ずるいよ、2人とも。
「あの部屋意外と殺風景なんだよな」
その一言を息子であるシンタローが口にしたのは朝食の席でのことだ。
息子に代替わりした今とは違い、殺し屋集団だった私の頃からもガンマ団に友好的な組織や国はあった。
それらの代表者や外交官が表敬訪問に訪れることもめずらしくはない。
使節の階級に応じてだが、たいていは総帥自らが貴賓室で供応する。
「殺風景?そうかな」
グンマが首を傾げて言った。
「大臣とか大統領ならいいけどさ、今日来るのは慈善団体なんだよな。あんま、威圧感与えたくねえんだよ」
言われてみて納得した。
あの部屋は団の威信をかけて重厚な造りにしている。屈強な軍人ならばともかく、ごく普通の人間が通されたら萎縮してしまうだろう。
「なにか置物か絵画でも飾ってみるかい?」
ミルクをコーヒーに注ぎ込みながら、息子に話しかける。手の中のカップはきれいにマーブル模様を描いた。
「今からじゃ手配が間にあわねえよ」
どうすっかな、とシンタローは目玉焼きにフォークを刺す。
とろりと溢れ出た黄身を掬い取るようにパンに塗りつけながら息子は困ったようにため息を吐き出した。
*
この時期の温室は色とりどりの花が咲き誇り、噎せ返るような濃い香りに包まれている。
花ならばすぐに用意が出来るし、部屋の雰囲気も華やかになるだろう。
いいアイデアだと思って、私はランチを終えるとすぐに温室へ向かった。
命令すれば、秘書なり誰か他の団員がするだろうが、今日は団内全体がばたばたとしている。
SPを引き連れてくる友好国の人間とは違い、今日ここへと訪れるのは民間人だ。
ホスト役である息子のシンタローも同じ本部にいるというのに打ち合わせや諸々の事情で今日は昼食を共にしていない。
花を飾ることを提案する機会がなかったが、それはそれでいい。
知らない間に貴賓室を飾り立てておいたら驚くかな、とわくわくしながら私は目当ての花へと赴いた。
薔薇の群生する区画へと訪れるとそこの景色は圧巻だった。
不思議の国のアリスにだってこんな見事な薔薇はないだろう。
ペンキを吹き付ける必要のないくらい艶々としたルビー色の薔薇に私は満足した。
これならば、あの部屋にあっても見劣りしない。
持ってきた花鋏でそっと茎を掴む。棘に触れないように慎重に鋏を入れると、シャキンと軽い音が響いた。
てきぱきと花瓶に活けるのにちょうどいいくらいの量を切り終わると、足元には途中で落ちた葉が数枚重なっていた。
今が一番豪奢で美しい時期のものはもちろん、咲き初めのものやつぼみもいくらか取り混ぜると一抱えにもなってしまった。
温室ならばともかく、貴賓室の近くで落とさないように慎重に歩かないと、と思いながら元来た道を引き返すことにした。
抱えた薔薇に視界を邪魔されながらも、温室の扉を目指していくと途中で見慣れた人物が目に入ってきた。
最初から薔薇を考えていた私が素通りした区画だ。
何をしているんだろう、と立ち止まると彼のほうからこちらに気づいたようだった。
「伯父貴?」
ここへ来るなんてめずらしいですね、と話す彼の手にも花鋏が握られている。
もう片方の手には今切ったばかりと思しき花があった。
「キンタロー、それは?」
「水仙ですよ」
事も無げに甥は花の名を口にした。
中心だけが黄色い、すっきりとしたフォルムの白い花を掲げて見せる。
「朝食でシンタローが貴賓室が殺風景だって言っていましたからね。花を取りに来たんです」
「……ああ。そうだったね」
甥と同じ行動を取っているのだが、私は自分のことを言及せずに取り繕った。
「今日来るのは慈善団体ですから、あまり派手な花よりもこういう方が落ち着くと思いまして」
私の抱えている薔薇が分かっているのかいないのか。一瞬、顔が引きつったが思い直した。
ルーザーもこういうところがあった。よく似ている親子なんて微笑ましいじゃないか、と無理やり納得しながら私はぎこちなく相槌を打つ。
「この花なら少なくても活け方しだいで見栄えがしますからね」
「う~ん。でも、やっぱり少し地味じゃないかい?」
キンタローの手にしている水仙を見ながら問いかける。すると甥は、
「和風に活ければめずらしく見えますよ。シンタローが日本人の血を引いているのは周知の事実ですからね。問題ないでしょう」
と答えた。
「もう少し切るのかい?」
尋ねるとキンタローは「ええ」と答えて鋏を握った。
やっぱり薔薇じゃ派手だよね。キンタローが気を回しているし、ここは引こうと花を抱えたまま私は彼の手を見ていた。
黙って見ているとシャキンと茎を切る音が響き、それからキンタローは虫食いを見つけた葉を剥ぐ。
細長い葉を土に落として、キンタローはもう1本だけ水仙を切った。
「これくらいでいいでしょう。……ああ、そういえば伯父貴はどうしてここへ?」
問われて私は困った。
たくさんの赤い薔薇を誰かの誕生日でもないのにダイニングに飾るにはおかしい。
かといって、シンタローにプレゼントというにはどう考えても拒否される結果が見えるだけに言いづらい。
「……病室の花もたまにはこういうものでもいいかと思ってね」
なけなしの知恵を振り絞って口にすると意外にもキンタローは納得してくれた。
「そうですね。コタローの部屋に飾るなんていいアイデアですね」
病室が明るくなりますよ、とうすい微笑みを口元に浮かべる彼に私も笑い返す。
「そうだよね。私もなかなかいい考えだと思っていたんだ。それに、シンちゃんの仕事が終わったら一緒に行こうと思ってね」
時間が空くのはやっぱりお客様が帰ってからだよね?と甥に確認を取る。
甥のキンタローはシンタローの補佐として秘書以上に業務を把握している。
「今日ですか?無理ですね。仕事の後は日本支部へ出発する予定ですよ」
「ええ?そうなの?」
その予定は朝聞いていなかった、と驚いていると甥が躊躇いがちに口を開いた。
「それに伯父貴も午後からは後援会の方々とお会いするんでしょう。今頃、ティラミスたちが探しているんじゃないですか?」
ああ!忘れていた!と甥に気づかされ、パッと時計を見る。たしかに探し回っている頃合だ。サイン会に遅刻はしないだろうが、それでも……。
「ええと、それじゃキンタローこの花預かってくれるかな?」
水仙をこれから活ける予定の甥に慌てて頼み込む。適当な花瓶に入れておいてくれればいいから、と薔薇を押し付けるとキンタローは快く受け取ってくれた。
「いいですよ。これからちょうどシンタローのところへ行くところだったので」
水仙の黄と白に赤い薔薇が鮮やかに映える。
受け取った花をそっと抱えなおすと、甥は思いもかけない言葉を口にした。
「どうせなら、これから1時間くらいは俺もシンタローも時間がありますから2人で病室へ行ってみます。
支部へ行く前にシンタローもあの子の顔を見たいでしょうし、切り花は早めに持って行ってあげた方がいいですしね、伯父貴?」
何か問題でも、と首を傾げる甥に私はぎこちなく微笑んだ。
「いや別にないよ。……シンちゃんによろしくね」
私もシンちゃんと2人の時間を持ちたいのになあ、と甥を羨んだがどうにもならない。
時間は刻々と迫っている。支部へ発つなんて、今日はもう夕食も一緒に出来ないしおやすみの挨拶も出来ないんだね、と息子を思って私は心で泣いた。
「シンタローのことは俺が責任を持って面倒を見ますから安心してください」
にっこり、と甥は微笑んだ。弟のルーザーによく似た笑みだ。
遠い昔、双子の世話に明け暮れた頃、ルーザーにはいいとこどりをされていた。
大人しいサービスの世話はあいつがしていたし、忙しいときもクラブやら勉学を口実に逃げられてきた。
すぐ下のルーザーにはいつも貧乏籤を引かされてばかりだった。
ああ!でもまさか、この年になってまで!!
