾ。手伝え」
誰もいないはずの方向に向かってそう声をかけた。すると、
「もちろんどすえ~」
何処からか、アラシヤマが現れた。
指揮官用の少し大き目のテントの中で2人は簡易机を間に挟んでそれぞれ椅子に座っていた。シンタローは、アラシヤマがつけた訓練生のデータや訓練記録に目を通している。アラシヤマはというと、何か書類に記入していた。
アラシヤマはふとペンを置くと立ち上がり、ランプに灯を入れた。
「そろそろ、暗うなってきましたナ」
シンタローは紙面から目を上げ、アラシヤマを見ると、
「こいつ等、俺に腕章を渡した奴らダロ?不適格ってお前は判断したのか?」
と聞いた。
「そうどす。指揮官には向いてまへんナ。これから先、どこから綻びが出たものかわかりまへんし、リスクは少ない方がええんどす」
そうアラシヤマはキッパリと断言した。シンタローは、特に異論を差し挟むわけではなかったが、もう一度紙面に目を落とし何やら考え込んでいる様子であった。
しばらくするとアラシヤマはただ事実を述べるように淡々と
「・・・わては、わてのやり方が厳しすぎるという批判があることは、わかっています」
と言った。シンタローは手に持っていた資料を机に置いた。
「―――“自分に打ち勝つ”。これができねー奴は、戦場で絶対生き残れねぇナ。俺は、オマエのやり方を否定はしたくねぇ」
その言葉を聞いたアラシヤマは、目を見開いたままシンタローを凝視した。
「・・・何だヨ?その間抜け面は」
「いや、すんまへん」
そう言うと、ぎこちなくシンタローから目を逸らした。
場の雰囲気になんとなく居心地が悪くなったシンタローは、(この俺がどうしてこんなヤツに気を遣わなきゃなんねーんだ!?)と理不尽に思いながら、それでも話題を探してみた末、少しひっかかっていたことを聞いてみた。
「そういや、何でわざわざ訓練生をパンツ一丁にしてたんダヨ?まさかお前・・・」
「ちっ、違いますえ~!濡れ衣どすッツ!あれは、体力の消耗が激しいのと精神的ダメージが大きそうやからああしただけで、あんな連中の裸見ても何にも面白うないどすわ。どーせなら、女の裸の方が」
「だよナ」
「・・・あんさん、わてに何言わしますんや。わて、純情派なんどすえ?」
机に突っ伏したアラシヤマは力なくそうボヤいたが、シンタローはそれを無視し、
「そろそろ、飯にすっか」
スープの残りを温めようと立ちあがった。
「スープ、作りすぎちまったかな」
外で焚き火を囲みながら携帯食とシンタローが作ったスープの残りで食事を取っていると、
「あんさん、料理が上手どすな。何が違うのかわてにはわかりまへんが、買うたもんとは全然違いますわ」
とアラシヤマがポツリと言った。
「・・・オマエ、何でわざわざ俺に最後の役を振ったんだヨ?オマエがやりゃあよかったじゃねーか」
アラシヤマは炎の照り返しが映るシンタローの顔を眺め、
「そら、わてよりもシンタローはんの方が効果絶大どすさかい。第一、わてあーいうの似合うてまへんやろ?」
おどけたように言い、笑顔のつもりなのか口角を上げた。
(コイツ、笑うのに慣れてねーのかな)
そう思ってシンタローがアラシヤマを見ていると、アラシヤマは真面目な顔と口調で
「シンタローはん。あんさん、やっぱり優しゅうおますな」
と言った。それを聞いたシンタローは、眉間に皺を寄せた。
ガンマ団に戻ってから、シンタローはイライラしていた。何故かと言えば、指揮官候補生の教育訓練以来、暇さえあればアラシヤマが、
「シンタローはーんッツ!こ、これ読んでおくれやすぅ~vvv」
と言って何やらハートのシールで封のされたファンシーな封筒を押し付けてきたり、自分の行く先々にどういうわけか出没する頻度が以前よりも多くなったような気がしたからである。相手にせず無視していると、カメラ片手にこっそり木の陰などから盗撮しようとしていたりする姿が目に付き、余計にムカついた。
そして、ことあるごとにアラシヤマが口にするある言葉が気に障ったので、ある日シンタローはアラシヤマを総帥室に呼び出した。
「仕事以外で、シンタローはんからお誘いがあるやなんて、う、嬉しおますえ~vvv」
アラシヤマは非常に嬉しそうであったが、シンタローはとても不機嫌であった。
「テメェ、何で呼び出されたか、胸に手ぇ当ててよーッく考えてみろッツ!!」
「えっ?わて、心当たりがまったくおまへんが」
アラシヤマは数分考え込むと、何かに思い当たったようで、ポンと手を叩いた。
「わかりましたえー!」
「言ってみろ」
総帥机に頬杖をついたシンタローがそう促すと、
「あんさん、今まで照れてはったんどすな! “もっと2人きりの時間をつくりたい”これでっしゃろ!!心友のわてに今まで言い出せへんかったやなんて、みずくそうおま」
「眼魔砲ッツ!!」
ドウッツと音がし、まともに正面から眼魔砲をくらったアラシヤマは吹き飛ばされ、部屋は半壊状態となった。
しばらくすると、アラシヤマはどうにか立ち直ったらしい。
「あの、痛うおますが、違いましたん??でもまぁ、わてはいつでもあんさんをバーニング・ラブvどすさかいに!」
「ぜんぜん違うッツ!!!てめぇ、本気でわかんねーのかヨ・・・。それと、もう一つ!!」
「なんどすか?」
「オマエ、いつも“バーニング・ラブ”って言うけどラブは間違ってるダロ!!てめぇなんざ友達じゃねーけど、百歩譲って友達だったら“like”とかじゃねぇの!?」
「・・・バーニング・ライク?えらい語呂が悪うおますナ」
「そういう問題じゃねぇッツ!」
アラシヤマは数秒考えた末、
「いや、語呂とか関係なく、わてにとってはラブの方ががしっくりくるんどす。だから、ラブでええんどす」
そうキッパリと言い切ったアラシヤマは、本気でそう思っているようであった。
(コイツの根拠のない自信は、一体どこからきやがんだ?ムカツク)
シンタローは、アラシヤマと話していると自分ばかりが非常に疲れる気がした。しかし、どうにかしてアラシヤマに意趣返しをしてやろうと思い、アラシヤマをからかうつもりで、
「オマエ、全然俺の好みじゃねーけど!」
と前置きし、
「俺を抱きたいとか抱かれたいとかそーいうつもりがあんのかヨ?―――考えてやってもいいゼ?」
そう言ってアラシヤマを上目遣いに見ると、アラシヤマは、拾い集めていた書類の束をバサッと床に落とし、どうやら思考停止状態に陥ったようであった。
「シシシシシシシンタローはんッツ、今何て!?!?」
しばらくして我に返ったようではあるが、思いっきり動揺しているアラシヤマを見てシンタローは大笑いし、
「バーカ!冗談だ。んなワケねーだろ!」
と言うと、アラシヤマは非常に疲れた顔で、
「し、心臓に悪い冗談はやめておくんなはれ。とにかく、今までシンタローはんにバーニングラブやいうのでせいいっぱいどしたわ・・・。わて、純情派やさかい」
そう言ってどうにか拾い集めた書類を総帥机の上に置くと、アラシヤマはヨロヨロとしながらも、
「ほな、失礼します」
それでも律儀に挨拶をし、帰っていった。シンタローは、鳩が豆鉄砲をくらったような間抜けなアラシヤマの顔を思い出し、久々にスッキリとした気分であった。
「び、吃驚したわ・・・」
総帥室のドアを開け、外に出たアラシヤマはズルズルと扉にもたれてその場に座り込んだ。
「―――考えてやってもいい、か・・・」
(まぁ、シンタローはんは何の気もなしに言うた冗談やろけどナ。昔は、何度かシンタローを犯したい思うたこともないわけやおまへんけど、今は、)
「・・・今は、とりあえずこのままでええんどす」
自分に言い聞かせるようにアラシヤマはそう呟いた。
(シンタローはんは、何やかんや言いつつわてを認めてくれてはる。あの頃とは、違う)
様々な思いが脳裏をよぎったが、無理矢理それを断ち切り、息を吐くとアラシヤマは立ち上がった。
「あんまり、わてを挑発せんといておくんなはれ」
疲れたような口調でそう言うと、歩き出した。
ふと気がつけば、シンタローはここ最近アラシヤマの姿を見かけていなかった。
(アイツ、別に今遠征の予定も入ってねぇし、めずらしいナ)
そう思った後、
(なんで俺があんな奴のことなんか1ミリたりとも考えなきゃなんねーんだ!?むしろ、いなくてせいせいするし!)
