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向日葵












 彼は太陽だ。
 組織という世界の中心にあり、その力強い輝きでそこに生きるすべての者を率いている。
 いつでも、どこでも、誰もが彼を見つめてる。
 誰のものでもない彼。
 彼は、彼を想う皆のものだから、独占は許されない。
 だから自分たちは、彼が遙か高く天を駆けぬける姿を首を伸ばして見つめることしかできないのだ。

 だって、太陽を独り占めになんてできるわけはないだろう?
















「Cポイントの調査報告を見ろ、兵の数から考えればその案は無駄としか言いようがない。」
 グンマは顔の前に翳した報告書の隙間から、従兄弟の秀麗な面に苛立ちが滲んでいるのを見る。
「へえ、無駄かどうかなんて、あんさんにわかるんどすか?」
 こちらもやはり相当の美形である青年が、彼を軽んじている様子を隠そうともせずに鼻で笑う。
 もちろん、それにキンタローが気づかないはずもなく、びしりとこめかみがひきつったのを確認したグンマは亀の子よろしく再び報告書の後ろに顔を隠した。
 どうやら、テーブルについている他のメンバーも顔には出さないものの心中はグンマと似たり寄ったりらしい。
 誰一人として意見はおろか質問すら口にしないのだから。
 
(シンちゃ~ん、早く来てよぉぉ。けっこうキツイんですけど……。)

 今回自分の発明した装置を使うということで、オブザーバーという名目までつけて、普段出席しない作戦会議にグンマがのこのこ出てきたのには理由がある。
 この新しい従兄弟の補佐官として初めての単独の会議だったからだ。
 今までも、こういう場に出席して意見を述べることはあったが、基本的にシンタローと共に出席し、彼のアシストという形だった。
 だが、今回はスケジュールの都合でシンタローは遅れて出席することになっている。もしかしたら、終わるくらいの頃になるかもしれない。
 だから、キンタローが彼独自の考えを提示するというのは、初めてなのだ。
 そういうことで、グンマはシンタローに言わせれば野次馬根性、本人にしてみれば兄的な気持ちで彼の人生の第一歩を見守りに来たわけだった。
 ―――――そのつもりだったのだ。
 それが狂いだしたのは集められた団員が顔を合わせた瞬間からだ。
「何故、おまえがこの席にいるんだ?」
 開口一番、そんな言葉を投げつけられた男は余裕の態度で答えた。
「仕事どす。」
 そりゃそうだろう、会議を見物に来たりするような人はいないもんね、とグンマは己のことを棚にあげて暢気にそんなことを考えていたが、キンタローの方はというとアラシヤマの答えは充分カンに触ったようだ。
「仕事? おまえもこの作戦に参加するのか。シンタローがよく承知したものだ。」
「わての実力はあの方が一番ご存じですさかい。」
 ふっと彼が笑ったその時、グンマは確かに従兄弟の血管がぶちっと切れる音を聞いた気がする。
 傍目には、眉一つ動かさなかったけれど。

 そもそも、友達だ戦友だと何かと従兄弟にまとわりつくこの男を、キンタローが嫌っているのはグンマも知っている。
 自分はあまり彼と接触が無かったから彼とシンタローの間に何があったのか、よくは知らない。
 けれど、記憶を共有しているキンタローなら、いろいろと許せない出来事があったのだろう。
 帰ろうかなー、とグンマが逃げ道を探してきょろきょろした時には全員着席してしまっていて、「ちょっとトイレに」など言い出せる雰囲気ではなかったのだ。

 


 ――――――そういうわけで、今に至る。

「それは机上の空論というものどす。これだから実戦に出たことの無いお人は困りますわ。」
「ほう、なんなら今から手合わせしてやろうか?」
「わてが言っているのは、あんさんの戦闘力ではなく、もっと根本的なことどすわ。」 
 会議はいっそう白熱し……おもに、二人の間だけでだったが……、一人、また一人と胃のあたりをさする人間が増えていった。
 ちらり、ちらりと視線が自分に集まってくるのを感じたグンマは、やれやれと重い腰をあげた。
 確かに、シンタローがいない今、この二人の間に入ることのできる人間は自分だけだろう。
 いやいやながら、挙手をすると、二人が一斉にこちらを見た。
「まぁまぁ、二人ともの意見はみんなすっっっごくよくわかったみたいだしー。そろそろどうするか結論を出した方がいいんじゃないかナー……って。」
 どんどん言葉が尻つぼみになっていくグンマに、横に座っていたキンタローは頷いた。
「確かに、どこかのバカが己の無能さを恥じて作戦をひっこめればすぐに決着がつくのだがな。」
 アラシヤマも同意見だった。ただし、主語が違うが。
「そうどすえ、どこやらの副官の方が自分の未熟さを自覚してくれればすむ話どすわ。」
 瞬時にぶつかりあった視線で火花が散ったように見えたのは、自分だけじゃない。
 グンマはだらだらと脂汗を流した。
 怖かったのは、絶対自分だけじゃない。
 咄嗟にこう口走ってしまったのも仕方のないことだ。そうなんだ。

「しっシンちゃんに、総帥に決めてもらえばいいんじゃない?」

「シンタローに?」
「シンタローはんに?」
 二人は同時に繰り返したが、お互いが彼の名前を口にしたことに腹がたつらしく、やはりにらみ合う。

 やっぱりシンちゃんは迷惑タラシ以外の何者でもない、と再確認したグンマは携帯を手にあわてて部屋を飛び出した。
 総帥室でたまっていた仕事を片づけていると聞いているが、責任くらいはとってもらわなければ割にあわない。
 登録してある総帥室の直通番号にかけると意外にもあっさりと本人が出たので、グンマは噛みつくように「責任とってよ!」と怒鳴った。
「ああ?」
 機嫌の悪そうな声に、ひるんだものの、現在扉の向こうで繰り広げられているバトルを収束できるのは彼しかいない。
 ここはなんとしてでも呼び出さなくては。
「アラシヤマもキンちゃんもどっちもひかなくて、すごいことになってるんだよお~。もともと、あの二人を一緒にしたのはシンちゃんなんだし、お願いだから来てよ。ねっ。」 グンマがまくしたてる間、シンタローはしばらく黙っていたが、やがてため息をつきつつ了承した。
「わかった……じゃあ、20分くらいしたらそっちに行く。それまでは休憩でもして二人の頭をクールダウンさせておけ。」
「ほんと? ほんとに来てくれるんだよね? 絶対だよ? ありがとうっ! じゃあねっ!」
 やっぱりやめたと言い出されるうちに『切』ボタンを押すグンマだった。






 意気揚々と部屋に戻り、皆に先程のシンタローの言葉を伝える。
「シンちゃん20分くらいしたら来るから、それまで休んどけってー。」
 すると、団員達は一様に立ち上がり部屋を駆け出ていった。どうやら胃薬をとりにいくらしい。
 そして驚いたことにキンタローまでその後に続いてどこかへ行こうとしたので、グンマは慌てて呼び止めた。
「どうしたの? キンちゃん。」
「何かほかに資料がないか見てくる。シンタローが来るまでには戻るから。」
「20分しかないんだよ?」
 キンタローはグンマを見下ろし、肩をいくぶんそびやかしてみせた。
「20分もあるんだ。」
「…………そうですか。」
 キンタローが勢いよく靴の音を響かせて出ていった後は、グンマとアラシヤマの二人っきりになってしまった。
 グンマはぱらぱらと手持ちの書類をめくっているアラシヤマを横目で見る。
「あのさぁ……あんまりボクの従兄弟苛めないでくれる?」
 アラシヤマは興味なさそうにグンマの抗議を受け流している、目を上げることすらしない。
「苛めるなんて心外どす。シンタローはんの副官と名乗ってはる以上、ちゃんとやってもらわなあかんからゆうとるだけどすわ。」
「なら言い方ってもんがあるんじゃない? どう見たってキンちゃんに嫌がらせしてるようにしか見えないけど。」
 いちいち揚げ足をとり、キンタローがむっとした顔をするたび、冷笑を浮かべる。これが意地悪じゃなくてなんなんだ、とグンマは思った。
「ああ、そうどすな。わてはキンタローが好きやあらしまへん。あんさんのこともな。」
 しれっとアラシヤマは言い切った。
「半人前があたりまえの顔をしてシンタローはんの側におるのを見るとなんやむかむかしますわ。」
 半人前のくくりに自分も入れられていたことは少々ショックだが、アラシヤマの気持ちもわからないではない。
 なんだかんだ言っても、シンタローは身内には甘い。彼を慕う者にしてみれば無条件で彼に受け入れられている存在の自分たちはおもしろくないだろう。
「しょうがないじゃない。従兄弟なんだし……。」
 反論しかけたグンマにアラシヤマは視線だけをそっちに向けた。
 唇がくっとつり上がり、笑みの形をとる。

「血もつながってないくせに。」

 すっと自分の顔から血がひくのを感じた。
 思ってもみないほど低い声が自分の喉の奥からもれる。
 
「……もう一度言ったら殺すよ。」

 アラシヤマは鼻先で笑い飛ばしたが、それなりのダメージを自分に与えたことに満足したのかそれ以上は何も言わなかった。
















 予告通り、会議は10分過ぎに再開された。
 シンタローを挟んで、二人の議論は再び白熱の様相を呈しだす。
「このパネルを見てくれ。ここ数年のA国の銃器の購入記録だ。この種類から見て、彼らが地形を利用とした遠隔攻撃に頼っていることがわかる。」
 キンタローは『10分』を有効に使ったらしく、先程より詳細なデーターと資料を皆の前で提示し、彼の組み立てた作戦を論理的に説明した。
「それを利用すればガンマ団の損害を15%程度に押さえることができる。つまりこのB地点にグンマの作った装置をしかければ、彼らのエネルギーのラインはとぎれ、さらにそこを叩けば一気に戦局がこちらに有利に傾くはずだ。」
 これが初めてとは思えないキンタローの緻密な作戦に、団員達の口から次々感嘆の声がもれる。
 ガンマ団の象徴の青の一族の直系であることを差し引いても、キンタローという男の傑出ぶりは際だっていた。
 団員達の賞賛の眼差しを我がことのように誇らしく思いながら、グンマはふとシンタローを見て何かひっかかるものを感じた。
 別に表情は変わっていない。
 けれど、生まれたときからのつきあいだ。なんとはなしにぴんとくるものがある。
 グンマはほったらかしていた資料を手元に寄せばらばらとめくってみた。普段研究室に閉じこもっている自分には縁のないグラフやデーターばかりだが、なんどか解読はできる。
「わては賛成できまへんな。CとDの間を狙うべきやないどすか?」
 キンタローはむっとしたように、軽くパネルを叩いた。
「おまえは俺の話を聞いてなかったのか? CとD地点では供給の見地から考えるとロスが多すぎる。これを見ろ。」
 アラシヤマは動揺することなく、キンタローが示す資料をちらりと見て、そうどすな、と答えた。
「ロスは多いですけど、わてはこの案を推します。キンタローはんはその案でよろしおすな? よう考えましたか?」
「もちろんだ。時間、人員、機能性すべてを配慮してこれを立案した。」
 グンマの手が止まる。
 キンタローが攻撃ポイントと主張している場所の地図だ。
 ついでのように土質などがメモされているのだが、その標本を高松の研究室で見たことがある。確か粒子が細かくて密着しているが、振動が長く続くと一気に崩れる。
 それも攻撃にはプラスだよねぇ……と、考え込んだグンマだったが、もう一度地図を見てやっとアラシヤマの余裕の理由に気が付く。
(うっわーーー。そーゆーことかよ。)
 しかも、わざわざ念押しまでして、とグンマはアラシヤマを睨みつける。
(ほんっっと……………性格悪い。)
 しかし、時はすでに遅く、グンマはキンタローにそれを告げる機会を逸してしまった。
 アラシヤマが中央に座しているシンタローに、話を向けてしまったのだ。
「このままやったら埒があきまへんわ。総帥のご判断にお任せしまへんか?」
 キンタローは望むところだといわんばかりに、シンタローを見る。
「俺は構わない。シンタロー、どちらの作戦をとる?」
 シンタローは全員の注目を浴びて、ゆっくりと椅子に身を起こした。
 その何気ない所作にその場にいた者達は一人残らず釘付けになっている。マジックもそうだが、シンタローにはいわゆる王者の風格というものがある。
 まだ、年若い分、完成しきってない威厳だが、それがよけいに人を惹きつけるのだ。
 確かにこれは争いの種になるかも、とグンマは改めてそう認識してしまった。
 この輝かしい人の視線を一瞬でも自分に向けてもらいたい、と願う人間はこれからも増えていくだろう。
 ついでに今目の前でおこっているような場面も役者を変えて何度も演じられる。    彼が彼である限り。



「俺は―――。」

 彼が口を開き、皆固唾をのんで総帥の選択を待った。

「俺は――アラシヤマの案をとる――。」

 キンタローは一瞬凍り付いたようになったが、すぐに猛然と抗議する。
「何故だ? 計算値も、配分も完璧だ。おまえが望む以上の戦果が得られるはずだ。」
 何故、自分じゃなくアラシヤマを選ぶんだ、と言う怒りを滲ませるキンタローを宥めようとグンマが口を挟みかけた時、アラシヤマの鋭い声がとんだ。
「ええかげんにしなはれや。わては何度も聞きましたやろ。ほんまにええんどすかって。」
 アラシヤマは先程グンマが見つけた地図を取り出し、キンタローの前にずっと差し出した。
「確かにあんさんの出した案は合理的で、ようでけたもんでしたわ。けどなぁ――その案をつこうたら最後、ぎょうさん人が死にまっせ。」
 キンタローは今更ながらにその地図を見る。
 地形的にも地質的にもこちらに有利な場所だった。しかし、その延長線上に決して小さくはない町があることにキンタローは今の今まで気づかなかったのである。 
 いや、存在を知ってはいた。
 彼が失念していたのは、現在のガンマ団が掲げる「民間人を殺さない」というその主義だったのである。
 もし、キンタローが立案した攻撃方法を使えば、直接攻撃を受けるわけではないその町は地形的に土砂崩れに巻き込まれる。
 そこに至る配慮が決定的に欠けていたのだ。
「わかりはったようですな」
 ガンマ団ナンバー2の男は、キンタローの顔色から彼が理解したことを確認し、すぐに平坦な口調に戻った。
「それでは、この案でよろしおすな。みなさんも。」

