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hj
くすぐる

 キスまでは、いい雰囲気だった。その前に飲んだ極上の酒のせいかもしれないが、甥はいつもより素直だったし、おかげで俺の機嫌も良かった。
 だが、シャツの釦を外し、肌を愛撫し始めたとたん、甥は唐突に笑い出した。無視して行為を続けようかとも思ったが、甥の爆笑が一向に納まらず、ついには腹をかかえてしまったのを見て、俺はため息をついて身体を離した。
「……いったい、なんだってんだ。急に」
 不機嫌さを隠さずに言うと、甥は目尻の涙を拭いながら、「だって」と弁解する。
「だって、あんたの手が、くすぐったくて」
 我慢できなかったのだと、せっかくの雰囲気をぶち壊しておきながら、甥は悪びれる様子もない。
 甥に言われて改めて手を見ると、指先は乾燥して白く粉をふいたようになっており、爪も先端があちこちひび割れてささくれができていた。
「うわ、ひでえ手荒れ。水仕事でもしてたのか、あんた」
 一緒になって手を覗き込んでいた甥がふざけて言う。むろんそんなはずはなく、この手荒れは長い遠征のおまけのようなものだった。ことさら気にする余裕もなく、いつの間にか慣れてしまっていたのだが、今になって思わぬところに落とし穴があったというわけだ。
 俺は甥の頭を軽く小突くと、行為の先を続けるべきか否か少し迷った。続きをしたいのは山々だが、また爆笑されるのだろうかと思うと気力が萎える。ついでに甥が「そんなぎざぎざの爪で俺に突っ込むつもりだったのかよ」などと身も蓋もなく非難するものだから、余計に気持ちが落ち込んだ。
 ふてくされて寝転んだ俺を、甥が笑みを浮かべて見る。
「……続き、しないのか」
「がさがさの手じゃ、嫌なんだろうが?」
 俺は脇机の煙草を取り、それに火をつけた。しばらくその様子を見守っていた甥は、俺が半ばほどまで煙草を吸い終えたころ、俺から煙草を奪ってそのまま灰皿に押しつけた。
「なにしやがる」
「余所見するあんたが悪い」
 睨む俺を気にもせず、甥は俺の手を取ると、そのうちの一本を口に咥えた。ゆっくりと舐めしゃぶり、唾液をからませると、別の一本に移る。そうして乾いた指先を全て湿らせて、甥は悪戯っ子のように笑った。
「こうすれば、気にならない」
 ──あとは爪で傷つかないように、あんたが気を使ってくれればいい話だ。
 甥はまだ乾いたままの方の手を取ると、それにも舌を這わせ始めた。うっかりそれを凝視しそうになった俺は、甥の珍しい積極的な誘いに答えるべく、濡れた手をその身体に滑らせた。
 ──要するに、笑う余裕すら奪ってみろって、そういうことだろ?


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(07.04.17.)
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hj
悪態をついて、それから

 自分の失敗に気がついたのは、間抜けにもかなり時間が経ってからのことだった。
 総帥室に入り、座りなれた椅子に腰を落ち着けたとたん、鼻先をかすめた香りに、俺は顔をしかめた。
 ──それは、もうほとんど奴自身の体臭と化してしまったような、苦味のある煙草の香りだった。
 一瞬、奴の体臭が移ったか、とも思ったが、それにしては香りがきつすぎる。確かに昨夜は奴と一緒にいたが、こんなふうに直接燻されたのかと思うほど大量の煙草を吸っていた覚えはなかった。俺が眠った後の奴の行動までは保障できないが、朝早くにシャワーは浴びてきたし、それにこれは移ったというような生易しい香りではない。
 ……おまけに、数日間着続けた服特有の──ついでに言えば中年男特有の──汗と脂の微妙な臭いまでして、俺はすぐさま総帥服の下に身につけたシャツを脱ぎ捨てたくなった。
 だが、それをしようにも、あいにく替えのシャツはない。相棒や秘書に連絡して持ってこさせようかとも思ったが、その理由を説明するのが面倒でやめた。このことに関しては、いくら双子同然の相棒や勝手知ったる秘書とはいえ──いや、だからこそ、聡い相手に少しでも察知されたくはないと思うのだ。
 俺は椅子の上で身じろぎした。気づいたとたん、やたらシャツが肌にまとわりつくような気がする。不潔なものを身につけているという嫌悪感よりもむしろ、意識せざるを得ない強烈な煙草の香りが容易に昨夜の記憶を引き連れてきて、整然とした職場で俺は頭を抱えたくなった。
 今日一日、この状態で仕事をするのか。いやむしろその後、このシャツをどう処分したらいいのか。
 洗って返すのではなんだか俺が奴の家政婦みたいで苛立たしい。それにシャツを返すという口実で、あまり間を置かずに奴と顔を合わせることになるのもどうか。奴が返せと言ってくるのならともかく。
 かといって、このシャツをすぐさま捨ててしまうのも、なんだか後ろめたいような気がする。──あくまでもシャツに対して、だが。
 つまらないことを真剣に考えて興奮したせいか、体温に煽られて煙草の香りがさらにきつくなったように思う。汗で肌に張り付いたシャツは、いっそう俺をいたたまれない気持ちにさせた。


