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出口のない迷路を歩き続けている

出口に気付いているのにそれに気付かないふりをして――






『おはよう』――そんないつもの挨拶が空々しく聞こえる。

『シンちゃん』――いつも通りに名を呼ばれても、それは以前と同じ響きを持っているようには聞こえない。



顔を合わせることが恐いだなんて笑ってしまう。



逃げるように遠征に出かける自分を、あの男はどう思っているのだろうか――。








5.電話








「――出ないのか?」

幾分眉間に皺を寄せたキンタローの声に、シンタローは顔を上げた。
何を言われているのかをよく理解していないままに、問うような視線を向ければキンタローは呆れたような溜息を付きながら、机の脇に置いてあった携帯電話を指差した。

「え、あ、ああ――…」

そうまでされてやっと我に返ったシンタローは、携帯を取ろうとしてその手が止まった。
表示されている名前を目にした瞬間に、身体が凍ったように動かなくなる。


着信音を消していなかった携帯に、全く気付かなかった理由は一つだ。
シンタロー自身が発信者の全てを拒絶していたから。
それは音でさえ当てはまっていたらしく、その存在全てを否定するかのようにシンタローの脳内には届いていなかったようだ。
その音がようやくシンタローの耳に届いた頃には、長い事出ることのない持ち主に諦めを見たのか――携帯は静かになっていた。

「シンタロー?」

従兄弟の不審そうな顔に、シンタローはわざと呆れたような顔を作って『いつものことだ』と言い切った。
着信音で相手が誰であったのかは、目の前のキンタローもわかっただろう。
無視をすることも多かったので、外見上は何ら不審を持たれるようなことをした覚えはない。
なのに、キンタローは電話に出なかったことが意外とでも言うように『いいのか?』と念を押してきた。

「…別に、大した用事じゃねーだろ」

何かを見透かされているようなその問いに、シンタローは内心で動揺しながらも平静を保ったまま答えた。

「……」

しかしシンタローの返答にキンタローは納得をしていないらしく、じっと此方を見続けていた。

「なんだヨ?」

若干の苛立ちを込めて睨みあげると、キンタローは溜息を付いた。
その態度がさらにシンタローの苛立ちを深める。

「何か言いたいんだったらはっきり言えよ」

遠回しな表現は癪に障る。
直球ストレートな表現をすることが多い、この従兄弟にしては珍しい態度に、シンタローの背に嫌な汗が伝う。


「いや、ただ――いつもならばお前が出るまで何度でもかけ直してくる伯父上が珍しいと思っただけだ」

「あん?」


眉を顰めさせたシンタローに、キンタローは『気付いてないのか?』と、それこそ意外だという顔をした。

「留守番電話に切り替わってもすぐにかけ直してくるだろう?お前が出るまで。着信拒否にすればこの部屋の電話に直接かけてくるし、それすらも無視すれば今度は、団内の回線をフル活用してお前の声を聞くまで諦めない。そう、お前の声を聞くまでは絶対に諦めんだろう」

だからこそ嫌々携帯番号を教えたはずだ。
教えなければ下らない電話の応対に団員達が迷惑を被るどころか、下手すると館内放送まで使って『シンちーーーゃん』と叫ばれてしまうのだ。

だから最初は無視しても、二回三回としつこくかけ直してくるその電話に、シンタローは仕方なしに出る。
ほんの一言二言交わしただけで切ってしまうことが多かったが、一度声を聞けば相手は暫くの間は大人しくなる。

だからこそキンタローは不審に思ったのだろう。
一度の呼び出しだけで諦めてしまったあの男に。
普段であれば二度でも三度でも――それこそ数十回でも諦めずにコールしてくる相手が、たった一回の呼び出しだけでその後がない。

「いいかシンタロー。あの伯父上がだ。何が何でもお前の声を聞くまで諦めた事のなかったあの人が、たった一度の電話で諦めたことなど、今までに一度だってなかったはずだ。いいか、一度だってだ」

無駄に記憶力がいいだけに、そんなどうでもいいようなことまでしっかりと覚えている従兄弟を、シンタローは今ほど恨めしく思ったことはない。

「うるせーな。たまたまだろーが!」
「しかし――」
「次の目的地に着くまで片付けるモンがいっぱいなんだろ?邪魔すんなよ」

さらに言い募ろうとしたキンタローに、見せ付けるように卓上の書類を指で弾いてみせると、キンタローは納得のいかない顔のまま押し黙った。
シンタローはそれ以上何も言わせないようにと、無言で書類を引き寄せてその文字を目でなぞる。
そんなシンタローに、キンタローは何か言いたげな視線を暫くの間送っていたが、やがて諦めたのか深い溜息を付いた後に部屋から出て行った。



「―――ふぅ…」

キンタローの足音が徐々に遠ざかっていくのを感じて、シンタローは息を付いた。
手にしていた書類の内容は最初から頭に入ってなどいない。
無造作にそれを机の上に放り出して、椅子の背もたれに体重をかけた。

本部にある総帥室とは違い、無機質な作りの執務室の天井を見上げてもう一度息を付いた。
遠征先に向かう艦隊の中で、一番振動の少ない場所に設置されたこの部屋には窓がない。
しかしそれに不満はなかった。

どちらかと言えば今は外を見たくはなかった。

空を飛んでいるのだから当たり前なのだが、窓の外に見えるのは雲か青空のどちらかだ。
雲の中にいるのならばいい。
真っ白な空間は普通であれば苦痛になるが、今のシンタローにとっては青い空間より余程いい。


それほど昔でもない以前に、青い空を見上げた事が数回あった。


その頃に感じた青と、今感じている青は似ているようで違う。



迷路に嵌ってしまったと思っていたあの頃は、今思えばその入り口付近に居ただけにすぎなかった。





そして今、抜け出せない迷路の真っ只中で自分は―――





「…情けねぇ…」

シンタローは小さく呟いた。
声に出すべきではないその弱音を、思わず口にしてしまったのは、そうでもしなければ見えない何かに押し潰されてしまいそうだったからだ。

『何か』――ずっと胸に引っ掛かっていたそれは、いつの間にか大きな固まりとなって、シンタローの全身を飲み込もうとしている。

その『何か』が何であるかを気付いてしまっているのに、それを認める事が出来ずに気付かないふりをし続けていた。
そうしなければならないと思うこと事態で、それを認めているも同じだというのに、必死に何も知らないのだと自身に思い込ませようと足掻いている。


自分の非を認めることの出来ない愚かな大人。
自分の我侭を通そうとする無邪気な子供。


そのどちらとも取れる今の自身の状況に、シンタローは口元を歪ませた。

どんなに仕事を増やしても、脳裏にちらつく男の顔が、シンタローの思考の全てを支配していく。
考えないようにしようとすればするほど、深みにはまっていくというのにそれを止める術はない。

父親の仮面を必死にかぶって見せてみせるあの男と、顔を合わせなくなってから何日が過ぎただろうか――。



最後に聞いた言葉は『いってらっしゃい』だ。


遠征に行く前はいつも『寂しい』や『一緒に行く』と散々駄々をこねる男は、今回の遠征でもやはり同じようにわめき散らした。
いつもながらの光景に呆れた様子の団員も、完全に無視をきめこんでいるキンタローもグンマも――何一つ変わらない光景だった。

その中でシンタローのみがいつもとは違っていた。

男の顔を見る事が出来ずに、動揺する素振りは決して見せないようポーカーフェイスを決め込むだけで精一杯だった。
無視をすることはよくあることであったから、他人の目から見ればシンタローのその様子は普段通りに見えたはずだ。



例えその時――シンタローの心音が通常の二倍の速度で音を刻んでいたとしても…。



おそらくその事にあの男は気付いている。

『いってらっしゃい』と、顔を見ることなく耳に届いていたその声色は、あの時と同じ響きを持っていた。



『私はお前が私の事をどう思っているのか――知りたいだけだよ…』



そう――扉越しに聞いたあの声と同じ響きを――。



「父親面したいんだったらッ、もっと完璧にやりやがれ…ッ!」

絞り出すように口から発せられた言葉は虚しく室内に響くだけである。
あの時、いつものように『ふざけんな』とでも言って眼魔砲放っていれば、今のように苦しい思いをしなくてすんだのであろうか。

あの時ああしていれば――そんな今更どうしようもない思いだけが浮かんでは消えていく。

そんな考えはただの悪あがきにしかすぎない。
そんなことはわかっている。

起こってしまった出来事を戻す事なんて出来やしない。
それがわかっているのに、同じ思いをいつまでも胸の中に巣食わせている。

後ろ向きすぎる自身の姿に情けなくて仕方がなかった。

このまま一生あの男と向き合わずに生きていく事など不可能だ。
あの男は己の失態に気付き、必死に下手な芝居をしている。
そしてシンタローはといえば、それに気付いてこれ以上踏み込まないようにと逃げ回っている。


解決策は、シンタロー自身も気付かないふりをして――そう、何もなかったのだと――今まで通りの『親子』に戻る事だろうか――?


