町から少しはずれにある小料理屋。使い込んだ暖簾をくぐると町外れにある店にしてはずいぶん繁盛していて、空いている場所はない。客層はといえば職人や小商いをする商人といったごくごく普通の男たちが安い酒と旨い肴で世間話に興じている。
こざっぱりした中年の女将が店に入ってきた客に気安く声をかけた。
「おや、いらっしゃい。お仲間は先に来ていますよ」
「ああ」
客は人好きする笑みを浮かべながら勝手を知り尽くした様子で二階に上がった。そうしていつもの座敷の襖を無造作に開ける。
「よう」
座敷では先に来ていたアラシヤマたちが思い思いに座って酒を酌み交わしている。やっとやってきたシンタローにミヤギが手にした湯飲みを掲げて明るく笑う。
「お。人気随一花形役者のお着きだべ」
「バーカ」
シンタローは少し照れたように笑うと空いている場所に適当に座って湯飲みに酒をなみなみと注いだ。
芝居が跳ねると気の合う若手が集まって反省会と称して飲んだり、時には各々の芸について語り合ったりしているのだ。
シンタローが湯飲みに口をつけようとすると、側に何本も銚子を転がしてご機嫌のコージがからかうようにからんでくる。
「贔屓にお呼ばれして旨い酒をきこめしたんじゃ。安酒じゃ酔えんじゃろ」
「冗談じゃねぇよ」
ぐいと勢いよく飲み干したシンタローは実に苦々しげだった。
「えらいご機嫌ナナメだっちゃ。何があったっちゃ?」
「なに言うてはるん。紫焔は贔屓に呼ばれるたんびに不機嫌でっしゃろ。無理に舞わされたり、お愛敬振り撒いたりは芯から嫌いなお人どすえ」
「今歌右衛門じゃからのぉ」
「そんなんじゃねぇよ」
シンタローはぶすったれて言い捨てると座敷であった一部始終を話して聞かせた。
「人形ねぇ。こりゃ面白い」
コージがいかにも面白そうに喉で笑うとミヤギは憤慨してくってかかった。
「面白くねぇべ! シンタローのどこが人形だっちゃ!」
「そうだっちゃ、えらい侮辱だっちゃ!!」
「まぁ、そんなに目くじら立てるほどのことでもないかもしれまへんえ」
熱くなるミヤギとトットリにアラシヤマは少し冷めた口調で言う。
「贔屓や言うても素人ですやろ。そのお客言うたら尚更どす。素人はんは時によぉわかりもせんのにいろいろいわはるもんどす。わてかていろいろ言われて……。もううんざりですわ」
「そんなふうに言うってことは…なんかあっただか?」
もったいぶった口ぶりにすっかり引っかかったミヤギがずいと身を乗り出す。
「えらい鋭おすなぁ」
イヤミたっぷりのアラシヤマの口調だがミヤギにはまったく通じないらしく謙遜ぶって、いやぁ、などと呟きながら頭を掻く。隣のトットリの方がよほどアラシヤマの言い草に腹を立てているらしく睨みつけるが、アラシヤマは意に介さず自分の荷物をたぐり寄せる。中を探って一冊の本を取り出すとそれを放り出した。
「なんだっちゃ?」
「最近の西洋かぶれと改革流行のせいで、なんもよう知らんお方らがこういうもんを芝居に取り入れるべきやと押し付けてきはるんどす」
「つーことは、次の本だべ?」
「次の次くらいどす。狂言に書き直さなあきまへんし」
「へーぇ」
本となれば俄然興味が湧くのは役者の性。四人は一冊の本を囲んで読んだ。
途中ちょっとした小競り合いをはさんで全編読みきったあと、それぞれがそれぞれに呆れた顔をしていた。
「なんじゃ。こりゃまるっきり妹背山じゃ」
「ああ。少し違うところもあるが、かなり似ているな」
もう一度ぺらぺらと頁を捲りながらシンタローも同意した。
「わても似たようなもんやと思います。けど西洋かぶれの贔屓がどないしてもやれというてきかんのです」
「駆け出しの辛いトコだっちゃ」
「まぁそれをどない粋に見せるかが腕の見せ所どす」
軽口で揶揄するトットリをアラシヤマが睨む。いつもどおり険悪な雰囲気になりかけているところにミヤギが無邪気に割って入った。
「なぁ、せっかくだから役を当ててちょっとやってみるべ。オラこの立役な」
「ほんまにあんさんは東のお人のクセに和事がお得意どすなぁ」
決して褒めたわけではないのだが、やはりミヤギにはまったく効いていないようだ。シンタローから本をひったくって自分の台詞を読み出している。
「わしがやるなら許婚かのぉ」
「じゃあシンタローはお姫様だっちゃ」
「トットリ、お前も名題になったんだからちょっと欲出して役を取っていけよ」
お遊びでも役をとろうとしないトットリに呆れたシンタローが言うがトットリはまったく気にしていないようだ。
「僕はまだ立女方なんて無理だっちゃ。それにシンタローやミヤギくんの後見をするのが楽しんだっちゃ」
「でももう黒衣を着るのはやめろよな」
「わかったっちゃ」
にこにこ笑って答えるがトットリが黒衣を脱ぐ気がないのは誰の目にも明らかだった。
結局トットリはコージと脇を固める役を中心にやることにして、見栄えのいい場を抜き出して芝居を始めた。
酒の席での戯事とはいえそこは役者というもの。芝居となれば熱が入る。もちろんシンタローも同様で自分が与えられた役を熱心に演じた。
恋をする乙女の歓び。不安。哀しみ。
それらを美しく表現しながら、シンタローはどこかぎこちなさを感じていた。シンタローの不自然さは仲間たちにも伝わるらしく、時おり芝居を止めてしまった。
「どうしたんだべ、シンタロー。オメらしくもねぇ。調子悪いんだか?」
「贔屓に言われたこと、気にしてるっちゃ?」
「そんなんじゃねーよ、バーカ」
シンタローは強がって笑_とトットリの頭を軽く小突いた。
「でもまぁ、ちょうど切りもええし、そろそろお開きにしましょか」
「それがいいべ。高鼾のやつもいるし」
見ると床の間の前でコージがだらしなく寝そべって腹を掻きながらいびきを掻いている。
誰がコージを連れて変えるかで一揉めしたあと、結局コージをおいて帰ることで合意をみてそれぞれの家路についた。
よく晴れた夜だ。
街灯の輝く街をはずれ、暗い道を提灯の明かりを頼りに歩く。
月が晧々と輝き、漆黒の空に星々が瞬いている。
小さな橋の真中にさしかかった時、シンタローはふと足を止めた。橋の上から川を覗くと川面で月が揺らめいている。
シンタローは手にした提灯を吹き消して足元に置いた。
軽く目を瞑り、天を仰ぐ。
大きく息を吸った。
少し湿った空気が心地好い。
ゆっくり、ゆっくりと目をあける。
薄雲が紗のように月にかかり、その灯りを柔らかく遮った。
「この通り、私の顔は夜という仮面が隠してくれる、でもなければ、私の頬は娘心の恥ずかしさに真っ赤に染まっているはずですわ」
澱みなく美しい台詞が口をついて出る。
見れば雲はいずこかに去り、月はまた輝きを取り戻していた。