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 違和感に気づいたのは、甥が部屋から出て行ったあと、煙草でも吸うかと、いつもの習慣で無意識にシャツのポケットを探ったときのことだった。
 ポケットの中に目的のものはなかった。──当然だ。ことが終わって眠る甥の隣で一服したあと、脇卓に放り投げておいたままだったのだから。
 だが、問題はそんなことではなかった。
 かすかではあるが、妙に清潔感のある爽やかな香りに、俺は眉をひそめた。この香りには覚えがあると思い、俺はすぐさまその答えにたどりついた。なぜなら、その香りは、昨夜身近で嗅いだばかりのものだったのだから。
 俺は舌打ちして、乱暴に頭をかき回した。服を取り違えるなんざ、ずいぶんとだらしなく寝ぼけていたものだ。先に着替えたのは甥の方なのだから、間抜けなのはあちらの方で、自分に非はないとも言えるが、それにしたって袖を通した時点で気づくぐらいできるだろう。
 軽くて肌触りのいいシャツに、今更のように落ち着かなくなる。甥が着て行ってしまったらしい自分のシャツは、ここ数日着替えた覚えがないもので、そうとう汚れくたびれていたはずだ。綺麗好きの甥がいつまでもそのことに気づかないなんてことはないだろう。速攻ゴミ扱いか、良くて洗濯機直行か──どちらにしろすぐさま脱ぎ捨てられるに違いないと思うと、当然のことではあるのになぜだかやたら腹が立った。
 甥がなにか言ってくるまで、俺は知らぬふりを決め込むことにした。向こうが勝手に俺のシャツを捨てるのなら、こちらが甥のシャツを勝手に失敬したところでかまわないはずだ。着るものを特別気にしたことはない。むしろ仕立てのいいシャツを手に入れられて、得したと言ってもいいくらいだ。
 俺は脇卓の煙草に手を伸ばし、一本咥え火をつけようとして──やめた。火をつけずにただ咥えているだけでさえ、煙草からは独特の乾いた強い香りが漂ってくる。それは簡単にシャツの残り香をかき消してしまった。いつものように煙草を吸い続ければ、その香りはあっという間にシャツへと染み付いてしまうだろう。そしてそうした方が、俺にはきっとずっと過ごしやすい。──だがなぜだか、煙草を吸う気にはなれなかった。
 俺は苛立ちも顕わに煙草を箱に戻した。このまま煙草を吸わないでいるなど考えられない。今すぐに着替える必要があったが、あいにく服は飛行船に汚れ物がいくつかあるだけ。新しいものを買おうにも金はない。部下から巻き上げるか、親族にたかるかする必要がある。
 飛行船にいるであろう部下たちも、昨日久しぶりに顔を合わせたばかりの親族も、おそらく俺が煙草を口にしていないことに気づくだろう。そのことをいちいち指摘するほど間抜けな奴らではないだろうが、気づかれたというだけで十分不快な出来事だ。
 単純にシャツを脱いでしまえばいいのに、俺はそれもしなかった。室内の空調は万全で、ことさら外にでなければならない理由もなかったにもかかわらず。
 俺はしばらく抵抗したあと、言い訳がましく携帯電話を手に取った。甥が電話口に出るまでに、袖を通す前から服が違うことにはとっくに気づいていましたという態度を整えておかねばならなかった。


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(07.07.02.)
hg
思わず言ってしまいそうになって

