恋をしよう
「どうしてそんなに無駄に元気なんだっ!!」
「それはね、恋をしているからだよ」
ああ、どうしてコイツはこんな恥かしい台詞をサラリと言ってしまうんだ。
大体その歳で恋ってなんだ?
今更純情振るような歳でも無かろうに。
俺があんまり変な顔をして見上げていた所為か、親父は俺の肩を抱き寄せるとギュッと抱き締めた。
「お・おい!!何しやがるっ…」
咄嗟の事に身を捩るが、しっかりとホールドされて逃げ出せない。
しかし悔しいかな、俺よりも鍛え上げられた胸の中は居心地が良かった。
「こうやって、シンちゃんを抱き締めるのも久しぶりだね」
暫し感慨に耽っていた俺を、親父の声が現実に引き戻す。
しまった、思わぬ安心感に気を許しすぎた。
己の不覚に自己嫌悪半分、照れ隠し半分。
今更ながらのように親父の胸を力一杯押し退ける。
「いい加減離せよ」
下を向いてぐいぐい押すけれど、きっと俺の顔は真っ赤だ。
あまりのガキ臭さに、さらに耳まで染まる。
だけど、そんな俺の必死の様子さえ、親父を楽しませてるんだろうな。
そう考えると、何だかむかつく。
何時しか俺の肩や背に回された腕が外され、ふぅと息を吐く。
実の所ハグは嫌いじゃない。
でも、今更親に甘える歳じゃない。
それに、この腕を必要としているのは、俺だけじゃないんだ。
「シンちゃん、君が今何を考えてるのか何となく予想が付くんだけど…」
視線を上げれば少しだけ困ったような親父の顔。
「私の息子はグンマとコタローだけど、君だって私の大切な息子だよ?」
ごめん、俺はアンタにそんな顔をさせたい訳じゃ無いんだ。
「ね、シンタロー」
そして優しい笑顔。
ほんの子供の頃、何も疑う事なく駆け回ってた子供の頃に大好きだった親父の笑顔。
「…うん」
再び抱き寄せられたけど、今度は素直に身体を預ける事が出来た。
煩わしい枷でしかなかった腕に、ゆっくりと心が解きほぐされる。
「これは親子の親愛表現」
もう一度ぎゅっと力を篭めて、それからゆっくりと身体が離れる。
次第に遠ざかる温もりを離したくなくて、思わずしがみ付いた俺に親父がクスリと笑う。
ああ、そうさ。
俺は何時までたってもガキで、アンタの息子なんだ。
開き直り、グリグリと額を押し付ける俺に、親父が囁いた。
「そしてこれは…」
髪を梳く手が気持ち良い。
「恋人の愛情表現」
「うん…って!えぇっ?!」
今、不穏な言葉を吐かなかったか?
俺が問い質そうとするより早く、髪を梳いていた手が背中を滑り、するりと俺の腰に回ると、
先程とは打って変わった激しさで強く抱き寄せられた。
「お・親父…?!」
「何時だって私の心は君にときめいているよ」
言うや否や、端正な顔が俺の視界を覆う。
こんなヤツを信じた俺が馬鹿だった。
俺は持てる力の限りを篭めて眼魔砲を放った。
e n d
copyright;三朗
◇ ◇ ◇
パパは何時でもシンちゃんに恋してるんですよ。
◇ ◇ ◇
メモ帳より発掘。
ギャグなんだかシリアスなんだか…。
ただ一つ確かなのは、ずっとマジシン好きだということ(笑)
20040320
copyright;三朗
PR
*** Tricksy ***
頼んでいた機械が完成したとの連絡を受け研究課を訪れたアラシヤマは、先刻から部屋の一隅にある椅子に腰を掛けて、ぼんやりと目の前の博士の行動を眺めている。
ピンクのリボンに淡い金髪をまとめた博士の、常に紙一重の奇矯な振る舞いには慣れている。傍目にどう映ろうと、きっと彼の行動には彼なりの根拠があるのだろう。このつま先のとがった靴にぎざぎざつきのマント、右手に握られている星が先端に付けられた棒などにも―――きっと。
そんなアラシヤマの思惑など知る由もなく、グンマはその格好のまま、歌でも歌いだしそうな上機嫌だった。ひらひらとマントを翻しつつ、部屋の一角から三十センチ四方の箱を取り出してきて、マニュアルと共にそれをアラシヤマに渡し。
「はい、これが頼まれてた新型暗視スコープ。で、ね」
手に持つ星付きの棒をえいっと一振りして、にっこりと笑う。
「アラシヤマ、とりっく・おあ・とりーと」
「へぇ?」
「て、わかんない?んーと、じゃあ、お菓子ちょうだい」
仮装姿の二十五歳は無邪気に両手を伸ばし、思わず引き込まれそうになるほどつぶらな瞳でこちらをじっと見つめてくる。アラシヤマはそれに渋い顔を返し、小さくため息を一つ吐いた。
「あんさん……ええ年した成人男子がいつもポケットの中に菓子類詰め込んでる思とったら大間違いどすえ」
「えぇーー。だって高松もキンちゃんも、いっつも持ってるのに……」
それはあんさん仕様や、犬用クッキーとおんなじや…と内心では思ったがもちろん口にはしないアラシヤマだった。グンマは唇を尖らせて不満げな表情を隠そうともせず、上目遣いにアラシヤマを見る。
「それにしても、今日くらいはさぁ……」
「今日が、どうかしはったんどすか?あんさんはなんやらけったいな格好してはりますし。そのどこぞの魔女っ子みたいな格好、ドクターが用意しはったもんどっしゃろ」
「すごーい、なんでわかるの」
「そのやたら短いギリギリのキュロットの裾が何よりの証拠や……」
げんなりとその折り目正しい短パンの裾に目をやると、何を勘違いしたのかグンマはくるり、とその場で回ってみせた。そうした仕草が正しく似合ってしまうのが、この博士の怖いところでもある。
「かわいいでしょー。でもアラシヤマ、今日が何の日かほんとに知らないの?だって士官学校出だったら、一年のときに、学校行事で」
「士官学校……」
その単語を耳にした瞬間、背後に人魂が二つ三つ見えそうなほどアラシヤマの気配が一気に重くなる。
「わての一年生はトガワ君との語り合いと師匠の鬼のような再訓練で終わりましたさかいな……学校行事……フフ……ええ響きどすなあ……」
(うわあー言っちゃいけないこと言っちゃったよ……)とさすがのグンマも笑顔のまま表情を強張らした。
「……うん、でも、お菓子くれなかったから、アラシヤマはTrick決定」
「は?」
「ううん、なんでもない。ただ、最近は欧米以外でも世界的な行事になりつつあるんだからさ。アラシヤマも一応知っておいたほうがいいと思うんだ」
「はぁ……」
「今日はハロウィンて言ってね、キリスト教のお祭りなんだよ。お化けの格好して、それで大事な人にTrick or Treatって言うの」
にこにこと微笑みながら話し続けるグンマ。はじめはいつものようにほとんど聞き流していたアラシヤマだが、世界の常識と断言されたその行事を知らないというのも問題な気がして、つい耳を傾けてしまう。そして、
「その合言葉の意訳はね、『いたずらさせるか――もしくは「あなた」をください』v」
その発言を耳にした途端、ガタッ、とそれまで腰掛けていた椅子を蹴倒さんばかりに勢いよく立ち上がった。
「な、なな、なんどすってえええ?!」
「バレンタインデーのちょっと大人版、てトコかな。まあ、そのフレーズに含ませる意味の深さは人それぞれだけど……アラシヤマの言う『いい年』の人だったら、察してねって話だよね?」
「そっ……そないな行事があらはったなんて……やっぱりラテンの血が入っとる人たちの考えは違いますな……アラシヤマ一生の不覚やわ……ッ」
冷静に考えれば初めにグンマがアラシヤマに対してそれを言っている時点で、グンマの説明など大概嘘だとわかるはずなのだが。完全に頭に血が上っているアラシヤマはそんなことにすら気付かない。
グンマの言葉に一度はがくり、と肩を落としたアラシヤマだったが、おそらく床のキズか何かに対して、何かをぶつぶつと呟いていたかと思うと、急にがばりと起き上がり。グンマの両手をぐっと握った。
「グンマはん、教えてくれはってありがとさんどす。ほなわて、これから今すぐにでもわての王子様のところに行ってきますわ!」
「え、シンちゃんとこ?」
「当たり前どすッ。心友のシンタローはん以外に、わてのこの熱い願いを聞いてほしいお人はおりまへん!」
「あー…うん、がんばってね」
そしてまさに猛進といった勢いで総帥室に向かって走り出す。
その後姿を見ながら
(あ、しまった。これってシンちゃんにとってのTrickになっちゃうかも……)
そんなことにふと考えが至ったグンマだったが、持ち前の前向きさで、ま、いっか、と思い。後も見ないで走り去るアラシヤマを笑顔で手を振りながら見送った。
***
研究課を出て中庭に出ると、太陽はすでにかなり西のほうに傾いている。時刻は五時を回ったというところだろうか。総帥室へとわき目も振らず突進するアラシヤマだったが、本部棟の地階に入った瞬間、前方を歩いている童顔忍者と顔だけ書道家の姿が目に入り、歩く速さをやや落とした。
どれほど忙しかろうと周りの状況が緊迫していようと、この二人は互いがそばにさえいればいつも楽しそうに二人きりの世界を作り出している。妬み半分嫉み三分の一興味六分の一でその様子をじっとりとした目線で追いかけていれば、ふとミヤギの明るい声が耳に入った。
「そだ。トットリ、Trick or Treatだべ!」
その一言に、アラシヤマの全身のセンサーが一斉にそちらを向く。
一体この自称ベストフレンド他称バカップルは今日という日をどのように過ごすのか。これまで培ってきた刺客技術の全てを駆使して二人の会話を盗み聞く。後姿からはよく確認できないが、ほんの少しだけ見えたトットリの横顔は、満開の笑みを浮かべていて。
「言われなくても、ちゃーんとわかってるっちゃよvでも今日は、夜が本番だわいや。だけぇ、ミヤギくん、仕事が終わったら僕ん部屋きて欲しいっちゃ」
「わかったべ。今年はどんなの用意してくれてっか、楽しみだべなあ……」
そうして二人して笑いさざめきながら、廊下の角を曲がっていった。
アラシヤマはと言えば、よろよろと壁に肩を預けると、目を血走らせて今の会話を反芻する。
(夜……夜が本番て……あんお人らナニこんな公共の場で堂々といかがわしい話しとるんーー?!)
