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12月に入ってすぐの晩、夜中にシンタローは目を覚ました。
「…なんだか冷え込むな」
ボリボリと頭を掻きながらベッドから抜け出す。

昨夜は珍しく仕事が早く終わり、最近寝不足が続いているので早めに床についたのだ。
しかし夜中に眠るクセが染み付いているのか眠れない。
ウトウトと浅い眠りを繰り返しては目を覚ます。全然眠れた気がしない内に夜中になってしまった。
そしてだいぶ体が冷えている事に気がついた。
そういえば今夜は寒いとかなんとか天気予報で言ってたような気がする。
忌々しく思いながらクローゼットに向かう。
確か電気毛布があった筈だ。真冬でも滅多に使わないが急に冷え込んだ時などは重宝する。
「どこにしまったけな。あー、面倒くせぇ」
せっかく早めに眠れると思ったのに。半端に寝ていたので頭はボーっとしてるが妙に目が冴えている。目は冴えてるが体は重苦しくダルい。
灯りが眩しく感じられて、小さな間接照明をひとつだけ点けてクローゼットをゴソゴソと引っ掻きまわすが暗くてよくわからない。
しかし電灯を点けて明るくしてしまうとそのまま完全に覚醒してしまってますます眠れなくなりそうなので点けられないのだ。

あー、そういえばちょっと前にマジックが『寒い』とかなんとか言って、勝手に電気毛布使って勝手に仕舞ってったんだよな。
全くあの親父は勝手な事ばっかりしやがって。
ブツブツと文句を言いながら探していると、“ゴトン”と小さな音がした。
何かが転がり落ちたらしい。見ると青いリボンがかかった小さな白っぽい箱が落ちていた。
リボンはひしゃげて箱も潰れている。持ち上げてみると大きさの割りに重い感触がする。
「なんだこりゃ。俺のか?」
自分の部屋のクロ-ゼットから出てきたのだから、まあ自分の物なのだろうが。
全く記憶にない、とシンタローは首を捻る。
中を開けて確かめてみたかったがそれよりも電気毛布を探すのが先だな と思い直し、ひとまずその謎の物体はソファ横の小さなテーブルの上に置き、またクローゼットの探索に向かった。
程なくして電気毛布が見つかりシンタローはベッドに向かった。
ようやく体も温まり、なんとか眠れそうだった。
『結局また睡眠不足かよ』と思いながら眠りに落ちる瞬間に、さっきの潰れかけの小箱を思い出したが結局はそのまま眠ってしまった。
今度は目は覚まさなかった。


翌日はまた激務で、部屋に戻ったのはちょっと夜更かしの人間でもとっくに眠りについてるような真夜中だった。
今夜も少し冷え込む。
シャワーを浴びて、体を温めてから寝ようとウィスキーをお湯で割り、それをチビチビと舐めながらソファーに腰掛けてふとテーブルを見ると昨夜の小箱が目に付いた。
「あー、すっかり忘れてたな。なんだこりゃ」
手に取ってよく見ると、ひしゃげたリボンは色褪せて、薄暗い中で見た時は白だと思っていた箱は薄いクリーム色の包装紙に包まれていた。
どうやらかなり古い物らしい。
開けてみると中には青い半透明のガラスで出来たペーパーウェイトが入っていた。
丸くて平べったくてツルリとした、シンタローの掌よりも一回り程小さいそれ。
ペーパーウェイトを持ち上げると、その下にはカードが入っていた。

そこには『HAPPY BIRTHDAY お父さん』と幼い文字。
その文字に見覚えがある。
俺の字だな、とシンタローは思った。
そういえば買ったような記憶がある。しかし渡した記憶はない。
渡してないよな、ここにあるんだから。
添えられた日付を見ると、10歳の頃だ。
なんで渡してないのか全く思い出せない。
正確に言うと、なんだか嫌な気分になりそうで思い出したくない。
こういう気分の時は記憶の扉を開けない方がいい。
どこから出てきたのかよくわからないが、隠してあったのは明白だ。
渡さないで隠してあったんだから渡したくない理由があったんだろう。
幼い俺、承知した。渡さないでおいてやる。と疲れとアルコールで眠くなった頭でシンタローは考えた。
じゃあもう寝るか、どうやら今日は眠れそうだなと思いながらベッドに向かい、ふとテーブルに戻ってもう一度青いそれをしげしげと見つめる。
そのペーパーウェイトの青は、マジックの瞳の色に似ているような気がしたので。
それは半透明のトロリとした青で、光にかざすと綺麗だ。
しばらくの間角度を変え、手で感触を確かめて、光に透かしたり影を作ったりしている内に本格的に眠くなってきたので、青いガラスのペーパーウェイトを持ったままベッドへと向かう。

このガラスの青に良く似た色の瞳を持つ、煩くて鬱陶しいあいつは今営業活動だかなんだかで家にいない。
静かでいいと思う。
ガラスの感触を確かめて、スタンドの電気にもう一度照らし、しばらくそのガラスの色を見つめて、そうしてシンタローはそれを掌に握り締めて眠りに付いた。
今日は最初から電気毛布でベッドが暖かい。
掌だけがヒンヤリと冷たかった。

  
++++++++++++++++++++++++++++++


翌日、青いペーパーウェイトを執務室に持ち込んでシンタローは書類書きの雑務をこなしていた。
書類が散らばらなくて丁度いいなと思ったのだ。

「シンちゃん、いる~?」
ノンビリと間延びした声がかかる。
「おう。今忙しいからおやつならキンタローと食ってろ」
「違うよー。企画書持って来たんだよー。メール出しても、シンちゃん全然返事くれないから」
そういえばメールのチェックもしてないな、とシンタローは思った。
とにかく忙しかったのだ。
「ああ、悪ィ。あとで見ておくから置いといてくれ」
「じゃあ机の上に置いておくねー」

淡い金色の髪を揺らして、従兄弟のグンマが分厚いファイルを持って近づいてくる。

「あれー?“お父様の石”だー。懐かしいね~v」
グンマの嬉しそうな声に、シンタローは思わず顔を上げる。
「…親父の石…?」
「うん。僕はあの頃は“伯父様の石”って呼んでたけど。だってシンちゃんが『お父さんの目の色だから“お父さんの石”だ』って教えてくれたんじゃない。
僕、お父様の目の色なんてよくわからなかったけど、シンちゃんがそう言ったから観察してみたんだ。
そうしたら本当にお父様の目の色だったから感心したんだよ~」

そうだったか…?
なんでだか思い出せない。
いやむしろ思い出したくない、とシンタローの中では妙な警戒音が鳴っている。

「誕生日にあげるんだって言ってたのに、急に『やめた。捨てた』って言ってたよね。
うーんと…確か10歳くらいの時。
あの年のお父様の誕生日に、シンちゃんが『何もプレゼントは用意してないから!』ってバースデーパーティーに来なかったから、お父様はすごく落ち込んでて大変だったのを覚えてるよー」
そう話しながらグンマはシンタローの傍に寄って来て青いペーパーウェイトを覗き込む。
金の髪がフワリと揺れる様を見て、シンタローは軽い既視感に襲われる。
「でもここにあるって事はやっぱり捨ててなかったんだね?どうしてお父様に渡さなかったの?あんなに嬉しそうに見せてくれてたのに」
石に向けていた瞳をこちらに向けてグンマが訪ねる。
「あー、なんだかハッキリとは覚えてねえんだよな。こないだ探し物してたら出てきたんだよ」
言いながら、覗き込むように見つめてくるグンマの瞳を見返して、何かをボンヤリと思い出しかけた時、

「用事は済んだのか?お喋りしてるヒマなどないぞ」
突然声が降って来た。
どうやらキンタローが迎えに来たようだ。
「あ、キンちゃん。まだ来たばっかりだよー。少しくらい喋ってたっていいじゃない」
「今日は実験のある日だから暇がない。すぐに戻ってくるように言っただろう」
「そんなに怒んなくてもいいでしょー」

二人の従兄弟のやり取りを見ながら、シンタローは思う。
常に思っているのだが、あまりにもいつもの感情なので意識した事はない。
しかし今日はヤケにひっかかる。
二人の金色の髪。
青い瞳。
いや、この二人に限らず、一族は自分を除いて皆金髪碧眼なのだ。
ただ少しずつ色味が違う。
グンマは淡い色調だがキンタローはどちらかというと鮮やかな色合いだ。
ペーパーウェイトに目を移せば、確かにあの二人の瞳の色とは全然違うな、とシンタローは思う。
これはマジックの目の色だ。

プレゼント、ちゃんと渡せば良かったのに。
子どもが買うには結構値の張りそうな物だし、俺がんばったんじゃないか?
やればあいつも喜んだだろうに、なんでやらなかったんだろう。
なんで覚えてないんだろうな。
仕事の手を休め、実験の手順に話題が移ってしまってる従兄弟達を目の端に映しながら、シンタローは青いガラスの滑らかな表面を指でなぞる。
夕べ握り締めて眠った時懐かしい感覚があった。
冷たくて青い色。

そうだ、あの頃はペーパーウェイトなんて知らなくて、宝石だと思っていたんだ。
親父の執務室にずっと飾ってあった青い石、あんなのよりもずっと親父の目の色で綺麗で、きっとすごく価値があるんだと思ったんだっけ。
子どもの俺が買うにはちょっと高くて、手伝いをして小遣いをもらったり欲しい物を我慢して一生懸命金を貯めたんだっけ。

買ってからも嬉しくて何度もグンマに見せて自慢したっけ。
そうだそうだ、だんだん思い出してきたぞ。
夜は握り締めて寝て、朝になると柔らかい布で磨いて綺麗にしてまた箱にしまっておいて。
そうだ、確か包装紙は親父の髪の色に似てるのを選んだんだっけ。すっかり色褪せちまってたけど。

とうとう話題がお菓子に移ってしまった従兄弟どもから書類だけ受け取って追い出して、『しばらくデスクワークに没頭するからもう来るな』と宣言して扉にロックをかけ、暗証番号をちょっと変更してシンタローは再び雑務に戻った。
どうせ暗証番号なんて、あいつら二人にかかればすぐに解読されてしまうのだが。

単調な書類作業は思考の整理に丁度いい。
仕事をこなしながら、あの「石」の記憶を辿ってみる。
(確か親父に『誕生日プレゼントは奮発した』とか言ってあったんだよな。
でもあげなかったのか、俺。
そんで、あの親父がその事を蒸し返したり「欲しい」「くれ」と言わないのも不思議だ。
多分一度も言われてない。なんでだ?)
思考と思い出が交差してグルグルとしてきた。
なんだか疲れてしまって思考を中断しようとした途端、おもむろに思い出した。

ああ、そうだ。
俺はあの青い色が大好きで、毎日毎日見つめてるうちに
自分の瞳が青くない事を思い知らされて、自分の髪が金色じゃない事がイヤになって
一緒に見つめてたグンマの瞳の色だって青いのに…と思ったら哀しくなって
そうして捨ててしまったんだ。
捨てたけど、でもやっぱりあの青が好きで、結局拾ってきて。
また一緒に寝てみたけど、もう嬉しい気分にもヒンヤリとした感触が楽しくもなくなってしまって。
だから包み直して自分が見えないどこかに仕舞ってしまったんだ。
何度も場所を変えて、自分が見つけられないように「思い出すな思い出すな」って必死に自分に言い聞かせてた。
哀しい気分になるのがイヤで忘れる事にしていたんだ。


「人間ってのは簡単に忘れたりできるもんなんだな」
子どもだから出来たのだろうけど。
実際は嫌な事ほど忘れられない。忘れたい事なんて山ほどあるのにな、と思う。
グンマに言われても思い出せない程、青い色を見ても回想につながらない程、子どもの俺は辛かったんだろうか?
そこはやっぱり思い出せないままだが。

そうしてシンタローは宝石のように思っていたその「石」をまた抱き締めて眠ってみた。
思い出してしまったら、昨夜のような気分にはならなかった。
しかしそれから、毎晩握り締めて眠ってみた。
あの時の気持ちを思い出せるかと思ったので。


++++++++++++++++++++++++++++++


そうして12月も11日程過ぎたある晩、さあ、寝るかーとベッドに入ろうと思ったら、賑やかな足音が聞こえてきた。
この足音は…。
「シンちゃん、ただいまー!!寂しかったかい?!パパは寂しかったよー!!」
「夜中に煩せぇよ。今日は早く寝るんだから出て行け!あとな、ひとつ言っておくが、別に寂しくなかったから。じゃあな、おやすみ!」
「シンちゃ~ん」
約二週間ぶりに騒々しくマジックが帰ってきて。
平和な日々もこれまでか…とシンタローはウンザリする。
「いや本当はね、明日の夜帰ってくるハズだったんだよー。でも明日は私の誕生日でしょ?
主役がいないとサマにならないし、無理して早く帰ってきたんだよv 『おかえりなさい』くらい言ってよ」
「あー、『オ・カ・エ・リ』。はい言ったぞ。じゃあな、おやすみ」
鬱陶しくゴネるマジックを追い出そうと背中を押していると
「あれ?私の目の色の石だね。」
とマジックが驚いたように呟く。
ベッドサイドに置いたあの青いガラスのペーパーウェイトが目についたらしい。

