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mss



「覚えてるか?」

シンタローが、笑って訊いた。





Absolute wish.





「勿論、覚えてるよ。
 パパが忘れるワケないじゃない。
 シンちゃんの誕生日を」

無理をして、いつものように笑う。
そうでもしないと、顔がひきつりそうだ。

自分のこと以上に嬉しいシンタローの誕生日が、
今日ほど来なければいいと思ったことはない。

「そうか?」

そんな私の気持ちを知ってか知らずか、笑うシンタロー。
その笑い方は、あの時と同じ。

慰めるように、労わるように――そして、誤魔化すように。



「何が欲しいんだい?」

訊きたくないのに、訊かずにはいられない。
ドクンドクンと心臓が煩い。

「その前に、絶対だよな?」

「何が?」

「絶対に俺が望むモノをくれるって約束」

真剣な目が、射抜くように見上げてくる。
これは、覚悟を決めなければいけないのかもしれない。

欲しいモノ、ではなく、望むモノ。
その言い方の違いだけで、ワケもなく焦燥感に駆られる。

「パパが、シンちゃんに嘘吐いた時あった?」

「どうだか?」

ケッと、シンタローが鼻で笑う。





嘘は、嫌と言うほど吐いてきた。

恥ずかしいなどと思ったことは一度もないが、
それでもキレイなシンタローには隠していたいと思う仕事をしている。
それを、出来うる限り見せないようにしてきた。

そこに、嘘は生じている。
嘘だと決定的にバレないように、誤魔化してはいたが。


だって、この子が穢れる。
こんなキレイな子が、私と同じになってしまう。

…いや、そうじゃないな。

私は、怖かったんだ。
この子が、どんな目で私を見るかと考えることが。

そんな私に気づいたシンタローは、
仕事に関しては一切気づかないふりでいてくれた。

変らぬ態度で、変らぬ表情で。
だから、いつから気づいていたかなんて知らない。

怖くて、追及できないまま。





「まー、いいよ。
 約束さえ守ってくれたら」

「何を望むの?」

何が欲しい、とはもう訊けなかった。

「本当に、約束は守るのか?
 守らなかったら――、家を出る」

どうやって、とは訊かなかった。
訊けなかった。

サービスのところにでも行くのだろうけれど、そんなことは許さない。
けれどそれを止めるために、この子の自由を奪うことをそれ以上に私は許せない。

私にできることは、ひとつ。

「シンちゃんを失うくらいなら、パパはなんだってするよ」

「守れよ」

短く確認するように、シンタローが言った。
私は、ただ頷いた。







「――サインをくれ」

差し出された予想もしなかった紙に、目の前が暗闇に染まる。

「…どうして?」

震える声で訊いた。
シンタローは顔を逸らし、俯いたままに答える。

「…理由なんて、どうだっていい。
 サインさえ、くれればいいんだ」

「何それ?
 本気で言ってるの?
 それが何だか、知ってて言ってるの?」

ここまできても、それを確認する。

目の前の紙が、信じられないから。
信じたくもないから。

「約束だ」

俯いたままのシンタローの肩を掴み、無理矢理顔を上げさせる。
そこに、泣き出すのを必死に止めようとする顔があった。

「そんな顔するくらいなら、止めなさい」

「約束だ」

絶対に、引かないシンタロー。
視線を逸らすのを止め、必死に見上げてくる。




「それが、何だか知ってる?」

「入団志願届け」

「…うちの団が、何をしてるのか知ってる?」

「…暗殺」

ギュッと耐えるように唇を噛み締めたが、それでもシンタローは視線を逸らさなかった。

「人を殺すんだよ?」

ビクリとシンタローの肩が震えた。
このまま、諦めてくれればいいのに。

「それは、罪のない人かもしれないよ?」

「…それでも、決めたんだ」

それは、悲痛な声だった。




「…約束だろ?」

ふっと、シンタローが笑った。
悲痛な表情は、もうない。

「どうして、って訊いてもいい?」

「…理由なんてねぇよ」

そんなはずは、ないだろう。

心優しい子だった。
猫が死んだと、鳴き続ける子だった。

理由がない限り、団になど入ろうとは思わない。

「…嘘吐きだね」

「アンタに、似たんだよ」

何も、返せなかった。
ただ、そう、とだけ応えて、シンタローの手の内にあった紙を取った。


「後悔しない?」

「……」

シンタローは答えなかった。

後悔するかもしれない、ということだろう。
それでも、今はこの道しかないと決めている。

だから、何を言っても無駄なのだ。

ポケットに差してあった万年筆を取り、サインした。
それをじっと、シンタローは見上げていた。




「こんなモノ、お前に渡したくないよ」

「でも、俺は貰う」

暫く無言で見詰め合って、紙を返した。
それを、ギュッとシンタローが握り締める。

「じゃあな」

用は済んだ、とでも言いたげに、さっさと踵を返される。
その背中はまだ小さいのに、もう子どもではなかった。


「ハッピーバースディ、シンタロー」

投げかけた言葉に、シンタローは足を止めかけたがそのまま扉に向かう。
けれど扉に手をかけたまま、立ち止まる。
そして、振り返った。

「もう、嘘は吐かなくていい」

それだけ言うと、扉は静かに閉まってシンタローは出て行った。

言われた意味を理解するまで、数秒。
理解した瞬間、崩れ落ちそうになる。





私のためか?

何をどうしたら、そういう考えに至ったのか解らないが、
それでもその答えが間違っているとは思えない。

キレイな穢れなき子ども。
そんなシンタローを、私が汚い世界に引きずり落とすのか?

