「そろそろだな」
時計を見上げたマジックは、手にしていたペンをペン立てに置く。
書類にサインするのは止め、一時休憩である。
グッとその場で手を伸ばし、硬直していた身体をほぐしていると、しばらくすると、インターフォンから声が聞こえてきた。
「パパ。3時だよ。一緒におやつを食べよっ!」
聞こえてきたのは、幼い声。
マジックはふっと眦を緩ませ、そうして、立ち上がった。
「はーい。シンちゃん。すぐ行くよv」
マジックは、瞬間移動のごとく素早く扉の前に立つと、そしてそれを開いた。
「お疲れさま、パパv」
「いい子にしてたかい、シンちゃん♪」
扉の向こうにいたのは、愛息のシンタローである。
相変わらずメロメロのなるほどの愛らしい笑顔を振りまき、父親を見上げるその姿に、思わず鼻血を吹きそうになったマジックだが、そこはぐっとガマンして、シンタローの身体を抱き上げた。
「あ、自分で歩くよ」
そのとたん、腕の中で暴れだしたシンタローを落とさないように、マジックは、しっかりと固定させる。
5つになった息子は、以前のように、抱っこを自分からせがむことはなくなってしまったが、マジックはことあることに、息子の身体を抱き上げ、スキンシップをはかっている。
「いいんだよ、シンちゃん。パパがシンちゃんを抱っこしたいんだよ。それとも、シンちゃんは、こうされるのが嫌なのかい?」
「ん~。赤ちゃんみたいで嫌だけど。でも、パパにこうしてもらうのは好き!」
にぱっと笑みを浮かべ、さらにぎゅっと首に抱きつく息子に、マジックは、そのまま卒倒しそうになるのを根性で耐えた。
とりあえず、ちょっとばかり鼻血は噴出してしまったが、それは、息子に気づかれぬうちに、服でぬぐった。
赤い総帥服は、こういう時には、ひどく便利なのだ。
「それより、パパ。早くおやつを食べに行こうよ」
「ああ、そうだね(でも、パパはシンちゃんを食べたいぞぉv←腐れ)」
育ちざかりの息子の声に、相好を崩しながら、ガンマ団トップにたつ総帥は、スキップをしながら、おやつを食べる専用の部屋へと足を向けたのだった。
「今日のおやつは何かな?」
ガンマ団総帥室からそれほど離れてない場所にある小さな部屋の扉を、マジックは、息子を抱く腕とは反対の手で開く。
総帥権限で設けた、自分と息子のおやつを食べる専用の部屋は、扉を開いて真正面に大きな窓があり、明るい光が注ぐ気持ちの良い部屋である。
「あのね、あのね。今日のおやつはね、とっても冷たいやつなんだよ」
部屋につくと同時に、マジックの腕からおろしてもらったシンタローは、えへへっと笑いながらマジックに報告する。
(シンちゃ~んv)
そのあまりの可愛さに、あっさり悩殺されて、思い切り背後にのけぞってしまうマジックだが、素早く驚異的な背筋をくしして、立ち直った。
ちなみに、一連の行動は、部屋の奥へと駆けていったシンタローは、見らずにすんだようである。
「冷たいものか。アイスかな? それともゼリーかな?」
「あのね、これっ♪」
とことこと部屋に入り、中央のテーブルにすでにセッティングされていたそれをシンタローは掴むと、嬉しそうにマジックに見せた。
「今日は、ペンギンさんか」
「うん。カキ氷なの」
シンタローが抱えているのペンギンさんの形をしたカキ氷機である。去年の夏、マジックが買い与えてからお気に入りの一品なようで、まだ、夏には少し早い時期にもかかわらず、今年はすでにご登場のようであった。
「僕がパパの分も作るね」
すでに氷とシロップ等は、テーブルの上に置かれている。
このテーブルは、シンタローにも楽々届くように低めに作られているから、カキ氷機を回すのに何の問題もない。
「ありがとう。パパ、嬉しいなv」
んしょんしょ、と一生懸命自分の分のカキ氷を作ってくれる息子の背中を見ながら、マジックをまた垂れだした鼻血をそっとぬぐった。
「シンちゃん。どうして器が三つなんだい?」
ガリガリガリ、とカキ氷機の音が部屋に響く。しかし、シンタローが三杯目のカキ氷を作っているのに気づくと、マジックは、そう訊ねた。
ここには二人しかいないのだから、二人分で十分である。
そんなマジックの疑問に、シンタローはカキ氷機を回す手を止めると、くるりんと振り返った。
「これは、サービスおじさんの分なの」
その言葉に、マジックの頬がひくりと引き攣る。
「サービスの? 彼も呼んだのかい」
「うん。パパを呼びに行く前にね、見つけたから、一緒にカキ氷食べようって言ったの。あとで、来るって言ってくれたから、作っておくの」
(サービスのやつめ。一家団欒を邪魔するとは…)
一生懸命サービスの分まで作る息子の様子を眺めつつ、マジックはそっとハンカチを口にくわえ、キーッとばかりにそれお噛み、引っ張る。
悔しさを存分に表現しているのである。
(それにしても…)
マジックは、うっすらと微笑みつつその三杯目のカキ氷を見る。
来た時に作らないと氷が溶けてしまうのだとは思うのだが、まだまだお子様のシンタローには、そこまで気づかないようである。
教えてやればいいのだが、せっかくの二人っきりのおやつの時間を弟に邪魔されたことに機嫌をそこねたマジックは、溶けかけのカキ氷を食わせてやれ、と大人気ないことを思ったために、それは黙っていた。
「おしまい♪ パパは、シロップなにをかける?」
ガリガリという音が止まったかと思うと、シンタローが振り返る。
思い切りカキ氷機を回せて満足したのか、幸せ一杯の息子の表情を『シンちゃん専用:心のアルバム byパパ』にいそいそと収めつつ、マジックは、ソファーに座ったまま、シロップをさした。
「パパは、メロンをお願いしようかな」
「うん、分かった。メロンだね」
その言葉に大きく頷くと、シンタローは、各種色鮮やかに取り揃えられたシロップの中で緑色をした容器を掴むと、山盛り一杯もられたそれにたっぷりとかけた。
「僕は、イチゴ。あと、れんにゅうも…………うわぁっ!」
「どうしたの、シンちゃん……うっ!」
突然聞こえてきた息子の悲鳴にがばっと身を起こし、駆けつけたマジックは、けれど次の瞬間、鼻を押さえて後退した。
「パパぁ。べとべと~」
半泣きの状態で振り返った息子は、どろりとした白い液体にまみれていた。
練乳をかけようとしたシンタローだが、誤ってそれを自分の顔にかけてしまったのである。
それが、顔だけでなく頬を伝い、ぽたぽたと落ち、あらわになっている膝小僧などに落ちていく。
「し、シンちゃん…」
その姿に、即効卑猥な映像に変換してしまったマジックは、抑えた鼻の間からぼたぼたと鼻血がこぼれている。
「もったいないなあ。…あ、甘いや」
すでに鼻血を止めることは出来ず、がっくりと膝をついたその下で、血溜まりを作っているマジックの前で、シンタローは、ぺろりと手にこぼれた練乳を舐めとった。
「はぅっ! それは…ちょっと………」
なぜか前かがみになるマジックの前で、シンタローは無防備に手や腕についた白いものを小さな舌をちろちろと出して舐めとっていく。
美味しい。
美味しすぎる光景である。
しかし、これではマジックの理性が持ちそうになかった。
プチッ!
