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ku



お気に召すまま
赤や青、緑の裾が翻る。
袖に染められた蝶や鳥が青い空に羽ばたいている。

スーツの波の中にところどころに黒や灰色、濃い紺色の布が混じる。


今日は成人式だ。

画面の中の、澄み切った青い空の下ではしゃぐ若者を見てシンタローは微笑ましそうな目をしていた。
ときおり、懐かしむ表情をしたのはきっと数年前の自分のことを思い出した所為だろう。
今年の目標だとか、大切な人へのメッセージというインタビューに答える若者に従兄弟はじっと見入っていた。





今日起こった事件の数々や国際情勢、スポーツ、天気予報が終わると再び画面に色とりどりの着物が映った。
穏やかな音楽とともに「それではまた明日」とナレーションが入る。
画面は切り替わり、賑やかなまでに仰々しいCMが流れ始めた。




正午きっかりにはじまるバラエティ番組を見ながら、俺とシンタローは食事にした。
何回言ってもシンタローは食事時にテレビを消すことをしない。
ときには口にものを運ぶよりも、テレビに釘付けでいるときが多いくらいだ。


成人式にちなんだクイズやらトークが繰り返される中、ちらりと映った観覧者の中に晴れ着を着た女性がいた。
あまり、十九、二十歳には見えない。
不思議に思うあまり、シンタローに尋ねてみる。


「今日は成人なら誰でもキモノを着るのか?」
すると、シンタローからは「はあ?」っと訝しげな声が返ってきた。

「さっき映った女がどうみても二十歳くらいじゃないんだ」
着てもいいのか、と聞くとシンタローは少し悩んでいた。



「親とかならいいんじゃねえ?」
「……子どもがいるような年でもなかったぞ」


う~んと考え込んだシンタローは、結局はどうでもよくなったのか「着たければ着せてやれよ」と言い捨てた。

「着物なんて今時、七五三と成人式くらいなんだからな」
と続け、彼は再び視線はテレビに向けたままパスタに格闘し始めた。











シンタローが皿やフライパンを洗う間、俺は洗い終わった食器を拭いて片付けていく。
洗剤の泡や湯がかからないように、シンタローはエプロンをかけていた。



そういえば、シンタローは正月の間もこのエプロンをかけておせちを作っていたな。
今年はずっと洋服で、和服を着ていなかった。



「キモノ…」
「なんだよ?また」
着ないのか、と横にいるシンタローに尋ねると彼は着ないとそっけなく答える。

「とっくに正月って気分じゃないしな」
今日は成人式だから関係ないし、と言い、最後に手を洗ってから彼はエプロンを脱いだ。
軽くたたんでキッチンのサイドテーブルに置く。

「正月だって着なかっただろう」
「そういう気分じゃなかったんだよ」

なんなんだ、それは。

「これだけキモノが溢れているのにお前が着ないのは物足りないな」

「親父みてえなこと言ってるんじゃねえよ」

伯父貴もそう思っていたのか。
余程しつこく伯父貴に着てくれとねだられたのか、シンタローはいやそうな顔をしていた。

「だいたいそんだけ人に勧めるんなら自分も着ろっつうの」


伯父貴には和装は似合わないと思う、そう真っ先に思ったが口にはしなかった。
いや、口にできなかったという方が正しい。
目の前の従兄弟がらんらんと目を輝かせている。
なにかよからぬことを思いついた顔だ。

「……シンタロー?」

本能的に危険を感じてあとずさると彼はにやっと笑って俺の肩を掴んだ。


「お前の着物姿見たことないよな?たまには着てみろよ、キンタロー」






***





鏡の前の俺はシンタローの黒い和服を着ている。
そして、それがとてつもなく似合っていない。違和感すら感じた。
馬子にも衣装という言葉で誤魔化すことも出来ない。
想像上のマジック伯父の和装と同じく、金髪碧眼が浮いて見える。シンタローのしっとりとした黒い髪とは大違いだ。



「…もういいだろう」

早く脱ぎたい。
金色の髪と黒い布が互いに主張しあっていてアンバランスだ。
体格は対してシンタローと変わりがないのに肩も袴から伸びた足もなんとなく似合っていない。
ちぐはぐな感じしかしない。
着せてる最中も着せた後もずっと俺を見ていてシンタローはなんとも思わないのだろうか。
じっと頭のてっぺんから爪先まで何度も見返していた。

「おまえ、けっこう和服も似合うんだな」
すらっとしててモデルみたいだな、とシンタローは耳を疑うようなことを口にした。


なにを考えてるんだ、シンタロー。
高松に視力検査をしてもらったほうがいい。
どこがだ、と眉を寄せるとシンタローが指で眉間をぐりぐりと押す。

「そんなカオすんなよな。せっかくカッコいいんだからさ」

「……」

「そうだ!写真撮ろうぜ、写真。正月のフィルム残ってたよな」

こんなもの記録に残さないでくれ…。
しかし、その願いが通ることはなく俺はシンタローに写真を撮られた。
最悪だ。きっと引きつった顔をしているだろう。
携帯でもデジカメでもないのが惜しい。
出来上がったらネガごと焼き払いたい気持ちになるに決まってる。
きっと、シンタローのことだ。俺の前に映っている正月の写真と一緒に皆に見せるにちがいない。

おまけにシンタローはさらに引きつるような提案をする。

「どうせなら街まで出てみようぜ」
せっかくだし、と従兄弟はにやにやしながらありがたくないデートの誘いを口にした。


「どう見ても二十過ぎの外人がキモノを着てか?」
勘弁してくれ、行くのなら着替えると言うとシンタローは「ダメだ!」と笑う。

「おまえ、今年五歳だろ?ちょうど七五三って理由があるじゃねえか」

それはそうだが…。って、シンタロー。俺は事情を知らないヤツには五歳に見えないぞ。幼児退行もしていないし。
ましてや七五三もこのキモノと同じく似合わない。
けれども、シンタローはいいことを思いついたとばかりに俺の意見を聞かずに壁に下がったコートをとり、マフラーを探し始めた。

