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sgs
 深夜。そろそろ寝ようかと思うような時間帯に、いつもシンちゃんはやってくる。

 今日も、シャワーを浴びて日記をつけて、ひとつ伸びをしたところでノックの音が聞こえて、慌ててドアを開けた。
 綺麗にプレスされた軍服で、コートを羽織ったシンちゃんが廊下に立っていた。茶色のチェックにクマ模様の入ったお気に入りのパジャマに、ガウンを引っかけただけの僕の格好を、普段は散々馬鹿にするのに、今日は何も言わない。
「入る?」
 聞いたら、黙って首を横に振った。今から仕事に行くのだ、と直感した。出かける前のシンちゃんは、無口だ。
「何?」
「本、返しに来た」
「ああ…」
 一年くらい前、シンちゃんに貸した本だ。
 古い童話集。お父様――当時はまだ伯父様だと思っていた――が、4歳のクリスマスにシンちゃんと僕に、それぞれ一冊ずつ贈ってくださったものだ。初めて貰った本は、幼児が読めるような内容のものではなく、整然と並んだアルファベットの意味が分かるようになったのは、それからずっと後のことだったけれど、それでも嬉しくて、しばらくどこへ行くにも手放さなかった覚えがある。
 だから、と言うわけではないけれど、部屋の本棚が電子工学の専門書で埋まるようになってからも、この本だけはずっと手元に置いてあった。それを、部屋に遊びに来たシンちゃんが見つけて、あんまり懐かしそうにしてるものだから、貸してあげたのだ。
 あれから一年間で、この本は5度、シンちゃんと僕の間を行ったり来たりしている。これで、6度目。
「読み終わるまで、返さなくていいんだよ?」
 同じことを言うのは、もう何度目だろう。これまでと同じように、シンちゃんは黙ってそれを断って、本はまた、僕の手に押しつけられた。お父様好みの重厚な革張りの本は、ずしりと重い。
「帰ったらまた借りるから。栞、動かすんじゃねーぞ」
 この言葉も、何度目だろう。頷いて肯定の返事を返すと、シンちゃんは安心したように笑って、それから口元を引き結んだ。従兄弟のシンちゃん、が一瞬で有能な指揮官に変わる。
 数秒間の沈黙の後で、シンちゃんは踵を返した。「行ってらっしゃい」も「気をつけてね」も、かけるにはふさわしくない言葉のように思えて、本を抱えたまま、僕は遠ざかるシンちゃんの背を見つめることしかできなかった。



 部屋へ戻ると、飲みさしのホットミルクはすっかり熱を失っていた。ソファに座り、冷たくなったミルクを一口すすって、改めて本を眺めた。
 子供の頃にやたらと持ち歩いたせいか、深い焦げ茶だった表紙の革はところどころ色褪せて、金で箔押しされたタイトルも掠れている。表紙を開けるとメリークリスマス、とお父様の署名。本文の縁は黄ばんでいるけど、ところどころに入れられた挿絵は、鮮やかなままだ。
 森の中のお菓子の家やカボチャの馬車、美しい海を泳ぐ人魚、雲の上の巨人の家。小さな子供だった自分には何もかもが魅力的で、ひとりで文字が読めるようになるまでは、よく挿絵を眺めて高松の仕事が終わるのを待っていた。あんまり物語の世界に入れ込みすぎて、お菓子の家を探してシンちゃんとふたり、士官学校の演習場に迷い込み、お父様を慌てさせたのもその頃だったはずだ。
 けれど今になってみれば、どれもありきたりなおとぎ話。英文と言うことを差し引いても、大人が何ヶ月もかけて読む本ではない。なにかシンちゃんが気に入るような話があっただろうか?
 表紙と同じ深い茶色の栞紐が挟まったページをめくると、南国の風景の隙間から、数枚の紙が、空中に滑り出して、床に舞い落ちた。
「うわ、…って――え?」
 印字面を晒して落ちた紙に既視感を感じて、僕は慌てて紙を拾い上げた。この書式には見覚えがある。報告書だ。それも、研究員が実験や調査内容を報告するときに使うもの。今日はずっと研究室で、これと同じものとにらめっこしていたのだから、間違うはずがない。
 署名の主は知っている。直接の部下じゃないから顔と名前は一致しないけど。
 シンちゃんに渡る調査報告書は全て、一度僕のところに来てから総帥室に回されるけど、これは見たことがない。内容も、書式がいくらか変更されたり省略されている。
「非公式の調査?」
 うっかり本に挟んだのを忘れたまま、僕のところに持ってきてしまったんだろうか。悪いとは思いつつも目を通せば、報告書の日付はシンちゃんの総帥就任直後から始まっていて、その後きっかり半年ごとに調査が繰り返されている。
 調査範囲は地球上の全ての海域。捜索対象は、半径数キロ以内の小島。海域ごとに調査が書かれてあり、最後の7枚目には南氷洋の調査結果とともに、総合所見として捜索対象が地球上に存在する可能性は限りなくゼロに近く、対象の発見は不可能、と書き添えられていた。
「この島…」
 捜索の対象は、パプワ島だ。提示された条件は、あの島の特徴とよく似ている。総帥に就任して、仕事に忙殺されて、島のことなんか忘れたように振る舞っていたけれど、シンちゃんはずっとパプワ島を捜していたのだ。おそらくは――今も。
 どうしてもっと早く気づかなかったんだろう。シンちゃんがあの島のことを忘れるはずなんてないのに。シンちゃんがどれほどパプワくんと島の仲間たちのことを好きだったか、僕は知っていたのに。
 もう一度、最後の一枚に目を通す。不可能の文字に、無性に腹が立った。ひょっとしたら、今までシンちゃんがパプワ島を捜していたことに気づかなかった自分に、腹を立てているのかもしれない。最初から僕が調査していれば、何年も無駄な時間を費やさなくて済んだのに。動物が喋り、得体の知れないナマモノが存在するあの島が、正攻法で見つかるわけがない。
「――うん」
 自分に言い聞かせるように、僕は頷いた。
 決めた。僕がやる。
 報告書を元あったとおりに本に挟んで隣に置いて、僕はソファから立ち上がった。
 デスクに向かい、コンピュータを立ち上げる。今まで通りのやり方では、多分島は見つからない。そもそも「今のパプワ島」の特徴を僕は知らないし、あの島には秘石がある。上空から姿を隠すくらい、あの石ころはやってのける。別の方法が必要だ。
 机上に並んだディスクから数枚を選び出し、順番にコンピュータに読み込ませる。キーワードを入力して検索すると、数秒も待たずにコンピュータが候補をいくつかはじき出した。一番日付の新しい物を、迷わずクリックする。低いうなり声とともにウインドウが開き、設計図が表示される。
 ――これだ。
 シンちゃんが秘石を持って本部を出た後、お父様の指示で作った秘石追跡装置の設計図。破棄してしまわなくて良かった。あのときは装置が完成する前にシンちゃんが見つかって、結局日の目を見ることはなかったけど、これを改良して完成させればチャッピーくんの首輪に付いた秘石の所在地を特定できる。チャッピー君は必ずパプワくんと一緒だから、最低でも彼らの居場所だけは把握できる。うまくいけば、シンちゃんが帰ってくるまでに新しいパプワ島を見つけられるかもしれない。考えるだけで、うきうきしてくる。
 遠征から帰ったシンちゃんに、パプワ島が見つかったよ、って言ったら、どんな顔をするだろう。驚いて、笑って、少しは僕のことも褒めてくれるかな?
 いつかコタローちゃんが眠りから覚めたら、シンちゃんとキンちゃんとお父様と、みんなであの島でバカンスを過ごすのもいいかもしれない。今度の島がどんなものかは知らないけど、パプワくんたちと過ごす時間は、きっと楽しいに決まってる。ちょっと癖のある住人ばかりの島だけど、コタローちゃんにもキンちゃんにも、気に入って欲しい。シンちゃんの大好きな島だから。
 南国の湿り気を含んだ暖かい空気を思い出しながら、僕はコンピュータに向かった。
 いつか――そう遠くないいつか。行こう、みんなで。



