お気に召すまま 3
「キンタロー様もグンマ様も行方がわかりません。御三方の携帯も、シンタロー様の部屋に残されていました」
チョコの報告を受けたマジックは、そうか、と言って紅茶を飲んだ。
前総帥の私室に強制連行されたオレたちは、とりあえず拘束具などはつけられずにソファに座らされているが、ティラミスに銃を構えて監視されていた。
マジックは静かにロイヤルコペンハーゲンのカップをソーサーに置くと、静かに語りかけてくる。
「君たちがどういう目的でここに来たのか、そして3人の行方を教えてもらおうか」
「オレたちはホンモノだって!起きたら3人とも女になってたんだ。オレたちだって困ってんじゃねえか」
「全く口が悪いね、君。どこまで嘘を突き通す気かな」
マジックの表情は冷ややかだった。
あくまでも噛み付くオレに、グンマははらはらしていたが、オレは止めることができなかった。
証拠を見せるチャンスもくれないなんて。
それどころか、危機だと言うのに息子を疑うなんて。
悔しくて悔しくて、涙さえ滲んだ。
威嚇してる子犬みたいにキャンキャン吠えていると、キンタローが落ち着け、とたしなめた。
やましいところは何もないのだから、と。
「ク・・・ッ」
ドカッと音を立ててソファに座ると、プイとマジックの方から目を逸らす。
助かる方法を考えなくてはいけないが、それよりも今はマジックの冷淡さへの怒りがどうしても収まらなかった。
「とりあえず、3人は別々の部屋で見張っていなさい」
「な・・・!ダメだッ!せめて一緒にいさせてくれ!」
ティラミスらに指示を出したマジックに、オレは思わずもう一度立ち上がって抗議した。
すっかり筋力も落ちてしまっているこの状態では、男ばかりのこの施設内にいることに恐怖を感じる。
恐らくガンマ砲も撃てないだろう。
もし1人のところを、理性のタガが外れた兵士が襲ってきたりしたら・・・。
特にグンマなどは元々戦闘の基礎もあまりできていないし、護身術も役に立ちそうにもない。
「キミたちを3人一緒にしておくメリットはこちら側にはないからね」
マジックは机の上に手を組んだまま、感情のこもらない声で静かに言う。
「じゃあ、せめて、グンマとキンタローは一緒の部屋にしてくれ」
その言葉に、キンタローとグンマは息を飲んだ。
「シンちゃん!ダメだよ!ボクは1人でもいいから・・・」
「いや、オレを1人にしろ」
「2人とも」
シンタローが2人を制した。
オレは大丈夫だ。
そう目で伝えるように、力強く頷いてみせる。
しかし、キンタローとグンマの不安そうな表情を変えることはできなかった。
「では黒髪のお嬢さんの言う通りにして、残りの2人は別の部屋にお連れしなさい」
「は」
マジックの指示に、オレは1人残された。
キンタローとグンマは、チョコに連れられて一族のプライベートスペースの空き室に閉じ込められた。
普段誰も使っていない部屋は、わずかながら黴臭い気がする。
「申し訳ありませんが、お2人にはここで待機していただきます」
チョコは、若干申し訳なさそうに言った。
その様子に、もしかしたらチョコは何か知っているのではないかとグンマは思った。
「ね。チョコレートロマンス!キミはボクたちがホンモノだって、わかってるんじゃない!?」
いつになく切迫した様子でグンマは詰め寄った。
「・・・」
チョコは答えない。
「どうなんだ?返答しだいでは、元に戻ったとき総帥権限で懲戒処分も考えられるぞ」
キンタローの目は本気だった。
普段の低い声とは違い、女性の声になってしまっているが、その硬質な響きは、威厳と迫力に満ちている。
「・・・あくまで私個人の見解ですが、御二人、いや御三方を見て、あまりにもご本人と似ていらっしゃるので、別人だと言うには、自信がありません。ですが、私はマジック様の意向に従うまでです。それで処分されるのでしたら構いません」
チョコのタレ目が、いつもより真剣だった。
グンマとキンタローは目配せをしあう。
「ただ、今のガンマ団は捕虜に対し、非人道的な扱いをすることを堅く禁じられています。捜査の関係上、この場所に拘束はさせていただきますが、部屋にあるものは自由に使って頂いて構いませんし、お食事もお好きなものをお持ちします」
「捜査とやらが進むとは思えんが、いいか、シンタローに手を出させるな。もし、シンタローに何かあったら、オマエから殺してやる」
最近の紳士的な彼にしては珍しく、殺意を隠さないキンタローの鬼気迫る様子に、チョコレートロマンスのみならず、グンマは背筋に冷たいものを感じた。
「・・・承知、いたしました・・・」
やっとそう言ったチョコは、部屋の外に出て行った。
「チョコはやっぱりなんかヘンだと思ってそうだね」
グンマは腕組みをしたキンタローを見上げる。
「そうだな・・・。しかしヤツの意思だけで動くには限界がある。やはり伯父貴をなんとか説得しないと・・・」
顎に手をあてて考えこむキンタローは、クールで、女性の姿ながら非常に格好良かった。
その様子をほれぼれと眺めていたグンマだが、やがて自分がずいぶん空腹であることに気がついた。
「ねえ、キンちゃん、ご飯もってきてもらわない?さっき言えばよかったんだけど・・・」
「ああ、そうだな。オレも腹が減った」
グンマは部屋の電話の受話器をとると、秘書室の内線をかける。
「あと10分くらいで持ってきてくれるって」
ティラミスがいたって普通に応対してくれた。
「そうか。オレは、その間にシャワーを浴びようと思うんだが・・・」
「あ、いいよ。昨日の夜酒盛りしてから、ずいぶん汗かいちゃったもんね・・・。ボクも汗臭いから、じゃあ食べた後浴びる。着替えももってきてもらっちゃおうか」
「ああ、よろしく頼む」
そう言ってキンタローはバスルームへ消えて行った。
グンマはいちおう備え付けの箪笥の中を見たが、案の定服は入っていなかったので、もう一度秘書室に電話をかける。
バスルームから、水音が聞こえてきた。
「あ、ティラミス?何回もゴメン。着替えが欲しいんだけど・・・。え?女物がいいかって?真面目な声でそんなこと聞かれるとなんか笑っちゃうね。ボクはいいけど、キンちゃんは卒倒するんじゃないかなー・・・」
などど、余裕ぶっていたとき。
「うわあああっ!!」
絹を裂くよな女の悲鳴、もとい、玄関マットでも裂くような、男の悲鳴があがった。
「・・・って、男物で大丈夫みたい。また後でかけるね」
