壊れたエンジン
ふと、彼の顔が見たくなり、総帥室へと向かった。
何事もなければ、今の時間、彼はそこにいるはずだからだ。エレベーターに乗り、そのまま最上階を目指す。
エレベーターを降りるとそこは深紅の絨毯が敷き詰められている。この階に来るためには専用のエレベータに乗らなければならず、そのエレベーターにもパスワードやら何やらと一部のものしか入れない仕組みとなっている。
そのため、ここを訪れる者は少なく、この廊下も、いつも静かなものである。
総帥室までエレベーターからわずか歩くだけで到着する。そこでも身分証明のカードやまたパスワード。しかし一族のものであれば誰でも知っているため、キンタローは手馴れた手つきで操作を行った。
ドアを開け、中に入ると、相変わらず忙しそうに書類と格闘していた。
「忙しそうだな」
「先週のお前程じゃねぇよ」
キンタローは先週、学会の関係上、研究室に篭っていた。その間、総帥室にも、シンタローの部屋、そして自分の部屋にすら帰っていなかった。
だから、こうして話すことはもとより、顔をあわせるのも久しぶりであった。
「ようやく終わったからな。そっちは何かあったのか?」
「それ程大変なことは起こってはいない。どっちかって言うとグンマの研究がな…」
その言葉に、従兄弟の行っている研究を思い出す。
「確か…ガンボットについてか?」
「おとなしく、二足歩行についてやっていればいいものをよけいなことしやがって」
「何をやったんだ?」
「あ?ロケットパンチの精度を上げるんだと」
「それは…」
いまのガンマ団の生計ははっきり言って以前に比べあまり宜しくない。
「もうちょっと金になることをやって欲しいんだがな」
ため息をつくシンタローにキンタローも呆れ顔で答える。
「無理だろうな、グンマなら」
「それでもあいつの研究は結構すごいんだけどなぁ」
「本人のやる気が伴わないからな」
「そういった意味じゃ、ジャンの宇宙船なんかはもっとキツイもんがあるがな」
「…本気だったのか」
「らしいぜ。企画書読んで泣けてきた」
ほれ、とファイルを渡されキンタローはそれを受け取り、中を見る。
「で、感想は?」
「何年かかるんだ、これは?」
「でも、まあそれに付随する形で、何らかの成果を挙げられるなら良しとすることにした」
「…いい加減だな」
「グンマけっこーそういうのが多いからな」
ガンボットというロボット自体がまさにそれである。二足歩行に飛行機能、今はそれに世に言う人工知能をつけると張り切っている。
「これで、ロケットパンチから離れてくれればもっと良いんだけれどな…」
「俺はどうなんだ?」
ジャンの企画書―内容はほとんど無かったが―を返しながらキンタローは聞く。
「お前が一番まともだよ。高松もだが、一般的なものを作ってくれるからな」
実は、高松も学会で発表するものはまっとうなものが多い。しかも他のところとは違い、早期の段階で人体実験を行うため時間的なロスが少ない(そのため、毎年何人かが集中治療室行きになるのだが…)
そしてキンタローの研究というのも堅実なものが多く、またその研究結果を政府やらに売ることにより団の利益を上げているのだ。
なにより、社会への貢献度があるため、団のイメージも変わっていく。
「お前の役に立っているなら良いさ」
「ああ、ありがとな」
にっこりと笑うシンタローを見て、衝動的にキンタローは肩に手を置いてこちらを向かせると抱きついた。久しぶりの体温にほっと息を吐く。
「キンタロー?」
シンタローのその呼びかけに答えずそのまま頭を肩に埋める。
仕方なく、シンタローも抱き返してやるがそのまま動かないキンタローに訝しく思う。
「どうかしたのか?」
「…久しぶりに会ったからな、充電だ」
「なんだそりゃ」
「気にするな」
そう言ってくつくつと笑うキンタローに、シンタローは聞き出すことを諦めそのまま書類を読む。
「とっとと終わらせろよ」
「ああ、わかっている」
笑いながら顔を上げると、シンタローの唇を掠め取る。
「充電完了だ」
「…て、おい」
そのままさっさと出ていこうとするキンタローに向かって先程のジャンの企画書を投げつける。
それをいともあっさりと受け取ると、キンタローは笑う。
「安心しろ、俺の動力源はお前だけだからな」
「…それ、ジャンに届けといてくれ。一応サインはしておいた」
もはや言い返す気力もなく、一気に疲れたシンタローはそれだけ言うと仕事を進めることにした。
それを見て、キンタローも部屋から出て行った。
この心は壊れていて
お前がいないと動かない
お前だけしか受け入れない、壊れたエンジン
ふと、彼の顔が見たくなり、総帥室へと向かった。
何事もなければ、今の時間、彼はそこにいるはずだからだ。エレベーターに乗り、そのまま最上階を目指す。
エレベーターを降りるとそこは深紅の絨毯が敷き詰められている。この階に来るためには専用のエレベータに乗らなければならず、そのエレベーターにもパスワードやら何やらと一部のものしか入れない仕組みとなっている。
そのため、ここを訪れる者は少なく、この廊下も、いつも静かなものである。
総帥室までエレベーターからわずか歩くだけで到着する。そこでも身分証明のカードやまたパスワード。しかし一族のものであれば誰でも知っているため、キンタローは手馴れた手つきで操作を行った。
ドアを開け、中に入ると、相変わらず忙しそうに書類と格闘していた。
「忙しそうだな」
「先週のお前程じゃねぇよ」
キンタローは先週、学会の関係上、研究室に篭っていた。その間、総帥室にも、シンタローの部屋、そして自分の部屋にすら帰っていなかった。
だから、こうして話すことはもとより、顔をあわせるのも久しぶりであった。
「ようやく終わったからな。そっちは何かあったのか?」
「それ程大変なことは起こってはいない。どっちかって言うとグンマの研究がな…」
その言葉に、従兄弟の行っている研究を思い出す。
「確か…ガンボットについてか?」
「おとなしく、二足歩行についてやっていればいいものをよけいなことしやがって」
「何をやったんだ?」
「あ?ロケットパンチの精度を上げるんだと」
「それは…」
いまのガンマ団の生計ははっきり言って以前に比べあまり宜しくない。
「もうちょっと金になることをやって欲しいんだがな」
ため息をつくシンタローにキンタローも呆れ顔で答える。
「無理だろうな、グンマなら」
「それでもあいつの研究は結構すごいんだけどなぁ」
「本人のやる気が伴わないからな」
「そういった意味じゃ、ジャンの宇宙船なんかはもっとキツイもんがあるがな」
「…本気だったのか」
「らしいぜ。企画書読んで泣けてきた」
ほれ、とファイルを渡されキンタローはそれを受け取り、中を見る。
「で、感想は?」
「何年かかるんだ、これは?」
「でも、まあそれに付随する形で、何らかの成果を挙げられるなら良しとすることにした」
「…いい加減だな」
「グンマけっこーそういうのが多いからな」
ガンボットというロボット自体がまさにそれである。二足歩行に飛行機能、今はそれに世に言う人工知能をつけると張り切っている。
