黒。
全てを呑み込んでしまう黒。
いっそ、この存在さえも呑み込んでしまってくれればいいのに。
黒と黒
「綺麗な黒髪おすなぁ」
隣りで座っていたアラシヤマが、髪を一房手に取った。
滑るように逃げていく黒の長い髪。
「シンタローはんの髪、ほんま綺麗な黒髪おすなぁ」
穏やかな笑顔で、再び俺の髪から一房手にする。
やめろ。
俺の髪なんて。
どこも綺麗なんかじゃないじゃないか。
物心ついた頃、たまたま耳にした言葉。
『一族の出来損ない』
それがどういう意味なのか判らなかった。
ただ、それは俺に対して、決して良い意味で言われたのではないということは判った。
意味が判るようになるには、それほど時間は掛からなかった。
金髪碧眼ばかりの青の一族の中に生まれた、ただ独りの黒い髪の黒い瞳の子供。
秘石眼を持たない子供。
『一族の出来損ない』
意味を知ったとき。
再び、同じ言葉を聞いてしまったとき。
俺は傷付いてただろうか。
ちゃんと、傷付いていただろうか。
世界が黒かった。
真っ黒で。
ぜんぶがくろくて。
見えない。
感じない。
だって俺は――
出来損ないだから。
飽きずに、何度も何度も俺の髪を滑らせているアラシヤマ。
らしくない笑みを横目で見て、思わず小さく噴き出してしまった。
「…シンタローはん?」
「悪ぃ」
怪訝そうに顔を顰めるアラシヤマに、小さく謝る。
「どないしはったんどす?」
「……」
訊ねるアラシヤマから視線を外して、これ以上聞くなという態度をとる。
キレイだってよ。
目を落として、自分でも髪を一房手に取る。
滑らかに滑っていく黒髪の毛先を見つめる。
確かに、綺麗な髪かもしれない。
背中を半分隠す長さにも関わらず、痛んだところなどほとんどない。
アラシヤマが綺麗と言うのも判らないでもない。
それが他人の髪だったら。の話だが…。
出来損ないとまで言われた髪だ。
自分が何者で、マジックの血の繋がった息子でないということが判った後でも、今更、自分の髪を手放しで好き
になる事など出来ない。
女々しい奴でいるつもりはないが。
幼い頃に感じた、あの黒は忘れる事など出来ない。
世界が黒かった。
傷付くよりも先に、目の前が――世界が黒くなった。
まるで自分の髪のように。
全てが漆黒に包まれていた。
「シンタローはん」
名前を呼ばれて、意識が浮上した。
京都訛りの、右目を前髪で隠した男。
辛うじて見えてる左目の強さに、戸惑う。
「な、なんだよ」
その瞳の強さに堪えかねて視線を逸らしたくなる。
「シンタローはんの黒、わては好きどすぇ。他の誰が何を言ってるかなんて知らしまへん。関係あらしまへん」
強い口調で訴えられる。
真剣なアラシヤマの黒い瞳に、自然と口許が緩んでしまう。
「あぁ」
手を伸ばし、目の前にいる男の髪に触れる。
光に透けて紫がかった髪。
癖など少しもないサラサラな髪に笑みが零れる。
「……っ」
目の前でアラシヤマが息を呑むのが聞こえた。
「さっきの言葉、訂正します。わてはシンタローはんの髪だけやのぉて、シンタローはん自身も好きどすっ」
「――知ってる」
「聞き流さんといて。わては本気どすっ」
アラシヤマ静かに、手にした俺の髪へと唇を落とす。
俺の髪にアラシヤマの長い前髪が重なる。
俺は黙って、その光景を目を細めて見ていた。
黒と黒。
俺にとっては忌まわしい思い出の色を、こいつは好きだと言う。
「聞き流してなんかねーよ。ちゃんと聞いてる」
聞こえてる。
お前の言葉はいつもちゃんと聞こえてる。
俺は目の前の頭を引き寄せると、アラシヤマの黒にそっと口付けた。
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穏やかな時間を守りたい
ずっと見てたい
だってこんなこと滅多にないから
「よい夢を」
シュッと軽い音を立てて、扉が開いた。
「シンタローはん、この書類のことで…」
手もとの書類を見ながら入って来たのは、顔の左半分を前髪で隠してしまっているアラシヤマだった。
書類の不備を見つけ、嬉々としてこの部屋に来た。
シンタローに逢いたくて、口実を作ってはこうして部屋を訪ねる。
うんざりした顔をしながらも、大抵はシンタローはアラシヤマを受け入れてくれる。
それが嬉しかった。
「シンタローはん?」
いつものように「また来た…」と呟く声が聞こえず、書類から目を離す。
