(何だ、コレは・・・?)
キンタローが、何か本を借りようと高松の研究室を訪れていた際、何とはなしに開いた本の間に、少し色褪せた赤と緑色の紙製の物が挟まっていた。
(・・・花、か?)
本の重みで押しつぶされたその物体は、一見花には見えないほど不恰好ではあったが、キンタローはなんとなくそう思った。
手で摘み上げ、よく見ようとすると、椅子に座って菓子を食べていたグンマが、立ち上がり、
「あっ、キンちゃん!それ、僕が子どもの時に作ったんだヨ」
キンタローの傍まで来た。
「忘れてたけど、なつかしいなぁ・・・」
そう言って、グンマは目を細め、キンタローの手の中の造花を見ていた。
「これは、花か?」
「うん、カーネーション。キンちゃんもつくってみる?教えてあげるヨ☆」
キンタローはどちらでもよかったが、彼が返事をする前に既にグンマが立ち上がり、紙やハサミを探している様子だったので、椅子に座って待った。
「探したんだけど、赤い紙はなかったヨ~。だから、ピンクで我慢してネッv」
そう言ってグンマは色紙を数枚、ハサミ、糊などを机の上に並べた。
「ここに切れ込みをたくさん入れて、こうぐるっと巻いていくんだ。わぁ、キンちゃん!上手だねッツv」
説明しながら隣で花を作っていたグンマに
「高松から教えてもらったのか?」
と聞くと、
「ううん、母の日の前に学校の図工で習ったの」
「母の日?何だそれは」
「お母さんに感謝する日だヨ☆カーネーションのお花をあげたりして大好きなお母さんに『ありがとう』の気持ちを伝えるんだよ」
グンマは、色褪せた花と作ったばかりの花を手に持ち、両方を見比べながら、
「子どもの僕、上手に作ったよねぇ?」
と言った。
「これ本当は、伯母様、じゃなくってお母様にあげようと思ってたの。―――でも、シンちゃんは僕よりもずーっと下手だったのに、シンちゃんからお花をもらったお母様はとっても嬉しそうだった。結局、僕はあげなかったんだ」
キンタローが何も言わずグンマを見ていると、その視線に気づいたグンマはエへヘと笑った。
「キンちゃん、そんな顔しないでヨ~!僕ね、このお花、今からお母様にあげに行こうかと思うの。よかったら、キンちゃんも一緒に行く?」
「俺は・・・、やめておく。だが、もし俺が一緒に行ったほうがいいというのなら、俺は行くが?」
「ありがとう、キンちゃん。僕は、大丈夫。じゃあ、行ってくるネ☆」
そう言って、手を振るとグンマは部屋から出て行った。
「母の日、か・・・」
一人になったキンタローはそう呟いたが、特に感慨といったものは湧いてはこなかった。
(母親に渡すものなのか?でも、俺は母のことなど何も知らない・・・)
手の中の花を見て、
(しかし、捨てるというのも、何とはなしに気が引ける)
と思い、彼は途方に暮れた子どものような表情になった。
しばらくしてキンタローは立ち上がり、研究室を後にした。
シンタローが執務を終え、自室へ戻ろうと廊下を歩いていると、扉の前に人影が立っていた。
「キンタロー、珍しいな?こんな時間に」
「どうしようかと、思ったのだが・・・」
キンタローは、彼にしては珍しく奥歯にものの挟まったような言い方をした。
「立ち話もなんだし、入れヨ」
「迷惑ではなかったか?」
心配気にそう言うキンタローを背に、シンタローは総帥服を脱ぎ、着替えていた。
「別に迷惑じゃねーヨ。んなこと、気にすんなって。ところで、何か用でもあんのか?」
キンタローは困った顔をし、
「・・・花は、好きか?」
と聞いた。
着替え終わったシンタローは、キンタローの意図が分からず、
「まぁ、嫌いじゃねーケド?」
そう答えると、キンタローは、花を一本、差し出した。
「紙のカーネーション?俺もガキの頃つくったことがあるけど、それと同じ花とは思えねーナ。お前、器用だなあ・・・」
受け取った花を眺めて、シンタローが感心したようにそう言うと、
「グンマと一緒に作った。本当は母親に渡すべきものかと聞いたが、俺は渡したいと思う相手が、お前しか思い浮かばなかった」
(・・・何で俺なんだ?男なのに。もし、コイツじゃなかったら、間違いなく殴ってたよナ・・・)
と思ったシンタローであったが、恐々と叱られるのを待っている子どものようなキンタローを見ていると、なんとなく気が抜けた。少し、おかしくもなり、
「ありがとナ」
と、笑顔で言うと、いきなりキンタローに強く抱きしめられた。
「お前という存在が今も在るということに、俺は感謝する」
そう、シンタローの肩口に顔を埋め、低くそう言う彼の震える背を、シンタローは宥める様に撫で、
「・・・泣くんじゃねーよ?」
と言って金色の髪をクシャクシャとかき混ぜた。
キンタローが、何か本を借りようと高松の研究室を訪れていた際、何とはなしに開いた本の間に、少し色褪せた赤と緑色の紙製の物が挟まっていた。
(・・・花、か?)
本の重みで押しつぶされたその物体は、一見花には見えないほど不恰好ではあったが、キンタローはなんとなくそう思った。
手で摘み上げ、よく見ようとすると、椅子に座って菓子を食べていたグンマが、立ち上がり、
「あっ、キンちゃん!それ、僕が子どもの時に作ったんだヨ」
キンタローの傍まで来た。
「忘れてたけど、なつかしいなぁ・・・」
そう言って、グンマは目を細め、キンタローの手の中の造花を見ていた。
「これは、花か?」
「うん、カーネーション。キンちゃんもつくってみる?教えてあげるヨ☆」
キンタローはどちらでもよかったが、彼が返事をする前に既にグンマが立ち上がり、紙やハサミを探している様子だったので、椅子に座って待った。
「探したんだけど、赤い紙はなかったヨ~。だから、ピンクで我慢してネッv」
そう言ってグンマは色紙を数枚、ハサミ、糊などを机の上に並べた。
「ここに切れ込みをたくさん入れて、こうぐるっと巻いていくんだ。わぁ、キンちゃん!上手だねッツv」
説明しながら隣で花を作っていたグンマに
「高松から教えてもらったのか?」
と聞くと、
「ううん、母の日の前に学校の図工で習ったの」
「母の日?何だそれは」
「お母さんに感謝する日だヨ☆カーネーションのお花をあげたりして大好きなお母さんに『ありがとう』の気持ちを伝えるんだよ」
グンマは、色褪せた花と作ったばかりの花を手に持ち、両方を見比べながら、
「子どもの僕、上手に作ったよねぇ?」
と言った。
「これ本当は、伯母様、じゃなくってお母様にあげようと思ってたの。―――でも、シンちゃんは僕よりもずーっと下手だったのに、シンちゃんからお花をもらったお母様はとっても嬉しそうだった。結局、僕はあげなかったんだ」
キンタローが何も言わずグンマを見ていると、その視線に気づいたグンマはエへヘと笑った。
「キンちゃん、そんな顔しないでヨ~!僕ね、このお花、今からお母様にあげに行こうかと思うの。よかったら、キンちゃんも一緒に行く?」
「俺は・・・、やめておく。だが、もし俺が一緒に行ったほうがいいというのなら、俺は行くが?」
「ありがとう、キンちゃん。僕は、大丈夫。じゃあ、行ってくるネ☆」
そう言って、手を振るとグンマは部屋から出て行った。
「母の日、か・・・」
一人になったキンタローはそう呟いたが、特に感慨といったものは湧いてはこなかった。
(母親に渡すものなのか?でも、俺は母のことなど何も知らない・・・)
手の中の花を見て、
(しかし、捨てるというのも、何とはなしに気が引ける)
と思い、彼は途方に暮れた子どものような表情になった。
しばらくしてキンタローは立ち上がり、研究室を後にした。
シンタローが執務を終え、自室へ戻ろうと廊下を歩いていると、扉の前に人影が立っていた。
「キンタロー、珍しいな?こんな時間に」
「どうしようかと、思ったのだが・・・」
キンタローは、彼にしては珍しく奥歯にものの挟まったような言い方をした。
「立ち話もなんだし、入れヨ」
「迷惑ではなかったか?」
心配気にそう言うキンタローを背に、シンタローは総帥服を脱ぎ、着替えていた。
「別に迷惑じゃねーヨ。んなこと、気にすんなって。ところで、何か用でもあんのか?」
キンタローは困った顔をし、
「・・・花は、好きか?」
と聞いた。
着替え終わったシンタローは、キンタローの意図が分からず、
「まぁ、嫌いじゃねーケド?」
そう答えると、キンタローは、花を一本、差し出した。
「紙のカーネーション?俺もガキの頃つくったことがあるけど、それと同じ花とは思えねーナ。お前、器用だなあ・・・」
受け取った花を眺めて、シンタローが感心したようにそう言うと、
「グンマと一緒に作った。本当は母親に渡すべきものかと聞いたが、俺は渡したいと思う相手が、お前しか思い浮かばなかった」
(・・・何で俺なんだ?男なのに。もし、コイツじゃなかったら、間違いなく殴ってたよナ・・・)
と思ったシンタローであったが、恐々と叱られるのを待っている子どものようなキンタローを見ていると、なんとなく気が抜けた。少し、おかしくもなり、
「ありがとナ」
と、笑顔で言うと、いきなりキンタローに強く抱きしめられた。
「お前という存在が今も在るということに、俺は感謝する」
そう、シンタローの肩口に顔を埋め、低くそう言う彼の震える背を、シンタローは宥める様に撫で、
「・・・泣くんじゃねーよ?」
と言って金色の髪をクシャクシャとかき混ぜた。
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キンタローが廊下を歩いていると、少し先からボソボソと低く争うような声が聞こえてきた。
「今は、そんな気分じゃねーんだヨ!」
「なっ、何でどすかぁ!?さっきまでええ雰囲気やったのに・・・!」
「ここは廊下だゾ!?場所を考えろッツ!!!」
「えっ?ほな、場所さえ変えたらOKなんどすか??やっぱり、あんさん可愛ゆうおますナvでも、ここは人目につかへんから大丈夫や思いますけど。」
その直後、バキッ、と何かを殴る鈍い音が聞こえ、
「信じらんねぇ!!」
顔を赤くして怒っているようなシンタローが向こうからドスドスと歩いてきた。そして、そのまま自分の横を通り過ぎようとしたので、
「シンタロー」
キンタローが呼びかけると、はっと気づいたようにシンタローは顔を上げ、
「ああ、キンタロー。いたのか?」
と、驚いたように言った。
キンタローは、「ちょっといいか?」とシンタローを誘い、2人は屋上に上がった。
天気はよかったがその日は少し風があり、立っているシンタローの長い髪を乱した。
「ここに来んのも久しぶりだナ」
そう言ってシンタローは伸びをするとその場に寝転んだ。キンタローは、少々所在無さげに立っていたが、結局、シンタローの横に座った。
「何だヨ?話って?」
シンタローが目を閉じたままそう話を切り出すと、キンタローはすぐには答えず、屋上の縁へと続くコンクリート製の床を見つめていた。そして、重い口を開き、
「さっきは、いわゆる“お取り込み中”だったのか?」
とキンタローはつとめて感情を抑制した声でそう聞いた。
「なっ、“お取り込み中”ッ!?」
思わずガバリと飛び起きると、シンタローは信じられないような思いでマジマジとキンタローの顔を見つめた。
「お前から、そんな言葉を聞くなんて思わなかったゼ・・・。一体誰が教えやがったんだ!?頭痛ぇ」
「俺を、ガキ扱いするな」
キンタローは、少し不貞腐れた様子であった。しばらく沈黙の末、
「シンタロー、お前はアラシヤマのことが好きなのか?」
そう、問うと、
「絶対に好きじゃねェッツ!」
と、シンタローの返事は即答であった。それを聞いたキンタローの顔がこころなしか明るくなった。
「じゃあ、もし俺がお前を好きだといったら?」
「そりゃ、俺もお前のことが好きだし、嬉しいけど。従兄弟だしナ」
その言葉を聞いたキンタローの表情は一転して曇り、いきなり隣にいるシンタローを抱き寄せた。
「違う。こういう意味でだ」
そう低く言うと、顎を捉え、キスをした。
シンタローは一瞬目を見開き、思わずキンタローを突き放した。腕は、最初から縛めるつもりなどなかったようで、簡単に解けた。
シンタローは自分の行為に呆然としており、
「悪ぃ・・・」
と力なく呟くと、ペタンとその場に座り込んでいた。
シンタローに歩み寄ったキンタローは、彼の手をとって立ちあがらせると、
「今のは、忘れてくれ」
と言葉を絞り出すように言った。そして、シンタローを抱きしめた。
「シンタロー。お前を一番理解しているのは、この俺だ」
「・・・ああ」
シンタローもキンタローの背を抱き返すと、キンタローは一瞬強くシンタローを抱擁し、思いを断ち切るように身を離した。
「さて、戻るか」
何事もなかったかのような顔でキンタローはそう言い、ドアのほうへと歩き出したが、シンタローは後に続かず、
「―――すまねぇ」
と一言だけ言った。
「お前らしくもない。俺は、いつものわがままで俺様なお前の方がいいぞ」
とキンタローが真顔で言うと、
「なんだそりゃ?お前、一体俺のことどう思ってやがんだヨ!?」
なんとなく納得がゆかなさそうな様子のシンタローであったが、溜め息をつくと、ドアを開けて待つキンタローの方へと向かった。
裁かれざる者4
アオザワシンたろー
「ねぇおじさん。父さんってひょっとして子煩悩じゃない?」
ガンマ団本部のプライベートルームのひとつに、シンタローの叔父サービスが住んでいた。もっとも住んでいるといっても一年のうち二、三ヶ月ほどしか戻らなかったので、シンタローがサービスを見つけられる回数は少なかった。
けれどシンタローはこの叔父が大好きだったので、戻っていると知れば必ず遊びに行った。
「兄貴が子煩悩?」
長い前髪で顔の半分を隠すようにした秀麗な男が、マジックの弟のサービスその人である。
ようやく十二になる可愛い甥っ子にお茶と菓子を用意してやっている。
出されたクッキーを摘んでシンタローは続けた。
「うん。あのね、食堂あるのにさ、父さんって絶対そこで食べちゃダメだっていうんだもん」
「……シンタローの分は自分で作るからと言ってか?」
「うん。アイジョウが籠ってる方がおいしいんだって。でもさー、それって……コバナレ出来てないってことだと思うの」
真面目な顔でそう頷いてみせるシンタローが、おかしいやら可愛いやらで、サービスは喉の奥で笑ってしまった。何しろシンタローが持ってくる話題はいつも父親のことなのだ。
このあいだ父さんがどーしたこーした。
おじさんに比べれば父さんはあーだしこーだし。
そしてマジックがサービスに持ってくる話題の大半も、シンタローのことだった。
曰く、シンちゃんがどーしたこーした……。
こんな風に似ている親子も珍しい。
シンタローが生まれた頃のマジックの冷たい眼を、あれ以来一度も見ていなかった。
サービスが知る限り、マジックは変わったのだ。
ハーレムからそれを聞かされても半信半疑だったサービスは、シンタローにとっての従兄弟にあたるグンマを会わせるというきっかけを得て、本部を訪れた。
そこで見たのが、我が眼を疑わずにいられないほどのマジックの子煩悩な姿だった。
ハーレムがシンタローと会ったときよりも、なお度が増している。サービスの前であろうがためらうこと無くシンタローにキスをして、抱き寄せて、囁く。三食はもちろんのこと、ベッドまで共にしているというのだから驚愕に値するというものだ。
仮にも世界制覇を目論むガンマ団の総帥ともあろう男が、女ではなく子供と枕を共にしているのである。
しかしサービスとて、極普通の父親というものを知らずに育ったのだから、マジックが過保護であると言えるのかどうか判断できなかった。一族で唯一幸福を手にできる親子であれば、そのくらいは許されるようにも思えたし、けれどシンタローの自立のためには良くないような気も…した。
だが結局サービスも、正しい親子像などというものを追及するよりは、この愛らしい子供と遊ぶ方を選んだのである。
「でね、聞いてる、おじさん」
「ああ、聞いてるヨ」
「おじさんは結婚しないの?」
「えっ?」
サービスが驚いたのは質問の内容はもちろんだが、マジックの話題から結婚の話題への繋がりが見えなかったせいでもある。
「結婚…」
「うん。俺、弟が欲しいんだ。そして一緒に遊ぶんだ。駆けっこしたり鬼ごっこしたり」
シンタローが、まだ見ぬ弟と野を駆ける想像をして、照れ臭そうに笑った。