それを望んだことがない、と言えば嘘になる。
けれど、決してそれだけを望んでいたワケではない。

それなのに軋む胸の中、
喜びがまったくないとは言えない自分が、酷く情けなかった。


シンタローの誕生日なのに、
私は何もプレゼントすることが出来ず、
代わりに、どうしようもないほどに哀しくも優しいシンタローの想いを貰った。


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「シンちゃーん」

大きな声で名を呼んで、
振り返る大好きな笑顔が見たかった。

それなのに、
見せてくれたのは、嫌そうに眉間に皺を寄せた顔。





Can I your wish?





「…何だよ」

子どもには難しそうな分厚い本を
ソファに深く腰掛けて読んでいたシンタローは、
心底嫌そうに顔を上げた。

最近、私に対する扱いがよくないのは何故か。
12歳にして反抗期なんだろうか。

けれど、そんなことを気にしちゃいられない。



「今日は、ホワイトディだよ。
 何が欲しい?
 何でもいいから言ってね」

その言葉に、
ただでさえ寄っていた眉間の皺が深くなり、
まるで相手をしていられない、とでも言うように、視線は本へと戻される。

それでも、会話を続けてくれる。
こんなところが愛おしいのだ。

「アホか。
 ホワイトディっつーのは、チョコのお返しだろうが。
 俺は、お前になんぞやってねぇだろ」

「何言ってるの。
 チョコは貰わなかったけど、
 シンちゃんずっとパパと一緒にいてくれたじゃない。
 だから、お返しするんだよ。
 で、何が欲しい?」

「…一緒にいてくれた、じゃねぇだろ。
 会議もほったらかして、お前が俺に付きまとったんじゃねぇか」

「えー、そうだった?
 パパすっかり忘れちゃったよ」

都合の悪いことは、忘れる。
覚えているのは、シンタローの表情。

怒っても、可愛い。
笑ってくれれば、愛おしい。

気持ちが溢れてしまう。
それなのに、シンタローはそっけない。




「とうとう、耄碌したか」

「その時は、シンちゃんが面倒見てね。
 お礼に、今から何でも欲しいものをプレゼントするから」

「バレンタインのお返しじゃなかったのかよ」

「何でもいいんだよ。
 パパは、シンちゃんに喜んでもらいたいだけだから。
 だから何でも言ってよ」

ふざけた会話の中に本音を混ぜ込めば、
それを悟ったシンタローが本を読むのを止めた。

パタンと小さな音を立て、
閉じられた本を見つめながら表情をなくして何事か考える。

何にしようか、という可愛らしい悩み顔ではなく、
何か考えあぐねているような、そんな子どもらしくない真剣さ。

危機感を覚えてしまう、その表情。



「…シンちゃん?」

呼ぶ声は戸惑ったものとなってしまったが、
それに反応したシンタローは顔を上げ、じっと私を見つめてきた。

「…何でもいいんだな」

念を押すように、真剣な目と声で問われる。

「勿論だよ」

そう応えながら、
不可能なことを言われると怯えた。






「じゃあ、バースディプレゼントは俺の望むことを叶えろよ」

告げられたそれは、不可解なもの。

物心つくまでは、
喜んでくれるだろうモノを想像してプレゼントし、
物心がついてからは、
望むモノを訊いてプレゼントしてきた。


今更だろう?
それにシンタローが望むなら、
何をしてでも叶えようとするのが、自他共に認める私だ。

それなのに、何故念を押すように今それを望む?




「いつも望みを叶えてきたよ?」

ドクンドクン、と心臓が嫌な音を伝える。
背中は、冷やりとした汗が伝う。

こんな経験、したことがない。
これは、一種の恐怖だ。

そんな私の心境を知ってか知らずか、
シンタローはふっと笑った。


「でっかいモノ望んでるんだよ。
 だから、嫌って言えねぇように保険かけてんだよ」

バーカ、とまた笑うシンタロー。
その笑顔にほっとしつつも、嫌な感触は拭えないまま。

だって、シンタローはこんな顔で笑わない。
慰めるように、労わるように――そして、誤魔化すように。

それでも、まだ何も気づきたくない私は、
ただ何事もなかったように笑って返すだけ。

「解ったよ。
 シンちゃんは、何を望んでるんだろうね?
 パパ、怖くなっちゃった」

笑いながら本音を混ぜても、
先ほどのようにシンタローは何も反応しなかった。

ただ、あの不安にさせる笑顔で、
楽しみにしてろよ、と言って笑った。



誕生日など来なければいい、と、
思ってしまうほどに、私の心は掻き乱された。

シンタローは、何を望むと言うのだろう。
それを、私は叶えるのだろうか。





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06.03.13
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Liar.





「嘘吐き」

「パパは、お前に嘘なんか吐かないよ」

「嘘吐き」

「…シンちゃん」

「嘘吐き」

涙を耐えて見上げてくる目がどこまでもまっすぐで、
胸を静かに突き刺し痛みを伝える。


「…シンちゃん、パパのこと嫌い?」

誤魔化すように問えば、
シンタローは悔しそうに唇を噛み締め俯いた。

瞬間、ぽたりと一滴の涙が落ちた。


ごめんね、
と、呟きそうになる口を同じように噛み締めて耐えた。

謝れば、
嘘を認めることになるから。

まだもう少しだけ、
シンタローの好きな優しいパパでいたかった
ks
 

 少々個人的な買い物がしたくて、仕事の合間を見て時間を作り、シンタローとキンタローが揃ってデパートを訪れた時のことであった。用事があったのはシンタローで、キンタローはそれにくっついてきた形になる。

 シンタローが目的のものを探している間、キンタローはその近くをウロウロしていたのだが、ようやく買い物が済んだと思ったときに金髪の従兄弟の姿が見えなくなっていた。

 キンタローの容姿はとにかく目立つ。

 シンタローもそうだが、ここまでの長身はなかなかいるものではないし、金髪碧眼は世界に多くいるというのに青の一族が持つ輝きは独特なものがあるのだ。キンタローの端整な顔立ちと彼が持つ雰囲気はその場にいる者の目を奪うのには十分で、黄色い声が混じった特有のざわめきを追っていけば直ぐに見つかるだろう。
 だから、キンタローとはぐれた今でもシンタローに焦りはなく、フロアに並べられているものを見ながら、長身で金髪の男の姿を探して少し一人で歩いた。