大きな机にたくさんの書類を広げて、真剣な顔で仕事をしているシンタローの姿はそのにはなかった。
そこには、うず高く積まれた書類を机の端に寄せて、自分の腕を枕にして眠っているシンタローがいた。
適度に効いた空調の中で気持ち良さそうに眠るシンタロー。
アラシヤマは頭から仕事を切り離した。
後ろ手に、扉を内側からカギをかけてしまう。
そしてゆっくりとシンタローの机へと歩み寄る。
革靴の足音は、毛の長い絨毯に吸い込まれてしまう。
手にしていた書類を音を立てないように机に置くと、シンタローの寝顔をじっくりと見つめた。
お互いに忙しくて、最近はあまり顔を合わせられなかった。
やっと掴んだシンタローに会えるチャンス。
それがシンタローの居眠りシーンに出くわすなど、この先あるかないかの偶然だった。
飛びかかってしまいたい衝動を抑え、起こさないように黒い髪に手を伸ばす。
何度も何度も髪を触っているうちに、シンタロー本人にも触りたくなった。
理性を総動員して、恐る恐る頬へと手を伸ばす。
「ん…っ」
頬への感触に、小さく反応したシンタローに息を呑む。
起きてしまうのを覚悟してきつく目を閉じたが、どうやらまだ眠ったままらしい。
はぁ。と安堵の溜め息をつくと、再びシンタローに触れた。
こんな穏やかな時間はいつぶりだろうか。
ふとそんな事を考える。
というか、これ程までに穏やかな時間を迎えたのは初めてではないか。
あまりの感動に浸ってしまう。
「シンタローはん」
微かな声で呼び掛けてみる。
自分でも驚いてしまうような甘い声。
愛が溢れ出してしまいそうだ。
緩む頬をどうすることも出来ない。
「…アラシヤマ」
ふと、シンタローが言った。
またも息を呑んだ。
心臓が止まるかと思った。
咄嗟に手を引っ込めるが、いつまでたってもシンタローは動こうとしない。
寝言だったらしい。
理解した途端、アラシヤマは鼻を押さえた。
やばい。
非常にやばい。
鼻血が出そうなんて…。
普段見れないようなシンタローの姿に、感極まっている。
寝言で名前を呼んでくれるなんて。
夢でもみてくれているのだろうか。
幸せそうな顔をしているシンタロー。
理性が吹き飛んでしまいそうだ。
ここでシンタローを襲おうものなら、確実に溜めなしの眼魔法が打たれる。
そしてシンタローの機嫌は悪くなる。
部屋にも出入り禁止になって、半径数メートル以内の立ち入り禁止は確実だろう。
気持ちを落ち付ける為に、深呼吸をしてみる。
シンタローは相変わらず、何も知らずに眠っている。
「罪なお人やわ…」
アラシヤマはそっと微笑むと、部屋を出るためにシンタローに背を向けた。
これ以上この部屋にいたら、本当に何をするかわからない。
改めて出なおすことにした。
あとで、秘書課の人間にしばらくシンタローの部屋には誰も立ち入らせないようにしよう。
あの人の眠りを少しでも長く守ってあげたいから。
シュッと軽い音がして、扉が閉まる。
シンタローはゆっくりと腕から顔を上げた。
「なんだ。結構理性持ってんじゃねーか」
つまらなさそうに呟くと、アラシヤマが持ってきた書類を手に取る。
実はこれ、シンタローがわざと記入漏れのままアラシヤマの元まで流したのだ。
嬉々として自分のところへやって来るアラシヤマを想像しながら。
アラシヤマは気付いていないのだ。
シンタローは、アラシヤマが思っている以上にアラシヤマのことを想っていることに。
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シンタロー アラシヤマ グンマ キンタロー
「シンタローはん…」
「んっ…」
「痛い?それとも、気持ちえぇ?」
「…いい。ソコ、気持ちいい」
珍獣に餌を与えないで下さい。
「こっちは?」
「痛…っ」
「痛い?堪忍な」
「……っ」
「堪忍な」
「ばか――。痛ぇーよ」
「ちょっと我慢して。そしたら気持ちよぅなるから」
「……アラシヤマ」
「こんなに赤なってまって。まだ痛い?やめよか?」
「…や……」
「でもシンタローはん痛いんでっしゃろ?無理したらあきまへん」
「今更やめんな。…ちょっとくらい痛くても我慢っすから」
「シンタローはん……」
「アラシヤマ…早く」
「そこまでおっしゃるならやめまへんよ?泣いてもやめまへん。その代わり、はよぉ終わるように頑張ります」
「……ん」
「…………」
「……っっ」
「シンタローはん?耳の裏弱いんどすか?」