 反対する者はもう誰もいなかった。

















 全員が去った後の会議室に残ったグンマは黙々と後かたづけをしているキンタローにおずおずと声をかけた。
「キンちゃん、あんまり気にすること無いからね。」
 キンタローはやはり無言だ。
 父親譲りらしい明晰な頭脳の持ち主のキンタローは、帰還して以来間違いらしい間違いを殆どしたことがない。
 キンちゃんってすごいなー、とグンマは単純にそう思っていたのだが、反対にそれがまずかったのかもしれないと今更ながらに思った。
 挫折を味わったことが無いキンタローがよりにもよってこの場で初めての失態を演じることになるとは。
 しかも、相手はアラシヤマ、そしてシンタローの目の前で。
 いつかは通らなければならない道と高松あたりは言うだろうが、それにしてもついていない。
「失敗なんて最初は誰でもするんだよ。ボクだって、ロボット作り出した時は失敗作ばかりで……。」
「グンマ。」
 キンタローは従兄弟の話を遮った。
「この前壊れたガンボットは通算何体目だった?」
「260……273体目だったっけ。忘れちゃった。」
 えへへ、と明るく笑った後でグンマは「で、それが?」と不思議そうに問い返した。
「…………………いや、別に。」
 キンタローは特にコメントは差し控えた。
「じゃあ、ボク、用があるから行くね? ほんとに大丈夫?」
 グンマに心配そうに確かめられ、キンタローは頷いた。
「ああ、気にしていない。」
 従兄弟はほっとしたように笑顔を浮かべ、それじゃあ、と手を振って急いで会議室を出ていった。
 本当にぎりぎりだったらしい。
 グンマにもよけいな気をつかわせていたということか。
 キンタローは自嘲して椅子にどっかり座り込んだ。
 何が悔しいって、アラシヤマに負けたとかそういうレベルの問題じゃなく、シンタローの決めた方針をあっさり忘れ去った自分の至らなさに腹が立つ。
 生まれて一年も経っていない自分には、決定的に経験が足りないのは自覚している。だからそれを補うべく、あれこれ資料を読んだり、シンタローの中にいるとき見聞きした事柄を反芻したり、と努力は怠らなかったつもりだ。
 どうしても埋められない差、なんて言葉に甘えたくない。
 彼の側にいたい。彼をたすけたい。
 そう、決めたのだから。
 悔しい。
 胸の中が暗く焦げ付きそうなもどかしさにキンタローは宙を睨み付けていた。
 どれくらいそうしていたのだろうか、キンタローが我に返ったのは扉を開く音だった。
 てっきりグンマが戻ってきたのかと振り向いたキンタローは、そこに片割れの姿を見つけ驚いた。
「シンタロー。」
「よう。」
 大股で歩み寄ってきて隣の椅子に腰をかけるシンタローは普段通りの表情だった。
「………おまえにも心配をかけたということか。」
 今度こそ決定的なまでに落ち込んでキンタローは、ため息をついた。
 よりにもよって本人に気を遣わせるなど、副官としてあるまじき失態だ。
 シンタローは前を向いたまま素っ気なくキンタローに告げる。
「さっきは悪かった、とは言わねぇぞ。俺は指揮官としてあっちを選んだんだから。」
「そんなことは分かってる。だいたい、おまえが慰めに来るというのもおかしい。」
 キンタローの答えに、シンタローは、はっ、と笑った。
「誰が慰めに来たっつった? てめぇに仕事させるために来たんだよ。」
「仕事? なんだ? 昨日の書類なら執務室に届けてあるぞ。」
 ちげーよ、とシンタローはぶっきらぼうに否定した。
「おい、キンタロー、そのままで動くなよ?」
 そう命令されたかと思うと、キンタローの肩に柔らかい重みがのしかかった。
「今日は疲れた。肩を貸せ。」
「…………仕事なのか? これは。」
「総帥を助けるのは、補佐官の仕事だろ?」
 頭をキンタローの肩に乗せ、シンタローはそう断じた。
「あのな、キンタロー。急ぎすぎるな、とは俺にも言えない。自分の速度なんてもんは自分ではわかんねーもんだし。」
 シンタロー自身にも身に覚えのあることだろう。いや、現在がまさしくそうだ。
 だから、キンタローは少しでも彼を助けたかった。一人で重荷を背負わせ、孤独に戦わせるのはもういやだったのだ。
 それでも、全然うまくいかない。
 同じだけの速度で走っているつもりでも、相手はずっと前から走っているのだから全然追いつけない。
 「アキレスと亀」という論理を数学の教本で読んだことがある。
 平たく言えば、亀に遅れて出発した勇者アキレスは永遠に亀に追いつけないという話だ。
 この有名なパラドックスを数学的に解く方法は現在でも、『より近い回答』しかないそうだ。
 現実にはそうでないことをキンタローも知ってはいるが、それでも今はこの設問が真実であるかのような気になってしまう。
 自分が一歩進んでもシンタローもその間に確実に進んでいる
 いつまで経っても自分は彼と並ぶことのできる人間になれないのかと不安になるのだ。
「……俺はおまえの側にいる価値のある人間に早くなりたいんだ。」
 シンタローはキンタローの肩に頭をもたせかけたまま苦笑した。

「なってるよ、とっくに。」

 キンタローが不審そうにしていることにシンタローは気づいて、なおも言葉を重ねた。
「あのなあ、こんなことを俺が他のヤツにできると思うか?」
「……思わない。」
 いや、いないでもないような気がするが、そういうことにしておく。
「なら、黙って俺を休ませてろ。補佐官。」


 ――――そして、補佐官は総帥の命令に従ったのだった。

















end

2004/03/13
+++++++++++++++++++++
2006/11/20改稿
性格悪くてかっこよくて、シンタローさんを想ってるアラシヤマと、シンちゃんに甘やかされてる1歳児を書きたかったらしい。
アラシヤマにときどき夢見すぎかもしれません。



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ket
愛玩動物













 『彼』はいつもドアを開けたすぐのところで、自分を待っていた。
 きらきらした黒い瞳は、どんなに『彼』が自分に会いたかったかを、言葉よりも雄弁に語り、さらにちぎれんばかりに振る尻尾がそれを裏付けた。
 それは、『彼』がその生涯を終えるまで、続けられたのだった。














 会議室から総帥室へと続く廊下を歩きながら、シンタローはこっそりとこった肩をさすった。
 総帥に就任してから、あちこち世界を飛び回る日々を過ごしているからか、たまにこうやって本部に帰って会議や書類にサインをする日々が続くと、身体がなまっていくような気分になる。
 しかも、今回は遠征が長引いてしまったため、本部での仕事がたまりすぎて、ろくろく散歩にも行けない状態になってしまっていたのだ。
 それも、自分が決めたことなのだから、仕方がないとは彼も想っていたが、こうやって部屋から部屋へ移動するわずかな時間だけが、息抜きの時間というのはさすがにもの悲しいと思うシンタローだった。
 窓の外を見れば、雲一つ無く晴れ渡った空が彼方まで続いている。
 こんな日は、机の前から離れて外を駆け回りたくなる。
 そういえば、昔飼っていた犬も、こんな日は上機嫌で遊びに行こう、と朝早くから自分のベッドの周りをぐるぐる回っていたものだった。
 しばしノスタルジーに浸る総帥を、補佐官の無遠慮な言葉が現実に引き戻す。
「シンタロー、何を立ち止まっている。会議が早く終わったからといっても、休憩時間はとれないぞ。遠征の間にたまったデスクワークがあるんだからな。」
 シンタローは斜め後ろに立つ、従兄弟を振り返る。
 空と同じ色のその目は、怠惰は許さん、とばかりに自分をじっと睨んでいた。
 本当に、何がどうしてこんな堅物になっちまったんだか、とシンタローはため息をついて頷いた。
「あー、はいはい、分かってるから、そうカリカリすんな……。」
 言葉の途中で、本当に自分の足下からかりかりという音が聞こえてきて、シンタローは下を向き顔をほころばせた。
 茶色い子犬が、シンタローのブーツにじゃれついて、その小さな爪が音を立てているのだ。
「うっわー、ちっせー。どうしたんだ、迷子か?」
 ひょいっと、抱き上げると、その小さい子犬は細いしっぽをぴこぴこふって、「わん」と、元気よく答えた。
 どうやら、和犬の子犬らしく焼きたてのトーストとよく似た色の、小さな耳をいっちょまえにぴん、と立っている。
「かっわいいなあ、なに、おまえ、どこから来たの?」
「犬は返事ができない。シンタロー。」
 そのあまりの愛らしさにでれでれと相好を崩しまくっているシンタローに、冷静な副官の指摘が水をかけた。
「んなこと、わかってるっつーの! だいたい、こんなかわいい子犬見て、おまえはそんなことしか言えんのか。」
「かわいいのはおまえだろ。」
 しれっとした顔でつっこむ副官に、周囲にいた団員達は「キンタローさまナイス!」と心の中で盛大に拍手した。
「なにアホなこと言ってんだ! あっ、ごめんごめん、おどかしちまったなー。」
 ごめんな、と子犬に顔を寄せると、小さな桃色の舌がぺろぺろとその唇を舐める。
 途端、周囲の団員達がぎりっと歯ぎしりをした。
『ちくしょーっ! ここにビデオがあれば!』
『それより、今、あの犬とチェンジしたい!』 
と、団員達のどろどろの欲望がうずまくその空間に、息せき切って駆けつけてきた人物がいる。
 元総帥の側近の一人で、現総帥の信頼も厚いと言われている忍者トットリだった。
 きょろきょろとしながら走っていた彼は、シンタローの腕にいる子犬を見てほっとした顔をした。
「あーっ! いたいた。ごめんだっちゃわいや、シンタロー。」
「おお、これ、おまえの犬か? トットリ。」
「いや、ちょっとこの前の任務先で拾ったんだっちゃ。もう、もらい手は見つけてるけど、ミヤギくんにも見せてあげたくって、待ってるんだわいや。」
 ミヤギが所属している隊が戻るのは、明日だ。
「そっかー、すぐにどこかに行っちゃうのか。」
 シンタローは名残惜しげに、手の中の子犬を見る。
「なぁ、コイツ、もうちょっと預かってちゃダメか? ミヤギが帰るまで一晩でいいから。」
 意外なシンタローの申し出に、忍者は目をぱちくりさせた。
「そりゃ、かまわんけんど、僕も報告とかで忙しいので、面倒みてもらえたら助かるっちゃ。」
「やった、サンキュ。」
 シンタローの顔がぱっと輝いて、全開の笑顔になると、周囲の団員達は耐えきれず、壁によりかかったり、床にしゃがみ込んだりした。
『たまんないっす! 総帥!』
 シンタローに代替わりしてから、ガンマ団の養成学校では「鼻血を出した時の速やかな応急処置方法」が最初の必須授業になり、そして現在団員の中で、一番実用性が高い授業として大変評価が高い。
『総帥の後ろに立っていて今のスペシャルエクセレントプリティーキュアキュアな笑顔を見ていないキンタロー様はともかく、なんで正面に立って攻撃をまともにくらったトットリさんは平然としているんだ!?』
『さすが、元総帥の側近はひと味もふたあじも違うぜ!』
 一部の団員の尊敬を知らずに集めているとも知らず、顔について非情に偏った趣味の持ち主のトットリは、手にしていた首輪などをシンタローに渡しながら、餌や、しつけについて説明しようとしたが、邪魔をする人間がいた。
 例によって例のごとく、有能な補佐官である。
「そんなことは許さないぞ。シンタロー。どれだけ仕事がたまっていると思うんだ。もう一度言う、おまえしかできない仕事が膨大な量たまっているんだ。犬と遊んでいる暇など無い!」
「ちょっと世話するだけじゃねぇか、たった一日のことだし、トットリもこんなんじゃ、ろくに面倒みてやられねぇだろ。」
 シンタローはごねたがキンタローはそれを無視して、おまえが悪いと言わんばかりにトットリに攻撃を移した。
「だいたい、もらい手が決まっているんだったら、さっさと連れていけばよかっただろう。ミヤギに見せたいという話だが、おまえが彼の飼い犬みたいなものだから充分だろう。」
「わっ! 馬鹿! 禁句を……。」
 シンタローが慌てて止めに入った時には、既に遅く、トットリの周りの空気がびしりと凍り付く。
「誰がいぬだっちゃ……。」
 童顔をひきつらせキンタローをぎっと睨みつけるものの、いまいち迫力にかける。
 当然ながら、キンタローは顔色一つ変えなかった。
「おまえ。」
 容赦ない一言に、トットリの大きな目に涙がぶわっと盛り上がる。
 やべ、とシンタローがフォローしようと口を開く前に、滝のような涙をあふれさせた。
「うっわああああああああああああああああああああああん!!」
 二十歳もとっくに超えた男には思えないほどの、泣きっぷりを披露して、トットリは元来た方向へと、全速力で走り去ったのだった。
「お、おい! トットリ。」
 しかし、童顔でもさすが忍者。
 総帥の制止の声も聞かず、彼の姿は見る見る間に遠くなって消えてしまった。
 さすがにかわいそうになったシンタローが、キンタローをじろっと見る。
「キンタロー! 謝ってこい!」
「何故だ。俺は間違ったことを言っていない。」
「いいから! とにかく、トットリにフォローいれてこい! さもねぇと、おやつもご飯も二度と作ってやらん。」
「結構だ。」
 なかなかに強情なキンタローに、シンタローは破れかぶれで言ってみた。
「そうするまで、俺の部屋に立ち入り禁止。」
 すると、キンタローはぴくんと肩を上げた。
「………わかった。行って来る。トットリの自室はどこだ?」
 あまりの素直さにびっくりしているシンタローをよそに、キンタローは部下にトットリの部屋番号を聞いて、すたすたと歩いて行こうとした。
 しかし、数歩歩いたところで、ぴたっと止まってシンタローのところに戻ってくる。
「犬。」
 手を差し出され、我に返ったシンタローが渋々と子犬を渡すと、キンタローは無言のまま踵を返し、今度こそ寮のあるセクションへと向かったのだった。

















「遅い。」
 シンタローは書類にサインをしながら、いらいらと卓上の時計の数字を見た。
 キンタローを送り出してから、もう既に一時間近く経過している。
 トットリの部屋から、この総帥室まで、どれだけとろとろ歩いても三十分はかからないだろう。
 まさか喧嘩になったとしても、キンタローとトットリじゃ勝負にもならないし、と部下には少々酷なことを思いつつ、シンタローは受話器を取って、トットリの部屋のナンバーを押したが、呼び出し音が鳴り響くだけで、誰も出る様子がない。
「あー、もう。」
 シンタローは渋々腰を上げて、トットリの部屋へ向かう。
 仮に何かあったとして、場を納められるのは上司である自分しかいないのだから、仕方がない。
 急いだおかげで、十五分ほどで部屋へついて、呼び出しボタンを押したが、まったく反応が無い。
 よそで話しているだけならいいが、万が一ということもある。
 シンタローは中に入ってみることにした。
「おい、俺だ。」
 部屋はオートロック式なので、シンタローは部屋のロックの解除を頼もうと、秘書室に電話をしたが、出たのは何故かもう一人の従兄弟だった。
「あれー、シンちゃん。なんで、そんなとこにいるの?」
「おまえこそ、なんで秘書室にいるんだよ。」
 今の時間なら研究室に詰めてるだろ、とシンタローがいうと、グンマはあっけらかんとして答えた。
「だって、ここだったら、美味しいお菓子があるんだもーん。」
 確かに、秘書室なら菓子は欠かさないだろう。
 総帥の休憩用のお茶請けを用意していることが常だったからだ。
「……それ、俺のじゃないか?」
「いいじゃん、シンちゃんのことだから、食べてる暇がないって手をつけてないんでしょ? それより、何の用? これって寮からの電話じゃん。」
 言われて、肝心の用件を思い出したシンタローは、トットリの部屋のドアロックを解除するように頼んだ。
 しかし、グンマは、あー、ソレだめとにべもない。
「一応、プライバシーなんかの問題もあるから、中央室からのロックのコントロールは、一斉って決まってるんだ。個別に開くときには、解除プログラムを個別に書き込んだカードキーが必要なの。」
 迷ったものの、総帥権限ですべてのドアを開かせるのはさすがに気が進まず、シンタローはグンマにそれを持ってくるよう命令した。
「えー、やだ。他の人に持っていってもらっちゃだめ?」
 案の定、従兄弟はたいそう面倒くさそうな声をあげた。
「いいから、おまえがもってこい。中にキンタローがいるみたいなんだが、返事が無いんだ。」
「キンちゃんだったら、眼魔砲ぶっ放して出てくるよ。」
「いちいち、施設を壊されてたまるかーっ!」
 シンタローが怒鳴りつけると、さすがのグンマもわかったよ、としぶしぶ承知した。













「遅い。」
 せっかくカードキーを持ってきたあげたにも関わらず、いきなり文句を言われてグンマはむっとした。
「ひどいよ、シンちゃん。遅いはないでしょう。」
「秘書室からここまでせいぜい十分だろうが、何をちんたら歩いてきてやがんだ。」
 いいから、さっさと開けろ、と、命令されてグンマは言い返そうかと迷ったが、シンタローの苛つき様に、我慢してカードをリーダーに差し込んだ。
 ピーッという、解除の合図の電子音が鳴り終わらないうちに、シンタローは中に入り込む。
「キンタロー!」
 シンタローのせっぱ詰まった声に、肩越しにのぞき込んだグンマも驚きの声を上げる。
「キンちゃん!? どうしたの!?」
 部屋に入ってすぐのところで、二人の従兄弟が床に突っ伏していたのだった。
 その周りを茶色の子犬が、所在なげにうろうろとしている。
 きゅんきゅん鳴いている犬をシンタローは抱き上げて、背後のグンマに渡してから、キンタローを抱き起こして、呼びかけた。
「キンタロー、おい、目さませ。」
 手の甲でぺちぺちと軽く叩いて声をかけると、彼はうっすらと目を開けた。
 しかし、その目はぼうっとしていて、焦点が定まっていない。
「キンタロー?」
 心配になったシンタローが、もう一度名前を呼ぶと、その目がやっとシンタローの方へ向いた。
 とりたてて怪我をしている様子でもないが、どこかおかしい。
「おい、キンタロー、何があった?」
 キンタローはやはり無言のまま、シンタローの顔を見るのみだ。
 とうとう、シンタローは声を荒げた。
 もともと、気が長い方ではないのだ。
「いいから! なんとか言えよ!」
 すると、キンタローは『なんとか』を口にした。





