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 元よりその男に近づこうとする団員などほとんどいないのだが、その日、その顔を目にした団員たちはいつも以上に露骨に―――否、あくまで本人たちとしてはさり気なく―――視線をそらして、軽く会釈だけをしながら横を通り過ぎていった。
 そんな他人の態度には気付いていたが、あえて隠すようなものでもない。そう思って、バインダーを抱えつつ常の無愛想な表情で歩いていた男は、急に廊下中に響き渡るかのような大声で呼び止められ、自分のそれまでの考えを後悔した。そうだ、団内にはこういった人間もいたのだった。やはり多少なりとも隠しておくべきだった、と。















『あすも また』















「アラシヤマ!?どがぁしたそんカオはぁ!」

 ひたすら目立たぬよう早足でその場をやり過ごそうとしていた団員たちすら、思わず振り向くその大声。
 発したのは、日本人とはとても思えないようないかつい大男だった。制服の肩に軍用コートを羽織った黒い短髪のその男は、目を大きくしたままアラシヤマのそばにずかずかと歩み寄ると、表に出ている左頬を凝視した。

「……別に、大したことやおへん。女子でもあるまいし、そない騒ぎたてんといてや、コージはん」

 アラシヤマはうんざりといった様子で自分を眺めてくる大きな眼から、ふい、と顔をそらす。

「おんし、最近は内勤続きじゃろが」
「気にせんといておくれやす。ほんのちょっと、『新総帥』とぶつこうただけどすから」
「ふーむ」

 淡々とそう言うアラシヤマの前で腕組みをして、コージは、珍しいのお、と慨嘆のような声を出す。

「何がどす?わてとあんお人のケンカなんていつものことどっしゃろ」
「いや……」

 言いながら、コージは存外真面目な眼をして、アラシヤマの左頬を指差す。そこには殴られた痕のような赤みがくっきりと残っていた。一部は既に痣になりかけているのか、青紫に変色しているところもある。

「焦げちょらん。いつもじゃったら、眼魔砲で一発じゃろが」

 コージのその台詞に、こういう時ばっかり察しがいいゆうのも嫌なもんどすな、と思いつつ、アラシヤマはコージから顔を背けたまま、自嘲のような表情をしながら目を細める。

「―――そんだけ、腹立ったってことやないどすか?」 

 できることならすぐにでもその場を立ち去りたい気分だったが、この巨躯に邪魔されているとそれもままならない。とりあえず無駄に衆目を集めることだけは避けたいと、アラシヤマは通路の脇に寄る。
 コージは本人が意識してそうしているわけではないのだろうが、アラシヤマの退路を断つように壁に肘をつけながら、いまだ不可解という顔をしてアラシヤマを見ている。

「しかし……、殴りつけるっちゅうのは、穏やかじゃないのぉ」
「禁句言うたんはわてどすさかい、仕方ありまへんわ」

 まぁ、わざとどすけどな、と言いつつ、逃れられないと観念したアラシヤマはぽつり、ぽつりと事の経緯を話し始めた。




***




 朝一番に総帥室を訪れたときから、アラシヤマにはその話し合いが決して何事もなく終わるようなものでないことはわかっていた。
 昨晩遅くまで幾度もシュミレートを繰り返し、それでも覆すことの出来なかった結論。それを記載した書類を持って、アラシヤマは一つの報告をしに上がったのだった。
 
 それはとある小さな途上国の、政府を転覆させるという計画で。人道的にもかなり問題があるとされるその国を変革させることは、新しいガンマ団の理念にも則ったものだった。ほとんど決定事項として、アラシヤマの元に届けられたその計画書。だが、その計画に対してアラシヤマの下した判断はシンタローとは全く意を異にしたものだった。
 彼は、その書類をシンタローの前の机に置くと、きっぱりと言い切った。時期尚早だ、と。
 それを受けたシンタローが思わず気色ばむ。

「―――理由は」
「見返りが、足りまへんわ」

 剣呑なその視線を身に受けながらも、アラシヤマは飄然とした態度を崩さない。
 
「見返りなんざ、後からどうとでも帳尻合わせられんだろーが。今、こんなとこで議論してる間にも、あの国じゃ何百って子供たちが」

 シンタローの言いたいことは理解しているつもりだ。ただでさえ子供には甘いこの新総帥が、依頼を受けてその国を視察し、現状を目のあたりにして一刻も早くなんとかしなければと焦る気持ちも、憶測は出来る。
 だが、今の体制では、ただ敵を潰してそれでおしまいという話にはならないのだ。現政府を崩したところで、その後の新政府の樹立、弱者への人道的支援、新たな国家体制を確立させるところまで手助けできるという確信がなければ、団の介入は事態を更に悪化させる可能性もある。
 勿論シンタローにもそれはわかっているだろう。確かに、団の資本力をもってすれば、先々まで見越してそれを行うのも不可能な話ではない。だが、元の依頼主である民間組織からは、それに見合うだけの報酬はまず見込めなかった。将来投資としても、不確定要素が多すぎる。
 そして、そうした依頼は、この一件を片付ければすむと言う類のものではないのだ。
 新体制に移行してまだ間もなく、新総帥のどんな僅かな失策にもつけ込もうとしている不穏分子がどこに潜んでいるかもわからない団で、それだけのリスクを背負い込むだけの余裕はない。それがアラシヤマの譲れない主張だった。
 しかし、それらのロジックを聞いて尚、今動かなくては遅いのだ、とシンタローは言い張る。それをしなくては、何のための新体制だ、と。
 気付けば売り言葉に買い言葉。互いに譲歩できない主張に、アラシヤマが終にそれを口にした。


「今のあんさんにできることとできんことの見極めすらつかへんのどすか?ガンマ団総帥て肩書きつけて、父親とおんなじ紅い服着て、それであんさん自身が強ぅなったとでも思うてはるん?」


 はん、と冷笑しながら言ったアラシヤマのその言葉に、シンタローの体は考えるより先に動いていた。
 ガツッという重い音が、二人きりの室内に響く。
 なんとか一瞬先に歯を食いしばっていたため、地に倒れるような無様な真似はしないですんだ。だが。

 机越しとはいえ、遠慮のない力で殴りつけられたその痛みより、そうされた後の、怒りと困惑があいまったようなシンタローの顔を見たときのほうが、余程ショックは大きかった。

(―――ああ、そんなに)

 シンタローは机の上に両腕をついたまま、まるで必死に何かに抵抗する幼児のような表情でアラシヤマを睨みつけている。

(―――泣きそうな顔を、させたいわけじゃないのに)

 言い過ぎた、という後悔がないわけではなかった。だが、アラシヤマは自分の意見を変えることはできない。

「……失礼、させてもらいますわ」

 言いつつ、儀礼的にアラシヤマは頭を下げる。シンタローから返事はない。
 室内に重い沈黙を残し、アラシヤマは総帥室を退出した。




***




 アラシヤマがほとんど感情を表さず話したその経緯を、コージはむぅ、と、顔を顰めて腕組みをしたまま聞いている。すべてを話し終えたアラシヤマは、中空を見据えながら、呟くともなく言った。

「わてや―――あかんのかもしれへんのどすなぁ……」

 彼の力になりたいというのは本当。僅かでもその支えになれればと願った思いは、けして嘘ではない。
 だけど、あまりに違いすぎる。そして、きっと互いの考え方はきっと、これからもずっと交わらない。

 だが、そんなことをぼんやりと思っていたアラシヤマは、唐突にその背中を大きく分厚い手のひらで思いきり叩かれた。

「なあーに、ゆうとるんじゃ!!」

 頬の痣を忘れさせるほど、ひりひりと痛む背中。アラシヤマは目を丸くしてコージを見上げる。そこには、常にはほとんど見たことがない真剣な面持ちのコージの顔があった。

「ヌシらしゅうもない。大体おんしとシンタローはついこの前までずっと反目しおうとった仲じゃろが。一度同じ死線潜り抜けたくらいでなんもかも分かり合える思うちょったら、そりゃ考えが甘いちゅうもんじゃ」

 まるでわからずやの小学生に説教をするようにアラシヤマに顔を突きつけ、傷があるほうの片目を眇めながら、コージは言う。

「そんでも、シンタローに対してだけはいっつも真っ直ぐ向かってこうとしとったのが、ヌシのええところじゃろうが」
 
 おんしからそこを取ったら何も残らんぞ、と付け加えながら、アラシヤマの目の前でコージは続ける。
 アラシヤマは常日頃軽口しか叩き合うことのない「同僚」の、極めて真剣な表情に戸惑いながら、ただ呆然とそれを聞いている。

「見えるもん、辿る道は違ぉても、同じ志を持つことは出来る。何度ぶつかりおうて、傷だらけになってもそれでもそばにおれる人間。―――それを、親友っちゅうんじゃろう?」

 久しぶりにこれほど近い距離で、この短髪の男の瞳を見た。普段は極めて単純で大雑把な体力馬鹿としか思えないのに、その瞳の色の深さは、一体なんだと言うのだろう。

「まぁ、ヌシやシンタローは存外抱え込むタチじゃけんのう」
「あんさんは……悩み少なそうで、ええどすな」
「これで色々と考えることも多いんじゃぞ。そんでも大体いつもワシの心は甲子園の夏空のように晴れ渡っちょる」

