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ms
誰にも渡したくなくて
独り占めしたくて
だけど君を閉じこめても
囚われるのはきっと僕のほう



PRISONER



「なあ、親父」
シンタローはいつものように煙草を吸っている。
もう夜中も近い。行儀悪く寝転んだシンタローの頭はマジックの膝の上に乗せられている。
「アンタ、最近毎日部屋の模様替えしてるんだって?」
「あああ・・・」
マジックは生返事をした。指はシンタローの髪を梳いている。
「そういえばそんなこともしてるかもねえ」
(あ、大分伸びてきてる。―――)
マジックはシンタローの髪を弄るのが好きだった。真っ黒で艶やかで、シンタローの整った顔立ちをよく引き立てている。癖のないその髪は無造作に長く伸ばされているが、ガンマ団総帥である息子は忙しくて美容室に行く暇がないのか、前髪が眼の上まで被さってきていた。
「シンちゃん、そろそろ髪、切らないと」
「忙しくて美容室に行ってる時間なんかねえ。いいよ、またキンタローに切って貰うから」
マジックの甥でありシンタローにとっては従兄弟にあたるキンタローは器用な男で、もう一人の息子であるグンマもたまに髪を切って貰っているようだ。だからシンタローの発言はごく真っ当なものだったのだが、何だか癪に障ったのでぐいと髪を引っ張ってやった。
「いてっ」
「パパが切ってあげようか」
「アンタに刃物なんか持たせられるか。何処切るか分かったもんじゃねェ」
「まあ遠慮しないで♪ちょーっと手が滑って服まで切り裂いちゃうかもしれないけど」
「ヤメロ。てかほんっとお願いですからやめてください」
(親父のは冗談に聞こえねえからタチが悪いんだよな)
寝転んだまま、顔だけ横に向けて煙草を揉み消す。
本来シンタローは他人に身体を触られることを人一倍嫌がるのだが、不思議と父親の手だけは気にならなかった。幼い頃から馴染んだ感触だったからかもしれないが、実際マジックの大きな手が髪の間を梳くのを感じるのは気持ちがいい。
「けどマジな話、あんた何かストレスでも溜まってんの?」
ティラミスがその情報を持ってきて以来、そのことがずっとシンタローの気に掛かっている。
毎日部屋の模様替えをするというのは尋常の神経ではあるまい。
とうとう妄想が頭にまで来たか、と覚悟する反面、それも無理は無いとシンタローは思っていた。
基本的にガンマ団の幹部は本部に住み込んでいる。現総帥であるシンタローは勿論、従兄弟達もそうだし前総帥のマジックの家も本部内にある。中には特戦部隊のマーカーのように自分の家を持っている団員もいないではないが、そのマーカーとて本部にも居室はあるのだ。
つまりパブリックもプライベートも無いのがガンマ団という組織だった。
それが普通だと思って大きくなったシンタローは、当然父親もそうなのだろうと思っていた。
だがそうではなかったのかもしれない。
―――独りに、なりたいんだろうか。
自分がなってみて初めて分かったのだが、総帥には個人的な生活などというものはない。
文字通り二十四時間を仕事に捧げねばならない訳で、その中で息子である自分にあれだけの愛情を注いできた父親のタフさをシンタローは心底尊敬し、同時に呆れ果てたものだった。
頭の中はガンマ団のことで一杯という生活に、父はもう飽きたのかもしれない。
第一線を退いた父が少しばかりの自由を求めたとしても無理はないとシンタローは思う。
だがそう思う側から、一抹の寂しさを感じるのも確かだった。


―――シンちゃん、大好きだよ。
もう耳に胼胝が出来るほど聞かされた言葉。
だがシンタローは出来るだけその言葉を軽く受け流してきていた。
溺愛する息子と実は血が繋がっていないと分かってからもマジックの態度は変わらず、日に日に二人の距離は縮まっていった。
最初は軽いじゃれあいだった。
それが抱擁になり、キスになり―――ぼんやり考えていると身体の奥が熱く火照りだすような気がしてシンタローは目を瞑った。
(今では身体の隅々まで知られてしまった)
それでもシンタローがマジックほどにこの関係に積極的になれないのは、やはり何処かに後ろめたい気持ちがあるからなのだろう。