「っ…うるせー」
「フフ…っ。頬染めて可愛らしいわ」
「触ん…っな」
「シンタローはんは、うなじも弱いんどしたね。――やらしい」
「テメーに言われたくねぇっ」
「そんなに騒がんといて」
「…痛っ。もうちょっと優しくできねーのかよ」
「優しくしてますやん。シンタローはんが可愛ないこと言わはるからどすぇ?」
「誰が…っ」
「はいはい。気持ちよぅしたるから、少し黙っといてください」
「……んっ」
「フフ…。よぅなってきはった?」
「奴らは、大人しく耳かきも出来んのか…」
「いいじゃない、楽しそうだから。キンちゃん、今度僕にもやってねvv」
「断る」
「えー。やってよぉ」
「鼓膜突き破られても、文句は言えんぞ?」
「…いいもん。そしたらシンちゃんにやってもらうもん」
「そうしてもらえ」
「っっ。キンちゃんの馬鹿~っ。ちょっとはヤキモチ焼いてくれてもいいじゃない!!」
「こっちは終わりどす。ほな、反対向いてくださ…」
「シンちゃーんっっ。聞いてよ。キンちゃんがぁっ」
グサッ
「痛゛!!」
「…い?」
「キンちゃんがぁっっ」
「………」
「キンちゃんが酷いんだよ~っっ」
「グーンーマーぁぁぁぁ……………」
「…シンちゃん?」
「シンタローはん大丈夫どすかっっ?鈍い音しはりましたけど…」
「キンタロー!」
「なんだ?」
「『なんだ』じゃねーよっ。耳かきしてる近くで珍獣放し飼いにすんじゃねーっ。耳かき思いっきり刺さっただろ
うが!」
「僕、珍獣なんかじゃないよぉ」
「悪かったな」
「さっさと、この珍獣連れて俺の傍から離れろ。近くにくんな。顔見せんなっ」
「シンちゃん酷いよぉ」
「ほら、いくぞ珍獣」
「もぅ、珍獣じゃないってー」
「アラシヤマっっ!」
「は、はいっ」
「テメーも周り気をつけてやれっ!俺の耳が聞こえなくなったらどうすんだ?!」
「その時はわてが1日中傍にいて、シンタローはんの耳になってあげますっ。もぅ、手取り足取り」
「…死ね。つかお前も二度と俺に顔見せんな」
「冗談ですやん!そんな殺生な~」
「知るかっ」
「シンタローは~んっっ」
おそまつ。
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いつものことだけどさ。
慣れちゃったけどさ。
どうすんのさ。
――俺らのメシ。
昼、食堂にて。
偶然だった。
予定より早く遠征から帰ってきたアラシヤマが、予定より遅れて外国の会議に出席するシンタローと出くわした
のだ。
しかもシンタローがめったに表れない、一般食堂で、だ。
ミヤギ、トットリ、コージの3人と一緒に食事をしていたら、突然食堂の入り口あたりが騒がしくなった。
何事かと顔を上げるトットリが、条件反射のようにアラシヤマの肩を強く叩いた。
「何どすか。わてはこの後報告書書かなあかへんのやから、余計なもん見とる時間なんぞあらしまへんのや」
「でもアラシヤマ。入り口にシンタローがいるだっ…」
トットリが全て言い終る前に、アラシヤマは立ち上がった。
確かに入り口には、シンタロー(とキンタロー)が立っていた。
「あぁ~んっ、わてのシンタローは~んvv」
「げっ」
目にも止まらぬ速さでシンタローのところに駆け寄るアラシヤマを見つけ、シンタローが身構えた。
慌ててキンタローを盾にするシンタロー。
キンタローも慣れたもので、シンタローそっくりの大きな手でアラシヤマの頭を鷲掴みにした。
「は、離しなはれキンタロー!あんさんには用なんぞないんどすっ」
「だったら自力でどうにかしろ」
「キンタロー…。わてに触れると火傷しますえ?」
上目づかいで、格好をつけるアラシヤマ。
『俺に触れると怪我するぜ』もしくは、『俺に惚れると火傷するぜ』だろと、その場にいた全員が心の中で突っ
込んだ。
些細な違いほど、ツッコミたくなるものだ。
「そうか」
すると呆気ないほど、簡単にキンタローの手が外れた。
「「「「あ……」」」」
一瞬、静まり返る食堂。
キンタローとアラシヤマ以外の誰もが思った。
ヤバイ。――と。
「――――シンタローはぁぁぁ~~~んvv」
「テメ、キンタローっっ!裏切ってんじゃねーよっ」
目の前に肉を置かれた猛獣の如く、人参を目の前でプラプラされた馬の如く、リキッドを見つけたウマ子の如く、
アラシヤマの目にはシンタロー以外は映っていない。
まさに、ターゲット・ロックオン☆
アイ・アム・ラブハンター!!