「あれ? 何の音だろう」
ふと、妙な音に気づき、顔をあげたシンタローに、マジックはがばりと立ち上がった。
「シンちゃん! パパの白いのも舐め……ぐはっ!」
ドォン!!
突然、ドア付近から、何かが発射され、マジックの身体がふっとんだ。
「あ、おじさん!」
驚いた顔でシンタローが見たものは、手を前に突き出した状態で立っていたサービスの姿だった。
「大丈夫か、シンタロー」
「うん。平気。れんにゅうがかかっただけだもん」
何も知らない無垢な笑顔でそう言うシンタローに頷きながら、サービスは「間一髪」と小さく呟いた。
もちろん、マジックを吹っ飛ばしたのは、サービスが放った眼魔砲である。
「そうか。それじゃあ、綺麗にしに、お風呂に行こうか」
「うん。…あっ、でもパパは?」
部屋の奥に吹っ飛ばされたうえに、焦げ臭さまでもが漂う父親を省みたシンタローに、サービスは、気にするな、とその背を押して、外へ出るように促す。
「これくらい平気だよ、彼は。それよりも、お前がいつまでもここにいるほうが危ないからね。さあ、お風呂場に行こう」
「? うん!」
サービスの言葉の意味を理解してないまでも、大好きなおじさんと一緒にお風呂ということで一杯になったシンタローは、あまり深く考えずに、サービスと一緒に部屋を出て行く。
後に残ったのは、眼魔砲をくらったマジックのみ。
もちろん、彼は、ちょっぴり焦げたりしているが、とりあえず生きていた。
最愛の息子と弟が部屋を出て行く姿に、悲哀を感じつつ、マジックは、最後の力を振り絞って言った。
「し、シンちゃん………お、お風呂ならパパといっしょに………がくっ」
丁寧に、効果音までつけたしたマジック総帥は、部下達に発見されて、大騒ぎになるまで、そこに倒れ臥していたのだった。
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小さな白い花
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ぽとん…と最後の一滴が白いカップの中に落ち、波紋を広げた。
「んv いい色」
覗き込めば、透き通った琥珀色。そこから立ち上る甘い芳香に、グンマはにんまりと笑みを作った。
「後は、これを入れるだけだね♪」
硝子の小鉢の中に入れていたそれを、そっと一つ摘み上げると、琥珀の湖に浮かべるように、それをゆっくりと置いた。
「はい、シンちゃんv」
ソーサーごとカップを差し出せば、「サンキュ」の言葉とともに受け取ってくれる。
「ん? 今日は、ジャスミンティか?」
手元に引き寄せるよりも先に、香りからそれを察してくれたようで、そう尋ねた相手に、お茶菓子の準備をしていたグンマは手を止めて「ご名答★」と返した。
「で、これは…ジャスミン?」
カップの中を覗き込めば、そこには一輪、愛らしい花が浮かんでいるのが見えた。白い花弁がくるくると紅茶の湖の中を泳いでいる。
それは、見覚えのある花であった。確か、どこかの庭に咲いていた気がする。香りが強くて、開花時期には遠くに離れていても、風にのってその香りが匂ってくる花だった。別名茉莉花と呼ばれ、乾燥された花が香料となり、お茶としても広く親しまれていることは、シンタローも知っていた。
それも「ご名答」のようで、小皿へ盛ったパウンドケーキを、差し出してきたグンマは、にっこりと頷いた。
「そうだよ。中庭に咲いていたのを見つけたから、今日、少しだけ貰ってきたの」
今日咲いたばかりのジャスミンの花。ごめんね、と謝ってから、数輪だけ摘んできたのである。
「そっか。もうジャスミンが咲く季節か…」
それを眺めて、感慨深げに呟いてしまった。
総帥の座についたとたんに、忙しくなったシンタローに季節感を感じる余裕はあまりない。外出しても、ゆっくりと周りを見る時間もなく、慌しく用事を片付けて、また本部へと戻る毎日が多いのだ。
けれど、時折こうして季節の移ろいを感じることが出来るのは、この兄弟のおかげであった。
お茶の時間、季節の花を時折こうしてカップの中に落としてくれるのだ。
この間は、バラだった。その前は、桜。そんな風にすることもあれば、お菓子の飾りとして添えられていたり、さりげなく飾られている花瓶の中にだったり、季節をそこに表してくれるのである。
そうやって、自分は季節を感じることができ、そうして、ほっと一息つくのだった。
「シンちゃん、おかわりはどう?」
「ああ、貰おうか」
だからこそ、この時間だけは、大切にしたくて、グンマからお茶に誘われれば、どうしても時間がない時以外は受けることにしている。
(そう言えば、こいつの花言葉に『温和』ってあったけ)
どこかでそんな言葉を見たことがある。
まさにその通りだろう。この小さな可憐な花ひとつで、温和な空気は生み出される。そしてその優しさに、自分は癒されるのだ。
「はい、どうぞ」
何よりも、柔らかな笑みを浮かべる温和そのものの彼から差し出されたジャスミンティを、シンタローはありがたく受け取り、大切なひと時をしっかりと味わうために、それを口に含んだ。
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眠れぬ夜は
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草木も眠る丑三つ時。
「んん~?」
ふっと目が覚めるのは、たまにあること。生理現象か、と思ったがそういうわけでもなく、ただ目が覚めたけのようである。視界に映るのは、薄闇の部屋。寝る前となんら異常はない―――?