 それから、差ほど時間はかからずに探していた従兄弟の姿を見つけることは出来たのだが、この時のシンタローの顔には喜びと安堵の表情は見られず、見てはいけないものを見てしまった時のような引きつりを見せた。

 先程までシンタローにくっついて歩いていたキンタローは、フロアに置かれているもの一つ一つがその眼に珍しく映ったようで、興味津々の呈で眼に映る様々なものを眺めながら歩いていたのだろう。
 周りに意識を奪われ過ぎてシンタローからはぐれてしまったようなのだが───最終的に何故そこに辿り着いたのかキンタローが今現在いる場所は、この時期に特設されるのであろう、チョコレートや手作りお菓子用の材料、ラッピンググッズなどが置かれた、いわゆるバレンタインコーナーであった。

 可愛らしいピンク色のコーナーはバレンタインの贈り物を選ぶ女の子達で華やいでいるのだが、その中にとても違和感を感じる大きな男が一人混ざっている。

 整った外見がその違和感をより一層際立たせていた。

『アイツ…何してんだよッ?!』
 その台詞は口から勢い良く飛び出したりはしなかったが、シンタローは心の中で盛大に叫び声を上げる。
 キンタロー本人は気付いていないようだが、今現在このバレンタインコーナーにいる女の子達の視線釘付け、大注目を浴びていると断言出来る程目立っているのだ。
 ただし、目立つと言っても悪目立ちをしていると言うことなのだが───シンタロー自慢の従兄弟なのに、痛い視線集中の現状には目を逸らしたくなる。
 おそらく、お菓子売場でもない場所に何故こんなにも多くのチョコレート類が置いてあるのだろうかと、ここに特設されたコーナーを目にしたキンタローは興味を覚えて、更に食品売場でもないのにお菓子作りの材料も置いてあるのは何なのだろうかと考えながら足を踏み入れていったように思えた。
 シンタローの視力では、バレンタインコーナーから少し離れた位置にいるにも関わらず、疑問符が浮かんでいるキンタローの表情までよく見えるのだ。バレンタイン自体は知識として知っているはずなのに、これがそれだということにはまだ思い当たっていないようである。
 シンタロー個人の用事はとっくに済んでいるので、キンタローにさっさと声をかけて帰りたいのだが、恐いもの知らずのガンマ団総帥もその地帯に足を踏み入れるのは本気で躊躇われた。
 しかし、どうしようかと逡巡していると、キンタローはどんどん奥の方へ足を進めていってしまう。
 そこでふと思いついて、シンタローはキンタローの携帯電話にかけてみたのだが、お約束のようにこういうときに限って相手は気付かない。
『バカッそれ以上奧に行くなよッキンタローッ』
 シンタローはそんな叫び声を心の中であげた。

 だが、その一分後に居たたまれないという気持ちを存分に味わう羽目になる。

 どれだけ電話をならそうとも気付いてもらえず、結局シンタローはバレンタインコーナーにて女の子に紛れながらキンタローと肩を並べることになってしまった。
 キンタローに集まっていた視線をシンタローが半分ほど頂くことになる。シンタローにとっては非常に有り難くない話であった。別の形出ならば大歓迎なのだが。
「……………」
「シンタロー…ここは何なんだ?」
 キンタローは、無言のまま近寄り肩を叩くことで存在を知らせてきたシンタローには構わず、今現在の興味からくる質問を投げかける。対するシンタローは額に手を当てて深い溜息をついた。
「あー…バレンタイン…は分かンだろ?」
 早くこの場から立ち去りたいと心底思いながらキンタローの質問に答えた。
 シンタローの一言でキンタローは納得いったように「あぁ、これが…」と呟き頷く。
 これで直ぐにこの場から離れてくれるのかとシンタローは期待したのだが、そんな気配は一向に見られず、この場での興味はまだ削がれないようで、キンタローは目の前に置いてあったラッピンググッズを手にとって眺めてみたり、色んな種類のチョコレートをその青い眼に映していた。
 シンタローはキンタローに帰りを促すタイミングを失ってしまい、何だか楽しそうな雰囲気を醸し出している従兄弟の後ろについて、少し投げやりな気持ちで一緒にフロアを歩いた。
 人一倍周囲の視線が気になるのはシンタローの性格で、大して気にならないのが青の一族の性格である。
 キンタローは周囲の状況など全く意に介さず、自分の興味が赴く方向へ忠実に移動していく。
 この場にそぐわない二人組になっていることを重々承知のシンタローは、羞恥心から若干俯いているのだが、長身が故にその方がこの場にいる女の子達に己の表情がよく見えるということには気付いていないようであった。
 一刻も早くこの場から立ち去りたいと思っていたシンタローだが、そこで今回がキンタローにとって初めてのバレンタインであることに気付く。
 士官学生時代、男に囲まれた青春を送ったシンタローも、バレンタインに明るい思い出はなかったと言っても過言ではない。もちろん、身近にない行事だからこそ抱く憧れや夢のようなものはあった。その当時は縁がないなりにも、どこかの女の子へ抱く期待がそれなりにあったような気もするが、それらは全て仲間内での談笑に終わっていた。実際のところ、二月十四日はバレンタインというよりも、大好きな叔父の誕生日といった意識の方が強いのだ。勿論、今現在でも───。
『俺も普通の学校行ってたら、やっぱワクワクソワソワしてたのかな』
 そんなことを思いながらキンタローの後ろ姿を見つめていたシンタローは、甘いものがあまり得意ではないキンタローでも、やはりバレンタインというものには興味が湧くものなのかと少し考えた。
 甘いものが大好きなもう一人の従兄弟のグンマなら、この時期無条件にワクワクするのは判るのだが、この男の場合はどうなのだろうか。
 キンタローならば「お菓子メーカーの戦略だろう」と一刀両断しそうな気もするのだが、何を想像しているのか今現在は楽しそうにフロアを見て回っている。
『コイツは…やっぱ普通の学校に行ってたら、たくさんもらってきたんだろうな…』
 キンタローならば律儀な性格故に、義理も含めてもらったお菓子は全て自分で食べなくてはと思うだろうし、そう考えはしても甘いものが苦手だから全然食べ進めることが出来ずに困り果てている姿がありありと浮かんで、シンタローはふっと笑みを洩らした。
『興味あンならあげても良いけど…どーかな?やっぱ処理に困るかな?』
 目の前をウロウロしているキンタローが何を考えているのか判らなかったが、興味があるのならチョコレートをあげてみようかとシンタローは思う。勿論、食べるのに困らないように、小さなものを少しだけ。
「シンタロー」
「ん?」
 不意に名前を呼ばれて、シンタローは意識を現実に戻す。
 すると、今まで周囲のものに向けられていたキンタローの青い眼が、シンタローをじっと見つめていた。
「バレンタインは女の人が好きな人に贈り物をする、で合っているか?」
「あぁ…まぁそーだな」
 キンタローの質問に、シンタローは先程よりも暢気な様子で答えた。キンタローにとって初めてのバレンタインと考えていたら、周りの状況よりもこの従兄弟の方が気になりだしたのだ。さすがにここで女の子に混ざって材料を買う気にはなれないが、後で何か探してみるかという思考にまでは直ぐに至った。
 シンタローが少し楽しげな想像をしていると、先程向けられた青い眼がまだ己を見つめたままなことに気付く。
 キンタローの青い眼にシンタローが視線を合わせると、従兄弟はふわりと微笑を浮かべた。
 目の前で見ていたシンタローは、突然のことにドキリとする。
 余り表情が変わらないキンタローが浮かべる微笑はシンタローに絶大な効果を発揮するのだ。
 周囲のざわめきも大きくなったような気がするのは、多分気のせいではない。
 シンタロー以外の者が見ても、その微笑には目を奪われるのだろう。
「どーした?キンタロー」
 その微笑につられてシンタローの声色も優しく響いたのだが、この金髪の従兄弟は何を思ったのかいきなりシンタローの手を掴んで握り締めた。
「……キ…キン…ッ」
 突然何をするんだと慌てたシンタローが抗議をあげるよりも早く、キンタローが口を開いた。