「わん。」


と。
















「トットリー!! 今すぐ出てこい! 総帥命令だっつってんだろコラ!!」
 突然スピーカーから流れたシンタロー総帥の怒鳴り声に、団員達は思わず顔を見合わせた。
「何があったんだ?」
「さあ。」
「緊急の任務でもあるんじゃないのか?」
「いや、報告書に不備があったとか……。」
 どちらにしても、自分たちには関係あるまい。
 一般団員には知らされないようなレベルの話に決まっている。
 全館放送を使って、総帥自らが一人を名指しして呼びつけるなど、めったにあるものじゃない。
 これはよほどのことがあったと考えるべきだろう。
 ――そう、実際に『よほど』クラスのことだったのである。
 むしろ『とんでもない』と言った方がよいかもしれない。
 なにしろ、ガンマ団総帥の従兄弟にして、補佐官、さらにガンマ団一のブレーンとしての呼び声高い彼が、あろうごこか『犬』になってしまったのだから。
「たく、あの馬鹿! とんでもねぇことしやがって!!」
 さんざん、マイクに向かって怒鳴り散らしたシンタローは、トットリの投降をあきらめ、スピーカーの電源を落とした。
「たぶん催眠術かなんかだろうけど、かけた本人しか解けないだろうし……。」
 ねぇ、とグンマが話しかけても、キンタローはまばたき一つしない。
 ひたすらじっと気をつけの姿勢のままだ。
 そうしていると、普段と変わらないようにも見えるが、話しかけても殆ど無反応で、口をきいたのも、先ほどの『一鳴き』だけ。
「しょーがねぇ、誰かに言ってトットリを探させるから、それまでそいつの面倒見てろ。」 そう言って、さっさと部屋を出ていこうとするシンタローにグンマが抗議の声をあげる。
「ええぇ!? ずるいよーっ!」
「うっせぇ! 俺は仕事があるんだよ!」
「ボクだって研究あるもんっ!」
「テメーの研究なんて、どーせ、あひるのはりぼてとか象のバイクとかそんなもんだろーがよっ!」
「ひっどーいっ!」
 ぎゃあぎゃあと、ひとしきり口論した後、結局グンマが折れた。 
 確かに基地にいる間の総帥の忙しさはよく分かっているし、そのうえ有能な補佐官がこんな状態なのである。
 かといって、他の人間にこのキンタローを見せるわけにもいかない。
「わかったよ。ちゃんと、キンちゃんの世話はするから、シンちゃんは早くトットリを見つけて、キンちゃんをちゃんと治すように言ってよ。」
「ああ、任せとけ。見つけ次第ここに引きずってくる。」
 シンタローは頷き、今度こそその部屋を出ようとしたのだが。
「あっ、キンちゃん!」
 キンタローがいきなり歩き出し、シンタローの後ろにくっついて部屋を出ようとしたのだ。
「キンタロー、ちょっ、ついてくんなっ。」
 しかし、キンタローは構わずぴったりと後ろについてくる。
 グンマも一応キンタローの腕を引っ張ってみたが、まったく引き戻せない。
「あー、これは無理だよ、シンちゃん。たぶん、キンちゃん的に『飼主=シンちゃん』って図式ができてんだよ。」
「なんでっ!?」
「上司=飼主なんじゃない。」
「そんな怖いこと言うなーっ! どうにかしろっ!」
 




 ……どうもこうもなかった。
 シンタローはにわかペットを傍らに従えて、午後からのデスクワークを再開することになったのだった。














 愛しの心友からの呼び出しに、嬉々として駆けつけたのはガンマ団ナンバー2だった。
「シンタローはんが、わざわざこのわてを指名やなんて、どないな風の吹き回しどっしゃろ。照れ屋さんどすのに。」
 なにしろ、顔を出せば眼魔砲もしくはシカトをくらってきたアラシヤマにとっては、シンタローが自分に会いたいと思ってくれる、とそれだけでもう第七天国にでも登ったような大騒ぎだ。
 総帥室に入ってきてからこっち、一人で興奮して騒いでいる彼にインク壺をぶつけたいのを必死で堪えているシンタローだった。
 なにしろ、腐っても……腐敗しきってもガンマ団ナンバー2である。
 シンタローが今抱えている問題を解決できそうなのは、他の連中が遠征などでいない今、彼しかいなかった。
「……はっ! もしかして、デートのお誘いとか!? ああっ、どないしまひょ! 焦って普段着のままきてもうたわ!」
 今から、部屋戻ってよそゆきに着替えて……と、来た道を戻ろうとしたアラシヤマをシンタローはいやいやながら引き留めた。
「……その服で充分だ。俺が必要なのは中身なんだから。」
 仕事さえしてくれれば、聖衣を着ようが、着ぐるみを着ようが自分の知ったことではない。
 しかし、アラシヤマはなにを勘違いしたのか、顔をぽっと赤らめてすすすっと寄ってきて、机越しに素早くシンタローの手を取った。
「いややわー、シンタローはんったら、大胆。」
 ひきつりながらも、協力させるまで多少のオサワリは我慢しているシンタローの耳に、グル…と、重低音のうなり声が聞こえた。
 アラシヤマも気づいて、シンタローの傍らに立つ補佐官を、うろんなものを見るような目で見上げる。
 いつもアラシヤマを見るたび、剣呑な目つきになる補佐官だったが、本日はいつもにも増してあからさまに敵意を剥き出しにしている。
 ……なんですのん、いったい。
 アラシヤマがそちらに気を取られている隙に、シンタローはなんとか自分の手を彼の手から抜いた。
「うんうん、頼りにしているから、トットリをここに引っ張ってきてくれ。」
 そう言った瞬間、アラシヤマが「なんやってーっ!」と叫んだ。
「あんなちびっこ忍者に会いたいやなんてっ! しかも、こともあろうにわてに他の男を捜させるやなんてひどいどす!」
 シンタローを押し倒さんばかりの勢いで、詰め寄ってくるアラシヤマの形相は凄まじく、さすがのシンタローもその迫力に押されてしまった。
 硬直しているシンタローにぴったりと寄り添いながら、戦士にしては華奢な指先にシンタローの長い髪をくるくる巻き付かせて、なおもえんえんとかき口説いた。
「うんもう、ほんとにいけずなお人やわぁ。そんなとこがまた、わてをあんさんから離れさせてくれへんのんやけど……。」
 …………我慢だ。我慢だ俺! こいつを今眼魔砲で吹き飛ばしたら、トットリを探してこられるヤツがいなくなる。キンタローを元に戻すためだ。ガンバレ、耐えるんだ……ファイト、俺。
 シンタローは、ファイトファイトと小声で念仏のように繰り返しながら、キンタローを見て、さらにまた凍り付いた。
 青い目に、怒りを滲ませ、ウウ……と、歯をむき出してうなり声をあげている。
 
 ヤバイ!

 シンタローは、アラシヤマをとっさに蹴倒し、今、まさに飛びかからんとしていたキンタローにしがみついた。

「……どないしなはったん、そん人。」
 
 蹴られた痛みさえ忘れたかのように、アラシヤマがぽかんとしてキンタローを見上げる。
 目が合うとさらに怒りがヒートアップしたのか、キンタローはがうっと吠えた。
 それを必死で押さえつけながら、シンタローはアラシヤマに命令した。
「仕事が終わったのに、おまえがぐずぐずしているから、キンタローは怒ってるんだ! 早く行けよ。俺はこいつにおまえを噛ませたくないんだよ!」
「シンタローはん……そんなにわてのことを……おおきにっ! わて、がんばって忍者はん探しますわ! 待ってておくれやす!」
 感動したアラシヤマは、頬を染めてらんらんとスキップしながら、総帥室を出ていった。
 不満そうに喉の奥でうなり声をあげている従兄弟の背中を撫でて、シンタローはなだめた。
「いいから、我慢しろ、キンタロー。あんなヤツを噛むと変な病気がうつるぞ。そうなったら、俺は非情に困る。」
「がう……。」
 よしよしとなだめらて、なんとか落ち着いたキンタローだったが、その目には「いつかアイツを噛んでやる」という決意が漲っていたことは言うまでもない。



















 その後は、特にキンタローは騒ぎを起こさず、番犬よろしくシンタローの横で静かにしていた。
 何人かが報告やら、書類提出やらに総帥室を訪れたが、誰一人補佐官の異常に気づく者がいなかったのだから、普段とそう変わりはないのだろう。
 が、シンタローはかなり居心地の悪い想いをしていた。
 普段と違ってあれやこれや口うるさくないことは結構だが、無言のままじーっと自分の手元を見るのはやめてほしい。
 しかも、一瞬ペンを置いたり、書類を伏せたりなんかすると、背後から妙に明るい空気が流れてくる。
 無視をして、仕事を再開すると、しゅーんとしている気配が伝わってくる。
 ……そういえば昔飼っていた犬がそうだった、とシンタローは思い出した。
 宿題をや遊び、他のことに夢中になっている時は、こういう怨めしげな視線で自分の行動を逐一見張っていたものだった。
 鬱陶しくなってわざと背中を向けると、この世の終わりのような表情をするものだから、幼かった自分はよく根負けして、つい一緒に遊んでしまったりしたものだが、今は大人。
 負けるもんか。
 シンタローは身体中の神経を、目の前の書類の山へ集中させた。
 この間、調停した国のその後の報告だ。
 一度関わった件が、自分の手を離れたその後でよろしくない方向へ進もうとすることが無いとは言い切れない。
 最後まで見届けることは、関わった者の義務だ。
 シンタローは、それを取り上げ、目を通し始めた。











 その日は遅くまで残ったのだが、シンタロー一人ではあの書類をすべてすませることはやはり大変で、残りは持ち帰りとなってしまった。
 帰る早々、自室に引きこもって仕事を再開するシンタローに、夕食をグンマが運んできた。
 いつもなら、ここぞとばかりに息子の世話をやきたがる父親が、あいにく不在だったからだ。
 一緒に入ってきた子犬が嬉しそうに部屋の中を駆け回り、シンタローの靴にじゃれついたが、グンマが持参したボールを向こうに投げると、それを追いかけていってしまった。
「はい、シンちゃんごはんだよ。片手で食べられるものがいいと思って、サンドウィッチを作ってもらってきたよ。」
「ふーん、めずらしく気が利くな。」
「ひどーい、もうっ! あ、これキンちゃんの。」
 シンタローは早速手を伸ばして、卵サンドをとった。
 自分のじゃない、とグンマがちゃんとシェフに告げたのか、幸いジャムやらクリームなんかは混入されていなかった。
 ほっとして、かぶりつくと特製マヨネーズソースがたいへん美味しい。
 芥子がもうちょっとあってもいいかな、などと、シンタローが心の中で批評していると、グンマの困ったような声が聞こえて、シンタローは書類から顔を上げた。
 見ると、いっこうに食事に口をつけようとしないキンタローに、グンマが皿をつきつけて食べるようにと促しているところだった。
「キンちゃーん、お腹空いてるでしょう? 食べないと眠れないよー?」
 しかし、椅子に背筋を伸ばして腰掛けた姿勢から、キンタローはいっこうに動こうとしない。
 シンタローは最後のハムサンドを食べ終えると、そちらの方へ身体ごと向きを変えた。
「サンドウィッチが嫌なんじゃないのか?」
 グンマは、そんなことないよ、とふくれた。
「キンちゃん、サンドウィッチ嫌いじゃないし……それに、ヤじゃない? 紳士なキンちゃんにスープを犬食いなんかされたら、高松じゃなくても泣くよ! シンちゃんだって、泣くでしょ!?」
 確かに想像するのも嫌な光景だ。
 シンタローはじぶんが泣くかどうかはさておき、それが視覚的暴力であることは認めた。
「食べないならほっとくしかないだろ。そこらへんに置いとけば? 腹が減ったら勝手に食べるさ。」
 そうかなぁ…とグンマは頑なまでに身動きしないキンタローを心配そうに見て、首を振った。
「だめだよ、キンちゃんはかなり融通きかないもん。それに置きっぱなしにしてちゃ乾いちゃう。」
 確かに、と、シンタローも納得したが、本人が食べようとしないものを無理強いすることはできない。
「腹はへってるはずなんだけどなぁ……本当に喰わねぇの? おまえ。」
 キンタローは微動だにしない。
 シンタローは適当なサンドウィッチを取ると、キンタローの目の前につきつけた。
「ほらほら、うまいぞー。」
「シンちゃんったら、そんな子供みたいな……。」
 たしなめようとしたグンマだったが、キンタローがそれにぱくっと食いついたのを見て、言葉を切った。
 シンタローはといえば、グンマよりもっとぎょっとした顔で自分の手から食事を摂る従兄弟を見ている。
 全部食べ終わると、もっと、と言う顔でシンタローの手を鼻先でつつかれ、二人はやっと正気に戻った。
「……食べたな。」
「……食べたね。」
 そういや、シンちゃんが昔飼っていた犬って、絶対シンちゃんがあげた餌しか食べなかったな、とグンマは思いだし、手にしていた皿をシンタローの方へ押し出した。
 急におはちが回ってきたシンタローは、焦って首を振った。
「ちょっ……冗談じゃない! なんで、俺が野郎に食べさせてやらなけりゃならねぇんだ!」
「しようがないでしょー、キンちゃん、シンちゃんの手からしか食べそうにないよ。だいたい、キンちゃんがこうなっちゃったのは、シンちゃんがキンちゃんをトットリのところへ行かせたからでしょうが。責任とりなよ、総帥だろ!」
 何か違うと思ったが、確かに元はといえばその通りの原因なので、シンタローは渋々もう一つ取って、キンタローの口元へと運んだ。
 キンタローは躊躇せず、それに歯を立てると食べ始めた。
 ここに父親がいなくてよかった、と二人が同じ事を考えていると、最後まで食べ終わったキンタローが、シンタローの指先についたマヨネーズをぺろっと舐めた。
 その微妙な感触に、シンタローは背中がぞくっとして顔が赤くなった。
 グンマが隣でぼそりと呟く。

「……ねぇ、本当にキンちゃん演技してるんじゃないよね……?」





 俺に聞くな、とシンタローは赤くなった顔を、グンマから見えない方向へと向けたのだった。















 約一名にとって羞恥プレイにも等しかった食事の時間が終わり、グンマは皿とカップを持って立ち上がった。
 おやすみー、と出ていこうとするグンマに、シンタローは膝の上に乗せていた子犬をどうするのか聞いた。
「その子、シンちゃんに懐いてるし、シンちゃんがみてあげてよ。元々シンちゃんは、そっちの子犬の世話したかったんでしょう。昼間だけならともかく、夜まで面倒見られないよ。ペットシーツも置いておくからお願い。」
「しょーがねぇなぁ。」
 口では文句を言いつつも、内心嬉しくてたまらなかったので、シンタローは二つ返事で承知した。
 グンマが出ていった後、始めは仕事をしていたものの、子犬が遊んでほしそうに尻尾をふっているので、ついつい相手をしてしまった。
 ゴムボールをほうってやると、弾むそれと同じように飛び跳ねる。
 その様がまるでもう一つのボールのようで、シンタローの頬がついゆるむ。
 このまま手元にひきとりたい、と思ったが、すぐに無理だと諦める。
 なにしろ、一年の半分近くを遠征やなにやらで自宅を留守にしているのだ。
 他の人間に世話をしてもらっていては、飼っているとはいえないだろう。
 病気の時も側にいてやれない。
 ふと、遠い記憶が蘇り胸がちくっとする。
 シンタローは、それをまた心の奥底にしまい直し、子犬が持ってきたボールを再び投げてやった。
 その後は結局、仕事にならず、子犬も疲れてきたのが分かったのでシンタローは寝ることにした。
 子犬は人に渡す前にと、トットリが洗ってあったらしくその必要は無さそうだったが、キンタローはそういうわけにはいかず、自分が入るついでに洗ってやった。
 頭からお湯をかぶせると、ぶるぶると身震いをして怨めしそうな目で髪の間からこっちを見ていたが、特に大きな抵抗はしなかったので、無事に洗い終えた。
 パジャマを着せた彼を、彼自身の部屋へ連れていってベッドに放り込む。
 置いていかれそうになって、今度ははっきりと目に抗議の色を浮かべるキンタローに、シンタローは「ダメだ」ときつく言い聞かせる。
 きゅーん、と鳴いたりはしなかったが、尻尾と耳がしょんぼり下がっているイリュージョンが何故か見えてしまい、シンタローは焦ったが無視をした。
 いつ、元に戻るかわからないのに、これ以上妙な癖をつけたらグンマに何を言われるかわかりはしない。
「ほら、さっさと寝ろ。また、明日な。」
 なんとなく思いついて頭を撫でてやると、思ったより柔らかい髪だった。
 結構気持ちいいかも、と、シンタローは少し和んだ。
 いつもなら、こんなことをすれば「子供扱いするな」と、それこそ牙を剥かれるから、今がチャンスといえばチャンスだろう。
 今は気持ちよさそうにじっとしているが、戻ったらまたああなんだろうなー、とシンタローはため息をついた。
「おやすみ。」
 掛け布団をひっぱりあげてやって、シンタローはキンタローの部屋を後にした。