「――そうじゃねーだろ…ッ」


自分の考えたあまりにも陳腐な案に笑いすら出てこなかった。

どうやったって自分はもう、今までのようには戻れないのだから。
融通の利く性格でないことくらいよくわかっているのだ。
以前のような関係に戻れる器量があるのであれば、あの男の言葉を聞いた時点で眼魔砲をぶっ放していた。


どうすればいいのかをわかっているのにわからない――矛盾という一言で片付けられるほど、シンタローの心情は簡単なものではなかった。


ドロドロと渦巻く感情の沼から這い上がるには、自分自身でそれを望まなければならない。


自分と向き合うこと――。


自分はどうしたいのか。

自分はどうして欲しいのか。

自分は何故逃げているのか。


それらの答えを答えればいいだけの話だ。
偽りなく、心の底から感じた答えを。

感情は答えの出る数式のように簡単なものではない。
割り切ろうとして割り切れるものでもない。

他人に話すことによって答えを見出せるかもしれない。
でもそれは今回に限っては出来ない事だった。
誰にも話すことなど出来ない。
自分の中の理解不能な感情を、どう説明しろというのだろう。
他人に説明できるくらいならとっくに自分で解決策を見つけている。


父親ではなくなってしまった男と対面した時に、自分がどうなってしまうのかがわからない。


あの男の瞳は人の命を奪う時に見せた残忍さを持ったものではなかった。
弟を閉じ込めた時に見せた厳しい瞳でもない。
シンタローの行動の全てを異常なまでに支配しようとしていた頃のものとも違う。



ただひたすらに優しく――そして哀しみを湛えていた瞳。



ほんの一瞬に垣間見たあの瞳こそが、あの男の本心。

怒りを表したわけでもなく、恨みを込めたものでもない。
そんな負の感情に感じた恐怖よりも、初めて感じた強い恐怖。



こんな恐怖があるだなんて知らなかった――…。




あの日から意図して思考から削除している言葉がある。
その言葉は、今のシンタローにはあまりにも重過ぎて考えることすらしたくない。

その言葉一つで全てが変わる。

その言葉を認めることによって、おそらくシンタローは泥沼から這い上がって出てこられる。
その言葉を認めることによって、おそらく自分自身と向き合う事が出来る。



でもそれは諸刃の剣のようなもので――。



その言葉一つで全てが壊れてしまうのだ。
今まで気付きあげてきたものが全て。

そう、何もかも。




―― 『父さん』 ――



やっと一つになれた、夢見ていた温かな家族。

これからだ。
まだまだ足りない。

やっと皆が一つになってこれから築いていくはずだったもの。



それはシンタロー自身が、何よりも望んでいたもの――。



――それらを全て引き換えにしてしまうほどに、その言葉には大きな力がある。



その言葉を伴う感情をシンタローは今、生まれて初めて感じていた。



「くそ…ッ」

シンタローは頭を抱えてきつく目を瞑った。
何もかもが煩わしいと思う。


嘘吐きな男も。

はっきりとしない自分自身も。


正面を切って向き合う勇気もないくせに、助けて欲しいと叫びたい衝動にかられる日々。

たった一言で終わってしまった穏やかな日々。


自分はあの頃に戻りたいのか。






それとも―――。






痛む胸を誤魔化すように閉じていた瞳を開いて、視線を机に戻せば着信があったことを知らせる携帯の光が目に映った。


シンタローはのろのろと手を伸ばしてそれを手にする。
履歴を見なくてもわかる相手は、電話に出ないことをどう思ったのだろうか――。



普段であれば従兄弟が言ったとおりに、何度も何度もかけ直してくる相手。

なのに何故、今回に限って一度だけで諦める?



履歴に残るその名前を見てシンタローは口元を歪ませた。



もし今目の前に鏡があるとしたら、それに映る現在の自分の顔は見るに耐えないものだろう。






何もかもを壊してしまった、たった一つの言葉。

簡単でいて、それでいて重いもの。






『好き』






その言葉に伴う感情は――『恋情』。






出口を開く鍵は未だ見つからない―――。










END


2007.03.19


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ds
4.手






「あれ、グンちゃん達はお出かけかい?」


長い夜が明け、朝食の時間になってリビングに向かうと、そこには愛しい息子一人の姿しかなかった。
時間が早すぎただろうかと、時計を見るといつもよりも遅いくらいだった。

「ああ。今日は朝一で研究会とやらに行かなきゃなんねーらしくてな。とっくに食って出かけたぜ」

私の問いかけに面倒そうに答えるシンタローに微笑む。
やはり本人が目の前にいると安心出来る。

「ホラあんたの分。珍しいな、いつもより遅くねーか?」
「ああ、ありがとう。少し寝坊したみたいだね」
手渡される皿を受け取り苦笑する。
「別にいーけどよ。どーせ今日はオフ日だし」
「そうだったね」

今日はのんびり過ごすつもりだからなと笑って言うシンタローは、限界が来る前に休ませるようにと、私が秘書達に命令している事を知らない。

「塩はそっちな。あとサラダが冷蔵庫の中。俺の分も出してくれよ」
「シンちゃんも朝ごはんまだなの?もしかしてパパを待っていてくれた?」
自然と弾む声に、シンタローが嫌そうな顔をした。
「べ、別にッ、アンタを待ってたわけじゃねーからなッ!ただ腹がそんなに減ってなかっただけで――」
「シンちゃ~~んッ!!パパは嬉しいよ~~~ッ!!!」
バッと両手を広げて抱きつこうとすれば、
「眼魔砲」
ちゅどーーん。
爆発音が室内に響いた。



「うう…ッ、シンちゃんったら冷たい~~」
しくしくと泣きながら、それでもシンタローが作った朝食をしっかりと食べる。

目の前の席に着いたシンタローは始終無言だ。
きっと心中では『うざい』とでも思っているのだろう。
それでもいつもと変わらないその態度に、ひどく安心している自分がいて、それが妙に可笑しかった。

昨夜はあんなに恐怖したこと。
それが今目の前にいるということだけで、その恐怖は消えてしまう。
無言で怒りを表しているが、それは『いつも』のままのシンタローの態度で、決してぎこちないものとは違う今まで通りの姿なのだ。
自分に対して怒りや呆れがありありとわかるその表情。
何を考えているかが見て取れるシンタローにホッとする。
壊れてしまうくらいなら、このままの関係でずっといたいと願ってしまう。

泣き真似をしながらもそんなことばかり考えているうちに、シンタローは食事を終えてしまったらしい。

「ごっそーさん」
皿を片付けながらシンタローが席を立つ。
「ああ、シンちゃん片付けはパパがするよv」
パッと顔を上げてその手を止めると、シンタローは「やっぱり泣き真似かよ」と舌打ちした。
「だってシンちゃんったら冷たいんだもん」
イ・ケ・ズvvとその腕をチョンと人差し指で突くと、シンタローの掌に光が集まる。
「眼魔――」
「あ~~ッ!!シンちゃんッ!ホラ、シンちゃんはあっちでテレビでも見ていたら?ね?パパまだ食べてる最中だし、片付けはちゃんとするから!!」
慌ててその手を圧しとどめて急かすようにそう言うと、シンタローはまた舌打ちをして、それでも大人しくソファーへと向かった。
「――うざッ」
ぶつぶつとそう文句を言いながらリモコンを拾い上げて、テレビの電源を付けたシンタローにホッと息を付いた。

流石に朝っぱらから眼魔砲を二度も喰らうのは勘弁して欲しい。
本当ならば食べ終わるまで傍にいて欲しかったが、リビングから出て行かないだけでもよしとするしかないと、少し冷めてしまった朝食に手を伸ばした。


家族で団欒する場所にはそれ相応のものを置きたいと思い、リビングのテレビのサイズはかなり大きい。
腰掛けるソファーも外注品で、長時間座っていても疲れの来ない設計で作らせた。
シンタローに限らず、グンマやキンタローもそれについては全く文句はないようで、意外にも休日などは此処で過ごしていることが多い。


不意にテレビから声が聞こえた。
CMではなく何かストーリー性のある言葉に、映画かドラマだろうと思った。
朝食を摂っている自分の席からテレビを見るには、画面丁度の真ん中辺りにシンタローの頭があり、見ることが出来ない。
最もわけのわからない番組を見るよりは、息子の後姿を見ているほうが余程好ましいが。

