ある事象との因果関係
物音ひとつしないその部屋では、時間の感覚が狂ってしまいそうだった。
誰の指示かは知らないが、気を散らさないようにと時計はおろか空調の音すら完璧までに締め出されていた。
お陰で机にかじりついてから数時間、どうもシンタローは調子がおかしいくなってしまう。
最近、形式ばった業務しかこなしていなかったことを考えれば、それも当然である。
遅々としか進まない仕事に、莫大なデータ。
溜息と共に参考資料に目を通そうとしたのだが、そこで手が止まってしまった。
ある資料が手元にないのだ。
データはディスクに収められたものと、紙に綴じられたものとそれぞれ渡されたのだが、どちらの山にも見当たらない。
軽く舌打ちしたが、それで目の前に現れるわけではない。
今まで気がつかなかったのも間抜けだが、兎にも角にもそれがなければ進められないという事実。
内線で連絡すれば向こうも忙しいらしく、暫くしてから応答があった。
手早く事情を説明すると、確認するため折り返すとのことだった。
次の連絡が来る前にもう一度、探してみたが影も形も見当たらない。
やきもきして待っていると、軽やかなコール音が部屋に鳴り響いた。
シンタローがこの部屋に入ってから鳴った、初めての電子音だが、それによってもたらされた情報は芳しいものではなかった。
資料自体は見つかったそうだが、ある部分から大幅に間違っているため、現在製作中であり、30分ほどかかるらしい。
とりあえず、現在の進行状況を手短に話すと、休むようにと強く言われてしまった。
言われて気がついたが、思った以上の時間が経っていた。
資料を届けるまでの間、約1時間程の休憩を言い渡されたが、どうしたものかと考え込む。
パソコンから目を離したものの、他にすることもなくぐるりと部屋の中を見回す。
当然何かあるわけでなく、大きく伸びをして体の凝りをほぐす。
何度か改装を繰り返された部屋はその回数分、セキュリティと強固を増していった。
内装も落ち着いた色で統一され、シンタローの好みにより出来るだけシンプルなものになっている。
また、仮眠室、小さなキッチン、バスルームも用意されており、ここで生活できるくらいの設備は整っていた。
その中の一室、キッチンにシンタローは足を踏み入れたが、別段腹が空いているわけではない。
ケトルに水を注ぐと、コンロに火をつけている間にポットとカップを取り出す。
茶葉は缶に入ったままのものがあったのでそれを手に取り、もう片方の手にティースプーンを持つ。
まだ沸く気配のないケトルを見ていると、ふと聞き覚えのある音が耳に届いた。
それは無意識のうちに手に持っていた缶にスプーンを打ち付けていた音であり、それが誰の癖であるかは明快であった。
久方ぶりに大勢の来訪者に些か辟易してしまう。
しかもそれが、仕事に関係しているものではないということがさらに拍車を掛ける原因だ。
「お前ら、ここがどこだかわかってねーみてぇだな」
「だって、久し振りにシンちゃんが帰ってきたから会いに来たんだもん」
キンタローが学会のついでに買ってきたという土産を眺めつつ答えるグンマは、シンタローとは正反対に朗らかに笑っていた。
グンマ自身が学会に行くことがなくなったせいか、キンタローにお土産リストなるものを作って渡しているのだが、それを律儀にも買ってくるキンタローもキンタローである。
最近では自ら土産を選んで買ってくるのだが、グンマがそれを見て喜ぶものだから得意げに色々買ってくるようになっている。
そんな騒ぎを横目で見つつ、しかしちゃっかり欲しいものを手に入れているコタローは確かにシンタローに同情しているようだが、それがさらに情けなく感じてしまうのだ。
「大体、土産の配分なんぞよそでやれよ」
もっともな意見なのに、なぜかコタローも含め、全員の目が痛い。
「ここのところ、向こうに帰ってこないのは誰だ」
「そーだよ、遠征から戻ってきたばかりなのにさ」
「お父さんを連れてこなかっただけましだと思って欲しいよ」
三者三様、見事なまでの攻撃が胸に突き刺さる。
言葉の内容よりもその息の合ったコンビネーションが、疎外感を一層強くさせられた気がする。
「って、まだ学校は休みじゃないだろ?」
コタローがいるということですっかり舞い上がっていたが、考えてみれば今の時期は宿舎のほうで暮らしているはずである。
士官学校に通ってからここ――総帥室――に来ることがめっきり減ったこともあり、舞い上がっていたが、おかしな話だ。
「テスト休みだって」
「お父様が作ったやつだね。シンちゃんに会いたいがために作ったやつ」
思わず全力でなくしてしまいたかったが、流そんなことしてしまえば色々と不満が上がるだろうし、何よりコタローと会える機会が増えたのだ。
文句は言うまい。
嬉々としてお土産を分けているが、大半がお菓子であるためグンマの手に渡ってしまうことは明白だ。
いつの間にかキンタローが書類の仕分けをしていた。
「お前だけは止めてくれると思ってたんだがな」
ぼそぼそと向こうに聞こえないような声で言ったのだが、小さな溜息が返ってきた。
「あのグンマとコタローを止められると思うのか?」
キンタローにしてみればいい迷惑である。
帰ってきて早々、グンマに手を引かれ、コタローに急かされてここに来たのだ。
この後、秘書達に何を言われるかと思うと気が重くなるばかりだ。
けれども、この話を持ちかけてきたグンマの言い分もわかるつもりだし、何より最終的には自分の意思で来たのだから仕方がない。
諦めて彼らの作戦に乗るだけだ。
「あ、じゃあこれはここで食べちゃおうか?」
配分も佳境に差し掛かったところで、意見が分かれたらしく、グンマのそんな声が聞こえた。
その声に顔を見合わせ、同時に振り向けば、そこにはコタローがテーブルの上にお菓子を広げているところだった。
滅多に使わない応接用のテーブルの上にはいつの間にか皿が用意されていて、焼き菓子とチョコレートが並べられていた。
そして、キッチンからもシンタローたちのところまで物音が響いてきた。
「くぉら!グンマ!」
シンタローが乗り込んでみれば、予想通りの光景。
ケトルが火に掛けられ、その横にはティポットが二つ。
そして、不快にならないくらいの小さな金属音が断続的に鳴っている。
その音はグンマから、正確にはグンマの手から聞こえていた。
壁にもたれながら、スプーンと金属製の容器を打ち合わせていたのだ。
「お前な、何してんだよ!」
「お湯って、中々沸かないよね」
特に4人分となれば、ケトルに相当の量の水が必要になるだろう。
沸かすための時間もその分長くなっている。
ここでよく、シンタローの意思とは裏腹に茶を入れることがあるが、この4人が集まるのは初めてかもしれない。
しかし、グンマの答えはシンタローの求めていたものとは違う。
こん、こんとスプーンをたたき続けることを止めぬまま、グンマは言葉を続けた。
「皆、心配してたんだからね」
なんでもないかのような口調が、返って心に響く。
思わず反論も出来ず、黙っているとケトルから湯気が立ち上り始めた。
「あ、いっけな~い!」
慌てて容器のふたを開け、手早くポットに葉を入れる。
同時にケトルも大量の湯気を放ち、沸騰したことを知らせていた。
すぐにティポットにケトルからお湯を注ぎ、ティコージを掛けたところで、グンマはほっと溜息をついた。
「手際悪いな」
「違うもん、シンちゃんが話しかけてきたからだよ」
らしいといえばらしい、グンマの手際に笑ったがグンマにも言い分はある。
「何言ってんだよ。俺が来たときにはスプーンで遊んでただけじゃねぇかよ」
「だって、お湯が沸くのはもっと先だと思ったんだもん」
そんな言い合いをしている間に、今度は正確に時間を計っていたグンマがトレイを持ち上げ、運ぼうとする。
結構な重さになるそれをしっかりと持つが、動こうとはせず、シンタローの顔を覗き込んだ。
「僕達がいること、忘れないでね」
そのときの笑顔を、いまでも忘れることはない。
諭すわけでもなく、軽やかな笑み。
信じろとは言わず、その後もただお茶を楽しんでいた。
一人分の湯はすぐに沸いて。
ケトルから洩れるシュンシュン、という蒸気の音が聞こえても。
手を止めることは出来なくて。
あの部屋での風景が、こんなにも簡単に思い出された。
<後書き>
久々に書いた、シンタローさん不死話です。
なんでもないことで昔の思い出を思い出したりする、というのがテーマだったんですけど、なんか底が知れている感じが全体的に漂ってますね(笑)
最近、キンシンよりもグンシンのほうが気になるお年頃…
こういうのも浮気って言うのかな?