 胸を張りながらコージは言う。その考えることの内容をぜひ知りたいものだと思いながら、アラシヤマはため息をついた。どうせ今日の食堂の日替わり定食の内容とかそのくらいに違いない。
 この男は、一の問題に対して、一の悩みしか持たないという至極単純で、潔い理念を無意識のうちに持っている。そして、悩む前にできることをまず行い、それでも残ったものは仕方ないと抱えたままにしておく包容力も。
 そんな男の考え方を、少しだけ羨ましいとアラシヤマは思った。だがそんな目前の男の思いなど全く気にせず、コージは言う。

「なんにせよ早く行っちゃりぃ。仲直りのしやすさと、ケンカの後の時間は……ほれ、アレじゃ、アレするけんのぉ」
「……比例、どすか?」
「おぉ、それじゃそれ!比例するんじゃ」
「あんさん……比例ゆう言葉すら忘れるんはヒトとしてどうかと思いますえ……」

 アラシヤマが呆れたようにそう口にすると、コージは、お、やっといつもの調子が出てきたのう、と片眉を上げた。

「でも、まぁ、言うてはることは、正論、どすなぁ……」

 アラシヤマが小声で呟いたその言葉に、ほうじゃろうほうじゃろう、と、コージは一人満足したように頷く。そして、真面目な顔でアラシヤマの胸を太い人差し指で突き、

「まだ昼メシには早いじゃろ。行っちゃり。そんで何度でも殴りおうてくればええんじゃ。―――わかったか!」

 そう言って、ニッと破顔する。
 そのあまりにも真っ直ぐでおおらかな笑顔にアラシヤマは一瞬呆気に取られたような顔をし―――そして、苦笑しつつ肯いた。

「……おおきに」




***




 秘書に総帥の在室を確認し、失礼しますえ、と言ってノックもせずにアラシヤマは室内に足を踏み入れた。
 重厚な机に向かい片手で頭を掻きながら何かを考えていたらしいシンタローは、不躾な侵入者の姿を認めると、眉間の皺を一層深くした。一度ちらりと目線を寄越した後は、その存在を完全に無視して、すぐにまた机上へと意識を戻す。

「わての顔なんて見たない、ゆう感じどすな」

 苦笑しながらそう話しかけるアラシヤマに、シンタローは僅かの反応も見せなかった。耳に入っていないわけはない。これだけの広さの部屋だ。

「そん気持ちはわかりますわ。さっき言い過ぎたんは謝ります。ただ……これだけは、聞いておくれやす」

 小さくため息をつき、内心の緊張を必死で抑えながら、極力平静な声でアラシヤマは言う。

「わては自分が一度言うたこと、引っくり返すんはできへん。どう考えてもあの計画進めるんは、団にとってはデメリットや。―――せやけど、あんさんがどうしても進めたい言わはるなら、わてはそれに従います」

 その言いように、シンタローはさすがにキッと顔を上げ、そして―――何も言えなくなった。
 そんなことじゃない、そんな台詞が聞きたいわけじゃない、とシンタローは怒鳴りつけようとした。だが、そういったことなど全てわかっているかのように、アラシヤマは何か痛みを抱えたような顔をして、それらの言葉を口にしている。
 怒鳴りつけようとした言葉は飲み込んでしまい、だが普通の会話を返すことも出来ずに。シンタローはただ、机上の書類からは完全に顔を上げた。
 そして一本煙草に火をつけたかと思うと、くるりと椅子を九十度回転させ、アラシヤマに横顔だけを見せて煙を吐き出す。険しい表情で、まるで努めて平静を保とうとしているかのように。

「……わては今でも、どっちのほうがあんさんにとってええことやったんかわからへん」

 静かに室内に響くその声。
 口にしている言葉は、シンタローに言い聞かせているのか、それとも自らに問いかけているのか、アラシヤマ自身にもよくわからなかった。

「マジック様の作らはったほとんど完璧な団そっくりそのまま受け継いで、汚いモンなんてなんも見んと、ただそこで安穏と踏ん反りかえってたほうが余っ程ラクで幸せや」

 どこを見ているのかわからない視線、意識的に何の表情も浮かばせていないその横顔に向かって、ただアラシヤマは語りかける。

「あんさんの言うことはまだ、甘ったれの坊としかわてには思えへん。せやけど、あんさんは見たいてゆうたんや。どんな汚いモンでも痛いモンでも、見て、自分の手で変えるて決めたんどっしゃろ。ほな―――」

 シンタローにとって聞きたくもないだろうその台詞は、アラシヤマにとっても自身を傷つける諸刃の刃だ。
 だがそれを口にするアラシヤマの表情は、あくまで真摯で。自分に可能な限りの感情を込めて、言った。


「そないに急がんでも―――ゆっくりそうしたら、ええやないどすか」




 豪奢な椅子の背後にある窓からは温度を伴わない冬の強い日ざしが射し込んでくる。扉の方向に伸びるシンタローとアラシヤマの影が濃い。紫煙が一筋、ゆらりと天井の換気口に向かって上っていく。部屋には冷たい陽光と沈黙が満ちている。

 黄色い太陽の光をその横顔に受けながら、シンタローが、ゆっくりと口を開いた。



































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たまにはビターに。新体制発足後わりとすぐ、といった感じで。
書ききれませんが、コージは本当に男前だと思うんです。




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 黒髪のシンタローと「分れ」て、新たな名を付けられ、あの島で死闘を繰り広げ、そうして今は、かつて自分の半身であった男の補佐という立場にいる。
 あの島で持っていた怒りや憎しみ、悔しさや愉悦、そうした感情のほかにも、初めて知る感覚は数え切れないほどあって。グンマや高松のけしてそうとは感じさせない気遣いや、シンタローとの幾度もの衝突を繰り返しつつ、多くのものを学んだ。
 基礎的な知識はシンタローの中にいるときから身に付けてはいたけれど、それらは全て薄い皮膜を通したような感覚で。初めて生身の体で実感する様々な事象に戸惑うことも多かったが、ようやく自分はこの「居場所」に安んじていられるようになったと思う。
 だが、それでもまだ理解するには難いこともいくつかはある。それが自分という特異な生い立ちを持つ人間だからなのか、それとも一般的なことなのか、それすらもキンタローにはわからない。だがとにかく、しばしば奇声と共に総帥室に飛び込んできては意味不明のことを立て続けにまくしたて、挙句最後は必ずシンタローの眼魔砲によって香ばしい匂いをたてる羽目に陥っている男の行動も、その疑問のかなり上位を占めるものだった。















『Reason』















 団内の中庭、珍しく一人で行動していたときにばったりと男と出くわしてしまったキンタローは、そんな事を瞬間的に思い出していた。
 男は中庭のベンチに腰掛け、何かのレポートらしき紙の束を眺めている。空は綺麗な冬晴れだが、まだ日光浴をするには寒すぎる。周囲に人影はない。
 気付けばキンタローは男のそばまで歩み寄っていた。深い意味はない。あえて言うならば、それは男に対する純粋な好奇心からだ。
 男が自分に対して、時に明らかな敵意をむけてくることは知っている。今に見てなはれ、だの、シンタローはんの一番の親友はわてどすからな、など、理解は困難だがとにかく皮肉めいたことを言われたことも、一度や二度ではない(そのたびに大概横にいるシンタローに眼魔砲を浴びせられていたが)。
 それでも、そうした行動すらキンタローにとっては不思議の一つで。二人きりの今なら、多少その謎の手がかりが掴めるかと思ったのだ。

「あんさん、デカい図体でそこに立たれるとこっちが日陰になります。どいてくれなはれ」

 近づいたキンタローに書類から顔も上げずに男は言った。
 キンタローはややムッとしながらも、それでも素直に一歩横によける。

「何をしているんだ、こんなところで」
「見てわかりまへんの?書類の確認どす。今開発課から受け取ってきたばっかどすけど、チェックだけどしたらわざわざ部署まで戻ることもあらへんさかい」

 ぱらぱらと紙をめくりながら、人を小馬鹿にしたような口調で言う。

「あんさんこそ、珍しゅう一人でヒマそうどすな」

 アラシヤマは相変わらず書面から顔も上げない。なんとなく大の男二人が並んで腰掛けるにはこのベンチは狭そうだと思い、キンタローは隣には座らずに立ったまま黒髪を見下ろすようにして話す。

「シンタローがコタローの様子を見に行っている。アイツもたまには二人きりで話したいこともあるだろうと思ってな」

 席を外した、とキンタローは答えた。
 へぇ、そらお優しいことで、とアラシヤマは皮肉げに言う。やはりその態度は、どう見てもあからさまな敵意が剥き出しだ。

「―――いつも、思っていたんだが」
「なんどす?」
「お前は何故、そう俺にばかりつっかかるんだ?」

 あまりにストレートなその問いかけに、アラシヤマは思わず噴き出しそうになった。だが、キンタローとしては冗談などというつもりは皆目ない。極めて真面目な話だ。

「あの島で俺がしたことを恨みに思っているのなら、それは仕方がない。だが、他の人間はそうした態度は取らないし、お前もどうもそうした理由で俺を疎んじているというわけではなさそうだ」