「おい…シンタロー」
まだ、行くとは言っていないという言葉は口にする前に、彼の口からまた新しく追加された提案でかき消される。

「そうだ!甘いもん食いに行こう」
七五三には早いから千歳飴の代わりだ。
新しく出来たカフェにせっかく休みだから行こう、とシンタローが俺の手を引く。



引っ張られて、馴れない袴で足が縺れそうになる。
テレビで見た新成人のようにシンタローが屈託のないまぶしい笑顔で俺を振り返った。


「たまにはいいだろ?着物でデートも」

いや、よくない。シンタローがキモノだったら言うことはないんだが。


「カフェには洋服の方がいいだろう」

汚したら大変だ、雰囲気に合わない、歩きにくいんだといろいろな理由を言ってもシンタローは取り合わない。



「キンタロー、早くしろよ」


早く早く、と急かされ玄関まで追い立てられる。
あっというまに草履を履かされてしまう。
ここまできたらもう止められない。後はもうシンタローの計画通りになってしまう。


仕方ないな、とため息をつく。

本当に、仕方がない。
言い出したら聞かないシンタローも、彼の思いつきに反対できない自分も。

本当に仕方がない。

だが、まあ、不本意だが今日も付き合うとするか。
久しぶりに二人で出かけることだし。




「せめて写真は勘弁してくれ」
懇願するとシンタローは笑った。

「却下!せっかくのデートだから記念に残しておかないとな」


ああ、もう仕方がない。



「ほら、行くぞ。キンタロー」

ドアを開けるとまぶしい光と青い空が広がった。



  
初出:2004/01/09
ヤシロナナ様に捧げます。

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チェリーの雫
ぱしゃ、となにかがすぐ傍で弾ける音がした。
ふわっと立ち上る甘い香り。

何事かと見回すとホールへと続く階段からグラスを持った女性が中身を零したようだ。
俺の髪やジャケットから甘い香りが漂っている。
彼女はちっともすまなそうではない表情で謝っていた。
瞳は憎しみでぎらつかせ、口唇には謝罪の言葉を乗せて。

彼女の謝っていた相手は、俺だ。ガンマ団総帥の俺だ。
「シンタロー総帥、大丈夫でしょうか」
部下の言葉には「ああ、平気だ」と平静を装う。青ざめたりしたら、いい笑いものだ。
俺はガンマ団総帥のシンタローだ。付け込む隙は与えられない。
黒い髪からは紅い雫が滴っている。
いつもの赤い軍服だったら染みは余計目立ったかも知れない。

今日のパーティは新生ガンマ団が契約した某政府のお抱え商人が主催したものだ。
政府とレジスタンスとの小競り合いを治めたのが縁である。
政府主催でなく、一応民間の者が主催しただけあって客の大半は血生臭さとは無縁の者たちだ。
はじめから気を使って軍服ではなく黒いフォーマルタキシードに身を包んでいる。
赤い軍服で行こうかと思ったが、キンタローに止められた。
ガンマ団を前面に出すのはよくない。おまえの服は持ってきてある、と同じようにフォーマルタキシードに身を包んでそう言っていた。
アイツは俺と別行動だ。アイツの方は政府お抱えの議員や学者どもとのパーティに行っている。
アイツが止めなかったら、もっと反響が多かったんだろうな。酒じゃなくてナイフだったかもしれない。

暗い緋色の雫は黒に溶け込んでしまって見た目には分からない。
しかし、強い香りとともに髪が濡れてしまっていた。

「このような事は誰にでもあるので、お気になさらず」
失礼、と談笑する人々の背を押すようにして出口へと向かう。
主催者や今後つなぎをつけたい人物にはすでに挨拶は済ませてある。
もともと義理で参加したパーティだ。
途中で帰っても平気だろう。
傍目には、うっかりと階上から零してしまったかに思えるだろう。
だが、着飾った人々が社交的な挨拶を交わす中で俺たちの存在は異色だ。
つい最近まで殺し屋集団だったガンマ団の総帥とその血族。
勿論、今では人を殺めることはないがそれでも薄汚い家業には変わりがない。
彼女は、ガンマ団に対してなにか恨みがあるのだろう。

ドアマンに一応主催者には帰ると伝えるように頼んでおく。
会場の外で待たせておいたSPに車を回させ、ホテルへと戻る。
車中で髪を軽くハンカチで拭ったが、彼女の表情が目に焼きついたままだ。
憎しみでぎらぎらしたまっすぐな悪意と甘い香りで気分が悪い。
部屋に着くと同時にSP共は下がらせた。俺はもう休む。キンタローもそろそろ戻ってくるから、警護はいい。
そういうわけにはいきません、と騒ぐ部下も蹴散らし部屋へ戻った。



纏わりつくような甘い匂いがとても気持ち悪い。
さっさとジャケットを脱ぎ捨てる。それでもシャツの襟の辺りからなんとなくにおいが漂う気がする。
髪もべたついている。
シャワーを浴びることにして、着ていた物はクリーニングに出すことにした。

熱い湯が上から注がれる。固定式のシャワーヘッドのため、俺の頭から足まで滝のように湯が流れていく。
普段なら使い勝手が悪いと感じるだろうが、甘い香りがどんどん流れ落ちていって体が軽くなる。
排水溝へと流れ込んでいく。
備え付けのシャンプーと石鹸の香りが俺の体を包んでいく。
気が張っていた体から次第に力が抜けていった。



シャワーの後、バスローブに身を包んで一息ついていると電子キーを解除する音が聞こえた。



***



義理で参加したパーティとはいえ、なかなか有意義だった。
学者達との話はどれも自分の興味をひくものだったし、議員達と交流を深めるのもそう悪いことではない。
この地での、あるいは国際的にガンマ団の立場を強固なものにするのに役立つ。
そして、それは従兄弟の総帥としての地位をゆるぎないものとさせていく。

パーティで振舞われたカクテルは不思議な色をしていた。
赤を濃くしたような色。従兄弟の軍服よりも濃い。従兄弟の髪色のような濃さをたたえていた。
口をつけるとふわふわと甘い香りが漂った。アルコール度はそんなに高くないのに、なぜが頭がふわふわとする。
この酒は従兄弟のようだ。ふわふわと俺を捉えて離さない。
帰り際にホストに尋ねるとチェリーブロッサムだと答えが返ってきた。
お一人で飲むのならチェリーブランデーがいいかもしれない、と付け加えられた。
たしかにカクテルをつくるのは面倒だ。飲むのだったらそのままがいい。
ホテルに戻る前にその酒を買おうと寄り道することにした。



