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 ひとつ…ふたつ…みっつ……

「まだどすえ」
 
 息苦しさに仰向く顔を、指先を伸ばし、逃さぬように捕まえて。
 覆いかぶさり、再び落とす。

 よっつ…いつつ…むっつ……

「もうギブアップどすか?」
 
 喘ぐ吐息が耳元にかかり、触れる素肌は火傷するほど熱く。
 くすくすと笑いが零れるほどに、感じる全てが楽しくて仕方ない。
 それを見せ付けられた手の内にある愛しい人の睨みさえも、いとおしい。

 ななつ…やっつ…ここのつ……

「シンタローはん。愛してますえ」

 だから、もう止められない。
 想いの数だけ口付けを。
 愛しい貴方に落としましょう。

 でも―――。

 とお……では終わらぬ口付けに…貴方はどこまで耐え切れる?

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my
「ふふぅ~ん♪」
 鼻歌交じりの声が、ガンマ団の本部の一角で聞こえてくる。
 リズム感はあるようで、しっかりとした音程の中で、軽快なリズムを刻み込む。
「シ~ンちゃんのた~めなら、え~んや、こ~らっ♪」
 ………どうやら歌詞は、問題視してはいけないようである。
 とりあえず、自作の歌を歌いながら、せわしくなく部屋の中で動き回るのは、元ガンマ団総帥であるマジックであった。
 お手製エプロン(もちろん胸のアップリケはこれまた手製の愛息の顔)を身につけ、頭にはほっかむりと、完全お掃除態勢の元総帥は、先ほどから、ガタガタ、ズルズルとなにやら大掛かりな掃除―――というよりは、部屋に大小さまざまな物を大量に入れ込んでいる。
 それも、しばらくして落ち着いたかと思うと、今度は、部屋中にそれを飾りつけにかかった。
「ふふっ。楽しいねぇ」
 口元をほころばせ、部屋に運び入れたそれを手に、ランランと軽やかなスキップをしつつ、ここぞと決めた場所に運んでいく。
 これが、世界に名立たる暗殺集団を元とはいえ、率いてきた者なのか、と疑われるような姿だが。この男は、元からこんなものである。
 ただ、世の中その事実が蔓延してないだけなのだ。
 そして、そんな事実を知る数少ない人間である現総帥は、その部屋に訪れた瞬間まっとうな台詞をはいた。
「おい。あんた、何をしているんだ?」
 その声に、部屋の中で作業をしていたマジックは即座に反応した。
「あっ、お帰りシンちゃん♪ 今日も、お疲れ様。毎日毎日遅くまで大変だね。あんまりにも忙しかったらパパにお手伝いをお願いしてもいいんだよ? パパ、シンちゃんのためならなんだってしてあげるからv」
 やたらと語尾を弾ませる、ナイスミドルことマジックは、仕事から帰ってきた、息子をいそいそと出向かえる。ついでに、抱きつきにも行ったのだが、もちろんそれは素早い動きでかわされた。
「シンちゃんってば、相変わらず冷たい……」
 息子の横をすり抜ける結果となってしまった演技派親父は、エプロンのすそを持ち上げ、口に含むと、悔しげに噛んで見せるが、そんなものは、一切息子には通用しなかった。
「いいから、親父。質問に答えろよ。これは一体なんのマネだ?」
 なにやらご機嫌斜めな感じのシンタローは、バンッと手近な壁に平手を打ちつけた。
 そのとたん、ガタリと壁にかかっていた絵が落ちてくる。
 だが、床に落ちる寸前、いつのまにかそこに移動していたマジックの手によりすくわれた。
「あ、折角飾った絵を落としちゃだめじゃないか。ほら、見てごらん。よく描けているだろう?」
 見事にキャッチした絵画をシンタローの方に向けるが、即座にその顔はそらされた。
「見たくない」
「どうしてだい?」
「なんで、実物が目の前にいるのに、そんな肖像がを見ないといけないんだよ。いや、それよりも。どうして、そんなもんが、このオレの部屋においてあるんだっ!」
 首を傾げるマジックに、ピキッと青筋を浮かばせたシンタローは、その絵を―――マジックの肖像がであるそれを指差した。
