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「ふむ。こんなもんかな?」
 ソースの味加減を確認して昼食の準備完了。彼の可愛い息子達を呼びに行くためにマジックはエプロンを脱いだ。
 日々、変貌していくガンマ団を支えるため寝る間も惜しむシンタローを気づかって、マジックは息子達と一つだけ約束を取り交わした。それは
『昼食を家族で摂ること』
 以来マジックは手ずから食事の用意をしている。
 料理は昔から得意分野なので特に気にならない。むしろこうして息子たちを迎えにいけることを楽しんでいる。
 研究室の扉をノックもせずに開ける。中にいる職員達が驚いてドアを注視するが、マジックの姿を認めて慌てて礼をとる。マジックが軽く手を振るのは「さっさと仕事に戻れ」という意味だ。いちいち挨拶など受けていられない。
 勝手知ったるなんとやらでさっさと部屋を横切って奥の特別研究室に通じるドアをノックした。
「は~い、どうぞ~?」
 間ののびた返答を聞いてドアを開ける。横切ってきた研究室とは比べ物にならないほど雑然とした部屋の奥にグンマがいた。デスクに置かれた小さな鏡越しにマジックを確認して回転椅子がくるりと回る。
「おとー様!」
「やあ、グンちゃん」
 床でうねっているコード類に足を引っ掛けないよう注意しながら歩く。うっかり引っ掛けてあろうことかコンピューターの電源を引っこ抜き、グンマを半泣きさせたのはつい昨日のことだ。
 さまざまなコンピューターや機械類が所狭しと並べられている部屋を見渡し、この部屋のもう一人の住人を探す。
「キンちゃんは?」
「資料室だよ。必要な資料が足りなくて取りに行ってもらっているの」
「そう。じゃあ、キンちゃんが戻ったらお部屋に行ってお昼にしよう」
「あ、う~ん。そうしたいんだけど…」
「忙しい?」
「ごめんね。もう少しかかりそう。できるだけ早く行くから」
「わかったよ」
 申し訳なさそうな息子に、気にするな、という想いをこめて微笑みながら肩を叩くと、来た時と同じ慎重な足取りで研究室を出て行った。入れ違いに研究室の奥にある扉が開いてキンタローが顔を出す。
「今出て行ったのはマジック伯父か?」
「うん。今日は後から行くって言っておいた」
 ふうん、と生返事を返しながらグンマに持ってきたディスクを手渡し、そのままお茶を淹れに行く。淹れると言ってもティーバッグを放り込んだマグカップに備え付けの湯沸しポットで湯を注ぐだけなのだが。
 渡されたディスクをコンピューターに挿入してデータを引き出し、グンマとキンタローの本日午前の仕事は終了。あとは馬に蹴られないよう、適当に時間を潰すだけだった。



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「シーンちゃんっ」
「どわっ!」
 昼食をとるためにダイニングに向かっている廊下で突然マジックが後ろから抱きついてきた。抱きつくというよりははっきり言ってタックルだ。つんのめりそうになるのを何とかこらえて背後のマジックを睨みつける。
「いきなり飛びつくのはやめろっつーとろーが!」
「だって予告したらシンちゃん避けるじゃないか」
「あたりまえだっつーの!」
 以前はパブリックスペースだろうがビジネスシーンだろうが公衆の面前だろうがお構いナシ状態だった。ただでさえ年若い新総帥が公私の別もついていないように見えては体裁が悪いので、そのつどシンタローに懇々と説教されたにもかかわらず態度を改めようとしなかった。よって一週間完全に無視したあげくそのまま長期遠征に出たところ、さすがに堪えたらしく最近ではプライベートエリア以外での過度のスキンシップを仕掛けてこないので多少のことは目を瞑るようにしている。ただし瞑りっぱなしだと図に乗ってくるのも歴然としているので、とりあえず悪態をついておく。それについてはマジックもコミュニケーションだと思っているらしく、特に気にしていない様子だ。
「お昼ごはんの用意が出来たよ。」
「キンタローとグンマは?」
「なんだか研究が忙しいから後で食べるって」
「ふうん?」
 そんなに開発を急かしているものなんかあったかな?とシンタローが思っているころ、グンマとキンタローは
「気をきかしているってわかってるかナ~?」
「いや、きっとわかってないだろう」
「やっぱり~~?」
 まぁ、いいけどね~などといいながら、空腹を紛らすためにお茶を飲みながら研究開発にいそしんでいた。
「今日のお昼ごはんは菜の花と鳥そぼろの和風パスタだよ」
 鼻歌交じりに手際よくパスタを盛り付ける。あとはお手製のフランスパンとサラダ。いつもはミネラルウォーターがピッチャーに入れられているが、今日は湯飲みに暖かい緑茶が注がれていた。
 いただきます、と手を合わせて一口。…美味い。鳥そぼろの味加減は絶品だし、卵のそぼろがまるで黄色い菜の花のような彩りを添えて美しい。菜の花のみずみずしい苦さが和風のソースと絡まってなかなかさっぱりしている。
 ぱくつく姿を見ながらニッコリ笑ってマジックがたずねる。
「どう、美味しい?」
「ああ」
 てか、この食いつきぶりを見てわかれ、と内心で思うが口にはしない。わかっていても聞きたいのが人情というものだろう。
 実際、マジックは料理が上手い。生まれも育ちもお坊ちゃんで下っ端生活だってしたことはないだろうに、不思議と何を作らせても美味い。マジック自身が総帥だった頃も忙しい中、時間があればよく作っていた。あの頃は母に採点してもらっていたので、案外、母に教えてもらっていたのかもしれない。もしかするとマジックは虚弱な母が長くはないだろうことを思い、シンタローが家庭の味に飢えたりしないように考慮していたのかもしれないが、実際は何も言わないし、実に楽しそうなので本当のところはただの趣味かもしれない。