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そして彼は笑った
「髪、切ってよ」
いつものように笑顔で、手に持った鋏を渡した。
そのまま傍にあった椅子を引き寄せ、彼に背を向けて座る。
長い髪を持ち上げて、手早く大きな布の端を首の周りに巻きつけて準備を整えると、もう一度彼のほうを向いた。
「ばっさりお願いね」
時間を見てシンタローは溜息をついた。
夕飯は一緒に食べると嬉々として連絡してきた本人がいないからだ。
総帥となってからまだ数日しか経っておらず、まだ要人達と顔合わせが残っているのだが、調整のために時間を持て余すことが多い。
本当ならば、さっさと業務に取り掛かりたいのだが、どんなに馬鹿馬鹿しくとも形式を無視すれば後々火種となる可能性がある。
出鼻をくじかれたような形になってしまったが、未だにあの島にいた頃の習性を少しずつ修正するために、のんびりすることにした。
そうなると、屋敷にいることも多くなり、今日みたいに何人かで食事を取ることも増えてきた。
残してしまうことは(これもあの島の影響だが)もったいないと思ってしまうために、あらかじめ連絡をするように言うのだが、研究に熱中しているグンマはもとより、それについて回るキンタローも約束を忘れることが多々ある。
今日は珍しく別行動だったキンタローはもう席についている。
問題は、グンマだ。
「ったく、先に食っちまうか」
昼間とは打って変わって無表情のキンタローに声を掛けると、さっさと茶碗にご飯をよそる。
綺麗に髪を切られたその姿は、先日初めて見た叔父の姿にそっくりだった。
どうして髪を切ったのかはわからなかったが、彼の口から発せられた言葉に、なぜかほっとしてしまった。
その言葉は物騒なものではあったが、キンタローであるとわかったからだ。
その後、暫く睨み続けていたが、不意に視線をはずすとまた鏡を見つめながら、手を握ったり開いたりしていた。
自分を模索している最中なのだろう、感情を持て余し、戸惑っている。
今はグンマが帰ってこないことが心細いように受け取れる。
時計を気にしているが帰ってこないものは仕方がない。
と、汁物をよそったときにいきなりドアが開いた。
「ごめ~ん」
まるで女の子のような謝り方で聞きなれた声が耳に入ってきた。
「ったく、おせーぞ!」
お玉を持ったまま、くるりと振り返り。
「ぐ、グンマ…」
見ればキンタローも驚いて思わず立ち上がっている。
「あ、キンちゃんとおそろいにしちゃった」
いつものようにのほほんとした顔で、にこやかに笑っていた。
ここ数年、整えるほどしか鋏を入れていなかった髪はばっさりと切られ、その言葉の通りキンタローと同じ長さくらいになっていた。
しかし髪質のせいか、全く違う髪型に見える。
「もしかして、似合わない?」
そのまま、椅子に座ろうとしたグンマだが二人の困惑した表情に、顔を曇らせた。
「すっごく軽くなってすっきりしたんだけどな~」
「いや、別にどうってことないけどな…」
なんといっていいか言葉が見つからず、とりあえずグンマの分のご飯と汁物をよそってやりながら、何とか言葉を探した。
キンタローも何とか椅子に座りなおしたが、こちらも言葉が何も出ず、ただグンマを見続けた。
「何で切ったんだよ」
「ん~、なんとなく?」
おいしそうに煮物を頬張りながらの言葉に、しかし、シンタローの中の感情に火をつけてしまった。
「てめぇ!帰ってこないと思ったら、驚かせた挙句、どういうことだ!!」
「え~!何で怒るの~!」
箸を突きつけられ、びっくりしたグンマは頬を膨らませた。
「だって、キンちゃんが髪の毛切ったのみて、僕も切ろうと思っただけだもん」
「そんなら、ミヤギが切ったときにそう思えよ!」
返答が気に入らないのか、それとも口答えされたことがむかついたのか、シンタローは怒ったままだ。
「あの島にいたときはそれどこじゃなかったし、そんな暇なかったもん」
そのまま睨み合いが続いたが、これまで何も言わなかったキンタローが口を開いた。
「もう伸ばさないのか?」
その言葉に、なぜか目を輝かせながら、キンタローのほうを向いたグンマは声まで弾ませていた。
「うん、すっきりして気持ち的にも楽になるからこのままにしようかな、て思ったんだけど、前の髪形も好きだし、迷ってるの」
「…おい」
「ほら、昔僕も髪の毛短かったこともあるし。あ、どっちが似合うと思う?」
そのまま、シンタローを無視するがごとく、椅子の向きを変え、キンタローに矢継ぎ早に質問するが、そもそも答える、ということに慣れていないキンタローはただ聞いているだけ。
「くぉら!キンタローが困ってんじゃねぇか。しかも、俺と話してる最中だろうが!」
「シンちゃん怒ってばかりだから嫌ーい。キンちゃんはちゃんと話してくれるもんねー」
聞こえない、とばかりに耳をふさぐグンマを、がしっと椅子ごと向きを正させると、頭をひとつたたいた。
「ったく、あんま世話かかすんじゃねぇよ。飯作ってやらねーぞ」
「シンちゃんのおーぼー」
「…それは使い方が間違ってないのか」
漸くグンマから開放されたキンタローの一言だが、あっけなく無視されてしまった。
「…どれくらいですか」
彼の強引なその態度に髪を整えながら、確認をする。
「そうだね、キンちゃんくらい?」
正面を向いたまま、彼の声は朗らかだった。
しかし、高松は眉根に皺を寄せてしまった。
「どうしたのですか?この数年、切ったことなどなかったではないですか」
「…キンちゃんの髪を切ったのは、高松だよね」
変わらない、柔らかい声。
しかし、こちらからの問いに答えることもなく、断言をされた言葉がとても深い意味を持つような気がして、髪を梳いていた手を止めてしまった。
「キンちゃんが、切って欲しいって言ったの?」
「…いいえ」
「なんで?」
傍からみれば、ただの世間話のようにしか聞こえないほど。
しかし、どうしても高松にはそうは聞こえなかった。
「叔父様に、似せたかったの?」
「そう、ですね。ですが…」
「高松」
言葉を切られ、おとなしく引き下がる。
口調は変わることもなく、柔らかい。
威圧感もないというのに、黙らなければならないような、何かがあった。
「キンちゃんは、キンちゃんだよ」
「…ええ、そうですね」
その返答をグンマがどう受け取ったのかはわからない。
ただ、彼は振り返り、ただ笑った。
「早く切ってね。シンちゃん達を待たせているから」
<後書き>
相変わらず、タイトルセンスがありません。
GF祭り(各地で起きてますよね?)に乗り遅れた感じで仕上げてみました。
GF見る前は、グンマさんが切って、それを見たキンタローさんが真似して切った、みたいに考えてたんですけどね。
(このあたりのやり取りはほのぼのしてると思うのですが)
なんか、私の中の高松はことあるごとにグンマさんを畏れます。
で、グンマさんは間違いなくキンタローさんの親代わり(?)にとって代わろうとしてます(笑)
面倒見は悪いほうでないと思うんですけどね。
…でも、どうやったら紳士に育てられるんだろう。
反面教師?
