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 どうにも忘れようもない特徴のあることばづかいに、シンタローの脳裏につい先日のいまいましい記憶がよみがえった。関わりあいになりたくもなかったが、四尺と離れていないすぐ近くにいるうえ、騒がれると非常に困るので無視するわけにもいかない。
 わきあがってきた腹立たしさを押さえつけ、不承不承、シンタローが後ろを向くと、はたして片目に鬱陶しく前髪がかぶさった山伏が腕を組んで立っていた。どうやら、笈や杖はどこかに置いてきたらしく身軽な姿であった。
 「テメー、なんでこんなとこに居やがる……」
 思いっきり眇めた目でシンタローがアラシヤマを睨むと、
 「なんどすの、その態度?」
 と不機嫌そうに山伏はいった。そして、わざとらしくため息をついた。
 「あんさん自分からわてに迫っておいて、なんやのあの仕打ち?わて、あの後商いの話があったんどすえ?わて、泥池で服のまま泳ぐ趣味はあいにく持ち合わせておりまへんで……」
 シンタローは、恨みがましげにじっとみつめてくるアラシヤマの視線を切り捨てるような口調で、
 「それがどうした?テメェの都合なんざ知ったこっちゃねぇな!」
 といった。声はあくまで抑えたままである。
 それを聞いたアラシヤマは目を細め、口角をつりあげた。
 「あんさん、つくづく可愛げがおまへんなぁ……」
 「ああ゛?可愛げだぁ!?てめぇキショイこと言ってんじゃねーヨ!ったく、うでに鳥肌がたつぜッ!!」
 そういってむきになったように腕をするシンタローを眺めつつ、アラシヤマは無表情に片手を差し出した。
 「―――あんだよ?この手は」
 「返しておくれやす、金」
 「…………」
 「そら、当然でっしゃろ?あんさんを抱いてもおまへんのに、金だけ払うとはおかしな話どす。何が何でも金を返さへんいわはるんなら、体で支払ってもらいますえ?体で、というんは別にあんさんが屍でもええんやけどナ」
 一歩、アラシヤマは間合いを詰めた。
 (この俺様がこんな野郎になんざ負けるはずはねぇけど、コイツ、かなり強えーな……)
 おそらく本気の殺気をぶつけてくるアラシヤマを睨みつけながら、シンタローは考えをめぐらせた。
 (眼魔砲は……、無理か)
 体術戦をこの場で繰り広げるというのも同様である。シンタローとしては騒ぎを起こして見つかるのだけはどうしても避けたかった。再び機を見て出直してくるなどの時間も余裕もない。なれば、金を返してでもアラシヤマを説得して事をおさめるよりほか、すべはなさそうであった。
 (すっげームカつくけど、コイツの金なんざ持ってても仕方ねぇしナ)
 おい、と声をかけると、男は無言のまま(何だ?)と目で問い返してきた。
 「今はお前の金は持ってきてねぇけど、また日をあらためて返してやっから、今日はあきらめてくんねぇ?えーと、俺達ってさ、ホラ、友達ダロ?」
 シンタローは、かなり苦しまぎれな言い訳かと自分自身思ったが、アラシヤマの方を見やると俯いて、握りしめた拳をふるわせている。
 (―――そら納得できねーよなぁ。俺だって同じこと言われても殴るだろうし)
 おそらく数秒後には激怒してこちらへと向かってくるであろうアラシヤマの行動を予想し、心中で(なんでよりによってこんなヤツに出会っちまったんだ?とことんついてねぇ)と息を吐いたシンタローは、アラシヤマがいつ仕掛けてきても対応できるよう心構えをした。
 何やらブツブツ小声でひとりごちていたアラシヤマは、いきなり顔を上げた。
 「シンタローはんッツ!」
 ものすごい勢いで間合いをつめたアラシヤマは、シンタローの片手をとり、両手で握りしめた。少し汗ばんだ男の掌に自分の手を包まれるというのも気味が悪く、シンタローは正直すぐさまにでもふりはらいたかったが、そうするとなんだかまずいような気がしたので、
 「……何だ?離せよ」
 と、眉根を寄せて咎めるだけで我慢した。
 「ほ、ほんまに、わてら友達なんどすなっ?」
 一片たりとも嘘は見逃さないといった様子で、アラシヤマは食い入るようにシンタローの顔をみている。思いもよらない反応であった。
 「あ、ああ。まぁ一応な」
 何とか、シンタローはそう答えた。すると、アラシヤマの顔から険しさが拭い去ったかのように消えた。
 「わて、生まれて初めて人間のお友達ができましたえ~!!やっぱり、シンタローはんとわては運命の赤い糸で固く結ばれているんどす……!!」
 と、叫んだ。とにかく尋常ではない喜びようである。
 「うるせえっ!見つかったらどーすんだッ!?」
 握られたままであった手をふりはらい、アラシヤマの頭を一発殴ったシンタローは、それでも嬉しそうに殴られた箇所をさすりながらにやついている山伏を見て、
 (なんか、俺、すっげぇマズイこと言っちまったか……?)
 いまさらながら、この暑さにも関わらず背中に冷たい汗がつたい落ちるような心持ちがした。



 障子をたてきった部屋の中央、脇息に片身をもたせかけた武士が憔悴しきった様子で座していた。
 目はどこを見ているものか虚ろであり、表情に生気はなかったが、刀の鞘をつかむ指には筋の浮くほど力が入っている。
 (遅い、十太夫は来ぬか……)
 暇を願い出るものが続出し、もはや屋敷には用人の柴田しか残っていないはずであった。ここ数日、用人が彼の身の回りの世話をしていた。
 播磨の神経は過敏にすぎるほど研ぎ澄まされていたが、廊下を歩く柴田の少し慌て気味の足音は一向に聞こえてこない。
 播磨は、ほう、と息を吐いた。
 (―――ああ、わしが斬ったのであったな)
 と、数刻前の事実を思い出した。
 

 播磨は斬った使用人達の亡骸の臭気がひどくなってきたことを十太夫に諭され、放置しておいた亡骸を十太夫と共に集め、土蔵に運び入れた。
 十太夫が鍵を閉めている間、播磨は後ろに立っていたが、
 「播磨様……」
 と十太夫から聞き覚えのある女の声で呼びかけられた。
 (さては、菊が十太夫に化けておったか!?)
 播磨は背筋が凍りつく思いがした。カチリ、と刀の鯉口を切ったが、十太夫は気づく様子はない。
 慎重に様子をうかがうと、十太夫は不審げに振り向き、もう一度女の声で
 「どうなされた、播磨様?」
 と云ったので、播磨は夢中で柄に白い布の巻かれた刀を振り下ろした。
 

 幻惑は消え去ったかと期待したが、土蔵の前の石畳の上には用人が横たわるのみであった。
 播磨は、
 「わあぁぁぁッツ!!」
 声を上げ、なりふりかまわずその場から逃げ出した。


 (菊め、どこまでわしを苦しめれば気が済むのだ?)
 播磨は、蒸し暑い空気の中、ぼんやりとそう思った。しかし、その後とくに述懐がわいてくるわけでもなかった。
 そのまま放心したように播磨は座り続けていたが、幾時過ぎた頃か、ふと辺りの空気が水気を含んだかのように重くなり、めまいがした。
 顔を上げると、数尺と離れていない辺りに髪が解けておどろに垂れた女が立っている。女は青白い顔でじっと播磨を見ていた。
 「播磨様、むかえに参りしぞや」
 か細い声で、女はそう云った。
 「何ともうらみがましいことよのう……」
 播磨は、脇息にもたせかけていた体を起こした。
 「播磨様」
 切々とした声で女が呼ぶ。
 「そちは、そちを斬ったわしがそれほどまでに憎いか!?答えよ、菊ッツ!!」
 厳しく声を励まし、播磨は刀を杖代わりに立ち上がろうとした。
 「そうではござりませぬ」
 女がかぶりを振ると、ぽたぽたと髪の先から雫が畳に落ちた。
 「あなた様は浄土へは行けませぬ。ならば菊とともに奈落へ参りましょうぞ」
 女は手を差し伸べすうっと播磨との間の距離を縮めた。
 「わしは行かぬ!行くならそち一人でゆけいッツ!」
 播磨が抜刀し、女に切りかかると、女の姿は掻き消えるように無くなった。
 畳の上には所々水溜りができ、播磨は張り詰めた糸が切れたかのようにその場に座り込んだ。