 キンタローにとっては、心から不思議で仕方がないのだ。この男が元から人付き合いの良くないことは知っている。だがそれでも、自分に対してのソレはあまりにもあからさまだと思う。
 アラシヤマはようやく書面から顔を上げて、どこかぐったりしたような表情で言う。

「あんさんは……ホンマ、なんちゅうか……わての方が阿呆みたいに思えてきてまうわ」

 そうして、がしがしと鬱陶しく顔を覆う前髪を掻いた。

「理由なんて、そんなんあんさんがいつもシンタローはんの傍におれるからに決まっとるやないの」
「……本当に、それだけなのか?」
「そうどす。しかも、それで当然てカオしてはる。ま、確かに当たり前のことなんどすけどな。あんお人の心友のわてとしては、そんでも心中穏やかやいられへん、ちゅうことどすわ」

 あーなんでこないなことまで説明せなあかんのやこのやや子は、と頭を抱え込みながらアラシヤマは唸る。
 それでも、キンタローはまだわからないという顔をしてアラシヤマに質問を続ける。

「しかし、お前だってしょっちゅうシンタローにまとわりついてくるだろう。……凝りもせずに」

 仕事として、そして多少面映いが家族として自分がシンタローのそばについていることは何ら不自然ではない。それよりも男の奇矯な行動のほうがキンタローには不可解だ。
 近づけば嫌な顔をされ、何を口にしようと聞き流され、挙句の果てには軽傷では済まない眼魔砲だ。団員たちの口にも、その振る舞いはストーカーじみているとの噂となり、それはこの男にとって名誉なことではないだろうに。
 だが、そんな事を考えていたキンタローの顔を、アラシヤマはほんの少しの間、じっと真正面から見据え。
 そして、ぼそりと呟くように言った。

「あんさんとわてとじゃ、立場が違う。―――わてはシンタローはんのそばにいるために、ただできることをしとるだけどす」

 その一言は、キンタローにとって、完成など見込めないと思っていたパズルの、足りないピースだった。
 どうしても解けなかったそれが、頭の中で次々と組みあがっていくのを感じる。
 そして、ああそうか、と思った。
 総帥であるシンタローのそばにいるには、この男にはそれ以外の手がなかったのだと。


 シンタローのほうから近づくわけにはいかなかっただろう。
 彼はすでに「総帥」で、一個の感情で個人に向き合うべき人間ではないからだ。
 今は伊達衆と呼ばれるあの四人が、総帥にとって特別な存在であることを、知らない団員はいない。
 ただでさえ妬み嫉みの類には事欠かないが、そういった中傷がなされるとき、寵愛を受けているとされる人間以上に憎まれるのはシンタローだった。たとえそれが当人への順当な評価であっても、贔屓と取られることも多い。
 シンタロー自身はアホらしいと公言してはばからないが、それでも団内の立場というものはある。絶対的な畏怖を持って団内を完璧に統治していたカリスマ総帥の、あまりにも急な代替わり。その影響は計り知れず、ほとんど創設時に近い混乱の状態は、どこに反対派が潜むかわからないだけ、統率に関しては当時よりもなお悪いと聞く。
 だから。
 彼は、シンタローを追い回すようになったのだ。シンタローからいかに無碍に、邪険に扱われようと、執拗に。
 時に過剰なまでの愛情表現を持って、友情という言葉に固執し、ストーカーまがいの行為をして。
 そして、彼がシンタローのそばにいることは「やむをえない」ことであり、シンタローが「嫌々ながら」彼の対応をしている、という構図を作った。

 実に見事ではないか。

 彼を特別扱いしているなどという噂はたつはずがなく、むしろ総帥はあくまで被害者で。
 そうして欠片(かけら)も傷つかないまま、シンタローは彼をずっとそばに置いておけている。




「キンタロー?なに人の顔ぼけっと眺めてはるんや」

 ふと気づくと目の前にいる鬱陶しい黒髪の男が、眉を顰めて怪訝そうな顔でこちらを見ていた。どうやら自分でも知らぬ間に相手の顔を凝視していたらしい。
 それ以上見とれとると見料とりますえ、と呆れたように言うアラシヤマに、キンタローは思わず問いかけた。

「お前は、つらくないのか?・・・・・・アイツのそばにいることが」

 シンタローは絶対に認めはしないだろうが、この環境はある意味では彼にとってのベストだと思う。性格に多少難在りとはいえ団内でも指折りの有能な幹部を、自分の直属の手駒のように使うことができ、ボロきれのように酷使したところで、誰からも非難の声は上がらない。
 そして、そうした彼の存在そのものが、新総帥に就任して以来常に神経を張り詰め続けているシンタローにとって、かなりの救いとなっていることは否めないはずだ。
 だが、その関係性を作り上げたアラシヤマ自身は?
 プライドの高い男だったはずだ。
 少なくともシンタローの目を通して見てきた限りでは、士官学校以来、この男はずっとそうだったのに。
 しかし、口をついて出た本心からの質問は、アラシヤマの淀みない発言に簡単に流された。

「は?なんでつらいことがありますのん?」

 質問の意味がわからない、という風に片眉を上げてから、アラシヤマはうっとりと胸の前で両手を組む。

「わてとシンタロはんは心・友★どす。一秒でも一ナノメートルでも近うにいられれば、それがわての幸せどすえv」
「対人関係に、量子の単位を使うんじゃない・・・・・・」

 先ほどの自分の思考すべてが考えすぎだったのかと思うくらいの自然さで、アラシヤマは言う。正直な感想として、男が男に向ける言葉としては、直球を通り越して薄気味が悪い。だからこそ、キンタローは苦笑するしかなかった。
 そう、苦笑するしかない。自分がしたのは、しないでもがなの愚問だったと。
 おそらくそれが、傍目から見ればどれほど自虐的な行為でも。
 この男にとっては、当然の選択なのだから。



 やがてアラシヤマはレポートの一枚目を一番上に戻し、陽光の当たるベンチから腰を上げた。

「言いたいことはそれだけどすか?ほなわてはもう失礼しますえ」

 そう告げると、さっさと研究課の方向へと去っていく。

 一人中庭に残ったキンタローは、やや冷たく感じる北の風を頬に受けながら、スーツのポケットに両手を入れてよく晴れた空を見上げる。
 ようやく、疑問の一つの答えを、それが正解かどうかはともともかくとして、出せた気がした。

 雲一つない薄水色の空を眺めつつ、ならば、付き合ってやろうとキンタローは思う。この芝居にも似た、だが巧妙に作り上げられた関係に。ほどほどに茶々を入れつつ、合わせてやろうではないか。
 その構造がいつまで保てるものかはわからないが、それがシンタローにとって、そしてあの複雑なのか単純なのかよくわからない男にとって、最良の状態であるのなら。
 


 強く冷たい風がキンタローのやや長めの金髪をなびかせる。
 数羽の遠い鳥の影が、キンタローの眺めるその薄色の空を横切っていった。



































==========================================================



サイト開設の頃に書きかけ、あまりに根幹部分に関するところで妄想入りすぎていると思い、
一度没にして一部を拍手お礼に上げていたものです。
ですが、好きだと仰ってくださる方に背中を押していただき、完結させてみました。
あくまで一仮定としてのオハナシです。
地としてアラは変態だとも思いますし、素でキンタローと仲もよくないと思ってます。
でも管理人はこんな考え持ってるアラも萌かも、とちょこっと思ってたりもするのです…。




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 団内の廊下で紅い背中を見つけたので、条件反射のように飛びついた。

「シ、シンタローはぁぁんっっvv」
「眼魔砲」

 振り向きもせず、片手で発された高密度のエネルギー球。それを真正面から受け、一度は地に倒れ伏しながらもすぐに男は起き上がり、ブスブスと黒い煙を立ち上らせながら、シンタローに再度近づいてくる。
 足取りはフラついているが、表情は相変わらずの満面の笑みだ。倒しても倒してもへこたれないその様を見ていると、痛覚がないのかそれとも真性Mかと、意図せず長い付き合いとなってしまっているシンタローも疑いたくなる。

「チッ……、最近なんか耐性ついてきやがったな。次からは完全手加減ナシでいくか……」
「あんさん、本気で殺る気マンマンどすな」
「いーや。本気でその一歩手前で止めるよう努力してる」

 極めて真面目な顔で言うシンタローに、アラシヤマはとほほ、と言うように肩を丸める。愛しの総帥様は今日もつれない。
 そして視線を落とした拍子に、シンタローの右手に持つ小箱が視界に入った。
 
「なんどすの?それ」

 アラシヤマの問いに、シンタローが、ん、コレか?と言いながらその箱を顔の前に持ち上げる。

「コタローにみやげ。ずっと眠ってるっつっても、退屈なときもあるかもしんねーし」

 深い藍色と金で彩色され、精緻な細工が施された小さな箱。裏側には、蝶つがいのような小さなネジが付いている。

「オルゴール、どすか」
「ああ」

 肯きながら、シンタローは片手でその箱の蓋を開けた。
 キン、キン、と薄い金属が爪弾く澄明な音が、やわらかな旋律を奏で始める。

「不思議だよな。聴いてたときの記憶なんてほとんどないのに、こういうの聴くと、なんつーの?なんか、あったかい気分になるっつーか……ガキの頃のこと、思い出す」

 そう言いつつ、箱を見つめるシンタローの目はいつになく優しげだ。そんなシンタローの表情を微笑しながら眺めていたアラシヤマが、ふと何かを思いついたように中空に目線を上げた。