そう言うと、グンマは受話器を置き、バスルームへ直行した。
「キンちゃん・・・!」
そこには、水に濡れそぼって呆然とたたずむ、キンタロー(男)が、いた。
「み、水を浴びていたら、突然、体が・・・」
余りに驚いたようで、固まっている。
「水?なんかのマンガじゃあるまいし・・・。でも、どうしてだろう」
全く検討がつかない。
キンタローはとりあえずバスルームの正面についている大きな鏡を見ようとして、入り口にいるグンマに背を向けた。
「あ!」
目に留まったあるものに、グンマは思わず足が濡れるのも厭わず、キンタローに近づく。
「なんだ?」
「ここ!キンちゃんには見えないかも・・・。ここを、鏡で見てみて!」
キンタローはもう一度向きを変え、グンマが差したところを鏡に映し、体を捻った。
「なんだ、これは・・・?」
グンマが差した肩甲骨の下には、水で消えかけた、墨汁の後があった。
何かの文字が書かれていたのだろうか。
今は消えかけていて判別が難しい。
「・・・読めた」
グンマは頷く。
「つまり、ここに、『女』って書いてあったんだ・・・!」
「すると・・・、あれでか?」
「そう、あれ」
数多くの特殊技術、能力を持つガンマ団の精鋭の中でも、かなり特殊にして珍奇な技術の持ち主、東北ミヤギ。
彼の武器は、対象に漢字を書き付けると、対象をその漢字が意味するものに変化させてしまうという特殊な筆であった。
「しかし・・・ミヤギがシンタローの部屋に侵入することは不可能だ」
「それはまたおいおい考えよう。それより、ボクの背中も見て。その字をお父様の目の前で消して見せよう」
キンタローは手早くタオルを腰に巻くと、2人は一度バスルームを出た。
グンマはパジャマの上着を脱ぎ捨てると、長い金髪を両手でかきあげた。
「どう?」
男性体に戻ったキンタローは、かがんでグンマの背を見る。
その白いすべすべの背中には、何の文字も書かれていない。
「いや・・・無いな・・・」
「じゃあ前かな?」
グンマがくるりとキンタローの正面を向くので、キンタローは思わず目を逸らした。
「前は自分で見てくれ」
キンタローは少し赤くなっている。
グンマは脇や乳房の下を見てみたが、文字はない。
それなら、とグンマはパジャマの下も勢いよく脱ぎ捨てる。
足の全面にはない。
「キンちゃん、後ろ見て!」
「あ、ああ・・・」
キンタローは膝を突くと、グンマの腿の後ろを見ようとした。
そのとき、ガチャリと音がして、朝食のトレーを載せたチョコが、ドアを開け、目の前の光景に慌ててドアを閉めた。
「も、申し訳ありません!」
「チョ、チョコレートロマンス!これはだな・・・」
慌てたキンタローが、ドアの方に駆け寄っていった。
「す、すみませんでした!ノックしたのですが・・・!」
「誤解するな!」
キンタローは急いでドアを開けると、必死の形相で弁明している。
「あ!あった!!」
とんでもないところを見てしまったというチョコの誤解を解こうとするキンタローの背中で、グンマの歓声があがった。
お気に召すまま 4
その頃、マジックの私室に1人残されたシンタローは、ティラミスが持ってきた朝食を食べていた。
その様子を、机に肘を突いて、手を顔の前で組みながら、マジックがじっと見るものだから、なぜだか恥ずかしくなってマジックに背を向ける。
「なんだよ・・・見んなよ」
わずかに赤くなってそっぽを向いたシンタローは、ティラミスにコーヒーのお代わりを要求した。
ティラミスは何も言わずポットからまだ湯気の立ち上る熱いコーヒーを注ぐ。
食べ終わった皿が下げられていくのを見送りながら、コーヒーをすすり、どうしたものかと考える。
監視されているため脱出は不可能だ。
何とかマジックに自分がシンタローであることを認めさせるしかない。
それにはどうすれば・・・。
さっき試したが、眼魔砲はでなかった。
筋力、体力ともに落ちた体では、シンタローが唯一持つ青の一族の証を見せることができない。
せめて秘石眼を持っていたら・・・。
「クッ・・・」
シンタローは思わず唇を噛んだ。
その時、廊下がざわざわと騒がしくなった。
「困ります!」
廊下を警備していた若い兵の声が響く。
「あーん?うっせえよ!」
ドカッと鈍い音がして、兵が壁に打ち付けられたのがわかった。
「よっ!兄貴~!」
シンタローは頭を抱えた。
にやにやとした笑みを浮かべてマジックの部屋の扉を開けたのは、毎度お騒がせの叔父、ハーレムであった。
よりによってぞろぞろと特選の連中を引き連れている。
「ハーレム。どうした?お前達は呼んでないぞ」
マジックは片方の眉を上げて冷ややかに言う。
ハーレムは、がにまたでどかどかと部屋に入ってきた。
無駄に長い足で、がにまたが良く目立つ。
「大切な甥っ子の危機だって言うから、駆けつけてやったんじゃーん」
そういうと、体を硬くしていたシンタローを見下ろした。
「うわっ。どんなスパイさんかと思ったら、すげーかわいいじゃないですかあ」
陽気で女好きのイタリアンが、隊長を押しのける勢いでソファに座ったシンタローにかぶりついた。
そのとき、無表情だがピクッとマジックの眉が動いたのを、ティラミスは見逃さなかった。
「シンタローだって名乗ってんだって?」
「・・・」
シンタローはその舐めるような視線から逃れるようにソファの上で後ずさる。
「でもホントにシンタローに似てんなあ」
ハーレムがよく見ようと顔を近づけるため、シンタローは嫌そうに顔を逸らした。
「ホントにシンタローだったりして」
ハーレムがそんなことを言うので、シンタローは思わず叔父の両腕を掴んだ。
「ホントだ!オレはシンタローなんだ!朝起きたら女になってた!」
そう言いたかった。
しかし、普段反目しあっている叔父にそんなことを言うのは屈辱以外の何ものでもなかった。
(キンタローと2人がかりではあるが)互角にやりあっている男同士だったのに。
ぱくぱくと口を動かすが、すぐに思い直して腕を下ろす。
項垂れたシンタローを見て、おめでたい頭の叔父は何を思ったのか、にやりと笑った。
「まあ、かわいいから、シンタローでもそうじゃなくても、どっちでもいいかな」
そして、少しかがんだかと思うと、ちゅっと音をたてて、シンタローの頬にキスをした。
「・・・!」
シンタローは驚いて、頬を押さえ、真っ赤になりながらハーレムを見上げる。
ハーレムは相変わらずニヤニヤ笑っていた。
こいつ・・・!