進化における絶対の法則
きらきらとまぶしい太陽が見える。
晴れ渡っていて、雲ひとつ見当たらないというのに。
何が頬を伝っているのだろう?
その場を支配しているのは静謐。
否、時折紙を擦る音や控えめな電子音が響いていた。
だからこそだろうか、静けさが一際目立つ。
しかし、部屋に異なる電子音が響く。
本当にかすかな音はあるが、解除、そして起動音と連続して起きたその音を彼は聞き逃すことなく、顔を上げた。
そしてこの部屋と外界を繋ぐ唯一のドアが開いた。
途端、色素の薄い、異なる金色が二つ飛び込んできた。
「シンちゃーん、ちょっといーい?」
肩よりも長い髪を揺らし、足早に近づいてきたグンマは、何が楽しいのかにこやかに笑いながら、机の前に陣取る。
邪気の無い笑顔なのだろうが、何かいやな予感がして仕方が無い。
心持ち、シンタローが引いているのを感じながらも、グンマは逃がすつもりは無い。
「あのね、お願いなんだけれども…」
「却下」
厄介事はごめんだと顔に貼り付けて、きっちりとドアのロックをしてグンマの後ろに控えるように立っていたキンタローに視線を移した。
話を遮られたことで、頬を膨らませているが、そんなことにいちいち付き合っていたら、巻き込まれることはわかっている。
「で、お前はどうしたんだ?」
視線を受け、面食らっいながらみ、口を二三度動かすと、ちらり、とグンマを見る。
「…俺は、こいつに連れてこられただけだ」
大した情報どころか、益々自分の不利な方向に振ってしまった気がして、仕方がなく視線を戻せば、いつの間にやら、シンタローの机の上をチェックしているグンマがいた。
「って、眼を放した隙に何してんだよ!」
「ふ~ん、このペースならお昼に少し位抜けても平気だね」
一体何を根拠にそんな発言をしたのかは知らないが、確かにグンマの言うとおり、昼を過ぎた頃くらいには一息つくことは出来るだろう。
しかし、グンマは自分の読みが当たったことに満足して、にこにこと笑うのみ。
「…なんなんだよ」
「ん~、さっきね、温室に行ってきたんだ」
グンマの視線の先を見れば、そこには晴れた空が広がっている。
あらゆる衝撃に耐えうる素材で出来た窓からは、太陽の暖かさも奪われてしまったような感覚を覚えるが、そこに輝いている事実だけは防ぐことは出来なかったらしい。
「それでね、キンちゃんがその中のひとつを任されてるんだよね」
それは、知っている。
元々、叔父のルーザーが管理していたものを高松が引き継ぎ、そしてつい最近、キンタローに移ったのだ。
本人の意思に関係なく、グンマが機械工学を、高松が生物化学を教えているため、シンタローは実際、キンタローが何をしているのかを詳しくは知らない。
これで全く関係の無い、心理学とかを学ぼうとしていたらかなり笑えると思っていたのだが、そうでもないらしい。
窓からキンタローに視線を移せば、居心地が悪いらしく、視線を外された。
「…別に、たいしたことはしていない」
「確かにそうだけどさぁ。けど、ちゃんと世話をしているじゃない」
そのあたりの話をシンタローは聞いたことが無い。
引き継がなければならないものが膨大な中、名乗りをあげた従兄弟に一抹の不安を感じながらも、開発部門を任せていた。
今のところ、大きな問題も起きておらず、それどころか立派に機能しているところから、どうやらうまくいっているようだ。
そのため、古参の研究員達の動向はある程度掴んでいる位で、他はグンマに任せきりだった。
さらに時間がかみ合わないせいか、直接会うことも少ないため話をする機会も無い。
なので、今キンタローが何をしているかということまでは知らないし、知る必要も無かった。
「…で?」
いい加減、痺れを切らして問いかけると、今までキンタローを見上げていた視線が再度シンタローへと向けられた。
「今日、僕も久し振りに行ってきて、思い出したの」
そこでいったん区切ると、意味ありげに笑って見せた。
「シンちゃん、一度も来てないでしょ?」
なぜが、その言葉を聴いた瞬間、逃げ道が無いような気がした。
空が、青い。
流されるかのようにこの場につれてこられたシンタローは、深く溜息をつく。
グンマの襲撃の後、とんとん拍子にことは進められた。
どのような交渉があったのかは知らないが、鉄壁の壁である秘書達を丸め込み、無理やり、時間をもぎ取ると、すぐさま、ここへと連れてこられた。
もしかしたら、あらかじめグンマは内緒で物事を進めていたのではないだろうか。
そんな思いが胸中によぎる。
事実、嬉々としてテーブルセッティングしている姿を見ていると、どうしても疑心暗鬼に駆られてしまう。
温室の中にある、小さな広場。
何のためのスペースか、シンタローにはわからないが、今は数脚の椅子とテーブルが用意されていた。
その隣にはアルミ製だろう、小さなワゴンに料理等が載っていた。
手際のよさに、呆れるしかできなかったが、総帥室を出る時のティラミス達の顔が忘れられない。
気のせいでなければ、かすかに笑っていたような気がする。
彼らは、休めということは出来ない。
スケジュール管理をしている手前、シンタロー以上に仕事の量を把握している。
そして、自己申告である大丈夫だという言葉にも踏み込むことが出来ない手前、もしかしたらグンマの提案をあっさり呑んでしまったのかもしれない。
「…シンちゃん?」
いつの間にか近づいてきたグンマが袖口を引っ張った。
「終わったのかよ」
「うん。それよりも、シンちゃん、やっぱり疲れているんだね」
今にも泣きそうなその顔に、思わず眉を顰めた。
否定は出来ない。
確かに最近、自分の顔を見て疲れが溜まっているという自覚はある。
とっさにうまく言葉を出せないシンタローに、グンマはしかし何も言わなかった。
俯いて何かを言ったかと思えば、袖口を引っ張ったまま、テーブルへと向かった。
必然的に少しの距離ではあるがそのまま誘導されていると、料理を並べているキンタローが不思議な顔をして、二人を迎えた。
「…何だよ」
思わず、反射的に出た言葉だったが、キンタローは首をかしげながら思ったことを口にした。
「お前がグンマのペースに付き合っているのを、久し振りにみた」
「るせぃ」
思わず赤面してしまったが、確かにそうかもしれない。
元々、我の強い一族だ。
自分の好きなことは強引にでも通すのだが、近年グンマはそういった傾向は見られなかった分、一体いつ振りになるのやら。
多分、それこそ幼年期くらいまでさかのぼりそうだ。
「そんなことより、ご飯にしようよ」
話のネタになっているはずのグンマは、さっさと椅子に座る。
料理といっても、数種類のサンドイッチにサラダ位で、後はから揚げなど食堂から貰ってきたものなので大したものではない。
それでもシンタローにしてみれば、久し振りに人と一緒に食べる食事だ。割り切ってしまえば、なかなか悪いものではない。
「そーだな」
気分を変えるために、大きく息を吐いて席に着いた。
一方的にグンマがしゃべるだけの昼食だったが、それはそれで悪いものではなかった。
引きこもり一歩手前のシンタローや、知り合いの少ないキンタローに比べ、他の研究室に顔を出すグンマはいろんな話を知っていた。