 美味いんだけどね。

 ちぎったパンにソースを含ませ口に放り込む。

 なんかムカツク。

 そう。料理ならシンタローも作るし、けっこう上手い方だと自負している。けど、どう贔屓目に見てもマジックのほうが美味い。同じものを同じように作ったとしても、マジックの作ったものの方が美味いのだ。なんでだ?と思って聞いてみたところ

「それはね、愛という名のスパイスだよ」

 はーいはいはい。
 そんなもん、俺のも入ってるっつーの。
 ゼッタイ口に出して言ってやんねーがな!

 パスタもサラダも平らげて、少しぬるくなった緑茶をすすったらごちそうさま。マジックが洗い物をしている間、食後のコーヒーを飲みながらソファで雑誌をめくる。
 最近どういうわけかマジックが通販カタログを愛読するようになり、雑貨系のその手の雑誌がリビングに常備されている。ときどき面白がって商品も購入しているようだ。
 アホか、あの親父は。と思いつつ、キッチン用品のページを見て「あ、これ便利そう」とか思うシンタローもシンタローである。
「はい、洗い物終了―!」
 声高らかに宣言して外したエプロンをダイニングチェアにかけるとシンタローの隣に座って顔を覗き込む。
「ねぇ、シンちゃん」
「ん?」
「パパ、デザートが食べたいな」
「食えば? てか、あるんなら俺も食う」
「いや、あのね……」
 がっくりと肩を落とすマジック。
 あるんならさっさと出せよ、と思っているとマジックが肩を抱き寄せる。
「ね、シンタロー…」
 耳元で甘く囁きながらシンタローの太ももを大きな手でそっと撫でる。

 あ、そーゆーイミ。

 自分の鈍さ加減に若干あきれる。
「……いいだろう?」
「よくないわ!」
 無遠慮に撫でまわす手をぴしゃりと叩いた。
「なんで~~!?」
「もうすぐグンマたちだってメシ食いに来るだろうが、このエロ親父!」
「じゃあ、キスだけ! それ以上はナシ!」
 ねぇ、シンちゃ~ん、と、先程までの口説きモードはどこへやら、両手を組み合わせて拝みポーズでお願いする。

 なんなんだか、まったく。このヒトは。

 黙って座ってればそれなりに格好もつくというのに、シンタローがらみだと常にこんな感じ。

 俺はなさけないよ、父さん。

 まるでお預けを食らった犬のような目で見つめてくる。

 本当に仕方ない。けど、アメを与えることも時には必要か。
 実際、今日のパスタは美味かった。
 ご褒美をくれてやってもいいだろう。

「ホレ」
 いかにも、仕方ない、という風情で目を瞑って唇を突き出す。
 ムードもへったくれもない様子に落胆を覚えないわけではないが気が変わられたら大変、とばかりに唇を寄せる。
 初めが軽く、ついばむように。悪戯のようなキスを重ねて、それから優しく唇を吸う。舌先で歯列をなぞるとゆっくりとひらかれて、あとはもう、どこまでがお互いかわからなくなるまで絡み合うだけ。
 長いキスを交わして、そっと唇が離れる。至近距離で青い瞳が笑った。
「…好きだよ。…シンちゃんは?」
 だがシンタローは答えずマジックの首に腕を絡ませるとそのまま頭を引き寄せて唇を重ねた。マジックは答えをはぐらかされたことに不満半分、思いがけない彼の行動に嬉しさ半分でキスに応える。
 二度目のキスを交わしながらシンタローはうっすらと瞼を開けて時計を確認した。