オレがシンタローだとわかっていて嫌がらせをしているのか?
タイミングの良い登場といい、こいつが犯人か?
「ハーレム!何か知ってるんだろ!?」
思わず立ちあがって、胸倉を掴んだ、つもりだったが、実際に掴んだのはシャツの腹のあたりだった。
く、屈辱的な身長差・・・!
普段は数センチしか違わないのに、今はハーレムの鎖骨のあたりまでしかない。
その事実にますます頭に血が昇った。
「何のことだ?」
とぼけているような物言いに、カッとなった。
思わず殴りかかろうとすると、目の前の男に、動きを封じるには優しい手つきで抱きしめられる。
「まあまあ。かわいいのに暴力はよくないよ、お譲ちゃん」
普段なら絶対にこんな状況になることはありえない。
キンタローならまだしも、この放蕩叔父に・・・!
失神しそうなほどの怒りに、我を忘れそうになっていて、背後の不穏な気配には気付かなかった。
「ハーレム・・・」
ゴゴゴゴゴ。
多分マンガだったら彼の背後にそういう擬音が入っていただろう。
両目を青く光らせた男が、ゆらりと立ち上がったことに気付いたときには、すでに遅かった。
「ギャーッッ!!」
次の瞬間には、長身の叔父は吹き飛んでいた。
お気に召すまま 5
ハーレムが眼魔砲になぎ倒されるのと、部屋の扉が開いたのは、ほぼ同時だった。
「おとーさま!」
突然現れたグンマの声に、マジックはハッと我に返ったようだった。
「おや・・・?」
まるで、自分がたった今眼魔砲を撃ったことが、自分自身が意外で仕方がないというようにつぶやく。
「おかしいな・・・。ハーレムがその子に絡むのを見てたら、つい撃ってしまった」
青ざめながらも、恨めしそうな顔をして鼻血を流す弟を見て、マジックは首を捻る。
「グンマ、どうした?」
シンタローはマジックが眼魔砲を撃ったことにも驚いたが、先ほど別れたグンマが突然マジックの部屋に戻ってきたことにも驚いた。
「おとーさま、無理もありません。その人は、シンちゃんなんですから」
グンマは、至極真面目な顔で言った。
しかし、それは先ほどから何回も言っていることだった。
「グンマ、一体・・・」
問いかけたシンタローを遮るように、グンマは目で制した。
「こちらを見てください」
そういうと、扉の外に待機していたらしい人物に声をかけた。
「キンタロー!!」
現れたのは、男性の姿に戻った、パジャマ姿のキンタローであった。
オレは思わず近寄った。
「キンタロー?ホントにキンタローなのか?」
必死で見上げるシンタローに、キンタローは安心させるように微笑んだ。
「ああ。紛れも無くオレだ」
ああ。
その声。
その微笑。
元に戻ったんだ!
もしかしたら一生このままかもしれないと、不安だった。
堪えていた不安が一気に溶解するようで、情けなくも思わず涙ぐんでしまったが、キンタローがその長い指で、そっとシンタローの目じりに溜まった涙を拭ってくれた。
シンタローは周囲の目さえなかったら、今にも男に戻った従兄弟に抱きつきたいくらいだった。
「この通り、キンちゃんは元に戻りました。今から、ボクたちが女の人になったからくりをご覧に入れます」
そう告げると、マジックも、ティラミスも、特選部隊も、まじまじとグンマを見た。
グンマは、ソファの上に膝立ちになった。
「ここを見てください」
右足のくるぶしを、グンマは指差す。
皆が集まって、身を乗り出して凝視する。
「何・・・だって・・・」
シンタローは衝撃のあまり、顔面蒼白になった。
まさか。
かけがえのない友人が犯人だというのか!
「なんだね、それは・・・」
マジックは怪訝そうにつぶやく。
そこには、墨汁らしきもので「女」と書かれていた。
「なるほどな」
とニヤリとしながら頷くチャイニーズ。
「えっ?ナニナニ?どういうこと?」
と好奇心旺盛なイタリアン。
「・・・」
クマ以外のことでは無口なドイツ人。
「そういうことです」
グンマは、真面目な面持ちで頷き、持ってきた濡れタオルで、ごしごしと文字を消し始めた。
すると。
ドロン。
まるでマンガのように、一瞬でグンマの体つきがやや筋肉質なものに変化していた。
「・・・!」
マジックとティラミス、ハーレムは声も出ないと言った様子で目を丸くした。
「お分かりになりましたね」
今まで高い声だった分、普段あまり低いとはいえないグンマの声が、やや低く聞こえるのは耳が慣れないせいだろうか。
「これは東北ミヤギくんが所有している、『生き字引の筆』を使った犯行です」
「畜生・・・!ミヤギかよ!」
シンタローは唸った。
まさかだろ!
