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「シ~ンちゃん♪」
 相変わらずの浮かれ口調で自分の名を呼ぶアーパー親父に、シンタローは、いつものごとく冷ややかな視線を向けてやった。
「消え失せろ」
「あのね、シンちゃん。パパ、お願いがあるんだけどv」
「聞けよ、人の言葉」
 こちらの拒絶をもろともせずに、突進してきたその身体をどうにか交わしたシンタローは、相手との距離を慎重に保ちつつ、溜息をついた。
 いつものことだが、もっとまともに現れて欲しいものである。
 ついでに言えば、自分の言葉をちゃんと受け入れて欲しい。
 無駄だと思いつつもそんな願いを胸に秘めつつ、シンタローは、自分との抱擁が、今日も拒否されたことに、悔し涙を流す父親に声をかけてやった。
「お願いってなんだよ」
 その一言で、すぅーっと目じりから涙がひいていく。何度見ても気色悪い体の構造である。
 そうして変わりに広がる笑顔が満面になると、マジックは、いつも手にしているお手製『シンちゃんぬいぐるみ』に頬擦りしつつ、答えた。
「あのね。パパね。絵本を書いてみたんだけど~。やっぱり絵本っていったら、挿絵が重要だよねぇ? パパね。シンちゃんに挿絵を描いてもらおうと思ったんだけど、どうかな?」
「却下」
「ほら、昔、シンちゃんが描いてくれたパパの絵をもってきたんだよvvv ―――あ、それコピーだから、破いても無駄だからね―――ほら、シンちゃんって絵が上手いよねぇ。だから挿絵描いてv」
「………無理やり話しを進めてんじゃねぇよ」
 物凄い昔の絵を持ち出され、結構なダメージをくらっている上に、こちらの言葉を一切耳を貸そうともしない父親に、早くもお疲れモードになりかけていたシンタローだが、それでも気になっていたことを口にした。
「絵本って何書いたんだよ、てめぇは」
 絵本を書けるような、夢のある人間か? と疑問ありありな男に―――ご近所迷惑な野望だけはいらんほどもっていたが―――疑いの眼を向ければ、「失敬な」とマジックは、どこに隠していたのか原稿の束を取り出した。
「ほら、見てごらん、シンちゃん。パパだって素敵な絵本を書けるんだよv」
 一枚目の原稿には、タイトルが書いてある。
 シンタローは、それを声に出して読んだ。
「ああ? えーっと『正しい世界征服のしかた』…だとぉ?」
「そうだよ。この絵本を読めば、幼稚園児だって、世界征服をしたくなるという―――」
「眼魔砲っ!!」

 ドゴンッ。

 即行で片手を突き出して、必殺技を叫べば、目の前の原稿用紙の束が、あっという間に消し炭と化した。
「何するのっ、シンちゃん!!!」
「夢ある幼稚園児に何を吹き込む気だ、この馬鹿親父がぁ!」
 『正しい世界征服のしかた』などという絵本など、この世に存在してはいけないものである。
 こんな阿呆な作品を世に送り出したら、世界中のご近所さんに迷惑がかかるのが目に見えるというものである。
「ひどいっ! シンちゃんの馬鹿っ」
「馬鹿で、結構。んな絵本は作らんでよろしい」
「しくしく………せっかく第二弾、『正しい息子の征服のしかた』を書こうと思ってたのに」
「…………………よかった。世界が救われた。つーか、俺が救われたよ」
 まったく油断も好きもないというものである。
「いいか。お前は、本を書くな。ぜーーーーーーったい、書くなよ」
「約束したら、何かくれる?」
「なんで、俺がお前に何かをやらなければいけないんだ」
「等価交換だよ。決まっているじゃないか」
 どっかの漫画みたいなことを抜かしてくる父親に、シンタローは、にこりと微笑むと拳を振り上げた。
「わかった。この熱い拳をてめぇにくれてやる★」
「はっはっはっ。シンちゃん。ここでパパを殴ったら、後でお仕置きたーっぷりだからねv」
「………………さようなら」
 その言葉に、拳を下げると、くるりと踵を返し、シンタローは、一目散に逃げ出した。
 三十六計逃げるが勝ちだ。いつまでも、馬鹿親父に律儀に付き合っていた、自分が馬鹿である。
 だが、それを黙って見送ってくれるような親切な父親ではなかった。
「あ、まってよ、シンちゃ~~~~~~~ん! パパ、逃がさないよ♪」


 
 ――――――どっかに『正しい変態親父の撲滅のしかた』という本はねぇか?