「―――あ、わても今、急に思い出しましたわ」

 開いた箱からはメロディーが流れ続けている。聴きながら、シンタローがゆっくりとアラシヤマに目を向けた。

「昔、わてがまだ弟子入りしたばっかの頃。師匠が土産やゆうて持って帰ってくれたんがコレだったんどす」















『声音的記憶』















 ちょっと見にはいつもと変わらぬ無表情で、だが眉宇に隠しきれない不機嫌の翳を漂わせたマーカーが夕暮れの紅い火雲の中帰艦したとき、そこには既にロッド、Gの両名がくつろいでいた。

「あっれー、珍しいじゃん。マーカーのほうがオレより戻り遅いなんて」

 その事実に少なからず苛立っていたマーカーの神経を更に逆撫でするように、蜂蜜色の髪をしたイタリア人が能天気に声をかけてくる。そして腰掛けていたソファから立ち上がると、男を無視して黒革のジャケットの前を寛げていたマーカーに歩み寄って、その白皙に手を伸ばした。

「ココ、ススついてる。なんか厄介なことでもあったの?」

 言いながら、革ジャンの袖を伸ばして覆った手の甲で、マーカーの頬を拭う。その手を払いのけながら、マーカーは近くのソファに腰をかけ、高々と足を組んだ。

「―――別に、何も無い。少々、加減がきかなかっただけだ」
「え、なんでなんで。調子悪い?鬼のカクランてヤツ?」
「……」

 目を丸くしながら、ロッドは更に問いかける。その言葉の意味すらきっと理解してないだろうに騒がしくまとわりついてくるイタリア男を、マーカーは無言のまま炎上させた。
 容赦のない炎に全身をこんがりと焼かれ、床に崩れ落ちながらロッドは弁解するように片手を上げた。

「いや……、オレとしてはですネ。婉曲な言い回しの中に、どっか体の具合でも悪いんじゃないかと、大事な同僚の心配をしたワケですヨ」
「どちらにしても不快には違いないな」

 焦げ臭い匂いを立ち上らせながらもへらへらとした笑いを消さず、ロッドは喋り続ける。そんな男を一顧だにせず、マーカーは卓上にあったミネラルウォーターのキャップをあけ、喉を湿した。
 ふと目を向ければ、Gまでもが心配を隠しきれない表情でマーカーを見つめている。その様子にフゥ、と一つため息をついて、水のボトルを手にしたままマーカーは重い口を開いた。

「……昨夜」
「ン?」
「夜中に、奇妙な声が聞こえてくるので目が覚めた。不審に思い隣室を見てみれば、ヤツが布団の端を噛んで嗚咽を漏らしているのだ」

 へ?と一瞬首を傾げてから、すぐにその事実に思い至ったロッドがぽん、と手を打つ。 

「あ、そっか。マーカー、例のコ引き取ってから遠征出なくなってたもんね。今回が『初めてのお留守番』ってワケだ」

 そんでやさしいマーカーちゃんは、朝までずっとついててあげることにしたと、と納得したように肯くイタリア人を、マーカーは氷点下の眼差しで睨みつける。

「人の話は最後まで聞け。私はそれを見て、うるさいと一喝してそのまま自室に戻って眠ろうとしたのだ。―――だが」

 忌々しげにチッと舌打ちをしながら、マーカーは手に持つ水をもう一口呷る。

「ヤツが、私の寝着の裾を掴んで放さなかった。いくら言っても、泣きながら首を振るばかりで埒があかん」
 
 普段は自分を恐れ、近寄ることすらためらう子供が。置いてけぼりになるのは嫌や、と強情をはった。
 放せ、と足蹴にしても軽く炎を飛ばしてやっても、子供は一向に離れる気配がない。

「仕方なく、ゆうべはヤツの横で眠ってやった。―――しかし、子供の体温というのは、どうも高くて落ち着かん」
「なーんだ。やっぱ朝までついててあげたんじゃんv」

 よく見てみれば、マーカーの切れ長の目の下にはうっすらとクマができている。一晩よく眠れなかった程度で、疲労を残すような男ではない。きっと、子供を横で寝かせていることに対して、本人が自覚している以上に緊張していたのだろう。ロッドは苦笑を噛み殺しながらそう推測した。
 と、それまでずっと黙って二人のやり取りを聞いていたGが、口を開いた。

「弟子は、たしかまだ八つか九つくらいと聞いていたが……」
「ああ」

 それがどうかしたのか、と言うようにマーカーは答える。ロッドがえー、と素っ頓狂な声を上げた。 

「ダイジョブなの?そんな小さいコ、一人で山ン中残してきちゃってさ」
「問題ない」
「冬眠明けのクマとか……」
「気配の察し方はここ数ヶ月で何より先に叩き込んだ。それに、炎の扱いも最低限は既に身につけている。野の獣に殺されるような間抜けなことにはならんだろう」
「……食べ物とか、ちゃんと置いてきたよね?」
「貴様……、私を何だと思っている」

 憮然としてマーカーは言う。そして、例え忘れていたとしても、あの辺りなら食えるものも多い、と付け足した。
 淡々と発される事務的な言葉は、本心からの台詞だろう。おそらくマーカー自身、今の弟子の年のころには既にそうした環境に慣れていたに違いない。
 それをわかっていながらも、ロッドは家族に囲まれていた己の少年時代を思い出し、ぽつりと洩らさずにはいられなかった。

「でも―――寂しいと思うけどなぁ」

 いつの間にか床から起き上がり、開いた膝の間に両手をつくようにロッドはソファに腰掛けている。そしてはにかんだようにマーカーに笑いかけながら、ゴソゴソとポケットを探り始めた。

「コレ、持って帰ってあげてよ。イイ子にお留守番してたご褒美でさ」

 そう言いながらロッドが取り出したのは、片手に収まってしまうほど小さな木箱だった。

「オルゴール。曲名は知らないヤツだったけど、割とキレイだったから」
「……いいのか?どこぞの女にでも贈ろうとしていたのだろう」
「ちーがうって。サスガにオレも戦場で拾ったモン、女の子にあげたりはしませんヨ。この近くの民家で見つけちまってさ。お弟子ちゃんに、ちょーどいいかなぁ、と」

 ぱち、とウインクをしながら、イタリア男は続ける。

「『元の』持ち主も、ソレなら許してくれそうじゃね?」

 まー、オレらが来たってコトだけで許すもナニもあったモンじゃないだろーけどねー、と、冗談というわけでもなく言いながら、ロッドは肩をすくめる。
 そんな男の様子を眺めながら、マーカーはなんとも複雑な表情を作り―――やがて謝々、と小声で呟いて、その箱を受け取った。










 木々の生い茂った山稜の奥深く、切り立った崖に程近く建てられたその山荘に、マーカーが戻ったのは翌日の昼過ぎだった。伐って角を落としただけの木材を寄せ集めて作ったような質素な小屋は、春を近くに控えて木の芽を出し始めた樹木の間に、燦々と陽光を受けている。
 戻ったぞ、と短く告げて簡単な着替えのみが入ったリュックを下ろすと、おつかれさまどすー、と笑いながら中国服を身にまとった子供が駆け寄ってくる。そして師の荷物を抱えると、とてとてと洗濯物入れの置いてある裏口のほうへと運んでいった。特に仕込んだわけではないのだが、この子供は人の世話をするということに慣れているようだ。

「留守中、特に変わりはなかったか」
「へえ」
「課しておいた修行はきちんと行ったのだろうな」
「もちろんどすえー」

 答えながら、アラシヤマは裏口の隣にある木枠の桶の中にマーカーの衣服をあけていく。開け放されたドアの向こうで、小さな背中がちょこちょこと動いている。

「ふむ」

 居間の中央にあるテーブルに腰を下ろしたところで、マーカーはポケットの中にあるそれの存在を思い出した。しばらく手の内で玩んでから、一生懸命にリュックの中身を空けている子供の背中に向かって、無造作に放り投げる。
 予想もしていなかった急襲に訓練の成果か振り向くまでは出来たものの、そのまま落下してきた小さな、しかし角のあるその物体は、綺麗な放物線を描いてアラシヤマの頭頂部を跳ねた。

「あだっ!な、なんどすの?!イキナリ」
「土産だ」

 アラシヤマが頭をさすりながら放られたものを確認すると、それは小さな木製の細工箱だった。蓋には異国の風景が描かれており、木目の浮き出た側面には丹念に艶出しのニスが塗られている。

「へぇ……可愛いらしい箱どすなぁ……」

 頭の痛みすら忘れ、箱を手に取り、蓋を開ける。
 その瞬間流れ出した澄明な音に、アラシヤマは飛び上がるほど驚いた。

「わっ!なんや鳴りましたでっ!師匠っ!」

 叫びつつ、慌ててその蓋を閉じる。同時に音はぴたりと止んだ。そんなアラシヤマの一連の行動を眺めながら、マーカーは呆れたように言う。

「貴様、八音金(オルゴール)も知らんのか?」
「オルゴール……」
「私の同僚のイタリア人が貴様にと言って持たせたものだ。好きにするがいい」

 テーブルの上に頬杖をついたまま、さしたる関心もなさそうに言うマーカーに、アラシヤマはぱっと表情を輝かせた。そして急いで洗濯物を汲み置きの水につけ表に出すと、いそいそと居間に戻ってきて隅のほうで箱の音色に耳を澄ます。陽光の射し込む静かな室内に、微かな旋律だけが響く。
 だが、一曲が流れきる前に徐々にメロディーがゆっくりになっていき、やがて途絶えた。

