湿った髪
シンちゃんが泣いてる。
そう思ったのは、一緒に育ってきた従兄弟だからだろうか。
執務室から戻ってきた黒髪の従兄弟 ― 今は兄弟だが ― は、いつになく表情が暗かった。
ちょうどグンマも研究室から小休憩にリビングに戻ってきたところだったが、無言で戻ってきたシンタローが気になった。
「どーしたの?シンちゃん」
声をかけると、シンタローはまるで初めてグンマがリビングにいたことに気づいたように、驚いて顔をあげた。
「ああ、グンマ・・・。もう仕事終わりか?」
ぼーっとしていたのが恥ずかしかったのか、シンタローは力なく笑った。
「うんと・・・。お夜食もらおうと思って戻ってきたの。今夜はもう少し。シンちゃんは?」
「今日はオレは終わり。部屋行く」
と言って、シンタローは自室へ戻ろうとした。
「シンちゃん、夕飯は・・・?」
「今日は腹減ってないからいい」
そう言って、振り返ることなくリビングを出て行ってしまった。
シンちゃん、どうしたのかな?
やっぱり気になって、夜食を2つ持ってシンタローの自室へ向かった。
「シンちゃん?」
ドア越しに話しかけても、案の上返事はなかった。
指紋認証を使うドアは、本人でなければ外から開けることができない。
「シンちゃん、リゾット持ってきたんだけど、一緒に食べない?リゾットなら入るでしょ?」
お盆の上には、湯気の立つきのこのチーズリゾットが載っている。
少しの間があって、内側からロックを解除する電子音がした。
「ありがと」
いつもは明るい彼が表情の暗いのを見ると、こちらまで気持ちが沈むような気がしたが、努めて明るく言って部屋に入る。
シンタローは総帥服の上着だけ脱いで、どうやらベッドに横になっていたようだった。
いつもハウスキーパーによって完璧に整えられるベッドの上に、人の寝た跡がついている。
テーブルの上にお盆を載せると、一緒に持ってきたミネラルウォーターをコップに注いだ。
「シンちゃんはビールの方が良かったかな?」
笑いながら言うと、シンタローもつられたように少しだけ笑った。
けれど、すぐ目を伏せてしまう。
「どうしたの?シンちゃん」
シンタローの座る側のソファに行くと、グンマはシンタローの髪を撫でた。
顔にかかった髪を耳の後ろへかけようとして、その髪が湿っているのに気づく。
やっぱりシンちゃん、泣いてたんだ。
おそらくベッドに横になりながら泣いていたのだ。
伏目がちにしていたからよく見えなかったが、おそらく目は赤くなっているだろう。
黒いまつげは水分を含んでいた。
問いかけてはみたものの、シンタローは黙ったままだった。
気丈な彼が、泣くなんて珍しいと他の者なら思うかもしれない。
しかし、小さい頃から2人だけで遊んでいた自分なら、従兄弟が泣いているところを何度も目撃したことがあったし、実際2人でよく泣いていた。
たいていは自分が先に泣いて、シンタローはぐっと我慢していることが多かったが。
それでも最後にはこらえきれず泣いてしまったことが多かった。
シンちゃんどうしたの?