信じていた仲間だったのに。
裏切られたのだろうか。
元に戻るという喜びとともに、ともに闘ってきた戦友といえる人物が、この女体化騒ぎの犯人かもしれないという疑惑に、シンタローは戸惑った。
「ううん。シンちゃん。それは違うと思う。さっきチョコレートロマンスに調べさせたんだけど、ミヤギくんは夕べから行方不明なんだ」
「え?」
「もしかしたら、誰かに筆を強奪された可能性があるな。顔を見られて、犯人はミヤギを拉致している可能性もある」
キンタローの言葉に、シンタローは青くなった。
「そんな・・・!」
「とにかく!シンちゃんにもどこかに書かれてるはずだから、探しにいこ?」
そういうと、グンマはシンタローの手をとった。
男の姿に戻ったグンマは、少し今のシンタローよりも背が高い。
グンマの指ってこんなごつごつしてたっけなあ、とシンタローは思った。
気がつくと、女のままなのはシンタロー1人だ。
「ここでいいぜ、別に」
と言ってシンタローはTシャツをめくろうとして、キンタローとグンマに止められる。
「別室でだ」
キンタローに目線で示されて後ろをちらりと振り向くと、マジックが鼻血の海に溺れていた。
「兄貴!?」
ハーレムが慌てる。
「ああ・・・」
シンタローは引きつった笑みを浮かべ、私室に戻ることになった。
その後、キンタローとグンマの指揮の下、犯人探しとミヤギ探しが行われることとなった。
親友の失踪に青くなったトットリをグンマがなぐさめながら、ガンマ団の施設内を徹底的に洗い出す。
ミヤギは研究棟の物置で見つかった。
その腹のところに墨汁で「人形」と書かれていたから、全く動けなくなって抵抗できなかったに違いない。
トットリとミヤギは抱き合って再会を喜び合った。
ミヤギの口から聞かされた犯人の名に、キンタローとグンマは頭を抱えたという。
また、捜索の過程で、犯人の部屋から、女性の体になったジャンが縛られているのが発見された。
ガムテープで口をふさがれたその姿は、まるで総帥が痛めつけられた後のようで、捜索隊は動揺したという。
しかし肝心の犯人は、学会という名の口実で既に国外に逃亡していたらしい。
戻ってきたらどうしてくれようとキンタローとグンマは怒りに燃えた。
シンタローは、ことあるごとにもう一回女の子になってくれというマジックをけり倒すのにもう疲れた。
犯人のお仕置きには、オレも加えてくれというシンタローに、当然反対するものはいなかった。
end
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お気に召すまま
「うーん…」
頭がじんじんと痛くて、オレはしかめっ面をした。
どうやら太陽が昇ってきたらしく、カーテンの隙間から入る光が染みるようで、二日酔い気味の頭には非常につらかった。
オレは光から逃げるように、寝返りを打った。
むにゅ。
その途端、普段なら滅多にしない感触がしてオレは戸惑う。
むにゅ?
顔が何か温かくて柔らかいものに当たった感触。
何だろう…?
まだ小さかった頃、母親と一緒に眠った時のような、しっとりと温かなものに包まれるような安心感にオレはほっとした。
まるで頭が割れんばかりの痛みさえ遠のいていくようだ。
オレはその柔らかいものに顔をうずめようとして、はた、と思考停止した。
待てよ、オレのベッドの上に何でこんな柔らかくてあったかいものがあるんだ?
もしかして…。
恐る恐る目を開けると、目の前にはそれほど大きくは無いが、案の定、確かに女の胸があった。
(…げ)
止まっていた思考がめまぐるしく回転し始める。
何で?どうして?
ここはオレ部屋のオレのベッドの上。
そしてベッドの上に女がいる。
そしてオレは頭が痛い。
そう、確か夕べは従兄弟3人でしこたま酒を飲んで…ああ、ダメだその後の記憶があんまりねえ。
まさかオレは、夕べ酔った勢いでどっかから女引っ掛けてきたのか?
ごくりと唾を飲み込んで、先ほどよりも恐る恐る目線を上に上げると…、軽くウェーブのかかった長い金髪の女性が、スヤスヤと寝息を立てていた。
(あちゃー…)
女性は商売女かどうかわからなかったが、化粧っ気はなく、目を閉じていてもわかるほど整った顔立ちをしていた。
そして、極め付けにオレのだぶだぶのパジャマを着ていた。
やべえ、こんなとこキンタローに見られたら、何を言われるか…。
ってキンタロー、夕べ一緒に飲んでたはずなんだが、どこ行ったんだ?
むくっと起き上がって女性がいたほうとは逆方向に顔をめぐらしたオレは、硬直した。
…もう1人、いた。
こちらは左隣にいた女性よりかなり背が高く、自分と同じくらいあった。
髪はこちらも金髪で、ボブくらい。
オレと同じように頭痛でもするのか、眉根を寄せて苦しそうにしている。
ちなみにこちらもオレのパジャマを着ていて、大きくてゆるすぎるのか、襟元から豊かな胸の谷間が覗いている。
悪い眺めではなかったが、今はそんなことを考えている暇はなかった。
夕べ、オレ、ずいぶんはりきっちゃったのか…?
しかも金髪白人美女2人…。
思わず引きつった笑いを浮かべるが、とにかく、家人に見つからないうちに帰ってもらうことが先決だった。
もしキンタローに見つかったら、何て言われるだろう。
発覚の時はポーカーフェースでも、後からねちねち言うタイプだろうか。
それとも、意外に嫉妬に逆上する性質で、浮気者、とか言われて眼魔砲くらい撃たれるだろうか。
・・・・・・。
まず最初に気付いた左隣の髪の長い方の肩に手をかけ揺さぶると、安らかな寝息を立てていた女性は、「ん…」とゆっくり目を開けた。
その鮮やかな青色が、とても綺麗だ。
「あれ…シンちゃん…?」
シンちゃん、だって。
妙齢の女性にそんな風に呼ばせてたのか、オレは。
ガンマ団総帥の名が泣くぜ…。
童顔でちょっと甘い声の女性は、目を擦りながら、ベッドに手をついて起き上がった。
そして、可愛らしく欠伸をした後、オレの方を向き直ったかと思うと、その青い目を大円に見開いた。
「…シンちゃんだよね!?」
女性は急に大声を出してオレの両腕にしがみついて揺さぶってきた。
しーっ。
オレは部屋の外に女性の声が漏れてはまずいと思い、口に人差し指を立てて制した。
オレがこくり、と頷くと、女性は、もう1人の女性が寝ているはずのオレの隣を見た。
そして、先ほどのオレのように固まっている。
慌てたように、彼女はそのグラマラスな方の女性を揺さぶって起こした。
「キンちゃん…!起きて!」
キンちゃん…?