 ―――その夜、昔の夢を見た。





 今より、ずっと幼くて何もできない自分は一人部屋の隅で、胸を押さえて俯いていた。
 前に置かれていたのは、古ぼけた赤い首輪。
 苦しい。
 苦しくてたまらない。
 もっと、他にやれることはなかっただろうか。
 あの忠実な物言わぬ動物にしてやれることは無かったのだろうか。
 何度思い返しても、後悔ばかりが浮かんでくる。
 彼はいつでも自分の後をついてきて、振り返れば嬉しそうに自分を見上げていた。
 全身で自分を大事だと、大好きだと、惜しみなくそう告げてくれる彼の存在に救われたことも多かった。
 総帥の息子であることも、黒い髪であることなんか、彼にとってはまったく関係ないことで、ただのシンタローをそのまま受け入れてくれた。
 唯一遺されたすり切れた首輪と、それにこびりついた毛、そして記憶だけが彼がここにいた証で、シンタローはそれを握りしめた。
 彼がいなくなって、犬小屋や食器が片づけられた時、咄嗟にこれだけはしまい込んだのだ。
 時々、誰もいない時、それを取り出してはそっと撫でる。
 悲しんでいるところを、他の誰にも見られたくなかったからだ。
 父や叔父や、従兄弟の誰にも邪魔されたくなかった。

 おまえは精一杯、あの犬のためにやってやったんだ。
 あの子はきっと幸せだったよ。

 そんな言葉は聞きたくなかった。
 ただ、自分は一人で彼のために泣きたかったのだ――――――。




 ぺろ、と熱いしめった感触に、シンタローは目を覚ました。
 暗闇にぼうっと金色の頭が浮かび上がる。

「キンタロー……。」

 いつの間にか部屋を抜け出して、自分の後を追ってきたらしい。
 心細かったのか、それとも。
 

 シンタローは自分が寝ながら泣いていたことに気が付いて苦笑した。
 もうずっとずっと前のことなのに、先ほどの夢はやけに生々しかった。
 あの島以来、初めて抱いた犬の体温や手触りにに触発されてしまったからだろうか。
 瞬きすると、また涙があふれてきて頬を伝い始める。
 すると、キンタローが顔を近づけてきて、涙を舐め取った。
 くすぐったいが、懐かしい感じがしてシンタローは手を伸ばして、その柔らかい金髪をまた撫でた。
 あの犬も、シンタローが一人でこっそり泣いていると、どこからかすっとんできて、わけもわからないだろうに、シンタローの顔を一生懸命舐めてきた。
 慰めている、なんて犬の思考の中にはなかっただろう。
 どちらかというと、怪我をしているところを舐めて治す治療のような気持ちだったのではないだろうか。


「もう、大丈夫だから。」


 そう言うと、キンタローはのそのそとベッドから降りようとした。
 ここにいては怒られると思ったらしい。
 シンタローは、そんな彼の腕を掴んでひきとめると、布団をめくって半分場所を空けてやる。
「今日だけだぞ。」
 そう言って腕を強くひっぱると、キンタローは嬉々として横に潜り込んできた。
 シンタローの横にぴたっとはりついて、丸くなる。
 紳士らしからぬ寝姿だな、と思っていると、もう片側の腕に子犬がのっかってきた。
 満足そうにぷーっ、と鼻で息をつくと、そのままシンタローの腕を枕にして寝てしまった。
 片方に大型犬、もう片方に子犬。
 そう呟きながらも、シンタローの顔はしばらくぶりに穏やかな表情を浮かべていたのだった。


















 翌日になってもトットリは見つからなかった。
 外に逃げ出すことはまず不可能だから、敷地内に潜んでいるのは確かなのだが、さすが忍者。なんだかんだいっても、身を隠すことは得意らしい。
「入学した時のレベルでとどまっといてくれたら、よろしかったんやけどなぁ。」
 報告に来たアラシヤマがため息をついたが、巨大昆虫着ぐるみで実戦に行かれては困る。
 シンタローはおおげさにため息をついて、ぽつりと「つかえねぇ」と呟いた。
「し、シンタローはんひどいどす! わては昨日寝ないで忍者はん探したんどすえ!」
「あー、はいはい。ご苦労さん。じゃ、このまま引き続きトットリの探索な。」
 しゃーないなー、とアラシヤマは顔をしかめた。
「それにしても、いったい、何しはりましたん? わてが探しだせへんくらい、必死に隠れなあかんなんて。」
 真面目な顔になって聞かれても、この男に今の状況を教える気などさらさらない。
 シンタローは無視したが、アラシヤマはいつもと違い、簡単には引っ込みそうになかった。
 手を身体の前で組み、目をわずかに細めて自分を睨みつけているキンタローの方を向いた。
「キンタロー『補佐』、あんさんやったら説明してくれはるんやろか?」
 ちっ、何か気づいてやがる。
 シンタローは舌打ちしたいのを堪えた。
 だから、こいつは嫌なんだ。
 本物の犬より鼻が利きすぎる。
 シンタローは、素知らぬふりをしてキンタローを見た。
 「誰が来てもじっとしていろ」と、朝からしつこく言って聞かせたおかげか、アラシヤマの呼びかけを無視し、まっすぐ前をむいている。
 顔は不機嫌そのものだが、これはいつものことだ。
 とにかく、何があってもこの男に今のキンタローのことを知られるのはまずい。
 何が気に入らないのか知らないが、他の四人は対決したことなどすっかり水に流したのだが、アラシヤマだけは妙にキンタローに絡む。
 シンタローが見かねて止めても、「なんやわてが、このひとにいけずしてるみたいな言い方しはりますなぁ」と、さも心外と言った顔をするのだ。
 さらには「せやなぁ、補佐ゆうても、子供みたいに純粋なおひとやから、いろいろデリケートにできてはんのんやろなぁ。もっとやさしゅうゆうてあげますわ」と、どう聞いてもキンタローを、怒らせるような言葉ばかり選ぶのだ。
 こんな男に、キンタローの精神が『わんこ』になったと知られたら、今はともかく後々なにをするか分からない。
「いいから、さっさと行け! 休みとりあげるぞ!」
「へぇ、働いとった方が、シンタローはんの顔が見られるから、うれしいどすわ。」
「気色悪ぃことぬかすなっ! 俺はこれ以上一秒だっておまえの顔なんか見たくねぇっ。」
「シンタローはん、赤うなってるとこほんまかわいらしいどすなぁ……えらい、焦りはって。」
 何を言ってもしれっとして返されて、シンタローは焦りを感じ始めた。
 くそー、やっぱりこんなヤツに頼んだのが間違いだった。
 誰か助けてくれ。



 その声が天に届いたのかどうかは知らないが、卓上の電話に総帥室への来訪を知らせるランプが点灯した。
「シンタロー、オラだ。入るべ。」
 入ってきたミヤギは、同僚の顔を見てややげんなりした表情になった。
「まーた、オメ、シンタローにちょっかい出しとるんだべか。オラは今から『総帥』に仕事の報告さあるから、またにしてくれ。」
「人聞きの悪いことゆわんといてや、わては今シンタローはんと大事な話を……そうや、シンタローはん、ミヤギはんやったら、トットリはんのおりそうな場所を知っとるんやないんどすか?」
 アラシヤマにそう言われて、シンタローはミヤギに尋ねた。
「今、トットリを探してるんだが、あいつがいそうな場所とか知らねぇか?」
 しかし、期待に反してミヤギの答えはあっさりしたものだった。
「んなの知らねぇべ。」
 そりゃ、そうだよなぁ、とシンタローがため息をつくと、ミヤギは不思議そうに首を傾げた。
「どうしたべ、んな、がっかりして。」
 シンタローの代わりにアラシヤマがその理由を答えた。
「シンタローはんが、昨日からトットリはんを探してはるんどすわ。全然見つからへんから、ミヤギはんやったらトットリはんのことに詳しそうやと期待したんどすが………ふっ、友達友達ゆうても、いそうな場所も知らへんなんて、しょせんそこまでの友情とゆうことどすなぁ。」
 くくく、と暗い微笑を浮かべる同僚の顔から目をそらし、ミヤギはシンタローへ向き直る。
「トットリに用があるんだべか?」
「やっぱり、心当たりがあるのか!?」
 しかし、ミヤギはあっさりと首を横に振る。
「いんや、知らないべ。」
 なんだ、とシンタローががっかりするより早く、ミヤギは言った。
「今、呼べばいいべ。」
 こともなげに、そう言われてアラシヤマとシンタローはぽかんとした。
「は?」
「なんやて?」
 ミヤギは、すうっと息を吸い込み、空に向かって叫んだ。


「トットリーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」


 シン、と静まりかえった部屋で、固まった状態の二人と驚いたのか目を見開いた状態のキンタローの耳に、遠くのほうからぱたぱたという足音が聞こえてきた。

 ……まさかいくらなんでも、と、シンタローが冷や汗を拭おうとする間もなく、部屋の戸が開き、転がるようにして探し求めた人物が飛び込んできた。
「ミヤギくうううん! おかえりなさいだわいや!」
「ただいまだべ。」
「怪我はない? 久しぶりに会えて嬉しいっちゃ!」
「いや、用があるのはオラでなくて、そこの。」
 瞳をきらきらさせて、自分にまとわりつく親友の後ろをミヤギが指さす。
 つられて振り返ったトットリはそこに、シンタローの引きつった顔を見つけ、蒼白になった。
「し、シシシシシシシシシンタロー!?」
「おお、会いたかったぜぇ、トットリ~。」
「な、なんでここにいるんだっちゃわいやーっ!」
 いや、ここ総帥室、とシンタローは思ったが、つっこむことはやめにした。
 ミヤギの呼び声をキャッチしてしまうその耳といい、一番避けていたはずのポイントであるここに飛び込んでしまうその単純さといい、キンタローの先日の評価は正しい。





「さあ、落とし前つけてもらおうかぁ~?」












 
 アラシヤマを問答無用で放り出し、ついでにミヤギにも一旦引き取ってもらったシンタローがトットリをしめあげたところによると、予想通り、犬を連れてきたキンタローを騙して薬を飲ませて暗示をかけたらしい。
 しかし、術が効いたかどうか確かめるより先にキンタローが目の前で倒れたため、怖くなって逃げ出してしまったのだ。
 最後まで聞き終えたシンタローが、トットリに対して、どのような『お仕置き』をしたのかは定かではない。
 ……とりあえず、数日間は病室から出られなかった。
 












「あの子犬を譲ってもらえるよう頼まなくてよかったのか、シンタロー。」
 たまってしまった仕事をはさんで、キンタローが聞く。
 彼は犬になってしまった二日間のことを覚えていない。
 空白の時間はトットリがあの日お茶に混ぜて飲ませた薬のせいで、熱を出して朦朧としていたようだ、とグンマと二人して口裏を合わせて納得させた。
 子犬は無事にもらわれていって、今は新しい飼い主にも懐いて可愛がられているらしい。
 よかったと思う反面、ボールのようにはねていた姿を思い出すと、ちょっと切ない。
「もらっても、遠征ばっかりの俺じゃ、ろくに遊んでもやれないからな。だいたい、おまえもそう思って反対したんだろ。」
 すると、キンタローは首を振った。
「違う。おまえ、昔飼っていた犬が死……いなくなった時、一人で泣いてたから。」
 シンタローはぎょっとして、ペンを止めて顔をあげた。
 従兄弟は書類から目をあげないまま、淡々と言う。
「おまえがあの子犬を手放せなくなって飼ったとして、いつかまたあんな風におまえが泣くのは嫌だと思った。おまえを悲しませるかもしれないと思ったら、遠ざけておきたかったんだ。」
「キンタロー。」
「でも、違うな。」
 キンタローは書類をめくり、その青い目を従兄弟に向けた。
「おまえは、あの犬を飼って幸せだった。嬉しそうだった。だから、その分だけ辛くても、それは不幸じゃない。」
 キンタローは何かを思いだしたのか、めずらしく微笑んだ。
「犬はいいな。ふわふわして温かくて、何も特別なことができない犬でも、その愛情で飼い主を幸せにしてくれる。だから、もし、おまえがこれから犬を飼いたいのなら、俺は協力する。」
 シンタローは、目の前の綺麗に櫛が入った金色の髪を眺めた。
 それの柔らかさや心地よさを知っている。
「……今はいいや。コタローの目が覚めたら考えるけど。」
「そうか。少し残念だ。」
 シンタローは知らずキンタローの方へ伸ばしかけていた手の行く先を変えて、机の端へと向けた。
 そこには、少し前、秘書がおいていった焼き菓子がつまれている。
 そのうちの一つを手にとって、従兄弟の口元へと運んだ。
「ま、少しは食えよ。」
 キンタローは怪訝な顔つきになったが、確かに仕事に没頭していて朝から何も食べていない。
 けれど、これは―――。





「……後で食べる。」
「いいから――誰も見てねぇから、おとなしく俺に食べさせてもらえ。」
 そう言われ、キンタローは不承不承といった様子で、口を開けたのだった。













  


2005/09/17




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ライオンハート



 渓谷の奥まったところに、その要塞はあった。
 その谷を囲むようにして密林が広範囲に広がり、侵入者を防いでおり、国土をほぼ侵略されたその国の最後の砦となっていたのである。
 ガンマ団の攻勢が始まったのは、つい二ヶ月前のこと、上層部が事態に対応するよりお互いの勢力争いに熱心だったせいもあって、じりじりと制圧が進み、主要な軍事施設はここしか残っていない。
 つまり、ここを落とされたらこの国は終わるのだが、逆に言えば、この施設を落とされない限り、敗北の日はやってこない。
 そして少し前ガンマ団への大がかりな作戦が成功し、基地内は一種の躁状態になり、この流れに乗って一気に壊滅だの、いっそ追撃も、などと兵士達は気勢を上げていた。






「ちっ、だだっ広いもん作りやがって。」
 舌打ちしながら、胸の辺りを探ってたばこを取り出そうとした男は、ここが敵の本拠地のまっただ中であることを今更ながら思い出して諦めた。
 別に発見されたとしても、すべて片づける自信はあるが、目当てのものを見つける前に『遊んで』いたなどと、長兄に知られでもしたら後が怖い。
 さっさと終わらせてしまいたいものだ、と、ハーレムは手元の小型ディスプレーに映し出された基地内の入り組んだ通路の地図をチェックした。
 ガンマ団の力を持ってしても、入手できたのはこの程度のものだということから、セキュリティーの高さを推し量ることができる。
 とりあえず、もっと精度の高い地図を手に入れようと、ハーレムは適当に見当をつけて歩き出した。
 そして、時折巡回に回る兵士達の気配を察知するたび、違う通路へ逃れているうちに、いつの間にか人気のない一画へと紛れ込んでいた。
 ハーレムは、引き返すべきかどうか数秒間ほど迷ったが、すぐに奥へと進む。
 どちらにしてもどこに地図があるのか分からないのだから、探してみたっていいだろうとそれくらいの考えだったのだ。