「あれ……鳴らんくなってもうた……」
「……~~ッ」
 
 すっかり音のやんでしまった箱を軽く振ってみたり何度も蓋の開閉をしてみたりと慌てている弟子に、マーカーはずかずかと歩み寄り、その手から箱を取り上げると、後ろについているネジを巻いてやった。そしてテーブルに戻りながら、ぽん、と背中ごしに放る。
 再び鳴るようになった小箱に、アラシヤマが満面に喜色を表す。

「おおきにどす!お師匠はん」

 まさか土産など持って帰ってきてもらえるなどとは予想していなかったし、万が一それがあるとしても生活の糧になるようなものだろうとぼんやりと思っていた。思いがけない僥倖に、アラシヤマはその箱を両手の中に抱えこんで、師の元に少し近付く。

「きれいな音どすなあ……せやけど、なんか……少ぅし……」

 ぺたん、とその足元の床に座り込んだまま、アラシヤマは中国風の上衣の胸元を押さえる。小さな面に浮かんだ表情は相変わらず嬉しそうではあったが、どこか、一抹の寂しさにも似た色が混ざっていた。

「この辺が、ぎゅっとするんは、なしてなんやろ……」

 不思議そうに呟くアラシヤマを、マーカーはちらりと一瞥する。

「……この音聴いてると、祇園にいた頃よくしてもろた姐さんのこと思い出します」

 床に正座している弟子は、膝の上の小箱に片手を添え、もう片方の手を心臓の上にあてている。
 穏やかな高音を聴きながら、まるで箱にでも語りかけるように、アラシヤマは小声で話し始めた。

「わてな、お父はんとお母はんの顔、よう知らんのどすわ」

 まだ記憶も定かではない頃に、祇園の見世の前に捨てられたのだ、と訥々と子供は語る。それはマーカーも団から渡された書面の上ですでに知っていたことだった。しかし、共に暮らし始めて数ヶ月。初めて己のことを語りだした弟子に、マーカーは僅かだけ目を細める。

「見世に拾われて、子供ゆうても少ない男衆や言われて、いろいろと手伝いの仕事仕込まれて。そんなわてにようしてくれたんは、見世でたったひとりの太夫はんどした。気ぃの強い綺麗なお人で、わてのこの力が廓に知れて、気持ち悪いゆうて皆が遠巻きにしはったときも、姐はんだけは、おもろい、きれいや、ゆうて手ぇ叩いてくれて……」

 弟子を取ることを強制され、にわかに詰め込んだその生まれ故郷の知識から、アラシヤマが口にするその「姐さん」なる人間が実の姉ではなく、職業としての呼び名だということはわかる。それでも嬉しそうにそのことを語るアヤシヤマの顔色から、おそらく孤独な子供にとっては実の家族かそれ以上の存在だったのだろうと、マーカーは推察した。
 だが、次の台詞を口にしたとき、アラシヤマの表情に幽かな翳が射し込んだ。

「せやけど、姐さんが落籍(ひか)されることになって……」

 その時のことが今も忘れられない、とアラシヤマは言う。
 太夫が金持ちの商人に身請けされることがきまったのは、アラシヤマが見世に拾われて三年が経った頃だった。
 ある日、その身請け先から見世へと花嫁衣裳が届けられた。太夫を、妾ではなく妻として迎えるという約定の証である。純白の内掛に角隠し、金襴緞子の帯のついたその衣装は、廓中の評判となった。それが置かれた太夫の部屋の前を通るときには、禿も他の妓たちも、思わず中を覗き見たほどに。

 そしてそれは、アラシヤマがその部屋の主に招じ入れられたときに起こった。
 廊下からおずおずと中を覗くアラシヤマの姿を目に留めた太夫に、そないなとこで眺めてへんと、近う寄ってもええんよ、と幸せそうな表情で微笑みかけられて、アラシヤマはその内掛に近づいた。
 見たことも無いような白無垢の衣装は、まるで内から燐光を発しているかのように美しかった。
 そう、本当に綺麗だと思って。アラシヤマは心の底から感動したのだ。
 

 だが、そう思いアラシヤマが恐る恐るその裾に手を伸ばした瞬間。その内掛はアラシヤマを裏切るように、橙色の炎を上げた。



 内掛に火が移った際の、太夫の顔は今でも忘れられない。
 それは怒りではなく、悲しみですらなく。ただ純粋な、呆然とした表情。
 お付きの禿が慌てて水を呼びに部屋を出る。女将がやってきて悲鳴をあげる。そして、アラシヤマは―――表へと、駆け出した。

 女将の罵声に逃げたのではなく、ただひたすらに己の存在が厭わしいものに感じて。外は冷たい氷雨が降っていた。濡れた石畳に何度か足をとられた。それら一切を無視して、アラシヤマは無心で走り続けた。
 肺の中から血の匂いがして、足がズキズキと痛み始めても構わずに。どこまでも、どこまでも。

 火はすぐに消火されたものの、燃えた部分は二度と元には戻らなかった。



「ずぶ濡れになって帰ったわてを、姐さんは叱らんかった。女将はんには、散々折檻されましたけどな。せやけど、わてはそれから、姐さんの顔がよう見られへんようなってもうた」

 態度を変えたのは向こうではなく、アラシヤマだった。その人を見るたびに、幸福の象徴である晴着を炎上させた瞬間が目裏によみがえり、心臓をつかまれたような気分になる。

「結局、先さんにひたすら頭下げて、新しいのが用意されて、姐さんは祇園を出ていかはったんどすけども。結局見送りのときですら、わては見世の格子戸の内側からこっそり見とるだけどした」

 小さくまとめた荷物を旦那の寄越した小物に持たせ、太夫が廓を背に歩き出した最後の最後。見世の外と内で視線が交錯したその一瞬、確かにあの人は微笑ったような気もしたのだけれど―――それでも、アラシヤマは己のしたことが許せなかった。

「太夫の部屋で火ぃ起こした不始末はすぐ広まって、わてはまたひとりぼっちになってもうた。それで、時々考えるようになったんどすわ―――わてはなんで、生きとるんやろうって。壊すことしかできへんのやったら、なしてわてはこの力持って生まれたんやろなあて……」

 マーカーはずっと黙したまま、アラシヤマが幼い舌で紡ぐ過去を聞いていた。
 だが、その言葉を耳にしたとき、一度だけピクリと柳眉が動いた。そして、俯いたままの弟子を見下ろしながら、ゆっくりと言う。

「なんだ。―――貴様、死にたいのか?」

 ならさっさと言え、とばかりに師は平然と普段から入念な手入れがなされている青龍刀の一本を取り出す。
 そのあまりにためらいのない動作に、アラシヤマは慌てて顔をあげ、ぶんぶんと首を振った。

「え、あ、そ、そないなことあらしまへん!わてはただ……」
「だからだろう?」
「……へ?」
「だから、そういうものだろう、生きるということは」

 目を丸くして己を見つめる小さな子供に、吐き捨てるようにマーカーは言う。

「概して下らん。命の意味を問うことなど」

 死にたくはないから、生きる。動物とはそもそもそのようなものではないか。そのような問いは考えて理解するものではない。百足の故事でもあるまいし、十にも満たない小僧が考えるなど馬鹿馬鹿しいにも程がある、と思う。

「過去の賢人すら五十にしてようやく天命を知ったと言う。貴様如きの齢で、そのようなことを口にすること自体、おこがましい」
「……」

 それまで、それこそ己が人生をかけて考え続けてきた悩みを、いともた易く一蹴されてしまい、アラシヤマは呆然と師の顔を見る。そんなアラシヤマの心境に追い討ちをかけるように、師は言葉を重ねた。

「今は一心に己の能力を磨くことだけ考えろ。そして生き延びれば、いつか―――命に感謝をしたくなることも、あるかもれしれん」
「……ほんま?」
「ああ」
 
 運がよければ、その力を生かす道も見つかるだろう、と呟きながら、マーカーはアラシヤマの髪をくしゃりと撫でる。その節の目立つ綺麗な指の合間から、アラシヤマは上目遣いに師を見上げた。

「お師匠はんは……見つけはったん?」
「……。フン、どうだろうな」

 弟子の口から滑り出すように発されたその問いかけに、マーカーはまばたきの間だけ瞠目し。
 そしてふい、とアラシヤマから顔を背ける。

「貴様が今の私の年をこえたときに、教えてやろう」

 師の顔は窓から射し込む光に逆光となっていて、アラシヤマにはその表情がよくわからない。
 ただ、ほんの一瞬。口元に淡い笑みが浮かんでいたような気が、した。


「生きるための術はここを出るまでに叩き込んでやる。貴様は、それから先を判断しろ。……ただ、私が修行をつけてやっているこの時間を無駄にするようなことをすれば、許しはせんぞ」