ルーザーではないけれども、よく似た甥に私は昔味わった気持ちを再び思い出した。
私が同じことをしたら、同じくらい四六時中一緒にいたらシンちゃんは怒るのにキンタローは許されている。
仕事といえども世界中2人で飛びまわれるなんてずるい!私が最後にシンタローと2人で旅行したのはあの子が幼いときだというのに。
ルーザーもキンタローも、2人ともなんてずるいんだ。
親子2代に渡ってこんな思いを味合わされるなんて、私は思いもよらなかった。
とうに不惑を過ぎた弟たちのことはもうどうでもいい。未だに私に面倒をかける双子だが、そっちは代わってくれるのならすぐにでも譲る。
……でも。
明日からでいいからシンちゃんのお世話は半分こにしようよ、と揺れる花の群れを見ながら私は切実に思った。
シンちゃんを独り占めするのはずるいよ、とじっと甥を見つめたが彼は私の思いに気づくことなく、薔薇の葉を毟る。
「日本での仕事は2日間ですが、その後、2人でちょっと足を伸ばしてきますから」
お土産を楽しみにグンマと待っていてください、と言って甥は微笑んだ。
初出:2005/10/18
あきら様に捧げます。
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ふたり
キーを打ち込み、扉が開くと廊下よりも冷えた空気が肌を刺した。
目を凝らすと、暗い貯蔵庫の片隅にだけ小さな電灯が灯っている。
わずかに射すそのひかりを一身に吸い込む髪の持ち主は私の甥のキンタローだった。
*
今日は、シンタローが総帥になってちょうど1周年の日にあたる。
在位10年ならばともかく、1年経ったくらいでは式典などはまだない。
それでも、公式なものはなくとも、家族の間ではお祝いしようということになっていた。
有能な秘書たちが手を尽くしてくれたこともあって仕事も休みになっている。
照れくさがり、皆がパーティの準備に追われるのを座っていられなくてシンタローは自分もやると言って聞かなかった。
そんなあの子を甥のキンタローは体よくあしらってサラダやらオードブルを作ってしまったが、ケーキはグンマが担当することになっている。
甘いものに目のない子だけれど、高松が溺愛していた所為か料理にはまごついていた。
おまけに発明家として閃いたことを実践しようとするのですでに生クリームがポップな色へと変化していた。
グンマは幼い頃からシンタローの押しに弱い子だけれど、ケーキの作り直しや手直しだけはがんとして了承しなかった。
これ以上2人の息子がケンカをしていては仕様がない。
「もう2人ともいい加減にしなさい。シンちゃんはパパの方を手伝って。今日のメインに火を入れるだけだけどね」
仕方なく私は仕込みの終わったチキンをオーブンで焼き、仕上げてもらうことをシンタローに頼んだ。
いいね、と言い聞かせるように言うとシンタローもケンカをしているのはバツが悪かったらしく素直に了承した。
グンマには、
「グンちゃん、ジャムが足りなかったんだろう。パパが取ってきてあげるからクリームを塗っちゃいなさい」
と言う。彼もまた、「はーい。お父様」と素直に返事をしてくれた。
貯蔵庫へ行く途中で温室に立ち寄った。
メインのソースに食用の花を散らしてみるのはどうだろうと、と思い立ったこともあるし、なにより何も飾らない部屋は寂しい。
時間があれば、砂糖漬けにしたり揚げたりと工夫も凝らせるが、今日のところは生で食べても美味しい花を探す。
ベルガモットやブルーマロウ、カモミールなど食用に適したものをいくつか選び、摘み取るとかなりの量になった。
ジャムを入れるために持ってきたバスケットへ放り込むと、それから私はうすいオレンジ色のミニ薔薇を選んだ。
温室を出ると花の香りを強く感じる。
貯蔵庫に持ち込むのはよくないかな、と一瞬思い、私は扉のすぐ横にバスケットを置くことにした。
ジャムの他に切らしていた蜂蜜もついでに持っていこうと考えながらキーを打ち込む。
打ち込んだ認証コードが確認されピッと小さな音を立てて、すぐに扉が開いた。
貯蔵庫はあいかわらず暗くしんと冷えている。
早く戻らないとまたあの子達がケンカになる、と思いながら歩みだすと部屋の隅から小さなひかりがと灯されているのが見えた。
(……キンタロー)
息子たちとは違う短い髪が首を傾げるたびにさらさらと揺れた。
甥がいる場所は目当てのジャムとハチミツの戸棚の近くだったから、掌に小さく眼魔砲のひかりを灯さずともよい。
キンタローをうすく照らすひかりを辿って近づくと靴音に反応して彼が振り向いた。
「……伯父貴?」
薄暗がりの中、目を細めた彼の目は青い。碧眼は一族の特徴であるとはいえ、私の青ともグンマの青とも少し違う。
それに目の色もそうだが、何より佇む雰囲気も容姿もこの子の父親によく似ていた。
「何か御用ですか?」
手を止めて、生真面目に伺い立てる甥に私は笑みをこぼした。
彼のとる態度は弟たちとも息子たちとも違う。こういうところでもルーザーに似ているのだな、と私は感じた。
「グンちゃんがジャムが必要だったからね。蜂蜜も切らしていたし」
シンタローもグンマも手が放せないから、私が来たんだよ、と続けると甥は、
「俺がここにいるのをシンタローに言っておけばよかったですね。そうすれば内線連絡で済みましたから」
とすまなそうな表情で口にした。
「ああ、いいんだよ。気にしなくて。ほら、シンちゃんとグンちゃんがケンカになっていたからね」
逃げてきたんだ、と軽口を叩くとキンタローは笑った。
「そういえば、キンタロー。どうしてここへ来たんだい?」
戸棚からアプリコットとイチゴのジャムの壜を取り出して私は尋ねた。