「これで、ロケットパンチから離れてくれればもっと良いんだけれどな…」
「俺はどうなんだ?」
ジャンの企画書―内容はほとんど無かったが―を返しながらキンタローは聞く。
「お前が一番まともだよ。高松もだが、一般的なものを作ってくれるからな」
実は、高松も学会で発表するものはまっとうなものが多い。しかも他のところとは違い、早期の段階で人体実験を行うため時間的なロスが少ない(そのため、毎年何人かが集中治療室行きになるのだが…)
そしてキンタローの研究というのも堅実なものが多く、またその研究結果を政府やらに売ることにより団の利益を上げているのだ。
なにより、社会への貢献度があるため、団のイメージも変わっていく。
「お前の役に立っているなら良いさ」
「ああ、ありがとな」
にっこりと笑うシンタローを見て、衝動的にキンタローは肩に手を置いてこちらを向かせると抱きついた。久しぶりの体温にほっと息を吐く。
「キンタロー?」
シンタローのその呼びかけに答えずそのまま頭を肩に埋める。
仕方なく、シンタローも抱き返してやるがそのまま動かないキンタローに訝しく思う。
「どうかしたのか?」
「…久しぶりに会ったからな、充電だ」
「なんだそりゃ」
「気にするな」
そう言ってくつくつと笑うキンタローに、シンタローは聞き出すことを諦めそのまま書類を読む。
「とっとと終わらせろよ」
「ああ、わかっている」
笑いながら顔を上げると、シンタローの唇を掠め取る。
「充電完了だ」
「…て、おい」
そのままさっさと出ていこうとするキンタローに向かって先程のジャンの企画書を投げつける。
それをいともあっさりと受け取ると、キンタローは笑う。
「安心しろ、俺の動力源はお前だけだからな」
「…それ、ジャンに届けといてくれ。一応サインはしておいた」
もはや言い返す気力もなく、一気に疲れたシンタローはそれだけ言うと仕事を進めることにした。
それを見て、キンタローも部屋から出て行った。
この心は壊れていて
お前がいないと動かない
お前だけしか受け入れない、壊れたエンジン
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駅
男は、一枚の切符をくれた。
行き先のところに何も書かれていない。
“あなたの、行きたいところを書いてください”
礼だと言って渡したその男はどこかに消えた。
「どこに行っていたんだ」
気がついたら傍にキンタローが立っていた。
「いや。ちょっと人助けをな」
「まったく、ほいほいとどこかに行くな」
「ああ、気をつける」
見つからないように、シンタローは男からもらった切符をしまう。大きさは封筒よりも一回りか二回り小さいほど。
「行きたいところ、ね」
「どうかしたのか?」
小さく呟いたつもりが聞こえていたことに慌てて首を振る。
「いや、なんでもねぇよ」
「ならいいが…」
不審な顔をするキンタローにシンタローは笑ってみせる。
「急いでんだろ、早く行こうぜ」
「お前がいなくならなければこんなことにはならなかったんだぞ」
なおもぶつぶつというキンタローに気がつかれない様に後ろを振り返ったがそこには誰もいなかった。
帰ってきてから、隠した切符を出す。それは先ほどと同じように行き先の所には何も書かれていない。
しかし、出発駅に変化があった。
今、シンタローがいるホテルの一室の名前が書いてある。
慌てて裏返すが何があるわけではなく。ただ注意書きが書いてある。
もう一度表に返し、まじまじと読んでみる。
出発駅はこのホテル。行き先は無記名。期限は無期限。そして、その他のことは何も書かれていない。
今度は裏の注意書きを読む。
曰く、期限は無期限だが早めに使えとのこと。
曰く、行き先を書いた後、その場所から動いた瞬間に望んだ場所に行けるとのこと。
曰く、
「片道切符か」
もう、二度と帰ってこれないとのこと。
行きたいところ、と聞いて思い出すのはあの島。
目を閉じればあの常夏の島が思い出される。
感傷的な自分に笑ってしまうがどうしようもない。
ふと、あの島の名前を書いてしまおうかと考える。
名前はジャンから聞いた。
シンタローは第二のパプワ島とはそのままではないかと、感じたことを思い出した。
あの島に行ってそのまま帰ってこない。
それは、きっと自分にとって幸せなことであろうと、思った。
しかし…
思考は、ドアをたたく音によって中断される。
「俺だ」
短いその一言で誰の訪問かわかったシンタローはドアを開ける。
「なんかあったのか?」
「いや、ただ昼間のお前の反応が気になったからな」
開けたと同時に部屋に入ってくる相手に呆れながらも、苦笑した。
「いや、たいしたことねぇよ」
「そうか?」
そのまま椅子に座るキンタローに備え付けの冷蔵庫から取り出したビールを渡す。
自分も向かい合うように置いてある椅子に座ると取り出したもう一缶の開け、そのまま口をつける。
同じように口をつけたキンタローだが、やはり心配であった。
「本当に、なんでもないんだな」
念を押すその言葉にシンタローはまた苦笑する。
「ああ、なんでもねぇよ」
到底騙せない相手だが、こちらが喋る気がないことに関しては深く聞きだそうとしないため、大抵の場合はなんとかなる。
その相手がここまで気にするとは、そんなに顔に出ているのかとシンタローはまた笑った。
「俺ってそんなに信用されてねぇ?」
この一言にがキンタローに良く効くことをシンタローは知っている。
「そういうわけではないが…」
こちらを思いやる、キンタローの優しさをシンタローは度々利用する。
24年傍にいた分、こうした場合は放っておいて欲しいのだというシグナルを受け取ってくれると知っているからだ。
しかし、さらにこういった場合、あの島について考えているということまでわかっているということをシンタローは知らない。
そのせいでキンタローがどれだけ苦しんでいるのかも。
「…今日みたいに、どこかに行くなよ」
「気をつけるよ」
「本当だろうな」
そう念を押され、ふと頭に困らせてやれ、という考えが浮かぶ。
「なあ、もし好きなところにずっといられるとしたら、どこにいたい?」
一気に話題を変え、しかもイタズラわ仕掛ける子供のような顔をするシンタローにあっけにとられた。
「なあ、どこに行きたい?」
しかし、その眼は真剣で。
「お前は、あの島、か?」
逆に聞き返すがそれに答えはない。
「お前は?」
答えがない、ということは肯定であり。
仕方がなく、自分が行きたい場所を考えるが彼の人のように決まるわけでく。
その間、シンタローはこちらをじぃと見つめていた。
「…場所でなくてもいいのか?」
「は?」
どこに、と聞いたのに場所ではないとはこれいかに。
「もし、そうなら」
その一言を言うのに、少し勇気が要った。
「お前の隣だ」
これは場所ではなく、居場所。
でも、ずっといられるのなら、そこがいい。
それがキンタローの出した結論。
「それは、ありか?」
「お前が出した問題だ。自分で考えろ」
身を乗り出していたシンタローの体を自分の所に引き寄せるとキンタローはその耳元でそっと囁く。
「俺は、お前の傍がいいんだ」
その日の晩、シンタローは黒いインクで行き先を書いた。