「……オイ」
……………これはなんだ?
たっぷり十秒ほどの時を置いてから、シンタローは、それに突っ込んだ。
とりあえず、シンタロー自身は、これがここにある理由がわからなかった。ここは自分のベッドの上。それなのに、なぜ、ここにこれがあるのか。自分自身から、それを招き入れた記憶はいっさいないにもかかわらずだ。
10秒ほど考えて、その思考を放棄した。身に憶えはまったくないのだから、考えたところで答えはでるはずはない。それよりも、その元となるものに訊ねればいいのだが――声をかけるべきかどうか真剣に悩むものだった。
なぜならば、そこにいたのは、小さな子供のように身体を丸めて眠っている人なのだ。短く切った金色の髪が精悍さを匂わす頬にかかっている。いつもは固く結びがちの口元も緩まり、小さな笑みを作りつつも、気持ちよさげにスヤスヤと寝息を立てていた。
穏やかに眠るその姿。
起こすには忍びないと思ってしまうものの、しかし、場所が明らかに問題だった。
「………っていうか、なんで気付かないんだよ、俺!」
確かにシンタローの部屋にあるベッドはキングサイズである。そんな大きなものは必要ないのだが、父親が「パパと一緒に寝るのに必要でしょ!」とたわけたことをぬかしつつ無理やり入れたのである。もちろん、そんな使用方法をしたことは、一度たりともない。ただ、捨てるのがもったいないので、こうして使っているだけだった。
そのために、ひとりで寝てもゆうに二人分ほどの空間ができるのだが、その空間がしっかりと埋まっていた。
「いつ入ってきたんだ?」
まったく、全然、ちっとも気付かなかった。
人の気配にはもちろん敏感である。戦場に何度も立ったことがあるのだ。人の気配に寝ていても気付かないようでは、生き残れない。戦場から離れて随分と立つが、それでも今度は人に命を狙われるような立場になったのである。その感覚が鈍ったとは思ってはいない。
だが、そうなるとコレのいる理由がつかなかった。
「キンタロー…だよな?」
そこにいるのは、もう随分と見慣れてしまった相手だ。
元自分……というべきだろうか。その身体は自分のものであるが、もともとはこのキンタローのもので、とりあえず、ここにいるのは今はキンタローと呼ばれる男である。
自分を殺そうとした男は、けれど今はシンタローのベッドの上で、ぐっすりとお休み中だった。
「おーい、てめぇ、何してるんだ。んなところで」
とりあえず、さっきから小声でぶつぶつ独り言を言っても、起きる気配はないため、指先で頬をつついてみる。
「んんっ…」
ぺしっとつついだ指先を払われる。
ムッ。
その行動に、シンタローは眉間にしわを寄せた。
それを生意気な行動とみなしたせいだ。
「んにゃろ~。それならこれでどうだ!」
こしょこしょ。
今度は、顎の下をくすぐってみる。さすがにこれはきいたようだった。
「ん~~、やめ…ろ」
「やめねぇよ。起きろ、コラ」
こしょこしょ…。
今度は耳の裏をくすぐってやれば、ようやく開いては目を開けた。
「くすぐった……―――――ん? なんでお前がいるんだ、シンタロー」
「……いや、それは俺の台詞だから」
ぐずりつつも、目覚めた相手は、シンタローを視界に納めたと同時に、そう言い放つ。
しかし、そのボケまくった台詞に、起きたと同時に文句を言おうとしたシンタローの言葉を塞ぐのに成功した。
ぼけっとしつつも、起き上がったキンタローは、キョロキョロと辺りを見回し、そうして納得がいったといわんばかりに頷いた。
「そうか……わかった。それじゃあ、お休み、シンタロー」
「ちょーっとまてッ!」
こてん、と再び倒れこみ、眠りの体勢に入ろうとした従兄弟を、シンタローは、再び引っ張りあげた。
「どうかしたのか? シンタロー。夜中に騒ぐのは非常識だぞ」
「いやいや。人の寝所にもぐりこんで、ずうずうしくも寝なおす奴の方が、非常識だからな」
ひとり勝手に理解して、しかも、自分の部屋に帰らずそのまま寝ようとする従兄弟に、シンタローは、はっきりきっぱりとそう言い放った。
「そうなのか? わかった。それじゃあ…」
「――お休みじゃねぇからな、キンタロー」
ゆっくりと瞼を閉じようとする相手を揺さぶって、起こす。
「だから、てめぇはなんで、ここで寝てるんだよっ」
それがまだ、こちらは全然わかってはいない。
起きてみれば、キンタローが横に寝ていたのだ。こちらの驚きと睡眠妨害の理由を話してくれなければ、こちらも眠れない。
