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「七夕のような恋はごめんだな」
 不意にキンタローがそう言った。
 当然のごとく、今日は7月7日で、だからといって特別に休みがああるわけでもなく、本日も総帥任務に追われていたシンタローだが、ぽつりともらされたその言葉に意味深長なものを感じ、作業の手を止めて振り返ってしまった。
 そこにいたのは、もくもくとファイル整理をしている従兄弟の姿で、どういう経路から、そんな言葉がもらされる結果になったのか、まったくもって判断がつきにくいほどに、真面目な顔をして淡々と仕事をこなしている最中である。それでも、そのまま放置するには、当事者ともいうべき自分にとっては大問題で―――つまりは、現在お互い恋愛中のつもりだし―――その真意を伺うべき言葉を、シンタローは発した。
「なんで、七夕のような恋はごめんなんだ?」
 『七夕の』という枕言葉がひどく気にかかる。
 その声に、キンタローは、ファイルへ向けていた視線が持ち上げ、こちらを向いた。すでにその眉間にはシワが寄せられており、不審な表情を浮かべている。
 一体なぜそんな顔をするのかさっぱり分からない。
「お前は、そんな恋がいいというのか?」
 そう不思議そうに尋ねられれば、
「ロマンチックだろ。あと、あいつらは何年たってもラブラブだし。別に悪いことじゃねぇだろ」
 当然のような台詞を返してやる。
 一年に一度の逢瀬をいとおしむ恋人達。
 確かに、一年に一度しか会えないことは辛いかもしれないけれど、だからこそ、そこに深い絆と愛情があると思える。
 毎年その日に夜空をみあげ、その一日の逢瀬を見守り微笑む恋人達がどれほどいるか。そうして、七夕の短冊に、あの二人のようにずっと愛し合っていられますように、などと願いをかけるのである。
「ずっと相手を愛してるのは、いいことじゃねぇかよ」
「そうだな」
「そうだろ?」
「だが、俺は嫌だ」
 自分の意見に頷いてくれたにもかかわらず、キンタローは、その後きっぱりと否定してくれる。
「もしかして、一年に一度しか会えないのが不満だって言うのか?」
 それは確かに不服であろう。
 愛している人とは、毎日会いたいし、何よりもいつも傍にいて欲しい。それが、たった365日の中の一日でしかないというのは、切なく歯痒いものだろう。
 そういう意味では、七夕のような恋は嫌なものなのかもしれない。
 けれど、キンタローはその言葉に、横へと首を振った。
「別にそう言うわけではない」
「えっ?」
 違うのか?
 てっきり相手も縦に頷いてくれると思っていたのだが、予想がはずれてしまった。
 それなら、どんな理由があるというのだろうか。
 怪訝に思うシンタローに、キンタローは、軽く唇を尖らせ、不平を口にした。
「そうじゃない。俺は、一日会うだけで満足するような恋は、ごめんだと言うのだ」
 その思わぬ言葉に、自分の眼がパチクリと見開かれるのがわかる。
 そういう意味か。
 ようやく彼の言いたいことがわかったけれど、それは意外な言葉でもあった。
 確かに、彼らの恋はそう言うふうにとれないこともない。けれど――。
「別に、あいつらはそれで満足しているわけじゃねぇだろ? だから、一日の逢瀬を待ち望んでいるんだし」
 会いたくても会えない事情が二人にはある。
 だが、キンタローは、それで納得してはいないようだった。
「好きなら、ずっと傍にいればいい」
「だから無理だって。天の川があるし」
「泳げばいい」
「神様が許さないし」
「神様なんていらない」
「ガキのワガママみたいだな」
「ガキのような恋で結構だ。俺は、そんなものが大人の恋愛というなら、ごめんだな」
 キッパリと言い切る相手は、確かにあんな川も渡りきり、神の制止の声さえも無視しそうである。
「俺は、絶対に愛する人に、一年で一日しか会えないような状況を作りはしない」
 それは確かにそうだろう。
 それほど愛し合っている恋人同士なら、そんな困難も乗り越えて当たり前なのかもしれない。
 織姫も、彦星にそんなことをされたら、きっともっと彼のことを愛してしまうに違いない。
 なぜなら、自分がそうだから。
 ただの想像だけだけれど、たぶん…きっと…絶対に、キンタローがそうまでして自分の元へと会いに来てくれたら、二度と離れないことをその場で誓うに違いない。
「それなら、俺もそんな恋はごめんだな」
 一年に一度だけ―――そんなことは我慢できないのだから。相手が来ないのならば、こちらが来る気概で。きっと離れたその瞬間から追い求める。

 それが、たぶん―――俺たちの恋。
 



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 蒼く深い海の底に大きなお城がありました。そこには、海を統べる王とその子供達が住んでいました。
 ある日のことです。
「シンちゃん。どこへ行くのかな?」
 海の王マジックは、お城の廊下を歩いていた息子の一人を呼び止めました。
「あん? そんなこたぁ、てめぇに言うことでもねぇだろう」
 その可愛い生意気な返事に、マジックは、にっこりと微笑みました。
「シンちゃん―――ここで襲っていい?」
「すいません。ごめんなさい。ちょっと向こうに用事があるだけです」 
 シンタローは、慌てて頭を下げました。
 相手は、やるといったらやる男です。ある意味誰よりも危険人物な存在なのです。
 そのうえ、海の王であるマジック相手では、人魚であるシンタローでは太刀打ちできないのです。
 下手に不興を買うのは馬鹿がやることでした。
「ふぅ~ん。向こうに用事ねぇ」
 何やら思惑ありげな声音でそう呟くマジックに、シンタローは、じりじりとマジックから距離を保ちつつ、そのまま一気に逃げる隙をうかがっていました。しかし、もちろんそんなに思い通りにいくはずがありません。
 素早く距離を縮められると、がっしりと肩を捕まれてしまいました。
「シンちゃん。いっつも行ってるけど、外は危ないから出ちゃいけないからねv」
「んなッ! なんでわかるんだよ。俺が外へ行こうとしているのが」
 その言葉に、シンタローはビックリしてしまいました。
 マジックの言うとおり、シンタローは外へいくつもりだったのです。でも、それは父親に禁じられていたために、こっそりと出ていくつもりだったのです。
「シンちゃんのことなら、パパはなんでもわかるんだよ。さ、お部屋に戻るよ」
「はーい」
「んv いい子だね」
「――――と見せかけて、あばよ!」
 ガツッ!!
「~~~ッ! ……シンちゃんッ!?」
 良い子のお返事をし、マジックの促されるままに向きをかえたシンタローですが、マジックに隙が生まれた一瞬を身のがさず、マジックの脛を思い切り蹴りつけました。その痛みに怯んだ隙に、シンタローは、あっという間に外へと出かけていったのでした。
「シンちゃ~~~~~ん。カムバァ~~~~~ク!!」
 父王の叫びは、空しく廊下に響き渡ったのでした。