ホテルに着くとシンタローの部下やSPが下がれと指示されたことを報告してきた。
命令違反だがそうもいかず、ずっとホテルの要所を固めていたとも。
俺がじきに帰るだろうから警護はいいと従兄弟は言っていたらしい。仕方のないヤツだ。
この国は安全とは言いがたいのに。
買い物の最中も何度か不審な視線を感じたくらいだ。ガンマ団に対してよく思っていない連中はどこにでもいる。
シンタローの、総帥命令を聞かなかったとはいえ責める謂れはない。
「あいつには俺からよく言っておく。ご苦労だったな」
部下達はほっとした様子だった。


エレベーターを使って部屋まで向かう。停止したとき、少し揺れて提げた袋から瓶が触れ合った音がした。
部屋の前までたどりつき、ジャケットの中からカードキーを取り出す。袋の中の酒瓶がかちゃかちゃと再び音を鳴らした。
ランプが赤から緑へと変わり、キーが解除されて室内に入ると従兄弟はベッドに腰掛けていた。
バスローブを着ていたからもうシャワーを浴びたのか。随分と早く切り上げてきたのだな、と思う。

「帰ってきたか…」
従兄弟はふぅっと息を吐いた。心なしか口唇が青い。
シャワーを浴びたにしてはおかしい。具合が悪いのだろうか。
「どうした気分でも悪いのか」
同じようにベッドに腰掛けて、額に手を当てると従兄弟からあ、と小さい声が上がった。
当てていた手を掴まれ、下げさせられる。
「どうした、シンタロー。嫌なのか?」
熱はないようだった。けれども口をぎゅっと引き締めている。
「おまえ…なんか甘い匂いがする」
気のせいかもしれないけど。
「甘い匂い?ああ、これかもしれないな」
提げてきた袋から瓶を取り出す。それを見たとき従兄弟の顔が凍りついた。
「それ…」
「チェリーブランデーだ。さっきのパーティで出たのはカクテルだったんだが、これならそのまま飲めるからな。
薦められて買ってきた。おまえと飲もうと思ったんだが」
「悪いけど…俺はいらない」
もう休む、と目を逸らして言う。
「…なにかあったのか」
甘い香りに反応し、瓶を見てからも様子がおかしい。
「なんでもいいだろ」
もう、寝ると従兄弟は言う。それ以上の会話は望まないと全身で否定していた。
立ち上がって背を向け、シーツを剥いでいる従兄弟を後ろから抱きしめるとびくっと体が震えた。
「やめろよ…そんな気分じゃない」
震えて搾り出すように言う従兄弟の耳に口唇を寄せる。
「気分じゃなかったら、そういう気分にするまでだ」
言わないのなら口を割らすまでだ。
ベッドに転がして、従兄弟の目の前に酒瓶を突きつける。
「おまえはこれを見たときおかしかったな」
キャップを捻って、一口呷る。甘い香りが口腔に広がった。


「なにがあったか知らないが…俺が変えてやるよ」
この酒の印象変えてやる。
しっとりした長い髪を掴んで引き寄せる。そのまま口づけると従兄弟はぎゅっと眉を寄せた。



何度も酒を呷り、従兄弟に流し込んで甘い香りに酔わせた。
酒の力を借りて何があったのか口を割らせると、この甘い香りを嗅ぐと悪意を持った人の顔が浮かぶと啜り泣いた。
カクテルをかけた女性だけではなく今まで殺した人や壊した町の人が浮かぶと。
「おまえの前にいるのは俺だけだ。他にだれもいない」
緋色の酒を流し込み、俺は何度も言う。

「シンタロー、辛いときは俺を思い出せ」
何を見ても、何があっても俺のことを思い出せ。
俺のことだけを思い浮かべろ。

自分の独占欲を刷り込むように、俺は何度も従兄弟に言う。
がくがくと揺さぶられながら、従兄弟は何度も首を上下に振った。






目覚めるとシーツには数滴、紅い雫がこぼれていた。


圧し掛かるようにして昨夜はベッドに押し付けていた従兄弟はいない。
シャワーの音がする。とっくに起きて仕度をしはじめたのだろう。今日は工場の視察を行う予定だった。
脱ぎ散らかして床に投げ捨てていたフォーマルタキシードは従兄弟の手によってランドリーボックスに入れられていた。
水音がやみ、しばらくすると髪をドライタオルで包み上げ、下着だけ身に着けた状態で戻ってきた。
石鹸の香りがチェリーの香りと入り混じる。
「今日はスーツだったよな」
いつもどおりの従兄弟に戻っていた。
ああ、と髪をかき上げながら立ち上がるとベッドメイクそのままの綺麗なベッドが目に入った。
「掃除するヤツはどう思うだろうな。二人の男が一つしか使ってないんだぜ」
従兄弟が恨みがましい目で見ている。
「酒がこぼれてるし、瓶もベッドにあるから夜通し飲んでたとでも思うだろう」
「そういう問題じゃねぇよ。俺はやめろって言ってたんだからな!とっととシャワー浴びて仕度しろよ!」
ああ、これは照れ隠しだな。昨夜は弱気になっていたし。
とくにそれに答えることなく、立ち上がりバスルームへと向かう。歩みを進めるたびに自分の体から甘い香りが漂った。



***



紅い紅いチェリーの雫。
甘くて強い香りがふわふわ漂う。


目覚めると体はキンタローに抱きこまれていた。眠りに深く落ちているため、力は込められていない。
身を捩ると金色の髪が鼻先に触れた。
そっと解いて起き上がると寝顔が見える。
ベッドから降りるとキンタローが脱ぎ散らかした服が目に入った。
床下の衣服をまとめ、ランドリーボックスに放り込む。
シャワーでも浴びるかと着替えを出していると透明な瓶が目に映った。
底の方にわずかに紅い液体が残っていた。