そして、その紙をそばに置いてあった灰皿にちぎって入れるとマッチで火をつける。
行き先は決まっている。
でも、きっとこの手を離すことは出来ないから。
振り切ってその島に行くことはきっと一生ないから。
どこかで、ベルが鳴る
その音に静かに涙を流した
言い訳
誓って、気の迷いだ。
酔った勢いだ。
ぐるぐるとそんな言葉が頭の中を巡る。
ここは自分の部屋であり、裸同然でベットの中にいる。
酔った時に脱いだのだと思いたかったが、隣にいる人間と、途切れ途切れに残っている昨日の記憶がそれを邪魔する。
昨日の夜、シンタローは遅くまで仕事をしていた。
そして、部屋に戻る際ある人物とばったり会い、自分の部屋で一緒にご飯を食べたのだ。
なぜか、どちらのほうが酒が強いかという話から部屋においてあった酒を飲む羽目になり…
そこから先を思い出そうとして、慌てて思考回路を止める。
出来る事なら昨夜のことはなかったことにしたい。
がっちりと抱きしめられながらそんなことを考えても不毛ではあったが…
そこまで考えて、シンタローははっと気がついた。
(今日は休みか…)
だからこそ、飲み比べという無謀なことを行ったのだが…
考えてみれば、相手が勝って当然なのだ。
こっちは休み前だからとへとへとになるまで仕事をした身。かたや時間に自由が利く身。
今のところ研究が忙しいという話はまったく聞いていない。
そこに思い立った瞬間、シンタローはふつふつと怒りが湧いて来た。
今日の予定としては、朝起きたらすぐにコタローのそばにいて時間が許す限りそばにいるはずだったのだ。
仕事が忙しくとも本部にいる間は一日5分でも会いに行くのだが、最近は遠征やら何やらであまり顔を出せずにいた。
ようやく長い間そばにいられると思ったら、今一緒にいる相手はコタローが兄と慕っていた男で。
「起きやがれ!」
あえて今の今まで無視をしていた目の前にある胸板。
最近ディスクワークしか自分と比べ、暇を見つけてはトレーニングしているらしい肉付きに少しばかしうらやましく思える。
「いつまでも抱え込んでいるんじゃねーよ!」
頭と背中にまわされた腕はびくともせず、いくら暴れても解けはしない。
そういや、よくパプワにしてやっていたな~と思い、慌てて現実逃避に走りそうになった自分の思考に待ったをかける。
「おーきーろーー!」
精一杯暴れ、大声を出したせいか、キンタローがうっすらと目を開けた。
「ん…なんだ」
「なんだ、じゃねぇ。とっとと外せ」
「今、何時だ…?」
かみ合わない会話にいらいらしながらも丁寧に答える。
「7時少し過ぎたところだ。で、早く外せ」
「今日、休みなんだろ…まだ寝ていられる…」
「俺は、コタローに、会いに行くんだよ!」
また寝ようとする相手に怒鳴ってしまっても罪はないだろう。
「…なら後で…二人で行こう……俺も…一緒に行く…」
「あ、てめぇ!また寝るな!せめて外してから寝ろ!」
また眠りにつこうとするのを阻止するために暴れるが、向こうはまるであやすように頭を撫でる。
「疲れているんだろ…お前も、寝ろ…」
そういって完全に寝入ってしまった。
「寝るな~~!」
その言葉も虚しく、キンタローは起きる気配はない。
起こすことを諦めたシンタローは自分の頭の上にある顔を見る。
元はひとつであったはずなのに、まったく違う顔立ち。
今までこうしてまじまじと見たことがなかったのでじっと観察する。
そうこうしているうちに一番よく見える唇を眺めていると昨日、あの唇が何をしたかを、思い出してしまった。
「やっぱ、起きろ~~!」
顔を真っ赤にしながら解こうとしたがまったく起きる気配もなく。
キンタローが起きるまで、シンタローは一人悶々としたものを抱えたままだった。
「おとー様、どうしたの?ソレ」
不思議そうなグンマの声にテーブルを囲んでいた皆の視線がマジックに集まる。
ガンマ団本部の一角、プライベートスペースにある豪奢なリビングでは
3時になると恒例のお茶の席が設けられる。
引退してすべてを黒髪の息子に委ねたマジックが暇を持て余して、
お菓子作りに凝り始めたのがきっかけだが、
今ではそれは研究や仕事に追われ、ともすれば擦れ違いがちな家族が
会話を交わす為に重要な一時となっていた。
グンマもキンタローも時間が空く限りはこの場所に集まるようにしている。
加えて今日は珍しく本部に来ていたサービスが席に加わっていた。
ガンマ団総帥となったシンタローは本部に居てもいつもは大概、
慣れない書類の処理に追われていて不参加だが、
サービスが来てるとなれば今日は多少無理をしてでも顔を出すかもしれない。
そんなわけで青の一族の3時の団欒…通称おやつの時間は
他愛の無い世間話や研究の経過などを交えつつ和やかに流れていたのだが。
ふと紅茶を口に運んでいたグンマがマジックの首筋に気付いて問うたのがはじまりだった。
「え?何?グンちゃん」
マジックは左隣に座っていたグンマにしげしげと襟元を覗き込まれ首を傾げる。
「おとー様、首のトコ赤くなっちゃってるよ?」
どうしたの?イタソー。
グンマがちょっと眉を顰めて漏らしたその言葉の内容に、サービスとキンタローが顔を見合わせる。
あごと首筋の丁度境目なので直ぐには分かり辛いが、
マジックの肌にはくっきりと赤い筋が残っていた。
よくよく注意してみれば、それは引っ掻いたような傷痕で。
「あーコレねv」
自身の白い首筋の上に走った赤い痕を指でなぞりながら、
マジックが何かを思い出したかのように呟く。
普段から笑みを浮かべている事の多いマジックだが
それがいつも以上に嬉々とした表情になっているのは気のせいではないだろう。
なんとなく、分かってしまった。分かりたくなかったけど。
そんな思いで親子を見詰めるサービスとキンタロー。
二人の目はそれぞれ何処か遠い。
そんな二人を余所に
「えー?なになにー?」
グンマだけが興味津々と言った感で父親の顔を見上げた。
キンタローが困った様にグンマの白衣の袖を引っ張るが、
聞くなと言うそのサインにしかし、天然ボケ気質のグンマが気付くはずも無い。
27にもなってどうしてこうも鈍いのか。
ドクター高松の純粋培養教育おそるべし。
キラキラ好奇心一杯の瞳は純真その物で父親の答えを待っている。
どうしたものかと思いながらも経験の不足故にキンタローは口を挟めず助けを求めてもう一人の同席者を見る。
全く表情には出ていないが,うろたえているキンタローのその視線を受けて、
仕方が無いとばかりに溜息を一つつくとサービスはおもむろに口を開いた。
「猫に引っ掻かれたんだろ」
「…ねこ?」
思わぬ方向からの答えにくりんとサービスを振り返ってグンマが瞬く。
「そう、猫。兄さんは可愛がり方がしつこいからね」
にっこりと文句無く美麗な笑顔でありながら、さり気なく棘を含んで
サービスはその蒼い瞳をマジックに向ける。
フォロー(?)しつつも毒と牽制は忘れないサービスに流石は実の兄弟と
キンタローは内心で妙な感心をしつつ、しかし猫とは…と苦笑する。
猫に例えるられるほど件の人物は可愛らしくも無い。
アレは同じ猫科でも黒豹とかの猛獣の類ではなかろうか?