「ったく、うるせぇ親父め」
 シンタローは、毒づきながらも久しぶりの城の外を堪能していました。
 青い世界は、いつ見ても綺麗です。ですが、それを毎日見ていては、やはり飽きて来ます。
「ちょっと外を見るぐらい、どうってことないだろうが」
 シンタローは、尾を揺らめかせ、ぐんぐんと深い海の底から海面を目指して昇って行きました。
 シンタローの目的は、海面から顔を出し、空と陸を見ることです。そこは、海の底とは全然違った、色鮮やかで美しい世界が広がっているのです。
 海の中で退屈しきっていたシンタローにとっては、それは何よりも刺激的で、魅力的なものでした。
「せっかくの嵐だってぇのに、城の中でいられるわけがねぇだろ」
 海の中ではありえない光景を見せる外の世界ですが、特に面白いのが、海が荒れている時でした。海の深い底では感じられない強い雨と風が顔に打ち付けるのが気持ちよくてたまりません。高い波に身体が上昇したり急降下するのもスリルがあり、楽しくてたまりません。
 外が大嵐だと聞けば、シンタローはこっそりと外へ出てきていたのです。
 この日もそんな日でした。
 ようやく海面から顔を出すと、すぐに大波に顔を洗われてしまいました。丁度いい具合に、嵐の真っ最中のようです。
「すっげぇ」
 素晴しい荒れ模様にシンタローは思わず感嘆の声をあげました。
「あれ?」
 そうして、ぐるりと海面を見ていたシンタローでしたが、その視線の端に、面白いものを見つけました。
「船だ…しかも、凄くでかいな」
 シンタローは、小さな木の葉のように海に弄ばれている一艘の船を発見しました。こんな荒れた海の中を航海するのは、大変危険なのですが、その船は、嵐の中に存在しておりました。
「傍に行ってみよう」
 何か面白いものが見れるかもしれません。
 好奇心一杯で尾を翻すと、シンタローは、その船に向かって突き進んで行きました。傍へ近づくと、船は想像以上に、とても大きいことが分かりました。
 ですが、その船がいとも簡単に波によって左右上下へと大きく傾かされていました。
「あっ!」
 シンタローが声をあげた瞬間、もっとも高い波が、船を襲いました。そのとたんに船は、横へと大きく傾きました。海水が甲板を勢いよく洗い流し、そして何かが海に向かって落ちたのがシンタローの目に見えました。
「大変だッ」
 それが人であることが、海に潜って初めてわかりました。
 シンタローは、懸命に尾を振ると、沈んでいくその身体を追いかけて行きました。ようやく、沈むその身体を捕まえると、今度は海面まで上昇していきます。人一人分の重さに、尾を動かすのも辛いのですが、それでもシンタローは泳ぎ続けました。
「ふぅ…ここでいいだろう」
 シンタローがたどり着いたのは、どこかの岩場でした。
 嵐はもう遠くの方へと行っています。船も見えなくなってしまいました。その人間をもう、船に戻すことはできません。
 それでも陸地に連れていってあげたのだから、文句は言われないだろう、と思いつつシンタローは、岩の平らになっている部分を見つけ、にいて人間を一生懸命押し上げました。
「お~い、生きてるか?」
 シンタローは、半身を海につけたまま、拾ってきた人間の顔が波にかからないところまで引き上げると、ぺしぺしと手で頬を叩きました。
 ですが、青白い顔をしたそれは、なんの反応もしませんでした。
 ベシベシッと今度はより強く叩いて見ましたが、少し頬が赤くなっただけでした。
「……これは、あれか? 人工呼吸という奴をしなければいけないのか」
 もちろん海の中に住むものが、溺れるはずがなく、人工呼吸などという方法は知るはずがありませんが、年寄り達に話を聞いていて、シンタローも方法は知っていました。少々ご都合的な展開ですが、いいのです。
「まあ、いいか。不細工でもないし」
 自分を助けたものを改めてシンタローは見ました。
 そこにいたのは、とても綺麗な青年でした。キラキラと輝く金髪が目に眩しいほどです。きている服も立派なもので、シンタローは自分が助けたものに満足しました。
 なんとなくいい拾いものをした気分です。もちろん助けただけで拾ったわけではないのですが。
 そう言うわけでして、シンタローは、その青年の唇にそっと己のものを重ねて、息を吹き込んであげました。 
 何度繰り返したでしょうか、そのうち、青年の口から大量の海水が吐き出されました。
「よっしゃぁ!」
 それは、息を吹き返したあかしです。
 それを見届けると、シンタローは、そっと青年から離れました。自分の姿は人間とっては異形です。見つかってしまえば、捕まえられ見世物にされるのです。シンタローは、素早く海へと身を翻しました。
 ですが。
「まてっ」
「うわっ! な、なんだよ」
 シンタローの尾が行き成りつかまれました。ビチビチッと魚のように尾を振って暴れてみますが、捕まえられたそれは離してもらえませんでした。海の方向へ向かってシンタローは、叫びました。
「離せっ」
「嫌だ」
「なんでだよ」
「さあ?」
「分からないなら離せっ」
「それはダメだ」
 進展の全然ない押し問答の末、シンタローは尾を跳ね上げるのを止めました。
 そうして振り返ると、そこには自分の尾をしっかりと握った青年の顔が見えました。少し前までは死にそうな顔をしていたのが嘘のようです。そうして、晴れた日の海原のような瞳がこちらに向けられていました。
「俺をお前にとって命の恩人なんだぜ? 捕まえて見世物にしようとか思わないでくれ」
「なんで、お前を見世物にするんだ?」
「へっ?」
 シンタローは、てっきりそのまま陸地へと連れていかれて、見世物にされると思っていたのです。けれど、あっさりと違うと言われて、なんとなく拍子ぬけてしまいました。
「んじゃ、何ぜ俺を放してくれないんだよ」
「お前が逃げるからだろ?」
「だって、俺は人魚だぜ」
「そうだな」