「ということは、シンタロー…俺はお前から貰えるということになるのか?」

 この従兄弟の中では先程の会話がまだ続いていたようで、普段はクールな印象を与える青い双眸が期待に輝く。
 嬉しそうに弾んだキンタローの声は差ほど大きなものではなかったのだが、不本意ながら周囲の意識を我がものにしていた二人組であるだけに、その台詞はこの辺り一帯にいた者全ての耳に響いた。






 今まで賑わっていたバレンタインコーナーがあり得ないほどの静けさに包まれる。
 シンタローもキンタローもこれまでの人生で、女の子から、否ありとあらゆる人達からこんなにも視線をもらったことはないんじゃなかろうかというほどの大注目を浴びた。

 痛いほどに、無数の視線が突き刺さる。

 次の瞬間、種々のざわめきが起こったのだが、そんな中ガンマ団ナンバーワンとしてその名を馳せた男は、公衆の面前でとんでもないことを暴露してくれた従兄弟の腕を勢い良く掴むと光速の如くこの場から走り去った。


 ということは、の内訳を詳しく説明してみやがれと腹の底から叫びそうになったシンタローだが、実際問題それどころではなかったのである。






『あぁ…もう二度とあのデパートには行けねぇーな…』






 キンタローが運転をする帰りの車の中で、助手席に押し込まれたシンタローはこの男に何か言ってやりたかったのだが、効果的な言葉が全く見つからなかった。車窓から流れる景色を投げやりな気持ちで眺めている。
 一方のキンタローは、ハンドルを握る手がとても軽い。この従兄弟にしては珍しく少しスピードが出ているのだが、これは先程気付いた“事実”に浮かれているからであろう。
 多大な期待が籠もった視線を、車が信号で止まる度に嫌と言うほど感じているシンタローは、気付かないふりをして一切横を向かないでいた。頼むからそんな目で俺を見ないでくれと、怒っているはずなのにどんどん気を削がれていく。
『ホントに…何でコイツはこーなんだよ…』
 バレンタインに贈り物をすること自体は、シンタローも構わない。手作りが良いと言うのならば、料理好きの性格だから喜んで作る。先程まではそんなことも考えていた。
 だが、しかし───。
『クッソー…“ということは”って何だよッ!!』
 恐らく二度と会わないであろう女性の皆さんには、あの場で忘れられない記憶をプレゼントしてしまったような気がする。出来れば直ぐさま記憶を消去して頂きたいのだが…。
 本部に戻りシンタローが車から降りると、キンタローは尻尾を振った犬のように近寄ってきた。
「シンタロー」
「…ンだよ」
 努めて素っ気なく返事をしてみたのだがキンタローは気にした様子もなく、一冊の本をシンタローに渡した。
「………何だコレ?」
「先程のデパートで店員にもらったんだ」
 可愛らしい女の子三人が表紙を飾っている本にはワインレッドの色をした文字で“特別号/バレンタイン特集”と書かれていた。全体的に淡いピンク色で構成されているこの本は、誰がどう見ても完全に女性誌である。
 シンタローは渡された本の意味を直ぐに理解出来ず、疑問に満ちた視線をキンタローに向けた。

「参考にどうぞと言われたんだ」






 強い力で雑誌を握り締めながら今の台詞で打ちひしがれたシンタローは、見事にその場で崩れ落ちていった。




END...?