 俺が子供なら泣いている。あるいは女でもあれば、あんたに縋って引き止めることもできるのかもしれない。あんたは冷たい男じゃないから、最後には行かねばならないのだとしても、泣く女子供をあっさり無下にすることはしないだろう。しばしとはいえ止まって、別離の傷を少しでも浅くするような言葉をかけてくれるのかもしれない。あるいは抱擁を──あるいは口づけの一つでも。……俺が無力な生き物であったなら。
 だが俺は女でも子供でもなく、まして無力で無能な生き物でもなかった。しかし例えそうでなくとも、シンタロー個人としてなら、あんたを引き止めることはできたのかもしれない。一時の激情とあんたのいないこれから先の長い時間を天秤にかければ……俺が少しでもそのことを思い出すことができたなら、そのときには。
 しかし俺はシンタロー個人である以前にガンマ団総帥で、あんたは特戦部隊隊長だった。団の方針・運営に係ることに、私情を差し挟むなどできるはずもない。まして、血の近い者ばかりが要職を占めるガンマ団にあっては、なおさらのこと。
 俺はガンマ団とその団員と世界の均衡とを担わねばならなかった。あんたは特戦部隊とその隊員の矜持を一身に引き受けねばならなかった。前総帥のやり方を根底から覆してしまった俺と、前総帥の下で長年活動してきたあんたとでは、上手くいかないだろうことはもうそもそもの始めから明らかだった。親父から俺に代替わりしたとき、ガンマ団を離れていった者は大勢いた。今更それにあんたが加わったのだとしても、俺にはもうどうすることもできない。
 ──ただ、どうせ離れていくのなら、俺の総帥就任時に出て行ってくれれば、まだよかったのに。
 それは俺の甘えだったのかもしれない。こうなることをあらかじめ予測していながら、あんたが自ら団を出て行かなかったことに、俺は内心安堵していた。変革期に前総帥の弟であり特戦部隊隊長でもあるあんたまでが団を離れるなどということがあれば、改革を推し進めることは一層困難になっただろう。だが、そんな政治的な理由ではなしに、俺はあんたが俺の傍にいてくれたことが嬉しかった。俺の目指しているものを、少しでも理解してくれたのだろうと思っていた。これまでもぶつかることは多々あった相手だから、これからも簡単にはいかないだろうが、それでもいつかはわかりあえる日が来るのだろうと、そんな期待すら抱いた。──俺自らが特戦部隊を切り捨てる方法もあるのだということを、俺は故意に無視していた。そうすることが最終的には、最も傷の少ない方法だったのだとしても。
 ……それらの錯覚や願望は、結局、無残としか言いようのない結末を招きよせてしまったのだけれど。
 俺の方が重いものを担っているのだなどと言い張るつもりはない。俺たちは、お互いに己の役割に忠実であろうとしただけなのだ。
 俺が総帥でなければ、と時折思う。真紅の総帥服を着ているときは、そんなことはもとより、あんたのことすらなるべく考えないようにしているけれども、自室に戻って私服に着替えた後、唐突に空虚な思いに囚われることがある。俺はガンマ団総帥であるがゆえに、こうしてあんたとの家族の絆まで断ち切らざるを得なかったのだと、呆然と思い至ってしまう瞬間が。
 ──例え俺が総帥でなかったとしても、きっとあんたのやり方は受け入れられなかっただろう。だが、ただの団員と特戦部隊隊長では、大きな対立に発展するはずもない。それに決別したところで、切れるのは組織上の関係だけで、家族としての絆は──多少は疎遠になるかもしれないが──こうまで完璧に断ち切られることには、ならなかったはずだ。
 しかし今や俺はガンマ団の総帥で、その俺が特戦部隊を切り捨てたというのなら、そこにはもはや家族の情もなにもありはしない。特戦部隊がガンマ団に復帰することは、もう二度とない。ガンマ団本部兼自宅であり、俺の居場所でもあるここにあんたが帰ってくることも、もう二度と。
 ……ここのところ、窓の外を眺める時間が増えている。こないだうっかり仕事中にそれをして、未だ人の感情の機微には疎い従弟に、職務怠慢だと叱られた。もう一人の能天気だが鋭いところのある従兄は、時折もの問いたげな目で俺のことを見つめてくる。だが、おそらくいよいよというところになるまで、この従兄はなにも言ってはこないだろう。一方の俺も、いつまでもそんな自堕落を自分に許すつもりはなかった。
 特戦部隊の不在など、なにも今に始まったことではない。あんたの所在が掴めないのもいつものことだ。どうせどこぞで突拍子もないときにくたばるのだろうとも思っていた。それと同じことだ。以前となにも変わってはいない。──ほとんどなにも。
 珍しく仕事が早く終わったこの日も、俺は自室で窓にもたれ、ぼんやりと夕暮れの空を眺めていた。部屋に引きこもった俺を、意外にも家族はそっとしておいてくれる。気を遣われているのだろうかと思うと、少し苛立たしくもあった。そんなに俺は憔悴しているように見えるのだろうかと、不甲斐ない自分自身に対しても。
 ……だが実際、虚勢を張る気力すら、最近は覚束ないのが実情だ。