「そうだなって…分かってるなら、逃げるも分かれよ。だいたい人魚は人の前には出ないもんだろう」
「そうなのか?」
「……いや、まあ俺も知らないけどさ」
 真顔でそう返されると、はっきりとした決め事など知らないシンタローはつい口ごもってしまいました。明らかにあちらのペースに巻き込まれているのですが、あいにくシンタローはまったく気付いてませんでした。
「それじゃあ、逃げなければ、それ、離してくれるか?」
 尾は、ぬるぬるしているために滑りやすく、相手はしっかりと握りしめているのです。ですが、その指が食い込んで、シンタローは、痛い思いをしていました。
「本当に逃げないのか?」
「海の神にかけて約束する」
 その言葉を口にすると、その青年は、ようやく手を離してくれました。
「あ~、痛かったぜ」
「それはすまなかった」
 すぐに謝ってくれる男に、シンタローはどう反応するべきか困惑してしまいましたが、仕方がないので、横柄に頷いてあげました。
「ああ。もう二度とんなことするなよ」
「わかった」
 やはり素直に頷いてくれるので、結局それについて、怒ることはできませんでした。
「ところで、何か用なのか」
 それが疑問でした。
 自分を見世物にする気がないならば、ここは溺れる心配のある海の上でもないのだから、自分には用事はないはずである。
 いったいなんのために、海へと帰る自分の行く手を阻むのかと問いかければ、その青年は、言いました。
「命の恩人にお礼をしなければいけないだろう」
「お礼?」
「そうだ」
「ふぅ~ん。どんなお礼だ?」
 思っても見なかったことですが、もらえるものはもらっておこうかな、とシンタローは思いました。素敵なものならば、海の仲間達に自慢してあげられます。
 あの胸に輝くピカピカ光る奴とか、指にはまっているキラキラ青く輝く石でもいいな、と思いつつ、期待に胸を膨らましていると、青年は、シンタローの目をじっと見て言いました。
「お前を俺の后にしてやろう」
「…………はぁあ?」
 それは何の冗談でしょうか。
 ですが、そう言った本人は、いたって真面目な顔をしておりました。
「えっと…なんで?」
「そういう話だからだ」
 当たり前のようにそう言ってくれますが、それで片付けられても困ります。
 シンタローは、慌てて否定するように、相手に向かって手をふりました。
「いや…マテッ。『人魚姫』の話を言うなら、あれは悲恋話だろ。結局王子と人魚姫は結ばれなかった――という」
「だが、人魚姫は王子を愛していたのだろう」
「まあな」
 それは間違いありません。
 だからこそ、人魚に戻れるチャンスをふいにして、王子から身をひいたのである。 
「それならば、お前は王子である俺に惚れているということだろう」
「いや、その展開はいささか強引じゃ…」
「だが、お前は寝ている俺にキスをしたじゃないか」
 その言葉に、シンタローは、一気に顔を赤らめました。
「意識あったのかッ!」
 あれは、意識を失っていると思ったからこそやったのです。なのに、しっかりと覚えていると言われて、シンタローは、そのまま岩場の縁に撃沈しました。
「事実を認めたな」
 それを掬い上げるように、キンタローの手が伸びてきました。顔を上げさせられ、シンタローは、決まり悪げに王子様を見つめました。
「いや、あれはただの人口呼吸――んッ!」
 キスとは違うといおうとしたシンタローの唇は、目の前にいた王子の唇に奪われてました。
 唐突のそれに驚いて口を開いたままでいると、そこからするりと王子の舌が入り込んできました。深く深く奥へと潜り込んでくるようなそのキスです。ですが、中の舌はまるで嵐の中の船のように忙しく動き回り、シンタローは海の底で溺れるような感覚を覚えました。
「んっ…あ…はぁ」
 ようやく唇を離されて、そのまま息も絶え絶えに砂浜に倒れこむと、その身体を王子様の手によって掬いあげられてしまいました。
「なっ、何する」
 暴れようとするその身体をたくみに押さえて、王子様はいいました。
「城に戻って婚礼の準備だ」
「マテマテマテッ! 俺は人魚だぞ」
 こんな身体で、結婚などできるはずがありません。
 そんなことをすれば、自分は結局は見世物と同じ目にあいかねません。そんなのは、ごめんです。
 けれど、そんなことを王子様がさせるわけがありませんでした。
「大丈夫だ。うちには腕のいいドクターがいる。あいつならば、お前を人間にしてくれるだろう」
 そう断言され、シンタローは王子のの腕の中で憮然とした顔を見せました。
「って…なんか話が違ってる」
 その通りです。何か色んなものをすっ飛ばしています。
 ですが、王子はまったく問題ないと言い切りました。
「気にするな。世の中ハッピーエンドならば、問題なしだ」
「そうなのか?」
「そうだろ」
 やはり真顔できっぱりと言い切られると、シンタローも真正面から反対し辛いものがあります。
「……まあな」
 それに、シンタローだってやっぱりアンハッピーエンドよりもハッピーエンドを望んでいるんです。
 抵抗をやめたシンタローに、王子は自分の城へ向かうために歩き出しました。けれど、数歩いくとぴたりと足を止めました。怪訝な顔で、止まった王子の顔を見ると、柔らかく微笑んでいる王子の顔がありました。
「ああ、言い忘れていたが。俺もお前に一目惚れしたからな。愛してるぞ」
「なんかそれ、すっごいずるい気がする」
 そんなことを言われてしまったら、もう逃げることはできません。シンタローだって、本当のところこの綺麗な王子様に初めて見た時から惹かれていたのですから。
「俺も……愛してるからな。―――ちゃんと、俺を幸せにしろよ!」
 どこかのお話のように、泡になるのは嫌です。そう告げたシンタローに、王子様はしっかりと約束しました。
「ああ。必ず幸せにしてやる」
 こうして、人魚だったシンタローは、ドクターの手によって人間となり、陸に住む王子様と一緒になりずっと幸せに過ごしましたとさ。