なにやら画面の中で男女が喋っているようだが、興味が無い所為で内容は全く耳に入らない。
おそらくシンタローもそうなのだろう。
右手が小さなテーブルの上のリモコンへと伸びている。


その時だった。



「『好き』と言う想いが『カタチ』になって残ればいいのに」



――テレビの中の女優がポツリとそう言った。



不意に聞こえたその台詞にフォークを持つ手が止まった。
それ以外の言葉は全く耳には入らなかったのだが、やけに残るその声。


――『好き』と言う想いが『カタチ』になって残ればいいのに』――


何故かぐるぐると駆け巡るその台詞。
なんてことは無い。
作り話の中の何でもない台詞の一つだ。
現に画面の中の男女は気にした様子も無くそのまま次の台詞を口にしている。


なのに頭からその台詞だけが離れない。


何故なら――。


ああ、いい台詞だ――そう思ってしまったから…。



だって想いが形になって見えれば、私がどれだけこの子を愛しているかがわかる。
この子の瞳にカタチとして映るのなら、私がどれだけこの子を必要としているかをわかって貰える。
『血族』という繋がりなど関係なしに、どれだけ想っているかが伝わる――。
カタチになって残るのであれば、親子だろうがそうでなかろうが――とにかくこの子に私の愛情に偽りがないことが伝わるのだ。
それが『親子』としてのものなのか、それともそうでないものなのか、今はそんなことはどうでも良かった。
大切だと想っている心が伝えることが出来る――ただそれだけ。



『好き』と言う想いが『カタチ』になって残ればいいのに』



そう、ただその言葉がひどく心揺さぶって――。





だから。



だからつい、口にしてしまった。





「シンちゃん」



名前を呼んで此方を振り向かせれば、不機嫌そうな目をしたシンタローが目に映る。
私はそんな最愛の息子に微笑んで――



「ねぇシンちゃん、「『好き』と言う想いが『カタチ』になって残ればいいのに」ね」



――テレビの中の女優と同じ台詞を口にした。





好きだよ。

愛している。

誰よりも大切で誰よりも必要で。

他に何を失ったとしても手放したくはないよ。



この想いの全てがカタチになって見えれば、私の想いをわかってくれるかい?



私はお前の全てを欲しているよ。

カタチになるのならば、知りたいと思う反面知りたくないと思っていたお前の心も見えるようになる。

それはとても怖い事だけれども、いつまでも胸に抱えていくよりはずっといいことなのかもしれない――。





自分としては軽く聞いたつもりだった。

確かに内心では真面目に考えていたが、シンタローにはいつもの冗談を言うような口調で言ったつもりだった。

『馬鹿じゃねーの?』と返されると思っていた。





なのに――。




テレビの画面には幸せそうに手を繋いで歩く男女の姿。




そんな彼等とは裏腹に、私の言葉を聞いたシンタローはひどく驚いた表情で固まっていた。




「――シンちゃん…?」




ズキンと胸が痛む。
何故、シンタローがそんな顔をしたのかがわからなかった。





――また、何か失敗したのかもしれない。




何を失敗したかなんてわかりもしないけれど。





最愛の息子の見えない心に酷く泣きたい気分になった――。





後悔という言葉はいつも後から付いてくる

だから後悔というのだと分かっていてももう遅い――






別に見ようと思ったわけじゃなく、何となく付けてみただけだった。


一般家庭にはあまりないであろう大きさのテレビ画面に映ったのは、女と男の後姿。
どうやらドラマか映画らしい。
興味がなかったのでチャンネルを変えようと、リモコンに手を伸ばした時だった。



「『好き』と言う想いが『カタチ』になって残ればいいのに」



そんな台詞を女の方が口にした――。








4.手 Ⅱ








「『好き』という想いがカタチに見えるものだったらいいのに」


――前触れもなく突然言われたその言葉。


いつもと同じように抱きついて来た親父を眼魔砲でぶっ飛ばして。
いつもと同じように親父が『シンちゃんったら冷たいッ』と拗ねたように言って。
いつもと同じように俺が『うざい』と答えて、ソファーに座ってテレビを付けた。


ただそれだけだったのに。


いつもの親子喧嘩。
それ以上でもそれ以下でもない、少し異常な親子のやりとり。


そんな中で突然零れ出た言葉。


ただの下らないドラマだった。
テレビを付けたらたまたまやっていただけだ。
ドラマには興味はない。
だからチャンネルを変えようとした。
そうしたらテレビの中で女が楽しそうにその台詞を言ったのだ。


そしてそれを聞いた親父が突然――。



苦しそうで、そして何かに縋るような表情で――それでも微笑みながらドラマの女と同じ台詞を口にした――。



一体何を考えてそんな事を言ったのかわからなかった。
ただ分かるのは、親父の声が真剣だったということ。
そして部屋の空気が一瞬にして変わってしまったということ――。



――どうしてこの男はこんなに苦しそうにそう言ったのだろう。


笑っているくせに泣いているように見えたその笑顔が、やけに目に付いて離れない。



こんな男を俺は知らない。



「な、何、馬鹿なこと、言ってやがる…ッ」

自然と身体が強張るのを感じながら、それでもなんとか言葉を絞り出した。
声が震えてしまった事は気のせいにして、出来るだけいつもと同じ表情を作って親父を睨んだ。
すると親父は一瞬瞳を大きくし、その後にまたさっきの顔で微笑んだ。

「うん、そうだね。変なこと言ってごめんネ、シンちゃん」

――いつもならそんな顔はしないだろう?
そういいたくなる表情で素直に謝られ、妙に胸が締め付けられているような感覚に陥る。

「―――ッ」
その痛みが何故か怖くなり、思わずギュッと拳を握り締めた。
目に見えない何かに飲み込まれそうな気がする。


――嫌だ。


そう思った瞬間に俺はぶんぶんと首を振って、踵を返した。
向かう先は部屋の出口。

「シンちゃん?」
何処に行くの?と聞いてくる親父の声は無視して、部屋の扉へと足を速める。

この部屋に居たくない――はっきりとそう思った。

自分の知らない顔をした父親が――いや、『男』が怖いと思った。
確かにいつもはふざけていて、でも時折不意に真面目な顔を見せたりもした。

――けれど、その時とも違う顔だった。

自信に満ち溢れていて威厳を持った総帥としての顔でもなく、父親として見せていた甘い顔でもない。
そう――手に触れていないと、消えてなくなってしまいそうな、そんな哀しい顔――。



こんな男は知らない。
こんな風に切なげに自分を見る男なんて知らない。

早く。
早くこの部屋から出なければ――。



無我夢中だった。
数百メートルにも感じた数メートルの距離を、必死に進んで扉に手をかけた時だった。

「シンちゃん…ッ」

『いつも』の父親の声で親父が呼んだ。
だが、その声に俺は振り返れなかった。

声は確かに『いつも通り』だった。
でも、振り返って見た親父の顔が、知らない顔のままだったら――そう思うとゾッとした。
何に対してそう思うのかは自分でも理解出来なかったが、それでも心のどこかで誰かが『駄目だ』と忠告しているのだ。

乱暴に扉を開けて部屋の外へ出る。

「俺今日用事あるんだった。わりーな!」

顔を見ないように早口でそう言って扉を閉めた。
ほんの一瞬だけ見えた親父の顔が、何か言いたそうにしていたがそれを気にしている余裕なんてない。

バタンと音を立てて閉まった扉に背を預け、ホッと息を付いた。
そこでようやく握り締めたままの片方の拳に気付き、ゆっくりと指を開いてみると、それは酷く汗ばんでいた。
自分でも自覚がないほどに、物凄い緊張状態だったらしい。
一体何に怯えていたのか――親父の顔が見えなくなったことで緊張は解けたのだが、胸が妙に騒いでいた。