俺のことだけを思い浮かべろ。
何を見ても、何があっても俺のことを。

悪意のかたまりに苛まれることはもうない。ただ、何度も何度もキンタローの言葉が頭に響いてくる。
瓶を見るのをやめても、残り香に包まれているうちに思い出してしまう。

俺のことだけを思い浮かべろ。
何を見ても、何があっても俺のことを。


甘い香りを振り払おうと、キンタローのことを振り払おうとバスルームに向かう。
昨夜のことは礼を言うべきかも知れない。俺は、負の感情に囚われていた。


けれど、言ってはやらない。
いくら正しい療法だったとはいえ、やめろと何度も俺が言ったのに強引にしたのだから。

いつだって俺はアイツのことを思い浮かべる。
何を見ても、何があってもキンタローのことを。

けれど、それは言ってはやらない。
シャワーを捻ると熱い湯が注いでくる。甘い香りが排水溝に流れ込んでいく。


流れていく香りとともにあいつに言うべき言葉を一緒に洗い流す。
言ってはやらない。

俺がアイツのことをいつでも思っていることは。





  
初出:2003/10/26
桜寿様に捧げます。

kyt



Sweet pervasion
その報せを聞いたとき、従兄弟は「そうか」とただ一言ぽつりと漏らした。

仕官学校時代、従兄弟と肩を並べていた友人が戦地で生を終えたらしい。
アラシヤマやミヤギといった刺客衆と違って部隊で行動していたそうだ。
新生ガンマ団となってから殺生は禁止している。
各地で請け負った任務も不殺という制約の元では手こずることも多かった。

そして戦死の報。
その場には部下もいた。従兄弟は友人の死を知っても泣くことは許されなかった。
従兄弟はガンマ団という巨大な組織の総帥だ。総帥として隙を見せることも、情を出すことは許されない。
そのほかの報告も併せて部下から聞き終えると、従兄弟はただ一言下がれと口にした。



総帥室に静けさが満ちる。
漠然とした不安を孕んだような空気が従兄弟から感じられる。
下がれと部下に命じたとき、従兄弟の声は硬さも感傷も滲んでいなかった。ただ、いつもどおり返事をしていた。
他人の目の前で従兄弟は総帥らしく振舞おうと努力している。目に見えない努力ではない。
昔から従兄弟を知る者たちは、変わったとか責任感が出てきたんだなと口にした。
総帥位に就いてから、従兄弟はかつてこの部屋で権力を振るった伯父のように振舞うようになった。
不殺を布いてからは組織の足並みを乱す叔父を離脱させ、汚い駆け引きも厭わなかった。
叔父に、従兄弟にとっては父である人間に近づこうと一生懸命だった。
立ち止まることを、何かに囚われることはなかった。


「シンタロー」
声をかけると上ずった声でああとだけ返してくる。
「シンタロー」
もう一度声をかけると従兄弟はようやく顔を上げた。
返事をする代わりに、椅子から立ち上がり窓へと向かった。
従兄弟がブラインドを落とす音が室内に酷く響いた。差し込んでいたオレンジ色の光が階段状にきれぎれに入ってくる。
光が眩しかったからと言い訳する従兄弟の目には涙が溜まっていた。
眼が痛いと言い訳するように軍服の袖で拭う従兄弟に胸が痛くなる。
従兄弟はもう人前で泣いてはいけないのだ。
従兄弟のいる窓際へと近寄るとオレンジ色のぬるい光が肌を照らしていく。
心に不安を呼び込むようなぬるい温度と警報機のような色に眉を顰めながら歩み寄る。
オレンジ色の光を背に受けて、従兄弟は虚空をじっと見つめていた。
前に立っても視線を合わせることなく、彼はぽつりぽつりと話しはじめた。

「とくに仲が良かったわけでもなかった。島から帰ってきてからは、あの4人とつるむことが多かったしな」
俺、友達多かったし。
懐かしむような、それでも辛そうに思いを馳せる従兄弟に俺は何も言えない。

「今まではとくに気にしていなかったんだ。激戦地から戻ってこないやつがいても実力だと思っていた。
だけど、あいつの部隊を送ることを決定したのは俺なんだ。総帥の俺なんだよ」

俺が殺したんだ、と従兄弟は呟いた。
慌ててそんなことはないといくら言っても従兄弟は頭を振るだけで聞き入れない。
俺が殺したんだ、俺があいつを殺したんだ。
ヒステリックに繰り返す従兄弟の眼には涙が溜まっている。
オレンジ色の光が差し込んでくる所為か涙は赤く映って見える。
黒い瞳から、血のような涙が滲みはじめていた。
なだめるように彼の頬骨を撫でても、はりつく長い髪を梳くように流してもおさまらない。
怖いと、従兄弟は口にした。怖いと怖い、と何度も何度も口にした。
慄いた色を黒い瞳に宿し、震える体を自らの腕で抱きしめながら。
「知っているやつが死ぬなんて考えもしなかったんだ」
怖いよ、と従兄弟は慄く。
まるで夜に怯える子どものようだ。手探りの暗い闇に慄く子どものように従兄弟は震え続けている。



「俺しか見ていない。泣いてもいいんだ、シンタロー」

お前は総帥なんだ。部下の前では弱気を見せるな。
涙を見せるのは俺の前だけにしろ。

泣いてもいいんだ、と言うと従兄弟はびくりと肩を震わせた。
泣いてもいいんだ、シンタロー。

肩を震わせて従兄弟は堰を切ったように嗚咽した。







ひとしきり従兄弟が俺の前で涙を流した後、俺は従兄弟に今日はもう休めと言った。
休めない…仕事があるとくぐもった声で従兄弟が言っても相手にはしない。
今日は従兄弟は仕事にならないだろう。
総帥室からの内線電話はすぐにティラミスに通じた。
今日はもう誰も通さないようにと指示し、すぐに通話を切る。

なかばひきずるように彼を執務室の奥にある仮眠室へと連れて行く。
泣きはらして黒目を縁取るように赤くなった目。赤みが差した頬。
こんな姿を他の人間に見せることなどできない。
情を見せる従兄弟を部下に晒すことも弱気になっている従兄弟を身内に託すことも。
前者は従兄弟の立場からは許されない。後者は俺が許すことが出来ない。
従兄弟を慰める人間は、彼のすべてを理解する人間は俺だけでいい。
ほら、と促し眠るように指示をする。
「仕事のことは心配要らないから休め」
お前には休養が必要だ。
あとのことは俺がやっておくから。
言い聞かせるながら従兄弟の睫から涙を拭ってやるとそのまま手を掴まれる。
「…シンタロー?」
どうしたのか、と口を開く前に視線がぶつかる。
従兄弟の黒い瞳。焦燥と惑いと深い哀しみとが詰まった黒い色。いつもの明るい光を宿す黒ではない。
闇のように深く深く沈んでいく色に、視線は深い黒に吸い込まれていく。
まるで従兄弟に囚われるかのような錯覚が起きていく。