そんなことを考えて貧血にでも陥りそうになっていたアラシヤマは、背後から寄ってきた気配にすら気付かずに。無防備だった背中を、バンッと思い切り叩かれる。
「どうしたアラシヤマ!こがぁなとこでうずくまって、気分でも悪いんかぁ」
廊下中に響き渡りそうな声で問いかけてきたのは、日本だったら確実に銃刀法違反で連行される長刀を引っさげたコート姿の大男。アラシヤマはひりひりと痛む背中を押さえながら振り返ると、極めて陰険な目つきで大男――コージをにらみつける。
「コージはん、あんさん気分悪い人間の背中、そないに遠慮なく叩きはったら倒れますえ。しかも相変わらず無駄に声でかいどすし……」
「はっはっはっ、周り気にして小声で喋るんはわしの性に合わんけんのう!」
まあ平気そうならええんじゃ、と人好きのする笑みを満面に浮かべながら言う。その笑顔を見るとさすがのアラシヤマも毒気を抜かれてしまい、仕方ないどすなあ、と苦笑した。
「ま、確かに小声で内気に喋るあんさんなんか目にした日には、熱出して寝込みそうどすしな…」
いつもの癖で皮肉を交えて言った台詞にも、コージはほうじゃろうほうじゃろう、と一人でうなずいている。だがそれから、ふと何かに気付いたように真面目な表情を作って、少しの間視線を中空に彷徨わせた。
「と、そうじゃ、アラシヤマ。なんじゃったかのぉ…ホレ、あれじゃ、あれ」
どうやら何かを思い出そうとしているらしい。アラシヤマは眉を顰めながら、小首をかしげるようにして二十センチ近い身長差のある男を見上げる。
あれでもないこれでもない、と珍しく悩んでいた大男は十五秒ほどしてからようやく目的のフレーズが浮かんだようで、そうそう、と言いながら、ぽん、と手を打った。そして、アラシヤマに向かってにっと笑う。
「Trick or Treat、じゃ」
「はいぃい?!」
目を丸くして直立不動の姿勢になったアラシヤマの途轍もない動揺など、よく言えばおおらかな、悪く言えばこの上なく大雑把なコージは全く気付かない。
ニヤニヤと笑いながら、自分よりいくらか細身の(とはいえ一般的に見ればかなり筋肉質な)アラシヤマの肩に手を回して、耳元で囁く。
「いくら吝嗇なぬしでも、今日くらいはええじゃろう……な?」
「な?て……」
それはコージにとってみればほんの軽い茶目っ気で、食べ物の一つでも貰えれば儲けもの、という考えでやったことでしかない。
だがアラシヤマは、表情を陰にするように俯きしばらく黙ったままでいて。それからやおら、ふ、ふふ、と不気味な笑い声をたててコージに組まれた肩を震えさせ始めたかと思うと、
「今日も明日も明後日も、あんさんにやれる日なんて未来永劫来んわボケェっ!」
「ほぉじゃらけえーーー!」
両手を掲げ、ごおっと全身から容赦ない炎を噴き出した。全くの不意打ちに勢いよく燃え上がらされた大男は、やがてぶすぶすと燻りつつ、ゆっくりと前方へ倒れる。ずうん、と響く鈍い音。周囲にいた一般団員は顔面を蒼白にさせながら、遠巻きにその様子を眺めていた。
だが事件を起こした当の火元は、そんな恐れおののいた団員たちの視線などものともせず。
コージはんまでわての美貌を狙うてはったとは、まったく油断も隙もあらへんわ、と制服についた煤を払いつつ、歩き出す。
な、なんでじゃあ……というコージの最後の力を振り絞った至極まっとうな抗議の呟きは、アラシヤマの耳には届かなかった。
***
総帥室のある階にエレベーターが到着する。ココまで来れば目的の人までは後もう少しだ。
だがそこには思いがけない伏兵が待ち構えていた。
廊下の向こう側から歩いてくるのは、おそらく今しがたシンタローの部屋から出てきたらしきキンタロー。顔を上気させ動悸息切れの状態にあるアラシヤマの姿を見るなり、その端正な顔をゆっくりと、しかし顕著に顰める。
顔を見たくのなんてお互い様どすえ、と思いながら鬼気迫る表情でアラシヤマは問いかけた。
「キンタロー!総帥は中にいはるんどすな」
その質問にどう答えたものかと逡巡しつつ、キンタローはほとんど無意識の防衛本能というか、シンタローへの世話意識というかで、そのしっかりとした体躯で総帥室への道をふさいでいた。
「いることはいるが……」
「ほな、さっさとどきなはれ。わてはシンタローはんに用があるんどす」
「……今、シンタローは機嫌が悪い。更にこれまでの統計を見る限り、お前の顔を見てアイツの機嫌が悪くなることはあれ、良くなることはない。一刻を争うような用事でなければ後に……」
「一刻、一秒を争う用事どす。この上なく深刻な、デッドオアアライブゆう問題どす!」
そのあまりの気迫に押されてか、さすがのキンタローも、む……と言葉を呑み込んでしまい。仕方なく体を開いてアラシヤマに総帥室への道を開ける。
その意外とあっさりとした反応にほんの少しだけ違和感を感じつつも、アラシヤマはキンタローの脇をすり抜け、総帥室の前までたどり着いた。
急ぎ足でどこかへ向かうキンタローの背がエレベーターの中に消えていったのを確認してから、誰もいなくなった廊下で、二、三度ほど深呼吸を繰り返し。逸る鼓動を必死で抑えつつ、アラシヤマは総帥室の扉をノックする。
「シンタローはん、ア、アラシヤマどす」
少しの間の何かを我慢しているような沈黙の後(これはアラシヤマが総帥室を訪れたときは毎度のことだ)、げんなりしたような声で、入れ、とシンタローが答えた。
この上なく性能のいい換気装置をつけておきながら、室内には仄かに煙草の匂いがする。飾り気はないが豪奢な部屋で、目当ての紅い服の総帥は、何故かふてくされたような表情をしながら、重厚な机の上に両手を組み合わせていた。
「なんや……ありましたん?シンタローはん」
機嫌損ねてはるいうのはキンタローの方便やなかったんかい、と心の中でそっと呟きながら、眉間に二重の皺を寄せているシンタローに、アラシヤマは問いかける。
だが予想通りというべきかシンタローから返されたのはギラリ、と効果音が聞こえてきそうなほど凶悪な視線で。
「なんでもねーよ。それよりなんだ、用件は。くだんねーことだったらブッ飛ばす」
「い、いや、その、あの、どすな」
意気込みだけは十分。シンタローの険悪な目つきにも慣れきっている。だが、いざ本題を口に出そうとすると緊張が先立って、舌が強張ってしまうアラシヤマだった。
あかん、リラックスやアラシヤマ。冗談ぽく言ってしもたらええやないどすの。このチャンス逃したらあと一年待たなあかんのやで。シンタローはんをトガワくんやと思って勇気を出すんや――とシンタローが聞いたら眼魔砲で即滅されそうなことを思いつつ、冷たい汗をだらだらと流しながら荒い呼吸を繰り返す。
一方シンタローはといえば、キンタローの言うとおり、またアラシヤマが見て取ったとおり、いつも以上に不機嫌だった。よほど心にゆとりがあるときでなければ(そしてそんな日は一年に二日とないのだが)まず見たくない顔の唐突な来訪もさることながら、今日は昼に急なネット会議が入ってしまったため、昼食をとり損ねたのだ。
しかも、そういう日に限って朝食すら抜いて慌てて執務室に来ていたという経緯がある。立て続けに飛び込んでくる突発事項に次ぐ突発事項で、秘書に頼んで簡単なものを買ってきてもらう暇すらなかった。やっと先ほどたまたま打ち合わせのために訪れていたキンタローが今日は比較的手がすいていると言ったので、好意に甘えて、急ぎで何か軽食を買ってきてもらうよう頼んだばかりである。
そこにのこのこと現れたのが、常を超えて挙動不審極まりないアラシヤマだったというわけだ。
空きっ腹と苛立つ存在の両方を抱えて上体を机の上に突っ伏すと、片隅においてある多機能電子時計の緑の文字盤が目に入った。その日付を見て、ああそうか、今日はあの日だったかとシンタローは思い出す。
「おい、アラシヤマ」
「ななな、なんどす?」
明らかにいつも以上に奇怪な動きを見せるアラシヤマに目を眇めながらも、シンタローは机の上に両腕と首を放り出したまま言葉を投げかける。
「Trick or Treat」
とりあえず、小腹を満たせるものならなんでもいい。年間行事にかこつけて下心つきのプレゼントを常に用意しているアラシヤマである。何かしら食物にありつけるかもしれないし、もしなかったら(あるいはそれがおたべだったら)トリックと称して眼魔砲の一発も食らわせて憂さ晴らしをしてやろう……。
そんなことをぼんやりと考えていたシンタローは、次の瞬間アラシヤマの表情を見て心底ぎょっとした。