もはや意味不明。
「別に裏切ったつもりはない。単に、俺は火傷をしてドクターに手間をかけさせたくないだけだ」
「嘘吐けっっ」
ドクターの実験台になりたくないだけだろっ。
それがわかっているのは、シンタローと直属部下であるガンマ団幹部のほんの数人だけだ。
それ以外の人間は、キンタローのお気遣いの紳士っぷりに胸をキュンとさせていた。
まるでどこかの、ファンシーヤンキーのように。
「~~~っっ、クソ!」
必死でアラシヤマの手から逃れようとしていたシンタローは、諦めたように振り返った。
「シンタローはぁぁんvv」
おもむろに前に差し出される右手。
食堂にいた人間は、咄嗟にテーブルの下に身を潜めた。
瞬間、青い光が食堂内を包み込む。
ドンッという大きな音と振動と共に、ガラスの割れる音や爆風が襲ってきた。
「危なかったっちゃ」
「んだ。日頃の非難訓練のおかげだべ」
「つーか、食堂ふっ飛ばしてどうすんじゃ、メシ」
テーブルの下に逃げ込んだ3人は、手元のうどんをすすりながら辺りを見まわした。
同じようにテーブルに身を隠した者たちは、突然起こった衝撃に呆然としていた。
首をめぐらせると、肩についたホコリを悠然と払うキンタローと憮然とした表情のシンタロー。
その近くにある黒い物体は、…まぁ放っておいて。
「ちっ、メシ食えなくなったじゃねーか」
「7割くらいはお前の所為だがな」
「半分はお前の所為だろうが! もういい。出先で食う」
責任のなすり合いをしながら足元の黒い物体には目もくれず、2人は食堂から出て行った。
ガタガタと音を立てて、テーブルから抜け出た3人はその背中を静かに見送った。
「…隊長ぉ」
静まり返った食堂に、かすかな涙声が響いた。
「コージの隊の新人だべな」
ミヤギの声に、コージは振り返った。
確かに今年コージの隊に入隊したばかりの新人だ。
彼の足元には、例の黒い物体がある。
コージは頭を抱えたくなった。
今年入ったばかりのルーキーに、アレの処理は酷だ。
真っ黒になっていても、隊長クラスの幹部。
しかもガンマ団No2の実力者だ。
ハッキリいって面倒だ。
というか、迷惑だ。
彼にアラシヤマを運べとは流石に言えない。
運ぶこと自体に抵抗があるだろうし、更にその行く先はあのドクター高松のいる医務室だ。
お気遣いの紳士キンタローですら近寄りたがらない、魔の区域。
コージ自身も何度あのヘンタ…ドクターに泣かされたことか。
新人にトラウマを残すのはあまりにも忍びない。
体はゴツイが、シンタローたちよりは優しさをもっているつもりだ。
やはりここは自分が運ぶしかないのか。
アラシヤマを運んでやる義理も、友情もありはしないが――。
「コージ…」
「手を離して欲しいっちゃ」
溜息をついたコージから逃げようとする2人の襟首をがっしりと掴む。
誰が独りだけで運んでやるものか。
赤信号みんなで渡れば恐くない。
交通弱者を舐めんじゃねー。
あのドクターの部屋に行くのも、3人ならばそれほど恐くはない。
もしものときは、どちらか1人を生贄として置いて来ればいいだけの話だ。
腕っ節は、この中で1番強い自信がある。
ドクターに関しては、優しさなど持ち合わせてはいられない。
コージは右手にミヤギとトットリの襟首、左手にアラシヤマの右足を掴んで食堂を出て行った。
ズルズルと音を立てて、時折テーブルや椅子の脚に身体をぶつけるゴツッという痛そうな音を響かせるアラシヤ
マの姿に、その場にいた団員たちは皆恐怖した。
「またですか…」
扉の外で肩を落としているティラミスを見つけた。
食堂はほぼ全壊といってもいいだろう。
「アラシヤマの給料から、引いとけ」
修理費がどれだけかかるかなど知らない。知りたくもない。
アラシヤマがほとんど悪いのだから、アラシヤマの給料から引くのは当然だろう。
シンタローたちに言っても、どうせ金は出やしない。
修理も、今日明日に終わりはしないだろう。
必死に暴れるミヤギとトットリを押さえ込みつつ、今夜の夕飯からしばらくは店屋物になるのかと思いコージは
大きな大きな溜息をついた。
接触という事象。
その存在に気付いたのは、いつだったか。
流れては消えていく音と映像。
それが全てだと思っていた。
それに手を下す事が出来るなど、想像すら出来なかった。
自我の確立は、「彼」と比べると随分と遅かっただろう。
「シンちゃんこっちだよ~よしよし、あんよがお上手♪」
「総帥ぃ~お願いですから会議はちゃんと出て下さい~」
徐々に青い目が近付く。
「到着~っ。ほら、高い高い♪」
だけど、何かが違う。
噛み合わない。
「シンちゃんは暖かいねぇ」
……アタタカイ?