 あくまで冷ややかなその口調。だがそれは暗に、己の命をあたら軽んじはするなと言われたような気がアラシヤマはして―――
 その瞬間不意に込みあがってきた涙がこぼれないよう、歯を食いしばりながらコクリと肯いた。





***





「―――オイ、何ぼーっとしてやがんだヨ」

 怪訝そうな色を滲ませたシンタローのその声で、アラシヤマは現実へと引き戻された。
 そしてまばたきを数度して、自分を見るシンタローに焦点を合わせる。周囲は相変わらず人気がなく、銀色のリノリウムの壁が、点在する照明の光を反射して鈍く光っている。
 ふと思い立って、おずおずと一つの願いを口にした。

「あの……わても、コタロー坊ちゃんとこ、お見舞い一緒してもええどっしゃろか」

 もじもじと指を組み合わせながら口の端に上らせたその願いに、シンタローはあからさまに嫌そうな顔を返す。

「……やっぱ、ええどす」

 しゅん、としおれながら足を反転させかけたアラシヤマのその襟首を、シンタローがぐい、と掴んだ。 

「バーカ、冗談だよ。……コタローもたまには違う面子の顔見てぇかもしんねーしな」

 あ、でも怪電波とか変な呪いとか飛ばすなよ!と念を押してから、シンタローはすたすたと先を歩き始める。アラシヤマが顔にぱっと明るさを取り戻し、シンタローの後を追って、慌てて通路を小走りに駆け出す。



(―――そういえば、あん時の答え、まだ聞いてへんどすなあ)


 もうあの時の師の年はとうに越えたというのに。
 いつの間にか約束それ自体を忘れ、ずっと聞きそびれていた。

 だが、今更聞かずとももう、答えなどわかりきっている。
 あの時の師が確かにそれを見つけており、そして、今もってそれを大事に守り続けていることも。
 自分もまた、それを手に入れることが出来た今ならば。




 そんなことを思いながらアラシヤマは、紅い背中の隣に並ぶため、ブーツの堅い靴底でリノリウムの床を蹴った。


































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初の子アラ話です。タイトルは一応中国語ですが繁体簡体混じってますゴメンナサイ。
アラが師匠に弟子入りしたのって何歳くらいなんでしょうね。
幼少期の時代設定はかなり曖昧ですがどうぞお目こぼしくださいませ。



.




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 寝汗をかいて、全身にまとわりつく粘性の液体の中にいるような気分で、目が覚めた。
 目は開いているし、意識はそれなりにしっかりしている。ただ頭が、中に鉛でも詰められたように重い。手足もどうもいつもより感覚が鈍くなっている。それでも枕もとに据え付けてある時計の文字盤を見て、シンタローはゆっくりと起き上がった。
 気分がよくないのは単なる寝不足のせいかとも思ったが、どうもそれだけにしては頭の重さが抜けきらない。うー、と低く唸ってから、顔を洗いに洗面所に向かう。ばしゃばしゃと乱暴に水をかぶってから鏡を見れば、予想通り、蒼褪めた顔色の男がそこにいた。
 とはいえ、体調不良だから休みます、とは言えはしないし、言いたくもない。今はそれを許されない状況、立場に自分はいるのだ。
 何はともあれ、シンタローは紅い制服を身にまとい、常の職場へと足を向けた。世界各地に数十の支部と数百人の部下を抱える、巨大な組織であるガンマ団の総帥室へ。















『Sweet Drug』















 朝の六時半。表は黎明の名残を残しており、太陽の光はまだ薄い。中庭の木々の梢を、寒々しい北風が揺らしている。常緑樹とはいえ春夏の輝かんばかりの緑にくらべれば、やはり冬場は元気が乏しいようだ。 
 総帥室に着いても、そこに秘書たちの姿はない。あと二時間は来ないだろうな、とシンタローは思う。彼らにはシンタローが昨夜、明日の朝は遅くていいと告げてある。
 ここ数週間は、新しい取引相手から請け負った大きな仕事が予想以上に難航しており、総帥就任時以来の忙しさだった。それに連日付き合ってくれていた秘書たちも、体力的にはかなり限界に近かった。そうした彼らの体を慮ったということもある。
 だが、何よりシンタロー自身疲れを感じていたので、今朝は本当ならばもう少しゆっくりしてもいいかと思っていたのだ。―――少なくとも、昨夜の十時、その仕事の今後の方針がようやく整って、秘書たちを早帰りさせた時点までは。
 だが、予定外のときに起きることこそ、アクシデントのアクシデントたるレゾンデートルである。ぱらぱらと明日以降の仕事の予定を眺めていシンタローが一人残っていた総帥室に、駆け込んできたのは半泣きの部下。その男が持ち込んだ案件は、ある一つの派遣先で予想外の事故が起こったというものだった。
 言ってしまえばそれに対処しきれなかった部下の不手際でもあるのだが、最終的に始末をつける方法を示唆するのは、総帥の役割である。
 結局それから深夜まで、その状況に至るまでのプロセスやら案件の関連事項やらの資料を集めさせてから、シンタローは一旦家に帰った。そして仮眠としか呼べない程度の眠りを経て、未明の内に目を覚まし、こうして再び総帥室に来たのである。


 総帥机の上には、昨夜集めさせた資料の類がうずたかく積まれており、そのほとんどが未読だ。眺めているだけで火をつけたい気分になる。一度椅子にはついてみたものの、だるさの取れない身体のこともあり、すぐにはとりかかる気が起きなかった。
 まずはコーヒーと煙草だな、と思って、シンタローは再び立ち上がって部屋の隅にあるポッドのところまで行く。普段は秘書がここではなく食堂からきちんと豆から挽いたコーヒーを用意してくれるのだが、それすらも面倒なときや深夜など、シンタローはここでコーヒーを淹れる。
 コーヒーと煙草、コーヒーと煙草、と何かの呪文のように唱えながら、シンタローはポッドの近くまで歩み寄った。どうも、いつも踏みなれているはずの絨毯が、ふわふわと感じる。身体も頭も重だるいのに、精神だけ浮遊しているような気分だ。
 そして、ポッドの電源を入れようと軽く上体を屈めた瞬間、がく、とその膝が折れた。
 すうっと気が遠くなるような感覚で、シンタローの脚が崩れ落ちていく。
 あーやべぇこりゃ倒れるかもな、と妙に冷静な頭で思った。意識が身体から遊離していき、シンタローはそのまま地に伏しそうになる。

 だが、片膝が絨毯を打ったか打たないか、というところで、右脇の下を何かに支えられた。
 その感覚に、へ?と意識を取り戻し。抱え込むように自分の片腕を支えているのが誰かの腕だということに気付いて、慌てて振り向く。

「……大丈夫どすか?」

 果たしてそこにあったのは、予想外かつ見たくもない男の顔だった。顔の片側を髪で覆った陰気な男は、百九十センチを超える男を片腕で支えたまま、戸惑ったような眼差しをシンタローに向けている。
 
「あ……」

 二の句どころか一の句すら出てこないシンタローが、呆然として男を眺める。なんでこんな早朝に、ここにアラシヤマがいるのだろう。そもそも、一体いつの間に入ってきたのか。それすらも気付かなかった。
 男ははあ、と一つため息をついてから、ほら、しゃんとしなはれや、とシンタローをきっちり立たせて、もう片方の手に持っていたそれをシンタローの目の前に突き出した。

「ほい、あんさんの煙草どす。コーヒーやのうて、今日は柚子茶にしときなはれ。入ったら持ってきますさかい、とりあえずそこのソファで一服しはったらどうどすか」

 まだ我に返りきっていないシンタローは、言われるままに煙草を受け取り、そばにあるソファまで行って、ぽすりと腰を下ろした。
 起こっている事柄と登場人物に、どうも現実感がない。もしかすると自分はあのまま倒れて、また夢の中にでもいるのではないかと思う。
 だが、そんなことを思いながら無意識に手の内の箱を開けてみれば、ぽっかりとあいた空洞の中には、一本の煙草しか入っていない。
 昨日帰りがけに新しいのを開けたのだから、どう考えても事態はアラシヤマの仕業としか思えなかった。

「てめー……、人の懐からモノかすめとっといて、親切面で渡すたぁやってくれんじゃねーか」
「いつもだったら、できへんのどっしゃろけどなぁ」

 今日のあんさんやったら簡単や、まるで集中力いうもんが切れてはるやないの。持参らしき柚子茶をいれている男はのうのうとそうのたまう。

「ま、今日は抑えときなはれ。ええ子にしとったら二時間おきに一本だけあげますえ」
「ヒトを、ペットみてーに、扱うんじゃ、ねぇ……」

 威勢よく怒鳴りつけようとしたシンタローだったが、腰を下ろして一度ほっとしてしまったのが良くなかったのか、どうにも力が入らない。頭がぐらぐらする。
 仕方なくその箱の中に寂しく残された一本を口にくわえたまま、仰向けにどさりとソファに倒れこんだ。

「あんさん、足にまでガタきとるなんて、相当やないんどすか」
「……今日はおとなしく寝てろ、とか言わねーだろうな」

 室内にほのかに甘い薫りが広がっている。湯気の立っているマグカップを手にしたアラシヤマが、シンタローの元に歩み寄ってきた。
 ソファの横の机に、コトリとそれを置きながら、淡々とアラシヤマは言う。