 「さっきの、やっぱナシな!」
 「ええー、ひどうおます~!!武士に二言はないていいますえ?シンタローはんは武士とちゃいますのんッ!?」
 「それとこれとは別だッ!男にはどーしても、つー時があんだヨ!」
 「わてら修験の間でも、一度いうたことは取り消せまへんのやで?せやから、あんさんとわては、とととと友達どすえー!」
 嬉しそうにそう云う山伏を相手にせず、シンタローが背を向けて歩き出すと、アラシヤマも後に続いた。
 「ついてくんなよっ!」
 シンタローが振り返ってアラシヤマを睨みつけると、 
 「わ、わても、ここの家に一寸用があるんどす……」
 シンタローと目が合ったことにうろたえたらしく、おろおろと視線をさまよわせながらアラシヤマはそう答えた。
 どのような理由からか頬を赤らめているアラシヤマを見ているのも気味が悪かったので、シンタローは視線をそらし、
 「勝手にしろッツ!」
 そう小声で言うと、母屋の濡れ縁に足をかけた。
 「シンタローはん、そない堂々とあがらはってもええんどすか?」
 「非常事態だからいーんだよ。それに、屋敷全体に人の気配が感じられねーからナ」
 アラシヤマの同行を認めたわけでもなかったが、話しかけられるとつい返答をしてしまった自分にシンタローは顔を顰めた。
 (そういや、コイツが突然現れやがったせいで土蔵の中を確かめなかったな。男が一人死んでたけど、あれがミヤギが言ってた用人かもナ。先にそっちを見ておくか?)
 庭に下りようとすると、中の様子をうかがっていたアラシヤマが、
 「シンタローはん」
 と、シンタローの腕を掴んだ。
 「離せ」
 シンタローが腕を振り払うと、アラシヤマは真面目な面持ちで、
 「中からこの世のもんやない気配がします。お願いどすから、わてから離れんといておくんなはれ」
 と云った。







  

 母屋の中に入り込むと水気をふくんだ空気がベタベタと肌にまつわりつき、外よりも蒸し暑く感じられた。あいかわらず、人が住んでいるようではなく、かなり前から空き家のような荒れた気配がした。 
 勝手知ったる家であるかのように次々と襖をあけはなちながら迷いのない足取りで歩くアラシヤマの後から、シンタローは(何か、納得いかねぇナ)と思いながらついていったが、急にアラシヤマは立ち止まった。
 「ここどす」
 シンタローを振り返ると、アラシヤマは襖障子を引き開け一歩足を踏み入れた。
 そこには、仏壇から畳敷へとただよい流れる線香の白い煙の中、女がひっそりと座っていた。
 俯いた顔にはもつれた黒髪がかかり、桔梗色の着物から水がしたたっている。すでに、女の周りには水だまりができていた。
 何よりも尋常でないのは、女の姿を透して向こう側の山梨色の壁がぼんやりと見えていることであった。
 女は、シンタローとアラシヤマが部屋に入ったことを気にするでもなく、
 「一つ、二つ、三つ…」
 細い声で、繰り返し繰り返し皿を数えていた。
 皿は全部で5枚しかなく、5枚数え終わると女は悲しげな顔になり、もう一度最初から数え直す。
 アラシヤマは女を見て目を細めた。
 「―――ああ、今日は知り合いによおけ会いますな」
 と、いうアラシヤマをシンタローは胡散臭そうに見たが、アラシヤマは気づいた様子はない。
 「つくづく、幸の薄いおなごやなぁ……」
 どうやら独り言らしかったが、少し憂鬱そうな、相手を憐れむような響きに聞こえた。
 「おい、コイツは……」
 「本来やったら、故人に縁のあるもんか、わてらみたいな修行をした連中にしか見えへんはずなんやけど、あんさんにも視えてはるんどすな」
 「ああ」
 「お察しのとおり、幽霊どす。……退治しても、このぶんやと金は出そうにおまへんなぁ」
 淡々とそう言ったアラシヤマの声音には、さきほどまでの情のようなものは一切感じられなかった。
 「―――そういやオマエ、一応山伏だよナ?なんつーか、経を読んだり祈祷とかできねーのかヨ!?」
 思わず、といった様子でシンタローがアラシヤマの胸倉をひっつかむとアラシヤマはシンタローとは目を合わさず、
 「まぁ、できへんこともおまへんけど……」
 と、気が乗らなさそうに言った。
 「なら、成仏させてやるとかなんとかしろッ!テメーはこの女と知り合いなんだろ!?」
 シンタローが怒鳴ると、アラシヤマは襟元をつかんでいるシンタローの手に上からそっと自分の手を沿え、
 「し、シンタローはんッ!それってもしかするとひょっとして、ヤキモチなんどすかぁ!?かいらしおす……!」
 と、頬を染めて言った。
 「安心しておくんなはれ!知り合いいうても通りすがりみたいなもんで、わての心友はあんさんだけどすvあ、それとシンタローはん。いくら幽霊でも人を指さしたら、行儀わるいんとちがいます?」
 シンタローは嬉しそうなアラシヤマの胸倉をつきはなしざま、右手で思いっきりアラシヤマの頬を殴った。アラシヤマは襖に背をぶつけ、ずるずると座り込んだ。
 「いきなり、なっ、何しはりますのんッ!?ひどうおすー!!」
 アラシヤマを冷たく見下ろし、
 「心底、うぜェ」
 と言い切ったシンタローは、なにやら落ち込んでいるらしいアラシヤマを放っておき、女の幽霊の方へと向き直った。
 (ミヤギの言ってた化け物ってこの女のことか?でも、襲ってもこねぇで皿ばかり数えているヤツをいきなり刀で斬ったり眼魔砲で撃つってのもなぁ……。何とかなんねーのか?)
 女は、相変わらず皿を数えており、周りに目を向ける様子はない。
 「―――おい、あんた」
 「道理を説くつもりなら無駄どすえ」
 いきなり下方から声がした。アラシヤマが真面目な顔でシンタローを見上げている。
 「ああ゛?」
 「この幽霊は見かけよりもやっかいなんや。今はおとなしゅう見えますけど、何人も取殺した怨霊なんどす。シンタローはん、ここは大親友のわてにまかせておくんなはれ」
 アラシヤマは身を起こすと立ち上がり、
 「手ぇ、ちょっと拝借してもよろしおすか?」
 と、シンタローの片手首に懐から出した最多角念珠を三重に巻きつけた。


 「また会いましたナ。まさか亡くなってはるとは思いもよりまへんどしたが。あんたはんのせいで屋敷のもんもおらんようになって、わての計画が台無しやんか」
 アラシヤマの声が届いたのかどうか、女は皿を数えるのをやめたが、依然として俯いたままである。
 「まぁ、この際ゆうれんでも何でもかまいまへんわ。代金さえ払うたら、あんたはんの望みを叶えてあげてもよろしおますえ?」
 初めて女は顔を上げ、アラシヤマを見た。生気の全く感じられない青白い顔である。
 「ただし、高うおますけどナ」
 (まかせろって、幽霊から金をまきあげんのかよ……)
 一歩下がって腕組し、そのやりとりを眺めていたシンタローはため息をついた。
 「オマエよぉ……」
 「なんどすの、シンタローはん?その呆れた目は!?だって、商売どすもん!わては幽霊だろうが、豆狸だろーが、払うもんはキッチリ払ってもらいますえー!自分を安売りせぇへん主義なんどすッ!」
 「逆切れすんじゃねぇッツ!!そもそも、いばるようなことでもねーだろ!?」
 振り向いたアラシヤマの頭をシンタローがはたく様子を、女はじっと見ている。
 そして、不意に、女とシンタローの目がかち合った。
 「アンタ、何があったか知んねーが、とっとと成仏したらどうだ?供養しろっつーんならしてやる!こんな胡散臭い根暗野郎と係わりあってもぜってーろくなことになんねーぞ?」
 女は答えない。
 「あの、胡散臭い根暗野郎って、ちょっとどころやなくひどうおへんか……?」
 というおずおずとした声が傍らから聞こえたが、シンタローは無視した。


 相変わらず押し黙ったまま、女は皿が入った桐箱をアラシヤマの方へと押しやった。
 「青山家伝来の高麗皿5枚どすか。陽刻花模様の高麗青磁か……まぁまぁやナ。それで、自分を殺した憎い男への無念を晴らしてほしいんどすか?」
 幽霊はゆっくりと首を横に振った。
 「播磨様と、いっしょになりたい」
 「―――わかりました」
 無表情にアラシヤマがそう言うと、女の姿がすうっと消えた。
 風もないのに、仏壇においてあった子どもの玩具らしい風車が畳の上に転がり落ちた。
 それを拾ったアラシヤマは、
 「取引、成立どす」
 と云った。


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 「暑っちい…」
 シンタローは、こめかみを伝う汗を腕でぬぐった。
 寺といえば谷中や上野、という人宿のことばに背を押され、谷中の寺をまわってはみたものの売り上げはいまのところわずかであった。
 (高く売りつけろっつーてもよ、限度があんダロ?せめて、菓子とかだったらな…。パプワとチャッピーに持って帰ってやれんのに)
 重箱に入っている線香もろうそくもあまり上等な品ではない。シンタローなりに値段を上乗せしてはみたが特別わりのいい商売とも思えなかった。
 (人宿の野郎、何であんなに喜んでやがったんだ?)
 油断も隙もない老人が嬉しがっている時は、十中八九ろくでもないことである場合が多い。そして、人宿だけではなく寺で応対に出てきた坊主どもの態度も気になった。ある僧など線香とろうそくを買ってくれたはいいが、シンタローをジロジロとみて、
 「あと十ほど若かったら…」
 などと溜め息を吐くのである。なんとはなしに気に食わず、坊主を睨み返すと怯えたようにあわてて顔をそむけてしまったが。