少なくとも猫はもっと柔らかで可愛らしいものだと
キンタローは何回か触れる機会のあった小動物を思い浮かべて思う。
しかし、サービスの言葉を素直といえば聞こえが良いが
つまるところ馬鹿正直に受け取ったグンマはキョトンとした目で父親に問い掛ける。
「おとー様、猫なんて飼ってたっけ?」
「うん。」
「えぇ?いつの間に?ずるいなぁ~今度僕にも見せてよ~」
ねだるグンマをマジックがはぐらかす。
「うーん、でもフラーっと出掛けて何日も戻って来ないような子だからねー」
グンちゃんが来た時居るとは限らないよ?
ニッコリ笑ってそう言ったマジックにグンマがエーっと不満げな声をあげる。
キンタローはほっと息をついた。
「マジック叔父貴ですらグンマにはやっぱり出来れば知られたくないのか。」
「あぁ…兄さんも一応人の心が残ってるんだな。」
さり気なく酷い評価をこっそりとしつつ、しかし上手く話をはぐらかせたかと安心しかけた矢先に
「でもその猫、そんなに可愛いの?」
グンマが尋ねた言葉は拙かった。
「そりゃぁ、もう!ものスゴーく可愛いんだよv」
途端にウキウキとマジックが話し始める。
嫌な雲行きにキンタローは眉間に皺を寄せた。
マジックはこれでもかと云うくらいに甘い笑顔を浮かべている。
蕩けそうな笑みとはこういう表情の事だろう。
「黒い毛がツヤツヤで滑らかで~ちょっとキツメの瞳も真っ直ぐでね~」
確かにシンタローの髪は黒いし、目つきはキツイ…
「ちょっと、気が強すぎて撫でると噛み付いて来たりするけど」
27歳にもなって父親に撫でられ抱きつかれて喜ぶわけが無い。
「ちょっとした仕草が可愛いくて、しなやかな身体が綺麗で
見てるだけでも幸せになれるんだよね」
だったら見てるだけで済ましておけ。
「でも、触れる方が幸せだから、やっぱり手を出しちゃって」
やっぱりか。
「触れると怒るんだけど、嫌がる仕草も本気じゃないのが分かるから可愛くてね」
本気で嫌がってる時もあると思うのだが。
「本当に可愛すぎるからついつい舐める様に可愛がっちゃうんだよ
…この間なんか本当に舐めちゃったV」
ちょっと待て。
内心でツッコミを入れつつも、下手につつけば藪から蛇どころか
アナコンダが出てきかねない状況である為キンタローもサービスも沈黙を護るしかない。
当然、反応を返すのはグンマ一人で。
「えー?おとー様そんな事したら幾等なんでも毛がザラザラして気持ち悪くない?」
犬とか猫とかに、キスするくらいなら僕もやるけどー。
この期に及んでまだ猫の話だと思っているグンマがさすがに難色を示したのに
マジックがみっともないくらい、へろりと相好を崩す。
うっかりなのか確信的になのか
「いやいや、グンちゃん…シンちゃんのお肌は案外すべすべ…」
答えかけた言葉の続きは、しかし
「記憶を失えぇぇぇっっっ-!!」
怒号と共に飛んできた黒皮ブーツの踵にその後頭部ごと蹴り飛ばされた。
ドガァッ。バキッ。ガシャン。ガラン。ドガン。
蹴られたマジックの身体がその勢いのままにテーブルごと壁際まで飛ばされて、
巻き添えに物の壊れる音が多重奏で響く。
「………シンタロー」
思わずキンタローは溜息と共に乱入して来た人物の名を呼んだ。
確かに怒る気持ちは分かるがもう少し穏便な止め方が出来ないものだろうか。
咄嗟にグンマは椅子ごと後へ下がらせたが、フォローの効かなかったテーブルの上の茶器は
見事なまでに粉砕され、ウェッジウッドのブルーの陶器は破片となってマジックの額に突き刺さっている。
テーブルは足が折れ、美しい木目の天板には亀裂が走り、壁際にあった瀟洒な飾り棚は
テーブルとマジックに押しつぶされ見るも無残な有様だ。
眼魔砲を撃たれるよりはマシかもしれないが、しかし此れは感心できない。
シンタローを窘めようとしたキンタローは、
だが、次の瞬間そう思ったのは自分だけだった事を思い知る。
「わーい♪シンちゃん、久しぶりー」
「久しぶりだな、シンタロー」
「叔父さん!久しぶり…っとグンマもか」
「もーシンちゃんソレ差別だよ~」
「お前には1週間前会ったじゃねェか」
部屋の片隅の惨状など全く目に入っていないかのように久々の再会を喜び合う身内の姿に
キンタローは思わず言葉を失う。良いのか其れで。
生活の基礎知識を教えられた1年目、散々注意された事が
『やたらと物を壊すな』だったキンタローは悩む。
実際、急用があったので鍵が掛かっていた総帥室の扉を無理矢理蹴り開けた時
小一時間ほどシンタローにはくどくどと叱られたものだったが。
「どうしたの?キンちゃん」
思い悩んでいたキンタローの袖をグンマが引っ張る。
「……あぁ…いや…」
言い淀んだものの気になる事はちゃんと聞いておけとも言われていたので
キンタローは思いきって尋ねた。
「アレは気にしなくて良いのか?」
「アレ?」
対してキンタローが指差した先を見た3人の反応は実にあっさりとしていた。
「だって蹴られたのはお父様だし。」
「壊れたのもマジック兄貴の物だしな。」
「大体アイツが蹴られるような事すっからだろ?」
にっこりと清清しいまでの笑みを見せてシンタローがキンタローの肩をポンっと軽く叩く。
「気にすんなよ、キンタロー。」
「…そうか、マジック伯父貴は良いのか。」
「うん。そ…」
「ちょっと待った!!キンちゃん!!!シンちゃんっ!グンちゃん!!サービス!!」
納得しかけたキンタローと他3名を制止するマジックのいっそ悲痛な声が響く。
細かな傷から血をだらだらと流しながら立ち上がったマジックが涙を滝のように流している。
いつもの事だが倒れていても誰も助け起こしてくれない状況に自分で復活したらしい。
「パパを蹴り飛ばして、ほったらかしにした挙句キンちゃんに間違った事を教えるなんて
酷すぎるぞ!!シンちゃん!!」
取り敢えず、言っても無駄な相手…サービスとグンマへの文句は飲み込んだらしい。
マジックはシンタローへと詰め寄る。
物凄い蹴られ方をしていたがそのダメージを感じさせないほど素早い。
切り傷も出血の割に浅そうだし、骨にも異常は無いだろう。
マジックの行動を冷静に分析し、キンタローはなるほどと内心で思う。
確かに『マジックは』問題なさそうだ。
そんな風に、キンタローの中で己が既に定義付けられてしまったとは露知らず
マジックがシンタローに言い募る。
「キンちゃんはまだまだ世間に慣れていないんだから、
間違った事教えちゃダメだろう?シンちゃん」
「だーかーらー正しい状況認識を教えてんだろーが」
至近距離まで迫ってくる涙と流血に塗れた父親の顔を押しのけシンタローが言い返す。
「この場合アンタは蹴られるのが正しい」
「パパを蹴るのは絶対正しくありません!」
キンちゃんが真似するようになったらどーするんだい??!!
