+++総帥の不機嫌な日+++
いつか来ると聞いていたから心の準備はしていたけれど。
いざ、本当にそういうことになるとやっぱり衝撃は受けるわけで。
それでもおいそれと寝込んでしまえるような優しい内容の仕事をしている
わけではないうえに、別段病気というものでもないわけで。
今日も我らが総帥は執務室で黙々と執務を執行していた。
「…シンタロー。どうした?なんだかいつもにまして眉間の皺が多いようだが。」
シンタローの補佐官であるキンタローはいつものように仕事をこなしてはいるが、
明らかに不機嫌なオーラをかもし出しているシンタローに聞いた。
キンタローだからこそ平然としているが、新入団員がその威圧感に
当てられたら恐怖に立ちすくむところだろう。
原因不明で現在女性であるにもかかわらず、
シンタローには平素の総帥としての貫禄は健在だった。
「あぁん?別になにもねぇよ。」
それに、明らかに不機嫌な様子でシンタローは返す。
「あまり無理はするな。お前に倒れられては元も子もないからな。」
「うるせぇな。何もねぇつってんだろーが。」
シンタローを心配してのキンタローの言葉だったが、シンタローは
やはり不機嫌なままそう返す。
そこへ遠征から戻ったばかりの伊達衆のミヤギが報告に総帥室への
入室許可を取りたいとの連絡が入った。
ミヤギの入室許可を承諾するとすぐに彼はやってきた。
「シンタロー総帥。東北ミヤギ、ただ今遠征から帰還したべ。」
敬礼しながらミヤギはそう言った。
「ああ、ご苦労さん。今回の遠征も長かったからな。疲れただろ?」
そんなミヤギにねぎらいの言葉をシンタローはかけるが、
ミヤギはシンタローの顔を見るや、言った。
「なんだかシンタロー、機嫌悪そうだべな。もしやアノ日じゃねぇべな?」
冗談混じりにミヤギはそう言ったが、それが地雷だった。
「眼魔砲!!!!」
ちゅどーん。
「ぎゃーーー!!!!」
普段は相手がマジックかアラシヤマ以外にはよほどのことがないかぎり
簡単には自身の必殺技を使わないシンタローだが、今回は違った。
眼魔砲により半壊状態になっている総帥室で肩で息をしているシンタローに
向かってキンタローは平然と言った。
「シンタロー。お前、ついに来てしまったんだな。この日が。」
「うるせぇ、平然とぬかすな!!!!!」
むきになってシンタローがキンタローに食って掛かる。
「そうか、もしや生理痛で不機嫌なのか?それなら痛み止めだ。
飲むといい。」
エキサイトしているシンタローとは対象的に、キンタローはいたって平然と
そう言いながら錠剤をシンタローに渡す。
「…お前は本当になんかズレてるよナ。」
呆れながらもシンタローはその薬を素直に受け取る。
丁度そのとき、半壊になってバリアフリーとなった総帥室へ
この部屋が半壊する原因の八割は担っているであろう人物が乱入してきた。
「シンちゃーん。おめでとう、女の子の日が来たんだって?今日はお赤飯にしてあげるね~」
ガンマ団元総帥、マジックその人だった。
いつものごとくピンクのスーツにシンちゃん人形片手にそんなことを
叫びながらシンタローへ近づく。
「眼魔砲!!!!!!!」
そんな元総帥へ、本日二回目の眼魔砲が炸裂した。
ちゅどーん
「どいつもこいつも人の気も知らないで浮かれてんじゃねぇ!!!!!」
たまらずシンタローは叫ぶ。
「ふふふ。シンちゃん密かに特訓していたね。眼魔砲の威力があがっているよ。」
服をボロボロにされつつかすり傷程度だがダメージを受けている様子のマジックが
起きあがってきた。
(ちなみにミヤギはいまだにダウン中)
「ちっまだ本調子には及ばねぇか。」
そんなマジックを見つつシンタローは呟く。
「シンタロー、あまり激しい運動はしないほうがいい。出血がひどくなるらしい
からな。」
やはり平然とキンタローは言う。
「………それも、本かなんかで仕入れた知識か?」
「ああ、その通りだ。」
その日の夜、本当に夕餉に赤飯を炊いたマジックは再度
シンタローの眼魔砲を食らう羽目になるのだった。
(ちなみに赤飯はちゃんと食べた。)
おわり。
はい、サブタイトル「女のこの日」でした(爆)
最初はこのタイトルで行こうと思っていたのですが、
タイトルからネタバレ満載だったので止めときました(笑)
いつか来ると聞いていたから心の準備はしていたけれど。
いざ、本当にそういうことになるとやっぱり衝撃は受けるわけで。
それでもおいそれと寝込んでしまえるような優しい内容の仕事をしている
わけではないうえに、別段病気というものでもないわけで。
今日も我らが総帥は執務室で黙々と執務を執行していた。
「…シンタロー。どうした?なんだかいつもにまして眉間の皺が多いようだが。」
シンタローの補佐官であるキンタローはいつものように仕事をこなしてはいるが、
明らかに不機嫌なオーラをかもし出しているシンタローに聞いた。
キンタローだからこそ平然としているが、新入団員がその威圧感に
当てられたら恐怖に立ちすくむところだろう。
原因不明で現在女性であるにもかかわらず、
シンタローには平素の総帥としての貫禄は健在だった。
「あぁん?別になにもねぇよ。」
それに、明らかに不機嫌な様子でシンタローは返す。
「あまり無理はするな。お前に倒れられては元も子もないからな。」
「うるせぇな。何もねぇつってんだろーが。」
シンタローを心配してのキンタローの言葉だったが、シンタローは
やはり不機嫌なままそう返す。
そこへ遠征から戻ったばかりの伊達衆のミヤギが報告に総帥室への
入室許可を取りたいとの連絡が入った。
ミヤギの入室許可を承諾するとすぐに彼はやってきた。
「シンタロー総帥。東北ミヤギ、ただ今遠征から帰還したべ。」
敬礼しながらミヤギはそう言った。
「ああ、ご苦労さん。今回の遠征も長かったからな。疲れただろ?」
そんなミヤギにねぎらいの言葉をシンタローはかけるが、
ミヤギはシンタローの顔を見るや、言った。
「なんだかシンタロー、機嫌悪そうだべな。もしやアノ日じゃねぇべな?」
冗談混じりにミヤギはそう言ったが、それが地雷だった。
「眼魔砲!!!!」
ちゅどーん。
「ぎゃーーー!!!!」
普段は相手がマジックかアラシヤマ以外にはよほどのことがないかぎり
簡単には自身の必殺技を使わないシンタローだが、今回は違った。
眼魔砲により半壊状態になっている総帥室で肩で息をしているシンタローに
向かってキンタローは平然と言った。
「シンタロー。お前、ついに来てしまったんだな。この日が。」
「うるせぇ、平然とぬかすな!!!!!」
むきになってシンタローがキンタローに食って掛かる。
「そうか、もしや生理痛で不機嫌なのか?それなら痛み止めだ。
飲むといい。」
エキサイトしているシンタローとは対象的に、キンタローはいたって平然と
そう言いながら錠剤をシンタローに渡す。
「…お前は本当になんかズレてるよナ。」
呆れながらもシンタローはその薬を素直に受け取る。
丁度そのとき、半壊になってバリアフリーとなった総帥室へ
この部屋が半壊する原因の八割は担っているであろう人物が乱入してきた。
「シンちゃーん。おめでとう、女の子の日が来たんだって?今日はお赤飯にしてあげるね~」
ガンマ団元総帥、マジックその人だった。
いつものごとくピンクのスーツにシンちゃん人形片手にそんなことを
叫びながらシンタローへ近づく。
「眼魔砲!!!!!!!」
そんな元総帥へ、本日二回目の眼魔砲が炸裂した。
ちゅどーん
「どいつもこいつも人の気も知らないで浮かれてんじゃねぇ!!!!!」
たまらずシンタローは叫ぶ。
「ふふふ。シンちゃん密かに特訓していたね。眼魔砲の威力があがっているよ。」
服をボロボロにされつつかすり傷程度だがダメージを受けている様子のマジックが
起きあがってきた。
(ちなみにミヤギはいまだにダウン中)
「ちっまだ本調子には及ばねぇか。」
そんなマジックを見つつシンタローは呟く。
「シンタロー、あまり激しい運動はしないほうがいい。出血がひどくなるらしい
からな。」
やはり平然とキンタローは言う。
「………それも、本かなんかで仕入れた知識か?」
「ああ、その通りだ。」
その日の夜、本当に夕餉に赤飯を炊いたマジックは再度
シンタローの眼魔砲を食らう羽目になるのだった。
(ちなみに赤飯はちゃんと食べた。)
おわり。
はい、サブタイトル「女のこの日」でした(爆)
最初はこのタイトルで行こうと思っていたのですが、
タイトルからネタバレ満載だったので止めときました(笑)
PR
+++ことの発端+++
ある朝、目が覚めたら。
昨日まで無かった胸部の脂肪があり。
昨日まであった男としての象徴が無くなっていた。
「コレはてめぇの仕業か、アーパー親父!!!!」
驚いて放心とか、ショックで失神するなどという状態にはならず、
この異常現象の原因になりそうな人物の元へとシンタローは即座に
怒鳴り込みに行っていた。
「君は…?もしかしてシンタローなのかい?」
いきなり怒鳴り込んできた団内ではいるはずの無い女性に、
マジックは内心驚いたが、その口調と身体的特徴で判断して聞いてみる。
「そうだよ!!!!あん?アンタの仕業じゃねぇのか?」
その言葉に、少し平静を取り戻すシンタロー。
「違うよ。…それにしても可愛いね、シンタロー。お母さんの若い頃にそっくりだ。」
そう言いながら、シンタローの頬へ手を差し入れ微笑むマジック。
「順応早すぎるだろ、親父…。」
そんな父親の態度にあきれながら呟くシンタロー。
だが、大人しくしていたのが間違いだった。
空いている方の手で、マジックはシンタローの膨らんでしまった胸を
鷲摑んだからだ。
しかも、服装は昨日就寝時のときの服装のままなので、
シャツとズボン一枚だった。
身体が女性体へと変化してしまっているので、サイズがかなり困ったことになっていた。
シャツは元々首元が空いている上、かなり緩くなっていて、
今にも胸が出てしまいそうな状態だった。
ズボンは長くなった分たくし上げ織り込み、ウェストは紐で縛ってなんとか着ている状態だった。
「!!!??」
「うん。中々いいサイズだ。Dくらいはあるかな?」
「こぉんのエロ親父!!!!!眼魔砲!!!!!」
そう叫ぶとシンタローは力一杯タメなし眼魔砲をお見舞いした。
衝撃音が部屋に響いた後、煙の中からマジックは出てくる。
だが、マジックにはたいしたダメージは無かったようだ。
服が少し汚れている程度だった。
秘石眼の力である程度相殺したというのもあるが、
それでも普段のシンタローの力だったら身体にダメージが及ぶほどの
被害が出る。
「う~ん。本当に女性化してしまってるみたいだね。力も弱まっているようだ。」
「ちっくしょう、一体なんだってんだよ…。」
ショックなのと悔しいのとでシンタローは唇を噛んだ。
「いいじゃない、シンちゃんだったら家事全般オッケーなんだし。パパはいつでもシンちゃんを
お嫁さんにする気でいたしねぇ~。いい機会だからいっそそうしちゃおうじゃないか!!!!」
「馬鹿野郎!!!!何言ってやがる!新生ガンマ団を立ち上げてまだ1年だぞ!?
それなのに総帥がいきなり行方不明になってどうすんだよ!!!!!」
「伯父貴邪魔するぞ。朝から親子喧嘩か…?」
「もう~こんな朝早くから二人ともうるさいよ~?また痴話喧嘩?」
シンタローが再度爆発しそうなときに、グンマとキンタローが
返事も聞かずにずかずかとマジックの部屋へ上がりこんできた。
そして、シンタローの変わり果てた姿を見て、一気に石化した。
「お、お前シンタロー…なのか?」
珍しく、キンタローが動揺している。
「わぁーシンちゃん女の子になったんだねぇ~。可愛い~~。」
血は争えないのかマジックと同じように尋常じゃないスピードで順応するグンマ。
「あっさり順応してんじゃねぇよ、グンマ。
キンタロー、俺だって信じたくねぇ事実だがホントに俺がシンタローだ。」
疲れたのか、ややうんざりしながらシンタローは答えた。
「しかし、何故いきなり女性体になっているんだ?」
「その辺は俺も物凄く知りたい。
…親父が原因じゃないとすると、ジャンに聞くのが手っ取り早いか?」
従兄弟達と話して大分落ち着きを取り戻したのかシンタローはそう言い出した。
元々今のシンタローの身体はジャンのもの。
もしかしたらジャンに聞けば何かが分かるかもしれない。
「すぐにサービス叔父貴に連絡を取ってみよう。解決できるなら内々に済ませたいだろう?