 





 もう何もしまへん。

 もう何も言いまへん。

 後生やから…

 泣かんといて。





灯蝶  -ちょうちょう-




 母はよく泣く人だった。
 父との仲は決して良くはなかった。
 家も裕福なんかじゃなかった。

 母はよく泣く人だった。
 わての前でだけ、よく泣く人だった。
 例え父との仲が良くなくても、家が裕福じゃなくても――――それでも母は笑っていられた。
 近所でも明るい人だと有名だった。

 母はよく泣く人だった。
 わてが普通じゃなかったから。
 わてが特異体質だったから。
 わてが……バケモノだったから。




 日が落ちかけた夕方。
 ロングコートの裾を翻しながら、アラシヤマはゆっくりと歩いていた。
 遠征から帰り、山のような書類を片付け、久しぶりの息抜き。
 執務室から見えた景色に、散歩でもしようかと外へ出た。
 季節は、冬が終わって春に近付こうとしている。
 それでも日が落ちてしまえば寒く、口から吐く息が白くなっていた。
 誰もいない公園。
 後ろを振り向けば、そこにはガンマ団の本部がある。
 さっきまで、あそこで書類と睨めっこをしていた。
 見上げる者を威圧するような建物に小さく溜め息を付いて、視線を戻す。
 林や池のある公園は、シンタローが新総帥になってから整備されたものだった。
 表向きは、団員のリラックスの為。
 本当は、自分が息抜きに使う為。
 薄暗い林をしばらく歩けば、白いベンチがひとつある。
 春になるとシンタローはそこでよく昼寝をしている。
 自分がガンマ団の総帥だということをちゃんと自覚しているのか疑いたくなるような行動だが、そんなことを今
更あの人に言っても仕方ない。
 以前、偶然にもベンチで昼寝をするシンタローに出逢った。
 春のやわらかい風に長い髪を揺らせ、寝息を立てるシンタロー。
 その寝顔は、あの南の島にいたときのように穏やかであどけないものだった。
「あのときのシンタローはん。可愛おしたなぁ」
 アラシヤマは小さく肩を揺らして、林の奥へと足を進めた。

 しばらく歩くと、例のベンチが見えて来た。
 先程と同様、そこには誰もいなかった。
 誰かいることを期待していたわけではない。
 この寒い中、わざわざこんなところまで来るような物好きはアラシヤマくらいだろう。
 シンタローも来週行く遠征の準備で忙しくしている。
 誰も来るはずがないのに軽く辺りを見まわしてから、ゆっくりとベンチに腰を下ろした。
 こんな林の中でベンチに座っていても、太陽の光が入るようにつくられている。
 円の中心にポツンとベンチ。
 肌寒い今は少し寂しい感じがする。
 アラシヤマは両手で何かを包み込むような形をつくった。
 チリッと音がして、小さな炎が生まれる。
 小さく儚げなそれを風で消してしまわないよう、背を丸めた。
 すると小さかったその炎は、ゆっくりと形を造り始める。
 完成した形を確認して、アラシヤマは炎を守るように包んでいた両手を離す。
 ひらひらと飛び立ったのは、1匹の炎の蝶。


 仕事中。
 ふと幼い頃の事を思い出した。
 マーカーのところに預けられる前。
 まだ、実の両親のところで生活していた頃の事を。





 アラシヤマは、感情が高ぶると身体から炎を発する特異体質だった。
 幼い頃は今のように炎をコントロールする事など出来ず、感情の任せるままに炎を発しては両親に恐れられてい
た。

 父は酷く世間体を気にする人だった。
 いきなり炎を発する子供を外に出すなど、自分のイメージが下がるようなことをするわけにはいかず、アラシヤ
マは家に軟禁されていた。
 それでもまだ心配だったらしく、息子は死んだものとして周りに言っていたようだった。
 徐々に家にも寄り付かなくなり、外に女をつくってそこで暮らすようになった。
 それでも盆・正月といった親戚が集まるときには戻って来て、何事もないかのように振る舞っていた。
 記憶に残っている父の笑顔が、どこか遠い人のようだったのを覚えてる。

 母はよく泣く人だった。
 アラシヤマの前でだけ、よく泣く人だった。
 怖かったのだろう。
 感情の高ぶりと共に炎を発する我が子が。
 まるで腫れ物に触るように『良い母親』を演じていた。
 息子を刺激しないようにいつでも微笑み、いつでもアラシヤマのことを「えぇ子」と言った。


「アラシヤマは、ほんまえぇ子やなぁ」

「おかぁちゃん鼻が高いわぁ」


「せやからな。アラシヤマ」


「お願いやから、アレ出さんといてな?」

「後生やから。おかぁちゃんの前で、アレ、出さんといてな?」


 そう言った後。
 母が泣いていたのをアラシヤマは何度も見た。
 息子に話しかけるのが怖くて怖くて仕方なかったのだろう。
 我慢の糸が切れて、涙が止まらなくなったのだろう。
 そんな母が不憫だった。
 せめて、自分の出来る範囲で母に笑ってもらいたかった。
 『良い母親』の笑顔でなく、心の底から笑ってほしかった。
 心から「えぇ子」と言ってもらいたかった。


 母は蝶が好きだった。
 春になると、旧家の広い庭にひらひらと舞い飛ぶ様々な蝶を眺めては、嬉しそうに頬を緩めていた。
 母のお気に入りの着物には、どれも蝶が象ってあった。

