3.ハーレム
学校は冬休みに入った。
とはいえ中高大一環の大きな組織だ。部活動や追試、補講などで人がいないときはない。さすがに年末年始の数日間は、校舎に人影はなくなるが、研究等や会社自体では人が作業を続けている。
そのほかにも寮や経営者一族の家には人が住んでいるし、その広さのために正確には敷地内だが、そうとは認識されていないほど遠くにあるショッピングモールや娯楽施設には、必ず少なからない人影がある。
ここは休息のない地だ。
24時間365日、絶え間なく人が動いている。
それだけ広大なのだ、この企業は。
その大きな企業を支えるのは(私企業であるから)一人の人間だ。これだけの大きさであるが、現在三代続いており、もうすぐ四代目へ移行しようとしている。
新たな企業の責任者――総帥――となるのは現総帥の子供・・・・・・若干24歳の一人娘だった。
「たっく・・・何考えてんだよ、あいつらはよ・・・・・・!」
そうこぼしながらショッピングモールを歩いているのは、タバコをくわえた金髪の男だった。背は高く、美形といってもいいような顔のつくりだったが、かもし出す乱暴な雰囲気が、それを覆い隠してしまっている。鍛え上げられた体つきといい颯爽とした動きと言い、彼の年齢を諮りかねるが、男はすでに40を超えていた。
「・・・・・・お?」
苛立たしげに足を進めていた男は、前方に見知った人影があることに気付いた。特に訳もなく髪をかき上げ、自らが作る風にさらし近付こうかどうしようか、しばし迷う。
「・・・・・・」
まあ、どっちにしろ進行方向だしな、と一瞬で迷いは晴れ、対象に近付いてゆく。その足音に気付いたのだろう。こちらが声をかける前に、向こうは顔を振り向けてきた。
「あ、叔父さん」
「ハーレム」
「よう」
最年少の甥と、その彼と同い年の友人に声をかけられた男――ハーレムは、彼らの前でのろのろと足を止める。
「何やってんだおめーら。ガキは帰って宿題してな。最後に日に泣きついてきても知らねーぞ」
にやりと笑ってやると、二人組みの子供は猛然と反発してきた。
「叔父さんじゃあるまいし、そんなことにはならないよ!」
「第一、僕らは、もう大体終わってる」
「っへー、生意気な! それになコタロー、俺ぁ宿題で泣きついたことなんざ、ねぇぞー」
とたんに、嘘だぁーという言葉が甥のコタローから、視線がその友人パプワから届けられた。
「叔父さんが勉強してる姿なんて、想像できないよ~」
「そりゃそうだ。俺も想像できん。一度もしたことねぇもんな」
「は?」
コタローの表情がぽかんとしたものになる。パプワは手を打ち、淡々と言った。
「そうか、初めからする気がないのなら、泣きつく必要もないな」
「よく解ってんじゃねぇか」
誇らしげなハーレムに、威張って言うことじゃないだろ! と、我に返ったコタローが怒鳴る。低く笑いながら頭をかき回してやると、さらに怒りは募ったようだった。
「もう! やめてよ叔父さん! タバコ臭くなるし、セットが崩れちゃうだろ!」
「男なら、ちまちま髪のことなんか気にすんじゃねぇよ」
「はっ、これだからやもめ男はだめだね。アイドルはつねに人目を気にしてないと。そんなんだから、いつまでも彼女いないんだよ」
「・・・・・・ほほう・・・」
邪険に払われた手を、面白そうにぶらぶらさせていたハーレムの表情がとたんに引きつった。目ざといコタローがそれに気付かないわけもなく、一気に畳み掛ける。
「それにね、これはお姉ちゃんにやってもらったんだからね! 今のトレンドだよ」
「・・・・・・シンタローが? 珍しいな。あいつ身飾りには全然興味なさそうなのに」
パプワが話に加わると、子供はとたんに嬉しそうに友人に向き直る。
「そうなんだよねー。ま、おかげで見る目のない男がわらわらよってくるのは避けられるし、高価なプレゼントにもだまされることはないけど、きれいなところを見られないのは残念かな? けど、最近はよく僕のセットしてくれて、それは嬉しいんだけどね」
「何かに目覚めた感じか?」
「んー・・・・・・」
自分の友人であり姉の親友でもあるパプワの問いに、首を傾げたものの、たいした間もなく答えは返った。
「そうだとしたら、自分のほうにも目を向けてほしいよね。そんな様子はないけど。・・・・・・・って言うかなんか、いつもより妙~に優しい感じ」
「・・・嫌なのか?」
「まっさかー」
少し心配そうな友人に、そんなわけないじゃん、とからからと笑って否定すると、今度はハーレムに視線を向ける。
「そういや叔父さんにも、ほんのちょっぴりカケラくらい親切かもしれないなー、と思えるような行動してるよね、お姉ちゃん。やっぱクリスマスのことのせいかな?」
その言葉に反応したのは、言われた当人ではなく、パプワのほうだった。気付いてとっさにそちらに目を向けたハーレムだったが、子供はじっと見返してくるだけで、何も言ってはこない。
「・・・・・・あのな、コタロー」
それを気にしつつも、甥と目の高さをあわせるようにかがみこむと、声を低めてささやく。
「これは、言い回るなって言われなかったか? こんな誰にでも聞こえるような場所で、言っていいことじゃねぇ」
「・・・・・・解ってるよ。でも・・・」
「でも、じゃねぇ。まさかこいつにもべらべらしゃべっちまったんじゃねぇだろうな」
「それは、でも・・・だってお姉ちゃんのことだし、パプワ君が知らないのはおかしいよ!」
ハーレムはかがめていた腰を上げると、これ見よがしなため息をつく。
(それとこれとは別問題だろうが・・・)
どう解らせたものか、と空を仰ぎながら頭をかいていると、再び下方から声が上がる。
「まあ、まだ言ってないけどさ・・・」
「何だそりゃ」
拍子抜けした様子を隠しもせずに言うハーレムは、そのまま子供らを見下ろす。コタローはむっとした表情で見返してきたが、まったく話が見えないはずのパプワは、相変わらず落ち着いた視線を向けてきていた。
いや・・・・・・と、ふとハーレムは、黒髪の子供の無表情の中に、小さなもやのような含みを感じ取った。この子供をそれほど理解しているとは言えないのだが、今まで彼の表情の変化を見違えたことは、なぜかない。どこか、一族の異端の姪っ子に似たところがあるせいだろうか? ともかく、かなりの確信を持って指摘してやる。
「おい、どうしたチビ。なんか言いたいことでもあんのか?」
「・・・・・・」
「え、何々パプワ君?」
近親同士の二人にそれぞれ覗き込まれた子供は、しかし慌てもせずに視線を受け止めた。そうして口を開く。
「シンタローに何かあったんだな? クリスマスの日から」
「あ・・・う、うん、そうだけど・・・・・・」
戸惑ったように答えるコタローは、ハーレムへと視線を流す。眉を寄せた彼は、パプワを注視した。
この子供は、聖夜の出来事は知らないはずだ。なのにこの確信に満ちた物言いはなんなのだろう? 考えていると、コタローがゆっくりと混乱から抜け出していっていることに気付く。同時にふとある可能性がひらめいた。
「お前、クリスマスにあいつに何か・・・・・・いや、違う。ひょっとして、リキッドか?」
パプワはおもむろにうなずくと、意味ありげな笑みを含んだ表情で二人を見やっていた。何か言葉を促しているようにも見える。
