草の葉に
止まる蝶々はふたごころ
というて菜の花も捨てられぬ
ふたごころ
俺は知ってる。
俺に抱かれてる間中、あの人は別の男のことを考えてる。
だからって、あの人が嘘を吐いてる訳じゃない。
俺を好きだと言ってくれたのは本当で。
だけどきっと忘れられないでいるんだ。
優しい声と強い眼差しを持った誰かのことを。
あの人からそいつを追い出したくて、忘れさせたくて、俺は滅茶苦茶にあの人を貫く。
啼かせて、喘がせて、縋りつくように呼ぶ名前が俺のものになるまで嬲る。
責め立てて快楽を抉り出して、あの人が泣き出しても許さずに貪った。
(どうして俺は)
疲れ果てて眠りに落ちるあの人の上に、俺の涙がぽとりと落ちて滲んだ。
(傷つけたい訳じゃないのに)
このままあなたを殺して俺も死ねたら、どれだけ幸せだろう。
屈託無く笑うあの人の眼からは、何も読み取れない。
好きだと言って俺にくれるそのキスにも、濁りはない。
あなたの中にいるのが俺だけだということを確かめたくて何度もあなたを抱く。
なのにあまりにも見えてしまう他人の影に、俺はもう狂いそうだ。
他の誰かに抱かれてる時にも、あなたはこうやって俺をちらつかせるのだろうか。
今までにこの花が何人に愛でられて綺麗に咲いたのかなんて、考えたくもない。
ああ・・・俺は遠からずあなたを手折ってしまいそうです。
(ねえ、シンタローさん)
―――あなたが見ているのは、一体誰なんですか?
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普段とは違う寂しげな笑みを浮かべた後、ドクターは去った。
テーブルの上の紅茶はすっかりと冷めて手付かずの焼き菓子がなんとも寂しい。
僕、部屋に帰るねとグンマは静かに言い、ドクターの歩んで言った方向とは逆へと足を帰っていった。
ダイニングに残ったのはシンタローとキンタローの二人だけだった。
*
「追いかけろよ」
俯いて、シンタローは従兄弟の肩口へと顔をうずめた。
俺も帰ると静かに立ち上がった従兄弟を引き止めたはいいもののシンタローはどうしていいのか分からなかった。
この場には諭してくれる父親も叔父たちもいない。
何を言っていいのか分からなかったが、それでもシンタローは彼らが離れて暮らすのは嫌だった。
「何故、だ」
「なんでって……それは」
従兄弟たちにとって親代わりのドクターが彼の元を辞するのは何故だか寂しい気持ちがした。
従兄弟たちが後見人とも言うべきドクターをうざったく感じることも感情的にはよく理解できる。
シンタローだって何かにつけて過保護な父親がいるのだ。
けれども。
「何も離れて暮らすこともないだろ」
寂しくないのか、と尋ねると埋めた肩がびくりと震えた。
「なあ、キンタロー。もう少し話し合えよ。なあ」
ドクターの悪いところは直してもらってさ、とシンタローは言う。
けれどもキンタローは背を向けたまま首を振ることすらもしなかった。
「……は」
掠れた声にシンタローは顔を上げた。
何を呟いたのか聞き取れない。
もう一度聞かせてくれと、乞うとキンタローはため息を吐いてもう一度口を開いた。
「おまえは俺が……いや俺とグンマが独立するのは反対なのか」
「そういうわけじゃ……」
「だったら」
これ以上は言わないでくれと金色の髪が揺れるのを見てシンタローは口を噤んだ。
視界の中で揺れた金色が薄い青へと変わって正面から抱きとめられても、シンタローは何も言えなかった。
キンタローの表情が去っていった高松と同じくらい寂しげな顔をしているのを見ると、もう何も言葉が出てこなかったからだ。
テーブルの上の紅茶はすっかりと冷めて手付かずの焼き菓子がなんとも寂しい。
僕、部屋に帰るねとグンマは静かに言い、ドクターの歩んで言った方向とは逆へと足を帰っていった。
ダイニングに残ったのはシンタローとキンタローの二人だけだった。
*
「追いかけろよ」
俯いて、シンタローは従兄弟の肩口へと顔をうずめた。
俺も帰ると静かに立ち上がった従兄弟を引き止めたはいいもののシンタローはどうしていいのか分からなかった。
この場には諭してくれる父親も叔父たちもいない。
何を言っていいのか分からなかったが、それでもシンタローは彼らが離れて暮らすのは嫌だった。
「何故、だ」
「なんでって……それは」
従兄弟たちにとって親代わりのドクターが彼の元を辞するのは何故だか寂しい気持ちがした。
従兄弟たちが後見人とも言うべきドクターをうざったく感じることも感情的にはよく理解できる。
シンタローだって何かにつけて過保護な父親がいるのだ。
けれども。
「何も離れて暮らすこともないだろ」
寂しくないのか、と尋ねると埋めた肩がびくりと震えた。
「なあ、キンタロー。もう少し話し合えよ。なあ」
ドクターの悪いところは直してもらってさ、とシンタローは言う。
けれどもキンタローは背を向けたまま首を振ることすらもしなかった。
「……は」
掠れた声にシンタローは顔を上げた。
何を呟いたのか聞き取れない。
もう一度聞かせてくれと、乞うとキンタローはため息を吐いてもう一度口を開いた。
「おまえは俺が……いや俺とグンマが独立するのは反対なのか」
「そういうわけじゃ……」
「だったら」
これ以上は言わないでくれと金色の髪が揺れるのを見てシンタローは口を噤んだ。
視界の中で揺れた金色が薄い青へと変わって正面から抱きとめられても、シンタローは何も言えなかった。
キンタローの表情が去っていった高松と同じくらい寂しげな顔をしているのを見ると、もう何も言葉が出てこなかったからだ。
■SSS.45「リップクリーム」 キンタロー×シンタローただいま、と軽いキスを額に落として、それから口唇へと移行する。
ちゅ、と軽く落とした額とは違って少し長めのキスで従兄弟を味わうとかすかにミントの香りがした。
「シンタロー」
「なんだよ?今、コーヒー淹れてやるから待ってろよな」
キスを終えて、俺がジャケットを脱いでいる間にキッチンへと移動していた従兄弟がカップを片手に返事をする。
ネクタイを緩めて、ソファで待っているとしばらくしてシンタローは二人分のカップを携えてきた。
「寝る前だからな。薄めに淹れたぞ」
ほら、とテーブルに従兄弟がカップを置く。俺の隣に座ると彼は早速コーヒーに口をつけた。
「シンタロー。もう歯を磨いたんじゃないのか?」
一口飲んでから、先程尋ねようと思ったことを切り出す。
砂糖が少しとはいえ入ったコーヒーなど飲んでいいものなのか。
いや、また歯を磨けばいいことだが、と首を傾げるとシンタローは目を見張った。
「夕飯の後には一応磨いたけど、俺、まだ風呂も入ってないぜ?」
寝る前に磨くつもりだ、と俺を見て従兄弟が答える。
言われてみれば従兄弟はまだパジャマを着ていなかった。
「そうか。そういえばそうだな」
夕食の後に磨いたといったからその残り香か、とコーヒーを飲みながら思う。
「何で急にそんなこと聞いてきたんだよ」
すると今度はシンタローが不思議そうな面持ちで俺に尋ねてきた。
「何で……って、さっきキスしたときになんとなくミントの香りがしたからだが」
ただ聞いてみただけだ、と従兄弟に答える。シンタローは俺の答えにミント?と考えこんだ。
「歯磨きのじゃないのか」
たしかすっきりするものを使っていただろう、と言うとシンタローはあ!と声を上げた。
「違う違う。今日、歯磨き粉切れててグンマの借りたんだよ。アイツのイチゴ味のヤツ。
おまえが言うミントみたいな香りってこれだぜ」
ごそごそとポケットを探るとシンタローは少し細めの小さな筒を見せてきた。
「リップクリーム?」
「ああ。メンソレータム配合ってなってるからこれだろ?たぶん」
さっき塗ったから、と言ってシンタローはリップクリームの蓋を開けた。
軽くひと塗りするなり、俺の口唇にちゅ、と軽く合わせる。
「な?これだろ」
ポケットへとリップクリームを戻しながらシンタローは笑った。
「ああ、これだ。この香りだな。シンタロー、おまえ口唇が荒れているのか」
口唇を合わせてみてもそんな感じはしなかった。
少しべたつく下唇に指を這わしてみてもささくれ立ったところはとりたててない。
「団内どこいっても暖房つけてて空気が乾燥しているだろ。ひび割れないうちに予防でしてるだけだぜ。
もう何日も前から塗ってるぞ」
意外と気づかなかったんだな、とカップの縁を弄りながらシンタローが言う。
「キンタロー、おまえも使うか?放っておいて口唇荒れたら痛いだろ」
研究室だって暖房はつけているわけだし、とシンタローが再び内ポケットを探り始める。
「いや。いい。もう寝る前だしな」
そういって俺は従兄弟の申し出を断った。
シンタローはふうんと気にも留めていない返事をするとソーサーにカップを置く。
俺が片付ける、と腰を上げるとシンタローは中腰になった俺の額へ少し背伸びをしてキスをする。
お礼のつもりなのか、と思わず頬が緩む。
風呂は沸かしておいたから一緒に入ろうな、と囁かれてカップを手にしたまま俺もシンタローにキスをした。
彼と違って、額ではなく口唇だったけれども。
口唇のむちっとした感触に俺はふと思い立った。
俺の口唇が荒れないのはもしかしてリップクリームを塗ったシンタローにキスをしているからか?