 数週間後、その「いつか」が訪れることを、このときの僕は、まだ知らない。

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 夜明けの静寂を打ち破る爆音を響かせながら、一機のヘリが西の空から現れた。屋上のヘリポートで、それを出迎える人影は、ひとり。正装の軍服に身を包み、風に髪が乱れるのも気にした様子はない。
 着陸した機体のローターが止まり、降りてきた人影を認めて、男は挙手の礼をとった。


「遠征お疲れ様どした、総帥閣下」
 黒髪を風になびかせ、赤いブレザーをまとった年若き総帥は、苦笑でその言葉に応える。
「『総帥閣下』はやめてくれって言ったろ」
「へぇ。せやけど、わてらがいつまでも昔と同じ接し方しとったら、あんさんはいつまで経っても『前総帥の坊ちゃん』のままどすえ?」
 それが、この若き総帥が最も嫌う言葉だと知った上で、男はそう告げる。そして青年は憮然としながらも、それをしぶしぶ受け入れる。数年前、彼が総帥職を父親から譲られた頃から、何度となく繰り返されたやりとりが、また繰り返される。
 屋上に設置された二機のエレベータのうち、総帥専用の一機に自分のIDカードを読み込ませながら、男は思い出したように告げた。
「せや、お帰りにならはった早々申し訳あらへんのどすけど、開発課の方から、新しい実験に関して承認求められとるんどす。早めに審査お願いできますやろか」
「へ? そんなの開発課内で審議させればいいじゃねぇか」
 同じように自分のIDカードをカードリーダーに通しながら、青年が返す。幾度となく改革を繰り返すうちに、業務の徹底的な合理化が図られ、現在は専門の部門で審議を行い、それぞれの課の責任者が認めさえすれば、総帥の許可なしにプロジェクトを進行させられるようなシステムが導入されている。責任者の手にあまる問題の場合だけは総帥の決裁が必要になるが、この遠征中は全権を補佐官であり、彼が最も信頼を寄せる人間に任せてきている。


「普通のプロジェクトと違いますよって」
 乗り込んだエレベータのドアが閉まるのを確認して、男は耳打ちした。
「プロジェクトナンバー537ST、Dプランの実験の実行許可どす」
 青年の顔色が変わった。口元を引き結び、長い黒髪をかきあげ呟いた。
「…実験…か」
 プロジェクト537ST、通称“ノア計画”と呼ばれるそれは、研究員の一人が提唱した、宇宙開発計画とそれに付随する様々な機器や薬品の開発計画の総称だ。理論上では既に実現可能なレベルまで研究が進んでいる。周辺国との兼ね合いもあって、今までに行われた実験は全て研究室で行える小規模なものばかりだった。だがついに今回初めて、実際に衛星を打ち上げるのだ。プロジェクトの最終段階が大規模有人宇宙探査船の実用化であることを考えれば、初歩的な実験に過ぎないが、周辺国にとっては十分な脅威になる。
 責任者が指示を仰ぎたがるのも当然か、と降りてゆくエレベータの表示板を見上げながら、青年は思う。研究者と総帥補佐官を兼ねる彼の従兄弟であっても、まず間違いなく彼の意を確認しただろう。
「アラシヤマ、機器の準備状況はどうなってる? 用地と日時、それから各国への根回しは?」
「へぇ、執務室に資料を用意させとります。根回しの方は、前々から前総帥とキンタローはんにお任せしとりますさかい、心配あらしまへん。日時と用地の方は、候補がいくつかあがっとりますよって、プロジェクトの責任者と話しおぉて決定しておくれやす」
 一瞬、重力が強くなったような感覚がして、エレベータの下降が止まる。開いたドアの向こうに歩き出す男の後を、青年は追った。
「プロジェクトの責任者って、マスターJだろ? 嫌だぜ、俺は。グンマとでも決めさせて、結果だけ書類にしてよこしてくれよ」
「グンマ博士はご多忙どす。いつまでもそないなわがまま言わはったらあきまへん。あんさんらお二人だけで決められることに、余分な人手と書面にまとめる手間かけられるほどの余裕はあらへんのや」
「けどよォ…」
 不満げに呟く青年に、男は立ち止まり、苦笑して見せた。彼の一族がその研究員に関して並々ならぬ因縁を持っていることは、ほとんど周知の事実だ。それでも、ここまで似た二人が、互いに反発し合うのも珍しい。
「それと、その呼び方は避けはった方がよろしおすな」
「なんで? あいつがマスターなのも頭文字がJなのも、事実じゃねぇか」
 ドクター、博士と肩書きをつけて呼ぶのと同じだ、と青年は嘯いた。こういうところは父親によく似ている。立ち止まらず、ずんずん歩いてゆく青年の後を、今度は男が追った。
「本人が嫌がらはることをわざわざ言わはらんでよろしおすやろ?」
「だって、あいつからかってると楽しいし」
 青年が通したIDカードを読み込み、執務室のドアが開く。一歩先を行く背中に、男は呟いた。
「ほんま、お父上とよぉ似てはりますわぁ、あんさん」
「げ。俺をあの変態オヤジと一緒にするのやめてくれよ」
 その瞳も髪も、心底嫌そうな表情すらそっくりなのだから、説得力がない、と男は思う。
「せやかて、そっくりなのは事実どすえ」
「うわ、やめろって! あー、なんかトリハダ立ってきた!」
 自分の両肩を抱くような仕草で、大げさに身を震わせる青年を見ながら、男はため息をついた。ここまで言われると、さすがに本人が可哀想になってくる。
「まぁ、同族嫌悪て、言いますさかいなぁ…」
 呟いた一言は、青年の耳には届かなかったようで、青年はまだ「嫌だ」だの「気持ち悪い」だのと喚いている。


 さて、この件は本人に報告すべきだろうか。自分によく似た息子を授かって以来、すっかり親馬鹿になってしまったかつての同僚を思いながら、男はもう一度ひっそりとため息をついた。