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『何が欲しい?』


 そう訊ねて、返って来た答えは、「あんさんが傍にいてくれはるだけで十分どす」だった。
 ここにいるだけで、もう何もいらない。満足している。そう言ってくれた。
「―――つまんねぇ奴」
 その言葉に、俺ははっきりきっぱり切り捨てた。




「………シ、シンタローはん?」
 恐る恐るといった感じで、こちらに視線を向けるのは、アラシヤマだ。長く伸びた前髪で片目が覆われ、隠されているために、俯き加減のまま、こちらをそろりと見上げる姿は、実に鬱陶しい。
「ああ? なんだよ」
 眼光鋭く睨みつけ、不機嫌そのものといった態度でそう答えれば、さっと視線をそらし、しっかりと俯いたまま、ぼそぼそとしゃべり出した。
「あの……その……なんで、わての部屋に居座っておりますのん?」
 ここは、アラシヤマの部屋だ。幹部に与えられている部屋は、他の団員に比べて格段に広い上に部屋数もある。勝手に畳みを持ち込み、純和風の部屋にしているアラシヤマの部屋の一室に、朝からシンタローは居座っていた。別にここが気に入っているわけではない。確かに、畳の部屋は落ち着くが、畳の部屋なら自分の住居にもある。ただ、ここにアラシヤマがいるから、いるだけである。その相手は、朝からずっと書類作成に追われていた。
「俺が邪魔か?」
 そう訊ねれば、飛び跳ねるようにして否定する。
「そないなことは! ……ありまへんのやけど」
 けれど、語尾が酷く濁っていた。確かに、何も言わずに部屋に上がりこんでから、説明もないままアラシヤマの傍にいるのだ。不審に思わない方がおかしい。
 もちろん訪れた時、もてなすつもりお茶などを出そうとしたが、それは全てて理由なく断られた。はっきりとした拒絶に、それ以上押し付けるわけにもいかず、手持ちぶたさになったために、仕事を続けていたのだが、それもそろそろ限界だった。
「その………なして、シンタローはんはここに?」
 ようやく訊ねられた質問。ここに来てから、軽く三時間は経過していた。
 溜息つきたくなるが、それを押し込んで、シンタローは、その質問に答えてあげた。
「―――お前がいったんだろ?」
「は?」
 心当たりがまったくありませんという顔。その顔に拳をめり込ませたくなったが、それも我慢した。深呼吸して、改めて口を開く。
「この間、『何が欲しい?』ってお前に聞いたら、俺が傍にいるだけでいいって言ったじゃないか」
 だから、その通りに行動してやっているのである。まさか、実際そうしてくれるとは思っていなかったようである。
「………ほ、本気どすか?」
「ああ、本気だとも。今日一日お前の傍にいてやるよ。傍にいるだけだがな!」
 うろたえる相手に向かって、そうしっかりと宣言した。
 けれど、他に何かをしてやるということはない。言葉どおり、ただ、黙ってアラシヤマの半径二メートル以内に居続けるつもりだった。
「せやけどシンタローはん、ちっとも楽しそうな顔してまへんけど……」
「そりゃあ、別に楽しくないからな」
 正直、面倒にはなってきた。ただ、黙って傍にいるだけなのだが、何もしないと落ちつかない。ぐるりと部屋を見回す。綺麗に掃除が行き届いている。洗濯物もなさそうだ。残るは、料理だけだが、今日だけはアラシヤマのために料理などする気にもなれなかった。
 本気で本当に、アラシヤマの傍にいるだけにすると決めたのだ。
 それを望んだのがアラシヤマなのだから、つべこべ言わす気はない。まだ、何か言いたそうなアラシヤマを鋭い視線で串刺しにして、黙らせた。
「……それにしてもあっちぃーな」
 アラシヤマの部屋にはクーラーがない。人工的な冷風が嫌いだそうで、つけられていないのである。かろうじて扇風機だけはあって、回っているが、生温い風を拡散させられても涼しさは、あまり望めない。健康にはいいが、じっとりと汗ばんでくるのは不快である。