明日からは俺も塗ろう。
シンタローの口唇からみずみずしい潤いを奪わないようにしないと。■SSS.48「心臓」 キンタロー×シンタロー「俺はお前を好きなようだ」
思わず耳を疑った。
幻聴だとか、なんかの罰ゲームだとか思いつく限りのことは想像してみた。
だが、目の前の男のあまりにも真剣すぎる表情に笑い飛ばそうと思った気が萎えていく。
「あの……な、キンタロー」
エイプリルフールまでずいぶん時間があるぜ、と引きつった笑みを浮かべながら言うと従兄弟は眉を顰めた。
「何を言っているんだ、シンタロー。俺は本気だぞ」
いいか、もう一度言う。俺はお前のことが好きだ、などと真剣な表情で従兄弟は俺の肩に手をかけた。
「返事は今でなくてもいい。だが、俺は本気でお前のことを愛してるんだぞ」
寝ても覚めてもおまえのことしか考えられない。仕事も手につかないんだ。
シンタロー、おまえ以外の人間じゃこんな気持ちにならないんだ。俺はおまえが好きでたまらない」
親父じゃないんだ、下手な冗談はよしてくれと俺は言おうとした。だが、キンタローは、
「LIKEでなくLOVEでだ。従兄弟としてでなく、一人の男としてでだ」
と至極真面目な顔で言う。
退路を立たれて俺はぐっと詰まった。
だが、いくらなんでも……。
「おまえ、絶対勘違いしてるぞ!どうせ、ワケわからねえ心理学の本でも読んで影響されただけだ!
本を読んで得ただけの知識で物事を理解しようったって世の中そんなに甘くねぇぞ!
心臓がどきどきするから恋だとか四六時中相手のことが気になるから恋だとか、そんなもんは全部錯覚だ!!
どきどきするのは不整脈だ!親父じゃねえけど、少しおまえは疲れが溜まってるんだよ!
俺が気になるのは俺がひよっこ総帥だからだって!じゃなきゃ、アレだ。
ズボンのチャックが開いてたり、髪が長いのが鬱陶しくて視界に入ってきただけだ。な、そうだろ?
よく、考えてみろよ!!キンタロー!!」
一息に怒鳴るとキンタローは少し考え込んだ。
俺の肩に置いていた手が口元へと持っていかれ、考え込む姿勢を作っている。
爪の先まで調えられた長い指に一瞬見惚れているとキンタローがぼおっと突っ立っていた俺を己のほうへと引き寄せた。
「ッな!おいッ!!」
ちゅ、と軽く落とした額とは違って少し長めのキスで従兄弟を味わうとかすかにミントの香りがした。
「シンタロー」
「なんだよ?今、コーヒー淹れてやるから待ってろよな」
キスを終えて、俺がジャケットを脱いでいる間にキッチンへと移動していた従兄弟がカップを片手に返事をする。
ネクタイを緩めて、ソファで待っているとしばらくしてシンタローは二人分のカップを携えてきた。
「寝る前だからな。薄めに淹れたぞ」
ほら、とテーブルに従兄弟がカップを置く。俺の隣に座ると彼は早速コーヒーに口をつけた。
「シンタロー。もう歯を磨いたんじゃないのか?」
一口飲んでから、先程尋ねようと思ったことを切り出す。
砂糖が少しとはいえ入ったコーヒーなど飲んでいいものなのか。
いや、また歯を磨けばいいことだが、と首を傾げるとシンタローは目を見張った。
「夕飯の後には一応磨いたけど、俺、まだ風呂も入ってないぜ?」
寝る前に磨くつもりだ、と俺を見て従兄弟が答える。
言われてみれば従兄弟はまだパジャマを着ていなかった。
「そうか。そういえばそうだな」
夕食の後に磨いたといったからその残り香か、とコーヒーを飲みながら思う。
「何で急にそんなこと聞いてきたんだよ」
すると今度はシンタローが不思議そうな面持ちで俺に尋ねてきた。
「何で……って、さっきキスしたときになんとなくミントの香りがしたからだが」
ただ聞いてみただけだ、と従兄弟に答える。シンタローは俺の答えにミント?と考えこんだ。
「歯磨きのじゃないのか」
たしかすっきりするものを使っていただろう、と言うとシンタローはあ!と声を上げた。
「違う違う。今日、歯磨き粉切れててグンマの借りたんだよ。アイツのイチゴ味のヤツ。
おまえが言うミントみたいな香りってこれだぜ」
ごそごそとポケットを探るとシンタローは少し細めの小さな筒を見せてきた。
「リップクリーム?」
「ああ。メンソレータム配合ってなってるからこれだろ?たぶん」
さっき塗ったから、と言ってシンタローはリップクリームの蓋を開けた。
軽くひと塗りするなり、俺の口唇にちゅ、と軽く合わせる。
「な?これだろ」
ポケットへとリップクリームを戻しながらシンタローは笑った。
「ああ、これだ。この香りだな。シンタロー、おまえ口唇が荒れているのか」
口唇を合わせてみてもそんな感じはしなかった。
少しべたつく下唇に指を這わしてみてもささくれ立ったところはとりたててない。
「団内どこいっても暖房つけてて空気が乾燥しているだろ。ひび割れないうちに予防でしてるだけだぜ。
もう何日も前から塗ってるぞ」
意外と気づかなかったんだな、とカップの縁を弄りながらシンタローが言う。
「キンタロー、おまえも使うか?放っておいて口唇荒れたら痛いだろ」
研究室だって暖房はつけているわけだし、とシンタローが再び内ポケットを探り始める。
「いや。いい。もう寝る前だしな」
そういって俺は従兄弟の申し出を断った。
シンタローはふうんと気にも留めていない返事をするとソーサーにカップを置く。
俺が片付ける、と腰を上げるとシンタローは中腰になった俺の額へ少し背伸びをしてキスをする。
お礼のつもりなのか、と思わず頬が緩む。
風呂は沸かしておいたから一緒に入ろうな、と囁かれてカップを手にしたまま俺もシンタローにキスをした。
彼と違って、額ではなく口唇だったけれども。
口唇のむちっとした感触に俺はふと思い立った。
俺の口唇が荒れないのはもしかしてリップクリームを塗ったシンタローにキスをしているからか?