パプワと一緒に暮らしている保護者のリキッドは、ハーレムの部下だ。正確には彼はまだ学生なのだが、おいおい部下にするつもりでこの学園へつれてきた。そのためハーレムは堂々と部下扱いをしているし、回りもそれを黙認(黙殺?)している。
本人の意思はともかく、この乱雑そうな男はリキッドをよく知っているのだ。彼が――自覚はないようだが――姪に惚れていることも、その姪は自覚してリキッドに惚れていることも。
「あいつ、ついにやったのか!? へぇ~、案外やるじゃねぇか」
「別に、告白したわけじゃないみたいだぞ。僕には“世話になってるお返し”って言ってたし」
その言葉に、ハーレムは呆れたように息をつく。
「ったく、まだんなこと言ってんのかよ! ぐじぐじやってたら、爺さんになっちまうぞ」
「僕もそう思う。けど、あいつもお前には言われたくないと思うぞ」
タバコをくわえた中年の男は、目を丸くして黙りこくったが、すぐに機嫌を悪くしたようにそっぽを向く。パプワはただ面白そうにそれを見上げていた。
「ねえ、2人とも何の話してんのさ」
その間に、ふてくされた様子でコタローが入ってくる。2人に割り込むように体を挟み込むところなど、かまってもらいたい子供の行動そのものなのだが、彼はそれには気付いていない。
指摘すれば怒り出すだろうことは、簡単に想像がついたので、パプワもハーレムもすぐにコタローをなだめにかかった。実際に仲間外れのような状態であったためもある。
「シンタローのことだよ。クリスマスに、ついにリッちゃんがやらかしたんだとよ」
「え・・・。あいつ、家政夫の分際で、お姉ちゃんに何かしたの!?」
何かあったら承知しない、といった口調でハーレムに詰め寄るコタローを、後方からパプワが止める。
「違うぞ、コタロー。リキッドはシンタローにクリスマスプレゼントをあげただけだ」
「え・・・・・・? それはそれで、身の程知らずだよ」
ハーレムはここで思わず吹き出すが、かまわずパプワは続けた。
「まあそういうな。僕も勧めたんだ。シンタローはリキッドが好きなんだから、プレゼンもらって喜ばないことはないだろう?」
「でも・・・・・・。って、え?」
「だから、嬉しそうにしていると思ったんだが、違うのか?」
姉の心を聞かされて混乱したコタローから、ハーレムに子供の視線が移る。彼は複雑な表情で頭をかいた。
「楽しそうかっていや、違うな。いや、喜んでないこたぁはないと思うぜ。あいつ、男から贈り物されたことなんざ、ねぇだろうし。ただ、そうだな・・・・・・」
言葉を濁し、ちらと自分と同じ色彩を持つ甥を見下ろすと、まだ困惑した様子をありありと見せている。さすがにこのままではまずいと思い、子供二人の肩を抱くと、歩くように促した。
「ここで立ち話もなんだ。俺が太っ腹にもご馳走してやるから、どっか入ってこうぜ」
すると、とたんにコタローは我に返り、胡散臭そうに叔父を見上げた。
「いいけど・・・後でお姉ちゃんに請求しないでよ」
「男の甲斐性だな」
2対の下方からのダメ押しに、ハーレムは顔を歪めて呟いた。
「そんなに俺ぁ信用ないか? 解ったよ。シンタローには金、せびらねぇ」
内容がないようだしなぁ、と一人後地ながら、3人は近くの喫茶店へと入っていった。
4 リキッド2 へ
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2.シンタロー
クリスマスと言ってもクリスチャンの学校ではないので、その日が休日になるわけでもない。ただ、恋人や想い人がいるものは、イブの余韻や本番への期待で明るく浮かれている。
そうでないものでも、なんとなく楽しそうなものは多い。まあ中にはふてくされているものもちらちら見えるが、同じ仲間と肩を叩きあい、励ましあったりしているようだ。
シンタローはそんな人々の誰とも違う様子で、校舎を歩いている。
分類するとすれば、彼女に恋人はいないが、家族が英国人なので、毎年そろってクリスマスパーティをするというのが恒例なのだ。どちらかといえば楽しそうな部類に入るだろう。なんだかんだといいつつも毎年それに参加し、それなりに楽しく過ごしている。が――
(それも今年で終わりかな・・・・・・)
パーティの様子を思い出し、なんとなく寂しそうに笑う。
大学院に進んで二年。外へ行くかと迷ったときもあったが、結局彼女は学園に残り、これからもいつづけることを決めた。それがきっかけだったわけでもないのだろうが、先日父親に呼ばれ、改まった様子である話を聞かされた。
(私が総帥・・・か・・・・・・・)
いまだに学生とはいえ、かなり早くから仕事の現場には入っており、作業自体はともかく全体の流れはすでにつかんでいる。時には的確な助言をする彼女を、大半の作業員は一目置いており、新しい人材も多くは彼女を慕っている。
変わり行く時代に対応するために、現総帥の父親は組織の改革を急いでいた。だが偉大な統率力を持つマジックとはいえ、一度作られてしまった組織形態は、なかなか動かせていない。これまで長くいた役員達の協力が得られないことも大きいようだ。
「だったらいっそのこと、すっぱり新しくしちゃおうかと思ってね」
そう言って笑う父親は、晴れ晴れと引退を宣言し、娘に地位を譲ると言ってのけた。
もちろん娘は反発した。そんなにうまく行くはずはない。私はまだ若すぎる。女にそうそう従うものか。大体まだ親父は現役だろう・・・・・・
かなり感情的かつ乱暴な言葉を父親にぶつけた。しかし現ガンマ団総帥は、命令するでもなく子供に対する態度で上から押さえつけるでもなく、自分の後継者を説得した。
これほど長く真剣に父親と話をしたのはいつ以来だろうかと、シンタローはひとりごちる。そのときマジックはひたすら娘を説得し、彼女の関心を総帥業に向けたのだった。
最終的に受け入れたのは、互いに本音でぶつかりあったためだろう、とそう思う。しばらくぶりに感じた本心は、自身の心の重みもいっしょに吐き出してかのように次々と飛び出し、絡み合った。しかしそれは決して不快な体験ではなかった。
ふう、とため息が漏れる。
この親子の決断は、クリスマスに家族に、新年に職員達に知らされることになっている。正式に彼女が総帥になるのは、年度の入れ替わる4月になるのだろう。
自ら決めたことながら、気が重い。
日々が過ぎるにつれ、そのときが近付くにつれ、不安は少しづつ大きく、自信は徐々にしぼんでゆく。時には奮い立つときもあるが、とにもかくにも目前のクリスマスで、ひとつの決着がつく。身内の反対があればそれをどうにかしなければならない。なければいいのだが、あれば彼らの説得が、シンタローの初仕事となるだろう。
(親父も協力してくれるだろうがな)
だがそれでは彼女自身が納得しない。やると決めたからには自分の力でやり遂げると、すでに決めている。・・・・・・・いることは、いるのだが。
公共のベランダに寄りかかり、眼下の風景を見やる。ネオンが色鮮やかにクリスマスイルミネーションを形作っている。あちらこちらから聞こえるクリスマスソングに、買い物をする人々の、楽しそうな声。
今の自分の心にそぐわなすぎて、逆に笑えてきた。
(総帥になれば・・・しばらくクリスマスなんていってられんな。今年くらいは楽しんどきたいが・・・できるかな?)