 めでたしめでたし。

 



 ――おまけ――

「シンちゃぁ~~~~~~ん! カムバァ~~~~~~~ク!!! ……しくしくしく、シンちゃぁ~ん。戻っておいでぇ~。パパ寂しいよぉ~~~~~~~~~!」
 深海で、その声がいつまでもいつまでも響いていましたが、その願いが聞き届けることは永遠にありませんでした。

 
 


 





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 昔むかし、あるところに、それはそれは可愛いらしい美少年がおりました。

「……俺はまだ美少年の部類なのか?」
「キンタロー様は永遠の美少年ですッ! この高松が保障いたします」
 と、まあそう主張する人もいますし、物語上美青年でも全然構わないのですが、とりあえずということで話は進めて行きましょう。

 そんなわけで、その美少年はとても利発で愛らしく、育ての親の高松が舐めんばかりに可愛がり、そうしてその子のために、赤い頭巾―――もとい、赤い前掛けを作ってあげました。その前掛けには、大きく『金』の文字が入っており、そのために、その子はどこへ行っても、キンタローと呼ばれておりました。

「まてっ、その展開は強引だろう。だいたい、俺の名前は元々(?)キンタローだ」
「いいんです。キンタロー様。ささ、私の作ったこの前掛けを身につけてください。もちろん上半身は裸でお願いいたします」
「………高松、鼻血が吹き出てるぞ」

 というわけで、毎日赤く彩られた生活をしているキンタローでしたが、ある日、育ての親の高松に用事を頼まれました。
「キンタロー様。大変申し訳ないですが、マジック様がお風邪を召したという連絡が入ったので、この高松特製栄養ドリンクを持って、マジック様のところへお見舞いに行ってきてくれませんでしょうか」
「マジック伯父貴が風邪をひいたのか。それは大変だな」
「ええ。きっと年寄りの冷や水のようなことでもしたんでしょう。まったく迷惑なことですよ。ま、そんなわけでして、頼まれて仕方なく栄養ドリンク作ってさしあげたのはいいんですが、私は、明日の学会のためにちょっと手が離せないんです。ですから、キンタロー様に届けてもらいたいのですが、宜しいですか?」
「ああ、かまわないぞ」
 心優しいキンタローは、高松の申し出を快く引き受けました。
「ありがとうございます。本当にキンタロー様はお優しい。きっと育ての親がよかったのですね」
「ああ。世の中には、反面教師という言葉もあるからな」
「えっ? …キンタロー様。それって冗談ですよね?」
 それはいいとして、さっそくそのドリンクを運んでもらうために、入れ物として籠を用意した高松は、それをキンタローへとそれを渡しました。けれど、すぐに出かけようとするキンタローを呼び止めると、いいですかこれから言うことをよく聞いてください、といいました。
「キンタロー様。森を通る時にはお気をつけくださいね。近頃、真っ黒なオオカミが出て、人を食っていくという噂があるのです。万が一にもキンタロー様の身に何かあったら、この高松。か弱い心の臓が止まってしまいますッ! くれぐれも森を通る時には、オオカミに出会わないように気をつけてください」
「わかった」
 高松の心臓が弱いなどとは初めて知ったキンタローでしたが、それならば、育ての親の心臓を止めないように気をつけなければ、と心に決めて、特製栄養ドリンクを入れた籠を手に、出かけて行きました。
 それを見送りながら、高松の手は心臓へと押さえつけられていました。
「ふぅ。キンタロー様。無事帰ってこれるでしょうか。私のか弱い心臓が、先ほどからドキドキしてますよ―――って当たり前ですけどね。止まってたらシャレにもなりませんよ、あははははっ」
 どこら辺が本当にか弱いのか、胸を掻っ捌いて見てみたい気もいたしますが、見なくても毛が生えていることは間違いなしの心臓を持っている高松は、明日に迫った学会用の資料をまとめるために部屋へと篭って行ったのでした。


 
 