「いてくれよ」
従兄弟の言葉は呪文のようだ。
俺を捕らえては離さない。タチの悪い罠の様に絡めとられていく。
ここにいてくれと願う彼に逆らうことができずにただ言うなりになってしまう。
操られるまま従兄弟を強くかき抱く。それでも従兄弟は、
「抱きしめていてくれよ」
もっと、強く。もっと。
身を捩ってしまうくらいに強く抱きしめていても、もっと強くと懇願してくる。
怖いんだ。捕まえていてくれ。
怖い。怖いよ、キンタロー。
おさまっていたはずの震えを再び取り戻し従兄弟は縋りついてくる。
いてやるから。俺はここにいる。
幾度となく口にしても従兄弟はおさまることがない。
もっと強く。もっと。
抱擁が次第に甘さを帯びてきても、なだめる言葉が口付けへと変わってきても。
変わらず従兄弟は縋りついてくる。もっと強くと壊れた機械のように繰り返し口にしている。
もっと強く。もっと。
  
切なく甘い吐息をこぼしながら、従兄弟は一度だけ違う言葉を口にした。


「お前を確かめさせてくれ」

涙でくぐもった声でそれだけを従兄弟は言った。
俺の体に圧し掛かるように、なかば押し倒される形で寝台へともつれ込む。
私室とは違った硬い感触が背に伝わる。
重みを体に感じ、上に圧し掛かる従兄弟に目をやると震えていた。
怖いんだと口にし、震えている。
お前もいなくなるのが怖い。
譫言のように「怖い」「いてくれ」と繰り返す従兄弟の頭を撫でてやる。
俺はここにいる。ちゃんとお前の傍にいるだろう。
囁きだけでは足りないのか、存在を確かめるように俺の体を抱いてくる。

俺の髪を、眉を、瞼を頬骨を。
喉や肩を、すべてのラインをなぞりながら抱きしめてくる。
噛み付くようなキスを交した後、釦を引きちぎるようにシャツをはがされた。
確かに自分がいた証のように俺の胸や腹に従兄弟の刻印が散っていく。
俺はただ飢えた獣のようにがっつく従兄弟のしたいようにさせていく。

従兄弟が俺の体のあちこちを舐めたり、吸い上げたりするのも。
衣類のすべてをくつろがせて普段は俺が従兄弟に対して及ぶ行為を彼がしていても。
汗と涙にまみれた従兄弟の手が這い回る感触も長い黒髪が腹を刷毛のように撫でることも。
自ら慰めるように従兄弟が受け入れる準備をしているところも、インサートの瞬間も何もかも。


されるがままにされる。
従兄弟がなすまま流されていく。

従兄弟が俺の上で揺れる。ぽたりぽたりと汗と涙をこぼしては揺れている。
自ら俺の熱を奪うように、ぎゅっと絞り上げるように締め付けてくる。
蠕動する内部で反応を返すと従兄弟はふるふると睫を震わせる。
俺のすべてを感じ取るかのように、自分の中にいることを確認するかのように揺れ動く。
疼痛にかまうことなく俺の熱を追い求めてくる。
腹筋だけで上体を起こすと、ひときわ大きな声を上げた。
上体を密着させてやるとすぐさま爪を立ててきた。
熱い痛みが背に走る。抉り取るようなそれに眉を顰めながらも止めたりはしない。
熱い舌を絡めてきた従兄弟がそのまま肩口に噛み付いてきても止めたりはしない。
背にも肩にも俺の中心にも従兄弟が与える熱が疼いている。体中に従兄弟の熱が纏わりついている。
俺の上で従兄弟が切なげに揺れる。
深く深く繋がってゆらゆら揺れていく。
俺は従兄弟に手を貸さない。体を預けるだけで何もしない。

されるがままにされる。
従兄弟がなすまま流されていく。

揺れて絡めて、俺の存在を確かめるように好意に没頭する従兄弟を俺は見つめる。
従兄弟が俺を求めてやまない姿を目に焼き付ける。

揺れて、揺れて。
甘い吐息と喘ぎを熱に乗せて。
従兄弟は俺を求めてくる。


揺れて、揺れて。そして。
荒い息を吐き、涙や唾液をこぼしながら従兄弟が果てると同時に中に俺の熱を注ぎ込んだ。






お前が俺を拠り所にするのならば、いつでもこの体を明け渡してやるから。


繋がったままの姿勢で長い髪を梳きながら心の中でひとりごちる。
彼の中での熱はおさまっても、じくじくと従兄弟が与えた痛みが疼いた。
肩口で息つく従兄弟の髪が噛み傷をぴりりと刺激する。


甘い痛みが俺の体を侵食していく。





  
初出:2003/10/02
エン様に捧げます。

k



Covetous love
「行ってくる」
明日には帰ってくるからそれまでは互いに一人だな。
オフなんだから、お前は少し寝ていろ。


部屋の扉の前でアイツはそう言った。
ほんのひとときの別れではあるけれど、飲みながら夜を過ごしていつのまにか朝方になっていた。
俺が昨夜の片づけをしているときにアイツは着替えていたらしい。
簡単な朝食を出してやったときには、身だしなみをすっかり整えていた。
軍服でいてもラフな格好を好む俺と違ってアイツはきっちりとした格好をする。だから、スーツ姿は珍しくない。
けれど、今朝は学会に赴くためか白衣を羽織っていた。




従兄弟の白衣に釘付けとなってから俺は自分でどんな行動をとったのか覚えていない。
俺と一緒に行動するときはスーツ姿でいても上には軍用コートを羽織るのが常だった。
白衣の彼はたまにしか見たことがない。
睡眠不足とアルコールの吸収とで頭はぼぉっとしていた。
従兄弟の部屋で簡単な朝食を作った記憶はあるが、食事中に何を話したかはまったく覚えていないのだ。

そしてまた冒頭へと戻る。
行ってくる云々と従兄弟は俺を気遣っていた。
徹夜と酒で赤くなった眼に口付けながら、大人しくしていろよとも囁いて。
俺の手に自室の鍵を残して従兄弟は出かけていく。

アイツは今日から学会だ。予定は明日の昼までだとも言っていた。
俺たちはいつもは二人で行動するが、たまに別行動をとる。
俺は総帥としてやらなくてはならないことがたくさんあるし、アイツは科学者だ。
本当なら高松やグンマと一緒に研究室にいるのが筋なんだ。