 窓の外の空は、見つめるうち、西の地平線に一刷毛の焔色を残し、ゆっくりと濃い群青色へと変化していった。辺りがすっかり暗くなって星が瞬き始めるまで、俺はそのままの姿勢で窓辺に佇んでいた。こんな気の抜けた様子を家族に見咎められるのが嫌で、俺は、「今だけだ」と言い訳がましく独り言ちながら、自室で繰り返し空を眺める。今日のように日のあるうちに帰れることは滅多にないから、たいていは彼誰時の薄紅を、そしてごく稀に黄昏時の茜色を。墨色の夜空ではなにも見えず、しかし真昼の青空はなにもかもが清澄にすぎて、どちらもなぜだか見るに耐えないものに思われた。
 ──本当に見たいものを、俺は見るわけにはいかない。
 俺は早くこの状況に慣れてしまわなければならない。俺の躊躇は、そのままガンマ団の動揺へとつながる。総帥自らが下した決断を後悔するなど、あってはならないことだ。
 だが、そんな俺を嘲笑うかのように、時折特戦部隊の近況が俺の元に届く。ガンマ団を離れた今、特戦部隊の驚異的な戦闘能力は当然見過ごしにできるものではなく、敵国の状況並に、その動きは逐一俺のところに報告されていた。──もっとも、よほどろくでもないことをしでかさない限り、ほとんどの報告は全て従弟に任せきりにしていたのだが。
 ただ、そのろくでもない情報は、俺が仕事に忙殺されているときや、遠征を終えて一息ついているときなど、あんたのことをすっかり忘れてしまっているときに限って、狙ったかのように告げられるのが常だった。そのたびに俺は苦虫を噛み潰したような顔をし、心中でそっと一喜一憂する。離脱した特殊部隊の動向とはいえ、それは本来なら総帥に報告するには些細すぎる内容のものだった。こんなわずらわしい報告はもう必要ないと、従弟に一任すればそれで十分事足りる程度の。なのに俺は、不意打ちのようにもたらされるその報告を、一度も拒むことはなかった。
 ──結局は、どんな形であっても、俺はあんたとつながっていたいのだろうか。いつかあんたが帰ってくるかもしれない可能性を、確保していたいのだろうか。
 甘い考えは持つだけ無駄だとわかっている。それに、この状況がお互いに良くないものであると、誰が言い切れるだろう。特戦部隊離脱直前に比べて、現状が悪いなどと、いったい誰が?
 ──良識を持つ者なら誰もが、これは避けられないものだったと言うだろう。遅かれ早かれ、特戦部隊は離脱することになっただろう、と。そしてそれは正しかったのだ、と。総帥としての俺の判断も同じようなものだった。──ひょっとしたら、特戦部隊隊長としてのあんたの考えも、似たようなものなのかもしれないな。
 ……だが、それなら、と俺は思う。それならばどうして、俺は特戦部隊の動向を、いちいち気にかけているのだろう。そしてどうしてあんたは、まるで俺の気を引くかのように、時折暴れてみせるのだろう。
 総帥の仕事は膨大にある。離脱した部隊の動きなど、それが特に警戒の必要なものでない限り、わざわざ確認するほどのこともない。──そしてあんたはと言えば、団を離れて好き勝手できるはずなのに、ガンマ団に楯突くような素振りを見せることは決してなかった。それを思えば、むしろ所属していたころの方がひどかったくらいだ。報告書に記された特戦部隊の所業は、あんたらにしてみれば暴れたなどとはとても言えないような、実にささやかないざこざばかりだった。
 俺がシンタロー個人としての自分より、総帥としての自分を優先させるのは当然だ。そしてそれはきっと特戦部隊隊長の肩書きを持つあんたも同じだったのだろう。だからこそ特戦部隊はガンマ団を離脱した。だが、未だ総帥という地位に縛られた俺と違い、あんたはもう自由だ。周囲には、部下というより、苦楽を共にした仲間のような奴らしかいない。多少の我儘も、今ならば許される。そう、今ならば──
 窓の外に眼をやりながら、俺はため息をついた。一瞬窓が曇り、瞬く間に晴れていく。俺は、ぼんやりと空を眺め、不意に視界の端をかすめる黒いものに慌てて正気にかえっては、それが鳥や木の葉、あるいはただの錯覚であったことに気づいて軽く落胆するということを、さっきから何度も繰り返していた。
 今ならば……いったい、なにができるというのだろう。
 ……俺は毎日、なにを待っているのだろう。
 俺はいつも、あんたになにかを期待しすぎてしまうのだろうか、と思う。俺はあんたになにを夢見ているのだろう。なぜ何度も決別していながら、また近づく術を模索してしまうのだろう。
 ──こんな社会的な状況に縛られた、絶望的な断絶の中でさえ、もう一度などと、どうして。
 だが、いくら懲りない俺たちでも、今回ばかりはどうにもならないだろう。いくら俺があんたを気にかけ、あんたが俺を意識したとしても、もうどうにも。
 俺がガンマ団総帥でなければよかった。もしくはあんたが特戦部隊隊長でなければ。どちらか一方の条件でも満たされていなければ、俺たちはここまで完璧に絆を断ち切られることなどなかったろうに。
 そしてシンタロー個人としての俺は、心密かにあんたに馬鹿な望みをかけている。あんたが公より私情を優先させてしまう瞬間がありはしないかと。特戦部隊よりガンマ団より、俺を選んでくれることがありはしないかと。
 ──しかしもし万が一そんな事態になった場合には、総帥としての俺も個人としての俺も、あんたを心から軽蔑することだろう。
 ……だが、最も愚かなのは、そのくせあんたに馬鹿な期待をしてしまう、俺自身であるのに違いない。