 だから、アラシヤマは蝶を造った。
 着物にある蝶などよりも、小さいが数倍美しい蝶。
 真っ赤な、その蝶を見てアラシヤマは嬉しくなった。


 これで、おかぁちゃんに笑ってもらえる。
 おかぁちゃんに好きになってもらえる。


 アラシヤマは走って、母のもとへ行った。
 小さな両手に出来たばかりの蝶を隠して。
「おかぁちゃん!」
 普段聞かないような我が子の明るい声に、母の背中が凍り付いた。
「な、なんやの、アラシヤマ?」
 恐る恐る振り返る母。
「おかぁちゃん、見といてや!わて、おかぁちゃんに蝶々造ったんよ」
 その言葉に、母は顔を緩める。
「嬉しいわぁ。はよ、見せて?」
「うん!」
 屈んで目線を合わせてくれた母の顔の前で、ゆっくりと両手を広げる。
 ドキドキした。
 母がどんな反応をしてくれるのか。
 どんな顔をして喜んでくれるのか。

 しかし、母は喜んではくれなかった。

 「ヒィッ」と小さく声を上げた母の顔は、今まで見た事もないような顔だった。
 恐怖。後悔。悲哀。限界。
 全てが混ぜ合わさった顔だった。
 それから母は、涙目で後ずさっていった。
「おかぁちゃん…?」
 泳ぐ目でアラシヤマの姿を確認した途端、再び息を呑み、母は嗚咽を洩らしながら走り去っていった。


 それが母の姿を見た、最後だった。






 あの日からアラシヤマの行動範囲は、極端に狭くなった。
 今までは軟禁状態とはいえ、家の敷地内であればどこでも歩き回る事ができた。
 しかし今は、アラシヤマの部屋として与えられている離れの一室内しか動く事が出来なくなった。
 そして部屋の外では、見張りとして必ず誰かが常駐している。


 母はアラシヤマが造った蝶を見て動揺していた。
 アラシヤマの想像とは異なり、舞い飛ぶ蝶に恐怖していた。
 息の呑み、呼吸するのさえ躊躇い、冷汗をかきながら、目を泳がせていた母。
 思いもしなかった母の反応に戸惑っているアラシヤマの姿を視線に入れた途端、彼女は逃げるように走り去って
いった。
 それから母は、母屋の奥に閉じ篭ってしまったという。


 1日が過ぎ、2日が過ぎ、3日目が過ぎようとした頃。
 アラシヤマはやっと気付いた。
 自分が犯した失態を。
 母が恐れいた、アラシヤマの特異体質。
 感情の高ぶりと共に炎を上げる、息子。
 彼女が常日頃、口癖のように言っていた『アレ、出さんといてな?』という言葉。
 アラシヤマはわかっていたはずだった。
 しかし、母が好きな蝶を造るのに必死で、何故母が自分に対してあんな態度を取るのか忘れていた。
 そしてアラシヤマは母に見せてしまった。
 母が一番恐れているものを。
 母が一番愛していた形で。
 母の顔の目の前で。
 アラシヤマは見せてしまったのだ。

 真っ赤な、1匹の炎の蝶を――。


 アラシヤマは小さな両手で何かを包みこむような形を作り、生まれた小さな蝶を部屋に放した。
 ひらひらと舞う炎。
 美しいそれは、やがて涙で霞んで見えなくなった。



 母に蝶を見せた日から、1週間後の夕方。
 物音ひとつしないアラシヤマの部屋に、ひとりの男が訪れた。
 この部屋に、食事を運ぶ侍女以外が入るのは久しぶりだった。
 不思議な雰囲気を持った人だった。
 日本人とは似ているが違う、中国人特有の顔立ちをした人。
 切れ長の猫目をした、綺麗という形容詞が似合う人。
 男は、部屋の隅で膝を抱えているアラシヤマに近づいた。
「お前がアラシヤマか?」
「……」
 父から、外から来た人間とは話すなと言われていた。
 ちょっとした会話から、いつアラシヤマの感情が高ぶるかわからない。
 面倒なことを避ける為に、父の教育は徹底していた。
 もっとも、もう家に寄り付きもしない人間の言うことなど守る必要もないのだが、幼い頃からの教育でアラシヤ
マは極度の人見知りになっていた。
 自分の顔を見つめるだけで何も話そうとはしないアラシヤマに、男は溜め息を付いた。
「マジック様の命とはいえ、面倒なものを引き受けてしまったらしい」
 酷く不機嫌そうな声に、アラシヤマは肩を竦めた。
 整った顔は、必要以上に男の周りの空気を冷めたものにしている。
「話す気がないのなら別に構わん。私の名前はマーカーだ。お前を迎えに来た」
 マーカーと名乗った男の、突然の言葉が理解できなかった。
 呆けたように、マーカーの顔を見る。
 マーカーはそんなアラシヤマに一瞥をくれてやるり、部屋を出て行こうとした。
 ふと、マーカーの前を炎の蝶が横切る。
 ビクッとアラシヤマは身体を堅くした。
 瞬時に、1週間前の母の顔が浮かぶ。
 肉親ですらあんな反応をしたのだ。
 初対面のマーカーなど、どんな酷い反応をするのか判らない。
 驚くだろうか。
 怖がるだろうか。
 気持ち悪がるだろうか。
 きつく目をつむり、抱えた膝頭に顔を埋めた。
「炎の蝶か…」
 しかしマーカーは、アラシヤマが思っていたどの反応もしなかった。
 それどころか彼は関心したような顔をして、おもむろに顔の前に手をかざした。
 かざした手で軽く空を切ると、1匹の炎の蝶が生まれた。
 自分と目の前の男が造った2匹の蝶に、アラシヤマは言葉を失った。
「…どうした?」
「蝶々…」
 アラシヤマが造ったものより、ひとまわり程大きな蝶。
 無意識にその蝶に手を伸ばそうとするアラシヤマに、マーカーの表情が緩む。
「――独りでは、寂しいだろう?」
「……怖くないの?」
「怖いわけがない。私もお前と同じなのだから」
 そう言うと、マーカーはアラシヤマの部屋から出ていった。
 廊下からは「母屋へご案内させて頂きます」という侍女の声がした。
 2つの足音が遠ざかると、再び部屋は物音ひとつしなくなった。