お前は出来るだけ部屋から出るな。」
「悪いな、キンタロー。頼む。」
いつもの調子を取り戻したのか、キンタローはいつもの有能な補佐官ぶりを発揮した。
「えー。折角だからもう少しそのままでいようよシンちゃ~ん。」
「そうだよ~折角可愛いのに~。」
と、マジックとグンマ。
「阿呆か!さっきも言ったけど団のことはどうすんだよ!!!!!」
「それはまたパパが代行という形で総帥に…。」
「それじゃ代変わりした意味ねぇだろうが。」
「大丈夫、シンちゃんはパパに毎日お味噌汁を作ってくれてればいいから!!!!」
と、鼻血をたらしながら答えるマジック。
「答えになってねぇー!」
憤慨するシンタローを余所に、キンタローはサービスへ連絡を取るために部屋を出た。
サービスとジャンは一緒にいるはずだから。
タイミングがよかったのか、サービスとジャンは丁度ガンマ団本部へ数時間でいける場所にいた。
事情を説明し、二人はこちらに来てくれる事となった。
「いや、話には聞いたけどホントに女になってんのなぁ。中々可愛いじゃん、シンタロー。」
気楽なジャンの言葉はシンタローをイラつかせるには十分だった。
「元々は同じ顔のシンタローがこうなのだから、お前も女性化したらさぞかし可愛いのだろうな。」
「…そういう問題じゃないです。美貌の叔父様…。」
この二人がすぐに来てくれたのはただ単に見物しに来たんじゃないかと思うほど
サービスとジャンは気楽だった。
「で、どうなんだ?何か知っていることはないか?」
見かねたキンタローがジャンへ問いかける。
「う~ん。俺もその身体使って随分長かったけどそんな異常現象おこったことないぞ。」
あっさりと答える。
つまり、原因は未だ不明ということだ。
「まぁ、可能性として、こういうとお前は嫌だろうが、お前の魂自体は青の番人のものだ。
影とは言えな。それが長く赤の番人の身体であるその身体に入っているうちに何らかの異常を
きたしたのかもしれないな。」
ジャンのその言葉を聞き、シンタローは呟く。
「俺はこの身体になって不調になったことはねぇぞ。だけど、アンタの言葉で
ありえそうなことがもう一つ浮かんだぜ…。もしかしたら、秘石の仕業かも知れねぇな。」
その言葉に、その場にいた全員が沈黙する。
その石のせいでどれほど自分達一族が酷い目に合ったか、
記憶は未だ鮮明だ。
「はっ!上等じゃねぇか。もし秘石のせいならどうせまた暇だからやったとかいう
くっだらねぇ理由に違いねぇ。俺は思惑通り面白おかしく踊ってやる気はさらさら無いぜ。」
そう言ってシンタローは笑う。
「…親父、キンタロー、それにグンマ。面倒なことになったが俺はこんなナリでも総帥を続けたい。
協力してくれるか?」
真剣に、シンタローは三人にそう言った。
「それでこそお前だ。安心しろ、今まで以上にお前をサポートしてやる。」
とキンタロー。
「勿論!僕でできることならなんでも協力するよ~。」
そう言ってにっこり笑うグンマ。
「お前を後継者にしたのは正解だったよ、シンタロー。
自分の思うようにやってみなさい。」
そう言って、マジックは優しく微笑んだ。
「でも、そんなに気負わなくても大丈夫だよ、シンちゃん。
シンちゃん団内で物凄く人気あるからみんなついてきてくれるよ」
のほほんと、グンマがそう言う。
「あのなぁ、普通あんまり簡単には受け入れられないと思うぞ、こんな異常現象。」
あきれた様子でそう返すシンタロー。
「心配は無い。よく考えてみろシンタロー。マジック伯父貴の奇行にもついて来ていた
団員達だぞ?全然問題ないだろう。」
「…それもそうかもしれん」
「…酷いいいようだね、キンちゃん、それにシンちゃんまで…。」
そう言ってマジックは涙を流すのだった。
シンタローの懸念とは余所に、団員達は驚くほどの順応を持って、
シンタローの女性化を受け入れた。
問題は、そのせいで、今まで以上に実際にシンタローに手を出しにかかる
愚か者が増えるだろうということだった。
(男性体の頃も密かに狙っていた団員は結構いた。(手を出されたいというのも含め。))
(それは本人以外は知らない事実だったが。(キンタローや伊達衆が密かに粛正していた。))
何はともかく、ここに、ガンマ団史上初めての女総帥が誕生することとなった。
やってしまいました、女化シンちゃん(滝汗)
新生ガンマ団はシンちゃんをアイドル化してると思う。(重症だよこの人。)
ので、女体化しててもノープロブレム(笑)
中身は男前なままですしね(そういう問題じゃない。)
ある朝、目が覚めたら。
昨日まで無かった胸部の脂肪があり。
昨日まであった男としての象徴が無くなっていた。
「コレはてめぇの仕業か、アーパー親父!!!!」
驚いて放心とか、ショックで失神するなどという状態にはならず、
この異常現象の原因になりそうな人物の元へとシンタローは即座に
怒鳴り込みに行っていた。
「君は…?もしかしてシンタローなのかい?」
いきなり怒鳴り込んできた団内ではいるはずの無い女性に、
マジックは内心驚いたが、その口調と身体的特徴で判断して聞いてみる。
「そうだよ!!!!あん?アンタの仕業じゃねぇのか?」
その言葉に、少し平静を取り戻すシンタロー。
「違うよ。…それにしても可愛いね、シンタロー。お母さんの若い頃にそっくりだ。」
そう言いながら、シンタローの頬へ手を差し入れ微笑むマジック。
「順応早すぎるだろ、親父…。」
そんな父親の態度にあきれながら呟くシンタロー。
だが、大人しくしていたのが間違いだった。
空いている方の手で、マジックはシンタローの膨らんでしまった胸を
鷲摑んだからだ。
しかも、服装は昨日就寝時のときの服装のままなので、
シャツとズボン一枚だった。
身体が女性体へと変化してしまっているので、サイズがかなり困ったことになっていた。
シャツは元々首元が空いている上、かなり緩くなっていて、
今にも胸が出てしまいそうな状態だった。
ズボンは長くなった分たくし上げ織り込み、ウェストは紐で縛ってなんとか着ている状態だった。
「!!!??」
「うん。中々いいサイズだ。Dくらいはあるかな?」
「こぉんのエロ親父!!!!!眼魔砲!!!!!」
そう叫ぶとシンタローは力一杯タメなし眼魔砲をお見舞いした。
衝撃音が部屋に響いた後、煙の中からマジックは出てくる。
だが、マジックにはたいしたダメージは無かったようだ。
服が少し汚れている程度だった。
秘石眼の力である程度相殺したというのもあるが、
それでも普段のシンタローの力だったら身体にダメージが及ぶほどの
被害が出る。
「う~ん。本当に女性化してしまってるみたいだね。力も弱まっているようだ。」
「ちっくしょう、一体なんだってんだよ…。」
ショックなのと悔しいのとでシンタローは唇を噛んだ。
「いいじゃない、シンちゃんだったら家事全般オッケーなんだし。パパはいつでもシンちゃんを
お嫁さんにする気でいたしねぇ~。いい機会だからいっそそうしちゃおうじゃないか!!!!」
「馬鹿野郎!!!!何言ってやがる!新生ガンマ団を立ち上げてまだ1年だぞ!?
それなのに総帥がいきなり行方不明になってどうすんだよ!!!!!」
「伯父貴邪魔するぞ。朝から親子喧嘩か…?」
「もう~こんな朝早くから二人ともうるさいよ~?また痴話喧嘩?」
シンタローが再度爆発しそうなときに、グンマとキンタローが
返事も聞かずにずかずかとマジックの部屋へ上がりこんできた。
そして、シンタローの変わり果てた姿を見て、一気に石化した。
「お、お前シンタロー…なのか?」
珍しく、キンタローが動揺している。
「わぁーシンちゃん女の子になったんだねぇ~。可愛い~~。」
血は争えないのかマジックと同じように尋常じゃないスピードで順応するグンマ。
「あっさり順応してんじゃねぇよ、グンマ。
キンタロー、俺だって信じたくねぇ事実だがホントに俺がシンタローだ。」
疲れたのか、ややうんざりしながらシンタローは答えた。
「しかし、何故いきなり女性体になっているんだ?」
「その辺は俺も物凄く知りたい。
…親父が原因じゃないとすると、ジャンに聞くのが手っ取り早いか?」
従兄弟達と話して大分落ち着きを取り戻したのかシンタローはそう言い出した。
元々今のシンタローの身体はジャンのもの。
もしかしたらジャンに聞けば何かが分かるかもしれない。
「すぐにサービス叔父貴に連絡を取ってみよう。解決できるなら内々に済ませたいだろう?