「…なんで知ってんだ…?」
思わず聞き返してから、シンタローは“しまった”と思った。
無視してマジックを追い出して、ペーパーウェイトを仕舞ってしまえば良かったのに。
説明なんかしたくない。
特にこいつには。
なんで俺がこれを買って、なんで俺が渡さなかったのか。
そう思ってたのに。
しかし、ふざけたようなマジックの表情がまじめな父親のそれになったので、むげに追い出すのをやめて改めて聞いてみた。

「これ、単なるペーパーウェイトだぜ?なんで「石」とか「目」とか知って…いや、言うんだ?」
「グンちゃんに聞いてたから」
マジックがあっさり答える。
「子どもの頃 シンちゃんが寝てからね、布団蹴飛ばしてないかとか、寝顔が見たくてとかで部屋に様子を見に行くとね、シンちゃんがあれを握り締めて寝てたんだよ」
「………」
「ずっと何なんだろうって思ってたけど、ある時お前が『誕生日にすっごくいい物あげるね!』って瞳を輝かせて言ってたから。
『綺麗なんだよ。あそこに飾ってある青い石より綺麗だよ』って言うから、あれがそうかなって思ったんだよ。
でもお前は当日になったら、怒ったような顔をして『プレゼントはないから!』って言ってどこかに行っちゃって。
そうしたらグンちゃんがね、『シンちゃんは本当は伯父様の目の色の石を用意してたのに、どうしたんだろう』って教えてくれたんだよ」

ソファーに腰掛けて懐かしむようにマジックが話す。
シンタローは所在なげな気分で青いガラスを手に包み込んでその掌をジッと見つめていた。

「なんでくれなかったのかな、と思って。
でも“捨てた”って言ってたけど、ある晩やっぱり握り締めて寝てるのを見かけてね、もしかしたらいつかくれるかもしれないってずっと待ってたよ」
「ふーん」
興味なさ気にシンタローは呟く。
ふと時計を見てみると、0時を過ぎていた。
もう今日は12/12、こいつの誕生日だ。
「じゃあやるよ。これ。誕生日プレゼント。丸裸で悪いけどまあいいよな」
マジックの掌に押し付けるように渡した。
マジックは少し驚いたような顔を一瞬してから
「ありがとう」
と微笑んで、そして少し間を置いてから
「なんであの時くれなかったのかな?」
と訪ねてきた。
「忘れた」
とシンタローが答えると、マジックは
「そう」
とだけ言って、その青いガラスを見つめていた。
その顔が、なんだかとても嬉しそうに見えたのがシンタローには少し意外だった。

「そんなの本当はいらねーだろ?あんたもっといいペーパーウェイト持ってるじゃねえか。だから…捨てちまってもいいぜ、それ」
自分では捨てられそうもないので、シンタローはそう言ってみた。
子どもの自分からならともかく、大人の自分からもらってもそう嬉しいものではないだろう。
たくさん必要な物でもないしな。
シンタローはそう思ったのだが
「嬉しいよ。ずっともらえるのを待ってた。なんで急に捨てようとしたのかは…わからないけど、でも捨てないで取っておいてくれてたのが嬉しかったよ」
「ふーん…」
「私の瞳の色に合わせてくれたのが嬉しかったよ。ああ、本当に良く似た色だね。綺麗だよ」
そう言われて改めて見つめてみると、本当に似た色をしている。
マジックが手に持ったガラスの小さなペーパーウェイトの青が、スタンドの光を反射して彼の顔にかかる。
その青い光が同じ色の瞳に反射してるのを見ると綺麗だな、とシンタローは思う。
綺麗だけど、切ない。
大人になって、自分が何故一族の髪と瞳の色を持っていないかの理由は解ってしまったけど、それでもやはり切ない。
切ないと思いながら、でも綺麗だと思って見惚れてしまう。
マジックはしばらくペーパーウェイトを見つめ、愛おしそうに掌に包み込み、そうして軽くキスをしてから
「これはもう私の物だから、お前が預かってて」
と言うと、シンタローの掌を開き、そこにペーパーウェイトを置くと今度はシンタローの手ごと包み込み握り締めた。
「…?」
「これは私の物で、私の瞳だよ。お前の傍に、私の代わりに置いておいて。嫌わないで、ね?」
と囁く。
「あんたにあげたんだから、いらねーんなら捨てろって」
「捨てちゃダメだよ。捨てさせないよ。私の物だからね。いらなくないよ。凄く嬉しいよ。嬉しくて大切な物だからお前に託すんだよ」
マジックは言葉を続ける。
「だってシンタロー、お前はこの石が好きなんだろう?」


別に好きじゃない、とシンタローが言おうとすると
「好きじゃないって言いたそうだね。でも少なくとも子どもの頃のお前は好きだっただろう?好きだから握り締めて、眠ってても離さないくらいギュッと握ってたんじゃないの?」
と問う。
そういえば買ったばかりの頃、握って寝たりして眠ってるうちになくしたらどうしようと思ったが、なくすどころか手から離れていた事もなかった。
あれは我ながら感動したっけ…とシンタローは思い出す。
ここしばらくもそうだ。
目を覚ました時、一度も手から離れてはいなかった。
深く考えた事はなかったが、自分はあの青いガラスのペーパーウェイトが好きなんだろうか。
マジックの瞳と同じ色の。

「私はね、お前の黒い髪と黒い瞳が大好きだよ」
と真っ直ぐな瞳でマジックが言う。
「多分お前が思ってる以上に、私はお前の髪や瞳の色が好きだよ」
いつもみたいにふざけた顔で言えばいいのに。
そうしたらふざけんな!って怒ってウヤムヤにしちまえるのに。
真面目な顔でそんな風に言われて、シンタローはなんと言っていいのかわからなくなり、ただその瞳を見返していた。
(青くて綺麗だな)
そんな事を考えながら。
「だから誕生日プレゼントには黒いペーパーウェイトをちょうだい。そうだね、黒曜石か黒玉のがいいな。そうしたらそれを握り締めて毎日眠るよv」
「はぁ?!」
唐突なマジックのおねだりに思わず聞き返す。
「だからー、ペーパーウェイトならこれをやるって言ってるだろ?」
「それは無期限でシンちゃんに預けたんだから使えないよ。それにそれはシンちゃんの10歳の時のプレゼントでしょ?私が言ってるのは“今”のシンちゃんから欲しいプレゼントだよ」
楽しそうにマジックが言う。
「その青い色はシンちゃんの欲しかった物でしょう?私は黒いのが欲しいよ」
「つまりこれは欲しくなかった、いらなかったって事かよ?」
「違うよ。私はすごく欲しかったんだよ。でもそれはシンちゃんから奪っちゃいけない物だね。だから気持ちだけもらったんだよ」
「気持ち?」
「『パパ大好きv』って気持ち」
シンタローは思わず眼魔砲を撃ちそうになって、マジックが言ってるのが10歳時の自分の気持ちの事だと理解して聞き流す事にした。
確かにあの頃の自分は、この父親が大好きだったかもしれない。
あくまでも『かもしれない』だが!

「まあいいや。とにかく黒いペーパーウェイトが欲しいって事だろ?ガラスでも金属でもいいんだろ?」
「まあそれでもいいけど。でも出来れば黒曜石か黒玉かブラックトパーズか…」
どんどん高価な請求になってきやがるな。シンタローは早々に切り上げる事にした。
「とにかく、だ!この青いのはあんたの物で俺が預かっておくという事だな。そしてあんたは黒いのが欲しいんだな。わかった。じゃあもう話はオシマイ!おやすみ。じゃな!」
マジックを追い出しにかかる。
「えー、冷たいよシンちゃん。せっかく久しぶりにお話してるのに~」
「うるせぇな。明日ってか、今日は仕事なんだよ。俺は疲れてんだから早く寝たいの!仕事が終わったらどうせ誕生パーティーやらされんだろ?その時話せばいいだろ」
「えー…」
「っていうか、あんた疲れてないのかよ?帰ってきたばっかで着替えもしねーで。寝ろよ。もう若くないんだからよ」
「シンちゃんの顔見たら疲れなんて吹っ飛んじゃうよ」
悪びれもせずに言う。
「誕生日に一番最初にシンちゃんの顔を見て声を聞きたかったんだよ」
「はあ…。じゃあもういいだろ。喋ったし」
「そうだね」
まだ何か言いたそうな顔で、それでもマジックは渋々と立ち上がる。
そして部屋を出て行く時に振り向いて
「『誕生日おめでとう』って言ってもらってないね」
と言う。
シンタローは思わずまじまじと相手の顔を見つめてしまった。
「…はぁ?!」
どこの乙女だよ、こいつは?!
「もう0時を過ぎたんだから私の誕生日だよ。おめでとうって言ってよ」
「どうせ朝になったらグンマやキンタローや、すれ違う団員達がみんな言ってくれるぜ?俺も夕食の時にでも言ってやるよ」
「今言ってほしいな。シンちゃんに一番最初に言ってほしいんだよ」
「…ああ…」
別に言ってやってもいいんだが、なんだか二人きりの時に言うのが恥ずかしいような気がしてシンタローはその言葉を避けていたのだ。
どうせ誕生日パーティーやるんだし。
黒いペーパーウェイトを買ってきて、それを渡す時に言ってやればいいかと思っていたのだ。
でも言わないとこのまま部屋に居座られそうだし。
「…………」
しばらく躊躇して、俯いたままぶっきらぼうに
「親父、誕生日おめでとう」
と小さい声で呟いた。
反応がないのでもしかしたら聞こえなかったかもしれない、もう一回言わなきゃなんないのか?と顔を上げれば、嬉しそうな表情のマジックの顔がそこにあった。
「ありがとう、シンタロー」
こいつ、俺が顔を上げるのを待っていやがったな、とちょっとムカつきながら、でもマジックがあまりに嬉しそうな顔をしてるのでまあいいかと思い直した。



やっとマジックが出て行って、静かになった部屋でシンタローは青いガラスを見つめる。
さっきまでずっと握り締めて温くなっていたのがまたヒンヤリと冷たくなっている。
ずっと触れていれば温まるのに、離すとすぐに冷たくなる所なんかマジックにそっくりだな、とシンタローは思った。
青くて冷たくて。

その晩も、また握り締めて眠った。
『だってシンタロー、お前はこの石が好きなんだろう?』
『その青い色はシンちゃんの欲しかった物でしょう?』
マジックの言葉が何度も繰り返される。
そうなのかな…。そうだったのかもな。
トロトロと眠りながらシンタローは考える。

『私はね、お前の黒い髪と黒い瞳が大好きだよ』
その言葉を反芻すると、なんだかひどく嬉しかった。

手の中には青いガラスのヒンヤリとした感触。
明日は(もう今日だが)ペーパーウェイトを買いにいかねーとな。
黒くて手の中に納まるくらいの。

ジンワリと手の中のガラスが温まっていく頃、シンタローは眠りに落ちた。
何か昔の夢を見たような気がするが、覚えてはいない。

シンタローが朝目を覚ました時、やっぱりその青いペーパーウェイトはシンタローの掌に収まったままだった。



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「キンちゃん…来月はお父様の誕生日だよ」
ふと思い出したように、カタカタと目の前の19インチTFTモニタに目をやりながら、後ろの分厚い資料を読みふける従兄弟に話かければ、
「そうだな」
と言葉返ってくるばかり。
先ほどから1時間おきに何度もこれの繰り返し。一向に話は進んでいない。
「何がいいと思う?」
「そうだな…」
一向に進まないと思われた、話し合い(?)もお互いに浮かんだのは一つらしく、手を止めるとグンマは後ろを振り返り、キンタローは資料から視線をグンマにやると……
「やっぱり、お父様といえば………――――」
「マジック叔父貴には………――――」
見事なハモリとともに、あっさりと労せずマジックへのプレゼントは決定。
問題は、それをどうするか?ということだか、
「まぁ…なんとかなるだろう」と一つ頷くと視線を戻し、何事も無かったかのように、作業に戻った。