 日も高くなり土の道には陽炎がたちのぼっている。昼時でもあったので寺を辞し、シンタローは不忍池のほとりで休むこととした。炎天下、あたりに人の姿は見あたらない。
 柳の木の根元に座ると、茂った葉が影を落とし池の上を吹きわたる風が涼しかった。
 シンタローが目を閉じ木の幹にもたれると、不意に、
 「あんさん、売れまへんやろ?」
 と、底意地の悪そうな男の声がした。


 目を開けると、眼前にはいつのまにか男が座っていた。頭には黒布の兜布をかぶり、結袈裟や鈴懸を身につけている姿をみるとどうやら山伏らしい。傍らには、金剛杖と木でできた笈、何やら丸みを帯びた凸凹のある黒い襤褸袋がおいてあった。
 気配が感じ取れなかったことに驚き、少し警戒しつつ、シンタローが
 「何だてめぇ?」
 と問うと、男はニヤニヤしながら、
 「見てのとおりどす。なんやけったいなころあいのもんがおるなぁ、と思いまして」
 そう、小馬鹿にしたように答えた。
 「……退け、邪魔だ」
 シンタローが睨みつけると、男はますます楽しげに身を乗り出し、
 「そら、寺の軟弱な坊主どもにはとうてい無理な話や。……そやなぁ、わてが買うたげてもよろしおますえ?」
 と云う。
 シンタローは、少し俯き思案した。男はどういうつもりかは知らないが、自分が困ったり怒ったりする様子を見て馬鹿にしたいのだろう、ということは容易に想像がついた。男を殴ることは簡単であったが、それぐらいでは腹立ちが収まりそうにない。
 (この野郎。カンペキおちょくってやがる上、買う気がねーの見えみえだな。でも超ムカつくし。…そうだ、この野郎に線香と蝋燭を押し付けて有り金全部を巻き上げてやるか?うん、まぁアリだナ!)
 シンタローは俯いたまま小さく笑んだ。そして、顔を上げると、
 「えっ、本当か?」
 と、とびきりの笑顔を見せた。もちろん作り笑顔であったが、男は予想外に動揺し、全く気づかなかったようすである。
 「いや、あの、あんさんなぁ、冗談にきまって…」
 「もちろん、男に二言はねーよナ?そこまで言うなら、オマエに買ってもらおうじゃねーか?」
 男は傍にあった笈をものすごい勢いで開くと、中から何かを掴みだした。
 (武器か…!?)
 シンタローは身構えたが、男は何故かそのまま柳の木の後ろに駆け込み、何かと会話しているようであった。時折、「トージ君っ、それはせっしょうな話どす~!」などという声が聞こえた。
 (何か、すげーキモイ野郎だよな…。関わりあいにならねー方がいいかも)
 シンタローがその場を離れようと立ち上がり、重箱を掴むと、ちょうど男が戻ってきた。手には木でできた人形らしきものを持っている。先程笈のなかから取り出したのは この人形のようであった。
 男はシンタローの全身を上から下まで見て、
 「買いますさかい」
 と云った。
 「え?やっぱ、別にいい。さっきの言葉にひっこみがつかなくなっただけなら、取り消してやっから。それにテメー、見たとこそんなに金も持ってねーダロ?」
 「馬鹿にせんといておくれやす」
 そう言って、男は懐から皮の小袋を取り出し、シンタローの方に放った。シンタローは片手で受け取ったが、ずしり、と重い。
 (小判か?)
 「それでも足りへんかったら、わての商談が終わってから払いますさかい。だから、買わせておくれやす」
 と、男は言った。さきほどまでとは様子が違ってからかうでもない。
 「まぁ、いいけどよ…」
 (とりあえず、ろうそくと線香をコイツに全部やればいいのか?)
 何が男の気持ちをひるがえしたものか、シンタローには皆目見当もつかなかったが、とりあえず地面に重箱を下ろし、しゃがんで線香とろうそくを包み始めた。
 男は、立ったままシンタローの後姿をじっとながめていた。
 「あんさん、名前なんていいますのん?わて、アラシヤマといいます」
 「シンタロー」
 「はぁ、シンタローはんいうんどすか。もしかしてシンタローはんは素人どすか?わてには長年この商売をしてはるお人のようには見えへんのやけど…」
 「素人とかそんなの関係ねーダロ?こちとら、生活のためにやってんだ」
 「―――何で、わてに買うてほしいって思わはったんどすか?」
 (買ってほしいんじゃなくて、テメーがムカついたから、とは言えねぇよナ。いまさら金返せとか言われたら困るし)
 「理由なんてどーでもいいだろ」
 「あっ、もしかするとひょっとして、運命を感じちゃったってアレどすか!わてもシンタローはんに会うたのは運命やと思いますえー!」
 「あっそう」
 シンタローは、三つめのろうそく包みをつくるのに必死でアラシヤマの言葉をほとんど聴いてなかった。少し傾斜のついた道の上ではろうそくは転がりやすく、包みにくい。
 「あの、早うしてもらえまへんか?」
 「ちょっと待て、くそっ、結構むずかしーナ」
 「待ちきれまへん。少々味見を」
 いつのまにか背後から近づいたアラシヤマがシンタローの腹に腕をまわし、首筋に顔をうずめるとシンタローの身体が兎のようにはねた。
 「……ああ、上玉どすな。トージ君のアドバイスに間違いはおまへん!わてはラッキーどすぅ~vvv」
 「何すんだこの変態野郎ッツ!!」
 腕をふりほどき、シンタローは立ち上がりざまアラシヤマを蹴飛ばした。そのままアラシヤマは土手の下に転げ落ちた。
 シンタローは顔を赤くして着物の袖で首をごしごしと拭った。
 「何すんだは、こっちの台詞どす!わては、あんさんの身を買うたんどすえ!?まだ抱いてもおへんのに、いきなり蹴り飛ばされるとはどないな話なんどすか!?」
 ほどなく、土手を這い上がってきたらしいアラシヤマが恨みがましげにそう言った。
 「身を買う!?何でテメェなんざに俺が身売りをしなきゃなんねーんだヨ!」
 「提重の格好で寺のまわりをうろついて、まさか線香とロウソクだけ商ってると思う阿呆はフツーおらへんやろ!?」
 「何だと?要するに俺がマヌケだって言いてーのか…!?」
 「―――あんさん、この際わてに素直に身を売る気はないんどすな?」
 「当たり前だ。フザケンナ!」
 「なら、しょうがおまへん…」
 アラシヤマは、シンタローの手首をつかむと、
 「わわわわわての目を見ておくれやす!」
 と言った。
 「何キモイこと言ってやがんだ?さわんなッ!」
 シンタローが手を振りほどき睨み返すと、アラシヤマは髪に隠れていない片目を見開いた。どうやら、驚いたようである。
 「あれ?何であんさん、わての暗示にかかりまへんの??」
 「―――死ね。眼魔砲ッツ!!」
 昼下がりの不忍池に、水音が響いた。



 ゆでた茄子を一口大に切りながら、シンタローは考え込んでいた。
 茄子はこのたび庭で採れたものである。
 (あの変態野郎の金は、なるべくなら使いたくはねーよナ………)
 かといって、当座は人宿の顔も見たくなかった。


 結局、線香売りのアルバイトのしだいは人宿にだまされたようなものであったので、眼魔砲を撃った後すぐにシンタローは古着屋に乗り込んだ。
 「騙しやがったな!?てめえッツ!!」
 帳面をつけていた人宿の胸倉を掴み上げると、シンタローよりも小柄な老人の体は宙ぶらりんに吊り下がった。しかし、特に怯える様子もなく
 「おや、首尾は上々、ではなかったのかね?シンさん」
 と、にやついていた。
 「上々なわけねーダロ!?手前のせいで、ろくでもねぇ目に…」
 「首筋が赤うなっとるが、それも関係しておるのかの?」
 思わずシンタローが人宿から手を離し首筋をおさえたすきに、老人はさっと身軽に逃げた。
 吊るされた古着の陰からシンタローの表情を見て、
 「おお、くわばらくわばら」
 そうのたまう人宿は、口ほどには怖がっているようでもない。
 「わしが、もう四十ほど若かったら、シンさんのようないきのいい若衆を買うてみたいものじゃがのう」
 じろり、と人宿を睨むと、シンタローは無言で着ていた小袖を脱いでまるめ、ホッホッと笑う人宿に投げつけた。
 「これこれ、シンさん。これは高級品じゃ、もっと丁寧に扱うてくだされ」
 あわてて小袖のシワをのばしている人宿を無視し、シンタローは黙々と自分の着物を身につけ刀を腰に佩いた。
 「シンさん、明日はまともな日雇いの口を用意しておくからの」
 との人宿の声を捨て置き、土間にあった木桶を思いっきり蹴飛ばしたシンタローは古着屋を出た。