お前は出来るだけ部屋から出るな。」
「悪いな、キンタロー。頼む。」
いつもの調子を取り戻したのか、キンタローはいつもの有能な補佐官ぶりを発揮した。
「えー。折角だからもう少しそのままでいようよシンちゃ~ん。」
「そうだよ~折角可愛いのに~。」
と、マジックとグンマ。
「阿呆か!さっきも言ったけど団のことはどうすんだよ!!!!!」
「それはまたパパが代行という形で総帥に…。」
「それじゃ代変わりした意味ねぇだろうが。」
「大丈夫、シンちゃんはパパに毎日お味噌汁を作ってくれてればいいから!!!!」
と、鼻血をたらしながら答えるマジック。
「答えになってねぇー!」
憤慨するシンタローを余所に、キンタローはサービスへ連絡を取るために部屋を出た。
サービスとジャンは一緒にいるはずだから。
タイミングがよかったのか、サービスとジャンは丁度ガンマ団本部へ数時間でいける場所にいた。
事情を説明し、二人はこちらに来てくれる事となった。
「いや、話には聞いたけどホントに女になってんのなぁ。中々可愛いじゃん、シンタロー。」
気楽なジャンの言葉はシンタローをイラつかせるには十分だった。
「元々は同じ顔のシンタローがこうなのだから、お前も女性化したらさぞかし可愛いのだろうな。」
「…そういう問題じゃないです。美貌の叔父様…。」
この二人がすぐに来てくれたのはただ単に見物しに来たんじゃないかと思うほど
サービスとジャンは気楽だった。
「で、どうなんだ?何か知っていることはないか?」
見かねたキンタローがジャンへ問いかける。
「う~ん。俺もその身体使って随分長かったけどそんな異常現象おこったことないぞ。」
あっさりと答える。
つまり、原因は未だ不明ということだ。
「まぁ、可能性として、こういうとお前は嫌だろうが、お前の魂自体は青の番人のものだ。
影とは言えな。それが長く赤の番人の身体であるその身体に入っているうちに何らかの異常を
きたしたのかもしれないな。」
ジャンのその言葉を聞き、シンタローは呟く。
「俺はこの身体になって不調になったことはねぇぞ。だけど、アンタの言葉で
ありえそうなことがもう一つ浮かんだぜ…。もしかしたら、秘石の仕業かも知れねぇな。」
その言葉に、その場にいた全員が沈黙する。
その石のせいでどれほど自分達一族が酷い目に合ったか、
記憶は未だ鮮明だ。
「はっ!上等じゃねぇか。もし秘石のせいならどうせまた暇だからやったとかいう
くっだらねぇ理由に違いねぇ。俺は思惑通り面白おかしく踊ってやる気はさらさら無いぜ。」
そう言ってシンタローは笑う。
「…親父、キンタロー、それにグンマ。面倒なことになったが俺はこんなナリでも総帥を続けたい。
協力してくれるか?」
真剣に、シンタローは三人にそう言った。
「それでこそお前だ。安心しろ、今まで以上にお前をサポートしてやる。」
とキンタロー。
「勿論!僕でできることならなんでも協力するよ~。」
そう言ってにっこり笑うグンマ。
「お前を後継者にしたのは正解だったよ、シンタロー。
自分の思うようにやってみなさい。」
そう言って、マジックは優しく微笑んだ。
「でも、そんなに気負わなくても大丈夫だよ、シンちゃん。
シンちゃん団内で物凄く人気あるからみんなついてきてくれるよ」
のほほんと、グンマがそう言う。
「あのなぁ、普通あんまり簡単には受け入れられないと思うぞ、こんな異常現象。」
あきれた様子でそう返すシンタロー。
「心配は無い。よく考えてみろシンタロー。マジック伯父貴の奇行にもついて来ていた
団員達だぞ?全然問題ないだろう。」
「…それもそうかもしれん」
「…酷いいいようだね、キンちゃん、それにシンちゃんまで…。」
そう言ってマジックは涙を流すのだった。
シンタローの懸念とは余所に、団員達は驚くほどの順応を持って、
シンタローの女性化を受け入れた。
問題は、そのせいで、今まで以上に実際にシンタローに手を出しにかかる
愚か者が増えるだろうということだった。
(男性体の頃も密かに狙っていた団員は結構いた。(手を出されたいというのも含め。))
(それは本人以外は知らない事実だったが。(キンタローや伊達衆が密かに粛正していた。))
何はともかく、ここに、ガンマ団史上初めての女総帥が誕生することとなった。
やってしまいました、女化シンちゃん(滝汗)
新生ガンマ団はシンちゃんをアイドル化してると思う。(重症だよこの人。)
ので、女体化しててもノープロブレム(笑)
中身は男前なままですしね(そういう問題じゃない。)
カタン…。
小さな音を立てて襖を少し開く。酷くゆっくりとだ。力が上手くはいらないのである。カタカタと腕が震えている。
シンタローは、ごくり、と何度目かの生唾を飲んだ。それなのに、口の中はカラカラに乾いている気がする。極度の緊張がそうさせていた。
十センチほど開いただけで、かなりの時間を経ていた。
情けなさで涙が出そうである。それでも初めての時以上に、自分が緊張しているのがわかった。
この間と違う。
最初に座敷にあがることになったのは、偶然と誤解で生まれた結果だったが、それでも、相手がどんな人なのか、前もって知っていた。それだけで、気持ちは楽だった。
けれど、今晩の相手は、声も交わしたことのない相手だ。それなりの欲情をもって、この妓楼に訪れ―――興味本位であろうが―――自分が選ばれただけ。
そんな見ず知らずの人間に、自分は身をまかせねばならないのである。
もともと遊女などなるつもりなどなかったシンタローである。たった一度の経験だけで、慣れるはずがなかった。
カタカタン…。
築何十年の建物は、歪みがあるのか、軽く跳ねるようにしてようやく襖は人が通れるほどに開く。
(あっ…)
声には出さず、シンタローは、息を呑んだ。
そこには人がいた。当たり前だ。客はすでに座敷についている。
部屋の中には中央よりも少しそれた場所に行灯が置かれており、辺りを照らしていたが、男の姿はその傍になく、部屋奥の窓近くに座っていた。
仄かな明りの中でキラキラと光が零れている。それは男の髪だった。
(金髪…)
この地では珍しい髪の色に、シンタローは、そっと息を呑んだ。
「んっ? ああ、やっときたか。おせぇぞ」
こちらの気配に気づいたのか、その金髪の男がこちらを振り返った。同時に真っ青の瞳が、自分を見据える。不思議な青がそこにあった。空の青とも海の青とも違う色。では、何の青なのだと言われれば形容しがたかった。ガラス玉の青に近い気がするけれど、そんな安っぽいものでもない気がした。
男は、三十そこそこだろうか。よく見れば、整った顔立ちをしているが、その風貌は、優しそうなとは、とうてい言えぬ厳つい、野性味溢れたものだった。
(これが今晩の俺の相手…)
シンタローは、いまだに、カタカタと震えている手を隠すように、着物の合わせ目を左手で、きつく掴んだ。
「ま、またせたな」
ようやく声が絞り出せた。
言葉遣いはぶっきらぼうなものだ。客商売に、これはないだろと自分でも思うが、それで機嫌をそこねるぐらいならば、自分を選んでいないだろう。客は、事前にここの楼主から、聞いているはずだ。自分が何も知らない無知な娼妓であるかことを。
自分は、他の娼妓のように客接待用の言葉遣い、接客方法などほとんど学んでいない。付け焼刃の知識など、この緊張からでは、出てくるはずがなかった。
「なるほどな」
相手は、一瞬驚いたような表情を浮かべたものの、すぐに納得したように頷いた。やはり、事前にちゃんと自分のことを聞いていたのだ。
男は、それ以上は何も言わずに、こちらを凝視した。じろじろと品定めをするように見られる。それは嫌悪感を抱くもので、けれど、それも仕方がないことだった。事実自分は品物のようなものなのである。自分は自身の身体を売る娼妓で、これから、あの男に抱かれるのだ。
男は、軽く手をふって、手招きをした。こっちへ来いという合図だ。
フルフル揺れる身体で、けれどこくりと縦に大きく首を振ると、シンタローは、前へと身体を進ませようとした。
しかし、それと同時に気づいた。
(あっ……動かねぇ)
じわりと冷や汗が額に浮かぶ。情けないことに、シンタローは、震えのために、足を動かすことができなかった。
前に進もうと気持ちは焦るが、身体は言うことを聞いてはくれない。
「何だ?」
その様子に気づいたのか、男の方が立ち上がり、近づいてきた。
何も出来ずに立ち尽くしていれば、手が伸びてくる。逃げることもできずに、その手にあっさりと捕まった。
「震えてんのか?」
軽く抱きすくめるように、身体が引き寄せられた。
脈打つ鼓動が先ほどよりもさらに早く大きく打ち、体中に血が駆け巡る。震えはますます激しくなった。
唇を噛み締めなければ、歯の根もカチカチと音を立てていただろう。
情けないだのなんだの思う余裕はない。
今からの起こる行動を想像するだけで、純粋に怖かった。
この間の客はただ話をするだけで終わった。けれど、今回は――――。
「…………」
顔をあげて相手を見るが、声がでなかった。自分の仕事は、客接待だ。ちゃんと挨拶をしなければいけないのだと、それからは、主からきつく言われていた。なのに、カラカラに乾いた唇から出るのは、ヒューと声にならない息のみ。
ふっ、と相手の瞳が和らげられた。その口元がにっと笑みをつくる。
その行動に、シンタローは、驚いたように目を見張った。こちらを気遣ってくれるとは思ってみなかったからだ。
いつも世話をしている娼妓達は、客の態度の冷たさと酷さを毎日のように愚痴っていた。
それを想像していたシンタローにとって、その笑顔は以外だった。
相手は、宥めるように、シンタローの背中をさすった。
「安心しろ、優しくするからよ」
その声とともに、すっと顎が救われ、持ち上げられる。
視線が交じり合う。
不思議な色合いの青い瞳。けれど、それがすっと細められた。
それにならうように、シンタローも瞳を閉ざす。
完璧な闇。
すぐ傍に感じた気配に、息を呑んだ刹那、唇に何かが触れた。
柔らかなそれは、震える唇を止めるように優しく落とされる。
一つ、二つ、三つ……。
そっと離れては、再び戻って触れていく。
戯れむように、繰り返される。
それは、確かに言葉通りの優しさを含んだ口付けだった。
小さな音を立てて襖を少し開く。酷くゆっくりとだ。力が上手くはいらないのである。カタカタと腕が震えている。
シンタローは、ごくり、と何度目かの生唾を飲んだ。それなのに、口の中はカラカラに乾いている気がする。極度の緊張がそうさせていた。
十センチほど開いただけで、かなりの時間を経ていた。
情けなさで涙が出そうである。それでも初めての時以上に、自分が緊張しているのがわかった。
この間と違う。
最初に座敷にあがることになったのは、偶然と誤解で生まれた結果だったが、それでも、相手がどんな人なのか、前もって知っていた。それだけで、気持ちは楽だった。
けれど、今晩の相手は、声も交わしたことのない相手だ。それなりの欲情をもって、この妓楼に訪れ―――興味本位であろうが―――自分が選ばれただけ。
そんな見ず知らずの人間に、自分は身をまかせねばならないのである。
もともと遊女などなるつもりなどなかったシンタローである。たった一度の経験だけで、慣れるはずがなかった。
カタカタン…。
築何十年の建物は、歪みがあるのか、軽く跳ねるようにしてようやく襖は人が通れるほどに開く。
(あっ…)
声には出さず、シンタローは、息を呑んだ。
そこには人がいた。当たり前だ。客はすでに座敷についている。
部屋の中には中央よりも少しそれた場所に行灯が置かれており、辺りを照らしていたが、男の姿はその傍になく、部屋奥の窓近くに座っていた。
仄かな明りの中でキラキラと光が零れている。それは男の髪だった。
(金髪…)
この地では珍しい髪の色に、シンタローは、そっと息を呑んだ。
「んっ? ああ、やっときたか。おせぇぞ」
こちらの気配に気づいたのか、その金髪の男がこちらを振り返った。同時に真っ青の瞳が、自分を見据える。不思議な青がそこにあった。空の青とも海の青とも違う色。では、何の青なのだと言われれば形容しがたかった。ガラス玉の青に近い気がするけれど、そんな安っぽいものでもない気がした。
男は、三十そこそこだろうか。よく見れば、整った顔立ちをしているが、その風貌は、優しそうなとは、とうてい言えぬ厳つい、野性味溢れたものだった。
(これが今晩の俺の相手…)
シンタローは、いまだに、カタカタと震えている手を隠すように、着物の合わせ目を左手で、きつく掴んだ。
「ま、またせたな」
ようやく声が絞り出せた。
言葉遣いはぶっきらぼうなものだ。客商売に、これはないだろと自分でも思うが、それで機嫌をそこねるぐらいならば、自分を選んでいないだろう。客は、事前にここの楼主から、聞いているはずだ。自分が何も知らない無知な娼妓であるかことを。
自分は、他の娼妓のように客接待用の言葉遣い、接客方法などほとんど学んでいない。付け焼刃の知識など、この緊張からでは、出てくるはずがなかった。
「なるほどな」
相手は、一瞬驚いたような表情を浮かべたものの、すぐに納得したように頷いた。やはり、事前にちゃんと自分のことを聞いていたのだ。
男は、それ以上は何も言わずに、こちらを凝視した。じろじろと品定めをするように見られる。それは嫌悪感を抱くもので、けれど、それも仕方がないことだった。事実自分は品物のようなものなのである。自分は自身の身体を売る娼妓で、これから、あの男に抱かれるのだ。
男は、軽く手をふって、手招きをした。こっちへ来いという合図だ。
フルフル揺れる身体で、けれどこくりと縦に大きく首を振ると、シンタローは、前へと身体を進ませようとした。
しかし、それと同時に気づいた。
(あっ……動かねぇ)
じわりと冷や汗が額に浮かぶ。情けないことに、シンタローは、震えのために、足を動かすことができなかった。
前に進もうと気持ちは焦るが、身体は言うことを聞いてはくれない。
「何だ?」
その様子に気づいたのか、男の方が立ち上がり、近づいてきた。
何も出来ずに立ち尽くしていれば、手が伸びてくる。逃げることもできずに、その手にあっさりと捕まった。
「震えてんのか?」
軽く抱きすくめるように、身体が引き寄せられた。
脈打つ鼓動が先ほどよりもさらに早く大きく打ち、体中に血が駆け巡る。震えはますます激しくなった。
唇を噛み締めなければ、歯の根もカチカチと音を立てていただろう。
情けないだのなんだの思う余裕はない。
今からの起こる行動を想像するだけで、純粋に怖かった。
この間の客はただ話をするだけで終わった。けれど、今回は――――。
「…………」
顔をあげて相手を見るが、声がでなかった。自分の仕事は、客接待だ。ちゃんと挨拶をしなければいけないのだと、それからは、主からきつく言われていた。なのに、カラカラに乾いた唇から出るのは、ヒューと声にならない息のみ。
ふっ、と相手の瞳が和らげられた。その口元がにっと笑みをつくる。
その行動に、シンタローは、驚いたように目を見張った。こちらを気遣ってくれるとは思ってみなかったからだ。
いつも世話をしている娼妓達は、客の態度の冷たさと酷さを毎日のように愚痴っていた。
それを想像していたシンタローにとって、その笑顔は以外だった。
相手は、宥めるように、シンタローの背中をさすった。
「安心しろ、優しくするからよ」
その声とともに、すっと顎が救われ、持ち上げられる。
視線が交じり合う。
不思議な色合いの青い瞳。けれど、それがすっと細められた。
それにならうように、シンタローも瞳を閉ざす。
完璧な闇。
すぐ傍に感じた気配に、息を呑んだ刹那、唇に何かが触れた。
柔らかなそれは、震える唇を止めるように優しく落とされる。
一つ、二つ、三つ……。
そっと離れては、再び戻って触れていく。
戯れむように、繰り返される。
それは、確かに言葉通りの優しさを含んだ口付けだった。
昼見世は退屈だ。
「ふわぁ~あ」
まだ、眠り足らないとばかりに、起きてから一体何度目か、大口広げて欠伸をしたシンタローは、目尻に溜まった涙を指先で拭った。
仕事らしい仕事は今はない。あるとすれば、ただ、そこに座っているだけだった。ゆえに、すぐに飽きて、欠伸の一つや二つが零れるのも当然だった。
この手の仕事で大事なのは、客の確保。だが、昼日中でそれをするのは、馬鹿と言われるほど昼間の客は、乏しいものだった。
明るい日差しの中にある遊郭は、夜のひと目を誘う華やかな彩りは影を潜め、朱色に染めた楼閣でさえも褪せた様子を見せていた。閑散としている通り。歩くものはまばらで、店に足を止め、じっくりと品定めするような客は滅多に居ない。いるのは、物見遊山のおのぼりさんや暇つぶしにこちらに流れてきたものばかりだ。冷やかし半分で中を覗き込み、時折好色な笑いを零して、去っていくのみであった。
それがわかっているから、格子の間に居る遊女達も、真剣に自分を売ることは無かった。夜までの休憩時間というように、遊女同士おしゃべりしたり、貝合せや双六等の軽い遊戯をしたりと退屈を紛らわせていた。
その端に、ぽつんとシンタローは座っていた。
シンタローも彼女たちと同じように見世に出る。
自分の立場ならば、ここに居る必要は無いのだけれど、部屋に居ても掃除係りの邪魔になるし、何よりもあそこは、ここよりも退屈だった。
だが、ここにいたとしても、あまり彼女達とは混ざることは無かった。当たり障りの無い会話程度は交わすが、それ以上の付き合いはしていなかった。
それは、自分と彼女たちの立場がまったく違うためだった。
店の主と対等に話し、時には、特別待遇とも取れるようなこともされている自分に、地獄や苦界と言われるこの遊郭の世界で必死に生き抜く彼女たちが、冷たくよそよそしいものになるのは、当然だった。
なにより、彼女たちと違うのは、シンタローには、借金というものがないことだった。膨大な借金を背負い、ここに縛られ続けている彼女達とは、根本的に違うのだ。
最初の頃は、確かにシンタローにも借金はあった。衣裳や身の回りの調度等、様々なものが入用で、それを作るはめになったのだ、すでに綺麗に払い終わっていた。
都合のいいことに、馴染みになる客が、羽振りがよく気前がいいものばかりだったためだ。そのお陰で、あっさりと借金が消えてしまった。
だから、シンタローさえ外へ出たいと願えば、すぐにでもこの町からでることこは可能だった。
それでもシンタローはここにいる。
ここにしか、居る場所が無いからだ。
それ以外の場所など、存在しなかった。生まれはここではないが、故郷と呼ばれる場所ですら、もう形は残しては居ないはずだった。それに寂しいという感情は無かった。
故郷への思いは確かにあるが、ここでこうして格子越しに外を眺める生活を、シンタローは納得済みで受け入れていた。
もっとも、この妓楼屋の楼主であるキンタローは、なぜかかなり熱心に、ここにいてもいいから、色を売るのではなく、自分の片腕となって働けといわれていた。けれど、それだけは断っていた。
一度この世界に身を置いてしまえば、一生その事実が肩に乗る。そんな者が、キンタローの隣に立てば、よからぬ噂が立たないわけが無いのだ。それは、相手にとって迷惑にしかありえない。
それならば、できる限りこの仕事でこの場に留まった方が良かった。
金も十分稼げるし、それでキンタローの店を援助できる。ここへ来て五年もの間、ずっとこの形をとり続けてきた。
(んっ?)