――――――残すは当日ばかり


+ + +12月12日+ + + + + +

シンタローの総帥室から程近い、畏敬の念を抱かせるような広々とした室内でマジックが、イベントの日程を確認していると軽いノック音が響いた。
「どうぞ」返事を返すと、重々しい胡桃材の扉が開き、満面の笑みを浮かべたグンマが現れた。
「お父様ー。今ちょっといい?」
「お願い」と小首を傾げて、何やら部屋の真ん中へ来て欲しいという息子の言うがままに、扉からさほど遠くないところで立ち止まる。
すると、
「ハッピーバースデー!!お父様!!」
グンマの手元に握られたクラッカーから、パーン!という軽快な音と共に紙吹雪が宙を舞う。
「………」
形のいいブロンドの眉を一瞬潜めると、「ああっ」っと思い出したように短く感嘆の声を漏らした。
髪にかかった紙吹雪を払いながら、室内に漂うクラッカー特有の鼻につく香りを吸い込むと、
「そういえば、今日は私の誕生日だったね」
「ありがとう、グンちゃん。嬉しいよ」と言葉を続けて、目を細めて目の前の息子に優しく笑みを浮かべた。
「えーっ!!お父様、忘れてたの!?絶対覚えていると思ったのに…」
信じられない。っと言いたげな息子の視線を受けて、
「この歳になると、誕生日もないからね。それに、今年はシンちゃんがいないだろう」
シンちゃんがいたら別だよ。っと含ませるような自嘲的な笑みを浮かべると、肩を竦めた。
シンタローがいたならば、これ見よがしに自身の誕生日を大々的にアピールして、祝ってもらおうと画策するところだが…。
その本人が、今日は施設訪問とやられいなければ話は別。
(そういえば、今日は華やかな手紙の束が多くあったのはそのせいか…)
まだ封は開けてはいないが色とりどりの束を思い出した。
(もうすぐだとは思っていたが、まさか今日だったとはね。)
そんなマジックの様子に、エヘヘ。と作戦成功とばかりにグンマは笑みを深める。
「そんなお父様に、僕とキンちゃんからの誕生日プレゼントがあります!!」
キンちゃ~ん!と高い声で、中途半端に開かれた扉に向かって声を張り上げると、扉を開いて荷台を押すキンタローが現れた。
「そんなに、声を出さなくても聞こえてる」
グンマの声が耳に響くのか、眉間の皺を深くしながら額に手をやる。それでも、マジックの前まで荷台を押すと控え目な声で「おめでとうございます」と頭を下げた。
「グンちゃん、キンちゃんありがとう。これまた、随分奮発したのかな?大きい箱だね」
キンタローの押す荷台を見てれば、縦横高さ、1メートル半はあると思われる正方形の箱に、包装紙はなく幅が広い真っ赤なリボンがかけられ、蓋の上で大きな飾り結び。
大きさを除いては、なんら変哲もないプレゼントではあるが…。
その箱をじっと凝視すると、
「グ、グンちゃんこれは何かな?」
深みのある蒼い瞳の上のブロンドの眉を寄せる。
マジックが怪訝がるには訳がある。
マジックを驚かせたのはその大きさもあるが、その大きな箱が先ほどからガタガタと小刻みに揺れているからで…。どうにも、その中のものが故意に揺らしているとしか思えない。
「ふふ、お父様!早く開けてみて」
早く早くと急かすグンマの声に背中を押され、恐る恐る大きなリボンに手をかけると解いていく。
そして、箱と同じく大きな蓋に両手をかけて開けてみると、

そこには――――――――


「し、シンちゃんっ!」
まさかのシンタローの出現に、マジックは思わず息を飲んだ。
箱の中身は、動物でもグンマが作った植物でもない。今は施設訪問でいないはずのシンタローの姿だった。
箱の中には、口をガムテープで塞がれ、15センチ幅のこれまた赤いプレゼント用のリボンが、総帥服の上からシンタローの全身に巻きつき、ご丁寧に頭の上で蝶々結びにされている。
体育座りの姿勢で、拘束されながらも「うーうー」っと唸り、身体を懸命に揺すっている。
箱の中を覗きこむと「テメェの仕業か!!」っと顔を真っ赤に染めて睨みあげるシンタローの漆黒の瞳と視線が絡みあう。
「お父様の誕生日プレゼントっていったら、シンちゃんしか思い当たらなくて…シンちゃんには施設訪問って嘘ついちゃった」
えへ。っと可愛らしく首を傾げる。
「じゃあ、お父様お誕生日おめでとー」と、未だ箱を頭上に掲げたまま、箱の中のシンタローから目が離せないマジックに声をかけて扉が閉まった。

二人が去り、蓋を床に下ろしたマジックと、箱の中で拘束されたシンタロー。
奇妙な静けさが、部屋中に漂っている。

「あとの始末は私の仕事。というわけだね」
小さく呟くと、嵐のようにいなくなった扉に目を向けて溜息をついた。すると、
早く開放しろ!っとでも言うように、一際大きく箱が傾いた。
「はいはい。今自由にしてあげるからね」
そういうと、大きな箱に手をかけた。


「まったく、随分可愛くされてしまったものだね」
「っ、テメェの仕業だろうが!」
 一見普通のリボンかと思われたものは、特殊な素材だったようだ。何重にも巻きつかれたそれは容易に解けはしない。箱は壊したものの、未だ体育座りのままのシンタローと頭上の蝶々結びをみて、マジックが忍び笑いを漏らす。
 マジックの言葉に、多少痛むのかガムテープの跡の口元に手をやりながら、手を動かすマジックを睨みつける。
「パパのせいでは無いよ。あくまで、グンちゃんとキンちゃんからの誕生日プレゼントだよ」
「あっの、奴ら~~~~~~っ!」
 ギリギリと歯軋りする、シンタローを尻目にマジックは言葉を続けた。
「確かに、私の一番喜ぶものではあるが、シンちゃんは既にパパのだから、ちょっと違うよね」
「ふざけんなっっ」
 冗談じゃないとばかりに、シンタローは大きく目を見開くと、顔を真っ赤に染め上げ体を震わせる。
「おや?違うのかい…。それなら、このまま分からせてあげようか。まだ半分以上、巻かれているようだしね…」
 蒼い瞳が冷たく光ると、今まで普通にリボンを解いていた指が厭らしく、生地をすべる。
「っば…か、ふざけんなっ」
 シンタローが猛烈な怒りとともに、怒鳴りあげると冷たく見据えていたマジックの瞳が明るいものへと一変して。
「なんてねっ。びっくりした?」
 あはは。っと笑い声を立てながら、再びスルスルとリボンを解いていく。
「でもね、パパだって怒ってるよ。いくら、グンちゃんやキンちゃんといえども、気を抜きすぎだよ。こんな、パパでもしたことなかったのに…」
「……っはぁぁぁ!?」
 どう反応していいか分からない。唖然と口を開いたままパクパクと口だけを動かして、次の言葉を捜していると
「私がなぜこの据え膳状態で、解いているかわかるかい?」
「はっ?」
「だから、普通ならこんな美味しいシチュエーション見逃すはずがないだろう?」
 頭の蝶々結びを解いて、残すは下半身の拘束のみとなる。肩膝を床につけると、片手をシンタローの膝に置き下から覗き込むように視線を合わせた。
 意味が分からないとばかりに、目をしばたかせるシンタローに「分からないかい?」とマジックは穏やかに言った。
 マジックのオーデコロンがシンタローの鼻を掠めると、官能を誘うような香りに、頭がくらりとする。
「…どうせ、たいした理由じゃねぇだろがっ」
 自分の頬が熱くなるのを意識して、顔を背けるとごまかすように、吐き捨てた。そんな息子の様子などはじめから気にしていなかったのか、過敏に反応する様子に大いに満足したのか、マジックは笑みを深めた。
「私は、自分でするのがいいんであって、誰かにお膳立てしてもらうっていうのは好きじゃないんだよ」
 だからね。っといったん言葉を切ると、「今回もね、私自らシンちゃんにするのはあっても据え膳状態は、いくらグンちゃんからの贈りものといってもね
。…それに、パパなら総帥服の上からじゃなくて、素肌のシンタローの上に赤いリボンを巻きつけたいな。きっと、よく映える」
 なんて、事を囁きながら足首の紐を解くと、見せ付けるように赤いリボンを指先で弄ぶとおもむろにリボンに軽く口付けた。
「ばっ……」
 (グンマもキンタローもそういう意味のプレゼントってことじゃねぇだろ)
 やっぱ、こいつって頭の中桃色だよな…。
 自由になった手で体にまとわりつくリボンを払いのけると、用は無いとばかりに立ち上がりマジックに背を向けようとしたとたん…。
 マジックはシンタローの手首をつかみ、自分の方をむかせた。「出て行く前に、パパにいうことがあるだろう」
「なにが?」
 シンタローは手を振りほどこうとするも、つかまれた手首に力が込められ思わず形のいい眉をひそめた。
「今日は私の誕生日だよ…『パパお誕生日おめでとう』もしくは『パパ大好き』ってお祝いの言葉が欲しいな。あ、語尾にハートマークをつけるのも忘れちゃだめだよ」
(パパ大好きは関係ないだろうがっ!!)
 頭の中で駆け巡る、罵倒とののしりの言葉を寸前のところで飲み込む。も、目の前で蒼い瞳を期待に輝かせている男は、言わないと離す気は無いらしい。
 仕方が無い。とばかりに、大げさなため息をつくと、自然に引きつる頬はそのままに口を開いた。
「Happy BirthDay、アーパー親父」
そう言うと同時に、今までのグンマとキンタローに対する鬱憤を晴らすように、男のわき腹に向かって足を突き出すと不意なことにバランスを崩したマジックを一瞥して部屋を出た。

ドアを閉めると、部屋の中から、「アーパー親父は酷いなぁー」っと情けないマジックの声が微かに聞こえて、シンタローは自嘲的に笑みを浮かべた。
「強要してんじゃねーよ。バ~カ」
(無理強いしなかったら、言わなくもなかったのかも…っなんてな)
ふっと口元を緩めると、従兄弟たちに文句を言うべく廊下を歩き出した。

●Happy BirthDay Magic●
mmm

 幼い頃。
 俺と親父は、遊園地に行った。
 4歳の誕生日、そのお祝いだったのだ。
 あいつも俺も、やけに張り切って、その日を指折り数えて待ったのを覚えている。
 ジェットコースターに乗って、回転木馬に乗って、観覧車に乗って、それからそれから。
 パパと一緒に乗ろうよ、ヤだよ、もう一人で乗れるもん、いいじゃない、楽しいよ、それからそれから。
 当日、華やかな花火が上がって、遊園地は貸切で、親戚その他大勢が俺を祝うために集まって、世界各国の要人までもが押し寄せて、何もかもが予想以上に豪華絢爛で、俺は嬉しくて、結局、遊具になんか何一つ乗らないまま、あいつは人殺しのために立ち去った。



 時は過ぎる。
 すぐに帰ってくると言った男が戻ってきたのは、とっぷりと日が暮れてから、誰も彼もが消えてから、昼間の喧騒が嘘のような静寂が、辺りを包み始めた頃。
 俺付きのSPが、あの場所で総帥がお待ちですと、俺に指し示した。
 それはこの遊園地を見下ろすことのできる、小高い場所。
 夜の闇が立ち込める中を。
 あいつは、赤いペンキが塗られた観覧車前の、赤いベンチに、座って俺を待っていた。
 長い脚を組み、首を少し傾けて、遠い空の向こうを眺めていた。
 俺は、すぐ側まで行ったのだけれど、そんな男の姿を目にして、つい立ち止まって、それから近くの茂みに隠れた。
 がさがさと葉が揺れた。
 待たせた分、俺もあいつを待たせ返してやろうとしたのだ。



 葉の間から覗く、赤い観覧車、赤いベンチ、赤い総帥服。
 茂みの中から長く見つめていると、その色はいつしか、てらてらとぬめって、男の住む世界を思わせる。
 血の色を、思わせる。
 俺から隠したつもりになっている、あいつの世界。
 今、俺の視界の中で、戦場から戻ってきたばかりなのに、何でもない顔をしたあいつ。
 その内、びゅうと冷たい夜の風が吹いて。
 それでも、あいつは、身動き一つしないのだった。
 風が男の金髪を揺らして、頬を打ったけれども、それは風のゆらめきであって息遣いであって、彼自身は決して、息なんかしていないように、生きてなんかいないかのように俺には見えたのだった。
 その横顔に落ちる光の陰影は、男の顔の彫りにあわせて鋭利で、深くて。
 まるで俺の知らない顔を、あいつがしているように、見せたのだ。
 俺は、長い間茂みの中でじっとしていた。
 男の顔を、見つめていた。背筋に冷たいものを、感じていた。
 所詮は子供の感覚だから、実際の時間は解らないけれど、とにかく、長い、長い、間。
 そして風が両手の指なんかでは数え切れないぐらいに、男を打ちすえてから。
 不意に俺は電流にうたれたように立ち上がって。
 茂みから出て、男に近付いたのだ。
 白い顔が振り向いて、見下ろして、『ああ、シンちゃん』とだけ言って、初めて表情を崩して、微笑んだ。
 もういつもの顔だった。
 親父は、俺が隠れていたことなんて、とっくの昔に気付いていたのだろうと思う。
 俺に触れた男の手は、いつにも増してぞっとする程に冷たかった。
 抱き上げられて、ひやりと俺の額に触れた金髪も、冷たかった。
 ああ、この男の身体を冷たくしたのは、俺なのだなと。
 その時、俺は、悟ったのだ。