シンタローは自分に腹を立て、そして一気に不機嫌になった。読んでいた書類を脇に押しやると、
(気分転換にコーヒーでも入れるか)
と椅子から立ち上がった。
扉をノックする音が聞こえたので、シンタローが扉を開けると、
「おはよう、シンちゃん。パパだヨv」
マジックが立っていた。マジックは部屋に入ってくるなりシンタローを抱きしめようとしたが、シンタローはそれをかわした。マジックは少々残念そうな様子であったが、気を取り直したように
「シンちゃーん、さっきCMを観たんだけど、パパ重大なことに気づいたヨ!」
と言った。
「あ゛ぁ?」
「そのCMってのがね、“最近、息子と一緒にお風呂に入っていない。身長も体重も知らない”って!」
「あっそ」
「シンちゃんッツ!パパもずっとシンちゃんと一緒におフロに入ってないんだヨ!?これは、親子のコミュニケーション不足という由々しき事態だッ!!!だから、今夜はお風呂に入って一緒に寝ようネvvv」
嬉しそうにそう言うマジックを、シンタローは冷たく見返し、
「グンマと一緒に入れば?アイツも息子ダロ?」
と言った。
「・・・シンちゃん、可愛いけど可愛くないネ。グンちゃんは、午前中にキンちゃんと新発明のロボットを見せにきてくれたヨ。シンちゃんはパパの所に全然遊びに来てくれないから、パパ寂しいんだもーん」
「ウゼェ!眼魔・・・って、何しやがんだ!?テメェッツ」
マジックはいきなりシンタローを抱き上げると、シンタローを抱えたままソファに座った。
「離せッツ!!!」
アラシヤマは、それほど急ぎの用事ではなかったが書類を持って総帥室を訪れた。
(なんや、数日会わへんかっただけやのに久々な気がしますナ・・・。アレ?ドアが少し開いてますやん)
何の気なしにアラシヤマがドアノブに手を掛けると、中からマジックの楽しげな声が聞こえてきた。
(あの親馬鹿親父、性懲りもなくまた来てたんか・・・。どうやら出直した方がよさそうどすナ)
ドアノブから手を離そうとしたが、マジックの言葉が耳に入り、アラシヤマは固まった。
「シンちゃんがそんなにパパとお風呂に入るのが嫌だったら、今ここで脱がせて確かめちゃおうかな♪」
「親父ッツ!悪フザケはヤメロよッツ!」
シンタローの必死で抵抗する声が聞こえ、アラシヤマが(なんか、わて、覗きをしている間男みたいどすナ・・・)と思いながらドアの隙間から部屋の内部を見ていると、マジックは暴れるシンタローを押さえつけ総帥服のボタンを外し始めた。
「全部服を脱がないと正確な身長体重は計れないからね」
「って、そんなものここには置いてねぇし!!!」
「もちろん、そんなことは知ってるヨv」
そう言うと、シンタローの顎を持ち上げ、キスをした。
「何すんだヨ!?」
上着を半分脱がされた状態で、顔を紅くして泣きそうになっているシンタローの頭を片手で自分の肩口に抱き寄せると、マジックはアラシヤマの方をみて勝ち誇ったように哂った。
(―――アレは、明らかにわてが見ているのを知ってての嫌がらせどすな。あの親父・・・!シンタローはんもシンタローはんどすえ!嫌やったら何でもっと抵抗しまへんのや?・・・ほんまは嫌やないんか!?)
何故か非常に腹立たしさが収まらないながらも、
(ここでわてが入っていくわけにもいきまへんな)
それでもまだ分別が残っていたらしく、ドアから離れるとアラシヤマは姿を消した。それをマジックは確認し、(シンちゃん、すっかりおとなしくなっちゃったねぇ。ちょっとやりすぎたか?でもまぁ煩い邪魔者はいなくなったし、いいか☆)と思いつつ、
「シンちゃん、パパと一緒にお風呂に入ってくれる気になったカナ??」
シンタローの顔を覗きこんで明るくそう聞くと、シンタローは、腕の力が緩んだ一瞬の隙にマジックを突き放して立ち上がり、
「・・・死ねッツ!眼魔砲―――ッツ!!」
最大級の眼魔砲を放った。部屋は、壊滅状態となった。
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特戦部隊が、ガンマ団に立ち寄りしばらく逗留していた時のことである。マーカーが廊下を歩いていると、向こうからシンタローが歩いてきた。彼は、マーカーを見ると驚いたように目を丸くした。 マーカーが軽く目礼をし、そのまま通り過ぎようとすると、不意に、 「ちょっと待て」 と、呼び止められた。マーカーが足を止め、振り返ると、 「アンタ、もう昼飯食ったか?もしよかったら何か作るから食ってかねェか?」 と言われ、それはマーカーの予想の範疇外のことであったので、一瞬、彼はなんと答えていいものやら分からなかった。 マーカーの返事が無かったので、シンタローは慌てた様に、 「別に、無理にとは言わねェし。今のは忘れてくれ」 と言った。 マーカーは、 「ちょっと驚いただけです。・・・よろしいのですか?それでは、お相伴に預かりますよ」 と答えた。 シンタローに部屋に通され、「手伝わなくていい」と言われたので、マーカーは食卓に付き待っていた。しばらくすると、シンタローはお盆を手に持ち戻ってきた。 シンタローは料理を並べると、マーカーの向かいに座った。料理は、チャーハンと、中華風スープ、サラダ、そして何故か“肉ジャガ”であった。 マーカーが、料理を食べていると、視線を感じたのでシンタローの方を見ると、シンタローはこちらをじっと見ていた。 「何ですか?」 不審に思ったマーカーがそう訊くと、シンタローは、 「あっ、悪ィ。ちょっと、聞きてーんだけど。その肉ジャガ、どうだ?」 マーカーはどう答えるべきかと思ったが、正直に思ったままを言うことにした。 「―――はっきり言わせていただきますと、不味いです。他の料理は美味しいと思いますが」 そう言われてもシンタローは特に気を悪くした様子も無く、 「アンタ、味オンチじゃねーんだな。そうなると、やっぱりアイツ、元々味覚がおかしーのかな?」 と、呟き、何やら考え込んでいた。 「“アイツ”とは、アラシヤマのことですか?」 マーカーがそう聞くと、シンタローはギョッとしたように、 「えっ!?何で分かんだヨ!!」 と言い、しまったという表情をした。その様子が子どもっぽく可愛かったので、マーカーは少々からかいたくなり、 「痴話喧嘩は、犬も喰わないと言いますが?」 と言うと、シンタローは、ムッとしたように、マーカーを睨みつけ、 「痴話喧嘩って何だよッツ!?んなこと、ぜってー有り得ねェし!」 そう言った。 「あの馬鹿弟子は、一応、美味い不味いは分かるみたいですよ?」 「なら、何で、昨日不味い飯を食わせたのに、美味いって言って食べるんだ?別に気を使われても全然嬉しかねーのに」 シンタローはどうやら不貞腐れた様子である。マーカーは溜息を吐き、 「・・・こんなことを言うのは本来私の主義に反しますが。やっぱり、貴方が好きだからじゃないでしょうか」 シンタローは眉間に皺を寄せ、しばらく考えた末、 「―――アンタって、嫌な奴だな」 と言った。 「よく言われますよ」 マーカーが片頬を上げて笑うと、シンタローは言葉に詰まった。 「・・・ったく。ヤツが『お師匠はんは、“飛行機と机以外に食べられないものは無い”って言ってましたえ~』って言ってたから、アンタがどんな味オンチかと思ったのに」 「私は美食家ではありませんが、味オンチでもありませんよ?“飛行機と机以外~”は、中国の格言です」 マーカーは、 「ご馳走様でした」と言って立ち上がると、 「あの馬鹿弟子は趣味の悪い味オンチですが、唯一、貴方を選んだところだけは趣味が良いと誉めてやってもいいと思います。あと、“肉ジャガ”以外は、本当に美味しかったですよ」 「それでは」と言うとマーカーは一礼をし、部屋から出て行った。 シンタローは、苦虫を噛み潰したような顔をし、 「なんつーか、やっぱし師弟だナ」 と言った。
見据える道
アオザワシンたろー
「ガンマ団の無い人生なんて、ピンと来ねぇよ」
聞こえてしまった台詞。
まるで世間話のように軽い口調で、あの人はそう言った。
具合が悪いというチャッピーを残して、リキッドは栄養のあるものを取りに、一方でパプワが薬を調達に出かけていたのだが、こんなに早く戻ってくるとは秘石も思っていなかったのだと思う。
食料を入れた袋をそっとドア越しに置いて、リキッドは裏手へ回り込んだ。
窓から聞こえるのは、シンタローと秘石の声だった。
もしかするとチャッピーの具合は、秘石が話をするための仮病だったのかもしれない。聞かれたくない話なんだろう。だがガンマ団のことなら、俺にだってまったく無関係ってわけじゃないと、リキッドはそっと聞き耳をたてた。
「俺はなぁ、こーんなガキの頃から、世界をやるって言われて育ったんだぞ。アイツはその為にいろいろやってたんだし…意味わかんねぇなりに、それが当然だって思ってた」
ガンマ団の在籍期間の短いリキッドにも、シンタローのいうアイツというのが、マジック前総帥のことだということはすぐにわかった。
(そんなこと息子に吹き込んで育てたのかあのオヤジ!…おかげであんなオレサマ体質に…ッ)
日々虐げられている赤の番人は、一人涙を流してハンカチを噛み締める。
「おい、石。お前だって、ソレ見てたんじゃねぇか」
青の玉は総帥一族の秘宝として代々受け継がれてきたものだ。ほんの数年前までは、総帥室の台座に飾られていたのだから、シンタローの言うことはもっともである。
『興味無かったから長いこと寝てたな~』
「カチ割るぞオメー」
なんだか漫才のようなやりとりに聞こえるが、どっちの台詞もその意味するところを考えると実際は恐ろしい。
「オメーに言われるまでもなく、俺は団に戻るつもりだ。もうすぐ迎えも来るだろうしナ」
あっさりと告げられる内容に、心臓がどきりとした。もともと今ここにシンタローが居ること自体が予定外なのだが、この生活が終わるのかと思うとこみあげるものがある。
たった数日で、シンタローが実は世話好きだとかお喋りだとか、気分屋なのに几帳面だとか、いろいろわかったことがあった。それまではハーレムに聞かされていた悪口ばかりが頭に残っていたが、そんなものは綺麗さっぱり払拭されてしまった。
意地悪で乱暴だが、優しい目でパプワを見る人。
その優しさが時々間違えたとばかりにリキッドに差し向けられることもある。
例えば作りすぎたというケーキ。
荷物持ちに呼ばれるピクニック。
制服のポケットには痛み止め。
「団に連れてって欲しいのかよ?」
でもそうするとパプワが困るから駄目だけどな、とシンタローの台詞は続いた。
(青玉は居なくなっても良いけど、島が失われるのは困るッ)
赤側の番人としても、一住人としても、それは切実な問題だ。
『いいや、一族の元へは番人が戻ればそれでいい』
「本気でカチ割るぞオメー」
ちょっとややこしい事情で後から赤の番人になったリキッドだが、青の番人事情はもっと複雑だ。そして忘れていたけれど、シンタローも一応、番人ではあるらしい。
…そうなの?