見上げた月が美しい。
シンタローは呟く。
「…オレのどこが人形だっていうんだ……」
シンタローの問いに答えるものはおらず、ただせせらぎだけが聞こえてきた。
こざっぱりした中年の女将が店に入ってきた客に気安く声をかけた。
「おや、いらっしゃい。お仲間は先に来ていますよ」
「ああ」
客は人好きする笑みを浮かべながら勝手を知り尽くした様子で二階に上がった。そうしていつもの座敷の襖を無造作に開ける。
「よう」
座敷では先に来ていたアラシヤマたちが思い思いに座って酒を酌み交わしている。やっとやってきたシンタローにミヤギが手にした湯飲みを掲げて明るく笑う。
「お。人気随一花形役者のお着きだべ」
「バーカ」
シンタローは少し照れたように笑うと空いている場所に適当に座って湯飲みに酒をなみなみと注いだ。
芝居が跳ねると気の合う若手が集まって反省会と称して飲んだり、時には各々の芸について語り合ったりしているのだ。
シンタローが湯飲みに口をつけようとすると、側に何本も銚子を転がしてご機嫌のコージがからかうようにからんでくる。
「贔屓にお呼ばれして旨い酒をきこめしたんじゃ。安酒じゃ酔えんじゃろ」
「冗談じゃねぇよ」
ぐいと勢いよく飲み干したシンタローは実に苦々しげだった。
「えらいご機嫌ナナメだっちゃ。何があったっちゃ?」
「なに言うてはるん。紫焔は贔屓に呼ばれるたんびに不機嫌でっしゃろ。無理に舞わされたり、お愛敬振り撒いたりは芯から嫌いなお人どすえ」
「今歌右衛門じゃからのぉ」
「そんなんじゃねぇよ」
シンタローはぶすったれて言い捨てると座敷であった一部始終を話して聞かせた。
「人形ねぇ。こりゃ面白い」
コージがいかにも面白そうに喉で笑うとミヤギは憤慨してくってかかった。
「面白くねぇべ! シンタローのどこが人形だっちゃ!」
「そうだっちゃ、えらい侮辱だっちゃ!!」
「まぁ、そんなに目くじら立てるほどのことでもないかもしれまへんえ」
熱くなるミヤギとトットリにアラシヤマは少し冷めた口調で言う。
「贔屓や言うても素人ですやろ。そのお客言うたら尚更どす。素人はんは時によぉわかりもせんのにいろいろいわはるもんどす。わてかていろいろ言われて……。もううんざりですわ」
「そんなふうに言うってことは…なんかあっただか?」
もったいぶった口ぶりにすっかり引っかかったミヤギがずいと身を乗り出す。
「えらい鋭おすなぁ」
イヤミたっぷりのアラシヤマの口調だがミヤギにはまったく通じないらしく謙遜ぶって、いやぁ、などと呟きながら頭を掻く。隣のトットリの方がよほどアラシヤマの言い草に腹を立てているらしく睨みつけるが、アラシヤマは意に介さず自分の荷物をたぐり寄せる。中を探って一冊の本を取り出すとそれを放り出した。
「なんだっちゃ?」
「最近の西洋かぶれと改革流行のせいで、なんもよう知らんお方らがこういうもんを芝居に取り入れるべきやと押し付けてきはるんどす」
「つーことは、次の本だべ?」
「次の次くらいどす。狂言に書き直さなあきまへんし」
「へーぇ」
本となれば俄然興味が湧くのは役者の性。四人は一冊の本を囲んで読んだ。
途中ちょっとした小競り合いをはさんで全編読みきったあと、それぞれがそれぞれに呆れた顔をしていた。
「なんじゃ。こりゃまるっきり妹背山じゃ」
「ああ。少し違うところもあるが、かなり似ているな」
もう一度ぺらぺらと頁を捲りながらシンタローも同意した。
「わても似たようなもんやと思います。けど西洋かぶれの贔屓がどないしてもやれというてきかんのです」
「駆け出しの辛いトコだっちゃ」
「まぁそれをどない粋に見せるかが腕の見せ所どす」
軽口で揶揄するトットリをアラシヤマが睨む。いつもどおり険悪な雰囲気になりかけているところにミヤギが無邪気に割って入った。
「なぁ、せっかくだから役を当ててちょっとやってみるべ。オラこの立役な」
「ほんまにあんさんは東のお人のクセに和事がお得意どすなぁ」
決して褒めたわけではないのだが、やはりミヤギにはまったく効いていないようだ。シンタローから本をひったくって自分の台詞を読み出している。
「わしがやるなら許婚かのぉ」
「じゃあシンタローはお姫様だっちゃ」
「トットリ、お前も名題になったんだからちょっと欲出して役を取っていけよ」
お遊びでも役をとろうとしないトットリに呆れたシンタローが言うがトットリはまったく気にしていないようだ。
「僕はまだ立女方なんて無理だっちゃ。それにシンタローやミヤギくんの後見をするのが楽しんだっちゃ」
「でももう黒衣を着るのはやめろよな」
「わかったっちゃ」
にこにこ笑って答えるがトットリが黒衣を脱ぐ気がないのは誰の目にも明らかだった。
結局トットリはコージと脇を固める役を中心にやることにして、見栄えのいい場を抜き出して芝居を始めた。
酒の席での戯事とはいえそこは役者というもの。芝居となれば熱が入る。もちろんシンタローも同様で自分が与えられた役を熱心に演じた。
恋をする乙女の歓び。不安。哀しみ。
それらを美しく表現しながら、シンタローはどこかぎこちなさを感じていた。シンタローの不自然さは仲間たちにも伝わるらしく、時おり芝居を止めてしまった。
「どうしたんだべ、シンタロー。オメらしくもねぇ。調子悪いんだか?」
「贔屓に言われたこと、気にしてるっちゃ?」
「そんなんじゃねーよ、バーカ」
シンタローは強がって笑_とトットリの頭を軽く小突いた。
「でもまぁ、ちょうど切りもええし、そろそろお開きにしましょか」
「それがいいべ。高鼾のやつもいるし」
見ると床の間の前でコージがだらしなく寝そべって腹を掻きながらいびきを掻いている。
誰がコージを連れて変えるかで一揉めしたあと、結局コージをおいて帰ることで合意をみてそれぞれの家路についた。
よく晴れた夜だ。
街灯の輝く街をはずれ、暗い道を提灯の明かりを頼りに歩く。
月が晧々と輝き、漆黒の空に星々が瞬いている。
小さな橋の真中にさしかかった時、シンタローはふと足を止めた。橋の上から川を覗くと川面で月が揺らめいている。
シンタローは手にした提灯を吹き消して足元に置いた。
軽く目を瞑り、天を仰ぐ。
大きく息を吸った。
少し湿った空気が心地好い。
ゆっくり、ゆっくりと目をあける。
薄雲が紗のように月にかかり、その灯りを柔らかく遮った。
「この通り、私の顔は夜という仮面が隠してくれる、でもなければ、私の頬は娘心の恥ずかしさに真っ赤に染まっているはずですわ」
澱みなく美しい台詞が口をついて出る。
見れば雲はいずこかに去り、月はまた輝きを取り戻していた。
見上げた月が美しい。
シンタローは呟く。
「…オレのどこが人形だっていうんだ……」