これでもかというほど顔を真っ赤にしたアラシヤマは、口元に手の甲を当てたたまま、ぼたぼたと鼻血をたらしながらシンタローを見ているのだった。
「い、いたずらくらいまでどしたら……ああっ、でもやっぱりあきまへん!!シンタローはんの希望には出来る限り添いたいどすけど、せやけど、わてが下になるんだけは……でけまへんッッ」
「………は?」
そうして少女マンガの主人公よろしく大粒の涙をこぼしながら総帥室を出て行こうとする。ただ部屋から外に出る間際にふと足を止め、演出過剰に扉のフチに手を掛けると、ぼろぼろと泣きながら無理やりに笑顔を作ってシンタローを振り返り。
「ホンマは……わてが言いたかったんどすえ。シンタローはん……」
それだけを言うと、今にも倒れんばかりの哀愁を背負いつつ、ふらつく足取りで退出していった。
シンタローはその一連の行動の最初から最後まで、言葉もなくひたすらに怪訝な表情で眺めているしかなく。
「なんだぁ、アイツ…」と呆然と呟く総帥のその頭の上には、無数のクエスチョンマークが浮かんでいた。
***
コトの元凶となったグンマ博士は結局、予想通り高松とキンタローから贈られた甘い菓子の山に囲まれて非常に幸せな一日を過ごしたため、アラシヤマに言ったことなどは、きれいさっぱり頭から消え去っており。
とにかくその日以来、アラシヤマはケチで挙動不審でわけがわからない、という団内の定説が、よりいっそう深まったのであった。
Fin.
===============================================
アラシン祭開催おめでとうございますv
矢島えいじ / 『さしもぐさ』
頼んでいた機械が完成したとの連絡を受け研究課を訪れたアラシヤマは、先刻から部屋の一隅にある椅子に腰を掛けて、ぼんやりと目の前の博士の行動を眺めている。
ピンクのリボンに淡い金髪をまとめた博士の、常に紙一重の奇矯な振る舞いには慣れている。傍目にどう映ろうと、きっと彼の行動には彼なりの根拠があるのだろう。このつま先のとがった靴にぎざぎざつきのマント、右手に握られている星が先端に付けられた棒などにも―――きっと。
そんなアラシヤマの思惑など知る由もなく、グンマはその格好のまま、歌でも歌いだしそうな上機嫌だった。ひらひらとマントを翻しつつ、部屋の一角から三十センチ四方の箱を取り出してきて、マニュアルと共にそれをアラシヤマに渡し。
「はい、これが頼まれてた新型暗視スコープ。で、ね」
手に持つ星付きの棒をえいっと一振りして、にっこりと笑う。
「アラシヤマ、とりっく・おあ・とりーと」
「へぇ?」
「て、わかんない?んーと、じゃあ、お菓子ちょうだい」
仮装姿の二十五歳は無邪気に両手を伸ばし、思わず引き込まれそうになるほどつぶらな瞳でこちらをじっと見つめてくる。アラシヤマはそれに渋い顔を返し、小さくため息を一つ吐いた。
「あんさん……ええ年した成人男子がいつもポケットの中に菓子類詰め込んでる思とったら大間違いどすえ」
「えぇーー。だって高松もキンちゃんも、いっつも持ってるのに……」
それはあんさん仕様や、犬用クッキーとおんなじや…と内心では思ったがもちろん口にはしないアラシヤマだった。グンマは唇を尖らせて不満げな表情を隠そうともせず、上目遣いにアラシヤマを見る。
「それにしても、今日くらいはさぁ……」
「今日が、どうかしはったんどすか?あんさんはなんやらけったいな格好してはりますし。そのどこぞの魔女っ子みたいな格好、ドクターが用意しはったもんどっしゃろ」
「すごーい、なんでわかるの」
「そのやたら短いギリギリのキュロットの裾が何よりの証拠や……」
げんなりとその折り目正しい短パンの裾に目をやると、何を勘違いしたのかグンマはくるり、とその場で回ってみせた。そうした仕草が正しく似合ってしまうのが、この博士の怖いところでもある。
「かわいいでしょー。でもアラシヤマ、今日が何の日かほんとに知らないの?だって士官学校出だったら、一年のときに、学校行事で」
「士官学校……」
その単語を耳にした瞬間、背後に人魂が二つ三つ見えそうなほどアラシヤマの気配が一気に重くなる。
「わての一年生はトガワ君との語り合いと師匠の鬼のような再訓練で終わりましたさかいな……学校行事……フフ……ええ響きどすなあ……」
(うわあー言っちゃいけないこと言っちゃったよ……)とさすがのグンマも笑顔のまま表情を強張らした。
「……うん、でも、お菓子くれなかったから、アラシヤマはTrick決定」
「は?」
「ううん、なんでもない。ただ、最近は欧米以外でも世界的な行事になりつつあるんだからさ。アラシヤマも一応知っておいたほうがいいと思うんだ」
「はぁ……」
「今日はハロウィンて言ってね、キリスト教のお祭りなんだよ。お化けの格好して、それで大事な人にTrick or Treatって言うの」
にこにこと微笑みながら話し続けるグンマ。はじめはいつものようにほとんど聞き流していたアラシヤマだが、世界の常識と断言されたその行事を知らないというのも問題な気がして、つい耳を傾けてしまう。そして、
「その合言葉の意訳はね、『いたずらさせるか――もしくは「あなた」をください』v」
その発言を耳にした途端、ガタッ、とそれまで腰掛けていた椅子を蹴倒さんばかりに勢いよく立ち上がった。
「な、なな、なんどすってえええ?!」
「バレンタインデーのちょっと大人版、てトコかな。まあ、そのフレーズに含ませる意味の深さは人それぞれだけど……アラシヤマの言う『いい年』の人だったら、察してねって話だよね?」
「そっ……そないな行事があらはったなんて……やっぱりラテンの血が入っとる人たちの考えは違いますな……アラシヤマ一生の不覚やわ……ッ」
冷静に考えれば初めにグンマがアラシヤマに対してそれを言っている時点で、グンマの説明など大概嘘だとわかるはずなのだが。完全に頭に血が上っているアラシヤマはそんなことにすら気付かない。
グンマの言葉に一度はがくり、と肩を落としたアラシヤマだったが、おそらく床のキズか何かに対して、何かをぶつぶつと呟いていたかと思うと、急にがばりと起き上がり。グンマの両手をぐっと握った。
「グンマはん、教えてくれはってありがとさんどす。ほなわて、これから今すぐにでもわての王子様のところに行ってきますわ!」
「え、シンちゃんとこ?」
「当たり前どすッ。心友のシンタローはん以外に、わてのこの熱い願いを聞いてほしいお人はおりまへん!」
「あー…うん、がんばってね」
そしてまさに猛進といった勢いで総帥室に向かって走り出す。
その後姿を見ながら
(あ、しまった。これってシンちゃんにとってのTrickになっちゃうかも……)
そんなことにふと考えが至ったグンマだったが、持ち前の前向きさで、ま、いっか、と思い。後も見ないで走り去るアラシヤマを笑顔で手を振りながら見送った。
***
研究課を出て中庭に出ると、太陽はすでにかなり西のほうに傾いている。時刻は五時を回ったというところだろうか。総帥室へとわき目も振らず突進するアラシヤマだったが、本部棟の地階に入った瞬間、前方を歩いている童顔忍者と顔だけ書道家の姿が目に入り、歩く速さをやや落とした。
どれほど忙しかろうと周りの状況が緊迫していようと、この二人は互いがそばにさえいればいつも楽しそうに二人きりの世界を作り出している。妬み半分嫉み三分の一興味六分の一でその様子をじっとりとした目線で追いかけていれば、ふとミヤギの明るい声が耳に入った。
「そだ。トットリ、Trick or Treatだべ!」
その一言に、アラシヤマの全身のセンサーが一斉にそちらを向く。
一体この自称ベストフレンド他称バカップルは今日という日をどのように過ごすのか。これまで培ってきた刺客技術の全てを駆使して二人の会話を盗み聞く。後姿からはよく確認できないが、ほんの少しだけ見えたトットリの横顔は、満開の笑みを浮かべていて。
「言われなくても、ちゃーんとわかってるっちゃよvでも今日は、夜が本番だわいや。だけぇ、ミヤギくん、仕事が終わったら僕ん部屋きて欲しいっちゃ」
「わかったべ。今年はどんなの用意してくれてっか、楽しみだべなあ……」
そうして二人して笑いさざめきながら、廊下の角を曲がっていった。
アラシヤマはと言えば、よろよろと壁に肩を預けると、目を血走らせて今の会話を反芻する。
(夜……夜が本番て……あんお人らナニこんな公共の場で堂々といかがわしい話しとるんーー?!)