 南国のパプワ島で過ごした時と同じ涼しげな格好でいるものの、あそこの暑さとは全然違い、このべたつく湿気にはうんざりする。
 だが、ちらりと横にいるアラシヤマを見上げれば、相手は汗ひとつかいてなかった。それもそのはず。炎を身体から自在に生み出す彼は、体温調節に長けているのだ。お陰で、クーラーいらずだが、客のことも考えて欲しいものである。
(……って、こいつには招く相手がいないか)
 だからこそ、クーラーいらずのままでいられるのだ。
 自分だけ涼しい顔をしているのが、かなりイラつく。
(あ~~、今度無理やりつけさせようか)
 だが、そうなると今度は、この部屋に来なくてはいけなくなりそうである。そこまで考えてから、クーラー取り付け案は、却下した。
「あちぃ~」
 一応、窓も全開に開けられていて、かすかだが風も入ってくるのだが、それでも室温は、冷暖房完備の他の施設に比べて高いはずである。
 耐え切れず、シンタローは、降ろしたままの髪を束ねた。幾分か首裏が涼しくなる。これに気をよくし、シンタローは、アラシヤマの部屋を物色し、たぶん着物の帯紐だろう、棚の上に無造作に置かれていたそれを勝手に拝借して、ポニーテールの要領で髪をかきあげると、それで結んだ。
「シンタローはん……」
 そこまでやって、アラシヤマがこちらをずっと見ていたことに気がついた。眉根をきゅっと寄せており、何か言いたげな視線である。
「なんだよ。この紐借りたらいけなかったのか?」
 首元が快適になったばかりだというのに、返す気はない。
「それは差し上げますが……そうやのぉて」
 歯切れの悪い口調。
「なんだよ」
 なかなかはっきりと物を言わないアラシヤマに、苛立つようにシンタローは、手で顔を仰いだ。首元は涼しくなったが、やはりまだ暑い。それだけでは足りなくて、バサバサとタンクトップの首元を掴んで、腹の方に空気を送る。
「シ、シンタローはん!」
 とたんに慌てた様子で、ひとりバタバタとする相手に、シンタローはじとりとねめつけるような眼差しを送った。
「だから、なんだよ」
 先ほどから、煩い。
 もしかして、自分が傍にいることが煩わしくなったのだろうか。それならそれで、はっきり言って欲しいものである。
「お前の願いをきいて、傍にいてやってるんだ。文句があるなら言え! 特別に、あと一回ぐらい言うこと聞いてやってもいいぞ」
「文句やなんて……」
 やはり、はっきりとしないまま、もごもごと口を動かし、言葉にしないまま、それは閉じられた。それでも、ちらちらと時折こちらを見る視線は、うざったい。いったい、なんだというのだろうか。
 不満があれば、さっさと言って欲しかった。こちらとしても、それほど楽しいことではないのだ。
(………別に、こいつの傍にいたくないわけじゃねぇけどさ)
 不本意ながら、相手は恋人で。世の中間違っている気がするけれど、惚れてる相手で。だから、傍にいたくないわけではない。お互い仕事が忙しくて、一緒にいられる時間など短くて、本当ならば、もっと喜ばなければいけない状況なのである。
 けれど、つまらない。
(大体、こいつが悪いんだ! 俺が親切にもこいつのために何かしてやろうと思ったにもかかわらず、つまんねぇ答えをするから……)
 期待していたのは、そんなもんではなかった。大それたことなど言えないことはわかっていたけれど、それでも、何か―――それこそ、本当に他愛のない、料理を作って欲しいとか、一緒にデートして欲しいとか、キスして欲しいとか―――そういう答えを考えていたのだ。
 自分が、相手のために何かした、という満足感が得られるものを。
 けれど、相手が望んだのは、傍にいてくれるだけでいい、という単純明快、あっさりとしたもの。シンタローにとっては、それは、当たり前のことで、彼のために何か尽くしてやろうという気持ちを打ち砕くものだった。
 もっとも、こっちが勝手に期待して、かってに落ち込んでいるだけなのだが。
 けれど、気持ちが収まらないので、腹いせも交じって、朝からアラシヤマの部屋に押し入って、傍にくっついていたのだった。