楽しそうに振舞うことはできるだろうが、相手は彼女を小さな頃から知っている面々が大半だ。上っ面の笑顔など、すぐに見破るだろう。そうなれば、楽しむもの何もなくなってしまう。
(それに、総帥になったら――)
もうひとつの物思いに沈もうとした、まさにそのとき、背後からの気配を感じ、それを中断する。不自然にならない程度に素早く(驚いたと思われるのはシャクだ)振り返ると、気配を視界に入れた。
「――リキッド?」
「はい。ああ良かった。今日中に渡せないかと思いましたよ。探してたんです」
息を呑み、目を見張るシンタローとは対照的に、安心したような人懐こい笑みを浮かべるリキッドは、そんなことを言いつつ近付いてきた。
「な、何だよ。探したって、なんか用か?」
「用ってほどじゃないんすけど・・・」
思わずどもってしまった言葉には気付かなかったのか、そ知らぬふりをしているのか、ともかく目の前の大学生は自分を見上げてくる。学年が上がって進学し、それでも二人の身長の差はそう変わりない。4:1が4:3になった程度だ。下からの追い上げこそ大きいが、シンタローが高いことに変わりはない。
それでは意味がないのだ。問題はそこにあるのだから。
「ちょっと渡したいものがあって。今日クリスマスっしょ?」
何気ない様子でそういい、背負っていたリュックから出したのは、きれいにラッピングされた包み。赤い包装紙と緑のリボンは、いかにもといった感じだった。
包みに目をやってから顔をうかがっても、相変わらず視線を落としたままなシンタローは、表情だけで「これは?」と問いかける。
「あーえー、その、プレゼントっす。いつもお世話になってるから、お礼っていうか・・・」
しどろもどろに答えながらも包みを差し出してくる。驚きに目を見張ったシンタローだったが、そこまで言われては手を出さないわけにも行かない。受け取る前に、いまさらながら周りを見回し、誰もいないと確認する。包みはふかふかして、手に乗せても軽かった。
「クリスマスプレゼント?」
「あ、はい」
短く答えるリキッドの顔は、かすかに赤い。寒さのせいもあるのだろうが、緊張もしているのだろう。なんとなくおかしくなって、包みをためつすがめつしながら、ニヤリと笑って言ってやる。
「・・・嬉しいことは嬉しいが、こんなことして大丈夫なのか?」
「は・・・・・・? え、あ、お金のことはご心配なく。今はジャンさんの援助もありますし」
家計が苦しくないか、という心配ととったようだ。確かにそれも少しはあったが、シンタローは首を振った。
ジャンのことは彼女も知っている。そもそものパプワの保護者で、彼が幼児のときに行方不明になり、その間はリキッドが彼の代わりにパプワを育てて(?)いた。
昨年、ひょっこりと帰ってきてから、リキッドに養育費を援助しているのだが、金を出すぐらいなら引き取れば? と思わないこともない。
だがあちこちふらふらしている男に、子供の養育が無理だというのは、彼女もジャン自身もよく解っているのだ。
何よりパプワはあの家を離れることを望まないだろう。4年という月日は大人にすればそう長くはないが、10歳前後の子供には、人生の大半を費やしたことになる。
友人として愛してくれている子供のことより、異性として思っているものへの気持ちを優先させる自分の心に、苦笑いがもれた。少々やさぐれた気分になったシンタローは、そのまま言葉を続ける。
「そのことじゃない。クリスマスにただの知り合いとはいえ、女にプレゼントなんか渡すと誤解されちまうぜ。私に惚れてるって」
「え、あ、ええ!? いや・・・その・・・そんなつもりは・・・・・・」
言われて初めて思い至ったらしく、一気に赤面したりキッドは、やはりなと思いつつ眺めていると、呼吸を整えてから、もごもごと言い訳じみた言葉をつむいでくる。
当然といえば当然の反応なのだが、総帥就任を間近に控え、そうなってしまえば今のように気軽に会うこともできなくなる、と思い込んでいるシンタローにとって、その言葉は胸に大きく響いてきた。
それならば。
(これが、最後になるなら・・・)
「だろうな・・・・・・けど、私はお前が好きなんだぜ?」
「ですから・・・・・・え?」
向けてきたのは間の抜けた顔。先ほどからあまりにもいつも通りの反応ばかりなのだが、今わそれが切なくて仕方がない。なのに鉄面皮の顔は、いつもと変わらぬ笑顔を形作っている。
「だからもう、誤解されるようなこと、すんなよ? 私に限らず、だけどな」
「え・・・っと・・・? あ、はい・・・・・・」
これは、理解されていないな、と思いつつも、繰り返し言い聞かせるようなことはしない。ひとまずプレゼントの礼を言い、この場は去ることにする。
「ま、とにかくサンキューな。・・・・・・大切にするよ。じゃあ、な」
「・・・・・・はい。さようなら・・・・・・」
いまだ戸惑ったままのようなリキッドを残し、シンタローはバルコニーを出る。家族でのクリスマスパーティの時間が迫ってきていた。
3 ハーレム へ
告白 ~クリスマスの話~
1.リキッド
(あ・・・・・・)
暖かそうな光に照らされたショウウィンドゥ。ガラスケースの中に浮かび上がったマネキンは、冬物の服を着て優雅なポーズをとっている。
買い物途中にふと目に止まったそれに、思わず見入る。足が止まり同行者との距離が開いた。それに気付いたのだろう、前を行く子供が振り返って声を上げた。
「おい、何してるだキッド!」
「・・・・・・ああ、悪ぃパプワ」
言葉を返しつつも、両手に買い物袋を下げたりキッドは、そちらを振り向きもしない。その様子に少しむっとした表情をしたものの、何をしているのかも気になったのだろう。パプワは開いたぶんの、数メートルの距離を引き返してきた。
「なに見てるんだ?」
ひょいと視線の先を見上げると、そこには婦人物の服を着たマネキンがいた。しばらく眺めてから、マネキンと保護者を見比べる。
「女物の服なんて見て、どうした? 着るのか?」
「ああ・・・・・・って、え!? 違う、違う! 着ねぇよ! 妙なこと言うなって!」
一瞬、同居人の言葉を肯定してしまったリキッドは、慌ててそう申し開きをする。が、はっきりと向けられる不審気な目が痛い。
「じゃ、何で見てたんだ?」
「え・・・あ・・・いや、えっと・・・・・・・」
とたんにしどろもどろになった。不審げに見られる以上に、痛いところを突かれたせいなのだが、答えないのは明らかに不自然だ。そもそもこの冷静な子供に、家庭での主導権を握られている彼にとって、これ以上立場が下がるような事態は避けたい。そうそう言いふらしはしないだろうが、女装癖があるなどと思い込まれては困る。
(つーか嫌。カンベン、やめてくれって)
そんな噂が耳に入れば、からかわれそうな顔(おもに年齢30代以上の面々)を思い浮かべ、ニヤニヤ笑いながら親しげに力いっぱい首を絞めてくるところまでを想像し、一気に血の気が引く。
頭を勢いよく振ると、開き直ったようにまくし立て始めた。
「この服さ、シンタローさんに似合うんじゃないかと思って。ホレ、よくあの人にはお世話になってるだろ? もうすぐクリスマスだし、お返しにあげるのもいいかなー・・・・・・って」
「シンタローに? ・・・ふうん・・・・・・」
少し驚いたように言ってから、パプワの視線はショウウィンドゥに戻った。慌てて正直に言ったのものの、急にリキッドは恥ずかしくなる。
(バカじゃないか、俺? いくらお世話になってるお返しとはいえ、クリスマスに男からプレゼントなんて・・・・・・。誤解されちまうかも知れねぇじゃねぇか。あの人もてるから・・・)
本人には自覚がないようなのだが、とリキッドは嘆息する。数年前に教室でもみあって以来ずっと(その前からもだが)、シンタローの男に対する態度は、一貫して変わっていない。
いつも代わらず男のような性格の自分はもてないと思い込み、女の嫉妬の視線を浴びていることすらも気付かない。
それは仕方のないことなのだ。