――夜の遊園地――





「ひどい! ずっと前から約束してたのにっ! ひどいよシンちゃん!」
「仕方ねーだろうが! 仕事入っちまったんだよ!」
「仕方なくない! どうして! 私の誕生日、一緒に遊園地に行ってくれるって、言ったのに――――ッ!」
「ああ――――ッ! もう! じゃあ日程ずらせばいーだろ!」
「駄目だよ! 今日じゃなきゃ! 私の誕生日じゃなくっちゃ、ダメ!」
 俺は耳を塞ぎ、口をひん曲げ、仏頂面。
 出勤前のこの忙しい時間。
 姿見の前で、自分の赤い軍服の襟元を、せっせと直しているその背後で。
「シンちゃんってば!!!」
 延々と俺に訴えかけてくる男。マジック。
 俺の前に後ろに、左に右に。構って攻撃の、なんて激しさ。
 ある意味いつもの光景なのだが、今日は特に酷い。しつこい。粘りやがるなと。
 俺は、がっくりと首を垂れて、溜息をつく。
「ひどいよっ! パパ、楽しみにしてたのにっっ!!! そうだ、今日こそハッキリさせてもらいます!」
 ばん、とマジックが、朝の食卓の並ぶテーブルを、勢いよく叩く音が聞こえた。
 渋々振り向いた俺に、ずずいと迫る真顔。
「シンちゃんは、パパと仕事、どっちが大切なの!?」
「ぬお~~~ッ…アンタがそれを言うか!」
 ワナワナ震える、俺の腕。これから出勤。耐えろ、俺。
「ねえ、どっち! 答えて! 答えて、シンちゃん!」
「仕事」
 どかーん。
 ヤツの両眼が光って、壁に大穴が開いた。
「ああもう、うっせえええええ――――ッッッ!!!」
 我慢できん!
 どかーんずがーんぼかーん!
 お約束で、数発、俺も眼魔砲をお見舞いしてから。
 とっくの昔に仕事に向かった、グンマとキンタローの後を追いかけようと、俺は玄関へと向かう。
「シンちゃん! 待ってよ、シンちゃん!」
 しかし追ってくる。
 煩いワガママ男が追ってくる。
 俺はスタスタ早足で長い廊下を歩きながら、振り向かずに怒鳴りつける。
「うるせえなあ! 誕生日くらい、夕メシの時にケーキ買ってロウソク立てて吹き消して、そんでいいじゃねーかよッ! いい大人がダダこねてんじゃねえ――――ッ!!!」
「だって! だって! シンちゃん、だって~~~~~~!!!」



 俺が総帥一年目の冬。
 あの南国の出来事から迎える、初めての冬。
 12月12日。マジックの誕生日の、朝の会話。
 俺は、この男と遊園地に行くという約束を反故にしたことを、ひたすら責められている。
 なんとか空けた(空けさせられた)今日の午後。
 そこに、今朝早く、新規の仕事が入ってしまったのだ。
 ちなみに行く予定であった遊園地は、俺の4歳の誕生日を祝ったあの場所。すべてが、マジック・セレクション。
「シンちゃん! ひどいよ、シンちゃんってば! こっち向いてよ!」
 イライラしながら、俺は頑張って足を速める。
「たまには断ればいいでしょ、最近は依頼された仕事は全部引き受けてるみたいだし! それかその予定を相手にずらして貰えばいい!」
「ダメに決まってんだろうがああ!」
 なんせ俺は、新任一年目。この正義のお仕置き稼業はなかなかに厳しく、仕事を断っていては、後に響くのは明白だった。
 しかも、相手は大口契約、超VIP。できることなら確保しておきたい客だから、逃すことはできない。
「じゃあいいよ! その相手の所にパパが行って、交渉してきてあげるから! サクっと黙らせてくるよ!」
「だああ――――ッ! 威力業務妨害! ンなコトしやがったら、もう口きいてやんねーからなああああ!!!」
「それはやめて。シンちゃんが口きいてくれなかったら、パパは寂しくって死んじゃうよ! シンちゃんはパパが死んでもいいの? ねえ、死んでもいいのってば!!!」
 俺は地団太を踏む。
 あああ! このバカ! アンタいくつだ! 小学生かよッ!!!
「なんでそんなにアンタはガキっぽいんだァ――――! アンタが我慢すれば全部丸く収まるんだよ、このワガママ親父ッ!!! くっそ、俺ぁ、仕事行くぞ!!!」
 俺は玄関ホールの扉に向かって、駆け出した。
 スーパーダッシュ。
 俺に憧れる団員たちは、俺様のこの鍛え上げられたナイスバディが、日々のマジックとの抗争から生み出されていることを知らない。
 ヒーローの陰の努力、陰の事情は、表に出せないものであることが多い。
「シンちゃん! パパがどうなっても、知らないから!」
「あーあー、うっさい、勝手にしやがれ!」
 最後は喧嘩別れの形で、その朝、俺は家を出た。



 腹が立つ。
 その日の俺は、執務中にペンを3本折って駄目にし、団員訓示で『前総帥の跡を継ぎ』と言うべき所を『前総帥のアホ過ぎ』と言ってしまい、書類のサインがやたら右上がりになってしまった。
 全部あいつのせいだ。
 俺は、思い出す度、ギリギリと唇を噛み締める。
 なんであいつは、ああなのだろう。
 他に対しては基本的に正常だと言えなくもないが、俺に対しては異常極まりない。
 どこのガキだ。俺はあいつの親か。保護者か。
 あんな手のかかる巨大な子供が、生まれた時からオプションってどうよ!
 俺って可哀想。めっちゃ可哀想! なんて運命、どんな運命。
 ひとしきり自分を慰めた後。
 溜息をついて俺は、こうも思った。
 それにな。
 …あんな変なダダのこね方をしなければ、もっと普通に…例えば他の日に埋め合わせをするとか…そんな約束だって、取り付けたり…してやらないことも、なかったのに。
 こっちだって、少しは悪いと思ってるんだから…な。
 いつもあいつのやることは、逆効果なのだと思う。
 俺が怒るのも、優しくなれないのも、全部あいつのせいなのだと。
 俺はそこまで考えてから、くにゃりと自分の手の内で姿を変えた、ガンマ団総帥印の印鑑を、切ない目で眺める。
 また、罪のない文房具を成仏させてしまった。
 経費節減の苦労が、水の泡。
 それもこれも全部、あいつのせい。



 午後からの俺は、くだんの臨時出張。
 飛び立つ飛空艦。待ってろ、依頼者。
 正義の味方にゃ休みはない。カッコ良さの背後に潜む、世知辛さ。わかっちゃいるが、やめられねえ。
 東にヤンキーがガンをつけてくれば、行って退治してやり。
 西にヤクザがいれば、眼魔砲でお仕置きしてやり。
 遠い南に最強ちみっこや犬がいれば、食事を作ってやったことを、そっと思い出したり。
 北にコタロー似の美少年がいれば、無償で力になってやって住所を聞いたり。
 そんな正義のヒーローに、俺はなりたい。
 これが新生ガンマ団総帥である俺の生き方。
 悪いヤツにゃあ、眼魔砲をお見舞いするぜ。
 安心しやがれ、命は取らねえ。見逃してやるから、せいぜい更生するんだナ。
 今日もこんな調子で、悪者のお仕置きに精を出し、俺はくるりと踵を返して、帰途につく。
 艦橋で、黒い革コートを、翻す。
 そんな俺が、緊急発信を受け取ったのは、コートを翻して三歩進んだ頃。
 任務達成の充実感に浸っていた瞬間のことだった。
 キンタローがいつも通りに眉間にシワを寄せて、差し出してきた書面。
『ガンマダン ソウスイドノ オマエノ チチオヤハ アズカッタ』



「何ィッ!」
 その文字が目に入った時、俺は一瞬呆然として、それから身を乗り出したのだけれど。
 後に続く文章を見て、どっと脱力して、イヤになった。
『…ランドニ コラレタシ カイトウ マジカルマジック<ハアト>』



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 そして俺は、結局。
 あの遊園地、その正門前に、突っ立っている。
 夜遅く、とっくに閉まっている時間であるのに、門は開いている。人気はない。
 冬の風が吹いて、はたはたと色とりどりの布を靡かせて、夜に極彩色のイルミネーションをきらめかせていた。
 ファンシーな装飾とヤンキーなざっくばらんさが、絶妙にミックスしたこの空間。
 俺は、懐から携帯を取り出し、短縮ボタンを押して。
 呼び出し音を鳴らし、舌打ちをして、それをもう一度懐に押し込んだ。
 何度マジックに連絡しても、出ないのだ。
 家に電話しても、グンマが『おとーさま、出て行ったきり、帰ってこないんだよぉ~』と言うばかりだ。
 ええい、ちくしょう。めんどくせえ。
 俺が遊園地まで迎えに行かないと、帰らないつもりかよ。
 あいつは意固地な所があるから、一度言い出したら、三日経っても四日経っても帰ってこないに決まってるんだ。
 そして、俺が無視し続けたままだと、世界中のメディアを使って、大々的に誘拐劇を仕立てあげるに決まってるんだ。
 俺は、押し寄せるマスコミを思い、嫌な映像が世界中のスクリーンに垂れ流される光景を思った。
 家庭内喧嘩を世界的事件にまでエスカレートさせるのは、ごめんこうむる。
 でも、あいつなら平気でやりかねない。
 恥ずかしい男。
 だから、こんな時は経験則上、こっちが初期段階で折れておかなければならないのだ。
 ああ、俺って、
 最悪。どうして俺はこんな男に、取り憑かれているんだ。
 一体どうして。



 このまま、帰っちまおうか。
 だが、帰っても家で悶々として、腹を立てるばかりなのは解りきっていたから。
 結局、どんな手段をとっても最後には俺は、あいつを迎えに行くことになる状況な訳で。
 イヤな園児め!
 自問自答しながら、俺は遊園地の門を、しぶしぶ通り抜ける。
 門の内には、微かに、音楽が流れていた。



「…」
 俺は、その耳に触れる旋律を、どこか懐かしいと感じた。
 そういえば。
 この場所に来るのは、20年と…あの南国の地で一回り季節が巡って、あと幾許か振り、だった。
 でも、こんなにこの門は小さかっただろうか。柵はこんなに低くて、塔はこんなに素朴な建物で、煉瓦は煤けていただろうか。
 踏み出すアスファルト。あの時は、駆けると優しい足音がしたはずだったのに。今は、冷たい軍靴の音。
 歳月を経たこと以上に、4歳の頃に眺めた景色は変貌を遂げていて、俺は、それは自分が変わってしまったということだろうかと、瞬きをして思う。
 大人の世界と子供の記憶の、隔絶感が、押し寄せてくる。



 夜の遊園地は、まるで異世界に迷い込んだように、すべてが青褪めて、ほの白く、余所余所しさに覆われていた。
 ひどく静まり返っている。だが時折、風で揺らめく幟が乾いた音をたてる。そして無機質な自分の足音。
 遊具は自動機械化されているのだろうか、係員すらも整備員すらも、人っ子一人、見当たらないのだった。
 空はちょうど新月の頃で、満天の星だけが呼吸をするように光芒を放つ。
 そして地上の輝き。
 きらめく遊具は、自分たちだけのために動きを止めない。
 回転木馬は輝きを振り撒いて回り、小型列車は光のトンネルを潜り抜けて闇をうねる。
 フライングカーペットは舞い上がり、降下し、ただ主人に命ぜられたことを淡々とこなしているように見えた。
 真鍮の柱が、じっと静けさをたたえている。
 ここは、昼間の子供にとっては、夢の世界であるのだ。
 だが、夜は?
 夜の遊園地は、俺にとっては、夢の果ての寂しい世界を想わせた。
 夢が行き着いた先の、その先の宛てのない世界。
「…あいつ、どこに、いるんだろ…」
 ふと、冬の寒さを感じて。
 俺は身を震わせてコートの襟を寄せながら、小さく呟いた。
 声は、ぽつんと唇から飛び出て、側の看板に弾けて地に落ちて、すぐに消えた。
 その瞬間だった。
 俺に向かって、輝く物体が襲い掛ってきたのは。



「…ッ!」
 不意をつかれて俺は、背後に飛び退ってその物体を避ける。
 姿勢を低くし身構えた所に、ブーメランのような楕円軌道に乗って、再びそれが突進してくる。
 今度は前方に倒れ込んで、俺は一回転すると。
 反撃体勢をとってから。
「…」
 それから、静かに立ち上がった。
 その俺の身体を。
 すうっと物体は、すり抜けていった。
 輝きの残像は、揺らめきを残して、アーチの向こうに消えた。
 俺はその正体を悟る。
 イリュージョン。
 よくよく辺りを見回せば、ペガサス、シードラゴン、フェニックス…といったおとぎ話の中の生き物が、七色の輪郭に彩られて、闇の中を駆け回っているのだった。
 幻想の輝き。
 人工的に作られた、夢の世界。
 幼い頃の俺だったら、きっと手を打って喜んだだろうに。
 戦闘態勢なんか取っちまって、俺は何をピリピリしてるんだ。
 幼い頃は…俺は戦いなんか、知らずに。
 …ただ…去っていくあの男の背中から、抱きしめられた時の上着から。
 その匂いだけを敏感に嗅ぎ取っていた…
 もう、俺は夢の世界には戻ることは叶わないのだろうか。
 俺は、夜空を見上げて、ほうと溜息をつくと。
 また歩き出した。
 ――幼い頃は…?
 もう、向かう場所は解っていた。