 そんなものは、今朝その部屋から出て行く時には存在していなかった。
「絵はお気に召さなかったかい?」
 自分の肖像画を胸にだいたまま首をかしげてみせたマジックに、頬をひきつらせながら、視線を向けたシンタローは、大仰な溜息を一つついて言い放った。
「………全部だ」
 そう。それは、肖像画一つでは終わっていなかった。
「これ、全部かい?」
 ぐるりとあたりを見回したマジックに、シンタローは最大級の大声で怒鳴った。
「当然だろうがっ!!」
 疲れて部屋から帰ってきたら、親父がいた。
 それでさらに疲れが上乗せされる状況にもかかわらず、その上、くつろぐべき場所には、留守中に運びこまれたのだろう、マジックの肖像がからはじめ、マジック等身大写真。マジック等身大人形。それ以外にもマジックだらけに埋めつくされているこの部屋を見た瞬間、シンタローは眩暈がした。
 もっとも、哀しいかなその手合いのことには、耐性がついてきていて、どうやら持ちこたえることができたのだが。
「ひどいなあ。頑張って飾ったんだよ? この部屋にいればどこでもパパを見れるようにって」
「大きな…いや、多大なお世話だ。とっとともって帰れ。というか、即効粗大ゴミにだしておけ!」
 仕事から疲れて帰ってきているのに、さらに疲れることがまっているなど、最悪である。
 とりあえず、言いたいことは言った。マジックの奴が素直に言うことを聞くとは思えないが、これ以上とりあいたくもなかった。
 シンタローは、総帥服である真っ赤な上着を脱ぎ、マメな性格ゆえにそれを放り投げることもせず、きちんとハンガーにかけ、適当な場所につるしておくと、ベットの方へと向かう。
 ベットの上では、すでにマジック等身大人形が存在しているが、とりあえず、それは無視だ。
 明日にでも部下に言って片付けさせようと思いつつ、ベットの上に腰かけると、背後から、これ見よがしな溜息を疲れた。
「ふう。そんな冷たいことを言うなんて、パパ、育て方を間違ったかな」
「間違いだらけだな」
 律儀に返してやりながらも、シンタローは寝る準備を着々と進めていく。
 眠れば勝手に出て行くだろうと思っていたのだが、もちろんそんなわけがなかった。
「しょうがないな。イチから教育しなおそうか」
 そう言ったマジックは、すでにベットの上に腰掛けていた。
「えっ? ちょっとまて、何の教育だ」
 横になり、眠りかけたシンタローは慌てて身を起こすが、それよりも先に、肩を押さえつけられ、ベットの上に身体を押し付けられる。
 目の前には、マジックの顔。
 その顔が、楽しげに笑みを浮かべていた。
「ん? だから、性教育をね♪ 手始めにやろうと思って」
 マジックの言葉に、シンタローは目を見開く。
 背中に冷たい汗が流れ落ちるような感覚だった。
「なっ。ま、まて。なんで、イチからがそれになるんだ……」
 起き上がろうとするが、肩をがっちりと押さえつけられていればそれは不可能に近い。足をバタバタとさせるが、それは無駄なあがきでしかなかった。身勝手極まりないこの男を制止させるすべなど、もうシンタローにはない。
「どこからでも一緒だろ? 大丈夫、パパが優しく教えてあげるからねv」 
 笑みを浮かべるマジックの顔が徐々に近づいてくる。逃げ場はどこにもなかった。
「俺は疲れている……んぐっ……(うぎゃぁぁ~~~~~~~~)」


 

 それから数時間後。ベットの中で。

「とりあえず、これでレッスン1は終わりだね。まだまだ、続きも教えてあげるから、楽しみにしててね、シンちゃん♪」
「………もう、結構です」
 シンタローは涙をはらはらとこぼしながら、マジックの言葉を丁重にお断りした。
 が、もちろんそれは無駄な抵抗でしかなかった。

mi



 恋焦がれた末に、どんな手を尽くしても手に入れようと望んだ蝶が、ようやく手の内に。
 一度手にいれしものを手放すことなど、蜘蛛はできるはずもなく――――強固の檻へとそれを閉じ込める。