疑問符がリキッドの頭に浮かんだ。
シンタローは番人なのか?
『割ってみるか?割られたことが無いから、その後お前がどうなるかわからんぞ』
「…俺が?…どうにもなんねぇに決まってんだろ」
いつもの偉そうな態度には、動揺は感じられなかった。青玉は時々しか喋らないが、こちらもやっぱり偉そうなので、下っ端人生の長いリキッドには羨ましい限りだ。
だが実際、秘石が砕けたら何が起こるのだろう。
自分はきっと普通の人間に戻るだけだろうと思う。だが戻るも何も、もともと番人だった者はどうなるのだ?シンタローは影響は無いと考えているようだが、本当にそうなのだろうか。
「オメーがどう言おうが俺は総帥なんだからな、団に戻るのは当然だ」
明るい口調だったが、青玉の台詞がそれを曇らせた。
『団に戻るということは、一族の長の元へ戻るということだ』
シンタローが、何か唸る。
それがリキッドには聞こえない。
『お前がどう考えようと勝手だが、こちらの意思に反して一族を離れるな』
聞こえない。壁に耳を押し当てて。
『そう念を押したまでだ』
リキッドが目を見開く。シンタローの声が聞こえた。
「黙れ石コロ、マジで割るぞ」
(そうだ、怒ってくださいよシンタローさん!)
リキッドは知らず知らず拳を握り締める。
(人を下僕扱いする奴なんかボコっちゃいましょうよ!)
少なくとも、赤玉はあんなふうに高圧的に喋ることはなかったと思う。あれこれ命令もしなかったと思う。ましてや、自分と違ってシンタローは望んで番人として生まれたわけではないのだ。
(あれ?)
そこまで思ってふと気がついた。
リキッドの使命は、パプワとパプワをとりまく住人たちを守ることだ。
それはもともと赤の番人であるジャンから引き継いだ使命である。
(…待てよ?…青の番人はアスだろ?アスっていうのはシンタローさんのことだろ?)
ジャンからリキッドへ受け継がれたように、アスからは…。
(…誰にも継がれてないんじゃ…。となると、やっぱりシンタローさんが今も青の番人?)
青玉の言う、一族の長というのはマジックということになる。
(俺はパプワのこと守るつもりだけど…じゃあシンタローさんは…)
秘石の意思の実行役が番人だ。
自分の例に当てはめて考えてゆくと、シンタローの置かれた立場が見えてくる。
けれど、そんな風に考えてしまうのが嫌だった。俺サマで何様なこの人が、秘石に屈する姿なんか見たくない。
この人は、意地悪なお母様でいるのが似合ってる。
「俺はアイツの息子でガンマ団の総帥だ。たとえアイツがそうじゃないって言っても、関係ねー」
シンタローの反論は、相変わらず根拠のない断言だった。
けれど今はそれがとても頼もしく聞こえる。
「後からごちゃごちゃ、俺のことに理由付けしてんじゃねぇよ」
見事な切り返しだった。
秘石が黙った。
リキッドは思わずガッツポーズを作った。
「わかったか、そこの万年家政夫」
台詞がすぐ上から降ってきた。
(上から?)
パプワハウスの窓の中。
「げ!シンタローさんッ」
「こそこそするのがヤンキー流か、ぁあ?」
見下ろす瞳は、楽しそうでしかも恐い。
「いいいいい、いつから気がつ…」
「ストーカーの気配には慣れてるからな」
おのれアラシヤマ。
「す、すみませんッ。聞くつもりじゃ…ッ」
言いながらハウスの壁から飛び退いた。自分で言ってて矛盾に気づく。裏手で聞き耳を立てていたらそりゃあ聞くつもり十分にしか見えないじゃないか。
だが予想に反して、シンタローの姿が部屋の中へ消えた。
眼魔砲を覚悟していたリキッドは、慌ててドアへ回る。
すると、入り口に置きっぱなしにしてあった食材の袋を、シンタローが膝をついて物色しているところだった。
「お、これも採ってきたのか。栄養満点だからな。こっちは甘露煮にすっかなー」
「シ…シンタローさん…」
怒ってくれた方がすっきりすると思ってしまうのは、いけないことだろうか。袋の中身を確認しているシンタローに、リキッドはおずおずと近づいた。
「あの…」
シンタローがじっと見上げるので、リキッドは咄嗟にその場に正座した。この人の前では、意地を張ることがとても恥ずかしいことのような気がした。
すると、大きな大根で頭を叩かれた。
叩くというより、つつくという感じだった。
土がぱらぱらとデコに降った。
なんだか言葉が出なかった。
「ターコ。ここはオメェんちだろ。正面から堂々と入ってきやがれ」
シンタローが大根を再び袋に戻す。
「気ぃ遣ってんじゃねぇぞヤンキー。あの玉の言ってることなら、俺も一族もとっくに知ってるさ」
運べ、と袋の口を突き出され、反動でリキッドが受け取った。
「あの…」
今ものすごく凄いことを、さらりと言われたような気がする。
秘石は、一族の元を離れるなと言っていた。それをとうに知っているだって?