 それが、昨日のことである。
 (―――しばらくは、自給自足でなんとかすっか。一応味噌もしょうゆもあるしナ)
 と、シンタローは息を吐いた。
 切った茄子を手早く串にさし、木べらで山椒入りの味噌をぬる。あとは網で香ばしく焼けば茄子の鴫焼きの一丁あがり、であった。流しに置かれた手桶の中には水がはってあり、笊にいれた素麺が冷やされている。シンタローは素麺を引き上げ、手際よく水気を切った。
 そろそろ庭で遊んでいるパプワやチャッピーを呼び戻そうかと思ったところ、突然庭の方から
 「うっわー!なっ、何だべさー!!」
 という悲鳴が聞こえ、その後ずるずると何かを引きずって子どもが家の中に入ってきた。
 どうしたんだ、と聞くまでもなく、子どもが引きずってきたものを見やると気絶しているのは顔見知りの武士であった。
 「シンタロー、蹴鞠をしていたらこいつに当たったゾ」
 頭痛の種がふえた気がしたが、シンタローは、
 「とりあえず、昼飯だ。そいつを部屋に放りこんだら、茄子を焼くのを手伝えヨ」
 と云った。
 
 
 「あら~、なかなかいい男じゃないの?」
 「いやーね、イトウちゃん。シンタロー様にはかなわないわヨ」
 「それもそうよね~!」
 「でも、ちょっと味見するぐらいならいいかも…v」
 「あっ、抜け駆けはズルイわヨ!?タンノちゃんッツ!!」
 「テメーら、たかるなッ!一応これでも客なんだからナ!眼魔砲ッツ!」
 眼魔砲を撃った衝撃からか、気絶していた武士はどうやら目覚めたようである。がばり、と身を起こし、
 「一体なんなんだべッツ!」
 と辺りを見まわして叫んだ。
 「アレ?ここは…」
 「よォ、久しぶりだナ!ミヤギ」
 「シンタロー!元気だったべかっ!」
 「まーな。あ、言っとくけど、お前の分の昼飯はねーから」
 「いや、昼飯は食ってきたから別にかまわんけんども…。これ、土産の羊羹だべ」
 ミヤギと呼ばれた武士は、傍らに置かれていた包みをシンタローの前に置いた。
 「すまねぇナ」
 包みを受け取ったシンタローは少し顔をほころばせた。
 「で、何の用だヨ?」
 「いや、ちょっとシンタローに頼みたいことがあるんだべ。それにしても、この家は薄気味の悪いところだなァ…。もしかしなくても化け物が住みついているんだべか?」
 ミヤギは、鯛と蝸牛のいる場所になんとはなしに胡乱な視線を向けた。
 「化け物!?」
 「なによもうッ、失礼な男ねぇ!」
 とニ匹は憤慨していたが、ミヤギには二匹の姿が見えず、声も聞こえないらしい。
 「まぁ、おめさは昔から豪胆だったからナ。肝だめしの後シンタローが高熱でたおれた時は何かのたたりかと心配したけんども、あの時も数日で元気になったべ!」
 「ああ、あれナ…」
 薬もきかない原因不明の高熱が出ている間中、天狗の顔と羽をもつ小鬼やら楽器に足の生えた妖怪やら着物を着た動物やら何やらがシンタローの床の周りで踊り騒いだが、いっこうに怯えた様子をみせないでいると数日で妖怪どもは自然と消えた。それ以来、人外のものが見えるようになったのである。
 ミヤギは庭で遊ぶ子どもと犬をながめ、ふかぶかと溜息をついた。
 「浪人してまであんなとんでもねぇガキを養うなんて、おめさもつくづく貧乏くじだべ。あのガキの蹴った鞠の勢いはただもんじゃなかったっぺ。オラの自慢の美貌になんてことをしてくれたんだァ…」
 シンタローは、ぶつぶついいながら顔をさするミヤギを見て、
 「鞠が避けられねーのはお前の日ごろからの鍛錬がたりないからなんじゃねぇ?」
 と、そっけなくかえした。
 「ところでシンタロー。折りいって話というのは、物の怪が見えるおめさを見込んでのことだァ」
 「物の怪?」
 シンタローは嫌な顔をした。
 「んだ。最近、青山殿という旗本の屋敷でおかしなことがおこっているという噂が巷に流れていて、オラが調べるようにいわれて行ってみたんだけんど、なんのかんのと理由をつけて断られて青山には会えなかったべ。こっそり屋敷に忍び込んではみたんだが、青山は尋常の様子ではねぇかんじがしたべ。それが物の怪の仕業かどうか確かめてきてくれねぇべか?」
 そう云って、紙に包んだ小判らしきものをシンタローの前に押しやった。シンタローは懐手のままである。
 「俺は、今、浪人してるんだ」
 「おめさに断られると、どうにもならねーんだべ!」
 必死で言い募るミヤギであったが、シンタローは
 「知るかよ」
 とため息をついて云った。
 どうにも重苦しい雰囲気の中、外の空模様が怪しくなり、いきなり通り雨が地面にたたきつけた。
 「シンタロー!雨だゾ」
 「くぅーん…」
 と、一人と一匹が家の中に駆け込んでくる。
 「こら、濡れたまま畳にあがんな!」
 立ち上がったシンタローは行李からだした手ぬぐいで子どもと犬を思いっきりふくと、かえの着物と新しい手ぬぐいを子どもにわたした。
 「風邪をひくから、しっかり拭けヨ?」
 壁にもたれていたミヤギはシンタローを見て目をまるくした。
 「おめ、かわったなぁ、シンタロー………」
 「別に、何もかわっちゃあいねーヨ」
 子どもと犬は遊び疲れたのか寝てしまったが、その上にシンタローは布団をかけた。
 彼はミヤギを振り向き、
 「やっぱ、さっきの話、ひきうけるわ」
 ときっぱりといった。
 「本当だべか?」
 ミヤギの顔色がひといきに明るいものへとかわった。



 「それで、本題に入らせてもらうけんども」
 ひとまず、ミヤギは湯飲みを置いた。
 「青山は七百石の旗本で、白柄組の一味だべ。まぁ、喧嘩っぱやい旗本奴だべなぁ。番町の三番町に屋敷があるんだけんども、最近、夜になると屋敷の周りに人魂が飛ぶとか、使用人の姿が見あたらねぇとか、殿様の怒鳴る声が毎夜聞こえるとか怪しげな噂が絶えねーべ」
 「お前、屋敷まで行ったんだろ?」
 「ああ、柴田という用人が応対に出てきたんだけんども、どうぞおひきとりくださりませの一点張りで、とにかく顔色が尋常じゃなかったべ。そんで、らちがあかねぇから、オラは夜忍び込んだんだ」
 「人魂は見えたのかヨ?」
 シンタローが少し面白そうにミヤギに聞くと、ミヤギは頬についた鞠跡をさすりながら、
 「うーん、見えはしなかったけんども……」
 考え込む様子であった。
 「何だよ、はっきりしねぇナ」
 「いや、オラには見えなかった。でも、夜気が暑いのに背筋が寒くなるような変な感じがしたべ。それに、障子が開け放たれていて庭から青山らしい姿が見えたんだけんど、何もねぇところに向かってわめきながら刀を無茶苦茶にふり回していた」
 「単に乱心じゃねーの?」
 シンタローがそっけなくそう云うと、ミヤギはますます難しい面構えになった。
 「オラもそう思いてーべ。んだども、十人はいるはずの使用人たちの姿も用人以外は噂通り全く見当たらなかったし、まさか全員逃げたとかいうはずはねぇべ?そうすると、やっぱり何かおかしいべ」
 「事によっては家事不取締で、そのままお家断絶、か?」
 「だべなァ……。でも青山は上の連中と繋がりがあるらしぐて、そう簡単に話はすすまねぇみたいだ。だからオラ達に話がまわってきたらしいっぺ」
 「乱心者を放置はしておけねぇけど、怪異の仕業のせいにして青山を隔離すれば、ひとまず青山の旗本としての面目は保たれるってわけか?」
 「さすがはシンタローだべッ!」
 ミヤギは、感心した面持ちでシンタローをみた。
 「もう筋書きが決まってんなら、本当に化け物が絡んでいるかどうかなんてわざわざ調べる必要はねーダロ?」
 「念のため、だっぺ。上の連中に臆病なのがいるんだぁ。もし本当に怪異の仕業だったら、そんじょそこらの坊主が拝んだくらいじゃきかねーべ?それに、わざわざ高僧を呼ぶんなら目ん玉の飛び出るほど金もかかるしなァ」
 「どーしようもねぇ野郎どもだナ……」
 シンタローは呆れた顔つきになった。
 「と、いうわけで、もし化け物さいたらついでにおめが退治してけろ」
 「おい、ちょっと待てテメェ!ついでって、何をさらっと聞き捨てなんねぇことを言い出しやがんだ!?」
 「化け物さいるのはオラぁ確実だと思うだ!でも化け物は体さねーから、オラの筆はきかねぇべ!?」
 「じょーだんじゃねぇッツ!そんなの、命がいくらあっても足りねーじゃねぇか!?」
 シンタローはミヤギを無言でしばしにらんでいたが、しばらくのち
 「……まさか、さっきの金は化け物退治料こみなのかヨ?」
 と剣呑な口調で訊くと、
 「んだ」
 ひきつった笑顔でミヤギはうなずいた。
 「―――金額を割り増しさせてもらうからナ」
 「こ、これでも下っ端のオラにはギリギリ精一杯なんだべっ!云っとくけど、オラの小遣いも全部入っているんだからナ!! 頼むべ、シンタロー!この通りだッツ!!」
 両手を合わせて自分を拝むミヤギを眇めた目で見て
 「お前よォ……」
 シンタローは何か云おうと口を開いたが、ミヤギは刀を掴んで勢いよく立ち上がり、
 「じゃっ、化け物退治の方もよろしく頼んだべ!んだらば、そろそろオラは失礼させてもらうべッツ!!」
 シンタローの返事も聞かず、大慌てで家から出て行った。
 シンタローは腕を組み、
 「フザケンナ」
 と、紙に包まれた小判をにらみつけた。