 魅入られた美しき哀れな蝶。
 魅了されし愚かしき蜘蛛。


 ―――――哀れなのは、蝶か蜘蛛か
 ―――――何処に罪は在りしか無しか

 



 薄暗き部屋に、白く浮かび上がる人影。無機質な冷たさのみを湛えるその部屋の中央に、唯一存在する家具、ベッドの上で、長い髪を重たげに揺らし、その人影は、ゆるりと身を起こした。キングサイズのそれは、中央で眠っていた人の居場所を不確かにする。身を起こすために触れた手のひらの、弾力さで、自分がベッドの上に寝ていたことに気付いた。
 そこまでしないと自分の居場所がわからないのは、そこが、今まで見てきた部屋のどれにも当てはまらないためである。
 全てを封じ込めるような四角く囲まれた部屋。唯一の明り取りである窓は、天井近くに設置されているが、人一人くぐることもできないほど小さな、はめ込み式のそれは、無粋なほど太い格子で塞がれていた。
 おそらく地下室なのだろう。はっきりとわかっているわけではないが、肌が透けるほど薄い着物ひとつまとっただけのその青年は、息も白くなる部屋で、静かに呼吸をする。
 身体が震える。
 寒さのため………そう思いたかった。けれど、違う。青年は、恐れていたのである。いまだにこの場所にいるために行われるだろう行為に。
 逃げ出したい。
 ベッドの上で強く握られたこぶしは白い。強く、強くそう思うものの、それは無理であることは、ここ数日で、よくわかっていた。
 唯一の出入り口である扉は、歯痒くなるほど強固で、自身の必殺技である『眼魔砲』を打ち込もうともビクともしない代物だった。周囲の壁にも目を向けたが、地下室であれば、壁をブチ破ったところで脱出は不可能である。天井という手も考えたが、扉と同じ仕様なのか、破壊することはできなかった。
 なぜ、こんなことになったのだろう。
 考えても、わからない。
 気がついたときには、すでに自分は彼の人に捕らえられ、そうしてこの地下室に―――どこに存在していたのかさっぱりわからないが、脱出不可能な部屋に閉じ込められてしまった。
 どれほど懇願しようとも。
 どれほど泣き叫ぼうとも。
 彼の人は、決してこの部屋から自分を出そうとはしなかった。



『蜘蛛は、ようやく恋焦がれた蝶を捕まえたのだから』



 自身が横たわっていたベッドは、真っ白なシーツでつつまれていた。自分が眠りに落ちる前には、そんなものは存在しなかった。しかし、目が覚めると、真新しいシーツにつつまれていた。それは、忘れかけた外の世界を思い出させてくれる。けれど、青年は、その白さから目をそむけた。
 その場所が、自分を優しい記憶から遠ざける。ぎゅっと目をつぶるが、それが仇となり、そこで行われた数々の羞恥の記憶がフラッシュバックする。
「ッ……」
 赤い染みを散らし、完璧な白さを失ったシーツを波打つように乱しながら、淫らに喘ぐ自分。さらにその上から覆い被さるようにして自分を組み敷いた彼の人の姿。新品のシーツ独特のかすかな匂いを持っていた寝具は、どちらともいえぬ吐き出された体液で、すえた雄の匂いに染まっていた。
 だが、身体中から溢れ出た体液で汚されたシーツは、今はどこにもない。それでも、記憶はありありと残り、自分の心を苛んで行く。
 いったい、それはいつまで続くのだろうか。



 ―――カタン。

 小さな物音と人の気配。
 青年は、振り返りもせずに、びくっと身体を大きく震わせた。
 パチン、と小さな音がして、部屋の中が明かりに満たされる。けれど、その光はさほど強くはなく、周囲をぼんやりと照らす程度だった。それでも、暗闇に慣れた瞳には眩しい。シンタローは、目を細め、与えられた光に耐えた。
「シンタロー」
 自分の名を呼ぶ彼の人に、シンタローと呼ばれた青年は、ゆっくりと振り返り、そうして闇夜を映す深い湖のような漆黒の瞳に彼の人の姿を映した。
「マジック………」
 トクトクと急激に早まる鼓動を押し隠し、シンタローはマジックを見つめた。
 以前と変わらぬ様子で佇むマジック。場所さえ違えば、普通に彼を父親として接することができただろう。しかし、今のシンタローには、それができなかった。
 身にまとっていた着物の襟を合わせ、中央に置かれたベッドから下りる。そのまま、本能のように彼から距離を置いた。
 どうして………。
 壁に背中を押し付けたシンタローは、まだ今の状況が理解できていなかった。
 いまさら、なぜこんなことをするのだろうか。
 今まで自分達は、親子関係を保っていたはずだった。確かに、多少常識を逸したところもあったかもしれないが、それでも父と子の関係は変わらなかったはずだった。
 いったいどこで狂ってしまったのだろうか。
 