「…情けねェ…」

絞り出すようにやっと一言だけそう呟いて、扉から身体を離した。
早くこの場所から去らなければと、足を一歩踏み出した時だった。

部屋の中から親父の声が聞こえてきた。


「私はお前が私の事をどう思っているのか――知りたいだけだよ…」


「―――――ッ!!」


決して大きくはなかったその声が聞こえた瞬間、体中に電流のようなものが走った。

体中の血液が沸騰するような感覚。
ドクドクと煩いくらいに音を立てる心臓。

気が付いたら、俺は走り出していた。
親父ではない『男』から逃げるように。

わけも分からずにひたすら走って走って――気付けば自室のベットに突っ伏してシーツに包まっていた。


怖い、と思った。
『親父』ではなかった『男』の存在が。
威圧的だったわけじゃない。むしろ消え入りそうなくらいに儚く見えた。
それでも怖かった。

未だ自分の心臓はバクバクと激しい音を立て、呼吸すら苦しい。

あんなヤツは知らない。
父親でも総帥でもない、初めて見たあの男のもう一つの顔――。


『私はお前が私の事をどう思っているのか――知りたいだけだよ…』


最後に聞いた一言が頭の中にがんがんと響いてくる。

――どう、思っているかだと?
そんな事を聞かれても、自分は『あの男』の事を知らない。


知らない。

知りたくない。

知るのが怖い――。


「……ッ」
ギュッと唇を噛締めた。
何故だか涙が出てくる。



――『「好き」という想いがカタチに見えるものだったらいいのに』――


蘇る言葉に冗談じゃないと思った。
背筋に寒いものが走る。
そんなものが形として残るものなら、きっと押し潰されてしまう。

「――くそッ!」
言葉がそのまま見えない力になり、圧迫感が襲う。



『シンちゃん』――父親の顔で優しく自分を呼ぶ男。

『シンちゃん』――知らない男の顔で切なげに自分を呼ぶ父親。



「カタチ」なんかで残されでもしたら――囚われてしまう。



「――いや…だ」
泣きたくもないのに、涙が溢れる。


自分はどちらの男に囚われようというのか――。


分かっているはずのその答えを認めたくなくて、自身の腕で自分をきつく抱き締めた。

苦しい。
痛い。
知りたくない。

ぐるぐると脳内を駆け巡る思い。
逃げ出したいのに逃げられない。


――それは既に囚われている証拠――


「いや、なんだ…ッ」


温かな笑顔で自分を包んでくれていた父親との想い出。

一点の曇りもない瞳で自分を『大好きだよ』と言っていた父親。


思い出すのはそんな『父親』の姿ばかりなのに――。



目に焼きついているのは、知らない『男』の切なげな瞳。



「父さん…ッ」



苦しくて助けて欲しくて父親を呼んでは見るが、分かっていた。

――もう戻れないと。

何かが壊れてしまった。

おそらく次に合う時、あの男はいつも通りに振舞ってくれるだろう。
でも自分は無理だ。
あの顔を見た時に、自覚などしたくなかった心を、自分自身で暴いてしまった。



「どうして…ッ」



テレビなど付けなければ良かった。
あのまま親父に眼魔砲をくれてやった時点で、部屋を出て行けばよかった。
何故あのタイミングでテレビを付けてしまったのだろう。
付けなければいつものままだったのに――。



どれだけ後悔したところで、時を戻す事は出来ない。

どれだけ忘れようとしたところで、焼き付いてしまったあの顔は忘れる事など出来ない。





どれだけ望もうと、救いの手はもう現れない――…。






――『好き』という想いがカタチに見えるものだったらいいのに――






『好き』






単純なそのたった一言が






生まれて初めて、本気で『怖い』と思った。










END


2006.05.14
2008.08.31サイトUP


3.薬






今となっては悪夢とも言える夢を見た

疑うことなく自分のモノだと信じていた愚かな過去――






初めてその姿を目にした時から特別だった愛しい子供。
ずっと望んでいたものが、やっと自分の元になったのだと歓喜した瞬間。

この子供が受ける愛情も、この子供が向ける愛情も――全て私のものだけでいいと思い、自分の手で育てあげると心に決めた。
自分と同じ金と青を持つ子供であったなら、おそらく執着などしなかったであろう。

望んでも手に入らなかった輝きが自分の元へ舞い降りたことに、柄にもなく何かに感謝をしたい気持ちになったことは嘘ではなかった。

大切に大切に育て、誰よりも深く愛し見守り続けてきた。
例え『うざい』と罵られようが構わない。
怒りという感情でも、この子供の意識が自分のみに向けられることに安心していた。

口では何とでも言いながら、私の事を父として好いていてくれていることは充分に分かっている。
私とは違い、非情になりきれない甘い思想を持った男に育てたのも自分だ。

だから愛しい子供は一族にはない『何か』をもって他人を惹き付ける。
威圧的なものではなく、誰もが魅了される光のように。
私が囚われてしまったように――無自覚に色々な人間を魅了する。

愛しくて愛しくて愛しすぎて、誰にも触れさせないように、誰にも見られないように閉じ込めてしまえるものならばそうしたい。
親子以上の愛を我が子に感じている自分を、異常だとは思わない。
何故ならあの子は生まれた時から自分のものだと思っているから。
その身体も心も――全て何一つ余すことなく私のものだと信じて疑っていない。

本人の意思など関係ない。
それをあの子が不運だと言うのであれば、生れ落ちた場所が悪かったのだから諦めろとしか言えない。
何も望んでいなかった私に『心』と『欲』を与えたのは誰でもないあの子自身なのだから。



自分でもよく我慢が出来ていると感心する。
愛しい者を目前にどうして手を出さずにいられるのか。

それはあの子の心の中はまだ真っ白で、誰にも染められてはいないから。

団内に女性がいないのはその所為もある。
何か一つでも間違えて、あの子が要らない感情を覚えてしまっては困る。
同姓同士で愛し合う輩も団内には多いが、私の目が光っているその中であの子に手を出そうなどと考える愚かな者はいない。

『恋愛』というものをあの子が知る必要はない。
必要なのはあの子には私がいると言うことを自覚させること。

ただ、それを知るのは今は未だ早い。

気付いた時には手遅れで――。
逃げようがないほどまでに私の檻に閉じ込めた状態で、あの子にそれを自覚させねばならない。
その為ならば何を犠牲にしても構わない。


大切な大切な愛しい我が子。
凍りついた私の心を解かしてしまったのはあの子自身。

誰にも渡さない。

誰にも触れさせない。

こんな感情を持っている父親を、あの子はどう思うだろう。
この想いを伝えてしまったら、あの子はどんな反応を示すのだろう。

『正気か?』と言って苦しそうな顔でもするだろうか?
嬉しいとは思わないにしても、私の手の中から逃げ出そうとする事を諦めてくれるだろうか。


――いや、あの子は怒るだろう。

本気で私を軽蔑して、尚更逃げ出そうとするに違いない。
そうなると少々気に入らないが、そうなることにより手を出すきっかけが出来るかもしれないと思うと、それも悪くないと考えてしまう。

その時の事を考えるとゾクゾクする。
負けん気の強い黒い瞳に絶望の色が浮かぶのも良いかもしれない。

最近特にあの子は反抗的だから、日に日にその想いが強くなってきている。
それなのにあの子はその事に気付かぬまま、自分自身の首を絞めていくのだ。



楽しいね。
実に愉快だ。
一日でも早くに、お前が私のものになることを願っているよ。



そうして私は今日もまた、暗い想いを胸に秘めたまま愛しい子供に囁きかける――。








「シンちゃん、今日こそパパと一緒にお風呂に入ろうね!」
「うっせーー!近付くなこの変態親父ッ!!」
「シンちゃんったら言葉が乱暴だよ?メッ!」
「何が『メッ』だ!!ちくしょーッ!誰かこの馬鹿に付ける薬を開発してくれーーッ!!」
「あはは~酷いなぁシンちゃん。『馬鹿につける薬はない』って日本の言葉で言うじゃない。パパはシンちゃんが大好きなだけだよ」
「俺は迷惑してんだっての!いい加減に子離れしろよッ!!」
「無理無理~~」
「無理って言うなーーーッ!!」



――無理に決まってるでしょ?

『馬鹿につける薬』――そんなものあるわけがないんだから。
まぁ、あったところでそれを付ける気なんてさらさらないけど。
今の私の存在理由がお前なんだから。


でも、まぁ。


もし私が、どうしてもその薬を付けなければならない状況になったら――。



その時はお前を殺して私も一緒に死のうかな。



お前を愛する心を持たない私――そんな私に生きている価値はないからね…。





Ⅱ.