そんなことを考えて貧血にでも陥りそうになっていたアラシヤマは、背後から寄ってきた気配にすら気付かずに。無防備だった背中を、バンッと思い切り叩かれる。
「どうしたアラシヤマ!こがぁなとこでうずくまって、気分でも悪いんかぁ」
廊下中に響き渡りそうな声で問いかけてきたのは、日本だったら確実に銃刀法違反で連行される長刀を引っさげたコート姿の大男。アラシヤマはひりひりと痛む背中を押さえながら振り返ると、極めて陰険な目つきで大男――コージをにらみつける。
「コージはん、あんさん気分悪い人間の背中、そないに遠慮なく叩きはったら倒れますえ。しかも相変わらず無駄に声でかいどすし……」
「はっはっはっ、周り気にして小声で喋るんはわしの性に合わんけんのう!」
まあ平気そうならええんじゃ、と人好きのする笑みを満面に浮かべながら言う。その笑顔を見るとさすがのアラシヤマも毒気を抜かれてしまい、仕方ないどすなあ、と苦笑した。
「ま、確かに小声で内気に喋るあんさんなんか目にした日には、熱出して寝込みそうどすしな…」
いつもの癖で皮肉を交えて言った台詞にも、コージはほうじゃろうほうじゃろう、と一人でうなずいている。だがそれから、ふと何かに気付いたように真面目な表情を作って、少しの間視線を中空に彷徨わせた。
「と、そうじゃ、アラシヤマ。なんじゃったかのぉ…ホレ、あれじゃ、あれ」
どうやら何かを思い出そうとしているらしい。アラシヤマは眉を顰めながら、小首をかしげるようにして二十センチ近い身長差のある男を見上げる。
あれでもないこれでもない、と珍しく悩んでいた大男は十五秒ほどしてからようやく目的のフレーズが浮かんだようで、そうそう、と言いながら、ぽん、と手を打った。そして、アラシヤマに向かってにっと笑う。
「Trick or Treat、じゃ」
「はいぃい?!」
目を丸くして直立不動の姿勢になったアラシヤマの途轍もない動揺など、よく言えばおおらかな、悪く言えばこの上なく大雑把なコージは全く気付かない。
ニヤニヤと笑いながら、自分よりいくらか細身の(とはいえ一般的に見ればかなり筋肉質な)アラシヤマの肩に手を回して、耳元で囁く。
「いくら吝嗇なぬしでも、今日くらいはええじゃろう……な?」
「な?て……」
それはコージにとってみればほんの軽い茶目っ気で、食べ物の一つでも貰えれば儲けもの、という考えでやったことでしかない。
だがアラシヤマは、表情を陰にするように俯きしばらく黙ったままでいて。それからやおら、ふ、ふふ、と不気味な笑い声をたててコージに組まれた肩を震えさせ始めたかと思うと、
「今日も明日も明後日も、あんさんにやれる日なんて未来永劫来んわボケェっ!」
「ほぉじゃらけえーーー!」
両手を掲げ、ごおっと全身から容赦ない炎を噴き出した。全くの不意打ちに勢いよく燃え上がらされた大男は、やがてぶすぶすと燻りつつ、ゆっくりと前方へ倒れる。ずうん、と響く鈍い音。周囲にいた一般団員は顔面を蒼白にさせながら、遠巻きにその様子を眺めていた。
だが事件を起こした当の火元は、そんな恐れおののいた団員たちの視線などものともせず。
コージはんまでわての美貌を狙うてはったとは、まったく油断も隙もあらへんわ、と制服についた煤を払いつつ、歩き出す。
な、なんでじゃあ……というコージの最後の力を振り絞った至極まっとうな抗議の呟きは、アラシヤマの耳には届かなかった。
***
総帥室のある階にエレベーターが到着する。ココまで来れば目的の人までは後もう少しだ。
だがそこには思いがけない伏兵が待ち構えていた。
廊下の向こう側から歩いてくるのは、おそらく今しがたシンタローの部屋から出てきたらしきキンタロー。顔を上気させ動悸息切れの状態にあるアラシヤマの姿を見るなり、その端正な顔をゆっくりと、しかし顕著に顰める。
顔を見たくのなんてお互い様どすえ、と思いながら鬼気迫る表情でアラシヤマは問いかけた。
「キンタロー!総帥は中にいはるんどすな」
その質問にどう答えたものかと逡巡しつつ、キンタローはほとんど無意識の防衛本能というか、シンタローへの世話意識というかで、そのしっかりとした体躯で総帥室への道をふさいでいた。
「いることはいるが……」
「ほな、さっさとどきなはれ。わてはシンタローはんに用があるんどす」
「……今、シンタローは機嫌が悪い。更にこれまでの統計を見る限り、お前の顔を見てアイツの機嫌が悪くなることはあれ、良くなることはない。一刻を争うような用事でなければ後に……」
「一刻、一秒を争う用事どす。この上なく深刻な、デッドオアアライブゆう問題どす!」
そのあまりの気迫に押されてか、さすがのキンタローも、む……と言葉を呑み込んでしまい。仕方なく体を開いてアラシヤマに総帥室への道を開ける。
その意外とあっさりとした反応にほんの少しだけ違和感を感じつつも、アラシヤマはキンタローの脇をすり抜け、総帥室の前までたどり着いた。
急ぎ足でどこかへ向かうキンタローの背がエレベーターの中に消えていったのを確認してから、誰もいなくなった廊下で、二、三度ほど深呼吸を繰り返し。逸る鼓動を必死で抑えつつ、アラシヤマは総帥室の扉をノックする。
「シンタローはん、ア、アラシヤマどす」
少しの間の何かを我慢しているような沈黙の後(これはアラシヤマが総帥室を訪れたときは毎度のことだ)、げんなりしたような声で、入れ、とシンタローが答えた。
この上なく性能のいい換気装置をつけておきながら、室内には仄かに煙草の匂いがする。飾り気はないが豪奢な部屋で、目当ての紅い服の総帥は、何故かふてくされたような表情をしながら、重厚な机の上に両手を組み合わせていた。
「なんや……ありましたん?シンタローはん」
機嫌損ねてはるいうのはキンタローの方便やなかったんかい、と心の中でそっと呟きながら、眉間に二重の皺を寄せているシンタローに、アラシヤマは問いかける。
だが予想通りというべきかシンタローから返されたのはギラリ、と効果音が聞こえてきそうなほど凶悪な視線で。
「なんでもねーよ。それよりなんだ、用件は。くだんねーことだったらブッ飛ばす」
「い、いや、その、あの、どすな」
意気込みだけは十分。シンタローの険悪な目つきにも慣れきっている。だが、いざ本題を口に出そうとすると緊張が先立って、舌が強張ってしまうアラシヤマだった。
あかん、リラックスやアラシヤマ。冗談ぽく言ってしもたらええやないどすの。このチャンス逃したらあと一年待たなあかんのやで。シンタローはんをトガワくんやと思って勇気を出すんや――とシンタローが聞いたら眼魔砲で即滅されそうなことを思いつつ、冷たい汗をだらだらと流しながら荒い呼吸を繰り返す。
一方シンタローはといえば、キンタローの言うとおり、またアラシヤマが見て取ったとおり、いつも以上に不機嫌だった。よほど心にゆとりがあるときでなければ(そしてそんな日は一年に二日とないのだが)まず見たくない顔の唐突な来訪もさることながら、今日は昼に急なネット会議が入ってしまったため、昼食をとり損ねたのだ。
しかも、そういう日に限って朝食すら抜いて慌てて執務室に来ていたという経緯がある。立て続けに飛び込んでくる突発事項に次ぐ突発事項で、秘書に頼んで簡単なものを買ってきてもらう暇すらなかった。やっと先ほどたまたま打ち合わせのために訪れていたキンタローが今日は比較的手がすいていると言ったので、好意に甘えて、急ぎで何か軽食を買ってきてもらうよう頼んだばかりである。
そこにのこのこと現れたのが、常を超えて挙動不審極まりないアラシヤマだったというわけだ。
空きっ腹と苛立つ存在の両方を抱えて上体を机の上に突っ伏すと、片隅においてある多機能電子時計の緑の文字盤が目に入った。その日付を見て、ああそうか、今日はあの日だったかとシンタローは思い出す。
「おい、アラシヤマ」
「ななな、なんどす?」
明らかにいつも以上に奇怪な動きを見せるアラシヤマに目を眇めながらも、シンタローは机の上に両腕と首を放り出したまま言葉を投げかける。