「弟がいたらきっと楽しいと思うんだ。俺、いろんなこと教えてあげるし。裏の森にある秘密の洞窟のこととか、どんぐり拾いもしたいし、漢字とかも教えてあげる」
「ははぁ、なるほど」
シンタローがやりたがっているのは、要するにマジックの真似である。少し大人になったような気分で、それが真似だと気づかずに、行動したがっているのだ。
「だけどね」
急にしゅんとして、シンタローはうなだれた。それから上目遣いにサービスを見る。
「だけどさ、父さんたら、シンちゃん以外いらないヨって言うンだ」
「へえ」
「シンちゃんはパパに愛されなくなっちゃってもいいの…ってサ」
サービスはシンタローに分からないように溜息をつく。
マジックの言いそうなことだ。何しろマジックは傍目にもわかるくらい、シンタローに御執心ときている。
愛されないことが心配なのは、マジックの方ではないか。シンタローの意識が弟に行くことによって、シンタローが手元から離れて行くことにこだわっているのは、だぶんマジックの方ではないのか。
「って、そんなこと言われちゃ、我が儘いえないよ」
肘をついてテーブルの表面を見つめ、シンタローが呟いた。
「シンタロー」
「だからさ、おじさんが俺の弟つくってよ」
「シンタロー…」
「グンマとも滅多に会えないし。俺、聞いたんだ。日本とイギリスには俺と同じ年ぐらいの子供もいるんだって。どうして本部には誰もいないのかナ。せめて一緒にサッカーやれたらいいのにな」
「それをマジックに言ったのか」
「……うん」
「そうしたら?」
「そしたら……シンちゃんには、友達なんか……いらないんだヨ…って」
今度ばかりは、サービスも頭を抱えた。
「おじさん?」
「……あのクソ兄貴…」
「え?」
「いやいや。何でもない。………そうか、マジックはそんなふうに言ったのか」
「友達なんかいらないよ。でも弟だったらいいかと思ったんだ。でも父さんはそれも嫌みたいだし…。ねえおじさん。どうしてかな。どうして父さんは俺にばっかりかまうんだろう」
可愛がられるだけの子供から脱皮しつつあるシンタローにとって、マジックの行動はやや疑問に思えるのだろう。とはいえ、サービスは一族の不幸な歴史を知っている。
シンタローには気の毒に思うこともあるけれど、それ以上に、マジックが愛する者と共にいられることを喜んでいることもわかるのだ。
シンタローは愛されるために生まれてきた。サービスでさえ、マジックの次くらいには、シンタローを大切に思うことが許されるくらいだ。
かつての友とは、ほんのわずかな時間しか過ごせなかった。けれどシンタローは別だ。だからつい、その状況に甘えてきたのだけれど。
「おじさん?」
「ああ、わかった。結婚の予定はないが、ちょっと兄貴と話をしてみるよ」
「えっ!あ、でも」
驚いて、一瞬嬉しそうな顔をしたシンタローは、直ぐに思い詰めた眼をした。
「……でも俺、父さんを悲しませるのはイヤなんだ」
今にも泣きそうな、子供らしい要求を我慢する甥っこを前にして、サービスはまた溜め息をついた。
「シンタローは本当にマジックにはもったいない息子だな。無理な話はしないよ。俺の意見としてちょっと話してみるだけにするから安心しろ」
「…うん」
マジックだってサービス同様、良い父親、なんて知らない。けれどだからってシンタローにこんな我慢をさせてまで、自分勝手に父親像を作るのは問題だ。サービスとしては、黙って見過ごせなかった。
そこへ、丁度呼び鈴が鳴った。
「おじさん、お客様だ」
「ああ……」
サービスが時計を見れば、そろそろ夕方の五時。となれば訪問者の正体はわが子を迎えに来たあの男である。
「シンちゃん、お迎えだよっv」
サービスがキーを開けるやいなや、マジックが部屋に飛び込んできた。
「パパ!」
「シンちゃんv」
時間的にみても、今日の仕事を終わらせてから直行したのだろう。威厳を全部道端に落として、総帥マジックはシンタローを抱き上げた。
「いい子にしていたかい?」
「まぁね」
シンタローももう十二だというのに、マジックは軽々と抱えたシンタローにお帰りのキスをして、あれやこれや、離れていた時間を埋めるように尋ねた。
「お前が側にいないと時間が経つのが遅いみたいだよ。早く大きくなって、パパの片腕になっておくれ。シンちゃんが側にいたら、パパはもっと頑張ってお仕事しちゃうヨ」
「……うん」
さっきからカヤの外に置かれてしまったサービスは、一段落つくまで無駄と心得たか、勝手に紅茶を一杯いれて、それを飲んだ。その時間ぐらい、マジックはシンタローしか見ていなかった。
「よし、じゃあ帰ろうか」
マジックがようやっとサービスを振り向いた。
「兄さん、後日、話があるんだ。時間をくれないか」
「?なんだ、言ってみろ」
「後日でいいんだ」
「そうか。ならば後で連絡しよう。さ、シンタロー」
ようやくシンタローを下ろして、マジックはその頭をくしゃりとやった。
「世話になったなサービス」
「いいえ。それじゃまたな、シンタロー」
「うん。ばいばい」
去って行く姿に、サービスはつい、考える。シンタローと、同じ年頃の子供たちとの違いを。
もっともそれを訴えたところでマジックが考えを変えるはずもない。そうとわかっていても、シンタローのために何かしたくてたまらないサービスだった。
裁かれざる者5
アオザワシンたろー
シンタローが十五になったころ、本部は以前と比べてだいぶ賑やかになった。
マジックがシンタローのために、士官学校とその準備コースを本部に設置したためである。日本とイギリスを中心に、各支部から選抜メンバーが次々と本部へ移籍してきた。
シンタローが初めて見る、一族以外の、同年代の子供達だった。
「どうだったシンちゃん。皆と会ってみた感想は?」
準備コースはもともと一クラスしかない。だから入学してすぐに、大抵のメンバーの顔と名前は一致した。
「どんなコたちがいるんだい?」
マジックはすべて選抜者のデータをチェックしてはいたが、それでもまるで知らないようにシンタローに尋ねた。
「どんなって…」
マジックの手作りハンバーグを頬張りながら、シンタローはちらっと父親の顔を見る。シンタローの返事を待つ青い瞳は、きらきらと嬉しそうに輝いていた。
「……はぁ」
「あれ?どしたのシンちゃん。溜め息なんかついて。…ハッ、まさかパパの御飯がまずいのかい !? 」
「ち…違うよ!誰もそんなこと言ってないだろっ」
「じゃあ何?」
「……べーつにー。皆普通の奴等だよ。…あ、でも」
箸を止め、過保護な父親にシンタローは報告する。
「一人変な奴がいる」
「変な奴?……変態な奴 !? それは大変だ!パパのシンちゃんに手を出すとは許せん !! 」
「勝手に話を作らないでよっ」
怒りに滝のような涙を流すマジックに、合わせてついついシンタローの言動も派手になる。
「俺が言ってるのは「変」な奴!ただそれだけ !! 」
「仮にも本部生なのに、変な奴がいたのか…」
「親父だって知ってんだろ。アラシヤマだよ。あいつがクラスん中じゃ一番変」
息子の口から出た名を、無論マジックは知っている。それどころか、アラシヤマを日本支部から本部へ移籍させたのは他ならぬマジック本人であった。ある…特殊な任務につかせるために。
アラシヤマは、士官学校準備コースが開校するよりも早く、ただ一人他の学生に先立って本部に移籍してきた少年である。
彼を呼んだのがマジックであることを、シンタローは知らない。一生、知らされることはない。
「…そうか、アラシヤマか…」
「まったく何を考えてるのか。あいつネクラなんだぜ。ちっとも笑わないし」
そのくせ凄く強いんだ。
続く言葉を、シンタローは飲み込んだ。自分を負かすかもしれない奴がいるなどと、言えなかった。クラスに入って強く実感したことに、自分の立場というものがある。シンタローは、総帥の息子なのだ。他の生徒たちと、同じであって同じではない。
シンタローは、彼らに負けてはいけないと…思った。 負けることで恥をかくのは、他ならぬマジックだ。
そんなこと、絶対許せなかった。そしてまた…何時か誰かがシンタローに言った言葉がよみがえる。
シンタローは、『普通』だ!
そんなことは許されないと思った。普通なんて、ダメだと思った。あの父が何度か言った台詞のために。
お前はパパの後を継ぐんだよ。
そのためには、絶対負けてなんかいられないではないか。
普通じゃ駄目なのだ。もっともっと、強くなければ。 本部の選抜学生よりも、当然、強く。
そのためには、特にアラシヤマが目障りだった。奴だけが、シンタローの邪魔をする。
こんなところで、つまづくわけにはいかないのだ。
「ねぇ父さん。どうして俺は寮に入らなくてもいいの?」
食事の手を休めて、シンタローはここ数日気になっていたことを尋ねた。寮長であるアラシヤマはもちろんのこと、今回設立された準備コースの学生はすべて、学生寮に入っている。カリキュラムを終えて寮に帰る学生の一人が、シンタローに不審を持ったのが始まりだった。
「どうしてかだって?だってシンちゃんのうちは『ここ』じゃないか。パパのうちが本部にあるのに、わざわざ寮に入る必要なんてないだろう?」
「でも、俺だけ皆と違う所に帰るなんて、何だか嫌だな」
「パパのところに帰ってくるのが嫌なの」
「そうじゃなくて…」
うまい言葉がみつからない。そんなシンタローの隣に席を移り、マジックは肩を抱くようにしてぽんぽんと叩いた。
「パパはシンちゃんと少しでも長く一緒にいたいヨ。こうして御飯を作ってあげたり、一緒にお風呂に入ったり、キスをしたりしたいんだ」
その正直さに、シンタローはいつも丸め込まれてきた。
マジックはいつだってそうなのだ。自分のやりたいことをはっきりと口にする。それがまたシンタローに対する愛情ゆえの行動だから、ついつい言われたままの生活をしてしまうのだ。
「でも…俺、もう子供じゃないよ」
ちょっと顔を赤らめながら、シンタローは呟く。
面とむかってマジックにそう言うだけの勇気の無さに、内心舌打ちさえしながら。
「いいかいシンタロー。親にとって子供はいつまでたってもコドモなんだヨ」
そんな風に諭されるように言われて、こめかみにキスされてしまうと、シンタローはもうこの話題を口にできなくなる。
その性格は、マジックがそうなるように仕組んだ成果でもあるのだけれど、当のシンタローにとっては迷惑このうえない教育方針だった。
「パパはシンちゃんを誰よりも愛しているからね」
囁く言葉は、シンタローを束縛する物でしかなかった。 束縛と---いつからそんなことを感じるようになったのかシンタロー自身にもわからない。けれどいつのまにか、そんな言葉が頭に浮かんできたのだ。
マジックは、自分を閉じ込めようと、している。
いつか、片腕とするために?
愛しているからこそ?
マジックの心のうちを見透かすことなどできないシンタローである。ただ、何故だか少し、寮に帰る学生たちの後ろ姿に、切ないものを感じたのだ。
「シンタローは総帥の直系だもんな!」
明らかに侮蔑の色を滲ませた言い方だった。
教室内がざわつき、視線がシンタローとその男に集中した。
「俺が直系だなんてカンケーねぇだろ」
放っておけばよいのだが、さらりと悪意を躱せるほど、シンタローはまだ人間ができていなかった。
「あるさ。あんたにはこれ以上ない家庭教師が始終ついてるんだもんな。俺たちがいくら頑張ったって勝ち目ないのはあたりまえさ」
「何だと !? 」
シンタローがまともに怒りの声を上げたことで、雰囲気は一気に険悪になった。
士官学校の準備コースのカリキュラムは、ある意味で試験ざんまいなカリキュラムでもある。養成支部と異なり、本部に籍を置く以上、学生であっても気の緩みは許されないからだ。
だがその結果、いつまでたってもシンタローのトップ成績に追いつくことができない学生の憤懣が吹き出したのである。
曰く、シンタローの背後には総帥マジックがついているからなのだと。
「俺は別に、親父に何も習ってなんかいねぇぞ」
「はん、どうだか!教官たちも、この建物も、全部総帥の物じゃないか。その中でシンタローがトップになるのなんか当たり前さ!」
「…… !! 」
怒りが、あっという間にシンタローの全身を支配した。 そして、気がついたときにはもうその学生を殴り飛ばしていたのだ。
激しい音をたてて、殴られた学生の体が机や椅子を薙ぎ倒した。すぐさま周囲の者たちが身を引く。
「ってえ…やりやがったな、坊っちゃん」
「うるせェ!自分の力不足を人のせいにしやがって !! 」
「俺は本当のことを言ったんだ」
とりまきの中心で、今度はその学生の方がシンタロー目掛けて拳をくりだした。それを躱そうとシンタローはしりぞくが、運悪くそこは教室だったので、すぐ後ろの席にぶつかってしまった。それが、シンタローが一発くらうことになった直接原因である。
今度吹き飛ばされたのはシンタローの体だった。
ざわめきがいっそう大きくなるが、誰も止めようとはしなかった。何しろ、相手は他ならぬシンタローである。傷つけられたのがその名誉なのだから、下手に仲裁しようものなら、名誉回復を望まない者と誤解されかねない。
シンタローがそんな誤解をするような人間ではないと、誰もまだ知らなかったのだ。
あの総帥マジックとは、別個の人間なのだということを、理解していなかったのだ。
まだ誰も、わかろうとして、いなかったのである……。
「何をしているか、お前たち !! 」
騒ぎを聞きつけて教室に飛び込んできたのは教官だ。 シンタローと相手の拳が、示し合わせたようにピタリと止まる。
同時に周囲の学生たちの呼吸も止まった。
「一体何を…」
していたのだと尋ねようとした教官の、言葉が止まる。騒ぎの中心に、シンタローがいたからだ。どう解釈しても、喧嘩をしていたとしか思えないシンタローが。
「ジュニア…これは、どうしたのでしょうか」
シンタローの頭に、すぐさま父親の姿が浮かんだ。シンタローが短気をおこしたのだと知れば、いたく失望するに違いない。
今更自己嫌悪に陥って言葉の見つからないシンタローより先に、もう一人の原因が
「自分がやりました」
と教官に向かって申告した。
「お前か。私闘は禁じてあったはずだ。あとで教官室へ来い」
それだけ言って去って行こうとする男に、シンタローが慌てた。
「俺はっ…」
男はシンタローには何も言わなかった。
「俺が先に手を出したんだ…」
そう聞かされても、むしろちょっと困ったように言ったぐらいだ。
「手を出させるようなことを言ったのでしょう。処罰されるはそちらのほうです」
教官の判断は、正しくもあり、誤りでもあった。喧嘩は両成敗が原則なのだ。そうでなければどこかで歪みが生じる。
それが証拠に、シンタローの背後でぼそりと囁かれた言葉を、シンタローは絶対忘れない。
「……かっこつけやがって……」
振り向いても、それが誰の台詞なのか区別がつかなかった。
シンタローは能面のようなクラスメイトたちの顔を一睨みして、その場を後にした。心の中にぐるぐると渦巻く嫌な感情が、捌け口を求めて暴れていた。
頑張ってきたのだ。
マジックの期待にそえようとして、マジックのようになりたくて、心のどこかで無理なんじゃないかと思うことを忌み嫌って、頑張ってきたのだ。
けれど、仲間たちはそんなシンタローを受け入れてはくれなかった。
物凄く、孤独だった。
苛々して、何もかも嫌だった。
自分も、マジックも、同じ学生たちも、ガンマ団も、何もかも何もかも煩わしい。
もっと静かに暮せたらいいのに。
シンタローの中に、ぽつんとそんな願望が生まれる。 マジックは総帥じゃなくて、ガンマ団なんて無くて、普通に会社に行って、自分は普通に学校に行って、毎日を平穏に暮すのだ。
なんだか遠い夢だった。それ以上ふくらみようがない夢だった。
マジックは総帥だし、自分はその跡取りなのだ。
どうあっても、その現実が変わるはずはなかった。
「…畜生……」
苛々は行き場を見つけられずにシンタローの心に底に住み着いた。それは、なんだか悲しいことだった。自分が一族の中でただ一人『違う』のだと知ったときに感じた悲しみに、それは似ていた。
思い返せば、シンタローはいつも一人だったのだ。
側には、マジックしかいなかった。
マジックが、誰も寄せつけなかった。それを当然だと言い、シンタローもそれを幸せなことだと思ってきた。
けれど、本当にそうだったのだろうか?