 時間にして5分程度も歩いただろうか。
 元々気の短いハーレムは変わらない景色に飽き飽きしながらも、その通路を進んでいた。
 もともと、このタイプの建物の中はあまり好きではない。
 慣れていないからではなく、その逆だ。
 多少は違うが、無機質で合理的で白くて、自分が育ったあの場所と大差ない。
 成人してからは、殆ど帰っていない『my sweet home』と。
 ハーレムが角を曲がろうとした時、視界の端で何かが動いた。
 踏み出しかけた足を元に戻し、壁にはりつき、向こうの気配を探る。
 どうやら相手も自分の存在に気づいたらしい。同じようにこちらを伺っている。
(めんどくせえなぁ。)
 ため息を堪えながら、上着をめくってその下のホルダーから銃を取り出した。
 撃鉄を起こすと、打って出るタイミングを待つ。
 その時、かすかにだが、乾いた音が耳に入った。
 やや右方からだ。
 ハーレムは銃を構え、『左へ』と向き直った。
 同時に空を切る音が耳元でし、ハーレムは銃を握っていない方の手を挙げ、首をねらってきた足首を掴んだ。
 それが攻撃に変わるほんの一瞬前に、彼はライトに照らされた男の顔を見た。
 黒い目が信じられないというふうに、大きく見開いて、不安定な体勢から自分を見上げている。
 ハーレムは軽く息を吐くと、甥の足を離してやった。
 シンタローは立ち上がり、叔父の顔を睨みつけた。
「……親父の差し金かよ。」
「まぁ、俺に命令できるのは、総帥しかいねぇよなぁ。」
 シンタローは唇をぎゅっと噛みしめると、叔父の横をすり抜けて歩き出す。
 その頑なな背に向かって、ハーレムは言う。
「おまえを連れて帰るのが俺の任務なんだよ。ちゃちなプライドで、人の仕事の邪魔をすんな。」
 シンタローは返事をしなかったが、それでも足を止めた。
 悔しそうな横顔には、痛々しいほどの痣や擦過傷が見受けられる。たいして痕になりそうなものではなかったが、彼を溺愛している父親が見たらさぞかし嘆いただろう。
 いや、どちらかといえば、アイツの方が嫌がるかもな、とハーレムは自分の片割れのことを思い出す。
 サービスがこの甥の顔にかなり執着していることは、過去の経緯を知っている数少ない人間なら誰でも知っていることだ。
 逆に、自分がこの甥の顔を疎ましく思っていることも。
「オイ、ちゃんと自分で動けるだろうな。」
「動いてるだろうが。今。」
 予想した通りの言葉だったが、やはり声に力は無い。
 眼魔砲を撃つことはほぼ無理だろう。拷問を受けていることもまた、予測していたことだった。
 実のところ、捕虜になって一週間過ぎた今、シンタローが生存していたことの方が驚きだ。
 シンタローが捕虜になったことは、ガンマ団の中でもほんの数人の幹部しか知らない。 その幹部の誰もが、彼の生存を絶望視し、あまつさえそれを口にした人間もいたらしい。
 彼らにしてみれば、異端の色合いの嫡子より、父親に疎まれていてももっともその血を濃く受け継いでいる弟や、それが無理でも二人残っている弟のどちらかの方が、ガンマ団の次期総帥にふさわしいと思っていたのだろう。
 最悪、まったく荒事に向いていないお坊ちゃん育ちの総帥の弟の遺児のような傍系でも、黒髪の総帥よりはマシだと、考えていたらしいが、それはまあ、あの保護者がいる限り無理だろう。彼の教育がそれに巻き込ませないことこそが目的だったと、今ではハーレムも薄々分かっている。
 そんな思惑が普段から渦巻いていた中、いわば今回のシンタローの災難は――『失態』ではなく『災難』であることは、彼らでさえ認めなければいけない事実だった――彼を認めない幹部にとって、僥倖だったのかもしれない。
 もっとも、そんなことをうっかり口走った男は、総帥であるマジックの青い怒りによって、粛正されてしまったが。
 命がぎりぎりあっただけでもめっけもんだ、とハーレムはその男のことを思いだしながら、シンタローを見る。
 少し長くなった髪の間から覗く首筋には絞められた時にできる傷もあった。どれだけの拷問を受けたのか分からないが、それでも自分の出自を明らかにするようなへまはしなかったらしい。
 なぜ、そう判断するのかというと、この国から、総帥の息子を人質にしたという声明や取引の申し出が無かったからだ。
 もしくは、ばれたとしても、音に聞くマジックの冷徹ぶりでは、実の息子の安否さえ取引の条件にはならないと思ったかもしれないが、シンタローが今生きているということはそれも無いだろう。。
 確かに、捕まったのが、幹部や優秀な研究員、いや、実の弟である自分であったなら、兄はそういう処置をとっただろう。
 無能な者は必要ない、と組織のために切り捨てたに違いない。
 ただ、シンタローはマジックにとって、例外中の例外である存在だ。どうなったかは、ハーレムでさえ分からない。
 シンタローもそれを恐れて殊更に己の正体を隠したのだろうが、よくばれなかったものだ。
 ふと、ハーレムはある疑問を口にした。
「おい、おまえの他には捕まった奴いなかったのかよ? そいつらはどうした。」
 すると、シンタローの足がぴたりと止まった。
 振り向かずに一言「二人」と答えた。
「俺が殺した。」
「ふうん、そうか。」
 シンタローの告白にハーレムはあっさり頷くと、さっさとシンタローの前に立って歩き出した。
 何も聞かないハーレムに、シンタローは不思議そうな視線を送ってきたが無視した。
 ここから、脱出口までまだ遠い。そこから、密林を抜けるのにおよそ半日以上、無駄口を叩いている暇はない。









 脱出は思いの外、すんなりと成功した。
 もちろん、弱っているシンタロー一人ではかなり危うかっただろうが、ハーレムの勘とやらのおかげで敵と鉢合わせすることもなく、暗い夜の森に逃げ込めたのだ。
 二時間ほど歩くと、ハーレムはぴたりと止まった。
 木の根元にどっさりと腰を下ろして、シンタローにも下に座るように手で指示する。
「おい、何休んでんだよ。この年寄り!」
「ここまでくれば、大丈夫だろ。おまえの脱走がばれているなら、もっと上が騒がしくなってるだろうけど、そんな気配もない。もし、ばれてても、死にかけの一兵卒に構っている暇なんざ、向こう様にも無いだろうよ。」
 そして、腰につけていたバッグから、携帯用の消毒薬などを取り出す。
「それより、てめえの怪我の方が問題だ。ここで倒れられたら運ぶのが面倒なんだよ。いいから、とっとと座れ。」
 そう言われ、シンタローは渋々ハーレムの正面を座った。
 上着のボタンをはずすと、そこに残る痕から彼が二週間の間受けてきた拷問の凄惨さが伺い知れた。
 確かにシンタローは、大事に育てられてきた御曹司であるが、受けてきた訓練は生やさしいものではない。いや、サービスの修行を受けてきたことを考えれば、他の一般団員よりよほど過酷な体験をしてきたはずだ。
 だが、それは、あくまでも修行や訓練に過ぎない。
 手錠を受け、人間性のかけらも尊重されない捕虜になるなど、頭では分かっていても彼にとっては想像も出来ない世界だったに違いない。
「シンタロー、『怪我』はこれだけか?」
 ハーレムの何気ない風を装った質問に、シンタローの身体がびくっと揺れた。
 みるみるうちに顔色が白くなっていく。
 しかし、必死で動揺を押し隠し、シンタローは「ああ」と頷いた。
「これだけだ。」
 ハーレムは目を細めたが、それ以上は特に追求せず、かわりにカプセルをシンタローに渡した。
「化膿止めだ。飲んどけ。一時間したら出発するからな。」
「……一つだけ、確認していいか?」
「うっせーガキだな。なんだよ。」
「これ、高松配合じゃねぇよな?」
 いついかなるどんな状況相手でも、『ちょうどよい被験体ですね~』と新薬の実験のチャンスとして利用しかねない男の名に、ハーレムは沈黙した。
「安心しろ、さすがのアイツも、おまえだけには悪さしたこた無かったろ。いいから、飲め。」
 やっぱり高松かよ、と情けない顔になったシンタローだが選択の余地は無く、ごくんと飲み込んだ。
「それでよし、じゃ、俺の隣来い。毛布なんざ持ってねぇから。」
 当然のことながら、シンタローは盛大に嫌がったが、ハーレムだって好きこのんで野郎と密着したいわけではなく必要に迫られてのことだ。
 うるさい、とっとと寝ろ、と子供の時さながらにしかりつけると、シンタローはおとなしく隣に座った。
「どうせなら、サービス叔父さんがよかった。」
 まだ憎まれ口を叩いているが、サービスにこんな醜態を見せたくないだろうから、よかったじゃないかと思っている内に、シンタローは寝入ってしまった。
 おそらくここ数日ろくに眠れていなかったに違いない。
 気が合わない叔父でも身内の側ということで、やっと安心できたのだろう。
 ハーレムはシンタローの顔にかかっている髪をはらってやろうと、手を伸ばしたがやめた。
 柄でもないと思ったせいもあったし、また、目を瞑った甥の顔があまりにもあの男に似ていたので直視したくなかったためかもしれなかった。








 ちょうど一時間後、シンタローは独りでに目を覚ました。
 戦地では目覚まし時計など使えるわけもないから、こんなことには慣れている。
 強張った身体をそろそろ伸ばして慣らしていると、起きていたハーレムがさっさと立ち上がり、出発を促した。
「目ぇ、さめたな。行くぞ。」
「……うん。」
 妙に殊勝げないらえに、ハーレムはシンタローを振り返ったが、特に変わった様子は見受けられなかった。 
「あのさぁ、そういや、ちゃんと方向分かって歩いてるんだろうなぁ。」
 アンタと心中なんてごめんだぜ、と小面憎い台詞を正面切ってぶつけてくる甥を、ハーレムは、はん、鼻であしらった。
「俺もおまえなんかと、秘境のアダムとイブライフを過ごすつもりは無いから安心しろ。」
 そう言って、地図が映ったディスプレイをシンタローに向けて軽く振ってみせた。
 とりあえず地図の存在に安堵して、ハーレムの後についていきながら、シンタローは基地の方を振り返った。
「……追ってくる様子がないな。戦闘機が何機か飛び立った音は聞いたけど。」
「向こうも、それどころじゃねぇんだろ。」
 少し気になったものの、自分たちも『それどころじゃない』ので、シンタローは一旦、頭からそのことを振り払った。
 今すぐ追っ手がかからないとしても急がなければならないことには、なんら変わらないのだから。
 そのうえ、体中の傷がぴりぴりと痛んで、ともすれば足が止まりそうになる。
 飲んだ薬は化膿止めだったが、鎮痛剤はおそらく処方されていない。
 鎮痛剤を飲んでぼーっとなった頭で、敵基地脱出などできるはずもないだろうから仕方がないことだ。
 とにかく、進もう。
 一歩でも、半歩でも、弟が待つ家に近づけるように。
 ただ、ひたすらに足を交互に動かせば、いつかはたどり着けるから。
 シンタローは、一瞬かすんだ両目を腕でこすり、叔父の背中を追った。
 隠密行動のため、いつもの目立つ隊長服ではなく、他の特戦部隊の制服と同じ黒いレザーの上下だ。
 自分よりがっしりした肩、見慣れたそれとよく似た広い背中に、シンタローは怪我のせい以外の痛みを覚えた。
「なんで、わざわざ連れ戻させるんだ……捕まるような役立たず、用済みだろうに……。」
 苦々しげなそのつぶやきをハーレムが嗤う。
「パパにお迎え寄越されるのが嫌なら、迷子になんざならねぇこった。お坊ちゃま。」
 振り返らなくても、今シンタローの顔が屈辱に歪んでいるのが分かる。
 馬鹿馬鹿しい。子供のプライドに過ぎない。
 あの男から誰も与えられたことのない愛情と執着を一心に受けている事実を、シンタローは疎ましく思っているらしい。
 彼に敵わないことを知っているくせに、可愛いペットでいるだけの現実に逆らい続けるシンタローの愚かさに、ハーレムは時々苛々する。
 生まれつき強大な力を持ち、しかもそれをコントロールする術さえ身につけている兄。
 少年としか呼べない頃から既に絶対者の地位に就いて、世界相手に戦いを挑んだ。
 そんな兄を崇めこそすれ、本気で争うことなど自分は考えたこともなかった。
 生まれつきの器が違う。
 そんな相手は確かにいるのだ。
 なのに、シンタローだけは逆らう。
 過去の経緯から兄に隔意を持つサービスでさえも、あそこまであからさまにマジックに対して牙はむかない。
 あの青い両眼を真っ正面から睨みつけることができる者など、シンタローくらいだ。
 それはもう勇気と言うより傲慢さだと、ハーレムは思う。
 父親が自分に対して制裁をくわえたりできないという、愛される者の持つ驕り。
 マジックの指先一つで殺される脆弱な子供であるのに。
 一族の証ひとつ持たない彼だけが、一族最強の男に逆らう。
 馬鹿馬鹿しすぎて笑い話にもなりはしない。
「だいたい、おまえ、今回の作戦がやばいって分かってたって話じゃねぇか。次はアホな上司を止められない時はとっとと逃げろ。まーた、俺がかり出されるはめになる。言っとくが、兄貴は絶対サービスだけはよこさねぇぞ。」
 そもそも捕虜になった原因というのは、シンタローの上官である男が功を焦って立てた作戦の失敗なのだが、その場にいた隊員からの報告でシンタローが一度だけ反対したことが分かった。
 その上官はその戦闘の際、結果的に自らの命で責任をとることになったのだが、生き延びた場合彼を待つ運命と、どちらの方がより悲惨だったか誰にも分からない。
「……ガンマ団の規則は上官の命令は絶対だろーが。」
「はっ! しょっちゅう、『総帥』に逆らっているのはどちらの下士官だったっけ?」
 一言できりかえされてシンタローは黙り込んだ。
 ハーレムは空を見上げて、内心舌打ちをした、
 天蓋がどんどんと黒から藍色、そして群青へと変わっていく。夜が明ける前に脱出ポイントにつきたかったが仕方ない。
 一時間、は痛かったか、と計算の大雑把さを悔いる。
 けれど、シンタローの体力はほぼ限界に達していたことは見てとれたし、途中で倒れられるより、休憩をする方が得策ではあっただろう。
 地を這う蛇のような木の根に足をとられそうになり、ハーレムは注意を促そうとシンタローを振り返ってぎょっとした。
 地面にうずくまり、荒い息を吐いている彼の顔は真っ青で、今まで相当無理していたことが分かる。
「おい、シンタロー……。」
 呼びかけると、シンタローは「うるさい」とうなるようにして両手をつき、肩を起こした。
「今……立つ…立つから……。」
 腹の底から絞り出すようなその声に、ハーレムあろうことか気圧されて、動きを止めた。
「俺は帰らなきゃいけない……絶対…。」
 シンタローは崩れ落ちそうになる身体を必死で両手で支えている。
 その爪に土が入り込むほど力を入れて。
「止めるまもなかった……ほんの一瞬だ……拘束してたやつを振り払って重傷のもう一人を刺して、次に自分の動脈を……。」
 なんのことを言っているのか、一瞬分からなかったが、シンタローを見つけた時の会話をハーレムは思い出した。
 あの時、シンタローは言わなかったか。
 『二人だ』と。
 『自分が殺した』とも。
 はいつくばる甥を見下ろした。正しくは、その激しく上下している肩を。
「情報を守るためにか、マニュアル通りだな。」
 シンタローの顔が苦痛に歪む。
「……一般団員のあいつらが、なんの情報を持ってた? ……俺のことしかないじゃねぇか。」
 総帥の息子が奴らの手の内にいることを万が一でも口走らないように、自分と瀕死の仲間の口を封じた。
「俺一人なら、脱出できただろうって……拘束された直後にそんなことを言ってて…俺は全然その時分かってなくて……。」
 鮮血を喉から吹き出しながら、冷たい床に倒れる仲間を、押さえつけられていた自分は呆然と見ているしかできなかった。
「俺が総帥の息子で無ければ、少なくともあんなぎりぎりの選択をすることは無かったんだ。でなきゃ俺が……っ!」