―――こいつは俺の・・・親父なんだ。


そして同時に従兄弟のグンマの、そして最愛の弟コタローの父親でもあるわけで。
未だ眠り続けるコタローが目覚めた時、側に居てやるのはやはりマジックでなくてはならない。
コタローが悲しむことだけはしたくない。
その為に、俺は親父に執着してちゃいけないんだ。


「デカくなっちまった息子が邪魔になってきたとか・・・?」
シンタローの言葉に、マジックの手がぴたりと止まった。
冗談にしようと思ったのに、シンタローの声はかすれている。
「もしも一人になりたいんだったら―――」
「・・・邪魔?」
青い瞳がひたとシンタローの漆黒を凝視める。
シンタローは自分の真上にあるその瞳を見つめ返した。
―――ああ・・海の中にいるみてえだ。
幼い頃見たのと少しも変わらない、凄まじい破壊力を秘めた青い海。
じっと凝視めているとその中へ引きずりこまれてしまいそうな秘石眼。
―――溺れちゃいけない。
(もう、これ以上は)
閉じた瞼の上に、マジックはそっとキスを落とした。
「シンちゃん・・・パパを誘ってるのかい」
その表情がどれだけ男を煽っているのかなんて、きっとこの子は気づいてさえいないんだろう。
仰向けになった綺麗な顔も、無防備にさらけ出された白い喉も、かすかに開いた唇も、何もかもが誘惑的で扇情的で。
マジックは息子の瞼に唇を押しあてながらひそかに苦笑する。
(恋愛と劣情は紙一重、か。―――)
「ばっか、俺だってたまには一人になりてえんだよ」
口調こそ乱暴だが、さっと頬に昇った血の色がそれを裏切っている。
「確かに模様替えはしてるけどね・・別にストレスが溜まってる訳でも頭がおかしくなった訳でもないよ」
「じゃあ何で」
結構真面目に訊いたつもりなのに、返ってきた答えは拍子抜けするほどあっさりしたものだった。
「パパはね、今試行錯誤の模索中なんです」



「はあ・・?」
今なんて言ったんだろう、このオヤジは。
シコウサクゴとか言いましたか?
モサクチュウとか聞こえたのは俺の耳がおかしいんでしょうか?
「でね、辿り着いた結論がー」
「すいません聞きたくありません」
「窓が無くて、扉も無くて電話もテレビも無い部屋v!」
「どうやって入んだよ?」
もっともな疑問はさらりとスルーされた。
時々お耳が休暇を取るこの男は、うっとりした顔になって妄想の世界にハマリこんでいる。
「その部屋に入ることが出来るのはパパだけなんだ。誰にも入らせないし、場所だって教えてあげない」
「だからどうやって入るんだって。ドアも窓も無いんだろ?」
「ああそうだ、携帯も繋がんないように妨害電波も出しとかないとね、これ必須」
「って、アンタそんな部屋で一人暮らしすんのかよ? 孤独死しても誰も助けに行けねーぞ?」
「何言ってんの、シンちゃんと一緒に住むに決まってるでしょ」
「無理だってそんなの。俺忙しいし、ここ離れる訳にはいかないもん。大体そんな部屋ヤダ」
「心配ご無用」
マジックの手が再び髪の間に入る。
「パパがちゃんと面倒見てあげる」
「何勝手な夢見てんだ! テレビも映画も見らんねえような家、俺は絶対イヤだからな」
「・・・全く文句の多い子だねェ」


青い瞳が近づいた、と思ったら唇を吸われた。


「・・んっ―――・・!」
シンタローの唇からかすかな声が洩れる。
マジックが離れたときには、白い頬は真っ赤に染まっていた。
「相変わらずいやらしいね、シンちゃんの顔は」
「て・・てめェ!」
「文句ばっかり言うのはこの口かい?」
自分より一回り大きな掌が喉に食い込んで、シンタローは絶句した。
マジックがニヤリと笑った。
あと少し。
あと少しだけ力を籠めれば、気管支が潰れる。