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 遠くで、ガラスの割れる音が聞こえる。かすかな悲鳴と、銃声。走る足音がこちらへ向かっているのか、遠ざかっているのかすら、もうよく分からない。
「……ちくしょ…、あのヤロー…」
 捻った足首を庇い、自分に銃口を向けた同級生を罵りながら、シンタローは荒く息をついた。弾の掠った左頬は僅かに血がにじんでいる。もう少しずれていたら…ゲームオーバーになるところだった。
 ここなら誰にも見つかるまい。旧教棟最上階の、もとは武道練習場だった空間は、今は廃棄待ちの備品が所狭しと置かれた物置と化している。ほこりの積もった床に足跡を付けないよう、細心の注意を払いながら、シンタローは木製の棚の後ろに体を滑り込ませた。
 張りつめていた神経が、僅かに弛緩するのを感じる。入り口から姿を見られないように身を縮めて、シンタローはふう、と息を吐いた。あとは、少しでも長く、ここが禁止区域指定されないように祈るだけだ。この足では、ろくな抵抗すら出来やしない。
 士官学校主席の名誉も学生会長の肩書きも何の役にも立たない、ということは既に身をもって実感した。入学以来ずっと同じ釜の飯を喰ってきた同じ小隊の人間すら、ああして躊躇なく自分に銃口を向けたのだ。たとえバディの相方であっても、今は背を預けられる相手ではない。
 ――生き残れるのは、たった1人なのだ。
 思い出した現実に、ますます気が滅入る。
 銃を握りしめた右手は、知らぬ間に力を入れすぎたのか、指先が白く変色していた。一本一本指をはがすように手をゆるめ、右手を銃から解放してやる。ごとり、と音を立てて、銃が床に転がる。
 ――階下の人間に聞かれなかっただろうか?
 どくどくと高鳴る心臓の音を聞きながら、聞き耳を立てる。幸いにも、こちらへ向かってくる足音は聞こえない。シンタローはほっと胸をなで下ろした。とたんに、右足に痛みを感じた。心臓の鼓動に呼応するように痛む足首は熱を持ち、足首を動かすたびに激痛が走った。
 ――医務室は……。
 思いかけて、瞬時に否定する。医務室は禁止区域化を免除された、非武装の中立地帯だ。ドクターが常駐していて、普段通りに治療を受けられる。だが、遠い。しかも医務室付近には、治療に行く人間を狙う奴らが潜んでいて、そのうえトラップがこれでもかというほど仕掛けられている。ドクターの身の安全を守るため、というのは建前で、実際は新種の生物の実験をしたいだけなのだと言うことは、シンタローも含めた学生のほとんどが理解している。みすみすターゲットにされに行く馬鹿はいない。
 服のポケットからテープを取り出して、患部にぐるぐると巻き付ける。巻き方を授業で習った気がしないでもないが、とりあえずは固定できればいいのだ。足首の自由を少しばかり残して、がっちり固定すると、痛みは多少和らいだ。衛生キットの鎮痛剤を口に放り込んで、水で流し込む。これで何とか持つだろう。
 棚に背を預け、考える。――いったいどうして、こんなことになってしまったのか。

 きっかけは確か――一本の映画、だったような気がする。



 長期休暇で久しぶりに寮から戻ったシンタローを待っていたのは、マジック手作りの夕食と山積みのDVDソフトだった。先日、日本支部に出かけた折に土産として持ち帰った、と聞かされ、シンちゃんと一緒に見ようと思って封を開けてない、と言われれば一緒に見ないわけにもいかず、シンタローはマジックとともにその映画を鑑賞する羽目に陥ったのだった。
 立て続けに2本、シリーズ物を観て、気が付けば5時間近く経過している。久しぶりの日本映画は懐かしいが、少々頭痛がしてくる。シンタローがそう告げると、マジックは、じゃあお茶にしよう、と席を立った。
「どうだいシンちゃん、面白かったろう?」
「ん…まあな」
 シンタローが紅茶を用意する隣で、DVDディスクを片づけながら、嬉々として感想を求めるマジックに、シンタローは曖昧に頷き返した。装備やセットは確かに良くできている。ストーリーも奇抜で、なかなか面白い。表現の手法はともかく、話題作だというのも頷ける。が、シンタローの頭の中はあまりにも杜撰な戦闘システム――バディ制で生死まで連帯させられてたまるか!――だとか、学生たちの凄まじいまでの順応力の高さ――自分たちの最初の実戦演習だって、とてもあんな風には戦えなかった――のことでいっぱいになっていた。
 上の空のまま紅茶をサーヴし、昼間に作ったのだというシフォンケーキを切り分け、ダイニングテーブルの片側に座ったところで、マジックに問いかけられた。
「――と思わないかい?」
「は?」
 突然の言葉に驚いて顔を上げれば、苦笑するマジックの姿が目に入る。
「聞いてなかったのかい、シンちゃん。ストーリーとしては前作の方が面白いけど、システム的には続編を採用した方が公平だね、って言ったんだよ。ま、それぞれに配る武器に差を持たせた方が個性が出て面白いかもしれないけどね。個人の能力差ってものも考慮しないといけないし」
「え?あ、ああ……」
 とっさにどうリアクションを取るべきか判断できず、固まるシンタローを置いて、マジックは楽しそうに話を続ける。
「武器は別に用意するとして、場所は――無人島もいいけどどこかの建物の中でも面白いよね。時間ももうちょっと長い方が面白いかな…」
 うんうん、と頷きながら手近のメモに何ごとか書き留め、マジックは別室に控えていた側近を呼びつけた。マジックがいくつか説明を加えながらメモを手渡せば、栗色の髪をした青年は、頷きながらメモを胸ポケットに収め、恭しく部屋から立ち去った。大して珍しくもない光景を黙って見ていたシンタローにマジックはにこりと笑いかけ、テーブルに着いた。
「なあ親父」
「うん?」
「…何やるつもりだよ」
 だんだん嫌な予感がしてきたシンタローは、意を決して口を開いた。上機嫌だったマジックの表情がひくりと引きつった。数瞬の沈黙の後、マジックは逡巡しながら告げた。
「何って……――『バ×ルロワイヤルinガンマ団士官学校』?」
 ――嫌な予感的中かよ。
 部屋の空気が凍り付く。
「なあ」
「…ヤダ」
 小さな子供のように、上目遣いでシンタローを伺いながら、それでもマジックはきっぱりと言い切った。
「……親父」
「絶対ヤダ」
「まだ何も言ってねーだろ!」
 思わず大声を出すシンタローに、全く動じる様子も見せず、マジックは再度否定の言葉を口にした。シンタローの眉間の皺が、更にその深さを増す。
「だってシンちゃん、どうせそんなのやるなって言うに決まってるんだもーん」
 ――頬をふくらますな。語尾を伸ばすな。大体どうしてそこまで分かっていながらこんな計画を立てようとするんだ。
 どこかの国の女子高生のようなふざけた態度のマジックを、怒鳴りつけそうになるのを、シンタローはかろうじて理性で押しとどめた。右手に持ったままのティーカップが、ソーサと触れあって、耳障りな甲高い音を発している。
「俺は絶対、そんなのやんねェからな。やりたきゃ自分たちだけでやれ」
 えー、と不満げなマジックを無視して、シンタローは立ち上がった。フィクションの世界ならともかく、現実世界でゲーム感覚で殺し合いなんて、馬鹿げている。そもそも士官学校の学生――すなわち、将来的に組織の幹部になりうる人材を、そんなくだらないことで失ってもいいのか。
 ――とにかく、クラスメートに連絡を取らなくては。手段は何でもいい。ただ、休み明けに、士官学校に戻ってくるな、と一言伝われば。
 寮の自室に戻ろう、とシンタローは漠然と考えた。戻れば、何か対策が立てられるだろう。ほとんどの学生は今日のうちに寮を離れたが、コージやアラシヤマなど、一部の人間は帰宅せず寮に残っている。いないよりは役に立つだろう。
 エレベーターホールへつながるドアにカードキーを通し、暗証番号を入力する。高い電子音とともにロックが解除され、ドアが開く――はずが、合金製のドアは動く気配すら見せない。
「な…」
 エラー音は鳴らなかった。認証はされている。なのにドアは開かない。うろたえながらもう一度同じ行動をとっても、結果は同じで、3度目にはカードキーそのものが認証されなくなった。
「――まさか…」
 振り返った視線の向こうで、マジックが笑っている。疑惑は瞬時に確信に変わる。
「カードキーの認証レベル、下げやがっただろ! 親父!」
 ガンマ団関係者の持つ全てのカードキーは、役職や階級によってレベル分けがされ、そのレベルと所属部署、任務などによって入室できるエリアが個々に定められている。一族の人間の認証レベルはいずれも最高値で、団員たちの私的空間を除く全てのエリアに立ち入ることが可能だ。総帥の長男であるシンタローも、危険度と機密性の高いいくつかの区域を除いて、ほとんどフリーパス状態だった。
 それなのに、もっとも私的な部類に属する、一族の居住区でカードキーが認証されない。システムダウンを防ぐため、二重三重に予備システムを用意してあるセキュリティがこんな反応を起こすのは――人為的要因以外に考えられない。
「へぇ~、さすがはティラミス。仕事が速いねぇ~」
 怒鳴りつけたシンタローを意にも介さず、臨時賞与でも用意するかな、と笑うマジックの上機嫌な様が憎たらしい。先ほど己の目の前で交わされた会話がこの指示を伝えるものだったことに気づかなかった自分を、心の底から情けない、とシンタローは罵倒した。油断していた。このくらいのことは平気でやりかねない男だと、知っていたはずなのに。
 残る手段は、何らかの方法で寮に残った人間とコンタクトを取ることだが、有能な側近は命ぜられるまでもなく通信システムにも介入して、外部との連絡手段を全て遮断しているに違いない。