大音量が響く。
「あぁ~泣かないでっ!」
それは、自分に向けられた言葉。
「パ~パ」
「シンちゃんが喋った~」
目の前の人物は、破顔する。
自分は、何も。
何も。
例えばTVの画面。
或いは映し鏡。
奥の方に、奥の方に、覗き込むだけ。
いや、違う。
……違うんだ。
享受された世界への違和感。
今思えば、それらはすべて、一つの事に帰結していたのだ。
あるべき相互作用。
「パパ」
この人が見てるのは、誰?
それは、潮が満ちるようにやって来る。
まずは音。ざわざわとした空気の震えが、膨らんでゆく。
次に光。ぼんやりとした金色が、人の輪郭を形作る。
剥がされた幕の向こう側。
―――あぁ、ここは学生食堂だ。
「シンタローさんっ。次の二人一組対抗試合、オラと組まねぇか?」
「あー悪りぃ。俺の相手っていつも、教官の指示でさ」
「そ、そうだべか……」
「がっはっはっ。見事にフラれたのう」
「うっさいべコージ!トットリ、早目に行って練習するべ!」
「……普段コンビ組んでる僕に何の断りも無く他の人誘って、断られたら何事も無かったよーに振る舞うっちゃね、ミヤギくん……」
目の前で飛び交う、返す言葉と返される言葉。
会話中の単語と、記憶の中の授業日程を照らし合わせ、誰に届く事も無い呟きを漏らす。
――前に眠りについた時から、恐らく三日、か。
己にとって時間の経過など何の意味を持たなくとも、確認せずにはいられない。
「ごっそさん」
"奴"は綺麗に平らげられた食器の乗ったトレイを指定の場所に置き、厨房内の調理員に軽く手を振ると、食堂の扉を潜った。
見慣れた廊下を進み、角を曲がると、大分年長の男が数名、正面奥からこちら側へと向かっていた。
軍人然とした歩みの彼らは、見覚えの無い顔だ。恐らく、今日の実習の為に呼ばれたガンマ団員だろう。
時期総帥と囁かれようとも、現状としてこちらは学生、相手は一兵卒だとしても団員。
進行の妨げにならぬよう僅かに端に寄り、道を開けた。
そのまま何事も無く通り過ぎようとして―――
「ジャン……っ!?」
―――内一人が、驚愕の声を上げた。
「……あ?」
訳の分からぬ単語を口走る男に、奴は一瞬素に戻り、慇懃さに欠けた声を漏らした。
しかし男達はそれを咎める事も無く、一学生を前に、一斉に滑稽なまでの慌てぶりを見せる。
「馬鹿っ!以前、上から言われただろっ!」
「あ……し、失礼しました……シンタロー様」
名乗ってもいないのにこちらの名を口にした男達は、そのまま追及の間も与えず、逃げるように去っていった。
一体、どこまでこの顔が広まっているというのか。
「なんだぁ?あいつら」
不条理な一瞬の出来事に、こちらが出来る事と言えば、ただ立ち尽くすのみ。
だが直ぐに、同じく呆気に取られた顔でこちらを見つめるギャラリーに気付くと、一先ずこの場を後にした。
普段よりやや大股で歩きながら、他者には聞こえない程度の小声で呟く。
「そういや時々、初対面で俺の顔を見るなり、妙な顔する奴がいるな……」
それは、覚醒時間の短い俺ですら稀に目にする事実だった。
この身が持つ"総帥の息子"という肩書きへの萎縮―――つまりは父親を恐れての反応かと思っていたが、それではやや説明不充分の感も否めなかった。
思考よりも遥かに早く、脳に直接叩き付けられたような―――瞬間的で強烈な驚愕。
燃え上がった日がもうじき沈む、人影も疎らな校舎の一室。
一人キーボードを叩く音が、空調機の低い唸りとは異質の高さで、部屋に響いていた。
「げーっ、こんなにいやがる」
ディスプレイに映し出された表にぎっちりと敷き詰められた小さな文字の羅列に、奴はうんざりとした声を上げた。
「まぁ、さっきの奴の年齢からして、せいぜい三十年前までには絞れるか」
ぶつくさと呟きながら、検索範囲を徐々に縮めていく。
キーワードは、昼間耳にしたあの単語。
心の引っ掛かりは、確かめなければ気が済まない性分の奴だ。
ガンマ団に縁のある者なら、一部の隠密任務の者を除いて、全て組織内の巨大ネットワークに管理されている。
そして、簡単なプロフィール程度なら、学内の端末からでも引き出せた。