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(07.03.14.)
hj
思わず言ってしまいそうになって

 俺が子供なら泣いている。あるいは女でもあれば、あんたに縋って引き止めることもできるのかもしれない。あんたは冷たい男じゃないから、最後には行かねばならないのだとしても、泣く女子供をあっさり無下にすることはしないだろう。しばしとはいえ止まって、別離の傷を少しでも浅くするような言葉をかけてくれるのかもしれない。あるいは抱擁を──あるいは口づけの一つでも。……俺が無力な生き物であったなら。
 だが俺は女でも子供でもなく、まして無力で無能な生き物でもなかった。しかし例えそうでなくとも、シンタロー個人としてなら、あんたを引き止めることはできたのかもしれない。一時の激情とあんたのいないこれから先の長い時間を天秤にかければ……俺が少しでもそのことを思い出すことができたなら、そのときには。
 しかし俺はシンタロー個人である以前にガンマ団総帥で、あんたは特戦部隊隊長だった。団の方針・運営に係ることに、私情を差し挟むなどできるはずもない。まして、血の近い者ばかりが要職を占めるガンマ団にあっては、なおさらのこと。
 俺はガンマ団とその団員と世界の均衡とを担わねばならなかった。あんたは特戦部隊とその隊員の矜持を一身に引き受けねばならなかった。前総帥のやり方を根底から覆してしまった俺と、前総帥の下で長年活動してきたあんたとでは、上手くいかないだろうことはもうそもそもの始めから明らかだった。親父から俺に代替わりしたとき、ガンマ団を離れていった者は大勢いた。今更それにあんたが加わったのだとしても、俺にはもうどうすることもできない。
 ──ただ、どうせ離れていくのなら、俺の総帥就任時に出て行ってくれれば、まだよかったのに。
 それは俺の甘えだったのかもしれない。こうなることをあらかじめ予測していながら、あんたが自ら団を出て行かなかったことに、俺は内心安堵していた。変革期に前総帥の弟であり特戦部隊隊長でもあるあんたまでが団を離れるなどということがあれば、改革を推し進めることは一層困難になっただろう。だが、そんな政治的な理由ではなしに、俺はあんたが俺の傍にいてくれたことが嬉しかった。俺の目指しているものを、少しでも理解してくれたのだろうと思っていた。これまでもぶつかることは多々あった相手だから、これからも簡単にはいかないだろうが、それでもいつかはわかりあえる日が来るのだろうと、そんな期待すら抱いた。──俺自らが特戦部隊を切り捨てる方法もあるのだということを、俺は故意に無視していた。そうすることが最終的には、最も傷の少ない方法だったのだとしても。
 ……それらの錯覚や願望は、結局、無残としか言いようのない結末を招きよせてしまったのだけれど。
 俺の方が重いものを担っているのだなどと言い張るつもりはない。俺たちは、お互いに己の役割に忠実であろうとしただけなのだ。
 俺が総帥でなければ、と時折思う。真紅の総帥服を着ているときは、そんなことはもとより、あんたのことすらなるべく考えないようにしているけれども、自室に戻って私服に着替えた後、唐突に空虚な思いに囚われることがある。俺はガンマ団総帥であるがゆえに、こうしてあんたとの家族の絆まで断ち切らざるを得なかったのだと、呆然と思い至ってしまう瞬間が。
 ──例え俺が総帥でなかったとしても、きっとあんたのやり方は受け入れられなかっただろう。だが、ただの団員と特戦部隊隊長では、大きな対立に発展するはずもない。それに決別したところで、切れるのは組織上の関係だけで、家族としての絆は──多少は疎遠になるかもしれないが──こうまで完璧に断ち切られることには、ならなかったはずだ。
 しかし今や俺はガンマ団の総帥で、その俺が特戦部隊を切り捨てたというのなら、そこにはもはや家族の情もなにもありはしない。特戦部隊がガンマ団に復帰することは、もう二度とない。ガンマ団本部兼自宅であり、俺の居場所でもあるここにあんたが帰ってくることも、もう二度と。
 ……ここのところ、窓の外を眺める時間が増えている。こないだうっかり仕事中にそれをして、未だ人の感情の機微には疎い従弟に、職務怠慢だと叱られた。もう一人の能天気だが鋭いところのある従兄は、時折もの問いたげな目で俺のことを見つめてくる。だが、おそらくいよいよというところになるまで、この従兄はなにも言ってはこないだろう。一方の俺も、いつまでもそんな自堕落を自分に許すつもりはなかった。
 特戦部隊の不在など、なにも今に始まったことではない。あんたの所在が掴めないのもいつものことだ。どうせどこぞで突拍子もないときにくたばるのだろうとも思っていた。それと同じことだ。以前となにも変わってはいない。──ほとんどなにも。
 珍しく仕事が早く終わったこの日も、俺は自室で窓にもたれ、ぼんやりと夕暮れの空を眺めていた。部屋に引きこもった俺を、意外にも家族はそっとしておいてくれる。気を遣われているのだろうかと思うと、少し苛立たしくもあった。そんなに俺は憔悴しているように見えるのだろうかと、不甲斐ない自分自身に対しても。
 ……だが実際、虚勢を張る気力すら、最近は覚束ないのが実情だ。