「―――ッ!!」

全身を襲う圧迫感で目が覚めた。
あまりの重い圧力に身体がすぐに動かない。
寝そべったまま深く深呼吸をし、ゆっくりとした動作で身を起こす。
そしてあたりを見回して、未だ夢の中ではないかを確かめる。

室内は真っ暗で暗闇にまだ慣れていない瞳では、自分の手元すら見えない。
どうやら夜明けまではまだまだ時間があるらしい。

シーツを握り締めている自分の手が、妙に汗ばんでいて気持ちが悪い。
そこで初めていつも抱き締めているものがないことに気付いた。
キョロキョロと辺りを見回すと、それはベットの下に落ちていた。
「ああ――ッ!ごめんね、シンちゃんッ!!」
慌てて拾い上げたそれは、愛しい子供を模った可愛らしい人形。
自分の寝相は悪くないし、例え眠っている最中に手放したとしても、それがすぐに落ちてしまうほど狭いベットでもない。
それなのに床に落ちてしまっていた人形に、夢見が悪かったのはこれの所為だと思った。

「シンちゃん…」
いとし子の名を呼ぶだけで胸が温かくなる。
そしてそれと同時に締め付けられるような痛みも感じる。


――あの頃は当然のように思っていた。

シンタローという存在の全てが自分のものであると。
あの子の全てが自分のもので、それが自然だとただ信じていた。
反抗されようと憎まれ口を叩かれようと、最終的にあの子にとって一番根深い位置に立つのは自分で、あの子が最後に必要とする人物も自分であるように育ててきた。

親子だとか血の繋がりだとか――そんなものは関係ない。
そんなものがなくともあの子は私のものだ――そう思ってきた。


だが、実際はどうしたことか。


あの島で起こった出来事が全てを変えた。

赤の番人。
青の番人の影。

そんなことは今となってはどうでもいいことだ。
重要だったのは、自分とあの子の間に血の繋がりがなかったということ。
その事実が自分の踏み固めてきたもの全てを崩してしまった。


『親子だとか血の繋がりだとか、そんなものは関係ない』――?


なんだかんだと言って絆や感情を重んじるシンタローは、血族という繋がりをもって自分の傍からは離れられないのだという自信が、無意識のうちにあったのだろう。

本当の親子ではなかった――その事実は確実に自分の自信を打ち砕いてしまった。




何ということだ。
関係ないと言っていたくせに。

結局、血の繋がりを一番気にしていたのは自分自身だったのだ――。




『髪の色が違っても秘石眼がなくともおまえは私の息子だ』――口にすればあの子は安心したような、嬉しそうな顔をした。

あの時の言葉に嘘はない。

でも心の中に出来てしまった穴は塞がらない。
その空洞に名前を付けるとすれば、それは『恐怖』。

あの子が私の元から離れていくかもしれない。
あの子の中の一番の存在が私でなくなるかもしれない。

揺ぎ無い自信は血の繋がりがなかったということだけで、あっさりと壊れてしまった。

表面上は今まで通りにしていても、内面はあの子を失う恐怖でいっぱいだ。
あの頃のようにあの子の心を押さえつけてでも押し付けていた愛情を、今はもう表に出す事は出来ない。
何がきっかけであの子が離れていくかがわからない。


先の見えない恐怖に怯えるなど――自分はいつの間にこんなに弱くなってしまったのか―…。


必要以上に『パパ』と口にしてあの子に伝える。

あの子の父親は私であると間違いなくそう思わせるように。
無くなってしまった血の繋がりという確かな絆を、少しでも埋めるように。
あの子の中の『マジック』という存在が、少しでも大きくなるように。



――だって、『父親』でない自分など、あの子の中には存在しないのだから――。



出来るなら戻りたい。
夢で見た、最悪な関係であったかもしれないあの頃に。
あの子にとっては鬱陶しい存在であった私も、あの頃は自信に満ち溢れていた。
今のようにあの子の言動や行動の一つ一つに、焦りを覚えることなどなかったあの頃に戻りたい。


しかしそれは無理な話で――。


あの島から戻ってきた私達の関係は、確実に少しずつ崩れ始めている。

あの子の様子が少しずつ違ってきている。

時折何かを言いたそうな目で見てくる時がある。
何を求めているのか知りたい反面、恐ろしくて聞けない思いもある。
だからいつものようにわざとふざけて誤魔化して――あの子の本心を言わせないようにしてしまう。


だって、その口から『必要ない』と言われてしまったら?

『他人のくせに』と言われてしまったら?


――それこそ理性が弾け飛ぶ。
感情が暴走し、あの子自身ですら私を止める事が出来ないだろう。
そして私はあの子の全てをめちゃくちゃにしてしまう。



――それだけは嫌だ。
今の自分は、あの頃の自分と比べてあまりにも違ってしまっている。
初めて心の底から欲しいと願った光を、自身で踏み潰すような真似だけはしたくない。


血の繋がりがないとわかった時から、ますます手放したくないと思うようになった。
血の繋がりがないとわかった時から、ますます遠ざかって行くと思った。


秘石を盗んで家出した時は不安などなかった。
なのに今は同じ場所にいても、不安が常に付き纏う。

苦しそうな瞳で見られるたびに。

真面目な声で『父さん』と呼ばれるたびに。

あの子が自分の手元から離れて行くことばかり考えてしまう。


「シンタロー…」
人形に向かって名を呼ぶ。

自分の作った人形は、いつも口元に笑みを浮かべて自分を見てくれる。


どうしてあの子を愛してしまったのだろう。

どうしてあの子じゃないと駄目なのだろう。


周りには自分を心から好いてくれている者がいるというのに。


求めているのはたった一人。


自分のあの子に対する愛情が、親子のそれであったならきっと何もかもが上手くいく。
血の繋がりなどなくとも、あの子と私には深い繋がりがあるのだと自信を持って言える。
なのに私が抱いているのは親子以上の愛情で――その所為で何もかもが上手くいかなくなるのだ。


『愛しているよ』
冗談交じりでそう言っては、白い目で見られたり眼魔砲が飛んできたりする。


そんな冗談ばかりの関係が辛い。
そんな冗談ばかりの関係を壊したくない。


あの子が私のことをどう思っているのかを知りたくて、でもそれを聞くのが怖くて知りたくない。

ちぐはぐな思いばかりが脳内に浮かんでは消えていく日々。


どうしたらこの泥沼から抜け出せるのか――答えは簡単なのにわからないふりをしている。


わかることはただ一つ。
あの子が自分の元から離れて行くことだけが怖いということ―…。



『ちくしょーッ!誰かこの馬鹿に付ける薬を開発してくれーーッ!!』

不意に蘇る夢の中のシンタローの声。



ああそうだね。
そんな薬があればいい。

お前を見る私の目が、父親としてお前を見ることが出来る――そんな薬。

お前を愛していない私なんて価値がない。
それは過去の自分自身が思ったこと。
そして今現在もそう思っていること。


でも。
でも今は――。


「…私はそれ以上に…臆病になってしまったよ」


ポツリと呟く。
腕の中には相変わらず微笑んでいる可愛らしい人形。

あの子を愛していない自分には価値がないと思っていた昔。
あの子を愛しているからこそ、あの子にとって不要な人間でいたくないと願う今。

もし本当にあの子を愛する気持ちが消えてしまう薬があるのなら、きっと今の自分なら飲むだろう。
あの子を愛していない自分はいらないと思う。
確かにそう思っているが――それ以上にあの子が私の想いに気付いて離れて行くことが怖い。


「シンちゃん…愛しているよ」

抱き締めた人形に口付けを落として囁けば、その声は虚しく室内に響くだけで胸の空洞はちっとも埋まらない。


この空洞を埋めるのはたった一人しかいないけれど。
その一人に自分の想いを伝えるわけにはいかなくて。


「シンちゃんはパパを本当に必要としてくれているかい?」


人形相手に馬鹿なことを聞いている自覚はあったが、聞かずにはいられなかった。



早く夜が明ければいい。
夜が明けてリビングに行けばあの子がいる。
朝食の用意はいつもあの子がしてくれる。


朝の光の中であの子を見れば、こんな不安は消えるから。
ぎこちない態度でも、それでもいつものように振舞おうとしてくれているから。
そんなあの子の前にいれば、自分はまだあの子にとって必要なのだと思えるから。

今までだったらこんな時は夜中だろうがあの子の元へと走った。
それが今では出来ない。

だから早く夜が明けて欲しい。
『親子』でいられる温かい部屋の住人になりたい。



「今夜はもう眠れそうにないね…」



愛しい子供の姿をした人形を抱き締めて、自分に言い聞かせるように呟いた――。









2006.05.30
2006.08.29サイトUP


2.ドライヴ






真実の扉は行方知れずで

いつまでたっても出口は見えない――






「今日はいい天気だね。こんな日はゆっくりとドライヴでもしたらいいと思わないかい?」

「一人で行け」

――朝っぱらから阿呆な事をぬかすな馬鹿親父。
笑顔で誘うマジックを冷やかな目で見ながら、シンタローはきっぱりと言い切った。

「うう…ッ、シンちゃんってば冷たい…」
「俺の今の状態を見て、平気でンな事をぬかす方が悪い」

とっとと出て行けと言わんばかりに、シッシと手を振るシンタローの目の前には、大量の書類が置いてあった。
どれもこれも重要かつ急ぎの用件ばかりで、できるだけ今日中に目を通さなければならない。
そんな自分の何処に外へ出る時間があるというのか――。
(最も――時間があったとしてもマジックと二人きりでドライヴに行くつもりはないが)