「真っ黒いオオカミか……どんな奴だろうな」
 しっかりとお使い用の籠を持ち、キンタローは森の中を歩きながら、そう呟きました。
 今まで危険な場所は、育ての親から行くことを禁止されており、またその言いつけもよく守っていたキンタローは、オオカミなどという危ない動物には出会ったことはありませんでした。
 けれど、やはり興味はあります。
「図鑑で見たオオカミはとても綺麗だったが、実際にそうなのだろうか」
 高松の持っていた生物図鑑で見たオオカミは、威風堂々とした顔つきで佇んでいる姿を捉えておりました。幼い頃は、その気高さにうっとりと見惚れたこともあるキンタローは、ぜひに一度、その目で見て見たいとは思いましたが、高松のか弱い心臓を守るためにも、薄暗い獣道は通らずに、森の中にまっすぐと作られた大通りを進んで行きました。
 しばらくすると、キンタローの横にあった大きな木が、風もないのに、ざわりと揺れました。
 それに不思議に思って右へと振り返ってみると、いつの間にか、左側の首元に鋭い刃物を突きつけられておりました。
「バーカ。あれは罠だよ。あり金全部だしな」
 首を元に戻し、視線を左一杯に向けると、そこには黒髪の青年がいました。
 キンタローは、その状態のまま、ぽんと両手をたたきました。
「なるほど。油断したな」
 紐か何かで、木を揺らし、そちらへ相手の気がそれたのを見計らって素早くこちらに近づき、急所に刃物をつきつけたのです。それは瞬きほどのできごとで、とても手馴れた様子でした。
「なんだよ、てめぇ。全然怖がらないんだな」
「いや。しっかりと驚いているぞ」
「そうは見えねぇよ」
 正直に答えてあげたキンタローですが、相手は残念ながら信じてくれませんでした。
「お前は、キンタローだろ?」
「俺の名前を知っているのか?」
「その赤い前掛けを見れば分かるさ。変態ドクターと一緒に住んでる金髪の奴といえば、お前だけだろ?」
「そうだな」
 育ての親が変態呼ばわりされましたが、キンタローは否定もせずに、あっさりと流してしまいました。聞かれていたら、涙と鼻血を流して哀しまれたでしょうが、もちろんここには彼はいないのでかまいません。
 それに、変態を変態と呼ぶのは当然だと、キンタローはちゃんと分かっていました。
「で、お前の名は?」
 自分だけ名前を知られているのも具合が悪く、綺麗な黒髪をした男に尋ねると、男はあっさりと答えてくれました。
「シンタロー」
「そうか。それなら、シンタロー。ひとつ尋ねるが、俺は、黒いオオカミが出ると聞いてはいたんだが、お前のような奴が出てくるとは思わなかったぞ」
「ん? ああ。それは、俺のことだろ。俺はこの辺を縄張りに盗賊をやっていて、巷では『黒い狼』で名が知れている」
 そう言うと、シンタローは、束ねていた黒いオオカミの尻尾のように長い髪を跳ね上げて、ニカッと笑ってみせました。
 キンタローは、それを見たとたん、自分の中にあったオオカミへの憧れと重なる気持ちを抱きました。
 本物の狼ではないのは、少し残念ですが、けれど、この人間もオオカミのように綺麗な存在に見えたのです。
「なるほど、そう言うわけか。ところでお前は俺を食べるのか?」
 高松の言葉の中には、人を食うとという言葉もありました。でも、キンタローが勘違いしたように、高松も正しい情報を知っていたとは限りません。というのも、高松は真っ黒いオオカミが実は人間で、盗賊だとは、一言も言ってなかったからです。
 だから、キンタローは真実を確かめるために、尋ねてみました。
「本当に冷静だな、お前は。―――俺は、人なんかくわねぇよ。そりゃ、比喩だよ、比喩! 有り金全部巻き上げて、裸同然で外に放りだしてやってるから、相手によっては食われかけた、とでも行ってるんだろ。盗賊にやられた、というよりは、まだ格好がつくだろうし」
「そうか」
 キンタローは、自分の持っていた籠をちらりと見ました。その中には、マジック伯父貴のための特製栄養ドリンクが入っているだけです。有り金を渡せと、目の前の男は言っていますが、キンタローが持っているのは、これひとつと。後は自分の服のみでした。果たしてどこまで取られるかが、問題です。できれば、そのまま見逃して欲しいのですが、キンタローは、未だに刃物を首に押し付けられたまま言いました。
「俺は、生憎金はひとつも持っていないんだが」
「本当か?」
「調べてもいいが、俺の持ち物は、この籠と中に入っているドリンクだけだ」
「ふ~ん」
 刃物をキンタローに押し付けているために、シンタローには、それを確かめることはできません。けれど、キンタローを見ていると、それだけのように思えました。しかし、だからと言ってこのまま引き下がっては盗賊としての名が廃ります。
「まあ、いいや。ちょうど喉が渇いてたし、そのドリンクをもらうぜ」
 そう言うと、器用に片手で蓋を開けるとシンタローは、そのドリンクを全て飲み干してしまいました。
「んん? すっぱウマッ。―――って、なんだよこれの原料は」
「さあ?」
 今まで味わったことの無いそのドリンクに、シンタローは不思議に思いつつ中味を尋ねましたが、キンタローは、首を横へと傾げてみせました。
「高松からは、特製栄養ドリンクとしか聞いてないから、何が入っているのか、俺は知らない」
 作る過程をみていれば、少しはわかったかもしれないが、それも見ておらず、一見綺麗なオレンジ色をしたそれに、何が含まれているかは、キンタローが知るよしもありませんでした。
「ゲッ!………これ、変態ドクター作かよ―――栄養ドリンクなら問題ねぇと思うけど」
 その言葉に、一抹の不安を感じてしまったシンタローでしたが、とりあえず、今のところ生きているし大丈夫だろうと思うことにしました。
 しかし、効果は後からじわじわとわいてきたのでした。
「どうしたんだ?」
 キンタローが思わずそう声をかけたのは、首筋に当てていた刃物が突然震えだしたからです。
 しだいにぶるぶると大きく振るえだし、とうとう刃物がポトリと地面に落ちてしまいました。同時に、シンタローもまた膝を折るようにしてその場に座り込みました。
「まさか、あの飲み物のせいか!?」
 慌ててその肩を掴むと、うざったげに払いのけられました。
 それに、思わず呆然としてしまえば、
「触るな……すっげぇ暑いんだよ」
「えっ?」
「暑い暑い暑いッ!」
 そう喚くと、行き成りシンタローは着ていた上着を脱ぎだしました。
「……シ、シンタロー?」
 突然のその行動に、らしくなくうろたえるキンタローでしたが、相手は構わずに、脱いだその服で、バタバタと自分の身体を煽りだしました。
「なんだよ、これ。めちゃくちゃ身体が暑い。…くっそぉ、栄養ドリンクじゃねぇだろ、これ」
「そういわれても…」
 文句を言われても、キンタローには、その中に何が入っているのかわかりません。唐突過ぎる相手の文句に、オロオロするしかする術がありません。
 けれど、どうにかしてあげたい、という気持ちはありました。
「シンタロー。どこか水場でも探して…」
 身体が暑いなら、やはり冷やすのが効果的でしょう。そう思ったのですが、その場に膝とついたままのシンタローは、動いてくれません。
 抱き上げて連れて行ってあげたいのですが、先ほどのように振り払われると哀しいので、どうするべきかと考えあぐねていますと、
「……ッ。あ~もぉ、なんだよ、これ。キンタローぉ」
 シンタローが、焼け付くような暑さに耐え切れぬようにして、キンタローの腕にしがみついてきました。頬は桜色に蒸気しており、瞳はすでに赤く血走り潤んでいました。その瞳がまっすぐとキンタローに向けられ離れません。
「どぉにかしてくれ…」
 暑いといいながらも、すがりついてくるシンタローに、キンタローは、ふとあることが脳裏を掠めました。
「もしかして、この薬…」
 少し前に、高松が薬を作っていたのを思い出しました。その薬も確か、綺麗なオレンジ色をしていたのをキンタローは覚えてます。そして、その薬の名前も当然覚えてました。
「催淫剤…か?」
 キンタローは、シンタローを見ました。すでに上半身は裸です。汗ばんだ素肌が、触れた手に吸い付きます。試しに、とキンタローは、すでに赤く色づきツンと突き出た胸の飾りを指先で擦るように触れてみました。
「んぁ! ああ…やっ」
 とたんに苦しげに身悶えしましたシンタローですが、同時にあげた甘い嬌声に、キンタローは確信を持ちました。
「高松は、どうやらあげるドリンクを間違えたみたいだな」
「もぉ、なんでもいいから…キンタロー…助けろ」
 薄く開かれたままの唇からちらりと赤い舌をみせ、熱い吐息とともに漏らされた言葉に、キンタローは、ごくりと喉を鳴らしました。
 あちらからのご指名です。
 すでに涙で潤むそれは、こちらに絡みつくような視線へと変わっています。こうなった以上、キンタローもそのまま見捨てるわけには行きません。
「わかった」  
 キンタローは、しっかりと頷くと、熱くなったシンタローの身体を抱き上げました。
「俺が責任をもってお前を助けてやる」
 とても責任感が強いキンタローは、そう告げると、人気の無い茂みの裏へと、シンタローとともに向かいました。