何か足りないものでもあったかな、と彼の作ったオードブルを思い出しながら、戸棚を閉める。
「ワインを取りに来ただけです。アルコール類も俺の担当ですから」
蜂蜜を探しながら私は彼の返答を聞いた。
「見つかりませんか?」
「ああ、うん。この辺だと思っていたんだけどね」
「蜂蜜ですよね」
「ああ、あった!」
小さな小壜をジャムの上に重ねると甥が戸棚を閉めてくれる。
「ああ、ありがとう。キンタロー」
礼を言うと、いいえとすぐに返事が来る。
「用事はそれだけでしたよね?」
「うん」
床に置いたワインをキンタローは抱えて、歩みだした。
私も慌てて扉へと戻る。
2人とも手は塞がっているが私の方は片手でも足りる。
コードを打ち込み、扉を開けるとキンタローがすみませんと小さく言った。
「やっぱりここを出ると眩しいね」
「そうですね」
貯蔵庫に目が慣らされていた所為で眩しく感じる。
窓から差し込むひかりに眩みそうになりながらも、私は扉の横へと置き去りにしていたバスケットを手に取った。
「伯父貴、それは……?」
怪訝そうにキンタローがバスケットを覗き見る。
色とりどりの花がぞんざいに投げ込まれたバスケットに私は手を入れた。少し寄せて、花を傷めないようにジャムと蜂蜜とを入れる。
「部屋に飾る用と食べる用とだよ」
驚くかな、と私はうきうきしながら答えた。
前に何度か花を使った料理を作ったがキンタローには披露してなかったはずだ。それにもう何年も作っていないから、シンタローも驚くだろう。
食べられる花なんてめずらしいだろう?と聞こうとしたときバスケットを覗いていた甥が口を開く。
「この花ははじめてですね。こっちは……。この前、シンタローとこれを使った料理を食べました」
意外と青臭くないんですよね、と甥が私に言う。
「え、シンちゃんと?」
「ええ」
聞いてないよ。それっていつ?私が留守のとき?などと色々と思ったけれども甥は私の思いに気づくことなく、
「このワインもそのときシンタローが気に入ったものなんです」
とワインのボトルを掲げて見せた。
「そうなんだ。シンちゃん、これ気に入ったんだね」
甥が見せるボトルは渋い赤色が揺れている。
「でも、キンタロー。これ、グンちゃんは大丈夫かな?」
意地悪な質問かもしれない、と一瞬、脳裏を掠めた。
だが、もう一人の息子であるグンマは甘いお菓子が大好きだ。お酒も飲むけれども、これは少し渋過ぎる感がある。
「甘口のものもちゃんと用意してあります。それに、これはグリューワインにも向いていますから」
平気でしょう、とキンタローはあっさりと言った。
それならいいね、と相槌を打ちながら私はなんとなく疎外感を感じていた。
*
グンマの作ったケーキは色とは裏腹に美味しく、温めたワインとも食後の紅茶ともどちらともに合った。
分担して片付けた後、明日は何もないからとシンタローは果実酒の栓を開けた。
こういうものも用意していたのか、と甥を見ると彼はシンタローの行動が分かっていたのか新しくグラスを用意している。
甘い果実酒だけあって、グンマの杯も進む。
お開きにしようというときには2人ともかなり酔っている状態だった。
「転んだりすると危ないからね。パパが部屋まで送っていこうか」
ね、と覗き込むとシンタローは眠たげに目を擦った。
「だいじょーぶだよ。おとーさま。シンちゃんはキンちゃんが送ってくれるって」
けらけらとグンマが笑いながら私に言う。
「そうなの?シンちゃん」
3人で飲むときは甥がシンタローの面倒を見ているんだろうか、と私は思った。
たまには私も誘ってくれればいいのに、とも思ったがそれは今度頼んでみることにする。
「じゃあ、キンタローにお願いするね」
くしゃり、と息子の髪を撫で付ける。
シンタローは酔ったときは素面と違って子どもの頃のように大人しい。
髪を撫でるのをやめて、甥に目配せすると彼はため息を吐いた。
「それじゃあ、失礼します。シンタロー」
甥はシンタローの腕を掴んで立たせてやった。
促されて、シンタローは
「ん。……親父、グンマ、おやすみー」
ふにゃふにゃとした口調で口にした。
「おやすみ、シンちゃん」
シンタローはぎゅっと甥の服を掴んだ。
シンちゃんは酔うと子どもっぽくなるのかな、と微笑ましい気持ちで見ていると甥がその手をそっと握る。
おや、と思ったけれども、次の瞬間、甥が
「足元に気をつけろ」
と言ったから、甥に尋ねるタイミングを逃してしまった。
また明日ね~、とふにゃふにゃとした口調でグンマが言うと、ドアがパタンと閉まった。
酔い覚ましに紅茶を淹れようか、と尋ねるとグンマは
「カフェ・オ・レの方がいいなあ」
と言った。
「カフェ・オ・レだね。少し待ちなさい」
コーヒーメーカーに粉と水とをセットする。その間にグンマはオレンジジュースを冷蔵庫から取って飲んでいた。
マーブル模様を描くカップをテーブルに置くとグンマははしゃいだように礼を口にした。
コーヒーメーカーから漂ってくる香気に部屋の中の酒気が追いやられていく。
カップに口をつけるグンマはコーヒーをセットする前よりも頬の赤みが落ち着いていた。
「シンちゃんにも飲ませてあげればよかったかな」
なんとなしに口にするとグンマが笑いながら、
「シンちゃん結構酔ってたよね」
と言った。
「グンちゃんもだよ」
まだ語尾が怪しい。目元もわずかながら赤い。
「僕はもう大丈夫だよ。お部屋にだって一人で帰れるからね」
威張ったように言うグンマがかわいらしくてつい私は笑ってしまった。
「信じてないでしょ、お父様」
「そうじゃないけどね。キンちゃんがいっていたとおり酔ってるときは足元があぶないだろう?それを飲んだらパパが送るよ」