明日からは俺も塗ろう。
シンタローの口唇からみずみずしい潤いを奪わないようにしないと。■SSS.48「心臓」 キンタロー×シンタロー「俺はお前を好きなようだ」
思わず耳を疑った。
幻聴だとか、なんかの罰ゲームだとか思いつく限りのことは想像してみた。
だが、目の前の男のあまりにも真剣すぎる表情に笑い飛ばそうと思った気が萎えていく。
「あの……な、キンタロー」
エイプリルフールまでずいぶん時間があるぜ、と引きつった笑みを浮かべながら言うと従兄弟は眉を顰めた。
「何を言っているんだ、シンタロー。俺は本気だぞ」
いいか、もう一度言う。俺はお前のことが好きだ、などと真剣な表情で従兄弟は俺の肩に手をかけた。
「返事は今でなくてもいい。だが、俺は本気でお前のことを愛してるんだぞ」
寝ても覚めてもおまえのことしか考えられない。仕事も手につかないんだ。
シンタロー、おまえ以外の人間じゃこんな気持ちにならないんだ。俺はおまえが好きでたまらない」
親父じゃないんだ、下手な冗談はよしてくれと俺は言おうとした。だが、キンタローは、
「LIKEでなくLOVEでだ。従兄弟としてでなく、一人の男としてでだ」
と至極真面目な顔で言う。
退路を立たれて俺はぐっと詰まった。
だが、いくらなんでも……。
「おまえ、絶対勘違いしてるぞ!どうせ、ワケわからねえ心理学の本でも読んで影響されただけだ!
本を読んで得ただけの知識で物事を理解しようったって世の中そんなに甘くねぇぞ!
心臓がどきどきするから恋だとか四六時中相手のことが気になるから恋だとか、そんなもんは全部錯覚だ!!
どきどきするのは不整脈だ!親父じゃねえけど、少しおまえは疲れが溜まってるんだよ!
俺が気になるのは俺がひよっこ総帥だからだって!じゃなきゃ、アレだ。
ズボンのチャックが開いてたり、髪が長いのが鬱陶しくて視界に入ってきただけだ。な、そうだろ?
よく、考えてみろよ!!キンタロー!!」
一息に怒鳴るとキンタローは少し考え込んだ。
俺の肩に置いていた手が口元へと持っていかれ、考え込む姿勢を作っている。
爪の先まで調えられた長い指に一瞬見惚れているとキンタローがぼおっと突っ立っていた俺を己のほうへと引き寄せた。
「ッな!おいッ!!」
■SSS.35「続きは後で」 キンタロー×シンタロー「昨日は結局どうなったんだ?」
開口一番、朝の挨拶もそこそこに従兄弟は切り出した。
寝過ごしたためか、髪が跳ねている。
朝食の席に現れなかった彼を伯父が心配していた。
「おまえが酔いつぶれたと連絡を受けたので俺が迎えに行った」
連絡を受けて迎えに行くと、くたっと力を抜いてソファに体を投げ出している従兄弟がいた。
他にも何人か潰れていたヤツラがいたが酒瓶を抱えて豪快に笑うコージに任せてきた。
俺はシンタロー以外の面倒を見るつもりはない。
「あー、なんだ。車に乗せてくれたのおまえだったのか」
よかった、よかったと従兄弟は髪を掻きまわしながら呟いた。
「よかった?」
なにがだ、と傍らの彼に視線を向けるとシンタローは髪を弄りながら言う。
「誰かが……っていうか金髪の男が車に乗せてくれたのは覚えてるんだけどよ。
親父かおまえか分からなかったんだよ。酔っ払ってて眠かったから」
あ~、親父じゃなくてスッキリした、とシンタローが伸びをしながら言う。
「グンマは俺を抱えていけるわけねえだろ?朝起きてどっちだか分かんなくってさ。
前に親父が迎えに来たとき、あのヤロウ、イイトシした息子を抱っこした写真を取りやがって。
おまけに朝起きたらアイツのベッドで寝てたんだぜ」
今朝は自分の部屋だったからおまえだと思ってたけど、とシンタローは付け加えた。
「でも万が一、親父だったら朝会いたくねえからさあ。酔いつぶれるまで飲むなとかぐだぐだウルセエし」
「それで朝食に来なかったんだな」
そうか、とシンタローの横顔を覗くと彼はああと頷いた。
カツカツ、と廊下にシンタローのブーツの音が響く。
しん、と冷えた空気が肌を刺すが、それでもまだ季節は秋だ。
冬物のスーツに袖を通しているため、指先や顔など露出している部分以外は寒くない。
傍らで歩むシンタローもとくに空気の冷たさに堪えた様子はなかった。
「キンタロー」
三叉路へと出るとシンタローがいつもとは違い俺を呼び止めた。
左に進もうとしていた足を止め、彼のところへ戻る。
シンタローのいた数歩先では総帥室へと直結するエレベーターのランプが点滅していた。
故障か、いやまだ乗っていないのだからなにか言い忘れでも、と従兄弟を見る。
どうした、と口が動く前にシンタローが動いた。
「昨日は面倒かけちまって悪かったな」
立ち止まったまま動かないでいた俺にシンタローが手を伸ばした。
頤に添えられた指は空気にさらされているというのに冷たくない。
ゆっくりと、指が頬を撫で、口唇をなぞってくる。
朝に似つかぬその動きにどきりとする。
シンタロー、と言うよりも早く彼が口唇を合わせてきた。
頭の後ろに回されたシンタローの手が俺の髪を掴む。
酔ったシンタローは俺が抱き上げても抵抗せずにいた。
とりたてて暴れることもなく、車に乗せたときも大人しくしていた。彼の手は首に回されていたが髪を掴むことはない。
部屋に運ぶときも、ガンマ団のエントランスから戻ったというのに文句は出なかった。
夢中になって舌を絡めるシンタローの指先は俺の髪を放さない。
昨夜は赤く染まっていた目元は今は元通りである。
絡める舌を離して、シンタローが角度を変えるたびに彼の睫は震えた。
シンタローの味は酒の名残が微かにあった。
歯磨きをした後に残るわずかなミントの辛さの中に微かに残っている。