外をぼんやりとながめていたシンタローは、ふと目に付く色を見つけた。
穏やかな日差しを傲慢なほどに跳ね返す強い金色の輝き。見慣れた髪の色が、こちらに向かって歩いてきていた。
一瞬、キンタローが外出先から戻って来たのかと思ったが、そうでないことは即座に知れた。
明らかにキンタローとは異なるシルエットだったのだ。彼よりも多分に高い背。髪も短く整えられてはおらず、肩につくほどの長さがある。これではキンタローと間違えようが無かった。
(あれ………? でも、あれは――)
じろじろとそれを眺めていたシンタローは、徐々にはっきりしてくるその顔に、見覚えのあるものを感じた。
金色の髪。そうしてまだ見えないが、多分瞳の色は、キンタローと同じく青のはずである。野性味溢れた風貌に、薄い唇には咥えタバコ。肩で風を切って歩く姿は、威風堂々としていて、物見遊山の者たちは、新たな見世物かと、その男に視線を投げかけたりしていた。
確かに、彼はとても目立っていた。だが、あれはどこかの見世物ではない。
悪戯好きの春風が通りを突き抜けていき、髪が獅子の鬣のように靡き、揺らいだ。その姿に、シンタローは、思わず声をあげていた。
「獅子舞ッ!」
「んだと、コラァ!」
ガッ!
その刹那、格子が折れんばかりに掴まれた。
すでに間近に近づいていたそれに、シンタローの声はよく聞こえたようで、獅子舞と呼ばれた男は、本物の獅子のように大口を空けて、格子を握り締めていた。思った通りの青い瞳で、射殺さんばかりに睨みつけられる。キャァ、と奥に居た遊女たちの何人かが、悲鳴を上げるのが聞こえた。
(やっぱりこいつか…)
自分が思っていたとおりの人物に、シンタローは格子越しにその顔を眺めた。記憶に残っているその顔よりも、幾分か変化が見られるが、その特徴的な顔立ちは忘れようとしても忘れられない。
「てめぇ、誰に向かって暴言吐いているんだ、オラァ!」
「おっさん」
萎縮させるほどの圧力を感じるその眼光を前に、シンタローは、ひらりと出した指を、真っ直ぐに相手に突きつけてやった。
記憶が確かならば、この男は、そう呼ばれてもおかしくない年齢のはずである。
『ハーレム』
それが彼の名だった。
(また会えるとは思わなかったぜ)
懐かしい、というよりは、今さら何しにここへ来たんだろうか、という気持ちが強かった。なぜなら、彼こそが自分をこの場所居放り込んだ張本人だからだ。しかも、放り込んだ後、五年もの間、一度も姿を現さなかったばかりか、連絡もよこさなかったのである。
シンタローの言葉と態度に、ぴくんと太い黒眉が跳ね上がる。
「いい度胸だ。ちょっと出てきやがれ」
だが、その凄みに恐れなど欠片も見せずに、それどころかシンタローは、馬鹿にするように肩を竦めて見せた。
「ここからどうやって出れるんだ? 遊郭は初めてのおのぼりかよ、おっさん」
格子の間は、外がよく見える作りだが、その格子が邪魔をして外には勝手に出れない仕組みになっている。当然だ。そこから遊女を逃してしまえば、店の損失となるのである。だから、出入り口は一つ。店の中に一度入ってからしか、外へ出ることは出来なかった。
挑発とも取れる言葉を吐き出せば、握った格子が砕けそうなほど、力を込められた。
「生意気な女め」
忌々しげに漏れたそれに、こちらは首を傾げる。
女?
それは、自分のことだろうか。
確かに今の装いは、他の遊女たちとは変わらない。それでも良く見れば、性別の違いはわかるはずである。なによりも、彼と自分は――五年と言う月日が経ったものの――初対面ではないのだ。
どうやら自分のことを、思い出してくれてはないようである。
勝手な奴だとは思っていたが、本当に気まぐれに拾ってきたガキのことは、すっかり忘れてしまっているのだろう。
別にこの男に、何の期待もしてないが、なんとなく腹が立つ。
(あんたにとっては、俺は捨て猫程度のもんだってことかよっ)
そう思えば、さらに苛立ちが募った。それを紛らわすためにも、もう少し相手をからかってやろうかと口を開きかけたが、その前に他の場所から声があがった。
「煩い。何を店の前で騒いでいる。商売の邪魔だ」
「ああ?」
騒がしい見世の様子を見かねて、玄関口から現れたのは、店の主であるキンタローだった。
店の前で騒ぐ男を見咎めれば、その相手は、先ほど怒鳴っていたのも忘れたように、たちの悪げな笑顔を浮かべると、キンタローにちかづいていった。そのままがっしりと肩を組む。
「よっ、キンタロー。久しぶりだな。いいところで出会った。金貸せや」
いいところも何も、わざわざキンタローから金を借りるために、ここまで来たに違いない状況で、飄々と言い放った相手に、キンタローは、どっしり置かれた腕をさっさと取り外し、大きく首を横へと振って見せた。
「お前に貸す金は無い。久しぶりに姿を見せたと思ったら、前と同じ、金の無心か、ハーレム叔父貴」「冷てぇこと言うなよ、甥っ子。可愛い叔父に、たまには小遣いでもやろうか、って思わねぇの?」
「それは、普通反対だろうが」
「常識に囚われるなよ」
ぽんと叩かれた頭に、キンタローは、鬱陶しげに顔を歪めてみせた。久しぶりに会った叔父に対応しかねている様子である。
それでも、通りを通る人達や店の者たちからの興味津々の視線に気付いたキンタローは、ここで厄介な親戚を相手にするには得策ではないと判断した。
店の入り口に戻ると店の前に垂れ下がっている暖簾を持ち上げると、振り返る。
「とりあえず、中に入ってくれ。商売の邪魔だ」
「いいぜ。中で、酒を用意してくれ」
図々しいハーレムの要求は、聴かぬフリをしたキンタローは、じっとこちらの様子を伺っていたシンタローにも顔を向けた。
「シンタロー、お前も来るか?」
「行く」
その言葉に、即座に返事を返した。
(当然だろ!)