 すっとアラシヤマが立ち上がる気配がした。動くその姿を追うように見上げると、先ほどまで作成していた紙の束を持っている。
「出かけるのか?」
「へえ。これを出しに」
 仕上げた書類の束をかかげてそう言った。幹部であるから、内線で秘書課のものを呼びつければ、すぐに取りに来るのだけれど、人の手を借りるということを基本的に知らないこの男は、自分で持って行くのである。
「ふぅ~ん」
 気のない返事をしつつ、シンタローも立ち上がった。もっとも、久しぶりに身体を動かせるために、自然と表情は緩まっている。視線を感じて、つっと首を回せば、困ったような顔のアラシヤマの姿があった。
「シンタローはん……その格好で外に出はるんどすか?」
「悪ぃか?」
 確かに、お上品な服装とはいえないが、別に女性職員がいるわけでもなく、むさい男たちばかりの職場である。セクハラ問題などには発展しないはずだ。けれど、アラシヤマの方は、納得いかないようだった。やはり、ちらちらとこちらを見ては、居心地悪そうに視線をそらせる。
 だが、決定的なことは何も言わない。いい加減に、苛立ちも頂点に達する。
「煩いっ。俺のことは気にせず、お前の用事を済ませろッ!」
 怒鳴りつけて、蹴り出す勢いで、外へと出させた。