マジックの愛だけしか知らずに育ってきたのは、おかしなことなのではないだろうか。でもきっとそんな事を口にしたら、マジックは言うのだろう。
シンちゃんはパパがこんなに愛しているのに不満なんだね、と。
「シンタロー」
ふと、シンタローの内に籠った考えを遮る声があった。
「シンタローじゃないか。どうしたんだい、お迎えかな」
「父さん!」
見慣れた赤い制服。総帥にのみ許されたその色をまとっているのは、シンタローの実父であるマジックだ。校舎の玄関から、入ってきたところらしい。
「なんで親父がこんなところに…」
シンタローの質問に、父親は最大級の笑顔で答える。
「シンちゃんの勉強振りを見学に来たんだよv」
「来んでいい !! 」
だがいきりたつ息子をがっしりと捕まえて、マジックはまったくこりた様子もない。
「何をそんなに怒っているんだい。再会のキスもまだだというのに」
「むー」
暴れるシンタローの体と頭を押さえつけて、マジックがいつものキスをする。もうそれは余りに日常茶飯事の愛情表現なものだから、欠如した生活なんて想像も出来ない。だものだからシンタローは、つい条件反射で、マジックが唇を寄せるとどんなに怒っていてもおとなしく目を閉じてしまうのだ。
そんなシンタローがこれまた可愛らしくて、マジックは得意になる。
「さ、シンちゃん。教室へ案内しておくれ」
「いや」
「嫌?」
「今は嫌」
断固駄目だぞという意気込んだ目で睨まれて、マジックはふうんと唸る。
「……ケンカでもしたかな?」
シンタローの頬がカッと赤く染まる。マジックは冗談で言ってみただけのことが図星だったと知って、つい口笛さえ吹きそうになってしまった。
「そうかvうん、青春だねぇ。じゃあまた今度にするね」
思いの外簡単にマジックが引いてくれて、シンタローはほっとする。そしてまた、こんなところまで父親がやってきたことがクラスの連中に知れたら大変だと気がついた。
「なんどすて?寮に入る !? 」
準備コースにも慣れた頃、シンタローはアラシヤマを捕まえて、自分も寮生活をすると言ってみた。寮長であるアラシヤマの反応は予想通り良くなかった。
「シンタローはんには『家』があるやおへんか」
「俺だけ特別扱いしていいわけないだろ」
「…そりゃまあ、そうどすけどな。今から入寮となると寮長のわてとしても事務が増えて嬉しくないどす」
「我慢しろよそれくらい。明日引っ越すからな」
アラシヤマの言うことの方がもっともなので、シンタローは不機嫌になる。ネクラで友達もいなくて変な奴であるアラシヤマの方が真っ当なことを言っているのだ。
これではまるで、自分が何か悪いことをしているみたいではないか。正しいのは自分でなければ許せなかった。こっちは総帥のジュニアとなのだ。
「言うときますけど、寮に入るゆわはるなら寮規則は守ってもらいます。それでええんどすな?」
「おう」
それこそ望むところである。
特別な立場にいて成績が特に良いのは当たり前だ。けれどシンタローは本物になりたかった。父のような、本物の男になりたかったのだ。
そのためには、同世代の子供達と同じ生活をするのが一番いい。そこで一番を取れば、誰もシンタローの実力を疑えないだろう。春からずっと、シンタローはそのことを考えていた。特に、アラシヤマとの差を噂されるたびに考えた。
シンタローはマジックの息子だから1番で、アラシヤマは寮生だから2番なのだ、そんなふうに小テストの結果が出る度に言われるのは我慢ならなかった。
シンタローは、特別な勉強をしているわけではないのだ。ただマジックの期待を裏切らないように、そして自分自身、誰よりも優秀であろうとして、地道な努力を重ねていたのだ。
何故ならシンタローは、自分がマジックの持つカリスマを受け継いでいないことを、自覚していたからである。
子供のうちはいい。けれどいつか見下される日がくる。
その日のことを考えるのは恐ろしかった。とても、恐ろしかった。
「ほならシンタローはん」
道が二股にわかれる所で、アラシヤマは一つ注意した。
「総帥にはよぉく納得させはってから、来ておくれやす。寮では良俗違反は厳罰どすさかいな」
「……?」
「親子であってもキスはあきまへん」
真顔でアラシヤマがそう言うのを、シンタローはきょとんとして見ている。
「こないだ揉めごと起こしはった日、わて偶然見てもうたんどす。総帥が校舎まで来はったでっしゃろ。そのとき人目もはばからずあんさんは……」
そこまで言ってから、アラシヤマは口をつぐんだ。
「…とにかく、そういうことは寮では厳禁どす」
「?なんで」
アラシヤマの言う意味が理解できなくて、シンタローの頭の中で『?』マークがラインダンスを踊る。
「あんさんわての言うこと聞いてなかったんどすか」
「聞いてたぜ。どこに理由があるよ」
「だからお二人の関係に口を出すつもりはありまへんが寮長としては良俗に反する…」
「なぁにワケわかんねーこと言ってんだよ」
入寮の心構えの一環として注意事項を上げたつもりのアラシヤマと、言わんとすることが理解できないシンタローの間に、奇妙な沈黙が落ちる。
「…なぁ、シンタローはん。ひとつお聞きしますけど」
アラシヤマは、とある可能性について確認をしてみた。
「まさかと思うんどすけど、あれは、…あーゆーキスは、あんさんらには当たり前なんどすか?」
「あれを当たり前と言わなくて何を言うんだ」
シンタローの返答は、アラシヤマが一番聞きたくなかったものに違いなかった。
「どうしたアラシヤマ、いきなり地面にすがりついて!」
「すがりつきたくもなります !! どーして『口』どうしのキスが当たり前なんどすか !! 」
「お前だって父親とキスするだろ……?」
「いーえ」
涙を流して訴えるアラシヤマと、困惑のシンタローの目線が合う。
「……でも、じゃあ、どうやって愛情を表すんだ?」
「日本人は、以心伝心とゆーて、表さなくとも伝わるんどす。キスはお国によるんどすけど、普通は頬どす」
アラシヤマの声は、悲壮感さえ漂わせていた。
シンタローは目をぱちくりさせて、空を見上げた。
「……もしそれが本当だとすると……親父とキスした俺はなんなんだ」
「ファザコンどす」
きっぱりそう言われて、シンタローはどうして良いかわからない。
「俺、おかしい?」
「異常どす」
クラス一変な奴と思っていたアラシヤマにこっくりとうなずかれて、シンタローは目の前が真っ暗になった気がした。
何ということだ。シンタローは呻いた。自分が特別な立場であることは重々承知していたと思ったが、特別だったのは立場だけではなかったらしい。マジックの教育方針そのものが、どうやら特別だったのではあるまいか。
「……と、とにかく。注意してくれはったらそれでええどす。それじゃわては寮に戻りますよってに」
アラシヤマがふらふらと寮への道を辿った。シンタローはそのまま、マジックの元へダッシュした。
この後、シンタローと同室になったアラシヤマの影の苦労は大したものであった。脱衣場を何の恥じらいもなくすっぱだかで歩き回るシンタローに、隠すということを教えたのもアラシヤマなら、マジックが一緒じゃないとなんだか眠れないというシンタローに酒を飲ませて無理やり寝かせたのもアラシヤマだ。
マジックと寝ていたという話を聞いた日、夜中にふと心配になって、眠ったシンタローのパジャマの前を開けて、不審な跡が残っていないかどうか密かにチェックを入れてしまったのも又、アラシヤマである。
そんなナンバー2の努力を知ってか知らずか、シンタローはのほほんと、我が道を走っていった。
裁かれざる者6
アオザワシンたろー
準備コースを終え、士官学校に上がってしばらく経つころには、もう誰もシンタローの実力を疑う者はいなくなっていた。
同じスケジュールで動いていながら、誰もシンタローを抜くことができなかったのである。
準備コースではアラシヤマとの差はほとんどなかったのだが、今では十人が十人、シンタローの優勢を言うだろう。
そのくらい十七になった頃のシンタローの成長は目覚ましかった。そして又、言葉とは反対に平和主義であったり、融通が聞いたり、面倒見が良かったりしたので、慕う者も増えた。
ただ、良いことばかりではない。
成績によって学期ごとに学生の移籍が行われた。準備コースから今日まで残っているのは半数に満たない。残りは後から、各支部から移籍してきた訓練生たちである。
腕に覚えのある彼らにとって、シンタローはやはり、鼻持ちならない人間だった。
そのシンタローを快く思わない者たちが起こした小さな、けれど誰も忘れることができない事件があった。
彼らの悪意にシンタローが巻き込まれたことを、シンタローが伏せる間もなくマジックが知ってしまったのである…。
「これは、何かな」
マジックが手に取った錠剤を、ぽろぽろと指の間から落とした。
真夜中の科学実験室で、マジックに睨まれた士官訓練生たちは、一歩も動けずに立ち尽くした。
夜中に行われる実験だってあるから、その時間に他の人間がいても不思議はない。それが証拠に、ただならぬ雰囲気を感じ取った他の部屋にいた学生たちが様子を見にきたくらいだ。彼らが見たのは恐ろしい場面だった…。
「耳が聞こえないのかい、君達。これは一体何なのかと聞いているんだ。君達が一生懸命作っていた、コレだよ」
マジックが対峙している学生は4人いた。実験台の上にはビーカーや試験管など、生物実験用の器具が並んでいる。そして今マジックが触れた錠剤の原料らしき物質。
「…と…父さん……」
4人のうちの一人、シンタローが掠れた声を出した。
「もう何度もコレの被害者が出ているね。まぁ、それは貶められた方が愚かだったとしよう。……だが」
マジックの瞳が、蛍光灯の下で異様に光った。
「だが…私のシンタローにまでコレを使おうとしたなんて、ちょっと許せない、ねぇ」
マジックの瞳は、どこまでも深い青だ。
その禍々しい青と口元にうっすらと浮かんだ笑み、そして地獄の底から聞こえてくるような低い声が、3人の学生たちの動きを奪っていた。
「待ってくれ親父!こいつらは俺がなんとかするから…。反省してるんだよ。劇薬なんてさ、もうやらないって、誓わせてたところなんだ。そうだよなっ、おまえら」
シンタローがマジックと学生の間に入って、必死に緊迫した空気を消そうとしている。
だがマジックは、一度も三人の犯人から目を逸らさなかった。
これから起こる事態を予想して、窓から覗いていた学生たちも凍りつく。
「野次馬野郎、行け!お前らには関係ねぇ !! 」
シンタローの一喝で、野次馬は蜘蛛の子を散らすように姿を消した。三人の学生も、逃げたかったに違いない。
しかし体はマジックに見咎められた時に既に凍りつき、呼吸すら満足に出来なかった。
「シンタロー。覚えておきなさい。賢くない者はね、死んだ方がいいんだよ。自分より強い者が分からないような、そんなお馬鹿さんはね」
「親父!ちょっと待ってくれよ、あいつらは…」
自分を毒で犯そうと計画していた学生を、シンタローは何故庇うのか。
その疑問はマジックにとって怒りを止める程のものではなかった。
それほど彼らの罪は重い。
「シンタロー」
「 !? 」
マジックが、息子を引き寄せる。
「父さん?」
そのままシンタローが両腕の中に閉じ込められ振り返ることができないようになると、突然背後の三人がいた辺りで爆発音がした。シンタローがマジックの肩越しに見ていた床に、赤い塊が跳んで来たのは、ほぼ同時だった。
何もないところで、突然爆発が起こった。
何もないところで、突然何かが発火した。
それは余りに一瞬の出来事で、シンタローには直ぐに理解できなかった。
他のテーブルは、ほんのわずかも揺れなかった。まるで何もなかったかのように、ひっそりと佇んでいる。
「……とう…」
シンタローが見た床に落ちている細かな赤い塊。それは背後から放られたように、床に染みを引き摺って止まっていた。
「ごめんね、怖かったかい、坊や」
マジックが息子を抱き締めた。目の前にある額に唇を寄せて、長い黒髪を撫でた。まるで小さい子にするように、頭を撫でた。
「父……さ……?」
とたんに、むっとした生々しい臭いがシンタローを取り巻いた。鉄の味が、口の中に広がるような錯覚さえした。
…血の匂いだった。
「シンタロー」
マジックがシンタローの耳元で囁いた。低い声は暖かな息とともにそこから心臓まで侵入した。シンタローのぴくりと跳ねる体を押さえつけて、マジックが耳朶を口に含んだ。
「シンタロー」
マジックは腕に力を込めて、まるでシンタローの体を自分の中に押し込めるように力を込めて、口づけを繰り返した。
「…親父…?どうしたの。あいつらは?」
振り返ろうとするシンタローの頭を、マジックは後ろから大きな手で固定してしまう。今見てもいいのは、パパだけだというように。
「父さん」
「シンタロー……」
マジックの口づけは、シンタローの顔中に降る。まるでそうすることしかできないように。
「父さん、ねぇ、おかしいよ、放してくれよ。苦しいよ」
血の臭いと、大きな腕。
「…放して…」
小さなシンタローの願いを、マジックは聞いてくれそうもなかった。変わりにシンタローを抱き締めたまま……自分の正面に転がる潰れた人間たちを睨みながら……今日はパパと一緒に寝ようねと言った。
「父さ…あ」
ふいに重ねられる唇。けれどそれは直ぐ離れて、次にシンタローを捕らえたのは呪われた青い瞳だった。
「…ぁ…?」
シンタローが欲しかった海と同じ青い瞳。
総帥室に飾ってある、宝玉と同じ色。
それがシンタローの意識を取り込んだ。
マジックは、意識を失って力なく崩折れるシンタローを抱え直した。両膝の後ろに片腕を当てて運ぶために。
「!そこにいるのは誰だ!」
科学室を出ようとして、ようやくマジックは人の気配に注意を払った。
「最後まで見ていたとは良い度胸だな。だが賢い行動ではなかったぞ」
マジックの瞳が、怪しく光る。
「……わてを殺しはるんどすか」
「アラシヤマか」
姿を現したのは、マジック自ら本部に呼び寄せた学生、アラシヤマだった。誰もがマジックに恐れをなして姿を消したというのに、彼だけが残っていたらしい。
「……お前、シンタローが奴らのターゲットになっていたこと、知っていたな。何故止めなかった」
アラシヤマとて、このとき初めてマジックの眼の恐ろしさを知ったのだ。言葉が滑るように出てきたのは、度胸があったというよりも、恐怖ゆえに感情が死んでしまっていたからだった。
「…わてが総帥から受けた命令は、シンタローを正当な手段で追い詰め、追い抜くことどした。…命令以外のことに関しては、わてはわての判断で動きます」
「……そうか」
マジックの口元が歪む。
「お前という存在のお陰で、シンタローは随分と早く強くなったよ。……シンタローの後をつけてきたことに免じて、今回のことは見なかったことにしよう。命令はまだ有効だ。いいな」
「は…はいっ」
シンタローを抱えて、マジックはその場を後にした。
アラシヤマはマジックが、シンタローをどうするつもりなのか問い詰めたかったが、聞けなかった。
この日マジックに裏切り者が制裁されたという簡単な事実だけが、学生の間に厳かに広まり、噂された。
シンタローに関わったせいで学生が三人、マジックに制裁を受けてから、一年。
もともと人付き合いが得意という方でもなかったシンタローは、滅多なことでは自分から付き合いの輪を広げようとはしなくなっていた。
シンタローはそれまで、自分のことを考えるのでせいいっぱいだった。けれど一年前のあの事件で、マジックのことも考えるようになったからだ。
マジックの中の、シンタローが知らない部分。冷酷で非道な悪意の固まり。
たった今までシンタローと話していた仲間たち。それが一瞬にして死んだ。マジックが、なんらかの力を使って処分したのだ。
あのあとマジックは何度も問いただした。
何故自分を殺そうとした者を許せるんだい?
命を狙った者を見逃せば、また同じことを繰り返すよ。
パパはシンちゃんに悪さする奴らを許さない。
だってパパはシンちゃんを愛しているんだからね。
誰よりも一番に愛しているんだからね。
今、シンタローにとってそれらの言葉は苦しみ以外何も感じさせなかった。マジックの言葉は、どうしてもシンタローを束縛する。ゆっくりと、じんわりと、シンタローの自由と感性を蝕んでいくのだ。
事件以来、マジックのシンタローへの想いは強くなる一方だった。
シンタローの一挙一投足にまで監視の眼を光らせる勢いだ。その強烈な愛情は、シンタローには重すぎた。息がどんどん苦しくなった。
そしてもう一つの不安なことが、シンタローの苦しみに輪をかける。
限界を、感じるのだ。
マジックを越えることが出来ない自分というものを、酷くリアルに想像できる。一族の中で一人だけ異なる容姿も、秘石眼という不思議な光を持つ眼が無いことも、それを助長した。眼魔砲を会得したその後も、それは変わらなかった。
ただなんとなく、ほんの少し楽になったことと言えば、アラシヤマが以前のようにつっかかってこなくなったことだ。
良く言えばおとなしく、悪く言えば根が暗いアラシヤマとは、以前よりも試験や試合が減ったことで、競り合わなければならない回数が格段に減ったからである。
そんなある日、シンタローに弟ができた。
シンタローは初め、ただの冗談だと思った。あのマジックが、自分以外の子供を欲しがるなんて、想像できなかったからだ。
けれどそれは本当だった。
生まれた子供は、確かにシンタロー弟だったのだ。
「ああ……」
初めてその子を見たとき、シンタローは泣きたくなった。
この子は。
この子は金髪をしている。
シンタローはやはり異端なのだ。
一族のなかで、やはりただ一人の異質な存在だったのだ。マジックが綺麗だという黒い髪。太陽のようなきらきらとした金髪よりも、綺麗な筈がないじゃないか。
けれど直ぐにシンタローはその考えを捨てた。
こんなことでいじけるのはもう終りにするのだ。もしかしたらこの子の方がガンマ団を受け継ぐのかもしれない。でも、それもいいかもしれない。
シンタローは思った。
いいじゃないか、誰が後を継いだって。
この子は生まれたばかりなんだから。
俺の弟なんだから。
「……コタロー。お兄ちゃんだよ」
小さなもみじを指でつつくと、コタローは握り返してくる。
「うわぁ…」
かわいい。
凄く可愛い。
シンタローは、かつて弟を欲しがっていた自分を思い出した。
そうだ、うんと可愛がってやろう。一緒に遊ぼう。いろんなことを教えてあげよう。たくさんのものを見せて上げよう。
あれやこれや、あっというまに楽しい夢はふくらんで、シンタローは幸せだった。だからそんなシンタローを、複雑な眼でマジックが見ていたことに気がつかなかった。
「親父ィ!コタローをどこにやったんだよ !! 」
突然。
夢の時間は終りを告げた。
シンタローが愛した弟は、まだ幾つにもならないうちに、マジックがどこかへやってしまったのだ。それも、シンタローからの略奪という形で。
「親父!!」
耳の奥に、兄を呼ぶ弟の声が残る。大人たちに手を引かれて、連れ去られてしまった。シンタローの手の届かないところへだ。
「どうしてだよ、なんでこんなことするんだよ !! 信じられねぇよ。正気かよ!」
シンタローは叫んだ。自分にはこんなに叫ぶことができるんだと、自分で驚いたくらい声が出た。
頭の中がぐちゃぐちゃになった。コタローを奪われたことが悲しくて、マジックが自分に酷いことをしたのが苦しくて、守ってやれなかった弟が可愛そうで、力の足りなかった自分が許せなくて、事態が理解できないことが情なくて、怒りのやり場が見つからなくて、もうぐちゃぐちゃだった。
もう何も出来なかった。
何も見えなかった。
結局はマジックの手の中しか、マジックの望む生き方しか、自分には許されていなかったのだ。
シンタローは、コタローだけは違うと思っていた。コタローとだけは、マジックの元でも暮らしてゆけると思っていた。だってコタローだって血の繋がった息子ではないか。
兄と弟、どこが違うというのだ?