彼女は、思いが伝わらない男や、妬む女以上の大勢の人に、好かれている。ごく一部の、より近くにいる人々には愛されているといってもいいだろう。そんな人々の努力(?)により、それ以外の人々の意思は届きづらくなっているのだ。特に男の好意は、過保護な父親を初めとする親族の鉄壁のガードで、完全にシャットアウトさせられていた。
(・・・・・・クリスマスプレゼントとかもすごそうだよなー・・・。ま、大半は届かないだろうけど)
そこで、自分の行動にふと思い至る。いくら同居人の子供の親友とはいえ、相手は学園長の娘。本来なら近付くこともないような、お嬢様なのだ。
(・・・・・・知り合いだって知れたときも、あいつらにあれこれ言われたもんなー・・・)
転校してきて間もない頃の友人とのやり取りを思い出す。当時高校生だった彼らの間でもシンタローはアイドルで、知り合いだとわかると友人だけでなく、クラス中のものから(女子含む)うらやましがられ、もみくちゃにされたものだった。あの人と話したんだー、とリキッドを憧れの目で見てくるものさえいた。
(そんな人にいまさら俺が贈り物すんのも、な)
もう一度、マネキンの着ている白いセーターを見て、苦笑いする。小さく鼻でため息をつくと、その場からきびすを返した。
「さ、もう行こうぜ、パプワ」
「買わないのか?」
「え?」
意外そうな子どのもの言葉に思わず足を止めると、今度は不満そうな口調で言ってきた。
「プレゼントするんだろ? この服ならシンタローに似合うと思うぞ」
「いや、でも・・・」
「何を急に嫌がってるんだ? お前があげればシンタローは喜ぶだろう」
「・・・・・・そっかぁ・・・? 逆に迷惑じゃ・・・」
何が迷惑か、は省略したが正直な気持ちを告げると、パプワは呆れたような目で見上げてきた。
「あいつのせこさはお前も知ってるだろう。迷惑だなんて思うものか」
そうかなぁ・・・と、口の中でつぶやくものの、シンタローが行う節約術にはよく感心し、時のはあきれていることを思い出したりキッドは、それもそうかと思い直す。
「・・・・・・じゃあ、買っちまおうかな・・・。パプワ、夕飯もうちょうっとまっててくれな」
「うむ。仕方がない、待ってやろう」
ややためらいがちにだが、いそいそと店に入ってゆくリキッドを、パプワは少しだけため息をつき、微笑んで見送ったのだが、当の本人がそれに気付くことはなかった。
たとえ気付いたとしても、その理由にまでは思い至らなかったろう。
「うまくいくといいな、シンタロー」
2 シンタロー へ
1.リキッド
(あ・・・・・・)
暖かそうな光に照らされたショウウィンドゥ。ガラスケースの中に浮かび上がったマネキンは、冬物の服を着て優雅なポーズをとっている。
買い物途中にふと目に止まったそれに、思わず見入る。足が止まり同行者との距離が開いた。それに気付いたのだろう、前を行く子供が振り返って声を上げた。
「おい、何してるだキッド!」
「・・・・・・ああ、悪ぃパプワ」
言葉を返しつつも、両手に買い物袋を下げたりキッドは、そちらを振り向きもしない。その様子に少しむっとした表情をしたものの、何をしているのかも気になったのだろう。パプワは開いたぶんの、数メートルの距離を引き返してきた。
「なに見てるんだ?」
ひょいと視線の先を見上げると、そこには婦人物の服を着たマネキンがいた。しばらく眺めてから、マネキンと保護者を見比べる。
「女物の服なんて見て、どうした? 着るのか?」
「ああ・・・・・・って、え!? 違う、違う! 着ねぇよ! 妙なこと言うなって!」
一瞬、同居人の言葉を肯定してしまったリキッドは、慌ててそう申し開きをする。が、はっきりと向けられる不審気な目が痛い。
「じゃ、何で見てたんだ?」
「え・・・あ・・・いや、えっと・・・・・・・」
とたんにしどろもどろになった。不審げに見られる以上に、痛いところを突かれたせいなのだが、答えないのは明らかに不自然だ。そもそもこの冷静な子供に、家庭での主導権を握られている彼にとって、これ以上立場が下がるような事態は避けたい。そうそう言いふらしはしないだろうが、女装癖があるなどと思い込まれては困る。
(つーか嫌。カンベン、やめてくれって)
そんな噂が耳に入れば、からかわれそうな顔(おもに年齢30代以上の面々)を思い浮かべ、ニヤニヤ笑いながら親しげに力いっぱい首を絞めてくるところまでを想像し、一気に血の気が引く。
頭を勢いよく振ると、開き直ったようにまくし立て始めた。
「この服さ、シンタローさんに似合うんじゃないかと思って。ホレ、よくあの人にはお世話になってるだろ? もうすぐクリスマスだし、お返しにあげるのもいいかなー・・・・・・って」
「シンタローに? ・・・ふうん・・・・・・」
少し驚いたように言ってから、パプワの視線はショウウィンドゥに戻った。慌てて正直に言ったのものの、急にリキッドは恥ずかしくなる。
(バカじゃないか、俺? いくらお世話になってるお返しとはいえ、クリスマスに男からプレゼントなんて・・・・・・。誤解されちまうかも知れねぇじゃねぇか。あの人もてるから・・・)
本人には自覚がないようなのだが、とリキッドは嘆息する。数年前に教室でもみあって以来ずっと(その前からもだが)、シンタローの男に対する態度は、一貫して変わっていない。
いつも代わらず男のような性格の自分はもてないと思い込み、女の嫉妬の視線を浴びていることすらも気付かない。
それは仕方のないことなのだ。
彼女は、思いが伝わらない男や、妬む女以上の大勢の人に、好かれている。ごく一部の、より近くにいる人々には愛されているといってもいいだろう。そんな人々の努力(?)により、それ以外の人々の意思は届きづらくなっているのだ。特に男の好意は、過保護な父親を初めとする親族の鉄壁のガードで、完全にシャットアウトさせられていた。
(・・・・・・クリスマスプレゼントとかもすごそうだよなー・・・。ま、大半は届かないだろうけど)
そこで、自分の行動にふと思い至る。いくら同居人の子供の親友とはいえ、相手は学園長の娘。本来なら近付くこともないような、お嬢様なのだ。
(・・・・・・知り合いだって知れたときも、あいつらにあれこれ言われたもんなー・・・)
転校してきて間もない頃の友人とのやり取りを思い出す。当時高校生だった彼らの間でもシンタローはアイドルで、知り合いだとわかると友人だけでなく、クラス中のものから(女子含む)うらやましがられ、もみくちゃにされたものだった。あの人と話したんだー、とリキッドを憧れの目で見てくるものさえいた。
(そんな人にいまさら俺が贈り物すんのも、な)
もう一度、マネキンの着ている白いセーターを見て、苦笑いする。小さく鼻でため息をつくと、その場からきびすを返した。
「さ、もう行こうぜ、パプワ」
「買わないのか?」
「え?」
意外そうな子どのもの言葉に思わず足を止めると、今度は不満そうな口調で言ってきた。
「プレゼントするんだろ? この服ならシンタローに似合うと思うぞ」
「いや、でも・・・」
「何を急に嫌がってるんだ? お前があげればシンタローは喜ぶだろう」
「・・・・・・そっかぁ・・・? 逆に迷惑じゃ・・・」
何が迷惑か、は省略したが正直な気持ちを告げると、パプワは呆れたような目で見上げてきた。
「あいつのせこさはお前も知ってるだろう。迷惑だなんて思うものか」
そうかなぁ・・・と、口の中でつぶやくものの、シンタローが行う節約術にはよく感心し、時のはあきれていることを思い出したりキッドは、それもそうかと思い直す。
「・・・・・・じゃあ、買っちまおうかな・・・。パプワ、夕飯もうちょうっとまっててくれな」
「うむ。仕方がない、待ってやろう」
ややためらいがちにだが、いそいそと店に入ってゆくリキッドを、パプワは少しだけため息をつき、微笑んで見送ったのだが、当の本人がそれに気付くことはなかった。
たとえ気付いたとしても、その理由にまでは思い至らなかったろう。
「うまくいくといいな、シンタロー」
2 シンタロー へ
酔っ払い編