訴えかけるマジックにシンタローが半眼で返す。
「いつもいつも余計な事ばっか言いふらす奴は蹴られて当然なんだよ!!」
「余計な事って…パパはいつだってホントの事しか言ってないもん!!」
「なにが、『もん』だ!!ちったぁ己の年齢と時と場所と相手を考えて発言しやがれ!!」
「そんな!パパはただシンちゃんがどれだけ可愛いか伝えようとしただけ…」
「ほーぉぉぅ、まーだ懲りずにそーゆー事を抜かしやがるのはこの口か?」
「いひゃいよ、シンちゃん」
「アンタなんか蹴られて踏まれて穴掘って埋められて死んじまえ!!」
「わースゴいやー★シンちゃん今のワンブレスで言ったよ」
「罵倒も随分熟練してきたな、シンタロー」
白熱する親子喧嘩…と云うかシンタローがマジックを一方的に怒鳴りつけている状況に
しっかりと椅子に座って当たり前のように傍観を決め込んでいるグンマとサービス。
キンタローはまたひとつ学ぶ。
「触らぬ神にたたりなしと云うやつか?」
自身も座りながらキンタローが呟いた言葉に
「いや、アレは犬も食わない方だよ」
何処から出したのか、新しいティーカップを手にサービスが訂正を入れる。
ちゃっかりとその隣でお菓子を頬張っていたグンマがキンタローの分の紅茶を淹れて差し出す。
取り敢えず勧められるままに紅茶を一口飲んでからキンタローは改めて、
マジックとシンタローの言い合いを眺めた。
まぁ、確かに離れて見る分にはじゃれ合ってるようにも辛うじて見えなくもない。
あの二人は放って置くのが一番と云うことなんだろうが、
「でも、やっぱり猫には見えない」
ボソリとキンタローが呟いた言葉を聞きとがめてサービスが面白そうに笑う。
「あれは会話の中のものの例えだよ」
グンマとは違った意味で何事も真っ直ぐに受け止めてしまう甥にサービスは目を細める。
「でも、あぁやって怒鳴っている様子は毛を逆立てた猫みたいだと思わないかい?」
何処か楽しげな風情で言われ、キンタローはその言葉を反芻しつつ、二人を眺める。
確かにムキになって怒っているシンタローの姿は子供っぽく見えて。
そう言われてみれば猫の例えはそう外れていないもののようにも思えてくる。
普段は総帥然としていて、到底猫などに例えられるような人物ではないが
マジックの前でだけは何かが違うのだ。
いくら怒鳴っていても総帥として普段、部下を叱責する姿とは決定的に何かが。
考えかけて、
あぁ…そうか。
キンタローは唐突に思い至る。
マジックは父親なのだから、シンタローがその前で子供に見えるのは当たり前か。
どれだけ年をとっても、大人になっても…シンタローが総帥になろうとも
親子と云う立場は変わらない。
マジックにとってシンタローは一生子供で
シンタローにとってはマジックは絶対的に父親なのだ。
悩むまでも無く簡単明瞭な回答だ。
だから、父親の前でシンタローはあんなにも子供のような表情をする。
感情のままに、反発心も剥き出しに。
他の誰に対してでもなく、マジックの前でだけ。
そしてマジックはそんなシンタロー自身を全部受け止めている。
でも可愛いんだよーと言っていたマジックの言葉を思い出す。
自分もそう言えば最初に触れたとき猫に引っ掻かれたが
あの小さな動物を嫌いにはなれなかったな。
マジックにとってのシンタローはそんなものなのかも知れない。
納得がいった表情のキンタローにサービスが微笑む。
「猫みたい…だろ?」
「あぁ…なつかない猫だな」
そして、マジックは懐かれていないにも拘らず手を出して、手酷く引っ掻かれる飼い主だ。
言外に込めた意味合いに気付いてサービスが笑う。
「まぁ…本当になつかない猫はわざわざ嫌いな奴を相手したりはしないんだけどね。」
我侭を押し通そうとする父親を冷たく扱い、怒鳴りつけ、殴り飛ばそうと
いつだって最後に根負けして願いを聞いてやってるシンタロー。
なついていない訳じゃない。
ただ、いつだってマジックの方がシンタローの傍へ居ようとしてるから
猫の方から擦り寄っていく必要がないだけか。
埒も無く思いながらキンタローは紅茶を口にした。
世間が新年と云う特別な状態から日常に戻り始める1月中旬。
正月も明けて新年の挨拶回り等も終わり、慌しさがようやく薄れてきたその日
一時とは言えガンマ団新総帥と言う肩ッ苦しい肩書きを忘れ
俺は久しぶりの休日を炬燵の中でだらだらと過ごしていた。
なんで久しぶりなのか、単刀直入に言ってしまえばガンマ団総帥に正月休みなぞ無いからだ。
戦争は時候と関係なく起こっているし、緊急を要するその対応には昼も夜も盆暮れ正月もない。
しかしそうでありながら一方で、いつもは取引で必要な時だけ会う連中と新年と云う区切りに
一通り顔を合わせる必要もある。
ガンマ団が組織形態をとっている以上、取引先等との繋がりを確認するのは重要な仕事だ。
そんな訳で新年の総帥と云うのはいつにも増して多忙だ。
スケジュールはギリギリ。移動中のヘリの中ですら書類に目を通し、指示を出した。
去年も一昨年も普段に増して忙しい毎日に睡眠時間は減るは通常業務は溜まるはで
一月の間中、怒涛のような日々を過ごしていたものだった。
まぁどこも責任者ってのはこんなもんなんだろーが。
…親父が総帥だった頃はなーんか正月暇そうにしてたような気がすんだよなぁ。
炬燵の天板の上に顎を載せて俺は英国人の癖に日本かぶれな父親とその好みで
純和風の正月を過ごして来ていた過去のあれこれを思い出す。
玄関にお飾りと門松。朝はお雑煮におせちを食べて、家族そろって神社に初詣。
親父が言い出して羽根つきもやらされた。
そんで挨拶に来た伯父たちも巻き込んでひと悶着起こしたりもしていたな。
顔を墨で真っ黒にされたハーレム伯父貴を思い出してついつい口元が緩んだ。
あの時間は一体どうやって確保していたのか。
悔しいから父親に尋ねてみた事は無いが、どんな手を使っていたにしろ感心するしかない。
父親の跡を継ぎ総帥となってから、色々見えてきたことは多く。
そうして自分はまだまだ父親には及ばないことを端々で実感せずに居られない。
だが、餓鬼の頃と違い、誰もが一足飛びで成長できるわけじゃないことも
今の俺は知っているから焦らないし、焦るなと自分を戒めることが出来る。
自分を見失わずその時自分に出来る最善を尽くすこと。
己の限界を知るのは諦めではなくいつかそれを乗り越えるために必要なプロセスなのだと。
今の自分には寧ろ1月の間に休日が取れたのは上出来なくらいだ。
尤も今年それが適ったのは親父から受け継いだガンマ団の総帥と云う仕事に
俺自身がようやく馴染んできたと云うこともまぁ多少はあるだろうが
やはりサポートしてくれる存在ができたと云うことが大きかったからだとも思う。
キンタローには感謝しねーとなぁ。
天才としか言いようの無い優れた頭脳を持っていたらしい従兄弟は
後見人を買って出た高松やグンマの手助けがあったとは言え、
世界と直に触れ合うようになって1年目に生活の上で必要な基本的な知識を、
2年目には特殊な科学者としての知識を獲得し、
3年目には研究と平行して俺をサポートできるまでに成長し、
そして、当たり前のように俺の隣に居るようになった。
「お前一応研究者だろーが、研究はいいのかよ?」
遠征先にまで付いてきた時、流石に気になって問えば
「研究はチームの他のメンバーに任せていても問題はない。
だが、お前をサポートするのはあらゆる面から考慮しても俺が適任だ」