何故マジックは、コタローだけをよそへやった。
シンタローから引き離すことが目的だったとしか思えなかった。
何度聞いても、マジックは答えをくれなかった。むしろますます強くなるのその独占欲に、自分を失いそうだった。
平静を取り戻すまでは、かなりの時間を要した。
だが、冷静になれば今までと違ったものが見えてくる。マジックが、ガンマ団員たちにどう見られているのか、ということが。
生まれながらの覇王。
あのサービスでさえ、マジックに逆らってはいないではないか。
マジックは、シンタローが考えていた以上に絶対者だったのだ。
知らなかったのは、シンタローだけだ。
もっとも、それがわかったところで、悲しみが薄れることはなかった。いっそ憎めたらどれだけ楽になるだろう。
愛しているよ。
マジックはことあるごとにそう言う。シンタローはいつからかそれをマジックに対して言わなくなった。けれど、もう言葉なんかいらないくらい、マジックという存在はシンタローの中に根を下ろしているのだ。だから、いっそ他人だったら。憎めたら。ただの兵士と総帥だったら。
有り得ない夢。
はかない希望。
シンタローの夢は、どうしても、かなわない………。
口数こそ減ったものの、マジックはシンタローが諦めたと思っていた。
シンタローはいつだって最後には言うことを聞いてくれる、可愛い息子だった。
だからかつてシンタローが物心つく前、日本で他人の手に育てられた記憶を洗い流してしまったときのように、今度もまた、シンタローは忘れてくれたと思っていた。
けれどシンタローの心はずっと血を流し続けている。
コタローと、マジックと、平和に暮らすという決して手に入らない夢を見ながら血を流している。
その傷は随分と深くて、誰にも癒せない……。
裁かれざる者7
アオザワシンたろー
「シンタローはん。これはまた、思い切ったことをしはりましたな」
秘石を奪って逃走したシンタローの行く手を塞いだのはアラシヤマだった。ガンマ団の制服に身を包み、ナイフを装備している。
「うるせぇ!そこをどけ。相手が誰であろうと容赦しないぜ !! 」
シンタローは偶然、コタローの居場所を知ることができた。
マジックが敷いたシークレットセキュリティを掻い潜り、コタローが連れ去られた場所を突き止めたのだ。
だから会いに行く。
弟に会いに行く。そして。
大好きなマジックに、わかってもらうのだ。
僕がどんなに悲しかったか。
「港はすべて封鎖されとります。逃げようがあらしまへん」
アラシヤマは、そう言う。
「黙れ!」
「せやけど非常用第二埠頭に、点検用ボートが何台か未収容になっとります。警備人もそこまでは手がまわらんでっしゃろなぁ」
「……何?」
アラシヤマはナイフの刃先の光を確かめるように、裏返したりしている。
攻撃してくる気配はない。
「……何でおめぇが助ける」
警戒を解かずにシンタローが問えば、アラシヤマは眼を細めて得意気に笑った。
「あんさんがいなくなれば、わてがガンマ団ナンバーワンに、なりますからなぁ」
「……言ってろ」
シンタローはアラシヤマの脇を走り抜けた。
肩に、秘石を治めた鞄をかけて。
この逃亡はシンタローにとって生まれて初めての賭けだった。何としてでもマジックの手から逃れなければならなかった。
逃げおおせなければ、きっとわかってもらえない。だからシンタローは必死だった。
いつか。
いつかコタローと、そしてマジックと、三人で暮らす、そんな遠い夢だけを追って、シンタローは海へ向かった。
そして、物語は始まる。
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平成6年発行本でした。手直しは明らかに意味が通じてない部分だけにとどめたので、稚拙な文章なんですが、お許しください。
ガンガンでまだパプワくんが連載中だったため、自己流設定が山ほど!(^^;)
見逃してください~~。
パパとシンちゃんの確執のお話の予定が、アラシヤマ出張る出張る…。
アオザワシンたろー
「ねぇおじさん。父さんってひょっとして子煩悩じゃない?」
ガンマ団本部のプライベートルームのひとつに、シンタローの叔父サービスが住んでいた。もっとも住んでいるといっても一年のうち二、三ヶ月ほどしか戻らなかったので、シンタローがサービスを見つけられる回数は少なかった。
けれどシンタローはこの叔父が大好きだったので、戻っていると知れば必ず遊びに行った。
「兄貴が子煩悩?」
長い前髪で顔の半分を隠すようにした秀麗な男が、マジックの弟のサービスその人である。
ようやく十二になる可愛い甥っ子にお茶と菓子を用意してやっている。
出されたクッキーを摘んでシンタローは続けた。
「うん。あのね、食堂あるのにさ、父さんって絶対そこで食べちゃダメだっていうんだもん」
「……シンタローの分は自分で作るからと言ってか?」
「うん。アイジョウが籠ってる方がおいしいんだって。でもさー、それって……コバナレ出来てないってことだと思うの」
真面目な顔でそう頷いてみせるシンタローが、おかしいやら可愛いやらで、サービスは喉の奥で笑ってしまった。何しろシンタローが持ってくる話題はいつも父親のことなのだ。
このあいだ父さんがどーしたこーした。
おじさんに比べれば父さんはあーだしこーだし。
そしてマジックがサービスに持ってくる話題の大半も、シンタローのことだった。
曰く、シンちゃんがどーしたこーした……。
こんな風に似ている親子も珍しい。
シンタローが生まれた頃のマジックの冷たい眼を、あれ以来一度も見ていなかった。
サービスが知る限り、マジックは変わったのだ。
ハーレムからそれを聞かされても半信半疑だったサービスは、シンタローにとっての従兄弟にあたるグンマを会わせるというきっかけを得て、本部を訪れた。
そこで見たのが、我が眼を疑わずにいられないほどのマジックの子煩悩な姿だった。
ハーレムがシンタローと会ったときよりも、なお度が増している。サービスの前であろうがためらうこと無くシンタローにキスをして、抱き寄せて、囁く。三食はもちろんのこと、ベッドまで共にしているというのだから驚愕に値するというものだ。
仮にも世界制覇を目論むガンマ団の総帥ともあろう男が、女ではなく子供と枕を共にしているのである。
しかしサービスとて、極普通の父親というものを知らずに育ったのだから、マジックが過保護であると言えるのかどうか判断できなかった。一族で唯一幸福を手にできる親子であれば、そのくらいは許されるようにも思えたし、けれどシンタローの自立のためには良くないような気も…した。
だが結局サービスも、正しい親子像などというものを追及するよりは、この愛らしい子供と遊ぶ方を選んだのである。
「でね、聞いてる、おじさん」
「ああ、聞いてるヨ」
「おじさんは結婚しないの?」
「えっ?」
サービスが驚いたのは質問の内容はもちろんだが、マジックの話題から結婚の話題への繋がりが見えなかったせいでもある。
「結婚…」
「うん。俺、弟が欲しいんだ。そして一緒に遊ぶんだ。駆けっこしたり鬼ごっこしたり」
シンタローが、まだ見ぬ弟と野を駆ける想像をして、照れ臭そうに笑った。
「弟がいたらきっと楽しいと思うんだ。俺、いろんなこと教えてあげるし。裏の森にある秘密の洞窟のこととか、どんぐり拾いもしたいし、漢字とかも教えてあげる」
「ははぁ、なるほど」
シンタローがやりたがっているのは、要するにマジックの真似である。少し大人になったような気分で、それが真似だと気づかずに、行動したがっているのだ。
「だけどね」
急にしゅんとして、シンタローはうなだれた。それから上目遣いにサービスを見る。
「だけどさ、父さんたら、シンちゃん以外いらないヨって言うンだ」
「へえ」
「シンちゃんはパパに愛されなくなっちゃってもいいの…ってサ」
サービスはシンタローに分からないように溜息をつく。
マジックの言いそうなことだ。何しろマジックは傍目にもわかるくらい、シンタローに御執心ときている。
愛されないことが心配なのは、マジックの方ではないか。シンタローの意識が弟に行くことによって、シンタローが手元から離れて行くことにこだわっているのは、だぶんマジックの方ではないのか。
「って、そんなこと言われちゃ、我が儘いえないよ」
肘をついてテーブルの表面を見つめ、シンタローが呟いた。
「シンタロー」
「だからさ、おじさんが俺の弟つくってよ」
「シンタロー…」
「グンマとも滅多に会えないし。俺、聞いたんだ。日本とイギリスには俺と同じ年ぐらいの子供もいるんだって。どうして本部には誰もいないのかナ。せめて一緒にサッカーやれたらいいのにな」
「それをマジックに言ったのか」
「……うん」
「そうしたら?」
「そしたら……シンちゃんには、友達なんか……いらないんだヨ…って」
今度ばかりは、サービスも頭を抱えた。
「おじさん?」
「……あのクソ兄貴…」
「え?」
「いやいや。何でもない。………そうか、マジックはそんなふうに言ったのか」
「友達なんかいらないよ。でも弟だったらいいかと思ったんだ。でも父さんはそれも嫌みたいだし…。ねえおじさん。どうしてかな。どうして父さんは俺にばっかりかまうんだろう」
可愛がられるだけの子供から脱皮しつつあるシンタローにとって、マジックの行動はやや疑問に思えるのだろう。とはいえ、サービスは一族の不幸な歴史を知っている。
シンタローには気の毒に思うこともあるけれど、それ以上に、マジックが愛する者と共にいられることを喜んでいることもわかるのだ。
シンタローは愛されるために生まれてきた。サービスでさえ、マジックの次くらいには、シンタローを大切に思うことが許されるくらいだ。
かつての友とは、ほんのわずかな時間しか過ごせなかった。けれどシンタローは別だ。だからつい、その状況に甘えてきたのだけれど。
「おじさん?」
「ああ、わかった。結婚の予定はないが、ちょっと兄貴と話をしてみるよ」
「えっ!あ、でも」
驚いて、一瞬嬉しそうな顔をしたシンタローは、直ぐに思い詰めた眼をした。
「……でも俺、父さんを悲しませるのはイヤなんだ」
今にも泣きそうな、子供らしい要求を我慢する甥っこを前にして、サービスはまた溜め息をついた。
「シンタローは本当にマジックにはもったいない息子だな。無理な話はしないよ。俺の意見としてちょっと話してみるだけにするから安心しろ」
「…うん」
マジックだってサービス同様、良い父親、なんて知らない。けれどだからってシンタローにこんな我慢をさせてまで、自分勝手に父親像を作るのは問題だ。サービスとしては、黙って見過ごせなかった。
そこへ、丁度呼び鈴が鳴った。
「おじさん、お客様だ」
「ああ……」
サービスが時計を見れば、そろそろ夕方の五時。となれば訪問者の正体はわが子を迎えに来たあの男である。
「シンちゃん、お迎えだよっv」
サービスがキーを開けるやいなや、マジックが部屋に飛び込んできた。
「パパ!」
「シンちゃんv」
時間的にみても、今日の仕事を終わらせてから直行したのだろう。威厳を全部道端に落として、総帥マジックはシンタローを抱き上げた。
「いい子にしていたかい?」
「まぁね」
シンタローももう十二だというのに、マジックは軽々と抱えたシンタローにお帰りのキスをして、あれやこれや、離れていた時間を埋めるように尋ねた。
「お前が側にいないと時間が経つのが遅いみたいだよ。早く大きくなって、パパの片腕になっておくれ。シンちゃんが側にいたら、パパはもっと頑張ってお仕事しちゃうヨ」
「……うん」
さっきからカヤの外に置かれてしまったサービスは、一段落つくまで無駄と心得たか、勝手に紅茶を一杯いれて、それを飲んだ。その時間ぐらい、マジックはシンタローしか見ていなかった。
「よし、じゃあ帰ろうか」
マジックがようやっとサービスを振り向いた。
「兄さん、後日、話があるんだ。時間をくれないか」
「?なんだ、言ってみろ」
「後日でいいんだ」
「そうか。ならば後で連絡しよう。さ、シンタロー」
ようやくシンタローを下ろして、マジックはその頭をくしゃりとやった。
「世話になったなサービス」
「いいえ。それじゃまたな、シンタロー」
「うん。ばいばい」
去って行く姿に、サービスはつい、考える。シンタローと、同じ年頃の子供たちとの違いを。
もっともそれを訴えたところでマジックが考えを変えるはずもない。そうとわかっていても、シンタローのために何かしたくてたまらないサービスだった。
裁かれざる者5
アオザワシンたろー
シンタローが十五になったころ、本部は以前と比べてだいぶ賑やかになった。
マジックがシンタローのために、士官学校とその準備コースを本部に設置したためである。日本とイギリスを中心に、各支部から選抜メンバーが次々と本部へ移籍してきた。
シンタローが初めて見る、一族以外の、同年代の子供達だった。
「どうだったシンちゃん。皆と会ってみた感想は?」
準備コースはもともと一クラスしかない。だから入学してすぐに、大抵のメンバーの顔と名前は一致した。
「どんなコたちがいるんだい?」
マジックはすべて選抜者のデータをチェックしてはいたが、それでもまるで知らないようにシンタローに尋ねた。
「どんなって…」
マジックの手作りハンバーグを頬張りながら、シンタローはちらっと父親の顔を見る。シンタローの返事を待つ青い瞳は、きらきらと嬉しそうに輝いていた。
「……はぁ」
「あれ?どしたのシンちゃん。溜め息なんかついて。…ハッ、まさかパパの御飯がまずいのかい !? 」
「ち…違うよ!誰もそんなこと言ってないだろっ」
「じゃあ何?」
「……べーつにー。皆普通の奴等だよ。…あ、でも」
箸を止め、過保護な父親にシンタローは報告する。
「一人変な奴がいる」
「変な奴?……変態な奴 !? それは大変だ!パパのシンちゃんに手を出すとは許せん !! 」
「勝手に話を作らないでよっ」
怒りに滝のような涙を流すマジックに、合わせてついついシンタローの言動も派手になる。
「俺が言ってるのは「変」な奴!ただそれだけ !! 」
「仮にも本部生なのに、変な奴がいたのか…」
「親父だって知ってんだろ。アラシヤマだよ。あいつがクラスん中じゃ一番変」
息子の口から出た名を、無論マジックは知っている。それどころか、アラシヤマを日本支部から本部へ移籍させたのは他ならぬマジック本人であった。ある…特殊な任務につかせるために。
アラシヤマは、士官学校準備コースが開校するよりも早く、ただ一人他の学生に先立って本部に移籍してきた少年である。
彼を呼んだのがマジックであることを、シンタローは知らない。一生、知らされることはない。
「…そうか、アラシヤマか…」
「まったく何を考えてるのか。あいつネクラなんだぜ。ちっとも笑わないし」
そのくせ凄く強いんだ。
続く言葉を、シンタローは飲み込んだ。自分を負かすかもしれない奴がいるなどと、言えなかった。クラスに入って強く実感したことに、自分の立場というものがある。シンタローは、総帥の息子なのだ。他の生徒たちと、同じであって同じではない。
シンタローは、彼らに負けてはいけないと…思った。 負けることで恥をかくのは、他ならぬマジックだ。
そんなこと、絶対許せなかった。そしてまた…何時か誰かがシンタローに言った言葉がよみがえる。
シンタローは、『普通』だ!
そんなことは許されないと思った。普通なんて、ダメだと思った。あの父が何度か言った台詞のために。
お前はパパの後を継ぐんだよ。
そのためには、絶対負けてなんかいられないではないか。
普通じゃ駄目なのだ。もっともっと、強くなければ。 本部の選抜学生よりも、当然、強く。
そのためには、特にアラシヤマが目障りだった。奴だけが、シンタローの邪魔をする。
こんなところで、つまづくわけにはいかないのだ。
「ねぇ父さん。どうして俺は寮に入らなくてもいいの?」
食事の手を休めて、シンタローはここ数日気になっていたことを尋ねた。寮長であるアラシヤマはもちろんのこと、今回設立された準備コースの学生はすべて、学生寮に入っている。カリキュラムを終えて寮に帰る学生の一人が、シンタローに不審を持ったのが始まりだった。
「どうしてかだって?だってシンちゃんのうちは『ここ』じゃないか。パパのうちが本部にあるのに、わざわざ寮に入る必要なんてないだろう?」
「でも、俺だけ皆と違う所に帰るなんて、何だか嫌だな」
「パパのところに帰ってくるのが嫌なの」
「そうじゃなくて…」
うまい言葉がみつからない。そんなシンタローの隣に席を移り、マジックは肩を抱くようにしてぽんぽんと叩いた。
「パパはシンちゃんと少しでも長く一緒にいたいヨ。こうして御飯を作ってあげたり、一緒にお風呂に入ったり、キスをしたりしたいんだ」
その正直さに、シンタローはいつも丸め込まれてきた。
マジックはいつだってそうなのだ。自分のやりたいことをはっきりと口にする。それがまたシンタローに対する愛情ゆえの行動だから、ついつい言われたままの生活をしてしまうのだ。
「でも…俺、もう子供じゃないよ」
ちょっと顔を赤らめながら、シンタローは呟く。
面とむかってマジックにそう言うだけの勇気の無さに、内心舌打ちさえしながら。
「いいかいシンタロー。親にとって子供はいつまでたってもコドモなんだヨ」
そんな風に諭されるように言われて、こめかみにキスされてしまうと、シンタローはもうこの話題を口にできなくなる。
その性格は、マジックがそうなるように仕組んだ成果でもあるのだけれど、当のシンタローにとっては迷惑このうえない教育方針だった。
「パパはシンちゃんを誰よりも愛しているからね」
囁く言葉は、シンタローを束縛する物でしかなかった。 束縛と---いつからそんなことを感じるようになったのかシンタロー自身にもわからない。けれどいつのまにか、そんな言葉が頭に浮かんできたのだ。
マジックは、自分を閉じ込めようと、している。
いつか、片腕とするために?
愛しているからこそ?
マジックの心のうちを見透かすことなどできないシンタローである。ただ、何故だか少し、寮に帰る学生たちの後ろ姿に、切ないものを感じたのだ。
「シンタローは総帥の直系だもんな!」
明らかに侮蔑の色を滲ませた言い方だった。
教室内がざわつき、視線がシンタローとその男に集中した。
「俺が直系だなんてカンケーねぇだろ」
放っておけばよいのだが、さらりと悪意を躱せるほど、シンタローはまだ人間ができていなかった。
「あるさ。あんたにはこれ以上ない家庭教師が始終ついてるんだもんな。俺たちがいくら頑張ったって勝ち目ないのはあたりまえさ」
「何だと !? 」
シンタローがまともに怒りの声を上げたことで、雰囲気は一気に険悪になった。
士官学校の準備コースのカリキュラムは、ある意味で試験ざんまいなカリキュラムでもある。養成支部と異なり、本部に籍を置く以上、学生であっても気の緩みは許されないからだ。
だがその結果、いつまでたってもシンタローのトップ成績に追いつくことができない学生の憤懣が吹き出したのである。
曰く、シンタローの背後には総帥マジックがついているからなのだと。
「俺は別に、親父に何も習ってなんかいねぇぞ」
「はん、どうだか!教官たちも、この建物も、全部総帥の物じゃないか。その中でシンタローがトップになるのなんか当たり前さ!」
「…… !! 」
怒りが、あっという間にシンタローの全身を支配した。 そして、気がついたときにはもうその学生を殴り飛ばしていたのだ。
激しい音をたてて、殴られた学生の体が机や椅子を薙ぎ倒した。すぐさま周囲の者たちが身を引く。
「ってえ…やりやがったな、坊っちゃん」
「うるせェ!自分の力不足を人のせいにしやがって !! 」
「俺は本当のことを言ったんだ」
とりまきの中心で、今度はその学生の方がシンタロー目掛けて拳をくりだした。それを躱そうとシンタローはしりぞくが、運悪くそこは教室だったので、すぐ後ろの席にぶつかってしまった。それが、シンタローが一発くらうことになった直接原因である。
今度吹き飛ばされたのはシンタローの体だった。
ざわめきがいっそう大きくなるが、誰も止めようとはしなかった。何しろ、相手は他ならぬシンタローである。傷つけられたのがその名誉なのだから、下手に仲裁しようものなら、名誉回復を望まない者と誤解されかねない。
シンタローがそんな誤解をするような人間ではないと、誰もまだ知らなかったのだ。
あの総帥マジックとは、別個の人間なのだということを、理解していなかったのだ。
まだ誰も、わかろうとして、いなかったのである……。
「何をしているか、お前たち !! 」
騒ぎを聞きつけて教室に飛び込んできたのは教官だ。 シンタローと相手の拳が、示し合わせたようにピタリと止まる。
同時に周囲の学生たちの呼吸も止まった。
「一体何を…」
していたのだと尋ねようとした教官の、言葉が止まる。騒ぎの中心に、シンタローがいたからだ。どう解釈しても、喧嘩をしていたとしか思えないシンタローが。
「ジュニア…これは、どうしたのでしょうか」
シンタローの頭に、すぐさま父親の姿が浮かんだ。シンタローが短気をおこしたのだと知れば、いたく失望するに違いない。
今更自己嫌悪に陥って言葉の見つからないシンタローより先に、もう一人の原因が
「自分がやりました」
と教官に向かって申告した。
「お前か。私闘は禁じてあったはずだ。あとで教官室へ来い」
それだけ言って去って行こうとする男に、シンタローが慌てた。
「俺はっ…」
男はシンタローには何も言わなかった。
「俺が先に手を出したんだ…」
そう聞かされても、むしろちょっと困ったように言ったぐらいだ。
「手を出させるようなことを言ったのでしょう。処罰されるはそちらのほうです」
教官の判断は、正しくもあり、誤りでもあった。喧嘩は両成敗が原則なのだ。そうでなければどこかで歪みが生じる。
それが証拠に、シンタローの背後でぼそりと囁かれた言葉を、シンタローは絶対忘れない。
「……かっこつけやがって……」
振り向いても、それが誰の台詞なのか区別がつかなかった。
シンタローは能面のようなクラスメイトたちの顔を一睨みして、その場を後にした。心の中にぐるぐると渦巻く嫌な感情が、捌け口を求めて暴れていた。
頑張ってきたのだ。
マジックの期待にそえようとして、マジックのようになりたくて、心のどこかで無理なんじゃないかと思うことを忌み嫌って、頑張ってきたのだ。
けれど、仲間たちはそんなシンタローを受け入れてはくれなかった。
物凄く、孤独だった。
苛々して、何もかも嫌だった。
自分も、マジックも、同じ学生たちも、ガンマ団も、何もかも何もかも煩わしい。
もっと静かに暮せたらいいのに。
シンタローの中に、ぽつんとそんな願望が生まれる。 マジックは総帥じゃなくて、ガンマ団なんて無くて、普通に会社に行って、自分は普通に学校に行って、毎日を平穏に暮すのだ。
なんだか遠い夢だった。それ以上ふくらみようがない夢だった。
マジックは総帥だし、自分はその跡取りなのだ。
どうあっても、その現実が変わるはずはなかった。
「…畜生……」
苛々は行き場を見つけられずにシンタローの心に底に住み着いた。それは、なんだか悲しいことだった。自分が一族の中でただ一人『違う』のだと知ったときに感じた悲しみに、それは似ていた。
思い返せば、シンタローはいつも一人だったのだ。
側には、マジックしかいなかった。
マジックが、誰も寄せつけなかった。それを当然だと言い、シンタローもそれを幸せなことだと思ってきた。
けれど、本当にそうだったのだろうか?