その問いかけには、きっと、答えなんかもらえない。
シンタローには、きっと、つらいことが多すぎる。
あの島のこと。シンタロー自身のこと。コタローのこと。マジックのこと。キンタローのこと。仕事のこと。
・・・おそらくグンマのことだって。
グンマは、背の高いシンタローの肩をそっと抱いた。
彼にしては珍しく素直に、グンマに体重を預けてくるのが嬉しかった。
彼のがっしりとした体に腕を回し、そっと力を込める。
キンちゃんが帰ってくるまでは、今日はボクがなぐさめてあげる。
グンマは、新たに落ちてきた涙をそっと舌で舐めとった。
end
ブラウザバックでお戻り下さい
PR
君が待つ時間
オモテサンドウの喧騒の中でも、アイツの姿はすぐわかった。
駅を出てすぐのところにあるビルの1階に、こじんまりとした花屋がある。
その脇の壁に、もたれかかるようにして、手にした文庫本を読んでいるアイツを見つけた。
花屋には季節の色とりどりの花が、誇らしげに咲いている。
その中でも清楚な白いカサブランカがの隣に、キンタローはいたのだ。
金色の髪が、時折花を揺らすそよ風に揺らぎ、午後の日差しを、やわらかくはじいている。
皮のカバーをかけた本に視線を落とした顔は水面のように静かで、まるでそこだけ別世界のようだった。
(1人の時はあんな顔してるんだな)
その様子を少し遠くから眺めていたシンタローだったが、なんだか声をかけるのがためらわれた。
早く声をかけたい、という気持ちもあったが、なぜだろう、まだ少し離れたところからその一枚の絵のような姿を眺めていたいとも思った。
まだパプワ島から戻ってきた頃は凶暴で、手の付けられないような男だったが、徐々に落ち着き、その後必死で世界と向き合おうとしているその姿に感銘を受けた。
しかし、不幸にも青の秘石によって24年もの間シンタローに閉じ込められていた青年は、まるで子どものようで、シンタローは気になって仕方がなかった。
危なっかしいというか、なんというか・・・。
元々子ども好きなシンタローが、世話を焼きたくなるのも仕方がなかったかもしれない。
そんなキンタローがきちんと時間通りに約束の場所にいたことに、えも言われぬうれしさを感じるのは、親ばかみたいなもんだろうか。
今日は2人でグンマへのプレゼントを買いに来たのだった。
シンタローは髪を切る予定があったので、ついでに待ち合わせをしようと提案した。
まだ待ち合わせの時間には少しだけあったので、大人びたその姿を遠慮なく眺めていようかと思ったその時、どうやら先ほどから2人組でキンタローを遠巻きに見ていた女性が、「Excuse me...」と声をかけている。
(お、逆ナンパ?)
これは面白い展開になった、とシンタローは思わず駅の壁にそっと身を隠した。
さすがはオレの従兄弟、と思っていると、その10代後半から20代前半の女性二人は、なにやら一生懸命拙い英語で話しかけているらしい。
キンタローはふと顔を上げ、無表情だが、よく見ると幾分いぶかしげな顔をした。
(何言ってるんだ?)
残念ながら女性たちの声は途切れ途切れにしか聞こえなかったが、どう見てもあれはナンパだろう。
気配をなるべく消しながら慎重に近づくと、耳をそばだてる。
どうやら、英語でクラブに行こうと誘っているらしい。
「悪いが」
ずっと黙って聞いていたキンタローは突然口を開いた。
短いながらも、流暢で固い日本語が白人男性から飛び出したことに、女性たちはいささか驚いたようだ。
「今日は従兄弟と待ち合わせしている。他をあたってくれ」
無表情な青年は、とりつくしまがなかったが、それを聞いた瞬間シンタローはキンタローが自分を待っているのだということに改めて気がついて、妙な動悸が胸に湧き上がるのを感じた。
その動悸の正体がつかめず混乱する。
アイツはこの瞬間も、他でもない、自分を待っている。
そう思うと、何故か胸が切なくなった。
女性たちは残念そうにキンタローから離れ、シンタローのいる方向へ向かって歩いてきた。
「なんだ、日本語ペラペラじゃん」
「がっかり」
そう口々に言って雑踏の中に紛れていった。
女性たちの口ぶりに、あっけにとられて、人ごみの中に消えていくのを見ていると、
「いつまでそうしているつもりだ」
と、背後から声をかけられた。
「え゛」
バツの悪そうにシンタローが振り帰ると、いつの間にか近づいてきたのか、キンタローが腰に手をあてて立っていた。
少しあきれているような表情で、文庫本をカバンにしまっている。
「いやあ・・・。キンタローったらモテモテじゃんv」
こっそり見ていたのが恥ずかしくてごまかすように言うと、キンタローがふん、と鼻を鳴らした。
「知らない女に声をかけられてもうれしくない。・・・それより」
と、キンタローはシンタローのおろした黒髪の一房を手に取った。
「きれいになったな」
と、その髪を自分の顔に近づけ、口付けた。
その様子を見て、シンタローは真っ赤になった。
まずい。
身長190cm超の男2人が、屋外でこういう親密な空気を作っているのは、まずい。
我が家では馬鹿親父が異常なほど馴れ馴れしく、スキンシップ過剰なためか、キンタローもどうやら影響を受けてしまったらしい。
かと言って、親父にするみたいに邪険に払うとキンタローがしかられた犬みたいになるのは目に見えている。
どうも、コイツには弱い。
とりあえず、シンタローは平静を装うことにした。
キンタローがようやく髪を離すと、とりあえず目的の店まで歩こうとしてキンタローを促して歩き出す。
「どうしてすぐ声をかけなかったんだ?」
道々、キンタローは当然の疑問を呈した。
「いや、別に・・・」
キンタローの姿が見ていたかっただけ、とは恥ずかしくて口が裂けても言えなかった。
end
ブラウザバックでお戻りください
どうしたの?