 ――本気でやるつもりなのだ。あんな馬鹿げたゲームを。
 キーを握ったシンタローの手のひらが、じとりと汗ばんでいた。



『やあ諸君、ご機嫌はいかがかな?』
 唐突にインカムから響いてきた音声で、シンタローの意識は一気に現実へと引き戻された。ご機嫌?最悪だ、とシンタローは腹の中で吐き捨てる。こんな状況に放り込まれて機嫌のいい奴がいたら、是非一度お目にかかってみたいものだ。
 放送設備が古いせいか、時折混じるノイズがますますシンタローの心を苛立たせる。
『さて、本日3度目の定時連絡……おっと、もう日程も半分終了か。さて、前回から今までの脱落者と禁止エリアの発表だが――』
 マジックの声に続いて、側近のひとりによって学生番号が読み上げられていく。このゲームのために決めたものではない。普段から士官学校で使われている、士官、技官、医官の各コースの学生と技術専攻科生に与えられている、固有の通し番号だ。
『――O-39082、S-39094、S-39100、T-39101、T-39107、T-39109、T-39115、G-360、G-364――』
 いくつか、知った番号が呼ばれた。顔や名前がすぐに浮かんでくる者から、同じ小隊だとか、同室だったことがある、としか分からない者まで様々だが、少なくともトットリやミヤギといった身近な人間の番号はまだ読み上げられていない。この校舎のどこかで身を潜めているのだろう。
『――G-380、以上。今回、新たに禁止指定される区域はA7、C1、F2及びG4エリア。1300より一切立ち入り不可となるので注意するように』
『それじゃ諸君、あと48時間、頑張りたまえ』
 ぶつ、と嫌な音を立てて音声は途絶えた。あと半分、と呟いてみてもちっとも嬉しくならないのは、この後ますます状況が厳しくなってくることが分かっているからだ。動き回れる範囲が狭まれば、どうしても他の人間に出会う確率は高まる。
 時計を見れば、1300まであと10分少々というところ。慌てて地図を広げれば、現在地はしっかり禁止エリアに指定されていた。それも、狙いすましたように、シンタローのいるこの空間が中心だ。
 ――出来るだけ近くて、人気が無くて、出来れば最後の方まで禁止指定されなそうなところ……なんて、贅沢言える状況じゃねえ!
 足の状態を考えれば、行き先を選り好みする余裕すら今はない。勘だけを頼りに人気のなさそうな方向へ、シンタローは足を向けた。



 いくつか角を曲がり、階段を下り、行き着いた先は図書室だった。こちらもやはり不要の椅子や机が積み上げられ、本の入っているらしい段ボール箱がそこかしこに置かれ、簡易バリケードのような様相を呈している。絨毯を敷き詰めてある床は、滅多なことでは足跡も残らない。
 ――ここにするか。
 床に赤く残った染みは気にならないでもなかったが、今自分が考えるべきことはどうやってこの馬鹿げたゲームで生き残るかと言うことだけだ、とシンタローは腹をくくった。図書室を抜け、奥の書庫に通じるドアに手をかけたとき、中から本が雪崩を起こす音が聞こえた。とっさにドア横の壁に背を預け、銃を構える。心臓の音がやけに大きく聞こえる。
 落ち着け、落ち着け、と何度も自分に言い聞かせ、意を決して蹴破るように開けたドアの向こうにいたのは――。
「シン、ちゃん…?」
「――グンマ」
 見慣れた従兄弟の姿だった。顔色が青ざめているのは、慣れないサバイバルなんかやらされているせいか、それとも向けられた銃口のせいか。普段から好んで着ているらしい白い学生服の袖口は、赤く染まっていた。火器など扱ったことも無いのだろう、構えた銃口は大きく揺れている。
「なんで……」
 グンマのつぶやきが、耳を打った。聞きたいのはこっちも同じだ、とシンタローは思う。もっともそれは、研究職に就くべき人材をこのゲームに参加させた父親に対するものであったが。ともかく、グンマの協力が得られれば、ここから脱出することもできるかもしれない。ぬくぬくした温室からいきなりこんな環境に放り出され、動転している従兄弟は気づいていないだろうが、歴代最年少で専攻科に進んだグンマの技術と知識があれば、管理システムの裏をついて、このゲームから脱出できる可能性もある。
「なあ、それ下ろせ。話、しようぜ」
 落ち着かせようと銃をホルスターに戻し、手をさしのべれば、グンマは泣きそうな顔で後ずさった。シンタローが近づけばグンマはその分だけ後ずさる、と言うことを何度か繰り返すうちに空の本棚に後退を阻まれ、逃げ場は失われた。
「落ち着けよ。な、グンマ」
 極力優しい口調を心がけて話しかけても、グンマは銃を構えたまま、怯えた小動物のように小さく首を振るばかりだ。来いよ、と呼んでも背をぴたりと本棚につけたまま、身じろぎひとつしない。焦れたシンタローが一歩足を踏み出すと同時に、金属の触れる音がした。銃の安全装置を外す音だと気づくまでにそう時間はかからなかったが、シンタローが銃をたたき落とすよりも、グンマの指が引き金を引く方が一瞬早かった。
「……ヤだ…もう――嫌だぁッツ!」
 喉の奥から絞り出すような声とともに、乾いた音が響いた。瞬間、右胸に痛みを覚えて、シンタローは床に崩れ落ちた。深緑の制服に、黒い染みが広がる。撃たれたのだ、と瞬時に理解した。
 服に触れたシンタローの指先が赤く染まるのを、焦点の定まらない瞳で眺めていたグンマの瞳から、涙がこぼれ落ちた。
「あ……シンちゃ……ごめ…ッ…僕――僕…」
 銃を投げ捨て、シンタローに取りすがって、グンマはごめん、と何度も壊れたレコードプレイヤーのように繰り返した。幼い子供のようにわんわん泣きながら謝罪を繰り返す従兄弟を落ち着かせてやろうと、右胸の鋭い痛みをこらえながら、シンタローは喘いだ。が、それは上手く言葉にならず、呻きとも吐息とも言い難い音が空気を揺らすにとどまった。
「…シンちゃん――シンちゃん!」
 ――大丈夫だって。泣くな、馬鹿。
 笑ってやりたいのに、意識には徐々に霞がかかって混沌としてくる。胸の痛みは相変わらずだが、ふわふわした感覚はやけに心地よく、抗えない。このまま身を任せてしまいたい、とシンタローは思う。
「シンちゃん!」
 ――だから、泣くな。グンマ。
 グンマの泣き声と、握られた手のぬくもりを感じながら、シンタローの意識は暗い淵の中に沈んでいった。