「じゃ、じゃあパパが手伝ってあげるヨv二人でやれば早いでしょ?午後からでも一緒に出かけよう?」
ね?と打開策を練るマジックにシンタローは苛立った様子で首を振った。
「これは俺の仕事だ。手は借りねぇ」
またしてもはっきりと言い切って書類を広げる。
細かい文字で記された内容はあまり良い報告とは言えないもので、シンタローは解決策を練ろうと意識を集中させた。

だが――。

「シンちゃ~~~んッ!!パパは淋しいよッ!!昔はあんなに素直で可愛くて父親想いの優しい子だったのに、どうしてそんな意地悪を言うの?」
シンタローの苦悩などお構いなしにマジックが後から覆いかぶさってきた。
「ぐえッ!!」
体重を掛けられてシンタローの身体がぐしゃりと潰れた。
そしてその衝撃で持っていた書類を思わず握りつぶしてしまう。
「シンちゃ~~ん、パパと一緒にお出かけしようよ~~!折角久しぶりに帰って来てくれたのに、シンちゃんったらお仕事ばっかりでちぃーーっともパパと遊んでくれないんだもん!たまには親子水入らずでお出かけしようよ~~」
ね、ね?と甘えた声を出しながら、それでもシンタローが暴れないようにしっかりとその身体を押さえ込み、頬擦りをしてくるマジックに、案の定シンタローは切れた。
「どけーーーーッ」
しかしながら思いの外マジックの力が強く、シンタローは懇親の力を持って振りほどこうとしているのだが、それが上手くいかない。
「パパと一緒にお出かけしてくれるって約束してくれたら離してあげるv」
「ふざけんなーーーーッ!!」
「シンちゃんったら照れ屋さんv」
苛立ちを隠す事もなく怒鳴り声を上げるシンタローだが、マジックにとってはそれすらも甘い睦言に聞こえてしまうらしい。

「シンタロー様…」

一向に先に進む事のない仕事と、時と場所を選ばない親子のやりとりを見るに見かねてティラミスが重い口を開いた。

「なんだい?シンちゃんは今大事な話を――」
「アンタは黙ってろ!!――何だ?」
救いの手と言わんばかりにシンタローが目を輝かせてティラミスを見た。
しかしそれは救いの手ではなく――…。

「後は私共にお任せ下さい。どうしても総帥のご意見を頂かなければならないもの以外はなんとか致しますので」

「―――はぁッ!?」

「えらいぞティラミスvvv」

ティラミスの言葉を聞いたと同時に部屋に響いた大きな声。
――勿論前者はシンタローで後者はマジック。

「なッ、な、何言ってんだヨ!!これは今日中に…ッ!!」
「はい、ですから私共で出来うる限りを処理させて頂きます」
「俺じゃねーと駄目なんだろッ!?」
「それは勿論そうなのですが…中にはそうでないものも混じっております。先程目を通しましたが、早急なものは既に処理を終えられているご様子ですし、残りは明日でも何とかなるでしょう」
焦るシンタローとは反対に淡々と返答をするティラミス。
その目にははっきりと『今日は仕事にならないでしょう?』と書いてあった。
「ほ~らシンちゃん、ティラミスもこう言ってくれてることだし今日はパパと一緒にね?」
シンタローの外出許可が出た事が余程嬉しいのか、マジックの機嫌はますます上昇していく。
シンタローの身体をがっちりと押さえたまま、引きずるように椅子から降ろすと『さぁ行こう!』とドアに向かって歩き出した。
「待て待て待てーーッ!!俺は行かねぇって言ってるだろーが!!仕事中だッ!!アンタのワガママなんかには付き合わねぇぞッ!!!」
「シンタロー様…」
離しやがれと大声を上げながら暴れるシンタローを、ティラミスが困ったように見つめている。
「大体ティラミス!お前何余計なこと、この馬鹿に言ってんだよ!!」
「『馬鹿』ってパパのこと?傷付いちゃうよシンちゃん」
「うるさい!!馬鹿を馬鹿って言って何が悪い!!――って言うか、離せ!!!」
「諦めてくださいシンタロー様。シンタロー様が頷くまでずっとこのままですよ?」
「グ…ッ」
長年マジックに付き添ってきたティラミスだからこそ確信を持って言えたその台詞に、シンタローは声を詰まらせた。
「そうそう、だから諦めてお出かけしようねv」
「アンタが言うなーーッ!!」
どうやってもシンタローとの外出を諦めないマジックに、シンタローの悲痛とも言える叫びが響いた…。



+++



「シンちゃん、来て良かったデショ?風が気持ちいいね~~v」
「…暇人め…」
オープンカーを走らせながら上機嫌のマジックに、シンタローは深々と溜息を付いた。
「失敬な。パパはシンちゃんとお出かけするためにいっぱいお仕事を片付けてきたのに」
「アンタは片付けたのかもしんねーが、俺はまだ仕事中だったんだよ!」
人の都合はお構いなしか!?と言い返せば、マジックは清々しい顔で素直に頷いた。
「だってシンちゃんはいつだってヒマじゃないでしょ?寝てる時以外はずっとお仕事してるもんッ。だから多少は強引にしなくちゃ♪」
「『もんッ』――って、アンタいくつだよ!?」
シンタローはがくりと項垂れた。

「でもね、シンちゃんに休息が必要だったのは事実だからね。ドライヴに関係なく今日のお仕事はもうオシマイ」
『ネ?』と可愛らしく(気色悪いが)言うマジックのその目は笑っていなかった。
「ちッ…」
シンタローは舌打ちする。

(またガキ扱いかよ――)


いつものように笑顔の裏に隠れている本気。
その『本気』には強制的な力がある。

そしてその力にシンタローは逆らえない。
それは本能のように絶対的な力でシンタローを支配していた。
シンタローが余程の無茶をしたりしない限り、マジックはそれを表には出すことはなかったが。

やんわりと真綿で首を絞められるかのような、生温い愛情で包まれてきたシンタローがその事に気付いたのはいつだっただろうか――。


「シンちゃん、怒ったのかい?」
舌打ちの後、無言になったシンタローをマジックが不安そうに見つめていた。
「最初から怒ってんだろ」
何を今更と睨み返せば、マジックは苦笑した。
「そうだけど…今怒ってるのは違うでしょ?」
「気のせいだ」
苛々とした様子でシンタローは吐き捨てた。

まただ、と思う。
何故この男はこんなに自分の心情に悟いのか。
自分が嘘を付くのは得意ではない事くらい、シンタローはよく分かっていた。
しかし他人に心の奥の本心を悟られるほど子供でもないつもりだ。
それなのに当然のようにマジックはシンタローの心を読み取る。

確かにシンタローは幼い頃からずっとマジック一人の手で育てられてきた。
だからといって、親というものはそこまで子供の事を理解出来るものなのだろうか――?

常日頃から『異常』だと言われ続けてきたマジックとシンタローの親子関係。
まだ本当に血の繋がった親子だと思っていた時から、心の中の疑問の一つにはなっていた。

『普通親はあそこまで子供に干渉したりはしない』
友人達からそう言われる度に、マジックの思いが重くなっていた。
『反抗期』の時期ですら同じように構われて、ますますそれが重みを増していくのに、マジックは必要以上にシンタローを刺激した。

いつまでたっても子離れ出来ないどうしようもない親。

いつしかそう思い諦めようとした矢先に、自分達に血の繋がりがないことが分かった。
それでも自分を『息子だ』と言ってくれたマジックに、心の底から嬉しく思ったのは事実だった。
今までと全く変わらずに接してくれる事に対して安心したのも――。
パプワ島での出来事があまりにも衝撃的すぎて――シンタローの中の疑問は、今まで心の奥底に眠ってしまっていた。

しかしながらその疑問は突如として目を覚ました。
日を追うごとに違和感を覚えるマジックの『愛情』。

確かに血の繋がりはなくとも、過ごしてきた二十数年の歳月は血の繋がり以上の繋がりを築いてきたと思う。
でも『おかしい』と思ってしまった。
本当に血の繋がっていたグンマに対して、マジックはあまりにも普段と変わらなかった。
それは決して悪い意味ではなく――あくまで自然体といった感じで。
血の繋がりがあるなしに関係なく、父親としての愛情をマジックはグンマに与えている。

つまり、自分――シンタローに与えるものとは違う『普通』の愛情を。


(普通――?『普通』って何だよ?一体何が違う――?)