他愛の無いものばかりではあったが、報告書にはかかれない些細な話に、突っ込みを入れたり、青ざめてみたり、わけのわからない顔をしているキンタローに説明したりと、時間は瞬く間に過ぎていった。
そして、ようやく最後にお茶を飲み干した後。
「じゃあ、お皿は僕が持っていくね」
軽やかに立ち上がったグンマは、さっさとテーブルの上のものをワゴンに移した。
「おい」
テーブルクロスも取り除かれ、無機質なテーブルが見えた瞬間、ようやく言われた言葉に反応することが出来た。
「なに?」
引き止めなければ、そのままこの場を去っただろうグンマが振り返る。
無邪気なその顔に、湧き上がった怒気を何とか鎮めながら、こめかみを押さえた。
「あのなぁ」
「あ、そうか。忘れるとこだった」
手をたたき、うなずくグンマは怒っているシンタローを無視し、未だに座って状況のわかっていないキンタローに顔を向けた。
「僕が戻ってくるまで、ここを案内してあげてね」
「――わかった」
「俺の意思は無視かい」
どっちに怒りをぶつけていいものかわからず、思わず拳を握り締める。
その拳を見ないようにして、グンマはシンタローの目の前に人差し指を突きつけた。
「何言ってるの?だってこれから、この温室の視察をするんだから、キンちゃんに案内してもらわなきゃ」
「は?」
二つの声が重なる。
シンタローが恐る恐る後ろを振り返ると、口をあけたまま固まっているキンタローの姿があった。
「待て待て待て!それなら終わっただろ?」
思わず、大声で叫んでしまったが、グンマは口をへの字に曲げて、人差し指を左右に振った。
「あのね、まだ一部分しかシンちゃんは見てないんだよ。せっかくなんだからちゃんと見てかなきゃ駄目だよ」
「そんな時間は――」
「大丈夫、とティラミス達には言ってあるから」
決定打だった。
思わず、力が抜けてしまったその隙を突いて、あっという間にワゴンを押して出て行くグンマに言葉もなく。
「…で、どうすればいいんだ?」
声を掛けてきたのは、キンタローだった。
「…とりあえず、案内してくれ」
投げやりな答えに、それでも律儀に頷くキンタローがなぜか哀れに思えた。
査定という言葉に最初は緊張気味だったキンタローだが、どうにか自分のペースを思い出したらしい。
元々、グンマの思いつきにつき合わされていたため、何を説明するのかいささか混乱していたようだが、それさえ過ぎてしまえばいつものように淡々とシンタローを案内していた。
「…人に説明するのは始めてだ」
一通り見終わった後、元いた場所に戻るとポツリと言葉を漏らす。
とはいえ、専門的なことはわからないから大雑把でいいというシンタローの言葉に救われたというのもあるだろう。
視察という言葉に戸惑っていたようだが、詳しいことのわからないシンタローにしてみれば、この温室の植物がきちんと育っているのがわかればそれでよかった。
第一、キンタローが正式にここを引き継いだとはいえ、まだ少ししか経っていないのだから、それだけで評価が出来るわけではないのだ。
だからこそ、二人ともグンマの言う視察を冗談だと受け止めていたというのに、いきなり任されればこういったことに不慣れなキンタローが慌てるのは当たり前である。
「お疲れさん」
一方、シンタローはそれなりに満足そうな顔をしていた。
久し振りに土の感触を存分に楽しめたというのもあるが、キンタローがどれだけこの温室について理解しているかを知ることが出来たのは大きな収穫であった。
確かにシンタローに理解の出来ない話が多かったが、説明している姿を見れば少なくともどれだけ会得できているかくらいはわかるつもりだ。
それに、シンタローにしても植物の知識はある程度ある。
士官学校にいたときに詰め込まされた知識だ。
高松により、趣味に走ったものも多数会ったが、戦場に出て必要なものも確かにあり、必要であったものは刷り込まれているといっていい。
そういったものから判断するに、少なくともキンタローに対する点はかなり高得点といってもいい。
「て、どこに行くんだよ」
どかり、と椅子に腰掛けたシンタローとは違い、出口に向かおうとするキンタローに慌てて立ち上がろうとした。
「――本を」
「本?」
「ああ、グンマから借りた本だ。あそこにおいてあるから取りに行こうと思ったんだ」
指差す先には、小さな部屋があった。
最初に聞いた説明では、コントロールルームのようなもので、その他、実験に使うための器具等がおかれているらしい。
「グンマって――あいつの専門はバイオじゃないだろ?」
「ああ、今借りているのは材料工学と、プログラムに関する本だ」
至極まじめな顔で返され、何もいえなくなった。
何か不都合でもあったのかと首を傾げるが、生憎グンマを見てきたキンタローにしてみれば何がおかしいのかわかるはずもない。
グンマは自分の専門以外でも、興味の持ったものは片っ端から調べていく。
科学者というものは、否、専門家というものはそういうものではあるが、グンマはそれが広範囲に及んでいる。
純粋であるがゆえに貪欲に知識を得た結果ともいえよう。
そんなグンマから借りる本は多岐にわたるのだが、その渡し方がきちんとリンクされているために、疑問も持たず、黙々とキンタローは学んでゆく。
おそらくは、シンタローが認めるに至った勤勉さ故の成果なのだろうが、いまいち消化しきれない部分が残っているようだ。
本をとりにいった背中を見送りながら、おぼろげながらその正体を掴み、小さく溜息をついた。
硬い背もたれに体重を預け、腕時計を見る。
ここから食堂までの距離を考えれば、そろそろ帰ってくる頃だろう。
勝手に帰ったりしたならば、散々いやみを言われるだろうと容易に想像が出来る。
昔だったら、きっとそんなこと知るかと、否、その前にここには来ていなかっただろう。
余裕、とはまた少し違うなにかが、シンタローを引き止めた。
代わりにゆっくりと立ち上がって、緑の木々を眺る。
空調を整えるためにだろう、時折空気の流れを感じた。
ひんやりとしているが、冷房とはまた違った感じが体に心地よい。
広場からそう離れなければ、多少歩き回るのも良いだろう。
椅子に座ってるだけの生活に飽きた体を休めるために、ふらりと深い緑の中へと身を投じた。
頬を濡らすそれ。
知らないわけではない。
否、知っているからこそ、混乱していた。
前に一度、あの島で体験した。
けれどもなぜ、今なのかがわからずに、呆然としてしまった。
本を手に、広場に戻ろうとしたそのとき。
彼が木々の向こうに消えていった。
多分、手持ち無沙汰になり、散歩でもしようとしたのだろう。
唯それだけの光景を眼にした瞬間、前触れもなく頬に何かが伝った。
あのときのように心の底から湧き上がる衝動もなく、痛いと感じることもなく。
ようやく、手が動き、頬に伝うそれの源を辿る。
そして、それが予測どおりの場所からだと気がつき、慌てて力任せにぬぐった。
ようやく訪れた混乱に、けれども解決するわけでもなく。
原因を探そうにも、まるきり手がかりがないことに、焦りが増すばかり。
「なぜ…」