アイツは俺と一緒にいることを選んだけれど。
俺はいつもアイツが離れていくんじゃないかと不安を感じている。

アイツは高松のことをよく話す。後見人という立場とはいえ、彼の名をよく口にする。
高松、高松、高松、、、、、、

目の前にいるのは高松でなくて俺だ。シンタローだ。
そう思っていても俺は口には出せない。
言ったら最後、アイツが離れていくんじゃないかと思ってしまう。

アイツが白衣を着るのを見るたびに俺は不安になる。
そのまま、俺の傍でなく高松とともに研究室に籍を置くのではないかと、たまらなく不安になる。
自室に戻ってベッドに横たわってからも不安は渦巻いたままだった。





それから一日はとりとめなく過ごした。
今までだってアイツがいないときは度々あった。
そのこと自体に不安はない。一人で過ごすことには慣れている。
俺を溺愛している親父も遠征や仕事で家を空けることが少なくはなかった。
アイツがいない夜が明けて、昼を過ぎ再び再び夜が近づくにつれ俺の不安は増大していく。
いないのは別にいい。心が離れていなければ。
傍にいても俺ではなく他の誰かのことを想っているとしたら。
アイツにとって俺は誰かの代わりだったとしたら。

サービス叔父さんにとって俺はジャンの代わりだった。愛しい親友の代わり。親友によく似た甥。
ハーレム叔父にとっても俺はジャンの代わりだった。憎らしい男の代わり。ジャンによく似た甥。
青い石にとっては番人の影。
親父は俺を愛してくれたけれど、俺は赤の他人だ。
俺なんかよりもグンマヤコタローを可愛がればいいのだけれど。

だけど、俺は影でいたくない。
親父にとっても、アイツにとっても俺は誰かの影でありたくない気持ちが渦巻いている。
俺の所為で不幸になったヤツに幸せになってほしいのに、俺を愛していてほしい気持ちが渦巻いている。
だけど、オレは影でいたくない。
みんないつかは俺から離れていくんだ。

俺が影だから。

影なんかではなく、本物を手に入れて。
サービス叔父さんはジャンを取り戻した。
親父は…離れてはいないけれど二人の本当の息子を手に入れた。
だから、アイツもいつか俺から離れて本物を手に入れるのかもしれない。
影の俺ではなく、高松を。
日が落ちて、夜の色が濃くなっていくにつれて俺の不安は増大していく。
窓からは次第に濃くなっていく闇の色が目に映る。
闇の色。黒い色。影の色。
俺の髪と同じ、高松の髪とも同じ色が部屋へと忍び寄ってくる。
ソファから立ち上がり、ブラインドを落とす。部屋は途端に暗くなった。
外の色は暗くなってきたと思っていたがすこしは光もあったらしい。部屋の闇色が濃くなった。
ドッドッドッと押し寄せてくる不安を抱えながら、室内の光源を片っ端から点けて回る。
部屋に光を取り戻してもなお抱える不安を紛らわすために冷蔵庫からストックしていた酒やツマミを出した。
飲んでいれば気持ちも落ち着くかもしれない。飲んで待っていればアイツを待つ時間も短く感じられるかもしれない。
そう考えて、俺は酒を呷る。呷る。呷る。ひたすら一人で酒を呷っていく。
けれど一人で飲むのは味気ない。いつもは横にアイツが座っていて、楽しいときが過ごせるというのに。
昼はとうに過ぎたとはいえ、まだ夜には早い。
だけど、飲まずにはいられない。不安がちっとも紛れないのに酒に手が伸びる。
酒が不安を流し去ってくれればいいのに。
そう思って幾つも杯を重ねても不安は拭われない。
酒量が増えるにつれ、思考がどんどん淀んでいく。悪い方へ悪い方へと考えてしまう。
いつもなら、アイツがいるときなら楽しいことしか考えられないのに。
それでも俺は一人で杯を重ねていく。
どんどん湧き上がる不安が俺の頭の中を埋め尽くしていく。
アイツのことを考えようとすると、昨日見た白衣の姿が脳裏に浮かんでくる。
白衣のアイツ。高松といるアイツ。
俺の元から離れていくアイツ。
そんなのはいやだ。
誰かの影になるのは、もういやだ。

不安を紛らわせられないまま、ただ酒だけが消費されていく。








「なんだもう飲んでいるのか」
律儀にノックをして俺の部屋に入ってくるなりキンタローはそう言った。
オフなんだから別にいいだろ、と思いつつも「おかえり」と言ってやる。
「随分と飲んだんだな」
俺の分がないな、そう言いながら俺の横に腰掛けてテーブルから一缶手にする。
「遅かったんだな」
時計はすっかり夜の時刻を指している。昼までだといっていたはずだ。
「興味深い発表があってな。終わってからも話を聞きに行ったんだ」
連絡なら入れたはずだが聞いていないのか、とも言う。
昼過ぎから部屋から出ていないと言うと彼は納得したようだった。部下も俺がオフだからあえて伝えなかったのだろう。
「メシ食ったか?食ってないなら作るけど」
テーブルにはサラミやチーズだとか加工していないツマミしかのっていない。
「それだけ酔っ払ってて何を言っているんだ。メシはもう済ませている。高松と帰りに食ってきた」
頬も目も赤いぞ、とキンタローは言う。
あたりまえだろ、酔っ払ってるんだから。そう思いつつも帰ってきたのは嬉しい。
帰ってきてすぐに俺のところへ直行したのだろう。少しの荷物と脱いでたたまれた白衣が床にある。
それはすごく嬉しい。
飲みながら、キンタローは学会で訪れた土地のことを話してくれた。
ルーザー叔父さんの知り合いだった人に会ったとか、発表後に思いもかけない質問を受けたとか。
取り留めない話だけれど、そのなかに高松の名は何度も出てきた。



杯を重ねるにつれ、キンタローも酔ってきたらしい。
酒も話すことも尽きてくると、俺へと手を伸ばしてきた。
くるくると指で俺の髪を弄る。引っ張ったり梳いてみたり。
長い髪がさらさらと彼の指先から零れるたびに俺の頬をくすぐる。
コイツは髪を弄るのが好きだ。俺もコイツに弄られるのが嫌いでないから止めないけれど。
「綺麗だな、お前の色は」
やさしく俺の髪を梳きながら、コイツはうっとりと口付けてくる。
頬にも口唇にもそして俺の黒い髪へも。
啄ばむようなそれはやさしく心地よい。
けれど、そのやさしさは俺だけのものなのか?