ね、と宥めると頬を膨らませていたグンマがカップに口をつけながら
「キンちゃんはシンちゃんに過保護だもん」
と拗ねた口調で言った。
「過保護なの?」
「うん。お父様と同じくらいね」
見てらんないくらい、とグンマは肩を竦めた。
「今もたぶんキンちゃんが手取り足取りお世話してるよー」
シンちゃん酔ったときいつもそうだもんとグンマは言う。
「この前一緒に飲んだとき、パジャマだって着替えさせてもらってたし」
僕が酔っ払ったときは2人とも部屋に置いていくだけなのにさ、と息子は続けた。
「まあ、僕はシンちゃんみたいに羽目をはずさないだけだけど。どうしたの……お父様?」
「いや、なんでもないよ。シンちゃんは大分キンちゃんに迷惑かけてるようだと思ってね」
我侭に育てちゃったのかな、と軽い口調で言うとグンマは笑った。
「たしかに我侭だよね、シンちゃん。でも大丈夫だよ~。キンちゃん、シンちゃんのお世話するの大好きだから」
「……キンちゃんはシンちゃんと仲がいいんだね」
前は仲が悪かったのに、と思いながら口にするとグンマは大きく頷いた。
「うん。2人ともすっごく仲いいよー。仲良すぎて見ててたまに恥ずかしくなっちゃうくらい」
「……そうなんだ。ああ、グンちゃん。もう一杯淹れてあげようか?」
空のマグカップを認めて、私はおかわりを尋ねた。
「ううん。もういい。ありがと、お父様」
片付けるねー、と明るく言いながらグンマはカップを手にした。
飲みかけの私のものはそのままに、コーヒーメーカも一緒にシンクへと持っていく。
ありがとう、と声をかけながらも私はなんとも釈然としない気持ちで一杯だった。
同じ従兄弟同士でもあの子達2人はどうやら仲がよすぎるようだ。
双子のようなものだからなのか、と生い立ちを考えながらもなんとはなしに気が晴れない。
目を瞑れば、手を繋いだ甥と息子の映像が脳裏に浮かぶ。
彼らのバックで、すっごく仲いいよ、というグンマの言葉が反響していた。
初出:2005/10/17
泉麟様に捧げます。
熱砂の毒
昼はじりじりと肌を焦がすかのような灼熱の日差しが大地へと注いでいたというのに、夜は真逆の世界だった。
ここを訪れた人が日中との差が激しい気温から体調を崩すことも珍しくはない。
ここでは熱いからといっても裸体に近いような格好は出来ない。
布を覆っていないといつのまにか火膨れが出来上がる。
シンタローはいつもの赤い総帥服をきっちりと着たうえにさらにどことなく民族衣装を思わせるようなケープを羽織っていた。
「昼にこの風が吹けばいいのにな」
ぶるり、と身を震わせてシンタローはキンタローを見た。
勧められるままに杯を重ねたというのに、天幕を出ると上昇していたはずの体温から熱が徐々に失われていく。
冷たい風がケープを捲り上げ、砂塵を散らす。細かな砂が髪や顔に当たって痛い。
振り払うようにシンタローが手で砂を払う。
けれども払っても払っても砂は巻き上がるのを止めなかった。
「キリねえな」
ちっと舌打ちをするとキンタローも同意する。
「早いところ戻るべきだな」
足元に気をつけろ、と砂に足をとられるシンタローにキンタローは手を差し出した。
「つかまれ、おまえは少し飲みすぎただろう?」
俺は口を湿らせる程度だったから、とキンタローに言われてシンタローは「平気だ!」と怒鳴った。
「本当か?呂律が少し怪しいぞ」
キンタローの口調は淀みない。
折衝に当たっている中立国といっても油断は出来ない。
酔い潰されて起きたら人質に捕られてはかなわない。
賓客のシンタローが勧められる酒を断るのは角が立つ。だが、元々補佐として赴いているキンタローは別だ。
やんわりと傾けた酒甕を押し返してシンタローの周りに目を配っていた。
「だから、平気だッ……!う、わっ」
巻き上がって落ちた砂が地面の上で窪みをいつの間にか作っていた。
ブーツの溝にも砂が入り込んでいて滑り止めにはならず、易々と足を捕られる。
傾いだ体を足に力を入れて踏みとどまろうにも、アルコールを含んだ体は言うことを聞いてくれない。
つんのめって砂の上に尻餅を付いたシンタローにキンタローはため息を吐いた。
「ごちゃごちゃ言っていないでとっととつかまれ」
差し出された手にシンタローは眉を顰めた。
だが、反論する余地はすでにない。酒で重い体を立ち上げて、手を重ねる。
自分の体が熱い所為なのか、キンタローの体温がいつもよりも低く感じられた。気持ちがよい。
「飛空艦まであと少しだから、しばらく口を閉じておけ」
繋いだ手をひかれて、砂の道を2人で歩いてゆく。
目を凝らせば砂風の少し先に目印の篝火が見えた。
*
夜勤の団員を労った後、2人は飛空艦の奥へと進んだ。
白い床に砂が二人が通ったことを示すかのようにこぼれ落ちていく。
素面のときならば、じゃあな、と素直に別れて互いの部屋へ引っ込むけれども、キンタローは繋いだ手をそのままにしていた。
夜勤の団員が訝しげに見た後、眼を逸らしていたのも聞こし召しているシンタローの注意は引かなかった。
繋いだ手を寄せて、指紋認証を解除させる。
サッと開いた扉をくぐると照明が自動的に点く。
「風呂は止めておけ」
ばさばさと体についた砂を落とすシンタローにキンタローは忠告した。
「それから、もう遅い。砂を落としたら掃除なんかせずにとっとと寝ろ」
「分かってる」
明日も仕事だからだろ、とうんざりした口調でシンタローは答えた。
体を酷使する戦闘ならばともかく、腹を探りあいながらの交渉は気疲れする。
「なあ、髪についてるの払うの手伝えよ」
なんかジャリジャリする気がする、とシンタローが口にするとキンタローは指を伸ばした。