声に出すことにより、沈んでいた――あるいは浮かんでいた――思考が舞い戻ってきた。
連続的な小さな電子音。
時折聞こえる、木々のざわめき。
遠ざかっていく、足音。
いつの間に乾いている、涙。
いったん、混乱から醒めるとあの時、広がった何かがどうしようもなく気になった。
それは、じわりじわりと心の中に浸透していった。
けれどもいつから沸き起こったのかわからぬほど、小さなもの。
たとえることも、言葉に出すことも難しいそれを、理解することが出来ず、困惑した。
そして、思い出す。
消え行く瞬間に見た、優しく微笑む彼の顔を。
見知らぬ感情を、あまりにも幼すぎる彼はただ、持て余していた。
<後書き>
キン→シン?です。
風味から抜け出していることは間違いないのですが、→な分、糖度が薄い。
一応、南国終了直後です。
イメージとしては、初夏。若々しい緑色が素敵な季節。
しかし、気を抜くと、グンマさんについて語りたくなってしまいそうになり、慌てて削除してました。
従兄弟ズはやはり楽しいですね。
紫色の花達
チ、チ、チ
携帯片手に時計を睨む。
あと少しで今日が終わる。
あちらではもう日付が変わっていることは調べてある。
だから、あとはこっちの時刻。
そして。
カチッ
今日が終わり、グンマは手に持っていた携帯を机の上に乱暴に置いた。
わかりきったことだけれども、やはり悲しい。
5月13日。時刻は0時。
いろんな人から祝ってもらったけれども、二人ばかり足りない。
一人は多分忘れていて、もう一人は覚えていても祝ってくれないのだろう。
少し緊張していたのだろう。
大きなあくびをひとつすると、携帯を充電器に立てかけ、眠るためにベットへと向かった。
部屋に戻ってまず確認するのは、携帯の着信履歴。
電気をつけ、仕事用に持っていた携帯を充電させる間に片手で操作をする。
以前は携帯は一台しかもっていなかったが、仕事に差し支えるということで二つ持つようにしているのだ。
「うわ、何回鳴らしたんだよ、親父…」
着信拒否をすればその度に新しい番号で鳴らす傍迷惑な父親に、このままではいたちごっこだと思い、最近ではそのままにしてある。
一応、留守録を聞くが大抵の場合どうでもいいものなのではじめの一秒を聞いて消去する。
そんなことが幾度と続き、いい加減めんどくさくなり、総て消してしまおうかと思ったとき。
『お兄ちゃん?僕だけど…』
「コタロ~~~!」
今までと一変し、一語たりとも聞き漏らさぬようにしっかりと携帯を耳に当てる。
しかし、コタローの声はどこか冷ややかだった。
『まさかと思うけど、今日が何日だか忘れてないよね?』
その言葉に、何かあったかと疲れている頭を総動員して考える。
まず、なにかコタローと約束していたかという問いには否。
コタローはあれが欲しい、これが欲しいと我侭は言うが仕事の妨げにならないようにと気を使っているらしく、あまり約束をしようとしてくれない。
それが兄としては悲しいのだが、大人になろうとしているのだと思うと頬の筋肉が緩まる――と同時に、鼻から生暖かい液体が流れ出る。
他には、今日のスケジュールやここ最近の戦況を思い出すがどれもコタローに呆れられることはないはずだ。
今日だって、泣く泣くコタローと別れて某国との協議に赴いたのであり、それが長引いてしまったがために何日も地上に降り、飛行艇に戻ってくるのが遅くなってしまったのだから。
『…こっちはお兄ちゃんがふて腐れて大変なんだから、せめて日付が変わる前に電話してあげてね』
ぷつ、と薄情な音を立ててメッセージが終わった。
愛しい弟の声が聞こえなくなったことに、非常に落胆したが、引っかかることを言われて、もう一度考える。
彼の言う兄は、3人いる。
自分と、従兄弟の二人。
一人は確か、どこぞの学会に出ていてもう一人は屋敷にいるはずだ。
そして、コタローはというと同じく屋敷にいる。
となると、この場合の兄は屋敷にいるグンマ。
そこで、ようやく気がついた。
コタローの言う今日、つまりはもう日付が変わってしまったところから昨日は、グンマの誕生日であるということに。
同じくコタローからメッセージを受け取ったキンタローは首をかしげた。
無論、彼はグンマの誕生日を忘れたわけではない。
忘れたくとも、彼らの親代わりである高松が一ヶ月ほど前からことあるごとに鼻血を流しながら、その日のことをのたまっていたからだ。
去年は確か、屋敷にいたので誕生日祝いを上げたのだが、今年はつい忙しくて旅立つ前に渡すことが出来なかったのだ。
グンマの性格は知っているからこそ、用意こそしていたが、まさかここまでごねるとは思っておらず、暫し思考が止まった。
電話をかけた方が良いかと、メモリを呼び出したがあちらとの時差を考えて、すぐにやめる。
代わりにもう一人、多分こちらは今日の今日まで忘れていたのではないかと思われる従兄弟に電話をした。
メールが二件。
見当がついてしまい、思わず不機嫌になる。
朝は弱いほうだからぼーとしながら、メールを開くと予想通り。
ふて腐れてしまうのは、簡単に裏が見えてしまったから。
多分、昨日ぽろりと零した言葉が原因なのだろう。
弟であると知って、早数年。
しかし、話をするようになったのは最近というややこしい関係だが、そこそこうまくやっていけていると思う。
これなら従兄弟が入れ込むのはわかると、思わず納得してしまうくらい可愛いのだ。
それなのに、ついぽろりと本音を言ってしまい、何とか誤魔化したがきっと気持ちを読まれてしまったのだろう。
「別に、祝って欲しかったわけじゃないもん」
昨日と裏腹のことを言ったが、それはある意味事実で。
別に、言葉が欲しかったわけではない。
ただ――
はふぅ。
大きく溜息をつくと、せめて気を使わせてしまった弟に感謝しないとと、気持ちを切り替えた。
「はい」
渡されたものに、面食らいながらも、せっかくいただいたものだからありがたく受け取っておく。
「ありがとう」
「どういたしまして」
いつものようにやわらかい笑顔に、笑顔で返すが、どうしてもわからない。
小さかった頃には気がつかなかったが、兄弟だとわかったせいか、なんとなく似ている気がする。
二人とも父親と比べるとどこか色素が薄い気がするが、なんとなく足したらあの色になるんじゃないかなといい加減なことを思ったことがある。
温和(なように見える)兄と、高飛車な自分。
子供のように駄々をこねる兄と、ちょっと生意気な自分。
正反対に見えるのに、結構波長が合うのは、もしかしたら、この兄が合わせてくれているんじゃないかなと思うようになったのは結構前からだった。
それは自分だけでなく、総ての人に対してだと見当つけたのもその頃。
気をつっているわけではなく、なんと言うか、溶け込んでしまうかのような、そんな感じ。
けれども、このプレゼントがなんなのか、全く見当がつかない。
多分、お菓子なのだろうとは思うが、いったい何のお礼なのか思いつかずに手に持っていると、くすり、と笑われた。
「シンちゃんたちから、メールが来てたんだ」
その言葉に、失敗したな、と思いつつもわかりやすい反応をした兄達が悪いと、責任転嫁をする。