この人、キンちゃんって言うの?偶然ね…。
眉を顰めて苦しげに眠っていた女性は、「どう…した…」と途切れ途切れに声を出しながら、苦しそうに目を開けた。
片手で頭を抱えながら起き上がった女性は、大きすぎるパジャマがずり落ちて白い右肩が露になった。
しばらくきつく目を閉じていたが、やがて、2人の方を向き直った。
そして、息を飲んだ。
「な…っ」
女性が、見る見る間に真っ赤になっていく。
口を塞いで、普段はクールそうな青い目を見開いている。
「あなたはキンちゃんだよね…!?」
可愛らしいほうの女性が、先ほどオレにしたように彼女を揺さぶった。
一体どうしたんだ。
女性は頷くと、なぜかオレの方から目を逸らした。
「お前らは・・・誰だ?」
誰だだって・・・?
なんだ?
オレと同じように夕べの記憶がないのか?
オレたち、よくわかんないけど、夕べ3人でよろしくヤッちゃったんじゃないの?
しかし、次に女性の口から飛び出したのは、衝撃の言葉だった。
「ボクだよ、グンマだよっ。起きたらこうなってた。キンちゃんも、自分の体見てみて!」
グンマ?グンマってまさか・・・。
悪い考えがふと頭をよぎるが、まさか、と思って頭を振ってその考えを払拭する。
言われて、キンちゃんと呼ばれた美女は、戸惑ったように自分の体を見て、驚愕に目を見開いた。
何か言いたいようだったが、口がぱくぱくと動くばかりで、声になっていない。
「キンちゃん。気持ちは分かるよ」
まさか。
「何だよ・・・まさか・・・お前ら・・・グンマとキンタローだって言うんじゃねーだろうな・・・?」
オレが半信半疑で聞くと、2人の女性は、下を向いたまま頷いた。
・・・げ。
「そういうお前は・・・シンタローだな?」
「もちろん!」
オレが頷くと、なぜだか女の顔したキンタローはほっとしたようにため息をついた。
「まさか、お前ら、女になっちまったのか!?」
驚愕に声が上ずる。
普段よりずいぶん高い声が出ちまった。
すると、2人は顔を見合わせた。
キンタローは目を逸らし、グンマは、言いにくそうに、つぶやいた。
「シンちゃんだってそうじゃん・・・」
「は!!?」
何言ってるんだよ、グンマ。
と思ってオレは自分の体を見る。
ん・・・?
オレ、上半身裸だな。
そうだ、夕べ暑いから上脱いで寝たんだ。
って、この胸についてる2つの柔らかいものは・・・。
「ギャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッツ!!」
気がつくと、力の限り、絶叫しているオレがいた。
お気に召すまま 2
「シンタロー、落ち着け」
相変わらず目を逸らし続けているキンタローが、自分もずり落ちたパジャマを直しながらたしなめた。
「これが落ち着いていられるかっ!!」
絶叫したお陰でわずかにかすれた声で、オレはまくし立てる。
畜生、声まで高くなってやがる。
キンタローはとりあえず起き上がると、クローゼットからオレのTシャツを持ってきてくれた。
どうやら身長も女性にふさわしく縮んでしまい、Tシャツもかなり大きくなってしまっている。
グンマはベッドから降りると、上着をめくったりズボンの中を覗いたりして自分の体を検分し始めた。
「無くなってるね・・・」
「言うな、それ以上先は」
オレはこめかみを押さえながら、ため息をついて制した。
ベッドの上に胡坐をかいてがりがりと頭を掻く。
どうしたらいいんだ。
つーかなんでこんなことになったんだ。
さらにため息をついていると、
「シンちゃん、どうしたのっ!!」
「!!!」
3人が一斉にドアを振り返る。
「おとーさま!?」
やべえ、馬鹿親父が来ちまった!
ロックがかかっているのでなかなか部屋に入れず、ティラミスがセキュリティ部に指示を出している声が聞こえた。
「やっべ、どうする?」
「事情を話せばいいんじゃない?」
「オレたちだって信じてもらえんのか?」
「それに、シンタローの身が危険だ」
「そうだよな、オレもそう思う」
「大丈夫だよ、おとーさまだってそこまで・・・」
ちゅどーん!!!!