 遊園地の最奥、なだらかな丘陵に沿った長い坂を上った先に、それはある。
 大きな観覧車の前で、男は俺を待っていた。



 暗がりに、遠目に、その姿が見えて。
 その時の俺の側には、あの時と同じ姿をした、茂みがあった。
 幼い頃、俺がずっと隠れていた、あの葉の繁り。
 遠い距離の記憶。
 そして今。同じ夜の中で。
 俺は、あの時と同じ場所から、男を見つめていたのだ。
 立ち尽くす。どうしてか、背筋を染みとおる何かが通り抜けて、俺の力を奪う。
 俺の視界の中で、いつだって、何でもない顔をしたあいつ。
 どんな瞬間にも、俺からすべてを隠したつもりになっている、あいつ。
 その内、びゅうと冷たい夜の風が吹いて。
 それでも、あいつは、身動き一つしないのだった。
 風が男の髪を揺らして、頬を打ったけれども、それは風のゆらめきであって息遣いであって、彼自身は決して、息なんかしていないように、生きてなんかいないかのように見えるのだった。
 きっと、俺があの時と同じように側に駆け寄るまで。
 男は、このままずっと身動きしないのだ。



「…ッ…!」
 そう感じた瞬間、身体中に力が蘇って、俺は。
 かすかに躊躇したものの、そんな自分を振り切るように、長い道を駆け出した。
 俺の、一族とは違う黒い髪が、なびいた。
 走る度に、俺とあいつの距離が、狭まっていくのを感じた。
 自分の息遣いが、煩い。
 もう、隠れたりなんか、しない。
 男の顔に落ちる光の陰影は、あの時と同じで、その顔の彫りにあわせて鋭利で、深くて。
 だけど今の俺は、もうその顔を知っている。
 その、酷薄な表情を知っている。
 隠されていた罪悪の顔を、知っている――
 昔、俺は、冷たい風に一人吹かれているマジックを、見ているだけだった。
 風に打たれて冷えていく彼の姿を、見つめること。それだけしかできなかった。
 でも今の俺は、同じ風に吹かれたいと。
 そこから助け出すことはできなくても、せめて冷たさに共に打ちすえられていたいと。
 どうしようもなく思っているのだ。



「ここで待っていれば、来てくれると思っていたよ」
 全速力で走って、はあはあと息を切らしている俺に、マジックは何でもない顔をして言う。
 俺は、キッと男を睨みつけた。
 それでも、相手はこう言うのだ。
「お前は、絶対来てくれるってわかっていたから」
「…チッ」
 何を、いけしゃあしゃあと。
 とりあえず俺は、まず怒らなければと思い立ち、懐から通信文を取り出して側のベンチに放り出す。
「アンタ! これ、どーいうつもりだよッ!」
 しかし依然飄々として、あっさりと返ってくる答え。
「ああ、それ。いやあ、危なかったよ! パパ、一回さらわれたんだけれど、縄を切って逃げてきちゃった」
「うっそつけ――――ッ!!!」
「嘘じゃないんだな、これが。ほら、ここに縛られた痕が」
「あああ? どっ、どこにだよ!」
「ほら、ここ。腕の…」
「見えねえよ」
「ここ。ここだって」
 マジックが袖口をずらして、手首を見せようとするから。
 つい、俺は、どれどれと身を乗り出したら。
「つかまえた!」
「!!!」
 覗き込んだ顔を捉えられて、首に腕を回されて、ぎゅっと抱きつかれてしまった。



 ベンチに座ったままの男に、たよりなく引き寄せられてしまう。
 ばふっと俺の顔は、マジックの胸に押し付けられてしまう。
 俺は叫んだ。
「騙しやがったなあああ!!!」
「はは、まさに愛の手管だねえ、今のは。ああー、パパ、シンちゃんとギュッ!ってできて、幸せ~」
「くっ…俺はシアワセじゃね――ッ! 離しやがれぇぇ!!!」
「暴れない、暴れない。どうどう」
 俺を抱きしめ慣れている相手は、すでに反撃のかわし方も心得たもので、この腕からは逃げることはできないのだと俺はわかっている。
 わかっているけど、身をよじる。これは習性。
 相手もわかっているけど、逃げられたら大変だという素振りをする。これも習性。
 習性で、俺とあいつの関係は、成り立っているようなものだ。
「助けに来てくれて、ありがとう」
 そうウインクしてくる男に、俺は舌を出して答えた。
 …マジックの、香りがする。



 お決まりの諍いがあった後に。
 今夜のマジックは俺を図々しく抱きしめたまま、でもちょっと違って、こんな言葉を囁いてきた。
「…観覧車に、一緒に乗ってくれたら。離してあげる」
 そして大きな円形のそれを、感慨深く見上げている。
 ゆっくりゆっくりと、空を巡る、赤い観覧車。
「あああ?」
 俺は、そう乱暴に返事をしたものの、先刻一人待つマジックの姿を見た瞬間から、この男は観覧車に乗りたいのだろうと気付いていたから、それ以上は続けずに、そのまま身を固くしていた。
 抱きこまれている耳元に、低音が響く。
「観覧車。お前と一緒に、乗りたいなあ」
「…」
 俺は、再びあの日を思い出している。
 戦場から帰ってきたこの男を、観覧車の前でひどく待たせた日。
 幼い俺は、こんな風に同じように、この場所で抱きしめられて、そのまま寝入ってしまったのだ。
 だから、あの日。
 俺たちは観覧車にさえ乗らなかった。
 この男と俺の遊園地は、楽しい事前計画の記憶と、場所の記憶だけで終わった。
 俺を抱きしめている男も、あの日を、俺と同じ過去を思い出しているのだろうか。
 だったらいいと、俺は感じた。
 その瞬間、俺と男とは、確かに同じ何かを共有していた。



 抵抗をやめて。
 そっと睫毛を上げて、俺はマジックを見上げた。
 青い瞳が俺を見下ろして、その薄い唇の端が、わずかに上がって、俺たちは至近距離で見詰め合って、そのまま無言の会話を交わしていた。
 喧嘩する時は、あんなに言葉を交錯させあって、それでも解り合うことはできないというのに。
 こんな時は、いつも静かに目配せするだけで、一瞬だ。
 一瞬で、決まる。
 そして、俺たちは観覧車に乗ることにしたのだ。



 自動錠の音がし、扉は閉まって一つの箱となり、俺たちは閉ざされた空間で息をする。
 中の一枚板の座席に、並んで腰掛ける。
 かたかたと獣が凍えて歯を鳴らすように、観覧車は夜に回り始める。
 暗闇に、頼りない小さな箱が、回転していくその不確かさ。
 大地は遠くなり、無人の遊具たちが眼下に小さくなっていく。
 嵌め込まれた窓ガラスが、俺の息で、白く曇った。
 夜は、暗い。
 目を凝らすとずっと先の方で、遠い山の稜線がおぼろげに浮かんでいるのが見えた。
 闇の海の中に、黄金色に輝く街の灯火、港の明かり、光を連ねる高速道路。
 イルミネーションが一際美しいのは。そうだ、クリスマスが近いから。
 俺はそう思いついて、目を細めた。
 コタローの誕生日が、近いから。



「…あんまり側に寄るな」
「仕方ないでしょ、狭いんだから」
「いや、絶対アンタの方、もっと隙間がある! ずれろよ! くっついてくんなって!」
「もう、この子は細かいことに拘るなあ。いいでしょ、だいたい、だいたいで。ぴとvvv」
「うお――ッ! アンタの『だいたい』は、ぴったり密着状態かぁっ! ああもう!」
「誰も見てない、見てない。私たちだけだよ。ねえ、だから」
 ああ、もう、もう。
 そういう問題じゃ、ないっての。
 それもこれも習性。
 そして…俺の胸に沸き起こるこの感情も、習性。



 俺はマジックといるのは、苦手なのだ。
 肌がざわめく。平静ではいられなくなる。
 いつも、悲しくなる。
 切なくなる。
 自分の一番醜い部分が、暴かれていくような気持ちになる。
 特に、こんな、しんとした空間では。
 必死に築き上げている自分が、崩されていく。
 そのことが…悔しくてならないのだ。
 そんな俺の気持ちなんて知りもせず、マジックは暢気に、俺に言う。
「あれ。シンちゃんったら。黙っちゃった」
「…黙って、悪いかよ」
 図々しい男は、俺の肩に、こつんとその金髪を乗せてきた。
 寄りかかってくる。
「重い! アンタ、重いんだよっ!」
 嬉しそうな白い顔が、至近距離から俺を見つめてくる。
「でもパパ、シンちゃんとこうすると、凄く落ち着くんだ」
「く…っ! い、今だけだからな! 調子に乗んな!」
 俺は、ぷいとソッポを向く。
 …だけど、認めたくないのに。
 苦手なのに――同時に、この男の側では。
 側で目蓋を閉じれば、俺は。
 ひどく、安心してしまうのだ…



 今度は、少し間があって。
「シンちゃんったら。目、つむっちゃった」
 そんな声が聞こえたから。
「つむって、悪いかよ!」
 そう叫んで、ギッと目を開けたら、ここぞとばかりに『ん~』とキス寸前の相手の顔があって、俺は思わず飛びのく。
 暴れる俺、ぎゅうぎゅう近付いてくるマジック、押し返す俺、少し笑っているマジック。
「もーう、シンちゃんったら、きかん坊だなあ! あんまりつれないと、この観覧車、天辺までいったら止めちゃうよ! 24時間密室ラブラブ事件の始まりだね!」
「もっと有益なことに使えよ、そのフザけた超能力っ!」
「さあ、ラブの犯人は誰かな! パパかな? それともシンちゃん?」
「あーうっさいうっさいうっさい! これ乗ったら帰るぞ! いいか、俺ぁ、帰るからなッ!!!」
 狭い箱がきしんで揺れて、はめ込まれた窓ガラスが少し曇って、また何事もなかったかのように観覧車は回る。
 夜の風を張らんで、ゆっくり、ゆっくりと立ち昇っていく。
 やがて静かになった二人は、その振動を感じている。
 再び抱き寄せられて、俺は仏頂面で、そのまま黙っていた。
 腰に手を回されたから、お返しに俺は肘でその手に、ぐいぐい圧力をかける。
 でも相手は、堪えない。
 俺はその顔を見ながら、思った。
 ――共犯じゃねえのか。



 そのままずっと、そうしていた。
 不意に、小さな声が聞こえた。
「…さっきは、ごめんね。お前は忙しいのに、無理を言って」
 珍しいと、俺は驚く。
 マジックが、自分の我侭を反省するなんて。そしてそれを俺に言うなんて。
「ケッ! なーにを今更…明日は季節外れの台風でも来ねえだろーな」
「でも今日は、この場所に…お前と、来たかった」



 マジックがこんな話をするのは、初めてだった。
「ずっと昔のこと、お前が生まれる前のことだよ。私が幼い頃…よく家族で、この遊園地に来たんだ。忙しい父と来たのは一度きりだったけど、それからすっかり気に入ったハーレムやサービスが、何かにつけて行きたがってね。だから幼い私たちは、兄弟の誕生日毎に、遊園地に来ていた」
 マジックの父親――つまり俺の祖父にあたる人――が亡くなったのは、彼がごく幼い頃だという事実は、勿論知っていた。
 そしてその幼いまま、おそらく男は総帥となった。
 俺が今、ずっと年長の俺が今、苦しみ悩んでいる責務を、幼い身で男はこなしていた。
「…年の初めに、双子の誕生日、年の半ばに、ルーザーの誕生日、年の終わりに、私の誕生日…」
 歌うように、男は呟いた。
「その儀式も、父が亡くなって、あっさりと終わった。それから長い年月が経って…今度は幼いお前の誕生日に、この場所に来たんだったね」
「…ああ」
「あの時、あんなにお前も私も楽しみにしていたのに。何も乗ることができずに、それっきりになってしまっていた。それが、ずっと…気になっていたよ」
 俺も、とは言えなかった。
「だから、一つの区切りがついた今…昔来た、誕生日の日にね。お前と一緒に、この場所に来たかったのさ」



 男の話を聞いて、何でもない顔をしながら、俺は。
 心の奥で、衝撃を受けている自分を、感じていた。
 マジックにとって、この遊園地は、俺の関係ない思い出の住む、特別な場所であったのだ。
 マジックの愛する父親、幼い頃の兄弟たち、その他たくさんの、俺の手の届かない過去たちの住む場所。
 自分と遊園地に行った時も、この男は別のことを考え、別のものを見ていたのだろうと思うと、俺は悔しくなる。
 側にいる人には俺がどうやっても追いつけない過去があって、絶対に同じものを見ることができない。
 そして今も。
 さっきは、確かに俺たちは、同じ想いを共有していると感じていたのに。
 また、遠くなる――