「僕、何もしてないよ?」
それでもとぼけてみるが、あいにくこの兄に通用しないことはわかっていた。
グンマも、コタローが誤魔化しているのがわかっているから、ぺろり、と舌を出して肩をすくめる。
子供がいたずらに成功したみたいに。
「コタローちゃんが、二人に教えたんでしょ?」
正解。
そういってやるのが悔しくって、頬を膨らませる。
「…なら、これはいらないよ」
コタローもプレゼントは用意したが、たいした物をあげられたわけではない。
有名店のプリンを取り寄せて、それをそのまま渡しただけ。
いくら仲がよいとはいえ、何をあげていいか迷ったために、そんなものしかあげられなかったのだ。
それなのに、次の日にこんなものまで貰ったら悪い。
「ん、でも欲しいもがもらえたからいいよ」
にこ、とそのまま押し切られた。
多分気が疲れているんだろうなと、天井を仰ぎ見る。
せめて、この兄が喜ぶことをしたいと思い、二人の携帯にメッセージを残した。
同時に腹ただしくなったのも事実。
自分の時には盛大に祝ったというのに、連絡ひとつよこそうとしない兄達。
(全く…)
本当は、満足なんてしていないはずだ。
けれどもいったい何が欲しかったのかわからないコタローはとりあえず、もう一度礼を言って、貰った包みをどうするか考えた。
そしてそれから一週間近くたち、二人の誕生日が近づいた。
結局誕生日プレゼントということで、シンタローからはケーキを、キンタローからはネクタイとクッキーの詰め合わせを貰った。
しかし、それで喜べるかというとそうではなく、ニコニコ笑いながら受け取ったが、内心では沈む一方だった。
些細なことだと自覚している分、誰にも言うことが出来ず、もやもやが晴れることは無い。
とりあえず、目の前にある学会に提出する論文と、誕生日プレゼントを考える。
やはりいつものとおり、自分らしいものにしようかと考えている。
たとえばガンボットシリーズとか、動き自体は凄いが大して役に立ちそうも無いロボットとか。
そういったストックはいくつもある。
外装を変えてやればいくらでも作れるのであまり急ぐ必要は無い。
それとも、意表をついて普通の、たとえば時計とか――
きこきこと椅子を揺らしながら考え込んでみたが、決定的なものが浮かばず、溜息をつく。
どうせなら、この前の意趣返しに嫌がらせになるものにしようか。
けれどもそれで捨てられてしまったらもったいない。
その境界線を見極めるのに毎回苦労しているのだが、成功したときの達成感を考えると、手を抜くことが出来ない。
いつの間にやら研究を離れ、一見落書きにしか見えない誕生日プレゼントの設計図を何枚にもわたって描いていた。
久し振りに本部に帰ってきて、総帥室に閉じ込められたかのように身動きの出来ないシンタローは心底辟易していた。
無論、朝から晩まで閉じこもっているというのもあるが、いやなこと続きなのだ。
たとえば、誕生日が近いせいか、浮かれてねじが何本か外れてしまったような親父が毎日騒いでいる。
グンマの誕生日以降、なぜかコタローがつれない。
話しかけても大抵無視されて、流石に堪える。
しかも、たまに返事をしてくれるのはグンマが取り持ってくれたときという、なんとも物悲しい状況なのだ。
そんなわけで仕事が手につかないとか言ってみたいがそういうわけにも行かず、日に日にやつれていく。
「…俺、何かしたか?」
幸い、今日は話し相手がいる。
思い切って聞いたが、書類をまとめている従兄弟はそっけなかった。
「それは俺も同じ気持ちだ」
キンタローも、シンタローと同じような境遇だった。
しかし、キンタローにしてみればきちんとプレゼントを用意しておいて、渡し損ねたというだけで同じ仕打ちを受けているのだ。
それで平常通りいろというほうが無理である。
「溜息をつくな、こちらまで気分が重くなる」
うっとうしそうに、種類ごとに纏められた書類をシンタローに渡し、代わりに決済済みのものを受け取った。
紙媒体の書類というものは廃止されているものが多いのだが、廃止するべきではないと判断されたこれらは、たとえ文字に気分が影響されて乱暴になっていようとその重要さが失われるわけではない。
電子を介して製作される様なものは、どこにいても処理することが出来るが、こうした書類はたとえまだ決裁されてなくとも紛失は許されぬため、総帥が帰ってくるまでそのまま溜められている。
戻ってきたときに一斉にその書類に判を押されるのだが、大抵の場合はその前に指示が出ているし、ここにあるのはつまり総てが終わった後で処理されるというおかしな形をとったものばかり。
こまめに帰っていればここまでたまることは無いのだが、そうも言ってられない状況のため、時間が空いていればここ、総帥室に閉じ込められるのだ。
「…やっぱり、気にしてんのか?」
それは、目の前にいる人間に対して言っているわけではない。
いわば独り言のようなものだが、キンタローも同じことを考えていたため、黙ってうなずく。
時刻は一般世間で言うところのティタイム。
彼らの従兄弟がやってくる時間。
なのに、シンタローが帰ってきてからやってこない。
そのくせ偶然会ったりするといつものように笑っていたりするからたちが悪い。
「けどよ、どうしろって言うんだよ」
弟からの冷ややかな態度に、態度は完璧だがどこかよそよそしい従兄弟。
精神的なダメージを着実に受けている今、どうにかしてこの状態を抜け出したいのだが、打開策が思いつかない。
げっそりとしているシンタローに対し、同じ被害を蒙っているキンタローは大きく溜息をついた。
「ひとつだけ言っておくが、俺のほうがひどいぞ」
苦虫をかんだような顔をしながら、チェックを終えた書類を纏める。
「高松に会うたびに、早く謝ったほうがいいといわれるんだからな」
それで、こちらに非難してきたというわけだ。
「俺達、謝りはしたよな」
「お前はともかく、俺はちゃんと覚えていたんだけどな」
盛大な溜息を吹き飛ばすかのように、ドアが開いた。
「やっぱり、お兄ちゃん達ってばだめだね」
甲高い子供特有の声。
今朝と違って機嫌が良いらしく、ニコニコと笑っている。
「こ、コタ…!」
「僕、お菓子食べたいな♪」
鼻血を撒き散らしながら突進してきた兄をかわして、座り心地の良いソファを占領する。
そこでようやく、二人は弟が心から笑っていないことに気がついた。
「…たいした物は無いぞ」
弟の絶対零度の笑みに固まってしまったシンタローを尻目に、飲み物とお菓子を出してやる。
「仕事、忙しいそうだね」
勿論、嫌味である。
あからさまな言葉に、最早シンタローは灰になる寸前だ。
多分暫くの間は仕事が手につかないだろう。
いくら、忙しくないからといってこれは大打撃につながるだろう。
「で、コタローはどうしてこっちに来たんだ?」
兄と同様、時間があったらここに居座るはずなのに最近は全く来ていなかった。
理由は多分、グンマの誕生日が絡んでくるのだろうが、だからこそ、突破の道があるのではないかとキンタローも必死になる。
「別に?あ、でもお兄ちゃん達が誕生日はどうするんだろうと思って」