「馬鹿みてぇに目ん玉丸くしてんじゃねぇぞ?」
部屋で振返るシンタローは、首を傾けて鼻で笑う。そんなポーズがやたら格好良く見えるのは何故だろう。
「俺が今まで団にいたのも戻ろうとするのも、俺の意思だ。それをあとからごちゃごちゃ言われても何とも思わねぇよ」
シンタローの行動や気持ちを、番人だからと片付けてしまう秘石を、何とも思わないと言うシンタロー。それは実際には、真実から目をそらしていることになりはしないか。
そんなことを考えてしまう自分が嫌だった。素直にシンタローの台詞だけを受け入れられない自分が嫌だった。
「やい秘石、さっさとチャッピーを寝せろ。オメーのせいでもっと具合悪くなったらどうすんだよ」
犬猫(事実、犬だが)を追いやるようにシンタローが手を振った。奥にチャッピー用の布団が敷いてあった。
「リキッド、いつまで突っ立ってる。入ってこいよ」
「あ、はい」
荷物を持って踏み出せば、秘石がこちらを見ていた。リキッドは思わず黙りこむ。
『赤の番人の方が、話がわかると見える』
笑うようにして、チャッピーの体をのっとった秘石は今度こそ布団に向かった。
「リキッド、相手にすんなよ」
「え、あ、はい」
袋を運んで台所で広げると、シンタローは中からいくつかの実を取り出した。まるで何事もなかったかのような態度なので、リキッドは自分ばかりが動揺しているようでいたたまれない。
こんなのは自分らしくない。
「シ…シンタローさん!」
「いきなりでけぇ声だすなよ、殴るぞ」
「もう殴ってます。それよりシンタローさん」
このもやもやした気分のまま、料理なんてできない。リキッドは思いきって尋ねることにした。その結果眼魔砲を食らうのかもしれないが、今のままよりましだと思った。
「シンタローさんがガンマ団に…マジック前総帥のとこに戻りたいって思うのは、番人だから…?」
突然殴られた。
油断していたわけじゃなかったが、綺麗なストレートパンチをもらってしまった。
「セリフの端々までムカツクなー」
言い方はそれほどムカついているようには聞こえなかった。
「ガンマ団は俺にとってあって当たり前なんだよ。じゃあオメェは、番人だからパプワや島の連中と暮らしたいって思ったっていうのかよ?」
突然の質問に、リキッドは反応した。
「ちが…。オレは皆のことが好きだから…」
だから、番人になったんだ。
「だろ。後から『その気持ちは番人だからだ』なんて言われたって関係ねぇだろ?」
その通りだった。
今だって皆のことが好きだ。それは誰かに強制された気持ちじゃない。
「…そうか…」
「今ごろわかったか。ヤンキーはこれだから」
大仰に溜息をついて、シンタローが肩をすくめる。
「罰としてたまねぎのみじん切りはオメーがやれ」
「げ。アイマスクしてもいいッスか?」
「泣け、喚け」
「うわあああん」
何の下ごしらえなのか、メニューの名前は教えてもらえない。けれどシンタローは横でかぼちゃを切っている。きっと甘いお菓子に違いない。
リキッドはこんなふうな毎日が続くといいなと思った。シンタローは帰ると言ったけれど、帰らないのもありなのではないかと思った。自分だけではなく、パプワだってシンタローには懐いている。
この生活は何より尊い。
少なくとも、戦闘を避けて通れないガンマ団の生活よりもずっと平和ではないか。
帰らなくてもいいと、少しぐらいは思ってくれているのではないだろうか。
「ひー、目に染みる」
自分で考えたことに照れて、思わず関係ないことを口にした。
シンタローの呆れたような視線が頬に刺さった。
冷たい視線の一つや二つ、それすらも楽しいではないか。パプワと、島の住人たちが大好きだ。ここでの生活だが大好きだ。
これを求めて、リキッドは赤の番人になったのだ。
包丁についたたまねぎを綺麗にボールに集めて、ちらと横を盗み見る。
ガンマ団の総帥は、乱切りにしたかぼちゃを蒸し器にかけているところだった。この姿からは、覇者の息子だなんて想像もできない。
けれど主婦のような毎日を送りながら彼は言うのだ。
ガンマ団に帰りたいと。
一族のところへ帰りたいと。
「あ、じゃあシンタローさんはマジック前総帥のことが好きなんスね」
うっかり思ったことを口に出してしまったリキッドが地獄の底まで後悔するのは、眼魔砲の気絶から覚めたあとのことである。
おわるわ…。
--------------------------------------------------------------------------------
リキシンと見せかけて落ちはシン→パパとゆー。シンタローさんがかなり開き直っておりますが、もちろんこの境地に辿りつくまではそれなりにあったんだと思います。青の属性の続編にあたります。
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アオザワシンたろー
「ガンマ団の無い人生なんて、ピンと来ねぇよ」
聞こえてしまった台詞。
まるで世間話のように軽い口調で、あの人はそう言った。
具合が悪いというチャッピーを残して、リキッドは栄養のあるものを取りに、一方でパプワが薬を調達に出かけていたのだが、こんなに早く戻ってくるとは秘石も思っていなかったのだと思う。
食料を入れた袋をそっとドア越しに置いて、リキッドは裏手へ回り込んだ。
窓から聞こえるのは、シンタローと秘石の声だった。
もしかするとチャッピーの具合は、秘石が話をするための仮病だったのかもしれない。聞かれたくない話なんだろう。だがガンマ団のことなら、俺にだってまったく無関係ってわけじゃないと、リキッドはそっと聞き耳をたてた。
「俺はなぁ、こーんなガキの頃から、世界をやるって言われて育ったんだぞ。アイツはその為にいろいろやってたんだし…意味わかんねぇなりに、それが当然だって思ってた」
ガンマ団の在籍期間の短いリキッドにも、シンタローのいうアイツというのが、マジック前総帥のことだということはすぐにわかった。
(そんなこと息子に吹き込んで育てたのかあのオヤジ!…おかげであんなオレサマ体質に…ッ)
日々虐げられている赤の番人は、一人涙を流してハンカチを噛み締める。
「おい、石。お前だって、ソレ見てたんじゃねぇか」
青の玉は総帥一族の秘宝として代々受け継がれてきたものだ。ほんの数年前までは、総帥室の台座に飾られていたのだから、シンタローの言うことはもっともである。
『興味無かったから長いこと寝てたな~』
「カチ割るぞオメー」
なんだか漫才のようなやりとりに聞こえるが、どっちの台詞もその意味するところを考えると実際は恐ろしい。
「オメーに言われるまでもなく、俺は団に戻るつもりだ。もうすぐ迎えも来るだろうしナ」
あっさりと告げられる内容に、心臓がどきりとした。もともと今ここにシンタローが居ること自体が予定外なのだが、この生活が終わるのかと思うとこみあげるものがある。
たった数日で、シンタローが実は世話好きだとかお喋りだとか、気分屋なのに几帳面だとか、いろいろわかったことがあった。それまではハーレムに聞かされていた悪口ばかりが頭に残っていたが、そんなものは綺麗さっぱり払拭されてしまった。
意地悪で乱暴だが、優しい目でパプワを見る人。
その優しさが時々間違えたとばかりにリキッドに差し向けられることもある。
例えば作りすぎたというケーキ。
荷物持ちに呼ばれるピクニック。
制服のポケットには痛み止め。
「団に連れてって欲しいのかよ?」
でもそうするとパプワが困るから駄目だけどな、とシンタローの台詞は続いた。
(青玉は居なくなっても良いけど、島が失われるのは困るッ)
赤側の番人としても、一住人としても、それは切実な問題だ。
『いいや、一族の元へは番人が戻ればそれでいい』
「本気でカチ割るぞオメー」
ちょっとややこしい事情で後から赤の番人になったリキッドだが、青の番人事情はもっと複雑だ。そして忘れていたけれど、シンタローも一応、番人ではあるらしい。
…そうなの?
疑問符がリキッドの頭に浮かんだ。
シンタローは番人なのか?
『割ってみるか?割られたことが無いから、その後お前がどうなるかわからんぞ』
「…俺が?…どうにもなんねぇに決まってんだろ」
いつもの偉そうな態度には、動揺は感じられなかった。青玉は時々しか喋らないが、こちらもやっぱり偉そうなので、下っ端人生の長いリキッドには羨ましい限りだ。
だが実際、秘石が砕けたら何が起こるのだろう。
自分はきっと普通の人間に戻るだけだろうと思う。だが戻るも何も、もともと番人だった者はどうなるのだ?シンタローは影響は無いと考えているようだが、本当にそうなのだろうか。
「オメーがどう言おうが俺は総帥なんだからな、団に戻るのは当然だ」
明るい口調だったが、青玉の台詞がそれを曇らせた。
『団に戻るということは、一族の長の元へ戻るということだ』
シンタローが、何か唸る。
それがリキッドには聞こえない。
『お前がどう考えようと勝手だが、こちらの意思に反して一族を離れるな』
聞こえない。壁に耳を押し当てて。
『そう念を押したまでだ』
リキッドが目を見開く。シンタローの声が聞こえた。
「黙れ石コロ、マジで割るぞ」
(そうだ、怒ってくださいよシンタローさん!)
リキッドは知らず知らず拳を握り締める。
(人を下僕扱いする奴なんかボコっちゃいましょうよ!)
少なくとも、赤玉はあんなふうに高圧的に喋ることはなかったと思う。あれこれ命令もしなかったと思う。ましてや、自分と違ってシンタローは望んで番人として生まれたわけではないのだ。
(あれ?)
そこまで思ってふと気がついた。
リキッドの使命は、パプワとパプワをとりまく住人たちを守ることだ。
それはもともと赤の番人であるジャンから引き継いだ使命である。
(…待てよ?…青の番人はアスだろ?アスっていうのはシンタローさんのことだろ?)
ジャンからリキッドへ受け継がれたように、アスからは…。
(…誰にも継がれてないんじゃ…。となると、やっぱりシンタローさんが今も青の番人?)
青玉の言う、一族の長というのはマジックということになる。
(俺はパプワのこと守るつもりだけど…じゃあシンタローさんは…)
秘石の意思の実行役が番人だ。
自分の例に当てはめて考えてゆくと、シンタローの置かれた立場が見えてくる。
けれど、そんな風に考えてしまうのが嫌だった。俺サマで何様なこの人が、秘石に屈する姿なんか見たくない。
この人は、意地悪なお母様でいるのが似合ってる。
「俺はアイツの息子でガンマ団の総帥だ。たとえアイツがそうじゃないって言っても、関係ねー」
シンタローの反論は、相変わらず根拠のない断言だった。
けれど今はそれがとても頼もしく聞こえる。
「後からごちゃごちゃ、俺のことに理由付けしてんじゃねぇよ」
見事な切り返しだった。
秘石が黙った。
リキッドは思わずガッツポーズを作った。
「わかったか、そこの万年家政夫」
台詞がすぐ上から降ってきた。
(上から?)