 12:39:30

 もうすぐタイムリミットだ。遠くからにぎやかな足音が聞こえてくる。
 さぁ、カウントダウン開始。

 5 4 3 2 1

「あ~、おなか空いたぁ! おとー様、今日のゴハンなに?」
 ばぁんとドアを開けてグンマが賑々しく、続いてその後をキンタローが無表情で入ってくる。
「やぁ、グンちゃんキンちゃん、お仕事ご苦労様。すぐ支度するよ」
 マジックがエプロンをつけながらいそいそと台所に立つ。シンタローもカップを持ってダイニングテーブルについた。ここから十数分は家族団らんの時間だ。ごっこ遊びのようなこの時間が少しくすぐったい。だが、ぬるくて平和なこの時がシンタローは嫌いではなかった。

 早くコタローもこの輪の中に入ればいいのに。

 行儀悪くサラダをつつくグンマや熱いお茶を注ぐキンタロー、そして楽しそうにパスタを作るマジックを眺めながらそんなことを思う。
 ふと、夢想から覚めて時計を確認。

 12:53

 もう総帥室に戻らなければいけない時間だ。
 グンマのサラダからプチトマトを一つ失敬しながら立ち上がる。
「俺、そろそろ行くわ」
「あぁ~、ボクのトマト~~!」
「おいグンマ。今日は2時から会議だからな。遅れるな」
「え~? それ、ボクが出なくちゃダメなの?」
 会議って眠くなっちゃうんだよね、と上目遣いで聞いてくるグンマを小突く。
「お前がこなきゃ始まらない会議だろーが。いつもキンタローに任せっぱなしにしやがって!」
「ぶ~。ボクのトマト~。日記に書いてやる~」
「そんなに食いたきゃキンタローから奪れ!」
 恨みがましいグンマをよそにドアに歩み寄る。その時にチラッとキンタローを見たところ、自分の分のプチトマトをさっさと口に放り込んでいた。好物というより、グンマに対するさりげない嫌がらせだろう。
 思わず小さく吹き出しながらドアノブに手をかけたとき
「シンタロー」
 マジックが呼び止めた。反射的に振り返ってみると二人分のパスタを持ったマジックがニッコリと笑っていた。
「いっておいで」
「おう」
 短く応えて部屋を出る。



 すぐに時計を確認。

 12:55

 早く戻らないとまたティラミスに小姑のような説教をたれられてしまう。
 まったくグンマとキンタローには困ったものだ。週に何度かあいまいな理由で昼食に遅れてくるときは、いつもきっちり四〇分遅れてくる。変な気を回しているのがバレバレだ。どうせ言い出したのはグンマだろうが、二人のよけいなお世話様のおかげで常に時間が押してしまう。
 こんな時に限ってエレベーターがなかなかこない。
 やっときたエレベーターに飛び込んで総帥室があるフロアについた。足早に廊下を歩き、すれ違う団員たちの挨拶に軽く手をあげて答えながらシンタローは思う。


 マジックはことあるごとに、自分が好きか、と問う。
 キスをした後だとか、ベッドを共にした夜だとか。

 まったく馬鹿馬鹿しい。

 アンタは好きだのなんだの簡単に言いすぎる。
 大体、俺とアンタでは方向性が違うんだ。
 たとえば、アンタは自分より俺のことを好きな人間なんていないと言う。
 けど、俺は俺くらいアンタのことを好きな奴なんて、掃いて捨てるほどいるだろうと思う。
 でも、アンタの総てを受け入れられるのは俺だけだと思っている。

 アンタは俺のことを惜しげもなく好きだという。
 けど、俺はそれが惜しい。
 だから絶対に、まかり間違っても口になんてしてやらない。

 アンタは俺が自分と同じ気持ちでいて欲しいと思っているだろう
 でも、人間が二人いて、その二人の気持ちがまったく同じ方向を向いているなんてことは、絶対にありえないんだよ。

 どれくらいアンタが好きかだって?