「―――パパの言うことを聞きなさい、シンタロー」


手を切って、そうだ、足も切り落としてしまおう。
おまえが何処にも行ってしまわないように。
誰にも会わせたくない。
誰にも触らせない。
おまえは一生、私だけを見て暮らすんだ。
大丈夫、心配しないで。パパがずっと面倒を見てあげる。
ねえ、シンちゃん。
おまえはただ、パパの側に居てくれればいいんだよ。


シンタローははあ、と溜息をついて起き上がった。
首の骨をコキコキと鳴らす。
指が食い込んでいた喉には、早くも鬱血の痕が出来かけていた。
「・・・ったく、どこまでストーカー気質なんだよてめえは」
「献身的な愛情と言って欲しいね」
「抜かせ、馬鹿」
腕を伸ばし、ふわりとマジックの胸の中に溶けこむ。
「俺の苦労を無にしやがって」


――――必死に泳いでた足を引っ張って、とうとう水底に引きずりこみやがった ―――



「あっ・・・」
赤い指痕が残った喉元に舌を這わせると、かすれた吐息が零れる。
「気持ちいい?」
「ぜ・・全然・・っ」
喘ぎ混じりの憎まれ口に、マジックは喉の奥でくつくつと笑った。
「・・じゃあ、こっちに訊いてみようか?」
「―――っあ!」
いきなり侵入してきた指に、シンタローは悲鳴に近い声をあげて背を反らせた。
「ほらね? シンちゃんは身体の方が正直だ」
「このエロ中年が・・っ」
「何で怒るのかな? それって凄い才能なんだよ。シンちゃんは何にだってなれる。有能な殺し屋にもカリスマ総帥にも、それに」
「や、んっ・・!」
「男を誘う淫乱にだって。―――」



(親父のキスはいつも甘い蜜の味がする)
存外に長い睫毛を伏せると、マジックは吃驚するほど艶めかしい表情になる。
それはシンタローが一番好きな顔で、その表情を見るたび心臓を素手で鷲掴みにされたような痛みが胸に走るのだ。
(ああ・・やっぱり俺はこの人が好きなんだなあ)
暗くて底の見えない、夜の海。
気をつけないと足許を攫われる。
(でも、もう遅い)


追われて、囚われて、縛られて。
あの眼を見てしまったから、きっと俺はもう逃げられない。


(飲み込まれるならこの人と共に)



今はただ、そう願うばかり。


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逢いたいひとは誰だろう
夢のように儚く
通りすぎてゆくだけだけど



MILKY WAY



「あーあ、雨止まないね――・・・」
残念そうな声に、パソコンのキーを叩いていたキンタローも顔を上げた。
グンマは絶え間なく雨の滴が流れ落ちる窓ガラスにおでこをくっつけて外を眺めている。
「仕方ないさ、梅雨なんだから」
「だって明日は七夕だよー? 雨が降ったら織り姫と彦星逢えないじゃん!」
「はは、グンマはロマンチストだな」
「絶対に逢わせてあげたいんだよ。だって一年も待ったんだから」
何かを思い詰めたような声に、思わず手が止まる。


「・・・そうだな」
席を立ってグンマの隣に立ち、雨で曇る空を見上げる。
(一年に一度だけ)
「晴れたら、いいのにな。―――」
(鵲の橋を渡って恋人達が巡り逢う)

もう何年も逢っていないような気がする。
あの頃は毎晩おまえをこの腕に抱いていたのに。
毎朝おまえの温もりで眼を覚ましたのに。

二人が離れることなど有り得ないと、俺は心から信じていたんだ。

(シンタロー・・・早く逢いたい―――)

「でもさ、きっとシンちゃんのいるところは晴れてるよね」
キンタローはグンマの顔に視線を移した。
こっちを見上げる従兄弟の水色の瞳は柔和に微笑んでいた。

「あそこはずっと夏だもん」
「グンマ・・・」
「だから心配しないでね、キンちゃん」

―――きっと、逢えるから。
優しい声が、切ないほど胸に沁みた。


「あーあ・・雨、止みませんね―――・・・」
リキッドが小さく溜息をついた。
「まだ早いんじゃねえ? 帰りは夕方になるって言ってたぞ」
「パプワの迎えの話じゃないっす! 明日はせっかくの七夕なのに」
「ああ・・・大変だよな、おまえも」
ジャイアントイッポンダケに短冊を吊すのは、何故か毎年リキッドの役目になっている。雨の中を竹に登るのは難しいだろうと思って頷くと、もう一度溜息をつかれた。
「違いますよ。確か雨が降ったら、織り姫さんって天の川渡れないんでしょ?」
「・・・そうだったっけ?」
「アンタだって逢いたいでしょ」
「は?」
「―――向こうで待ってる彦星に」