シンタローの問いに答えるものはおらず、ただせせらぎだけが聞こえてきた。
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車が止まったのは一軒の料亭の手前。紫焔にとっては見慣れた場所でもあった。車屋を労って帰しているところに、ちょうど料亭の女将が客の送り出しに出て来ていた。深々と走り去る客の車にお辞儀をする女将が顔を上げたとき、ちょうど紫焔たちが目に入ったらしく目元を和ませながら近付いてきた。
「あら、いらっしゃい。先ほどから奥のお座敷でお待ちかねですよ」
自ら暖簾を捲りながら二人を招くと女将は先に立って座敷へと案内した。
賑やかな料亭の中で、ひときわ賑々しい座敷の前に来ると女将は、膝をついて二人に目線で促す。座頭が静かに膝をついたので紫焔もそれにならう。
「失礼いたします。太夫がお着きです」
流れるような仕草で女将が障子を開けると、上座に座ったチョビ髯の男が上機嫌に声を上げる。
「おお、きたか。入れ入れ」
つい先ほどまで楽を奏で舞っていた芸者がわきに控えたので、座頭に続いて座敷に入り丁寧に頭を垂れた。
「本日はお招きにあずかりまして……」
座頭が口上を述べようとするのを遮って、ちょび髭が少々品のない声で笑い飛ばす。
「挨拶はいい。マジック殿、紹介しましょう。これは私が贔屓にしている一座の者で座頭の金澤芳心。隣は花形役者の紫焔」
「金澤芳心(ほうしん)でございます。どうぞご贔屓に」
「金澤紫焔でございます」
一度深く頭を下げて顔を上げると馴染みのチョビ髯の隣に金色の髪をした大柄な男が悠々と座っていた。
男は『異邦人』と呼ぶのにふさわしい容貌の持ち主だった。輝く金色の髪、ガラス玉のように青い瞳、白皙の肌、高く整った鼻梁。肩幅は広く、腕は洋服の上からでもわかるほど逞しい。
物珍しさに紫焔は思わずまじまじと目の前の異人を見ていると、さすがに男の方でも気がついたらしく目があったしまった。叱責されると思い慌てて視線を外そうとしたが、男は思いもよらぬことににっこり笑って器用に片目を瞑って見せた。思いがけないことに面食らっていると、得意満面のチョビ髯が隣の男を紫焔たちに紹介した。
「こちらは英国総領事・マジック卿だ。爵位をお持ちでいらっしゃる」
チョビ髯は大英帝国の貴族と知り合いになれたことがたいそうな自慢らしく、普段からおしゃべりなのがさらに饒舌になっていた。チョビ髯の退屈な自慢話を聞いていると欠伸が出そうだったので、紫焔はとりあえず平伏して嵐が過ぎるのをひたすら待った。
やがておしゃべりに満足したチョビ髯は上機嫌で膝を一つ打った。
「とにかくな、二人ともマジック卿にお近づきの印としてだな、なんぞひとさし舞ってくれ!」
「かしこまりました。それでは『相生獅子』を」
座頭と二人で深く頭を下げながら紫焔は内心で、いい気なもんだ、と舌打ちをした。
自分たちの磨き上げた芸をお座敷芸のように披露させる手合いを紫焔は嫌っていた。そういった連中は「巷で人気の役者でも自分のために芸を披露する」という安っぽい自己の権力を他者に誇示するために舞わせるのだ。
本当に舞を見たいと思っているわけでもないクセに――。
そう毒吐きつつも、顔を上げた時にはうって変わって美しく微笑んでいた。座頭が舞うというものを紫焔が断るわけにはいかないからだ。
紫焔は座頭が脱いだ羽織を受け取って手早く畳んで脇に置くと素早く自分の用意を整えて手をついた。座頭が隣で同じように手をついたのを合図に芸者達がおもむろに楽を始める。
常であればにぎやかしのような楽を奏でる芸者達もこのときは厳かに、だが華やかな楽を奏でる。美しい楽に乗せて絶妙な間合いで顔を上げ、手を翻す。それは麗しい二人の姫の舞であった。
あどけない仕草で蝶を追う、その姿。
秘めた恋を告白しあう、その素振り。
その舞は見るものを魅了する。
夢の世界に誘う、まるで幻のような舞。
紫焔は足を踏み出す時、身を翻す時、様々な場面でちらと周囲を見渡した。
楽を奏でる芸者達はそれぞれ調子を合わせながらもうっとりとした表情で見上げている。
上座ではチョビ髯がだらしなく口をあけて圧倒されているようだった。
あの英国人の客は―――
そう思って視線を流す際に盗み見てみると彼は下座に座った連れらしき金髪の若い男に声をかけていた。
異人の客に舞を見せるのは初めてだったが、どんな客であろうとも紫焔の舞に心動かされないものはいない。おまけに師とも仰ぐ座頭と二人で舞っているのだ。
おおかた賛美の言葉でも並べているに違いない。
そう解釈した紫焔は内心得意満面で舞い踊る。
やがて楽は賑やかに終わりを告げ、夢は現に戻る。
芸者衆のうちの誰かが、ほう、とため息を漏らした。
扇子をたたんで深くお辞儀をすると、客達は惜しみなく拍手をした。中でもチョビ髯のお大尽は特にご満悦で、大仰なほど派手に手を打っている。
「いやいや、さすがだ。素晴らしい! 一献取らせよう。近こう近こう」
すっかりお殿様気分のチョビ髯が朱塗りの銚子を手に手招きする。座頭に続いて愛想よく杯をいただいた紫焔だったが、正直な話うんざりしていた。
「どうでしたかな、二人の舞は。素晴らしかったでしょう」
ご機嫌のチョビ髯が自慢げに声をかけるとマジックは酌を受けながら言った。
「ええ。確かに素晴らしい。とても洗練された舞だ」
「そうでしょうとも!」
「特に芳心。貴方の舞は一流だ。芸術といってもいいだろう。欧州にも貴方ほど完璧にしかも美しく舞う者はそうはいないだろう」
「恐れ多いことでございます」
座頭は照れたように頭を掻きながら惜しみない賞賛を受け入れた。
「だが」
マジックは手の中の杯を飲み干すとおもむろに紫焔を見て微笑みながら言った。
「君の舞には何の感銘も受けないな、紫焔」
マジックの言葉に座が静まり返る。
庭で鹿おどしの澄んだ音がしらけた座敷に響き渡る。
「紫焔。君はまるで飾り立てられただけの人形だね」
「……ずいぶんな言い様をしてくださいますね、マジック様」
にっこりと笑いながら、だが心に冷たいものを含んだ紫焔の言葉にマジックはたじろぎもせず満面に笑みを浮かべる。
「だってそうだろう? 私は芳心の舞に心を感じたが、君の舞にはそれを感じられなかった。とても見苦しかったよ」
そう言いながらマジックは高らかに笑った。
あまりの言われようにさすがに紫焔も抑えがきかなくなりすっくと立ち上がった。
「紫焔!」
たしなめる座頭の声も紫焔の耳には届かない。マジックを見下ろしながらその視線で焼き切らんばかりに睨みつけると裾をさばいて踵を返した。
「こ、こら紫焔。どこに行く!」