しれっと答えた従兄弟の仏頂面を思い浮かべ、思わず苦笑が浮かんだ。
あいつはその言葉どおり完璧に俺をサポートしてくれた。
一番俺を嫌っていた(と云うか憎んでた)筈の奴が今一番俺を支えてくれてるんだもんなぁ。
人生と云うのは本当にどう転ぶか分からない。
俺のサポート役をしていたキンタローは当然ながら俺と同じで休みの無い日々を送っていたが
あいつは今日は朝から高松やグンマと共に墓参りに行っている。
グンマが帰りに何処ぞに寄ろうとしきりに強請っていたようだから
少し帰りは遅くなるかもしれない。昼飯は何処かで食ってくるかもな。
窓の外の空は高く澄んでいる。小春日和ってやつだ。今日が穏やかに晴れた日で良かったな。
いつもよりもほんの少し表情を緩ませて出掛けて行った従兄弟に対して純粋にそう思いつつ
両手を上げて伸びをしつつ俺はそのままごろりと炬燵に入ったまま寝転んだ。
正月とかの時期的なもんを抜きにしても緊急の呼び出しがかからない限りとは言え
丸一日の休暇と云うのは自分にとっては本当に久しぶりのこと。
折角だから今日はのんびりしよう。
明日からはまた激務の毎日が待っているんだし、道は長い。休めるうちに休んどかないとな。
俺は何もしないと云う非常に贅沢な時間の費やし方で休日を過ごそうと決めた。
ちっとばかし遅れたが、正月休みのつもりで。
幸いと云うか日本かぶれの親父の趣味で居住スペースの一角に設えられた畳敷きの部屋には
まだ正月の雰囲気が残っている。
掛け軸は日の出に鶴。水盤に活けられた花は松に紅梅。
普段はかみ殺さねばならない欠伸を誰にもはばかることなくこぼして、俺は仰向けで目を閉じた。
コレで炬燵の上に蜜柑があったら正月休みとしては完璧だ。
と、俺の額の上にぽんと何かが載せられた。
「シンちゃん、炬燵で寝たら風邪引くよ?」
「親父」
目を開ければ、にっこり笑った父親が此方を覗きこんでいた。
手には丸い竹籠。自分の額の上に載せられた物を手に取れば鮮やかな橙色の果実。
親父は持っていた籠を炬燵の上に置いた。勿論蜜柑の入った籠を。
さっきまでの自分の思考を読んでいたかのようなタイミングの良さに俺は思わず瞬く。
その視線をなんと思ったか親父は得意そうに笑った。
「風邪の予防や疲れにはビタミンたっぷりのお蜜柑がいいんだよー」
「知ってるっつーの」
邪険に言い返すのは最早条件反射に近い。
ついでにいそいそと当たり前のように俺の隣に入ってこようとするのに蹴りを入れておく。
ゴスっと鈍い音がして2畳分ほど向こうに飛んだ親父はガバリと起き上がると
「パパにいきなり何するんだい!!??」
畳の上でわざとらしく泣き喚いた。
恥ずかしげも無く滂沱して見せる上にハンカチをかみ締めて居やがる。
おまけにどっから出してきやがったのか腕にはしっかり抱えた俺に似せた手作り人形。
こいつ・・・この間全部廃棄処分にしてやったのにまた作りやがったな…。
ウザい…ウザさ倍増だ。
思わずしっしと手で追い払う真似をすると親父は見当違いの抗議をよこした。
「ヒドイよ!!シンちゃん!!コレはパパの用意したおコタだよ?」
「うるせぇ!!狭いんだよ!!入るんなら向かいに入れよ!!向かいに!!」
思わず立ち上がって怒鳴りつけた。
いくら俺たちの体格に合わせて作った特注の炬燵でもだ!
身長190センチ台の筋骨逞しい男が並んで一辺に入れば狭い。
それ以前に残り三辺は空いているのだから並んで入る必要は皆無だ。
だいたい何が悲しくてこの歳になってまで父親と仲良く並んで炬燵に入らなきゃならないんだ。
俺の主張はどっからどう見ても正しいはずだ。
なのに
「ひどい、シンちゃん!!パパはただ親子のスキンシップをはかろうとしてるだけなのに!!」
この親父ときたら
「何をまっとうに息子を思う父親のような台詞を吐いていやがる。」
「パパはいつだって『ような』じゃなくてシンちゃんのことを心の底から思ってるよ」
まっとうな子供思いの父親はスキンシップと称して息子のケツを触るのか?
世間一般に広く意見を求めて来い。
冷たく言い放てば
「パパのシンちゃんへの愛は世間一般の狭い定義などには縛られないんだよ」
爽やかに言い放ちやがるか、この腐れ親父は
「パパの定義では愛する息子に触れるのはスキンシップさ!」
「…そうか、因みに俺の定義では人のケツに無許可で触る変態は
社会の屑で有無を言わさず半殺しだ」
此方も爽やかに笑って拳を固めてやれば、親父は引き攣った笑顔になった。
「ちょっと待ったシンちゃん!!家庭内暴力はいけないよ」
「家庭内セクハラはいいのかよ?自分の定義を通すなら他人の定義に異議を唱えんな」
「シンちゃん…キンちゃんと仲良いのはいいけど何だか理屈っぽくなったねぇ」
あらぬ方に目を逸らしつつ親父はハフーとわざとらしい溜息をこぼした。
何気に話し逸らしてんじゃねぇよ。言い返しかけて、しかし俺は口を噤む。
駄目だ。この親父と話してても埒があかねぇ。
思わず寄った眉間の皺を指で解しつつ、
俺は一向に意思の疎通の適わないやり取りに会話を諦めた。
「あれ?シンちゃんどこ行くんだい?」
「茶でも淹れてくる…アンタも飲むか?」
立ち上がりざまついでに尋ねれば嬉々とした声が返ってきた。
「シンちゃんが淹れてくれるなら何だってvv」
「……ほー」
一瞬自分の中にこの親父はどこまで不味いものに耐えられるか
試してみたいと言う誘惑がよぎる。
それに気付いたのか
「…お正月用の玉露があるよ」
親父は慌てたようにそう言った。ちっ…相変らずカンのいい奴。
視界の片隅に炬燵の…先ほどまで俺が居た場所に嬉しそうに潜り込む親父を認めて、
溜息をつきつつ俺はキッチンに向かった。
薬缶をかけておいてから、戸棚を開ける。
確かに新しい茶缶があった。
銘柄を確かめてちょっと感心する。
「相変らずイイもん用意してんな」
親父はまぁ多少趣味悪いトコは有るが物を見る目はある。
しかし最高級品だろう其れはまだ封が切られていない。
首を傾げつつも、他には紅茶の茶葉しかないので、仕方なく俺はその茶を使う。
折角和室に炬燵に蜜柑と来てるのに紅茶を淹れる気にはなれない。
二人分の緑茶をお盆に載せて和室に戻ると親父は嬉しそうな顔で手をひらひらさせて
自分の隣を開けてぽんぽんと座布団を叩いて示した。
勿論綺麗さっぱり無視して俺は親父の向かいに座る。
「はう!シンちゃ…」
「正月用とか言ってたが封の切ってないやつしか無かったぞ」
何か言わんとする親父の機先を制して口を開く。
俺の言葉にちょっと戸惑ったような表情を見せたのも一瞬で親父は笑顔で言う。
「あぁ。だってシンちゃんの為に買ってきたものだからねV」
親父の前に湯飲みを置き、自分の分を一口飲んで俺は胡乱な視線を送る。
「…正月用だろ?」
「だから、シンちゃんと過ごすお正月用V」
湯飲みを手に満面に笑みを浮かべて当たり前のように言う親父に呆れる。
「去年も一昨年も休みなんか取れてなかったし、
今年だって取れるかどうか分かんなかったのにか?」
「パパは今年こそシンちゃんとお正月したかったから。だから願掛けも兼ねてね。」
思わずまじまじと父親の顔を凝視する。
何だそれ。願掛けって。
女子高生かグンマじゃあるまいし、恥ずかしい。
いい歳こいた親父の行動じゃねぇよ、それ。
大体、もう松の内過ぎてんだし、正月じゃねぇだろ。
言ってやろうかとも思ったけど。