シンタローは、暫く黙ってリキッドを凝視めていた。
真っ直ぐにこちらを見返してくる青い瞳に浮かんでいる感情が嫉妬なのか優しさなのか、全てを彼に与えた今でも完全には理解らないのが哀しかった。

「あ――・・・どうかなあ」
そっと手を伸ばして、金色と黒という不思議なトーンの髪に触れる。
そのままそっと引き寄せて、リキッドの肩に顔を埋めた。
「彦星がいつまでも待ってるなんて保証はない訳だし」
「・・・シンタローさん・・?」
「ひょっとしたら織り姫にだって」
自分よりほんの少し小さな背中に手を回して、心地良い温もりにそっと身を委ねる。

「他に好きな男が出来たかもしんねーし。―――」

だから、七夕は雨の方がいい。
雨で銀河が渡れないのならば、想い人の心変わりを疑うこともない。
二人を阻むのが銀河に降る雨ならば、待っている男を悲しませずにすむのだから。


少しずつ明るくなってきた空を見上げながら、リキッドはきつくシンタローを抱きしめた。
「明日空が晴れても、俺はアンタを離しませんよ」
「リキッ・・・」
「たとえ橋が架かっても、あの人のところには帰さない」
「だったら!」
まだ幼さの残る頬を両手で挟んで熱い吐息を零す唇をねじ切るように吸う。

「・・・しっかり掴まえとけよ、ヤンキー」

(心が揺れないように)

―――おまえの強さで未練の橋を、粉々に打ち砕いて欲しい。


信じる者が救われるなら
きっと誰も
泣いたりなんかしない







「いっそのこと、殺しちゃえば」
墨を流したような空には生暖かい風が吹き荒れている。
「そんなキンちゃん、もう僕見てられない」

夜毎独り、おまえを思う。
俺の腕で乱れた身体を今はあの男が抱いているのかと思うと、嫉妬に狂いそうになる。

「僕はシンちゃんが大好きだよ。幸せになって欲しいと思う」
「・・・それなら」
「だけどキンちゃんのこともすっごく大事なんだもん」
普段は柔和な水色の瞳に浮かんでいるのは紛れもない怒りだ。

「それに、よく知りもしないあんな子にシンちゃんをあげるのなんか、絶対に嫌。―――」

だが、いったい誰の命を奪えばいい。
誰を殺せば俺の心は静まるのだろう。
俺からシンタローを奪った赤の秘石の番人か?
俺というものがありながら他の男に身を任せたシンタローか?

―――それとも、恋人の心変わりを知りながら諦めることも出来ない惨めな俺自身をか?

「・・・出来ない」
「どうして」
「シンタローは俺を忘れてなどいない筈だから。いつかきっと帰ってきてくれると信じている」
「だけどもし帰ってこなかったら?」
「・・・もし本当に心が離れてしまったものなら」

(追いかけても泣き叫んでも)

離れた心は戻らない。
ましてや誰かの命を奪ってみたところで無駄な事。

その心の望むままに生きられるよう、文字通り半身として俺はあいつを支えてきた。
ありのままのおまえでいてくれと言ったのは俺だ。―――で、あるならば。

あいつが選んだ道なら、それがどんなものでも俺は受け入れなければならないのだ。

「そんなの、綺麗事なんじゃないの」
「・・・」
「他人に譲れる程度の想いなら、恋とは呼ばないよ」


そうかもしれない。
今だって俺の心の中には嵐が吹き荒れている。
あの男を殺せと、そしてシンタローを取り戻せと吼えている。
それはきっと、静かな海のように凪いだあの男の心とはまるで違うもので。