パプワハウスの窓の中。
「げ!シンタローさんッ」
「こそこそするのがヤンキー流か、ぁあ?」
見下ろす瞳は、楽しそうでしかも恐い。
「いいいいい、いつから気がつ…」
「ストーカーの気配には慣れてるからな」
おのれアラシヤマ。
「す、すみませんッ。聞くつもりじゃ…ッ」
言いながらハウスの壁から飛び退いた。自分で言ってて矛盾に気づく。裏手で聞き耳を立てていたらそりゃあ聞くつもり十分にしか見えないじゃないか。
だが予想に反して、シンタローの姿が部屋の中へ消えた。
眼魔砲を覚悟していたリキッドは、慌ててドアへ回る。
すると、入り口に置きっぱなしにしてあった食材の袋を、シンタローが膝をついて物色しているところだった。
「お、これも採ってきたのか。栄養満点だからな。こっちは甘露煮にすっかなー」
「シ…シンタローさん…」
怒ってくれた方がすっきりすると思ってしまうのは、いけないことだろうか。袋の中身を確認しているシンタローに、リキッドはおずおずと近づいた。
「あの…」
シンタローがじっと見上げるので、リキッドは咄嗟にその場に正座した。この人の前では、意地を張ることがとても恥ずかしいことのような気がした。
すると、大きな大根で頭を叩かれた。
叩くというより、つつくという感じだった。
土がぱらぱらとデコに降った。
なんだか言葉が出なかった。
「ターコ。ここはオメェんちだろ。正面から堂々と入ってきやがれ」
シンタローが大根を再び袋に戻す。
「気ぃ遣ってんじゃねぇぞヤンキー。あの玉の言ってることなら、俺も一族もとっくに知ってるさ」
運べ、と袋の口を突き出され、反動でリキッドが受け取った。
「あの…」
今ものすごく凄いことを、さらりと言われたような気がする。
秘石は、一族の元を離れるなと言っていた。それをとうに知っているだって?
「馬鹿みてぇに目ん玉丸くしてんじゃねぇぞ?」
部屋で振返るシンタローは、首を傾けて鼻で笑う。そんなポーズがやたら格好良く見えるのは何故だろう。
「俺が今まで団にいたのも戻ろうとするのも、俺の意思だ。それをあとからごちゃごちゃ言われても何とも思わねぇよ」
シンタローの行動や気持ちを、番人だからと片付けてしまう秘石を、何とも思わないと言うシンタロー。それは実際には、真実から目をそらしていることになりはしないか。
そんなことを考えてしまう自分が嫌だった。素直にシンタローの台詞だけを受け入れられない自分が嫌だった。
「やい秘石、さっさとチャッピーを寝せろ。オメーのせいでもっと具合悪くなったらどうすんだよ」
犬猫(事実、犬だが)を追いやるようにシンタローが手を振った。奥にチャッピー用の布団が敷いてあった。
「リキッド、いつまで突っ立ってる。入ってこいよ」
「あ、はい」
荷物を持って踏み出せば、秘石がこちらを見ていた。リキッドは思わず黙りこむ。
『赤の番人の方が、話がわかると見える』
笑うようにして、チャッピーの体をのっとった秘石は今度こそ布団に向かった。
「リキッド、相手にすんなよ」
「え、あ、はい」
袋を運んで台所で広げると、シンタローは中からいくつかの実を取り出した。まるで何事もなかったかのような態度なので、リキッドは自分ばかりが動揺しているようでいたたまれない。
こんなのは自分らしくない。
「シ…シンタローさん!」
「いきなりでけぇ声だすなよ、殴るぞ」
「もう殴ってます。それよりシンタローさん」
このもやもやした気分のまま、料理なんてできない。リキッドは思いきって尋ねることにした。その結果眼魔砲を食らうのかもしれないが、今のままよりましだと思った。
「シンタローさんがガンマ団に…マジック前総帥のとこに戻りたいって思うのは、番人だから…?」
突然殴られた。
油断していたわけじゃなかったが、綺麗なストレートパンチをもらってしまった。
「セリフの端々までムカツクなー」
言い方はそれほどムカついているようには聞こえなかった。
「ガンマ団は俺にとってあって当たり前なんだよ。じゃあオメェは、番人だからパプワや島の連中と暮らしたいって思ったっていうのかよ?」
突然の質問に、リキッドは反応した。
「ちが…。オレは皆のことが好きだから…」
だから、番人になったんだ。
「だろ。後から『その気持ちは番人だからだ』なんて言われたって関係ねぇだろ?」
その通りだった。
今だって皆のことが好きだ。それは誰かに強制された気持ちじゃない。
「…そうか…」
「今ごろわかったか。ヤンキーはこれだから」
大仰に溜息をついて、シンタローが肩をすくめる。
「罰としてたまねぎのみじん切りはオメーがやれ」
「げ。アイマスクしてもいいッスか?」
「泣け、喚け」
「うわあああん」
何の下ごしらえなのか、メニューの名前は教えてもらえない。けれどシンタローは横でかぼちゃを切っている。きっと甘いお菓子に違いない。
リキッドはこんなふうな毎日が続くといいなと思った。シンタローは帰ると言ったけれど、帰らないのもありなのではないかと思った。自分だけではなく、パプワだってシンタローには懐いている。
この生活は何より尊い。
少なくとも、戦闘を避けて通れないガンマ団の生活よりもずっと平和ではないか。
帰らなくてもいいと、少しぐらいは思ってくれているのではないだろうか。
「ひー、目に染みる」
自分で考えたことに照れて、思わず関係ないことを口にした。
シンタローの呆れたような視線が頬に刺さった。
冷たい視線の一つや二つ、それすらも楽しいではないか。パプワと、島の住人たちが大好きだ。ここでの生活だが大好きだ。
これを求めて、リキッドは赤の番人になったのだ。
包丁についたたまねぎを綺麗にボールに集めて、ちらと横を盗み見る。
ガンマ団の総帥は、乱切りにしたかぼちゃを蒸し器にかけているところだった。この姿からは、覇者の息子だなんて想像もできない。
けれど主婦のような毎日を送りながら彼は言うのだ。
ガンマ団に帰りたいと。
一族のところへ帰りたいと。
「あ、じゃあシンタローさんはマジック前総帥のことが好きなんスね」
うっかり思ったことを口に出してしまったリキッドが地獄の底まで後悔するのは、眼魔砲の気絶から覚めたあとのことである。
おわるわ…。
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リキシンと見せかけて落ちはシン→パパとゆー。シンタローさんがかなり開き直っておりますが、もちろんこの境地に辿りつくまではそれなりにあったんだと思います。青の属性の続編にあたります。
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Candy
アオザワシンたろー
前線に出るようになって、ようやくガンマ団の大筋が見えてきた。
無論、仕官学校でも知識としては詰め込まれてはいたが、戦闘実習とは異なり、前線を体験することで知識は生きたものになる。肌で、ガンマ団の本質を知る。
「シンタロー様!転進します。どうぞこちらへ」
生きた知識になるために、目の前に死体が転がるのは、皮肉だと思った。
皮肉になるのは、世界の摂理に反しているから?
シンタローは、硝煙に霞む包囲網を見遣った。 だがそれを説明できるだけの知識を持たないのもまた、皮肉なことだった。
高い塔の一室に、総帥室がある。
塔は、砲撃されればひとたまりもないような、もっとも目立つ場所だ。だがただの一度もそこが標的にされたことはなかった。
鉄壁の防衛線が幾重にも取り囲む、世界で最も安全な場所…それがマジックの居る総帥室だった。
無機質な部屋だ。
モニターと、通信機器。部屋の角には秘書官たちが使う作業デスク。
ここから、破壊指令は下される。
「総帥…」
「私に二度言わせるのかね」
室内には緊迫した空気が流れていた。
正面の壁に掲げられた大きな団徽。それを背に悠然と足を組んで座っているのは、紛れもなくシンタローの父であり、ガンマ団の統率者でもあるマジックである。
獅子のたてがみのようなブロンドと冴えた青い瞳、整った風貌は古代の神を思わせる。一代で世界の大半を掌握してしまった、世界最強のテロリスト。
その男を前に、直立不動で戦況報告をしていたのは今回の作戦を指揮していた将軍だった。どちらかといえば弛緩したような体のマジックに対し、見ているのが気の毒なほど緊張している。
それもそうだとう。
将軍の背後で、シンタローは視線を床に落とした。
傾いていた戦況を、立てなおすことが作戦だった。
戦力を大きく割き、入念な調査と準備を行った。シンタローのような新人下士官にも、その作戦の重要度は推してはかれるものだった。ましてやシンタローは、幹部候補生として乗艦した。
状況は、途中までは予定どおりの展開だった。
だがそれが一端崩れてしまえば、立てられた作戦のなんと脆かったことか。
指揮官たちの動揺も、もたらされた結果への落胆も相当なものだった。
マジックの思惑は息子に前線を体験させることだったのだろうが、将軍は戦況を傾けた。それはとりもなおさず、シンタローの身を危険に晒したということでもある。
だから…こそ。
シンタローも必死だった。
自分の立場なら重々承知している。戦況を変えられる力など備わっていないのだということもわかっていた。
それでも…と。
だが、結果、シンタローの目の前で同朋艦は沈んだ。
作戦の失敗。
それが総帥の不興を買わぬはずがない。