自分自身正月休みの気分でいた先程までを思い出して止めた。
よくよく考えれば掛け軸はともかく梅の花なんて正月から放っときゃとっくに散ってるはずで。
「俺が休み取れるまで、ここ正月のままにしとく気だったのかよ?」
要は……そう云うことだ。
「1月はお正月だよ、シンちゃん」
「…アンタの定義では?」
「うん、パパの定義ではv…シンちゃんの定義は?」
にっこり笑った父親に悔しいけど…なんとなく負けた気分になった。
「…午後から出かけるからアンタも付き合えよ」
「喜んで。けど今日は家でのんびり過ごすつもりなんじゃなかったのかい?」
尋ねてくる親父の訳知り顔が物凄く己の反発心を招くがグッと堪える。
「正月なんだから初詣行かねーとな」
仏頂面で告げた俺に親父は本当に憎ったらしい位に晴れやかに笑った。
正月も明けて新年の挨拶回り等も終わり、慌しさがようやく薄れてきたその日
一時とは言えガンマ団新総帥と言う肩ッ苦しい肩書きを忘れ
俺は久しぶりの休日を炬燵の中でだらだらと過ごしていた。
なんで久しぶりなのか、単刀直入に言ってしまえばガンマ団総帥に正月休みなぞ無いからだ。
戦争は時候と関係なく起こっているし、緊急を要するその対応には昼も夜も盆暮れ正月もない。
しかしそうでありながら一方で、いつもは取引で必要な時だけ会う連中と新年と云う区切りに
一通り顔を合わせる必要もある。
ガンマ団が組織形態をとっている以上、取引先等との繋がりを確認するのは重要な仕事だ。
そんな訳で新年の総帥と云うのはいつにも増して多忙だ。
スケジュールはギリギリ。移動中のヘリの中ですら書類に目を通し、指示を出した。
去年も一昨年も普段に増して忙しい毎日に睡眠時間は減るは通常業務は溜まるはで
一月の間中、怒涛のような日々を過ごしていたものだった。
まぁどこも責任者ってのはこんなもんなんだろーが。
…親父が総帥だった頃はなーんか正月暇そうにしてたような気がすんだよなぁ。
炬燵の天板の上に顎を載せて俺は英国人の癖に日本かぶれな父親とその好みで
純和風の正月を過ごして来ていた過去のあれこれを思い出す。
玄関にお飾りと門松。朝はお雑煮におせちを食べて、家族そろって神社に初詣。
親父が言い出して羽根つきもやらされた。
そんで挨拶に来た伯父たちも巻き込んでひと悶着起こしたりもしていたな。
顔を墨で真っ黒にされたハーレム伯父貴を思い出してついつい口元が緩んだ。
あの時間は一体どうやって確保していたのか。
悔しいから父親に尋ねてみた事は無いが、どんな手を使っていたにしろ感心するしかない。
父親の跡を継ぎ総帥となってから、色々見えてきたことは多く。
そうして自分はまだまだ父親には及ばないことを端々で実感せずに居られない。
だが、餓鬼の頃と違い、誰もが一足飛びで成長できるわけじゃないことも
今の俺は知っているから焦らないし、焦るなと自分を戒めることが出来る。
自分を見失わずその時自分に出来る最善を尽くすこと。
己の限界を知るのは諦めではなくいつかそれを乗り越えるために必要なプロセスなのだと。
今の自分には寧ろ1月の間に休日が取れたのは上出来なくらいだ。
尤も今年それが適ったのは親父から受け継いだガンマ団の総帥と云う仕事に
俺自身がようやく馴染んできたと云うこともまぁ多少はあるだろうが
やはりサポートしてくれる存在ができたと云うことが大きかったからだとも思う。
キンタローには感謝しねーとなぁ。
天才としか言いようの無い優れた頭脳を持っていたらしい従兄弟は
後見人を買って出た高松やグンマの手助けがあったとは言え、
世界と直に触れ合うようになって1年目に生活の上で必要な基本的な知識を、
2年目には特殊な科学者としての知識を獲得し、
3年目には研究と平行して俺をサポートできるまでに成長し、
そして、当たり前のように俺の隣に居るようになった。
「お前一応研究者だろーが、研究はいいのかよ?」
遠征先にまで付いてきた時、流石に気になって問えば
「研究はチームの他のメンバーに任せていても問題はない。
だが、お前をサポートするのはあらゆる面から考慮しても俺が適任だ」
しれっと答えた従兄弟の仏頂面を思い浮かべ、思わず苦笑が浮かんだ。
あいつはその言葉どおり完璧に俺をサポートしてくれた。
一番俺を嫌っていた(と云うか憎んでた)筈の奴が今一番俺を支えてくれてるんだもんなぁ。
人生と云うのは本当にどう転ぶか分からない。
俺のサポート役をしていたキンタローは当然ながら俺と同じで休みの無い日々を送っていたが
あいつは今日は朝から高松やグンマと共に墓参りに行っている。
グンマが帰りに何処ぞに寄ろうとしきりに強請っていたようだから
少し帰りは遅くなるかもしれない。昼飯は何処かで食ってくるかもな。
窓の外の空は高く澄んでいる。小春日和ってやつだ。今日が穏やかに晴れた日で良かったな。
いつもよりもほんの少し表情を緩ませて出掛けて行った従兄弟に対して純粋にそう思いつつ
両手を上げて伸びをしつつ俺はそのままごろりと炬燵に入ったまま寝転んだ。
正月とかの時期的なもんを抜きにしても緊急の呼び出しがかからない限りとは言え
丸一日の休暇と云うのは自分にとっては本当に久しぶりのこと。
折角だから今日はのんびりしよう。
明日からはまた激務の毎日が待っているんだし、道は長い。休めるうちに休んどかないとな。
俺は何もしないと云う非常に贅沢な時間の費やし方で休日を過ごそうと決めた。
ちっとばかし遅れたが、正月休みのつもりで。
幸いと云うか日本かぶれの親父の趣味で居住スペースの一角に設えられた畳敷きの部屋には
まだ正月の雰囲気が残っている。
掛け軸は日の出に鶴。水盤に活けられた花は松に紅梅。
普段はかみ殺さねばならない欠伸を誰にもはばかることなくこぼして、俺は仰向けで目を閉じた。
コレで炬燵の上に蜜柑があったら正月休みとしては完璧だ。
と、俺の額の上にぽんと何かが載せられた。
「シンちゃん、炬燵で寝たら風邪引くよ?」
「親父」
目を開ければ、にっこり笑った父親が此方を覗きこんでいた。
手には丸い竹籠。自分の額の上に載せられた物を手に取れば鮮やかな橙色の果実。
親父は持っていた籠を炬燵の上に置いた。勿論蜜柑の入った籠を。
さっきまでの自分の思考を読んでいたかのようなタイミングの良さに俺は思わず瞬く。
その視線をなんと思ったか親父は得意そうに笑った。
「風邪の予防や疲れにはビタミンたっぷりのお蜜柑がいいんだよー」
「知ってるっつーの」
邪険に言い返すのは最早条件反射に近い。
ついでにいそいそと当たり前のように俺の隣に入ってこようとするのに蹴りを入れておく。
ゴスっと鈍い音がして2畳分ほど向こうに飛んだ親父はガバリと起き上がると
「パパにいきなり何するんだい!!??」
畳の上でわざとらしく泣き喚いた。
恥ずかしげも無く滂沱して見せる上にハンカチをかみ締めて居やがる。
おまけにどっから出してきやがったのか腕にはしっかり抱えた俺に似せた手作り人形。
こいつ・・・この間全部廃棄処分にしてやったのにまた作りやがったな…。
ウザい…ウザさ倍増だ。
思わずしっしと手で追い払う真似をすると親父は見当違いの抗議をよこした。
「ヒドイよ!!シンちゃん!!コレはパパの用意したおコタだよ?」
「うるせぇ!!狭いんだよ!!入るんなら向かいに入れよ!!向かいに!!」
思わず立ち上がって怒鳴りつけた。
いくら俺たちの体格に合わせて作った特注の炬燵でもだ!