『蝶は知らない。自由に飛び回るその姿に、蜘蛛は恐れを感じていたことを。いつか、自分以外のものにその身が捕らわれるかもしれないという恐怖に怯えていたことを』
  


 マジックは、シンタローに魅入っていた。
 わずかな明りの中で、闇とは違う、はっとする輝きをもらす黒髪の髪に、薄明りのせいで艶かしく揺れてみえる黒い瞳、そうして、薄闇の中でも浮かび上がる白い身体。着物に隠されているが、むき出しになっている僅かな箇所からも、所有印が見られることにマジックに愉悦を与え、欲望を掻き立てる。
 マジックは、中央のベッドへと足を運んだ。鈍い光を放つ電灯の真下。ここならば、捕らえた愛しきものの表情を眺められると考えて設置したのだ。
「来い」
 ギシリと音を立てて、ベッドの上に腰を下ろし、シンタローに命ずる。
「ヤダ」
 シンタローは、震える手で着物を掴み、きっぱりと言い放つ。傍によれば、何が起きるのかなど、とっくに教え込まされている。
 しかし、シンタローの拒絶の言葉に、薄っすらと笑みを湛えていたマジックの表情が変わった。
「来い!」
 さらに強い語調でそう言い放つと、素早く立ち上がり、壁際に寄っていたシンタローの手首を力任せにつかみ、ベッドの上へと引っ張り込んだ。
「はなせっ! もうイヤだ。やめろッ」
 手足を無意味にばたつかせる抵抗は、なんなく組み敷いて無効にさせた。二、三日まともに食事をさせてないために、体力が激減しているのだ。それでも、相手は反発することをやめない。
 だが、それを煩わしいなどとは思わなかった。その姿さえも、美しくみえ、マジックの情欲を高ぶらせるものでしかない。



『蝶は自身の美しさなどわかるはずもなく、捕らえられる意味など知らずに、その身の自由を奪われる』

 