 しばらくすると、母屋の方から声が聞こえてきた。
 ヒステリックに叫ぶ母の声。

「もう限界どす」
「顔も見たくあらしまへん」
「あんなバケモン生むんやなかった」

 いままで溜め込んでいた気持ちを、全て吐き出しているようだった。
 胸を抉られるような母の言葉を耳の端で聞きながら、アラシヤマはただ、暗い部屋でじゃれるように舞い飛ぶ蝶
に心を奪われていた。


 どれくらい時間が経っただろう。
 先程アラシヤマが見たときよりも、更に不機嫌な顔をしたマーカーが部屋に戻って来た。
「アラシヤマ、お前の親から許可が出た。すぐにここから出て行くから、どうしても必要なものだけ準備しろ」
「……」
「なんだ?」
「…おとぉちゃんが、家から出るな言うてた」
 アラシヤマの言葉を聞いたマーカーは、苛立ったように大きな溜め息を吐いた。
「お前の父親が絶対だというのならそれでいい。ただ、このままだとお前の命の保証は出来ないと思え」
 マーカーの言葉は確かだった。
 アラシヤマ自身も、このままではいつかは母に殺されるような気がしていた。
 母の精神状態は極限まで来ている。
 いつ、我が子を手にかけてもおかしくなかった。
 アラシヤマは、それを拒むことなど出来ないだろう。
 原因が全て、自分にあるのだから。
 部屋に軟禁されて1週間。
 自分の命など、とうにどうでも良くなっていた。
 母が笑ってくれるのならば。
 もう、あの人が泣かないですむのなら。
「どうする?」
 試すような口調のマーカーの後ろで、2匹の蝶が飛んでいる。
 目の前のこの男は、アラシヤマの特異体質を恐れなかった。

『――独りでは、寂しいだろう?』

 アラシヤマは、マーカーの言葉を思い出した。
 独りでは、寂しい。
 それは蝶に向けた言葉かも知れない。
 それでも、アラシヤマは嬉しかった。
 自身の孤独を判ってくれる人がいたのだと。
 そう。
 アラシヤマは寂しかったのだ。
 家にいない父親。
 心を病んだ母親。
 家から1度も外へ出してもらったことがない状態で、友達などいるはずがない。
 家で働いている侍女たちも、アラシヤマとは話をしようとはしない。
 常にアラシヤマは独りだった。
 誰もアラシヤマが寂しさなど考えず、ただ、離れて行くことしか考えていない。
 自分の身の安全しか考えていない。
 寂しかったのだ。
 ずっと、寂しかった。
 物心付く前から、『寂しい』という感情さえも判らず。

 ただ、寂しかった。


「……」
 アラシヤマは黙って立ち上がった。
 それを見て、マーカーは片眉を上げた。
「行くのか?」
 マーカーの問に、アラシヤマは強く頷いた。
 ここを出て行く。
 嫌いだからじゃない。
 愛しているから。
 心の底から、両親を――母を愛しているから。
 アラシヤマは、この家を出て行く道を選んだ。

 いつか、母の涙が乾く日が来ることを願って。


「先に言っておく」
 突然、マーカーが言い出した。
「お前には私の弟子として、これから修行を受けてもらう。それと、私は自分から望んでお前の世話を買って出た
わけじゃない。もちろん、お前の親になるつもりもない。自分の名前も満足に言えんような奴を世話する気など、
さらさらない」
「……」
「言うつもりがないなら、勝手にその辺でのたれ死んでるが…」
「――アラシヤマ」
 アラシヤマはきつく睨むマーカーの目を真っ直ぐに見た。
「アラシヤマ、いいます。お師匠はんには、これからお世話になります」
 マーカーは、目を逸らそうとしないアラシヤマに小さく頷いた。
「では、さっさと準備しろ。こんなところに長くいるつもりはない」
「…荷物はいりまへん」
 元からアラシヤマの持ち物なんどこの家にはありはしなかった。
 アラシヤマの言葉を聞き、マーカーは背中を向けて部屋を出ていった。

 アラシヤマはマーカーの後を追おうと、部屋から出た。
 不意に今まで自分がいた場所を振り返った。
 日が落ちてしまった暗い部屋には、2つの真っ赤な炎がひらひらと舞っている。
 自分が造ったのは2匹の蝶の小さい方。

 いままでずっと独りだった。
 初めて出来た”同じモノ”。
 アラシヤマはそっと笑みを浮かべると、今度こそ部屋から出ていった。


「――よろしおしたな」







 日は更に落ち、本格的に暗くなりだした。
 冷たい風に身を震わせて、コートの襟元をかき合わせた。
 いつも以上に気分が落ちこんでいる。
 普段思い出さないような人のことを思い出していたからだろうか。


 マーカーに連れられて家を出てからは、家のことは思い出さないようにしていた。
 寂しいわけではない。
 帰りたいとも思わない。
 けれど。
 あの人がまだ泣いているのか、もうあの人の涙は乾いたのか確かめたくて仕方ないときがある。
 不幸しか与えることが出来なかったから。
 せめて、自分が出ていくことで彼女が少しでも幸せと思うのなら――。
 叶わない願いをいつまでも胸に抱えていても仕方ない。
 だから、思い出さない様にした。
 忘れようとした。



 あかんなぁ。
 アラシヤマは小さく頭を振った。
 いつまでたっても、忘れられていない。
 もう何年も昔のことなのに。
 あの家にいた時間よりも、ガンマ団にいる時間の方が遥かに長い。
 それでも彼女の最後の顔が頭に残って消えてくれない。
 微かに自嘲の笑みを零す。