キンタローに呼ばれなくても、乗り込んでいく気構えだった。
未だに自分を女だと誤解している馬鹿に、真実を一言叩き込んでやらなければ気がすまない。
キンタロー達が店の中に消えると、シンタローもそちらへ向かうために立ち上がった。
カタン。
襖を開けるともうすでに、キンタローとハーレムは座していた。だらしなく足を崩しているハーレムとは、向かい合わせに膝を合せ背筋を伸ばし正座をしているキンタローがいる。
シンタローは、ハーレムの脇を通り過ぎると、キンタローのすぐ横に腰をおろした。
「なあ、キンタロー。なんでこいつが来るんだ?」
席に着いたとたんに投げかけられたハーレムの疑問に、キンタローは、意外そうな面持ちで眉を持ち上げた。
「お前、覚えてないのか?」
「そうらしいぜ」
何を? と訊ねられる前にシンタローは、口を挟み、あきれ返った様子で肩を竦めて見せた。
キンタローの不思議そうな顔が、シンタローへと映され、困ったような表情になった。誰なのか、言ってもいいのだろうか、と伺う様子だったが、シンタローは小さく頭を振って、沈黙を願った。
キンタローの口から、自分のことは話してもらいたくはない。ここまで来たならば、何がなんでも相手に思い出してもらいたかった。
失礼極まりない話なのだ。
誰が、ここへ放り込んだのか―――責任をとれ、とは言わないが、それでも……忘れ去られているのは、腹が立つ。
もっともこちらも相手の顔を見るまで、その存在を忘れかけていたのだが。五年も音沙汰なしで、姿を現さなかったのだから、仕方ないだろう。こっちは、新しい環境に慣れるために、必死だったのだ。
「誰だ?」
ジロジロと不躾な視線が向けられる。けれど、まだわからない様子である。
「もう耄碌してるのか? まあ、それもありだな。おっさんだし」
「…口が悪ぃ女だなぁ」
眉を顰めるハーレムに、シンタローは、ひくっと頬を引き攣らせた。
確かに格好は、女性ではあるが、それでも出す声も態度も決して女性的とはいえぬものである。それで間違えるこの男の頭の構造に今更ながら、疑問がわく。
「馬鹿が。俺は、男だ」
このままだと、埒が明かぬと、それだけでもバラせば、ぎょっとした表情がすぐさま浮かんだ
「男だとッ!」
明らかに、今知りましたという態度に、シンタローは、はぁと溜息をひととつき、こめかみを押さえた。なんだか、このまま見世に戻って、ぼんやりとしたい気持ちである。
(つくづくムカつくおっさんだぜ)
シンタローは、頭に手を当てると花魁特有の扇を広げたように突き刺した簪と櫛を次々と落としていった。形を整えるために結わえていた髪紐をとくと、その一つで、雑に一本にまとめて結わえた。さすがに化粧をここで落とすことは出来ないが、それでもこれで、以前、彼とであった頃に近づいただろう。
そこでようやくハーレムの、こちらを見る目が変わった。
骨ばった手が伸ばされる。逃げずにその行方を見つめれば、おろされた前髪をつかまれ、顔を引き寄せられた。
相手の深い青の瞳に、自分の顔が移る。何度か瞬きされた瞳が、最後には思い切り見開かれた。
「………お前、あの時のクソガキか?」
「ようやく思い出したのか、獅子舞のおっさん」
髪を引っ張られたシンタローは、お返しだといわんばかりに、相手の髪を掴むと、思い切り引っ張ってやった。
「ふわぁ~あ」
まだ、眠り足らないとばかりに、起きてから一体何度目か、大口広げて欠伸をしたシンタローは、目尻に溜まった涙を指先で拭った。
仕事らしい仕事は今はない。あるとすれば、ただ、そこに座っているだけだった。ゆえに、すぐに飽きて、欠伸の一つや二つが零れるのも当然だった。
この手の仕事で大事なのは、客の確保。だが、昼日中でそれをするのは、馬鹿と言われるほど昼間の客は、乏しいものだった。
明るい日差しの中にある遊郭は、夜のひと目を誘う華やかな彩りは影を潜め、朱色に染めた楼閣でさえも褪せた様子を見せていた。閑散としている通り。歩くものはまばらで、店に足を止め、じっくりと品定めするような客は滅多に居ない。いるのは、物見遊山のおのぼりさんや暇つぶしにこちらに流れてきたものばかりだ。冷やかし半分で中を覗き込み、時折好色な笑いを零して、去っていくのみであった。
それがわかっているから、格子の間に居る遊女達も、真剣に自分を売ることは無かった。夜までの休憩時間というように、遊女同士おしゃべりしたり、貝合せや双六等の軽い遊戯をしたりと退屈を紛らわせていた。
その端に、ぽつんとシンタローは座っていた。
シンタローも彼女たちと同じように見世に出る。
自分の立場ならば、ここに居る必要は無いのだけれど、部屋に居ても掃除係りの邪魔になるし、何よりもあそこは、ここよりも退屈だった。
だが、ここにいたとしても、あまり彼女達とは混ざることは無かった。当たり障りの無い会話程度は交わすが、それ以上の付き合いはしていなかった。
それは、自分と彼女たちの立場がまったく違うためだった。
店の主と対等に話し、時には、特別待遇とも取れるようなこともされている自分に、地獄や苦界と言われるこの遊郭の世界で必死に生き抜く彼女たちが、冷たくよそよそしいものになるのは、当然だった。
なにより、彼女たちと違うのは、シンタローには、借金というものがないことだった。膨大な借金を背負い、ここに縛られ続けている彼女達とは、根本的に違うのだ。
最初の頃は、確かにシンタローにも借金はあった。衣裳や身の回りの調度等、様々なものが入用で、それを作るはめになったのだ、すでに綺麗に払い終わっていた。
都合のいいことに、馴染みになる客が、羽振りがよく気前がいいものばかりだったためだ。そのお陰で、あっさりと借金が消えてしまった。
だから、シンタローさえ外へ出たいと願えば、すぐにでもこの町からでることこは可能だった。
それでもシンタローはここにいる。
ここにしか、居る場所が無いからだ。
それ以外の場所など、存在しなかった。生まれはここではないが、故郷と呼ばれる場所ですら、もう形は残しては居ないはずだった。それに寂しいという感情は無かった。
故郷への思いは確かにあるが、ここでこうして格子越しに外を眺める生活を、シンタローは納得済みで受け入れていた。
もっとも、この妓楼屋の楼主であるキンタローは、なぜかかなり熱心に、ここにいてもいいから、色を売るのではなく、自分の片腕となって働けといわれていた。けれど、それだけは断っていた。
一度この世界に身を置いてしまえば、一生その事実が肩に乗る。そんな者が、キンタローの隣に立てば、よからぬ噂が立たないわけが無いのだ。それは、相手にとって迷惑にしかありえない。
それならば、できる限りこの仕事でこの場に留まった方が良かった。
金も十分稼げるし、それでキンタローの店を援助できる。ここへ来て五年もの間、ずっとこの形をとり続けてきた。
(んっ?)
外をぼんやりとながめていたシンタローは、ふと目に付く色を見つけた。
穏やかな日差しを傲慢なほどに跳ね返す強い金色の輝き。見慣れた髪の色が、こちらに向かって歩いてきていた。
一瞬、キンタローが外出先から戻って来たのかと思ったが、そうでないことは即座に知れた。
明らかにキンタローとは異なるシルエットだったのだ。彼よりも多分に高い背。髪も短く整えられてはおらず、肩につくほどの長さがある。これではキンタローと間違えようが無かった。
(あれ………? でも、あれは――)
じろじろとそれを眺めていたシンタローは、徐々にはっきりしてくるその顔に、見覚えのあるものを感じた。
金色の髪。そうしてまだ見えないが、多分瞳の色は、キンタローと同じく青のはずである。野性味溢れた風貌に、薄い唇には咥えタバコ。肩で風を切って歩く姿は、威風堂々としていて、物見遊山の者たちは、新たな見世物かと、その男に視線を投げかけたりしていた。
確かに、彼はとても目立っていた。だが、あれはどこかの見世物ではない。
悪戯好きの春風が通りを突き抜けていき、髪が獅子の鬣のように靡き、揺らいだ。その姿に、シンタローは、思わず声をあげていた。
「獅子舞ッ!」
「んだと、コラァ!」
ガッ!
その刹那、格子が折れんばかりに掴まれた。
すでに間近に近づいていたそれに、シンタローの声はよく聞こえたようで、獅子舞と呼ばれた男は、本物の獅子のように大口を空けて、格子を握り締めていた。思った通りの青い瞳で、射殺さんばかりに睨みつけられる。キャァ、と奥に居た遊女たちの何人かが、悲鳴を上げるのが聞こえた。
(やっぱりこいつか…)
自分が思っていたとおりの人物に、シンタローは格子越しにその顔を眺めた。記憶に残っているその顔よりも、幾分か変化が見られるが、その特徴的な顔立ちは忘れようとしても忘れられない。
「てめぇ、誰に向かって暴言吐いているんだ、オラァ!」
「おっさん」
萎縮させるほどの圧力を感じるその眼光を前に、シンタローは、ひらりと出した指を、真っ直ぐに相手に突きつけてやった。
記憶が確かならば、この男は、そう呼ばれてもおかしくない年齢のはずである。
『ハーレム』
それが彼の名だった。
(また会えるとは思わなかったぜ)
懐かしい、というよりは、今さら何しにここへ来たんだろうか、という気持ちが強かった。なぜなら、彼こそが自分をこの場所居放り込んだ張本人だからだ。しかも、放り込んだ後、五年もの間、一度も姿を現さなかったばかりか、連絡もよこさなかったのである。
シンタローの言葉と態度に、ぴくんと太い黒眉が跳ね上がる。
「いい度胸だ。ちょっと出てきやがれ」
だが、その凄みに恐れなど欠片も見せずに、それどころかシンタローは、馬鹿にするように肩を竦めて見せた。
「ここからどうやって出れるんだ? 遊郭は初めてのおのぼりかよ、おっさん」
格子の間は、外がよく見える作りだが、その格子が邪魔をして外には勝手に出れない仕組みになっている。当然だ。そこから遊女を逃してしまえば、店の損失となるのである。だから、出入り口は一つ。店の中に一度入ってからしか、外へ出ることは出来なかった。
挑発とも取れる言葉を吐き出せば、握った格子が砕けそうなほど、力を込められた。
「生意気な女め」
忌々しげに漏れたそれに、こちらは首を傾げる。
女?
それは、自分のことだろうか。
確かに今の装いは、他の遊女たちとは変わらない。それでも良く見れば、性別の違いはわかるはずである。なによりも、彼と自分は――五年と言う月日が経ったものの――初対面ではないのだ。
どうやら自分のことを、思い出してくれてはないようである。
勝手な奴だとは思っていたが、本当に気まぐれに拾ってきたガキのことは、すっかり忘れてしまっているのだろう。
別にこの男に、何の期待もしてないが、なんとなく腹が立つ。
(あんたにとっては、俺は捨て猫程度のもんだってことかよっ)
そう思えば、さらに苛立ちが募った。それを紛らわすためにも、もう少し相手をからかってやろうかと口を開きかけたが、その前に他の場所から声があがった。
「煩い。何を店の前で騒いでいる。商売の邪魔だ」
「ああ?」
騒がしい見世の様子を見かねて、玄関口から現れたのは、店の主であるキンタローだった。
店の前で騒ぐ男を見咎めれば、その相手は、先ほど怒鳴っていたのも忘れたように、たちの悪げな笑顔を浮かべると、キンタローにちかづいていった。そのままがっしりと肩を組む。
「よっ、キンタロー。久しぶりだな。いいところで出会った。金貸せや」
いいところも何も、わざわざキンタローから金を借りるために、ここまで来たに違いない状況で、飄々と言い放った相手に、キンタローは、どっしり置かれた腕をさっさと取り外し、大きく首を横へと振って見せた。
「お前に貸す金は無い。久しぶりに姿を見せたと思ったら、前と同じ、金の無心か、ハーレム叔父貴」「冷てぇこと言うなよ、甥っ子。可愛い叔父に、たまには小遣いでもやろうか、って思わねぇの?」
「それは、普通反対だろうが」
「常識に囚われるなよ」
ぽんと叩かれた頭に、キンタローは、鬱陶しげに顔を歪めてみせた。久しぶりに会った叔父に対応しかねている様子である。
それでも、通りを通る人達や店の者たちからの興味津々の視線に気付いたキンタローは、ここで厄介な親戚を相手にするには得策ではないと判断した。
店の入り口に戻ると店の前に垂れ下がっている暖簾を持ち上げると、振り返る。
「とりあえず、中に入ってくれ。商売の邪魔だ」
「いいぜ。中で、酒を用意してくれ」
図々しいハーレムの要求は、聴かぬフリをしたキンタローは、じっとこちらの様子を伺っていたシンタローにも顔を向けた。
「シンタロー、お前も来るか?」
「行く」
その言葉に、即座に返事を返した。
(当然だろ!)