 数日後、シンタローは番町へと足を向けた。よくよく考えても、自給自足には限界があり、とりあえず金は必要である。
 昼下がりの番町は、うだるような暑さであり、地面には陽炎がゆらゆらと立ちのぼっていた。武家屋敷が並ぶ坂道には行商人の姿などほとんどみあたらない。
 シンタローは、三番町通りの青山の屋敷の前で立ち止まった。使用人が常駐しているはずの長屋門の内には人の気配はなさそうであった。周りを日の高いうちに辺りの様子見ておこうと、瓦の載った白塀のまわりをぐるりと歩んでいたが、邸内は静まり返っているようである。ふと、何か魚などが腐ったかのようなかすかな異臭が鼻についた。
 (位置的には裏庭あたりか?)
 シンタローは辺りに人気の無いことを確かめ、塀を身軽に乗り越えた。はたして、裏庭であるらしく、深緑色の光艶のある葉が生い茂った数本の山茶花の木の横には土蔵が建っていた。
 土蔵の手前の石畳の上には、継裃を身に着けた白髪混じりの男が、肩口から胴まで斜めに切り下げられ倒れていた。シンタローは屈みこみ、男の息があるかどうかを確かめたが、すでに事切れているようであった。
 どうやら、男は土蔵の鍵を閉めようとしたところを何者かに襲われたらしい。立ち上がったシンタローが土蔵の扉を開こうと手を伸ばしたとき、後ろから
 「奇遇どすなぁ……。まさか、こんなところでシンタローはんに会えるとは思いもよりまへんどしたえ?」
 と、陰気ながらも嬉しそうな声がした。

pa1

 丑の刻、山王大権現の稲荷坂を登る人影があった。どうやら女のようであり、白い着物の背にざんばらの黒髪がうねっている。
 このような夜半に女一人、というのもあやしかったが、その様態はさらに尋常ではない。頭には金輪をかぶり、金輪から突き出た三本のあしにはそれぞれ蝋燭が燃えながら突き立っていた。
 三本の蝋燭が闇をわずかではあるが照らし、鳥居やのぼりがぼんやりと朱に浮かび上がった。女は高下駄で石段を踏みしめながら一歩一歩確実に上へ上へと登っていく。
 境内につくと、楠の大木が三本寄りそうように並び、森のような空間をつくりだしていた。
 女は唇にくわえた五寸釘を手にもちかえ、木の幹に這わした藁人形の腹ににじり刺した。
 金槌を持った手を振りあげ、藁人形めがけておもいきり打ちおろす。金属同士の打ち合わされる高い音が、じっとりと暑い空気を震わせた。
 女は飽くことなくその行為をつづけている。そのうち、白い額に汗の玉がふつふつと浮かび上がった。
 「悔しい。お仙め…!播磨様が妾をうとんじておるなどと親切ごかしに言いよって。きさまの魂胆など見え透いておる。播磨様に取りいり、ゆくゆくは妻の座にすわろうなぞとたくらんでおるのであろう。播磨様も播磨様じゃ。一生に一度の恋と誓いおうた仲であるのに、お仙のような輩の讒言を信じて奥様や兵太郎坊ちゃまがお亡くなりになったことも妾の仕業だと思うておられるのか?ああ、憎い。憎くてたまらぬ」
 口からは、自然と呪詛のことばがころがりおちる。これ以上ない、というほどに釘が藁人形を神木に留めつけた時、女は金槌を取り落とし、
 「なにとぞ、なにとぞ…」
 と必死で手を合わせ、何かを願った。彼女が俯いた拍子にぽたぽたと蝋が白装束の腕に垂れ落ちた。
 「憎い相手に死を与えたまえ、どすか?」
 いきなり、稲荷社のある方向から男の声がした。何か面白がるような調子であった。
 「………貴方はどなた様でございますか」
 女は、用心しいしい訊いた。
 「わて?ああ、安心しておくんなはれ。神とか狐狸とかそないにけったいなもんやおまへん。この辺は蚊ぁがようけおってかなんわ」
 「………」
 舌打ちと、手で何かを叩くような音が聞こえた。
 「おなごの恨みは怖うおますなぁ。ま、わてに見られたからにはあんたはんの呪いはもうききまへんな。残念どすが、丑の刻参りとはそういうもんや」
 ああ、もうえらいうっといわと、声が上がった。社の方角から、炎でできた蝶がゆっくりと羽をはためかせ、夜空へと舞い上がった。どうやら無目的というわけではなく、羽虫を追っているようであった。
 女の前に羽虫が逃げてきたが、ついに蝶は長い足で虫を捕らえ、相手を燃やし尽くした瞬間、かき消えた。
 「―――そやなぁ、本気で殺しとうおましたら、わてが肩代わりしたってもよろしおますえ?」
 突然、男の声がした。蝶に見いっていた女は肩を揺らした。
 「本当でございますか?」
 「ただし、代金さえ払えれば、どすけど。高うおますえ?」
 からかうような調子で、いかにも面白そうに男は低く笑っていた。
 「播磨様は…」
 女は、眉をひそめた。
 「男を盗った女は憎いが、自分を裏切った男はまだ可愛い、というわけどすか?どこのお女中か知らへんけど、その程度の煮えきらん覚悟やったらせんない望みは持たへんことやナ」
 はよ帰り、と間近で囁かれた気がしたが、夢か現か分からなかった。女はその場に呆然と立ち尽くしていた。
 


 「お菊、家重代の宝である高麗皿を、わざと割ったと申すか?」
 青ざめた顔色をした年のころ二十歳をいくつか過ぎたほどの若い武士が、縁側にひれ伏す女を見下ろしていた。
 「はい、おっしゃる通りでござりまする」
 女の小さい身体は細かく震えている。まだ少女の面影を残した女はいかにも頼りなげで哀れな様子であった。武士は寄せていた眉根をほどき、ふと、表情を和らげた。
 「手打ちに逢うても是非の無い大切の皿と知っていて、むざむざ割るとも思われぬ。何か仔細があるのであろう。そちは長年わしによく仕えてくれた、場合によっては許してつかわそう。申せ」
 「殿様のお心を疑いましたのでござりまする」
 「わが心を疑うたと?皿が大事か、そちが大事か、この播磨を試したというのか?」
 武士は、伏せたままのお菊の襟髪をつかんで庭に突き落とした。
 「はい。お仙どのから、奥様や兵太郎様がお亡くなりになられた高熱の病をわたくしが毒を盛ってのことと殿様がお疑いと聞ききまして、播磨様の本当のお心が知りとうござりました。毒を盛ったなど、事実無根でございます」
 「浅はかな……。そちが毒を盛ってはおらぬことなど承知しておる」
 「どうか、おゆるしくださりませ」
 「いいや、許せぬ。皿が惜しいのではない」
 そう云うと、武士は箱に入っていた四枚の皿を庭の踏み石に叩きつけた。
 「あくまで他人に罪をなすりつけようというそちの心根と、わしを疑った罪を許すことはできぬ」
 お菊は、吃と顔をあげ、播磨を見据えた。
 「やはり、殿様はお仙に誑かされておられるのでござります。このまま後添えにお仙を迎えるつもりでございましょう?わたくしはともかく、浄土の奥様や兵太郎様へはどうお顔向けなさるおつもりでござりまするか?」
 武士の顔色は青から朱へと刷毛で塗ったように変わった。
 「どこまで疑り深い女じゃ。そちの顔なぞみとうもない、手打ちにしてくれる。覚悟して、そこへ直れ!」
 「―――これが、わが一生の恋と定めたお方か。なんとも情けない」
 「愚弄するかッツ!」
 武士は、女を一刀に肩先より切り倒した。
 先ほど駆けつけたものの、青い顔で固唾を呑んでなりゆきを見守っていた中間に武士は気づき、
 「權次、ぼんやりと観ておらずに、女の死骸を井戸へ投げ捨てい」
 と言い放った。