「ん~? ああ、それはだなぁ……」
よほど眠いのか、とろんとした眼を手の甲でこしこしと擦りながら、キンタローは話始めた。
「夜はあまり好きではないんだ…暗いのは嫌いでな…でも電気のつけっぱなしは悪いと高松に言われてから消さなければならないし……とりあえず月の光でもないよりましだと窓を開けてて寝てるのだが…やはり暗くて…その暗さが気になって眠れなくて…部屋の外を歩いていたら…お前の部屋の前に来た……」
そこで言葉をとぎらさせ、ふわっと大きな欠伸をする。暗いのが嫌いだと言っているが、ここも薄暗い。ベッド脇の棚に置いてあったライトの光量を落としたものがついているだけで、互いの顔がようやく見えるぐらいである。
それなのに、嫌いだというほどこの場所を嫌っているようには見えなかった。
瞬きを一度すると眼が開けるのが遅い。かなり眠そうである。それでもキンタローは話を続けた。
「…お前の部屋に入るのは簡単で…中に入ったらお前が気持ちよさそうに寝てた…お前が寝れるなら俺も寝れそうで…だから…俺も寝た…以上」
「以上って……」
これで話は終わりのようである。
一応、ここにキンタローがやってきた経緯はわかったが、どこまで本当だと信じていいものか、悩むところである。
(本当に、暗いのがダメなのか? こいつは)
薄暗いこの部屋の中で、うつらうつらと半分眠りかけのキンタローを見ているとそうは思えない。けれど、ふと思い出すことがあった。
(そう言えば、こいつって昼寝をしてるんだよな)
こちらも総帥としての仕事があるために、キンタローの行動を全て把握してはいないのだけれど、この間、午後に高松のところに出かけていれば、高松の元で日常生活のあれこれから専門的な知識まで学んでいるはずのキンタローが、ぐっすりと眠っていたのを見かけた。今はお昼寝の時間ですから、ときっぱりと言い放った高松に、そのまま納得していたが、そのせいで眠れないのではないだろうか、という疑問がわきあがる。
(…いや。それなら暗いのが嫌いだという必要はないか)
いい大人が、笑われるような、そんな幼い子供がする言い訳を口に出さなくてもいいはずである。
(でも、暗いのが嫌いというのは、なんで………ああ)
どこかで、聞いたことがある。生まれたばかりの赤ん坊が夜泣きをするのは、暗いのが怖いせいだと。また狭い母の体内に再び戻ってしまったのかと思い、怯えて泣くのだと。
ならば――。
(キンタローも同じことを思っているのか?)
自分がまた、肉体を奪われ、誰にも気付かれずにいたあの暗く狭い場所に戻ってしまうと思い、暗闇に怯えているのだろうか。
それを、自覚はしていないようだが、それでも、暗闇を嫌うのは、その思いがあるせいに違いなかった。
(なんだかなぁ)
そこまでわかっても、やはり割り切れないのは、この目の前にいる人物が、かつて自分を本気で殺そうとしていたという過去があるせいだろうか。
それでも、今はそんな気配は欠片もないことも事実である。
「はぁ~」
「……どうしたんだ? やはりここにいるのはまずいのか?」
そうではない。
キンタローの思いに気付いてしまったら、自分はもう、この従兄弟をここから追い出せないとわかってしまったせいである。
眠たげに瞼を何度も瞬きさせながらも、こちらを不安げに伺うキンタローに、シンタローは、その肩を押した。不意打ちのおかげで、ころん、とあっさりとベッドの上に転がる。シンタローも一緒に、ベッドの上に転がった。
「シンタロー?」
怪訝な声が耳元に聞こえる。
「もういい。寝ろ」
よく考えれば、今は深夜で、こちらも眠いのである。
色々と考えるのが面倒になってきた。
「……一緒に寝てもいいのか?」
「お前が、それで寝れるというなら、ここにいてもかまわねぇよ」
それが罪滅ぼしだと言うわけではないけれど、暗闇嫌いにしてしまった一端は、自分に確かにあるのだから、仕方がない。
徐々に暗闇嫌いを取り除くとして、今日はもう、ここで寝せるしかないだろう。
(こいつだけは、まともだと思ったんだがなぁ)
やはり青の一族というべきか。
暗闇嫌いは分かるが、それで自分のところに来るという発想が恐ろしい。グンマ辺りにいけば、すんなり眠れただろうに。
「よかった……お前の横ならよく寝れそうだ」
嬉しそうに言われたら、もう許さずにはいられないだろう。
何よりも、明白なことがひとつある。
(つーか、こいつの気配に気付かなかったつーことは、とっくに俺はこいつに気を許してるってことか?)