扉が開き、ぐったりとした一人と、それを支えるもう一人が入ってくる。ひどく酒臭く、どちらからにおっているのかももう解らない。二人ともかもしれない。
今は新年会シーズンで、そのあおりを食らったのか、支えられている黒髪は、もうぐでんぐでんだ。支えている黒地に金メッシュも、それなりのようではあるが。
「しっかりしてくださいよ、シンタローさん!」
「あ・・・ああ・・・あう・・・」
支えられたシンタローは、そんな返事しか返さない。目はもう開いているのかいないのか、本人もよく解ってはいないだろう。
「参ったなぁ・・・ほら、そこのソファまではちゃんと歩いてください! 靴も脱いで・・・」
支えたリキッドの指示にどうにか従い、ソファに倒れこむ。その振動も気分に響いたらしく、まだ彼女はうめいている。うつぶせているために表情はわからないが、長い黒髪がものように広がっているのは、見ているほうも気分が悪くなるような風景である。
部屋は暗く、酒のにおいさえしなければ、まるでホラー映画のワンシーンだ。
「大丈夫ですか? だから無茶だって・・・」
「・・・・・・う・・・」
男が背中をさすった。ついでに近くにあるテーブルのものをどかしたりしている。ここは彼の部屋なのだ。ならば片付ける前に明かりをつければいいものだと思われる。
ともかく机を片付けた(はじに寄せただけのようにも見える)リキッドは、数回女性の背中をさすってから、奥に消える。水音がしてからコップを手に戻ってきた。台所に行ってきたのだろう。
「はい、シンタローさん水です。飲めますか?」
「あ・・・ぁ・・・」
のろのろと頭を起こして、どうにかといった様子でコップを手に取り、のどに流し込む。
「・・・・・・」
水を飲んでどうにか落ち着いたのか、しばらくしてシンタローはソファに上半身を起こし、だるそうに男を見た。
「リキッド・・・」
「はい?」
「・・・・・・悪ぃな・・・。お前だって・・・っう、きついだろ・・・つ・・・うに・・・」
「あなたほどじゃありませんよ・・・」
「・・・・・・」
苦しそうに言葉をつむぐ様子に、リキッドは苦笑い気味に答えるが、シンタローのほうにそれを聞く余裕は内容で、だんだんと体が傾き始めている。
「わわっ! ちょ・・・! 寝るんすか? いや、別にいいんすけど、今かけるもん持ってきますから! あ、上着くらい脱いでくださいね」
「・・・・・・ぉぉ・・・」
走り去ってゆく音の中、かすれた声でそんな返事ともつかない音を返して、シンタローはしばらく固まっていた。やがて、どうにかといった様子で立ち上がると、コートを脱いでジャケットを脱いでジーンズを下ろしてその下のストッキングまで脱いで、再びソファに沈んだ。
仕方のないことなのだが、脱いだものは全てその場に放置されている。どう考えても妙齢の女性が他人の家ですることではない。
やがて、ばたばたと戻ってきたリキッドが、ぐったりとした人影に毛布をかける。ようやく思いついたのかここで一度壁際により、電気のスイッチを入れた。
「!?」
「・・・・・・うう・・・」
うめき声に慌てて我に返り、明度を落とすが、それからの行動がない。シンタローはうめきながらも眠りに落ちかけているようだが・・・。
「・・・・・・どうしろって?」
成人したばかりの若い男が、脱ぎ散らかされた女性の服を目の当たりにしたときの感想としては、ごく平凡なものだろう。そんな機会に出くわすことが、果たしてそう回数があるかどうかはともかく。
(や、やっぱ片付けなきゃ、だよな。そうだよ、この人もともと言動とか男っぽいし、それほど抵抗ないだろ俺! これは不可抗力なんだよ、うん。しょうがない状況なんだ)
心中で言い訳をつぶやきながら、服を拾い上げ始める。一つ一つ手にとっては、妙にゆっくりたたんでいるのは、音で起こさないためだろうか? 無論、いまだためらいも残るためもあるだろう。ストッキングに手を差し出しかけたときは、直前でしばらく固まり、考えているようだった。
「・・・・・・・・・・・・」
そっとたたんだものを床に重ねると、すばやい動作でストッキングをつかみ、3秒ほどでたたんで服の上に乗せた。つまんで触る面積を少なくする方法もあったろうが、それではまるで汚れ物を扱うようなので、気がとがめたのだろう。実際、洗濯が必要な汚れ物なのだが。
一連の動作を終えると、リキッドは毛布をかけなおし、ため息をつきながら出て行った。シンタローのほうはもう夢うつつの状態らしく、何の反応もない。
このシンタロー、実はリキッドに惚れている。が、それを口に出さないどころか態度にもあらわせないので、まったく気付かれてはいないのだ。古くから彼女を知っている同僚や、リキッドの先輩でもあるシンタローの叔父らには、ある程度理解されているが。
当の本人に通じている可能性は0だと、少なくとも彼女は思っている。それどころか女として見られているかという自信すらなかった。
だが今、明らかにリキッドの反応は、女性に対するものだ。だからこそ起きていないのは非常にもったいない。起きていたところで互いに何かをする度胸もないだろうが。ただシンタローの心は少し晴れたかと思う。
そんなかすかな逢瀬の機会を逃した二人だったが、リキッドにとってはもったいないどころか、非常に困った状況になっているらしい。出てきた部屋の扉を閉めると、それにもたれかかる。そのままずるずると滑り落ちていった。
よく見ずとも顔が赤い。頭をぐしゃぐしゃにかき回して呼吸を整えているのが、なにやら若々しくて微笑ましかった。
「参ったな・・・」
呟きが暗い部屋に響く。何に対して参っているのか、非常に興味がもたれるところだ。酔っ払いに居座られてなのか、女性と一つ屋根の下に二人きりな事なのか、それとも・・・
「どーすっかなー・・・」
リキッドの視線の先には電話。おそらくシンタローの家に連絡するべきかどうか迷っているのだろう。
「こんな時間に電話かけんの、非常識だよな・・・。でも、いくら二十歳こえてるとはいえ、一人娘が無断外泊しちゃあ、心配するだろうし・・・」
一般論をつぶやく。
「・・・・・・でも、俺がかけたら・・・つーか今、ここにいる時点で俺の身って危うい? いやいやでもこれは不可抗力だし事故だよ事故うんただ・・・それを解ってもらえるか・・・・・・?」
と、本音が続く。彼女の父親であるマジックや叔父で上司のハーレムが電話に出れば、からかわれたりいじめられたり、下手すれば問答無用の眼魔砲で容赦なく撃墜され、果ては退学になってしまうかもしれない。それは彼の(いろいろな意味で)今後の人生を左右する事態だった。
同じ身内でも従兄弟のグンマやキンタローならば命には関わらないだろうが・・・。彼らもシンタローを大切にしていることには変わりない。先ほどから嫌な予感が離れなかった。何か、長期的で精神的な負担がかかりそうな予感がする。
「ああ・・・どっちにしろ電話の相手が選べないんなら、どうしよもねぇじゃねえか!」
頭を抱えてのた打ち回るリキッドだったが、きっとはっきり言ってどうしようもない。誰に知らせようとシンタローのことだ、彼が想像した全ての人に、連絡は行くだろう。
「・・・やっぱ、これっきゃないか・・・」
しばらく考えていた男は、やがてそう言うとゆっくりと上体を起こす。
「明日、黙っておいてもらえるように頼もう・・・」
情けのない結論に達した。若輩とはいえ男が、自ら連れ込んだ女性に頼るとは。下心は皆無にせよ。
実際リキッドはシンタローをどう思っているのだろう。先輩として慕ってはいるのだろうが、生来人懐っこい彼のことである、基本的に誰に対しても親しげだ。まあ、そのせいでよくからかわれたりもしているが、シンタローは比較的その度数が弱い。そのためか、彼らはシンタローが卒業してからも、個人的な付き合いを続けている。
しかしそれは2人の間のみではない。やはり基本的にリキッドの体質によるものなのだろう。彼を知る年長者は、からかったりしつつも放っておけないという感情を抱いているようで、本人もそういう者達になついているのだろう。