すでに一報は作戦時にもたらされている。帰還途中にも情報のやり取りをしている。
よって、指揮官の総帥への対面報告は、儀礼的なものにすぎなかった。
だが。
本来なら、凱旋だったはずの帰投。
「ああ、シンタローは残りなさい」
マジックが、将軍の報告を雑音か何かのように聞き流し、退出を促がした。その、次の言葉がこれである。
「お…れ…」
「負け戦もたまには勉強になるから、それは良かったね。…本当に、怪我もなくて良かったよ」
息子へ向けられた言葉は、当のシンタローよりも将軍を震え上がらせた。ひ、と言葉にならない悲鳴が上がる。
シンタローが総帥の後継者であることを、ゆめゆめ忘れてはならぬと、マジックには言われているのだ。この総帥の真の恐ろしさを、長く仕えていた男は骨の髄まで叩き込まれていた。
「し…失礼します…」
敬礼した腕がまるでなまりのように重い。
男は踵を返し、蒼白な顔をして扉へ向かう。その視線は、一度たりともシンタローに向けられることはなかった。いや、もう現実さえ、見てはいなかった。
防波堤のように思っていた上官がいなくなったことで、シンタローはマジックの視線を嫌というほど浴びることになる。
自動扉が閉まるのを待つタイミングで、マジックが微笑みかけた。
「お帰り、シンタロー」
にこり、と笑うのは、確かに出発前にも見送ってくれた父の笑顔で。
そして。
そのセリフは、聞き飽きるほど紡がれた言葉で。
シンタローはますますうつむくしかなかった。
「アレがあんなに無能だと思わなかった。恐い思いをさせてしまったね」
「そ…そんな、ことは…」
言葉尻が消えそうになることが嫌で、シンタローは歯を食いしばる。
マジックの顔が見られない。
シンタローは床を睨みつけて、両の拳を握り締めた。
爆炎に消える鋼鉄の艦。
今この部屋にいるのは、父親の顔をして子供をあやす一方で、覇王として殺戮命令を下すことに躊躇いを持たない男。
その二面は、この男の中では矛盾なく存在しているのか。
自分は一体いままでこの男のどこを見ていたのか。
「シンタロー」
味方が数えきれないほど死んだ。それはシンタローの責任ではないと言うだろう。だが今心を重くしているのはそんなことではないのだ。
「…さぁ、そんなところに立っていないでこちらへおいで」
今のマジックは、覇者と父と、どちらの顔でいるのだろう。
シンタローはおもむろに目線だけを上げた。
子供じみた仕草だと思ったが、他は動かなかった。
「シンタロー?」
沈黙が両肩にのしかかる。
マジックは、一体何がわかったというのか、軽く頷いた。
それからデスクの引き出しに手をかける。
「少し、疲れたようだね」
何に、とは言わない。いや、言えないのだろうか。
シンタローはマジックの動作を見守った。
大きな手が何かを取り出し、デスクに置いた。円形の缶のようだ。
「そういう時は、なんにも考えないで、疲れを癒せばいいんだよ?」
マジックが足を解き、デスクにおいたその缶のふたを開けた。引き出しに入る程度の高さしかないそれは、ふたを開ければもっと平たい。
「おいで」
マジックの声は、あくまでも優しい。手招きして、自分の傍らを指し示す。
けれどその声音は低い。
シンタローは足がフロアにはりついてしまったかのように動けなかった。
マジックは、いつもの全開の笑顔で抱き付いてきた男と同じ顔で、シンタローに要求しているのだ。
「ここへおいで」
動けないから、上目遣いなシンタローの視線は外すことができない。言葉だけが耳から全身に染みこんでゆく。青い覇者の目にとって、シンタローの動揺など取るにたらないものなのだろう。繰り返される言葉は、確かに父の声だ。
これが、マジックだ。
シンタローはようやくのことで、目を閉じた。世界が暗転する。
吐息をつくより先に足が動いた。
数歩の距離は、無いも同然だった。机を迂回し、マジックの脇へ立つ。
眼下の父の、この圧倒的な存在感は何なのだろう。どうして言葉が出てこないのだろう。
畏れなのか、恐れなのか。
馬鹿のように立ち尽くすしかない自分が、たまらなく惨めだった。
「これをあげよう」
マジックが手元で見せたのはさきほどの缶だ。中には白い粉をまぶした数個の小玉が入っている。
「最近手にいれたんだヨ。思った以上に美味しいんだ」
そういって、マジックの指が一粒のキャンディを自分の口に押し込めた。
それから今度は、缶のふたを手にとって見せるように持ち上げる。
「どこかの王室の御用達かと思うだろう?ところがこれが、個人商店の物だったんだよ」
ふたには安っぽいシールが貼られている。意匠も何もあったものではない、機械的に商品名や製造元情報が知らない国の言葉で印刷されていた。
「…疲れているときには甘い物が一番、だし」
マジックは、飴玉を舌の上で転がすようにして、味を確かめる。
「お前にあげようと思ってね?」
背もたれに体重を預けた男は、久しぶりに会う息子を浅い笑顔で見上げた。
セリフはいつだって、シンタローに真意を問う。
けれどそれはどこまでが本気で、どこまでが揶揄なのか。
後者だとしても、シンタローにはそれを躱すだけの能力は無かった。
シンタローは返答の代わりに、椅子に手をかけて甘い実を受け取った。
END
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パパ×シンマニアな良識ある成人女性のみソース閲覧もいいかもよ。
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アオザワシンたろー
前線に出るようになって、ようやくガンマ団の大筋が見えてきた。
無論、仕官学校でも知識としては詰め込まれてはいたが、戦闘実習とは異なり、前線を体験することで知識は生きたものになる。肌で、ガンマ団の本質を知る。
「シンタロー様!転進します。どうぞこちらへ」
生きた知識になるために、目の前に死体が転がるのは、皮肉だと思った。
皮肉になるのは、世界の摂理に反しているから?
シンタローは、硝煙に霞む包囲網を見遣った。 だがそれを説明できるだけの知識を持たないのもまた、皮肉なことだった。
高い塔の一室に、総帥室がある。
塔は、砲撃されればひとたまりもないような、もっとも目立つ場所だ。だがただの一度もそこが標的にされたことはなかった。
鉄壁の防衛線が幾重にも取り囲む、世界で最も安全な場所…それがマジックの居る総帥室だった。
無機質な部屋だ。
モニターと、通信機器。部屋の角には秘書官たちが使う作業デスク。
ここから、破壊指令は下される。
「総帥…」
「私に二度言わせるのかね」
室内には緊迫した空気が流れていた。
正面の壁に掲げられた大きな団徽。それを背に悠然と足を組んで座っているのは、紛れもなくシンタローの父であり、ガンマ団の統率者でもあるマジックである。
獅子のたてがみのようなブロンドと冴えた青い瞳、整った風貌は古代の神を思わせる。一代で世界の大半を掌握してしまった、世界最強のテロリスト。
その男を前に、直立不動で戦況報告をしていたのは今回の作戦を指揮していた将軍だった。どちらかといえば弛緩したような体のマジックに対し、見ているのが気の毒なほど緊張している。
それもそうだとう。
将軍の背後で、シンタローは視線を床に落とした。
傾いていた戦況を、立てなおすことが作戦だった。
戦力を大きく割き、入念な調査と準備を行った。シンタローのような新人下士官にも、その作戦の重要度は推してはかれるものだった。ましてやシンタローは、幹部候補生として乗艦した。
状況は、途中までは予定どおりの展開だった。
だがそれが一端崩れてしまえば、立てられた作戦のなんと脆かったことか。
指揮官たちの動揺も、もたらされた結果への落胆も相当なものだった。
マジックの思惑は息子に前線を体験させることだったのだろうが、将軍は戦況を傾けた。それはとりもなおさず、シンタローの身を危険に晒したということでもある。
だから…こそ。
シンタローも必死だった。
自分の立場なら重々承知している。戦況を変えられる力など備わっていないのだということもわかっていた。
それでも…と。
だが、結果、シンタローの目の前で同朋艦は沈んだ。
作戦の失敗。
それが総帥の不興を買わぬはずがない。
すでに一報は作戦時にもたらされている。帰還途中にも情報のやり取りをしている。
よって、指揮官の総帥への対面報告は、儀礼的なものにすぎなかった。
だが。
本来なら、凱旋だったはずの帰投。
「ああ、シンタローは残りなさい」
マジックが、将軍の報告を雑音か何かのように聞き流し、退出を促がした。その、次の言葉がこれである。
「お…れ…」
「負け戦もたまには勉強になるから、それは良かったね。…本当に、怪我もなくて良かったよ」
息子へ向けられた言葉は、当のシンタローよりも将軍を震え上がらせた。ひ、と言葉にならない悲鳴が上がる。
シンタローが総帥の後継者であることを、ゆめゆめ忘れてはならぬと、マジックには言われているのだ。この総帥の真の恐ろしさを、長く仕えていた男は骨の髄まで叩き込まれていた。
「し…失礼します…」
敬礼した腕がまるでなまりのように重い。
男は踵を返し、蒼白な顔をして扉へ向かう。その視線は、一度たりともシンタローに向けられることはなかった。いや、もう現実さえ、見てはいなかった。