 窓の外の空は、見つめるうち、西の地平線に一刷毛の焔色を残し、ゆっくりと濃い群青色へと変化していった。辺りがすっかり暗くなって星が瞬き始めるまで、俺はそのままの姿勢で窓辺に佇んでいた。こんな気の抜けた様子を家族に見咎められるのが嫌で、俺は、「今だけだ」と言い訳がましく独り言ちながら、自室で繰り返し空を眺める。今日のように日のあるうちに帰れることは滅多にないから、たいていは彼誰時の薄紅を、そしてごく稀に黄昏時の茜色を。墨色の夜空ではなにも見えず、しかし真昼の青空はなにもかもが清澄にすぎて、どちらもなぜだか見るに耐えないものに思われた。
 ──本当に見たいものを、俺は見るわけにはいかない。
 俺は早くこの状況に慣れてしまわなければならない。俺の躊躇は、そのままガンマ団の動揺へとつながる。総帥自らが下した決断を後悔するなど、あってはならないことだ。
 だが、そんな俺を嘲笑うかのように、時折特戦部隊の近況が俺の元に届く。ガンマ団を離れた今、特戦部隊の驚異的な戦闘能力は当然見過ごしにできるものではなく、敵国の状況並に、その動きは逐一俺のところに報告されていた。──もっとも、よほどろくでもないことをしでかさない限り、ほとんどの報告は全て従弟に任せきりにしていたのだが。
 ただ、そのろくでもない情報は、俺が仕事に忙殺されているときや、遠征を終えて一息ついているときなど、あんたのことをすっかり忘れてしまっているときに限って、狙ったかのように告げられるのが常だった。そのたびに俺は苦虫を噛み潰したような顔をし、心中でそっと一喜一憂する。離脱した特殊部隊の動向とはいえ、それは本来なら総帥に報告するには些細すぎる内容のものだった。こんなわずらわしい報告はもう必要ないと、従弟に一任すればそれで十分事足りる程度の。なのに俺は、不意打ちのようにもたらされるその報告を、一度も拒むことはなかった。
 ──結局は、どんな形であっても、俺はあんたとつながっていたいのだろうか。いつかあんたが帰ってくるかもしれない可能性を、確保していたいのだろうか。
 甘い考えは持つだけ無駄だとわかっている。それに、この状況がお互いに良くないものであると、誰が言い切れるだろう。特戦部隊離脱直前に比べて、現状が悪いなどと、いったい誰が?
 ──良識を持つ者なら誰もが、これは避けられないものだったと言うだろう。遅かれ早かれ、特戦部隊は離脱することになっただろう、と。そしてそれは正しかったのだ、と。総帥としての俺の判断も同じようなものだった。──ひょっとしたら、特戦部隊隊長としてのあんたの考えも、似たようなものなのかもしれないな。
 ……だが、それなら、と俺は思う。それならばどうして、俺は特戦部隊の動向を、いちいち気にかけているのだろう。そしてどうしてあんたは、まるで俺の気を引くかのように、時折暴れてみせるのだろう。
 総帥の仕事は膨大にある。離脱した部隊の動きなど、それが特に警戒の必要なものでない限り、わざわざ確認するほどのこともない。──そしてあんたはと言えば、団を離れて好き勝手できるはずなのに、ガンマ団に楯突くような素振りを見せることは決してなかった。それを思えば、むしろ所属していたころの方がひどかったくらいだ。報告書に記された特戦部隊の所業は、あんたらにしてみれば暴れたなどとはとても言えないような、実にささやかないざこざばかりだった。
 俺がシンタロー個人としての自分より、総帥としての自分を優先させるのは当然だ。そしてそれはきっと特戦部隊隊長の肩書きを持つあんたも同じだったのだろう。だからこそ特戦部隊はガンマ団を離脱した。だが、未だ総帥という地位に縛られた俺と違い、あんたはもう自由だ。周囲には、部下というより、苦楽を共にした仲間のような奴らしかいない。多少の我儘も、今ならば許される。そう、今ならば──
 窓の外に眼をやりながら、俺はため息をついた。一瞬窓が曇り、瞬く間に晴れていく。俺は、ぼんやりと空を眺め、不意に視界の端をかすめる黒いものに慌てて正気にかえっては、それが鳥や木の葉、あるいはただの錯覚であったことに気づいて軽く落胆するということを、さっきから何度も繰り返していた。
 今ならば……いったい、なにができるというのだろう。
 ……俺は毎日、なにを待っているのだろう。
 俺はいつも、あんたになにかを期待しすぎてしまうのだろうか、と思う。俺はあんたになにを夢見ているのだろう。なぜ何度も決別していながら、また近づく術を模索してしまうのだろう。
 ──こんな社会的な状況に縛られた、絶望的な断絶の中でさえ、もう一度などと、どうして。
 だが、いくら懲りない俺たちでも、今回ばかりはどうにもならないだろう。いくら俺があんたを気にかけ、あんたが俺を意識したとしても、もうどうにも。
 俺がガンマ団総帥でなければよかった。もしくはあんたが特戦部隊隊長でなければ。どちらか一方の条件でも満たされていなければ、俺たちはここまで完璧に絆を断ち切られることなどなかったろうに。
 そしてシンタロー個人としての俺は、心密かにあんたに馬鹿な望みをかけている。あんたが公より私情を優先させてしまう瞬間がありはしないかと。特戦部隊よりガンマ団より、俺を選んでくれることがありはしないかと。
 ──しかしもし万が一そんな事態になった場合には、総帥としての俺も個人としての俺も、あんたを心から軽蔑することだろう。
 ……だが、最も愚かなのは、そのくせあんたに馬鹿な期待をしてしまう、俺自身であるのに違いない。