マジックの愛だけしか知らずに育ってきたのは、おかしなことなのではないだろうか。でもきっとそんな事を口にしたら、マジックは言うのだろう。
シンちゃんはパパがこんなに愛しているのに不満なんだね、と。
「シンタロー」
ふと、シンタローの内に籠った考えを遮る声があった。
「シンタローじゃないか。どうしたんだい、お迎えかな」
「父さん!」
見慣れた赤い制服。総帥にのみ許されたその色をまとっているのは、シンタローの実父であるマジックだ。校舎の玄関から、入ってきたところらしい。
「なんで親父がこんなところに…」
シンタローの質問に、父親は最大級の笑顔で答える。
「シンちゃんの勉強振りを見学に来たんだよv」
「来んでいい !! 」
だがいきりたつ息子をがっしりと捕まえて、マジックはまったくこりた様子もない。
「何をそんなに怒っているんだい。再会のキスもまだだというのに」
「むー」
暴れるシンタローの体と頭を押さえつけて、マジックがいつものキスをする。もうそれは余りに日常茶飯事の愛情表現なものだから、欠如した生活なんて想像も出来ない。だものだからシンタローは、つい条件反射で、マジックが唇を寄せるとどんなに怒っていてもおとなしく目を閉じてしまうのだ。
そんなシンタローがこれまた可愛らしくて、マジックは得意になる。
「さ、シンちゃん。教室へ案内しておくれ」
「いや」
「嫌?」
「今は嫌」
断固駄目だぞという意気込んだ目で睨まれて、マジックはふうんと唸る。
「……ケンカでもしたかな?」
シンタローの頬がカッと赤く染まる。マジックは冗談で言ってみただけのことが図星だったと知って、つい口笛さえ吹きそうになってしまった。
「そうかvうん、青春だねぇ。じゃあまた今度にするね」
思いの外簡単にマジックが引いてくれて、シンタローはほっとする。そしてまた、こんなところまで父親がやってきたことがクラスの連中に知れたら大変だと気がついた。
「なんどすて?寮に入る !? 」
準備コースにも慣れた頃、シンタローはアラシヤマを捕まえて、自分も寮生活をすると言ってみた。寮長であるアラシヤマの反応は予想通り良くなかった。
「シンタローはんには『家』があるやおへんか」
「俺だけ特別扱いしていいわけないだろ」
「…そりゃまあ、そうどすけどな。今から入寮となると寮長のわてとしても事務が増えて嬉しくないどす」
「我慢しろよそれくらい。明日引っ越すからな」
アラシヤマの言うことの方がもっともなので、シンタローは不機嫌になる。ネクラで友達もいなくて変な奴であるアラシヤマの方が真っ当なことを言っているのだ。
これではまるで、自分が何か悪いことをしているみたいではないか。正しいのは自分でなければ許せなかった。こっちは総帥のジュニアとなのだ。
「言うときますけど、寮に入るゆわはるなら寮規則は守ってもらいます。それでええんどすな?」
「おう」
それこそ望むところである。
特別な立場にいて成績が特に良いのは当たり前だ。けれどシンタローは本物になりたかった。父のような、本物の男になりたかったのだ。
そのためには、同世代の子供達と同じ生活をするのが一番いい。そこで一番を取れば、誰もシンタローの実力を疑えないだろう。春からずっと、シンタローはそのことを考えていた。特に、アラシヤマとの差を噂されるたびに考えた。
シンタローはマジックの息子だから1番で、アラシヤマは寮生だから2番なのだ、そんなふうに小テストの結果が出る度に言われるのは我慢ならなかった。
シンタローは、特別な勉強をしているわけではないのだ。ただマジックの期待を裏切らないように、そして自分自身、誰よりも優秀であろうとして、地道な努力を重ねていたのだ。
何故ならシンタローは、自分がマジックの持つカリスマを受け継いでいないことを、自覚していたからである。
子供のうちはいい。けれどいつか見下される日がくる。
その日のことを考えるのは恐ろしかった。とても、恐ろしかった。
「ほならシンタローはん」
道が二股にわかれる所で、アラシヤマは一つ注意した。
「総帥にはよぉく納得させはってから、来ておくれやす。寮では良俗違反は厳罰どすさかいな」
「……?」
「親子であってもキスはあきまへん」
真顔でアラシヤマがそう言うのを、シンタローはきょとんとして見ている。
「こないだ揉めごと起こしはった日、わて偶然見てもうたんどす。総帥が校舎まで来はったでっしゃろ。そのとき人目もはばからずあんさんは……」
そこまで言ってから、アラシヤマは口をつぐんだ。
「…とにかく、そういうことは寮では厳禁どす」
「?なんで」
アラシヤマの言う意味が理解できなくて、シンタローの頭の中で『?』マークがラインダンスを踊る。
「あんさんわての言うこと聞いてなかったんどすか」
「聞いてたぜ。どこに理由があるよ」
「だからお二人の関係に口を出すつもりはありまへんが寮長としては良俗に反する…」
「なぁにワケわかんねーこと言ってんだよ」
入寮の心構えの一環として注意事項を上げたつもりのアラシヤマと、言わんとすることが理解できないシンタローの間に、奇妙な沈黙が落ちる。
「…なぁ、シンタローはん。ひとつお聞きしますけど」
アラシヤマは、とある可能性について確認をしてみた。
「まさかと思うんどすけど、あれは、…あーゆーキスは、あんさんらには当たり前なんどすか?」
「あれを当たり前と言わなくて何を言うんだ」
シンタローの返答は、アラシヤマが一番聞きたくなかったものに違いなかった。
「どうしたアラシヤマ、いきなり地面にすがりついて!」
「すがりつきたくもなります !! どーして『口』どうしのキスが当たり前なんどすか !! 」
「お前だって父親とキスするだろ……?」
「いーえ」
涙を流して訴えるアラシヤマと、困惑のシンタローの目線が合う。
「……でも、じゃあ、どうやって愛情を表すんだ?」
「日本人は、以心伝心とゆーて、表さなくとも伝わるんどす。キスはお国によるんどすけど、普通は頬どす」
アラシヤマの声は、悲壮感さえ漂わせていた。
シンタローは目をぱちくりさせて、空を見上げた。
「……もしそれが本当だとすると……親父とキスした俺はなんなんだ」
「ファザコンどす」
きっぱりそう言われて、シンタローはどうして良いかわからない。
「俺、おかしい?」
「異常どす」
クラス一変な奴と思っていたアラシヤマにこっくりとうなずかれて、シンタローは目の前が真っ暗になった気がした。
何ということだ。シンタローは呻いた。自分が特別な立場であることは重々承知していたと思ったが、特別だったのは立場だけではなかったらしい。マジックの教育方針そのものが、どうやら特別だったのではあるまいか。
「……と、とにかく。注意してくれはったらそれでええどす。それじゃわては寮に戻りますよってに」
アラシヤマがふらふらと寮への道を辿った。シンタローはそのまま、マジックの元へダッシュした。
この後、シンタローと同室になったアラシヤマの影の苦労は大したものであった。脱衣場を何の恥じらいもなくすっぱだかで歩き回るシンタローに、隠すということを教えたのもアラシヤマなら、マジックが一緒じゃないとなんだか眠れないというシンタローに酒を飲ませて無理やり寝かせたのもアラシヤマだ。
マジックと寝ていたという話を聞いた日、夜中にふと心配になって、眠ったシンタローのパジャマの前を開けて、不審な跡が残っていないかどうか密かにチェックを入れてしまったのも又、アラシヤマである。
そんなナンバー2の努力を知ってか知らずか、シンタローはのほほんと、我が道を走っていった。
裁かれざる者6
アオザワシンたろー
準備コースを終え、士官学校に上がってしばらく経つころには、もう誰もシンタローの実力を疑う者はいなくなっていた。
同じスケジュールで動いていながら、誰もシンタローを抜くことができなかったのである。
準備コースではアラシヤマとの差はほとんどなかったのだが、今では十人が十人、シンタローの優勢を言うだろう。
そのくらい十七になった頃のシンタローの成長は目覚ましかった。そして又、言葉とは反対に平和主義であったり、融通が聞いたり、面倒見が良かったりしたので、慕う者も増えた。
ただ、良いことばかりではない。
成績によって学期ごとに学生の移籍が行われた。準備コースから今日まで残っているのは半数に満たない。残りは後から、各支部から移籍してきた訓練生たちである。
腕に覚えのある彼らにとって、シンタローはやはり、鼻持ちならない人間だった。
そのシンタローを快く思わない者たちが起こした小さな、けれど誰も忘れることができない事件があった。
彼らの悪意にシンタローが巻き込まれたことを、シンタローが伏せる間もなくマジックが知ってしまったのである…。
「これは、何かな」
マジックが手に取った錠剤を、ぽろぽろと指の間から落とした。
真夜中の科学実験室で、マジックに睨まれた士官訓練生たちは、一歩も動けずに立ち尽くした。
夜中に行われる実験だってあるから、その時間に他の人間がいても不思議はない。それが証拠に、ただならぬ雰囲気を感じ取った他の部屋にいた学生たちが様子を見にきたくらいだ。彼らが見たのは恐ろしい場面だった…。
「耳が聞こえないのかい、君達。これは一体何なのかと聞いているんだ。君達が一生懸命作っていた、コレだよ」
マジックが対峙している学生は4人いた。実験台の上にはビーカーや試験管など、生物実験用の器具が並んでいる。そして今マジックが触れた錠剤の原料らしき物質。
「…と…父さん……」
4人のうちの一人、シンタローが掠れた声を出した。
「もう何度もコレの被害者が出ているね。まぁ、それは貶められた方が愚かだったとしよう。……だが」
マジックの瞳が、蛍光灯の下で異様に光った。
「だが…私のシンタローにまでコレを使おうとしたなんて、ちょっと許せない、ねぇ」
マジックの瞳は、どこまでも深い青だ。
その禍々しい青と口元にうっすらと浮かんだ笑み、そして地獄の底から聞こえてくるような低い声が、3人の学生たちの動きを奪っていた。
「待ってくれ親父!こいつらは俺がなんとかするから…。反省してるんだよ。劇薬なんてさ、もうやらないって、誓わせてたところなんだ。そうだよなっ、おまえら」
シンタローがマジックと学生の間に入って、必死に緊迫した空気を消そうとしている。
だがマジックは、一度も三人の犯人から目を逸らさなかった。
これから起こる事態を予想して、窓から覗いていた学生たちも凍りつく。
「野次馬野郎、行け!お前らには関係ねぇ !! 」
シンタローの一喝で、野次馬は蜘蛛の子を散らすように姿を消した。三人の学生も、逃げたかったに違いない。
しかし体はマジックに見咎められた時に既に凍りつき、呼吸すら満足に出来なかった。
「シンタロー。覚えておきなさい。賢くない者はね、死んだ方がいいんだよ。自分より強い者が分からないような、そんなお馬鹿さんはね」
「親父!ちょっと待ってくれよ、あいつらは…」
自分を毒で犯そうと計画していた学生を、シンタローは何故庇うのか。
その疑問はマジックにとって怒りを止める程のものではなかった。
それほど彼らの罪は重い。
「シンタロー」
「 !? 」
マジックが、息子を引き寄せる。
「父さん?」
そのままシンタローが両腕の中に閉じ込められ振り返ることができないようになると、突然背後の三人がいた辺りで爆発音がした。シンタローがマジックの肩越しに見ていた床に、赤い塊が跳んで来たのは、ほぼ同時だった。
何もないところで、突然爆発が起こった。
何もないところで、突然何かが発火した。
それは余りに一瞬の出来事で、シンタローには直ぐに理解できなかった。
他のテーブルは、ほんのわずかも揺れなかった。まるで何もなかったかのように、ひっそりと佇んでいる。
「……とう…」
シンタローが見た床に落ちている細かな赤い塊。それは背後から放られたように、床に染みを引き摺って止まっていた。
「ごめんね、怖かったかい、坊や」
マジックが息子を抱き締めた。目の前にある額に唇を寄せて、長い黒髪を撫でた。まるで小さい子にするように、頭を撫でた。
「父……さ……?」
とたんに、むっとした生々しい臭いがシンタローを取り巻いた。鉄の味が、口の中に広がるような錯覚さえした。
…血の匂いだった。
「シンタロー」
マジックがシンタローの耳元で囁いた。低い声は暖かな息とともにそこから心臓まで侵入した。シンタローのぴくりと跳ねる体を押さえつけて、マジックが耳朶を口に含んだ。
「シンタロー」
マジックは腕に力を込めて、まるでシンタローの体を自分の中に押し込めるように力を込めて、口づけを繰り返した。
「…親父…?どうしたの。あいつらは?」
振り返ろうとするシンタローの頭を、マジックは後ろから大きな手で固定してしまう。今見てもいいのは、パパだけだというように。
「父さん」
「シンタロー……」
マジックの口づけは、シンタローの顔中に降る。まるでそうすることしかできないように。
「父さん、ねぇ、おかしいよ、放してくれよ。苦しいよ」
血の臭いと、大きな腕。
「…放して…」
小さなシンタローの願いを、マジックは聞いてくれそうもなかった。変わりにシンタローを抱き締めたまま……自分の正面に転がる潰れた人間たちを睨みながら……今日はパパと一緒に寝ようねと言った。
「父さ…あ」
ふいに重ねられる唇。けれどそれは直ぐ離れて、次にシンタローを捕らえたのは呪われた青い瞳だった。
「…ぁ…?」
シンタローが欲しかった海と同じ青い瞳。
総帥室に飾ってある、宝玉と同じ色。
それがシンタローの意識を取り込んだ。
マジックは、意識を失って力なく崩折れるシンタローを抱え直した。両膝の後ろに片腕を当てて運ぶために。
「!そこにいるのは誰だ!」
科学室を出ようとして、ようやくマジックは人の気配に注意を払った。
「最後まで見ていたとは良い度胸だな。だが賢い行動ではなかったぞ」
マジックの瞳が、怪しく光る。
「……わてを殺しはるんどすか」
「アラシヤマか」
姿を現したのは、マジック自ら本部に呼び寄せた学生、アラシヤマだった。誰もがマジックに恐れをなして姿を消したというのに、彼だけが残っていたらしい。
「……お前、シンタローが奴らのターゲットになっていたこと、知っていたな。何故止めなかった」
アラシヤマとて、このとき初めてマジックの眼の恐ろしさを知ったのだ。言葉が滑るように出てきたのは、度胸があったというよりも、恐怖ゆえに感情が死んでしまっていたからだった。
「…わてが総帥から受けた命令は、シンタローを正当な手段で追い詰め、追い抜くことどした。…命令以外のことに関しては、わてはわての判断で動きます」
「……そうか」
マジックの口元が歪む。
「お前という存在のお陰で、シンタローは随分と早く強くなったよ。……シンタローの後をつけてきたことに免じて、今回のことは見なかったことにしよう。命令はまだ有効だ。いいな」
「は…はいっ」
シンタローを抱えて、マジックはその場を後にした。
アラシヤマはマジックが、シンタローをどうするつもりなのか問い詰めたかったが、聞けなかった。
この日マジックに裏切り者が制裁されたという簡単な事実だけが、学生の間に厳かに広まり、噂された。
シンタローに関わったせいで学生が三人、マジックに制裁を受けてから、一年。
もともと人付き合いが得意という方でもなかったシンタローは、滅多なことでは自分から付き合いの輪を広げようとはしなくなっていた。
シンタローはそれまで、自分のことを考えるのでせいいっぱいだった。けれど一年前のあの事件で、マジックのことも考えるようになったからだ。
マジックの中の、シンタローが知らない部分。冷酷で非道な悪意の固まり。
たった今までシンタローと話していた仲間たち。それが一瞬にして死んだ。マジックが、なんらかの力を使って処分したのだ。
あのあとマジックは何度も問いただした。
何故自分を殺そうとした者を許せるんだい?
命を狙った者を見逃せば、また同じことを繰り返すよ。
パパはシンちゃんに悪さする奴らを許さない。
だってパパはシンちゃんを愛しているんだからね。
誰よりも一番に愛しているんだからね。
今、シンタローにとってそれらの言葉は苦しみ以外何も感じさせなかった。マジックの言葉は、どうしてもシンタローを束縛する。ゆっくりと、じんわりと、シンタローの自由と感性を蝕んでいくのだ。
事件以来、マジックのシンタローへの想いは強くなる一方だった。
シンタローの一挙一投足にまで監視の眼を光らせる勢いだ。その強烈な愛情は、シンタローには重すぎた。息がどんどん苦しくなった。
そしてもう一つの不安なことが、シンタローの苦しみに輪をかける。
限界を、感じるのだ。
マジックを越えることが出来ない自分というものを、酷くリアルに想像できる。一族の中で一人だけ異なる容姿も、秘石眼という不思議な光を持つ眼が無いことも、それを助長した。眼魔砲を会得したその後も、それは変わらなかった。
ただなんとなく、ほんの少し楽になったことと言えば、アラシヤマが以前のようにつっかかってこなくなったことだ。
良く言えばおとなしく、悪く言えば根が暗いアラシヤマとは、以前よりも試験や試合が減ったことで、競り合わなければならない回数が格段に減ったからである。
そんなある日、シンタローに弟ができた。
シンタローは初め、ただの冗談だと思った。あのマジックが、自分以外の子供を欲しがるなんて、想像できなかったからだ。
けれどそれは本当だった。
生まれた子供は、確かにシンタロー弟だったのだ。
「ああ……」
初めてその子を見たとき、シンタローは泣きたくなった。
この子は。
この子は金髪をしている。
シンタローはやはり異端なのだ。
一族のなかで、やはりただ一人の異質な存在だったのだ。マジックが綺麗だという黒い髪。太陽のようなきらきらとした金髪よりも、綺麗な筈がないじゃないか。
けれど直ぐにシンタローはその考えを捨てた。
こんなことでいじけるのはもう終りにするのだ。もしかしたらこの子の方がガンマ団を受け継ぐのかもしれない。でも、それもいいかもしれない。
シンタローは思った。
いいじゃないか、誰が後を継いだって。
この子は生まれたばかりなんだから。
俺の弟なんだから。
「……コタロー。お兄ちゃんだよ」
小さなもみじを指でつつくと、コタローは握り返してくる。
「うわぁ…」
かわいい。
凄く可愛い。
シンタローは、かつて弟を欲しがっていた自分を思い出した。
そうだ、うんと可愛がってやろう。一緒に遊ぼう。いろんなことを教えてあげよう。たくさんのものを見せて上げよう。
あれやこれや、あっというまに楽しい夢はふくらんで、シンタローは幸せだった。だからそんなシンタローを、複雑な眼でマジックが見ていたことに気がつかなかった。
「親父ィ!コタローをどこにやったんだよ !! 」
突然。
夢の時間は終りを告げた。
シンタローが愛した弟は、まだ幾つにもならないうちに、マジックがどこかへやってしまったのだ。それも、シンタローからの略奪という形で。
「親父!!」
耳の奥に、兄を呼ぶ弟の声が残る。大人たちに手を引かれて、連れ去られてしまった。シンタローの手の届かないところへだ。
「どうしてだよ、なんでこんなことするんだよ !! 信じられねぇよ。正気かよ!」
シンタローは叫んだ。自分にはこんなに叫ぶことができるんだと、自分で驚いたくらい声が出た。
頭の中がぐちゃぐちゃになった。コタローを奪われたことが悲しくて、マジックが自分に酷いことをしたのが苦しくて、守ってやれなかった弟が可愛そうで、力の足りなかった自分が許せなくて、事態が理解できないことが情なくて、怒りのやり場が見つからなくて、もうぐちゃぐちゃだった。
もう何も出来なかった。
何も見えなかった。
結局はマジックの手の中しか、マジックの望む生き方しか、自分には許されていなかったのだ。
シンタローは、コタローだけは違うと思っていた。コタローとだけは、マジックの元でも暮らしてゆけると思っていた。だってコタローだって血の繋がった息子ではないか。
兄と弟、どこが違うというのだ?