「Trick or Treat」
とりあえず、小腹を満たせるものならなんでもいい。年間行事にかこつけて下心つきのプレゼントを常に用意しているアラシヤマである。何かしら食物にありつけるかもしれないし、もしなかったら(あるいはそれがおたべだったら)トリックと称して眼魔砲の一発も食らわせて憂さ晴らしをしてやろう……。
そんなことをぼんやりと考えていたシンタローは、次の瞬間アラシヤマの表情を見て心底ぎょっとした。
これでもかというほど顔を真っ赤にしたアラシヤマは、口元に手の甲を当てたたまま、ぼたぼたと鼻血をたらしながらシンタローを見ているのだった。
「い、いたずらくらいまでどしたら……ああっ、でもやっぱりあきまへん!!シンタローはんの希望には出来る限り添いたいどすけど、せやけど、わてが下になるんだけは……でけまへんッッ」
「………は?」
そうして少女マンガの主人公よろしく大粒の涙をこぼしながら総帥室を出て行こうとする。ただ部屋から外に出る間際にふと足を止め、演出過剰に扉のフチに手を掛けると、ぼろぼろと泣きながら無理やりに笑顔を作ってシンタローを振り返り。
「ホンマは……わてが言いたかったんどすえ。シンタローはん……」
それだけを言うと、今にも倒れんばかりの哀愁を背負いつつ、ふらつく足取りで退出していった。
シンタローはその一連の行動の最初から最後まで、言葉もなくひたすらに怪訝な表情で眺めているしかなく。
「なんだぁ、アイツ…」と呆然と呟く総帥のその頭の上には、無数のクエスチョンマークが浮かんでいた。
***
コトの元凶となったグンマ博士は結局、予想通り高松とキンタローから贈られた甘い菓子の山に囲まれて非常に幸せな一日を過ごしたため、アラシヤマに言ったことなどは、きれいさっぱり頭から消え去っており。
とにかくその日以来、アラシヤマはケチで挙動不審でわけがわからない、という団内の定説が、よりいっそう深まったのであった。
Fin.
===============================================
アラシン祭開催おめでとうございますv
矢島えいじ / 『さしもぐさ』
『連敗記録』
「メーシ、メシメシ~~!」
「はーいはいはいはい!分かったからちょっと大人しくしてろよパプワ!」
言いながらも鍋を掻き混ぜる手を止める事はない男が、ガンマ団№1の殺し屋などと誰が信じられるだろうか。
少なくとも№2であるアラシヤマは己の目で見ているにも関らず信じられずにいた。
あれが長年越えられない男なのか。
いくら秘石眼を持つ少年が相手とはいえ、大の男があんなに振り回されるとは情け無い。
「で、テメェは何人様の家を堂々と覗いてやがんだよ」
不機嫌な声と共に額に突き刺さったお玉にアラシヤマは血を噴出しながら笑みを浮かべた。
「ふふふッ。よぉ見破りはりましたな!」
「そんだけ堂々と台所の窓から見てりゃ誰でも気付くわ!ナメとんのか!!」
眉間に皺を寄せて睨むシンタローを余裕の笑みで見返しながら、お玉の柄を抜き取り指を指した。
「勝負どす!」
「あんだけやってまぁだ懲りねぇのかよ。お前」
「今の所、勝負は五分五分や。今回こそはわてが勝つ!」
「ケッ。上等じゃねぇか、そこで待ってろよ」
エプロンを脱ぎ捨て踵を返した背中に不意打ちのサボテンを投げ付けてやろうとしていた目の前で、
茶色い犬に頭を噛み付かれて泣き叫びながら走り回るシンタローを見てアラシヤマは目を点にした。
「何を言う!まずは僕の昼御飯を作るのが先決だろう!!」
「売られた喧嘩を買ってるだけだろ!」
「む、まだ口ごたえする気なのか。チャッピー!」
少年の掛け声と共により深く食い込んだ牙にシンタローは更に涙を流している。
完全に手玉にとられている男にアラシヤマは少々同情すらしてしまった。
「ずわぁぁぁッ。申し訳ございません、御主人さまぁぁぁぁ!」
「分かればいい」
土下座する男からチャッピーが離れ、シンタローは頭から豪快に血を流しながらアラシヤマを指差した。
「テメーとの決着は飯の後だ」
「全く格好ついてまへんえ」
「喧しいわい!」
冷静な突っ込みにシンタローは涙を流しながらも料理の続きを始め、暇になったらしい少年は
わざわざ表に出て来るとアラシヤマのマントを引っ張った。
「お前、そんなにシンタローと勝負がしたいのか?」
「当然どす」
「だが万年№2という事は一度も勝った事がないんだろう?」
「万年言うなや!ええんどす、試合はよぅやっとりましたが今度は殺し合いどすからわてにも分がありまっさかい」
ふん、と鼻を鳴らせば少年は変わらない表情のままアラシヤマを見上げた。
「試合で勝てなくても殺し合いだと勝てるのか?」
「そうどす」
「妙な自信持ってんじゃねーぞアラシヤマぁ」
不敵に笑うシンタローだが、手元では葱を刻んでいる。
「せやから格好ついてへんって」
「うるせー!ほっとけよ!!」
自棄糞気味に叫んだ男から足元の少年に視線を戻せば、扇を広げて踊り始めていた。
この奇妙な踊りのせいで降り続いた雨で3日間も無駄にしてしまったのは苦い思い出だ。
「しかし何故お前は試合で負けてばかりいたんだ?」
「理由、どすか…」
試合は胴衣の着用が義務付けられており、どちらかが試合不可能になるまで続けられるデスマッチだった。
シンタローに勝てなかった理由はその胴衣にあるのだ。
日本の柔道や空手で着るのと同じ様に前合わせになっているそれは、功夫を使うシンタローにとっては動き易いのだろう
試合開始早々どんどん胸元が肌蹴ていくのだ。
そして厚みのある布の向こう側から迫出て来るのが鍛え上げられた美しい肢体である。
決勝だけあって、身体が温まりきっているので少し動いただけでも汗が浮かぶのだ。
普段は軍服の下に覆い隠されている肌は白い故に血行が盛んになっている試合中は薄っすらと色付いている。
更にそこに浮かぶ汗は若い肢体だけあって珠となり宙を舞うか肌を飾り立てる役割を果し、ライトの光を美しく反射しているのに
思わず見入ってしまったのは不可抗力だ。
楽しんでいるのだろう、普段は滅多に見られない笑みを浮かべ頬を紅潮させて攻撃する男の顔には時折長い髪が
汗で張り付き口は赤く色付いて半開きになっている事が多かった。
そんな表情の下、肌蹴過ぎた胴衣からは胸の突起がよく見えるのである。
日本人と英国人のハーフらしく薄い色をしているそこに何度手が伸びそうになった事か。
同性だと自分に言い聞かせても接近戦ともなれば否応無くそれは目に入り、更に時として肌が拳の先を掠める。
辛抱し過ぎて鼻血を噴出した瞬間に鳩尾に重たい拳を喰らって倒れてしまう事数回。
お陰でシンタローに勝った試しはない。
毎度思うのだが色仕掛けとは卑怯にも程がある。
本人が意識していようがいまいが、現に自分はそれに惑わされて負けたのだ。
「全てはシンタローの卑怯さからどす!」
「いーい度胸だテメェ!おら、飯が出来たから家ン中入って来いパプワ!俺はそいつをブチのめす!!」
「んばば!こりゃ見物だな、チャッピー!」
「わうわう!」
アラシヤマはパプワハウス玄関に周り込むと腕を組んで仁王立ちをした。
パプワに蛸がはみ出したスープの入った御椀を渡し、シンタローは出て来ると右手を構え左足を一歩引いて沈んだ体勢をとった。
「覚悟は出来てんだろーな」
「そっちがなぁ。ほな、いきまっせ!」
一足飛びに間合いを詰めたアラシヤマの目の前で、シンタローのシャツが顔を隠す程に捲れ上がり上半身が露になった。
露になった胸の先端にほぼ条件反射的に鼻血が噴出し、アラシヤマはその場に顔からスライディングをしたのだった。
「~ッ何だ…ってパプワぁ、邪魔すんなよ!」
「おかわり~~!」
「自分でやれば良いだろうが!俺は今忙しいの……って、何やってんだよアラシヤマ」
足元で鼻ばかりか額からも血を流す男を訝しげな目で見たシンタローは腕を組んで首を傾げた。