「言いたいのは山々どすけどな。……あんさんにしか、できへんことがあるんでっしゃろ」

 その言葉に、シンタローはほんの少し目を丸くして、天井を見た。

「あんさんの具合が悪そうなことなんて、昨日見かけたときから気づいてましたわ」

 相伴のつもりなのか、自分も柚子茶の入ったマグを片手に、アラシヤマはシンタローが横になっているソファの肘掛け部分に軽く腰をかける。
 チクショウ、さすがはストーカーだぜ、と、無駄な足掻きと知りつつ、シンタローは内心で毒づいた。

「せやから、わての今日の分の仕事は、ゆうべのうちに済ませときました。手伝いますから、あともうちょい踏ん張って、そんで早帰りしぃ」
「……」

 いかにもた易く、まるでそれが自然な流れのように、柚子茶を啜りながらアラシヤマは言う。だが、その口にした内容が口調どおり簡単なものであった筈がないことは、各部署に仕事を割り振っているシンタロー自身が、一番良く知っていた。

(クソ、なんでコイツは、いつも―――)

 ぐ、と奥歯を噛み締めながら、シンタローは一度まぶたを閉じて。数秒の間じっとその姿勢のままでいてから、がばりと跳ね起きた。
 くわえた煙草には結局火をつけず、代わりに程々に熱い茶を、渇いた喉に流し込んだ。悔しいことに、柚子の清涼な香りと甘酸っぱさは、身体のダルさをとるには丁度いい。
 そして、だーもう!とぐしゃぐしゃと長い黒髪を掻きながら立ち上がる。

「ほんっとムカつくぜ、テメー」

 その横を通りがてら、げしっとアラシヤマの尻を思い切り蹴飛ばした。
 な、なんどすの?!とつんのめりながらアラシヤマが抗議の声を上げたが、そんなものは当然無視して、シンタローは執務机に向かう。
 ブツブツと文句を言いながら資料整理の手伝いを始めるアラシヤマを横目で見ながら、シンタローは―――ったく、コイツは、と気付かれないように深い息を吐いた。
 
 ―――甘やかすのが上手すぎて、あやされているような気分になる。



***



 仕事が一段落ついたのは、正午過ぎだった。
 まとめ終わった計画書をトントン、と机の端でそろえ、バインダーに収納しながらアラシヤマが労いの言葉をかける。

「ようやく、この件に関しては終わりどすな。ほなおつかれさん。今日はもうお帰りやす」

 シンタローは机の上についた片肘で頭を抱えるようにしながら、アラシヤマの作業を眺めている。

「……まだ、仕事あんだけど」
「今日中にやらんとにっちもさっちもいかんゆうのは、これだけでっしゃろ。後は秘書たちやら幹部勢やらに差配して、明日にまわしてもろたらええ」

 秘書たちは午前八時きっかりにやってきた。彼らが既に仕事を始めている総帥の姿を目にして慌てふためくのを横目に、アラシヤマは堂々とその場に居座って総帥の秘書業務を勤めており。更に気を使われるのを嫌がったシンタローが今日の秘書代わりはアラシヤマにやらせるからいい、と口にしたため、秘書二人はそろって天変地異でも起こるのではないかと囁きあっていた。
 もっとも、面と向かってそれを口にする勇気はなかったらしく、シンタローのその剣呑な(実際は熱に浮かされた)目を恐れたこともあり、結局二人とも無言のまま回れ右をしたのだったが。

「なんなら無理やりにでもウチに連れて帰って、今日明日はつきっきりで看病してもええんどすえ~」
「アホ」

 ウフフフ、と気色悪い笑い声を洩らしながらアラシヤマが口にしたその提案を、シンタローは反射的に否定する。
 だが、そう言ってから、ふと気付いたように前言を撤回した。

「あー、でも、そのほうがいいのかもなー…」
「へ?」

 ぼんやりと焦点の合わないうつろな瞳で、シンタローはうわ言のようにそう呟く。

「……親父とか、グンマとかに、こんなとこ、見せたくねーし」

 言葉を発している最中にも、シンタローの上体はずるずると机の上に崩れ落ちていき。目を丸くしたアラシヤマがなすすべなくその様子を見ているうちに、机に完全に突っ伏した。

「―――て、ええ?!こ、ここで寝はるん??せめて、わての部屋までは歩いておくれやす~~!!」
 
 だが、いくら声をかけても揺さぶっても、深い眠りに落ちたシンタローは一向に目覚める気配がない。
 既に呼吸は寝息に変わっており、表情は幼い子供のように安らかだ。
 寝顔を見ることができて嬉しいという気分と、余っ程疲れてはったんやな、という同情の気持ちは勿論瞬時に湧いた。だが、それより何より総帥室から士官寮までの長い道のりを思い。アラシヤマはがくりと肩を落とす。
 それでも、他にどうすることもできはしない。





 自分より十センチ近く背の高い男の体を半ば引きずるように背負って、アラシヤマは寮の自室へと戻った。

 負ぶったシンタローの背中に、「グンマ博士作 わて専用シンタローはんロボv」と大書した貼り紙をしておいたところ、すれ違う一般団員で疑う者は誰一人いなかった、とのことである。



































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アラが「シンちゃんに関してだけは甘やかし上手」だったらいいなあと思います。
書き終わってから気付いたんですがこの「その後」の話の方がほんとはBLぽいですね。
(いやそもそもウチの小説はBLなのか?)






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「―――HAPPY BIRTHDAY!おめでとうございます、シンタロー総帥、キンタロー博士!!」




 薄いシャンパングラスが合わさるリィン、という音が、日の落ちたガンマ団本部の中庭に響き渡る。
 五月二十四日。
 ガンマ団の二大トップと言われる二人の誕生パーティーの始まりに、出席を許された上級幹部以上の団員たちがそろって歓声を上げた。そこには当然の如く、青の一族や伊達衆の顔もある。
 中央塔に近い場所には、紅のクロスが掛かったテーブルが、中庭を横断するほどに伸びている。並べられているのは、世界の一流コックの手による料理だ。
 中庭のところどころには小さな白のテーブルが置いてあり、そこには赤白の最高級ワインとシャンパン、きりりと冷やした日本酒などが用意されていた。


 シンタロー、キンタローの順にスピーチを終え、親族と参加者を代表してマジックが行った祝辞が終わると、後は歓談に入った。
 それも時が経過するにつれ、段々と無礼講の様を呈してくる。
 だがパーティーの開始から三時間以上が経って、主役の一人であるキンタローは、ふとした違和感に気付いた。
 その瞬間、気付かなければよかった、と後悔はしたが、気付いてしまったのだから仕方がない。放っておくのも気分が悪く、ふう、と一つため息をついて、歩き出す。














 
『 The heart Asks Pleasure First 』















 違和感の元凶は、ガンマ団中庭の隅の隅、鬱蒼と茂る林の入り口で、一人場違いな(というにもパーティーの中央からはあまりに離れているので目立たなかったが)どんよりと重い空気を背負い、ちびちびとワインを舐めていた。
 近づくだけで負のオーラを感じるようなそこに、キンタローはあえて一歩を踏み出す。

「アラシヤマ」

 闇の中にもよく通るバリトンで話しかければ、男は少し顔を上げる。いつもより幅が狭いように思える髪の隙間から、上目遣いにキンタローを見上げた。

「……なんどす。ああ、あんさんもおめでとさんどすな」
「俺のことはいい。それよりお前は今日、シンタローに祝いも何も言っていないな。一体何を企んでいる」
「……」

 普段のアラシヤマの行動からすれば至極まっとうなキンタローの疑問にも、アラシヤマは答えない。
 ただ、自嘲のような相手への侮蔑のような薄い笑みを口元に浮かべ、ふい、と視線を逸らした。
 そんな男の態度が気に食うわけもなく、キンタローは片手を腰に当て、もう一度言う。

「いいか、お前がシンタローに何も言いに行かない、というのはだな……」
「……シンタローはんへのプレゼント、どす」
「なに?」

 常よりも大分低い声で、ぼそぼそと独言のように吐かれたその言葉に、キンタローは怪訝な顔をする。
 アラシヤマがやや遠くに視線を向けながら、またちびりとワインを舐めた。

「『シンタローはん、そろそろお誕生日どすな……欲しいモン、なんかあります?』ゆうたら『俺の半径三十メートル立ち入り禁止』言われましたんや……。泣き付いてなんとか『当日は』いうことになりましたけどな……」
「……そうか」
「去年は金目のモノなら、って言わはったから特注で純金製高さ五十センチメートルの舞妓人形あげましたんに……その場で融かされて、ソッコー換金されましたからな……。……なにがあかんかったんやろ……」
「……」

 とりあえずセンスが、ということは間違いない。そう心中で答えつつ、キンタローはひたすらに陰気を発散する男にため息を一つつく。
 足元の草むらには何本かのワインボトルが置いてあった。キンタローが栓のあいている一本から、手酌で、自分の空いたグラスに見事なボルドーを注ぎつつ男を見ると、男は目を細めて演台の方向、パーティーの中心部分を眺めている。