風が強い中を歩いてきたとはいえ、そんなに砂まみれになっていないはずだ。
それでも、耳の横の辺りを指で軽く払うと砂がこぼれるのが目に入る。
「だ――ッ!髪洗いてぇ!!」
「朝にしろ。酒が入ってるんだ」
下を向いて髪をガシガシと掻き混ぜる、シンタローから指を離してキンタローは素っ気無く告げた。
しばらく、髪を弄くりまわして気が済んだのか、乱れた髪のシンタローは顔を上げた。
「服を脱いだらとっとと寝ろ。気分が悪くなったら俺を呼んでくれ」
動くのも億劫なほどではないようだ、とシンタローの状態を判断してキンタローは自室へと引っ込もうとする。
けれども、ケープも取らずにシンタローが片目をしきりに擦る様子を見て引き返す足を止めた。
「シンタロー?」
どうした、とキンタローが尋ねる。
「目に砂が入った」
ちくしょう、と擦り落とそうとするシンタローにキンタローは手を伸ばしてその動作を止めさせた。
「擦ると傷がつく。洗った方がいい」
掴んだ手にシンタローは目を何度か瞬かせてキンタローを見た。
「ンなこと言ったってジャリジャリするんだよ!」
下瞼を軽く押さえてシンタローが訴える。けれども、キンタローは宥めたり、洗面所へと誘導する手段はとらなかった。
「見せてみろ」
「え、おい!ちょ……待てよッ、キンタロッ」
掴んだままの手はそのままにキンタローはシンタローを抱き寄せた。
抱きしめると従兄弟が口にした酒の香りが鼻を擽って、酔ったときの酩酊感を思い出させる。
甘い香りの南国の酒を思い出しながら、キンタローは目を細めてシンタローの顎に手をかけた。
「動くな」
砂があるのか見えない、と囁いて、顎を掴んだ手の人差し指をを少しだけ上に向ける。
視線を少し下に向けるとキンタローの爪が見えて、シンタローは体を強張らせた。
「指で取るなよ!」
「取らない」
指では、擦っていたおまえと同じだろう。
傷つくじゃないか、と何を言っているんだとでも言いたげなキンタローに返されてシンタローは戸惑った。
「大人しくしていろ」
すぐ済むから、と目元にキスをされてシンタローは困惑を浮かべる。
変わらず、目の中に不快感を感じていたがキスをする口唇から舌が指し伸ばされてようやくシンタローは目の前の従兄弟の意図を悟った。
指や体を這うように舐められるのよりもずっとセクシャルな行為だとぼんやりとした頭でシンタローは考えた。
瞼を舐められたかと思うと、いつの間にかベッドへと押し倒されて眼球を舐められている。
ぬるりとした舌が眼に潤いを与え、少しの傷もつかぬように繊細に這うのが不思議と心地よい。
プールで長時間泳いだときのような感覚が眼に生じているのに、体がじんわりと熱を帯びていくのを感じていた。
「……取れた、な」
熱い息が瞼にかかる。
泣いてもいないのに睫の端に水滴が見えて、それがなんなのか思い当たったシンタローはびくっと体を動かした。
圧し掛かるキンタローから逃れたくて、そっと体をずらすとキンタローはにやりと笑った。
「感じたのか、シンタロー」
しきりに言われる亡き叔父譲りだという口元に揶揄されてシンタローは顔を背けた。
それでも事態が変わるわけではない。
体をベッドに繋ぎとめられている状態でどう逃げようか思案していると掴んでいたままの手をキンタローが引き寄せた。
「他に砂がついていないか確認してやるよ」
手の甲に軽いキスが落とされる。
軽く止めてあるだけのケープが剥ぎ取られて床に払い落ち切れなかった砂がこぼれた。
押し退けようにも、再び、キンタローに目元を舐め上げられてシンタローは抵抗する気力を失った。
体を揺する動きで苦痛が起きているわけがないというのに、シンタローが涙を流す。
辛いわけでも、キンタローに抱かれることを拒否しているわけでもないのに絶え間なく泣く彼にキンタローはそっと口唇を寄せた。
これだけ涙を流せば砂などとうに流れている。
舐めた涙は少しだけしょっぱくて、それなのにきれぎれに上げられる声を聞くと甘く感じた。
掬い取った髪の房にくちづけするとシンタローが身じろぐ。
自分の髪が肌を掠る感触にいやいやをするかのように首を振った彼にキンタローは愛しさを感じていた。
深くくちづければ微かに酒の香りが蘇る。
とうにアルコールなど彼の体に吸収されつくしてしまっているというのにキンタローはそれだけで酔い痴れる感じがした。
シンタローからは喉を焼くような酒を思い出す。
シンタローの涙はしょっぱくて、でも声は酷く甘い。
甘さも苦さも何もない爪も髪もじんわりとキンタローの心を侵食していく。
まるで毒のようだ。
知らぬ間に囚われ、いつのまにか中毒になっていく彼の毒をもっと味わいたくてキンタローはシンタローの肩に齧りつく。
甘さを含んだ呻き声を上げるシンタローのすべてを喰らい尽くそうとキンタローは熱い舌をシンタローの口腔に捻じ込んだ。
床には2人分のケープと服が散らばっている。
2人の熱が宿った砂粒がシーツからそこへとこぼれ落ちたけれども熱に浮かされた彼らは気づかなかった。
初出:2005/10/08
disgusting
少し休憩を取ったらどうだ、と勧めてみても従兄弟はペンを動かす手を止めなかった。
一緒に報告書を携えてきたグンマが
「ダメだよ!シンちゃん!!休まないと!!ね!」
と無理やりペンを奪い取り、お茶の時間を促してくれて本当によかった。
最近のシンタローは少し根を詰めすぎだった。
総帥位を継いでからというものの彼はがむしゃらに改革を推し進めていた。
俺やグンマ、前総帥である伯父は勿論のこと、彼の気の置けない友人達もサポートはしている。
けれども、シンタローはひたすら仕事に打ち込んでいた。
もう少し頼れと言っても聞かない。