その本人は、ようやく女性の眠る部屋のドアから離れると、自分の部屋へと入っていく。
「明日は大変そうだなぁ・・・」
彼もシンタローほどではないにしろ酒を飲んでいる。いろいろな意味でそうだろう。
部屋の明かりが消え、その日二人は別々の部屋で眠りについたのだった。
「っ!?」
目を覚ましたシンタローはまず、自分の状況に驚き、ついで頭痛とともに記憶が戻ってきてから落ち着きを取り戻した。
(そっか・・・夕べ・・・)
ブラウスと下着しか身につけていない姿に、一瞬ひやりとしたようだが、自分で脱いだ記憶がおぼろげながらもよみがえり、安心する。近くにたたまれた服が置いてあるが、たたんだ覚えはない。
「悪ぃこと、しちまったなぁ・・・」
酔っ払っていたとはいえ、ほぼ全体重を預けながらここまで連れてこられ、一泊し、一言もなく帰るというのは気分が(シンタロー的には)よろしくない。ここは一発心意気を見せないとな、と立ち上がる。
かすかにふらついたものの、その後は二日酔いなど感じさせない足取りで、服を身に着け外の様子をうかがう。
「おーい・・・起きてるかー?」
扉越しに声をかけても返事はない。時計を見ると朝食にはやや早いかな、という時間。
「・・・・・・・よし」
シンタローは一言つぶやくと寝室の扉に背を向け、台所へと足を向けた。そこへ向かうとしたら、することはひとつだ。
一方リキッドはいまだにベッドの中だった。まだ目覚めてはいないようだが、そのほうが幸福だろう。けれどもカーテンも引いていない部屋には、朝日が容赦なく差し込み、ベッドを照らす。その光にやがて部屋の主も目を覚まさざるを得なくなった。
「う・・・つ・・・くぅ・・・って・・・? あぁ・・・」
こちらもしばらくうめいてから状況を思い出したらしい。シンタローよりも長い時間をかけ、とにかくどうにか起き上がろうとしている。
「あ・・・れ・・・?」
気付いたようだ。不思議そうに空気のにおいをかいでいる。布団をかぶったままのぼんやりとした頭ながらの、漂う匂いのもとくらいはわかったらしく、大慌てで身を起こす。その拍子にどすん、ばたんと大きな音が響いた。
隣から壁を叩く音がした。リキッドは瞬時にそちらを凝視する。
「おい、起きたのか? だったらさっさと着替えてこっち来いよ」
声の主が壁際から去る気配がしても、硬直してしまったりキッドはしばらく動けないでいた。信じられない、という感情をその表情は表している。だが状況は、彼にそんな表情で固まっていることを許してはくれなかった。
「おい! さっさとしろよ! 二度寝してんじゃねぇだろうな!!」
「は、はい・・・!」
先ほどよりも大きく壁を叩かれ、ようやく我に返ったようだ。早くしないとあの年長者は気分屋だ。自分の願いを聞いてくれなくなってしまうかもしれない。
身支度を終えたリキッドが居間に出ると、予想通りそこには、朝食が用意されていた。純和風のちゃぶ台に似合いそうな、暖かな景色。
「やっと来たか。おはよーさん。勝手に使わせてもらってるぜ。お前も二日酔いなら和食がいいだろうと思ってな。みそ汁はいいんだぜ? ・・・つーか食えるか? 気分悪いっつーんなら、もっと食い易いおかゆとかにするけど・・・」
「・・・・・・い、いえいえいえいえ! いただきます! ・・・っていうかすいません! こんなことしてもらっちゃって・・・・・・!」
平然とした風なシンタローに、リキッドは大慌てで答えるが、本当は彼女も緊張しているはずなのだ。何せ好きな男の部屋に一泊したのだから。そんなことは微塵も感じさせない鉄面皮は、本当に見上げた自意識だ。・・・・・・本人も嫌気がさしているらしく、苦い表情が見え隠れしているが。
「・・・・・・こっちのせりふだ、そりゃ。昨夜は迷惑かけたみてぇだな。だからこれはその礼だ。これで互いに相殺って事で、手を打とうぜ」
我ながらかわいげのない物言いだ、とでも思っているのだろう。ますます苦い顔でシンタローは席に着く。しかしリキッドのほうはそんな態度には慣れているようで、内容を理解するとぱっと顔を輝かせた。
「そうですか? そうしていただけると、ありがたいっす!」
「いいからとっとと席、着けよ」
「はい!」
ぶっきらぼうな言葉にも笑みを向けてくるのに、知らず知らずシンタローは赤面している。はっと肩を震わせると、それを振り払うかのように頭を振った。
「・・・どうかしましたか?」
「・・・・・・なんでもない。それよりお前ん家、意外と食材そろってんな」
「そりゃ、育ち盛りがいますからね」
「・・・・・・そういや、パプワは?」
「子ども会の旅行っすよ。コタローも行ってませんでしたっけ?」
「ああ・・・・・・」
なんてことのない会話の続く朝の風景。このようなことが日常的に続けばと、ひそかに願ったのは果たしでどちらだったのだろうか。
ちょっとだけ違った感じのリキシン学園。
三人称が変わっただけなんすけどね。誰かの視点。
ちょみっと進展。ちなみにリキッド君はもう大学生です。シンタローはもう社会人。結局企業に残ってます。
ぶっちゃけ総帥になるんでね。
次でとりあえず一区切りですこの話。
次へ
雨の日の接近
水滴が降り注いでいる。顔に、肩に、髪に、全身に――。
水音に耳を傾けていると、一定のリズムが心地よい。だからただ、こうしていたいと思う。
何も考えず、このまま――
リキッドがそれを見つけたのは、本当に偶然だった。たまたま教室に忘れ物をして、普段は使わない近道を通ったときに、目に入ったのだ。
雨の中、傘もささずに立ちすくんでいるシンタローを。
「・・・・・・?」
当然のごとく驚き、なぜこんなところでこんな姿に? と疑問に思い、そちらに走り寄り――
ふいに、足が止まる。
彼女はこちらに背を向けているのだが、どうしてかその背が、近寄りがたい空気をまとっていた。
(でもこの人いつも偉そうで、そういう意味では近付きずらいし・・・)
だがそれとも違う気がする、と自分で自分の考えを否定する。なぜだか今のシンタローは、人を拒否しながらも、寂しくて仕方がない、とそういっているような、そんな気がした。
(何か・・・)
普段は堂々としていて人に囲まれ、自分中心に世界は回っている! と言わんばかりの態度の人なのに、今はとても頼りない。どうしてか、駆け寄って行き抱きしめたいような、そんな気分さえした。
「・・・・・・って、何考えてんだよ、俺!」
と、つい声に出していってしまうが、雨音がかき消したのか、黒髪に覆われた背中は、微動だにしなかった。このままでは風邪を引いてしまうと思い、止めていた足を再びゆっくり動かしだした。いつもより小さく見える、自分より大きな背中は、すぐに近付いてくる。
「・・・・・・シンタロー、さん・・・・・・」
さすがにこの距離で聞こえないことはないだろう、というくらい近くで言ったのだが、彼女は反応しなかった。しばらくためらったが、ぐっしょりとぬれた服が気にかかり、傘を差し掛ける。
「風邪、引いちまいますよ? どうしたんすか?」
この間といい今日と言い、この人の考えていることはよく解らないな、と思っていると、雨がさえぎられたことでようやく気付いたかのように、シンタローはゆっくりを振り返ってきた。体からは、滴がぽたぽたと垂れる。
「・・・・・・!」
いつもはまっすぐな強い漆黒の瞳が、頼りなげにこちらを向く。なぜか心臓がおかしな位に高鳴った。見てはいけないものを見た気がしたのだ。
そう結論付けると、濡れた服が肌に張り付きなんともいえず色っぽく見えることに気付く。
「な、何してたんすか? 傘は?」
ごまかすような大声で、再び問う。そうでもしないと妙なことを考えてしまいそうだった。
そんなリキッドをシンタローは不思議そうに見下ろすと、問いを返してきた。
「何でいるんだ・・・? もうとっくに家に帰ってる時間だろ・・・・・・」
「忘れ物取りに来たんす! っていうかそれはこっちのセリフッすよ! こんなところで雨ん中ぼぉっと突っ立ってたら危ないし、風邪引いちまいますよ!」