 総帥室の前まできた。時間を確認する。

 13:08

 また遅刻だ。ティラミスが額に青筋を立てて待っている姿が目に浮かぶ。
 専用カードキーを差込みながらシンタローはため息をつく。





 アンタが死ぬ時、今わの際に言ってやるから、盛大に感動しやがれ。


m


 あの南国の島から戻って半年近くが過ぎたある冬の日。シンタローはひとり車を走らせていた。
 助手席には大きな白い花束。久しぶりに『彼女』に会いに行く。ほんのわずかな間で大きく変わった自分を見せに行くのだ。
 あの島から帰ってから、シンタローのすべてが激変した。
 総帥の令息からシンタロー個人へ。奔放で自由な島での暮らしから、次期ガンマ団総帥へ。
 だから最初にその違和感に気づいた時は、ただの気のせいだと思っていた。だがそれは日に日に大きくなり、胸の中でモヤモヤとわだかまってシンタローをたまらなくイヤな気分にさせた。そしてそれはやがて、しこりのようにシンタローの奥深いところで根付いてしまった。
 その正体不明の気持ちに合理的な答えを求めるためにも落ち着いて考えたかったが、何しろ暇がない。
 新生ガンマ団の発足準備や総帥引継ぎのための諸々の手続き、その他、日々発生する雑務に追われ、ガンマ団本部でカンヅメの日々が続いていた。それというのも親父には忠実だが息子には厳しい総帥秘書・ティラミスが一歩も外に出してくれなかったからだ。
 特別な日だから、どうしても! と、ティラミスを拝み倒して何とか今日一日の休日を手に入れた。もちろん、有能な総帥秘書殿はこの日がどういう日なのか知ったうえで、恩着せがましく休暇を許可したのだった。
 一人で出かけようとしたシンタローにティラミスが、せめて護衛を、といったが黙殺した上で誰もついてこないよう厳命し、車に乗り込んだ。
 とにかく一人の時間が欲しかった。
 ガンマ団本部では常に誰かが側にいるし、種々雑多な揉め事や仕事に忙殺されて、とてもじゃないがそれ以外のことを落ち着いて考えさせてはくれない。
 車は海岸沿いをスムーズに流れていた。
 窓は全開。当然髪は風でめちゃくちゃに乱れているが気にならない。むしろ開放感でスッとする。このまま車を飛ばし続ければ、この言い知れない気持ちも吹き飛んでいくような気がしてアクセルをさらに吹かした。
 目的地の丘は、もうすぐそこに見えていた。


m




――これは罪か?――


 だとしたら、誰が定めた罪なのか。


 眼下では彼の息子が規則的な寝息をたてている。よほど疲れているのだろう。彼が側にいることすら気がつかないでいる。
 母を亡くし、弟と引き離されてから息子は士官学校での訓練に明け暮れていた。それからというもの、すっかり生傷が絶えなくなってしまった。痣をつくって帰ってくるなど日常茶飯事。だが、日に日にたくましくなっていく。早く強くなって弟を助け出したいという想いと、父の顔を見たくないという感情と。それが原動力だった。
 そして疲れ果て、深い眠りに落ちる。
 罪のない寝顔。
 どんなに大きくなっても寝顔だけは変わらない。ほほえましい気持ちで目を細める。
 誰よりも愛しい子。
 亡き妻と同じ黒い髪に黒い瞳。成長してさほどでもなくなったが、幼い頃の面差しは妻によく似ていた。だから、こんなに愛しいのか。


 美しいその人を思い出す。

 政略のために娶らされた妻だった。
 だが彼は人質として差し出された女を心から愛していた。

 黒絹のようにつややかな髪。
 時おり髪をかき上げるしぐさが、ひどく稚かった。
 白磁のようにきめの細やかな肌。
 そのほほ笑みは儚げで、今にも消えてしまうかとさえ思えた。
 そして、ほかに例えようもなく美しかった黒い瞳。
 迷いなく、真摯に見あげてくる柔らかなまなざしを何よりも愛していた。

 シンタローが生まれた時、彼女はシンタローが秘石眼を持って生まれなかったことを非常に気に病んでいた。周囲も時には無言で、また時には聞こえよがしに彼女を責めた。そしてついには彼女が不義を犯したのではないかというものまで現れだした。
 それを聞いたマジックはことさら人前でシンタローを可愛がるようになった。誰がなんと言おうとシンタローは彼の息子であり、愛する妻の息子なのだ。口さがない連中にそれを示すために、誰よりも息子を愛した。
 正直なところ秘石眼を持たずに生まれた息子に、落胆をおぼえなかったわけではない。だが妻によく似た息子を彼は溺愛した。今にして思えば息子が秘石眼を持ち、金髪で生まれてきたとしたら、ここまで愛することができただろうか。
 梳るようにシンタローの髪を撫でる。
 洗いざらしのまま眠ったのだろう。髪がずいぶんと濡れている。
(まったく、風邪をひいても知らないぞ)
 反抗期まっさかりの息子は、父親の言うことなど聞きもしない。苦笑しながら、そっとシンタローの頬を掌で包む。
 冷たい掌にシンタローのぬくもりが伝わる。
 ゆっくりとなだらかな頬のラインをなぞる。
 頤を撫で、親指でそっと唇に触れてみる。
 かすかな寝息が感じられた。