そればかりか、率先してこなし、そして「ここはいいからおまえらはこっちをやってくれ」と体よくかわされるばかりだった。
彼が抱え込む重責は明らかに体に多大な負担を強いている。
絶大な力によって統率されていた伯父の時とは違い、年若く、秘石眼を持たない彼には反発も多い。
それだけではなく、百八十度転換したガンマ団の方針が大きな反駁を及んでいたりもする。
シンタローは疲れていた。
毎日の激務だけではなく、明らかに批正した表情には心の疲れも見え隠れしている。
だが、彼は弱音を吐いたりすることはなかった。
ただ、コタローの寝顔を見ているときだけ、穏やかな表情を浮かべていた。
グンマがティラミスに持ってこさせた菓子は酷く甘くシンタローを顰めさせるものだった。
うげ、と一口齧った途端に呻き声を漏らすとシンタローはぼかりとグンマを殴る。
「シンちゃん!ひどいよ!!なにすんの~」と喚くグンマに蹴りを入れながらシンタローは
「キンタロー、おまえだってそう思うだろ!?」
とピンク色のクリームが挟まれたロールケーキを突きつけた。
がぶり、とシンタローが持つケーキにかぶりつくと確かに甘い。
グンマが持ってこさせただけあって歯が浮くような甘さと濃厚なイチゴの香りとが口腔を渦巻いている。
一瞬、正直な意見を述べようかとも思ったが、疲れた体に糖分の摂取はとてもよいというのを思い出した。
少しどころでなく糖が多すぎる気もしたが……。
「たしかに甘いと思うが普通だろう。少し、疲れ気味だから甘く感じるんじゃないか?」
と、口内の甘さに耐えながらも必死に装うとグンマがよせばいいのに
「ほらね!シンちゃんがおかしいの!!」
と言う。ここで余計な一言を言わなければシンタローも折れてくれたというのに……。まったく。
「グンマ!おまえ、キンタローを味方にしただろ!!明らかにおかしい!!」
とシンタローは喚き、それに対してグンマが年甲斐もなく子どものように「おかしくないもん!!」と言い返す光景が始まってしまった。
いつものことだ。
だが、グンマと言い合いしているシンタローの表情はじゃれあいながらも疲労の色が濃く滲み出ている。
目元には隈こそできていないが、言い合う口調は歯切れが悪かった。
「いいかげんにしろ。嫌なら残せばいいだろう」
「キンちゃん!」
「キンタロー!」
「子どもじゃあるまいし、たかがケーキでケンカはやめろ」
「「だって!!」」
コイツが、シンちゃんがと口々に訴えてくる彼らに思わずため息が出る。
従兄弟同士、仲がいいのはいい。それはいいのだが……。
「コーヒーを入れてくる。シンタローは砂糖はなしでいいな?グンマのは甘いカフェ・オ・レにしてやる。だから、ケンカはやめろ」
大人しく待っていろ、とため息混じりに提案するとようやく彼らは黙った。
ぴたり、と同時に言いかけていた言葉をやめる彼らがおかしい。
だが、従兄弟というよりも兄弟みたいだなと言う言葉は仕舞っておいた。
***
コーヒーは総帥室の近くの給湯室で淹れることにした。
自室か研究室へ戻れば、とっておきの豆があったがそうすると時間が押してシンタローの機嫌が悪くなる。
できるなら休憩の時間を引き延ばしておきたいがそうもいかない。
インスタントで仕方がないが、二人とも許してくれるだろう。
シンタローの分はうすめに淹れよう、胃が荒れたらいけないだろうとティースプーンを紺色の蓋の瓶に突っ込む。
ざ、ざ、と適当に3人分の分量をフィルタに入れ、コーヒーメーカーをセットするとじきに水滴が落ち始めた。
透明なソーサーは徐々に嵩を増していた。
ぽたり、ぽたりと雫を零すものでしかなかったコーヒーメーカは湯気を立て、室内に香気を漂わせている。
カップを温めなくては、と戸棚にあった適当なマグカップを用意するとふと背後に視線を感じた。
「そこでなにをしている?」
空のカップに湯を注ぎ、給湯室のドアへと視線を向けるとそこにいた人物は躊躇いもなく姿を現した。
季節柄ふさわしくないトレンチコートを羽織った男はにいっと口角を上げた。
「そないに尖らんでもええやろ」
ええにおいやね、と言いながらアラシヤマは給湯室へと足を踏み入れた。
「俺に何か用か?シンタローは休憩中だ。報告ならあとにしろ」
素っ気無く、カップの湯を打ち捨てながら言うと忍び笑いが聞こえた。
「なにがおかしい」
「そないなことわかってるわ。相変わらず、シンタローはんに甘い思うてな」
「甘い、だと?」
アラシヤマは含み笑いをしながら近づいてくる。
常ならば炎の蝶を生み出す指を、ただ伸ばして彼は俺の頤へと手をかけた。
「休憩、とる暇なんてないやろ。××国との調停が拗れたんいうのはわての遠征先でも噂になっとったよ」
「……確かに情勢は逼迫しているがあまり根を詰めてても仕方がないだろう」
「……どうやろね」
アラシヤマは指を上へと滑らした。
彼が己の師につけた炎の爪痕、頬への醜いケロイドを思い出すかのように指先で俺の頬を撫でる。
その仕草とは裏腹に彼の纏う気は穏やかなものではない。
「先頃はハーレム様が離脱したばかりやのに」
アラシヤマの暗い瞳はシンタローと同じで黒く深い色をしている。
気ィ緩めすぎやないの、とその瞳を細め、アラシヤマは頬に当てていた指で前髪を掻き上げた。
少しだけはらはらと髪が彼の指先から落ちていくがそれでも視界はいつもよりクリアーになっている。
露になった俺の目元を軽く押さえ、アラシヤマは秘石眼へと人差し指を突きつけた。
「相変わらずきれいな眼やね。ハーレム様とはちぃっとばかし色が違うてるけど……宝の持ち腐れや」
「やめろ」
鋭く、一言で制すると彼は肩を竦め、指先を離した。