「ねえ、シンちゃん」
 俺の想いを他所に、声は囁き続ける。
「お願い、パパを甘えさせてよ」
 俺は、ちらりと相手の顔を見た。
 その青い瞳は、うっとりしたまなざしで、俺を見つめてくるのだった。
 熱い色。
 この熱は、俺だけに向けられているのだろうか。
「…私のこと…好きになってよ」
「…」
「いつも、ごめんね。でも…私はお前に子供扱いされたいんだと、思う。『バカヤロー!』って、怒られたい。誰も私を怒ってくれる人なんて、ずっと…ずっと、長い間、いなかったよ。お前に出会うまで」
「…バカ」
「そう。そうやって、怒られないと…私は、また道を間違えてしまうのだと思う…」
「脅迫かよ」
「ああ、その通りかもしれないね。脅迫だって何だってして、私はお前に怒られたい」
 男は息を止めた。
 それから微かに息を吐いて、俺の首筋に、その息がかかった。
 俺の肌は緊張して、次の相手の言葉を待つ。
 その言葉は、闇に溶け込んでいくような甘い響きを含んでいるのだった。
「私はお前に、側にいて欲しい」



 答えない俺に、男は言葉を続けた。
 かたかたと揺れる観覧車の音に、沈んでいくようなその声。
 幼い頃、いつも眠る前に耳元で囁かれていた、その声。
 ――こんな話があるよ。
 不思議な回転木馬の話さ。
 回転木馬が一周する度に、木馬に乗った少年は年を取っていくのさ。
 逆に回転すれば、一つ若返る。そんな、夢の世界の話を、お前は知っている…?
「観覧車でも、同じことが起きたら、素敵だと思わないかい」
 俺は、男を見つめた。
「観覧車が一つ回る度に、私は一つ若返って、お前に近付いていくとしたら」
 …回り巡って、私は子供になりたい。
 幼い子供に戻って、お前に抱きしめて貰いたい。
 幼い頃から、私はずっとお前に会いたかった。
 寂しい時、こんな風に側にいてほしかった。
 だから、今。
 私を抱きしめて。
 そうしたら…後で、私もお前を抱きしめ返してあげるから。
 お前といるとね。お前は私を子供っぽいと言うけれども。
 私はいつも、やり直しているのだと思う。
 失われた、子供時代を。



「大丈夫」
 何故か。
 そんな言葉が、俺の口から、飛び出していた。
 夜を巡る観覧車。
 この観覧車が一つ回れば。
 俺はこの男へと一つ近付くことができるとしたら。
 …回り巡って、俺は。アンタの場所へと、近付きたい…
「アンタはきっと幸せになる」
 アンタが、幸せになったら。
 そうしたら…
「…そうしたら…きっと俺も、幸せになる…」



 いつの間にか、外には粉雪が待っていた。
 空高く白い花弁は舞って、12月の夜を華やかに描く。
 白と黒と輝きの世界。
 俺の夢の世界は、今、ここにある。
 夢の世界は、失われてはいない。
 ひとつひとつ、やり直して、新しく作り上げていくものなのだろうと、思う。
「…きっとクリスマスは、ホワイトクリスマスだね」
 窓の外を、眺めていたら。
 マジックがそう言うから。
 俺は、黙って次の相手の言葉を待った。
 そんな俺を見つめて、男は、微笑んで言った。
「コタローの誕生日には。きっと美しい銀世界が広がっているね。世界は、あの子が目覚めるのを待っている。私も、お前も、そして家族も…あの子を待っているんだ」



 俺は、初めて自分から、相手に身を寄せた。
 金髪の頭に手をあてて、強く引き寄せる。
 胸元に、男を抱きしめた。
 そして囁き返す。
「…アンタ、もう…何かを奪う生活なんて、やめろよ」
 相手は、俺の胸の鼓動を聞いているのだと思う。
 この男の、あの血を思わせる赤い軍服は、今は俺が身に着けている。
 この男の代わりに、身に着けている。
 アンタから、引き受けた…業の象徴。
「何かを奪う生活より…何かを生み出す生活、しろよ」
 破壊から、再生をめざすために。
 夜の狭間から、俺の腕の中から、声がした。
「シンタロー。『何か』なんて曖昧に言わないで」
 俺は息をつく。
 観覧車が回る。
「愛でしょ。私は愛を生み出す人になりたい」



 ――私はいつも、やり直しているよ。
 また、声が聞こえた。
 ――すべてを、ね。
 いつもいつも、私たちは喧嘩しては、やり直しだね。
 繰り返している。
 そしてそのことが、私には嬉しい。
「私は、お前の手で、生まれ変わりたい」



 ――本当は観覧車になんか、乗らなくったって。
 ――お前といれば、私は。
 ねえ、シンタロー。
 私と一緒に、いてくれる?
 そうすれば、それが新しい私の誕生日になる。
 静かな問いかけと共に、男の手がそっと近付いてきて、俺の頬に優しく触れた。
 俺は目を閉じたのだけれど、同時に自分の肌が、びくりと驚きに震えたのを感じていた。
 俺の腕と腰とに挟まれていたせいか、マジックの手は、ひどく熱かった。
 あの時、冷たくなっていた、その過去の手が。
 ああ、この男の身体を熱くしたのは、俺なのだなと。
 その時、俺は、再び悟ったのだ。


kh
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御題01-10 *10-和装 *09-写真 *08-さりげなく *07-半身 *06-一日の終わりに *05-総帥服 *04-しぐさ *03-視線の先に *02-距離 *01-シンクロ
[ キンシン好きに捧げる30のお題  1-10]  //  11-20 21-30

キンシン同盟さまが配布されているお題をお借りしました。キンシン同盟さまは現在閉鎖されております。
1ページを10題ごとに区切り、短めの文章で構成しております。上のプルダウンメニューからどうぞ。

開始日:2004/02/11-終了日:2004/10/20 
  

















[ 01 : シンクロ ]

「なあ……」
「シン……」   
「「……」」


ひとしきり会話もやんで持て余した時は時計がなんとなく目に入る。
たいていその頃はもう眠る刻限で。とくにまたどちらかが相手の部屋に泊まったときだったりする。


そろそろ風呂に入ってきたらどうか、とかベッドに行こうだとか。
誘い合う言葉が重なってしまうと、つい互いに黙り込んでしまうことになる。

こんなときは互いになんとなく気まずく、照れくさい。


[ 02 : 距離]

たまに互いに別々に行動をとるときがある。
たとえばシンタローが商談で、俺が研究のため別の地へと赴く。
あるいは、シンタローも俺も遠征でバラバラに出征するとき。

短いときはせいぜい3日ほど。長いときは何ヶ月も顔を合わせることが出来ない。

会いたいけれど会えない。
声だけ、メールだけ、あるいはそれすらない時間。


シンタローから離れた地でやるべきことが終わったとき、心のうちは歓喜に満たされる。
これで帰れる。ようやく会える。俺の名を呼ぶ声を聞くことが出来る。シンタローを抱きしめることが出来る。

そうなったらもう急いで帰るだけ。



俺の艦のタラップが降りた。
青い空、白い雲、聳え立つ本部。居並ぶ団員、艦や飛行船の発着陸の音。
   
シンタローに会いたい。早く。一秒でも早く。顔を合わせて、抱きしめたい。早く。
募る気持ちを押さえて、冷静さを装って一段一段踏みしめるように降りていく。

本当は駆け下りて、真っ先に彼の元へと行きたい。会えなかった間の飢餓感を早く満たしたいけれど。
   
出迎えご苦労だとか、いなかった間の様子だとか言わなくてはいけないこと、聞かなければいけないことはある。
それらをすべて終わせればあとはもうシンタローまでまっしぐらだ。

俺がどんなにシンタローに会いたかったか。抱きしめたかったか。
彼がいない時間が物足りなかったか。

それらをすべてシンタローに伝えたい。




エレベーターのドアが開いた。彼は私室にいる。
足音はいつもと同じ規則正しい音を刻む。
けして走ったりはしない。
早く会いたい。けれど、こんなにも彼が足りなくて焦ったように欲しがる自分を見せたくない。
   
カツカツ、と床が俺の靴で鳴る。
もうきっとシンタローの部屋までこの音は聞こえている。

ドアが見えた。
あと少し。もう少しだ。

感情のまま急げばいいだけなのに、20cmの距離がもどかしい


[ 03 : 視線の先に ]

従兄弟は俺の髪が好きだ。俺の眼が好きだ。
金色の髪と青い瞳。彼が焦がれて止まないもの。

彼の黒い髪と瞳のほうが綺麗だというのに。
  
一族の誰もが嫌悪する禍々しい青い目をシンタローは焦がれている。
秘石が彼を作っていたことを吹っ切れたようでいても。
彼の父が彼をかわらず愛していても。


シンタローはこの金と青に焦がれ続けている。

ああ、そんな顔で見つめないでくれ。
おまえは単純に俺の色に惹かれて見つめてくれているだけなのに。
誤解してしまう。

この金色も青い色も俺だけが持ってるわけではないのに。


[ 04 : しぐさ]

キンタローはいつもきちっとした格好をしている。
俺が赤い総帥服を着ているときはたいてい暗色系のスーツを。
グンマや高松と研究室にいるときは白衣を羽織り、研究者然としている。


そんなアイツが仕事が終わってネクタイを解く瞬間が好きだ。

羽織っていたジャケットをゆっくり脱いで、几帳面に壁に掛ける。
長い指が布を手繰る。しゅるっとシルクが擦れ、音が鳴る。
それから、第一ボタンだけ外すのだ。

そのしぐさはいつ見ても惚れ惚れする。
だって、アイツはその繊細な指使いで俺を翻弄するから。


[ 05 : 総帥服 ]

その服はなんとなしに違和感を感じた。
総帥の象徴と言えるほどの長い間、伯父が着続けていた所為もあるのだろう。
金色の髪の伯父が着ていたときは派手に感じたその色は、黒い髪ではいくらか落ち着いて見えるはずだった。

けれども、違う。
従兄弟の体を通して見ていた、鏡に映る姿とは違う。深い緑色の団服とも、南の島でのラフな格好とも違う。
なんとはなしに落ち着かないのだ。浮いているとでも言うのだろうか。

「あー、やっぱ似合わねえな」
鏡の前で従兄弟は何度も繰り返す。
自信でも違和感を感じているのだ。なんとなくおかしいと。

「やっぱ、親父の方が似合ってるよな。ちくしょう」
あ~あ、とため息をついて従兄弟は髪をかき上げた。

「たしかに伯父貴の方が似合っていた」
「いちいち言うなよ。馬子にも衣装って言いたいんだろ」
「マゴニモ?」
「似合うようには実績積めってことだよ」

「ちくしょう。ぜってえハーレムあたりに笑われる。てめえはいいよな~、スーツでよ」

……そんなこと言われても困る。

「おまえもスーツにすればよかったじゃないか」
「んなわけにいかねえだろ。総帥なんだからよ」

総帥だからか。だったら…。

「……とことんやるしかないな」
「ああ」


お時間です、と伯父の秘書が入ってきた。  これからシンタローは伯父の跡を継ぐ。

「行くぞ、キンタロー」
最初が肝心だからな、見てろよと従兄弟は笑った。
  

ああ、しっかり見てるさ。誰よりも近い位置でおまえがそれを着こなしていく様を。


[ 06 : 一日の終わりに ]

夜も更けると、そっとドアの開く音がする。
息を殺して彼は近づいてくる。
俺が眠っているか確認して、それから音を立てないようにベッドサイドにしゃがみ込む。

従兄弟は俺の顔を見ている。目を閉じていても彼の視線は強く感じる。
俺はその視線に反応しないように眠っている風を装い続ける。

ばれないように。不自然に見えないように。

ふっとシンタローが小さく息を吐いた。きっとうすく微笑んでくれている。
眠ったままのコタローにしている表情が浮かべられてるのだろう。
   
わずかに風が起こった。
彼の指が俺の頬や前髪に当てられた。
シンタローはやさしく髪を撫でてくれる。いつも、そっとそっと撫でてくれる。

その手はコタローに対して向けられる繊細な手つきと一緒で。
やさしいあたたかみが伝わってくる。


髪にそっと口付けが落とされた。
「おやすみ」という小さな囁きとともに。

シンタローがそっと離れ、ドアへ向かう気配がする。。
おやすみ、シンタロー。
今日もまた狸寝入りがばれなくてよかった。

俺が起きていることをおまえが知ったらきっと怒るだろうな。
照れ隠しに怒鳴りつけて、もう二度としてくれないだろう。


だから、そのときがくるまで俺は眠りを装い続ける。


[ 07 : 半身 ]