最近、シンちゃんの様子がおかしい。
前みたいに怒らなくなったのだ。
以前はそれはそれはカルシウム不足だなこの子は、と思うほど、手を握っただけでも、デートしようって言っただけでも、ほっぺにキスしただけでも顔を真っ赤にして怒ってたのに。
怒ったシンちゃんの顔も魅力的だけど☆
・・・でもホントに、どうしたの?
今日なんか、朝いってらっしゃいのチュウをしたら、やめろよ、って言いながらもくすぐったそうに笑ってたし。
いつもならアッパーが出るよね☆
夜はせっかく早く帰ってきたんだからチェスでもしようよって言ったらいいよ、って言ってくれて夕飯まで付き合ってくれたし。
・・・いつもなら、ああ?後でな!って言って結局してくれないのに・・・。
なんか、おかしい。
どうしたんだろう?
とうとう、パパの愛を受け入れる気になったのかな?
今日なら、一緒に寝ようって言っても大丈夫かな!?
夕飯の後、リビングでみんなでくつろいでいる様子を眺めているが、やっぱり愛しいシンタローの顔ばかり見てしまう。
「シンちゃん、抹茶食べさせて~」
グンちゃんが、シンタローの食べていた抹茶味のアイスをねだっている。
「ほらよ」ってシンちゃんはアイスを差し出すと、グンちゃんはうれしそうに一口すくって食べた。
「おいしい~v・・・じゃ、ボクのもあげる~」
と言ってグンちゃんは、自分のストロベリー味をすくってシンちゃんの口元に差し出した。
「お、サンキュー」
シンちゃんはぱくっとピンク色のアイスを口に入れると、うまい、と一言。
「ここのアイスはホントうまいな。今度からここのにしよう」とご満悦だ。
(・・・かわいいなあ)
自分はアイスを辞退したが、こうして子供たちの様子を眺めているだけで満足だ。
すると、シンちゃんはキンちゃんにも、「お前も食うか?」と言って抹茶味のアイスをすくった。
ラムレーズンのアイスを食べていたキンちゃんは、普段はとってもクールな感じなんだけど、こういうときはすごく子供っぽく見える時がある。
・・・まだこの世に生まれて間もないしね。
キンちゃんは当然のようにあーんと口を開けて、シンちゃんに食べさせてもらった。
あ、あ、いいな、キンちゃん。
シンちゃんに食べさせてもらってる!
「抹茶の苦味がほどよく利いていていいな」
「だろ?」
シンちゃんはほうじ茶を飲みながら、うれしそうに言った。
でも次の瞬間、シンちゃんは、
「あ、アイスついてる」
って言って、キンちゃんの口の端をその長い指でぬぐった。
そして、自分でぺろりとその指についた抹茶アイスをなめてしまった。
「キンちゃんかわいい」
グンちゃんがはやし立てる。
そうか?とキンちゃんは不思議そうな顔をしている。
(・・・)
その様子を見ていて、なんだか落ち込んだ。
シンちゃんは自分には絶対そういうことをしてくれない。
昔だったら、まだシンちゃんが反抗期の前だったらまだしも・・・。
口の端にアイスをつけるなんて芸当は、自分にはできない。
シンちゃんはああいう風に母性的な愛情?みたいなものがたっぷりあって、とっても面倒見がいい。
とっても頭が良くって、見た目は大人なんだけど時々子供っぽいキンちゃんには、やさしい。
あの島にいた時だって、なんだかんだ言ってあの子供と犬の世話を焼いていたのがものすごい板についていたし。
・・・シンちゃんもやっぱりあの子達と別れて寂しいのかな・・・?
「・・・?どーしたの?おとーさま」
グンちゃんが、どんよりとしてリビングから出て行こうとする私に、不思議そうに話しかけた。
キンちゃんの子供っぽさは、グンちゃんのそれと似ているようで微妙に違う。
シンちゃんはグンちゃんには兄貴分みたいな感じであたる。
(・・・もしかして最近妙に落ち着いてるのは、キンちゃんが母性本能(?)を満たしているから・・・?)