グンマの声は、眼魔砲の音にかき消された。
「おや、シンタローはどこへいったんだい?」
ドアの破壊音の残響で耳なりがする。
グンマとキンタローはオレをベッドの奥へ押しやり、2人でかばうように懸命に身を乗り出した。
マジックは愛息子シンタローの危機を察して部屋に飛び込んで来たのだろうが、どういったわけかそこには3人の女がいたことに戸惑っただろう。
眉を顰めている。
しかし、マジックの懸念はわからないでもない。
男にとって恐ろしいのは、遊びで連れてきた女性が実はスパイや刺客で、最も隙ができる情事の時に攻撃されることだろう。
他人を、そして滅すべき敵を見るかのような、冷ややかな青い目が、恐ろしかった。
「おとーさまっ。ボクです!グンマです」
「伯父貴、オレだ、キンタローだ」
明らかに「女性」の2人が懸命に訴えた。
マジックはさすがに驚いたように青い目を見開くと、顎に手を当てた。
「君たちはどうして我々の親族の名を騙るのかな」
そういう反応は仕方のないことだろう。
どうみても女性の2人が、自分の実の息子と甥のわけがなかった。
オレは青ざめながらごくりと唾を飲み込んだ。
「おとーさま、どうしても信じられないのはわかります。ボクだって信じられません。でも、ボクたちはホンモノです」
真剣な顔でグンマが訴える。
「何なら、うさたん16号をばらばらにしてもう一回組立ててもいいよ」
「この間オレが作った装置N-12214を起動して問題なく動かしても良い」
あれも、これも、と2人が証拠となるようなものを並べ立てていくのを、マジックは黙って聞いていたが、ふと、オレがずっと黙っているのに気づいたようだった。
「後ろの黒髪のお嬢さんは?まさかシンタローだなんて言うんじゃないだろうね」
とんだ茶番だ、とでも言いたげな笑いに、オレはむかっと来た。
なんだよ、いつもウザいくらい「シンちゃん愛してるーvv」とか言ってくるくせに、オレが女になったくらいで自分の息子かどうかもわかんなくなんのかよ!
オレは自分の考えていることが矛盾しているなんてちっとも思わなくて、悔しくて唸った。
「オ、オレはシンタローだッ!」
マジックの後ろに控えていた秘書2人が、息を飲むのがわかった。
「そうかい・・・。じゃ、とりあえず3人には、ここから出てもらおうかな。ティラミス、チョコレートロマンス、私の部屋へお連れして」
「は」
グンマとキンタローは顔を見合わせてため息をついたが、ここで暴れても仕方がないと思ったのか、ティラミスに腕をとられても抵抗しなかった。
キンタローは立ち上がってみると、女性にしては高いほうだろうが、ティラミスより少し身長が低くなってしまっている。
オレはチョコレートロマンスに腕を触られそうになって、思わず振り払った。
「気安く触んなッ!オレは総帥だぞ!」
身を捩って逃げようとするが、チョコだって秘書とは言えガンマ団の男だ。
あっさりと腕をとられ、ぐい、と引っ張られる。
「痛え!!」
思わず、反射的に蹴りが飛んだ。
チョコは驚いたようだったが、とっさに腕を出してブロックする。
う・・・、体が重い!!
それでもすぐに体制を整えて横っ飛びに転がり、飛びかかろうとすると、いつの間に後ろにいたのか、マジックに羽交い絞めにされてしまった。
あまりの身長差に足が浮いてしまう。
「可愛い顔してそんな言葉遣いは感心しないな」
振りほどこうとするが、案の上、筋力の落ちた体ではぴくりともしない。
「チッ」
捻って柔術で投げ飛ばしてやる!
すっと力を抜き、相手の力が緩んだのを見計らって、腕をとって投げようとしたが。
お見通しとばかりに、マジックに逆に腕を捻られてしまった。
「あうッ!!」
「シンタロー!!」
キンタローが思わず手を伸ばしたが、咄嗟にティラミスに抑えられた。
完全に間接が決まっていて、動けない。
「おとなしくしないと、怪我するよ」
どうあがいても無駄なようだった。
シンタロー行方不明の原因という嫌疑をかけられていることは確かだった。
「わ、わかったから・・・離してくれ・・・」
「いい子だ」
そうして、やっとチョコはオレの腕をとることに成功した。
酷くイライラする。
言いそうで言わない口元、
触れそうで触れない指、
……望んでいるんじゃない。
ただイライラするだけ。
目を閉じて、浅い眠りにつくといつも、わずかに離れた所に気配を感じた。
何をするでもなく、そこにいるだけのそれは、たまにため息をついたり、手を伸ばしかけて止めたり……。
「てめぇ……何がしたいんだ?」
目を閉じたまま低く呟く。
たぶん寝ていたと思っていたのだろう気配の主は、驚いたように身を引いたのが感じられた。
「え、あ、あのっ……」
動揺して、けれどひたすらに何かを隠そうと必死。
声だけでそれが読んで取れる。
一体何度、そんな言葉を聞けばいいのだろう?
一体どれだけ、自分をイラつかせれば気が済むんだこの馬鹿は。
「何か知らんが、毎回気になって眠れんだろうが」
「っ!! き、気付いてたんっスか?!」
気付かないわけがない。
伊達にガンマ団No1だったのではないのだから。
「……何だってんだよ」
何となく、予想はつくのだけれど。自分の思い違いであって欲しい。
確かめたくて問う。
目を開けると、俯いた頭が視界に入った。
「……寂しいのか?」
「っ! 違いますっ!」
そうであったなら、いくらか楽だっただろうに。
いくらか期待した問いは跳ね返されて、顔をあげた相手の目に引き込まれそうになる。
とても青い目。
「俺はっ……。寂しいとか、人恋しいとかっ……、そんなじゃなくて……」
予想はしていたんだ。
「あなただからっ……」
イライラする原因。
それに答えられるわけでもないのに。
「俺はっ――――」
答えられやしないのに。
否定することも出来ないのに。
どうしてハッキリさせてしまったのか。
その想いは自分にとって眩しくて、圧し掛かる重さ。
「シンタローさん」
ゆっくりと、しかし今度は戸惑うことなく手が伸びてきて、髪に触れる。
「……止せ」
享受も拒絶も出来ないのだから、これ以上踏み込まないで欲しい。
髪を梳いていた手が肩に移動し、抱き寄せられる。
「もう、限界です」
耳元で、そう呟いたのが聞こえた。
この状況で、冷静な判断を下せという方が、まず無理だろう。
困惑しきった顔で、リキッドは隣を見た。
左の肩口には黒髪が触れて、くすぐったい。
ほんの少し離れた場所に、彼の顔がある。
「シン、タローさん…?」
「黙ってろ」
反論する気も起きないほどに、ぴしゃりと言い切られては、口を閉ざす他なかった。
一体何だと言うのか、自分は何かやっただろうか、それともからかわれているのか、何にしろ心臓の動機は収まりそうにない。
(いや、そんな……シンタローさんに限ってっ……)
そうは思いつつ、右手は彼に触れようとゆっくり上がっていく。
「あー……、やっぱ匂いとれてねぇな」
「は……?」
掴まれていた肩が軽く押され、距離が開いたのに慌てて、右手を降す。
バレたらただじゃすまない事くらい、いい加減学習したのだろう。
「お前昨日、心戦組のナマモノに頭から香水ぶっかけられたろ」
「え、ああ……そういえば……」
愛のエッセンスだの何だのと言いながら、一体そんなものがどこにあったのか、かなりキツイ香水を浴びせられたのだ。(その後強制連行。(逃げ)帰ってこれたのは夕方。)
トラウマになりそうな昨日の出来事を思い出して、リキッドは身震いした。
(忘れたいっ。一刻も早く忘れたいっ。全てなかったことにしたい……!)