キンタローに呼ばれなくても、乗り込んでいく気構えだった。
未だに自分を女だと誤解している馬鹿に、真実を一言叩き込んでやらなければ気がすまない。
キンタロー達が店の中に消えると、シンタローもそちらへ向かうために立ち上がった。
カタン。
襖を開けるともうすでに、キンタローとハーレムは座していた。だらしなく足を崩しているハーレムとは、向かい合わせに膝を合せ背筋を伸ばし正座をしているキンタローがいる。
シンタローは、ハーレムの脇を通り過ぎると、キンタローのすぐ横に腰をおろした。
「なあ、キンタロー。なんでこいつが来るんだ?」
席に着いたとたんに投げかけられたハーレムの疑問に、キンタローは、意外そうな面持ちで眉を持ち上げた。
「お前、覚えてないのか?」
「そうらしいぜ」
何を? と訊ねられる前にシンタローは、口を挟み、あきれ返った様子で肩を竦めて見せた。
キンタローの不思議そうな顔が、シンタローへと映され、困ったような表情になった。誰なのか、言ってもいいのだろうか、と伺う様子だったが、シンタローは小さく頭を振って、沈黙を願った。
キンタローの口から、自分のことは話してもらいたくはない。ここまで来たならば、何がなんでも相手に思い出してもらいたかった。
失礼極まりない話なのだ。
誰が、ここへ放り込んだのか―――責任をとれ、とは言わないが、それでも……忘れ去られているのは、腹が立つ。
もっともこちらも相手の顔を見るまで、その存在を忘れかけていたのだが。五年も音沙汰なしで、姿を現さなかったのだから、仕方ないだろう。こっちは、新しい環境に慣れるために、必死だったのだ。
「誰だ?」
ジロジロと不躾な視線が向けられる。けれど、まだわからない様子である。
「もう耄碌してるのか? まあ、それもありだな。おっさんだし」
「…口が悪ぃ女だなぁ」
眉を顰めるハーレムに、シンタローは、ひくっと頬を引き攣らせた。
確かに格好は、女性ではあるが、それでも出す声も態度も決して女性的とはいえぬものである。それで間違えるこの男の頭の構造に今更ながら、疑問がわく。
「馬鹿が。俺は、男だ」
このままだと、埒が明かぬと、それだけでもバラせば、ぎょっとした表情がすぐさま浮かんだ
「男だとッ!」
明らかに、今知りましたという態度に、シンタローは、はぁと溜息をひととつき、こめかみを押さえた。なんだか、このまま見世に戻って、ぼんやりとしたい気持ちである。
(つくづくムカつくおっさんだぜ)
シンタローは、頭に手を当てると花魁特有の扇を広げたように突き刺した簪と櫛を次々と落としていった。形を整えるために結わえていた髪紐をとくと、その一つで、雑に一本にまとめて結わえた。さすがに化粧をここで落とすことは出来ないが、それでもこれで、以前、彼とであった頃に近づいただろう。
そこでようやくハーレムの、こちらを見る目が変わった。
骨ばった手が伸ばされる。逃げずにその行方を見つめれば、おろされた前髪をつかまれ、顔を引き寄せられた。
相手の深い青の瞳に、自分の顔が移る。何度か瞬きされた瞳が、最後には思い切り見開かれた。
「………お前、あの時のクソガキか?」
「ようやく思い出したのか、獅子舞のおっさん」
髪を引っ張られたシンタローは、お返しだといわんばかりに、相手の髪を掴むと、思い切り引っ張ってやった。
カーン……。
遠くかすかに耳に届く鐘の音。泡沫の一夜夢を築いていた遊郭全てに、目覚めの時を告げる。
「………んっ」
重たげな瞼を二三度上下させ、シンタローは、目を覚ました。
「お早うどす」
すぐに聞こえてきた声は、ごく間近で、薄暗い視界に凝らした瞳が、人を逆さに映した。闇に溶け込む色が視界を塞ぐように揺れている。それが人の髪なのだとようやく回らぬ頭で理解したシンタローは、思い当たる人物の名を告げた。
「アラシヤマ……」
寝起きのかすれた声で、その逆さになっている男の名を呼べば、こちらの頭の方から、顔を覗きこんでいた彼は、目元のみを緩ませて、ゆっくりとおじきをするように頭を下げた。
「よく眠れましたかえ?」
囁くような声とともに落ちてきた唇が、押しつけるように額に触れ、すぐに逃げていく。
(こいつは……朝から)
許可もとらずに勝手に自分に触れてきた相手に、シンタローは、逃げるそれを制止するべく手を伸ばし、耳元に落ちていた髪を素早く捕まえた。
「アテッ」
かくんと首を揺らし停止したアラシヤマに、シンタローは、すかさずグイッと、その手に掴んだものを引っ張った。
「お前なぁ。人の寝起きを見るなって何度言ったらわかるんだ」
「あたたたたっ、ちょ、シンタローはん、そない引っ張らんでおくれやす。痛いでっせ」
容赦なく下へと引き寄せるその行為に、アラシヤマはすぐに悲鳴をあげる。
(痛いどすぅ~)
毛が抜けそうなほどの力強いそれに耐え切れず、アラシヤマは解いてもらおうと、彼の手を軽く叩いてみるが、その程度で緩ませてはくれるほど相手は甘くない。
「離してくれはりまへんか」
「やだねっ」
必死な顔で懇願されるが、それを離す気はない。
(大体俺は、最低でも過去十回は、言っていたはずだぞ。人の寝起き顔を覗きこむなと)
寝起きは、涎や目ヤニで汚れている。さらに自分は、夜見世用に紅や白粉で化粧をほどこしていたのだ。それが一晩でどれだけ見っとも無く崩れるか分かっているから、余計にそれをされたくはなかった。
それなのに、今日も目を覚まして見れば、一番に目に映ったのは、相手の顔である。
なぜ、そんなことをするのだろうか。
怒りもこみ上げるが、呆れも混じる。
こうして怒られるのが分かっているのだから、何食わぬ顔で、目覚めそうな気配を感じた時には、別方向を向いていればいいのだ。実際その通りにされても嫌なのだが、知らぬが仏という言葉もある。
なのに相手は、目覚める時を見計らうようにして、なぜか嬉しげにこちらの顔を覗きこみ、寝ぼけ眼の自分に、朝の挨拶をかけるのである。
(ったく、馬鹿が)
それしか言いようが無い。
アラシヤマの髪を右手で掴んだまま、シンタローは、寝ている体勢で緋色の長襦袢を掻き合わせた。肌に触れる朝の冷気が冷たすぎたのだ。
朝と言っても、まだ外は夜も明けてない時刻である。早春の夜明け前となれば、吐く息も白かった。
こういう時も、この仕事の辛さが身に滲みる。襲い掛かる眠気と寒気に、シンタローは、うぅと小さく唸った。
機嫌は最悪である。
それに加えて、朝っぱらから気に食わないことをされれば、さらに拍車がかかる。
もちろん寝起きが見られたくないなら、自分の方が早起きすればいいだけなのだが、それができないのだから仕方ない。
(ああ、むしゃくしゃするぜッ)
その原因の一旦を、目の前の男が担っているのも腹立たしい。
昨晩も、いつものとごく睡眠時間は少ないうえに、いまだに身体の奥に倦怠感が残っているのだ。
相手は、痛い痛いと悲鳴をあげているが当たり前だった。痛くしているのである。
朝っぱらから不快な思いをさせた報いは、存分に受けてくれなくては困る。
(こっちはてめぇに何度も突っ込まれて痛い思いをしてるんだからなッ)
仕事だとわきまえていても、理性と感情は別物というものである。
「シンタローはぁ~ん」
アラシヤマが、何度目かの情けない声をあげた。
強く引っ張られたままのそれは、すでに何本かはブチブチと嫌な音を立てて抜けてしまっている。
アラシヤマは、懇願しても離してくれはしないシンタローの顔を間近で見つめた。その透明度の高い漆黒の瞳の奥に、不機嫌な輝きを見つけてしまう。ご機嫌斜めは相当のもののようである。アラシヤマは、諦めたように溜息をつくと、やれやれと口を開いた。
「そないに、わてと離れ難いと思うてくれはるなんて………とっても嬉しいおますわ、シンタローはん」
「とっとと離れろ」
アラシヤマがそう口にしたとたん、シンタローは、ぱっとその手を離し、さらに近づいていたアラシヤマのその額に手のひらを押し付け、ぐいっと真上に押しやった。アラシヤマの首がぐにっと有り得ぬ方向に、音立てて曲がったが、気にしない。
「うわっ。なんですのん、その冷たい仕打ち。わてを離さへんやったのは、シンタローはんでっせ」
「さっきのことは忘れろ」
そう冷淡に言い切ると、目の前から、アラシヤマが消えたことで、シンタローもようやく起き上がった。手の中に絡み付いていたアラシヤマの髪の毛を無情にも払い落とし、緩んでいた胸元を改めてきちんと整えると、ふわぁと大あくびを一つした。
冷たい空気が大量に口の中に入り込む。
もう暦の上では春は訪れたはずだが、まだまだその温もりを感じる日は、幾日もない。梅の花は咲いたのだと、人の口伝えで聞いてはいたが、こうしてまだ夜も明けきらぬ朝に、春を感じるのは難しかった。
「もう時間なんだろ? さっさと帰れよ、アラシヤマ」
目覚めた耳に、いつもの鐘の音を聞いた。
外に視線を向ければ、アラシヤマが開けたのだろう、開いた窓から、薄まりつつある闇夜が見えた。まだ、朝日は東の果てに眠りについたままのようである。それでも、目覚めまでの時は幾ばくもないはずだが、今はただ、わずかばかりの星々だけが、眠たげに瞬きを繰り返していた。
それを見ていると、こちらも眠りを誘われる。
だが、その誘惑に身をまかせようにも、目の前に人が存在する以上できなかった。
耳を澄ませば、ざわざわと人の声が聞こえてくる。遊郭の朝は早い。あちらこちらで、一夜を共にした相手を追い出す準備に追われているのだ。
(俺もさっさとこいつを追いだして、もう一眠りするかな)
すでに相手は身支度を整えていた。いつものことだが、楽でいい。
寝ているのか? と疑問に思うほど、この相手は、こちらが朝方に目を覚ます頃には、すでに身づくろいをすませているのだ。こちらとしては大変有難いことであるが、その余った時間に、自分の寝起きを見てなければの話である。
とにもかくにもお別れだ。
犬猫を追い立てるように、しっしっと手を振れば、とたんに哀しげな表情を相手は浮かべた。
「名残惜しんでくれまへんの、シンタローはん」
「これが永遠の別れなら、少しは惜しんでやってもいいぜ」
別の部屋からは、同じ立場である遊女達の甘ったるい惜しむ声が聞こえてくる。けれどシンタローは、挑発的な笑みを携え、アラシヤマにそう言い放ってやった。
自分にそんなことを望むだけ無駄だ。
そんなことは、もちろん相手もわかっているはずである。だからこそアラシヤマは、その笑みを受け止めると自分の胸に手を押し当てて、切なげに瞳を揺らした。
「なら存分に惜しんでくだはれ、シンタローはん。もしかしたら、わてはこの帰り道に暴漢に襲われて命を落とすかもしれまへんし、家に戻った後に、火事があって焼け死ぬかもしれまへん。明日にはこの命、ないかもしれまへんで?」
だから、これが永遠の別れになるかもしれまへん。
そう嘯いた相手は、布団の上に座り込んだままで、怠惰に相手を追い出そうとしていたシンタローに、手を伸ばした
昨晩、布団に入る前には、きっちりと結い上げていたそれも、今は、その痕すら見つけられずに、肩にかかっている。アラシヤマは、それを一束だけ掴み、握りしめた。
シンタローは、先ほどのお返しか、と慌てた表情を見せ、身体を引きかけた。だが、アラシヤマは、その髪が引っ張られないように気をつけながら、膝を布団の上に落とすと、そこに、恭しく口付けを落とした。
敬愛を示すようなその行為に、少しばかり顔を顰めてみせるが、相手はそれを気にする様子は見せなかった。こちらに顔を向けると、いまだに掴んでいる髪を指に絡まし引き寄せ、それに再び愛しげに唇を落とす。
「わてが、こうしてあんさんに触れられるのも最後かもしれまへんで?」
そう言いながら、嬉しそうに笑う馬鹿な男を見やり、シンタローは、痛みを感じるのを承知で、奪われていた髪を引っ張り、取り戻した。
けれど髪は、抵抗なくするりと相手の指をすり抜け戻ってくる。こちらが力を込めたとたん、手に握っていたそれを解放したのだ。
(いつもそうだ)
その抵抗なさに、なぜか苛立ちを感じつつ、シンタローは、髪をばさりとかき上げた。アラシヤマの口にした、馬鹿な言葉に返事を返す。
「そうしたら―――――俺は、笑ってやるよ」
「シンタローはん?」
「二度とお前に会わなくてすんだって、笑ってやる。だから安心して永遠の別れとやらをしてくれ」
死ぬなら勝手に死んで来い。こちらは全然かまいはしない。
そっけなく言い放てば、アラシヤマは一瞬驚いたような表情を見せ、それから笑った。先ほど見せた嬉しげな笑いよりも深みのある、けれど苦味も含んだ笑い。
何を考えての笑いなのかまったくわからなかったが、シンタローは、それを見たとたん、むぅと唇を曲げていた。
「なんだよ。俺の答えが気に食わないのか?」
そう言えば、くすくすくすとなぜか今度は声に出して笑われた。
「あんさんを哀しませない様、死なない努力をしますわ」
「はあ?」
どうやったらそんな答えが導きだされるのだろうか。
理解できないと眉間に皺まで寄せてみせれば、その皺を伸ばされるように指先がつきつけられた。
「泣きそうな笑い顔ほど胸に痛いもんはありまへんしな」
「…………」
その言葉に、思わず自分の頬に手をやり、さらりとなぜてみるが、自分が今、どんな表情をしているかはわからない。
(出鱈目言ってるんじゃねぇ)
少なくても、自分はアラシヤマ相手に、そんな健気な表情など浮かべるはずがなかった。アラシヤマお得意の夢見がちな妄想だろう。それで、都合のいい解釈をしただけに違いない。
「さてと、ほなそろそろお暇させていただきまひょ。六つの鐘も鳴り始めましたし」
こちらの動揺には何も言わず、ちらりと外へと視線をやったアラシヤマは、すくっと立ち上がった。
「あっ」
シンタローも、それに釣られるように立ち上がる。
カーン…カーン……。
丁度耳に、聞きなれた音が聞こえてくる。確かに、六時を知らせる鐘の音だ。客を送り出す時間は、四時から六時まで。
鐘の音は、きっちり六回鳴って止まった。
別れの刻限である。
「見送りはいりまへん。外はまだ寒うおますし」
外套を手にしたアラシヤマが振り返る。ほんの数歩でも離れれば、薄闇に包まれたアラシヤマの身体がかすむ。見え辛い中で、アラシヤマは小さく手を振った。
「また来ますよって、ほなさいなら」
最後に、こちらよりも遊女らしく見えるはんなりとした笑顔を見せ、頭を下げ出て行った。
あっさりとした退却だった。
部屋から消えるアラシヤマをいつものように黙って見送ると、再び布団の上に腰をおろすと、シンタローは、溜息を一つついた。
「また…ねぇ」
結局また来る気じゃねぇかよ。
なんだかんだといいつつ、もう随分と長い間自分の元に通ってきている馴染み客が、帰ったことを確認すると、また重たくなってきた眼を擦った。
とにかく、これで仕事はひと段落ついた。そのとたんに強い眠気が襲ってくる。
「寝よ」
これからが遊女達にとって本当の安らぎの夜である。
シンタローは、すでに冷え切った布団の上に寝転がると、もう一度目を閉じた。
二度寝は、かなり寝入ってしまっていた。
起きてみれば太陽はすでに真上にまであがっていた。
今日は快晴らしく、開けっ放しにしていて窓から、柔らかな日差しが入り込んでくる。
別に遅すぎるという時間帯ではなかったものの、シンタローは目が覚めると、そこでゴロゴロと目覚めの気だるさを味わうこともなく、起き上がった。
部屋に手水の用意を頼み、それで顔を洗いさっぱりさせると着替えを片手に部屋を出る。
「ふわぁ」
とたんに欠伸が一つ。冷たい水で顔を洗っても、まだ眠いようだった。
大口開けつつ階段を下りていれば、下から上がってくる相手に気付き、足を止めた。
(んっ?)