24年もの間、彼と共生してきた。
気の遠くなるようなその時間の流れに抗い、恨んだこともある。
従兄弟の檻から解放されたときの歓喜、一人で在ることの愉悦。

けれども、今は。

どろどろとした負の感情。孤独と自由になれないもどかしさと掻き毟りたくなる焦燥感。
それらに閉ざされたあの時間が懐かしく思い出されることがある。

もう二度と二人で一人の体を共有することなどしたくはない。
シンタローの声が、表情が、すべてが手を伸ばすことの出来ない場所にあるのなんて耐えられない。
   

けれども。

あの頃の俺、シンタローの檻に閉ざされ彼からしかなにものも得られない世界を。
誰よりも近くで彼が見たものを見、彼の感情を解していたあの頃が。


たまに酷く懐かしく思い出すことがある。


二人で在る今とはまた違った、誰よりも近かった時間が懐かしい。
思い出すたびにそれは苦く感じるけれど、甘美な記憶


[ 08 : さりげなく ]

「曲がってるぞ」
さりげなく従兄弟が廊下に控えていた団員のタイを直した。
「制服の乱れは集中力の乱れにつながるからな」
気をつけろ、と言い残してシンタローが前を進む。


従兄弟の後を付き従いながら、ちらりと先の団員に目をやると彼は頬を上気させていた。

   
なんだか、おもしろくない。
タイが曲がっていたら直すのは分かる。でも口で言えばいいことだ。
総帥がわざわざ手をかけることもないじゃないか。

なんだか、おもしろくない。

シンタローの後に続いて、会議室を入る。
資料が配られ、某国の情報がスクリーンに投影されても気が晴れない。
グラフも丁寧な説明も新たに浮上した事実も何もかもが頭に入ってこない。
無理やり叩き込もうとしても、靄がかかり集中できない。


なんだか、おもしろくない。

シンタローが他のヤツの世話を焼いたことも、タイを直す所作が手馴れていたことも。
おもしろくない。


[ 09 : 写真 ] R様に捧げます。

崩れ落ちた壁、壊れた機器、がなりたてるように鳴るアラートの中を突き進む。
ここはもうすぐ爆発する。
計算どおりならあと10分。
けれども目的のものを奪うまでは脱出できない。  

螺旋状の階段をひたすら駆け上がる。
   
喚き声、怯える声、声にならない悲鳴が充満する。
俺を認め、ガンマ団の人間が攻めてきたことを理解し逃げ惑う人、人、人。

小銃を構え、ナイフをちらつかせ、俺に向かってくる戦闘員達。
けれど、そんなことでいちいち足を止めることなど出来ない。

タイムリミットまであと10分。いや、もう5分になるか。

掌中に青い光を熾し、撃つ、撃つ、撃つ。
死人さえ出さなければいい。敵が逃げ遅れるのは俺の責任じゃない。とうに勧告はしてある。
第一、破壊しないようになど心を砕く必要はない。
どうせ、もうすぐ爆発するのだ。



廊下はがらんとしていた。
諜報部員の報告書で見た瑠璃色の壷も淡い色彩の絵画も飾られていない。
めぼしいものは運び去ったのだろう。
人っ子ひとりいない。刃向かう敵も逃げ惑う人も何もいない。
俺の逝く手を遮るのは何もない。
   
さあ、急がないと。

眼魔砲の衝撃でドアを壊す。
ばらばらと壁も崩れ落ちた。
天井の照明が破片とともに落ちてくる。バチバチと床に火花が散った。


部屋の中央に置かれた机を引っ掻き回す。
積み上げられた書類をやファイルを捲り、目当てのものを探す。

ない。ない。ない。くそっ。

壊れんばかりの勢いで引き出しを開け、探す。
フロッピーディスクも戦闘員名簿も必要ない。
拳銃も金貨も葉巻も関係ない。鍵の束は……。

次の引き出しにもない。隠してあるのかと思い、天板を拳で打つ。でも、ここにもない。
殴りつけた拳に血が滲む。
けれど、そんなことどうでもいい。探さなくては。

早く早くと気が急く。急ぐあまり、指が縺れる。鋭利な刃物と化した紙で傷つく。
けれど、どうでもいい。



ああ、あった。
三番目の引き出しに目的のものはあった。
   
黒いコートを肩に引っ掛け、きっと見据えている従兄弟の写真。
まだ、どこの組織にも出回っていない彼の顔。

WANTEDと朱で書かれたファイルにそれは綴じられていた。
びりっと、勢いよくそこから剥がし取る。


懐に大事にそれを仕舞う。大事に、そっと仕舞う。
まるで、写真でなく本人を扱うようにそっと。

ああ、よかった。これで、シンタローに危害は及ばない。
爆発音が遠くに聞こえた。
   
さあ、帰ろう。任務完了だ。
帰ろう、シンタローの元へ。


[ 10 : 和装 ] とある方に捧げます。

旅行なんて初めてだった。
従兄弟の視点を通した現実ではなく、自分の目で、足で、手で感じられるようになって久しい。
ひとりで出かけたことも泊りがけの学会も、従兄弟と二人で何日にも及ぶ遠征をこなしたことはある。


だが、こういうのは初めてだ。
ガンマ団の保養所とやらに来たのも初めてだし、本部以外でくつろげるところなどあるとは思ってもいなかった。
最近忙しかったから行ってみようぜ、と従兄弟が俺を誘ったときも、休むならどこにも出かけないほうがいいのにと思っていたくらいだ。

窓の外には雪がちらついている。
美しく刈り込まれた緑色にはらはらと花弁のようにそれは溶けては消えていく。
ぼんやりと外の景色を眺めていると、肩を叩かれた。

「寝てんじゃねえだろうな?」
「誰がだ。俺は別に眠ってなどいない」
「あんまり黙ってるから思っただけだよ、つっかかんなよな」
ほら、早くしろよと彼は続ける。
ばさばさ、と衣服を脱ぎ散らかしはじめたシンタローに俺は慌てた。

「何しているんだ!?」
「…ンだよ。今更、恥ずかしがる仲じゃねえだろ。俺、生き返ったとき素っ裸だったじゃねえか」
「そうじゃない!なんのために脱いでいるんだと聞いているんだ」

まったく訳が分からない。
訝しげに見ていると、スラックスを畳に落としながらシンタローが口を開いた。

「メシ食う前に露天風呂に入るんだよ。温泉はあとでいいとして、内風呂は暇なうちに入っておこうぜ。
ここの温泉、何種類もあるって親父言ってたし。楽しみだよな!俺最近、肩張ってさ。効くといいんだけど。
ああ…内風呂へはそっちのガラスドアからでも出れるから、わざわざ服脱ぐのに脱衣スペースまで行くことねえだろ。
浴衣もタオルもさっき仲居さんが持ってきたまんまだし」

ほら早くしろ、と彼は急きたてる。しかし……。

「そういうものなのか?」
「そういうもんなんだよ。おまえもとっとと脱げよな。あ、タオルで前隠せよ」
「今更恥ずかしがる仲ではなかったんじゃないか……」
「馬ー鹿。常識なんだよ。あとで大浴場行ったときに隠さなかったら恥かくのおまえなんだぞ」

そうなのか…?

「……大浴場には女の子もいるかもしれないからか?」
「ちっげーよ!!普通は男同士でも隠すんだよ!ガンマ団の保養所が混浴なわけねえだろっ」

そういえばそうか。……隠すのは常識なんだな。覚えておこう。
   
「だが、シンタロー。俺は浴衣など着たことないぞ」
パジャマじゃダメなのか、と二組の浴衣を指しながら従兄弟に言うと彼は「ダメだ!」と言った。

「温泉とくりゃ浴衣なんだよ!!着せてやるから心配すんな」

そうか…。温泉とくれば浴衣なんだな。これも常識か。

「わかった。脱ぐから待っててくれ。俺は分からないが、温泉にもいろいろルールがあるんだろう」

シャツに手をかけると、シンタローは「たたむのはあとにしろよ」と口にする。
皺になるのはいやなんだが……。
しかし、仕方ないか。これが温泉での常識ではな。



衣服をすべて取り去り、彼の後に続く。
外の雪は止んでいない。変わらずひらひらと舞っている。ぐずぐずしていると寒いだろう。


「ああ。そうだ、あとで卓球もしようぜ。浴衣に卓球はツキモノだしな!」
ちゃんと着せてやるから心配すんなよ、と彼は笑った。

シンタローが開けたガラス戸から冷たい空気が流れ込む。
素肌にジンジンと冷たい空気が刺してくる。



「極楽だよな~。な、そう思うわねえか?いいだろ?露天風呂も」
「ああ」

俺もシンタローも、雪もすべてが湯煙に包まれる。 
ひんやりと指す空気に触れた後に浸かる湯は、熱く感じた。
熱い、けれど気持ちがいい。張り詰めていた筋肉がすっと解けていく。

「シンタロー」
「ん?」
 
「来てよかった。温泉もいいものだな。風呂とはまた違う」
「ああ。いいだろ?また来ような」
今度はコタローも連れてきてえなー、としみじみと従兄弟は口にした。

ああ。そうだな。今度来るときはコタローも一緒がいい。 

湯煙の中、雪がひらひらと蝶のように舞う。
そのひとひらが、すっと湯に溶けて消えた。






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サマー・ボックス
01:亜熱帯に咲く花温室に置かれた従兄弟の宝物とも言うべき花は今年もひっそりと花開いた。
あの夏を閉じ込めた島でできた小さな友人に貰った花鉢だ。
傘のようにきつく閉じられていたつぼみがゆるゆると緩み、花びらが解けていくのをシンタローは毎日楽しみにしていた。
遠征の時期と重ならなかったのは幸いというべきだろう。
亜熱帯に咲く花は気候の違いからか温室に入れてもあまり長くはもたない。

花が最後のひとひらを鉢の中へと落としたのは今日の昼のことだった。
もっと暑ければもう少し永らえたかもしれない。あるいは、俺かグンマがあの島の気候を再現した部屋を作れば……。
だが、そんなこと今考えても後の祭りだ。
気休めに「また来年の楽しみだな」と俺が声をかけるとシンタローは小さく首を振る。
頷いたのか、と判断は出来るもののかけた言葉に対する答えはない。
黙りこくったまま、シンタローはしばらくの間、その場から動かなかった。


あの島の思い出を浮かべているんだろうか、と俺は従兄弟が口を閉ざしている間考えていた。
青い海と珊瑚礁、白い入道雲。子どもと犬に不思議ないきものたち。
短い夏の間、従兄弟を変え、一族のわだかまりを解き放ったあの島。
島にいた彼らは今どうしているんだろうか、とふと思い浮かべているとじっと落ちた花びらを見つめていたシンタローが静かに口を開いた。

「海が見たい」

海までは車で1時間弱だ。
オフだし何の心配もなくすぐにだって行ける。
けれど、その海は従兄弟が思い浮かぶものとは違う。
熱い大気に包まれ、穏やかな飛沫を上げる海ではない。真っ青なまでに透き通った水を湛えていない。
なにもかもがあの島のものとは違うはずだ。そんなことシンタローだって分かっているはずだ。なのに。


「……海が見たい」
シンタローは花鉢から視線を上げるともう一度そう口にした。
視線の先、空の色は澄んだ青色だ。これだけはあの島と似ているかもしれない。

俺を振り返ったシンタローは混じり気のない黒い瞳を瞬かせた。
なあ、と促される前に俺はジャケットから車のキーを出す。
手にしたキーが太陽にさらされ、鈍いひかりを放つとシンタローは微笑んだ。

「用意いいな、おまえ」

そんなこと、毎年のことだろう。おまえが海を見たいと言い出すのは。
そう言いかけたが、俺はその言葉を口にするのはやめた。

「……偶然、入れっ放しだっただけだ」


02:終わらないサマードライブ潮のにおいはまだ強く感じない。
それでも海に近い場所の風は強く人の肌や車へと吹き付けてくる。

「すげえ風だな」
よせばいいのにシンタローは窓を全開にしていた。
吹きつける風が従兄弟の体越しに俺の頬を撫でる。前髪がふわふわと浮き上がって目にちらつく。
信号に止められてブレーキを踏むと後ろからベスパがゆっくりと近づいてくるのが見えた。
夏の海がこの先にあるというのに道路には俺たちの車と横のベスパしかいない。
土日ならばともかく平日はそんなものかもしれない。
信号が青になるとベスパはぐんとスピードを上げ、それから左折した。
海に行くのは俺たちだけか、と隣を見るとシンタローは風で巻き上がる髪と悪戦苦闘していた。

「閉めたらどうだ」
横目でちらりと見ながら忠告するとシンタローは首を振った。
「せっかく気持ちい風が吹いてるんだぜ」
だが、その風で苦労してるじゃないか。
「髪を結べば……」
「紐もゴムもねえ」
間髪入れず返ってきた答えに俺は「そうか」と答えるしかなかった。