チョビ髯が腰を浮かせながら呼び止めたが紫焔はすでに襖を開けていた。
「見苦しい役者がいては居心地も悪うございましょう。失礼いたします」
言葉に刺を含みながら鮮やかに笑うと紫焔は勢いよく襖を閉めた。
誰もがその場で固まってしまったように動けなくなっていた。場を和ませる幇間もあんぐりと口を開けていた。
「……芳心! なんだ紫焔のあの態度は!」
「はっ。大変に申し訳…」
「詫びてすむ問題か! お手討ちものだぞ!」
自分の体面に泥を塗られた気分のチョビ髯が丸い顔を真っ赤にして怒りだした。だがマジックは愉快そうに声を上げて笑った。
「はっはっは。いやいや、役者はあれくらいはねっかえりの方がいい」
「しかしですな…」
「ねぇ、芳心」
チョビ髯を半ば無視してマジックは座頭に話しかけた。
「はい」
「君から見て彼はどうなんだい。忌憚のないところを言ってみないか」
「………」
座頭はどうしようか迷っている風だったが、やがてまっすぐにマジックを見ながら言った。
「わたくしの口から申しますのもなんですが、あれはいい役者です。花もありますし、またよく稽古もいたします。しかし…」
「しかし?」
「足りないものが確かにあります。それはもう、貴方さまのお眼鏡どおりでございます」
「ふふっ。そうだろう? それに気がついた時、彼は今よりずっといい役者になっているだろうね」
新たに注がれた杯を見ながらマジックは愉快そうに笑い、そして続く言葉を飲み込むようゆっくりと酒を飲み干した。
「あら、いらっしゃい。先ほどから奥のお座敷でお待ちかねですよ」
自ら暖簾を捲りながら二人を招くと女将は先に立って座敷へと案内した。
賑やかな料亭の中で、ひときわ賑々しい座敷の前に来ると女将は、膝をついて二人に目線で促す。座頭が静かに膝をついたので紫焔もそれにならう。
「失礼いたします。太夫がお着きです」
流れるような仕草で女将が障子を開けると、上座に座ったチョビ髯の男が上機嫌に声を上げる。
「おお、きたか。入れ入れ」
つい先ほどまで楽を奏で舞っていた芸者がわきに控えたので、座頭に続いて座敷に入り丁寧に頭を垂れた。
「本日はお招きにあずかりまして……」
座頭が口上を述べようとするのを遮って、ちょび髭が少々品のない声で笑い飛ばす。
「挨拶はいい。マジック殿、紹介しましょう。これは私が贔屓にしている一座の者で座頭の金澤芳心。隣は花形役者の紫焔」
「金澤芳心(ほうしん)でございます。どうぞご贔屓に」
「金澤紫焔でございます」
一度深く頭を下げて顔を上げると馴染みのチョビ髯の隣に金色の髪をした大柄な男が悠々と座っていた。
男は『異邦人』と呼ぶのにふさわしい容貌の持ち主だった。輝く金色の髪、ガラス玉のように青い瞳、白皙の肌、高く整った鼻梁。肩幅は広く、腕は洋服の上からでもわかるほど逞しい。
物珍しさに紫焔は思わずまじまじと目の前の異人を見ていると、さすがに男の方でも気がついたらしく目があったしまった。叱責されると思い慌てて視線を外そうとしたが、男は思いもよらぬことににっこり笑って器用に片目を瞑って見せた。思いがけないことに面食らっていると、得意満面のチョビ髯が隣の男を紫焔たちに紹介した。
「こちらは英国総領事・マジック卿だ。爵位をお持ちでいらっしゃる」
チョビ髯は大英帝国の貴族と知り合いになれたことがたいそうな自慢らしく、普段からおしゃべりなのがさらに饒舌になっていた。チョビ髯の退屈な自慢話を聞いていると欠伸が出そうだったので、紫焔はとりあえず平伏して嵐が過ぎるのをひたすら待った。
やがておしゃべりに満足したチョビ髯は上機嫌で膝を一つ打った。
「とにかくな、二人ともマジック卿にお近づきの印としてだな、なんぞひとさし舞ってくれ!」
「かしこまりました。それでは『相生獅子』を」
座頭と二人で深く頭を下げながら紫焔は内心で、いい気なもんだ、と舌打ちをした。
自分たちの磨き上げた芸をお座敷芸のように披露させる手合いを紫焔は嫌っていた。そういった連中は「巷で人気の役者でも自分のために芸を披露する」という安っぽい自己の権力を他者に誇示するために舞わせるのだ。
本当に舞を見たいと思っているわけでもないクセに――。
そう毒吐きつつも、顔を上げた時にはうって変わって美しく微笑んでいた。座頭が舞うというものを紫焔が断るわけにはいかないからだ。
紫焔は座頭が脱いだ羽織を受け取って手早く畳んで脇に置くと素早く自分の用意を整えて手をついた。座頭が隣で同じように手をついたのを合図に芸者達がおもむろに楽を始める。
常であればにぎやかしのような楽を奏でる芸者達もこのときは厳かに、だが華やかな楽を奏でる。美しい楽に乗せて絶妙な間合いで顔を上げ、手を翻す。それは麗しい二人の姫の舞であった。
あどけない仕草で蝶を追う、その姿。
秘めた恋を告白しあう、その素振り。
その舞は見るものを魅了する。
夢の世界に誘う、まるで幻のような舞。
紫焔は足を踏み出す時、身を翻す時、様々な場面でちらと周囲を見渡した。
楽を奏でる芸者達はそれぞれ調子を合わせながらもうっとりとした表情で見上げている。
上座ではチョビ髯がだらしなく口をあけて圧倒されているようだった。
あの英国人の客は―――
そう思って視線を流す際に盗み見てみると彼は下座に座った連れらしき金髪の若い男に声をかけていた。
異人の客に舞を見せるのは初めてだったが、どんな客であろうとも紫焔の舞に心動かされないものはいない。おまけに師とも仰ぐ座頭と二人で舞っているのだ。
おおかた賛美の言葉でも並べているに違いない。
そう解釈した紫焔は内心得意満面で舞い踊る。
やがて楽は賑やかに終わりを告げ、夢は現に戻る。
芸者衆のうちの誰かが、ほう、とため息を漏らした。
扇子をたたんで深くお辞儀をすると、客達は惜しみなく拍手をした。中でもチョビ髯のお大尽は特にご満悦で、大仰なほど派手に手を打っている。
「いやいや、さすがだ。素晴らしい! 一献取らせよう。近こう近こう」
すっかりお殿様気分のチョビ髯が朱塗りの銚子を手に手招きする。座頭に続いて愛想よく杯をいただいた紫焔だったが、正直な話うんざりしていた。
「どうでしたかな、二人の舞は。素晴らしかったでしょう」
ご機嫌のチョビ髯が自慢げに声をかけるとマジックは酌を受けながら言った。
「ええ。確かに素晴らしい。とても洗練された舞だ」
「そうでしょうとも!」
「特に芳心。貴方の舞は一流だ。芸術といってもいいだろう。欧州にも貴方ほど完璧にしかも美しく舞う者はそうはいないだろう」
「恐れ多いことでございます」
座頭は照れたように頭を掻きながら惜しみない賞賛を受け入れた。
「だが」