「それでも・・・俺には出来ないよ、グンマ」
「どうして!」
俺を見上げる従兄弟の顔は泣きそうに歪んでいる。
「どうしてシンちゃんを諦められるの? キンちゃんは、シンちゃんがあの子のものになっちゃっても平気なの?」
「俺が平気だと―――そう思うのか!?」
「・・・ごめん」
「諦められる訳がない。思い切れる筈などない」
「キンちゃん・・・」
「だがな、グンマ。ひとの心は、誰にも縛れないんだ。―――」

(シンタロー)

理性では、もしおまえがあの男を愛したのなら、俺はそれも含めておまえを受け入れるべきだと分かっている。
俺はおまえに、俺が望む形ではなくおまえ自身の望む形であり続けて欲しいのだ。

(それでも身の裡では荒涼とした風が吹きすさぶ)

本当は、この胸を引き裂いてしまいたい。
血の滴る心臓を取り出して、おまえに突きつけてやりたい。
これでも足りないのかと。
これでも戻ってきてはくれないのかと。

―――だけど出来ない。
だって俺はやっぱり、シンタローを愛しているから。


「お互い好きなのに、・・・なんでうまくいかないんだろうね」
呟くグンマを抱きしめて、俺は暗い空を見上げた。


嵐が、来ようとしていた。

   凪


「パプワ、シンタローさんは?」

昼食が出来たのに、食卓には1人足りない。
チャッピーと遊んでいたパプワが、「海を見てくるって言ってたゾ」と教えてくれた。
先に食べるよう言い置いて、海辺へと歩いていったら、砂浜に胡坐で座り込んでいる彼を見つけた。

気配を感じて振り向いたシンタローさんは、パプワたちと遊んでいるときの顔ではなく、厳しいお姑の顔でもなかった。
俺に好きだと言ってくれるときの顔でもない。
「ああ…悪ィ、もう昼か?」
でも俺はこの顔を知っている。

待っている人のことを、想っている顔だ。

「すぐに、行くから」
短く告げてまた海を見つめている彼の後ろに膝をついて、抱きしめた。互いに顔が見えないように、肩に額を埋めて。
流れる雲が太陽にかかったのか日差しが急に弱くなった。
いつも真っ直ぐに前を見据えて、力強い光を眼に宿しているシンタローさんが、俺とあの人のあいだで揺れるときだけ弱く感じる。
それを見るたびに浮かぶ疑問を、俺は訊ねたことはない。

シンタローさん。
俺を好きにならなければ良かったと思ったことはありますか?

曇った空の下、海はそれでも穏やかに凪いでいる。
肩から小さな震えが伝わってきて、彼が拳に力をこめたことを知った。何を思って耐えているのかは想像に難くないけれど。
いつになく静かな浜辺と波の音が俺の心を決めさせた。

彼の望みをかなえることはたやすい。
あの人のことを考えることも出来ないくらい、俺に縛りつければいい。奪い尽して、俺を刻み込んで、傷つけてしまえばいい。
今ここで、裏切っているのはあなただと囁くだけで、彼は簡単に俺のものになる。
だけどそうしてきて、何が残っただろう。

袋小路で背中合わせに立ってるだけじゃないか。
ならば、俺は―――。

「っ、止めろ…」
強くなる腕の力に、シンタローさんの体がびくりと震えた。
抱きしめることは言葉よりも雄弁だった。
「リキッド……っ」
そんな声で呼ばれても、ちゃんと伝えたいんだ。
「―――こんなのは、知らない…」
迷子になった子どものように途方に暮れて、シンタローさんは俺の腕を掴む。
あの人にも触れた手だと思うと、まだ胸の奥はちりちりと焦げるけれど、責める言葉はたった今、捨てた。

あなたを縛るのではなく、包み込みたいと思う。

きっとシンタローさんにとっては俺に縛られ、求められた方が楽だ。
彼は常に縛られ(それは愛情だったり期待だったり責任だったりするのだろうが)、常に求められてきた(それはもういろんな意味で)、そういう人だから。
だから俺は別の道を行く。
あなたを包み、あなたに与える。

訊くのが怖かった疑問も、今なら平気だ(きっと悲しむから訊かないけれど)。
だってシンタローさんの答えがどうであれ、俺の答えは変わらない。俺はシンタローさんを好きになったこと後悔したりしない。
戻る道はもう断たれている。だから前に進もうと思う。