コイツが好きだという俺の髪色は黒。
一族には見られない色。
光のような金色とは違って深い闇に沈む色。

黒は高松と同じ色だ。

俺はいつも誰かの影なんだ。
サービス叔父さんにとってはジャンの影。
一族にとっては青い玉の番人の影。
俺は誰かの影でしかない。

俺がいることで親父の息子のグンマが寂しい思いをしてきたように、キンタローが俺の所為で24年間を棒に振ったように。
俺はいつも誰かを不幸にしている。
キンタローも高松を好きなら、彼に想いを伝えればいいんだ。
俺を高松の影にすることなく。


「お前、俺の髪弄るのは高松と同じ色だからだろ」
ああ、言っちまった。だけど、もう止められない。
誰かの代わりでいることは耐えられないんだ。
だが、俺の髪を弄っていたキンタローは手を止めて、
「シンタロー、少し酔いすぎだ」
と極めて冷静に言っただけだった。
そっけない一言。彼らしいといえばそれまでだが、ちっとも気にしていないような態度はムカっとした。
気にくわねぇ。
頭に血が昇っていく。
ああ、そうだよ。俺は酔っているよ。だけどな、もう耐えられないんだよ。
「酔っ払っていたってどうでもいいだろ。俺はお前のなんなんだよ!」
高松が好きなんだろ。だったら俺を代わりにするのはやめろよ。
俺のことなんてどうでもいいだろ。
「どうでもなんかよくない」
手首を掴まれて、ソファに押し倒されるように口を塞がれた。
酔っていた所為もあるのか、熱い舌が絡み合うたびに頭がぼぉっとした。
この熱さに、甘さに流されてしまいそうになる。
「っ…やめろよ、こういうのは高松にしてやれよ!」
無理やり引き離して口を拭いながら怒鳴ると、キンタローは目を丸くしていた。
「何で高松にキスしなくてはいけないんだ」
心底不可解、といった表情。ああ、ムカツク。
「だからっ!お前は高松のことが好きなんだろ」
「好きといえばそうだが、別にキスはしたくないな」
「嘘つくなよ!お前、高松の話しばっかすんじゃねーか!俺は誰かの影なんだよ。
俺とこういうことするのは高松の代わりだからだろっ」
パシンっと音が鳴った。
頬がジンジンする。熱い。
平手で打たれた。痛くはない。なにするんだよ、と抗議するとお前が馬鹿だからだと返ってきた。



「シンタロー、俺はお前が好きだ。キスしてみたいとかそういう欲求がするのはお前だけだ。
お前は高松の代わりじゃない」
ゆっくりと一語一語噛み締めるように口にする。
俺だけ…?とぼやっとした頭で聞くとそうだと返ってくる。俺だけなのか?
「じゃあ、高松は…」
それでも言い募る俺にキンタローは親代わりみたいなものだと答える。
親代わり。たしかにルーザー叔父さんは亡くなっているし、高松はコイツの後見人だ。
じゃあ、俺がこんなに悩んでいたのは…
(馬鹿みてぇ)
うわーうわーと心の中だけで叫ぶ。恥ずかしい。一気に体温が上昇していく。
ああ、もう馬鹿だ。俺はなに考えていたんだ。
「まさか、お前が妬いてくれるとは思わなかったぞ」
追い討ちをかけるようにキンタローが口にしてくる。
ああ、もう思っていても言うなよ。
「そんなに俺は高松のことを話していたのか」
「自覚がねぇのかよ」
笑いながら聞いてきたキンタローに思わずムッととなる。
だいたい、お前がいけないんだよ。俺の前で他のヤツの話をするから。
「それは悪かったな。以後、気をつける」
キンタローの返答はあっさりしたものだった。
ああ、もう恥ずかしい。馬鹿だよ、俺。コイツはそういうヤツだったんだよ。


「それで、シンタロー。誤解が解けたのはいいとして、俺に言うことはないのか?」

ああ、もう分かってるよ。口に出して言えばいいんだろ!

「…疑っちまって悪かったよ。でもな、お前もいけねぇんだよ。
俺だけ見てろよ、俺の前で他のヤツの話なんかするなよ」
酒の所為だけではなく顔を赤くして言う俺に、キンタローは口唇だけでなく目の奥も笑っていた。
ああ、もうムカツク。
俺だけかよ、お前のことが好きで仕方がないのは。

「お前は酒が入ると素直になるな」

それから中断していたキスをコイツは再開した。
自信に溢れた表情が憎らしい。

ああ、また熱い舌が絡まってくる。



「シンタロー、お前は俺にとって光だ」
影なんかではない。代わりなんかじゃない。
囁かれて不安だった心が蕩けていく。
不安と酒に寄っていた気持ちから、今度はコイツに酔っていく。


不安はもうない。
あるのはこれから起こることの期待だけ。
部屋の中の闇も高松のことももうどうでもいい。


俺はキンタローに酔い痴れていく。





  
初出:2003/09/21
ヤシロナナ様に捧げます。

kt



ホームシアター
白と黒で構成された画面からはキーンと警告音が鳴り響いている。
パニックになる女性と彼女に襲い掛かる人間の荒い息。

サイコ。ヒッチコックの代表作の一つらしい。
俺の部屋へ飲みに来た従兄弟が気まぐれにつけた深夜番組だ。
照明を暗くした部屋にときおり正面の画面が強い光を放ち、窓から射し込む月光や淡い電光よりもずっと鮮明に従兄弟の体が浮きあがる。
暗い部屋に溶け込む闇色の髪と瞳。
少し、日に焼けた小麦色の肌。
汗と生理的な涙を溜めた睫毛。
きれぎれにくっきりとした従兄弟の扇情的な姿が俺の前に映し出される。
ホラー映画の、観る人を次第に興奮させていく音との相乗効果もあいまって、すでに映画の内容を気にしていない俺自身も高ぶってくる。