 誰かが遠くで呼んでいるような気がする。懐かしい声だ。起きなくてはと思うのに、体はなかなか言うことを聞いてくれない。ぬるい泥の中にでもいるような感覚がして、動きたくないような気もしてくる。
 また、名を呼ばれたような気がして、シンタローは重い瞼を押し上げた。霞んだ視界に映ったのは、見慣れた金髪の青年。気弱そうに見つめる彼の、頬に張られた大きな絆創膏が痛々しい。後ろには黒髪の保健医の姿も見える。
「…ここ、は……グンマ――?」
 問えば、嬉しそうな歓声が上がった。
「シンちゃん! 高松、来て! シンちゃんが起きたよ!」
 もう目を覚まさないんじゃないかと思った、よかった、と涙ぐむ青い瞳に、安堵の色が宿った。
 ここはどこだろう、とシンタローは辺りを見回した。白を基調とした壁紙と調度。並ぶベッドは綺麗に整えられ、今は窓から差し込む夕日で朱に染まっている。士官学校の学生寮にも似た造りだが、諸々の医療器具が並んだ棚が、部屋の本来の用途を静かに主張している。
「医務室…?」
「そうですよ。あなた、ゲーム中に倒れたんですよ。覚えてます?」
 校医の問いに、シンタローは是と答えた。グンマに撃たれて、そのまま闇の中に飲み込まれるように意識を手放したのだ、と言うことまでは覚えている。
「それで、あなたが倒れた後、グンマ様が医務室まであなたを担いできたんです。驚きましたよ、ぴくりとも動かないんですから。脳波には異常がないから、疲労と極度の緊張の所為だと何度も説明したんですけど、グンマ様はあなたが起きないのは自分の所為だって泣くし、大変でした」
 それは災難だったろう、とシンタローは苦笑した。一度泣き出すと、手のつけられない従兄弟を、なだめすかして泣きやませるのも大変だったに違いない。言われた従兄弟は、子供のするように唇をとがらせて、抗議した。
「だって、シンちゃんずっと起きてこなかったし…心配だったし…」
「…ずっと?」
 そんなに意識を失っていただろうか、と訝しく思いながら鸚鵡返しに返した言葉を、従兄弟はあっさり肯定する。ひぃふぅみぃ…と、グンマは呟きながら指折り数えて。
「53時間くらい…?」
「――は?」
 ――丸2日以上眠っていた、ということか?
「じゃあドクター、ゲームは? …ぐあ、痛て――ッ!」
 起きあがろうと力を入れた右胸に激痛が走って、シンタローはそのままベッドの上に崩れ落ちた。慌てた様子で、高松がベッドに駆け寄った。
「あーあーあー、何やってるんですか。肋骨にヒビ入ってるんですからそっちに体重かけちゃダメですよ」
「肋骨…に、ヒビ? あんだョ、それ、聞いてねぇ…」
 シンタローをベッドに寝かせ、毛布を掛けながら、高松が「説明してませんからね」と返す。訳の分からないことだらけだ。ため息とともにシンタローは呟いた。
「医務室に来る途中で、階段も含めて何度か転んだらしいので、たぶん肋骨のヒビと額の裂傷と打撲数カ所や擦過傷はそのときのものでしょう。さすがに演習用のペイント弾に、肋骨にヒビが入るほどの威力はないでしょうから。それと、15針ほど縫ってますよ。多分痕は残らないと思いますけどね」
 言われて触れた頭部は、伸縮性のある布地でぐるぐる巻きにされていた。着替えさせられたらしい、院内着のような半袖の服から突き出た腕のあちらこちらが、青あざと擦り傷でまだらになっている。思わずまじまじ見つめていると、数日で完治すると言われ、グンマの絆創膏の下も、同じような状態だと高松に教えられた。
「なかなか意識が戻らないから総帥も真っ青になっておろおろしっぱなしで。泣くくらいならあんな馬鹿なゲームやらなきゃいいのに、って思いますけどね。さっき停戦協定結びにT国に出かけたときなんか、泣きながら側近の人たちに引きずられていきましたし。黙ってればあなたが目覚めるまでずーっと側に付いてたでしょうね。――おっと、申し訳ありませんがグンマ様、総帥に連絡を取って頂けますか?」
「おじ様だね、わかった!」
 言うが早いか、隣室へ駆けてゆくグンマの背をふたりして見送り、その姿がドアの向こうへ消えた次の瞬間、空気の質が変わる。
「それにしても、あなたがグンマ様に撃たれるなんて、珍しいこともあるもんですねぇ。いったい何があったんですか」
「うっせェ。それより結果、どうなってんだよ」
 ストレスで泣きわめき、我を忘れていたことを、おそらくグンマは高松にも打ち明けてはいないのだろう。武人でないことを差し引いても、もう成人年齢も近い男だ。何が恥ずかしいとされることで、何がそうでないことなのか――とっさにそうした行動を取ることはあっても――あとから判断するだけの分別は十分ある。
 従兄弟の名誉ために、と言うわけでもないが、口の減らない保険医をにらみつけてやれば、おどけたように肩をすくめて、白衣のポケットから折りたたまれた紙を取り出した。白い、何の変哲もないコピー用紙に印字された文章を、高松は面倒くさそうに端折って口にする。
「ゲームは――そうですね、今から半日ほど前に終わりました。優勝はアラシヤマ君。射撃の精度と消耗品を節約し続けた冷静さが要因ですかね」
「アラシヤマ、が…?」
「ええ。最後はトットリ君との消耗戦にもつれ込んで、結局は物量で勝ちを拾ったというところのようですがね。おかげで旧教棟のホールはペイント弾で真っ赤らしいですよ。ま、どうせ取り壊しちゃうからいいんでしょうけどね」
 ふう、と高松は小さくため息をついた。
「それからこれは閉会式で発表されたんですが、重傷者と優勝者以外の参加者はバツゲームとして明日は物品の片づけをして、明後日から2週間の日程で強化訓練に入るそうですよ。…おや、噂をすれば来ましたね」
 高松に指された先に、ドアを開いたかたちのまま固まるアラシヤマの姿があった。片手に小ぶりのボストンバッグを提げ、逆の肩にドラムバッグをかけた第二種制服の出で立ちは、しばらく前にニュースで見た日本の修学旅行生のようだった。
「ドクター…人のこと指さすん、やめておくれやす」
「失礼。以後気をつけましょう」
「ほなこれ、着替えと身の回りの品どす」
 口先だけの謝罪に不快な様子を見せるでもなく、部屋に入ってきたアラシヤマはボストンバッグを差し出す。わざわざ持ってきてくれたのかと聞けば、バディの義務だろうと返されて、返す言葉を失った。まったくかわいくない。もう少し素直になれば友達の一人くらい出来るだろうに。
 ……いや、無理か。少なくとも、病的なまでのあの人見知りと、ひとたび隙を見せればぽんぽん飛び出してくる毒舌を治さなければ。苦笑を押さえ込みながら、シンタローは肺にためた息を静かに吐きだした。
「そしたら、わてはこれで」
「――お前、どこか行くの?」
 優勝者と負傷者以外はバツゲームだと聞いたが、そういえば優勝者の処遇は知らない。記憶の中にあるマジックの言動は、何かいいことがあるかもね、と意味深に笑っていただけだった。問われたアラシヤマは一瞬大きく目を見開いて、ドラムバッグを示して、日本へ帰るという。
 今度はシンタローが驚く番だった。日本へは、往復するだけで2日がかりの距離だ。辞めるのか、と問えばアラシヤマは眉をひそめる。
「…何言うてはりますの。ただの里帰りどす。このあいだは帰らんかったし、せっかくまとまったお休み、いただけましたさかい」
 アラシヤマ曰く、ゲーム終了から2週間の期間を区切って、脱落者にはサバイバルを、負傷者には療養と座学を、そして優勝者には休暇を与える、というのがマジックの方針らしい。しばらくのんびりしてくる、というアラシヤマはいつになく嬉しそうで、ふといたずら心が沸いてくる。
「お前さぁ、やっぱ出身は京都?」
「そうどす」
「温泉とかあんの?」
「一応。それほど有名でもあらしまへんけど」
「へぇ…」
 何ごとか考えるように、視線をグンマの消えた扉の向こうと高松の間で幾度か往復させ、シンタローは思い出したように顔を上げた。
「そーいやお前、何時の便で帰んの?」
 唐突に問われて慌てて時計を確かめ、3時間後だとアラシヤマが告げると、ふぅん、と気のないそぶりで高松を手招いた。ベッドに近寄ったドクターのネクタイを引っ張って近づかせ、耳打ちする。
「ドクター、――――」
「――何考えてるんですか」
「いいじゃねぇか。診断書なんかすぐに書けるし、あんたの肩書きがあれば輸送機のひとつくらい内線一本でどうにかなるだろ」
 総帥の信頼も厚いドクターは、苦虫をかみつぶしたような顔でシンタローを睨んだ。妥当な反応だ。シンタローの怪我はともかく、グンマの怪我はごく軽いもので、大げさに見える顔の擦り傷も、たいしたものではない。
 そもそも専攻科に所属するグンマは士官学生と一緒に強化訓練に出る必要がないのだから、多少の不便を我慢すれば明日からでも研究に戻ることができるのだ。どうして、と高松に小声で問われて、思いついたままを口にすれば、高松は呆れた様子を隠しもせずにため息をついた。
「昔ッからいい性格してるとは思ってましたけど……」
 幼い頃からの主治医と言うだけでなく、叔父の親友という立場もあって、高松の言葉は心易い。それはもちろん、こちらからも同じことで。
「あんたに言われたかねぇ。こないだ、医務室に一年次生連れ込んで――何してたんだよ」
 そこはかとなく叔父に似た風貌の学生を医務室に迎え入れていた姿を思い出し、軽く牽制する。何となくそわそわし始めたところを見ると、図星だったようだ。これはいい。そのまま、本格的に攻撃にうつる。
「親父とグンマに黙っててやる代わりにちょっと書類書くだけなんだから、悪い話じゃないと思うけど?」
 右手を差しだして、にやりと笑ってやれば、ドクターはがくりと肩を落とした。
「わかりましたよ……」
 諦めた様子でとぼとぼとデスクに向かうドクターと入れ違いに、対照的に明るい表情のグンマが姿を見せた。子機を手にしたまま戻ってくるところを見ると、マジックに連絡が付いたようだ。
 そのままベッドサイドへ近づいてきて、同い年の従兄弟は屈託なく笑って、告げる。
「シンちゃーん! おじ様に連絡付いたよ! 休戦協定締結させたらすぐ帰るって。それと、シンちゃんとお話がしたいって」
 どうやら右手の電話はまだ通話状態にあるらしく、受話器の向こうからかすかに人の声がする。機械越しに聞こえる猫なで声を耳にしたシンタローの目に剣呑な光が宿る。
「ねぇ、シンちゃん、おじ様も反省してるみたいだし、ちょっとだけお話ししてあげなよ。ね?」
 シンタローの不機嫌さを敏感に感じ取ったグンマの説得に頷いて、シンタローは子機を受け取った。怒鳴り声を覚悟して耳をふさぎかけたグンマの耳に届いたのはしかし、
「オヤジ? いま何やってんだよ。え、マジ? もうすぐ帰ってくるの?」
罵声ではなく甘えたシンタローの声だった。グンマが己の耳を疑うより先に、アラシヤマはバッグを床に落とし、高松のペン先は紙面に大きな染みを作った。
「そうなんだ? ああ、いいよ。じゃあ待ってる。だから、早く帰ってきてくれよな」
 囁いて電話を切ると、シンタローは甘えた口調を一変させて舌打ちし、子機をあらん限りの力で床に叩きつけた。鈍い音を立てて床を転がった哀れな端末は、電池が外れ、プラスティック製のカバーが割れ、内部の基盤を露出させた無惨な姿へと変わり果てた。それを一瞥して「ざまーみやがれ」と喉の奥で笑って口の端を上げたシンタローの他に、言葉を発することができる者はその場にはいなかった。