とにかく、鼻が慣れてしまったのか、自分自身ではもう分からない。
そんなに匂うのか、と服を摘み上げて匂いを嗅ごうとしたところに、シンタローの言葉が降ってきた。
「とりあえず服脱げ」
「……は?」
……一瞬固まる。
「って、ええっ?! 脱げって……!」
「何赤くなってんだ! 洗濯するから貸せってんだよ」
その香水臭さにいい加減耐えられなくなったのか、半分キレ気味なシンタローに言われて、言葉の意味にようやく気付いた。
「あ、そっすよね……」
本日の勘違い二度目。
嫌になる。
全ては落ち着いて考えれば分かることだろうに、どうしてこう空回ってしまうのか。
(この人の前じゃ、どうしてもなぁ……)
落ち着いてなどいられなくなるのだ。
もともと、ポーカーフェイスなんてものは、リキッドには出来やしない。
「てめぇは水場でもなんでも行って、その匂いどうにかしろ」
「……はい」
分かってはいたが、相変わらずの俺様口調にため息がこぼれる。
けれどこんなことで逆らっても仕方ないのは分かっているから、上だけ服を渡して、リキッドはとぼとぼと水場へ向かって歩き出す。
頭をを乱暴に掻き毟ると、残っていた匂いが広がった。
「うぇ……」
強い花の匂いに噎せ返りそうになる。
ここまで酷いとは思わなかったが……。
「とれんのか……、これ」
歩く内に辿り着いた泉を前にして、リキッドは眉を寄せる。
頭から水を被った程度で、この匂いが簡単に落ちるとは思えない。
それでもしないよりはマシだろうと、飛び込むように水に入った。
「っあー……冷てぇ」
指を髪に絡ませて、ガシガシとかき回す。
水の匂いに、全て消されていく気がした。
「……帰んの、嫌だなー……」
気付いてくれてもいいと思う。
「俺ばっか……不公平だ」
自分だけが空回ってばかりで……。
「おら、いつまで入ってる気だ」
「っ?! シ、シンタローさん?!」
突然かけられた声に振り返ったつもりが、水に足を取られて派手に転んだ。
顔面から勢いよく水面と衝突したのは、かなり痛かっただろう。
「何やってんだお前……?」
「い、いや、そ、そその……な、ななな何っすか?」
呆れたような声に対して、打ち付けた顔を抑えながらの精一杯の返答は、かなり慌てている。
「何どもってんだよ……」
「いや……その、何でもないっす」
何も言えず、結局、いつものように「何でもない」という言葉が口に出る。
それを言えば、大抵は流れていくから。
だからきっと、
今、シンタローの眉がほんの少しだけ顰められたのは、リキッドの見間違いだったのだろう。
「……何も持たないで出かけたろ。お前?」
小さなため息とともに投げてよこされたのは、タオルと上着。
(こういうとこには気付いてくれるのにな……)
「早いとこ帰っぞ」
それだけを渡して、早々と背を向けて歩き出す。
わざわざそのために来てくれたのだとすれば、嬉しいことは嬉しい。
「あ、はいっ」
慌てて水から上がると、ふいに、甘い匂いがした。
何か、焼き菓子を焼いているような、そんな匂い。
もとを辿ってみれば、それは前を歩くシンタローからのもので、たぶんオヤツ用に何か作っていたんだろうなと解釈する。
(ああ、いー匂い……)
別に食い気が勝っているわけではないが、その甘い匂いは気持ちを和らげる。
(触っちゃ、ダメ……かな)
何となく、触れてどうしようなんて考えずに、ゆっくりと手が伸びる。
彼に届くまで、あと少し――――。
――――パシッ。
ほとんど無意識に触れようとしたそれを、振り返り様に掴まれて、びくりとする。
(うわっ、す、すんません、すんません、すんませんー!)
その感覚にようやく正気に戻ったのか、リキッドは酷く慌てて、それでも手を掴まれていることに心臓は跳ね上がる。
「お前な、匂いでわかるんだっての」
おそらく、まだ完全にはとれていないのだろう香水の匂いが、リキッドの動きに付きまとう。
「それに俺の後ろを取ろうなんて百年早ぇ」
(いや、そういうことでは……)
結局気付かれないのかと、落胆するリキッドの耳元に、シンタローの声が響く。
顔が近づいて来るのに体が固くなった。
「触れたいんなら、そう言え」
勝手に暴走してんな、と軽く小突かれて、驚きに目を丸くする。
とっくに解放された手は、間抜けに宙に投げ出されている。
「え……?」
聞き返す間もなく、シンタローは再び先を歩き始める。
「あのっ、シンタローさん?! 今の……!」
「いいから帰んぞ、馬鹿ヤンキー」
「よ、良くないっす!!」
もしかしたら、
気付かれているのかもしれない。
この人は。
気付いているのでしょうか?