垂らされたままの髪も密着した状態では酒の残り香が染み付いているのがよく分かった。
昨夜の、酔い潰れて視線も口調も覚束なく、頬を染めたシンタローの姿がフラッシュバックする。
昨夜は従兄弟が今着ている総帥服が乱れていた。
帰りたくねえよ、と駄々を捏ねる彼を車に乗せ、部屋へと運び入れるとおやすみのキスをねだってきた。
子どもがえりした酔っ払いのたわいない頼み事は勿論聞いた。
でも、それはこんなキスではない。
「……シンタロー」
彼の舌が離れたときに思わず名を呼ぶと、従兄弟は不敵な笑みを浮かべた。
「続きは……後でな」
体を離す間際にシンタローが俺へと囁く。
熱い息が耳朶に掠り、それから彼はキスの後の濃密な空気を払うように駆けて行った。
(……なにもそんな礼をとらなくてもいいだろう)
言葉だけでなく、唐突に行動に現したシンタローに心臓が早鐘を打っている。
引き止める暇もなく、それよりもどうしていいのか分からない。
スーツの皺を払って、当初の通り研究室へと向かおうとする。
背を向ける前になんとなく視線を上へと向けると、ちょうどエレベーターのドアが閉まるところだった。
ドアが閉まる間際に視線がかち合う。
にやり、と悪戯が成功したような顔でシンタローが俺を見ていた。
さっきまで冷たかった頬が熱く、体から熱が引いていかないでいる。
早く来いよ、と笑いながら手招きしたシンタローの姿がドアによって遮られて、そしてもう一度エレベーターのランプが灯るまで俺はそこから動けずにいた。■SSS.37「エプロン」 キンタロー×シンタロー俺にだって料理くらいできる、と新しくできた従兄弟が言い出した。
え~!ほんとに?ひとりで大丈夫なのキンちゃん!ともうひとりの従兄弟が言ったのが彼にとって不満だったらしい。
来週末に俺もグンマも親父も、そして高松ですら出かける日程が重なることに、皆、不安を覚えていた。
姿こそ20代の青年とはいえ従兄弟のキンタローは今まで現実を経験したことがなかった。
はじめてのお留守番にヤキモキするのは当たり前だ。
「料理って言ったってトーストとコーヒーとかカップ麺にお湯を注ぐのはなしだよ?」
従兄弟のグンマがキンタローに言う。それに対してキンタローは眉を寄せて「当たり前だろう」と言った。
「本当に?本当に出来るの、キンちゃん。シンちゃんが作ったごはんをレンジでチンする方がいいかもよ」
美味しく出来るか分からないじゃない、とグンマは言う。
けれどもキンタローは、
「下ごしらえも片付けも自分で出来る。俺のことは放っておいて出かければいいだろう」
と言った。
「店屋物とか外食でもいいんだよ?」
「くどい」
しつこいグンマにキンタローが切れた。が、グンマは黙る様子はない。
初めてのお留守番をする従兄弟がよっぽど心配なのか、そんなこと言ったって!と喚きはじめる。
同席していたドクターが仕方なく宥めるべく口を開いた。
「まあまあ、グンマ様。
キンタロー様もおできになると言っているんですし、ここはひとつ、なにか作っていただいたらどうでしょう?その結果を見て来週のことは考えたらいかがですか?」
「高松。それは俺に嘘じゃないか証明しろということだな」
キンタローは憮然とした表情で口を開いた。
「いえいえ!キンタロー様。めっそうもない。この高松、キンタロー様のことは疑ってなどいませんとも!
ただ、やはり何事も備えあれば憂いなしということで……キンタロー様の予行練習にもなりますし」
おろおろと二人の従兄弟の顔色を伺うようにドクターが言う。
「ふん。まあいい。そうだな、伯父貴がよく作るカレーでも作ることにしよう。
ちゃんと作れたらこれ以上がたがた騒ぐなよ、グンマ」
きっと睨みつつキンタローが立ち上がる。
楽しみだねえ、と暢気な口調で言った父親にシンタローはげんなりした。
楽しみってあのなあ、ガキの喧嘩でまずいもん食わされたらたまんねえぞ。
アイツ、本当に料理できんのかよ。
キッチンに向かうキンタローを見ながらシンタローはこっそりとため息を吐いた。
***
「シンタロー」
手招きされてシンタローは立ち上がった。やっぱり、ダメかと思いつつキッチンに行く。
背後でグンマが忍び笑いをするのが聞こえた。
ったく。しょうがねえ、従兄弟どもだよ。
けれどもキッチンにはシンタローが想像した惨状は広がっていなかった。
俎板には丁寧に切られた野菜が乗っていて、ガラスの皿には飴色に炒められたタマネギのみじん切りがあった。
「どうしたんだよ、キンタロー」
ちゃんと料理できるじゃねえか、と見回しつつ尋ねると従兄弟はばつの悪そうな顔で切り出す。
「始めてしばらくしたら気づいたんだが、料理をしているというのにエプロンをするのを忘れてしまった」
「別にしなくても……」
いいじゃねえか、とシンタローは言おうとした。けれどもキンタローがダメだと頭を振る。
「それで?エプロンなら戸棚の左から2番目にあるぞ」
場所が分かんなかったのか、と思いシンタローが言うとキンタローは「違う」と言った。
そして、テーブルに置いてあった布を広げる。
「なんだ分かってんじゃねえか。それじゃなんの用だよ?」
「背中の紐がうまく結べないから結んでくれ」
エプロンを着込みつつ、少し照れた顔でキンタローはシンタローに背を向けた。■SSS.38「馬子にも衣装」 キンタロー×シンタロー朝食の席に向かおうとシンタローが廊下に出ると、新しくできた従兄弟のキンタローに出くわした。
彼の部屋の扉が開いた拍子にあくびを堪えつつ、目を擦りながらおはようと声をかけたが返事は返らない。
まあ、いつものことだしな、と思いつつシンタローはすたすたと先に行こうとするキンタローに目を向けた。
(え!?)