確かに、今のキンタローを見ていれば、余計な気を張る心配などまったくないが、いつのまにそれほど気を許していたのか―――。
(ま、今はそんなことを考える必要もないか)
ふわっ、とシンタローの口からも欠伸が漏れる。ベッドの上に再び寝転がれば、忘れかけていた睡魔がよみがえる。瞼がすぐに重くなり、意識が遠のいていく。
「お休み…」
そう呟けば、嬉しそうに笑みを浮かべ眠り込む従兄弟の姿が、ぼやける視界に映り込み、なぜか自分もそれに安堵して、一緒にシーツにくるまって、夢の世界へと旅立った。
―――――いい夢を。
BACK
繋がる声
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パタパタパタ。
ガンマ団本部の長い廊下を歩いていると、後ろから軽い足音が聞こえてきた。
聞き覚えのあるその音に振り返ると、ちょうど角からその人物がひょこりと顔を出した。
「あっ! キンちゃん、みっけv」
二十歳をとうに過ぎているとは思えない幼い声でそういった青年は、こちらを嬉しそうに指指すと、やはりパタパタと足音を立てながらこちらへと近づいてきた。
長く伸ばされた、自分とは微妙に色の違う金髪を、リボンでまとめているその青年は、その尻尾のような髪を揺らしつつ、声をあげた。
「よかったあ。キンちゃんを見つけることができてぇv」
『キンちゃん』というのは、自分の名の『キンタロー』という名前を縮めたものだ。
もっとも、キンタローという名前も、自分の本当の名前ではない。
本来ならば、『シンタロー』というのが、自分の名前であるはずだった。
だが、自分ら一族のもつ青の秘石とそれとは対の存在といえる赤の秘石のせいで、複雑に運命は変えられ、本来自分の名前であったそれは、別の人物のものとなった。そして、自分には、いつしか勝手につけられた『キンタロー』という名前が、定着してしまったのである。
もっとも前はともかく今はその名前でも納得して使っている。
何よりも、嬉しそうにこの名前を呼んでくれるものが大勢いるのだから、今更変える必要もなかった。
「グンマ。何か、用か?」
自分の名前を呼んでくれる最たる者の一人でもある目の前の従兄弟のグンマにそう訊ねると、グンマは大きく首を縦に振った。
「うん。そうだよ。もう、ここって広いから探すの大変だったんだから」
息切れしちゃった、と笑いながらそういい、屈強な男達が集うガンマ団の中では、珍しい華奢な細い肩を上下させている。どうやら、かなり探しまわさせたようである。
「それはすまなかった」
別に謝る理由はないが、こうも一所懸命さがさせてしまったとなれば、ついそんな言葉が口を出る。
自分も丸くなったものだと、そう思わずにいられないが、それも悪いことではないような気がする。何よりも、こうして素直に謝れば、グンマはにっこりと笑ってくれるのだ。
「ううん。別に、僕が勝手にキンちゃんを探してただけだし。でもね、やっぱりこの広い敷地内でキンちゃんを探すのは大変だから、これっ! 今度から、これもって行動してくれる?」
そう言って突き出されたのは、見慣れない物だった。
「なんだ、それは?」
グンマの手にあるものをじろじろと眺めるものの、それが何であるのか見当もつかなかった。
手のひらサイズのコンパクトなもので、角のない長方形のような形をしていた。色は銀色をしており、天井のライトの光を鈍く照り返している。何かの機械のようであるが、それ以上のことはわからなかtt。
「これをもっていれば、何かあるのか?」
これはどういうものなのだろかと、不思議に思いつつそう質問すれば、その言葉は、意外なものだったらしく、グンマは目を丸くして、自分の手にもっているものをしげしげと眺め、そうして再び目線を前に戻した。
「キンちゃんって携帯を知らないの?」
「携帯?」
「うん。携帯電話。これのことだよ」
そう言って、自分の手の中にあるものを見えるグンマに、キンタローは、観察するようにそれを見、そして眉間に皺をよせた。
「携帯電話? それで電話するのか?」
これが電話だと言うのだろうか。
自分の知っている電話とは大きく隔たりのあるフォームである。
だが、グンマは肯定するように頷いた。
「そうだよ。これがあれば、どこでも―――といっても電波が届く範囲だけど―――これで、相手と話ができるんだよ。だから、今度からはそれを使ってよ」
はいっ、と手渡してくれたそれを、キンタローは、しげしげと眺めた。
グンマの手のひらでは握り心地がよさそだったが、自分の手には少々小さすぎるようで、落とさないようにしっかりと握り締めないとするりと手の間から滑り落ちそうだった。
しかし、今度は握り締めすぎて壊れてしまわないかという心配も出てくる。結局、それを弄繰り回すこともできずに、ただ眺めていれば、グンマは、納得がいったとばかりに、ポンと手の平を叩き合わせた。
「そっか。シンちゃんは前まで携帯使ってなかったもんね。キンちゃんが知らなくて当然か」
『シンちゃん』と呼ばれる男は、自分の本来名前だった『シンタロー』という名を与えられ、自分の代わりに24年間生きて来た青の秘石の影だ。
そして今もシンタローは、マジックの息子として存在しており、元総帥であるマジックから、譲られたガンマ団を率いている。
複雑ないきさつもあるが、自分は今は、そんなシンタローの従兄弟として存在していた。
けれど、過去。自分は、その男の目を通して世界を見ていた。シンタローの中に、自分が存在していたからだ。その中で、すべての自由を奪われたまま、自分の存在すら誰にも見つけてもらえることなく生きていた。
それでも、シンタローから流れる知識だけは、自分は吸収することができたのである。
当時はそれで、酷くシンタローを憎んでいた。どれほど知識を与えられても、活用する場などないからだ。
苛立ちと焦燥。そんなものが常に体の中で渦巻いていた。
そのために、あることがきっかけで、本当の自分の身体を手に入れた時には、憎い存在であったシンタローの存在の消滅を望んだ。自分が存在するならば、彼は存在してはいけないのだという強い思いからでだ。彼が存在していた時には、自分の存在は無き者にされていたのだから、当然だろう。