キラキラと眩しげに輝く後頭部。それだけで、顔を見ずとも誰と分かった。この妓楼に、こんな綺麗な髪を持つものは一人しかいない。
そこで立ち止まっていれば、下から登ってきた相手が、こちらの気配に気付いたようで顔をあげた。先ほど見た清々しい青空と同じ色をしている瞳が向けられる。眠たげに時折閉じる瞳が、それとぶつかった。
「お早う、シンタロー」
「ああ、お早う」
朝の挨拶にはすでに遅すぎる時刻だが、それでもそう言ってきた相手に、シンタローは同じように返した。
ふわっとこみ上げる欠伸を噛み締めて、相手の通る道をあけてやろうと足を動かせば、少しばかり足場を誤らせ身体がふらついた。
そのとたん、すっと相手の眼が眇められる。やばい、と思った時にはすでに口を開かれていた。
「ちゃんと目を開けていろ、シンタロー。危険だぞ。いいか、目を開けて降りないと、階段から足を滑らせて落ちる危険性が高いのだからな」
「あーわってるって。二度言わんでいい」
即座に忠告してくる口煩い相手に、シンタローは、がしがしっとあちらこちらに跳ねている髪をかき乱しつつ、手すりにもたれかかった。これならば、滑って落ちても大丈夫だろう。もしもの時には、すぐさまにこれに捕まればいい。目を開けようと努力する気は、シンタローにはなかった。
それを見やり、相手は小さく嘆息したが、構うものかと突っぱねる。
キンタローもそれ以上口煩く注意を重ねることはしなかった。代わりに自分の様子をみて声をかける。
「これから水場へ行くのか?」
「ああ、そうだ」
それに頷いてみせた。
これから風呂だ。身綺麗にしてから、化粧をして、髪を整え、衣装を着て、昼見世に備える。
いつもの変わらぬ毎日である。
二人で話している間も、隣を何人かの遊女が挨拶をしつつ通っていた。行き場は、たぶん同じ。水場である。
今が一番風呂の込む時間帯なのだが、自分には関係なかった。性別の違う自分は、当然彼女達と同じ風呂場は使えない。自分が使うのは、この店の男衆が使用する方の風呂場だった。もっともこの時間帯に入るのは自分だけで、キンタローの特別計らいで入らせてもらっている。
それに今更文句を言うものはいなかった。
自分のここでの立場は、初めから他の遊女達とは違うもので、それは今も変わっていないのだ。
「シンタロー」
名を呼ばれる。
人が途切れるのを見計らうようにして、髪に手を伸ばされた。今朝のアラシヤマもそうだが、なぜ自分の髪に触れたがるのか分からない。こんな他のここにいる遊女達と同じ、ただ真っ黒なだけの長い髪に、魅力など何もなさそうなものを。
それでも、大切なものに触れるように、相手はそれを手にとり、感触をしばし味わうと、軽く引っ張った。それにひかれるように身体を前に傾ければ、計算されたように、階下から伸ばされた相手の唇に触れる。
「んっ」
抵抗なくそれを受け入れれば、相手の舌がするりと潜り込み、口内でくちゅりと濡れた音が響き、耳朶に触れる。互いに慣れた仕草で、自分の快楽を引き寄せるために舌を絡めあった。
「ふっ…ぁ」
しばらくし、酸素を求めるように漏れた苦しげな声に、掴まれていた髪が解かれた。同時に絡まっていた舌も離れ、唇から透明な糸が名残惜しげに二人を繋ぐ。だがそれも、すぐに途切れてしまった。
口元に零れたどちらともつかぬ唾液を袖口で拭いつつ、シンタローは、真下から見上げる相手に、苦笑を浮かべた。
「キンタロー、今更だが、こういうのってせめてこっちの身を綺麗にした後でやらねぇか?」
すでに口付けを終えて言うのもなんだが、シンタローは、アラシヤマが帰った後、そのまま寝たのである。顔は一応洗っておいたので、別にあれとの間接キスになるとか、気持ち悪いことにはなってはいないのだが、それでも、事情を知っているはずのキンタロー相手では、きまり悪さを感じてしまう。
キンタローの方も気にならないだろうか、と思って言えば、
「後だと、俺が忙しい」
気にした様子も見せずに、さらりとそう告げられた。
確かに、この店の主であるキンタローは、朝早くから忙しなく働いている。夜もかなり遅くまで起きている様子で、ご苦労なことである。ようやく二十を迎える年になったキンタローだが、すでにわずか十五で、この店の主となっていた彼は、もうこの店には無くてはならない存在だった。
「まあ、お前がいいなら、いいけどさ」
こちらは今更キスの一つや二つで文句は無い。もちろん相手がキンタローだからであることは当然のことだ。
だからといって、別に二人が恋人同士というわけでもない。
恋人同士なら、こんな仕事などしていないだろう。
キンタローは命の恩人だった。
彼に拾ってもらえてから五年。今でも感謝の気持ちは忘れてはいない。
求められても返すものがこの身ひとつしかないとすれば、捧げることに躊躇いはなかった。
(って、んなこと言えねえけどさ)
自分が、そんな気持ちを持っていることなど相手には伝えたことはない。敏いキンタローのことだから、承知しているかもしれないが、それでもこの気持ちは決して口には出さないと決めたものだった。
「旦那様、ちょっと来てください」
二階からキンタローを呼ぶ声が聞こえる。そう言えば、何か用事があって階段を登ってきたのだろう。ここで悠長に立ち止まっている場合ではないはずであった。たまたま自分と出会ったために、時間をとっただけである。
「シンタロー、じゃあな」
「ああ」
使用人の呼び声に、キンタローも即座に反応する。こちらに別れを告げると同時に忙しなく階段を登っていった。
「大変だな」
それを見送ると、ふわぁと大きな欠伸一つとともに、シンタローは、のんびりと階段を降りていった。
遠くかすかに耳に届く鐘の音。泡沫の一夜夢を築いていた遊郭全てに、目覚めの時を告げる。
「………んっ」
重たげな瞼を二三度上下させ、シンタローは、目を覚ました。
「お早うどす」
すぐに聞こえてきた声は、ごく間近で、薄暗い視界に凝らした瞳が、人を逆さに映した。闇に溶け込む色が視界を塞ぐように揺れている。それが人の髪なのだとようやく回らぬ頭で理解したシンタローは、思い当たる人物の名を告げた。
「アラシヤマ……」
寝起きのかすれた声で、その逆さになっている男の名を呼べば、こちらの頭の方から、顔を覗きこんでいた彼は、目元のみを緩ませて、ゆっくりとおじきをするように頭を下げた。
「よく眠れましたかえ?」
囁くような声とともに落ちてきた唇が、押しつけるように額に触れ、すぐに逃げていく。
(こいつは……朝から)
許可もとらずに勝手に自分に触れてきた相手に、シンタローは、逃げるそれを制止するべく手を伸ばし、耳元に落ちていた髪を素早く捕まえた。
「アテッ」
かくんと首を揺らし停止したアラシヤマに、シンタローは、すかさずグイッと、その手に掴んだものを引っ張った。
「お前なぁ。人の寝起きを見るなって何度言ったらわかるんだ」
「あたたたたっ、ちょ、シンタローはん、そない引っ張らんでおくれやす。痛いでっせ」
容赦なく下へと引き寄せるその行為に、アラシヤマはすぐに悲鳴をあげる。
(痛いどすぅ~)
毛が抜けそうなほどの力強いそれに耐え切れず、アラシヤマは解いてもらおうと、彼の手を軽く叩いてみるが、その程度で緩ませてはくれるほど相手は甘くない。
「離してくれはりまへんか」
「やだねっ」
必死な顔で懇願されるが、それを離す気はない。
(大体俺は、最低でも過去十回は、言っていたはずだぞ。人の寝起き顔を覗きこむなと)
寝起きは、涎や目ヤニで汚れている。さらに自分は、夜見世用に紅や白粉で化粧をほどこしていたのだ。それが一晩でどれだけ見っとも無く崩れるか分かっているから、余計にそれをされたくはなかった。
それなのに、今日も目を覚まして見れば、一番に目に映ったのは、相手の顔である。
なぜ、そんなことをするのだろうか。
怒りもこみ上げるが、呆れも混じる。
こうして怒られるのが分かっているのだから、何食わぬ顔で、目覚めそうな気配を感じた時には、別方向を向いていればいいのだ。実際その通りにされても嫌なのだが、知らぬが仏という言葉もある。
なのに相手は、目覚める時を見計らうようにして、なぜか嬉しげにこちらの顔を覗きこみ、寝ぼけ眼の自分に、朝の挨拶をかけるのである。
(ったく、馬鹿が)
それしか言いようが無い。
アラシヤマの髪を右手で掴んだまま、シンタローは、寝ている体勢で緋色の長襦袢を掻き合わせた。肌に触れる朝の冷気が冷たすぎたのだ。
朝と言っても、まだ外は夜も明けてない時刻である。早春の夜明け前となれば、吐く息も白かった。
こういう時も、この仕事の辛さが身に滲みる。襲い掛かる眠気と寒気に、シンタローは、うぅと小さく唸った。
機嫌は最悪である。
それに加えて、朝っぱらから気に食わないことをされれば、さらに拍車がかかる。
もちろん寝起きが見られたくないなら、自分の方が早起きすればいいだけなのだが、それができないのだから仕方ない。
(ああ、むしゃくしゃするぜッ)
その原因の一旦を、目の前の男が担っているのも腹立たしい。
昨晩も、いつものとごく睡眠時間は少ないうえに、いまだに身体の奥に倦怠感が残っているのだ。
相手は、痛い痛いと悲鳴をあげているが当たり前だった。痛くしているのである。
朝っぱらから不快な思いをさせた報いは、存分に受けてくれなくては困る。
(こっちはてめぇに何度も突っ込まれて痛い思いをしてるんだからなッ)
仕事だとわきまえていても、理性と感情は別物というものである。
「シンタローはぁ~ん」
アラシヤマが、何度目かの情けない声をあげた。
強く引っ張られたままのそれは、すでに何本かはブチブチと嫌な音を立てて抜けてしまっている。
アラシヤマは、懇願しても離してくれはしないシンタローの顔を間近で見つめた。その透明度の高い漆黒の瞳の奥に、不機嫌な輝きを見つけてしまう。ご機嫌斜めは相当のもののようである。アラシヤマは、諦めたように溜息をつくと、やれやれと口を開いた。
「そないに、わてと離れ難いと思うてくれはるなんて………とっても嬉しいおますわ、シンタローはん」
「とっとと離れろ」
アラシヤマがそう口にしたとたん、シンタローは、ぱっとその手を離し、さらに近づいていたアラシヤマのその額に手のひらを押し付け、ぐいっと真上に押しやった。アラシヤマの首がぐにっと有り得ぬ方向に、音立てて曲がったが、気にしない。
「うわっ。なんですのん、その冷たい仕打ち。わてを離さへんやったのは、シンタローはんでっせ」
「さっきのことは忘れろ」
そう冷淡に言い切ると、目の前から、アラシヤマが消えたことで、シンタローもようやく起き上がった。手の中に絡み付いていたアラシヤマの髪の毛を無情にも払い落とし、緩んでいた胸元を改めてきちんと整えると、ふわぁと大あくびを一つした。
冷たい空気が大量に口の中に入り込む。
もう暦の上では春は訪れたはずだが、まだまだその温もりを感じる日は、幾日もない。梅の花は咲いたのだと、人の口伝えで聞いてはいたが、こうしてまだ夜も明けきらぬ朝に、春を感じるのは難しかった。
「もう時間なんだろ? さっさと帰れよ、アラシヤマ」
目覚めた耳に、いつもの鐘の音を聞いた。
外に視線を向ければ、アラシヤマが開けたのだろう、開いた窓から、薄まりつつある闇夜が見えた。まだ、朝日は東の果てに眠りについたままのようである。それでも、目覚めまでの時は幾ばくもないはずだが、今はただ、わずかばかりの星々だけが、眠たげに瞬きを繰り返していた。
それを見ていると、こちらも眠りを誘われる。
だが、その誘惑に身をまかせようにも、目の前に人が存在する以上できなかった。
耳を澄ませば、ざわざわと人の声が聞こえてくる。遊郭の朝は早い。あちらこちらで、一夜を共にした相手を追い出す準備に追われているのだ。
(俺もさっさとこいつを追いだして、もう一眠りするかな)