そういえば以前に、電磁波が収まらなかったことがあった。(お題7参照)
わかったのは、自分は結構危ない人間だということと、それでもこれがないと結構不安になるもんだなってことくらい。
けど、それはそれで収まったし、(原因は不明のままだったが)以来変わったことはない。
……そう俺には。
いつものように無意識に、(言わないでいるが、構って欲しくてわざとの時もあるけど、今回は本当に無意識に)お姑様の気に障ることをしてしまったのだろう俺に、シンタローさんの右手が上がった。
「飛んで来いっ、このボケヤンキー!」
ああ、眼魔砲がくる。
呟かれたと同時、これから来るであろう衝撃と、痛みを思って強く目を瞑った。
今日はまだ家事も残ってるし、早めに帰って来たいとか、着地はなるべく衝撃の少ないところがいいとか、やけに冷静に思ってる自分って……どうなんだろ。
……けれど、何秒経ってもそれは訪れなくて。
「……何?」
不審そうな声が聞こえる。それは俺が聞きたいです。
ともかく何も起こりそうもなくて、ゆっくり目を開けた。
「シンタローさん……?」
自分の右手を見つめたまま、動かないその人に、呼びかける。
……と。
「動くなっ」
再び右手を俺に向けて構えた。
その、顔面に向けるのは勘弁してください。
「……何、だ……?」
何も起きる気配がない。
念のため、というように、左手でも同じことを繰り返して……、やっぱり反応はない。
自身の手のひらをまじまじを見つめて、閉じたり開いたりを繰り返す。
子供の遊び歌みたいな感じ……うん、可愛い。
いやいや、そんな場合じゃなくて。
「……出ねぇ」
しばらくそうしていたかと思ったら、ポツリと一言呟いた。
「え……眼魔砲、が……っすか?」
何度掌を構えても、青白い光は生まれない。
ぐっと拳を握りこんで、バツが悪そうに顔を逸らした。
「どうして……」
未だ状況をよく飲み込めない俺の言葉に、シンタローさんは握った拳で答えた。
あ、危ね……! 舌噛むとこだった……!
「何で殴るんっすかー!」
「うるさい。とりあえずそれで勘弁してやる」
そういえば眼魔砲くらうところだったんだっけ?
いきなりは止めてくださいよ。
「それにしたって何で……」
「俺が知るかっ!」
知るかって……自分のことじゃないですか。
(別に眼魔砲くらいたいとか、そういうんじゃない)
一体何が原因で……。
俺なんかしたっけ……? いや、心当たりないしな。
それとも不埒な輩がシンタローさんに何かしたんじゃ……!
そう思ったらもう不安ばかりが上りつめる。
だって、シンタローさん結構抜けてるとこがあったりして心配じゃないか。
(たぶん言ったら怒るけど)
「そのっ、体に不調とかありません? 変なもの口にしたとか、変な奴になんかされたとか!」
すんませんっ! 俺が目を離したばっかりに……!
「……ねぇよ。変な奴なら今目の前にいるが?」
神様、愛が痛いです……。
「どうせ寝て起きたら戻るようなもんだろ」
お前の時みたいに、と付け足される。
そりゃ、この島に来てから多少のことじゃ驚かなくなったし、数々の不思議現象にも随分慣れてしまった。
「今度は俺の番か……」
もういい加減、振り回されるのにも疲れたと言わんばかりに、息をつき、瞼を閉じる。
寝て起きたらって……もう寝るんっすか。
まあ別に害があるわけでも……。
「「聞いちゃったわよ~」」
いや、あったよ。
しかもかなりの害。(って言ったら悪いけど、やっぱ害)
「眼魔砲が使えない今がチャンスよ! タンノちゃん!」
「もちろんよイトウちゃん! 今こそシンタローさんを私たちのものに……!」
厄介な二匹に聞かれてしまった。
まずいっ、眼魔砲が使えないシンタローさんじゃ……!
「「シンタローさぁん!!」」
「去れナマモノ共」
台詞と同時に、ベトコン仕込みのスパイクボールが二匹に炸裂する。
……眼魔砲が使えなくても何の心配もありませんでした。
家の床になんてもん仕込んでんだあんた。
俺か? まさか俺用なのか?!
「眼魔砲が使えねぇくらいで、俺に勝てると思ってんじゃねぇぞ?」
仰るとおりです。
俺も少しだけ、ほんの少しだけ色々考えましたけど……。
見本をありがとうナマモノ。実行に移さなくて大正解だ。
「おいヤンキー」
「へ……あっ、はい?!」
考えていたことが考えていたことだけに、呼びかけられて慌てる。
ば、ばれてない……よな?
「お前、今日一日俺の側にいろ」
…………は?
「えぇええっ?!!」
な、あ、なな何っ、今っ、この人……?!
う、うわぁ、絶対今顔赤い俺。
何ですかこの嬉しい不意打ち。
「喚くなアホ」
また殴るし……。
でもそのくらいのことで、さっきの一言が忘れられるはずもなく。
「えっ、あ、そのっ、さ、さっきのは……!」
あまりの出来事に、呂律さえも上手く回ってくれない。
しっかりしろ俺!
「ああいうのが来ると面倒だ」
言いながらドクドクと体液を流しながら横たわる二匹を指した。
未だか細い声でシンタローさんの名前を呟いている辺り、長年のしぶとさを感じる。
そういうことですか……。
いや、それでもいいです! 満足です!
言葉が何度も自分の中で反芻される。
どこまでも俺様だなとか、それでもかなり素直に言った方かとか、そんなことばかり考えてしまって。
いいように使われてるなとは、分かってるんだけど。
はい、幸せです。それはもうかなり。
「その内厄介なのも嗅ぎつけてきそうだしな」
……多分、というか……絶対あの祇園仮面のことだ。
確かにアイツは多少面倒かもしれないけど。
「あ、あのっ、俺、いても良いんですよね……?」
アナタの隣に。
「おう、いちいち邪魔されんのもうざってぇからよ」
邪魔って……。
何の?
「じゃ、俺は寝る」
昼寝の……?
そりゃさっき寝て起きたらとは言ってましたけど。
やっぱり寝るんですか。
……ずるい。
だいたいシンタローさんはいつも……。
「頼んだぜ?」
……ッ卑怯だ。
そんな上目遣いに見られて頼んだりとか、断れないじゃないですか。
ああ、もう。
それだけで、俺には充分な必殺技なんですよ。