「お、おい。ちょっと待てよ。キンタロー」
いつもとは違う装いの従兄弟にシンタローは思わず目を疑った。
島から帰ってきても好んで着ていたレザースーツは彼の身を包んでいない。
おまけにざんばらだった長い髪の毛も短く揃えられていて、きれいに撫で付けられていた。
昨日とはまるっきり、百八十度違う姿だ。
「キンタロー、おまえ、どうしたんだよ!?それ!!」
地味なダークスーツに身を包み、髪も整えた姿はどこかの名家の子弟のようにさえ見える。
ぎらぎらとした眼差しも口角を上げた不適な口元もその姿では乱暴者というより切れ者補佐官と言った感じだった。
「朝からぎゃあぎゃあと煩いヤツだ。少しは声を抑えろ。
高松が父さんのような格好でないと学会には相応しくないと言ったからそうしただけだ」
何かおまえに不都合があるのか、と横を歩くシンタローに彼は冷たく言い放つ。
それに一瞬、シンタローはムッとしたがいつものことだと思い直した。
この新しい従兄弟が自分に突っかかるのはいつものことなのだ。
シンタローは昨日までの姿を思い浮かべながら、ふんと鼻を鳴らすキンタローを見る。
(たしかになあ。あれじゃ特戦部隊だもんな)
血生臭い世界とは無縁の科学者の勉強会には相応しくない。
場違いなだけでなく、バックにガンマ団が控えていることと合わせていい印象なども持たれはしないだろう。
「ふ~ん。そんでなのか。まあ似合ってんじゃねえの」
ルーザー叔父さんに似てるなあ、ともシンタローは思った。
写真の中の姿や話に聞いた叔父のやわらかな物腰には及ばないが、以前とは違ってこのごろは落ち着きが見られてきた。
スーツ姿もなかなか様になっている。
ドクターのヤツ、こいつにこういう格好勧めたけど見たのかなあ。
きっと鼻血出すぞ、2リットルくらい、と亡き叔父を信奉していて現在はこの従兄弟に無償の愛を捧げる科学者をシンタローは思い浮かべた。今日のガンマ団は大変なことになるだろう。
そのまえに食卓で親父もグンマもビックリするだろうけど。
「あ、ちょっと待てよ」
リビングのドアを開けようとするキンタローをシンタローは止めた。
「まだなにか言いたいことがあるのか?」
ぎらっとひかったキンタローの目を見てシンタローは頭を抱えたくなった。
ったく。なんでコイツは俺に突っかかってばっかいるんだよ。
仲良くしろとは言わねえけど、少しは気を許してくれてもいいじゃねえか。ドクターには懐いているくせに。
「こっち向けよ。ネクタイが曲がってるぞ」
直してやる、とシンタローはキンタローの肩を掴む。だが、
「俺に触るな」
肩口に置いた手はばしっと払われた。
どけ、とリビングのドアを開けてキンタローが食卓に着く。
装いは変わってもいつもどおりシンタローに牙を剥く彼に、ドアの前に立ち尽くしながらシンタローはため息を吐いた。
開口一番、朝の挨拶もそこそこに従兄弟は切り出した。
寝過ごしたためか、髪が跳ねている。
朝食の席に現れなかった彼を伯父が心配していた。
「おまえが酔いつぶれたと連絡を受けたので俺が迎えに行った」
連絡を受けて迎えに行くと、くたっと力を抜いてソファに体を投げ出している従兄弟がいた。
他にも何人か潰れていたヤツラがいたが酒瓶を抱えて豪快に笑うコージに任せてきた。
俺はシンタロー以外の面倒を見るつもりはない。
「あー、なんだ。車に乗せてくれたのおまえだったのか」
よかった、よかったと従兄弟は髪を掻きまわしながら呟いた。
「よかった?」
なにがだ、と傍らの彼に視線を向けるとシンタローは髪を弄りながら言う。
「誰かが……っていうか金髪の男が車に乗せてくれたのは覚えてるんだけどよ。
親父かおまえか分からなかったんだよ。酔っ払ってて眠かったから」
あ~、親父じゃなくてスッキリした、とシンタローが伸びをしながら言う。
「グンマは俺を抱えていけるわけねえだろ?朝起きてどっちだか分かんなくってさ。
前に親父が迎えに来たとき、あのヤロウ、イイトシした息子を抱っこした写真を取りやがって。
おまけに朝起きたらアイツのベッドで寝てたんだぜ」
今朝は自分の部屋だったからおまえだと思ってたけど、とシンタローは付け加えた。
「でも万が一、親父だったら朝会いたくねえからさあ。酔いつぶれるまで飲むなとかぐだぐだウルセエし」
「それで朝食に来なかったんだな」
そうか、とシンタローの横顔を覗くと彼はああと頷いた。
カツカツ、と廊下にシンタローのブーツの音が響く。
しん、と冷えた空気が肌を刺すが、それでもまだ季節は秋だ。
冬物のスーツに袖を通しているため、指先や顔など露出している部分以外は寒くない。
傍らで歩むシンタローもとくに空気の冷たさに堪えた様子はなかった。
「キンタロー」
三叉路へと出るとシンタローがいつもとは違い俺を呼び止めた。
左に進もうとしていた足を止め、彼のところへ戻る。
シンタローのいた数歩先では総帥室へと直結するエレベーターのランプが点滅していた。
故障か、いやまだ乗っていないのだからなにか言い忘れでも、と従兄弟を見る。
どうした、と口が動く前にシンタローが動いた。
「昨日は面倒かけちまって悪かったな」
立ち止まったまま動かないでいた俺にシンタローが手を伸ばした。
頤に添えられた指は空気にさらされているというのに冷たくない。
ゆっくりと、指が頬を撫で、口唇をなぞってくる。
朝に似つかぬその動きにどきりとする。
シンタロー、と言うよりも早く彼が口唇を合わせてきた。
頭の後ろに回されたシンタローの手が俺の髪を掴む。
酔ったシンタローは俺が抱き上げても抵抗せずにいた。
とりたてて暴れることもなく、車に乗せたときも大人しくしていた。彼の手は首に回されていたが髪を掴むことはない。
部屋に運ぶときも、ガンマ団のエントランスから戻ったというのに文句は出なかった。
夢中になって舌を絡めるシンタローの指先は俺の髪を放さない。
昨夜は赤く染まっていた目元は今は元通りである。
絡める舌を離して、シンタローが角度を変えるたびに彼の睫は震えた。
シンタローの味は酒の名残が微かにあった。
歯磨きをした後に残るわずかなミントの辛さの中に微かに残っている。
垂らされたままの髪も密着した状態では酒の残り香が染み付いているのがよく分かった。
昨夜の、酔い潰れて視線も口調も覚束なく、頬を染めたシンタローの姿がフラッシュバックする。
昨夜は従兄弟が今着ている総帥服が乱れていた。
帰りたくねえよ、と駄々を捏ねる彼を車に乗せ、部屋へと運び入れるとおやすみのキスをねだってきた。
子どもがえりした酔っ払いのたわいない頼み事は勿論聞いた。
でも、それはこんなキスではない。
「……シンタロー」
彼の舌が離れたときに思わず名を呼ぶと、従兄弟は不敵な笑みを浮かべた。
「続きは……後でな」
体を離す間際にシンタローが俺へと囁く。
熱い息が耳朶に掠り、それから彼はキスの後の濃密な空気を払うように駆けて行った。
(……なにもそんな礼をとらなくてもいいだろう)
言葉だけでなく、唐突に行動に現したシンタローに心臓が早鐘を打っている。
引き止める暇もなく、それよりもどうしていいのか分からない。
スーツの皺を払って、当初の通り研究室へと向かおうとする。
背を向ける前になんとなく視線を上へと向けると、ちょうどエレベーターのドアが閉まるところだった。
ドアが閉まる間際に視線がかち合う。
にやり、と悪戯が成功したような顔でシンタローが俺を見ていた。
さっきまで冷たかった頬が熱く、体から熱が引いていかないでいる。
早く来いよ、と笑いながら手招きしたシンタローの姿がドアによって遮られて、そしてもう一度エレベーターのランプが灯るまで俺はそこから動けずにいた。■SSS.37「エプロン」 キンタロー×シンタロー俺にだって料理くらいできる、と新しくできた従兄弟が言い出した。
え~!ほんとに?ひとりで大丈夫なのキンちゃん!ともうひとりの従兄弟が言ったのが彼にとって不満だったらしい。
来週末に俺もグンマも親父も、そして高松ですら出かける日程が重なることに、皆、不安を覚えていた。
姿こそ20代の青年とはいえ従兄弟のキンタローは今まで現実を経験したことがなかった。
はじめてのお留守番にヤキモキするのは当たり前だ。
「料理って言ったってトーストとコーヒーとかカップ麺にお湯を注ぐのはなしだよ?」
従兄弟のグンマがキンタローに言う。それに対してキンタローは眉を寄せて「当たり前だろう」と言った。
「本当に?本当に出来るの、キンちゃん。シンちゃんが作ったごはんをレンジでチンする方がいいかもよ」
美味しく出来るか分からないじゃない、とグンマは言う。
けれどもキンタローは、
「下ごしらえも片付けも自分で出来る。俺のことは放っておいて出かければいいだろう」
と言った。
「店屋物とか外食でもいいんだよ?」
「くどい」
しつこいグンマにキンタローが切れた。が、グンマは黙る様子はない。
初めてのお留守番をする従兄弟がよっぽど心配なのか、そんなこと言ったって!と喚きはじめる。
同席していたドクターが仕方なく宥めるべく口を開いた。
「まあまあ、グンマ様。
キンタロー様もおできになると言っているんですし、ここはひとつ、なにか作っていただいたらどうでしょう?その結果を見て来週のことは考えたらいかがですか?」
「高松。それは俺に嘘じゃないか証明しろということだな」
キンタローは憮然とした表情で口を開いた。
「いえいえ!キンタロー様。めっそうもない。この高松、キンタロー様のことは疑ってなどいませんとも!