考えてみたって分からない。
シンタロー自身すら曖昧にしか分かっていないのだから。
『違う』ことは確かなのに、何が違うのかがわからない。
そんな答えの見えない『何か』が、いつでもシンタローの胸に引っかかっていた。

『アイツは――親父の中ではいつまでたっても俺は『シンちゃん』のままなんだろーな』

先日グンマに思わず零してしまった言葉。
あの時は深く考えていなかった。ただ素直にポロリと出てしまっただけだ。
しかし今になってその意味を考えてみる。
あの言葉の奥に秘められていたものは『シンちゃん』=『子供』という図式だけだったのだろうか?
言葉に言い表せない『何か』が影を潜めているのはわかっているのに答えがでない。

シンタローはこんなことを深く考えてしまう自分もおかしいと思う。

何がそんなに気になるというのだろう。
マジックはただ単に『親馬鹿』なだけで、それ故に自分を溺愛していると――そう思ってしまえばいいだけのこと。
なのにそれがどうしても出来ないのは――。


「シンちゃん?」

――心配そうに覗き込む顔。

いつの間にか車は停まっていた。
辺りは静まり返っていて、広い割には人気のない道だなと、どうでもいいようなことを思ってしまった。

「シンちゃん、大丈夫?」
もう一度名を呼び、シンタローを真っ直ぐ見つめるマジックの顔は何処か不安そうにも見える。
「…ナニが、だよ」
シンタローの心臓がドクリと大きな音を立てた。
「だってシンちゃんいきなり静かになっちゃうから」
話しかけても返事してくれないし――そう言うマジックの口調はいつものような、ふざけたものではなかった。
「…考え事、してただけだ…悪ィ」
ここで謝るのも変だなと思いながらも、思わず謝罪の言葉が次いで出た。
「パパの事でも考えてくれたの?」
その言葉にヒヤリとした。
「ぬかせ」
シンタローはかろうじてそう返して、逃げるようにマジックとは逆の方向を見た。

道のりを全く見ていなかった所為で現在地が何処なのかわからなかったが、小高い丘のようなところで停まったらしい。目の前には青空が広がっていた。

「……良い天気だな」

ボソリと呟いたシンタローに、マジックが「うん」と頷いた。
シンタローは振り向く事が何故か怖くて、景色を楽しむふりをした。

こんなにも綺麗な空を見ながらも、シンタローの頭の中では理解不能の『何か』が埋めいていた。
ぐるぐるぐるぐる――出口のない感情が胸の中を走り回る。

『シンちゃんはおとーさまと喧嘩したいの?』

不意にグンマの声が蘇る。

(喧嘩…?)

シンタローの口元が僅かに歪んだ。
自分に対して絶対に『本気』にならないマジック。

(違う――喧嘩をしたいわけじゃない)

自分はただ、この男が何を考えているかを知りたいだけ。

嫌というくらいに此方の事を見通す『父親』。
そして自分に『何か』が違うと思わせるその態度。
何もかもがわからない。

(でも――)

シンタローは青空を見上げて目を細めた。
太陽の光が必要以上に眩しく感じられる。


「シンちゃん」

「…何だよ」

後から声をかけられて、また自分が黙り込んでしまった事に気付く。

「また…パパと一緒にドライヴしようね?」

シンタローはマジックに背を向けていた。
だからマジックがどんな表情をしながらその言葉を言ったのかは分からない。
ただ――やけに哀しげに聞こえた。

「今、してんじゃねーか」
シンタローは出来るだけいつもどおりの口調で答えた。
「そうだけど、今日だけじゃなくって――」
「気が向いたらな」
マジックの言葉を最後まで言わせずにシンタローは付け加える。

「パパはいつでも乗り気だよ?」
マジックの声がいつものようにおちゃらけたものへと変わった。
「アンタが乗り気でも俺はそうじゃない!」
シンタローはくるりと振り返ってマジックの頭に手刀を繰り出した。
「痛いッ!!」
簡単によけられるはずなのに、それをあえてマジックが喰らったことにシンタローは何故か安心した。
「オラ、いつまでココで停まってんだよ!?」
何グズグズしてんだと文句を言えば、
「えぇ!?パパが悪いの?」
シンちゃんが呆っとしていたからなのに~~と不満げに返される。

いつもと全く変わらない口調に、先程感じた哀しげな響きは感じられなかった。

「じゃあこの先に美味しいパスタの店があるから、一緒にお食事しようねv」
「へいへい」

にこにこと嬉しそうな顔をしながら車を発進させたマジックを横目に、シンタローはいつのもように呆れた顔をした。


「本当に良い天気だね」
ご機嫌な様子のマジックに、シンタローは青空を見上げて「ああ」と返す。

シンタローはマジックの横顔をちらりと盗み見してみるが、先程とは違いきちんと目は笑っていて――その顔からは何も読み取る事が出来ない。


走る車の上には青空が広がっていて、清々しいまでのその青はマジックの青とは違う色だと言うのに、シンタローには同じに見えて――ズキリと胸に痛みが走った。




自分は一体何をしたいのか。


何を望んでいるのだろうか――。



(ちくしょー)


考えれば考えるほど分からなくなっていく。

今の関係に何の不満があると言うのだろう?



『シンちゃんはおとーさまのこと、好きなんだね』



何処からか先日のグンマの声が聞こえてきた。

血の繋がりがなくとも親子だと言ってくれたマジックには感謝した。
今までと変わらずに『異常』と呼ばれるスキンシップをしてくるマジックが鬱陶しいとも思っている。
そしてそれが嫌ではない自分がいることも分かっている。

――なのに何かが『違う』と言っている。


何が違うかなんてわかりもしないくせに。




(ちくしょー…)




考えても考えても答えは出ずに――




シンタローは酷く泣きたいと思っている自分に気付いた――。






END


2006.04.29
2006.08.25サイトUP

1.ケンカ






真実を押し潰してでも

護りたいものはなんですか――?






「眼魔砲ーーーーッ」

怒声と共に起こる爆発音に、人々は「またか」と思う。
ガンマ団内では既に黙認となっている、前総帥と現総帥の『親子喧嘩』は、現総帥が遠征から帰ってくる度に繰り返されていた。
ただのケンカなら可愛いものだが、世界でも名を馳せるガンマ団のトップと元トップのケンカは一般レベルではない。その度に本部内のあちこちが破壊されてしまうのだから、それの修理に当たる団員達はたまったものではない。
しかしながら、そのトップレベルの争いを止められるものなどいる筈もなく、今日も今日とて破壊された部屋の修理に団員達は涙するのであった。



+++++



「また壊したの?」
あ~あ、と呆れたように室内を見回したのはグンマだった。
すっかりと風通しの良くなった総帥室の真ん中には、怒りを抑えきれないまま仏頂面でソファーに座るシンタローの姿。
「悪ィ」
口ではそう言うものの、責められる筋合いはないと主張するその瞳に、グンマは肩を竦めた。
「この前ティラミスが『予算が…』とか言って青い顔してたよ?」
「う…」
グンマのその言葉に、シンタローの表情が一瞬固まった。
「確かに懲りないおとーさまも悪いけど、シンちゃんだっていい加減パターンなんだから、少しは落ち着いて対処したら?」
初っ端から眼魔砲を撃つんじゃなくてさ――グンマにそう責められて、シンタローは思わず反論した。
「あのなー、俺は必死に働いて疲れて帰って来るんだヨ!それこそもう、くたっくたになってな!!それなのに突然『シンちゃ~~ん♪おっかえりなさ~~いッvvvさぁ!!パパと熱い抱擁を!!』なんて言って飛び掛られたら、冷静な対処もクソもねぇだろ!?身体が勝手に動いちまうんだぜ!?」
悪いのはどう見てもあの馬鹿親父じゃねーかと、主張したシンタローにグンマは「確かにそうなんだけど…」と困った顔をした。
「でもおとーさまのアレってもう治らないじゃない?だったら、やっぱりシンちゃんの方で何とかする方が、団の皆にも団の予算にも優しいんじゃない?」
ね?と可愛らしく小首を傾げられてしまい、シンタローは深々と溜息を付いた。
「…確かにあの馬鹿は死んでも治らねーだろうな…」
否定出来ないことが哀しいが、こればかりは事実である。
どんなにヤメロと言っても聞いてくれたためしがないのだから。
「困ったおとーさまだね」
「お前な…所詮他人事だろう?自分がされたら気色悪ィって思わねーのかよ」
「あははー、じゃあシンちゃんには高松をあげようか?」
「……俺が悪かった」
笑顔でドクターの名を出されて、シンタローの脳裏に浮かんだのは血塗れのその姿。
それと父親とを見比べて――どちらも大差はないと瞬時に悟ったシンタローは、グンマはグンマで大変なのだと素直に認め、謝罪の言葉を口にした。
「ほんとに困った大人達ばっかりだね」
「全くだ」
うんうんと頷きあう二人の間には、必要以上の親近感が湧いていた。