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(07.03.14.)
hgs
どちらが先に根負けするか

「──あんたが最初から、ちゃんと俺のことを見ててくれれば、それだけで良かったのに」
 口にしたとたん、馬鹿なことを言った、と思った。これではまるで泣き言のようじゃないか。こいつの前で泣くなんて、子供のときでもしたことがないのに。
 しかし実際、俺の頭の中はぐちゃぐちゃで、勝手に出てくる涙をこらえるので精一杯だった。


 かつてあんたは俺のことなどなんとも思っちゃいなかった。せいぜいが兄の子供である、ただそれだけの存在だった。ひょっとしたら、憎んでいた時期もあったのかもしれないな。あんたが嫌いなあの男に似ている、ただそれだけの理由で。でもそれは、どちらも俺に向けての関心じゃない。あんたは俺を通して、兄弟を、あるいは憎いあの男を見ていたんだ。あんたにとって、俺自身はどうでもいい人間だった。なんらかの特別な感情を持つ価値さえない、ガラクタ程度の重みさえない生き物だった。
 ──でも、そうだったからこそ、俺はあんたの好意を信じていられたんだ。
 それがこの世に存在するはずのないものだからこそ、俺はそれを信じた。そこには信じる余地があった。なにもないからこそ、思うことも夢見ることも自由だった。本物ではないかもしれない、飢えもおさまらないかもしれないけれども、俺はそれで十分満足していたんだ。そのままで良かった。強烈な現実よりも、生温いまどろみのままで。
 ──それが今や、あんたは俺のことが好きだと言う。俺のことが欲しいのだと。
 ……あるはずのないものが現実になったのなら、それを信じていた俺は考えを変えなければならない。
 あんたの俺に対する好意は存在する。だからもう、それを信じることはない。


「──ああ、そうだ。俺の気持ちは確かにちゃんとここにある。だから信じる必要はない。受け入れるか、拒絶するかだ」
 そう言って不敵に笑うこの男を、俺は心底嫌いだと思った。


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「──いったい、あんたのなにを信じろって言うんだ」
 そう言い捨てて、素直じゃない甥は、真一文字に結んだ唇を、無理矢理笑みのかたちに歪めた。いったいそこになにを押し隠すつもりなんだか、と俺は思う。隠したところで、お前の考えなんざ、こっちは全部お見通しなんだよ。