パタパタと雫を落とす様子に、ポケットを探っていたリキッドはようやくハンカチを取り出して、それを使おうと手を伸ばしたが、シンタローは驚いたように身をよじり、避けた。
「・・・・・・っ、いいよ! それよりお前、学校に戻るんだろ? 早く行かねぇと閉まっちまうぞ」
「・・・・・・そりゃ、行きますけど・・・」
「じゃあ、さっさと行けよ」
「でも、あなたは・・・・・・」
ためらいがちに見上げるリキッドに、シンタローをいらだったような舌打ちをもらした。
「行けっつってんだろ!? オレのことはほっとけよ!!」
「オレ・・・・・・」
呆然としたりキッドの言葉に、シンタローは息を呑む。このところ一人称はいつも「私」だったのだが、気が緩んでいたのかつい、言い慣れた言葉を使ってしまったらしい。
リキッドは先日のケンカ騒動で、シンタローの一人称の変化を知ってはいたが、女性の口から出るには聞きなれない言葉だったので、とまっどったようにシンタローを見るしかない。だがひたすらそうしているわけにも行かず、それはひとまず置いておいて、と口を開いた。
「ほっとけって・・・・・・・そんなわけに行きません。知り合いが雨の中にいたら、普通心配します。傘がないんだったら、送ってきますよ?」
こういっても彼女は顔を背け、返事をしてくれない。それどころかさらに拒絶するように、傘の陰から出ようとしている。
「ちょっ・・・」
とっさに腕をつかむと、ものすごい勢いで振り払われた。
「しつけぇぞ、お前! いい加減どっか行きやがれ!」
「行けるわけないでしょう!!」
親切をことごとく拒否され、理由のわからないその態度に、とうとうリキッドも堪忍袋の尾を切らし、怒鳴り返した。
「何ですかさっきから! 何があったのか知りませんけど、人に当たらないでくださいよ!」
「うっせーな! 当たられたくないっつーんなら、どっか行けよ! そうすりゃ済むことだろ!」
「済みません! そんなあなたらしくない態度ばっかりとられたら、気にするなって方が無理ですよ!」
二人の間に、突然沈黙が落ちる。その間には、やや切らし気味のリキッドの息使いと、うるさいほどの雨の音が響いていたので、静寂というわけではない。
「オ・・・私らくない?」
呆然とシンタローがつぶやく。
「そうですよ。そりゃ、あなたはしょっちゅう俺に当たりますけど、そんな暗い感じでじゃありませんでしたよ! 殴って終わり、はたいて終わりで次の瞬間にはもう忘れてる! それが俺の知ってるシンタローさんです! ・・・・・・こんな、うじうじしたやつじゃ、ありません・・・」
彼はしょっちゅう八つ当たりを受けながらも、それをいつまでも引き面ないシンタローの態度には好意を持っていた。彼女のそういうところは他人にも適応され、周りのものの失敗も繰り返さない限りはすぐに忘れ去っていたのだ。
しかし、今はそれが崩れつつある。本人は意識していないのだろうが、だからこそ、これほどこの相手に突っかかっていっているのだ。普段はどうしたって逆らおうとしないような相手に。
・・・・・・逆らわずとも、不快にならない相手に。
言いたいことを言ってしまうと鼻息も荒く、うつむいた相手を睨みつけた。
「えっ・・・・・・・!!??」
突然、肩を両手で固定され、その上に頭がかぶさってきた。驚きのあまり、傘を落としてしまう。
「ち、ちょ・・・シ、シンタロー・・・さん・・・・・・?」
あせって声をかけたが、再び反応が返ってこなくなった。肩から伝わってくるぬくもりにどぎまぎしながら、目の前のうなじを見ているしかない。
自分より背の高い彼女のその部分を見るは、この角度では初めてだと思っていると、その背が震えていることに気付く。
「・・・・・・っ!?」
見れば触れた手も頭も、全身が震えている。寒さのせいかとも思ったが、すぐにそうでないと気付いた。
泣いているのだ。
「・・・・・・シンタロー、さん・・・」
信じられずに硬直する。なぜ? どうして? と言葉は頭を回るが、口に出すことはできなかった。
普段は強気で、どんなつらい状況にあっても平気な顔をして立ち向かい、成し遂げてい行くこの人からは、想像できない姿で・・・だからこそ、どうしていいか解らない。
(この人が、弱い姿をさらしているなんて・・・しかも、俺の、前で・・・)
胸に迫るものがあった。
嬉しい、とか優位に立ってざまあ見ろとか、この人も普通の女性だったのだなとかそんなことよりもまず、切なさを感じた。
(この人は・・・こんな風にしか、泣けないのか・・・・・・?)
初めは独りになろうとしていた。大げさなくらい乱暴な態度で、怒らせて追い払おうとしていた。
・・・・・・そうしなければ泣けないから。誰かの前にはさらせないから。
高いプライドと周りの目が、良くも悪くもシンタローを強くする。強く、作り上げてしまう。
(そっか、俺も・・・・・・・)
強さを押し付けていた一人かと、思う。だからいつもと違うところを見て、腹が立ったのだ。けれどもそれは彼女を追いつめ、結果として泣かせることになってしまう。
(これは、俺が責任取るべきだよな・・・)
心を決めてシンタローを見下ろす。
ぬれてつやを増した髪に手を這わせ、ゆっくりとなでた。雨のせいで水の感触がほとんどだけれども、体のぬくもりがわずかに伝わってくる。
「・・・・・・っ!」
体を震わせた腰にもう一方の手を添えて、軽く抱き寄せた。一瞬固まった体は、だが徐々に力が抜けていっていた。
「雨が、降ってますから・・・解りませんよ」
誰にともなく言い訳を。涙するシンタローを抱いて慰める理由を口にする。そうでもしないと、強情で優しいこの人は、決して自分を頼ってきてはくれないだろう。
「暗いですし、人もいませんし。それにほら、俺も寒いですから、くっついてても不思議じゃありません」
「・・・・・・」
腕の中の人は、笑おうとしたようだった。しかしそれは叶わず、ますます強くリキッドの肩に額を押し付けてくる。肩口に、雨ではない温かい水がしみこんでくるが、彼はそれを不快とは思わなかった。
いっそうやさしく体を抱きしめる。
「・・・・・・っふ・・・」
細い腕が首へと回り、二人の距離はますます近付いている。
地面に落ちた傘の緑が、風に吹かれて地面に揺れていた。
ちょっぴり意味不明な作品。自分的には雰囲気重視な感じなんですが。
ちょっと前と矛盾することあるかもしれないなー・・・。アップ順に書いたわけじゃないし。
わりとお気に入りなお話です。短いし(笑)
ご感想などいただけたら嬉しいです(これ言ったの初やも)
水滴が降り注いでいる。顔に、肩に、髪に、全身に――。
水音に耳を傾けていると、一定のリズムが心地よい。だからただ、こうしていたいと思う。
何も考えず、このまま――
リキッドがそれを見つけたのは、本当に偶然だった。たまたま教室に忘れ物をして、普段は使わない近道を通ったときに、目に入ったのだ。
雨の中、傘もささずに立ちすくんでいるシンタローを。
「・・・・・・?」
当然のごとく驚き、なぜこんなところでこんな姿に? と疑問に思い、そちらに走り寄り――
ふいに、足が止まる。
彼女はこちらに背を向けているのだが、どうしてかその背が、近寄りがたい空気をまとっていた。
(でもこの人いつも偉そうで、そういう意味では近付きずらいし・・・)
だがそれとも違う気がする、と自分で自分の考えを否定する。なぜだか今のシンタローは、人を拒否しながらも、寂しくて仕方がない、とそういっているような、そんな気がした。
(何か・・・)
普段は堂々としていて人に囲まれ、自分中心に世界は回っている! と言わんばかりの態度の人なのに、今はとても頼りない。どうしてか、駆け寄って行き抱きしめたいような、そんな気分さえした。
「・・・・・・って、何考えてんだよ、俺!」
と、つい声に出していってしまうが、雨音がかき消したのか、黒髪に覆われた背中は、微動だにしなかった。このままでは風邪を引いてしまうと思い、止めていた足を再びゆっくり動かしだした。いつもより小さく見える、自分より大きな背中は、すぐに近付いてくる。