 シンタローは、どんどん自由を失っていくなかで、唯一自由である瞳に、力を込めて、マジックをにらみつけた。 
「俺は、あんなことしたくないっ」
 あんな、女にするようなことを、俺にさせるなんて。
 マジックが毎晩自分に行う行為は、どれほど愚かしいものかわかっているのだろうか。あれは、本来ならば異性とおこなうべきもの。子孫繁栄のためにおこなう行為を、なぜ同性にするのか、シンタローにはわからなかった。
 おかしい。マジックは、狂ってる。
 必死に抵抗するシンタローに、マジックの目が、笑みを作るように弧を描き、そこに残忍な光をうかばせ、シンタローとの距離を縮めた。
「っ!」
 噛み付くようなキスが与えられる。そのすべてを貪るような、口付けは、深く舌を絡めさせ、息する隙間さえも与えずに吐息さえも食い尽くされる。
「やっ…………」
 ぞくりと背筋に悪寒を覚え、それに抗いながら、空気を求めて喘ぐシンタロー。こんなのは気持ち悪いとしか思えない。なのに、それは執拗なほど長く深く、自分を追い詰めていく。
「………ぅん………はぁ………っ。こんなのやめろっ!」
 ようやくマジックの身が引いた時には、すでに呼吸は荒く、シンタローは肩で息をしていた。すでに、着物はだけ、覗く肌はほんのりの薄紅色に染まり、目じりには涙を浮かべ艶が溢れた、そそる姿。肉食獣のように、極上の獲物の前にごくりとのどの奥で、それを鳴らしたマジックは、キスの余韻を味わうように、唇を舌でなめる。
「こんなのとは?」
 嘲笑と思えるほど残忍な笑みを浮かべて、うそぶく台詞。
 それに、止めることなどできるはずがない。これほどまで、追い求めた存在が、今目の目の前にいるというのに。
「………こういう事だ」
 マジックの欲望に彩られた瞳に見据えられるのが恐ろしいのか、ふいっと横を向くシンタローに、マジックは、くくっとノドを引き攣らせるように震わせ、そっと近づくと、目の前に向けられた耳の後を舌で撫ぜた。
「わからんな」
 そう言って耳元で呟かれる低くかすれた甘い声。
「っ!」
 その声に、なぜか背筋に甘い痺れが走る。耳を抑え、かっ、と羞恥でされに赤く染める肌に、マジックは楽しげなものを見るように、キュッと目を細めた。
「それに、逆らうなって言ったはずだ?」
 抵抗するたびに、その一つ一つを抑えられ、お仕置きとばかりに、深いキス。
 シンタローは、舌を入れられることに、まだ抵抗があって、嫌がるのだが、だからこそ、仕置きのしがいがあるとばかりに、淫靡な音を立てて舌を絡めてくる。
「っ………はぁ」
「―――少しぐらい慣れないのか?」
 いまだキス一つするだけ、息を荒くさせるシンタロー。
 けれど、それは初々しく、口付けによって熟れた唇は、誘うように半開きになり、目元は真っ赤に染めあげ、とろりとしたぬれた眼差しをこちらに向ける姿は、ひどく人を煽るもので、マジックは、知らず知らずにこぼれる笑みを抑えきれぬまま、呟いた。
「そろそろ、始めようか―――」
 恐怖に怯え、シンタローの引き攣るような悲鳴に、マジックはふわりと笑った。




『捕らわれた憐れな蝶の命運は、すでに蜘蛛の手の中に―――全ては蜘蛛の意のままに』



 二度と見たくないと思った。
 だから、手を伸ばす―――恐れを捨てて。
 



 その背中を見送ることには慣れていた。いつも自分を置いていく、その背中。振り返ることなく、常に自由に飛び立っていた。
 いつからだろう、その背中を見るのが苦しくなってきたのは。自分を省みらないその背中に、自分の存在を気付いて欲しくて、触れようと手を伸ばし始めたのは。
 けれど、いつも触れる一歩手前で、それは止まっていた。いつも追いかけるつもりで、最後は失速し、足を止めていた。
 
 なあ、気付いている? 俺の存在を。
 俺が、ここにいるということを。その背中の先にいることを。

 尋ねたかったけれど、一度もそれは成功したことはなかった。なぜなら、彼にとって自分の存在などちっぽけなものでしかなかったから。一度も対等に、自分を見てもらったことはなかった。
 彼にとって自分はいつだって小さきもの。幼い子供であるに違いなかった。
 だから言えなかった。
 その背中を捕まえて、自分も一緒に連れていって欲しい―――などと。
 きっと、幼い我侭と思われるだろう。それが嫌だった。何よりもひとりぼっちにされる寂しさから、誰彼構わず傍にいて欲しいとぐずるのだとは、決して思われたくなかった。
 だから、ただ見送るだけだった―――その背中を。
 涙を堪えて、唇を噛み締めて、強がってその背中を見送るのだ。

 なあ? でも、本当は嫌なんだ。
 いつもいつも心が引き裂かれそうな思いになるのは、嫌なんだ。

 想いの一部は、いつの間にか相手の元へといってしまった。だから、離れれば、その分引き裂かれる痛みがます。
 もう、その背中は見たくない。痛みは増すばかりで、苦しみは増すばかりで、いつかその背中を、自分は消してしまわないか怖かった。去っていく背中を見たくなくて、自分の方からそれを消してしまわないか不安だった。そんなことをすれば、自分とて存在出来なくなるのに。
 だから………。