何故マジックは、コタローだけをよそへやった。
シンタローから引き離すことが目的だったとしか思えなかった。
何度聞いても、マジックは答えをくれなかった。むしろますます強くなるのその独占欲に、自分を失いそうだった。
平静を取り戻すまでは、かなりの時間を要した。
だが、冷静になれば今までと違ったものが見えてくる。マジックが、ガンマ団員たちにどう見られているのか、ということが。
生まれながらの覇王。
あのサービスでさえ、マジックに逆らってはいないではないか。
マジックは、シンタローが考えていた以上に絶対者だったのだ。
知らなかったのは、シンタローだけだ。
もっとも、それがわかったところで、悲しみが薄れることはなかった。いっそ憎めたらどれだけ楽になるだろう。
愛しているよ。
マジックはことあるごとにそう言う。シンタローはいつからかそれをマジックに対して言わなくなった。けれど、もう言葉なんかいらないくらい、マジックという存在はシンタローの中に根を下ろしているのだ。だから、いっそ他人だったら。憎めたら。ただの兵士と総帥だったら。
有り得ない夢。
はかない希望。
シンタローの夢は、どうしても、かなわない………。
口数こそ減ったものの、マジックはシンタローが諦めたと思っていた。
シンタローはいつだって最後には言うことを聞いてくれる、可愛い息子だった。
だからかつてシンタローが物心つく前、日本で他人の手に育てられた記憶を洗い流してしまったときのように、今度もまた、シンタローは忘れてくれたと思っていた。
けれどシンタローの心はずっと血を流し続けている。
コタローと、マジックと、平和に暮らすという決して手に入らない夢を見ながら血を流している。
その傷は随分と深くて、誰にも癒せない……。
裁かれざる者7
アオザワシンたろー
「シンタローはん。これはまた、思い切ったことをしはりましたな」
秘石を奪って逃走したシンタローの行く手を塞いだのはアラシヤマだった。ガンマ団の制服に身を包み、ナイフを装備している。
「うるせぇ!そこをどけ。相手が誰であろうと容赦しないぜ !! 」
シンタローは偶然、コタローの居場所を知ることができた。
マジックが敷いたシークレットセキュリティを掻い潜り、コタローが連れ去られた場所を突き止めたのだ。
だから会いに行く。
弟に会いに行く。そして。
大好きなマジックに、わかってもらうのだ。
僕がどんなに悲しかったか。
「港はすべて封鎖されとります。逃げようがあらしまへん」
アラシヤマは、そう言う。
「黙れ!」
「せやけど非常用第二埠頭に、点検用ボートが何台か未収容になっとります。警備人もそこまでは手がまわらんでっしゃろなぁ」
「……何?」
アラシヤマはナイフの刃先の光を確かめるように、裏返したりしている。
攻撃してくる気配はない。
「……何でおめぇが助ける」
警戒を解かずにシンタローが問えば、アラシヤマは眼を細めて得意気に笑った。
「あんさんがいなくなれば、わてがガンマ団ナンバーワンに、なりますからなぁ」
「……言ってろ」
シンタローはアラシヤマの脇を走り抜けた。
肩に、秘石を治めた鞄をかけて。
この逃亡はシンタローにとって生まれて初めての賭けだった。何としてでもマジックの手から逃れなければならなかった。
逃げおおせなければ、きっとわかってもらえない。だからシンタローは必死だった。
いつか。
いつかコタローと、そしてマジックと、三人で暮らす、そんな遠い夢だけを追って、シンタローは海へ向かった。
そして、物語は始まる。
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平成6年発行本でした。手直しは明らかに意味が通じてない部分だけにとどめたので、稚拙な文章なんですが、お許しください。
ガンガンでまだパプワくんが連載中だったため、自己流設定が山ほど!(^^;)
見逃してください~~。
パパとシンちゃんの確執のお話の予定が、アラシヤマ出張る出張る…。
「Dブロックへ行ったぞ!」
「先回りしろ !! 」
ガンマ団塔内に、サイレンが響いた。
シンタローが秘石を奪って逃走したからだった。
マジックはまるで動揺を見せなかった。部下らに平然と、秘石の奪還を命じたのだ。手段を、選ぶなと言い下して。
シンタローは走っていた。 リュックの中には一族の象徴とも言うべき青い石が入っている。シンタローの父であるマジックが部屋に飾っている宝だ。宝石というには大きすぎるが、他ならぬマジックが大切にしているものだから、ある程度の値打ちはあるのだと思う。シンタローは、だからそれを手にした。いずれ自分の物になっただろう石を、今、奪ったのだ。
マジックへの、反抗の為に。
大切な物を奪われる悲しみを、わかってほしかったから。わかってほしくて、そうして、弟を返して欲しくて。
今のシンタローには、もうそれしか方法がなかったのだ。
「シンタロー」
うまく追っ手を巻いたと思っていたシンタローの目の前に、立ちはだかる影があった。
「ちぃッ」
シンタローは腕に忍ばせたナイフを影に向かって投げた。だがそれは甲高い嫌な音を立てて弾かれてしまう。
「何!?」
敵もナイフを持っていた。しかしナイフでもって実力者シンタローの刃を弾くことは並大抵のことではない。
「あ!お前…アラシヤマ !! 」
現れた人影は、既に十年来の付き合いのある男、アラシヤマだった。
士官学校の準備コースからずっと一緒で、嫌なことに、実力面において無視することができない男だった。
「てめェ…」
通路の行く手を遮る形で現れたアラシヤマは、弾いたシンタローのナイフを拾い上げて、世間話でもするかのような軽めの口調で話しかけた。
「シンタローはん。これはまた、思い切ったことをしはりましたな」
「うるせぇ!そこをどけ。相手が誰だろうと容赦しないぜ!!」
この逃亡はシンタローにとって生まれて初めての賭けなのだ。何としてでもマジックの手から逃れなければならないのだ。
シンタローはゆっくり、新しいナイフを構えた。
裁かれざる者2
アオザワシンたろー
シンタローが生まれたのは、日本という東洋に浮かぶ島国だった。ガンマ団総帥マジックの長男として、日本人の母との間に生まれた子である。
嫡子誕生の報告はすぐさま父親であるマジックの元に届けられた。しかし、彼はシンタローの誕生を心から喜べなかった。
何故なら、マジックにとって秘石眼を受け継ぐ--まして実の--子供は『危険分子』だったからだ。
青の一族は、愛すべき者を愛せない一族だった。
そういう呪われた血筋を持っていた。
ところが、シンタローはそこに終止符を打った。驚くべきことに、シンタローは一族固有の印を、何も持っていなかったのである。
マジックの弟のサービスが、兄に呼び出されて彼の元を訪れたのは、シンタローが生まれてから一ヶ月以上もたった頃だった。
「可愛いだろう?」
マジックの側近の腕の中に、眠った小さな赤ん坊がいる。
それがシンタローだ。これでサービスは、まだ二十歳にもならないというのに『おじさん』になってしまったわけだ。
「……髪が、黒いなんて珍しいな…」
側近の腕のなかですやすやと眠っている赤ん坊の薄い髪は、母方の血を色濃く引いたのか、黒い色をしていた。今まで一族の遺伝子は他のどの遺伝子に対しても優性だったのだから、これは相当珍しいことだった。
だからサービスは初め、マジックが生まれた息子をなかなか見せてくれなかったのは、その髪のせいだと思った。
しかし、理由は他にあった。
「シンタローというのだ。驚いたか?髪だけではない。この子は…両目とも普通の目なんだよ…」
「両目とも!?」
サービスが驚くのも無理はない。それを知った時、マジックでさえ我が眼を疑ったほどなのだから。
「秘石眼を持たないなんて…そんなことがあるのか…」
驚愕の内側から、小さな感動さえ生まれる。
数々の悲劇を生み出す秘石眼を、幸運にも持たなかったという。
そう、幸運には違いない。
たとえ一族から異端な容姿でも、秘石眼など無いほうがよい。
サービスは自分の右眼があった所を思いやった。自分で抉ったその傷は、季節の変わり目ごとに痛む。
「……シンタローか、可愛いですね」
「ああ、本当にこの子は可愛いだろう。本当に…可愛いんだ」
マジックは、弟に背を向けて…はっきりとそう言った。
まるで下らない話題のように、抑揚のない口調で、我が子を、可愛いと。
「兄さん……!?」
可愛いと。……それが、父親としての言葉ではないのだということに、サービスは気がついた。
マジックの声は、シンタローを蔑んでさえいるではないか?
「兄さん…」
背を向けてしまった総帥、マジックとの間に重苦しい沈黙が訪れた。
サービスの頭に混乱が生じる。
もしシンタローが他の一族の子らと同じように秘石眼を持って生まれてきたのなら、マジックは総帥だったから、総帥なのだから、シンタローを愛せないのもわかる。
二つの秘石眼を持ち、それを制御できる最強の男なのだから…もしその座を危うくする者がいるとすれば、同族の者に他ならない。
それも、最強の血を引いた子供なら、危険性も高い。
……だからシンタローが普通の眼をして生まれてきたのは、確かに幸運だったのだ。父親から敵対視されることは絶対に無い。
この子は一族の中で初めて、本当に父親に愛される子供になれるかもしれない。サービスはそう思ったのに、マジックの声には、シンタローに対する愛情は微塵も感じられなかった。
「兄さん……」
「サービス。お前が監督してこの子を日本支部へ連れて行け。教育施設はあっちの方が整っているからな」
「…えっ?」
「本部には子供のいる場所などないよ」
マジックの言葉を合図として、側近がシンタローをサービスに渡した。あどけない寝顔を見て、サービスは問い詰めずにはいられない。
「どうして…」
マジックは笑った。
要するに、いらないのだ。
可愛い子など、いらないのだ。
それは矛盾した感情だった。
一族の男として、子供を成し、けれどその子を最も恐れる。
青の一族は愛せない子供しかつくれなかった。子供を愛することができない一族だった。
けれど。
「何故だ!」
サービスは叫んだ。
今ようやく、ただ一人の例外が生まれたというのに、マジックは、その子を愛さないというのだ。
「何も危険はないのに」
「早く連れて行け」
マジックの眼は、既に仕事の書類に移っていた。サービスはやりきれなさをどうすることもできないまま、その場を後にした。
マジックの決定は、絶対だった。たとえどれ程にサービスが訴えようと、意思は翻されまい。常なら、迷いなく断を下し一族と団を率いるマジックに尊敬の念さえ持っていたが、今はその力関係が恨めしくさえあった。
自分の運命を何も知らないシンタローは、まだ眠っている……。
マジックが日本支部を訪れたとき、その養育係りはしつこく食い下がった。
二年前、サービスからシンタローを育てるように命令された係りたちの中の一人だった。
滅多に日本を訪れないマジックに向かって、彼だけが果敢にも、シンタローに会って欲しいと直訴したのである。
身のほどをわきまえずに意見する、その養育係りを処分するのは簡単なことだったが、珍しくマジックは気まぐれを起こした。
命を失うかもしれない行動を取らせる原因となっているのは、まだ幼い彼の息子だからだ。意図的に人を動かせる年齢ではない。
では何が、この男に命懸けの行動を取らせたのか。
そこにほんの少し、興味を覚えたからである。
ガンマ団の中枢である本部と違って、日本とイギリス支部は、ジュニア研修期間を持っていた。年齢の低いうちにガンマ団に入ったものは、ここで訓練を受け、本部や戦場へ散って行く。比較的平均年齢の低い日本支部ではあったが、それでもシンタローが最年少だろう。
「あそこです、総帥」
イギリス支部の方ならば、シンタロー以外にも総帥一族の子弟がいる。けれど容姿ゆえ、シンタローは一人日本支部へやられたのだ。
養育係りにしてみれば、不本意な任務であっても時が経てば愛着もわく。それは同時に、幼いシンタローを突き放したマジックへの不審に繋がっていった。
年月が一兵士に、シンタローに父親の愛情を与えてやりたい、と思わせたのである。
マジックが案内されたのは基地内にある公園だ。
シンタローは養育係りたちと毎日公園を散歩することになっていた。
今日もそれは変わらない。
芝生の上に、まるでピクニックでもしているような呑気な一団がいる。彼らがシンタローのためのグループだ。
マジックを案内した男が仲間の元に走りより、中央にいた小さな子供を抱き抱えた。そしてその子をマジックの所に連れてきて、抱えた子のあどけない瞳を見つめ
「ジュニア、ほら、お父様ですよ」
とマジックの方を向かせたのである。
子供の存在など忘れかけていたマジックにとって、それは衝撃的な言葉だった。
係の腕の中にいる子供の髪と眼は黒い。
どこも自分と似てはいなかったが、それは確かに彼の子供だった。
マジックの血を引く、マジックに危険をもたらすかもしれなかった子供。けれど何の力も持たずに生まれてきてしまった子供。
シンタローとマジックの眼が、合った。
シンタローが誕生してから、初めてのことだった。
「ほう…。大きくなったものだ」
なまじっか、時間が経っていたからこそ冷静に子供を見つめられたのかもしれない。マジックにとって、子供はそんなに嫌な印象はなかった。それどころか、素直で綺麗な眼が愛らしい。
危険なものなど微塵も感じなかった。
むしろ、これほどに無力であるのに、苛立たしさも感じないなんて、ほとんど初めてのことである。 無力であることが、愛しくなるなんて。
マジックは己の心に沸いた感情にわずかばかり戸惑った。
「ぱ……ぱ…?」
シンタローが、マジックを見つめて尋ねた。
声は、高くて、おとなしかった。子供特有の耳障りな感じはしない。それもマジックは気にいった。
「そうだよ」
答えてやると、シンタローはぱっと笑顔になった。急に世界が明るくなった。
明るくなった……そう感じて、マジックの戸惑いは大きくなった。
何なのだ、この感じは。緊迫した事態でもないのに、心臓が脈打つ。
あどけない子供は、父親を初めて見ることが出来て嬉しいのか、手を伸ばした。
マジックの顔に、笑みが灯った。
マジックとシンタローの反応を予測していた係の男が、彼に子供を明け渡す。
マジックは、初めて自分の子を抱いた。
柔らかくて、手足なんかは小さくて、マジックの腕の中にすとんと治まってしまう子供だった。
「シンタロー……か」
「ぱぁぱ」
「そう…お前の父親だ」
マジックにとって子供が最も危険な存在であったように、シンタローにとっても最も危険な存在でしかなかったはずの『父親』マジック。
けれど。
ただ一組、一族の運命から逃れた親子。
「お前の…パパだよ……」
それは、マジックから息子への、そして自分自身への言い聞かせの言葉だった。
長い溝を埋めるための儀式だった。
「そうだ…私は、お前の父親なのだ…」
シンタローが嬉しそうにマジックの顔に手を寄せる。小さなてのひらで、確かめるように頬をなぞる。そして安心したような笑みを浮かべた。
「総帥、これからジュニアのお食事の時間ですが、御一緒にいかがでしょう」
頃合を見計らって声を掛けた係りの男に罪はない。
「ごー…はん。たべる。たつや、ごはん」
タツヤ、というのが係官の名前だ。シンタローが養育係りの名前を覚えているのは当然のことだし、空腹になれば、食事をねだることも当然のことだった。