 しばらくすると、茂みの中から、
「んっ…あっああ、キンタロー…んあぁ…あつぅ…はぁ…あん」
「ああ…お前のなかは本当に熱いな」
 熱い吐息とともに、そんな声が森に響き渡りました。
 こうして優しいキンタローは、暑さに苦しむオオカミを助けてあげたのでした。



 めでたしめでたし?
 





「おやっ?」
 パカッ。
 開かれた冷蔵庫の中をしげしげと眺めた高松は、あるはずのないものを見つけました。
「キンタロー様に渡したはずの栄養ドリンクがここに……なぜ?」
 けれど、その原因はすぐに分かりました。
「うっかりしてましたね。キンタロー様に渡したのは、特製催淫剤のようで。ま、いいでしょう。飲むのはマジック様ですし。ティラミスやチョコレートロマンスが相手なら――――はっ! もしかしてキンタロー様の前で飲んで、キンタロー様が食われちゃったらどうしましょ!!! キンタロー様ぁ~~~~~~ご無事でいてくださぁ~い!」
 その心配されている本人が、現在お食事中であることは知るよしもなく、高松は、空へ向かって高々と叫んだのでした




 ―おまけ―

「ルン♪ルンルン♪ は~やくオオカミさん来ないかなぁ。パパ、もう我慢できないよ。来たら即行で食べちゃうよv」
 襲いに来たオオカミを反対に食べるという、裏王道的な展開を期待していたマジックだが、もちろんそれを期待するだけ無駄だと言うことも知らず、いつまでも、いつまでも訪れぬ来訪者を待っていたのでした。

 
 


 