 カサ…。
 誰かが木の葉を踏む音が聞こえた。
 アラシヤマは辺りを見回す。
 こんな時間にここで誰かに出くわした事などない。
 公園といえど、ここはガンマ団の敷地内なので、一般人が入り込んでくることはまずない。
 誰やろ。
 暗くて良く見えない視界に、目を凝らす。
 するとさっきアラシヤマが来た方向から、人影が見えた。
 冷たい風に長い髪を揺らせて、スラックスのポケットに両手を突っ込んで歩いている。
「…シンタローはん?」
「やっぱここにいた」
 声の主はやはりシンタローだった。
 総帥の証である赤いスーツに身を包んでいる。
 しかし。
 アラシヤマには、シンタローがここにいる理由がわからない。
 報告書ならちゃんと部屋を出る前に、たまたま傍にいた秘書課の人間に預けたはずだ。
 他の書類だって、全て終わらせた。
 それとも何か約束でもしていただろうか?
 そんなことはない。
 アラシヤマがシンタローと約束をしていて忘れるわけがない。
 一度約束をすれば、毎日指折り約束の日を楽しみにしているのに。
 ますます、ここにシンタローがいる理由がわからない。
「報告書なら出してありますやろ…?」
 とりあえず確認してみる。
 もしかしたら、秘書課の人間が忘れているのかもしれない。
「ちげーよ」
 そんなアラシヤマの考えは杞憂で終わったらしい。
 久しぶりに見るシンタローの笑顔。
 現金にも、さっきまでの落ちこんだ気分が晴れていくのがわかった。
「部屋からお前がここに来るのが見えたから、ちょっと…な」
「わざわざ逢いに着てくれはったんどすか?嬉しいわぁ。わて、愛されとりますな」
 照れ隠しの様に頬を掻くシンタローが可愛い。
「ぬかせ」
 シンタローはいつもの様に、アラシヤマの言葉にまったく反応を見せない。
 アラシヤマはそれに少し寂しい思いをしながら、シンタローが座れるだけのスペースを作る為にベンチの端へ寄
る。
「座りはったらどうどす?せっかく来てくれはったんやし」
「…何もしねーだろうな」
「わて信用皆無どすな」
「一度、テメーの日頃の行いを振り返ってみろ」
 本気で嫌そうな顔をするにシンタロー。
 アラシヤマはクスクス笑うと、目の前を飛ぶ蝶に視線をやった。
「何もしまへん。わても今日はそんな気分やあらしまへんから」
 蝶は赤い身体をひらひらと舞い踊らせながら暗い中を飛びまわる。
 シンタローは珍しいものでも見るような目をしてから、ゆっくりとベンチに座った。
 そんなに大きくないベンチ。
 2人並んで座ってしまえば、嫌でも相手の存在が気になる。
「ねぇシンタローはん」
「…何だよ?」
「あの蝶、シンタローはんはどう思います?…やっぱり気持ち悪いやろか」
 アラシヤマ同様、蝶を見ていたシンタローに訊ねる。

 怖くて今まで訊けなかった。
 士官学校に入ったその日に、シンタローには自分の力を見せてしまっている。
 その時にアラシヤマは、シンタローに火傷をさせてしまった。
 きっと当時の総帥であった父のマジックから、自分の特異体質については説明を受けただろう。
 それでも、判っていても、生理的に受けつけてくれない人はいる。
 実際に受けつけない人を見てきた。

「……」
「……」
 何も返って来ない返事に、訊いたことを後悔した。
 自然と視線は下がり、足元をじっと見つめる。
 出きる事なら、ここから立ち去ってしまいたい。
 アラシヤマは膝に置いていた手を握り締め、立ち上がろうとした。
「おい、アラシヤマ」
 しかし、シンタローの声でそれは出来なかった。
「この蝶、もう1匹出せねーのかよ」
「シンタローはん?」
 思いもしなかった返事だった。
 恐る恐るシンタローの顔を見ると、そこには柔らかい笑顔があった。
「いつもコイツ、1匹だけだろ?独りじゃ、寂しいじゃねーか」


『――独りでは、寂しいだろう?』


 2人の言葉が重なる。
 アラシヤマは静かに瞑目した。
 もう答えなどいらない。
 今の言葉で充分だった。



 アラシヤマは、そっと両手で何かを包み込む形を造った。
 チリッと音がして、小さな炎が生まれる。
 小さく儚げなそれを風で消してしまわないよう、背を丸めた。
 すると小さかったその炎は、ゆっくりと形を造り始める。
 完成した形を確認して、アラシヤマは炎を守るように包んでいた両手をゆっくりと離す。
 大事に大事に。
 壊してしまわないように。
 アラシヤマの手から飛び立った炎の蝶は、仲間を見つけると、じゃれるように舞い始める。
 あの日見た光景だった。
 暗い舞台をひらひらと踊る、2匹の真っ赤な炎の蝶。

 目頭が熱くなった。
 泣いてしまいたくなった。
 震える手で、そっと隣りに座るシンタローの手を握った。
「何もしないんじゃなかったのか」
「…堪忍な」
 声までも震えていた。
 シンタローはなにも言わずに、手をそのままにしてくれた。
 それが余計にアラシヤマの涙を誘った。
 徐々に涙で霞んでいく蝶。
 暗くて良かった。
 こんな顔、シンタローには見せられない。
 アラシヤマはきつくシンタローの手を握り、ただ静かに涙した。







 蝶を造りました。

 貴女が愛していた蝶を。


 喜んで欲しかったのです。

 私もあの自由に飛びまわる蝶のように愛して欲しかったのです。

 普通の愛情でよかったのです。

 ただ、愛しく思って欲しかったのです。

 私もあの蝶のように。



 貴女が愛し方を知らないから、私は貴女にこの蝶を造りました。

 暗闇から光をへと導くように。

 貴女が迷ってしまわないように。

 灯火(ともしび)の蝶を造りました。



 貴女が私を愛してくれるように。

 願いを込めて。










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