けれども、それは今のマジックには許しがたいことでしかなかった。
私の息子が、何故他人の手から食べ物を得るのだ、と。 そしてまた、このマジックが抱いてやっているというのに、と。
その腕の中にありながら他の者に意識をやることは、たった今から罪になったのだ。
「シンタロー」
もともと、係官同様、幼いシンタローにも罪はなかったけれど、そんなことは総帥マジックの前では通用しなかった。
「ぱぱ?」
マジックは己の中に生まれたシンタローに対する所有欲に対して、素直に行動することが許される人間だった。
「そう。パパだけを見ていなさい。お前へのお仕置はまた後だ」
「?」
マジックはことさらきつくシンタローを抱くと、タツヤという若い兵士を見やった。彼は今や、マジックの知らないシンタローを知っている人間だ。それも、てなずけている人間だった。
「……食事は私のところへ運ばせろ。それから、シンタローの部屋は処分しておけ。この子は連れて行く」
「総…!」
若い兵士の驚愕を、側にいた兵士が無理やり押さえた。
総帥が望むことなら、すべて適えられなければならないのだ。もしこのとき、タツヤという若者が一言でも異を唱えようものなら、その命は既に失われていただろう。
もっともこの後、シンタローに関することは全て口外を禁じられ、前線に送られたことを思えば、どちらが彼に取って幸福だったのか。
「シンタローは、パパと行くよね?」
問いの意味などわかるはずもなかったが、マジックの笑顔を返すように、シンタローは喜んでみせた。
「いい子だ」
笑顔も声も、全部マジックのものだった。否、そうでなければならないのだと、マジックは思った。
通り過ぎた過去さえも、手に入れる権利が、自分にはあるのだ。
子供は、夜と言わず泣いた。
いつも物語を聞かせてくれていた若者の名を呼んだ。 知らない部屋を彷徨った。
擦れ違う誰も、優しく声を掛けてくれなかった。
シンタローは本部へ移されてから、二日も放って置かれた。
子供には残酷過ぎる時間だった。
恐慌状態に陥るのも、愛情に飢えるのも早かった。
小さな頭を必死に働かせて、シンタローは考えた。震えながら考えた。
誰が、助けてくれるのかを。
それはマジックが張った小さな策略。シンタローに見抜ける筈もなかった。
「覚えておくんだよシンタロー。お前はパパがいなくちゃ生きていけないんだからね」
空っぽになったシンタローの心に、暖かい掌と安心を与えて、マジックはそう囁いた。ようやく手に入れた安堵の中で、シンタローは本当にそうだと思った。
マジックが、『すべて』----なのだと。
そう、信じこまされた……。
裁かれざる者3
アオザワシンたろー
兵士らの間に、マジックのシンタローへの愛情が噂となって流れるのにそう時間はかからなかった。
兵士らにはシンタローの変化などわかるはずもない。むしろマジックの行動の方が、驚嘆をもって語られたのだ。
また、決して不用意にシンタローに触れてはならぬという暗黙の了解が出来るまでにも、時間は掛からなかった。
シンタローは『マジックが愛する者』。
それ以外の、何者でもあってはならない者。
マジックはシンタローを人目に晒すことを極端に嫌い、また、シンタローに必要と判断された極少数の者にさえ会話を禁じていたのから、そのルールの厳しさも計れようというものだ。
誰もが、シンタローに触れないようにした。
誰もが、シンタローと眼を合わせないようにしてきた。 そうして、何年も過ぎた。
「なんだ、このガキは」
ガンマ団本部、廊下の出会い頭に思わず蹴飛ばしてしまった子供に、不審の声を上げた男がいた。男の案内を言い遣っていた士官が真っ青になって、子供を抱き起こした。
「だ…大丈夫でございますか」
「…うん」
士官が、自分より子供の様子見を優先させたことに腹を立て、男がねめつける。
「コレはなんだ。ここには幼少教育機関はなかったはずだぞ」
「こ…こちらは、シンタロー様です…」
男--ハーレムに圧倒されて、士官の声はかぼそかった。
「シンタロー?なんだ、ソレは。ええ?シンタロー?待てよ、その名前は確か…」
肩まで伸びた黄金の髪の端を引っ張り、ハーレムが記憶を探った。
「思い出した、兄貴の子供だ!…ええ、コイツが !? 」
自分で言った台詞に驚いて、ハーレムは甥に当たる子供を見た。
背丈なんかハーレムの半分しかなくて、おまけに黒髪で、黒い眼で、どこかの民家の子供のようなあどけない顔をしていた。
「お前、マジックの息子か?」
シンタローは、初めて見るマジックと同じ髪の背の高い男を見上げて、呆然としていた。シンタローの記憶の中に、こんなふうにシンタローにぶつかっても堂々としている人間はいない。こんなにエラソーなのは他にいない。
「耳がないのか、お前には」
いらついて、ハーレムが叱責する。そこへ
「私のシンタローにそんな口を聞くな」
現れたのは当然、マジックだった。
「兄貴。へぇ、子煩悩だっていう兵士どものウワサは本当だっていうのかな」
「パパ!」
マジックが、手を差し延べている。だからシンタローは大好きなマジックの所へ走っていって飛びついた。
マジックの腕はいつも暖かくて力強い。他の誰も優しくしてくれないけど、マジックは特別なのだ。
このとき既に、シンタローに日本支部にいた頃の記憶は無かった。
あるのはマジックに対する絶対的な愛情。
シンタローにとって、マジックは絶対で、特別だった。唯一で、全てだった。それ以外のことは、考えられなかった。
「何か報告があったのだろう?」
シンタローを腕に抱いたまま、マジックが問う。
「ああ。今部屋にいく所だったんだ。ここでちょっとそいつを蹴っちまってな。なにしろあまりにチビで」
ハーレムがそいつ、と言ったのはもちろんシンタローだ。
だがマジックは気を悪くした様子もなく、シンタローに具合を尋ねた。
「どこか痛くしたかい?」
「ううん。大丈夫」
「そうか、じゃあ、今悪い奴をこらしめるから、ちょっと眼をつぶっておいで」
「?うん」
シンタローが眼を閉じたことを確認して、マジックが振り返ったのは、ハーレムをマジックの所へ案内していた士官だった。
「わ…わたくしは何も… !! 」
「うるさい。貴様が無能だからこうなったのだ」
士官には反論の時間は与えられなかった。
一瞬のうちに終わった制裁を当然のことのように受け止めたハーレムは、子煩悩でもやることは変わらねぇなと呟いた。
ハーレムは、シンタローが見た父親以外の初めての 「一族」だった。
マジックという名の父親は、誰よりも偉くて、たくさんの部下を持っている。ちょっと命令しただけで、皆が言う事を聞く。
そんな立派な父親は、シンタローの誇りだった。そんな立派なマジックが、誰よりも眼をかけているのは自分なのだ、そう実感する度に、シンタローは幸せな気持ちになった。マジックに愛されているということは、何よりも素敵なことだったのだ。
「サービスの奴が軍籍を抜けるって聞いたぜ?それを許したのか」
ハーレムは、シンタローが大好きなパパに対して、他の兵士のような話し方はしなかった。不思議なことだったけれど、それでもマジックの方が偉く見えたので許すことにした。パパより偉い人間なんて認めたくなかったからだ。
「何故俺の所に寄越してくれなかったんだよ。サービスのポストぐらいいくつだって作るのに」
見事な金の髪をかきあげて、ハーレムが言うのは文句だった。
「奴には奴の考えもある。放っておけ」
「しかし…」
食い下がろうとして、彼はふと視界のすみにちょこんと座っているシンタローを見つけた。マジックが下がらせようとしなかったのだ。
「なぁ坊主。お前からもお願いしろよ。サービスが遠くにいったらヤだろう?」
いきなり話題を振られたが、生憎この時まだシンタローはサービスを知らなかった。
「サービスを知らない?俺の弟で、お前の叔父にあたる。物凄いベッピンだぞ。しかも独身」
「…べっぴん?」
「そう!一番綺麗で可愛いってコトだ」
ハーレムは、自分の双子の弟をそんなふうに表現した。 その言葉にシンタローが疑問をもった。変だなあと、思った。
だって、一番綺麗で可愛いのは『シンタロー』なのだから。
シンタローの疑問を察して、マジックはハーレムを遮り、シンタローを抱き上げた。
そして
「シンちゃんの方が可愛いよv」
キスをひとつ。
機嫌を良くしたのはシンタロー。
呆然としたのはそれを見たハーレム。
キス。
キスだって?
一族最強の権力信奉者が、こんな子供に愛情を示す行動を取った。
「……子煩悩っていうのは…本当に、本当なのか…」
今の今まで、信じていなかったハーレムである。
「でもサービスおじさんも綺麗なんでしょ?」
シンタローの問い掛けに、マジックはゆっくりと首を振った。
「お前の方が、何百倍の可愛くて綺麗だよ。パパの言うことが信じられない?」
「ううん。パパの言う事はいつでも正しいんだよね」
「そうだヨ。シンタローはいい子だね」
やりとりに、まったく口を挟めないハーレムである。
さっきまで確かにマジックは彼の知る総帥だったのだが、突然別人になってしまったかのようだ。
これでは、まるきり『普通』ではないか。
「……お…驚いたな。兄貴にそういうところがあったとは…」
誰にも---自分の弟たちにさえキスひとつくれなかった兄が、何のためらいもなく唇を寄せた。
たかが二、三年会わなかった間に、一体マジックに何があったのだろうと考えても無理はない。ハーレムの知っていたマジックは、愛情など誰にも注がないような、そんな男だったのだから。
原因は--たぶん、シンタロー。
「ふーん。そいつ普通だもんな。もしそいつが一族の印を持ってたら、こうはいかなかったんじゃないか?いかな俺でも、兄貴そっくりのガキと兄貴がにこやかに並んでるトコなんて正視できないぞ…」
ハーレムの呟きに、たいした意味は無い。
けれど、シンタローにとっては重くのしかかってくる言葉だった。
「ハーレム。用が済んだなら行け。私たちはこれから昼食なのだ」
「ハイハイ。すっかり所帯じみちまって…。好きにするさ」
ハーレムが去ったあとも、シンタローの心に言葉は残った。
「シンちゃん?」
「パパ。僕、パパに似てないの?」
それは素朴な疑問だ。
けれど、シンタローの一生に関わる問題だった。
ハーレムは言ったのだ。シンタローのことを『普通』だと。似ていないのだと。
「そんなことないよ!シンちゃんはパパに似てとってもハンサムで、とっても可愛くって、とっても素敵だよ」
マジックは力強くそう答えてやる。マジックにそう言われると、シンタローもそうなんだと思える。 今までは、そうだった。
けれど。
シンタローはやがて、従兄弟のグンマと、グンマを連れてきたサービスと出会う。
そのとき、シンタローは知るのだった。
『似ていない』のではない。
自分だけが、----『違う』のだと。
次はシンちゃん苦悩の目覚め。
総合TOPへ パプワTOPへ戻る 掲示板へ
「先回りしろ !! 」
ガンマ団塔内に、サイレンが響いた。
シンタローが秘石を奪って逃走したからだった。
マジックはまるで動揺を見せなかった。部下らに平然と、秘石の奪還を命じたのだ。手段を、選ぶなと言い下して。
シンタローは走っていた。 リュックの中には一族の象徴とも言うべき青い石が入っている。シンタローの父であるマジックが部屋に飾っている宝だ。宝石というには大きすぎるが、他ならぬマジックが大切にしているものだから、ある程度の値打ちはあるのだと思う。シンタローは、だからそれを手にした。いずれ自分の物になっただろう石を、今、奪ったのだ。
マジックへの、反抗の為に。
大切な物を奪われる悲しみを、わかってほしかったから。わかってほしくて、そうして、弟を返して欲しくて。
今のシンタローには、もうそれしか方法がなかったのだ。
「シンタロー」
うまく追っ手を巻いたと思っていたシンタローの目の前に、立ちはだかる影があった。
「ちぃッ」
シンタローは腕に忍ばせたナイフを影に向かって投げた。だがそれは甲高い嫌な音を立てて弾かれてしまう。
「何!?」
敵もナイフを持っていた。しかしナイフでもって実力者シンタローの刃を弾くことは並大抵のことではない。
「あ!お前…アラシヤマ !! 」
現れた人影は、既に十年来の付き合いのある男、アラシヤマだった。
士官学校の準備コースからずっと一緒で、嫌なことに、実力面において無視することができない男だった。
「てめェ…」
通路の行く手を遮る形で現れたアラシヤマは、弾いたシンタローのナイフを拾い上げて、世間話でもするかのような軽めの口調で話しかけた。
「シンタローはん。これはまた、思い切ったことをしはりましたな」
「うるせぇ!そこをどけ。相手が誰だろうと容赦しないぜ!!」
この逃亡はシンタローにとって生まれて初めての賭けなのだ。何としてでもマジックの手から逃れなければならないのだ。
シンタローはゆっくり、新しいナイフを構えた。
裁かれざる者2
アオザワシンたろー
シンタローが生まれたのは、日本という東洋に浮かぶ島国だった。ガンマ団総帥マジックの長男として、日本人の母との間に生まれた子である。
嫡子誕生の報告はすぐさま父親であるマジックの元に届けられた。しかし、彼はシンタローの誕生を心から喜べなかった。
何故なら、マジックにとって秘石眼を受け継ぐ--まして実の--子供は『危険分子』だったからだ。
青の一族は、愛すべき者を愛せない一族だった。
そういう呪われた血筋を持っていた。
ところが、シンタローはそこに終止符を打った。驚くべきことに、シンタローは一族固有の印を、何も持っていなかったのである。
マジックの弟のサービスが、兄に呼び出されて彼の元を訪れたのは、シンタローが生まれてから一ヶ月以上もたった頃だった。
「可愛いだろう?」
マジックの側近の腕の中に、眠った小さな赤ん坊がいる。
それがシンタローだ。これでサービスは、まだ二十歳にもならないというのに『おじさん』になってしまったわけだ。
「……髪が、黒いなんて珍しいな…」
側近の腕のなかですやすやと眠っている赤ん坊の薄い髪は、母方の血を色濃く引いたのか、黒い色をしていた。今まで一族の遺伝子は他のどの遺伝子に対しても優性だったのだから、これは相当珍しいことだった。
だからサービスは初め、マジックが生まれた息子をなかなか見せてくれなかったのは、その髪のせいだと思った。
しかし、理由は他にあった。
「シンタローというのだ。驚いたか?髪だけではない。この子は…両目とも普通の目なんだよ…」
「両目とも!?」
サービスが驚くのも無理はない。それを知った時、マジックでさえ我が眼を疑ったほどなのだから。
「秘石眼を持たないなんて…そんなことがあるのか…」
驚愕の内側から、小さな感動さえ生まれる。
数々の悲劇を生み出す秘石眼を、幸運にも持たなかったという。
そう、幸運には違いない。
たとえ一族から異端な容姿でも、秘石眼など無いほうがよい。
サービスは自分の右眼があった所を思いやった。自分で抉ったその傷は、季節の変わり目ごとに痛む。
「……シンタローか、可愛いですね」
「ああ、本当にこの子は可愛いだろう。本当に…可愛いんだ」
マジックは、弟に背を向けて…はっきりとそう言った。
まるで下らない話題のように、抑揚のない口調で、我が子を、可愛いと。
「兄さん……!?」
可愛いと。……それが、父親としての言葉ではないのだということに、サービスは気がついた。
マジックの声は、シンタローを蔑んでさえいるではないか?