つまり、シンちゃんは自分以外の人間をよく構っているとき、生き生きとして、満たされている気がするのだ。
そうするとその愛情のなせる業なのか、その対象以外の人間にもこころなしか優しくなる。
そう思うと、喜んでいいのか、悲しんでいいのか、わからないマジックであった。
end
ねえパパ。誕生日、何が欲しい?
物心ついた時から毎年繰りかえされた俺からのクエスチョン。
対する親父のアンサーは常にひとつ。
おまえのくれる物ならなんだってv
…って、馬鹿のひとつ覚えかっつの。
そういう答えが返ってくんのはわかりきってたけど、今年もきいた。
別にこんな質問、しなくたってよかったんだ。
いやむしろ、その一人ツッコミをしたいから、きいたようなもんだった。
…逃げ場をつくる言いわけなのは、マジックだってわかってただろうけど。
「…なんか、欲しいもん、あんの? 誕生日」
おやすみのあいさつ。
唇の触れない、かるいAir Kissをして。
しどろもどろにきいたのは、あの視線をみつけたから。
「ああ、」
最近、時々。
不思議とマジックは、こういう目をするようになった。
あの青、どこか冷たくこわく感じていた青は、ふと気づくと炎のようにゆらめいた青色をしてる。青いのに、熱い。
見てはいけない。
とっさに思うのはその言葉で、何故いけないのか、警鐘を鳴らすのは自分の中のなんなのか、いまだ理由はわからない。
ただ、ひきこまれそうで。
“それ”から逃げろ逃げろと、思ってしまう。
今までみたいな怖いとか嫌だとか、気持ちとか感情が追いつく前に条件反射で。思うコレと、思わせるまなざしはなんだ。
転ぶ前に手をつくとか、反射運動のひとつみたいな?
それとも本能ってこういうもんか。
「ごめんね、シンタロー」
あやまる言葉をつづけて俺の頬をつつんだふたつの手のひらの、さらりと乾いた感触も、ゆれたその瞳も。
ああ。
嘘だ嘘だ。
重ねられたくちびるが熱くて、胸がぐっと苦しくなる。
親愛なんてとっくにすぎてるじゃないか。
「シンちゃんの、ぜんぶが欲しいんだよ」
はじめて知ってしまった。
こんな、たましいのふるえるキスを。
今までの、嘘を。
--------------------------------------------------------------------------------
同族嫌悪・近親憎悪
--------------------------------------------------------------------------------
ガンマ団新総帥は、その日すこぶる機嫌が悪かった。
廊下にいるにも関わらず、部屋の中から伝わってくるこのオーラは只事ではない。
「……ティラミス、お前行け」
「馬鹿言うな。俺だってまだ死にたくない」
部屋の前では書類の束を持ったままの秘書二名が、美しき譲り合い (押し付け合い)の精神を発揮した会話が繰り広げている。
誰だって無駄に寿命を縮めたくはない。
『二人とも、くだらねぇ事やってねぇで、早く入って来やがれ』
「「!」」
扉越しに聞こえたそれは、いつもより低く、明らかに機嫌が悪そうな声色。
何にしろ、気付かれているのなら入らない訳にはいかない。
顔はあくまでも冷静を装いつつ、二人は自動ドアの前に立った。
「「失礼します」」
扉に背を向け、深々と椅子に座り込んだその人物。
顔は見えなくとも、張り詰めている肌を刺すような空気が恐ろしい。
「今日の予定は昨日確認したものと変更ないな」
「はい」
スケジュールを書き込んだメモを見ながら、返事をする。
ここ最近はそんなに忙しいことはない。
遠征が無いかわりに書類処理が多いだけだ。
「ならいい。下がってくれ」
振り向かないままに確認を取ると、下がれと手で示す。
「……あの、総帥? ……何かお気に触ることでも?」
「あったように見えるのか?」
あからさまに、「それ以上聞くな」と言う雰囲気を漂わせた低い声に、チョコレートロマンスは首を振るので精一杯だった。
「(こら、チョコレートロマンス! 聞くならちゃんと最後まで聞け!)」