「──ああ、そうだ。俺の気持ちは確かにちゃんとここにある。信じるとか信じないとかの問題じゃねえ。受け入れるか拒絶するかだ。お前は論点をすり替えて、自分を誤魔化してるだけなんだ。逃げるんじゃねえよ、今更。嫌なら拒め。でなけりゃ俺を受け入れろ。二つに一つだ。簡単なことだろうが? お前が決断しないってんなら、俺は自分の都合のいいように、勝手にやらせてもらうぜ?」
 甥がこちらを睨んでくる、その鋭い目つきがいっそ心地良いくらいだった。他の誰かなら秒殺だろうが、あいにくと俺にはそれは通用しない。その程度の威嚇など痛くも痒くもないし、むしろかえって無茶をしたくなるというものだ。
 とは言え、甥が一言「嫌だ」と言いさえすれば、俺は本当に引き下がるつもりだった。拒まれてなお無理を通そうとするほど、俺はもう若くないし馬鹿でもない。ただ歳を取った分、そこそこ狡賢く、なにより臆病になっていた。俺はたかがこの程度のごり押しで、家族でもある甥との絆が最後の一つまで切れてしまうことを、内心ひどく恐れていたのだ。
 ──もしかしたら、甥も同じことを考えているのかもしれない。だからこそ、普段のようにあっさりと俺を拒絶することなく、こうして口を噤んでいるのだろうか。
 だが、それだけでなく、甥がこのやりとりに二の足を踏むのも当然だと、俺は自嘲気味に考えていた。……俺にはかつて、こいつとのささやかな信頼関係を反故にした前科があるのだ。
 それはこいつには全く責任のない、俺の一方的な思い込みにすぎなかったのだが、当時、未だ幼かった甥は、俺の思う以上に、そのことに傷ついていたのだろう。だからもう二度と同じことは御免だと、こうして必要以上に警戒しているのだ。
 ──そのことごとくが裏目に出ているのは、やはりまだ純真なのだと言うべきか。
 この場合、否定は肯定となり、拒絶は享受と同意だ。自分が隠された本当の心情を吐露していることに気づかず、ただ傷つきたくないのだと心を鎧うこいつを、ひどく愛しく思う。俺の手で傷つけたのなら、同じ俺の手で癒せないものかと願う。……昔どこかで、それは可能だと聞いた覚えがあるのだが。
 まだ喉の奥に隠している言葉があるのなら、さっさとそれを吐き出してしまえばいい。腐ってから吐き出されても、困るのはお互い様だからな。
 しかしこの頑固な甥は、腐った言葉でもそのまま腹に納めてしまいかねなかった。最後にはそれで苦しむことがわかっていても、咄嗟に目の前のプライドを優先させるタイプだ。──俺自身、人のことは言えないが。
 だからこういうとき、俺は自分が傍若無人と評されるような人間であることを思い出すようにしている。甥の心に無造作に踏み込んでも、俺が相手なのだからどうしようもないのだと、強引に納得させられる都合のいい評価だ。
「──答えはなしか? いい加減、時間切れだぜ」
 事態を先へ進めるべく、俺は痺れを切らしたふりをした。甥が黙ったままなのをいいことに、俺は少々乱暴にその顎をつかむと、素早く唇を重ね合わせる。突然のことに呆然とそれを受け止めた甥が、我に返って逃れようとするのを、がっちりと押さえつけた。触れた部分から甥の震えが伝わってきて、それに意外なほど興奮させられる。ことさらゆっくりと舌を這わせ、反応を促すよう時折唇をゆるく噛んでみても、なかなか甥は陥落しない。なにも感じていないはずはないのだが、これは思った以上に手間がかかりそうだった。俺は苦笑しながら唇を離し、鼻が触れ合うほど近くから甥の目を覗きこんだ。甥の心情そのままに不安定に揺れ動く視線を捉えながら、俺は甥の右手を取って自分の左胸、心臓の真上に引き寄せる。
「……お前があくまで『信じていたかった』ってんなら、かまわねえぜ。そうするといい。余計な現実を──俺をこの世から消しちまえよ。今なら、一発ですむ。ごく弱い《眼魔砲》でもな」
 俺がそう言うと、甥は目を見開いて身体を強張らせた。
「俺がいなくなれば、その後でなにをどう想おうがお前の勝手だ。好きにしろ。──いや、むしろそうしたいんだろうが?」
 ほら、と俺が促すと、甥は泣きそうに顔を歪めて緩く首を横に振る。掴まれたままの右手を振りほどこうともがくが、俺は自分の左胸に押し当てたそれを決して離さなかった。
 ──自分も諦めるのだから、俺もまた諦めれば、全ては丸く納まるとでも思っていたのだろうか。そうだというのなら、それは大きな間違いだ。そこに確かにあるものを消そうとするのに、なるべく傷つかず、汚れずになどという甘いことが、今更通用するはずもない。なによりこれこそが、お互いに傷を恐れ真実を誤魔化そうとした結果だというのに。
 俺たちが押し殺し続けてきた感情は復讐を要求する。もはや傷つくことを逃れる手立てなどありはしない。
 どちらにしろ傷はつく。だがどうせつく傷なら、甥の分まで俺自らがつけた方がマシだった。──例えそれが俺の傲慢にすぎないのだとしても。
「お前がなにもしないんなら、俺は俺の好きにさせてもらうぜ」
 もう譲歩はしねえ、と俺は再び甥に口づける。甥は一瞬、俺を鋭く睨んだ。暴れる素振りも見せたが、俺の方も容赦する気はなかった。身動きできぬほどしっかりと押さえ込み、いささか乱暴に唇を貪る。執拗な愛撫にやがて力尽きた甥は、口づけが深く重なるにつれ、諦めたようにゆっくりとその視線を閉ざした。
 閉ざされた目蓋の隙間から零れ落ちる涙を、俺はじっと見つめていた。口づけを次第に優しいものに変えながら、俺は、甥が今回のことは全て俺のせいにしてしまえばいいと願った。嫌がる甥に、俺が無理強いしたのだと。甥はただの被害者でしかないのだと。
 幼いとき、俺が甥のことを一方的に傷つけてしまったように、縒りを戻すのも俺の我儘で、甥はただそれに振り回されているだけなのだと。
 ──だが、聡く潔い甥がそのような欺瞞を受け入れることは、決してないだろう。
 たとえ俺が、そもそもの原因を作った責任を、一身に負うつもりなのだとしても。


「──あんたが最初から、ちゃんと俺のことを見ててくれれば、それだけで良かったのに」
 そう言いながら結局甥は、俺のことだけは許してしまうのだ。


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(07.03.09.)
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