 明け六つの頃、のどかな朝景色の静寂をやぶってあたりには瀬戸物が割れるような甲高い音と、引き続き怒号が響いた。
 ススキなどの草原がえんえんと広がる小石川の風景のなか、まばらな林に囲まれて粗末な一軒家が立っていた。板で葺かれた屋根のうえには草がはえ、建物も長年の風雨に傷んだ様子である。家の前には片隅に茄子や葱を植えた庭があり、物干し竿には洗濯物がはためいていた。
 しばらくすると、家の中からは黒髪を元結で一つにゆわえた若者が肩を怒らせて出てきた。そのまま彼は東へと道を歩み、ついには見えなくなった。



 「シンタロー、何だこのメシは?」
 畳に置かれた膳の上を見て、三白眼の子どもは向かいに座っていた青年をにらんだ。
 子どもの隣に座った犬も
 「くぅ~ん……」
 と、非難の眼差しでシンタローと呼ばれた青年を見た。彼は味噌汁椀を膳の上に置くと、ため息をつき、
 「あのな、パプワ、チャッピー。ウチにはとにかく金がねーんだ!」
 そうきっぱりと言い切ると黙々と食事に戻った。そうは言われても、子どもは納得がいかないらしかった。
 「育ちざかりの子どもにこんな栄養価の低いものを食わせるつもりか?」
 「わうっ!わうッ!!」
 「子どもは文句をいわずにとっとと食いなさい!って、さっきからドンブリ飯10杯も食らいやがって…」
 「シンタロー、おまえ、自分の立場というものがわかっとらんよーだな…」
 子どもは空になった膳を思いっきりひっくり返すと、
 「チャッピー、エサ!」
 青年を指差した。犬は座っている青年に飛びつき、鋭い歯でガブリと腕を噛んだ。
 「だぁーッツ!」
 と、青年は立ち上がると腕にくらいついている犬を思いっきり引きはがし、放り投げた。犬は数回転して土間に着地するとすぐに戻ってきた。
 「あのなぁッ…!!!」
 ひとつ息を吸い込み、青年が怒鳴ろうとした瞬間、不意に辺りの気温が数度下がり北側の壁から桃色の殻がめだつ巨大な蝸牛と、それと同じぐらいの大きさの紅色の鯛が現れた。鯛にはすね毛つきの足が生えている。
 「待って!シンタローさんッ!パプワくんの言うことも一理あるわッ!」
 「そうよっ!子どもには豊かな食生活が必要なのよっ!」
 「さっさと帰れ、妖怪どもッツ!!」
 じろり、と二匹を睨むと青年は自分の方へと勢いよく近寄ってきた鯛と蝸牛を足蹴にして座った。二匹は土壁に激突するかと思われたが、体が半分壁をすり抜けただけで特に怪我は負っていないらしかった。
 「シンタローさん、相変わらず格好いいけど冷たいわねぇ………」
 「馬鹿ねー、タンノちゃん。そういうところも素敵なんじゃないのォvvv」
 「そうね!イトウちゃんvvvあ、シンタローさん。私たちも朝ごはんをいただくわv」
 勝手知ったる様子で鯛と蝸牛はいそいそと土間の方へ降り、味噌汁の入った鉄なべと釜を宙に浮かせながら戻ってきた。
 「あら?このお味噌汁、味が薄いわ。もうちょっとしょっぱいほうが好みなのに」
 「このご飯もかなり粟が混じっているわネ」
 「―――きさまら、好き勝手言いやがって……。なら、食うなッツ!!そもそもテメーら妖怪で飯を食う必要なんてねーダロ!?大飯ぐらいがいる上にバクバク食われちゃこちとらたまんねーんだよッツ!!」
 青年は、目の前の膳を思いっきりひっくり返した。
 「男のヒステリーは格好悪いゾ」
 「わう」
 「私たち、シンタローさんが大好きだから手料理を食べたいのよ」
 「そうそう」
 無言のまま青年は立ち上がり土間へと向かうと上がり口に腰かけ、草履を履いた。
 「あっ、シンタローさんどこへ行くのッ!?」
 振り返りもせずに出て行った彼に、蝸牛が呼びかけたところ、
 「うるせえ!バイトだッツ!!」
 という怒鳴り声が飛んできた。







  

 たまに牛馬をともなった百姓とすれ違うぐらいのもので、人通りがほとんどみられない小石川から東行するにつれ、家並みが続きよく人も往来するようになった。
 シンタローは神田川沿いを歩んでいたが、日本橋に近づくにつれ川の上にも江戸湾から揚げられた魚や各地から集められた米俵などを積んだ船がさかんに行き来している。
 川沿いから一歩日本橋の市街に入ると、板ぶきやこけらぶき屋根の厨子二階の町家がひしめいてた。道はそう広くはないが、使いにいそぐ飛脚が地面の砂ぼこりを舞い上げて走り、勧進聖のむれが家々の戸口で鉦をたたきつつ勧進帳を大声でよみあげて喜捨を乞う。被衣を頭からかぶった女達は真剣に傀儡師のあやつる人形芝居にみいっていた。まことにそうぞうしく、活気にあふれた様子であった。
 いくつか通りを曲がると、富沢町である。富沢町は古着屋が軒をならべ、店先の見世棚には色とりどりの着物が吊るされている。近くに吉原の花街があるからか、艶やかな女物の小袖が多かった。
 つと、シンタローは一軒の店の前で足を止めた。紺の暖簾には着物の絵と「くちいれ」という文字が交互に染め抜かれていた。
 暖簾をくぐってすぐの場所は二間ほどの土間であり、その横は上がり口であった。
 「よぉ!人宿」
 と、ぶっきらぼうに声をかけると、着物の隙間からといったあんばいで不意に老人が上がり口まで出てきた。老人の頭はいさぎよく禿げあがり、眉は霜のように白い。一見、いかにも好々爺のご隠居といった様子ではあるものの、身のこなしに隙はなかった。
 「おや、シンさん。久しいの。元気そうで何よりですじゃ」
 「ああ、アンタもな。まだ、くたばってなかったんだナ」
 老人はおかしそうにホッホッと笑うと、
 「まぁ、死にそうなほど退屈はしておりましたがの。さ、おあがりなされ」
 と云ったのでシンタローは上がり口に腰かけた。
 「何の仕事をお望みかな?」
 シンタローは少し思案し、
 「日雇はねぇか?」
 そう聞いた。
 「なるべく、一日がいーんだけど。この前みたいに石運びとかねぇの?普請の手伝いでもいいゼ」
 人宿は、すまなさそうに眉を下げた。
 「昨今お江戸に人が増えたせいか、今日は日雇の口はもうふさがってしもうての。すまんのぉ。十日雇や二十日雇いならまだあるが?」
 「―――あんまし長くは家をあけれねーんだ」
 「シンさんの気が進まないのは分かってはおるが、いっそのことちゃんとした武家奉公はどうじゃ?あんたほどのお人なら、仕官の口はいくらでもあると思うんじゃが……」
 「それはできねぇ」
 きっぱりと答えた。
 人宿は、目じりに幾重にも皴が刻まれた目をしょぼしょぼとさせ、
 「ほんに、かえすがえすもおしいのぉ…。もう数十年早く生まれておれば、シンさんはひとかどの武将になれただろうて」
 と、ため息をついた。
 「ったく、くだんねぇ。んな話はいいから、じーさん、何かねーの?」
 「傘張りはどうじゃ?これなら家でもできる」
 「………ウチではとうてい無理だナ」
 「扇の地紙売りはどうかの?シンさんはいい男じゃから、娘っ子や年増どもにもよう売れると思うがの」
 「ああ、あれな…」
 シンタローは、何を思い出したのか苦い顔つきになった。確かに以前、扇の地紙売りをしたことはあったが、客からもらった大量の付文を家に持ち帰ると、鯛と蝸牛が大騒ぎし事態を収拾するまでにひどい目をみた。大半は自分の撃った眼魔砲が原因であったが、茶碗は飛び壁は崩れ、結局は売り上げを超える費用を要したのである。
 「やっぱり、却下!」
 とは言ったものの、シンタローも先程から無理ばかりを言っているとは重々承知であった。ぐるりと土間を見渡すと、風呂敷に包まれた大きな包みが置いてあった。
 「じーさん、あれは?」
 「ああ、あれは寺向けの線香と蝋燭じゃわい。何を考えておるのか、本来ならうちで取り扱う仕事ではないんじゃがのう」
 老人は、渋い顔をした。
 (寺か…。なら、面倒はなさそーだナ)
 「俺がやってもいいか?」
 「シンさんが?」
 絶句したのち、しばらく人宿は考え込んでいたが、
 「―――まぁ、シンさんなら大丈夫、か」
 と、一瞬人の悪い笑みを浮かべた。そして立ち上がると、奥へ消えた。
 ほどなく人宿は戻ってきたが、その手には刺繍がこらされ、紅色、黒紅、白に染め分けた小袖を携えていた。
 「シンさん、これに着替えなされ」
 「―――なんだヨ、このド派手な着物?」
 「商売に必要な衣装じゃよ。坊主どもの慌てる顔が目に見えるようじゃわい」
 「……こんなんで、本当に売れんのか?」
 「そこはシンさんの腕次第じゃな。そもそも線香など元々の値段はあってなきがごとし。思いっきり高く売りつけておやんなされ!」
 シンタローは慶長小袖に着替えたが、
 「見事なかぶきっぷりじゃ!うちの看板若衆をやってくれんかの?」
 などと大喜びな人宿を見て、理由は分からないがなんとはなしに嫌な予感がした。
 しかし、喜んでいる人宿を問い詰めるよりもさっさと稼ぐほうが大事かと思いなおし、線香と蝋燭の入った重箱を提げシンタローは口入屋を後にした。