もっとも、それもすでに過去のことである。
自分もシンタローもここに存在している。
今はもう、お互いにそんな確執は、なくなっているのだ。それどころか、昔では信じられないことだけれど、彼とはそれなりの友好関係を気づいているのだ。互いに従兄弟同士として、このグンマとともに仲良くやっているのである。
とりあえず、こうして身体を取り戻し、ようやく存在することを認められた自分なのだが、彼の中で学べていたおかげで、日常生活はもちろん一般知識もきちんとあった。
しかし、グンマの言うとおり、あの男は、『携帯電話』というものを使用した経験はなく、自分もまたその存在は知らなかった。
「でも、他の人は使ってたでしょ? ここでは、携帯って必須アイテムだもん」
広すぎて、誰がどこにいるか分からなくなるから。
と、告げるグンマに、俺は、なるほどと頷いてみせた。
「そういえば見たことはあるな」
こんな機械が、よく他のやつらとの実験中にけたたましく鳴り響き、いったん実験を止めることになったことが、何度かあったのだ。
「だが、興味なかったからな」
何かそれに向かってしゃべっている姿を見かけたこともあったが、妙な人間がいるもんだと素通りしてしまっていたのだ。
あっさりとそう告げると、グンマは軽く頬を膨らませて、人差し指を立て、それを自分に向けてきた。
「もう。キンちゃんのそう言うとこ駄目だよ。自分の興味あること以外目を向けないのは、視野が狭くなって、結局自分が損することになるんだって、高松がいってたもん」
親代わりであった高松の言葉を、真剣な顔つきで引用したグンマに、キンタローも素直に頷いた。
「そうか」
「そうだよ。だから、それ使ってねv」
いまだに自分の手の内にあるそれをグンマは指し示す。
「ああ」
グンマがそう言うならば、使っても悪くないだろう。
どう便利なのかはいまいち分からないが―――――今まで不便とは思っていなかったのだから当然である―――――グンマが必要だと思うのならば、それを使用してもかまわない。
「わかった。使おう」
そう返事を返せば、グンマはにこっと微笑み、キンタローの手に収まっていた携帯を取り上げると、折りたたまれていたそれを、パカリと開いた。
「うんv それじゃあ、使い方説明するねっ!」
「じゃあね、キンちゃん! また、後でね」
仕事が残っているとかで、グンマは一通り携帯の説明をすると大手を振りつつ去っていった。
「さてと」
グンマの背中を見送ると、もらったばかりの携帯を手に、キンタローもまた、廊下を歩きだす。
随分時間がたっていたが、気にはしない。ちょうど今行っている研究も小休止に入っており、ここを歩いていたのは、その暇つぶしに、別分野だったが、興味がある研究室の方へと顔を出そうかと思っていたのだ。
グンマもいなくなったことだし、再びそちらへ向かおうと歩き出したキンタローだが、数歩も歩かないうちに、もらったばかりの携帯が鳴り出した。
プルルルルルルルゥ…。
「あー、これだったかな」
慌てず騒がず落ち着いて、初めての着信に、キンタローはのんびりとグンマから教わったばかりのボタンを押した。とたんにそこから大音量で声が聞こえてきた。
『キンタロー様っ!』
「………高松?」
そこから聞こえてきたのは、自分にとっては大切な人の一人であるドクター高松の声。
携帯を耳に押し当て、返事を返せば、とたんに感極まったような声がそこから聞こえてきた。
『ああ、キンタロー様の声が、私の携帯から聞こえてくる………おっと、鼻血が………いえ、グンマ様が、キンタロー様に携帯を差し上げたと言うのを電話で聞いて、早速私もキンタロー様へ電話したのです』
「そうか」
なるほど。確かに便利かもしれないな。
高松の感極まった声を聞きつつ、キンタローは、一人頷いていた。
確か、グンマと高松の研究室も少し離れた場所にあるはずである。しかも、グンマの足ならば、未だに自分の研究所すらも辿りついていないだろう。にもかかわらz、こんなに早く情報が伝わったのは、この携帯のおかげだと言うのならば、確かに凄いものであった。
『これで、いつでもキンタロー様とお話できるのですねっ!! ああ、さすがグンマ様。なんて素晴しいことをしてくださったのでしょうか』
「そうか。よかったな、高松」
『ええっ!』
「じゃあな」
『…えっ? まっ―――』
プツン。ツーツーツー。
キンタローは、あっさりと通話を切った。
何やら高松の方は、まだ話はあるようだが、こちらは、別に今話したいこともない。それに、自分は、今から行くところがあるのだ。
歩きながら会話する、などという高度な技を持ちえていないキンタローは、そう判断して、無情にも断ち切った。
向こうでは、「キンタロー様にきられてしまった」とさめざめと泣く高松の姿があったのだが、もちろんそんなことは、知るはずも無かった。
プルルルルルルルゥ…。
だが、再び数歩もあるかないうちに、またしても携帯は着信の知らせを伝えてきた。
「なんだ?」
なぜ、こうも頻繁になるのかわからない。
故障でもしたのだろか、と思いつつも、とりあえず、キンタローは通話ボタンを押してみた。
「もしもし」
そうして声を放つと、耳から聞こえなれた声が聞こえてきた。
『やあ、キンちゃん。元気かい?』
「………マジック伯父貴」
そこから聞こえてきたのは、いつもハイテンションなナイスミドルことマジック元総帥であった。
『グンちゃんが、キンちゃんも携帯をもったっていったからね。さっそく電話してみたよ♪』
「ああ」
どうやらグンマは、自分が携帯をもったことを言いふらしているようである。
『でね、聞きたいんだけど。君は、シンタローの携帯番号を知っているかい?』
「はあ?」
唐突に尋ねられたことは、自分にはまったく関係ないようなことであった。
けれど相手は真剣な様子で、声を低め、脅すような口調でこちらに尋ねる。
『知っているならぜひに、私に教えて欲しいんだけど』
「………あんたは知らないのか?」
ズバリと核心をついた言葉を返すと向こう側は、うっ、と怯んでくれた。
『…………………………シンちゃんが教えてくれるはずないじゃないか。他の奴らだって(サービスとか)、シンちゃんの番号を知っているくせに、絶対に教えてくれないんだよ』