 なあ、もういいだろうか。
 
 時は満ちただろうか。
 自分は小さな子供ではない。いつまでも背中を追いかけるばかりの幼子ではない。そこに立ち止まっている理由はない。






 シンタローは、その腕に白い花で埋め尽くした。今朝方摘み取ったばかりのそれは、強い芳香を漂わせる。花瓶に差していたそれを、無造作に引っ張り出し、全てを抱えて走った。
 ついさっき、久しぶりに再会したばかりだというのに、再び去っていく、その背中。その背中へと向かって走っていく。一生懸命に、追い求める。
 近づく背中。大きくなる背中。それは、壁のように自分の前に立ちふさがるけれど、足は止めなかった。もう、自分は子供ではない。そう言い聞かせて。

「ハーレム!」

 その背中が振り返った瞬間、シンタローは持っていたその花を相手の顔目掛けて、降り注ぐように放った。
 花の中で見え隠れするその顔へ向かって、叫んだ。

「決めたからなッ! 今から、俺はお前と一緒に行く。―――この花に誓って」

 驚いた表情の相手に、シンタローはそのまま抱きついた。背中にではなく、胸に。もうその背中は見たくないから。
 そして、しっかりと受け止めてくれた相手に、宣言する。

「否は、ねぇからな!」

 ダメだといっても聞かない。もう誓ってしまったから。足元に落ちる可憐な白い花達に。
 放り投げたのは、ジャスミンだ。ジャスミンの花言葉は『私はあなたについていく』だからもう、離れない。一緒にどこまでも行くのだ。
 相手の呆然とした顔が、不意にくしゃりと崩れるような笑みに変わった。

「それなら、言うことは一つだろうな」

 ふわり、とシンタローの身体が浮かぶ。抱きかかえられるようにされて、相手の顔が近づいてくる。
 とくとく、と高く鳴り響く鼓動。そんなものにお構いなしに、真夏の空のような深い青い瞳が迫る。
 逃げ出したくなる心を押さえつけて、ひたと相手の瞳を見据えれば、真摯な口調で告げられた。

「俺と共に―――来い」

 それを耳にしたとたん、自分の顔が幸せで彩られる。答えが怖くて瞑っていた瞳が大きく開かれ、泣きそうになるのを我慢するためにへし曲げた口元が開かれ、顔全体が緩む。
 破顔一笑。
 その言葉に相応しい満面の笑みを浮かべ、そして、歓喜の声をあげた。

「もちろんだ!」
 
 二度と背中を見ずにすむ。呼応するように返事を告げたシンタローに、止まっていた時が動き出す。
 誓いの証のように触れられる唇。ジャスミンが甘く香る中でシンタローは、それを受け止めた。



 大きな背中。
 初めて見た時から、憧れを抱くように見つめていた。











「ついてくるな」
 一目見て、気に入った広い背中。
 その背中に触れてみたくて、一生懸命追いかけていたら、いきなりその背中が振り返られ、そういわれた。 
 そっけない言葉。 
 冷たい態度。
 すごむように相手はそう言うと、またくるりと前を向いて、行ってしまう。
 だから、慌ててまた追いかけ始めた。
 そこで諦める気は、シンタローにはなかった。