「お…己シンタロー!またしてもお色気を使うとは卑怯どすえ!!」
「いや、お前何訳分からねぇ事を口走ってんの?」
寝言は寝て言え、とアラシヤマの頭を踏みつけ地面にめり込ませて気絶させ、出てしまったシャツを帯の中にしまい込んだ。
「シンタロー早くおかわりだ!」
「わう!」
「はーいはいはい」
こうしてアラシヤマの連敗記録は更新されたのだった。
---------------------------------------------------------
雪原 湊 様
☆ハロウィンSS☆
「あのさぁ、シンちゃん」
「それ以上言うな!」
何か物言いたげに自分を見上げたグンマに向かって、シンタローは眉間に皺を寄せ、不機嫌な様子でそう言い捨てた。
「だって、さっきからあの角っこのところで、ずーっと、シンちゃんのこと待ってるみたいだし…」
「いいから、無視」
「おーい!アラシヤマくーん!」
「しろ」
シンタローが言葉を言い終わらないうちに、グンマがそう叫んで手を大きく振ると、
「ばばばば、バレてしもうては、そらもう仕方おまへんわなぁ…」
廊下の曲がり角から、少し体をくねらせながら、嬉しそうにアラシヤマが二人の前に姿を現した。
「おい、グンマっ!」
「えーっ?だってシンちゃんも気づいてたんでしょ?だったら無視するのはよくないじゃない☆じゃあ、僕はもう行くからvまた後でね、シンちゃんv」
グンマはバイバイ、と2人に手を振ると、上機嫌で去って行った。
「あのー、シンタローはん」
「ぁあ゛?」
シンタローが睨みつけると、アラシヤマは嬉しそうな顔になったが、
「なんといいますか、その眼魔砲の構えはやめてくれまへん?わて、あんさんと話がしとうてずっと待っていたんどすが」
すぐに表情を改め、真剣な声でそう言った。
渋々、と言った様子でシンタローは手の中の光球を消し、
「何だよ?聞きたかねーけど、またロクでもねー話か?そんで、何オマエ、その格好?」
アラシヤマを上から下まで見たところ、彼は死神のような黒い長マントを羽織っており、小脇に目鼻がくりぬかれたカボチャを抱えていた。
「ジャック・オ・ランタンどすえ。ところで、シンタローはん。わて、ついにハロウィンをマスターしたんどす…!つまり、南瓜提灯を持って、罪人供養の秋祭りでっしゃろ!!」
いかにも自信ありげな様子のアラシヤマを眺めつつ、シンタローは何事か考えていたが、
「―――アラシヤマ、お前、よくぞハロウィンを極めたナ!つーことで、今から即、托鉢に行って来い!」
と笑顔で言った。
「し、シンタローはんッツ!わての努力を分かってくれはったんどすナ…!!わて、ぎょうさん菓子をもろうてきますさかい、後から一緒に食べまひょvvv」
「はーい、はいはい。どうでもいいから、とっとと行けヨ?」
「や、約束どすえ…!」
アラシヤマが頬を染めて何度も自分の方を振り返るのを無視して、シンタローは歩き出した。
研究室のドアを開けると、そこには彼の従兄弟達が何やら分厚い紙束を見ながら議論していた。
「あれ?シンちゃん、早かったねv」
「待っていたぞ、シンタロー」
シンタローが部屋に入ると、グンマとキンタローは、顔をあげた。
「ねぇねぇ、アラシヤマくんはどうしたの?」
「さァ?知らねーケド」
「今までアラシヤマと一緒だったのか…」
「もォー、そんなことぐらいで簡単に落ち込まないでよォ~!キンちゃんッツ!!」
グンマがグイグイとキンタローの服の袖を引っ張ると、
「別に、落ち込んでなどいない」
彼はますます浮かない顔つきになった。
「ねぇねぇ、シンちゃんも来たことだし!休憩にしない??僕、お茶を入れてくるから待っててネv」
そう言って、鼻歌を歌いながら、グンマは流しの方に消えた。
「珍しくお前とグンマが共同研究だなんて、どうしたんだ?」
「高松の昔の生物化学研究の一部をロボット工学に応用して、新システムを構築しようという試みなのだが、理論上では可能でも、なかなかうまくいかない」
「へぇー、大変だナ」
「いや、これはすぐに役立つというものではなく、半ば遊びだが…。シンタロー、」
キンタローは、シンタローを見ると、何か決意したような顔つきになり、口を開こうとしたが、
「おっ待たせーv」
という明るい声に出鼻を挫かれたようであった。
「キンちゃんとシンちゃんはコーヒーでよかったよネ?このパンプキンプリン、高松が今朝持ってきてくれたんだヨv」
なんだかガックリしているキンタローと、その隣に座って嬉しそうにプリンを食べているグンマの姿を胡散臭げに見ながら、シンタローはコーヒーに手を伸ばした。
一口飲むと、彼は顔をしかめた。
「…グンマっ!てめぇ勝手に俺の分に砂糖入れんなヨ!?」
怒鳴られたにも関わらず、グンマは上の空で、向かいに座っているシンタローの顔の上方を見ていた。
シンタローは、何だか頭が2箇所むずがゆい気がしたのでおそるおそる手をやってみると、毛の生えた三角形の突起状のものが手に触れた。引っ張ると、痛い。
「わーいv実験大成功ッ☆シンちゃん可愛いー!!」
「………」
パチパチパチ、とグンマが手を叩いている。
「はい、鏡v」
シンタローは現実を認識したくなかったが、渡された手鏡を見ると、頭上には黒い猫耳がしっかりと生えていた。
「グンマてめぇッツ!!」
立ち上がりざま、問答無用でグンマの胸倉を掴んで2・3発殴ると、
「うわーん!シンちゃんのバカー!ケチンボっ!!今日はハロウィンだし、どーっしても、猫シンちゃんが見たいっておとーさまが言ってたから、仮装のお手伝いをしてあげようと思っただけなのにッ!!殴ること、ないじゃないかッツ!?」
現状に加え、バカだのケチだの言われて怒り心頭状態のシンタローはグンマを突き放し、
「おい!キンタロー!!お前、この大馬鹿に何とか言えよ!!それと早く解毒薬を作ってくれ!!」
キンタローの傍に行くと、立ち上がったキンタローに、
「シンタロー、可愛い…!!」
抱きすくめられた。逃れようと思っても、全く身動きがとれない。
「オイ、グンマっ!!何とかしろッツ!!」
キンタローを殴るのも気がひけたので、グンマに助けを求めると、
「えーっ、さっきシンちゃん、僕を殴ったし、大馬鹿って言ったからヤダ!それに、その耳、明日の朝になったら自然に消えるよ?」
と言いながら、プリンを食べていた。
「ねぇねぇ、このプリンおいしいから、シンちゃんの分ももらっていい?」
抱き上げられ、ソファの上でキンタローに抱えられているシンタローが、
「ざけんな、コラ!?」
と様にならない格好で睨むと、グンマは、
「シンちゃんのケチー!じゃあ、今から高松のところにもらいにいこーっと!キンちゃんは…、それどころじゃないみたいだよネ?」
数秒考え、
「じゃあ、行ってきまーすvキンちゃんもシンちゃんも後からおいでよv」
と言って研究室から出て行った。
「俺は、猫シンタローもすごくかわいいと思うぞ」
「―――あのよぉ、キンタロー。いくらなんでも、そろそろ離してくんねぇか…?」
小一時間、シンタローは抱えられたまま、幸せそうなキンタローに頭を撫でられていたが、そう言うと、
「わかった」
キンタローは悲しそうな顔をして、体を離した。
「ったく、馬鹿グンマのせいで、とんだ災難だぜ」
立ち上がったシンタローは伸びをして、ため息を吐いた。
「シンタロー、今から高松のところに一緒にいかないか?あそこなら解毒薬の材料がそろっている」
「うーん…」
シンタローは考えていたが、その時、インターホンが鳴った。
「はい」
「あっ、キンちゃん?ねぇねぇ、シンちゃんそこにいる?さっきグンちゃんから、シンちゃんがかわいいニャンコになったって聞いたんだ☆もう、首輪も鈴も猫じゃらしもパパ準備万端だよシンちゃんvということで、早く開けてヨvvv」
「伯父貴・・・」
どうする?、と確認するようにシンタローを振り返ると、シンタローは引きつった顔で、
「悪ィ、キンタロー。俺は逃げる!」