ただ、やはり何事も備えあれば憂いなしということで……キンタロー様の予行練習にもなりますし」
おろおろと二人の従兄弟の顔色を伺うようにドクターが言う。
「ふん。まあいい。そうだな、伯父貴がよく作るカレーでも作ることにしよう。
ちゃんと作れたらこれ以上がたがた騒ぐなよ、グンマ」
きっと睨みつつキンタローが立ち上がる。
楽しみだねえ、と暢気な口調で言った父親にシンタローはげんなりした。
楽しみってあのなあ、ガキの喧嘩でまずいもん食わされたらたまんねえぞ。
アイツ、本当に料理できんのかよ。
キッチンに向かうキンタローを見ながらシンタローはこっそりとため息を吐いた。
***
「シンタロー」
手招きされてシンタローは立ち上がった。やっぱり、ダメかと思いつつキッチンに行く。
背後でグンマが忍び笑いをするのが聞こえた。
ったく。しょうがねえ、従兄弟どもだよ。
けれどもキッチンにはシンタローが想像した惨状は広がっていなかった。
俎板には丁寧に切られた野菜が乗っていて、ガラスの皿には飴色に炒められたタマネギのみじん切りがあった。
「どうしたんだよ、キンタロー」
ちゃんと料理できるじゃねえか、と見回しつつ尋ねると従兄弟はばつの悪そうな顔で切り出す。
「始めてしばらくしたら気づいたんだが、料理をしているというのにエプロンをするのを忘れてしまった」
「別にしなくても……」
いいじゃねえか、とシンタローは言おうとした。けれどもキンタローがダメだと頭を振る。
「それで?エプロンなら戸棚の左から2番目にあるぞ」
場所が分かんなかったのか、と思いシンタローが言うとキンタローは「違う」と言った。
そして、テーブルに置いてあった布を広げる。
「なんだ分かってんじゃねえか。それじゃなんの用だよ?」
「背中の紐がうまく結べないから結んでくれ」
エプロンを着込みつつ、少し照れた顔でキンタローはシンタローに背を向けた。■SSS.38「馬子にも衣装」 キンタロー×シンタロー朝食の席に向かおうとシンタローが廊下に出ると、新しくできた従兄弟のキンタローに出くわした。
彼の部屋の扉が開いた拍子にあくびを堪えつつ、目を擦りながらおはようと声をかけたが返事は返らない。
まあ、いつものことだしな、と思いつつシンタローはすたすたと先に行こうとするキンタローに目を向けた。
(え!?)
「お、おい。ちょっと待てよ。キンタロー」
いつもとは違う装いの従兄弟にシンタローは思わず目を疑った。
島から帰ってきても好んで着ていたレザースーツは彼の身を包んでいない。
おまけにざんばらだった長い髪の毛も短く揃えられていて、きれいに撫で付けられていた。
昨日とはまるっきり、百八十度違う姿だ。
「キンタロー、おまえ、どうしたんだよ!?それ!!」
地味なダークスーツに身を包み、髪も整えた姿はどこかの名家の子弟のようにさえ見える。
ぎらぎらとした眼差しも口角を上げた不適な口元もその姿では乱暴者というより切れ者補佐官と言った感じだった。
「朝からぎゃあぎゃあと煩いヤツだ。少しは声を抑えろ。
高松が父さんのような格好でないと学会には相応しくないと言ったからそうしただけだ」
何かおまえに不都合があるのか、と横を歩くシンタローに彼は冷たく言い放つ。
それに一瞬、シンタローはムッとしたがいつものことだと思い直した。
この新しい従兄弟が自分に突っかかるのはいつものことなのだ。
シンタローは昨日までの姿を思い浮かべながら、ふんと鼻を鳴らすキンタローを見る。
(たしかになあ。あれじゃ特戦部隊だもんな)
血生臭い世界とは無縁の科学者の勉強会には相応しくない。
場違いなだけでなく、バックにガンマ団が控えていることと合わせていい印象なども持たれはしないだろう。
「ふ~ん。そんでなのか。まあ似合ってんじゃねえの」
ルーザー叔父さんに似てるなあ、ともシンタローは思った。
写真の中の姿や話に聞いた叔父のやわらかな物腰には及ばないが、以前とは違ってこのごろは落ち着きが見られてきた。
スーツ姿もなかなか様になっている。
ドクターのヤツ、こいつにこういう格好勧めたけど見たのかなあ。
きっと鼻血出すぞ、2リットルくらい、と亡き叔父を信奉していて現在はこの従兄弟に無償の愛を捧げる科学者をシンタローは思い浮かべた。今日のガンマ団は大変なことになるだろう。
そのまえに食卓で親父もグンマもビックリするだろうけど。
「あ、ちょっと待てよ」
リビングのドアを開けようとするキンタローをシンタローは止めた。
「まだなにか言いたいことがあるのか?」
ぎらっとひかったキンタローの目を見てシンタローは頭を抱えたくなった。
ったく。なんでコイツは俺に突っかかってばっかいるんだよ。
仲良くしろとは言わねえけど、少しは気を許してくれてもいいじゃねえか。ドクターには懐いているくせに。
「こっち向けよ。ネクタイが曲がってるぞ」
直してやる、とシンタローはキンタローの肩を掴む。だが、
「俺に触るな」
肩口に置いた手はばしっと払われた。
どけ、とリビングのドアを開けてキンタローが食卓に着く。
装いは変わってもいつもどおりシンタローに牙を剥く彼に、ドアの前に立ち尽くしながらシンタローはため息を吐いた。
■SSS.30「1ミリの狂いもなく」 キンタロー×シンタローピリピリとした空気を打ち破ったのはそれを作り出した元凶である男だった。
「もういい、下がれ」と冷たく硬い声でキンタローが言うと背後から回されていた腕が震えた。
「キンタロー?」
どうしてだよ?と従兄弟に視線を向けるも、彼の表情は険しい。
背後にいる部下は不興をかったと思い、きっと凍り付いているだろう。
そのためなのか、止まったままの指が震え、メジャーを取り落とした。
かちゃんと金属の音が床に大きく響くと、落とした部下は慌てて拾おうとする。
けれども、再度の「下がれ」という命令で取るものも取らずに彼は走り去っていった。
剣呑なひかりが宿る青い目を見たらここで暮らす誰もが凍りつき、保身のためにはなんでもするのは決まっていた。
青いひかりが今度は掌中に灯るのを見たくはない。
当て布やテープ、待針、メジャー、物差しなどは壊れてもどうとでもなるが己の体だけはどうにもならないものだ。
青白い顔で早々に辞去した部下を見送り、ずっと見物していた従兄弟へと視線を向けると彼は眉根を寄せている。
「なあ、なに怒ってんだよ」
腕を組んだまま仁王立ちでいるキンタローに尋ねると彼は目を軽く伏せた。
「キンタロー?」
少し離れていた位置にいたキンタローが静かに近づく。
なにに対して彼が苛立っているのか分からない。
はじめこそ、これを開発するために連日睡眠を削っていたのが祟って目つきが鋭くなっているのだろうと思っていた。
だが、あくびひとつ、眠そうな顔をしないで指示を飛ばすキンタローにそんな考えはすぐに吹っ飛んだ。
コイツは絶対気に入らないことがある!