―――あの人を想う心まで抱きしめて。

「嫌だ」
シンタローさんが声を震わせて呟いた。
「こんなの、俺は知らない…」
そう繰り返す彼を、もう一度強く抱きしめた。

こんな愛され方を知らないというのなら。

顔を上げて、俺の心と同じくらい穏やかな海を眺めて、シンタローさんに囁いた。
「俺が、教えてあげます」

雲の切れ間から太陽が顔をのぞかせて、青い海を照らした。


今夜は独りでいられる自信がない
あなたと私をつなぐ絆の
脆さばかりが心に沁みる



RHAPSODY IN BLUE



月の光が窓から射しこんで、眠っているあの人の顔を照らしている。
さっきまで快楽に霞んでいた瞳も閉じられて、小さな子供みたいに寝息を立てている。
心を切り裂かれそうな愛しさと哀しさに指を伸ばした。
つい半刻前には吐息混じりに俺の名を呼んでいた唇が、かすかに開く。

「―――・・・・」

溜息のように零れ落ちた名前に、心が凍りついた。

(最初から知ってたんだ)
震える指先で形のいい唇をなぞる。
楽しく過ごしている時にも、不意に一瞬遠い目をすることがあるこの人の心に誰が棲んでいるのか、そんなのとっくに分かっていたことじゃないか。
分かっていて好きになった。
何もかも承知でこの人を抱いた。
(応えてくれるその腕が同情でも欲情でもいいと)

なのに涙が止まらないのは何故なんだろう。

絶対に迷惑はかけないから、一度でも情けをかけてもらえたら。
恋愛じゃなくて構わないんだ。
相手をしてくれるだけでよかった。
そしたら俺はその思い出だけで生きていける、そう信じてた。

(だけど人間の欲にはきりがないから)
一度だけでもと思いつめた挙句に想いを遂げれば今度は気持ちが欲しくなる。
譫言のように俺の名を呼ぶこの人の全てが欲しくなる。
過去にも未来にも嫉妬して、でもそれを知られたくなくて一人であがいてる。


俺に向かって話してるのにふと押し黙る。
まるで魂が何処かへ行ってしまってるようなその表情が不安で不安で、何度抱きしめただろう。
(あんたの心に俺の場所はあるんだろうか)
ひきずるのは未練だと分かっていても、この人を自分のものにしておきたかった。

強く抱けば抱くほど捕らえどころのない瞳が哀しい。
二人の繋がりを信じさせて。
涙の理由は訊かないで、今夜はずっと側にいて。


唇から顎へ、そして喉へと指を滑らせる。
長い黒髪を払いのけた時、愛おしそうに俺の髪に触れた人の手の感触を思い出した。
―――綺麗な、髪だな。
夢見るような口調で言われたときは嬉しくて仕方がなかった。
たとえあなたが誰かと重ねて見ているのだとしても構わない。
金色の髪と青い瞳を持って生まれたことを感謝した。

(要らないなんて言わないで)
今更他の誰にも、あげられないから。


月光が揺れる。
無防備にさらけ出された白い喉に手をかけた俺の心を見透かすように冷たく嘲笑う。
(このまま二人で逝けたらいいのに)
元の世界で待つあの男には渡さない。
わずかに力をこめた瞬間、漆黒の瞳がふうっと開いた。

「ど、した・・・?」
夢うつつで呼ばれた声に、はっと俺は手を離した。
「あ・・? 何で泣いてんだ、おまえ・・・」
舌足らずに尋ねて伸ばした手をしっかり握りしめる。
「何でもないっすよ。―――」

好きですと囁けばにこりと笑って俺も好き、と答えてくれる。
きっとそれは嘘ではないんだろうけど。

「んっ・・あ、あ・・」
感じやすい身体が再び快楽を求めて漂い出す。
追い上げながら月を見上げる俺の下で乱れてゆく。
「は・・あ―――・・!」


だけどやっぱりあなたを愛してるから、零れる涙は自分でも止められない。
だからもっと俺を感じて。
声が嗄れるまで俺の名を呼んで。
(・・ったく、どこまで自惚れてんだっての)


それでも夢を見たいと願った、あの日の俺を責めないで。


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