 静寂に満たされた部屋で、ひとり満足げに笑うシンタローを眺め続けること数分。沈黙に耐えきれなくなった頃、アラシヤマは意を決しておずおずと申し出た。
「あの、そろそろ飛行機の時間がありますさかい、わて失礼してよろしおすやろか」
「あぁん?」
 眉根を寄せてじろりと睨まれ、アラシヤマは思わず息を呑んだ。
「空港なんか行く必要ねぇだろ」
 言い放って、シンタローは髪をかき上げた。何を言っているのか理解できず、アラシヤマの思考が一瞬停止する。3時間後――もう2時間半後か――に搭乗予定の旅客機が離陸するということを、自分は確かに伝えたはずだ。ここから空港まで数十分かかることも、国際線の搭乗手続きに時間がかかることも、常識として知っているはずなのに。
「せやけど……」
 戸惑いの声を上げたアラシヤマに、シンタローは呆れたように言い放った。
「輸送機で直接日本支部まで送ってやるよ。パスポートさえあればいい。あ、チケットは心配すんなよ。ちゃんと払い戻しできるようにしてやるから。――グンマ、急いで2週間分の荷物用意して、俺のパスポート持ってきてくれ」
 何故だ、と問うより先に返された言葉は、アラシヤマの思考をもう一度停止するのに十分すぎるほどの力を持っていた。輸送機とグンマの荷物とパスポート。そして先ほどの電話――。導き出せる結論はそう多くない。
「まさか…わての里帰りについて来る気じゃ……」
 呟いて、ベッドの縁に腰掛け足をぶらつかせているシンタローを伺えば、満足げな笑みを浮かべて、こちらを眺めている。
「本気、どすか…」
 当たるわけがない、むしろ外れていて欲しいとさえ願ったアラシヤマの予感は見事的中したのだった。
「2週間よろしくな、相棒」
 笑みを浮かべたこの男を心底憎いと思ったのは、士官学校に入学したあの日以来かもしれない、とアラシヤマは思う。師匠の元を離れ、完全な自由の身になって初めての休暇に、なぜ同級生を連れて帰らねばならないのか。故郷で疲れた心を休めようと思っていたのに、これではまるで修学旅行の引率教師ではないか。しかも――。
 おそるおそるグンマと高松の方を伺えば、シンタローは当然のように彼らも同行すると宣言したのだった。同い年の青年が子供のような仕草で、わーい温泉旅行だ、とはしゃぎ始めるのを見て、アラシヤマはめまいに似た感覚を覚えていた。
 前言撤回。修学旅行どころか、遠足に行く幼稚園児を引率する教諭の気分だ。ひっそりと戻って久方ぶりの故郷で静かな休暇を過ごして来るはずだったのに、この人数では目立って仕方ない。それに、日本語を母語としているといっても、彼らはガンマ団という温室の中でぬくぬくと育てられた、海外育ちのお坊ちゃんだ。たった二週間といえども、古都の格式と伝統でがんじがらめにされた街で上手くやっていけるはずがない。
 きっと…いや、必ず何か問題を起こしてくれるに違いない。それも、ちょっとやそっとでは解決できなそうな難問をだ。さあっと背筋が寒くなる。嫌だ、と思った。
 己が特異体質だと知ったときから、様々なものを捨て、様々なものをなくしながら、ここまで来た。それは生まれ育った家であったり、家族であったり、友人であったりした。奇異の視線を向けられまいと、逃げるように離れた故郷。けれど幸いなことに、噂が広がるより先に転居を決意してくれた両親のおかげで、そこは今でもアラシヤマが帰ることのできる、ほとんど唯一の場所だった。
 友人たちと走り回った路地、水遊びをした井戸水の流れる用水路、祇園のお囃子を遠くに聞いた河原。どれもが懐かしく、子供の頃が思い出される。当時の友人たちと親しくつきあうことのできなくなったいま、せめてそんな場所だけは失いたくはない。
「ねえ高松ぅ、お風呂用のアヒルさん持っていってもいいかな?」
「もちろんですともグンマ様! この高松がお持ちします。ああ、以前プレゼントした泳ぐイルカさんも一緒に持って行かれては?」
「グンマ、シャンプーハット忘れるんじゃねェぞ」
 パジャマは、タオルは、と和気藹々とし始める男たちに向かって「ほんとうに本気なんどすか」と問えば、当然のことだとばかりの返答が返される。逃れる術は、どうやらもう残されてはいないらしい。ならば、残された道は一つしかなかった。
 己が止めるのだ。この、はた迷惑な男どもを。アラシヤマは腹を決めた。
「あんさんら――京都に着いたらわての指示は絶対に聞いてもらいますえ……」
 呟いたアラシヤマの声は、はたして、騒ぐ男どもの耳に届いていたかどうか。