シクシクと泣きマネをしだしたマジックに、キンタローは溜息をついた。
確かに、この親父に番号を教えたら、始終電話されて、迷惑だろう。シンタローが絶対に教えたくないのもわかる。
「いや、俺は知らない」
『あっ、そう。じゃあね』
プツン。
正直に答えたとたん、即座に切られた。
「なんだったんだ?」
結局、シンタローの携帯番号目当てか。
なんとなく疲れた感じを思いつつ、キンタローは、再び歩きだした。しかし、またもやその足をとめるはめになった。
プルルルルルルルゥ…。
「………いい加減にしろ」
これでは、全然前に進めない。
もちろん歩きながら会話するという技にまだキンタローは気づいておらず、イライラとした感情を沸き立たせつつ、ボタンを押した
「煩い」
それと同時に、不機嫌にそう呟けば、向こう側の相手が一瞬息を呑むのがわかった。
『………悪かったよ、急に電話して』
「シンタローか?」
『ああ』
そこから聞こえてきた声は、意外とも言える声だった。
『グンマの奴が、お前の携帯番号を教えてくれたからさ。……ちょっと電話してみようと思ったんだが。迷惑だったようだな。悪い』
「いや、いい」
確かに、立て続けの電話はうんざりしてきたが、だが、この電話は直ぐに終わらせる気にはなれなかった。
なぜなら、彼と会話を交わすのは本当に久しぶりなのだ。
あちらも総帥に成り立てのためか、忙しいようで、こちらと顔をあわす機会がなかったのである。
「元気か?」
『なんとか、やってるよ。お前の方こそ、研究室に通い詰めと聞いてるぞ、無理するなよ』
「ああ。大丈夫だ。そう言えば、さっきマジック伯父貴から電話があったぞ」
そう伝えれば、電話の向こうから、小さな溜息が聞こえた。
『……俺の携帯番号を聞きにだろ?』
「よくわかったな」
『あの馬鹿親父………キンタローならすぐに教えると思ったな。おいっ! この番号、絶対に奴には教えるなよ』
「わかっている。大変だな、お前も」
『まあな。一度知られた時には、本当に始終電話してきたからな、あいつは』
「面倒なものだな」
『でも、便利な面も結構あるぜ』
「そうだな」
確かにこれは便利だ。
遠くにいる相手とこんな風に気楽に会話ができる。もちろん、普通の電話でも出来ないことはないのだろうが、やはりわざわざ電話がある場所まで行くことや呼ばれる手間を考えれば、携帯電話のこの長所は凄いことである。
『……………………』
「どうした?」
しばらく会話が続いていたが、突然沈黙へと変わった。
そう尋ねるが、相手は何も言わない。
故障でもしたのだろうか、と怪訝げに携帯電話を眺めてみると、再び声が聞こえてきた
『……………………あのさ、また、よければお前に電話をしてもいいか?』
らしくない弱気な発言が流れてくる。けれど、その言葉は、この上もなくシンタローらしくも思えた。
先ほどついつい『煩い』と言った言葉を気にかけているのだろう。ただこちらの短慮でもれた言葉だったのだが、それをかなり気にしている従兄弟に、ふっと口元に笑みが浮かぶ。
「ああ、もちろんだ。俺も電話する」
力強くそう返せば、明らかにほっとしたような気配が向こうから伝わってきた。
『そっか。んじゃな。研究、頑張れよ! ――――またな』
「お前もな。だが、無茶はしすぎるなよ。じゃあ、またな」
確かな約束をお互い口にすると、プツンと通信が切れた。途切れる音とともに、キンタローは、手の中の携帯を見つめた。
「なかなか便利だな、これは」
めったに話すこともできなかった相手とこんなにも距離を短くしてくれるものとは思わなかった。
それに、気のせいかもしれないが、面と向かって話すよりも相手と素直に話せた気がする。自分はともかく、相手の―――シンタローなどは出会ってもあまり話をしない。照れ臭いのか面倒臭いのか、長々とお互いに気持ちを話あったことは、考えてみればなかった。
「これを通して話すとやっぱり違うのだろうな」
面と向かって話せないことも、するりと口から零れ出る。そんな気がする。
ぞんがいに照れ屋な従兄弟と話すのにはぴったりなのかもしれない、と思いつつ、それを眺めていると、
プルルルルルルルゥ…。
またしても電話がかかっていた。
けれど、今度はキンタローも疎むこともなう、それに出た。
「もしもし」
『キンちゃん! 今どこにいるの? 僕今ね、第二研究室にいるから、そこでおやつ食べようよ』
聞こえてきたのは、グンマの声だった。
「ああ、わかった」
どうやら当初目的としていた研究室にいるのはお預けのようである。少し残念な気がしたが、グンマの招待を断る気はなかった。
こちらの方が、楽しい息抜きができるだろう。
それに、何よりも、自分にこれをくれたグンマの誘いを断るなどという不義理はできなかった。
これのおかげで、自分は楽しみがまた一つ増えたのでる。
携帯をしっかりと握り締めると、キンタローは、精一杯の感謝の気持ちを電話から伝えた。
「グンマ。携帯電話をくれて、ありがとう。いいものだな、これは」
今まで話せなかった奴とすんなりと会話ができることができたのも、この携帯のおかげである。
便利なものだとしみじみに思っていると無邪気な声が聞こえてきた。
『えっ? ああ。どういたしましてっ♪ キンちゃんが喜んでくれるなら、僕も嬉しいよ。じゃあ、まってるから早く来てね~!』
「すぐに行く」
そう告げれば、グンマはもう一度『バイバイ』と伝えて電話をきった。
キンタローも、同じようにきるとそれを手に、くるりと方向転換する。自分の目指していた場所と正反対の場所に、グンマの言っていた研究室はあるのだ。
また、電話はなるのだろうかと、手にもっていたそれを眺めつつ歩きだすが、今のところまだ鳴らない。
早くグンマのとろこにいかなければいけないし、今は、鳴るなと願いつつも、キンタローは、顔を綻ばせた。
「本当に、便利だな」
自分の言葉がいつでもどこでも伝えられる。
自分もまた、そんな素敵な発明品を開発してみたいものだという思いを膨らませつつ、足早に移動を始めた。
BACK
Lullaby