そう思い立ったのは俺だけではなかったようだ。
必要なものを運びいれた団員は早々に辞去し、設計図を見ていたグンマも研究室へと戻った。
ただ一人、採寸の役を仰せつかった団員のみが今にも斃れそうな表情で手を動かしていた。
下がれといわれるまで、彼もきっと同僚のように出て行きたかったに違いない。
キンタローは足音も立てずに近づくと、軽くしゃがみこんだ。
部下が落としていったメジャーを拾い、指先でしゅるしゅると弄ぶ。
「なあ、なんかあったのかよ?まだ途中だろ。誰でもいいから呼んで来いよ」
俺は要らないといったのにキンタローが耐熱スーツも必要だと言い切ったのだ。
そんな火炎地獄みたいな戦場なんてないだろうといくら言っても聞かず、備えあれば憂いなしと言いくるめられてしまった。
それならそれで誰でも使えるものを作ればいいというのにキンタローは、
「部下には量産型でいいが、おまえはそうはいかない。もともといざという時しか使わないんだ。
体に合ったものがいいだろう」
と言い、あっという間に採寸の場を設けたのだ。
仕事が押しているというのに誰も文句を言うことはなかった。
重い総帥服では測りづらいというので、仕方なく私服へと着替えた。
襟足や肩周りを図るために髪を高く括らせられ……。
「暇じゃねえんだからとっとと終わらせようぜ。さっきからどうも頭が痛いんだよ。
いつもポニーテールなんてしねえしさ」
高く結った髪が引き攣れてこめかみの辺りがじんじんする。
ぐしゃぐしゃとかき回し、髪を解きたいのを我慢していると訴えるとキンタローは「分かった」と答える。
「そんなぴっちりしてなくていいから適当に図ろうぜ。今日一日こんなので潰したくないしな!
えっと……何番にコールすればいいんだよ?さっきの団員、おまえんとこの部下だよな」
開発担当の部署へはどこへ掛けたらいいんだろうか、と内線を手に取る。
しかし、メジャーを弄んでいたキンタローの手によってプッシュしようとしていた指は阻まれた。
そればかりかブチッと彼は線を本体から引っこ抜く。
「キンタロー!!電話切ってどうすんだよ!!」
呼ばなきゃ採寸の終わんねえだろ!!分かってねえな!と横にいるキンタローの襟首を掴む。
スーツの襟元は形が崩れたが、気にしていない様子でキンタローは「落ち着け」と言った。
「落ち着いていられるかよ」
「採寸は続けるに決まっているだろう。だが、誰も呼ばなくていい」
「どういうことだよ!?」
単純なことだ、とキンタローはうすい口唇に笑みを履きながら言う。
「シンタローのボディスーツは俺が採寸することにした。シンタローの体を他人に触れさせるのは我慢がならない。
髪を上げた時点であの団員は帰せばよかったな。おまえのうなじまで見せて……失敗した」
あの男の記憶は消せないものか、と本気で思案しているキンタローが怖い。
「……キンタロー」
それで怒ってたのかよと思わず脱力するとキンタローはにっこりと笑った。
安心しろ、という彼が一番安心できない。
「1ミリの狂いもなく測ってやるから」
「え!?おい……キンタロッ!適当でいいって……」
メジャーを手にしたままキンタローは俺が逃げられないようにしっかりと押さえつけた。
床に転がされて、馬乗りに乗り上げらる。
おいおいちょっと待てよ、と冷たい汗が背筋に流れた。
「キンタロー!!誰か来たらどうすんだよッ!!」
この体勢はヤバイだろ!!と暴れてもキンタローは意に介さない。
「機嫌の悪い俺のところに誰か来ると思うのか?
見られたとしてもたかだか採寸だ。途中でおまえか俺がその気になっていない限り、な」
恐ろしく機嫌のいい表情でキンタローが囁く。
なあ。俺、耐熱スーツなんか着る予定ないんだけど……。
そんな戦場ってあるのかよ、と全身をくまなく採寸し始めるキンタローに以前言ったことを蒸し返す。
けれども、キンタローが止めるはずもない。
何を言っても状況は変わらず、そして明らかに採寸にかかる時間をオーバーしていたというのに誰も助けには来なかった。■SSS.31「タイ」 キンタロー×シンタロータイを直してやるとリキッドは短く礼を言った。
別段、どうということもない。
曲がっていたのがなんとなく気になって直したまでだ。
眼前で繰り広げられる結婚式は、今までシンタローが見たものとは違ってナマモノ同士のものだったが、それでもやはり微笑ましく心が洗われる光景のものだった。
突然の式に朝から追われていた所為で少し眠い。
新婦が気恥ずかしげに目を伏せたのを見ながら、シンタローはこっそりとあくびをする。
目ざとく見つけたリキッドにここぞとばかりにじっと見られたが何も言わずに蹴ってやった。
(俺に文句言おうなんざ10年早いんだよ)
***
時代錯誤な重たい引き出物をパプワの分も運んで、家に帰るとすぐさまリキッドがジャケットを脱いだ。
日頃の肩の凝らない服装と違って疲れたのだろう。
それでも脱ぎ散らかしはせずに皺にならないようにきちんと畳んでいる。
式場で簡単なものを摘んだとはいえ、育ち盛りのパプワがアレで満足するとは思えない。
早く夕メシにとりかからねえと、とシンタローもジャケットを脱ごうとボタンに手をかけた。
「あ。シンタローさん、脱いだらこっちに掛けてください」
一応、洗っておきますんで、とリキッドがズボンを脱ぎながら言った。
おう、と返事をしてシンタローはジャケットを脱ぐと、とりあえずその場に軽く畳んでおいた。
いつものランニングを引き寄せておいて、タイごとシャツを取り払おうと首元を緩めると、シンタローの目に下だけ着替え終わったリキッドが目に入った。
タイとシャツの間を指先で強引に緩めている。
(おいおい。それじゃシャツもタイも傷むだろうが……)
ああいう形のタイはアイロンかけるのが面倒なんだよな、とシンタローは自分のことを棚に上げてそう思った。
キンタローだったらきちんと順序良く着替えるだろう・
それこそ横着して、シャツと一緒に脱ごうとしてる俺を怒るんだろうな、と脱いだシャツを足元に放りながら思う。
ランニングを被り、結んだ髪を左右に振りながら頭を出すと、ちょうどリキッドがほどいたタイを手に取ったままシャツを脱ぎかけているのが見えた。
(キンタロー……)
その仕草はキンタローとは似ていない。
従兄弟のようにしゅるりと小気味よい音を響かせて首元からタイを抜き取ったわけでもない。
滑らかな指先でもない。着替える時にボタンを外
「もういい、下がれ」と冷たく硬い声でキンタローが言うと背後から回されていた腕が震えた。
「キンタロー?」
どうしてだよ?と従兄弟に視線を向けるも、彼の表情は険しい。
背後にいる部下は不興をかったと思い、きっと凍り付いているだろう。
そのためなのか、止まったままの指が震え、メジャーを取り落とした。
かちゃんと金属の音が床に大きく響くと、落とした部下は慌てて拾おうとする。
けれども、再度の「下がれ」という命令で取るものも取らずに彼は走り去っていった。
剣呑なひかりが宿る青い目を見たらここで暮らす誰もが凍りつき、保身のためにはなんでもするのは決まっていた。
青いひかりが今度は掌中に灯るのを見たくはない。
当て布やテープ、待針、メジャー、物差しなどは壊れてもどうとでもなるが己の体だけはどうにもならないものだ。
青白い顔で早々に辞去した部下を見送り、ずっと見物していた従兄弟へと視線を向けると彼は眉根を寄せている。
「なあ、なに怒ってんだよ」
腕を組んだまま仁王立ちでいるキンタローに尋ねると彼は目を軽く伏せた。
「キンタロー?」
少し離れていた位置にいたキンタローが静かに近づく。
なにに対して彼が苛立っているのか分からない。
はじめこそ、これを開発するために連日睡眠を削っていたのが祟って目つきが鋭くなっているのだろうと思っていた。
だが、あくびひとつ、眠そうな顔をしないで指示を飛ばすキンタローにそんな考えはすぐに吹っ飛んだ。
コイツは絶対気に入らないことがある!