ブロンドのヒロインは白。
彼女の協力者の男は黒。
滅多に見ることのない昔の映画は、この二色の濃淡でできている。

目の前の従兄弟は、黒だ。
深くて何色をも包み込んでしまう色。

俺の眼前で黒い色が揺れている。
わずかな酒と互いの体温とで温められた赤みを帯びた黒。
長い髪を振り乱し、眉根を寄せて俺を煽る。
近づきすぎるくら密着した体勢で互いに相手を指や舌や歯や声をも使って高めさせていく。
彼の黒い瞳の端へとやさしく口付けをしても攻める手は休めさせてはやらない。
飴と鞭を使うように攻め立てて、彼から思考を奪っていく。
どちらが、勝つか。どちらに流されるか。
まるで手合わせをするかのように挑みあう。
もっとも、せっかく俺の体に馬乗りになるという絶好のポジションをとったシンタローもすでに降参した。
互いの軽い愛撫からはじまったこの体勢も、彼のポイントを先取した結果だろう。
かえってこの体勢が仇となって、抵抗らしいこともできずに俺の背へと腕を回している。
ときおり彼の背面から白い光が当たったとき、俺は従兄弟を煽る指先や舌の動きを止めてみせる。
やめんなよ、と上から俺に縋りつき、甘く擦れた声を耳元で響かせてくる。
熱い息が耳朶に触れ、そのまま従兄弟に甘噛みされるとくすぐったさと同時に背筋がぞくぞくしてくる。
湧き上がる快感と体の下部に血流が集まってくる感覚。
手合わせなんかとは比べ物にもならない、例えて言うのなら殺るか殺られるかの勢いで戦場で標的を仕留める感じにも似ている。
独特の高揚感と、陥落した従兄弟の極上の体。
もう、この勝負はクライマックスだ。あとは喰らい尽くすだけ。
「シンタロー」
俺の首筋に顔を埋めていた従兄弟の耳に低くささやく。
なに、と擦れた声が出る前の空白を見計らって、彼を一突きにした。









二人してソファにもたれかかりながら、荒く息をつく。
俺は従兄弟の体重を支えていた疲労を、彼は俺に攻め立てられた体の鈍さを濃く引きずっている。
普段は必要なものしか置いていない、殺風景な部屋だというのに今は行為の気だるさと情事の後の特有の空気が漂っている。
テレビの画面からはエンディングロールが流れていた。
結局、彼女がどうなったかは分からない。
もともと従兄弟がチャンネルを合わせたときから、さして興味がなかった。
リモコンを探そうと床の上を手探りしていると従兄弟の方が先に見つけたらしい。
プツッと画面が消え、部屋の中の闇が濃くなった。
「なんだか分からない映画だったな」
音がすごかった。
とくに話すこともなかったがなんとなく口にすると、従兄弟は俺は見たかったんだとブツブツ呟いた。
そんなこと、俺に言われても困る。
発端は俺にあるかも知れないが、こうなった責任の半分以上は従兄弟にある。
そもそも、今こうして二人で疲れきっているのも映画の途中での軽口が原因だ。
映画が始まってすぐにでてきたモーテルという耳慣れない単語を従兄弟に尋ねたとき、従兄弟はラブホテルのようなものだと言った。
元来は自動車で旅行する者の簡易ホテルだったらしいが、転じたらしい。
「おまえが18のとき泊まったヤツだな」
「なっ!!!」
どうしてそれを、と胸倉をつかみ上げるように慌てた従兄弟に、「落ち着け、24までおまえのことで知らないことなどない」と言う。
ぐっと詰まった従兄弟を見るのはおもしろい。もう少し苛めてやろうかと思って、証拠を並べてみる。
「マジック叔父貴が遠征に出かけて護衛が手薄だったときだったな。
士官学校もちょうど休みに入っていたし、護衛をいらないといって街へ出かけたときだったな。
付き合ってたヤツと体育倉庫風の部屋とかいうのを選択したんだったな。そのあと、たしかおまえは…」
そこまで言ったときに口を手で塞がれたのだ。
分かった。それ以上言うな!もういい。従兄弟が顔を真っ赤にして怒鳴ってくる。
そんなに大声を出さなくても、と思ったが俺から手を離してもうわーうわーと頭を抱える様子を見るとつい笑ってしまう。
笑う俺が気に障ったのか、上目遣い気味で仕返ししようと俺に技を仕掛け始める。
訓練場とは違い私室なので本気にはなれず、ジャレあいながら床の上を転げまわる。
ひとしきり転げまわった後、テレビに目をやるとブロンドの女が男と軽いキスを交わしていた。
それは挨拶程度のものだったが、なんとなく画面を見ていた俺に従兄弟は悪戯を思いついたらしい。
「なぁ、おまえこういうキスしたことあるわけ?」
とにやりと笑みを浮かべながら聞いてきた。
「こういうのは、ないな」
いくら、イギリス系白人だからといってこんな軍隊でそんな挨拶をするわけがない。
「だよなぁ。じゃあ、こういうのは?」
俺、ちょっと自信あるんだぜ。
そう言って、従兄弟が俺へと濃厚なキスを仕掛けてきたのがきっかけで。
それから今の俺たちの状態になるわけだ。




「ったく。どこで覚えてきたんだよ」
こんなこと…と俺の口唇を指の腹でなぞりながら口にする。
心地よい倦怠感のなか、なにも身に着けていない従兄弟を引き寄せてやる。
汗が引いた後は少し肌寒い感じがした。
「さあな。お互い様だろう」
不公平だ!俺はおまえの相手はしらねぇぞ!
大体、なんでおまえ、俺の弱いトコばっか知ってんだよ!
よくそんなに元気があるものだ、と思う。少し前までは可愛げがあったのに、まったく。
ぎゃあぎゃあと喚く従兄弟を黙らせるために、俺は笑みを浮かべながら声をかける。
「シンタロー」
「何だよ」
「俺はおまえとずっと一緒にいたからな。おまえの記憶だけじゃなくて感覚も大体分かる。
おまえが誰とシたのかだけでなくて、なにに感じたのかもな」
まあ、不公平といえばそうだな。俺は、おまえの研究をし尽くしているからな。
情事の後が残る従兄弟を見ながら言ってやると、シンタローはうっと目を逸らした。

「おまえとは、もうヤらねぇ」
心底、うんざりした顔で言うシンタローの表情は可笑しかった。


これだから、従兄弟をからかうのはやめられない。



  
初出:2003/08/29

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