 シンタローがその背中を見つけたのは、父親のいる総帥室の前でだ。
 それまでは、従兄弟のグンマと部屋で遊んでいたのだが、ちょっとした事で喧嘩をしてしまい、とたんに遊び相手がいなくなってしまった。
 だから、退屈を紛らわそうとガンマ団本部を散歩していたら、その背中を見つけたのである。
 父親や大好きな叔父さんに良く似た髪を持つ男。
 シンタローからは背中を向けていて、顔は見えない。
 それでもなんとなくその背中は、とっても暖かそうに見えて、それに触ってみたくて、シンタローはその背中を追ってついていく。
 どのくらいまで追いかけていっただろうか。
 一度だけ、「ついてくるな」といわれたけれど、諦めきれなくて、ずっと背中を追っていた。
 けれど、小さな足では大股で歩く目の前の男についていくのは大変で、半ば駆け足で歩き続け、息が切れてきた時、その足が不意に止まった。
 ビックリしつつも、シンタローも足を止める。
 すると、その背中がくるりと回った。
「あのなあ、俺は忙しいんだ。どこのガキだかしらねえが、遊んで欲しいなら他のやつにしろ」
 太い声に機嫌の悪そうな怖い顔。
 けれど、シンタローは怯えて逃げ出すことはしなかった。
「ガキじゃない。僕、もう4つだよ」
 首が痛くなるほど相手を見上げ、シンタローはそう言った。
 男は、威風堂々とした態度で、シンタローを見下ろしている。その風貌はなんとなく獅子舞にていて、子供の目から見ても、決して優しそうには見えない。むしろ怖いといった方がいい風貌だ。
 けれど、シンタローは彼に恐れることもなく、見上げていた。
 それが不思議だったのか、男は、顔を顰め、頭をかきながらも、その場にしゃがみ込んだ。
 シンタローと視線を同じ高さにすると、その顔に小さな笑みを浮かべてみせた。
「十分ガキだろうが。まったく、どこのガキだ? 俺が怖くないのかよ」
「どうして?」
「どうしてって………まあ、いいけどな」
 自分の顔が子供向けではないことを自覚している男だが、しかし、そう言われてしまえば、説明するのも躊躇われる。自分の顔を獅子舞似だからだのナマハゲ似だからだの言えるはずがない。
 それを誤魔化すように、男は、ポンとシンタローの頭にその大きな手のひらを乗せた。
「ガキ。名前は?」
「シンタロー」
 その手がなんだか嬉しくて、元気良く名前を告げると、男は、一瞬妙な表情を見せた。
「お前が、兄貴の…」
「兄貴?」
 意味がわからなくて、首をかしげて見せると、男は、頭に乗せたままの手をぐるぐると動かして、シンタローの髪をかき混ぜてくれた。
「ああ。俺は、お前の父親のマジックの弟でハーレムって言うんだよ」
「パパの弟のハーレム? じゃあ、サービス叔父さんの弟にもなるの?」
「違う。あっちの方が弟。俺はサービスの双子の兄だよ。わかったか?」
「う~んと。……パパの弟で、サービス叔父さんのお兄ちゃん?」
「ま、とりあえず正解だな」
 くしゃくしゃにされた頭をぽんぽんと優しく叩かれて、シンタローはにっこりと笑うとハーレムも笑ってくれた。
「で、俺に何か用か?」
 そう聞かれて、シンタローは忘れていたことを思い出した。
 自分が彼についてきたのは、こうして相手をしてもらいたかったからではない。
「…………背中」
「あん?」
「背中が温かそうだから…触りたかったの」
 ハーレムがパパの弟で、サービス叔父さんの兄だと聞いて納得できた。
 初めてあったけれど、その背中は、二人にとてもよく似ていたのだ。
 だから、その背中に触りたかった。大好きな人達と同じ背中だから。 
 けれど、シンタローの言葉はハーレムとっては以外だったのだろう。怪訝な表情を浮かばせ、首を捻じ曲げ自分の背中を顧みたりしていた。
 もっとも、振り返ったところで、自分の背中に変わったところはないし、暖かいとも思えない。
 それでも、この背中に触りたくて、小さな子供は追いかけてきたのである。
「背中にか? 妙なやつだな。まあ、いい。ほら」
 そう言うと、ハーレムはシンタローに背中を向けた。
「?」
 けれど、その意味がわからなくて、戸惑っていると、後ろに回された手が、ピコピコと動いた。
「触りたいんだろう。ほら、背中に乗れ。疲れるから遠くまでは運んでやらんが、お前の部屋にまでは連れて行ってやる」
 つまり、おんぶしてくれるというのだ。
「いいの?」
 シンタローは向けられたその背中を戸惑うように見つめた。
 けれど、そんなシンタローにすぐに暖かな言葉が返ってきた。
「ガキは、いらん遠慮はするな。気が変わらんうちに乗ったほうがいいぞ」
「うん! ありがとうっ」
 シンタローは満面の笑顔を浮かべるとその背中に抱きついていった。
「どうだ?」
「すっごくあったかいっ!」
 思ったとおり、大好きな人達と同じように優しい暖かさに満ちた背中を堪能して、シンタローは嬉しそうにその背中に顔を寄せる。
「当然だ。俺様の背中だからな」
 自慢げにそう言うハーレムの背中に揺られながら、シンタローは憧れの背中にずっと見つめていた。

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