と小声で、言った。
「眼魔砲で片付けるなら手伝うが?」
「いや、面倒くせーからいい。そんじゃ、すまんが後は頼むゾ」
シンタローは脱兎のごとく駆け出した。
「よっこらせっと。結構、菓子が集まりましたナ…。シンタローはん、喜んでくれますやろか」
アラシヤマは、大量に菓子の入った黒い袋を担ぎ、人気の無い暗いガンマ団内の公園をテクテクと歩いていた。
(『燃やされるか、大人しく菓子を出すかどっちがええどすか?』って笑顔で聞いただけやのに、何でみなはん怖がったり迷惑そうな顔をしはったんやろ?西洋の祭りが理解できへんとは、とんだ田舎者で不粋な奴らどすなァ…)
「あ、そうそう。提灯にも灯ぃ入れな、供養になりまへんナ」
アラシヤマは南瓜の中のろうそくに火を灯した。
彼の周りだけ、薄ボンヤリとした光に照らされている。
しばらく行くと、闇の中に光る2つのものが突如現れ、少々驚いたアラシヤマは立ち止まった。
(―――猫?にしては、地面からの位置が高すぎどす)
(やっと撒けたか?このクソ忌々しい耳、切っちまうわけにもいかねーし)
夕闇に紛れ、人気の無い所を移動していたシンタローであったが、暗くなると気温が下がり、肌寒くなってきた。
(見世物にはなりたかねーし、どこに行っても迷惑がかかるよナ…。かといって、あのクソ親父に首輪とか無理矢理つけられんのは、ぜってー嫌だし)
思わずため息を吐くと、頭上の猫耳も気持ちと連動しているのか力なく伏せられる。
しばらく行くと、低い位置でフラフラと揺れる不安定な光が突如現れたので、シンタローは立ち止まった。
気配を完全に消し、身動きせずにその場に佇んでいると、人魂のような光はザクザクと枯葉を踏む音と一緒に近づいてきた。
「あれ?シンタローはんやおまへんの。どないしはったんどすか?その目と猫耳」
南瓜提灯を掲げ、シンタローの顔を確認すると、アラシヤマは驚いたようであった。
「あっ、わかりました!あんさん、仮装してわてを探しにきてくれはったんどすナ!うれしおす~vvvほな、今からわての部屋に行きまひょか!ぎょうさんお菓子ももろうてきましたえvvv」
アラシヤマはどうやら嬉しさのあまり、シンタローの目が光っていたことについての疑問は脳内から消し飛んでしまったらしい。
(アラシヤマの部屋か…。嫌だけど、誰も近寄んねぇから意外と盲点かもナ。それにもし親父に見つかってもコイツ、多少のことじゃくたばんねーし、いいか)
「…絶っ対!人に見つかるようなヘマはすんなよ!?」
「えっ?それって逢引ってことどすかっ??どうしまひょ、シンタローはん!わて、ドキドキしすぎて不整脈がッツ…!」
「未来永劫逢引じゃねーから。さっさと歩けよオマエ」
「もう、嬉しおますぅ~vvv」
「超ウザイ」
提灯を持って浮かれているアラシヤマに続いて歩きながら、シンタローは何の準備もなく野宿せずにすんだことに関してだけは、ほんの少し安堵していた。
「ようこそ!シンタローはんvvvどうぞゆっくりしていっておくんなはれ!お風呂にします?それとも、わ・て??もう、猫耳もよう似合うてて、ほんま可愛ゆうおますえー!!」
アラシヤマが一歩シンタローに近づくと、ペタンと耳が伏せた。
「え…、それってまさか、本物、なんどすかぁ!?カチューシャとかやなくて??そういや、さっき目が光ってたのも…」
ものすごく不機嫌そうな顔つきのまま返事をしないシンタローを見て、
「ということは、また、あんさん、従兄弟らに一服盛られはったんどすナ!?ほんまにもっと警戒してくれはらんと、心配どす…」
なんとはなしに、力が抜けたようにアラシヤマは椅子に座り込んだ。
「うるせぇ」
シンタローも疲れたように、ドサリ、とソファに座った。
「シンタローはん、お茶いれてきましたし、今から菓子を一緒に食べまへん?」
アラシヤマはマグカップを乗せた盆を運んでテーブルの上に置いた。
黒い袋を渡されたシンタローは、その中から飴を1つ取って包みをとり、口に放り込んだ。
「そういや、シンタローはん。あんさんもわてに菓子をくれまへんか?」
「あ、もってねーわ、俺。こんなにあるし、別にいんじゃねぇの?」
「いや、ハロウィンの決まりどすし…。でも、シンタローはんを燃やすわけにもいきまへんしなぁ…」
「燃やすって、何だよお前?」
悩む様子のアラシヤマを不審気に見遣ったが、急にアラシヤマが
「そうや!その手がありましたわ!!わてって天才どすーvvv」
と大声で叫んだので、耳がピンと立ち、目が丸くなった。
アラシヤマはチラッとシンタローを見て、
「…あの、そのー、ホラ!シンタローはん、今丁度飴を舐めてますやん。そそそそそれを一寸わてに」
「死ね」
眼魔砲、ではなく、右ストレートであった。
「すみまへん!ほんのちょっとしたハロウィン・ジョークなんどす~!!」
土下座して平謝りに謝るアラシヤマに、
「冗談で済んだら、警察、いらねぇよナ?」
と冷たくシンタローが言うと、
「せやかて、シンタローはん!『トリック・オア・トリート』って呪文、“あくどいやり方か、菓子か”どっちか選べってことやおまへんの??となると、シンタローはんに酷いことをしとうありまへんし、残るは菓子の方のみですやん…!!」
泣きながら弁解するアラシヤマにシンタローは呆れた。
「オマエなぁ、トリック・オア・トリートのトリックって普通“悪戯”って訳すんだけど?大体、ガキが言う台詞だゾ…」
「ええっ!?犯罪者の台詞やおまへんのー!!」
「犯罪者が菓子を要求するか?」
「いや、そう言われると…」
床に座ったまま何やら悩んでいる様子のアラシヤマを放って置いて、シンタローは、空になったマグカップを洗うために流しに立った。カップは2つだけだったので、すぐに洗い終わった。
(アイツ、超今更だけど、どうしようもねぇナ…)
非常に疲れた気分で部屋に戻ろうと振り返ると、すぐ背後にアラシヤマが居た。
「うわっ!何、気配まで消してやがんだ、オマエ!?」
「あの…、シンタローはん。あんさん、結局菓子をわてにくれまへんでしたから、トリックの方ということでよろしおますか?」
おずおずとアラシヤマはシンタローの腰を引き寄せ、キスをした。
が、キスを解いた瞬間、今度はボディブローを腹に叩き込まれ、尻餅をついた。
「―――テメェ、まさかそれが悪戯のつもりか?どさくさに紛れてひとの尻を撫で回しやがって…」
「ち、違うんどす!誤解どすえー!今回、あんさんの猫尻尾はどうなってはるんか、わて、えらい気になりまして…!」
「なら、何でベルトまで外そうとしてたんだヨ?」
「や、やっぱり、触っただけやのうて実際に見てみんと、ようわからんかなぁ?なんて…」
「で、覚悟はできたか?」
「あの、これだけは言わせておくれやす!わて、“チカン、あかん”推進派どすさかいー!!」
「眼魔砲ッツ!!」
黒焦げになって倒れているアラシヤマを蹴り飛ばし、シンタローは部屋を出た。
廊下を歩いていると、
「シンちゃーん!!どこ行ってたの??パパ、すっごく探したんだヨ!?あっ、黒猫耳すっごくかわいいネvもっとよくパパに見せ」
「眼魔砲!」
シンタローは、パンっと手をたたき、床に倒れているマジックを見て
「ったく、最初っから、こーしとけばよかったゼ」
と言って自室に戻った。
後日、シンタローの元にティラミスが、
「苦情です」
と言って山のように抗議書を持ってきた。
一つ抜き出して読んでみると、
『10月31日、某幹部に脅されて菓子をカツアゲされました。今後、このように迷惑なことが二度とおこりませんよう、総帥からきつく言っておいてください』
と書いてあった。
「あー、苦情をよこしたヤツラに適当に菓子を配っといて。代金は、全部アラシヤマの給料から引くように」
「わかりました。他の書面もお読みになられますか?」
「いや、いい」
「それでは、失礼いたします」
一礼後、ティラミスは部屋から出て行った。