 
「おい、なんでこっちの道なんだ?」
 さくっと柔らかな芝の感覚が足元から伝わる。頬を撫でる風は、木陰に入っているせいか、爽やかで気持ちよかった。だが、書類を提出するのに、外へ出る必要はないはずである。
「朝から、部屋の中にこもっとりましたから、外の空気が吸いたくなったんどす」
「ふぅ~ん」
 中庭と呼ばれるここは、もちろん東棟から西棟へと通りぬけができるように作られている。一度下まで降りないといけないために、遠回りにはなるものの、それでもここから書類を提出しに行くには不都合はない。
「あっ」
 アラシヤマの後ろを歩いていたシンタローは、思わず声をあげて立ち止まった。アラシヤマが振り返る。傍にいるためについていかなければいけないのだが、自分の声のために立ち止まったのをいいことに、シンタローは、声をあげた原因を見つめた。
「綺麗に咲いたな」
 視線の先にあったのは、一輪の薔薇だった。この中庭は、中央が小さなバラ園になっていた。数種類の品種と色を植えてあるその中で、目に留めたのは、純白の薔薇だった。
「染みひとつない、綺麗な白薔薇どすな」
「ああ」
 何度か、このバラ園を覗いていたのだが、決まって白い薔薇は、染みが入っていたり、花びらの一部が枯れていたりしていた。外で栽培されているために、仕方がないとは思うが、いつか完璧な純白の薔薇が見て見たいと思っていたのだが、それが目の前にあった。
「赤とか黄色もいいけどさ、白薔薇ってこう、他の色みたいに鮮やかというより、凛とした気高さがあっていいよな」
 光沢のある滑らかな花びらが太陽の光を受け、細かな煌きをちらしている。シンタローは、すっと腰を屈め、それに口付けた。
「………シンタローはん」
 その声に、はっと顔をあげる。しまった。今日は、何も言わず、何もせず、アラシヤマの傍にくっつくつもりだったのである。にもかかわらず、自分の都合で足を止めさせていた。
「ああ、書類だしに行くんだろ」
「そうやのうて―――――あと、一度だけ、わての願いを叶えてくれはるって言いましたなぁ?」
「え? ああ」
 確かに、そう言った。ようやく、自分の存在がうとましくなったのだろうか。
「………その薔薇に、わても触れてもええどすか?」
「へっ?」
 それは、かなり意外な願い事だった。
「い、いいけど」
 というか、その薔薇はシンタローのものではない。許可など取る必要はなかった。それでもアラシヤマは、酷く真剣な顔をして、白薔薇に触れた。それは、丁度シンタローが触れた場所だった。
 恭しく。まるで、姫の手に唇を触れる騎士のように、敬虔なる面持ちで、それに触れる。
 カァと頬が火照ってきた。なにやら見てはいけないものを見た気持ちである。もぞもぞするような、居心地が悪い。
「シンタローはん」
「あ?」
「………ずっと言おうとは思うとりましたけど」
「え?」
「………………そない可愛らしい顔せぇへんでくれまへんか。わての理性もギリギリどすえ?」
「は?」
 言われた内容がすぐには把握できず、呆然とした間抜け面をさらすはめになった。
 それにアラシヤマが補足してくれる。
「髪なんぞかきあげ、綺麗なうなじを見せられたり、シャツを引っ張ったりして、美味しそうな鎖骨や腹を見せ付けてくれたりして………。今かて、そうどす。ここで――――襲ってもええどすか?」
「ば、馬鹿ッ! いいわけあるかッ!!!」
 即座に拒絶をすれば、惜しそうな顔をしつつ、言い放った。
「せやったら、そない挑発せんでくだはれ」
「俺は、した覚えはない!」
「してますわ!」
 両者にらみ合いのまま、一歩も譲らぬ構えである。だが、とうとうシンタローが先に折れた。
「―――なら、今すぐ着替えてくる」
「いけまへん!」
「なんでだよ」
 こんな格好をするな、といったのはアラシヤマの方である。なぜ、止めるのか。不審な顔を見せれば、アラシヤマの口元ににんまりとした笑みを作られた。何か、謀を巡らせた時に見せる表情である。警戒しつつ、動向をうかがえば、歌うように軽やかに言葉が放たれた。
「シンタローはんが、言うとったことどすえ。今日、一日わての傍にいてくれはりますんやろ? 離れたらあきまへん」
「……………」
 先ほどとは全然違う眼差しで、こちらを見つめる。どうやら完全に開き直ったようである。
「さっ、さっさと書類を出して、また部屋でまったりしまひょ♪」
 言葉どおり速やかに歩き出すアラシヤマ。どうやら、自分はその後をついていかなければいけないようである。
 だが、この後はどうなるのか………… 今度はこちらの理性が試されそうであった。