すでに相手は身支度を整えていた。いつものことだが、楽でいい。
寝ているのか? と疑問に思うほど、この相手は、こちらが朝方に目を覚ます頃には、すでに身づくろいをすませているのだ。こちらとしては大変有難いことであるが、その余った時間に、自分の寝起きを見てなければの話である。
とにもかくにもお別れだ。
犬猫を追い立てるように、しっしっと手を振れば、とたんに哀しげな表情を相手は浮かべた。
「名残惜しんでくれまへんの、シンタローはん」
「これが永遠の別れなら、少しは惜しんでやってもいいぜ」
別の部屋からは、同じ立場である遊女達の甘ったるい惜しむ声が聞こえてくる。けれどシンタローは、挑発的な笑みを携え、アラシヤマにそう言い放ってやった。
自分にそんなことを望むだけ無駄だ。
そんなことは、もちろん相手もわかっているはずである。だからこそアラシヤマは、その笑みを受け止めると自分の胸に手を押し当てて、切なげに瞳を揺らした。
「なら存分に惜しんでくだはれ、シンタローはん。もしかしたら、わてはこの帰り道に暴漢に襲われて命を落とすかもしれまへんし、家に戻った後に、火事があって焼け死ぬかもしれまへん。明日にはこの命、ないかもしれまへんで?」
だから、これが永遠の別れになるかもしれまへん。
そう嘯いた相手は、布団の上に座り込んだままで、怠惰に相手を追い出そうとしていたシンタローに、手を伸ばした
昨晩、布団に入る前には、きっちりと結い上げていたそれも、今は、その痕すら見つけられずに、肩にかかっている。アラシヤマは、それを一束だけ掴み、握りしめた。
シンタローは、先ほどのお返しか、と慌てた表情を見せ、身体を引きかけた。だが、アラシヤマは、その髪が引っ張られないように気をつけながら、膝を布団の上に落とすと、そこに、恭しく口付けを落とした。
敬愛を示すようなその行為に、少しばかり顔を顰めてみせるが、相手はそれを気にする様子は見せなかった。こちらに顔を向けると、いまだに掴んでいる髪を指に絡まし引き寄せ、それに再び愛しげに唇を落とす。
「わてが、こうしてあんさんに触れられるのも最後かもしれまへんで?」
そう言いながら、嬉しそうに笑う馬鹿な男を見やり、シンタローは、痛みを感じるのを承知で、奪われていた髪を引っ張り、取り戻した。
けれど髪は、抵抗なくするりと相手の指をすり抜け戻ってくる。こちらが力を込めたとたん、手に握っていたそれを解放したのだ。
(いつもそうだ)
その抵抗なさに、なぜか苛立ちを感じつつ、シンタローは、髪をばさりとかき上げた。アラシヤマの口にした、馬鹿な言葉に返事を返す。
「そうしたら―――――俺は、笑ってやるよ」
「シンタローはん?」
「二度とお前に会わなくてすんだって、笑ってやる。だから安心して永遠の別れとやらをしてくれ」
死ぬなら勝手に死んで来い。こちらは全然かまいはしない。
そっけなく言い放てば、アラシヤマは一瞬驚いたような表情を見せ、それから笑った。先ほど見せた嬉しげな笑いよりも深みのある、けれど苦味も含んだ笑い。
何を考えての笑いなのかまったくわからなかったが、シンタローは、それを見たとたん、むぅと唇を曲げていた。
「なんだよ。俺の答えが気に食わないのか?」
そう言えば、くすくすくすとなぜか今度は声に出して笑われた。
「あんさんを哀しませない様、死なない努力をしますわ」
「はあ?」
どうやったらそんな答えが導きだされるのだろうか。
理解できないと眉間に皺まで寄せてみせれば、その皺を伸ばされるように指先がつきつけられた。
「泣きそうな笑い顔ほど胸に痛いもんはありまへんしな」
「…………」
その言葉に、思わず自分の頬に手をやり、さらりとなぜてみるが、自分が今、どんな表情をしているかはわからない。
(出鱈目言ってるんじゃねぇ)
少なくても、自分はアラシヤマ相手に、そんな健気な表情など浮かべるはずがなかった。アラシヤマお得意の夢見がちな妄想だろう。それで、都合のいい解釈をしただけに違いない。
「さてと、ほなそろそろお暇させていただきまひょ。六つの鐘も鳴り始めましたし」
こちらの動揺には何も言わず、ちらりと外へと視線をやったアラシヤマは、すくっと立ち上がった。
「あっ」
シンタローも、それに釣られるように立ち上がる。
カーン…カーン……。
丁度耳に、聞きなれた音が聞こえてくる。確かに、六時を知らせる鐘の音だ。客を送り出す時間は、四時から六時まで。
鐘の音は、きっちり六回鳴って止まった。
別れの刻限である。
「見送りはいりまへん。外はまだ寒うおますし」
外套を手にしたアラシヤマが振り返る。ほんの数歩でも離れれば、薄闇に包まれたアラシヤマの身体がかすむ。見え辛い中で、アラシヤマは小さく手を振った。
「また来ますよって、ほなさいなら」
最後に、こちらよりも遊女らしく見えるはんなりとした笑顔を見せ、頭を下げ出て行った。
あっさりとした退却だった。
部屋から消えるアラシヤマをいつものように黙って見送ると、再び布団の上に腰をおろすと、シンタローは、溜息を一つついた。
「また…ねぇ」
結局また来る気じゃねぇかよ。
なんだかんだといいつつ、もう随分と長い間自分の元に通ってきている馴染み客が、帰ったことを確認すると、また重たくなってきた眼を擦った。
とにかく、これで仕事はひと段落ついた。そのとたんに強い眠気が襲ってくる。
「寝よ」
これからが遊女達にとって本当の安らぎの夜である。
シンタローは、すでに冷え切った布団の上に寝転がると、もう一度目を閉じた。
二度寝は、かなり寝入ってしまっていた。
起きてみれば太陽はすでに真上にまであがっていた。
今日は快晴らしく、開けっ放しにしていて窓から、柔らかな日差しが入り込んでくる。
別に遅すぎるという時間帯ではなかったものの、シンタローは目が覚めると、そこでゴロゴロと目覚めの気だるさを味わうこともなく、起き上がった。
部屋に手水の用意を頼み、それで顔を洗いさっぱりさせると着替えを片手に部屋を出る。
「ふわぁ」
とたんに欠伸が一つ。冷たい水で顔を洗っても、まだ眠いようだった。
大口開けつつ階段を下りていれば、下から上がってくる相手に気付き、足を止めた。
(んっ?)
キラキラと眩しげに輝く後頭部。それだけで、顔を見ずとも誰と分かった。この妓楼に、こんな綺麗な髪を持つものは一人しかいない。
そこで立ち止まっていれば、下から登ってきた相手が、こちらの気配に気付いたようで顔をあげた。先ほど見た清々しい青空と同じ色をしている瞳が向けられる。眠たげに時折閉じる瞳が、それとぶつかった。
「お早う、シンタロー」
「ああ、お早う」
朝の挨拶にはすでに遅すぎる時刻だが、それでもそう言ってきた相手に、シンタローは同じように返した。
ふわっとこみ上げる欠伸を噛み締めて、相手の通る道をあけてやろうと足を動かせば、少しばかり足場を誤らせ身体がふらついた。
そのとたん、すっと相手の眼が眇められる。やばい、と思った時にはすでに口を開かれていた。
「ちゃんと目を開けていろ、シンタロー。危険だぞ。いいか、目を開けて降りないと、階段から足を滑らせて落ちる危険性が高いのだからな」
「あーわってるって。二度言わんでいい」
即座に忠告してくる口煩い相手に、シンタローは、がしがしっとあちらこちらに跳ねている髪をかき乱しつつ、手すりにもたれかかった。これならば、滑って落ちても大丈夫だろう。もしもの時には、すぐさまにこれに捕まればいい。目を開けようと努力する気は、シンタローにはなかった。
それを見やり、相手は小さく嘆息したが、構うものかと突っぱねる。
キンタローもそれ以上口煩く注意を重ねることはしなかった。代わりに自分の様子をみて声をかける。
「これから水場へ行くのか?」
「ああ、そうだ」
それに頷いてみせた。
これから風呂だ。身綺麗にしてから、化粧をして、髪を整え、衣装を着て、昼見世に備える。
いつもの変わらぬ毎日である。
二人で話している間も、隣を何人かの遊女が挨拶をしつつ通っていた。行き場は、たぶん同じ。水場である。
今が一番風呂の込む時間帯なのだが、自分には関係なかった。性別の違う自分は、当然彼女達と同じ風呂場は使えない。自分が使うのは、この店の男衆が使用する方の風呂場だった。もっともこの時間帯に入るのは自分だけで、キンタローの特別計らいで入らせてもらっている。
それに今更文句を言うものはいなかった。
自分のここでの立場は、初めから他の遊女達とは違うもので、それは今も変わっていないのだ。
「シンタロー」
名を呼ばれる。
人が途切れるのを見計らうようにして、髪に手を伸ばされた。今朝のアラシヤマもそうだが、なぜ自分の髪に触れたがるのか分からない。こんな他のここにいる遊女達と同じ、ただ真っ黒なだけの長い髪に、魅力など何もなさそうなものを。
それでも、大切なものに触れるように、相手はそれを手にとり、感触をしばし味わうと、軽く引っ張った。それにひかれるように身体を前に傾ければ、計算されたように、階下から伸ばされた相手の唇に触れる。
「んっ」
抵抗なくそれを受け入れれば、相手の舌がするりと潜り込み、口内でくちゅりと濡れた音が響き、耳朶に触れる。互いに慣れた仕草で、自分の快楽を引き寄せるために舌を絡めあった。
「ふっ…ぁ」
しばらくし、酸素を求めるように漏れた苦しげな声に、掴まれていた髪が解かれた。同時に絡まっていた舌も離れ、唇から透明な糸が名残惜しげに二人を繋ぐ。だがそれも、すぐに途切れてしまった。
口元に零れたどちらともつかぬ唾液を袖口で拭いつつ、シンタローは、真下から見上げる相手に、苦笑を浮かべた。
「キンタロー、今更だが、こういうのってせめてこっちの身を綺麗にした後でやらねぇか?」
すでに口付けを終えて言うのもなんだが、シンタローは、アラシヤマが帰った後、そのまま寝たのである。顔は一応洗っておいたので、別にあれとの間接キスになるとか、気持ち悪いことにはなってはいないのだが、それでも、事情を知っているはずのキンタロー相手では、きまり悪さを感じてしまう。
キンタローの方も気にならないだろうか、と思って言えば、
「後だと、俺が忙しい」
気にした様子も見せずに、さらりとそう告げられた。
確かに、この店の主であるキンタローは、朝早くから忙しなく働いている。夜もかなり遅くまで起きている様子で、ご苦労なことである。ようやく二十を迎える年になったキンタローだが、すでにわずか十五で、この店の主となっていた彼は、もうこの店には無くてはならない存在だった。
「まあ、お前がいいなら、いいけどさ」
こちらは今更キスの一つや二つで文句は無い。もちろん相手がキンタローだからであることは当然のことだ。
だからといって、別に二人が恋人同士というわけでもない。
恋人同士なら、こんな仕事などしていないだろう。
キンタローは命の恩人だった。
彼に拾ってもらえてから五年。今でも感謝の気持ちは忘れてはいない。
求められても返すものがこの身ひとつしかないとすれば、捧げることに躊躇いはなかった。
(って、んなこと言えねえけどさ)
自分が、そんな気持ちを持っていることなど相手には伝えたことはない。敏いキンタローのことだから、承知しているかもしれないが、それでもこの気持ちは決して口には出さないと決めたものだった。
「旦那様、ちょっと来てください」
二階からキンタローを呼ぶ声が聞こえる。そう言えば、何か用事があって階段を登ってきたのだろう。ここで悠長に立ち止まっている場合ではないはずであった。たまたま自分と出会ったために、時間をとっただけである。
「シンタロー、じゃあな」
「ああ」
使用人の呼び声に、キンタローも即座に反応する。こちらに別れを告げると同時に忙しなく階段を登っていった。
「大変だな」
それを見送ると、ふわぁと大きな欠伸一つとともに、シンタローは、のんびりと階段を降りていった。