  





  
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 アラシヤマは、シンタローを殺そうとして失敗した夜以来、夜毎PAPUWAハウスに不法侵入していた。
 「何で、此処に来てしまうんやろか・・・」
 その行動をとらずにはいられない自分自身が分からないまま戸惑っていたが、漠然と、つきつめて考えてみるのは怖いような心持がした。
 (シンタローは、超ブラコンで、俺様で、可愛気ゼロで、しかも男どすえ?)
 自戒のためそう思いつつも、シンタローの寝顔を眺めていると、そんなことはどうでもいいような気もしてくるのが不思議であった。
 ここの住人たちが生半可なことでは起きないことは承知していたので、アラシヤマがすっかり気を抜いて過ごしていると、不意に真ん中に寝ていた小さな人影が目をこすりながら起きた。
 「やっぱり、おまえか」
 「なっ、何どすのんッ?起きてはったんどすか!?バッチリ気配は消しとったはずやのになんでッツ!?」
 「気がつかいでか。ただ、僕はお前に害意が感じられなかったから放っておいただけだ」
 「―――あんた、たいしたちみっ子どすなぁ・・・」
 子供は、トコトコとアラシヤマの対面に来ると少し間を置いて座り、
 「それよりも、おまえ、ホモなのか?」
 と聞いた。
 アラシヤマは、非常に動揺した。
 「なっ、何てこと言わはりますのんッツ!?わてはホモやおまへんえ~!!」
 「じゃあ、何で毎晩わざわざ男の寝顔を見に来ているんダ?」
 「そっ、それは・・・」
 アラシヤマが答えに窮して冷や汗を掻きながらシドロモドロの状態になっていると、待っているうちに子供は再び眠くなったのか、布団に戻って寝てしまった。
 その後、スースーと安らかな寝息が聞こえてきた。
 「ぱっ、パプワはんッツ!最後に一つだけ教えておくれやす!!どーして、シンタローはあんさんや犬と一緒に寝たり、色々いうことをきいたりしとるんどすかッツ?」
 「んー?僕らは、友達だからナ!」
 眠そうにそう言うと、子供は再び眠りについた。
 (友達・・・。成る程、友達やったら、ご飯をつくってもろうたり、一緒に寝たりできるんか。もしかして、お揃いのマフラーをしたり、手を繋いで歩いても全然不自然やないんやろか!?)
 アラシヤマは、それまで友達という言葉にはごく一般的なイメージを抱いていた。しかし、実際に友達がいた経験が今まで無かったので、自分が知らなかっただけでそういった“友達”関係もあるのだろうと彼は思った。そう考えると、何かが腑に落ちたような気がした。
 (わては、シンタローと“友達”になりたいんや)
 自分から“シンタローと友達になりたい”と思ってしまったことについては、プライド上少し釈然としないところが無いでもなかったが、“友達”という単語はアラシヤマにとって安心感を与えた。
 PAPUWAハウスの外に出ると、空が白み始めるのが見えた。


 アラシヤマは、シンタローから
 「今日から俺が友達だ!」
 と言われた時、非常に嬉しかった。
 (なんてったって、あんさんから言い出したことやからナ!)
 少し先を歩くシンタローの束ねた長い黒髪が白いタンクトップの上で揺れるのを見ながら、
 「嘘でも何でも、とにかくその言葉をもろうたからには、もう一生離しまへんで・・・!!」
 シンタローには聞こえないくらいの小声で、そう呟いた。
 「テメー、おせーゾ!トロトロしてっと置いてくからナ!!」
 いつの間にか立ち止まってしまっていたアラシヤマを振り返ったシンタローが、そう言うのを聞きながら、
 「待っておくれやすぅ~vvvシンタローはーんッツ!!」
 アラシヤマは、慌てて駆け出した。



 マーカーは、パプワ島でアラシヤマと相対した際、アラシヤマに違和感を感じた。
 守りたいと願うものがあり、それを阻もうとする者は例え師匠である自分にさえも刃を向けた。マーカーは、アラシヤマを殺すより他、道はないと思った。
 結局、そのようにはならなかったが。
 マーカーは、勝ち目の無い無謀な勝負を挑んでくるアラシヤマを大馬鹿者だと思った。さらに、恥をさらしてまで“生きる”とのたまうアラシヤマに対して苛立った。
 (安っぽい思い込みなど、一体何になる!?)
 アラシヤマが姿を消すのを見つつ、あえて追いはしなかったが、そう思った。


 再びアラシヤマと対峙した時、彼は再度勝ち目のない勝負を挑んできた。ボロボロになって、通常ならもう戦えない状態になっても、伊達衆の面々には何故か諦めた様子はみられなかった。
 マーカーは、正しく状況判断が出来ず悪足掻きをする姿を見苦しいと思い、嫌悪感を抱いていたので彼らに失望した。
 (―――このまま殺してやるのが、親切というものか)
 半ば諦めたような気持ちになり炎を手に纏った時、アラシヤマが仲間達に何か話しているのが見えた。そして、
 「極炎舞!!!」
 炎は凄まじい勢いで広がり、あっという間に辺りは火の海となった。アラシヤマを糧に、いよいよ勢いを増した炎は、無差別に攻撃を始めた。
 (―――それほどまでの覚悟なのか、アラシヤマ・・・!)
 アラシヤマに請われて教えはしたものの、まさか彼が誰かのためにその技を使うようになるとは思いもよらなかった。
 マーカーは、完全にアラシヤマが自分の手元から離れたと感じた。
 「うわっ!?」
 「ロッド!!」
 炎がロッドを狙って一瞬で燃やし尽くそうとしたが、思わずマーカーはそれを防いだ。自分でも思いもよらない行動であったので呆然とした一瞬の隙に、炎が顔を掠めた。
 炎の向こうにアラシヤマが崩れ落ちる姿が見えた。炎は地面を焦がし、緑の木々を焼き尽くす。生き物の焼ける臭いが鼻に衝いた。見慣れているとはいえ、凄惨な光景だと思った。


 マーカーが火を消し終わると、辺りに立っている者はほとんどいなかった。Gは、どうするのか、と問いたげな表情でマーカーを見る。
 マーカーは、無言で未だ煙が燻っている方向に歩いていった。
 (何とか、生きてはいるようだ)
 地面に倒れていた伊達衆の面々を一瞥し、そう判断した。
 (・・・もう、二度と会うことも無いだろう)
 彼は、倒れているアラシヤマを見て何故かそう思い、踵を返しGやロッドのもとに戻った。



 シンタローが新総帥となり、ガンマ団が新生ガンマ団になってからかなり経ったある日、マーカーの予感を裏切り、アラシヤマが突然ひょっこりと訪ねて来た。
 「師匠、お元気どしたか?」
 「何の用だ」
 「あっ、コレ、お土産どす~」
 「いらんッツ!私は甘いものは嫌いだ!!」
 「相変わらず、コミュニケーションの苦手なお方どすなぁ・・・」
 土産を0.3秒で断られたアラシヤマは、ブツブツ言いながら紙袋に四角い包みを戻した。
 そして、頬に傷跡の残るマーカーを見て、
 「師匠、本当に有難うございました・・・!」
 そう言って、頭を深く下げた。
 マーカーは、何のことだとは聞かなかった。その代わり、
 「・・・あの不器用な方は、お前には高嶺の花ではないのか?」
 と言った。
 その言葉を聞いたアラシヤマは顔を上げ、
 「なななななっ、何でお師匠はんがッツ、シンタローはんのことを知ってはるんどすかぁ!?!?」
 と、パニック状態に陥っていた。その様子が面白かったので、マーカーは少し溜飲を下げた。
 「おまえの手に負える相手ではなかろう?そもそも、おまえが少しでも好かれているわけがない!」
 「―――お師匠はん、もうちょっと他にも言いようがありますやろ?何もキッパリ断言しはらんでも・・・」
 どうやら、思い当たる節が多々あったようで、アラシヤマはガックリと落ち込んでいた。しかし、頭を上げたアラシヤマは、
 「でも、わては、いくら見込みが無いようでも、シンタローはんだけは絶対に諦められへんのどす」
 静かに笑ってそう言った。
 「まっ、わては信念の男どすから。―――それに、師匠の最初で最後の弟子どすしな!」
 「・・・そんなことを言った覚えは、」
 「無いとは言わせまへんで~!しっかりとわてのメモリーに記憶されていますさかいv」
 (やっぱり、あの時火を消さないでおくべきだったか・・・。いや、今からでも遅くは、)
 「なんやえらい殺気を感じますけど、ほな、わてはそろそろ失礼しますわ」
 そう言うと、アラシヤマは帰っていった。
 「特戦に、戻るか」
 マーカーは、椅子から立ち上がり、
 (誰か、食うかもしれんな)
 アラシヤマが置き去りにしていった紙袋を手に取った。