しかし、互いの距離は変わってはいない。嫌味ったらしく細められた目も毒を吐く忌々しい口唇もすぐ目の前にある。
「シンタローはんを心配するのもええけど、あの人は曲がりなりにも総帥やろ。
今はお従兄弟はんらと馴れ合ってる暇があったら仕事せんとガンマ団は立ち行かなくなりますわ。
そら、わてやてシンタローはんは親友や。なんだかんだ言うたって心配しとります。そんでも、その前にあの人は総帥や。
たまには息抜きくらい必要やろうけど、今あの人はやる気んなってはるんやろ?ほんなら横でごちゃごちゃ言わんと仕事させとけばよろしいんや」
「……アラシヤマ」
「こないな時間にあんさんが茶ァ淹れてるんじゃ休憩いうたかて無理やりに決まっとるわ。
従兄弟のアンタが用意する言うたら、シンタローはん断らへんやろ」
「それは……」
問われると歯切れの悪い答えしか返せない。
口ごもるとアラシヤマは大仰に肩をすくめながら口を開いた。
「根詰めすぎてぶっ倒れたらさすがにあの人かて自制するわ。それまでほっとき。
どのみち、ガンマ団がしっかりするまでは仕事が立て込むのは当たり前やさかい。
休憩なんか後からいくらでもとれるやろ」
「おまえはシンタローがワーカーホリックになってもいいというのか。
アイツは少し働きすぎだ。率先して行うのはいいことだが体を壊したら元も子もないだろう」
「そうは言うとらへんわ」
じゃあ、どういうことだと睨むとアラシヤマはふ、と息を吐いた。
いささか嘲りを含んだため息は神経を逆なでにする。
「鈍い人やね。
わてはこんくらいのことで倒れる方が総帥には向いてへんと思うわ。
マジック様が総帥になりはったのは10代の頃やて聞いております。
親が出来はったこと、とうに成人してはる息子が出来ん方がおかしいわ。
あんさんらみたいに甘やかす方向間違うてはるよりは倒れたほうがましやと思うけどね。
ほんでもそれが納得できひんかったらシンタローはんが倒れるのがいややったらアンタが倒れるくらい働けばよろしいがな。
アンタ、自分の研究やりながらでも茶ァ淹れてシンタローはんの世話やく時間があるんやから、その分あの人の仕事肩代わりすればよろしいやろ。
そしたら、わざわざ他に皺寄せさせんでもあの人が休憩する時間くらいできるわ」
「そんなことくらいとっくに提案している。だが、シンタローは俺に頼れと言っても聞かないからこういうことになっているんだ。
今、少しでも休ませておかないとシンタローは明後日には確実に倒れるぞ。
着任したばかりの総帥が床についたなんてデマが広がったら……」
「クーデターが起きる?キンタロー。アンタ、意外と阿呆やね」
アラシヤマは鼻で笑った。
思わずムッとして彼を見る。
するとそんな俺の表情にアラシヤマがくすりと笑みを漏らした。
「なにがおかしい」
じろりと睨むとアラシヤマが髪をかき上げて笑う。
「意外とガキやなあて。シンタローはんのこととなるとちっとも冷静な博士じゃあらへんね。
マジック様が健在なのは士官学校生かて重々承知のことやのに」
「うるさい」
こらえきれずにアラシヤマが身を屈めて笑う。
耳障りなその声を聞くたびに腹の底に重い澱が溜まっていく感じがした。
「お前はシンタローがどうなってもいいんだ!」
「そんなことはあらへんよ。ただ……わての認めた男がこんなことで躓くはずもない、とは思うとるけどね」
くだらないことを聞く、と侮蔑したように俺を見るアラシヤマに感情が堰を切ったように溢れ出す。
「……おまえはシンタローの家族じゃない」
「そうやね」
「おまえなんかアイツの親友じゃない」
「それを決めるのはアンタやなくてシンタローはんや」
「シンタローを総帥に押し込めるな!アイツは俺の大事な従兄弟だ!」
「団員が聞いたらどう思うやろ」
なんのかんの言うたかて、あの人は総帥や、と淀みない口調でアラシヤマが言う。
「おまえなんかがアイツの傍にいていいはずがない!!」
掴みかかりたい気持ちを抑え、手のひらをぐっと握り締める。爪が食い込む感触が己の感情の昂ぶりを突きつけるようで酷く厭わしかった。
ぎりっと歯軋りの音が二人だけの空間に響く。
「傍にねぇ……つかの間の休息と勝手でもあの人の望みを叶えたわてとどっちが側近に向いてるんやろうね」
嘲る笑みを浮かべたまま、アラシヤマがひらりと一枚の紙を寄越した。
「なんも見えてへんあんさんよりわての方がシンタローはんの役に立ってるやろ?」
アラシヤマに与えられた任務の報告書ではない。
先頃、拗れた調停に介入してきた大国の軍事情報がそこに神経質な文字で記されていた。
それは休憩に入る前までにシンタローが頭を悩ませていたひとつでもあった。
「……仲違いしてたアンタとシンタローはんが仲良ぅなったのはええことやろうけどね。従兄弟ごっこはもうええ加減にしなはれ」
現実を見ろ、とアラシヤマは暗い目を瞬かせて俺を見据えた。
特戦部隊が離脱した。民間人どころか軍人をも殺すことを許さないという団規に不満を持つ輩も少なからずいる。
それから代替わりした組織の屋台骨に不安を持つ中立国も、隙を窺う軍事国家や商売敵とでもいうべき暗殺集団やマフィアの多くも……。
「休憩が終わった頃、報告にあがるわ」
それまでせいぜい仲良ぅね、とアラシヤマは棘を含んだ口調で手を振った。
炎の蝶を生み出すように優雅に指先をひらひらと動かして。
コーヒーの高貴が部屋中に漂っている。
けれどもその香りは少しも気分をスッキリとさせるものではなかった。
従兄弟ごっこは終わりにしろ、という暗い声が胸の中に浮き上がってきて忌々しさのあまり俺はカップのひとつをシンクへと叩きつけた。
初出:2005/09/28
いしたけいこ様に捧げます。