マジックは手の中の杯を飲み干すとおもむろに紫焔を見て微笑みながら言った。
「君の舞には何の感銘も受けないな、紫焔」
マジックの言葉に座が静まり返る。
庭で鹿おどしの澄んだ音がしらけた座敷に響き渡る。
「紫焔。君はまるで飾り立てられただけの人形だね」
「……ずいぶんな言い様をしてくださいますね、マジック様」
にっこりと笑いながら、だが心に冷たいものを含んだ紫焔の言葉にマジックはたじろぎもせず満面に笑みを浮かべる。
「だってそうだろう? 私は芳心の舞に心を感じたが、君の舞にはそれを感じられなかった。とても見苦しかったよ」
そう言いながらマジックは高らかに笑った。
あまりの言われようにさすがに紫焔も抑えがきかなくなりすっくと立ち上がった。
「紫焔!」
たしなめる座頭の声も紫焔の耳には届かない。マジックを見下ろしながらその視線で焼き切らんばかりに睨みつけると裾をさばいて踵を返した。
「こ、こら紫焔。どこに行く!」
チョビ髯が腰を浮かせながら呼び止めたが紫焔はすでに襖を開けていた。
「見苦しい役者がいては居心地も悪うございましょう。失礼いたします」
言葉に刺を含みながら鮮やかに笑うと紫焔は勢いよく襖を閉めた。
誰もがその場で固まってしまったように動けなくなっていた。場を和ませる幇間もあんぐりと口を開けていた。
「……芳心! なんだ紫焔のあの態度は!」
「はっ。大変に申し訳…」
「詫びてすむ問題か! お手討ちものだぞ!」
自分の体面に泥を塗られた気分のチョビ髯が丸い顔を真っ赤にして怒りだした。だがマジックは愉快そうに声を上げて笑った。
「はっはっは。いやいや、役者はあれくらいはねっかえりの方がいい」
「しかしですな…」
「ねぇ、芳心」
チョビ髯を半ば無視してマジックは座頭に話しかけた。
「はい」
「君から見て彼はどうなんだい。忌憚のないところを言ってみないか」
「………」
座頭はどうしようか迷っている風だったが、やがてまっすぐにマジックを見ながら言った。
「わたくしの口から申しますのもなんですが、あれはいい役者です。花もありますし、またよく稽古もいたします。しかし…」
「しかし?」
「足りないものが確かにあります。それはもう、貴方さまのお眼鏡どおりでございます」
「ふふっ。そうだろう? それに気がついた時、彼は今よりずっといい役者になっているだろうね」
新たに注がれた杯を見ながらマジックは愉快そうに笑い、そして続く言葉を飲み込むようゆっくりと酒を飲み干した。
そのときシンタロー(七歳)は非常に困っていた。
今、彼がいるところは狭くて薄暗い通路。幅は大人が何とかすれ違える程度しかなく、床はリノリウム張りで壁にはよくわからない配管が走っている。窓はなく、まだ昼間だというのに天井では剥き出しの蛍光灯が広い間隔で通路を照らしているが、どうやら切れかかっているものもあるらしく、時々不規則に瞬いている。
シンタローは知らなかったが、そこはビルメンテナンス用の通路だった。
シンタローは自分が今来た道と先に続く道を何度も見比べてから、意を決して先に進むべく駆け出した。
突き当りを右に曲がり、さらにその先を右へ曲がると十字路に行き当たり―――。とうとう途方にくれた。
「やっぱりダメだ…」
事の起こりは小一時時間ほど前。グンマと始めたかくれんぼが原因だった。ふだんは最上階のVIP居住区以外に出入りすることなどないのだが、よりよい隠れ場所を探しているうちに、自分がどこにいるのかわからなくなってしまっていた。早い話が自分の家の中で迷子になってしまったのだ。
シンタローは壁にもたれかかると足を投げ出して座り込んだ。
そのうち出口か、もしくは誰か大人に見つけられると思って歩いていたのだが、出口も大人も見つからない。右も左もわからない。もう歩き疲れたし、喉も乾いた。
ふっと、シンタローは自分を探しているグンマの事を思い浮かべた。
もしかすると見つからなくて泣いているかもしれない。大泣きに泣いているところを誰かが見つけて、泣きながらシンタローがいなくなったことを訴えるかも。そうしたらきっとマジックが大騒ぎするだろう。なんとしてでも探し出してくれるに違いない。
そう。きっと見つけ出してくれる。でも、それはいつのことだろう。まさかこんな所にいるなんて、彼らは思っていないはずだから。
シンタローが心細さに膝を抱いた時、遠くの方でかすかに物音がした気がした。少しずつ、音が近付いてくるとそれがはっきりと足音だとわかる。。
『誰か探しにきてくれた!』
シンタローは喜んで立ち上がりかけたが、すぐに何かがおかしいことに気付いた。
そう、足音がひとつしかしないことだ。
シンタローを探しにきたのなら声をかけながら歩くだろうし、この通路自体がもっと賑やかになっていいはずだ。それなのに足音はただ一つでしかもひどくゆっくりと近づいてくるのだ。
何かがおかしい、と思ったときにはシンタローの頭の中にはあらゆる想像が錯綜していた。
そう言えば昨夜テレビで見た映画では誰かが持ち込んだ地球外生命体が基地を徘徊し、人間を食べ尽くす内容だった。始めは犬くらいの大きさで俊敏に犠牲者に襲いかかり、骨ごとゴリゴリ人間を食らう。映画では大人を襲って手足を食べ残していたが、シンタローは子供なのできっと食べつくされてしまうに違いない。
いやいや、もしかしたらこの通路に住み着いた狂人がいるのかもしれない。狂人は血に飢えていて、やけに手入れのいいピカピカのナイフを誰かの体に突き立てたくてたまらないのだ。きっとその異常な嗅覚で久々の獲物が迷い込んだことを察知したに違いない。
それとも―――――
次々と思い浮かぶB級映画な想像に震えながらシンタローは逃げ出すことを忘れていた。
気がつくと足音がすぐそこまで聞こえていた。曲がり角の向うに蛍光灯に照らされた薄い影が見える。
何かの影はその歩みに合わせてゆらりゆらりと揺れながらゆっくりと近付いてくる。
シンタローは壁に背中を押し付けながら立ち上がった。
戦って勝てるだろうか。シンタローはそう思ったが武器はなく、細い腕には力などあろうはずもない。
だが、戦わなくては。もし、自分が哀れな屍をさらしたとしても、果敢に戦ったとわかれば、マジックはそれを褒めてくれるかもしれない。「さすが私の子だ」と言ってくれるかもしれない。
小さな拳を握りしめ、じりじりと影ににじり寄る。
あと数歩もすれば影の主が姿をあらわす。そうしたらその瞬間に不意打ちで飛びかかればいい。相手もまさか反撃してくるとは夢にも思っていないに違いない。
耳を澄まして歩数を数える。
一歩。二歩。相手の靴の爪先がほんのわずかに見えた。今だ!
シンタローが飛びかかったその瞬間!!