sts



「高松?」
 そっと保健室の中を覗き込み、声をかけるが、相手からの返事はなかった。人気のない白い部屋。
「いないのか…」 
 どうやら相手は、外出中のようである。今日は、一日仕官学校の保険医をしているはずだから、何か用事が出来て席を外しているのだろう。それでも、そう長く留守にする気はないのは、部屋に鍵をかけてない様子からしてわかった。何よりも、彼の白衣が、椅子の上に無造作に置かれたままだ。
 折角仕事の合間にやってきたというのに、相手が留守とはがっかりである。けれど、まだもう少し自分には時間がある。その間に帰ってくるかもしれないと期待を込めて、シンタローは、保健室の中へと足を踏み入れた。
 久しぶりのその場所は、かつて自分が士官学校時代に訪れた時とさして変わらない。ツンと鼻に来る、消毒薬の匂いが染み付いたその空気を懐かしげに吸い込みながら、シンタローは、高松が普段座っているのだろう椅子へと手を伸ばした。
 触れたのは、さらりと滑る白い布。
 高松の白衣だ。
 見慣れたそれが、くたりとそこに下がっていた。
 きょろり、と辺りを見回して、誰もいないことをしっかりと確認してから、そっとそれを手にとった。ダンスを踊るかのように、白衣の袖を手にとって、それを自身の元へと寄せて見た。
 ふわり。
 香るのは、高松の匂い。嗅ぎなれた……とまではいえないけれど、白衣越しに抱きしめられた時には、いつもこの匂いがする。そのせいだろうか、傍に彼がいないのに、なぜかトクトクと胸の鼓動が早くなるのを感じた。
 彼に特別な感情を抱きだしたのは、いつからだろうか。気がつけば、彼の匂いだけで、こんなにも動悸を早めることができるようになってしまった
「………好きだ」
 普段は面と向かっていえない言葉が思わずもれる。けれど、それを口にしたとたん、ここにその相手がいない切なさが込み上げてきた。息がつまる。胸が苦しい。そこから逃れたくて、
「高松―――」
 ギュッと白衣を抱きしめ、好きな相手の名を呼んだ。そして―――。
「はい、なんですか?」
 応えられた。
「なッ!?」
 ギョッと身体を跳ね上がらせ、慌てて振り返れば、保健室のドアの前に、にこやかな表情で立っている高松の姿があった。
「い、いつの間に」
 帰ってきたのだろうか。
 まったく気がつかなかった自分の失態に、心中で罵倒しながらも、その目は、彼を凝視していた。何度見ても、間違いなくここの部屋の主だ。動揺を隠せぬまま、硬直しているシンタローに対して、憎らしいほど落ち着いた雰囲気を漂わせた相手は、どこか楽しげに言葉を吐いた。
「先ほどからですよ。そうですね――貴方が私の名を呼ぶ少し前でしょうか」
 それは、自分の告白も聞いたということだろうか。訊ねたいところだが、恥ずかしすぎて、聞けはしない。
「…………」
 お陰で押し黙ることしかできなくなった自分を見つめ、ふっと笑みを零した高松は、自分のテリトリーである保健室内へと躊躇いなく入ると、湯沸しポットの方へとむかった。
「何か用事でしたか? それならば、お待たせしてすいませんでした。―――時間があるのならば、お茶を入れて差し上げましょう。そこへお座りになってください」
 そういわれたところで、抱きしめるようにしていた白衣をどうするか困ってしまう。また元のように椅子に戻せばいいのか、白衣を着ていない彼へと手渡す方がいいのか、困惑していれば、高松の手が差し出された。
 返せ、ということなのだろう。おずおずとそれを渡せば、『ありがとうございます』の言葉とともに、その身に白衣を着込んだ。
 見慣れた姿がそこにある。なんとなく、ホッとすれば、それを狙ったかのように、袖口へと、高松は鼻を寄せた。
「―――貴方の匂いがしますね」
 低めの声でぽつりと零された言葉。
 先ほどまで自分が抱きしめるようにしていた白衣に顔を寄せた高松のその言葉に、思わずカーッと頬が火照っていくのがわかる。
 こちらの香りがつくほど、抱きしめていたつもりはないのだけれど、本当に香りが移ったのだろうか、それとも冗談なのだろうか。シンタローには判断つかず、またもや羞恥のせいで、動くこともままならなくなっていれば、すっと身体を近寄らせた、相手が耳元へ言葉を落としてくれた。
「でも、出来ることなら、次からは、私自身に抱きついてくださいね。それから――私も貴方のことが好きですよ、シンタロー様」
「ッ!?」
 やはり、先ほどの告白をしっかり聞いていたのだ。
 朱色にそまった顔を覗き込まれ、唇を寄せられる間も、微動だに出来ずにいたシンタローの鼻に、ふわりと高松の香りが匂った。
 
hhh



 手を伸ばせば、もしかしたらその身体に触れる事が出来るかもしれない。
 それだけの距離。

 足を一歩踏み出せば、もしかしたらその身体を感じられるかもしれない。
 それだけの空間。

 それなのに何故?