 父親のような力があれば、こんなことは起きなかった。

 かすれて消えたその言葉は、ハーレムの耳にかろうじて届いた。
 少しだけ起きあがった身体は再び崩れて、顔を地面に突っ伏している。
 けれど、それでもまだ指を地に突き立て、立ち上がろうとするのをやめない。
「……絶対帰る。」
 自分に言い聞かせるように、シンタローはそう繰り返した。
 名前も知らない兵士だった。
 たまたま、今回同じ隊に配属されただけだ。特別に親しかったわけもなければ、自分に阿ろうと、近づいてきたこともない。
 彼が自分を守ろうとしたのは、自分が総帥の息子だったからだ。
 だから、自分はどんなことをしてでも、この場所から脱出しなければならない。
 それだけを思って、死ぬほどの苦痛も屈辱も耐え抜いた。
 ただ、生き抜くことだけが自分の義務だから。
 歩けないなら、這ったままで、足が動かないなら、この両手で。
 ふいに、ぐいっと腕を引っ張られ、視界が高くなった。
 肩に担ぎ上げられた状態で、首をひねっても叔父の顔は見えなかった。
 かわりに、叔父の苦々しげな声が不思議なほど近くに聞こえた。
「ちっ……おまえ、重くなりすぎだっての。前にだっこしてやった時は軽かったぞ。」
「小学生くらいの話だろ、それ。」
 するとハーレムも、まあ、そうだけどよ、としぶしぶ同意した。
「それにしても、でかくなりすぎだ。おまえ。」
「悪かったな。」
 その声のふてぶてしさに、ハーレムは少しだけ安堵のため息をつく。
 あと、一時間余りこうやって運ぶのは急いでいる今、きついことはきついが別に出来ない話ではない。
 やっと成人したばかりの身体は、自分に比べればまだ脆弱だ。あと、一、二年もすれば兄や自分たちと肩を並べるくらいにはなるだろうが。
 それにしても、大きくなったものだ。
 自分が知っている黒髪の子供は自分の膝より背丈が低くて、その前は両手に乗るくらいだった。
 まぁ、その時分は兄が他の人間になかなか抱かせたがらなかったため、実際に乗せたのは数回くらいだったが。
 それが今では、こんなにも重い。
 それは彼が背負ってきたものの、重さとも比例しているのだ。きっと。
 シンタローのために、同僚と自分の命を使った団員。
 今、肩の上で体力の消耗と怪我による熱で震えている子供は、紛れもなく兄の子供だ。
 望む望まないにかかわらず、どうしようもなく人を惹きつけ、その身を捧げさせてしまう。
 兄のその源は、絶対の強さだ。
 心も体も、疵一つ無い人離れした存在に、人は恐怖し、心酔する。
 では、シンタローの場合はなんなのだろう、と、ハーレムは思う。
 確かにシンタローは強い。あと数年もしない内にナンバーワンの地位を得ることになるだろう。
 けれど、それはマジックとは比べるべくもないほどのものに過ぎない。
 でも、彼は兄と同じくらい……いや、もしかすると、それ以上に人の心を掴んでしまう。「さっき、アンタ……止められねぇ時は逃げろって言ったな。」
「ああ?」
「さっきだよ、馬鹿な上司を止められなかったら、やられる前に逃げろって。」
 聞き返したハーレムにシンタローは繰り返した。
 そして、いっそう低い声で呟く。
「止められたんだ。本当は。」
「………。」
「もっと、強く言えば、俺がごり押しすればきっと止められた。けど、俺はやらなかった。親父の七光りと言われるのがいやで、できなかったんだ。」
 一瞬、しゃくり上げるような声になったが、すぐにそれは治まった。
「やばい、って分かってたのに、俺は俺のちっぽけなプライドを守りたくて止めなかった。」
「思い上がるな。」
 ハーレムはシンタローの言葉を途中で遮った。
「おまえは、まだガキだ。ガキのできることなんてたかが知れてる。おまえの守らなけりゃいけねぇもんはそれくらいなんだ。」
「そうだ、ガキだよ。だからって分からないでいいってことあるかよっ!」
 自分の命とプライドだけ守りきればいいと、そうどこかで思っていた。
 けれど、たとえ、自分がどう思っていようと周りはそうは見ない。
 彼らは自分を総帥の息子としてしか見られず、そして、そう扱うのだ。
 それを、自分は本当の意味では分かっていなかった。
 あの鮮血を浴びるまで。
「二度と……俺はこんなへまはしない……っ! 絶対に。」
 シンタローはハーレムがレザーを着込んでいることに感謝した。
 もし、これがシャツなら分かってしまっただろうから。


 


 自分が今、泣いていることを。















 担がれたまま、一時間と少しジャングルを抜け、急な斜面というか切り立った崖の麓までやってくると、そこにロープが張られていた。
「先、上れ。できるな?」
「ああ。」
 肩から下ろされシンタローはなんとかロープを掴み、崖を上りはじめた。
 いつもなら、たいしたことでもないその作業は今の彼にとっては、非常な苦行だった。
 手を何度も滑らしそうになりながら、必死で伝って上を目指す。
 空まで続いているんじゃないかと思うほど、長く感じられたクライミングが後少しというところで、強い力で引っ張り上げられた。
 敵かと身をすくませたシンタローだったが、自分を捕まえている腕が叔父と同じレザーに包まれていることに気づいた。
「G、王子サマ、ちゃんと生きてるぅ?」
 ちゃらちゃらした声がして、自分を助けた男の肩越しに、アイスブルーの瞳の男が顔をのぞかせる。
「おやおや、手ひどくやられましたねぇ。っていうか、もしかして、オジサマ?」
「ロッド。」
 低い声でたしなめられても、ロッドと呼ばれた男はけろっとしている。
「あははー、あのワガママなオッサンならやりかねねぇじゃん。手間かけさせてんじゃねぇとか。」
「誰が、ワガママなオッサンだって?」
 いつの間にか崖の上に指がかけられ、ハーレムが目だけ出していた。
「隊長っ! お早いお着きで……っ。」
「すっっっごく、嬉しそうだな。ロッド、給料減らずぞ。」
「えっ、これ以上? どうやって?」
 馬鹿なかけあいをしながら、ハーレムはひょいっと上に飛び上がり、部下に水を飲まされていたシンタローの顔を持ち上げ、怪我の具合をチェックした後、にっと笑った。
「ちゃんと、脱出できたな。」
「……うん。」
 素直に頷いた甥の頭を一度かきまぜた後、ハーレムは顎をしゃくって部下にシンタローを運ぶように指示した。
「さて、と。」
 ハーレムは振り返って、眼下に広がる密林を見下ろす。
 あんなに長い道のりだったが、上から見下ろせば、例の基地は案外近い。
 肩を支えられて歩き出していたシンタローが振り向くと、叔父の片手が上がった。
 長い金髪が下から拭く強い風に吹かれて、ばらばらと空に舞う。
 青い光がその手から溢れ出すのを見たとき、シンタローは叫んだ。
「やめろっ!」
 駆け寄ったシンタローが、ハーレムの手を押さえようとした時にはもう、力は放たれた後だった。
 一瞬のうちに半壊した建物に、シンタローは非難の声をあげた。
「ハーレムっ! あの中は無理矢理徴兵で連れてこられたヤツや、雑務でやとわれただけの一般人だっているんだぞ!」
 しかし、ハーレムはシンタローの叫びなどまったく無視して、部下達に命令を下した。
「ロッド、G、後はおまえらで片づけとけ。対空システムはぶっこわれただろうから、上から行け。」
「はーい、了解しましたーっ。」 
「ハーレムっ!」
 ほとんど悲鳴のような声をあげる甥の二の腕を掴み、ハーレムはもう一台残っていたヘリへと引きずっていく。
「マーカー、すぐに出せ。早いとこ、兄貴にこのはねっかえりを引き渡してやらねぇとうるさいからな。」
「ハーレム待てよっ! 俺の話を…っ。」
 なおもしつこく食い下がるシンタローを「こいつもうるさい」と呟いてから、シンタローの肩を掴んで自分の方へ向けた。
「シンタロー。俺が総帥から受けた任務を教えてやる。」
 有無を言わせない叔父の口調にシンタローは思わず黙った。
「一つは、おまえを連れ戻すこと。そしてもう一つは、特戦部隊隊長として受けた命令だ。」
 特戦部隊の出動、それが意味することはシンタローもよく知っていた。
「兄貴が出した命令は、『制圧』から『殲滅』に切り替えられた。草一本に至るまで、この国を滅ぼせだとさ。」
「な……ん…で。」
 喘ぐようにして聞き返しながら、シンタローは父が垣間見せる――本人は自分に対しては隠しているようだが、それでも知っていた――冷たい青い瞳の輝きを思い出していた。
「シンタロー、あの兄貴がおまえを奪った奴らを許すとでも思ったか? おまえを取り戻すためなら、団員だろうと使い捨ての男だぜ。おまえ以外は、兄貴にとっては視界を時折横切る影にしか過ぎないんだ。」
 シンタローの顔色が悪いのは、怪我のせいだけではないだろう。
 それでも、ハーレムは続けた。
「おまえとは、まったくやり方も考え方も違う。おまえは絶対許せないと思うことだって、兄貴は平気でやる。」
 ハーレムが手の力を抜くと、シンタローの腕がだらんと落ちる。
 マジックが何よりも寵愛しているその黒い瞳に、激しい葛藤が映っていたが、ハーレムは容赦しなかった。
「それは、総帥として必要な資質だ。切り捨てる判断も、自分に刃向かう者に対して容赦なく振る舞うことも―――おまえもいつかそうなるんだ。」
 最後の言葉にシンタローは正気に戻って、激しく首を振った。
「俺は総帥になんかならないっ!」
「兄貴はそう決めてるぞ。ということは周りも。」
 すると、シンタローは叫んだ。
「俺は決めてないっ!」
 シンタローは自分の髪をひっつかみ、叔父につきつける。
「金髪も秘石眼も持ってない。ハーレム叔父さんだって無理だって思ってるだろ――俺だって知ってる。」
 ハーレムは目の前の黒髪を見、同じ色の瞳を見る。
 それはいつもなら、想い出の中の忌々しいあの男を思い出させる色。
 けれど、今、傷から溢れ出す血のように、絶望だけが流れ出すその瞳はあの空っぽの虚ろを抱えたあの双眸では無い。
 強さ弱さすべてが混沌とした色合いは、彼とはまったく違った。
 ハーレムは、甥の目をまっすぐ見た―――あの男に似ていると気づいてから、初めのことだったかもしれない。真正面からこんなに長い間見つめたのは。




「なら、おまえが選んでみせろ。おまえが決めた答えを俺が見届けてやるよ。」












 本部に無線で連絡をいれたマーカーは、上司に尋ねる。
「隊長、よろしいんですか?」
「何が。」
 マーカーは前方を見据えたままそれに答える。
「先ほどシンタローさまにおっしゃられた内容は、まるでシンタローさまのマジックさまからの離反をそそのかしているようでしたよ。」
 ハーレムは、ちらっとシンタローを見たが、彼は疲れと薬のせいでぐっすり眠っていた。
「別に、そそのかしちゃいないさ。ただ、こいつが思うままに動いたら、面白いことになりそうだから見物しようと思っただけだ。」
「そうですか。」
 マーカーが口元をかすかにゆがめたのを、ガラスにうつった影で見たハーレムは何か言おうとしたが、なんとか言葉を飲み込み、かわりに煙草に火をつけた。
 煙を一、二度吸うと、少しだけ疲れが癒された気がする。
 肩にもたれかかった甥の頭が重い。頭どころか全身を担いで走り回ったのに、今の方がずっと重く感じた。


「―――見ててやるよ。おまえが決めるのを……敵としてか味方としてかは、その時になんねぇとわからんけどな。」


 その囁きは、着陸の準備に忙しい部下に聞こえるほどは大きくはなかった。
 

 ささやきかけられた当の本人―――眠れるライオンハートにも。









2005/02/24



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mn
蒼の境界線





















 開けた天はどこまでも深い青。
 そこにただ一人佇む青の王子として育てられた赤い王。
 緋の衣をまとい、蒼穹の中に立つ彼の顔はたなびく黒髪に邪魔されて見えない。
 けれど、自分は知っている。



 愛しい、ただ一つの存在が泣いていることを。
















 最上階の外壁は殆ど剥がれ、ちぎれたヒューズがバチバチ火花を飛ばしている。
 修理費はどれくらいかかるんだろう、いや、そもそも再建が可能なのか?
 どこかそんな暢気なことを考えていることを、息子が知ったらそれこそもっと怒り狂うことは間違いない。
「シン~ちゃ~ん、そろそろやめないと、床まで抜けちゃうよ?」
「うっせぇ! このクソ親父。そのまま奈落の底に落ちろ!」
 怒鳴られたものの、眼魔砲が繰り出される気配はもう無かった。
 マジックは瓦礫の下からなんとか立ち上がると、服についた埃を払う。
 シンタローはこちらをまったく見ようとしない。
 彼の眼差しは無惨に空けられた壁の向こうの空へ、またその向こうにある場所へと向けられているのだろう。
 自由とかの人を求めるその目は初めてではない。
 ふとしたとき、それは一人だけの時とは限らなくて、たとえば、会議の時や、家族でくつろいでいるとき、頷きながらも心はどこか遠くへとばしているときがある。
 誰にも気づかれていないと思っていたろう?
 マジックはそれを見るたび、何度も胸にこみ上げてきた醜い想いを無理にねじ伏せる。



「……アンタは言ったよな? 今度こそちゃんとしたコタローの父親になるって。」
 押し殺した声に、マジックは、ごめんね、としか言わなかった。
 そしてそれはシンタローの怒りを倍加させる。
「ごめんねって……ごめんって! 俺にそんなこと言ってもらったってしかたないじゃねぇか!」
 コタローにだろ!
 と彼は絶叫した。
「閉じこめて……なかった存在にして……ひとりぼっちにして……コタローが何をしたって言うんだ! ガンマ団総帥の子供に生まれたってだけで、秘石眼を持ってしまっただけで!」
 その背が小刻みに震え、彼は絞り出すような声で呟いた。
「……『俺が』。」
 とっさにマジックはシンタローをきつく抱きしめた。
 その言葉だけは言わせてはいけない。
 何もしてやれなかった父親としても、彼を愛しすぎた男としてもその言葉だけは言わせてはいけなかった。


『俺が存在しなければ』


 

 シンタローを初めて腕に抱いた時、我が子というものはこんなに愛しいものなのか、と心底驚いた。
 妻や弟達のことも愛してはいたが、それとは全然違う。
 その存在がここにあるというだけで、気が遠くなるほどの幸福を感じた。
 何をしても可愛かったし、どんなことでもかなえてやりたかった。
 彼の関心も愛情も独り占めしなくては気がすまなかったし、事実そうしようとした。
 一族の呪縛から抜け出た双の黒玉が映すのは自分の姿だけでいい。
 彼が呼ぶのは自分の名だけ。
 その権利はあるはずだと固く信じていた。
 この執着が異常だなんて考えたことがなかった。

 親子という絆は、そういうものなのだと思っていたのだ。

 コタローが生まれるまでは。
 
 コタローをマジックは彼なりに愛していた。
 自分と同じ秘石眼と巨大すぎる力を持った我が子。
 ルーザーのように苦しみ抜いて死を選ぶようなことになるより、最初からすべてのことから遠ざけてやることのほうが、まだ良いと思ったのだ。
 それをシンタローに説明することは難しかったし、弟のことを、そしてコタローのことを彼には告げたくなかった。
 苦しめるだけの事実をシンタローに知らせてどうなるというのだ。
 シンタローは自分を憎み、心を閉ざした。
 それでも、彼のために真実をマジックは封印した。
 その時もそれが正しいことだと信じきっていたのだ。



 だが、メッキはやがて剥がれる。





 ある日、遠征に行く自分をシンタローがめずらしく見送りにきたことがある。
 人払いされた部屋で二人きりになっても、彼はなかなか自分と目を合わせようとしなかった。
 それでも、息子が自分をわざわざ見送りに来ることは本当に久しぶりで、まるで昔の優しい時間に戻れたようでマジックは嬉しかった。
「今度の遠征は比較的長い。しばらくはシンちゃんの顔を見ることができなくて寂しいな。」
 髪に触れると、一瞬身をすくませたがそれだけで後は大人しく撫でさせている。
「なら、俺も連れてけば?」
 そんなことはできるはずがない。
 自分が出なくてはならないほどの戦局に、どうしてこの子を連れていけるだろう。
 自分の真の姿をこの大事な子供に見せることなどできやしない。
 けれど、シンタローはそれを違う意味にとっていたようだった。
 父親に比べて非力な自分を侮っているからこそ、父親は自分を遠征にはつれていかないと、そんな風に思っていたらしい。
 それをマジックも気づいていたが、一応否定はしてみたものの、彼が納得できるはずがないことを承知していた。

 ―――――それでも、本当のことを知らせることなど問題外のことだった。

「そうだね、我慢できなくなったら一旦帰ってくるよ。」
 マジックはシンタローの嫌みを笑って受け流し、手を髪から頬に移動させた。
 額から目の端あたりを触れ、少しでも彼の感触を覚えておくため顔の輪郭をたどる。
 唇の端に触れた時、それがわずかに震え、何かを言いかけた。
 そこからもれた質問は小さく、途中でとぎれてしまったがマジックにとってはすべてを根底から覆すような一言だったのである。

「もし、俺がコタローのようだったら……。」

 何が危険なのか、シンタローには具体的には聞かせていない。
 秘石眼のことも彼はまだよく分かっていないはずだ。
 だから、その問いはあやふやなところで終わったのだが、マジックにはそれだけで充分すぎるほどのものだった。

 シンタローがもし秘石眼を持つ子供だったら?
 いや、両目とも秘石眼だったとしても、自分のように完璧にコントロール、もしくは甥のように完全に眠らせてしまえば、そう危険なものではない。
 けれど、コタローのように善悪の区別もつかず、意図しない力までも暴走させてしまうようだったら?
 シンタローがもしそうだったら、自分はコタローと同じように諦めることができたか?