ここにきてもまだ、誕生日らしい。
しかし、そんな主だった予定は立てていない。
当然だが、しょっちゅういるわけでもないシンタロー。
高松が開こうと躍起になっても、興味深い学会等があったらそちらを優先するキンタロー。
そんな二人が何かを考えているわけではない。
「ふ~ん、まあいいけどね」
部屋の温度が下がったことを二人とも気がついた。
そ知らぬ顔でお茶を飲んでいるコタローだが、その顔にはもう笑顔すらない。
「コタローが来てくれるなら、お兄ちゃんやっちゃおうかな?」
「僕、が?」
冷ややかな視線を受け、間違ったことに気がついたシンタローはそのまま撃沈。
「来ないのか?」
それに乗っかって、追撃をかけるが、それも鼻で笑われ、失敗。
「二人とも、最低」
出されたお菓子を総て平らげ、口元を拭くと勢い良く立ち上がった。
もう用はないといわんばかりに、ドアに向かって歩いていく。
「…誘わなきゃいけないのは、他にいるでしょ?」
ドアが閉まる間際、正真正銘の笑顔と共に残された言葉。
その笑顔によって何とか復活を遂げたシンタローだが、ようやくコタローの言いたいことに気がつき溜息をつく。
「つまり――」
「そういうことらしいな」
それで解決するかはわからないが、試すしか道の残されていない二人は顔を見合わせて、ついでこれからのスケジュールにどう折り合いをつけるかを頭をつき合わせて考えた。
そして、5月24日。
二人の従兄弟の行動を不審に思っていたグンマだが、この日、もっとも困惑させたのは弟の行動だった。
「お兄ちゃん、絶対におうちに帰ってきちゃだめだから」
嬉々として宣言され、家から追い立てられたのが始まり。
入れ違いのように総帥である従兄弟が家に戻ったと聞いたのは研究室についてから。
連日、家に戻ってこないで総帥室から出てこなかったのに、今日は一日屋敷にいるらしい。
さらに驚かせたのは、同じく鬼気迫る表情で研究室に篭っていたキンタローも同じく休みであるということ。
ラボが分かれているため、顔を合わせることはあまり無かったが、顔色がよろしくなかったので、こちらに関してはなんともいえない。
「…高松?」
そんなわけで、何かを知っていそうな人を訪ねたのだが、どこかすねているように見える。
「ねえ、もしかして高松も疲れているの?」
「いえ、そういうわけではないのですが。やはり堪えるみたいです…」
何かを知っているみたいだったが、口を割ることはしないらしい。
「高松なんかきらーい」
「ああ、ぐ、グンマ様…」
役に立たないとわかった以上、鼻血を盛大にまき散らかしているのを放っておいて、仕方がなくラボへと戻った。
誕生日プレゼントの準備をしたかったのだが仕方が無い。
とりあえず、用意しておいたものを別の形で使うことにして、ようやく仕事に取り掛かった。
総ての準備が終わり、ようやく溜息をついた。
「…これで本当に大丈夫かよ?」
「駄目でも仕方が無いだろう。それより、デザートは大丈夫なのか?」
「任せろ、ちゃんと固まっている」
大きな体を寄せ合いながらぼそぼそと会話を交わすと、携帯を取り出し、弟に電話をする。
『あ、もう出来たの?』
「完璧だ。コタローの大好きなアップルパイもあるぞー」
「ありがと。じゃあ、グンマお兄ちゃんを呼んでくるね』
プツ
無常な音に、あからさまに落ち込んでいるが、そこに乱入してきたものがいた。
「シンちゃんのいけず!ちゃんとパパが用意するって言うのになんで、自分達で作っちゃうの?さらには、キンちゃんと一緒に作るな…」
「うるせぇ!ガンマ砲!」
精度抜群、威力最大限だが被害は最小限のガンマ砲は狙いたがわずマジックのみを吹き飛ばした。
それでも気になるのかキンタローは出来た料理の見栄えを確認する。
「別に吹き飛ばすなとはいわんが、埃が立つ」
影響が見られなかったことにほっとしつつ、飲み物の準備に移る。
「まだ大丈夫だろ?」
「だが、帰ってきてから準備をするのもあわただしく見えるだろう」
「グンマが帰ってきてから何が飲みたいか聞いたほうがいいんじゃねえか?」
ちなみに、飲みやすい白ワインからスパークリングワイン、ジュースを各種用意してある。
自分達用に酒も何種類か揃えてあるが、メインはあくまでグンマなので酔っ払うつもりは無い。
もっとも、多少飲んだところで酔っ払いはしないだろうが。
「なら、後やることは…」
「あれの処理だろ?」
シンタローの指差すほうには、吹き飛ばされたときのままのマジックがいた。
同じ頃。
「せっかくたくさん用意したのにな~」
ぶちぶちいいながらも、何とか形にしようと躍起になっているグンマ。
本来ならば、入り口から従兄弟達の部屋までを花で飾ろうと用意していたのだが、その準備をするまもなく家を追い出されたため、あまった花をバスケットに詰め込んでいた。
真ん中には勿論、ガンボット。
卓上クリーナになっていて、自動的に汚いところを掃除してくれる優れものだ。
「余った分どうしよう?」
無理やり詰め込んだのだが、当然それ位では処理しきれずに、大量の花が余っている。
「お兄ちゃん」
そんなタイミングで、コタローがノックもせずにドアを開けた。
朝と同じく、いやそれ以上に楽しそうだ。
「うわ、凄い花だね~」
部屋を埋め尽くさんばかりの色とりどりの花に歓声を上げながら、グンマのところまで危なげなくやってきた。
いつもならば整頓されているこの部屋も、従兄弟のために用意した花によって歩くスペースも限られていたのだ。
「どうしたの、これ?」
「シンちゃん達のプレゼント。せっかく二人を驚かそうと考えてたのに、コタローちゃんのせいで台無しだよ」
当然の問いに、ちょっと怒りながらもきちんと答えた。
「え~、でもこれをどうするつもりだったの?」
確かに大量の花が贈られたら、びっくりするかもしれない。
いや、その前に怒り出す人がいる。
そんなことを考えているコタローをよそに、あっけらかんと答えを出してくれた。
「あのね、家の中を華やかにしてみようかなって」
「――え?」
「だからね、敷き詰めたらびっくりするでしょ」
あまりにも得意そうに言われて、もしかしてやはり怒っていたのではないかと勘ぐってしまうのは仕方が無いことだろう。
「まあ、それも出来なかったし、仕方が無いからこれで我慢したよ」
ひょい、とコタローの前に二つの花籠を掲げる。
センスについては良くも悪くも無い、しかし、命いっぱいに詰め込まれているのが可哀想かもしれない。
真ん中にはいつものとおり、ガンボットがいてようやく、兄らしいと笑えた。
「とりあえず、お兄ちゃんも準備OKということで、行こっか?」
とりあえず、次の日からきっちりとお茶の時間になると総帥室に向かう仲の良い兄弟の姿があったとか。
<あとがき>
というわけで、兄弟ズの誕生日話。
ごちゃごちゃしていてすみません。
とりあえず、もっと書きたかったのはマジックと高松のいじけっぷりですかね。
当然、一緒にご飯は食べられませんから(笑)
きっとご飯を食べた後は、4人一緒にごろごろしながら、同じ部屋で寝たりするんですよ。(その様を書けよ、いいから)
やっぱり、従兄弟ズラブです!