 ――――ここで立ち止まる自分がいるのだろう。




「どうした?」
 余裕綽々といった風体で、言われるのが気に食わなかった。明らかに、今の状況を楽しんでますといわんばかりに、軽く細められた眼がむかついて堪らない。
 それがそっくりそのまま表情まで出てしまい、むぅとふくれっ面になる自分がいるのがわかる。
 けれど、嫌ならば、そこから去ってしまえばよかった。そうすれば、少なくても、気に食わない相手の顔を見ずにすむ。
 それなのに、どうして出来ないのだろうか。
 理由?
 もちろん、自分の中で答えは出ている。それが分かるから、余計腹立たしいのだ。
「……どうもしねぇよ」
 仕方がないから視線を逸らしてみても、その視界の端に、くくっと喉を鳴らしてこちらの反応を楽しむ相手の姿見えてしまう。
 本当に、その顔面に眼魔砲のひとつでもくれてやりたい。
 そう思った瞬間、反射的のように手の平に、覚えのある高濃度の熱が凝縮された。けれど、それを相手に放とうとする合間に、躊躇いが生じて霧散してしまう。さっきからこの繰り返し。馬鹿馬鹿しいったらありゃしない。
「約束しただろ? シンタロー総帥」
 わざとらしく役職名を出してくれる。いけ好かないが、けれど言われていることは、正しくて、
「ああ、そうだな」
 頷かなければいけない。不本意ながらも、それは間違いなかった。
 『約束』
 それが今、彼と自分とに、この距離を作っているのだ。
 約束の元になったのは、『総帥』としての仕事からである。
 ガンマ団が、依頼を受けていた仕事は、少々困難を極めるもので、より強い戦力が必要だった。だから、命じたのだ。特戦部隊に―――この戦乱をこれ以上長引かせることなく終わらせてくれ、と。
 けれど、送り出すにも不安があった。常に彼らは破壊し過ぎたのである。それは、今のガンマ団の理念から大きく外れることで、それだけは止めたくて、とっさに約束してしまった。
『もしも、敵方を半殺しで留めることが出来たら、俺からキスしてやってもいいぜ? ハーレム』
 それは、ちょっとした冗談のつもりでもあったのだ。こちらの命令を渋る相手に苛立って、半ばやけっぱちも含んで、そう言ったのである。
 てっきり『何ふざけたことを言ってやがる』などといって、そのまま流されると思ったのだが、相手は逡巡もなく『わかった。お前の命令を聞いてやる。だから、俺が帰ってきたらてめぇからキスしろよ、シンタロー』と言い放ってくれたのだ。
 男に二言は無い。
 今更取りやめにもできずに、OKを出した。
 そうして相手は、その言葉どおり実行してくれたのだった。見事なまでに、短期間のうちに、長く続いていた戦乱に終止符を打ってくれた。しかも半殺しでとめて、である。
 それならば、今度はこちらが約束を守る番だ。
 ハーレムへ、自分からキスをする。
 たったそれだけ――それぐらい、たいしたことはないと思っていた。これまた不本意ながらも――それは単なる照れ隠しでの意味だが――目の前の相手とは、何度もそういうことをした間柄である。けれど、こんな状況は、初めてだった。
(…畜生ッ! 何やってんだよ、俺は。いつもは、こんなんじゃねぇだろッ)
 自分からのキスだって初めてではない。初めてではないが、その少ない状況は、常に相手からの挑発に乗ったり、思考能力の乏しい状況下――ぶっちゃけ愛の営み中――だったりするもので、こんな風に素面の状況で、相手がただ黙って待っているという状況は、初めてだった。
 ドクドクと煩いぐらい心臓が音を立てている。必死で隠しているが、身体は震えそうである。
 怖がることではない。
 怯えるところではない。
 相手と微妙な距離をあけたまま硬直状態の自分に、片眉を持ち上げ不服そうにハーレムは口を開いた。
「そんなに俺にするのが嫌か?」
「なんでッ!」
 どうして、そういう思考になるのだろうか。
 間髪いれずに否定すれば、相手は驚いたような表情をしたが、すぐに満足げに頷いてくれた。こっちは、言ってしまった取り返しのつかない言葉に、赤くなった頬を隠すために、俯くしかない。もちろん、足はまだ動かなかった。
(……嫌なわけじゃないんだ)
 イヤならば、とっくにこの場から逃げ出しているだろう。恥ずかしすぎて落ち着かないけれど、足が後方に下がることは決してない。
 けれど、やはり………視線を上向ければ、ばっちりと重なり合う視線。こちらを真っ直ぐと見つめる瞳は、自分を欲しているのがまざまざと分かるから、羞恥が先にこみ上げる。さすがにこの状況で、これ以上相手に近づいて、というのは無理だった。
 だから、最後の手段とばかりに言い放つ。
「目を瞑れッ! ハーレム」 
「そんなことしたら、てめぇの顔が見れねぇだろうが」
 すぐさまブーイングが来たが、聞く耳はもたなかった。
「いいから、瞑れッ!」
 怒鳴るように言えば、少しばかり残念そうな表情を浮かばせながらも承諾してくれた。
「へーいへいへい」
 そう言うと、すっと青い瞳が閉じられる。あの自分を見据える瞳が隠れただけだが、それでも、ようやく息苦しさも少しだけ弱まってくれた。
 これで、前に進めそうである。
 前に―――。
 ただ、それだけなのだが。
(くッ……前線にいた時でさえ、前に進むのなんかこれほど怖くはなかったぞ)
 先ほどから収まらなかった強い鼓動がさらに早さを増していた。意識すればするほど、それは早くなる。 けれど、それは嫌な早さではなかった。ただ、高揚感がまし、一歩踏み出しているはずなのに、空中に足を乗せたような、浮遊感がある。それでも、相手の距離をようやく縮めて、見上げる状態で、相手の顔を覗く。
 しっかりと閉じられた瞳、こちらは思い切りドキドキしているのに、貰うのが当然とばかりの表情でそこにいるのがやっぱりムカついてしまう。
 その頬を引っ張って見たい欲求に駆られたが、そこは我慢して、相手に手を伸ばした。
 伸び上がらなければ届かぬ相手である。つま先立ちになるのに、バランスを取るためその肩に触れ、その胸に触れたとたん、先ほどの自分の苛立ちが誤解であることが分かった。
(……なんだよ)
 せっかく収まった羞恥心がぶり返してしまう。こちらと同じぐらい早い鼓動。触れたとたん緊張感が伝わってくる。
 たかがキス。
 お互い何度も交わしたことがあるのに、なぜ、この一回がそんなにも胸ときめかすものになるのだろう。
 理由も分からぬままに、とうとうその唇に触れた。
 感じ慣れた、その厚みと形と質感。乾燥した地域にしばらくいたせいだろうか、少しばかり唇が荒れていて、ざらつき感がある。
 触れるだけの口付け。
 それだけなのに、どこか新鮮に感じるのは、それが酷く久しぶりだからで――。
(そっか……なんだかんだいって、一ヶ月ぶりなんだ)
 そう思ったら、バランスを取るために肩においていた手が伸びていた。その手が、ハーレムの首の後ろへと回される。そうしてその身体をさらに自分の方へ引き寄せるようにして、もう一度、その唇を味わうように近づける。
 けれど、触れるギリギリで留まり、
「待たせたな」
 一言そう呟けば、パチリと開く青い瞳。間近にあった青玉の眼が、柔らかく緩むように笑んだ。
「待ち焦がれてたぜ」
 こちらが赤面するほど正直な感想。
 でも、それは、きっと自分も同じことだ。本当は、こちらこそが待ち望んでいたのである。彼の唇に触れることを。
 それは、触れた瞬間気がついた。
 だからといって正直に告げはしない。自分がこの唇を欲していたなんて、絶対にだ。
 告げれば、付け上がるに決まっている。
 何よりも―――あの距離を躊躇う自分が必要だから。



 一歩の距離。
 それが自分を保つために空間であり、境界線。
 
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