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とろりとした眠気が身体を包み込む。
南向きの窓。
レースのカーテンに触れ差し込む日差しは、夏の光にしては柔らかくふりそそいでいた。
不思議に思いつつ眠気ばかりを誘う書類から目を離し、空を見上げれば、薄墨のような雲が珍しく太陽にかかっていた。
「昼寝日和だよな」
こんな日は、木漏れ日の差し込む樹木の下で、寝転がるのが気持ちいい。
まぶしさも薄れ、暑さも和らいでいて、日陰では、丁度心地よい状態となっているのだ。
南国のあの場所でも、こんな日は、早々にやるべきことを片付けて、惰眠を貪っていのを思い出す。
「ふわぁ…」
あくびが一つ、口から零れ落ちた。
とろとろと眠気がどこからともなくあふれ出すような感じがする。うっかり、それに包まれそうになるのをどうにか気力で振り払った。
「まずいな」
それでも重みを増した瞼を無理やりこじ開けるように指先で瞼を押す。
そうしなければ、目を閉じたら最後、眠りについてしまいそうなのである。
昨日、一昨日と仕事がつまっていたせいで、極端に睡眠時間が少なかったのが悪かったのだろう。
だが、ここで眠るわけにはいかなかった。
まだ、仕事はたっぷりと残っているのである。目の前の書類の山がいい証拠。少なくてもこれを片付けないことには、安眠はありえなかった。
あの頃の自分とは違うのだ。
多くの柵(しがらみ)と重荷を背負った自分には、あんな風に眠りを貪れる時間はない。
「けど、やるって決めたことだしな」
総帥になることを選んだのは自分だ。
この道を歩み、そして新たな道を作ることを望んだのは自分だ。
だから、途中で挫折したり投げ出すわけにはいかなかった。
こんなところで、優雅に昼寝をしている場合じゃない。
無理やり自分を叱咤しつつ書類に眼を向ける。
(やんねぇとな)
「無理をするな」
ビクリ。
身体が震えた。
「えっ? ………あっ」
唐突に聞こえてきた声に慌てて振り返れば、そこには見慣れた人物が立っていた。
「キンタロー……いつのまに」
そう呟けば、相手は眉間に大きなシワをいくつか作って見せた。
「気づかなかったのか?」
そう言われれば、シンタローはばつが悪げに顔をゆがめさせた。
「うっ………ちょっとうとうとしてたからだよ」
油断すれば引きずり込まれそうな眠気に逆らおうと葛藤していたら、キンタローの気配に気づかなかったのである。
だが、キンタローの登場に驚いたおかげで、少しは眠気が吹き飛んでくれた。
これでまた仕事が再開できると、いつのまにか落としていたペンを手に持ち、書類に視線を向けたが、その視界が行き成り真っ暗になった。
「なっ!」
驚いて暴れると、何かに後頭部が触れ、そうして耳元で、低くささやかれた。
「一時休憩してろ」
「何言って………その手をどけろよ」
視界を暗くふさいでいるのは、シンタローの背中に回ったキンタローの手だった。
それが、後ろから抱き込むようにして手を伸ばし、シンタローの両目をふさいでいた。
「眠れ」
命令口調なのにそこに柔らさも含まれているから、反発するよりも先に、押し黙ってしまう。
他の者ならば、すぐに否定し拒絶してしまう言葉でも、なのにキンタローに言われれば、自分は奇妙なほどに素直にきいてしまうのだ。
「……仕事が残ってるんだ」
それでも、抵抗を少しはしてみる。
本当に素直に聞けるほど、自分は無垢な人間ではないから、目をふさがれている状態のまま、かすかに動く頭で首を横へと揺らす。
「やらないといけないから、寝てられない」
キンタローの言葉どおりに従うのが正しいとは思う。
眠い頭で能率の悪い仕事をするよりも、少しばかり休憩をとってから、仕事に取り掛かったほうが、自分のためにもいいとは思うけれど、それを怠惰だと思ってしまう自分がいるから、だから無駄に足掻いてみせる。
「代わってやる」
「無理だって」
すぐに返って来た返事に、シンタローは少し苦笑を浮かべた。
ここに来ている書類の大半は、自分の指示が必要なものなのだ。
総帥ではないキンタローが出来る仕事ではない。
「平気だ。お前の考えることは、俺にはわかっているからな」
ぱさりと紙の音が聞こえる。
どうやら、机の上に積まれた書類をいくつか覗いてみているらしい。
「それでも心配なら、後で俺がやった仕事を見返せばいい。それでいいだろう?」 いいのだろうか?
自分のやるべきことをキンタローに任せてもいいのだろうか。
確かに、キンタローは自分のことを誰よりもわかってくれる。
それは当然だろう。彼は24年間ずっと自分の中にいて、自分の全てを見続けてきたのだから。
シンタローの思考回路を読み取ることなど動作もないことのはずだった。
それでも、この仕事は自分がやるべきことなのである。
他人に任せていい仕事ではない。
決心がつかず躊躇っていれば、キンタローの手が、さらりとシンタローの髪を梳く。まるで、昔、母に眠る間際にしてもらった優しい愛撫のように。懐かしさと気持ちよさに、くらりと身体が揺れる。
「眠れ」
もう一度告げられる声。
暖かで安心できる声。
抱き込まれるような状態で、温もりが身体をめぐる。
ふわりと再び眠気が舞い戻ってきた。
とろとろとろとろと沁み込む眠気に身体が重くなる。
暗い視界は、目を閉じているのか閉じていないのか分かりにくくて、どちらでも同じならばと目を完全に閉じた。
それで完全に完敗だった。
もう眠気には勝てない。
「ん………頼む」
それでも眠りに落ちる最後に、自分を眠らせてくれたキンタローに全てを託す。
「ああ」
力強く告げられるその声を耳に、シンタローは今度こそ眠りの淵に飛び込んだ。
「ようやく寝たか」
頑固な従兄弟に、口の端を持ち上げ苦笑いを浮かべたキンタローは、ようやくシンタローの視界をふさいでいた手をどけた。
良く眠っている。
それを確認したキンタローは、先ほど触れていた髪を一房手にとった。
「おやすみ、シンタロー」
その髪に口付けを落としたキンタローは、眠りについたシンタローの傍らで、書類を一枚手に仕事に取り掛かった。
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