 夜半過ぎ、帰投したマジックが息子不在の事実に取り乱して暴れ、総帥執務室周辺および側近たちに多大なる被害を及ぼしたとの情報が輸送機に届けられたが、そこまではアラシヤマの関与するところではなかった。


ss
「なあ、俺は間違ってたのか…?」
 小さな写真立てのなか、青年たちが笑っている。ある者は白衣を羽織り、ある者は軍服をまとい、ある者は迷彩服に身を包み。その中心には、穏やかに笑う自分の姿があった。
 自由だった最後の夜に、仲間たちと撮った最後の写真だ。
 あれからどれだけ経つだろう。幾多の改革によって、組織は確実に変貌を遂げた。好戦派の幹部を離脱させ、武器製造の技術を精密機械に転用、化学兵器用の設備を製薬開発に移管し、これまで奨励してきた殺人を正式に禁止し、総帥就任後、何年もたたないうちに組織は殺し屋集団からの脱却を果たした。
 もちろん、すべてが順風満帆だった訳ではない。一部の部下は暗殺稼業を辞めることに躍起になって反対したし、前総帥と血のつながりのない自分を新総帥として認めない連中が、グンマを総帥候補に担ぎ出し、クーデターを企んだことすらある。旧体制にどっぷり浸かりきり、改革をよしとしない連中を排除して、理想を実現させるためには多くの仲間の協力と犠牲が必要だった。
 新体制樹立と引き替えに失ったものは、あまりにも大きかった。この写真に写った仲間も、ほとんどが今はここにはいない。
「俺は…どうすればいい?」
 どこへもぶつけようのない怒りを込めて、力任せに机を殴りつける。反動で、机上に置かれた金属片が耳障りな音を立てた。個人識別のための認識票。いわゆるドッグタグと呼ばれるものだ。ミヤギ、トットリ、アラシヤマ、コージ…かつての仲間の名が、それぞれに刻まれている。数日前、前線から送られてきた数百の認識票の群れの中に、それらはあった。
 2週間前、下した命令の結果がこれだ。初めて彼らに大隊の指揮を任せ、自分は留守居役に徹した。戦いはそう大規模なものではなく、数週間後には任務を終え、何事もなく彼らはここに戻ってくるはずだったのだ。
 しかし戻ってきたのは、異口同音に「任せろ」と言いながら意気揚々と出かけていった彼らではなく、物言わぬ金属片だけ。
「俺が……」
 あんな命令を下さなければ。いや、あんな言い方さえしなかったら。
 ――こんなことにはならなかったのではないか……?
 改めて突きつけられる現実。自分への言いようのない憤りが、沸々と沸いてくる。
 さらに殴りつけようとした拳を、寸前で止められる。腕の主は、確認するまでもない。この部屋になんの制約もなしに入室できるのは、金髪の従兄弟だけだ。
「帰ってたのか……キンタロー」
 最近ますます父親の若い頃に似てきた、と評される従兄弟は、落ち着いた色合いのコートを羽織った旅姿のままだった。大層な肩書きに邪魔されて、身動きのとれない自分の代わりに、数日前から事態の収拾に奔走していたのだ。
 どこか常人離れした「前総帥の甥」は、その並はずれた有能さでもって多くの部下の信頼をあつめ、今では誰もが、総帥に次ぐ決定権を持つ者として認めている。
「ついさっきだ」
 腕の力を抜いたことに気づいたのか、キンタローが力を緩める。
「安心しろ、事故の規模に比べれば損害は微々たるものだ。混乱も、さほどではない。補給部隊が三個小隊、警備に回していた部隊が二個中隊ほど機能しなくなったが、既に代わりの部隊を現地に送った。一両日中にも合流して通常の業務が再開できるだろう」
 提げていたブリーフケースから、キンタローは薄いファイルを取り出した。
「現地からの報告書だ。目を通しておけ」
 ファイルから取り出された書類が、机上に置かれるのを、微動だにせずぼんやりと眺める。引き結んでいたはずの口元から、ため息が漏れる。
 書類の内容など、目を通すまでもなく予想がつく。どうせ書かれているのは、送られてきた数百の認識票の持ち主の名と所属の羅列だ。気の利いた人間なら現在の状況と詳細な経過くらい付け加えているかもしれないが、そんなものに意味はない。自分が知りたいのは、ただ、「何が出来るか」。
 けれど、幾度となく繰り返されたその思考の末に与えられるのは、答えではなく無力感のみだ。総帥という肩書きなど、今はなんの役にもたたぬと現実を突きつけられて、考えることすらまどろっこしくなってくる。
 もう、何もかもなかったことにして、やり直せればいいのに。この命令を下す前に。いや、この職を引き継ぐ前か…あるいは、あの島に渡る前か。
「もう一度、やり直せればいいのに、な…」
 いっそ士官学校に入学する前から。思考はいつの間にか言葉に形を変えていた。
「……まだ気にしているのか」
 書類を眺めたまま俯いた頭の上から、呆れたと言わんばかりの声が降ってくる。見ることのかなわないその表情も、おそらくは同じ色を帯びているに違いない。
「お前の所為ではないと、何度言えば分かる」
「黙れ、2歳児」
「その『2歳児』に説教されてどうする」
 いい加減にしろ、と今度はキンタローがため息をついた。
「一人で背負い込むなと言ったはずだ」
 不意に、懐かしさに襲われた。2年前、自分が組織のトップに立つと決意したとき、全く同じ言葉を、この男に掛けられたのだった。そのための補佐役だ、そのために俺がいる、と。目付役の間違いじゃないか、と軽口を返した自分に、この男が何ともいえぬ、呆れと怒りと、そして戸惑いの混じった表情を見せたことすら、記憶の片隅に残っている。
 だがなんと言われようと、命令を下したのは自分だ。自分の命令が無ければ、あいつらはあんなことはしなかっただろうし、この認識票はあいつらの首に、まるで生まれたときからそこにあったかのような自然さで、かけられたままだったに違いない。
「決定を下したのは――」
 俺だ、と言いかけた口が、冷たい手のひらで覆われ、吐き出そうとした言葉を飲み込まされる。何をする、と視線で問えば、キンタローはいつかと同じような目で自分を睨んだ。
「それも、俺が反対しなかったからだ。そうしていれば、お前は必ず再考して、妥協案を出した。決定を下したお前に責任があるというなら、その案に反論しなかった俺にも、少なくとも半分は責任がある」
 ああ、と口の中で呟いた。
 ささくれだった神経が、目に見えて鎮まっていくのがわかる。不思議と、この男の前では、意地っ張りで頑なな自分はなりを潜める。叔父たち――前世代の組織の要職を占めた男たちが、口を揃えてキンタローの補佐役就任を薦めたのは、こうなることが分かっていたからだろうか。
 キンタローの手のひらが、ほおを伝い、首筋を滑り、赤いブレザーの襟をつかむ。
「この服を着る人間の役目は、いつまでも過去を引きずって後悔することじゃないだろう?」
 目をそらさずまっすぐ前を見て、組織のために最善の判断を下すのが俺たちの仕事だ。違うか、と問われ、慌てて、否と首を振った。
 金髪の従兄弟が、ほんのすこしだけ口元をゆるませた。
「分かっているなら、いい」
「……すまん」
「構うな」
 お前の面倒を見るのにももう慣れた。呆れたように言う男の笑顔につられて、苦笑した。
「…悪かったな」
「謝るなと言ってる。それに――」
 続く言葉を遮るように、ばたばた、と廊下から複数の人間の足音が、口論調の会話とともに聞こえてくる。何事かあったかと扉に目をやって――開いた扉の向こうの人影に、絶句した。
「シンタローはん、聞いておくれやす! わてやあらしまへんのに!」
「なに言うっちゃ! アラシヤマが新しい身分証届いたから本部に古い方送り返せ、言うたから僕らぁその通りにしただけだわいや!」
「んだ。オラもドッグタグが身分証に入らネなんて聞いたことねぇべ」
「おだまりやす、この顔だけ阿呆! 能無し忍者! 支給された物品の確認ひとつまともにでけへんのか! そもそもドッグタグの交換は所属が変わったときだけやし、送り返すときは死んだときだけ、それも片方言うんが常識どすやろ! 士官学校でなに習とったんや! ドッグタグなしで行動する軍人なんか聞いたことあらへんわ! お陰であんさんらの部下みーんな作戦行動に従事できんなってしもたやあらしまへんか! どれだけの損害出したと思うとるんどすか!」
「そがぁに怒らんでもええじゃろぉが。お陰で久々に本部に戻れたんじゃけぇ」
「何を暢気なことを! あんさんもあんさんどすえ! わてに一服盛ってまでタグ回収することあらしまへんどしたやろ! しかも劇薬を適当に目分量で測りくさってからに! もうちょっとで三途の川越えるとこどしたわ!」
 前線で待機しているはずの彼らが、そこにいた。キンタローの方を伺えば、涼しい顔でその争いを眺めている。
「――呼び戻した、のか?」
「いつまでも総帥にふさぎ込んでいられると迷惑でかなわんからな」
 当然、と言わんばかりの口調にあっけにとられている間に、キンタローはブリーフケースから書類の束をいくつか取り出し、机の上に積み上げた。
「今日はとことん話し合え。こっちは今日決裁の書類だが、明日の朝まで待ってやる」
「キンタロー…」
「タグの件に関する処分案も明日までだからな」
「了ー解」
 空になったブリーフケースを抱え直し、部屋に戻ろうとするキンタローの背に返事を返して。
 未だ続く四人の言い争いを眺めながら俺は、どんな言葉であのタグを目にしたときの感情をこいつらに伝えてやろうか、と考えていた。