「おや、シンタローさ…ほごぉ!」
「ド、ドクター!?」
シンタローの小さな右の拳が高松の顎に見事に決まっていた。
何か夢を見ていた気がするが、それが何の夢だったかは覚えていない。気がつけばぼやけた視界には、なぜか必死な顔をした子供の顔があった。
「あ、ドクター! うわぁぁん、よかった―――!」
「…シンタロー様?」
「死んだのかと思ったよ――――!!」
「勝手に殺さないでください。…っつつ…」
高松は顔をしかめながら後頭部をさすった。
自分に縋りつきながら泣きべそをかいているシンタローを見て全てを思い出した。顎がヒリヒリと痛む。頭は倒れた時にぶつけたのだろう。子供の力でも急所に当たればそれなりに効果がある証拠だ。
「ところでシンタロー様はこんな所で何を?」
ピタリとシンタローが泣き止む。そしてばつが悪そうに顔を背けると、ボソリと一言だけ発した。
「………かくれんぼ」
「お一人でですか?」
「そんなわけないでしょ! グンマとだよ!! その…ここなら見つからないと思って……」
ごにょごにょと口ごもるシンタローを見て高松は大方の予想がついて吹きだしそうになるのをぐっと堪えた。
「そうでしたか。では私は戻りますが、どーぞシンタロー様はごゆっくり。ここに隠れていらっしゃるのは誰にも!言いませんのでご安心を」
「待って、ドクター!置いてかないで~~!!」
すたすたと歩いていく背中を慌てて追いかけて腕に縋りつき、半べそをかきながら高松を見上げて訴える。
「かくれんぼで見つかっちゃマズイでしょう?」
「連れて帰って~」
置いていかれまいと必死なシンタローを見て高松は頭を掻く。
「そうしてさしあげたいのは山々なんですがねぇ…」
「?」
きょとんとした顔で見上げるシンタローの目を覗き込みながら申し訳なさそうに苦笑する。
「実は私も道に迷ってるんですよねぇ」
さして困っている風でもなくしれっと言ってのけた高松の顔をまじまじと見つめていたかと思うと、大きな目から滝のように涙が噴き出した。
「ぶえ~ん! ドクターの役立たずー! 何のために来たんだよー!」
「ただ近道をしようとしたらシンタロー様を見つけただけですよ。別に一緒にいらっしゃらなくても結構ですよ」
「ついて行くもん!」
盛大に鼻をすすり上げながら高松の白衣の裾をしっかりと握りしめる。そのさまを見て高松はやれやれと肩をすくめた。
二人は結局連れ立って歩き出した。どこまで続くかもわからない廊下に二人の足音と、時おりシンタローが鼻をすする音が響く。特に何を話すということはなかった。それが不自然だとも苦痛だとも思わない。むしろ自然なような気がしてきた時、ふと、高松が口を開いた。
「シンタロー様」
呼びかけに答えて顔を上げた。高松は笑っている。
「迷子になった時の鉄則を知ってますか?」
「…その場所から動かないこと」
以前、マジックに言い聞かされたことをそのままにシンタローは答えた。だが今回に限っては当てはまらないような気がして首をかしげた。高松は相変わらず笑いながら満足そうに頷いた。
「その通りです。遊園地だろうが、山の中だろうが、それが一番正しい。もちろん、基地の中でもね」
そう言って高松は器用にウィンクして見せた。愉快そうな高松の顔を見てシンタローはチェッと舌を鳴らしてそっぽを向いた。小さい子みたいに泣きじゃくって高松にしがみついたことを思い出して顔が赤くなる。
「でも貴方が大人になって、もし何かに迷ってしまったら、その時は前に進みなさい。しっかりと前を見据えて、前進するのです。出口のない道などないのですから」
「…? うん」
意味がわからないまま頷くシンタローに高松は微笑みかける。その微笑の裏にある感情が何なのかは混濁していて彼自身もわからない。もしかすると免罪を求めているのかもしれない。しでかした罪の重さをごまかすために、自分自身に対する欺瞞かもしれない。今更どうしようもないのに。
シンタローに知られないよう自嘲してまた前を向いた。
「おや。どうやらこのあたりに見覚えが…。もう少しで出口のようですね」
「ホントに!? じゃあ早くこんなトコロ出ちゃおうよ、ドクター。早く早く!」
「貴方が私を引っ張ってどうするんです。また迷子になりたいんですか?」
引っ張り引っ張られしつつ十分ほど歩いて出口にたどり着いた。高松が自分のIDナンバーを入力し、カードキーを取り出した。シンタローは待ちきれないといわんばかりに足踏みをしている。カードキーをスライドさせようとした手をふと止めて、シンタローを見た。
「シンタロー様」
「なぁに。ドクター?」
キラキラとした目で見上げられて、高松は一瞬逡巡した。だが思い直したように首を振る。
「いえ、何でもありません。さぁ、出口ですよ!」
スリットにカードをスライドさせると目の前の扉からガションとカギが外れる音がして、ほんの少しだけ隙間が開いた。高松はその隙間に手をかけると少し重そうに扉を引いた。
外に出ればシンタローのよく見知った廊下に出た。シンタローたち一族が生活をする最上階のフロアだ。
「やったぁ!」
シンタローは廊下に出るなり歓喜の声をあげて走り出し、廊下の角を曲がった所で立ち止まった。
その先ではグンマが盛大に泣きまくり「シンちゃんが~シンちゃんが~」と言ってはまた泣きじゃっている。そのそばでマジックがおろおろし、周囲の部下達に何か指示を飛ばしていた。
そんな二人を見てシンタローは思わず笑ってしまった。想像していたとおりの光景だったからだ。
「おーい、グンマー。パパー」
シンタローが廊下の端から声をかけるとこちらを向いた二人が涙とハナミズで顔をぐちゃぐちゃにして駆け寄ってくる。
「「シンちゃ―――ん!!」」
「こーさんって何回もゆったのにシンちゃんいなくてボク、ボク…」
「どこにいたのシンちゃん! パパはシンちゃんが誘拐されたんじゃないかって心配で心配で…。もうパパにナイショでどっか行っちゃダメだよ――!」
「ごめんね~。パパ、グンマ」
二人に抱きつかれているシンタローを見ながら高松は煙草に火を点けた。マジックへの細かい報告は後のほうがいいだろうと判断して煙草を吸いながら背を向けかけた時、シンタローがとてとてと駆けて来た。
「ドクター!」
「おや。どうしましたシンタロー様」
「あのね、お礼を言うのを忘れてたから。ありがとう、ドクター」
「どーいたしまして」
「ドクターの言ったとおりだったね」
「は?」
「『出口のない道はない』って」
シンタローの言葉を聞いて高松は一瞬目を点にして、それから思わず吹きだした。笑いを堪えきれず肩を震わせる高松を見てシンタローが愛らしい唇を尖らせて拗ねる。
「なに? 何か変なこと言った?」
「いえいえ、別に……」
「ねぇドクター。今日のことみんなにはナイショにしといてくれない?」
「シンタロー様が迷子になってビービー泣いてたことですか?」
「べっ別に迷子になったから泣いてたわけじゃないやい!」
「おやそうでしたっけ?」
「もう! イジワルだなぁ。ね、お願い!」
目をキラキラさせながら見上げられると高松もさすがに断り辛くて頭を掻く。
「ま、いいでしょう。貴方に貸しを作っておくのは悪くない」
「絶対、絶対、約束だよ!」
「はいはい」
手を振りながらマジックとグンマのところに戻るシンタローを見送りながら高松は溜め息をつくように煙を吐き出した。
『出口のない道などないのですから』
まったく、何を思ってそんなことを言ったのだか。
高松は自分の言った台詞に苦笑した。本当にそう思っているのか、それともそう思いたいだけなのか。あるいは―――。
踵を返し、高松は歩き出した。煙草の煙を燻らせながら。
彼の前に道がある。それがどこに続くのかは高松自身も知らない。
END。。。。。
『その道の先』
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というわけでまぁ、高松ってば相変わらず暗いっていうか…。自嘲癖があるっていうか…
『出口のない道はない』と高松は思っているけど、自分に出口が用意されているわけがないとも思っていそうな、そんな感じです。
審判の日がきた時、高松は笑ってそれを受け入れるつもりだったんだろうな。
運命は思いがけない方へ向かっていたんですけど……。
「ちょっと痩せたか?」
呼び出したハーレムと対面して開口一番に言われたので無言で眼魔砲を放つ。だが首を軽く傾げるだけでたやすく避けられ、咥えた煙草の先を焦がしただけだった。
「悪ィな。ちょうど煙草の火がほしかったトコだ」
そう言いながら笑われた時に覚えたムカツキをどう表現していいのやら。とりあえず無視していると突然顎を捕まれて無理やりに上を向かされた。
「おいおい。冗談じゃなく痩せてないか? ちゃんと食ってんだろうな?」
「うるせぇ。放せ」
無礼な手を払いのけ、シンタローはおもむろに立ち上がりながら内心で毒づいた。
――ああ、確かに体重は落ちたとも! 悪かったな!!