この時はまだ、俺も奴も、夢にも思ってはいなかったのだ。
それが、開けてはいけないパンドラの箱だったなど。
「あれ、サービス伯父さんの同期にもいるな。どれどれ……」
心酔しているらしい叔父の名を見つけると、苛々とした空気が若干和んだ。
俺にとっては、どうでも良い存在だった。
奴に真っ直ぐな期待を寄せる男など。
―――いや、誰の存在だって、俺にとってはどうでも良いものだ。
この世界に、俺は存在しない。
あるのはただ、媒体にもならぬ、視点のみ。
カシャ、と、キーが一際高く音を鳴らした。
次の瞬間、映し出されたものは。
あぁ―――
その時、
奴と俺の境界線が、揺らいだ。
洪水のように奴から流れ込んで来たのは、俺にとっては馴染みの深い感情。
絶望。
この男の絶望は、俺の歓喜。
似ている、どころの騒ぎではない。
コイツは―――コレだ。
やはり、やはりそうだ―――
此処に在るべきなのは、俺だ。
その存在に気付いたのは、いつだったか。
流れては消えていく音と映像。
それが全てだと思っていた。
それに手を下す事が出来るなど、想像すら出来なかった。
自我の確立は、「彼」と比べると随分と遅かっただろう。
「シンちゃんこっちだよ~よしよし、あんよがお上手♪」
「総帥ぃ~お願いですから会議はちゃんと出て下さい~」
徐々に青い目が近付く。
「到着~っ。ほら、高い高い♪」
だけど、何かが違う。
噛み合わない。
「シンちゃんは暖かいねぇ」
……アタタカイ?
大音量が響く。
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それは、自分に向けられた言葉。
「パ~パ」
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目の前の人物は、破顔する。
自分は、何も。
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奥の方に、奥の方に、覗き込むだけ。
いや、違う。
……違うんだ。
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今思えば、それらはすべて、一つの事に帰結していたのだ。
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この人が見てるのは、誰?
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「そ、そうだべか……」
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「……普段コンビ組んでる僕に何の断りも無く他の人誘って、断られたら何事も無かったよーに振る舞うっちゃね、ミヤギくん……」
目の前で飛び交う、返す言葉と返される言葉。
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――前に眠りについた時から、恐らく三日、か。
己にとって時間の経過など何の意味を持たなくとも、確認せずにはいられない。
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"奴"は綺麗に平らげられた食器の乗ったトレイを指定の場所に置き、厨房内の調理員に軽く手を振ると、食堂の扉を潜った。
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軍人然とした歩みの彼らは、見覚えの無い顔だ。恐らく、今日の実習の為に呼ばれたガンマ団員だろう。
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次の瞬間、映し出されたものは。
あぁ―――
その時、
奴と俺の境界線が、揺らいだ。
洪水のように奴から流れ込んで来たのは、俺にとっては馴染みの深い感情。
絶望。
この男の絶望は、俺の歓喜。
似ている、どころの騒ぎではない。
コイツは―――コレだ。
やはり、やはりそうだ―――
此処に在るべきなのは、俺だ。