Amour et haine
亡き叔父の部屋を訪ねるなり、殺してやる、と壁に体を押し付けられてシンタローはなんだかおかしい気持ちになった。
ぎらぎらとした殺意を浮かべながらも対峙している男が長い指で掴んでいるのは喉元ではなく何故だかシンタローの髪だ。
ぎゅっと掴む感触に軽い痛みを浮かべながらも殺意を口にしてくる口が近づいてくるのを間近で見て笑いをこらえるのに必死だった。
*
初めて会ったときの髪を振り乱した血に飢えた獣のような印象はない。
髪を切った所為か幼くすら見える。それにスーツをきっちりと着こなしている。
パプワ島でひととき邂逅した亡き叔父によく似ていると思ったが、口には出さなかった。
触れるか触れないかぎりぎりまで近づいた新しい従兄弟に手を伸ばすと僅かに彼が後ずさる。
彼の面倒を見ていたハーレム、心を許した高松と従兄弟だと認めたグンマ以外が不意に触れたのが驚いたのだろう。
キンタローの戸惑いはそのままに、シンタローは伸ばした指で短い金色の髪をそっと撫でた。
「なにを……」
する、と紡ごうとした口唇を指で撫でると髪を撫でたときとは違ってキンタローは何の反応も見せなかった。
「俺は、おまえとやりあいたくないぜ」
手合わせ程度ならいいけれど、と口唇の輪郭をなぞるとようやくキンタローが僅かに身じろぐ。
戦慄いたように戸惑う従兄弟にシンタローは無性に愛しい気持ちと後ろめたい気持ちとが込み上げてきた。
キンタローが殺意を抱く気持ちは分かる。けれども。
「俺はおまえのことが嫌いじゃないぜ、キンタロー」
掠めるようにくちづけを落とすとキンタローの目が見開く。
どうしていいのか分からないといった表情で、髪を掴んだ指先の力を緩める彼に微笑み、体を引き寄せる。
抱きとめて、頬が触れ合う。
困ったように眉根を寄せるキンタローにシンタローは耳朶へと熱い息を吹きかけた。
「キンタロー、本当に俺を殺したいか?」
俺はおまえが嫌いじゃないのに、好きなのにと揶揄い交じりに囁くとキンタローの体がびくりと震える。
「殺し……たい?」
開いた眼には戸惑いの色が揺らめいている。
自分にはない青い瞳に微かな羨望を抱きながらシンタローはキンタローの髪を指で梳った。
幼子をあやす様に髪を梳くとキンタローの青い戸惑いの色が広がる。
「殺すなんていうなよ。俺たちは誰よりも一番近い存在なんだぜ」
ずっと一緒にいただろう、と熱い息を吐いて説くとキンタローはぼんやりとした顔で頷いた。
*
向かいの壁に掛けられた鏡の中で父が笑っている。
体は不思議と高揚していた。ふわふわとした気持ちでいっぱいで喩えようもなく幸せな気持ちだった。
主が生存していた頃から何も敷かれていなかった冷たい床に熱を奪い取られても体は冷えることがない。
脱がされ放り捨てられたスーツと、思いきりよく脱ぎ捨てた総帥服とが床の上で皺を寄せ合っている。
繰り返し繰り返しビデオのように再生されていたシンタローの過去の行動とは若干違っている。
彼の体に在った頃に目の前で行われていた行為はシンタローが彼の相手の立場であったはずだ。
抱かれることをシンタローが選択したことは分からない。彼はいつだって攻め立てる側だったはずだ。
それなのにシンタローは彼がかつて享受していたように、シンタローはキンタローのものに奉仕をしている。
舌が這う感触に息を吐くと唾液に濡れた口唇をシンタローは満足そうに歪めた。
「分かるか?おまえの味……」
くくっと悪戯な笑みを吐いてシンタローがキンタローの体に乗り上げる。
首に手を回し、舌を絡めたに止めたキスを彼は従兄弟に与える。
与えられたキンタローが「よく、わからない」と返すとシンタローは破顔した。
笑う従兄弟のことがよく分からなくて、そのうえ乗り上げた従兄弟の背に手を添えていいものかよく分からなくて彼の腰の辺りで手を持て余す。
困ったようにため息を吐き、どうすればいいか、と伺いたてるとシンタローは「俺がリードしてやるから」とキスをキンタローの額に落とした。
吐き出した体液はどろりとしていて、纏わりつく感触もあまりよいものではなかった。
シンタローの口腔に含まれていたときとは違い、空気に晒された自身が酷く据わりの悪い気分にさせる。
鏡の中の父がくすりと笑ったのを見て、ますますキンタローは途方に暮れた。
「ちゃんとそれで慣らせよ。じゃねえと俺もおまえもキツいんだからな」
前に急いでヤったとき食いちぎられそうになったことがあるの知ってるだろ、と過去を振り返るシンタローになんとはなしに頷く。
「次の日、いろんなものを投げつけられていたな」
体の痛みを盛大に詰った従兄弟の当時のお相手を思い返すとシンタローはキンタローの耳翼を噛んだ。
「おまえだって明日、眼魔砲撃たれたくないだろ」
乗り上げた姿勢のままの従兄弟に本当は彼が下になってくれればやり易いんだが、とキンタローは思った。
だが、肩口に甘い歯の感触が当たるのを感じて、高まる熱にそんなことはどうでもよくなった。
*
熱が過ぎ去った後は床の冷たさが身に沁みた。
互いの残滓を拭い取るものが何もなくて仕方なくそのまま身仕舞いを整える。
気だるげに総帥服を着込んだ後、寄りかかるシンタローにキンタローはグンマと会ったときのことを思い出した。
不思議とグンマに会ったときのように殺意が芽生えない。
「……なあ」
まだ熱が孕む声で呼ばれて、キンタローは返事の変わりに従兄弟の髪をやさしく触れた。
「まだ、俺を殺したいか?」
その問いにはくちづけで答えて、キンタローは向かいの鏡に微笑んだ。
父に肯定された執着はいまだ冷めてはいない。けれども。
今は、ただ愛しさで胸がいっぱいだった。
初出:2005/09/23