たとえ内心でも『痩せた』とは認めたくないらしい。
なれない総帥業の激務のせいということもあるが、本当の原因がこの体だ。十八歳のまま時が止まったジャンの体は元のシンタローの体よりずっと筋肉が薄かった。激務の合間をぬって筋トレをしたところでなかなかもとの体に近付かない。
――くそぉ、なんて筋肉のつきにくい体なんだ!
どうやら個体差のせいで筋肉が落ちたことがよほど悔しいらしい。シンタローは苦虫を噛み潰したような顔でハーレムに突きつける資料のファイルを棚から出そうと無防備に背中を向けた瞬間。
「!!!」
あろうことかハーレムが背中からシンタローを抱きしめて、その上トドメの一言。
「ま、俺的にはこれくらいの方が抱きやすくてちょうどいいがな」
「……が」
「が?」
からかうようなハーレムの声。
「眼魔砲――――!!!」
これも半身を捻って避けられ消滅したのは総帥室のドアだけ。
「出てけ! 二度と俺の前にその面ァ出すな!!」
「おう、そうさせてもらうぜぇ」
にやりと笑い紫煙をくゆらせながら部屋を出るハーレムの後姿を見て、ハッと気づいて慌てて呼び止める。
「オイコラちょっと待てオッサン…!」
だが、時すでに遅し。ハーレムの姿はそこにない。即座に廊下に出て憎らしいその背中に怒鳴る。
「テメェ、その前に借金返していきやがれ―――!!」
廊下の向こうでハーレムが煙草を持ってひらひら手を振る。
――……してやられた……!!
ハーレムはシンタローが横領の物証を掴んだ事を知っていたのだ。――と、言ってももとより小細工を施して隠すような小狡いこともしていなかったのだが――。知っていて話をはぐらかしたのだ。
「くそっ、どこまでセコいオッサンなんだ!」
手にした資料を握りつぶしながら吐き捨てるが、それを受け取るべき相手はすでに見えない。
シンタローはため息を一つついて執務室に戻り内線を手に取った。
とにかく眼魔砲で焦げた壁と無くなってしまった扉を直してもらわないと。秘書達もそこは慣れたもので、これくらいの仕事なら眉一つ動かさず処理してくれる。
二度と姿をあらわすな、と言ったところで一応は一族であるヤツとはすぐに顔をあわせることは必至だ。受話器を置きながらシンタローは強く心に誓う。
――次に会う時までに三キロ増やしてやる……!
シンタローにとって横領された三億より傷つけられたプライドの方がよほど重要らしい。
END。。。。。
『プライド』
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ハレシンと呼ぶにはあまりにもおこがましいのでハレ+シン
この二人はVSな関係もけっこう好きです。
でもハレシンはも――――っと好きですv(某引越しセンターのCM風に)
「はぁ」
リキッドは洗濯をしながら今日何度目かも知れぬため息をついた。
「…はぁ……」
「どーした、リキッド」
後ろから声をかけられリキッドは飛び上がって振り向いたが、そこにいるのがパプワだと知ってあからさまに安堵の息をついた。
「なんだ、パプワかよ~」
「さっきからナニを辛気臭くため息ばっかりついているんだ。うっとうしい」
「わう」
チャッピーもパプワに同意とばかりに眉間にシワを寄せる。
「だぁってよ~」
パプワの腰ミノを洗濯板でゴシゴシ洗いながらリキッドはぼやく。
「今日からシンタローさんと一緒の生活だろ。プレッシャーよ、俺」
「なぜだ? リキッドはシンタローがキライなのか?」
「そーじゃなくてよ。なんてーの、ダンナの親と突然同居することになった嫁の心境っての?」
「お前なぞ嫁にもらったおぼえはないわ!」
「はい、スミマセン……」
洗濯板で頭をかち割られ血を垂らしながら謝罪する。
自分で止血をしながらリキッドはため息混じりにポツリと呟いた。
「不安なわけよ、要するに。俺、シンタローさんにあんま好かれてねーみたいだし。気詰まりっつーかさ」
「心配するな」
あっさり言い放つパプワの顔を見てリキッドは首を傾げた。
「シンタローはリキッドのことキライじゃないぞ」
「あんなにイビられててか?」
「シンタローはどーでもいいヤツはテキトーにあしらうし、キライなヤツには見向きもしないぞ。それに…」
「それに?」
「リキッドは今以上にシンタローの事を好きになるだろうからな」
たぶん、と付け加えつつ確信的な口調にリキッドはポカンとしてパプワを見ていたが、やがておかしくてたまらないとばかりに笑い出した。
「どうして笑うんだ?」
爆笑しているリキッドを見てパプワは不思議そうな顔をするので、リキッドは何とか笑いをおさめようと必死になって息を整えていた。
「わりーわりー。パプワがあんまり突飛な言い回しをするからよ。そりゃ長く一緒にいりゃあ今よりずっと好きになるだろうな!」
「そういう意味じゃないぞ」
「へ?」
意味深なパプワのセリフにリキッドは反射的に聞き返した。
「そういう意味じゃない。別に、信じなくてもいいけどナ」
そう言ってパプワは首をすくめるとチャッピーに跨った。チャッピーはパプワを乗せて陽気な足取りで歩き出す。
「おい、パプワ。怒ったのか?」
「怒ってない。散歩に行くだけだ」
「パプワ!?」
パプワはリキッドを振り返らずにチャッピーに揺られながら手だけを振った。
「なんなんだ、パプワのヤツ…」
ゆっくりと遠ざかっていくチャッピーの尻尾を、リキッドは訳がわからないままボーゼンと見送った。
* * *
シンタローとの共同生活が始まってはや数日。初日から続くシンタローのステキな嫁イビリにリキッドは少々疲れ気味だった。次は何を注意されるのかと思うと一緒に台所に立つだけで戦々恐々としてしまう。
――て、いうか。黙って並んでいるだけで気詰まりなんですけど。こんなんで俺がシンタローさんを好きに? ありえねーよな…
「おい」
「はいぃぃぃぃぃぃ!」
気を抜いた瞬間に突然声をかけられ驚きのあまり手元が狂ってしまい、リキッドは左手の指先を包丁で切ってしまった。
「痛ッ」
「馬鹿! 振り回すな!」
反射的に切った指を振り回そうとした手首をシンタローがしっかりと掴まえて、あろうことか切った指をそのまま咥えられてしまった。
「シっシンタローさん!?」
「動くな! ついでにちょっと黙ってろ」
「……ハイ」
思いがけないアクシデントにリキッドは真っ赤になってうろたえたが、つかまれた手を振り解くのも失礼だと気付きいて大人しく
されるがままにすることにした。
落ち着いてみると、ずいぶん不思議な感じだった。いつもは見上げているシンタローの顔を、今は見下ろしているのだ。
――睫、なげー…
伏し目がちにしているせいか、睫が際立って長く見える。
――シンタローさんって、きれいなカオしてんだな…
もともと整った目鼻立ちをしているのは知っていたが、リキッドが知るシンタローは戦いを前にした厳しい顔か、もしくは不機嫌そうに眉を寄せて自分を見る顔だけだった。笑った顔も知ってはいるが、その笑顔を向けられたことはない。