防波堤のように思っていた上官がいなくなったことで、シンタローはマジックの視線を嫌というほど浴びることになる。
自動扉が閉まるのを待つタイミングで、マジックが微笑みかけた。
「お帰り、シンタロー」
にこり、と笑うのは、確かに出発前にも見送ってくれた父の笑顔で。
そして。
そのセリフは、聞き飽きるほど紡がれた言葉で。
シンタローはますますうつむくしかなかった。
「アレがあんなに無能だと思わなかった。恐い思いをさせてしまったね」
「そ…そんな、ことは…」
言葉尻が消えそうになることが嫌で、シンタローは歯を食いしばる。
マジックの顔が見られない。
シンタローは床を睨みつけて、両の拳を握り締めた。
爆炎に消える鋼鉄の艦。
今この部屋にいるのは、父親の顔をして子供をあやす一方で、覇王として殺戮命令を下すことに躊躇いを持たない男。
その二面は、この男の中では矛盾なく存在しているのか。
自分は一体いままでこの男のどこを見ていたのか。
「シンタロー」
味方が数えきれないほど死んだ。それはシンタローの責任ではないと言うだろう。だが今心を重くしているのはそんなことではないのだ。
「…さぁ、そんなところに立っていないでこちらへおいで」
今のマジックは、覇者と父と、どちらの顔でいるのだろう。
シンタローはおもむろに目線だけを上げた。
子供じみた仕草だと思ったが、他は動かなかった。
「シンタロー?」
沈黙が両肩にのしかかる。
マジックは、一体何がわかったというのか、軽く頷いた。
それからデスクの引き出しに手をかける。
「少し、疲れたようだね」
何に、とは言わない。いや、言えないのだろうか。
シンタローはマジックの動作を見守った。
大きな手が何かを取り出し、デスクに置いた。円形の缶のようだ。
「そういう時は、なんにも考えないで、疲れを癒せばいいんだよ?」
マジックが足を解き、デスクにおいたその缶のふたを開けた。引き出しに入る程度の高さしかないそれは、ふたを開ければもっと平たい。
「おいで」
マジックの声は、あくまでも優しい。手招きして、自分の傍らを指し示す。
けれどその声音は低い。
シンタローは足がフロアにはりついてしまったかのように動けなかった。
マジックは、いつもの全開の笑顔で抱き付いてきた男と同じ顔で、シンタローに要求しているのだ。
「ここへおいで」
動けないから、上目遣いなシンタローの視線は外すことができない。言葉だけが耳から全身に染みこんでゆく。青い覇者の目にとって、シンタローの動揺など取るにたらないものなのだろう。繰り返される言葉は、確かに父の声だ。
これが、マジックだ。
シンタローはようやくのことで、目を閉じた。世界が暗転する。
吐息をつくより先に足が動いた。
数歩の距離は、無いも同然だった。机を迂回し、マジックの脇へ立つ。
眼下の父の、この圧倒的な存在感は何なのだろう。どうして言葉が出てこないのだろう。
畏れなのか、恐れなのか。
馬鹿のように立ち尽くすしかない自分が、たまらなく惨めだった。
「これをあげよう」
マジックが手元で見せたのはさきほどの缶だ。中には白い粉をまぶした数個の小玉が入っている。
「最近手にいれたんだヨ。思った以上に美味しいんだ」
そういって、マジックの指が一粒のキャンディを自分の口に押し込めた。
それから今度は、缶のふたを手にとって見せるように持ち上げる。
「どこかの王室の御用達かと思うだろう?ところがこれが、個人商店の物だったんだよ」
ふたには安っぽいシールが貼られている。意匠も何もあったものではない、機械的に商品名や製造元情報が知らない国の言葉で印刷されていた。
「…疲れているときには甘い物が一番、だし」
マジックは、飴玉を舌の上で転がすようにして、味を確かめる。
「お前にあげようと思ってね?」
背もたれに体重を預けた男は、久しぶりに会う息子を浅い笑顔で見上げた。
セリフはいつだって、シンタローに真意を問う。
けれどそれはどこまでが本気で、どこまでが揶揄なのか。
後者だとしても、シンタローにはそれを躱すだけの能力は無かった。
シンタローは返答の代わりに、椅子に手をかけて甘い実を受け取った。
END
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パパ×シンマニアな良識ある成人女性のみソース閲覧もいいかもよ。
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お祝い
アオザワシンたろー
「うう~ん、うまく泡立たないよー」
「ハンドミキサーを使うにはコツがいるんだよ。貸してごらん」
「ねぇ父さん。これで本当にお兄ちゃん…シンタロー兄さんは喜んでくれるかな」
生クリームの入ったボウルを手渡しながら、キッチンでコタローが見上げるのはガンマ団元総帥で彼の実の父でもあるマジックだった。
ふたつの碧眼で見上げる少年に、マジックは笑顔で返した。
「もちろんだとも!シンタローはね、ああ見えて美味しいものが大好きなんだから」
一緒にケーキを作ってバースデープレゼントにしようと言い出したのはマジックだ。
コタローにとって、ケーキというのは食べるものであって作るものではない。ましてやシンタローときたらパティシエ並みの腕前なので、その人相手にケーキのプレゼントだなんてちょっと勇気がいるではないか。
『パパと一緒なら絶対大丈夫!』
悔しいけれど、マジックの言い分は一理あった。
クッキングに関しては彼がシンタローの師匠だったから、慣れないコタローの腕を補うには十分だったし、シンタローの口に入るものを作る情熱は傍からみても間違いようがない。
グンマとキンタローが二人でなにやら計画しているので、コタローとしても父とタッグを組むのはやぶさかではなかった。
どんなプレゼントでも、きっとあの兄は喜ぶだろう。
それが手作りだったら、興奮してちょっとスゴイことになってしまうかもしれない。
そう考えると、ケーキ作りは素敵なアイデアだと思った。
今日、どうしてもはずせない会談で外出しているシンタローが戻ってきたら、ケーキを囲んで家族でパーティをするのだ。
「ほら、こうしてミキサーの刃を回すようにするんだよ」
今さっき、コタローが悪戦苦闘していたボウルの中身が、にわかに形を変えてゆく。
まるで魔法のようだ。
「うわぁ、さっきまでミルクみたいだったのに、どんどんクリームになっていくよ!」
「さぁ、そこのバニラエッセンスを数滴入れてくれるかい」
「うん!…バニラ?ブランデーじゃないの?」
香り付けなら洋酒の方が大人っぽい気がする。けれどマジックは、バニラと繰り返した。
嫌いかい?と問われて首を振る。
むしろ大好きだ。
ブラウンの雫は、あっというまにクリームに混ざって見えなくなる。
「いい匂い。美味しそう」
スポンジなら、とうにスライスして冷ましてある。ちょっと硬くなったのは愛嬌で許してもらおうと思う。
「コタロー、ケーキ台に乗せて」
業務用オーブンで焼いたスポンジは、直径が十五インチもある特大円型だ。
パーティの時は四角いケーキを用意するほうが切り分けるときに楽だけれど、丸いほうがシンタローの好みなのだという。
そんな、細かな趣味までいちいち知っていることに少し嫉妬しないでもないけれど。
「さぁ、間にフルーツを挟もう」
クリームを塗った下生地にあらかじめ切り分けたベリー類を並べてゆくのはコタローの仕事だ。
「うーんと載せてもいい?」
「コタローの好きなだけ!」
あれもこれもと選んだフルーツはぎっしりと敷き詰められる。更にクリームを塗ってスポンジを重ねる。
マジックが手際よく整える全体は滑らかで、いささかの凹凸もない。
「うわぁ、上手」
「さぁ、ここからはもっと張り切って」
絞り袋に入れられた、固めに練られたクリーム。口金は星型で、搾り出すと溝が綺麗な線をつくる、デコレートの基本タイプだった。
「うわ!、っとと、うう」
力を入れすぎてクリームが一箇所に固まってとぐろを巻きそうになったり、手を動かすのが早すぎて、ラインが切れてしまったりした。
なかなか頭の中で思い描いたような美しい仕上がりにならない。
「う~…」
「やり直すかい?」
「やり直せるの?」
こうやってね、とマジックがへらのようなものでケーキの表面をさっと撫で付けると、無骨なクリームの塊が切り取られ、再び絞り袋へ戻された。そして歪になった表面を滑らかに整える。
「すごーい」
「ほら、もう一回」
「うん!」
粘土細工だってこんなに難しくないと思う。
コタローは四苦八苦して丸くケーキを縁取ると、イチゴを乗せるためのクリームの土台を搾り出した。結局その台はイチゴに潰されすぎて台なのかクリームの搾り出しミスなのかわからなくなってしまったが、コタローは満足だった。
口金の種類を細口に変えて、中央の広いスペースにメッセージを書いたら完成だ。
「早く帰ってこないかな」
これを見て、ありがとうといってくれる笑顔が見たい。
パーティ会場というのは、マジックの部屋である。
広いということと、続きにキッチンが備え付けられているというのがその理由だ。
コタローとマジックがキッチンで戦っているあいだ、グンマとキンタローは部屋になにやら冷蔵庫のような装置を持ち込み、いくつものコードを繋いでいた。
コタローが部屋へ出てきたときには、室内はSFとファンタジーとミリタリーが混ざったような装飾に彩られ、ライトアップされていた。