身長190センチ台の筋骨逞しい男が並んで一辺に入れば狭い。
それ以前に残り三辺は空いているのだから並んで入る必要は皆無だ。
だいたい何が悲しくてこの歳になってまで父親と仲良く並んで炬燵に入らなきゃならないんだ。
俺の主張はどっからどう見ても正しいはずだ。
なのに
「ひどい、シンちゃん!!パパはただ親子のスキンシップをはかろうとしてるだけなのに!!」
この親父ときたら
「何をまっとうに息子を思う父親のような台詞を吐いていやがる。」
「パパはいつだって『ような』じゃなくてシンちゃんのことを心の底から思ってるよ」
まっとうな子供思いの父親はスキンシップと称して息子のケツを触るのか?
世間一般に広く意見を求めて来い。
冷たく言い放てば
「パパのシンちゃんへの愛は世間一般の狭い定義などには縛られないんだよ」
爽やかに言い放ちやがるか、この腐れ親父は
「パパの定義では愛する息子に触れるのはスキンシップさ!」
「…そうか、因みに俺の定義では人のケツに無許可で触る変態は
社会の屑で有無を言わさず半殺しだ」
此方も爽やかに笑って拳を固めてやれば、親父は引き攣った笑顔になった。
「ちょっと待ったシンちゃん!!家庭内暴力はいけないよ」
「家庭内セクハラはいいのかよ?自分の定義を通すなら他人の定義に異議を唱えんな」
「シンちゃん…キンちゃんと仲良いのはいいけど何だか理屈っぽくなったねぇ」
あらぬ方に目を逸らしつつ親父はハフーとわざとらしい溜息をこぼした。
何気に話し逸らしてんじゃねぇよ。言い返しかけて、しかし俺は口を噤む。
駄目だ。この親父と話してても埒があかねぇ。
思わず寄った眉間の皺を指で解しつつ、
俺は一向に意思の疎通の適わないやり取りに会話を諦めた。
「あれ?シンちゃんどこ行くんだい?」
「茶でも淹れてくる…アンタも飲むか?」
立ち上がりざまついでに尋ねれば嬉々とした声が返ってきた。
「シンちゃんが淹れてくれるなら何だってvv」
「……ほー」
一瞬自分の中にこの親父はどこまで不味いものに耐えられるか
試してみたいと言う誘惑がよぎる。
それに気付いたのか
「…お正月用の玉露があるよ」
親父は慌てたようにそう言った。ちっ…相変らずカンのいい奴。
視界の片隅に炬燵の…先ほどまで俺が居た場所に嬉しそうに潜り込む親父を認めて、
溜息をつきつつ俺はキッチンに向かった。
薬缶をかけておいてから、戸棚を開ける。
確かに新しい茶缶があった。
銘柄を確かめてちょっと感心する。
「相変らずイイもん用意してんな」
親父はまぁ多少趣味悪いトコは有るが物を見る目はある。
しかし最高級品だろう其れはまだ封が切られていない。
首を傾げつつも、他には紅茶の茶葉しかないので、仕方なく俺はその茶を使う。
折角和室に炬燵に蜜柑と来てるのに紅茶を淹れる気にはなれない。
二人分の緑茶をお盆に載せて和室に戻ると親父は嬉しそうな顔で手をひらひらさせて
自分の隣を開けてぽんぽんと座布団を叩いて示した。
勿論綺麗さっぱり無視して俺は親父の向かいに座る。
「はう!シンちゃ…」
「正月用とか言ってたが封の切ってないやつしか無かったぞ」
何か言わんとする親父の機先を制して口を開く。
俺の言葉にちょっと戸惑ったような表情を見せたのも一瞬で親父は笑顔で言う。
「あぁ。だってシンちゃんの為に買ってきたものだからねV」
親父の前に湯飲みを置き、自分の分を一口飲んで俺は胡乱な視線を送る。
「…正月用だろ?」
「だから、シンちゃんと過ごすお正月用V」
湯飲みを手に満面に笑みを浮かべて当たり前のように言う親父に呆れる。
「去年も一昨年も休みなんか取れてなかったし、
今年だって取れるかどうか分かんなかったのにか?」
「パパは今年こそシンちゃんとお正月したかったから。だから願掛けも兼ねてね。」
思わずまじまじと父親の顔を凝視する。
何だそれ。願掛けって。
女子高生かグンマじゃあるまいし、恥ずかしい。
いい歳こいた親父の行動じゃねぇよ、それ。
大体、もう松の内過ぎてんだし、正月じゃねぇだろ。
言ってやろうかとも思ったけど。
自分自身正月休みの気分でいた先程までを思い出して止めた。
よくよく考えれば掛け軸はともかく梅の花なんて正月から放っときゃとっくに散ってるはずで。
「俺が休み取れるまで、ここ正月のままにしとく気だったのかよ?」
要は……そう云うことだ。
「1月はお正月だよ、シンちゃん」
「…アンタの定義では?」
「うん、パパの定義ではv…シンちゃんの定義は?」
にっこり笑った父親に悔しいけど…なんとなく負けた気分になった。
「…午後から出かけるからアンタも付き合えよ」
「喜んで。けど今日は家でのんびり過ごすつもりなんじゃなかったのかい?」
尋ねてくる親父の訳知り顔が物凄く己の反発心を招くがグッと堪える。
「正月なんだから初詣行かねーとな」
仏頂面で告げた俺に親父は本当に憎ったらしい位に晴れやかに笑った。