「・・・・・・シンタロー、さん・・・・・・」
さすがにこの距離で聞こえないことはないだろう、というくらい近くで言ったのだが、彼女は反応しなかった。しばらくためらったが、ぐっしょりとぬれた服が気にかかり、傘を差し掛ける。
「風邪、引いちまいますよ? どうしたんすか?」
この間といい今日と言い、この人の考えていることはよく解らないな、と思っていると、雨がさえぎられたことでようやく気付いたかのように、シンタローはゆっくりを振り返ってきた。体からは、滴がぽたぽたと垂れる。
「・・・・・・!」
いつもはまっすぐな強い漆黒の瞳が、頼りなげにこちらを向く。なぜか心臓がおかしな位に高鳴った。見てはいけないものを見た気がしたのだ。
そう結論付けると、濡れた服が肌に張り付きなんともいえず色っぽく見えることに気付く。
「な、何してたんすか? 傘は?」
ごまかすような大声で、再び問う。そうでもしないと妙なことを考えてしまいそうだった。
そんなリキッドをシンタローは不思議そうに見下ろすと、問いを返してきた。
「何でいるんだ・・・? もうとっくに家に帰ってる時間だろ・・・・・・」
「忘れ物取りに来たんす! っていうかそれはこっちのセリフッすよ! こんなところで雨ん中ぼぉっと突っ立ってたら危ないし、風邪引いちまいますよ!」
パタパタと雫を落とす様子に、ポケットを探っていたリキッドはようやくハンカチを取り出して、それを使おうと手を伸ばしたが、シンタローは驚いたように身をよじり、避けた。
「・・・・・・っ、いいよ! それよりお前、学校に戻るんだろ? 早く行かねぇと閉まっちまうぞ」
「・・・・・・そりゃ、行きますけど・・・」
「じゃあ、さっさと行けよ」
「でも、あなたは・・・・・・」
ためらいがちに見上げるリキッドに、シンタローをいらだったような舌打ちをもらした。
「行けっつってんだろ!? オレのことはほっとけよ!!」
「オレ・・・・・・」
呆然としたりキッドの言葉に、シンタローは息を呑む。このところ一人称はいつも「私」だったのだが、気が緩んでいたのかつい、言い慣れた言葉を使ってしまったらしい。
リキッドは先日のケンカ騒動で、シンタローの一人称の変化を知ってはいたが、女性の口から出るには聞きなれない言葉だったので、とまっどったようにシンタローを見るしかない。だがひたすらそうしているわけにも行かず、それはひとまず置いておいて、と口を開いた。
「ほっとけって・・・・・・・そんなわけに行きません。知り合いが雨の中にいたら、普通心配します。傘がないんだったら、送ってきますよ?」
こういっても彼女は顔を背け、返事をしてくれない。それどころかさらに拒絶するように、傘の陰から出ようとしている。
「ちょっ・・・」
とっさに腕をつかむと、ものすごい勢いで振り払われた。
「しつけぇぞ、お前! いい加減どっか行きやがれ!」
「行けるわけないでしょう!!」
親切をことごとく拒否され、理由のわからないその態度に、とうとうリキッドも堪忍袋の尾を切らし、怒鳴り返した。
「何ですかさっきから! 何があったのか知りませんけど、人に当たらないでくださいよ!」
「うっせーな! 当たられたくないっつーんなら、どっか行けよ! そうすりゃ済むことだろ!」
「済みません! そんなあなたらしくない態度ばっかりとられたら、気にするなって方が無理ですよ!」
二人の間に、突然沈黙が落ちる。その間には、やや切らし気味のリキッドの息使いと、うるさいほどの雨の音が響いていたので、静寂というわけではない。
「オ・・・私らくない?」
呆然とシンタローがつぶやく。
「そうですよ。そりゃ、あなたはしょっちゅう俺に当たりますけど、そんな暗い感じでじゃありませんでしたよ! 殴って終わり、はたいて終わりで次の瞬間にはもう忘れてる! それが俺の知ってるシンタローさんです! ・・・・・・こんな、うじうじしたやつじゃ、ありません・・・」
彼はしょっちゅう八つ当たりを受けながらも、それをいつまでも引き面ないシンタローの態度には好意を持っていた。彼女のそういうところは他人にも適応され、周りのものの失敗も繰り返さない限りはすぐに忘れ去っていたのだ。
しかし、今はそれが崩れつつある。本人は意識していないのだろうが、だからこそ、これほどこの相手に突っかかっていっているのだ。普段はどうしたって逆らおうとしないような相手に。
・・・・・・逆らわずとも、不快にならない相手に。
言いたいことを言ってしまうと鼻息も荒く、うつむいた相手を睨みつけた。
「えっ・・・・・・・!!??」
突然、肩を両手で固定され、その上に頭がかぶさってきた。驚きのあまり、傘を落としてしまう。
「ち、ちょ・・・シ、シンタロー・・・さん・・・・・・?」
あせって声をかけたが、再び反応が返ってこなくなった。肩から伝わってくるぬくもりにどぎまぎしながら、目の前のうなじを見ているしかない。
自分より背の高い彼女のその部分を見るは、この角度では初めてだと思っていると、その背が震えていることに気付く。
「・・・・・・っ!?」
見れば触れた手も頭も、全身が震えている。寒さのせいかとも思ったが、すぐにそうでないと気付いた。
泣いているのだ。
「・・・・・・シンタロー、さん・・・」
信じられずに硬直する。なぜ? どうして? と言葉は頭を回るが、口に出すことはできなかった。
普段は強気で、どんなつらい状況にあっても平気な顔をして立ち向かい、成し遂げてい行くこの人からは、想像できない姿で・・・だからこそ、どうしていいか解らない。
(この人が、弱い姿をさらしているなんて・・・しかも、俺の、前で・・・)
胸に迫るものがあった。
嬉しい、とか優位に立ってざまあ見ろとか、この人も普通の女性だったのだなとかそんなことよりもまず、切なさを感じた。
(この人は・・・こんな風にしか、泣けないのか・・・・・・?)
初めは独りになろうとしていた。大げさなくらい乱暴な態度で、怒らせて追い払おうとしていた。
・・・・・・そうしなければ泣けないから。誰かの前にはさらせないから。
高いプライドと周りの目が、良くも悪くもシンタローを強くする。強く、作り上げてしまう。
(そっか、俺も・・・・・・・)
強さを押し付けていた一人かと、思う。だからいつもと違うところを見て、腹が立ったのだ。けれどもそれは彼女を追いつめ、結果として泣かせることになってしまう。
(これは、俺が責任取るべきだよな・・・)
心を決めてシンタローを見下ろす。
ぬれてつやを増した髪に手を這わせ、ゆっくりとなでた。雨のせいで水の感触がほとんどだけれども、体のぬくもりがわずかに伝わってくる。
「・・・・・・っ!」
体を震わせた腰にもう一方の手を添えて、軽く抱き寄せた。一瞬固まった体は、だが徐々に力が抜けていっていた。
「雨が、降ってますから・・・解りませんよ」
誰にともなく言い訳を。涙するシンタローを抱いて慰める理由を口にする。そうでもしないと、強情で優しいこの人は、決して自分を頼ってきてはくれないだろう。
「暗いですし、人もいませんし。それにほら、俺も寒いですから、くっついてても不思議じゃありません」
「・・・・・・」
腕の中の人は、笑おうとしたようだった。しかしそれは叶わず、ますます強くリキッドの肩に額を押し付けてくる。肩口に、雨ではない温かい水がしみこんでくるが、彼はそれを不快とは思わなかった。
いっそうやさしく体を抱きしめる。
「・・・・・・っふ・・・」
細い腕が首へと回り、二人の距離はますます近付いている。
地面に落ちた傘の緑が、風に吹かれて地面に揺れていた。
ちょっぴり意味不明な作品。自分的には雰囲気重視な感じなんですが。
ちょっと前と矛盾することあるかもしれないなー・・・。アップ順に書いたわけじゃないし。
わりとお気に入りなお話です。短いし(笑)
ご感想などいただけたら嬉しいです(これ言ったの初やも)