シンタローは、机の上に飾られていたパンプキンの置物を掴むと、ゴミ箱目がけて放り投げた。
沖の灯 / 勘菜
++ New days ++
「は?」
間の抜けた声が知らずと口から漏れ出た。
何を言っているんだ、この人は。意味がわからない。
言葉をつむごうとしても唇だけがせわしなく動いて、そこからは音を上手く発することすらできなかった。
「就任式の時に正式に発表するつもりだ。」
そんな様子など見えていないかのように――視線は確かにこちらを向いていたが――彼は告げる。
「それはいいんですが、どげして僕らに先に告げんさるんですか?」
「わっかりきった事聞いてんでねーべ。つまりな、オラたつは特別って事だべ。な、シンタロー。」
黙れ、阿呆共。
「わしらに先頭切ってその方針を実践して団内に根付かせろっちゅー訳じゃな。」
やかましいわ。
「そーいう事だ。なんか質問はあるか?…ねェな。んじゃ下がっていいぜ。」
並んで立っていた同僚たちが一斉に敬礼をする。一瞬だけ遅れて慌てて指先を揃えて額に当てた。
頭の中がこんがらがっている。とりあえず帰ってトレーニングでもして気をまぎらわせよう。
軽い頭痛を覚えながら、同僚たちの後に続いて扉をくぐろうとする。
「アラシヤマ」
低い声が静かに呼び掛けてきた。
振り向くと彼は眉を寄せてつまらないものでも見るようにこちらを見ている。
「お前は残れ。」
威圧的な響きで絶対的な命令が下された。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
今、自分は彼の向かいのソファに座っている。
正直な話、彼が自分を誘ってくれるなどなかなかない機会だ。それが二人きりとなれば更にその割合は減る。
いつもの自分なら飛び上がって喜んだだろうが、今回ばかりは別だった。
「わてだけ呼び止めてなんの用事どすか?最近二人になる機会もあらしまへんかったさかい、わてやって嬉しおすけどぉ…一人だけ残すやなんて、ちぃと露骨どすえ。」
指で頬を掻きながら彼を見ると、彼は先ほどとは違い煙草をふかしながらゆったりとソファに寛いでいた。
「オメーだけだったんだよ。」
紫煙が顔に吹きかけられて目に染みた。
「納得いかねェって顔してやがった。」
非難をする暇も与えられず、また言葉が投げ掛けられる。
「…なんの事でっしゃろ?」
「トットリの奴も眉しかめてたけどな。まァアイツにはミヤギがいるからいいとして、問題は……お前。」
会話にならない。彼は自分の言葉など聞く気はないのだろう。
すらすらと告げながら、眼前に煙草の先端をつきつけてきた。
「言葉だけの忠誠ならいらねェ。」
彼の言葉が冷たく胸を浸食する。
新しいガンマ団の方針に反する奴はいらない。
文句があるようなら何処へなりとも消えろ。
言われていない筈の言葉が淡々と頭に響く。
「正直に言っていいぜ。お前は、この方針についてどう思ってる?」
視線に射抜かれる。
言える訳がないではないか。総帥命令に反する意見など。
「わ、わては…ええと思いますえ。時間はかかると思いますけど」
「嘘吐き」
間髪いれずに遮られる。
促すように向けられた視線は揺るがない。
言いたくないのに。貴方に背く言葉など。
「…………り、や。」
「あァ?」
「無理に決まっとりますやろ! 何が新しい方針やッ! ガンマ団が今までどれだけの時間をかけてここまでの規模になったと思うてはるのッ?! それを根本から否定する方針やなんて、まず団員がついてきまへんわ。阿呆ちゃいますのん?自惚れるんも大概にしなはれや!」
はっと口を押さえたが、もう遅い。
「あ……」
言ってしまった。彼の瞳がそれを聞いて細められる。
「…………ッ」
沈黙が痛い。彼の視線が痛い。
その空気が耐えがたく、絨毯がしかれた柔らかい床を蹴り扉へと走る。
声をかけることは叶わずに、せめてもと軽い会釈をして部屋を出た。
「………あ、あァ…」
言葉にならない声が口から漏れてその場に崩れ落ちる。涙が後から後から頬を伝っていく。
あんなことを言いたかったのではない。
確かに方針変えには反対だった。だけどその理由はあんなものじゃなくて―――
「今まで通りやったら、殺しやったら…誰より上手くやれたんや。あんさんの為に誰よりも優秀にこなせたんや。総帥にならはったあんさんに…わてが一番役に立てる筈やったんや……」
それ以外で貴方の役に立てる方法を自分は知らない。
「わては…あんさんの傍に……」
嗚咽ばかりがひたすらに漏れては消えた。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
貴方が言うと出来る気がしてしまう。
ついていきたくなってしまう。
本当は誰よりそれに貢献したかった。
「……せやけどな」
書き綴ったそれを封筒にいれる。表にはしっかりと『辞表届』と印刷されている。
「あんさんの邪魔にだけはなりとうないんどす…」
封をし、それをファイルにしまいこみ椅子から立ち上がる。
「堪忍な」
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
「却下」
目の前でそれは封を切られることもなく、破り捨てられた。
「……つか、なんの冗談だよ。馬ッ鹿じゃねーの。」
冗談じゃないのはこっちだ。
なんのつもりか問いたいのはこっちだ。
「あんさんが…言うたんやないの。従えへんわてのことは必要ないて。わてが新しい方針に反対しとるさかい、せやったらいらんて。」
せめて、貴方が上に立つ前に去りたいのに。そうでなくては、きっと決意は揺らぐ。
「俺、んな事言ってねェよ。」
「言いましたやろ! ……わては新しい団の方針には向きませんさかいな。しょうがあらしまへんよな。」
彼の顔を見れない。声音から、辛うじて苛々してることはわかる。
「いい加減にしろよッツ!」
机を叩かれ、数枚の書類が足下に落ちた。
「お前は俺についてきたくないのかよ? それなら止めねェよ、勝手にしろ。だけどお前辞めたくねーんだろ? そんぐらい見りゃわかんだよ。」
「…や、辞めとうなくても『言葉だけの忠誠はいらない』て言われたら否定でけへんのやッ! せやから」
「今のお前は言葉だけじゃねェだろ。」
「はい?」
意味がわからずに反射的に顔を上げると視線がかち合った。
やはり、怒っている。
「お前にはお前の考えがあって、でも着いてくるんだろ?」
着いていきたいけど。
「俺はなぁ単にお前らの意志を確認したかったんだよ。お前らは部下になるけど、俺にとって…一番身近な仲間だ。だからちゃんと気持ちを聞いておきたかったんだ。」
「……仲間?」
「本音聞いた上で着いてきてくれる方がよっぽど信頼できる。…別にやめろ、なんざ言ってねェ。……やめんのかよ?」
確認するように視線を投げ掛けられた。
やはり貴方は意地悪だ。そんな事を言われたら自分の答えなんて決まっているではないか。
「わて…きっといっぱい失敗しますえ。」
「お前だけじゃねェよ。」
「一番の功績やって出せへんかも知れへん。」
「そこまで期待してねェ。」
「それやったら」
改めて姿勢を整え、ビシッと敬礼をして彼を見た。
「これからもよろしくお願いします、シンタロー総帥。」
ようやく浮かべられる笑みにじんわりと胸が侵される。温かな感情に目の奥が熱くなった。
「まだ総帥じゃねェよ、バーカ。」
団旗が肌寒い風に揺らめきながらも、そのマークをしっかりと主張してるのが窓から見える。
今日は彼の就任式だ。加えてあの方針も発表される日でもある。
どれ位のざわめきが起こるだろう。
彼はどんな顔でそれを聞くだろう。
考えるだけで胸が踊った。
戸惑いは未だ消えないし、自信だってない。
だけど彼なら、彼と自分たちがいればきっと大丈夫だと今は感じる。
最後の鋏をいれると視界がざあっと広がった。
「あんさんのお側で…見届けさせてもらいますな。」
遮るもののない両の瞳が、雄雄しく掲げられた真っ赤な団旗を映した。
end