「なあ、あとどんくらいで着くんだよ?」
潮のにおいが少し濃くなってきた。けれど窓の外の景色はまだ殺風景に散らばる住居やコンビニエンスストアばかりで、波も砂浜も見えてこない。閑散とした風景が続いている。

「30分くらいだな」
シンタローは俺の答えにふうんと返事をするとシートを倒した。

「寝るのか?」
「ああ。着いたら起こせよ」
おやすみのキスはいらねえから、とシンタローは悪戯めいた口調で答えた。

「……分かった」
安全運転しろよ、とシンタローは笑いながら目を閉じる。
吹いてきた風が横になったシンタローの髪を巻き上げるのをミラー越しに俺は認めた。
風はシンタローの額をくすぐると俺に辿り着く。
前髪が浮く。くすぐったさに眉を顰めながらハンドルを右に切る。



凪いだ風がいつしか隣の従兄弟の寝息を届ける頃になると、潮のにおいはぐっと強まってきた。
歩道にはいつしか棕櫚の木が植えられ、海までの道のりを南国風に飾っている。
濃い潮風に転寝するシンタローがくんと鼻をひくつかせた。
そんな従兄弟の反応に俺はハンドルを握りながら笑いを噛み殺す。犬みたいだ。
グンマがいたら揶揄ってくれただろう、きっと。


点滅し始めた信号を認めて俺はシンタローから視線を元に戻す。
犬連れの夫婦が渡り終えた信号が赤色になり、俺の前の信号が青に変わる。
ここを渡ればあとは一本道だ。

海までもう少しだ。
車が動き出すとまた窓から風が強く吹き込んできて、潮のにおいを届けてくれた。


03:何処かで失くしたビーチサンダルの片割れ海の家なんてものはなくて、浜辺にはコンビニが一軒寂しく立っているだけだった。
真っ白だったパプワ島の浜辺と違ってベージュと灰色が混じった砂は少し暗く感じる。
靴を脱いで、砂を踏みしめるとさくさくと軽やかな音が足指から零れ落ちた。

「シンタロー」
咎めるような声を受けて俺は「うるせえな」と返した。

「熱ぃ」
「当たり前だ」
「馬鹿、違えよ」
足じゃない、と俺は首を振る。からっからに乾いた空気と暑い日差しが原因だ。
夏の太陽のひかりをたっぷりと浴びた砂は足元から照り返しをしてくれて目にも熱い。
キンタローを見れば彼は眩しそうに目を細めている。
青い目の従兄弟にはこの日差しは強すぎるのだ。

「サングラス持ってくればよかったな」
平気かよ、と視線を送ると平気だと頷かれる。
「おまえこそビーチサンダルを持ってきたらよかったんじゃないか?」
買うか?とコンビニに青い目が視線を送った。
「いや。いい。どうせそんな使うもんじゃねえし、すぐ失くしちまうんだよ。片足だけになってたりな」
だからいらねえ。もう裸足になっちまったし、と俺が言うと従兄弟は「それで裸足でどうする気だ?」と返してきた。

「どうするって、そんなの……」
気分が出ねえから脱いだんだよ、と答えて俺は靴を砂の上に置いた。
それからさくさくと砂の上を進みながら海へ向かおうとする。
すると後ろで俺の靴をそろえていたキンタローからため息が聞こえた。
「なんだよ」
立ち止まるとキンタローはうすい笑みを浮かべながら近づいてきた。
「いや……」
別にと肩を竦めるさまがむかつく。ガキかとでも思ってるんだろう。
目を細めたままキンタローは「濡れると厄介だぞ」と付け加えてきた。

「海に入るわけねえだろ」
近くで見るだけだ。そう答えるとキンタローは鼻で笑った。
信じてねえなこいつ。

「……タオルを買ってくる」
あまりハメを外さないで遊んでいろ、とキンタローは笑って俺の頭をぽんぽんと叩いた。
すっかり子ども扱いしてやがる。

「いらねえよ!」
俺が殴るよりも先にコンビニへと歩き出したキンタローの背に向かって怒鳴ると従兄弟は片手をひらひらと上げた。
その仕草もむかつく。
海になんか入らねえ。
ちょっと波打ち際まで近づいて観察したいだけなんだよ。ちょっと。

「おい!キンタロー!」
呼んでもキンタローの背は遠ざかっていく一方だ。
コンビニの中に消えていく姿を認めて俺は髪をガシガシとかき上げた。
ちくしょう。絶対、濡れねえからな。

止めたいた足を動かして熱い砂の上を俺は歩く。
足の裏がじんじんと熱を持っている。大きな砂の粒を踏むと痛い。
けれど、砂が響かせるさくさくとした音はあの島で聞いた音と同じだ。

少しセンチメンタルな気分で砂の上を歩いていると風に煽られた波が今までよりも大きく浜に打ち付けてきた。

「あ」

波打ち際にいたから頭からずぶ濡れになったわけではない。
けれど。

しっかり濡れた足の爪を見ながら俺は顔を覆った。
やべえ。キンタローのヤツにこれみよがしにタオルを寄越されちまう。


04:今夜、カーニバルで会おう夏の日が落ちるのは遅い。
下手すると夕食のときにも外が明るかったりする。
僕の2人の従兄弟がコンビニの袋を片手に帰ってきたのは夕食の直前で、ちょうど日が落ちたばかりの頃だった。

ナスとひき肉のパスタを片付けた後、シンちゃんは「ほらよ」と僕にコンビニの袋を渡してきた。
大きめの袋だけど軽い。なんだろう。袋に印字された店の名前もこの近くのコンビニとは違う。
どこまで行ってきたの?と聞くとシンちゃんは照れくさそうに「海」と答えた。

「海?ずるーい」
「だから土産買ってきただろ」
コンビニで?なんなの、それ。新発売のお菓子かなんかじゃ僕はごまかされないよ。
そう思ってビニール袋を開けると思いがけないものが入っていた。

「花火?」
「おう。懐かしいだろ」
「うん」

線香花火なんて懐かしい。子どもの頃以来かもしれない。
小学生も高学年になるとシンちゃんは線香花火よりもロケット花火とか派手なものを打ちたがった。
派手なものといえばお父様は夏になるとシンちゃんのために打ち上げ花火をわざわざ上げていたけれど。

「これから温室の前でやろうぜ」
ベランダじゃ狭いだろ、とシンちゃんは僕の肩をぽんと叩いた。うんと同意しながら僕はあれっと思う。
キンちゃんの姿がいつの間にかいなくなっている。

「ねえ」
「あ……アイツ?先にっ行ってバケツに水用意してるんじゃねえの」
気が利くから、とシンちゃんは少し拗ねたように答えた。
それからすぐに温室へと向かうとシンちゃんが言ったとおりバケツを抱えたキンちゃんがいた。





パッケージの中の線香花火は二十本以上入っていたと思うのにあっという間に最後の2本になってしまった。
時間は結構経っているはずなのにとても早く感じる。
シンちゃんが3本いっぺんに火を点けていたのがついさっきのことなのに。

「どうする?おまえ2本いっぺんにやるか?」
「え?いいよ。シンちゃんとキンちゃんがやれば」
僕が答えるとキンちゃんは首を振った。
するとシンちゃんが僕に1本渡してきた。もう1本はシンちゃんの手の中だ。
かち、とライターでキンちゃんが火を点けてくれた。一瞬置いて火花が散る。
オレンジ色の暖かいひかりがまだ少し明るい外を小さく照らす。
ぱちぱちと弾ける様子は花火を始めた頃は楽しかったのに、なぜか今は寂しい気持ちで胸がいっぱいだった。

花火の終わりはいつだって物悲しい。残念な気持ちと、楽しかった気持ちがあっという間に火とともに消えていくからなのか。ぽとり、とシンちゃんの火玉が落ちる。そこだけふっと明かりが戻ったのを僕はぼんやりと見つめた。
僕の花火はまだ消えない。
明るいオレンジの火花をシンちゃんの黒い目が見つめている。
ちらりと見上げてみるとちりとりを持ったままキンちゃんはシンちゃんを見ていた。

花火見てないんだね、キンちゃん……。

「あ」
「え……あ」
シンちゃんの声にはっとして僕は慌てて手元を見た。
ぱちぱちと弾けていた火の玉がコンクリートの上でぼおっとひかりを放っている。
ひかりはじわじわと消えていった。花火は終わりだ。楽しい時間はもう終わり。

立ち上がると僕はバケツの水を手ですくった。火花の落ちたところにそっとかける。
じゅっと小さな音が聞こえ、歪な水の染みがコンクリートに出来上がった。バケツを片付けないといけない。
ふと周りを見るとキンちゃんは花火の残骸を掃除していた。シンちゃんは何もしていない。ぼんやりと僕の前で座り込んでいる。
もう。片付け手伝いなよね、と思いながら僕はちょっとした悪戯心でもう一度水をすくった。

ぱしゃ。

「つ、めてぇッ!おい、グンマ!てめえ!!」
「ボーっとしてるシンちゃんが悪いんだよ。片付け手伝いなよね」
それからこのお水は冷たくないでしょ、と僕は答えた。花火のはじめに汲んだ水はすっかりぬるくなっている。

「冷てえよ、馬鹿!馬鹿グンマ!」
立ち上がったシンちゃんが僕を捕まえようとする。僕は慌ててバケツを抱え込む。

「それ以上近づいたらバケツの水かけるよ!」
大人しくゴミ捨ててきなよね!と僕はべえっと舌を出した。キンちゃんのちりとりはもう終わっちゃった。
ほら、シンちゃんと僕がバケツを頭の上に上げてみるとキンちゃんは僕らの姿を見ながら笑った。


05:乱反射にまどろむ午後さーっとブラインドが巻き上げられて、眩しい日差しが部屋の中を照らした。
誰だよ、勝手に。
擦りながら目を開けると見慣れた姿がある。
従兄弟のキンタローだ。

「キンタロー?」
「ああ」
もう11時だぞ、とキンタローは俺に事も無げに言った。

「今日もオフだからいいが……大分ハメを外したから起き上がれないだろう」
ああ、そうだ。今日もオフだった、と俺は寝ぼけ眼を擦りながら思う。
シーツに触れた肘が何故だか少しひりひりしている。
瞼を擦っていた指先をもう少し上げて髪をかき上げようと動くとひりひりとした感じがもっと強い痛みに変わった。

「痛っ!なんだッ、痛ぇ!」
がばっと起き上がると腰から上に痛みがびりびりと走る。
ベッドを降りようとしても断続的な痛みにもはや声にもならずどうすることもできない。

「筋肉痛と日焼けだ。冷たいシャワーで冷やした方がいい」
鍛えていても普段と違うはしゃぎ方をしたからな、とキンタローは俺に言った。
言われてみれば昼間は海で、夜はグンマと花火の後に追いかけっこをしたんだった。
けれど淡々と言うその口調が今は痛みを余計に感じさせる。肌だけじゃなくて耳が痛い。

「……痛ぇ」
そっと床に足をつけるとひんやりとした感触がした。
フローリングの床は冷たくて気持ちがいい。そのままベッドに腰掛けているとキンタローが手を差し出してきた。

「ゆっくり起き上がったほうがいいぞ」
「ああ」
サンキュと俺はキンタローの手を握った。指先がフローリングの床と同じくらいひやりとしている。

「お前の手、冷てえ」
「さっき洗濯物を干したばかりだ」
だからじゃないのか、とキンタローは首を傾げた。
「そうかよ」
まあ、いいけどと俺はそっと腰を上げる。

「なあ、手そのままでいろよ」
ぺたりと床を踏み出すと一瞬離れていた冷たい感触が足にもう一度吸い付く。

「別にかまわないが、俺は一緒に水は浴びないぞ」
キンタローの言葉に俺は当たり前だろ、とうっかりキンタローの手を払ってしまい鋭い痛みを感じた。
あ~も~。痛みが引くまで気が抜けねえじゃねえか。くそ!

蹲りたくなる気持ちを抑えて俺は一人でシャワーに向かう。
そっと歩く俺を追い越してキンタローは昼食は俺が作ると笑いながら出て行った。
去り際におまけとばかりに手を握られ、手の甲に軽いキスが落とされた。

ちくしょう。むかつく。一瞬触れた手が冷たくて気持ちいと思ったこともむかついて仕方がない。
むかつくあまり、口唇が落とされた手の甲をごしごしともう片方の手で拭って俺は再び後悔した。

なんでこんなとこまで焼けてるんだよ!!痛えじゃねえか!

ちくしょう!と思いながら俺はゆっくりシャワーへと向かった。
水を浴びればどうにかなる、たぶん。少しは治まるはずだ。

今日は無理でも後で覚えとけよ、と俺はキンタローのことを考えながらバスルームのドアを開けた。
いつか絶対同じ目にあわせてやる、と思いながら俺はそろそろとパジャマを脱ごうと体を動かした。

熱い痛みが走って泣きたくなるのを堪えながら俺はその場に着ていたものを脱ぎ散らかした。


 初出:2006/08/03
be in love with flower様よりお題をお借りしました。
 
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