グンマの手元にはリモコンがあって、それを操作すると部屋を這うコードが繋ぐ機械同士がいろいろ動くらしい。
「こっちはこっちで、なんともいいようのないプレゼントだね…」
思わず呟いてしまった言葉を、キンタローが拾った。
「いいかコタロー。この発明の真価はパーティではっきりする。この真価は…」
「わかった、わかったってば!楽しみだね!」
コタローは先日の、グンマとキンタローの共同誕生日会を思い出した。シンタローはキンタローに、得意なもので勝負だと言って大量の手料理を振舞った。キンタローはそれに対抗して、得意分野の発明に力を注いだらしい。
彼の誕生日は隔年毎にグンマとシンタローの日程を渡り歩くことになっている。それでいいのかとも思うが、本人が気に入っているのだからしかたがない。
今年のように、シンタローと日程がずれる年は、毎回張り切って発明をするのだとマジックに聞いた。
「いけない、お仕事しなくっちゃ」
コタローはマジックが作る料理の数々を盛り付けたり運んだりという作業に戻るため、キッチンへ戻った。
もうすぐ日も落ちる。
早くしないとシンタローが帰ってきてしまうからだ。
連絡は、同行秘書からだった。
エンジントラブルで軍艦が立ち往生しているという。
修理は可能だか、帰港は深夜になる見込みだというのだ。
「ええ~~~」
イヤだイヤだとごねても仕方がない。
シンタローは帰ってこないのだ。
それでも思わずコタローの頬は膨れた。
せっかくのケーキ、見てもらいたかったのに。
「みんな、おなかがすいたろう?席につきなさい」
「おとーさま」
「プレゼントは明日渡せるだろう。それより、せっかくの料理に手をつけなかったなんて知ったら、それこそシンタローは悲しむよ」
現場で先頭になって修理に取り組んでいるという若総帥の姿が眼に浮かんだ。
「小型機とか積んでなかったの?」
シンタローだけでも、先に帰ってくれればいいのに。
不平をもらすコタローの肩をマジックが慰めるように抱いた。
「お前の兄は、航行不能状態の船に部下だけ残して出てくるような男ではないよ」
帰ってきたいのだ、シンタローだって。
けれど、我慢している。
だから。
「…うん」
少しだけ、我慢して待っていよう。
「じゃあケーキは明日ね?」
「そうだね」
話がまとまると、グンマがワインサーバーのサバ君四号のスイッチを入れた。
バスケットボールほどの大きさのロボットは、器用にワインを抱えてグラスに注いだ。
シンタローはいないけれど、シンタローへの乾杯で、ちょっとリッチなディナーが始まった。
ガンマ団の飛行場は、二十四時間三百六十五日営業中だ。
無論、夜間の飛行は極端に減るけれど、敵が多い団においては常にスクランブルをかけられる態勢は整っている。
シンタローを乗せた飛空艦の帰還を、夜勤部隊が敬礼して出迎えた。
日中と比べると、建物は静かだ。
一歩踏み入れれば防音壁の効果もあって、基地が稼動していることすら忘れてしまいそうな静寂。 本部棟から続く一族専用の居住スペースは、更にしんと静まりかえっていた。
足音を忍ばせる必要は無いのだが、シンタローはつい、踵を気にしながら歩いた。
キンタローとグンマの部屋を過ぎ、奥まったところにあるマジックの部屋へたどり着く。
すると、音もなく扉が開いた。
「…親父…」
扉の内側で、マジックが人差し指を縦にして唇に当てていた。
その手を返し、シンタローを招き入れる。
室内はいつも怪しげなぬいぐるみでいっぱいだが、今日は装置でいっぱいだった。それが間接照明だけに絞られた室内でいっそう怪しさを増している。
「お帰り、シンタロー」
ささやく様に声量を絞った言葉に、シンタローは安堵する。
きっとこちらのことは、マジックはうまくやりおおせてくれたのだろう。
見れば、テーブルには見たことの無いクロスがかけられていて、コーヒーカップが出したままだ。中央には花も飾ってあって、ここで皆が食事をしたことが窺えた。
「悪いな、遅くなった」
「仕方がないよ。そういうこともある。お腹は空いてないかい?」
「平気。艦で摂った」
それを聞くと、マジックはシンタローを手招きして、隣室へ誘導する。
「?」
「静かに、そっとね」
マジックの声は、小さくて内緒話をするかのようだ。
そこは、寝室だった。
あけた扉のふちに立って、中を指し示す。
シンタローが覗けば。
「コ…コタロー?」
マジックのベッドで弟が夢の中だった。思わず父に視線をやれば、弟を思いやってか、黙ったままだ。
それから再びそっと扉を閉めると、今度は居間を挟んで続くキッチンへ脚を運んだ。
スライド式の扉を閉めれば、話し声や明かりが寝室まで届くことはない。
「疲れただろう、座りなさい」
いたわるように、マジックが島テーブルの簡易椅子を勧めた。
シンタローは遠慮なく腰掛けると、入れてくれる紅茶を待った。
「お前が帰ってくるまで待つと言って聞かなくてね。キンタローたちが説得に当たってくれたんだが、逆に説得されてしまって引き上げたよ」
まさかいつまでもソファに寝かせておくわけにもいかないと、ベッドを譲ったのだという。
「そっか、待っててくれたのか…」
シンタローは扉の向こうに見た弟の寝顔に、思わず笑みが零れる。
「仕切りなおして、明日はケーキが待ってるからね。パパ&コタローの最高傑作だよ」
「…へ?」
アンド、コタロー…と言ったのか。
「コタローが作ったのか!」
思わず立ち上がるシンタローに、マジックはもう一度人差し指を立てた。
「あ、とと…」
反射的に口をつぐみ耳をすませたが、眠る子供には影響ないようだった。
「…コタローが…ケーキ…」
眼が自然に冷蔵庫にゆく。
「まだ見ちゃ駄目だよ?」
「わーってるよ」
そういいつつも、冷蔵庫を凝視してしまうシンタローだ。
あの中に、眼の中に入れても痛くない最愛の弟が作ったケーキが入っているのだ!
「パパも一緒に作ったんだけど」
シンタローの考えなどお見通しといわんばかりのタイミングでマジックが主張した。
そういいながら、差し出す薔薇茶。
シンタローはいそいそと、でもたいそう嬉しそうにカップを手にした。
「そっかぁ、コタローがケーキを…」
マジックの言葉が耳に入らないのか、シンタローはうっとりときらめくようなカップの表を眺め、口をつけた。
美味しい。
温かくて、ほっとする。
しかもコタローがケーキを作ってくれたのだ。気分は最高だった。
「まったく、お前というコは…」
マジックは咄嗟に鼻をつまんだ。
わが子ながら、どうしてこういくつになっても可愛いのだろう。
こんなふうに無防備に、にこにこしながらお茶を飲む子が総帥だなんて、世界が知ったら天地がひっくり返るのではないかとさえ思う。
「…んだよ」
マジックが見つめているのに気がついて、シンタローは慌てて口をへの字に曲げた。睨んだつもりだが、逆効果だったようで、マジックが飛びついてきた。
「お誕生日おめでとうシンちゃん!」
「でけぇ声だすな!コタローが起きるッ」
「ああもうどうしてこんなに可愛いんだい」
「抱きつくな、グリグリすんな、零れるだろッ」
小さい声で反論しつつ、シンタローが肘でマジックをけん制する。
「今のシンちゃんを見られただけでも、パパ頑張ったかいがあったよ」
お茶を零さないように、マジックの手がシンタローの手に添えられる。
「お代わりあげるね」
そっとカップをはずしてテーブルに置くと、ポットからまだ湯気のたつ茶を追加した。
あっさりと手をひいたマジックに、シンタローとしてはこれ以上怒鳴りつける理由がなくて、口をつぐんだまま注がれる茶を見つめた。
コタローと、ケーキを作ったというマジック。
その光景を想像すると、どうにも顔がしまりなくなってしまう。
「シンちゃん?」
どんな顔をして作ったのだろう。正しく親子な彼らが二人してキッチンに立つなんて、まるで夢のような光景だ。
しかも、それはシンタローのためなのだ。
嬉しすぎてどうにかなりそうだった。
思わず手で顔を半分隠した。どうしても笑ってしまうのだ。
「…お前が喜んでくれてよかった」
「…」
「誤解するんじゃないよ。コタローと一緒にクッキングしたかったのも本当さ。でも、それをお前が喜んでくれることも、わかっていたからね」
コタローからのプレゼントは、マジックからのプレゼントでもある。
そのダイナマイト級の、けれど単純な仕掛けに、シンタローはぐうの音も出ない。
嬉しくて心臓が踊っているみたいだった。
あまりにも見透かされて、負け惜しみのようにシンタローは睨みつけた。
「…その姿をビデオにとってあんだろうな…ッ」
「もちろんだよ…でも」
「でも?」
「だってパパ、まだシンちゃんにお礼言ってもらってないもん」
「お…礼って…」
見つめる青い瞳は、宝石より美しい。
「ほーら、パパありがとうは?」
美しいくせに、意地悪なのだ。
「な…」
テープはお礼と引き換えだと笑う。
「ううう…」
感謝はしている。礼だって、言うつもりはあった。
けれどこんなふうに迫られると言えなくなってしまうのがシンタローだった。
結果として見事に顔が『カ~ッ』と赤くなった。
「シンちゃん可愛い~~!」
「ぎゃ、だから抱きつくな!グリグリすんな!ちゅーすんなぁ!」
この騒ぎでコタローが眼を覚ましていたかどうかは、また別のお話。
おわるん…。
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