 ……………ネガイを叶えるのは一回だけだってことを忘れるなよ?
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 ザー…。
 雨だ。絶え間なく雨が降りしきる。立ち尽くす自分を包み込み浸らせる。天を仰げば目に染みた。
「シンタローはん」
 呼ばれる声に顔をあげた。
「アラシヤマ…」
 そこに立っていたのは自分が呼んだ相手だった。手にもっていた傘がこちらに傾けられる。だがそれを拒絶した。それは自分にとって不要なものだ。あって欲しくはないものだった。
 一歩後ろに下がれば手にしていた傘をたたんだ。アラシヤマの髪に、肩に雨があたる。黙ってそれを見つめた。
「なんぞあったんどすか?」
 行きなりこんなところに呼び出した自分に当然の言葉をかける。声が聞きづらい。雨のせいで声がこもるのだ。それでも、意味はなんとなく読み取れたから、言葉を繋ぐことができた。
 こくりと唾を飲み込んでから口を開く。
「ああ、大事な話があるんだ」
 堅い声音。緊張していた。
 雨は止まない。そればかりか、強くなってきた気がする。肌を滑る雫が冷たかった。なのに寒さはちっとも感じなかった。そんな感情はすでに麻痺していた。その状態で、ここに読んだ理由を告げた。
「俺と……別れてくれ」
 そう言った瞬間、目の前の顔が凍り付くのがわかった。痛いぐらい真剣な眼差しが突き付けられる。口が開いて何かを言っていた。だが耳に聞こえるのは雨の音だけだった。アラシヤマの声は、はるか遠くにある。それがわかっていたから、今日、この日この場所を選んだのだ。
「勝手で悪い――だからお前にまでこっちの気持ちを強制はしない。俺を愛してるならそれでもかまわない――けど俺はもう……お前を求めない」
 雨で霞む視界の中でアラシヤマを見る。目頭が熱かった。
「お前を呼ばない」
 雨水が目にはいりぼやける視界がさらにゆがんだ気がする。
「お前の傍にはいかない」
 水気は辺りに滴るほどあるのに、なぜか喉が乾いた。からからにひからびているようだ。喉も熱かった。
「……お前が悪いわけじゃない。悪いのは全て俺だ」
 雨音でアラシヤマの声は全然聞こえない。遥か遠くにいるようだった。
「お前を…愛してる、アラシヤマ。……それはたぶんこれからも変わらない。――けど、だからこそ苦しいんだ。辛いんだ! お前から愛されている時は幸せだった。優しく暖かい気持ちを注がれるのは心地よかった。でも俺はそれだけでは満たしなくなったんだ。けど俺が求めるものはお前にとって理不尽であり望まないものであるはずないから、俺が諦める…だから、わかれよう」
 本当にこれは自分の身勝手な決意だ。
 いつからだろう。アラシヤマの優しさに疑問を持ちはじめたのは。
 いつも包み込むような優しさをくれ、暖かい気持ちで愛しんでくれる相手。けれど、それはもしかするとアラシヤマ自身が得られなかった、家族愛を自分に求めているのではないだろうかと思いだした。
 何をしても許される――変わらず伸ばされる手に、自分はいつしか苛立ちを感じてしまうようになったのだ。だからその手を拒絶した。
 自分が欲しいのは、家族愛ではないから――ただ、それだけの理由で。
 なんて傲慢なことだろうか。
 シンタローは、今でも愛する人を見つめた。
 別れたくない。手放したくない。でもそれ以上に自分のエゴで縛りたくなかった。そのことによって幻滅されたくはないためだ。否、エゴでなんでもいい、相手を無理やりでも自分に縛りつけなければ、耐え切れなくなっていた自分が怖かった。それにより、全てを失ってしまえば、自分は生きていけなくなる。だから、その前に手放すことに決めた。
「ありがとう…アラシヤマ」 
 優しい相手に礼を告げる。今まで幸せを与えてくれた相手に、感謝の気持ちを述べる。でもまだ言わなければいけない言葉があった。
 だが唇がわななく。胸が苦しくて焼けるように熱い。それから逃れたくて乾いた喉から別の言葉が出そうになる。
 でも駄目だ。これ以上はアラシヤマを苦しめたくない。解放――自分からやるべきことである。
 そう決意して―――言葉を紡いだ。
「アラシヤマ――さようなら」
 その後、雨の塩辛さがが口の中に広がった。
 雨はまだ止んでいなかった。冷たい雫が全身から滴っている。
 それなのに、雨の音は耳に入ってこなかった。
 煩いほどだったその音が消えたのだ。
 否、全ての音が消えていた。
 その中で、アラシヤマが何か叫んでいるような気が……した。





 ―――――いつか…遥か遠くからでもいい、お前の声を聞くことはできるだろうか?

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 目の前に存在するそれに、アラシヤマは、薄く三日月形に目を細めた。そのまま視線を固定する。
 それからただ無為に時間だけが経って行った。