 いとおしい。

 どうしてこんなにいとおしいのか。
 シンタローがこんなにも妻に似ているから。
 だから愛しくてたまらない。

 黒絹のようにつややかな髪。
 時おり髪をかき上げるしぐさが、ひどく稚かった。

 違う

 白磁のようにきめの細やかな肌。
 そのほほ笑みは儚げで、今にも消えてしまうかとさえ思えた。

 違う

 そして、ほかに例えようもなく美しかった黒い瞳。
 迷いなく、真摯に見あげてくる柔らかなまなざしを何よりも愛していた。


――違う


 彼女とシンタローは似ていない。
 髪をかき上げるしぐさも、その笑顔も、まなざしも違う。
 ならばなぜ、こんなにシンタローが愛しいのか。
 今でも妻を愛している。その気持ちに偽りはない。

 シンタローがいとおしい

 妻に似ているから
 違う
 妻が残した息子だから
 違う
 妻のように、愛している


 違う


 妻のように、ではない。妻以上に。
 息子だから、ではない。人として。
 誰よりも。シンタローを。


 あいしている。


 シンタローが目を覚まさないよう、そっとベッドの端に腰かける。両手をつくとわずかにベッドがきしんだ。
 そのままゆっくりと覆い被さるように近付いていく。


――これは罪か?――


 だとしたら、誰が定めた罪なのか。
 見も知らぬ誰かが定めた罪など知らぬ。これが罪だなどと認めない。

 もう、互いの息がかかるほど近い。

 ただ、彼を愛したいだけ。
 それを罪とは呼ばせない。だがそれを――


 ほんのわずか、唇の先が触れるだけのくちづけ。
 そしてそっと体を離した。
「おやすみ、シンタロー」
 静かに囁いたとき、シンタローがかすかに声を漏らし寝返りをうった。まるでマジックを拒むように背を向けて。
 その様に思わず苦笑してしまう。
 こんな風につれなくされて、それでもなお彼が愛しい。
 もう一度口の中で、おやすみ、と呟いて、安らかな眠りを妨げないように静かに部屋を出た。
 窓の外にはわずかに欠けた月が晧々と輝き、長い影をおとす。


 シンタローを愛している。
 ただそれだけ。
 それを罪とは呼ばせない。
 だがそれを誰かが『罪』と弾劾するのなら
 自分を罪に陥れるがいい。

 愛している。





――これは罪か?――






a
幸せだよ


真っ赤なスーツは未だ重く感じるが、それでも何とか総帥業をこなしているシンタローは少し手を休め時間を確認した。
予定では5分後にアラシヤマが報告書を持って訪れる事になっている。
残された時間でこの書類の束を片付ける事は不可能だと判断したシンタローは、アラシヤマが来るまで休憩を取る事にした。
ゆっくりと伸びをすれば軽い眩暈が襲ってくる。
やはりデスクワークは苦手だと再認識して息を吐き出せば、控えめなノック音が聞こえてきた。

「シンタローはん、いてはります?」
「おぉ、入ってこい」

今では心地良いと思ってしまう声を聞きながら、シンタローは深く椅子に座りなおした。
アラシヤマと会う時間を結構楽しみにしているだなんて事は、絶対に言ってやらないし、態度にも出したりはしない。

「ようけたまってますなぁ」

呆れた様に、それでいてどこか愉悦も含んだ声に、シンタローはほんの少し顔を引き攣らせた。

「うっせーよ。早く出せ」

だから、口調もついつい乱暴になってしまう。
もっともいつもの事だと思っているアラシヤマは気にした素振りも見せなかった。

「なぁ、シンタローはん」
「あん?」

渡した書類に目を通しているシンタローはどこまでも真剣な表情をしている。
どれだけ見つめていても変わる事のない視線。
それでも、アラシヤマにはそれが心地良かった。

「わて、この瞬間が一番幸せどすわ」

視線は変わらないくせに、頬をほんの少し真っ赤に染める総帥にアラシヤマは笑みを浮かべた。

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