ms

◆追う理由◆

「パパ」から「父さん」から「親父」へと。
変わり行く呼び名は時の流れこそ意味してはいたが、いつだって父親の存在を認めていた。
だがもう俺はアンタの事をそうは呼ばない。
赤い軍服を着た背中は相変わらずでかく、威圧感を保っていた。
机へと向かうその総帥の背中を見ていれば、これからの己の起こそうとしてる行動に躊躇を覚えた。
(別に大した事しようってんじゃねーだろ。何、緊張してンだ……。)
だけど、これは俺なりのけじめだ。
アンタへの俺からの気持ちだ。
(……よし。)
拳を握りしめれば、その背中に近づく。
「……マジック。」
その男の名を初めて呼んだ声は、決心とは裏腹に控え目に紡がれた。
しかし返事は返ってこない。
もう一度、その名を呼ぼうと口を開く。
「あれ?」
だが、振り返ったその男によってそれは果たされずに終わる。
「シンタロー、来ていたのか。」
ようやく気付いたようなその声に、拍子抜けして眉をしかめる。
「どうかしたのかい?今、パパは」
「なんでもねーよッ!」
男の声を遮るように怒鳴りつけ、後は何も述べずに背中を向ける。
「シンタロー?」
聞こえないとばかりにその場を走り去る。
(チクショー……)
マジックを父親を意味する以外の呼び名で呼んだ初めての夜だった。


いつからか口癖になっていたその言葉をお前は何回聞いたのだろうか。
『パパだよ』
私は怖かったのかもしれないね。いつかお前が私を父親と認めくなるのが。
だからそれを阻止したくて何度も何度も唱えたんだ。
『パパだよ』
呪文のようにその名を植え付けた。
だけどそれだけじゃ阻止できないのだって本当はわかっていたんだ。
お前が苦しんでいるのを知りながら私は見ない振りを決め付けて『総帥』で居続けた。
そんな私の事をお前が初めてマジックと呼んだ夜の事を覚えているかい?
心臓が停まった気がして、何も言えなくなってしまったんだ。
お前が『親父』と呼んでくれる度に許されてる心地がしていた。
いつまでもそれに甘えていた報いなんだろうか。
でもお前はやはり優しい子だね。
私が総帥として追わねばいけない理由を持って逃げてくれた。
お前がそれを持っていってくれなければ私はきっとこんなふうに堂々とお前を追えなかった。
一番大事なお前を追う事すら出来なかっただろう。
「シンタロー、秘石を持って行ってくれてありがとう」
こんな不穏な言葉、部下には聞かせられないが。
これで心置きなくお前を追える。
ガンマ団の総帥として秘石を追うのではない。
お前を必ず捕まえる。
「必ずパパが捕まえてあげるからね。」
お前の父親でいたいんだよ。

私の大事な息子
シンタロー
パパだよ
パパだよ

呪文だけじゃ足りない。
追い掛けよう。
小さい頃、花畑で追い掛けっこをしたあの頃のように。


end
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