 いつまでそうするつもりだろうか。
 馬鹿みたいに突っ立っている自分に、冷静に突っ込みをいれてみるが、それでも動けない自分がいた。
 指先がチリチリと痛い。
 数分前、自分は一つの行動を起こしていた。
 目の前に指先を翳す。
 その結果がこれだ。
 熱を持ち、火傷を負っている自分の指先に視線だけを向ければ、口元が大きく歪んだ。
 部屋に入った時、彼は眠っていた。
 ひどく疲れていた様子で、自分が入ってきても起きる気配はまったくなかった。 真新しい書類の束を枕に涎を少したらしつつ、瞼を硬く閉じている彼の姿に、自分は、無意識に手を伸ばしていた。
 その時の自分の感情はよく覚えていない。
 ただ、無防備な顔で存在していた彼に、制御できないほどの感情が沸きあがり、身体から炎が溢れ出し、彼に向かっていった。 
「阿呆どすな」
 唇に浮んだ笑みは、自らをあざけるもので。相手に攻撃するはずの炎を自身で受け止めたその愚かさを笑う。
 目の前の相手は無傷だ。
 当然である。あふれ出した炎は、寸前で、指先で無理やり止めてしまった。行き場の失ったそれは、普段ならば自分自身を傷つけないとはいえ、オーバーヒートを起こしてしまい、結果、指先を火傷するはめになった。
 たいしたことではないのだが、チリチリとした痛みは鬱陶しい。
 幼すぎて炎の制御できなかった頃から、随分と久しぶりに作ってしまった水ぶくれに、アラシヤマは、懐かしい痛みだと、舌で舐めた。
 どうしてこんなことをしようとしたのだろうか。 
 相手を自分の炎で燃やすつもりなど全然なかった。
 それなのに、無防備な彼を見たとたんに、燃やし尽くしたい気分が生まれたのだ。
「阿呆どすえ」
 いっそう本当に、目の前の存在を自身の炎で燃やし尽くしてしまえば、楽になれるものを。
 できないのは、自分の弱さか、それとも――――彼の存在自体を愛しているためか。

 阿呆らしい。

 どちらにしても、彼の存在がいる限り、この痛みからは逃れられないのだ。
 彼が、自分のものにならない限り、このジレンマに悩まされる。
 そして、それがすでに確定されていることに、泣くことも笑うことも怒ることもできない。
 彼の心が、自分以外に向けられていることは、先刻承知。

 それでも。
 どうしても。
 思うことをやめられず。

「わてのもんになりまへんか?」
 そんな願いを口にしてしまい、チリリと痛む指先を振って、慌てたように、部屋に来た目的である、提出すべきファイルを机の端に置き、退出した。






―――――――――どうしても手に入れられないならいっそ全てを消してもええどすか?