 答えは―――――――――――。












 『否』だった。






 けれど、その答えは彼の口から出ることはない。
 かわりに与えたのは、嘘ではない、けれど真実でもない答え。
 
「わかるだろう。私はガンマ団総帥だ。おまえたちの父親であるまえに。」
 

 シンタローは怒りの表情で自分を見た。けれどその表情が、どこかほっとしているように見えたのは気のせいだったのだろうか。
「アンタなんか父親と認めてねぇよ!」
 そう叫んで、今度こそ自分の手を振り払った彼はマジックに背を向けた。
 それが最後の彼の自分への言葉になるとも知らず、マジックは今知ったばかりの真実にぞっと身をすくませた。


 『我が子』が特別だったのではない。
 『シンタロー』がそうだったのだ。


 秘石眼の力をシンタローに説明しなかったのは、自分のことも――化け物のような自分の真の姿を知られるのが怖かったから。
 彼が自分から離れると考えただけで、何も恐れる者が無いと言われる己が全身が凍り付きそうな恐怖に襲われる。
 この世で一番愛しい子供。
 誰よりも幸せにしてやりたい命。
 だから、彼は自分の側で幸せにならなければならない。
 マジックの望むような幸せだけで満足しなければならない。
 自分にはそれが許されると思っていた。
 誰よりも強い男であり、彼の父親である自分にはその権利があると信じていた。









 そんな傲慢な自分にシンタローの楽園が下した罰はあまりに過酷なものだった。
















 あのとき奇跡的に失わずに済んだ存在は今も自分の腕の中にいる。
 もし、あの少年と供に旅立てば、負わずにすんだ傷と苦痛に喘ぎながら。
「シンちゃん、全部パパが悪かった。ごめんね。」
 抱きしめたまま、そう言い聞かせる。
 シンタローが気に病むことは無いのだと分からせるために、何度でも。
「そうだよ、アンタが――っ。」
 自分の胸のあたりにシャツを通してじわっと生暖かいものが広がる。
 声を殺して泣くシンタローの頭をより強く自分に押し当てる。
 自分の両手の中に包み込めそうなほど小さかった赤ん坊は見る影もないほど大きく育った。
 しかし、幸いなことに自分より幾分か背が低く、幅も己ほどではない。
 だから、泣き顔を見せたくない彼のために隠してやることができる。
 この4年間、彼は必死で働き続けてきた。
 何度も、もう休みなさい、と言ってやりたかったけど、彼は決してその言葉を受け入れようとはしなかっただろう。
 弟の寝顔を見るたび、彼が少なくない罪悪感に苛まされていることを知っている。
 己の存在さえなければ、コタローが閉じこめられることはなかったのではないかという疑いを彼は捨てきれない。
 キンタローをずっと閉じこめてきたことも。
 自分とグンマの位置が変えられたことも。
 すべてが自分の存在に起因しているというその思いが彼を動かしている部分があるということも、ずっと彼を見ていた自分は知っている。
「ごめんね。」
 本当の罪人は自分。
 彼を愛しすぎたマジック自身だ。
 シンタローは何も悪くない。
 シンタローはただ愛されてしまっただけ。
「パパのせいだね、ごめんね。」
 私を責めてくれ。
 いくらののしっても構わない。
 押さえてきた感情のままに荒れればいい。
 そのためにこの身はここにあるのだから。
 おまえの怒りをぶつけられても、笑っていられるしぶとい身体は。
 おまえが泣ける唯一の場所になってしまったこの腕は。








 ――――だから、これ以上自分を責めないでくれ。








「アンタなんかだいっきらいだ!」
 叫んだ後、彼はこらえきれない思いを吐き出すように顔をマジックの胸に押しつけた。
 震える肩を抱きしめ、マジックは瓦礫と化した司令塔の向こうに広がる碧空と海原を見た。
 彼がさっき見ていた景色だ。
 いや、彼の目の中にはもっと美しい世界がうつっていたのかもしれない。


 コワイ。


 マジックは息子の身体をなおいっそう強く抱きしめた。
 最上階に位置するこの部屋を吹き抜ける風は強く、すべてを剥ぎ取っていきそうなほどだ。
 虚飾も、強さも、弱さもすべてこの風にさらわれて―――あとに残るのは空っぽの―――――――――――。








 どれくらいそうしていただろう。
 ほんの刹那のようにも、永遠のようにも思えた。
「―――父さん。」
 疲れた声で呼びかけるシンタローの声。
「はなしてくれ、父さん。」
 聞こえない。
 風の音が強すぎて。
 そう言いたかった。
 シンタローのその声がもう少し弱ければそうできたのに。
 ――――――聞きたくない。





  聞きたくないんだ。








「俺は行かなきゃ。」
 彼が口にする前に分かっていたその言葉は、やはりマジックの胸を痛くする。
マジックが負わせたコタローの心の傷を目の当たりにし、もっとシンタローは苦しむだろう。
 そして――――――いまだにシンタローが求め続けているあの少年がそこにいることをマジックは確信していた。
 シンタローもおそらくそれを知っている。
 今度こそ連れて行かれてしまうかもしれない。
 今度こそ彼を選んでしまうのかもしれない。
 
 見送らなくてはいけないと頭では分かっているのにマジックは彼を離せなかった。
 昔と同じだと、シンタローに軽蔑されてもいいから、行かせたくない。

 知らず、腕に力が込められ、シンタローは苦しそうに息をついた。








「頼むから放してくれ―――――俺はアンタの腕だけはほどけないんだ。」









 マジックは目を閉じ、それからもう一度開いた。
 どこまでも続く青の世界。
 それは果ての見えない己の執着にも似て―――寂しく、すがすがしかった。

「――ごめんね。」
  
 もう一度だけ謝って、ゆっくりと指から、手のひら、腕と力を抜いていく。
 身体が離れた時、ひどく寒く、そして自分の身が頼りなく感じられたのは自分だけではないだろう。

 シンタローが数歩下がって顔を上げる。
 その目は少しだけ縁が赤かったが、腫れてはおらず澄み切った色のままだった。

『ありがとう』

 唇をかすかに動かしただけのその言葉にマジックは頷く。
 シンタローが表情を引き締め、一歩踏み出すと身体をわずかにそらせて道を空けてやる。 横を通り過ぎた時、長くのばした彼の髪がひるがえって自分の頬に触れた。
 彼の踵がたてる重い音が聞こえなくなるまでマジックは外界を見続けた。



 いっておいで、シンタロー。
 おまえを縛り付ける鎖はもうない。
 おまえが何を選びたいのか、そして何を選ぶのか私は知っているから。
 どうなっても何がおこっても私はおまえを待つだろう。




 だから、せめて許して欲しい。

 旅立つおまえの後ろ姿を見送ってやれないことを。











 いっておいで愛しい子。























end
2004/03/10


改稿2006/0911 
tms
愛をしるひと














 心の表面を薄いうすい氷で覆って、何者にもそれを支配されることもなく、白く凍てついた覇王の道を、ひたすら歩み続ける。
 緋色の服に袖を通したその時に、自分は選んだ。
 世界を欲しいと願うなら、他のものは捨てなければならない。
 特に心を。
 あの父でさえ、それのためにすべてを失ったのだ。
 自分たちに対する愛情が、咄嗟の判断を鈍らせて、致命傷を負うことになってしまった。
 「ご子息と重なってしまわれたんでしょう」と震える声で父の部下が告げた時、撃てばよかったのに、と、自分は思った。
 他の兄弟は知らないが、自分なら、父の夢のためなら喜んで死んだ。だから、迷うことなど何もなかったのに。
 この道を歩いていく人間にとって、必要以上の『情』は足枷にしか過ぎない。
 愛することも愛されることも、総帥である時はそれは封印しなければならない。
 












 整列する使用人達に見送られ、玄関のドアへ向かっていた彼は、「ぱぱ」という幼い声に相好を崩して振り返った。
「シンちゃん、おはよう。」
 水色のパジャマ姿の息子が、眠い目をこすりながら、ほてほてと階段を降りてくるのを、待ってやって抱き上げる。
 子供の細い髪がもつれてくしゃくしゃになっているのを、手で直してやりながら、「ごめんね、起こしちゃったかい?」と尋ねる。
 朝、真っ先に子供部屋に行って、キスをしたときに、熟睡していたことは確認していた。
「ううん、起きてよかった。パパと会えたもん。」
 起き抜けの舌っ足らずの愛らしい口調に、とろけそうになりながらも、父親の胸は少し痛んだ。
 ここのところ、マジックの仕事が忙しくて、一つ屋根の下にいるにもかかわらず、二人は顔を合わせることすらままならない日々が続いていたのだ。
 もっとも、父親の方は、帰宅すると、どんなに疲れていても子供部屋に直行して、息子の寝顔で疲れた心を癒していたりしていたのだが。
「ごめんね、シンちゃん、パパが忙しくて、ご飯も一緒に食べられないし、お風呂も一緒に入ってないね。」
 自分はその飢えを、撮りだめしていたビデオで満たしていることは、おくびにも出さず、彼は寂しい想いをさせている息子に謝った。
「いいよ。僕、もう大きいから平気。ひとりでできるよ。」
 ああ、なんて健気な子なんだろう、と、じーんと胸を熱くするマジックだったが、時間が無いことを思い出して、もう一度抱きしめてから、シンタローを床に下ろした。
「それじゃあ、パパ行って来るから、いい子にしているんだよ。」
「うん。パパ、いってらっしゃい」
 それでも、やはり寂しいのかしゅんとうなだれるシンタローの頭をひとつ撫でて、父親は優しく言った。

「大丈夫、すぐ終わらせるからね。」

 周りで聞いていたその言葉の意味をよく知る者達は、内心ぞっとすくみあがったが、賢明にもそれを押し隠した。
 しかし、年端もいかない息子は、「ほんと?」と単純に嬉しそうな顔になる。
「やくそくするよ。なんなら指切りしようか。」
「するするー。」
 ゆーびきーりげんまーん、と元気よい歌声が、早朝のしん、と静まりかえった玄関に響く。
 子供は知らない。
 父親が、仕事を終わらせるということは、すなわち、多くの血と嘆きが、どこかで生まれる日が近いということなのだということを。
 指切りが終わると、待ちかねたように玄関の扉が開かれる。
「じゃあ、いってくるよ、シンちゃん。」
 吹き込んでくる風に、思わずコートの前を合わせた父親は、付け加えた。
「今日は寒いから、外に出るときは、ちゃんとコートを着て、マフラーと帽子をつけるんだよ。」
「うん、わかった。」
「いい子だ。」
 父親は息子に頷いてみせると、迎えに来ていた車に乗り込んだ。












 
 『さんすうドリル』を放り出して、シンタローは椅子の上に持ち上げた両足の膝に顎を乗せた。
「シンちゃん、おぎょうぎわるいよー。」
 一緒に勉強をしていた従兄弟が咎めると、彼の手元のそれまで取り上げた。
「やーっ、かえしてよお。」
「へーんだ。くやしかったら取り返してみろ。」
「ひどいよ、日記につけてやる!」
 二人とも、椅子の上に立ってドリルの取り合いをしているうちに、それが遠くへと飛んでいってしまった。
 放物線を描いて落ちた先は、見慣れた靴のすぐそばで、二人がぎょっとして動きを止める。
「………お二人とも、何をなさってるんですか。」
 グンマの教育係である、高松が両腕を組んだ姿勢で口元をわずかにひきつらせていた。
「たかまつー、シンちゃんがひどいんだよお!」
「グンマがいいこぶるから悪いんだ。」
「だって、シンちゃんがおぎょーぎ悪かったんだもん。」
「うっさい! バカっ!」
「シンちゃんの方がもっとバカ!」
「じゃあ、それのもっとバカ!」
「あー、はいはいおおよそのことは、分かりました。シンタローさまが、お勉強に飽きたのですね。」
 そして、おおかたグンマがそれを注意して、最終的にこの展開になったのだろう。グンマは一人にしても、おとなしく勉強をしているが、従兄弟と一緒になるといつもこうなってしまうのだ。
 確かに、同じ年頃の子供を一つの部屋に閉じこめておいては、遊ぶなというほうが無理だが。
「それでも、来年は小学生でしょう。ちゃんと予習していないと、恥をかくのはあなたですよ。」
「恥なんてかかないもーん。」
 実際、これもまた落ちていたシンタローのドリルを取り上げると、かなり難易度の高い問題でもきちんと解けている。
 確かに頭は悪くない方だろうとは思う。しかし、勉強という『習慣』をつけるのが、そもそもの目的なので、理解度の高さがどうこういう問題ではない。
「とにかく、子供のおしごとはお勉強です! とっとと席について、鉛筆を持ってください。」
 一括されて、シンタローはしぶしぶ椅子に座った。
 しかし、なかなかやる気にならないようで、まだぐずぐずとしている。
「早くおっきくなりたいなー。」
 シンタローの愚痴に高松は意地悪い笑顔を向けた。
「おや、大人になったら、本当にお仕事しないといけませんよ。言うことをきかないクソガキにお勉強させたり、上司の愚痴につきあったり。」
「違うもん。僕は大きくなったらパパのお手伝いするんだもん。そうしたら、ずっといっしょにいられるから。」
「じゃあ、ぼくも高松のお手伝いするー。」
 はりあってそう宣言するグンマのかわいらしさに、高松は溢れ出す鼻血を押さえた。
 それにしても、と、ハンカチを探しながら考える。
 確かに、マジックが彼を後継者に指名するだろうということは、ガンマ団内部では間違いないだろうと言われている。
 けれど、この子供に耐えられるのだろうか。
 人々の怨嗟と嘆きを、その肩に背負うことに。
 ――父親に守られているだけの、この異端の子供が。
 トップというものは、すべからず孤独と戦わねばならない宿命を背負っている。
 恐怖と畏敬を他者に植え付けるためには、決して弱みをみせてはいけない。
 それこそ、家族の死とあっても、涙を流すことも許されない。
 その点、マジックは非常に『優秀』な指導者であるといえるだろう、と高松は皮肉っぽく思った。
 彼は弟の訃報を聞いた時、眉一つ動かさなかったと言う。
 サービスは「あいつらは、穏和で戦闘に向いていないルーザー兄さんが邪魔だったんだ」と、泣いて兄たちを非難したが、それもまた違うだろうと、高松はそう思っていた。
 サービスという友人は、彼にとって受け入れがたい現実からは、目をそらす傾向にある。
 あの人の、無邪気な残酷さも、脆い精神も、何も知らなかった。知ろうとさえしなかった。
 けれど、マジックはすべて知っていた。
 自分以外に、あの人のそのすべてを受け入れたのは、きっと彼だけだっただろう。
 だからこそ、自分は許せなかったのだ―――。 
 
「でもー、シンちゃん、おじさま、とっても強いし、なんでも出来るから、お手伝いなんていらないんじゃない?」
 子供達の声に、暗い淵に思考が落ちかけていた高松は、我に返った。
 グンマの無邪気な指摘に、シンタローは、黒い瞳を大きく見開いている。
「おとなのひとたちが、『そーすい』はかんぺきだって言ってたもん。『そーすい』っておじさまのことだよね、たかまつ。」
「そうですねー。でも、完璧かどうかは私は存じませんがね。」
「違うの?」
「側近を顔で選ぶような安直なとこありますし。」
「だって、自分一人で平気なんだから、飾り程度でいいんじゃないの?」
「それにしても……。」
 そうやって現総帥の能力について、勝手な批評を二人が繰り広げている間、シンタローは黙りこんで、何かを考え込んでいた。