月に照らされた湖
彼はひとり、月明かりの下で佇んでいた。
「は~、凄いっすね~」
見違えたようにぴかぴかになったシンクに感嘆の声を上げた。
料理をするところだから、毎日綺麗に掃除をしているつもりだったが、本当に同じものかと思ってしまうくらいに汚れが落ちている。
びっくりしてまじまじと顔を近づけて、じっくり見ていたらふいに頭を殴られた。
「あったり前のことを言ってんじゃねぇよ」
いつものように自信満々で、しかしその顔は自慢げに笑っていた。
「や、でもどうやったんですか?俺も毎日きちんと掃除してたんですけど、ここまで綺麗に出来ませんでしたよ」
少し、興奮しすぎて子供っぽかったかもしれない。
そんなリキッドにシンタローも悪い気はしないらしく、めんどくさそうにしながらも、得意満面に教えてくれた。
リキッドの知っているシンタローの情報はとても少なく、その人物像まで到達するものではなかった。
特選部隊にいたこともあり、年は近くとも同じ戦場に立ったこともないし、士官学校に通っていたほかのものと違い会うことは皆無。
それでも隊長の甥であり、総帥の息子であること位は知っていた。
ほかにもガンマ団屈指の戦士であることや、人望が厚いことを噂でちらほら聞いたくらいだろうか。
反面、やっかみも少なくはなかったが、今を生き抜くことで精一杯であったリキッドにはあまり関係のないことと、気に留めることはなかった。
事実4年前にこの島に来るまで、目を合わせたこともなければ話したこともない。
それにあの時も話したことなぞ皆無で、だからどんな性格なのかすら知らずにいた。
自分と少ししか違わない、けれども団内に知らぬものはいないとされていた、総帥の息子。
けれども、実力は常に実践に身をおいている自分のほうが上だと信じていた。
そしてガンマ団を抜けてからは、一度も思い出したことはなかった。
コタローがこの島に来るまでは。
「シンタロー、メーシメシ」
「あ~、ちょっと待ってろって」
鍋を持った彼の足元にパプワとチャッピーがまとわりつくようにぐるぐると囲んでいる。
その間を縫いながら足を運びながら、テーブルまでたどり着くさまは危なげがない。
まるでそれが当たり前だというかのように彼の横に陣取り皿に料理が取り分けられるのを待っている。
「何つったってんだよ」
いきなり声をかけられて、自分がぼけっと彼らを見つめていることに気がついた。
慌ててテーブルに着くと、煮物が盛られた椀を渡される。
「あ、すみません」
ほこほこしている煮物からはおいしそうな匂いが漂っている。
一口口に運べば、決して濃くないのにしっかりと出汁の染みたジャガイモが口いっぱいに広がる。
他人に作ってもらう食事というのは久し振りで、特にこんなにおいしいものを食べられるなんてラッキーだ。
それでも昔と違うのは、作り方が気になること。
煮物はパプワの要望でよく作るが、ここまで違うと全く別の料理のようだ。
「あの、後で作り方教えてください」
今まで子供たちの世話を焼いていて、リキッドには全くの注意を向けていなかったシンタローは一瞬何を言われたのかと首をかしげていたが、すぐに破顔した。
「ま、そのうちな」
シンタローという人物に対するイメージははっきりいってよくなかった。
それは、昔のコタローを知っていたから。
全てを嫌っていた子供は、ずっと閉じ込められていたという。
あの時はこれだけ力が強く、そして爆発させていた姿を見ていたからそれも仕方がないことかもしれないくらいにしか思っていなかった。
けれども、ロタローとして一緒にいる間に少しずつ、確実に変わった。
見るもの全てに目を輝かせていた子供を見るたびに、この子供を閉じ込めていた者やそばにいてやるべきだった人達に言いようのない嫌悪感を抱いていた。
だからこそ、迎えに来たというシンタローが怖くもあり、渡したくもなかった。
ところが今、一緒に暮らせば暮らすほど思い描いていた人物像と違っていた。
ブラコンであるということは知っていたが、規格以上に耽溺していて、別の意味で心配になったが、その思いは本物で。
面倒見がいいのか、それとも環境がそうだったのか、世話を焼くのがすきなのだろう。
パプワたちに接しているときもそうだが、リキッドに対しても時には馬鹿にしながらだが、いろいろと教えてくれた。
島での人気も上々で、まるでずっとここで暮らしているかのようで、すっかり忘れていた。
彼が、何者であるかということを。
そのとき、珍しいことに一人きりだった。
朧月が空に架かり、地上を照らしていた。
いつもならばパプワやナマモノ達に囲まれているのに、誰の姿もなくただ、空を眺めているようだった。
そこには自信に満ち溢れ堂々とした姿ではない。
あまりのことに、声を書けることをためらい戸惑っていると、振り返った彼と目が合った。
途端に寄る眉根の皺にいつものシンタローだとほっとしつつも、今しがた目にした様子が頭から離れない。
「…いたんなら声くらいかけろ」
不機嫌な声に、理不尽さを感じながらも、おずおずと隣へと足を進めた。
そんなリキッドには歯牙にもかけぬという様に視線をまた空へと向けるが、見かけたときのような様子は微塵もない。
見間違いだったかと思わせるほどに。
「この島で暮らすようになってから、お日様とかはよく見るんですけどね。月はあまりなかったっす」
なんとなく、気まずい気がして口を動かす。
どうしても、朝日とともに起きて、日が沈むとともに家に戻るという生活パターンのせいか、夜空を見上げることはなかった。
星見や十五夜のように月や星を眺めるというイベントはあったが、こんな薄曇りの日の夜空は久し振りだ。
「――そうだな」
気のない返事はいつものことだが、彼の心がここにないことくらい、リキッドにすら読み取れた。
そして彼のその代わり様に驚きを隠せずにいた。
唐突に思い出した、彼の肩書き。
「…コタロー、元気ですよね」
「でなけりゃ、ただじゃおかねぇよ」
即答された答えに、静かに笑った。
今、彼の頭の中を占めているのは、きっとあちらの世界のこと。
彼が纏め上げている、リキッドの知らない世界だ。
だから、ここにいるのはリキッドの知っているシンタローではない。
一番最初に会ったときの、総帥のシンタローだ。
当人が言うように、いつかはこの島から出て行ってしまうのだということを認識し、困惑してしまう。
口癖のように帰るといっていたが、どこか本当だと思っていなかった。
この島によく馴染み、住民たちからも慕われているその姿は、ここで生きていくことが当然のようにリキッドの目には映っていたから。
けれども、彼は自分の目標を片時も忘れることはなく、未来へとその目を向けているのだ。
改めて知った心の強さ。
けれども、それは一抹の寂しさをも感じさせて。
「やっぱり、シンタローさんって凄いんですね」
笑顔でそういうだけで精一杯だったのだが、気がつかないシンタローは、ただ不思議に思うだけだった。
<後書き>
久し振りのリキ→シン。
永遠に叶う事のない恋がこの組み合わせかと。
リキッドにはとりあえず、シンタローさんは強い人だとだけ認識していてほしいです。
イメージだけで突き進むくらいの勢いで(笑)
シンタローさんはなんだかんだ言って、リキッドのことを可愛い弟分くらいには思っていことでしょう。
決してそれ以上ではないかと。
…ひどい話だ。
大好きなサイトの管理人、ショウ様に捧げます。
今まで素敵な作品をありがとうございました。