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 「師匠、わてに稽古をつけておくれやす!」
 ある日、いきなりアラシヤマが休暇中のマーカーの元を訪ねて来た。アラシヤマが士官学校に入学して以来、彼とは数年間会ってはいなかったので、マーカーは怪訝に思ったが表情には顕わさなかった。
 ちらり、と、アラシヤマの方を見遣ったマーカーは、(それにしても・・・)と思い、
 「蛇炎流!」
 少々手加減はしたものの、まぎれもなく必殺技をアラシヤマに向けた。アラシヤマは何とか避けたものの、髪や服の一部が焼け焦げた様である。
 「久々に会った愛弟子に、いきなり何しはりますのんッツ!?びっくりしますやん!!」
 「―――その髪型は一体何だ?」
 「えっ、コレどすか?格好ええでっしゃろ♪流行の最先端どすえ~!!」
 「見るも不愉快だ。とっとと、直してこいッツ!!話はそれからだ」
 マーカーが一喝すると、アラシヤマは、
 「まったく、年寄りはセンスがおまへんナ!気に入ってましたのにコレ・・・」
 などと小声で面白くなさそうにブツブツ言いながら引き返していった。勿論、マーカーの耳にはしっかり聞こえていたので、彼は久々に会った弟子を、どういびってやろうかと思案した。


 「お久しぶりどす」
 夜になると、何処かで髪型を何とか以前のように戻してきたアラシヤマが、再びマーカーのもとを訪れた。以前のようにといっても、ずいぶんと背が伸び、顔つきや声も大人の域に移行していたので少年時代とは与える印象はかなり違ったが。見慣れないながらも、そのうちすぐに慣れるのだろうとマーカーは思った。
 一方、アラシヤマから見てマーカーは、全く変わっていないように見えたらしい。どうやら内心安心したようである。
 やはり久々に会うというので、珍しく気を使ったのか、
 「あっコレ、お土産のおたべどすえ~」
 と言いながらアラシヤマが鞄の中から四角い包みを取り出すのを見ながら、
 「一体、何の用だ?」
 マーカーはとりつくしまも無い調子でそう聞いた。アラシヤマは手を止め、
 「技を、教えてほしいんどす。とにかく、わては今のままやったらあかんのどす・・・!」
 何を思い返しているのか、目をギラギラさせ、鞄を睨みつけたまま悔しそうにそう言った。
 「・・・私は、必要なことはお前に全て伝授したつもりだ」
 マーカーが静かにそう応じると、アラシヤマは暗い目でマーカーを見た。
 「お師匠はん。まだ教えてもろうてない技があるはずどす」
 「帰れ」
 「・・・極炎舞、わてに教えて下さい」
 アラシヤマは、頭を下げたままその場を動かなかった。





 アラシヤマは、クワズイモやビンロウ樹、ソテツなどの熱帯植物の陰から登場する機会を窺っていた。
 寒い時期にガンマ団から刺客としてパプワ島まで来たわけであるが、とにかくこの島は暑い。それでも彼は律儀に派手なコスチュームを身に纏っていた。
 (なんやアレは・・・)
 アラシヤマはその光景を見て、自分の目を疑った。
 シンタローが、ギャーギャーと騒ぎながら足の生えた鯛や巨大カタツムリから逃げ回ったり、料理を作ったり、犬を洗ったりしている。まるで無邪気な子どものように表情が豊かであり、3ヶ月前までシンタローがガンマ団に居た時の、冷たい投遣りな様子とはかけ離れていた。
 「一体、何やの?」
 声に出してそう呟いた。呆れたような気持ちが大きかったが、何だか、見ていると胸が騒いだ。


 冷たい雨が顔に当たり、アラシヤマが気がつくと、辺りには誰も居なくなっていた。彼は、とりあえずその場に身を起こした。
 「この島に秘石眼の子供がいるやなんて、全く予想外どしたわ」
 (それにしても、さすが秘石眼の威力は凄まじいもんやな。もし、あのガキと秘石をうまく利用したら・・・)
 「―――わてにも、世界を手に入れる勝算は十分にあるやないか」
 彼は、ニヤリと笑った。
 (ほな、早速明日からアイツラを見張ってガキの観察と秘石を奪うチャンスを見つけなあきまへんな!・・・となると、シンタローは邪魔になる。今のわての立場はガンマ団の刺客やし、真面目に最後の任務を完了させまひょか)
 アラシヤマは、着ていた鎧を地面に投げ捨てた。
 「これで、ちょっとは身軽になったわ」
 そして、雨の中を歩き出した。


 アラシヤマは毎日、シンタロー達を物陰から見張っていた。子供を観察するはずが、気がつくといつも、子供よりもシンタローの方を目で追っていた。
 シンタローはどうやら子供にこき使われているようであったが、何だかんだいいながら洗濯や料理など結構楽しそうにこなしており、アラシヤマは驚いた。ある日、シンタローは外で料理をしながら子供や犬と何か話していたが、不意に優しい笑顔になった。
 アラシヤマは、目を瞠った。
 (なんて顔で、笑うんやろか)
 再び、胸がザワザワと騒いだ。



 アラシヤマは秘石を手に入れ損ねた後、アダンの樹上で考え込んでいた。
 (そろそろ、シンタローを殺らなあきまへんな。昼間は色々と邪魔が入るし、夜やったらどうやろか?テヅカくんはコウモリやけど、夜は家に帰るから好都合どす)
 考えが纏まったのか、アラシヤマは木から飛び降りた。
 

 PAPUWAハウスの前に着いた頃、すっかり辺りは暗く、月が中天に昇っていた。
 (どうにも、気の抜ける家やナ・・・)
そう思いつつ、鍵のかかっていないドアをそっと開けて中に入ると、2人と一匹が川の字になって眠っていた。川の字というよりは縦にした三の字と言った方が正確かもしれない。
 見るからに幸せそうな光景で、アラシヤマは自分が非常に場違いな気がした。
 (何をグズグズしとるんや、わて!とっととシンタローを殺ってここから出て行かんと・・・)
 アラシヤマは、携帯していたナイフを取り出した。刃が、窓から入る月の光を弾いて鈍く光っている。
 寝ているシンタローの横に屈むと、(これが、最後のお別れや)そう思いながら、眠っているシンタローの顔を眺めた。
 強い印象的な目が伏せられていると、年齢よりも幼い顔立ちに見えた。あどけないといってもいいかもしれない。
 アラシヤマが、何故か躊躇っていると、身じろぎしたシンタローが
 「・・・さみィ」
 と眠ったまま呟き、不意にアラシヤマのマントを掴み、引き寄せた。
 (なっ、何しはるんやー!!)
 引っ張られ、自然、シンタローの上に覆い被さる形となったが、シンタローは暖かくなればそれでよかったのか、安心したように眠ってしまった。
 アラシヤマは非常に困った。他人とこれほど身近な距離まで接近する事は、普段の彼にとって皆無であったので、どうしたらよいのか検討もつかず固まっていた。途方に暮れたので、とりあえずそのままの状態でいた。
 (あったこうおます・・・)
 ボーっと現実逃避気味にそんな事を考えていると、不意にあることに気がついた。
 (シンタローは、裸やないか・・・!)
 ますます、どうしたらよいのか分からなくなった。とりあえず、シンタローを起こさないようにそっと退こうとすると、腰に手が当たった。
 (思ったよりも、細い・・・ってわて、何考えとりますんや!?)
 「うーん・・・」
 くすぐったかったのか、向こう側に寝返りを打ったシンタローが握っていたマントを手から放したので、アラシヤマは慌ててシンタローの上から退いた。
 もう一度マントを掴まれては困る気がしたので、掛け布団を掛けておいた。シンタローを殺そうという気はすっかり失せており、なんだか呆然としたままPAPUWAハウスを出た。


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