そう思い立ったのは俺だけではなかったようだ。
必要なものを運びいれた団員は早々に辞去し、設計図を見ていたグンマも研究室へと戻った。
ただ一人、採寸の役を仰せつかった団員のみが今にも斃れそうな表情で手を動かしていた。
下がれといわれるまで、彼もきっと同僚のように出て行きたかったに違いない。
キンタローは足音も立てずに近づくと、軽くしゃがみこんだ。
部下が落としていったメジャーを拾い、指先でしゅるしゅると弄ぶ。
「なあ、なんかあったのかよ?まだ途中だろ。誰でもいいから呼んで来いよ」
俺は要らないといったのにキンタローが耐熱スーツも必要だと言い切ったのだ。
そんな火炎地獄みたいな戦場なんてないだろうといくら言っても聞かず、備えあれば憂いなしと言いくるめられてしまった。
それならそれで誰でも使えるものを作ればいいというのにキンタローは、
「部下には量産型でいいが、おまえはそうはいかない。もともといざという時しか使わないんだ。
体に合ったものがいいだろう」
と言い、あっという間に採寸の場を設けたのだ。
仕事が押しているというのに誰も文句を言うことはなかった。
重い総帥服では測りづらいというので、仕方なく私服へと着替えた。
襟足や肩周りを図るために髪を高く括らせられ……。
「暇じゃねえんだからとっとと終わらせようぜ。さっきからどうも頭が痛いんだよ。
いつもポニーテールなんてしねえしさ」
高く結った髪が引き攣れてこめかみの辺りがじんじんする。
ぐしゃぐしゃとかき回し、髪を解きたいのを我慢していると訴えるとキンタローは「分かった」と答える。
「そんなぴっちりしてなくていいから適当に図ろうぜ。今日一日こんなので潰したくないしな!
えっと……何番にコールすればいいんだよ?さっきの団員、おまえんとこの部下だよな」
開発担当の部署へはどこへ掛けたらいいんだろうか、と内線を手に取る。
しかし、メジャーを弄んでいたキンタローの手によってプッシュしようとしていた指は阻まれた。
そればかりかブチッと彼は線を本体から引っこ抜く。
「キンタロー!!電話切ってどうすんだよ!!」
呼ばなきゃ採寸の終わんねえだろ!!分かってねえな!と横にいるキンタローの襟首を掴む。
スーツの襟元は形が崩れたが、気にしていない様子でキンタローは「落ち着け」と言った。
「落ち着いていられるかよ」
「採寸は続けるに決まっているだろう。だが、誰も呼ばなくていい」
「どういうことだよ!?」
単純なことだ、とキンタローはうすい口唇に笑みを履きながら言う。
「シンタローのボディスーツは俺が採寸することにした。シンタローの体を他人に触れさせるのは我慢がならない。
髪を上げた時点であの団員は帰せばよかったな。おまえのうなじまで見せて……失敗した」
あの男の記憶は消せないものか、と本気で思案しているキンタローが怖い。
「……キンタロー」
それで怒ってたのかよと思わず脱力するとキンタローはにっこりと笑った。
安心しろ、という彼が一番安心できない。
「1ミリの狂いもなく測ってやるから」
「え!?おい……キンタロッ!適当でいいって……」
メジャーを手にしたままキンタローは俺が逃げられないようにしっかりと押さえつけた。
床に転がされて、馬乗りに乗り上げらる。
おいおいちょっと待てよ、と冷たい汗が背筋に流れた。
「キンタロー!!誰か来たらどうすんだよッ!!」
この体勢はヤバイだろ!!と暴れてもキンタローは意に介さない。
「機嫌の悪い俺のところに誰か来ると思うのか?
見られたとしてもたかだか採寸だ。途中でおまえか俺がその気になっていない限り、な」
恐ろしく機嫌のいい表情でキンタローが囁く。
なあ。俺、耐熱スーツなんか着る予定ないんだけど……。
そんな戦場ってあるのかよ、と全身をくまなく採寸し始めるキンタローに以前言ったことを蒸し返す。
けれども、キンタローが止めるはずもない。
何を言っても状況は変わらず、そして明らかに採寸にかかる時間をオーバーしていたというのに誰も助けには来なかった。■SSS.31「タイ」 キンタロー×シンタロータイを直してやるとリキッドは短く礼を言った。
別段、どうということもない。
曲がっていたのがなんとなく気になって直したまでだ。
眼前で繰り広げられる結婚式は、今までシンタローが見たものとは違ってナマモノ同士のものだったが、それでもやはり微笑ましく心が洗われる光景のものだった。
突然の式に朝から追われていた所為で少し眠い。
新婦が気恥ずかしげに目を伏せたのを見ながら、シンタローはこっそりとあくびをする。
目ざとく見つけたリキッドにここぞとばかりにじっと見られたが何も言わずに蹴ってやった。
(俺に文句言おうなんざ10年早いんだよ)
***
時代錯誤な重たい引き出物をパプワの分も運んで、家に帰るとすぐさまリキッドがジャケットを脱いだ。
日頃の肩の凝らない服装と違って疲れたのだろう。
それでも脱ぎ散らかしはせずに皺にならないようにきちんと畳んでいる。
式場で簡単なものを摘んだとはいえ、育ち盛りのパプワがアレで満足するとは思えない。
早く夕メシにとりかからねえと、とシンタローもジャケットを脱ごうとボタンに手をかけた。
「あ。シンタローさん、脱いだらこっちに掛けてください」
一応、洗っておきますんで、とリキッドがズボンを脱ぎながら言った。
おう、と返事をしてシンタローはジャケットを脱ぐと、とりあえずその場に軽く畳んでおいた。
いつものランニングを引き寄せておいて、タイごとシャツを取り払おうと首元を緩めると、シンタローの目に下だけ着替え終わったリキッドが目に入った。
タイとシャツの間を指先で強引に緩めている。
(おいおい。それじゃシャツもタイも傷むだろうが……)
ああいう形のタイはアイロンかけるのが面倒なんだよな、とシンタローは自分のことを棚に上げてそう思った。
キンタローだったらきちんと順序良く着替えるだろう・
それこそ横着して、シャツと一緒に脱ごうとしてる俺を怒るんだろうな、と脱いだシャツを足元に放りながら思う。
ランニングを被り、結んだ髪を左右に振りながら頭を出すと、ちょうどリキッドがほどいたタイを手に取ったままシャツを脱ぎかけているのが見えた。
(キンタロー……)
その仕草はキンタローとは似ていない。
従兄弟のようにしゅるりと小気味よい音を響かせて首元からタイを抜き取ったわけでもない。
滑らかな指先でもない。着替える時にボタンを外