「兄さん…」
背を向けてしまった総帥、マジックとの間に重苦しい沈黙が訪れた。
サービスの頭に混乱が生じる。
もしシンタローが他の一族の子らと同じように秘石眼を持って生まれてきたのなら、マジックは総帥だったから、総帥なのだから、シンタローを愛せないのもわかる。
二つの秘石眼を持ち、それを制御できる最強の男なのだから…もしその座を危うくする者がいるとすれば、同族の者に他ならない。
それも、最強の血を引いた子供なら、危険性も高い。
……だからシンタローが普通の眼をして生まれてきたのは、確かに幸運だったのだ。父親から敵対視されることは絶対に無い。
この子は一族の中で初めて、本当に父親に愛される子供になれるかもしれない。サービスはそう思ったのに、マジックの声には、シンタローに対する愛情は微塵も感じられなかった。
「兄さん……」
「サービス。お前が監督してこの子を日本支部へ連れて行け。教育施設はあっちの方が整っているからな」
「…えっ?」
「本部には子供のいる場所などないよ」
マジックの言葉を合図として、側近がシンタローをサービスに渡した。あどけない寝顔を見て、サービスは問い詰めずにはいられない。
「どうして…」
マジックは笑った。
要するに、いらないのだ。
可愛い子など、いらないのだ。
それは矛盾した感情だった。
一族の男として、子供を成し、けれどその子を最も恐れる。
青の一族は愛せない子供しかつくれなかった。子供を愛することができない一族だった。
けれど。
「何故だ!」
サービスは叫んだ。
今ようやく、ただ一人の例外が生まれたというのに、マジックは、その子を愛さないというのだ。
「何も危険はないのに」
「早く連れて行け」
マジックの眼は、既に仕事の書類に移っていた。サービスはやりきれなさをどうすることもできないまま、その場を後にした。
マジックの決定は、絶対だった。たとえどれ程にサービスが訴えようと、意思は翻されまい。常なら、迷いなく断を下し一族と団を率いるマジックに尊敬の念さえ持っていたが、今はその力関係が恨めしくさえあった。
自分の運命を何も知らないシンタローは、まだ眠っている……。
マジックが日本支部を訪れたとき、その養育係りはしつこく食い下がった。
二年前、サービスからシンタローを育てるように命令された係りたちの中の一人だった。
滅多に日本を訪れないマジックに向かって、彼だけが果敢にも、シンタローに会って欲しいと直訴したのである。
身のほどをわきまえずに意見する、その養育係りを処分するのは簡単なことだったが、珍しくマジックは気まぐれを起こした。
命を失うかもしれない行動を取らせる原因となっているのは、まだ幼い彼の息子だからだ。意図的に人を動かせる年齢ではない。
では何が、この男に命懸けの行動を取らせたのか。
そこにほんの少し、興味を覚えたからである。
ガンマ団の中枢である本部と違って、日本とイギリス支部は、ジュニア研修期間を持っていた。年齢の低いうちにガンマ団に入ったものは、ここで訓練を受け、本部や戦場へ散って行く。比較的平均年齢の低い日本支部ではあったが、それでもシンタローが最年少だろう。
「あそこです、総帥」
イギリス支部の方ならば、シンタロー以外にも総帥一族の子弟がいる。けれど容姿ゆえ、シンタローは一人日本支部へやられたのだ。
養育係りにしてみれば、不本意な任務であっても時が経てば愛着もわく。それは同時に、幼いシンタローを突き放したマジックへの不審に繋がっていった。
年月が一兵士に、シンタローに父親の愛情を与えてやりたい、と思わせたのである。
マジックが案内されたのは基地内にある公園だ。
シンタローは養育係りたちと毎日公園を散歩することになっていた。
今日もそれは変わらない。
芝生の上に、まるでピクニックでもしているような呑気な一団がいる。彼らがシンタローのためのグループだ。
マジックを案内した男が仲間の元に走りより、中央にいた小さな子供を抱き抱えた。そしてその子をマジックの所に連れてきて、抱えた子のあどけない瞳を見つめ
「ジュニア、ほら、お父様ですよ」
とマジックの方を向かせたのである。
子供の存在など忘れかけていたマジックにとって、それは衝撃的な言葉だった。
係の腕の中にいる子供の髪と眼は黒い。
どこも自分と似てはいなかったが、それは確かに彼の子供だった。
マジックの血を引く、マジックに危険をもたらすかもしれなかった子供。けれど何の力も持たずに生まれてきてしまった子供。
シンタローとマジックの眼が、合った。
シンタローが誕生してから、初めてのことだった。
「ほう…。大きくなったものだ」
なまじっか、時間が経っていたからこそ冷静に子供を見つめられたのかもしれない。マジックにとって、子供はそんなに嫌な印象はなかった。それどころか、素直で綺麗な眼が愛らしい。
危険なものなど微塵も感じなかった。
むしろ、これほどに無力であるのに、苛立たしさも感じないなんて、ほとんど初めてのことである。 無力であることが、愛しくなるなんて。
マジックは己の心に沸いた感情にわずかばかり戸惑った。
「ぱ……ぱ…?」
シンタローが、マジックを見つめて尋ねた。
声は、高くて、おとなしかった。子供特有の耳障りな感じはしない。それもマジックは気にいった。
「そうだよ」
答えてやると、シンタローはぱっと笑顔になった。急に世界が明るくなった。
明るくなった……そう感じて、マジックの戸惑いは大きくなった。
何なのだ、この感じは。緊迫した事態でもないのに、心臓が脈打つ。
あどけない子供は、父親を初めて見ることが出来て嬉しいのか、手を伸ばした。
マジックの顔に、笑みが灯った。
マジックとシンタローの反応を予測していた係の男が、彼に子供を明け渡す。
マジックは、初めて自分の子を抱いた。
柔らかくて、手足なんかは小さくて、マジックの腕の中にすとんと治まってしまう子供だった。
「シンタロー……か」
「ぱぁぱ」
「そう…お前の父親だ」
マジックにとって子供が最も危険な存在であったように、シンタローにとっても最も危険な存在でしかなかったはずの『父親』マジック。
けれど。
ただ一組、一族の運命から逃れた親子。
「お前の…パパだよ……」
それは、マジックから息子への、そして自分自身への言い聞かせの言葉だった。
長い溝を埋めるための儀式だった。
「そうだ…私は、お前の父親なのだ…」
シンタローが嬉しそうにマジックの顔に手を寄せる。小さなてのひらで、確かめるように頬をなぞる。そして安心したような笑みを浮かべた。
「総帥、これからジュニアのお食事の時間ですが、御一緒にいかがでしょう」
頃合を見計らって声を掛けた係りの男に罪はない。
「ごー…はん。たべる。たつや、ごはん」
タツヤ、というのが係官の名前だ。シンタローが養育係りの名前を覚えているのは当然のことだし、空腹になれば、食事をねだることも当然のことだった。
けれども、それは今のマジックには許しがたいことでしかなかった。
私の息子が、何故他人の手から食べ物を得るのだ、と。 そしてまた、このマジックが抱いてやっているというのに、と。
その腕の中にありながら他の者に意識をやることは、たった今から罪になったのだ。
「シンタロー」
もともと、係官同様、幼いシンタローにも罪はなかったけれど、そんなことは総帥マジックの前では通用しなかった。
「ぱぱ?」
マジックは己の中に生まれたシンタローに対する所有欲に対して、素直に行動することが許される人間だった。
「そう。パパだけを見ていなさい。お前へのお仕置はまた後だ」
「?」
マジックはことさらきつくシンタローを抱くと、タツヤという若い兵士を見やった。彼は今や、マジックの知らないシンタローを知っている人間だ。それも、てなずけている人間だった。
「……食事は私のところへ運ばせろ。それから、シンタローの部屋は処分しておけ。この子は連れて行く」
「総…!」
若い兵士の驚愕を、側にいた兵士が無理やり押さえた。
総帥が望むことなら、すべて適えられなければならないのだ。もしこのとき、タツヤという若者が一言でも異を唱えようものなら、その命は既に失われていただろう。
もっともこの後、シンタローに関することは全て口外を禁じられ、前線に送られたことを思えば、どちらが彼に取って幸福だったのか。
「シンタローは、パパと行くよね?」
問いの意味などわかるはずもなかったが、マジックの笑顔を返すように、シンタローは喜んでみせた。
「いい子だ」
笑顔も声も、全部マジックのものだった。否、そうでなければならないのだと、マジックは思った。
通り過ぎた過去さえも、手に入れる権利が、自分にはあるのだ。
子供は、夜と言わず泣いた。
いつも物語を聞かせてくれていた若者の名を呼んだ。 知らない部屋を彷徨った。
擦れ違う誰も、優しく声を掛けてくれなかった。
シンタローは本部へ移されてから、二日も放って置かれた。
子供には残酷過ぎる時間だった。
恐慌状態に陥るのも、愛情に飢えるのも早かった。
小さな頭を必死に働かせて、シンタローは考えた。震えながら考えた。
誰が、助けてくれるのかを。
それはマジックが張った小さな策略。シンタローに見抜ける筈もなかった。
「覚えておくんだよシンタロー。お前はパパがいなくちゃ生きていけないんだからね」
空っぽになったシンタローの心に、暖かい掌と安心を与えて、マジックはそう囁いた。ようやく手に入れた安堵の中で、シンタローは本当にそうだと思った。
マジックが、『すべて』----なのだと。
そう、信じこまされた……。
裁かれざる者3
アオザワシンたろー
兵士らの間に、マジックのシンタローへの愛情が噂となって流れるのにそう時間はかからなかった。
兵士らにはシンタローの変化などわかるはずもない。むしろマジックの行動の方が、驚嘆をもって語られたのだ。
また、決して不用意にシンタローに触れてはならぬという暗黙の了解が出来るまでにも、時間は掛からなかった。
シンタローは『マジックが愛する者』。
それ以外の、何者でもあってはならない者。
マジックはシンタローを人目に晒すことを極端に嫌い、また、シンタローに必要と判断された極少数の者にさえ会話を禁じていたのから、そのルールの厳しさも計れようというものだ。
誰もが、シンタローに触れないようにした。
誰もが、シンタローと眼を合わせないようにしてきた。 そうして、何年も過ぎた。
「なんだ、このガキは」
ガンマ団本部、廊下の出会い頭に思わず蹴飛ばしてしまった子供に、不審の声を上げた男がいた。男の案内を言い遣っていた士官が真っ青になって、子供を抱き起こした。
「だ…大丈夫でございますか」
「…うん」
士官が、自分より子供の様子見を優先させたことに腹を立て、男がねめつける。
「コレはなんだ。ここには幼少教育機関はなかったはずだぞ」
「こ…こちらは、シンタロー様です…」
男--ハーレムに圧倒されて、士官の声はかぼそかった。
「シンタロー?なんだ、ソレは。ええ?シンタロー?待てよ、その名前は確か…」
肩まで伸びた黄金の髪の端を引っ張り、ハーレムが記憶を探った。
「思い出した、兄貴の子供だ!…ええ、コイツが !? 」
自分で言った台詞に驚いて、ハーレムは甥に当たる子供を見た。
背丈なんかハーレムの半分しかなくて、おまけに黒髪で、黒い眼で、どこかの民家の子供のようなあどけない顔をしていた。
「お前、マジックの息子か?」
シンタローは、初めて見るマジックと同じ髪の背の高い男を見上げて、呆然としていた。シンタローの記憶の中に、こんなふうにシンタローにぶつかっても堂々としている人間はいない。こんなにエラソーなのは他にいない。
「耳がないのか、お前には」
いらついて、ハーレムが叱責する。そこへ
「私のシンタローにそんな口を聞くな」
現れたのは当然、マジックだった。
「兄貴。へぇ、子煩悩だっていう兵士どものウワサは本当だっていうのかな」
「パパ!」
マジックが、手を差し延べている。だからシンタローは大好きなマジックの所へ走っていって飛びついた。
マジックの腕はいつも暖かくて力強い。他の誰も優しくしてくれないけど、マジックは特別なのだ。
このとき既に、シンタローに日本支部にいた頃の記憶は無かった。
あるのはマジックに対する絶対的な愛情。
シンタローにとって、マジックは絶対で、特別だった。唯一で、全てだった。それ以外のことは、考えられなかった。
「何か報告があったのだろう?」
シンタローを腕に抱いたまま、マジックが問う。
「ああ。今部屋にいく所だったんだ。ここでちょっとそいつを蹴っちまってな。なにしろあまりにチビで」
ハーレムがそいつ、と言ったのはもちろんシンタローだ。
だがマジックは気を悪くした様子もなく、シンタローに具合を尋ねた。
「どこか痛くしたかい?」
「ううん。大丈夫」
「そうか、じゃあ、今悪い奴をこらしめるから、ちょっと眼をつぶっておいで」
「?うん」
シンタローが眼を閉じたことを確認して、マジックが振り返ったのは、ハーレムをマジックの所へ案内していた士官だった。
「わ…わたくしは何も… !! 」
「うるさい。貴様が無能だからこうなったのだ」
士官には反論の時間は与えられなかった。
一瞬のうちに終わった制裁を当然のことのように受け止めたハーレムは、子煩悩でもやることは変わらねぇなと呟いた。
ハーレムは、シンタローが見た父親以外の初めての 「一族」だった。
マジックという名の父親は、誰よりも偉くて、たくさんの部下を持っている。ちょっと命令しただけで、皆が言う事を聞く。
そんな立派な父親は、シンタローの誇りだった。そんな立派なマジックが、誰よりも眼をかけているのは自分なのだ、そう実感する度に、シンタローは幸せな気持ちになった。マジックに愛されているということは、何よりも素敵なことだったのだ。
「サービスの奴が軍籍を抜けるって聞いたぜ?それを許したのか」
ハーレムは、シンタローが大好きなパパに対して、他の兵士のような話し方はしなかった。不思議なことだったけれど、それでもマジックの方が偉く見えたので許すことにした。パパより偉い人間なんて認めたくなかったからだ。
「何故俺の所に寄越してくれなかったんだよ。サービスのポストぐらいいくつだって作るのに」
見事な金の髪をかきあげて、ハーレムが言うのは文句だった。
「奴には奴の考えもある。放っておけ」
「しかし…」
食い下がろうとして、彼はふと視界のすみにちょこんと座っているシンタローを見つけた。マジックが下がらせようとしなかったのだ。
「なぁ坊主。お前からもお願いしろよ。サービスが遠くにいったらヤだろう?」
いきなり話題を振られたが、生憎この時まだシンタローはサービスを知らなかった。
「サービスを知らない?俺の弟で、お前の叔父にあたる。物凄いベッピンだぞ。しかも独身」
「…べっぴん?」
「そう!一番綺麗で可愛いってコトだ」
ハーレムは、自分の双子の弟をそんなふうに表現した。 その言葉にシンタローが疑問をもった。変だなあと、思った。
だって、一番綺麗で可愛いのは『シンタロー』なのだから。
シンタローの疑問を察して、マジックはハーレムを遮り、シンタローを抱き上げた。
そして
「シンちゃんの方が可愛いよv」
キスをひとつ。
機嫌を良くしたのはシンタロー。
呆然としたのはそれを見たハーレム。
キス。
キスだって?
一族最強の権力信奉者が、こんな子供に愛情を示す行動を取った。
「……子煩悩っていうのは…本当に、本当なのか…」
今の今まで、信じていなかったハーレムである。
「でもサービスおじさんも綺麗なんでしょ?」
シンタローの問い掛けに、マジックはゆっくりと首を振った。
「お前の方が、何百倍の可愛くて綺麗だよ。パパの言うことが信じられない?」
「ううん。パパの言う事はいつでも正しいんだよね」
「そうだヨ。シンタローはいい子だね」
やりとりに、まったく口を挟めないハーレムである。
さっきまで確かにマジックは彼の知る総帥だったのだが、突然別人になってしまったかのようだ。
これでは、まるきり『普通』ではないか。
「……お…驚いたな。兄貴にそういうところがあったとは…」
誰にも---自分の弟たちにさえキスひとつくれなかった兄が、何のためらいもなく唇を寄せた。
たかが二、三年会わなかった間に、一体マジックに何があったのだろうと考えても無理はない。ハーレムの知っていたマジックは、愛情など誰にも注がないような、そんな男だったのだから。
原因は--たぶん、シンタロー。
「ふーん。そいつ普通だもんな。もしそいつが一族の印を持ってたら、こうはいかなかったんじゃないか?いかな俺でも、兄貴そっくりのガキと兄貴がにこやかに並んでるトコなんて正視できないぞ…」
ハーレムの呟きに、たいした意味は無い。
けれど、シンタローにとっては重くのしかかってくる言葉だった。
「ハーレム。用が済んだなら行け。私たちはこれから昼食なのだ」
「ハイハイ。すっかり所帯じみちまって…。好きにするさ」
ハーレムが去ったあとも、シンタローの心に言葉は残った。
「シンちゃん?」
「パパ。僕、パパに似てないの?」
それは素朴な疑問だ。
けれど、シンタローの一生に関わる問題だった。
ハーレムは言ったのだ。シンタローのことを『普通』だと。似ていないのだと。
「そんなことないよ!シンちゃんはパパに似てとってもハンサムで、とっても可愛くって、とっても素敵だよ」
マジックは力強くそう答えてやる。マジックにそう言われると、シンタローもそうなんだと思える。 今までは、そうだった。
けれど。
シンタローはやがて、従兄弟のグンマと、グンマを連れてきたサービスと出会う。
そのとき、シンタローは知るのだった。
『似ていない』のではない。
自分だけが、----『違う』のだと。
次はシンちゃん苦悩の目覚め。
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始まりの物語(キンタロー編)
アオザワシンたろー
「最初のレールは、俺が敷いてやるよ」
適当な言葉が見つけられず、だた黙って睨むことしかできない男に、シンタローは笑ってそう告げた。
「高松の見舞いにも行った、勉強も始めた、ついでに髪も切ってさっぱりしたオマエサンは、どこへ行きたい?」
かつて確かに同一の魂だと思っていた存在が、今では手の届かないところに居るような、そんな錯覚が男を襲う。
「なぁ、キンタロー?」
「俺の名はそれに決定なのか…」
やっとのことで不満を口にすれば、総帥服に身を包んだ男…シンタローがことさら満足気な表情をした。
「いいじゃないか、俺とそっくりで」
語呂が笑えるとか、なし崩しにつけられたあだ名じゃないかとか、そういうことはこの男にはどうでも良いことらしい。
キンタローは否も応も言えず、かといってうつむくといった態度も取れず、やはりまだ、シンタローを睨み据えていた。
「俺の側に来いよ」
口調はあくまでも軽い。
「来たいんだろ?ほら、手を伸ばせ」
シンタローが、動こうとしない男の手を取ってそっと持ち上げる。
キンタローはそれに触発されて、長い黒髪に触れた。
少し引っ張るようにしても相手が怒った様子はない。
彼はそのまま暫らくシンタローの髪をもてあそんだ。
「ここに来る前、アラシヤマに会った」
「アラシヤマ?なんだ、突然」
シンタローは、急にもたらされた名の、ここに居ない男を思い浮かべた。
「さっき俺のところへやってきて、シンタローの隣は、渡さんと言った」
「…へーえ」
シンタローは、しばし考え込むようにしてから、軽く笑った。
「なるほど。それで、オメーは俺を取られまいとしてここへ来たってわけね」
子供のように髪を掴むキンタローの手を指差すと、彼は唖然として、それから叫んだ。
「何だと !? 」
「だって現に焚き付けられてんだろ?オメーがどっちに進みたいか迷ってることなんて、誰にだってわかってるんだぜ?」
だから、最初のレールは敷いてやると、シンタローは言ったのだけれど。
「俺んとこに来たいんだろ?いいぜ?ただし、知力体力時の運、全部有るやつじゃねーとだめだけどな」
言外に、側にいたいなら努力しろと言われ。
キンタローは口を引き結び、手を離した。
「あんな男に俺が劣るものか」
「ハイ、その意気その意気」
「シンタロー!」
そろそろ仕事に戻らないとと言って、シンタローはデスクにつく。キンタローはまるで追い払われるようにして部屋を後にした。
閉じてしまった扉の向こうにいる男に触れた、己の手の平を見つめる。
それから、彼はそれをぐっと握り締めた。
ガンマ団の敷地の隅。
男が一人、膝を抱えている。
「いくら総帥命令とはいえ、なんでわてが、会いたくも無い男に会い、贈りたくも無いエールを贈らなあきませんの。やっかいなライバルが増えてしまいますやないの~」
涙するナンバー2の嘆きを知るモノは、誰もなかった。
かの総帥を、除いては、誰も。
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シンちゃん、放っておけないでしょ、このテの図体のでかい子供をさ~。
南国最後に、キンちゃんをあっさり受け入れたシンタローさんならこれぐらいヤルかなって思って。
そしてアラシヤマをアゴで使う俺サマ(笑)
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アオザワシンたろー
「最初のレールは、俺が敷いてやるよ」
適当な言葉が見つけられず、だた黙って睨むことしかできない男に、シンタローは笑ってそう告げた。
「高松の見舞いにも行った、勉強も始めた、ついでに髪も切ってさっぱりしたオマエサンは、どこへ行きたい?」
かつて確かに同一の魂だと思っていた存在が、今では手の届かないところに居るような、そんな錯覚が男を襲う。
「なぁ、キンタロー?」
「俺の名はそれに決定なのか…」
やっとのことで不満を口にすれば、総帥服に身を包んだ男…シンタローがことさら満足気な表情をした。
「いいじゃないか、俺とそっくりで」
語呂が笑えるとか、なし崩しにつけられたあだ名じゃないかとか、そういうことはこの男にはどうでも良いことらしい。
キンタローは否も応も言えず、かといってうつむくといった態度も取れず、やはりまだ、シンタローを睨み据えていた。
「俺の側に来いよ」
口調はあくまでも軽い。
「来たいんだろ?ほら、手を伸ばせ」
シンタローが、動こうとしない男の手を取ってそっと持ち上げる。
キンタローはそれに触発されて、長い黒髪に触れた。
少し引っ張るようにしても相手が怒った様子はない。
彼はそのまま暫らくシンタローの髪をもてあそんだ。
「ここに来る前、アラシヤマに会った」
「アラシヤマ?なんだ、突然」
シンタローは、急にもたらされた名の、ここに居ない男を思い浮かべた。
「さっき俺のところへやってきて、シンタローの隣は、渡さんと言った」
「…へーえ」
シンタローは、しばし考え込むようにしてから、軽く笑った。
「なるほど。それで、オメーは俺を取られまいとしてここへ来たってわけね」
子供のように髪を掴むキンタローの手を指差すと、彼は唖然として、それから叫んだ。
「何だと !? 」
「だって現に焚き付けられてんだろ?オメーがどっちに進みたいか迷ってることなんて、誰にだってわかってるんだぜ?」
だから、最初のレールは敷いてやると、シンタローは言ったのだけれど。
「俺んとこに来たいんだろ?いいぜ?ただし、知力体力時の運、全部有るやつじゃねーとだめだけどな」
言外に、側にいたいなら努力しろと言われ。
キンタローは口を引き結び、手を離した。
「あんな男に俺が劣るものか」
「ハイ、その意気その意気」
「シンタロー!」
そろそろ仕事に戻らないとと言って、シンタローはデスクにつく。キンタローはまるで追い払われるようにして部屋を後にした。
閉じてしまった扉の向こうにいる男に触れた、己の手の平を見つめる。
それから、彼はそれをぐっと握り締めた。
ガンマ団の敷地の隅。
男が一人、膝を抱えている。
「いくら総帥命令とはいえ、なんでわてが、会いたくも無い男に会い、贈りたくも無いエールを贈らなあきませんの。やっかいなライバルが増えてしまいますやないの~」
涙するナンバー2の嘆きを知るモノは、誰もなかった。
かの総帥を、除いては、誰も。
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シンちゃん、放っておけないでしょ、このテの図体のでかい子供をさ~。
南国最後に、キンちゃんをあっさり受け入れたシンタローさんならこれぐらいヤルかなって思って。
そしてアラシヤマをアゴで使う俺サマ(笑)
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