「(馬鹿! あの状態で聞けるか!!)」
秘書二人、目線で会話が出来る辺り付き合いの長さが窺える。
「「それでは、失礼します」」
入室の時と同じように、声をそろえて二人は部屋を出た。
扉が閉じた瞬間に、これまた同じようにため息をつき、互いの顔を見やる。
「……マジック様か?」
「……八割の確率でそうだと思うぞ俺は」
やたら高い確信なのは、普段の行動を見れば仕方がない。
「仕事が進むなら良いけどな……俺たちの寿命が縮むくらいだ」
「秘書は耐えるお仕事です。か?」
「世知辛いな……」
「ああ」
まさに秘書の鏡と言える会話をしながら、二人は元総帥のいるであろう部屋に向けて歩き出した。
特戦部隊隊長は、その日とてつもなく機嫌が悪かった。
廊下にいるにも関わらず、部屋の中から伝わってくるこのオーラは只事ではない。
「……ロッド、お前が行け。骨は拾ってやる」
「いやー、俺もまだ殉職する年齢じゃないしねー、ここは平等にじゃんけんで……」
「……」
部屋の前では各部署への報告(主に損害報告)から帰ってきた部下三名が、醜い押し付け合いの精神を発揮した会話が繰り広げている。
あの隊長のことだ。下手すれば眼魔砲は確実。
『おらてめぇら! くだらねぇ事やってねぇで、早く入ってこい』
「「「!」」」
扉越しに聞こえたそれは、明らかに不機嫌が表面に表れていて、三人は即座に身を固くした。
このまま入らなければ殺されるが、入っても殺される。
「「「……じゃんけん」」」
…………。
平等な勝負の結果、先頭で部屋に入ることになったロッドは、信じてもいない十字を切った。
「隊長ー、只今戻りました」
「遅ぇ」
デスクに足を乗せ、あからさまに機嫌が悪いことを態度で示した男は、既に吸い殻が溢れんばかりのった灰皿に、更にタバコを押し付けた。
「報告に何時間かかってんだ」
確かに、たかが書類提出にそれぞれずいぶん時間がかかっている。
それもそのはず、それぞれが各部署で、書類の書き直しをしていたのだから当然だ。
さすがに三行だけしかない書類を見た時は、全員頭を抱えたものだ。
せめて一枚以上の厚さで報告書として提出して欲しい。
「それで? 次はどこに行ってこいって?」
「あぁ、いえ、しばらく待機だそうですよ?」
珍しく空いた時間ができた、と笑いながら言ったロッドに、しかしハーレムは一層眉根を寄せた。
「あぁ? 待機だぁ?」
足で強くデスクが強く蹴られ、置いてあった残りの書類が舞い上がって、床に降り注いだ。
後々の片付けはやはり自分たちがするのだろうと思うと、頭痛がする。
「……あの、隊長? 何かあったんっすか?」
「あったように見えんのか? ぁあ?」
聞いたロッドに向けて、射殺さんばかりの視線を向け、噛み付くような言葉で威嚇する。
そうとうに機嫌が悪いらしいと読み取って、「いーえ」とあくまで平静を崩さずに返す。
「(だめだこりゃ、そーとー虫の居所悪いみたいよ?)」
「(いつも以上にな)」
「(…………)」
部下三人、長年この上司の下についてきただけあってか、さすがに意思疎通が出来ている。
「それじゃ、俺らはこの辺で」
「失礼いたします」
「…………」
こういう時は、巻き込まれないうちに姿を消すのが賢い部下というものだ。
今のうちに部屋をでるにかぎる。
リキッドがいれば八つ当たり相手ができて少しはマシなのだろうが……。
ないものねだりをしても仕方がない。
「……やっぱ馬かねぇ?」
「いや、酒が切れたのかもしれん」
「タバコもありうる……」
閉じた扉の前で、思い思いの原因を述べる。
普段の生活ぶりを見れば仕方のないことだが……何と人望のないことか。
「まあ、とばっちりが来ないならいいんだけどね。俺は」
「同感だ」
「……」
巻き込まれても何の徳もないことがわかっている。
次の出撃までに上司の機嫌が直っていることを願いつつ、各自室に向け、長い廊下を歩き始めた。
昨晩深夜、総帥自室の明かりは消えていなかった。
未だ安定しない団内部を総括するため、全て把握しなければ気がすまないとでも言うように、現総帥が寝る間を削って資料を読み漁っていたからだ。