「…いっそのこと本気の喧嘩になっちまえばラクなのにな」

不意にシンタローが、眼魔砲の衝撃でなくなってしまった壁の外を見つめながらそう呟いた。
「シンちゃん?」
急に真面目な顔になったシンタローの顔を、グンマは訝しげに覗き込んだ。
「アイツのふざけた態度の中に本気が隠されてることぐらいは知ってる」
「シンちゃん…」
「だったらふざけたりなんかしねーで、真面目に『お帰り』って言ってくれりゃーそれですむ話じゃねーか。それだったら俺だって何も…」

――眼魔砲なんてぶっ放したりしないんだ――

シンタローの声が何処か悔しそうに聞こえるのは気のせいじゃないだろう。
「おとーさま…シンちゃんのこと好きだから」
シンタローの思いを汲んで、グンマはただそれだけを口にした。
「アイツは――親父の中ではいつまでたっても俺は『シンちゃん』のままなんだろーな」
過剰な愛情表現は恐らくその命が尽き果てるまで続くのであろう。
「シンちゃんはおとーさまのこと、好きなんだね」
「気色悪ィこと言うんじゃねー」
グンマの言葉に隙を入れずにシンタローは返したが、その言葉を否定はしなかった。
「アイツが真面目に俺に向き合うなんざ、そうそうねーからな」

いつだって『本気』と言いながらはぐらかされてばかりいる。

「シンちゃんはおとーさまと喧嘩したいの?」
「したいもなにも――喧嘩になんかなんねーだろ」
「どうして?」
つまらなさそうに返答するシンタローに、グンマはまた首を傾げた。
「親父が俺に本気なんて出すかよ。…どんなに本気にさせようとしたって――アイツはすぐに逃げるんだから…」
「シンちゃん…」
そう言ったシンタローの顔がやけに哀しそうに映って見えて、グンマはまるで自分の事のように胸が痛むのを感じた。
マジックの前ではいつまでたっても子供だと――大人として認められていない歯痒さをシンタローは感じているのだろう。
それはグンマ自身も高松に対して感じている事だった。

「…困った大人達だよね」
「ああ――」
静かに先程と同じ言葉をもう一度呟いたグンマに、シンタローは小さな声で返事をした。

それっきり黙りこんでしまったシンタローに、グンマは声をかけることなく寄り添うように座って――ただ黙って外の景色を見ていた。
あと数時間もすれば、いつもどおりこの部屋を修理する為に団員がやってくるだろう。
そうして元通りになった壁と同じように、シンタローの心にもまた壁が貼られる。


『グンマ様からも何とか言ってもらえませんか?』

先日団員の一人から懇願されて、軽い気持ちで引き受けた事をグンマは後悔していた。
父との遣り取りの後――毎回彼はこんなに辛そうな顔をしていたのだろうか――。
今までその事に気付いていなかった自分に腹が立った。
もっと早くに気付いていたら、いつでもシンタローが帰ってきた時に傍にいるようにしたのにと。


「…ごめんねシンちゃん」
「…なんでお前が謝るんだヨ」

意識するでもなく、勝手に出てしまった謝罪の言葉にシンタローはムッとした表情になった。
「うん、なんとなく」
「なんだよそりゃ」
ふふ、と笑って見せたグンマに、シンタローは呆れた顔をした。
その顔からは、先程見せた哀しげな色を読み取る事は出来なかった。







やがて何人かの足音が近付いてきた。
間違いなく、ボロボロになったこの総帥室を修理する為にやってきた団員達だろう。

「此処にいたら邪魔だな」
あいつらには特別ボーナスでもやらねーと駄目だなと、シンタローが苦笑した。
「そうだね」
立ち上がったシンタローに続いてグンマも立ち上がる。
「さーてと、部屋に戻るか」
総帥室ではない、自分の部屋へ。
「僕は研究室に戻らないと~」
「今度は何作ってんだヨ?」
「へへ~v秘密。出来上がったら一番にシンちゃんに見せてあげるから楽しみにしててね」
「…変なもん作んなよ」
若干引き気味のシンタローに不満げな顔をしながらも、グンマは「じゃあね」と明るく手を振った。
「ああ。…サンキュな」
ほんの少しだけばつの悪そうな顔をしているシンタローに「どういたしまして」と付け加えてから、グンマはシンタローよりも先に総帥室を後にした。




+++++




「ありがとうグンちゃん」

「あれ、おとーさま」

ぱたぱたと通路を歩いていると、何処から現れたのか――父、マジックが立っていた。

「『ありがとう』って何が?」
何となく分かるような気がしたが、あえてそれを聞いてみる。
「聞かなくてもわかってるでしょ」
ネ?と優しく微笑まれて、グンマは渋々頷いた。
「おや、グンちゃんは少しご機嫌ナナメかな?」
おちゃらけた様子で尋ねてくるマジックに、グンマはぷぅと頬を膨らませた。
「シンちゃんのこと、気付いてるんでしょう?おとーさま」

――なのにあんなに哀しそうな顔をさせるなんて。

「おや、グンちゃんはシンちゃんの味方かい?」
淋しいなぁと、ちっともそう思っていない表情の父親に、グンマは聞こえるように溜息を零した。
「おとーさまはシンちゃんのことキライ?」
「まさか!」
グンマの質問に即答するマジック。
「だったらどうして――」

「グンちゃん」

言い募ろうとしたグンマの唇に、マジックが人差し指をそっと当てた。
まるでその続きを言うなと言わんばかりに。

「…おとーさま」
「あのねグンちゃん、それ以上は言ったら駄目だよ。私が本気になってしまうから」
「おとーさま…?」
にっこりと微笑んでいるはずのマジックだが、妙に威圧感を感じてグンマは一歩だけ後ずさった。
「私が『本気』になってしまったら、あの子を傷付けてしまう」
「でもシンちゃんは本気の喧嘩を…ッ」

『したい』と望んでいるのに――。

グンマはそう言いたかったが、何故かそれを言ってはいけない気がして――ギュッと口を引き結んだ。
「そう、それでいいんだよグンちゃん」
そんなグンマにマジックは優しく笑いかける。
その笑顔からは先程の威圧感は感じられない。
「おとーさま…どうして…?」
「パパはシンちゃんが大好きだからね。シンちゃんと喧嘩なんかしてシンちゃんが怪我でもしたら大変だろう?」
グンちゃんだって、シンちゃんが怪我するのは嫌だろう?――そう言われて、グンマは腑に落ちない様子のまま小さく頷いた。

恐らくというか絶対、今のマジックの言葉は本音ではない。
勿論シンタローに傷を付けたくないというのは本音だろうが、軽い言葉のその奥にもっと重要なものが隠されているような気がした。

だがグンマは本能的にこれ以上踏み込んではいけないと、悟った。

「おとーさま…僕、研究の途中だったからもう行くね」
「おや、そうだったかい?ごめんね足を止めちゃって」

にっこりと笑うマジックは普段のままだ。
それでも『何か』が違うとグンマは思った。

「グンちゃん」

立ち去ろうとしたグンマの背に、マジックが声をかけた。

「なぁに、おと-さま?」


くるりと振り返ったグンマに、マジックはもう一度「ありがとう」と告げた。


それは何に対しての「ありがとう」なのか――。


「これからもシンちゃんをよろしくね」
「え?あ、う、うん!」

突然の予想外の言葉に戸惑いながらもグンマは頷いた。

「研究が上手くいったらパパにも見せてネ」
それから――いつもの口調で、思い出したように明るくそう付け加えたマジックに、グンマは肩の力を抜いた。
「勿論見せるから見てね。あ、でも一番はシンちゃんだから!」
「はいはい。お仕事頑張ってね」
「は~~い」

グンマはいつものように明るく笑い返した後、ぱたぱたと音を立てながらその場を後にした。





――だから聞いていなかった。



マジックの小さな呟きを――。





『本気』になるなど容易いこと。

それはギリギリのラインを保ってなんとか踏み止まっているけれど、いつでも踏み越えることは出来るもの。
一度踏み越えてしまったら、押さえが効かない感情。


大切で大切で仕方ないから護りたいと思う心。

愛しくて愛しくて仕方がないから手に入れたいと思う衝動。


二つの心は相反していて、後者の想いはいつでもどす黒い渦を巻きながらマジックの心を支配している。


それを抑えているのは失う事への恐怖。


ただの喧嘩ですむのならどれだけでもしていい。
それがただの喧嘩ですまないから、マジックはひたすら道化を演じる。
本音など言うことなど出来ない。



何故なら――。





「シンタローは私に『父親』を望んでいるから…ね」





誰に聞かせるでもなくそう呟いたマジックの顔が、先程のシンタローの表情と同じであったなどと、知る者は誰もいなかった――…。










END


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