 なんとか、勉強を終わらせ、やっと許しが出た二人は遊び場に向かって、手をつないで歩いていた。
 喧嘩をしていたことなどすっかり忘れ、機嫌よく歌など歌いながら歩いていたグンマだったが、黙り込んでいるシンタローの様子に気づいて、手を強く引っ張った。
「ねぇねぇ、シンちゃん、どうしたの?」
「なんでもないよ。こっち、行こう。」
「ええっ! ダメだよ、決まった道じゃないと、高松が怒る。」
 近くの細い道に入っていこうとするシンタローを、グンマは止めたが、言い出してひっこむような相手ではなかった。
「こっちの方が近道なんだもん。高松が怖いならグンマ一人で、あっち行けよ。ブランコも滑り台も、ぼくが先に遊ぶから。」
 そう言って、ふりほどかれそうになった手を、慌てて掴んでグンマは涙目で頷いた。
「わかったよ~。でも、高松にはナイショだよ。」
「あったりまえじゃん。」
 おまえこそ言うなよ、とシンタローは釘を差し、ガンマ団の中枢に位置する施設が多くひしめくエリアへと入っていった。
 何度かこっそり通ったことがあるので、人気の無い道は分かる。
 人が来れば物陰に隠れてやり過ごすのも、スリルがあってわくわくする。
 最初は渋っていたグンマも、探検ごっこもどきを楽しみ始め、あと、少しという場所まで来ると残念そうな顔つきにさえなった。
「あの階段を上って、降りたらすぐだよね。」
「うん。誰もいないし、行こう。」
 周りを注意深く見回してから、ふたりはたっと、階段に向かって走った。
 とことこと登ると、冷たい突風が顔に吹きつけてきて、二人は首をすくめた。
「さむーい。」
「高ーい。」
 こそっと手すりから下を覗くと、行き交う人々の姿がちらほら見えた。
 それを観察していた二人は、見覚えのある赤い服に「あ」と声を出しかけて、しーっ、しーっとお互いに唇を尖らせた。
「パパだ。」
「おじさまだ。早く降りないと、見つかっちゃうよぉ。」
 グンマはシンタローの手を引っ張ったが、まったく動こうとしなかったので、グンマは諦め、見つからないようにその場にしゃがみこんだ。
 見つかったら叱られると思いながらも、外で見る父親がめずらしく、シンタローは必死で目をこらす。
 数人の大人をひきつれて、歩いている姿が子供の目から見てもかっこよくて、それが自分だけのパパなんだと思うと、誇らしくてちょっと嬉しい。
 彼らの進行方向がたまたまこちらの建物だったらしく、どんどんその距離は近くなり、シンタローは背伸びした。













 今日は一段と風が強い。
 マジックは、コートが風にあおられて飛んでいこうとするのを片手で押さえた。
 背後にいた部下が、預かろうとするのを手で制止し、肩に羽織り直す。
「それで、A地区の戦況は?」
「はっ、……一進一退といったところです。今、我が軍と対峙しているのはあの国の精鋭部隊の中の、特に選りすぐられた戦士のチームだという報告が情報部からも入っています。
また、あの地区の気候も影響し、作戦の遂行に支障をきたしているものと思われます。」
「そうか。」
 マジックは、頷いた。
「なら、あのミサイルを使え。」
 その言葉に、部下が青ざめる。
 確かに最近開発されたばかりの、それを使えば、一気に戦局はこちらに傾くだろう。
 A地区の制圧さえしてしまえば、あの国は落ちたも同然だ。
 しかし。
「あの兵器は、現段階で効果が広すぎます。その影響を及ぼす地域は半径50kmは優に超えて―――。」
「だから?」
 青い冷ややかな瞳に射抜かれ、彼は自分が分を越えた発言をしてしまったことに気づき、蒼白になった。
「……も、もうしわけありませんっ!」
「構わん、言ってみたまえ。」
「はっ…その、しかし……。」
 彼は口ごもったが、このまま黙っていた方が、余計総帥の怒りを煽ることは分かっていた。
「……自軍に与える被害も甚大なものがあると……。」
「甚大を通り越して、全滅だろう。」
 マジックはあっさりと訂正した。
「期間内に終わらせられない無能さに対して、査問会を開く手間も省けてちょうどよい。」
 部下達の目に恐怖が浮かぶのを、マジックは何の感慨も覚えず見下ろした。
 彼らがどう思っているかなど、手に取るように分かる。
 自分が持つ禍々しい力、では無く、この内に潜む闇に彼らは怯えているのだ。
 冷酷で、非道の限りを尽くす魔王。
 今更のことだ。
 そして、彼らは自分の中のそれを恐れながらも、ありえないものに焦がれる人間の性からそれに惹きつけられている。
 実の弟たちもそうだ。
 彼らは自分に反発しながらも、自分から離れられない。
 ひとつのものを求めて、それに対して揺るぎない心を持つことの必要性を、自分は知っているが、彼らは知らない。
 だからこそ、目的のための選択を容易に行える自分を恐怖し、そして、崇拝するのだ。
「すぐに、手続きを済ませろ、報告は後で構わない。」
 今日は、あと会議が数件有り、その間をぬって他国との話し合いもしなくてはならない。
 すでに終わったことの報告など聞いている暇はない。
「はっ! かしこまりました。」
 部下が一礼をして、速やかに立ち去った後、ふと、視線を感じて顔を上げた。



「シンタロー……。」



 前方上部にある通路の手すりの隙間から、見下ろしている大きな黒い瞳を見つけて、マジックは呆然とした。
 目が合った瞬間、子供の小さな肩が遠目でも分かるほどびくりとはねた。
 そして、手すりから手を離すと、くるりと背中を向けて走っていった。
「あっ、シンちゃん! 待ってよお…お、おじさま、ごめんなさいっ!」
 一緒に隠れていたらしい甥が慌ててその後を追う。
 ぴょこんと頭を下げたものの、いつもと変わりないのは彼が見ていなかったからだ。

 自分の本当の顔を。

 知らず、自分の顔を指でたどる。
 かすかに、歪んだ口元、ひそめられた眉。
 冷酷な、鬼のような、そんな笑みを自分は浮かべていた。
 すべての者を圧倒し、ひれ伏させる恐るべき男の顔を、幼い息子に見られてしまったことに、自分でも意外なほどに動揺していた。
 誰でも知っていることなのに。
 いつか、彼も知らなければいけないことなのに。
「総帥?」
 凍ったように立ちすくむ自分の様子を不審に思ったのか、部下が声をかけてきた。
「なんでもない。」
 なんでもないことだ。
「次の予定は、第4棟の会議室だったな。急げ、時間がおしている。」
 そう言って、歩調を早めた。
 休む暇はない。
 彼を待っている未来を前にしては、なにをもそれを止める存在にはなりえないのだから。






 



 仕事を終わらせ、家に向かう車の中でマジックは彼に電話をかけた。
 数回のコールの後、やっと出てきた男の声は不機嫌そうでした。
「どうなさったんです。こんな遅くに。」
「どうした、とはこっちの質問だ。何故、シンタローが中央エリアの中に入ってきていたんだ。」
 総帥の詰問にも、彼はまったく動じる様子が無かった。
「はぁ、そうだったんですか。確かにあそこを突っ切った方が、遊び場に近いですからねぇ。」
「危ないから、入らないようにと二人には言ってあるはずだろう。」
 のほほん、とした彼の口調にマジックは苛つきを隠せず、ついきつい声を出してしまったが、高松は鼻で笑い飛ばした。
「危険? お言葉ですが、ここは貴方の『お城』でしょう。そんなところでご子息にどんな危険がふってくるとおっしゃるんです?」
「高松。」
「それとも、『お仕事中のパパ』を見られたくなかったんですか?」
 電話で幸いだったな、とマジックはひっそりと思った。
 こんなことで動揺している自分を誰にも知られたくはなかったからだ。
 一番触れられたくない話題に、高松という男はへらへらと笑いながら触れてくる。
「まだ、早い。」
「早い……ねぇ。承知しました。ご子息がご自分で判断できるようになられるまでは、お父上の職場には入らないように、気をつけておくことにしますよ。」
 そこで、彼は一旦言葉を切る。
 芝居がかった間などとって、高松は言った。
「お父さまの仕事を『理解』した後、シンタロー様がどうするかは私が関知すべきことじゃありませんから知りませんが。」
 マジックは返事をせずに、電話の電源を切った。
 窓にうつる自分の顔をちらっと見たが、多少不愉快そうな表情にはなってこそすれ、とりたてて動揺している様子はなかった。
 残念だったな、とマジックは、高松を密かに憐れんだ。
 彼は別に馬鹿な男ではない。
 よく自分を観察しており、ぎりぎり許される範囲を見極めて、彼にとって痛手になるだろうと、ああしたことを口にする。
 それが、彼なりの復讐なのだろう。
 高松が何より、愛し、崇拝した『彼』を死に送り出した自分に対しては。
 冷静で、何事にも流されたりしない心が、このことに関してはどうにも抑えきれないらしい。
 けれど、怒りに任せて自分の身を滅ぼすこともできないのだ。
 遺された『彼』の子供と、『彼』の仕事を放棄することは高松にはできない。
 やっかいなものだ、愛情というものは。









「おかえりなさいませ。」
「食事はすませてきた。……シンタローは?」
「しばらく前にお休みになられました。」
「そうか。下がっていい。」
 深々と一礼して使用人が立ち去ると、マジックは廊下に作りつけてある時計に目をやった。
 その針は、子供の就寝時間がとっくに過ぎていることを指し示している。
 もちろん、そんなことは百も承知だった。
 わざと仕事を増やして、帰宅する時間を遅らせたのだから。
 子供のことだから、一晩間を置けばあんな些細なことは忘れるだろう。
 そんな姑息な己の思考をマジックは自嘲した。
 観られたから、知られたからどうだっていうのか。
 あの距離で自分たちの会話を聞きとれたとも思えないし、そもそも頑是無い子供に話の意味など分かるはずがない。
 それでも一旦は子供部屋へ向かいかけた足を止め、マジックはまっすぐ自室へ向かった。
 冷えきった部屋に入ると、灯りもつけないでベッドルームへ入った。
 少し休んでから、シャワーを浴びようと、ベッドに腰掛けた時、小さなふくらみに気づいた。
 よくよく見ると、ベッドカバーがはずされて床に落ちている。
 驚いて羽布団をめくると、そこには小さく丸まって眠っている息子の姿があった。

「シンタロー……。」

 何故ここにいるのか不思議だったが、起こしてはいけないと、そおっと布団を戻したところで、子供の目がぱっちり開いた。
「う~~……。」
 目をこすって、闇に目をこらしていた様子のシンタローだったが、すぐに父親だと気づき、ぱすっと抱きついてきた。
「パパ、おかえりなさい。」
 子供の体温は温かく、冷たい外から帰ってきた身には心地よいものだった。
「ただいま、シンちゃん、どうしたの? ……なにかパパにお話したいことでもあったのかな?」 
 マジックの心中を知ってか知らずか、シンタローはじいっと父親の顔を見上げている。
 しばらくして、ほっとしたように笑う。
「……いつものパパだぁ…。」
 マジックの肩がかすかに強張る。
 しかし、表情はあくまで穏やかな様子を崩さずに、彼は息子に尋ねた。
「いつもの、って? パパはいつでもシンちゃんのパパだよ。」
 すると、シンタローはもじもじとして、顔を俯かせた。
 禁止されたことをして怒られると思ったのだろう。けれど、どうやら覚悟をきめたのか、えーとね、と口を開いた。
「今日ね、パパがお仕事しているところを見たの。……パパ、とっても怖いお顔してた。」
 話すことに一生懸命になっているせいか、自分の髪を撫でていた父親の手が止まったことに、シンタローは気づいていない。
 ずっと、午後から考えていたことを、どうやって父親に伝えようかと必死だったのだ。


「あのね、それで、僕思ったの。きっと、今日、とっても寒かったから、パパ、怖いお顔してたんだって。だからね、おふとんあたたかくしてようと思ってねちゃったの。」


 たどたどしい説明は、父親にぎゅっと抱きしめられたことにより中断してしまった。
「パパ?」
「シンちゃんは、本当にいい子だね。」
 その言葉にシンタローは、戸惑ったようだった。
「ぼく、いい子じゃないよ。言いつけやぶったし、グンマを泣かせたし、高松の本にらくがきしたし………青い目じゃないし。」
 小さな声で付け足された言葉に、父親は腕の中の息子の顔をのぞき込んだ。
「金色の髪じゃないから、『かんぺき』じゃないから、大きくなってもパパを助けてあげられないの。ごめんね。黒くてごめんなさい。」
 しゅんとしている息子に、マジックは他の誰にも与えないような微笑みを向けた。
「パパは黒い髪の方が好きだよ。たとえ、神様が百人の金髪で青い目の子供のかわりにシンちゃんを欲しいっていっても、パパは交換なんか絶対しない。」
 そう言って、顔を近づけて瞼の上にキスを落とす。
「さあ、だから、そんなことは忘れてしまいなさい。シンちゃんはずっとパパの側にいて、パパを助けてくれるんだよ。……忘れるんだ。」
 おまえが見た『私』など、覚えていてはいけない。
 シンタローが知っているのは、優しく子供を見守る父親の瞳だけでいい。
 世界で一番彼を愛している男の瞳だけでいい。
 



 『青の瞳』など、覚えていないくてよい。




 やさしく頭を撫でながら、そう低い声で囁き続けると、子供はうとうととしだした。
 腕の中の子供がどんどん重くなる。
 それにうっとりとするような幸福感を覚えつつ、完全に眠りに落ちる寸前の子供に、一つだけ質問した。

「シンちゃんは、パパが怖い?」
 
 シンタローはたくましい腕に頭を預けながら「こわくないー」とあっさりと答えた。
「だって、パパ怖い顔してただろう。シンちゃん、さっきそう言ったじゃない。」
 しつこくそんなことを言う父親に、息子は重ねて答える。
「こわくない。昼間のパパの顔は……怖かったけど、『パパ』は……怖くないの。……だって、…パパだも…ん。」
 とぎれがちになる言葉の代わりに、シンタローは父親の服をきゅうっと握りしめる。
 離れないことを誓うかのように。











 深い眠りに落ちた子供を、マジックは腕の中に抱え直した。
 こうやって、腕に伝わってくる熱や、小さな呼吸、そのひとつひとつに、愛おしさを感じる。
 けれど、そんな気持ちも自分を変えることはできない。
 目指したものを諦めて、家族を愛し、穏やかな……無為の日々を甘受する人間など自分はなれない。
 この先、シンタローが成長して、今度こそ本当に、彼が父親と呼ぶ人間が、何者であるかを知るだろう。
 嫌悪するかもしれない。
 ……恐怖するかもしれない。
 それを、何より自分は恐れているのに……それでも、変えることはできないのだ。
 
 そして、この子を手放すこともできないだろう。
 
 いや、手放す必要がどこにある?
 この子は、私のもので……私だけのもので、だから、彼の意思など関係ない。
 くっ、と、彼は嗤った。
 本当に……どこの誰が『愛は貴いもの』など言ったのだろう。
 これほど、醜くエゴに満ちた感情が他にあるというのか。
 囚われ、縛り付け、そんな欲望を、すべて正当化してしまう言葉。

 知らなかった。
 こんな感情は生きてきた中で、知ることはなかった。
 これが、『愛情』だと言うのなら、自分は誰も愛したことがないということになる。






 ―――そして、おそらく、これから先も他の人間に対して、こんなふうには想うことはないだろう。
 愛しているふりはできる。優しくすることもできる。
 けれど、こんな感情は他の誰にも持てない。


 



 ああ、そうだ。
 愛することを、己に禁じてきたわけではなかった。
 


 ただ、誰も愛せなかっただけなのだ――――――――。








 ベッドに横たわらせ、柔らかい髪を撫でてやる。
 寒かったから、顔をしかめていたという、シンタローの解釈はそう間違っているわけではない。
 ずっとずっと、凍えてきた自分の中のそれを温めてくれたのは紛れもなく、この子の存在だ。
 麻痺していた心に、恐れと痛みを与えたのも。
 けれど、自分は変わることはできないから。
 だから、この子を自分の世界へ引き入れるしかない。
 愛しているから。
 この世のなによりも―――この子だけを唯一愛しているから。
 なんて醜い。
 グロテスクなエゴイズムな理由。



「大丈夫だよ、パパと一緒なら……二人なら、きっと、冷たくないからね。」


 そう、寄り添って氷の城の中で生きていこう。
 この子が苦しさに耐えきれず泣いたり、外に行きたいと叫んだら、抱きしめて慰めてあげよう。
 










 ――――――――それが、『愛』というものだろう?














end


2005/07/30


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