しかし過去のファイルの何と多いことか……。
自室は半分資料室と化し、ことにテーブル周りは酷いもの。
本来デスクですべき作業だが、残念ながらそのデスクは部屋にない。
彼を心配してか、従兄弟がそろって片付けてしまった。
もっとも、その意を酌まずにいるわけだが……。
「んなことしたって何にもならねーぜ?」
「……るせぇ、いつ帰ってきたんだよ」
バタンと他人の迷惑を考えない音がして、開け放たれたドアから不躾な声が響く。
音からして、金具が駄目になったかもしれない。
部屋の主は、全く気にも留めていないように、ファイルから顔を上げぬままに答えた。
「さっきだよ、隊長様自らご報告にきてやったってんだ。感謝しろよ?」
「知るかよ。だったらこんな時間に来るんじゃねぇ。……おい、硝煙臭ぇぞ。」
戦場の匂いが染み付いている隊服に、酷く嫌そうな顔をする。
シャワーくらい浴びてからこいと、追い払うように手を振った。
嫌いなわけではない。
今見たくはないだけ。
「……昔の事なんて持ち出したところで、兄貴にゃ勝てねぇって思うだけだろ」
「……黙れよ」
少し眉を動かして、それでも顔は上げない。
この男は何を言いたいのか。
「てめぇにゃ、無理なんだよ」
「黙れ」
「わかりきってたことだろ」
「黙れって言ってんだ!」
ファイルを乱暴に閉じて吐き出す。
「何が言いたい、ハーレムっ……」
初めて顔を上げ、そこに立つ人物を睨みつけた。
相手もまた、負けず劣らずに凄んだ視線をぶつけてくる。
「……てめぇは『青』じゃねぇ」
「……そんなこと昔からだろ」
何を今になって言い出すのだと、シンタローは眉を寄せた。
髪色や眼で、今までだって充分言われ続けてきたことだ。
「わかってねぇよ糞餓鬼」
「何でだよ!」
未だ子ども扱いなのが気に入らない。
わかったふりをしてるのが気に入らない。
互いに相手が癇に障る。
胸倉を掴みあって、唾のかかる距離で怒鳴りあう。
「わかってんなら! ちまちまこんなことしてねぇで、てめぇの力で引っ張ってきゃいいだろーが!」
「足りねぇんだよ! まだ! 俺はっ……!」
言いかけて、ようやく言葉を読み取る。
「俺は……」
『青』でなく『自分の力』で……?
「……それで駄目なら、とっとと辞めて俺に譲れ」
「誰がっ……」
だとすれば、何と回りくどく、演技くさいことをするのかこの男は。
それが気に食わず、シンタローはますます眉を寄せ、睨みつける。
結局子ども扱いしてんじゃねぇか、と。
そうやって視線だけでぶつかり合い、しばらく過ぎると、不意にハーレムが手を離した。
「……けっ……気分悪ィ」
そう言って、自分の胸倉を掴んでいたシンタローの手を払い、さっさと開けたままのドアから出て行った。
ご丁寧に今度はドアを閉めて。
おかげで上部の金具が取れた。いい迷惑だ。
「……報告、してけよ」
本来の目的を果たさなかった叔父に、シンタローは精一杯の悪態をついた。
「――――っあー、くそっ」
書類にペンを走らせてはいるのに、全然集中できやしねぇ。
「あんのクソ獅子舞がっ……!」
ったく、気に入らねぇな。あの叔父は。
一々何かとつっかかって来る。親父とは違う、それでも苦手な部類。
口調も、態度も。
いい加減大人になれよオッサン。
阿呆らしい。
近親憎悪?
違うね。一緒にすんなよ。
あんなんただの酔っぱらいだ。
「言いたいことずけずけ言いやがって……」
「――――っだー、ムカツク」
逃げやがったな、あいつら。
発散する相手がいねぇじゃねぇか。
「糞餓鬼め……」
あぁ、胸糞悪ィ。あの甥っ子は。
顔以外はアイツと似ても似つかねぇってのに。
言動も、行動も。
まるで餓鬼の戯言じゃねぇか。
馬鹿くせぇ。
同属嫌悪?
冗談じゃねぇな。
あんなんただの糞餓鬼だ。
「『青』になんかなるもんじゃねぇんだよ」
だから、絶対、
「アイツに諭されたなんて死んでも思いたくねぇ」
「餓鬼は餓鬼らしくしとくもんだ」
『お前を認めてる』なんて、言ってやらねぇ。
END