まさかこんなふうに間近でシンタローを見ることになろうとは思いもよらない事だったので、リキッドはついまじまじと見つめてしまう。そんな視線に気付いたシンタローが上目遣いにリキッドを睨みつけた。
「ナニ見てんだ」
「あ、ハイ。スンマセン」
いつもなら萎縮しまくるリキッドなのだが、どうしたわけかこの時のシンタローからは威圧感が感じられなかった。心臓が跳ねるかと思うほど驚いたが、怖いとは感じなかったし、鼓動が早まることが意外にも不快ではなかった。
「もうそろそろ血も止まっただろ。来い。手当てしてやる」
「いーッスよ、シンタローさん。そんな…」
「よくねーよ。口ン中なんて雑菌だらけなんだからちゃんと消毒しとかねーと」
「はぁ」
救急箱を抱えたシンタローに手招きされてリキッドは言われるままに座り込んで切った指をおずおずと差し出した。シンタローはまた少し出血し始めた指に手際よく消毒を施すとガーゼを当てて手早く包帯を巻き始める。あまりに鮮やかな手並みにリキッドは思わず感嘆の声を漏らした。
「はー。上手いッスねー、シンタローさん」
「まがりなりにも軍隊にいたんだ。下っ端だった時にイヤでもおぼえる。オマエもそーだろーが」
ジロリとにらまれてリキッドはばつが悪そうに頭を掻いた。
「いやー。特戦はテメーのことはテメーでしろ、が基本だったもんで…。おまけにあのメンツで怪我するよーなマヌケは俺ひとりだったし…。テメーの手当てをしたことはあっても人にしてやったことも、してもらったこともねーッス」
何しろバケモンみたいな連中ですから、と付け加えながらリキッドは笑ったが、シンタローは興味なさげに相槌を打っただけで包帯をきつめに結んだ。
「よし、これでいいだろ」
「じゃ、晩飯の支度の続きを…」
「いい。怪我した奴は座ってろ」
「え? いやでもシンタローさんに全部やってもらうわけには…」
「バカヤロ。片手に包帯巻いてて何が出来る。洗い物も満足にできねーんなら邪魔なだけだ」
「けど…」
「シンタローの言うとおりだぞ、リキッド」
いつのまにか帰ってきたパプワが食事前のシットロト踊りの準備をしながらリキッドに言う。
「第一リキッドの血が隠し味の料理なんか断固拒否する!」
パプワの一言によってリキッドはためらいながらもシンタローに台所を任せることにして自分はテーブルの支度をすることに決めた。
実に居心地の悪い時間を経て、ほぼシンタローによる夕飯が机に並んだ。
パプワは口にこそ出さないがすごく嬉しそうだし、チャッピーは「いただきます」が待ちきれない様子で目をキラキラさせている。
「うし! んじゃあ食うか!」
「うむ。いただきます」
「わう!」
待っていましたとばかりに箸を持ってさっそく料理に取り掛かる。無邪気に喜ぶパプワとチャッピーを見て、リキッドはため息をつきそうになった。それというのもパプワとチャッピーがいつもよりずっと美味しそうに食べているように見えるからだ。
――見た目はそんなに変わらねーのになぁ…
そんなことを思いながら料理に手をつけずにいるとシンタローがリキッドを睨む。
「なんだよ、食わねーのか?」
「え? あ、いえ。いただきます」
慌てて箸を取ってみそ汁を一口。そして目が点になる。目の前にある皿、その次にある器。気がつけばそ誰よりもすごい勢いで次々料理に手をつけていく。
「味はどーよ?」
「美味いッス! マジ美味いッス!! 特にこの魚の煮付けなんかサイコー!」
「あったりめーだ。マズイなんていったらぶっ飛ばすぞ!」
乱暴に言いながらシンタローは満面に笑みをこぼす。
初めて自分に向けられた笑顔にリキッドは思わず呆けてかじっていた人参をポロリと口から零れ落ちた。
「テメ、なにやってんだ」
「あ、スンマセン」
慌てて人参を拾って口に放りこむリキッドを見てパプワが顔をしかめる。
「落ちたものを拾って食うな、リキッド」
「なに言ってんだ、パプワ。3秒ルールでOKよ」
シンタローがパプワの頭をガシガシかき回しながらリキッドに、なぁ、と笑いかけた。それだけでリキッドの胸が高鳴る。
――な、なんだよ。俺、なんか変だぞ…。
そう思っただけで動悸が早くなり、顔が赤くなってくるのがはっきりとわかる。
パプワに笑いながらベトベトに汚したチャッピーの口元をナプキンで拭ってやる。いつも見ているその光景をぼんやりと見ているとシンタローがまたリキッドを見て笑う。
「いっぱい食えよ。おかわりあるからな」
「ハ、ハイ!」
シンタローがただ笑いかけてくれる。それだけでリキッドはたまらなく嬉しい。もっとシンタローが笑ってくれればいい。自分がシンタローを喜ばせてみたい。そんな気持ちが後から後から芽生えてくる。
「シンタローさん、この小鉢美味いッすね。どうやって作るか教えてくださいよ」
「おう、そいつはな…」
嬉々として料理の作り方を説明するシンタローと頬を薄く染めながら楽しそうなリキッド。二人の顔を見ながらパプワは浅いため息をつく。
「ほらな、チャッピー。僕のいったとおりだろう」
「わう」
「どうせ遅かれ早かれ、リキッドも陥落すると思っていたんだ」
呆れたようなパプワの口調に同調するかのようにチャッピーは何度も深く頷いた。
「シンタローは魔性の男だからな。リキッドみたいなヤツがひっかからないほうがおかしいんだ。それにしても…」
パプワは肩をすくめて首を振った。コタローがやってきてからおぼえたお気に入りの仕草なのだが、まさに今の心境にふさわしい。
「シンタローにもちょっとは自覚してもらわんと困る」
普段は無愛想なくせにふとした時に無防備に笑顔を振り撒いて、それで何人落としてきたことか。本人は無自覚なところがまた始末が悪い。
ありえない、とか言っていたくせに夢中のリキッドと無邪気に魔性の笑みをこぼすシンタローを眺めながら、パプワはシンタローを中心にいろんな意味で賑やかになるであろう島を思って軽くため息を漏らす。
「でも、仕方ないかな?」
「わう」
苦笑するパプワに、同意とも同情とも諦めとも取れる返事をチャッピーは返すのであった。
パプワとチャッピーの視線の先にいるリキッドはすでにひとりで夢の国へと旅立ってしまっているようだった。
END。。。。。
『Do fancy yankee dream of playing with him in the flower garden?』
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リキッドにとって予想外の出来事であってもパプワくんにとっては想定の範囲内の出来事(笑)
パプワくんとチャッピーは書いていてたのしーなーと思うわけです。
前半書いててすっごく楽しかったです。しかーし!
恋に落ちる瞬間の描写って難しいですね。まだまだ修行が足りんですたい。