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「シンタローはん! ただいま帰りましたわ」
 シュン、と機械音を立て、何の脈絡もなく扉が開いた。
 一瞬、ここのセキュリティはどうなったのか、と思ったが、よく考えてみるとこの部屋に入るパスを以前自分が教えたのだから、これは仕方がない。
 わずかな距離だというのに、満面の笑みで、こちらに駆け寄ってきた相手に、シンタローは、とりあえずギロリと睨んであげた。
 しかし、相手はそんなものに怯むような相手ではなかった。
 トンと両手を総帥デスクにつけると、覗き込むように顔をこちらに近づける。久しぶりに見るその顔が、見慣れた表情を向ける。
「ただいまどすv 元気そうで安心ですわ」
 それはこっちの台詞だろうが。
 その言葉に、即座に突っ込みを返す。
 それはそれは嬉しそうにそう言ってくれた相手には悪いが、ずっとガンマ団内部で仕事をこなしていた自分に、元気も何もないだろう。
 ここにいれば、万全の管理がなされているのだ。
 咳一つしただけで、大騒ぎである。
 それよりも、元気なのか?と尋ねたいのは、こちらの方である。
 満身創痍と言った方が早いのだろうか、アラシヤマの戦闘服は、焦げたり切り裂かれたりと無残なものである。当然ながら、その下の肌もざっくりときられている。重傷そうなのはすでに手当てがなされているが、頬に走った傷など、少し垂れたまま血が固まっていた。
「アラシヤマ……医務室へ行け」
 とりあえず、それが無難な台詞だろう。
 その他にも、服を着替えろとか風呂に入れとか言う言葉も浮かんだが、それよりもまずは、全ての傷の手当てが先だろう。
 どうせ、この男のことである。任地先でも、たいしたことない、の一言で収めて、そのまま戻ってきたのだ。
(どうしてこいつは……)
 苛立つように、相手を見る。
 シンタロー自身の身体の心配は、誰よりもするくせに、そのくせ自身の傷など、まったく省みないのだ。
「医務室どすか? でも、もう手当てしてまっせ?」
 シンタローの思いもまったく伝わらずに、理解できません、という風に首を傾げるアラシヤマに、イライラをあらわす様に、指先で、机の上を叩いた
 それだけでは不十分なのだと、なぜわからないのだろうか。
 見ているこちらが、痛みすら覚えるというのに――――。
「他の細かい傷も見てもらえ。とりあえず、消毒とかして綺麗にしてもらえよ」
「はあ。まあ、シンタローはんがそういわはるなら、後でも」
「今すぐだ。すぐに行けっ!」
「今すぐでっか~?」
 心底嫌そうな顔をするアラシヤマに、きっぱりとした態度を見せる。
「いいから、行けよ」
 早く手当てしてもらってこい。
 こっちの安寧のためにも、さっさと行動して欲しいのだが、相手は、やはりしぶとかった。
 ぐずぐずとその場に留まり、医務室へと向かおうとはしない。 
「そんな傷を負うお前が悪いんだろ。ったく、もっと身体をいたわらないと死ぬぞ」
「それは、ありまへんわ。シンタローはんを置いて死ねるわけあらしまへんやろ。誰を犠牲にしてでも、生き延びてみせますわ」
 涼やかな笑顔を見せるアラシヤマに、くらりと眩暈がするような感覚を覚えた。
(馬鹿だ)
 本気で思ってしまう。心の底からそう実感してしまう。
「シンタローはん?」
「俺の命令が聞けないのかよ」
「シンタローはんの命令でしたら、なんでもききますわ」
「それなら―――」
 すぐに行けよ、という言葉よりも先に、アラシヤマの声がかぶさった。
「そやけどまだ、言ってもらってまへんで?」
(はっ?)
 何を言ってないというのだろうか。
 どことなく恨みがましげにこちらを見られている。
(なっ、なんだよ、その目は)
 たじろぐ相手に、じとりとした視線をぱっと消して、アラシヤマはにこりと笑顔を向けた。
「わては、『ただいま』って言ったんどすえ?」
「あっ…ああ……そうか。悪ぃ」
 忘れていた。
 入ってきたアラシヤマがあんまりにも傷だらけだったために、当り前の言葉を言うのを忘れていたのだ。
 たったそれだけ、とは言わない。
 その言葉が、どれだけ嬉しいものなのか、自分だって分かってる。
 それは、ここに戻ってきたくれたことを喜ぶ言葉だ。
「『おかえり』、アラシヤマ」
「はいなv シンタローはん♪」
 その言葉と同時に、ぐいっとアラシヤマが身体を乗り出してくる。
 そのまま器用に顎とつかまれ、その唇にキスをされた。
 唇に残る少しばかり鉄サビの味。どうやら、唇の方も少し切っていたようである。
「これは、ただいまのキスどですわv じゃあ、わては医務室に行ってきますわ」
 そのままひらりと自分の前から消え去って、素直にそのまま退出をしようとするその背中に呼びかけた。
「ああ、アラシヤマ。終わったらここに戻って来いよ」
 アラシヤマが怪訝な顔で振り返る。
「こんなんじゃ、全然足りねぇからな」
 ちょいちょいと唇を指先で叩くようにすれば、相手も理解してくれた様子で、ニィと深い笑みを刻んだ。
「当たり前どす。覚悟しなはれ、シンタローはん。離れた分はきっちり取り戻しますよって」
「おぅ。望むところだ」
 こっちだって会えない分、色々と積もらせてきたものがあるのだ。 
 どちらが先にギブアップするかやってみるのもまた一興だろう。




「さてと。んなら、仕事をさっさと片付けておくかな」
 この調子だと明日の業務まで支障をきたすかもしれない。キンタローあたりは文句を言うだろうが、そこは上手く丸め込む自信がある。
 目の前に詰まれた書類を手に、素早くペンを走らせていった。






 ―――――どれほどキズだらけでもお前に『おかえり』と告げることができるなら喜んでもいいだろう?

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