「―――今日は、同期やらサービス様やらに囲まれて、久しぶりにええ顔で笑ってはりますわ、シンタローはん」
「そう、だな」
「あんさん、シンタローはんの中に居たときの記憶て、はっきりしてますのん?」
「しているとも言えるし、していないとも言える。事実の記憶としてはあるが、実感は無いな」
「そうどすか」

 自分で訊いておきながら、アラシヤマはさして興味も無いように素っ気無い返事を返す。
 それから目を細めたまま、ぼそり、と低い声で呟いた。

「あの島でのシンタローはん、思い出しますわ。もしくはもっとずっと昔の、十代の頃の」

 特にキンタローに向かって語りかけるというわけでもなく。ただ淡々とアラシヤマは言葉をつむぐ。

「新総帥にならはってから、あないな笑顔、ほんま少のうなってまいましたからなぁ……。去年の誕生パーティーも、あんさんはむずがるわ、シンタローはんは前線から戻れへんわでえらいことになって」

 ようやっと、ここまでは来れた、ちゅうことどすな、とアラシヤマは言う。
 キンタローの脳裏に、昨年の誕生パーティーの時の、お世辞にもいいとは言えない記憶が蘇る。シンタローがその時どうしていたのかさえ、ロクに覚えていない。それほどに、当時の自分はまだ、己の立ち居地を確立できていなかったのだ。
 ただ一つ、これだけは確かなことがある。

「昨年、招待されていなかったのに、よくそんな見てきたように言えるな。お前は」
「ま、誘われたとしてもあの頃のわてどしたら、パーティーは忙しゅうて都合つかへんかったでっしゃろけどな」
「だが誘われなかっただろう」
「されたとしても、言っとりますやろ!それにシンタローはんにはきちんと会いに行……」
「会いに?」
「な、なな、なんでもあらしまへんわ」

 容赦のないツッコミにアラシヤマは眉をひそめ、キンタローを睨みつける。
 だがそれに対してキンタローは特に反応もせず、当人としては嫌味を言ったつもりですらないようだった。いたってマイペースにワインをあおっている。
 アラシヤマが徐々に視線を緩め、やがて諦めたように息を付く。

「ま、せやけど、今、あんお人のああいう笑顔見てると……なんちゅうか、ほっとしますわ。最近またピリピリしてはることが多いから、余計そう思いますな」

 そう言いながら、もう一度明るい方―――シンタローの方を見るアラシヤマの目は、一瞬、キンタローが驚くほど穏やかな光を宿していて。
 その表情に意表を突かれやや動揺したキンタローの口から、今度は意図した皮肉がついて出る。
 
「お前の存在がなければ、いつもの棘々しさも、もう少し薄れるんじゃないのか」
「何べんもゆうてますけどなぁ。あれはシンタローはん流の照れ方なんどすえ」

 そのポジティブさだけは評価したい、とキンタローは心底から思う。あとはその方向性さえ正しければ言うことはないのだが。
 だが、そんなことを思っていたキンタローから顔を背けたまま、アラシヤマは続けた。

「―――それに、たとえあれが本心でも、わてがあんお人のそばで働いて生きていくゆうのには変わりはあらへん」

 それは強がりでもなんでもなく、この屈折の過ぎた男には信じがたいほどの、愚直なまでの声。

「この先シンタローはんが三十になって四十になって、五十になって、還暦迎えはって……。自分の一番好きな人のそないな歴史、近くで見てくことができるんどすえ。こないに幸せなこと、ありますかいな」

 ほとんど陶然に近い声で、男は言う。キンタローからその表情は見えない。
 黒い襟足が、木々を渡る風になびいた。男の髪の長さは、もうほとんどあの島に居たころと変わらない。


「……シンタローは、かなりのところ嫌がるだろうがな。災難なことだ」
「いちいち癇に障る言い方しますなあ。せやけどあんさんかて、おんなじどっしゃろ」
「同じ?」

 アラシヤマが振り向きざまに言ったその言葉を、キンタローは思わず聞き返す。
 そないなこともわからんのどすか?という軽侮の表情を露わにして、アラシヤマは、ハン、と口元を歪めた。

「わてはシンタローはんさえ祝えれば後はどうでもええどすけどな。せやけど、今年も来年も、再来年も。あんさん、あの傍迷惑で小うるさそうな親戚一同やら変態ドクターやらに、この先ずっと祝われ続けるんでっせ?
 わてからすれば、それかて十分災難みたいに見えますけどな」

 アラシヤマのひたすらに人を小馬鹿にしたその声に、だがキンタローは僅か、目を丸くする。
 二人の周囲をとりまくのは確かな、けれども不完全な闇。そこに、夜の空気を通じて、明かりの灯る方向から歓声が薄く聴こえてきた。

「……そうか……」

 アラシヤマを見ず、明かりの方に目を向けたまま、キンタローは独言のように呟く。
 そして、手の内のグラスの中身を、ぐっと一気に飲み干した。

「一人にも祝われない貴様よりは、随分と幸せかもしれないな」
「失敬どすえあんさん!言うてええことと悪いことがありますやろ」

 禁句が発されたことに、アラシヤマは瞬時にどす黒い妖気を身にまとう。そしてこの気に食わない男にワインでも引っ掛けてやろうかと忌々しく思った瞬間。
 その目論見は男の予想外の行動に、見事に邪魔された。



「―――感謝する」
「へぇ?」

 言いながら、キンタローの上体がぐらりと揺れる。片目を見開いた対面の男の肩に両手をかけると、その片方の手の甲に額をのせるようにしてキンタローはアラシヤマにもたれかかった。

「な、な、なにしはりますんや!わてはそないなケは―――て。もしかして、あんさんそない真っ白い顔して、酔うてはりますの?!」

 怒鳴りつけながら、アラシヤマは男にもたれかかられているという生理的嫌悪感に、思わず相手を蹴飛ばそうとした。思いきり顔をひきつらせながら金髪の男に目をやり、―――そして、その手が止まる。
 アラシヤマの肩に額を乗せたキンタローの口元は、なぜか笑いを象っていた。

「酔ってなどいない。いいか、もう一度言う、酔ってなど……」
「あかん……。酔っ払いの症状そのまんまどすわ」

 ぐったりとアラシヤマにもたれかかり、酒臭い息を吐く金髪の、団員いわく『お気遣いの紳士』。
 アラシヤマはどうすることもできずに、心の中で救難信号を発信しながら天を仰いだ。

 そのとき。

「あれぇ?話し声がすると思ったら、アラシヤマ?」

 がさがさ、と近くの草を踏み分ける音がして、登場したのは正に今見上げた天の助け。

「ええとこ来なはったぁーー!!グンマはん!このオコサマ、宜しく頼みますわ」
「へ……え?ええっ、主役なのに見当たらないと思ったらこんなトコでつぶれちゃってたの??キンちゃん」
「そうどす。ほな、後はよろしゅうに」

 言って、アラシヤマはさっさとキンタローをグンマに押し付ける。え?え?ちょっと?と困惑し、成人男性にしてもかなり上出来な体躯を誇る男をとっさに抱えさせられたグンマは、その場に尻餅をついた。
 アラシヤマはといえば、すでに十メートルほど離れたところを駆けている。

「アラシヤマはどうするのー?」
「十二時過ぎましたさかい、シンタローはんのとこどすーーーー!!」

 叫ぶその声は、助かった、という思いと彼の人の元へと行ける喜びで浮かれきっていた。









 キンタローを抱えたまま芝生の上に座り込んでしまったグンマは、そろそろと姿勢をずらして、キンタローを、頭が自分の膝の上に来るように横にした。
 傍目には酔っているようには到底見えない白皙を上から覗き込みながら、小声で話しかける。

「キンちゃん、大丈夫?お水持ってこようか?」
「……ああ。いいか、俺は決して酔ってなど……」
「だめかぁ。それにしても、アラシヤマが言ってた十二時って、なんのことだったんだろ」

 会話が成立しないことに諦めの息をつき、グンマは、んー、と視線を上げる。
 その時、膝の上から、寝言のような途切れ途切れの声が聞こえてきた。

「……プレゼント、だ、そうだ。十二時、までの」
「…あー……なるほど~……」

 それだけの単語からなんとなく事情を察したグンマは、ほんの少し眉尻を下げる。

「でも、ちゃんと最初から、今日…昨日だけって約束だったんだね」

 涼しい夜風が、綺麗に刈り取られた芝生の上を駆け抜ける。

「シンちゃんはやっぱり優しい―――ねぇ?キンちゃん」


 呟きつつ、膝の上に乗せたキンタローの金の髪をすくと、その持ち主は既に安らかな寝息をたてていた。
 中庭の照明はまだ消えそうにない。日付が変わっても、宴は当分の間続くようだ。



「ハッピーバースデイ、キンちゃん、と、シンちゃん。僕ら、四人でこれからどんどん幸せになるんだよ」


 囁くように唄うように、唇からこぼれた言葉は。遠方から聞こえる歓声と風の音に混ざって、溶けた。



































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シンタロー、キンタロー、はぴばすで2007。23→24の日付変更4時間前にネタが降りました。
出来はともかく愛情だけは…!!
一つでも多くの幸せが二人の上に降りますように、と、


題名は映画『ピアノ・レッスン』の有名なあの曲からいただきました。すごく好きです。

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